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『宗教研究』新第2巻第1号(*21号)

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(1)

――目次―― 1,口絵,切支丹関係書類及遺物,山東省済南府道院総門・同歴城県歴山石窟大仏 2,仏教における心理論発達の大観,特に身体論を中心として,木村泰賢,Taiken KIMURA,pp.1-31. 3,十二因縁の伝統的解釈について,赤沼智善,Tomoyoshi AKANUMA,pp.32-60. 4,法華経史上における龍樹(下),本田義英,Yoshihide HONDA,pp.61-74. 5,潜伏のキリシタン宗門(下),姉崎正治,Masaharu ANEZAKI,pp.75-89. 6,Immortality の信仰について,大塚道光,Dōkō ŌTUKA,pp.90-107. 7,『題目』の史的考察,布施浩岳,Hirotake FUSE,pp.108-119. 8,アメリカにおける宗教事情の一側面,矢吹慶輝,Keiki YABUKI,pp.120-138. 9,山東の仏蹟を叙して道院に及ぶ,常盤大定,Daizyō TOKIWA,pp.139-151. 10,新刊紹介並批評

G.F.Moore, The Birth and Growth of Religion,佐野勝也,Katsuya SANO,pp.152-154.

W.S.Swisher, Religion and the New Psychology,大友抱璞,Hōboku ŌTOMO,pp.154-158.

W.H.R.Rivers, medicine, Magic, and Religion,原田敏明,Toshiaki HARADA,pp.158-164.

姉崎正治氏著『切支丹宗門の迫害と潜伏』,比屋根安定,Antei HIYANE,pp.164-169.

(2)

ヽ ・・・∴且息ヰ・−、 !⋮1∫−也あ紛ら6くヰ松明奇

惹丸

⊥写必箋吻ネ・ゑiも総も極骨ぷ遍

照相思級一息腎貧軌範ギ

諺摺孝巧告、哀皇拳轟

安政夫年長崎奉行組草 本文き藤伏のキリ〟︶タ︶て宗門−ふ少照 浦上村﹁典宗一件﹂報告草案 膏・l−け

ヰ∵葦生ヂ花ふ輝ふ†射

1..フ、加紘・ふぃレクて心ヤ菩・−† ヤ ∴、丁牛∵︰竹竿\帆∴ 丁∴ 化ノ弼竜岬らナ峰ち軋遡吟唱久去・武 卜む隼人鳩い了もトング/、タど絹隼 珍久妄ダ用心け藻︰㌢り︰フjい、−㌣乱晶ノ″二 /トト† ′㌧ ヱトさi 事 −.▼一− 内証神川申●田竹筒後彗 錨の院病ンタシリキ●年ニー六一 蓋ンクシリキ村家有東国荊肥 (す示私敬迫の民村)

(3)

ヨ東軍魅荘重瑚建蜜監

ヨ轟如態蒜諾慧聖声将軍東森

(4)

1

偶数はその凝議め過程中に於て種々の畢術を藤生したけれども、その特長といふペき咤何んと

言っても、その心理静であらねばなら氾。蓋し偶数はその数理の立前として、先づ革質を正成すると

いふ研から出費した関係上、典へられた革質中、その最も直接なる心理的革質の観察を重要親した

結果でぁる。かくして、かの無我諭の如きも、之を修養の立場からすれば、燕我的軌法に対する規

範であつたけれぎも、串賓判断としてはその心理粗から凍ね結論であ♭、またかの十二田繰設の如

きも心理特に認識関係を中心として生命活動進展の妖憩を明にせんとし花数理でぁるなど、凡そ偶

数に於ける重要放伐にして直接、間接に心理静に関係せぬものがないと言っても然るべき程でぁる。

況して進んで小乗部況借款となト、更に大衆唯諌偶数となるや、その心理的観察に於て珊々精緻を

悌故に於ける心理給敦謹の大風

併教に於ける心理諭螢連の大観︵蛸郎濾用を︶

寮 費

木 村

(5)

2 例数に於ける小磯静致蓮の大風 三 加へ、少くも心理諭の一斜に於ては偶数は印度の地学派は勿論、恐らく同時代に於ける世界の諮邸 況に対して薪然、その頭角を披くことになつたのである。 徒て偶数の心理諭は晋より碓々の立場から研究され凍ったが、殊に近代になつてから、種々の畢 者の興味七琴き、之に脚する二三の著述をさへ見るに到ったのである。例せば西洋にありては岩窟. R︼−ySPくE払、宮ddll訂欝ydl。lO顎︵訂−1計コ、一望上の如き、冒・WO序昌gP︻きせie雰yc邑品ie∈乙Et〓k d語学己−計1日Å買ごlC11つnこ詰−︶の如きは比較的に纏まれる偶数心理書であるが、我が日本にみりて

は、丁、

欝γ井上固博士が椛か薯挙館講義殊に係数心理に就て講じたことがあつたと記憶してゐる が.数年前橘蕊脇氏が﹁傭放心理の研究﹂︵大正五年東京︶と還する一書を芽はしてその研究成琉を公 にしたのも蓋しこの気運に促された結果であらう。併し.吾人をして極めて忌憧なしに言はしむれば、 その何れも未だ偶数心理諭として退城の鉛抄からざるものがぁる。デイブィズ夫人のそれは、中に於 て澱も卓越したものではあるけれども、その衣題にも断ってめる迫り、何分にもその材料は巴利文 に限う、心理諭の最も費透した揆謬阿耽達磨には少しも及ばぬ上にその組織に於ても荷ほ物足らず 成せらるゝものがぁる。ヲルアガング、ガーン氏のそれは書物としては類茄な上に射料も主として 主力ーヤ 尼村耶︵阿合致聖典︶に限り而も概ぬ繹寄に基いたと思はる∼節もあらて、デイブィズ夫人のそれに比 して正に不充分元るを免れ氾′り井上氏のそれは不幸にして改組することが出凍ないので、何んとも

(6)

言ふことが出凍ぬけれども、大凡、供合又は唯識の心所論を少し今風に説明したに過ぎまいと思は

るゝ現由あり、橘戊の偶数心理の研究は要するに唯識論の五位を基礎として矢鱈に種々の引用句に

ょりて之を説明せんとしたもので、時に殆ど何等の意なるかを解し難からしむる仰踵も抄くはない。

かくして件数心理諭に関する三四の番あるは畢界のため誠に欣ぶペしとするも、その何れも不完全

で到底是等によりて彿放心理論の金魚を見ることの出水ないのは寄ろ退城と言はぎるを得ぬ。

一一カ1†

所詮、倣奴心理諭の金魚を見るためには、技巴に捗る阿合舘典は勿論、諸種の阿枇達磨紛宙より

進んでは大桑唯識系の鎧諭に及びて、一方に於てはその歴史的開展を明にすると同時に、他方には之

を何程か現在の心理邸の憶系に蓑理するの必要がある。単に限られた鮭論に韮いて而もその所謂

心心朗静を羅列的に説明したからとて、到喝偶数心理諭の巽を丑したものといふことが出水ぬと

心得ねばなら氾。従て、少くも材料の鮎からして、この間過に就て虞く研究し得ペき便宜を宥すろ

は何んと言っても、杏等日本の学徒、殊に新教育を受けた革従でめらねばならぬ。何んとなれば西

洋の畢衷は班謬紆翰を使用する上に於て多くの不便を免れす.亦日本の軍事と胱も所謂解式の人は、

心拙論といふ忠妹の概念に於て不完全たるを免れぬからでぁる。

併しながら賓をいへば、この間題を根底的に研究するといふことは、中々の大事業でぁつて、何

人と排も到嘩一朝一夕に超し遂げ得ペき性質のものではない。蓋し材料の史的取扱カはいかに、

俳歓にぬける心理飴や蒙¢大れ ∵ −1■ 二 ̄  ̄

(7)

