成
尋
阿
闍
梨
の
研
究
沢
田
教
英
第
一序
成
尋 は 源 信 和 尚 の 『往
生 要 集 」 並 び に そ の 徳 業 を 中 国 仏 教 界 に 紹 介 し て 顕 彰 に つ と め た 人 と し て 知 ら れ て い る 。 日 木 に 生 れ て 中 国 ( 宋 ) に 渡 り 、 宍 の 皇 帝 及 び 一 般 の 人 々 に高
徳
を 敬 慕 さ れ た 成 尋 阿 闍 梨 は 、 そ の 後 半 生 を 中 国 に 過 し、 そ の 地 に 没 し た 人 で あ る 。 入 唐 僧 が 概 し て 求 法 の 学問
僧
で あ つ た の に 対 し、 入 宋 僧 は霊
場 を 巡 礼 し て罪
障 の 消滅
を 祈 る の が 主 な 日 的 で あ つ た と い わ れ て い る 。 こ の こ と は 仏 教 が 日 本 に 渡 来 し て 教 理 と し て 理 解 せ ら れ 、 そ れ が 日 本 人 の 生 活 に 入 り 、 や が て 成 立 し た 深 い 信 仰 が身
命 を か け て の 入 朱 と な つ た の で あ る 。成
尋 の 中 国 に 留 ま つ た 事 蹟 の 意 味 は、 宋 帝 に 重 く 用 い ら れ た と い う こ と ば か り で な く、 ま た か く の 如 き 理 由 が あ つ た に ち が い な い 。 も し そ う で あ る な ら ば 、 念 仏 者 ( 『 本 朝 高 僧 伝 第 二巻
』 第 六 十 七 に 、 「 遷 開 宝 寺 元 豊 四年
遘 病 先 期 三 日 鳩 衆 念 仏 端 坐 而 化 、 齢 七 十 一 。 頂 上 放 光 三 日 不 滅 顔 貌 澗 紅 挙 常 無 異 」 か ら 念 仏 者 と み る 。 ) と し て の 成 尋 の 人 柄 は 如 何 に し て形
成 せ ら れ た か 。 そ し て ま た念
仏 者 と し て の 成 尋 の 徹 底 し た 聖 蹟 巡 拝 の 足 ど り は 如何
で あ つ た か 。 そ の よ う な 事 柄 に っ い て、 あ と づ け を し て み た い と 思 う 。 成 尋 阿 閣 梨 は 六 十 二 才 で 入 宋 し た が、 こ の 時、 成 尋 の 母 は 八十
余
才
で な お 健 在 で あ り、 す ぐ れ た文
才 を も つ 成 尋 阿 闍 梨 の 研 究 一21
一NII-Electronic Library Service 西 山
学
報 て 、 母 親 の 愛 情 を 書 き 記 し た 日
記
を 残 し て い る 。 入 宋 に よ る わ が 子 成 尋 と の 離 別 を 悲 し み 、 母 子 生 別 の 憂 き 目 を 見 る の は 、 結 局 自 分 が 余 り に 長 生 き し た こ と に よ る と、 む し ろ そ の長
命 を 悲 し ん で い る 。 人 の 子 の 母 と し て、 成 尋 と の 離 別 を 悲 し み 、 ま た 入 宋 す る わ が 子 の 行 末 を 案 じ て 書 き 残 し た こ の 母親
の 日 記 は 、 文 学 的 に も す ぐ れ た も の が あ る 。 こ の意
味 に お い て 、 こ の 日 記 は 成 尋 を考
え て ゆ く 上 に 忘 れ て は な ら な い も の の 一 つ で あ る と い え よ う 。 そ こ で 本 論 文 に 於 て も 、 こ れ を 少 し く 取 り 上 げ て み た い と 思 う 。第
二家
系
成 尋 の 家 系 に つ い て は 諸 説 が あ る , い ま 諸 書 に 散 見 す る 所 を み る に 、 先 づ 『 元 亨 釈 書 』 ( 巻=
ハ ) に は 、 「 釈 成 尋 、 姓 は 藤 氏、 冠 帯 の 後 胤 な り . 石 蔵 の 文 慶 に 事 え て 密 教 を禀
く 」 と 記 さ れ て い る 。 ま た 志 晃 の 『 寺 門 伝 記 補 録 』 ( 巻 一 五 ) に は 、 「成