4 日 委lこ放ける心磯諭す洩¢大れ 間題の所在はいかに、組織法はいかにといふが如き、種々固辞な問題が存するけれども、少くも金 髄としての立場からすれば、未だその方針さへもついて居らぬ現状であるからでぁる。 吾人、不省.本よトこの間超に射して、未だ撞まれる意見を螢衣L得る糧その研究が進んでゐな い。しかしそれにも関らやこ∼に敢てこの問題を提出した所以は、たとへ不完全ならとも、仝鹿的 研究に開するせめて大概の方針だけでも立てゝ佗くことは、吾人自身としても、また肺沸この研究 に進まんとする人ほとりても、多少の便宜にならうと思ふからでぁる。但し紙数の関係上、今は専 ら心鰹諭を基礎として俳故に於ける心狸軌費遁の大醸を見んとするのが本論文の主意でぁることは 汲め断ってか∼る朗である。勿論、心理率の主題は心髄諭にぁるのではなく、寧ろ心作用に関する 法則を見出す蹟にめゎ、倍数心理論の特長も賓はこの鮎にある。しかし、養鰻的立場からすれば、 偶数の心聖論も矢輩、心偲諭を中心として敬遠したの−で、こゝに中心一箪置くことほ簡異にその教達 の有捨を見るに使なるものゝあるのが、右の方針をとつた所以である。又偶数心知恵は、剋資して 言へば、その費連に綿々の階段を粧てゐるけれども、今は具に大倍の方向を立つるに過ぎないので、 原始借款︵屈河耶桃数︶よ♭出費して部況係数︵阿批退助偶数︶Jぜ攣し、唯識彿敢に進むの三階段に分 つに過ぎないことも、亦潜め断ってかゝる所である。 〓

(8)

与 抑々傭陀常時の率界に於ける心理論を見るに、大憶上、之竺一類に舟つことが出那よう。その一 は言はよ兇魂的心理籠︵崇e鼠rit邑賢訂be吋噌。邑。gie︶で他ほ唯物論的心理諭︵せie岩戸訂−・iM諌ti乱le 句唱e邑0甘︶でぁつた。執着は心を以て固定的な愚魂又は自我の活動に基く作用と見る詭で、まとし て常時の布我論者によりてま張せられたものであγり、後者は心理作用なるものも所詮は物貿的生理 p−カーヤク 所動の一塵形に外ならぬといふ説で所謂職位涯一流の唯物論者の主張であつた。 然らば彿陀は之に対していかなる心印税をま張されたかといふに、右の両説を共に非とすると同 時に亦或る意味からすれば右の雨読を止揚して言はい中道的心理軌を樹てたのは偶数心理諭の特徴 であつたといふことが出水る。即ち吾等の心理作用なるものは、固定的整魂の作用でもなければ、 また物栗の副産物でもなく、寧ろ典へられた革質としてはそれ自身燭立の作用でぁる。併しそれは 決して畢瑚な存在又は作用ではなく、種々の要素︵鹿、嘩界︶と稲々の関係︵囚繰︶の上に成立する現 象であつて再もー刻も停止することなき踵泡的現象である。之を組宿して或は心︵Ci評日︶といひ或 は怠︵試pE︶といひ乃至、識︵つ菅抑nPm︶といふけれども、決して一物ありて然るのではなく、要す るに械々の要素間に於ける復命作用に替らく命名したに過ぎざるものである。而もこの間に統一の ナンスカラ ある所以は、之を認識的に見る限♭悟性︵識︶がその中心とな♭、情意的に見る限り活動性︵桁︶が その中心とた丁りて凡ての作用を統科するによる。・・・tfとは即ち俳陀の心談軌の大鰹であつた。この ●軌に於ける心鞭船†蓮¢大れ 丑

(9)

b

儀故に放けろ心機冷す遽の大丸

意味に於て梯陀の心理軌は、若し之を近代風に言ひ縛るならば所祁.種戚的心理塵︵Diee旦r訂l︼e 茸﹂。l各︶にか行†りに近き立場に立ったといふことが出水よう。へ絹㍍瑚緋醜服闇︶

徒てこり恥♭、彿放の心理諭なるものは、要するに心的要素を碗剖し、その舶互の連絡を切にし、

心的活動り法則を見出す所にそのまなる役目があつた詣で此間に別に心の本質に一朗する形而上塾的

問題のあるべき告がなかったのも勿論で一⋮る。然り.この後に到りて彿放心埋諭は大股に於て心理

現象論の形に於て大に開展したことは軍ふべからぎる革質でぁる。

併しながら、こ∼で普等の注意せねばならぬことは、偶数の心理諭は異に輿へられた粥異として

の心理活動の状鰻を明にすればそれで足♭るといふ筋合のものではなかったといふことでぁる。そ

の翰姻論の関係上、之一品去来殊にまで及ばして考察すると同時に、之によりて輪廻の通硯を明に

せなばなら農学蒜びたものである。心は蒜の折過的現象に過ぎないならば、三世に捗らて柑

廻する者は何かといふことは、その心理諭の重要問題として是非とも解決せねばならぬ鮎でぁつた。

之を頚典に欲するに

光軸めり、作者なし、この︵五︶陰、滅し終りて件の︵五︶陰和摸す︵竿三、空室 諾業と愛と無明とが囚となトて他鹿の︵五︶陰を揖む︵満十三、竺ぎ︶ など1耽き、三世に捗るの翰凋も要するに欲琴晶元としての充溢の粕府に外ならぬといふがその

(10)

解決曳であつた。然ら恐らく之で充分の詑明であら・フけれども、併しその晃澄となれば、中々判明

し難きものあト、少くも俗耳には容易に入り欺きもの∼あつた主もまた寧ひ難き革質であつた。こ ゝを以てか早く巳に彿時代に於てすら、何か一種の固定的原理を立て∼翰娼のま憶たらしめんとし た解決豊の行はれたとは、かの茶噂比丘︵監︶が識︵5膏ぎ巨︶を似て死後にも相宿する原理だと韮 萌し竺例に敬しても明であらう︵試㌍相関描m新出書経︶。本よゎかゝる見解は彿陀の立場からすれ

ば由々しき誤解であつたので、直ちに取滑さねばならぬことになつたけれども、併し数多き俳弟子

中には必ずやこの種の見解を暗猷の問に抱いて、そのま∼鎮まで駿府されたものもあつたことは容

易に想見し得べき串賓でぁる。加ふるに彿陀は柁々の悪政に於て心の一大婁衰として所謂、無意識

的宴素を認められた。即ちそれは例の無明、菜、などの観念でぁつて、共に意識以前又は意識の級

底として、心理所動の基礎と見たことは偶数々理上、改めて詭明を加へる必要のない程、著明な軍

資である。而もこの無明及び業なるものは、騒なる五爵積数詭のみでは説明し灘き或る意味を倉癒

すと考へらる、限り、たとへ、茶哺沈の解繹を排斥した所で、矢荻、躍駿的心頭所劫の根底として

何物かを認めねば牧丘ふLソがつかぬことにならう。

か′、して、原始俳数の心理翫は、大髄上、所謂経鹸的心理率に極めて近い立場から出費したとい

ひ條、最後には欠張、心の本質なる形而上率的考察を入れ得べき除地を残すことになつた。この事

靡軟に於ける心笥†‡遽¢大血

(11)

8 然らば右の思想を背溌として、部派彿敦︵小乗致︶に到りてその心理軌はいかに開展したかといふ

に、本より濃密に言へば椰々の問題に就て種々の典諭を生じたけれども、大健からすれば之空一洗

又は三流に分けることが出家ようと思ふ。二流といふのは、言ひ得るならば機械論的考察︵Mee訂ni・ 邑eまeノユと生概論的考察︵5邑訂㌫eまe且とであつて、三流といふのに之に更に心の本性に関する形

而上畢的考察を加へたものである。共に所謂小乗諮部泥中に於て起った考察であつて、而も歴史的

に云へば相互に交渉し反撥しながら螢達したものである。以下少しくその一々の楷鰯を詭明して見

よIフ〇

先つ機械論的観察の側から初むるに、こは原始沸教に於ける五菰促和合設の精油を成るべく忠宵

に守らて、心を以て飽くまで諸要素の集合岱と見催し、この間に特に中心たるペき何物をも認めぎ

らんとする流派である。即ちかのケツデラー比丘月︵句風払︶が初めて敬ひ出してから有名になつた 彿故に於ける心理絵像漣の大風 八 は偶数心理諭発達の出費鮎として吾人の切に銘記せねばならぬ鮎で、この後に費達した偶数心理諭 の中心は聾にこの鮎の解辟に外ならなかったといふも過言ではない。

(12)

9 車の喩の通す.部分の組合を耽れて別に串の体がない如く、種々の要素の結合を放れて、別に心も

人格もないといふ立場に立脚する心理観である。之を個々の部派に徹するに、姐じて言へば部泥傭

敢の大字はこの流派に屈しょうと思ふけれども、少くも文献上、南方に偽はる上座部の如き、北方

に伸はる詭一切布部の如きはその代衷的なものであらう。蓋し両派ともその率風の極めて煩欝的機

械的なるに應じて、その心理軌に於ても飽くまで心理要素の舟辞を盃じ、その統合的金一的方面の

軌察を疎にして、以て機械的に無我論をま張せんとした鮎に於て其塀を一にするからである。勿諭

格式をいへば、何んと言っても南方上座部の方は素朴的であゎ、北方の設l切布部は一修復嫌化し

暫畢化してゐるの相違があるけれども、ともかくその畢風に於て近似したものであるといふことは

守ふペからざる啓発である。

鱒bば是等の部族に於ける心理軌の特長は何虔にあつれかといふに、之を簡単に概括すれば大約、

次の三項に秘め待ようと思ふ。

先つ第一は前にも述べた如く、心的要素を細かに分析し化ことである。勿論、先是、巳に原始沸教

にあ♭ても、五蔽ぉ初めとして種々の立場から心を分析して説明したけれども、未だ語らて精しか

らざるものがあつたが、是等の洗況に到らてその分析的軌察を行く踵まで行かしめたのでぁる。即

ち外界認識の立場からは心の壷行為作用を六誠に卦ち、更に内心作用を抽出しては之を心所︵P㌣ ●扱lこ於けも心理鯵蓉連¢大義

(13)

】0 一〇 例軟lこ於けろ心環論語蓬¢大皿 ちらサ 訂i厨ce訂i打P︶と名け、次窮に細かに心所の和樹を次へあげ、以て心作用の所有る場合を速さんとし たのでぁる。貸にも此心所論は部派沸教に於ける最も大なる心理埋的特長であって、之によつて彿 数の心理諭は大に精緻を加ふるこどになつたのであるが、之を開展せしめたのは署に主として機械 翰者の努力によつたものである。その第二に数ふべきは右の心所論と閤述して所謂、閤絶設を大に 精しくしたことである。融も所詮、田繰︵関係又は伐仲︶の産物でめることは、原始桃数で説ける併 でぁるけれ共、その回線の何物なるかに閲しては未だ精き説明を欠いたが、弦に到りてその心柁諭 と伸ひてこの間超せ大に精細に論じ出したのである。即ち心作用を種々に分析するに従て、n然にそ の生起の傭伸を明にする必要に迫ょられた結果である。かくして南方諭部では甘回路を以へ︵P長子 訝PpPP訂ra官金照︶、北方の説一切布部は六因四妹を教ふる等、主として機械論的考察を立場とす一り 部況によbてこの問題の開展を見るに到ったのでぁる。勿論、腋格に云へば、囚緒論は必ずしも心 理作用のみを説明せんがための理論ではない。贋く云へば世界税の全部に閲するものでぁる。けれ ども、そのまとする桝の心理諭にあつたことは、廿四繰説を見ても十繰説︵端馴摘皿描︶を見ても、 乃至は六囚四繰説に徹しても明であつて、所詮、心理的分塀に伴うて発達したものであることは到 底疑ふペからぎろ串聾である。最後に箪ことして薙ぐべきは ー 聾は同線諭の一部ではあるけれご もーI⊥特に相應︵絆訃p⊇で習︶に対する考察の進ん好ことである。和應とは碓々の心作用問に於ける

(14)

11

併剋及び聯絡の鶉である。今風に言へば聯合の法則に近い考である。即ち童憤ビしての意識ご心作

用としての心所だが共同作用を螢むの傭件はいかにゾこ一日ふこどよタ、進んでは共心作用の起るため

には.他の幾椰新の心作用S併堪北ハ同を要するかといふが如き開通に封する考察である。蓋し心作

用を様々の委棄に分析し抽出した結果として、正に之を具憶的心理活動に掴むるの必要上、簸出せ

られたもので.機械論的考察より自然に導き出されねばならぬ理論である。廿四繰中で舶應練︵許苧 pPコtぎp胃βで︶といひ、六田中で相恩固︵Sp訃pra官許旨旨︶どいふのは、即ちこの傾件を指したもの

であるが、併し欝をいへば、この間過ほ他の諸因線に射して一ケ燭立の過日たるの惜伍を有すご考

へられたものである。この事は機械論的観察に反射なる河梨蹴磨がその成賓諭︵穿・のひムq︶に於て三

晶を腰やして之を評論し粁難してゐる革質に欲しても明であらう。

右の三項は即ち南方上座部及び設一切布部等の機械論宕によつて開展された主なる心理畢的特徴

である。彼等は之によつて心の複合作用たる所以と、その活動の法則を明にし、以て一方には革質

の正しき見解に資するビ同時に他方には之を應用してその修養に資せんとしたものである。その除

りに、機械的分析に克った所に、弊の免れざるものがあるけれども、又之にエ♭て心理的考察一宮緻

斌に豊富にした鮎に於て、何人もその功能吏認めざるを待ぬ。之を今風に荘はせば、この流派は心

を以て観念の東に過ぎすと宜言して聯合心理率を唱嬉したヒユームー洗の立場に似たものめ♭ごい

靡敢にぬける心理鎗廿濯¢大魁

(15)