尋 俗 姓 藤 氏、 大 雲 寺 検 校 法 印 、 丈 慶 入 室 兼 学 二 於 悟 円 行 円 二師
一 、 即従
二 父 師 法 印 一 、 受 二 阿 闍 梨 位 灌 頂一 」 と あ る 。 『 大 雲 寺 縁 起 」 ( 続 群 書 類 従 巻 七 八 六 所 収 ) の 「 成 尋 阿 闍 梨 の事
」 の 条 に は 、 「 寛 弘 八 年 辛 亥 誕 生 、 母 堤 大 納 言 息 女、 実 方 中 将 孫、 丈慶
法 師 嫡 弟 也 、 七 才 時 岩 蔵 之 法 印 入 室 」 と 書 か れ て い る 。 ま た 『 本 朝 高 僧 伝 」 ( 巻 六 七 ) に は 、「 釈 成 尋、 参 議 佐 理 之 子、 理 後 出 家 日 二 真 覚 一 、 尋 寛 弘 八 年 生 、
以
二 仏 種 従 縁 起 一 、 七 歳 入 二崑
蔵 大 雲寺
一 、 師 二 事 族 兄 文 慶 } 、剃
髪 禀 戒 」 と あ つ て 俗 姓 は 藤 原 参 議 佐 理 の 子 と な つ て い る 。 し か し 新 村 出 博 士 は 『 禅 宗 』 二 六 三 ( 大 正 六 年 刊 ) に、 「 成 尋 法師
の 入 宋 と そ の 母 」 と 題 し て、 「 成 尋 を 佐 理 卿 の 子 と せ る は師
蛮 の 本 朝 高 僧 伝 に 出 で 、 近 く こ れ を 信 ず る 学 者 も あ れ ど 、 こ は 大 な る 誤 り な り 。 虎 関 の 元 亨 釈 書 は い ふ も さ ら な り 。 高 泉 の 東 国 高 僧 伝 に す ら 釈 書 と 同 じ く た f 藤 原 氏 の 出 と の み あ り て 佐 理 の 子 と は 記 さ ず 。 続 往 生 伝 、 さ て は 明 匠 略 伝 の如
き 古 き 著 述 に も そ の よ し 見 え ず 。 寺 の 古 記 録 に も す べ て 父 未 詳 と あ り 。 た . ・ 群 書 類 従 本 な る 大 雲 寺 縁 起 に は 文 慶 一 22 一 N工 工一Eleotronlo Llbrary法 印 の 嫡 弟 と せ る を 文 慶 寺 記 に も 僧 伝 に も 佐 理 の 子 た る こ と 確 か な れ ば
嫡
弟
を 族 弟 ま た は 俗 弟 の意
に 解 し て 佐 理 の 子 の 交 慶 の 弟 な れ ば 成 尋 も 亦 佐 理 の 子 な り と 師 蛮 が 思 ひ あ や ま り し に や あ ら ん 。 佐 理 卿 は 成 尋 の 生 れ き と い う寛
弘 八 年 ( 」 〇 一 「 年 ) を 去 る 事 十 三 年 前 な る 長 徳 四 年 ( 九 九 八年
) に 既 に 薨 か り た る な り 。 同 じ 年 に は 成 尋 の 祖 父 と 寺 記 に 見 ゆ る 実 方 中 将 も み ま か り た り 。 さ れ ば 法 師 の 父 の 名 は 知 れ ず と あ る こ そ 正 し け れ 。 」 と 記 さ れ て 成 尋 を 藤 原 佐 理 の 于 と せ る は 誤 り で あ る と し て い ら れ る 。 ま た 『 史 学論
叢 』 ( 昭 和 五 年 刊 ) に 佐 々 木 信 綱 博 士 は 、 「 成 尋 阿 闍 梨 は 藤 原氏
の 出 と の み で、 そ の 父 を 詳 か に し な い 。 本 朝 高 僧 伝 に 佐 理 の 子 と せ る は 誤 り で あ る 。寛
弘 末 年 ( 一 〇 一 一 年 ) 、 も し く は 長 和 元 年 ( 一 〇 一 二 年 ) に 生 れ、 石蔵
な る 文 慶 法 印 の 弟 子 と な つ た … … 。 成 尋 の 母 は 大 雲 寺 の 寺 記 に 堤 大 納 言 の 女 と あ る も 詳 で な い 。 」 と 述 べ て い ら れ る 。 鷲 尾 順 敬 博 士 は 「 日 本仏
教 丈 化 史 研 究 』 ( 昭 和 十 三年
刊 ) の 「 入 宋 僧 成 尋 及 び 当 時 の 日 宋 交 通 」 と 題 せ る 中 で 、 や は り 成 尋 は 参 議 藤原