12

然♭、機械的観察によウて倍数の心理拳は大に開展した。併しその辞といふべきは除♭に分析に

走りて 心の統合的にして且つ創造的なる万両を顛成した夙にある。早い話が彼等は好んで心を軍

に比してゐるけれども、欝をいへば畢は奔機的結合であるから部分が先きにありて.後ちにゐ倍が

合成せられるけれども、吾等の心作用は有機的結合で、少くも教生的に云へば公憤が先きにぁらて

部分ほ寧ろ後に生じたものである。彼等機械論薯はこの見易き道理を見逃して、何ぞといへば直ち

に事の喩を出して心の集合憶な・0ことを諭せんとしたこごは、招隣陀関谷麓より倶令破我品に到る

主で英る研がないけれども剖喝正しき比論と言はれぬ。況や機械論着に従って諸菰般和合と君枝

して、現欝的心理活勒を説明し待たとした析で、前にも述べた如く、その譜滋を結合して一ケの市

域鰻たらしむる膠斜にして且つその原動力たる無明と米とに資質的意義を輿ふるにあらざれば、蓬

に三世に捗る翰廻諭に就て、多大の困難を雄たすに於てをや。こ1に於てか諸蕊磁融合訟は、心的現

象に閲する限り、勿論、そのまヽ認むるとして、而も顛明と発とに、も少し深い形而上的意哉を輿

へ意識的現象は勿論、無意識活勒をも食めて蓬に翰廻諭を無理なしに説明し得べき考察法なかる

ペきかとげ自然に起らねばならね要求でぁる。鐘楼的考察は賓にかくして起ったものである。徒て

サ軟に於ける心翠紛顎洩の大息 ふことが揖殊ようと恩ふ。 四

(16)

13

この考据は、その性堂上、機械ぬのあとに起ったものであるけれども、併し晴々裡には、前に述べ

た如く、早く已に俳陀時代ほ新したと信じ得べき理由があるから、その系統となれば可打了りに古き

ものと冨ほねばならぬ。之を部振に徹するに不幸にしてこの流派に脚する捉まれる文献は一つも残

って居らぬけれども、断片的に侍へらる∼種々の文献からすれば、この流派に属すと思はる∼部汲 の教は改悪外に多きことを見逃してはならぬ。今武みにその名郡を拳ぐれば・− 、−一−︶︶︶︶ 扇子部︵又は披園子部︶。二正蒐部。8法上部。四貿簡融。什密林山部。対罷免部。七化地部。 ︵−︵︵J一\

㈱赤銅光部︵彊m卦ぎ蕾mrap息鼠㈲大衆部末計︵鵬細謳憫鮎離雛㌢帥ぷ鞘箪ニ︶

等でぁる。勿論、腿格にいへば、この中には怪しき報告もあらて、その住僧用し待ざる潜もめる。

例せば化地部の如きほ、世親の成業諭に従へば窮生死鹿を立てた主になってゐるけれども、宗翰諭

に従へば﹁定で少法のよく前世より輔じて後世に至るものなし﹂とて、明かに生機的原理の存在を否

定してゐるが如き之である。併しともかく相貌上作アりとも、かく多数の生機諭︵5已訂m︶をま張す

る部派のめつたといふことは、機械的無我諭に憤れてゐる徒凍の考からすれば、寧ろ驚くべきもの

があるではないか。而もこの中.増子部、正鼠部、終盈部、化地部︵世親に徒ふとして︶の如きは所

謂十八部中でも鉾々叱る部族に屈することを恩へば、機械的無我前者の側らには、鐘楼的有我論者

が、いかに活取に活勒したかゞ解らうと恩ふ。

俳枕に於ける心理給費遵の大覿

(17)

1ヰ

併軟に於ける心理袷敏速¢大束

一也

然らば是等の部派はいかなるま張を試みたかといふに、勿論、各々典るものがめるけれどもー

中には判然し難きものもあるけれども−之を概帝的に云へば、前にも述べた如く.その何れも語

数和合説を親承しながら、それに即して、而もその統一的原理たるペき︼稀の生命的原理を認めん

とする鮎に於て、略ば同一といふことが猥雑やうと恩ふ。即ち増子部は是を非即罪障放といひ、鮭

最部は一眈鮫といひ、化地部は窮生死忍と名け、少くも評語による限わ、何れも盗り名帯を珊ぶる

0 喝正しく上述の意嫉む俊郎するものと解すべきでぁる。但し単に鑑といふのみでは、生命諭的意 0 義が衷はるゝとしても心理的意義が明かでないといふ忠欺からであらうが、時に盈の代りに識の名 を用ゐ、或は根本識といひ或は有分識といひ乃至、如意報など∼名くる派もめるけれども、併しそ の最悪となれば.所詮、略ば同一軌念を代表すと見るペきである。同様に勝義補特伽羅︵PrP巳買㌻ 空音−P−鷹讐といふ場合もさうである。名耕は何れにしても、とにかく、普迫の五虚の根底に於て

認識のま健とな♭、記憶の原理となり、而して造に生死を貫く或物を恕むる鮎に於て彼等は凡て共

通の考の上に立ってゐるのである。若し迎へて解滞するに於ては、彼等は茸蓮を以て富はゞ押一的

原理の椰々舶に外ならすとし、従てその結合といふも所詮は、その梯々和が補々の関係によりて連

絡する鶉に外ならやと考へたものであらう。即ち言ひ得るならば機械論者は頂飴偶数の葦戯精巣説

から揖敬したとすれば、坐機論者はをの十二因縁覿から出費して、無明、行啓に生命愉的怒張を輿

(18)

15 へた結束としてか∼る括徐に達したものである。従って、その生命的原理なるものも、衷面上は

所謂外道の自我軌に似たものがあるけれども、その橋脚に於ては大に之と典るものでぁる。外泣の

自我の固定的なるに射しで、偶数の坐機論者は飽くまで之を流動的に見た左は、機械論着からは附

傭法の外道と酷評された帽子部すら、その非即非離歳我を以て断にあらず常にめらすと緋解してゐ

るに︵酬齢謂針批︶殺しても明でぁらう。而も吾人を以て見るに∴こは表面上からすれば、克原始

傭敢の祝融と可ならに英るやうであるけれども、少くも彿陀り異意を論理的に推しっむる時は超に

こ、まで進むペき紛地のあることは、番人の已に除塵で論じた朗である。︵詔射場諸相加錆肛︶

是寄生機諭派の心理諭も、大健からすれば、矢喝機械論派と同じ題目に就て論究したものであ

る。即ち外界の認識から内心の諸機能に就で、その作用を明にすることを心理諭の由日とした鮎に

於ては、生機諭新も機械論潜も英る朗がなかったといふことが出水る。併し・生概論者の特色とす

る所は、機械論者は心の諸機能を凡て切れ切れの寄せ盗めの結裁と見るに反して、飽くまで之を渾

一億の種々粕として、凡てを統一的に取扱はんとした所にある。今試みに昔時・俳政界で諸派の問

に問題となった重なる心理諭に就て、その特色を明にして見やう。

常時部沢榊に於て議題になつた灘々の心理静があるけれども、そのまなるものは主票ば大凡、

償敵に於ける心理鯵併捷の大■

(19)

lO 次ぎの如きものであつた。 イ、筒健一典の論 ∇、心、心所同典鎗 ♪、識見根見諭 エ、斑︵謬nd11芦︶と随眠︵An亡肌Pyェとの同典論 第一の識鰻一興論とは、之を認識機開として見る限♭、寄等の心に限、耳、卑司身︵偶魔︶、 忠の所謂、六戚の作用めるといふことは巳に原始偶数時代から定まつてゐることであるが、部派倣 数時代に及びて問題となつたのは、是等六議の作用は別々な機能によるものであるか、はた一鴇能 の英作用かといふことであつた。成質諭第六十八多心品よら第七十非多心晶に到る≡品は此間題七 諭究した代表的文献であるが、之を部派のま張に徹するに南方上座部や詮−切布部等の機械論宕は、 六識を以て各々別椰の横倍に屈すとして、所謂六識別健治をま張したのは、その立場から来る常食 の路結であらねばならぬ︵舶最景鯛指謂鮎臓品領主︶之に射して所謂、一倍諭をま張したのは、 何派であつたかは、不単にして、喜入の未だ判然と文献的に確め待ぬ所でぁるけれども、大髄に於 て主として生概論老の主張にかゝることは、その立場の性質上、疑なき踵でぁる。之哲増子部に徹 する托、識俄同一諭をま張しセ文献は見常らぬけれども憎子部が六散の染不染一ぞ論じて、前玉稿を 彿軟lこ於ける心唖姶敦連¢大嵐