佐 理 の 子 で あ る と し て い ら れ る 。 そ し て 成 尋 の 兄 は 出 家 し て 成 慶 と い つ て 園 城 寺 の 別 院 北 岩 倉 の 大 雲 寺 に 在 り 、 同 寺 検 校 と な り 、 法 印 大 和 尚 に 叙 せ ら れ て 学 徳 を も っ て 聞 こ え た 人 で 、 成 尋 は 幼 に し て 同 寺 に 至 り、 成慶
に 就 い て 出 家 し て弟
子 と な つ た と 述 べ ら れ て い る 。 こ の 中 で 鷲 尾 順 敬 博 士 が 成 慶 と い わ れ る の は 、 文 慶 の 事 を 指 し て 成 慶 と い つ て い ら れ へ き る ら し し , 次 に、先
に 挙 げ た 『 本 朝 高僧
伝 』 の 記 述 に つ い て 考 え て み る に 、 参 議 藤 原 佐 理 が 出 家 し て 真 覚 と 称 し た と い う こ と は 間違
い で あ る と 考 え ら れ る 。 参 議 佐 理 と 真 覚 と は 別 人 な の で あ り、 参 議 佐 理 は 三 跡 の 一 人 と称
せ ら れ た 能筆
の 人 で あ つ て 、 一 条 天 皇 の 長 徳 四 年 ( 九 九 八 年 ) に 兵 部 卿 を も つ て 薨 じ て お り 出 家 は し て い な い の で あ る 。 出 家 し て 真 覚 と 称 し た 佐 理 は 時 平 の 孫 で 右 兵 衛 佐 で あ つ て 、 村 上 天 皇 の 康 保 四 年 ( 九 六 七 年 ) 七 月 に 右兵
衛
佐 は 正 五 位 下 を 捨 て て 此叡
山 に 逃 が れ た の で あ る 。 即 ち 出 家 し て 真 覚 と 称 し た 佐 理 は 敦 忠 の 子 で あ り 、 参議
佐 理 は 敦 敏 成 尋 阿 闍 梨 の 研 究 一23
一NII-Electronic Library Service 西 山 学 報 の 予 で あ つ て 全 然 別 人 な の で あ る . 二 人 は 同 族 同 名 に し て 時 代 も ほ と ん ど 同 じ 頃 で あ る た め に 混 同 せ ら れ た よ う で あ る 。 真 覚 と 参 議 佐 理 と が 別 人 で あ る と い う こ と は、 次 の 系 図 に よ つ て う か が い
知
る こ と が で き る 。 藤 原 冬 嗣−
良 房 − − 基 経 ( 養 子 )ー
時
平 ー 敦 忠i
助 信 ( 右 兵 衛 佐 正 五 位 下 ) 佐 理厂
灘
明 ( 参 議 能 筆 号 三 跡 其 一 人 也 ) ( 「 成 尋 阿 闍 梨 母 集 全 釈 」 忠 平 − 実 頼 − 敦 敏i
佐 理 に よ る 」 次 に 真 覚 と 称 し た 佐 理 の 出 家 に 就 て は 『 大 鏡 』 時 平 伝 に 「 敦 忠 の 中 納 言 御 を の こ あ ま た お は し け る 中 に 、 兵衛
佐 な に が し 君 と か や 申 し、 そ の 君 出 家 し 給 て 往 生 し 給 ひ に き と か 」 と 記 さ れ て お り. ま た 『 日 本 往 生 極 楽 記 』 に は 、「 延 暦 寺 沙 門 真 覚 者、 権 中
納
言 藤 原 敦 忠 卿 第 四 男 也 。 初 在 俗 時 、 官 歴 二右
兵衛
佐
一 、 康 保 四年
出 家 」 と あ る 。 ま た 「 本 朝 高 僧伝
」 第 七 十 、 願 雑 十 之 二 、 楽 邦 二 之 上 江 州 叡 山 の 沙 門 真 覚 の 項 に 「 釈 の 真 覚 は権
中 納 言 藤 原 敦 忠 第 四 の 子 な り 。 官 は 右 兵衛
の 佐 を 歴 ぬ 。 康 保 四年
世 を 厭 ひ冠
を 掛 け て 叡 山 に 出 家 す 。 」 と 記 さ れ て い る 。 『 蜻 蛉 日 記 」 に も 兵衛
の 佐 理 が 出 家 し た こ と が 載 せ ら れ て い る 。 以 上 、 種 灯 の 丈 献 か ら 考 え あ わ せ て み て 、 出 家 し て 真 覚 と称