(20)

1丁

に一概諭をま張したことになつてゐる。かくして是年の材料からするに、暇命、顕はに文献がない

とした所で、坐機静的系統に屈する部派が六誠一髄論をま麗したといふことは、その立場と併せ考

へて、到底疑ふべからぎる革質である。即ち之を喩えて言へば機械論者は心識を以て五窓を石する

一貫に圭猿を巾心として五疋の僕猿ぁら合せて六放め♭て活動するが如くに解したるに対して生械

論者の方はたゞ一猿あらて和々の窓からその蔚一ぜ出して種々の用を耕やるが如しと解したのであ

る。之を今風に解すれば械痛論者は吾等の心作用に綿々の中桐めりと見たるに反して、鐘梢論瀦は

一中枢にーふLソて櫛々の作用を起すとま張したものと言ふペきであらう。 幕には之を﹁但有二心蔀説こ心細府諭奉﹂︵ に逓ぶるが如く生機論者と密接の闘係を有する所謂心性論者の説に殺するに、大毘嬰要論第二十二 受けた討梨放塵がその成欝諭に於て列昭一健治をま麗した革質によ♭て推知し得られる。更に、後 をの識惣一英に関する文献が見雷らぬけれども、併し一髄論着でぁつたことはこの脛最部の戚化を を凡て第六識よりの言はゞ振出に過ぎぬと見たに違ないと思ふ。又之を緯畳部に緻するに同じく、 非帥非釈放我︶にめりとする研から水た常藍の締結であつて、従て之に華ゃれば所謂前五誠の作用 たことになつてゐる。︵璃墾齢乗︶斯の如きは即ちめらゆる心作用の本源を璧ハ識︵放格に云へば 以て全く無記とし、染もなければ従て離染もないといひて、準 不敗の京任を偏へに第六轍に紆し ●故に於ける心理給静窪宙大丸 呉 服 八九売 ︶と詭き、所謂一心和船論者と名けた程で、明瞭

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18 儀敬に於ける心糧論敦邁の大礼 −八 第二の心、心所同発給も前の識惣一兵諭と似托悶遇である。即ち心り圭闇と考へらる∼識︵心王︶ とその作用中軸出した所謂、心朗との関係論であつて.心描と心王とは本琴 別機髄に屈するか、 はた心王作用の稀々舶を直ちに心研と名くるかといふ議論である。之に封して機械論次にも意見の 如違み♭て、大毘準婆諭に従へば︵酬電㌔︶布部の大論師たる法政や究天の如きは、同債諭をま窮 したことになつてゐるけれども、併し総じて云へば、心心所別瘍緒論は苗力上座部を初めとして有 部宗一般に治するの意見であつた。香、別機能ぬから出費して詳しき心所論を建設したのは、前に 逓ペた如く、彼等機械論者の特色であつ化のである。之に反して生増給者はその性質上組じて同僚 論をま張したもので、軽部の先轟と耕せらる∼所謂、比喩師は綴盆に従って五濫中、雫想、行の 三心桝は認むるけれども、他の所謂、心所は凡て心作用の種々細なトと主張したことになつてゐる。 ︵即諾㌻謂謡霜和銅糊︶その影礎ぉ受けた成贋諭は重工凡ての心所を狗丑作用と見ることに反対 したが︵領空心性諭派に屈すと恩はるゝ哉成部︵Si毒−邑芸風王山部︵眉g⋮ri且の如きh卸す郵㍗ 碇へば同じく心研を認めぬことになつてゐる︵声≠00・β。即ちこ∼にも生機論者は.その立場に基く 統一的心理阻むま窮し佗鮎に於て、機械論者に対して一流の主張を有したといふペきである。有部 の法救や螢天が同値諭をま窮したのも−−未だ能くは調べて居らぬけれども ー 或は所謂比喩帥 ︵先綴部︶の影響によるものではなからうかと思ふが、若し然りとすれば、右の特色は〓骨明瞭にな

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19 らうと息ふ。 第三に根見、識見の諭とは威魔的審議に際して成官︵五根︶はたゞ印象を安くるの円に過ぎぬか、 購七何程か自らにも認識作用があるかといふ試論である。蓋し今風に云へば潮解作用と意識作用と の区別及び関係の問題である。然るにこの問題に封する各派の意見を見るに、可打7りに種々に分れ て一寸、その分野を定むるに困難を威する程である。同じ有部内にても世友は披見を主張するに射 して法救は識見論を主張し、妙音は心所としての悪によりて認識すといふなど二蛸研粧班版︶稚々の 奥歯あるを免れなかつた。更に之を大衆部の方に欲するに面白いことにほ宗翰諭に徒へば大衆部は 明かに識見家に屈することになってゐるけれども、諭啓一八、九にエれば、却て披見家といふこと になつてゐて、その何れが是なるかを定め難き有様でぁる。所詮かくの如きは根即ち知澄紳踵の心 哩.生理に跨がる革質的性更から凍る見解の相違に外ならぬのでぁるが、併し之を極めて大雑把に 云へば、矢張、機械論者は何れかといへば、根見家に屈し、生機論者は識見家に喝すといふことが 出水やうと思ふ。機械論者の代表といふペき布部では種々の意見ありながらも矢張、披見論を正我 とするに反して、生機論に屈する比喩師は放と誠との和合によるとて識の作用を考慮し︵蠣生相︶進 んで成賓諭どなれば明かに枚を無知発として識見諭を主張する研︵成璽窮画人n⋮根知知多盟︶、決し て偶ぬと思はれぬものがぁるからでぁる。蓋しその立場の性質上、機械論者は自然に根にも心理軌 俳故に於ける心理鎗敦遽¢大れ

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20 併故に於けろ心寧論常連の大観 二〇 上一和の覇立位を奥へんと傾くに反し、生概説薯は心顔作用を凡て心に於て統一せんと要求するか らである。 最後に第四の鋸と閲砥との同異に閲する異論とは、通例、踵とは煩悩の意識的活動を指すに封し、 惰眠とは或は同じく意識的皆憶ならと解し、或はその無意識状態ならと解し、其問に見解の相違あ るをいふのである。即ちこの間題の所在は、煩悩は凡て意識的であるか、購た習克としての知恵識 的煩悩もあるかといふことである。徒て一見すればこは特殊心理論の問題に閲するやうではぁるけ れども、併しその背後には大胡な一般論一曾辣想する鮎に於て、極めて重要へ仏論題となることを見逃 してはならぬ。即ち煩悩一で凡て意識的打アりと解する方は、書等の心理を専ら意識的活勒と見んとす るに対して、纏以外に無意識的状牒としての随眠を訟ひる方は、無意識的心理活動にも多大の意味 を認めんとする立場を代表するもので、娃て近代に於ける心理諭の大問題に観る∼ものがある。今 之を部泥の主張に徹するに、この問題に関しても派によりて種々の説があるけれども、大凡、機械 論宕は随眠を凡て意識的なbと解し、石部の如きは、﹁一切の随眠は皆これ心所なり、心と相應す。 有朋繰穏なb﹂︵網認有︶とて、明かにその無意識状態たることを否定したものである。勿論、布部で も経と随眠とを拓別した所もあるけれども、そは要するに厨班の範園に就てゞだけで、意識的無念 誠的といふ意味に就てVはなかった。同校に南方上座部でも随眠を以て意識胱騒としたことはその

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21 諭事に於て、﹁随眠ほ無所繰なりL︵叫︶とか﹁欲真の随眠とその現行とは薫る﹂︵㌔、︶とかい土工張を

異論として駁察してゐるに殺して明である。之に親して珪機論者のま張を見るに、所謂比喩帥は﹁随

眠は所縁及び朝應に於て随増せす﹂︵鞘震射︶とて之を無意識的常鰻と解ト、昭子部は﹁随眠はたV 補特伽鹿に於て随略す﹂︵欄上︶とて二同じくその意識的たることを否定して之を非印非離鹿我に琵習 する智東と解したるを初めとして、この系統に関係ありと思はる∼派は概ね渥と随眠とを囁別せん としたのである。︵躇断監に銅鮎酢露認齢鮒覧即ち彼等は随眠を以て言は遺憾の稲子で、無意

的可餞蔑なむとし、鍾を以てその意識的に現行し化雷髄と解し、以てその立つる桝の生機的原理の

意識以上に深いものたることを明にせんとしたものでぁる。

以上出家得るだけ簡単に貰仏る心理問題に開して機械論に対する生機論の時栗を森げて見た。勿

論厳格に云へば、其ま張の交錯する庭ありて必ずしも、分野の判然たらざる鮎・り砂からざることは、

革質として吾人の認めねばならぬ朗である。これ各部涯は自然に相互影尊を受け、中にはその根本

的立脚地と必ずしも調和せぬ他説をそのま∼採用したものもめるからである。しかし、その根本立 脚地に従って 個々の心理問題に掬しても.選れる見解に通したといふことは、少くも大倍として

は認め得べき革質で、而も彿放心理論費逮を調ぶる上に於て極めて必要な契機鮎たることを忘れて

はならぬ。 沸教にこ於けろ心理論常連の大叔

(25)

出 彿軟に於ける心喝箪戦法の大政 二二 軍するに度々舘返へすやうだが、機械論宕は飽くまで典へられた心の綿々柄に宜脚してt之を分析 的に論究して、而もその個々の要素にも多大の忠魂を認めんとしたるに親して、投機論者の方は・ その種々相を出奔得一句だけ生命の舷元に統一せんとした所にその相違瓢の枕本が存するのである。 かくしてこの意味に於て若し機械的論者の心理論的功壇を靡く祈げて観察した夙にあ丁りといひ得る ならば、生機論者のそれは之を統一の方に探めた夙にあわと言ふペきであらう。 大 かくして、原始彿放から出費した心理数は、部沃時代になりて横械諭と蕉描諭とに分化した。乍 併之を部派の所感に擬するに、雨洗とも大部分は上座部に屈すろものである。南方上座部及び読一 切布部の上座部所属たるは勿論、先きに掲げた生概論の九淀も、大衆部の末計を除いては、凡て、 少くも名目上、上座部に属するもの∼みである。そこで問題となるのは、然らば大衆部派に於ける 心理軌の特色はいかにといふことであらねばならぬ。之を個々に就て見れば、勿論、同じ大衆部で も派によ♭て椛々の心理扱がある。﹁心は身に逼す、心は位境に随て谷野す﹂︵㌫輪︶といふが如き省都 故に似た者よ・り、一切・ぜ恨名無新穂と見る唯象諭的心裡軋富である。併L若し組じて大衆部に於け る心理机の特色を堪げることが猥雑るとすれば∵でれは心性に脚する考察の開展であらねばならぬ。 即ち卒旺に言へば、吾等の心の本性は染か薄か、尊か惹かといふ問臨に即する考察である。重し音

(26)

23 等の成立本源を無明にぁらとすれば.心の本性は染であらゎばなら氾けれども、少しく大乗的に解 して、この無明の洒トl枚に永遠を求むるの要求が潜むとすれば、こ∼に本性む津と見ねばならぬ‡妹 もあるので、をの何れなるかな定む一心の必要に迫まられた籍基でぁる。然るに之を契経の説に徹す るに、勿論、殿中には未だ判然と、その何れなるかを明言した塵はないけれども例へば巴別巾阿篤 七恥喩鮭︵く註訂pP巨S已訂m︶の如きとなれば、吾等の心に煩悩の起るは恰も衣服に垢虹の附著する が如きものであるといひ、煩悩真一百ひ得るならば、本位に対する附着物の如くに説いた研がある。 かくして、大衆部がこの間塩を痛へ佗のは即ちその心蛙諭で、造に心性本浮説、又は心性同一詑な 主張することになつたのである。㌫翰諭大衆部の條下に日く、 心性は本澤たゎ。零度たる随煩悩の雄染する所を就いて不持となす. と。これ即ち有名なる心性本詳論で、奥へられた革質としては、吾等の心に染押の両方面があるけ れども、措辞の方はま位で雅染の方は遂に客位に過ぎぬといふま張でぁる。尤もこの本澤諭は大毘 婆沙の筋骨七谷には分別論者の詑とあ土讃牢又増子部又は正最部の研惰とせらる、弁別弗阿昆 桑論帯廿七盈謹㌔︶にも説かれてあるので、その何れの菅唱たかゝるかは、盲列じ難きものが みる。併し吾人は稲々の相澤上、矢張、之を大衆部一派の首唱と僻する着である。蓋し大衆部は組じ て理想ま哉の上に立脚する振たるの閻係上.修行を促池するに都合のよい理想を構成するの凪があ 鴨軟に於け為心噂論特注の大取

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ヱ4 二日 償敦に於ける心環諭常連の大蔵 った上に、南方の沿革︵詳t︼曽︰皇⋮︶を参照するも亦大衆部の一流中にはか∼る考に近き生野ぜ試み た者もあるからである。例へば集連派︵Al乙邑且にて、有準の菱老中に已に煎坤の智慧あト︵箪︶俗 怨も或る程度までは異性に撃二咋叫・︶主義するが如き之である。即ち未だ心性大坪響竃は到ら ぬとしても、吾等の心の中には染着と等しき要嘉のあることを認めた併、かな♭にそこに近い考と いふことが出水やう。而も変通派は大衆部に屈する教派の組名であるから、大衆部に心性本浮説の あつたといふ宗翰諭の報告は、信用し得ると恩ふ。 次ぎに心性同一託とは、右の木鐸諭と近い考ながらも必ずしも之を本澤と言はないで、寧ろ迷悟 同一でぁるといふ強攻でぁる。大毘噂沙論では之を一心相蒋論者と名けてゐるが、その主張は次の 如くである。 随嘱ある心も、協眠なき心もその性典らす。箆温現前すれば煩悩と相違するも心棲と遺せや。煩 悩一で封治せんが佗めにして、心を封治するにめらす。恰も衣才藻き、虎ぉ顔し金を放る等の如し。 物と垢等と舶述すれど衣等に注せす。教法亦甜り1︵躇震柑︶ と、即ち正さしく閉掲の殿愉捉︵く邑l−阜Pヨ⋮l一tどm︶などの説から田稔して、造に心の本性一で以て、 の所明一心細君諭なるものは、大 迷悟共に同一であるといふ結論に通したものである。勿論、こ 衆部の主張にか∼るとは大毘喝沙の明言せぬ研でぁるけれども前の心性本澤記に封鰐して、同じく

(28)

25 大衆部派のま張なることは容易に看取し得る併である。 然らばこの心性諭と前の生概論との和違鮎は何塵にめるかといふに、大股からすれば心性諭も生 機故に極めて似だものである。何んとなれば生機詭は現象としての心毘活勒の根底とし/﹂或る生命 的原理を認めんとするに対して、心性読も同じ要求より出費して、たゞ専らその染坪の性質を明に するをまとしたに過ぎぬからである。併し亦、この間に自ら初速する鱒・・”めるので、必ずしも両者 を同沈とする評には行かぬ。↓先づ出費鮎に於て生機詭は、何れかといへば翰廻諭を過密に解決せ ︵ ︶ んとしたるに封Lて、心性詭の分は寧ろ修行諭に根底を輿へんとしたこど。二生機詑の方は何れか ︵ といへば、無意識的生命に重きを置きたるに反し、心性論の方は全く精紳自髄に重きを置いたもの ︶ である。三社って、心性設は生概説に托して、少くもその傾向に於て、一層形而上畢的に進むべき ︵ 可鵬性を具備するもので、若し生械詭を染識としての阿戯耶識の前應といひ得るならば、心性詭は 渾識としての阿頗耶識又は如凍戴識の前由でぁつたといふこどが出凍やうと思ふ。現に般若洗文辞 の唯識論に於ける二識の立方を見るに、その渾識の説明は全く、前掲の一心相蕾盃の開展に外なら ぬに撤してこの串は明でめらう。唯識論に日く、 心に二種めり。何等をか二ビこはす。一には粕應心、二には不相應心なり。相應心とは所謂、一切 煩悩、結噂 受想行等の詩心と相應するもの。⋮⋮⋮⋮・示粕應心とは所謂,第一義諦、常住不舅、 彿教に於ける心埋給費蓮¢大叙

(29)

% 自性清澤心なり。︵㌶㌔︶

と。即ち前掲、一心舶結論者の心性に第一義諦常住不慶の名・ざ興へたに過ぎざることは、両方を比

較して見れば容易に分ることである。とにかく、生寝諭と心性諭とは、右三鮎に於て慌別の存する

併、麓て、吾人は両者の接近した立場なることを認めつ∼も、特に大衆部のま張といふことを蘭慮

して心性冶を鐘楼論と別洗にした所以である。

併しながら、何んと言った所で、心性諭は大標に於て生概論に似たものである。琴し之一望琴思し

ての心理現象論となれば、技じて、大衆部は矢琴生機諭と較を一にすることは昏はれぬ革質であ

る。即ち心心所同異諭に於ては、前に述べた如く、少くも弘成部王山部等では心の外に別に心桝を

怒めす、根見識見の問題では、宗翰由に徒ふ限り、大衆部は明かに識見諭に属し、更に随闇と揖と

の聞係に於ては随眠を無意識的妖膿と解する等、何れも擬械諭に反して生機諭と一致するものでぁ

る。この澄暁に於て心理現象静の立場からは、大鰹に於て、大衆部1特にその心性籠振 − なも

生機胎に放して、多くの不都合があるまいと恩ふけれども、特に心鰹の立場から之を三流に欺へた

ことをこゝに線身近へして断って就きたいと思ふ。

以上、路して心倍諭を中心として、原始傲敢よら部派倍数に到一心までの心理翫の大要を述べた。

併故に於ける心理給費透り大観

(30)

27

而も醇に部派偶数のそれを比較的に詳しくした所以は、係数の心理親はこゝで非常に複雑に敬逢し

碑々の特褒を費揮したからでぁる。最後に大乗唯識論の心裡革的将軍で、極めて簡単に捉めてこの

小論文を終ることにしよう。

吾人は、強ゐてヘーゲル洗の歴史開展諭を應用しょぅとは思はぬけれども・原始件数よト由敬し

てその心理軌敬連の鮮過を調ぶるに、何となしに、その正反合訟がこゝに宛てはまるやうな気がす

る。先づ原始係数の心理甑は、前にも述べた如く、常時の唯物論的心理凱と唯心論的心理軌との合で

ぁった。而してこは部派偶数に到りて、大醗上.概械ま我と生機主義との対立に分化した。然れば

即ち更に之を綜合すべき一派を生すペきも亦自然の数であるが、之を企てたのは即ち唯識沸教でぁ

る。勿諭、登櫻として言へば、唯識偶数は異に部泥沸教を放いで起ったものではない。この間に櫨

就なる思想的揮過をとつ′tゐる。併し.今は暫ら︿心理諭に限るの立場からすれば、唯識論の心理

諭は来するに石部振偽故に於ける二潮流の綜合の結果主見ることの出凍るの・でぁる。今試みにその

まなる特徴を数へて見よう。

第一、唯識哲単に於ける生命又は心理的原理ほ言ふまでもなく、阿戯耶識︵とPで孟欝n巳ヱであ タンハ1 るがこの阿殿耶誠なるM還は、もと原始彿故に於ける欲、叙明、業等の批念よト出費し、部況倣故

に於ける亜機軌を巌て、更

に一厨哲邸的に進める考察の結奥に外ならね。拒も之を所謂、第八討と

悌故に於ける心嘲持せ淫¢大観

(31)

28

例数に於ける心理論現達¢大風

二八

嵩めた所以は、五盆所成の現象心の中心一笈空ハ識とするの閤係上、その奥底に潜むの原理をも讐ハ

識の範囲に接することが出水ぬごいふ理由に基いて、次第に之一旦軍宰・第八と推しあげねば収まら

がつかなくなつた眉である。この忠眈に於て唯識思想は其根本に於て部泥時代の佳境租にそのまな

る系統を惹くものといふべきである。

琴一、阿戯耶識の性質を渾とすべきか、染とすべきかは少くも支那に於ける礪評者の問に大に英

解の存ずる所であつた。かくの如きは、所詮阿燭耶識の背蕊となれる思想巾に、之Jで染とせねばな

らぬ托由もあつたと同時に、例の心性本澤諭の理由もぁつたの一で、綜合するに曹って阿用耶識暫塾

の主唱者は未だ之を判然たらしむるまでに到らなかった結光として後に異論が遇ったものと解すペ

きでぁる。

節三、阿戯耶識を根本識とする露は、部派時代に於ける識惜唯一論の系統一ヤ琴、ものであるけれ

ども、之と同時に現象上、八識併耳諭をま張したのは六識別健治の系統を惹くものである。即ちこ

の鮎に於て招相克義と蛮機宜並の調和と見ることが出発る。

第四、唯識薯塾は二田に於て阿戯耶識に遠慮の作用即ち心理作用のあ云こと一堂軍めながら、他面

に於ては所謂、線印塾とて、その遠慮作用一で現象欒現の意昧に解した。之は部派時代に於て・例の経

と騰限とを主題として?フた忠昭無琴識の諭を調和して而もー般化した結英と見ることが出水よ

(32)

29

■フ○

第五、唯識背塾は所謂七輪討と同校に椰々の心作用︵心所︶一で阿戯耶識よ♭の縫現とする鮎に於て

心々桝一倍論の系統を惹くものといふことが出水る。併しまた仙南に於ては、現象上所謂入識心王

の外に心朗の燭立を認むる釦に於ては疑もなく心々所別髄論、殊に石部の心理軌に負ふ所の多いと

いふことは雫はれぬ革質である。否、唯讃の心所軌は石部のそれを僅かに澄化したに過ぎぬといふ

も不可なき程である。即ちこの鮎に於ても亦、調和の産物といふことが出奔るのである。

以上、専ら阿鳳耶識を主題として五項を数へて見佗。賓をいへばか∼る特質を拾うて、その系統

を部派時代に迫ふ時はその他、周幾多の事項を怒げることが出水るけれども、今は筒を欲してこの

位にして位く。要するに阿戯耶識に基く心理諭はその畳に於ても異に於ても、部派俳数時代のそれ

に比して数段の螢連を迭げたけれども、併しその材料となれるものは概ね部派時代のものである。

編もその丙潮流の1鐘楼諭をま位としながらも11絵合調和の結果であるといふことは疑ふペか らざる革質である。唯識に裸身て偶数の心理諭は大成の域に達し托と考へらる∼の所以も、全く如

上の背景思想が、凡てこゝで利用された鰯である。勿論、西洋に於ける心理観教達の傾向からすれ

ば偶数のそれは、少くも岱度に於て逆になった形である。蓋し再拝の心理邸は哲学から離れて次第

に緯股立頚、現潜ま哉に進む握にその進歩のあつたに反して、彿数のそれは、却て暫邸的に進んで

悌秋に於ける心理論戦連の犬軌

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三〇 傍敦に於ける心理論敬連の大吼 鋤 ■茶たからである。併し之は偶数の心理諭はそれ自身渦立したものではなく、之によりて他の和々の 宗教問題を解決せねばならぬ任務を帯びるの約束として、止むを指ざるに出でたものでぁる。唯誠 に凍らてこの約充を果たすと同時に、串賓としての心理現象論が統一的に且っ成く説明さる∼やう になった悪政に於て、最高の蹟まで進んだと言はる∼ことを吾人は忘れてはならぬ。 乍俳、こ1で少しく注意せねばならぬことは、かく唯識暫轟は生機諭と桟械論と一三調和し大成し たといひながらも、汲藷に云へば、荷ほ英問には機械的結合に過ぎぬ踵もあり、従って絹々黒鳥の 潜んでゐるものがあるといふことである。その最も著しき例を拳ぐれば、かの退行の心厨な八識り 何れにも認めんとしたが如きその一であらう。唯識に於ける過行の心朗は、品類足論定らから唱へ 出された所謂、十大地法︵あらゆる心理活動の根底とな一〇心作用︶の思想を結鹿して作意︵注意︶机 ︵成盟︶、受︵戚備︶、想︵知兇、表象︶、恩︵意志︶の五稚としたもので、之を心理活勒の基礎と見た鮎 に於ては貨に立派な見解である。併しこはその性雲上、所謂、第六意識のみにあてはまるものなる に閉らす、唯識論に於ては、前五識にも欝七誠にも第八誠にも通するものとした。即ち石部などが その十大地法の心朗を機械的に六識の何れにも宛てはめた考をそのまゝ採用して更に之一で八識の仝 憶に及ばしたものである。併し元凍は、現賓の意識活動を基礎として祝香した結鵜であるから、之 を現質以上の殆ど無意識鰻に近き阿鳳耶識他にまで及ばす時、こゝに非常の国難の坐すべきは言ふ

(34)

き1 までもない虜ではないか。勿論、所謂、唯識の専門家からすればこゝにも種々の説明法があらうけ れども、結局、不明瞭で不徹底に終らぎるを得ぬのも、所鎗、その適用■ぜ除りに麓げた結典に外な らぬ。その外、唯識曹単に於て、難解と耕せらる∼所には、その数理の深遮なるによるを別として、 かゝる理由によつて、初より多少の無理を冒してゐセ所に基くもの∼砂からぎることを見逃しては ならね。︵〓ニ、〓三五︶ 慣耽に於ける心魂論評音大孤

(35)

さ2 二 一切江田繰生と云ふ茹は、辞令の宗致唯一の原理でぁると云っても差支へない様に思はれる。幕 l ︶ ′ヽ 食の成造の死の静観が、この練起であつたことは、古い記蝕の一致して居る朗であ㍗り、又滞空白身 ﹁人々が糸の乱れたやうに、草のほつれ化やうに、翰勉を離れることの出水ないのは∵︼の繰麗々丁 ヽ■ ヽ′ く ...P 解しないからである﹂と仰せられ、舎利弟の謬倍はこの路起一ピ了解したからでめト、阿難のさとり ■’ ヽノ を開くことの出凍ないのは、この縁起の甚深の意義を醗持しないからであるとがせられる“乙の碓 の文は、僻地にも多く拾ひ出すことが揖凍るが、既に繰起が、辞令及びその弟子達のさとりの内容、 新生活の基本的思想でぁるとすると、この縁起思想が、原始彿致の中心をなす思想であアリ、同時に 後世の辟注俳敦⋮⋮・それが正しく附度してゐる取ウ⋮・⋮その基本原理となつてゐることは自ら耶か 十二田媛の体統的解辞に放て

十二因縁の停統的解繹に裁て

赤 沼

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p、 す 謂 b、 _ なことでぁらう。 私は今疲では、繰起思想のこの方面の研究をしようと云ふのではなく、斯くの如く重大な意義を 待つものであるから、今‖の偶数融究に於て、この縁起論はかなり賑かほ論法せられ、諸家の説の 問にもいろく初速が顕ほれて居るが、然し、大健に於ては、骨同一の方向を取り、をれが殆んど 絶て、阿毘曇の侍統的併称と相違して居るので、阿児曇の侍統的解膵は如何なる根城を有するか、 正常な根城がめれば、その解辞に徒はねばならぬのではないかを調べ、従って出凍待ペくんば、十 二縁起の系列の一々の支身の原始的意義を決定して鬼火いと恩ふのである。 〓 それで私は先づ、第一に、巴利屈阿耶及び漢澤阿食紅中、この縁起に関する材料を左の如く整理 して見たのである。 脾︻小曲勘8弾.勧告脾8弊⋮⋮笥有印◎弊︵才色0日p・d笹口る ︵An已On亨d諺nエ勒l=鄭バ瑠伊予・・⋮・肝︹弊人的勘伊d 脾㌶舟好尚lい冷㌶L一朝紀叫薄手絆㌶丁⋮⋮・掛㌶吋辞lい的硝㌶︹ 帯革ヰか淳lい奇㌶︹⋮⋮・良好ヰか辞lり抽嵩よ﹁ 十二匹l繰り怖銃的解砕lこ就て 許旨象ざ苫 葦評 笥i苫d訂r 落鐸 三三

(37)

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(41)

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39 q、r、8の二十こでめる。この二十二穏を仔細に鮎虚して見ると、 8は十支系列中の愛支の揖はれる二方面を出したものに過ぎない。 gの囲及び〆は、四食と云ふ別支分を、取有生老死の代りに出して居るのである。四食と云ふは 段食、偶食、思食、識食でぁるが、この四食が愛を線とするといふ意義は、註辞︵儲蘭版二六七頁︶ に依れば、前生の愛に依って、今生の托胎以後の身燈を支へる四食を得るといふ窓昧だと云うてあ る。この場合、取は愛に梧ょるから、従って四食とは生老死を云ふに外ならす、普通の正系縁起に 外ならない。 gの拘は、巴利の方には出て居らないが、㈹と同様に考へ得るものであらうから次へ諷わ、何の

超を詭明す早場合、種々の蕊異に依って生れたものと見るべきものでみり、十支又は十こ支の正系

の縁起系列を研究するに聾し垂撃望=仙眈を和するものである。それで私は弦に、 1.正系と別系との関係 乱 十支と十二支との関係 乱 垂系列の観念と系列各支身の意我 との三問題として翰発して見やう。 初めに別系の政を奉げて見ると、gに四、b、●l、〃㌧jに弓∫、k、l、nに三、 十二園嬉の停鏡的解秤に就く ○

参照

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