し た 佐 理 は 敦 忠 の 子 で あ つ て 参議
佐 理 と は 同 一 人 で は な い こ と が 明 ら か に さ れ る 。「 丈 学 』 第 十 一 巻 第 七 号 に は 玉 井 幸 助 氏 が 皿 成 尋 阿 闇 梨 の 家 系 」 と 題 し 次 の よ う な 成 尋 阿 閣 梨 家 系 推 定 表 を 示 し、 成 尋 阿 閣 梨 は 藤 原 佐 理、 即 ち 真 覚 の 子 で な い こ と を
記
し て 居 ら れ る 、24
N工 工一Eleotronlo Llbrary藤 原 実 方 ー ー 長 快 − 湛 快 ー 長 元 ー 定 成 ー 賢 尋
貞
叙 ー 義賢
“女
子 − 顕 基「
隆 国湛
増 −湛
全律
師
成 尋 隆 俊 − 俊 明 − 能 俊 女 子 そ し て 玉 井 氏 は 成 尋 阿 闍 梨 が 真 覚 の 子 で な い と い う こ と は、 成 尋 が 真 覚 の 子 で あ る と い う積
極 的 資 料 が 存 在 し な い 上 に 、 こ れ を 否 定 す べ き 事 実 が 存 す る か ら で あ る と記
し て い ら れ る 。 参 議 佐 理 に つ い て は、 長徳
四 年 ( 九 九 八 年 ) に 五 十 五 才 で薨
じ て お り、 そ れ は 成 尋 の 生 れ た 寛 弘 八 年 よ り 十 三 年 も 前 だ と し 、 右 兵 衛 で あ る 佐 理 に つ い て は 、 出 家 し た と い わ れ る 康 保 四 年 ( 九 六 七 年 ) は、 成 尋 阿 閣 梨 の 出 生 前 四 十 四 年 で あ り 、 出 家後
に 子 供 を 持 つ と い う こ と は 考 え ら れ な い し、 ま た 出 家 後 四 十 四 年 と い え ば 真 覚 は 既 に 相 当 の 老 齢 に 達 し て い た と 思 わ れ る の で あ る と そ の 故 に、 成 尋 阿 閣 梨 の 家 系 血 族 に 就 て 最 も 信 頼 す べ き 資 料 は 「 成 尋 阿 闍 梨 母 集 」 で あ る と 玉 井 氏 は 述 べ て い ら れ る, そ こ で 『 咸 尋 阿 闍 梨 母 集 』 を 第 一 資 料 と し 、 次 に 第 二 賓 料 と し て 『 大 雲 寺縁
起 』 の 「 成 尋 阿 闍 梨 の 成 尋 阿 闍 梨 の 研 究 一 25 一NII-Electronic Library Service 西
山 学
報 事 」 の 条 を 肇 げ 、 第 三 資 料 と し て 一 中 右 記 一 長 承」 . 一 年 ⊃ =. 一 四
年
〕 二 月 佳 八 口 の 条 を 挙 げ て い る . と こ ろ で 『 大 雲 寺 縁起
』 に 成 尋 阻 闍 梨 の 母 は 堤 大 納 百 の 息 女 だ と し て い る が 、 こ の 堤 大 納 言 が 誰 で あ る か わ か ら ず 、 堤 の 字 は 権 の 字 と類
似 し て い る の で 、 恐 ら く 権 大 納 言 と 誤 つ た の で あ ろ う と み て い ら れ る 。 さ て 以 上 挙 げ た諸
氏 の 説 を考
え あ わ せ て み て 、 成尋
は 参 議 佐 理 の 子 で は な く 、 ま た 右 兵衛
と い わ れ た 佐 理 の 子 で も な い ら し い と い う こ と が 出 来 る 。 現 在 の 所 で は 矢 張 り 成 尋 の 出 生 は 藤 原 氏 と い う ば か り で 、 誰 の 子 と は は っ き り 定 め る こ と は む つ か し い よ ろ で あ る 。 こ の こ と は 新 ら し い 交 献 に よ る 今 後 の 研 究 を 待 た ね ば な ら な い 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
第
三前
半
生
.成
尋 阿 闍 梨 は 、 京 都 の 人 。 → 条 天 皇 の 寛 弘 八 年 ( . ○=
年 ) に 生 れ た 。 七 才 の 時 、 園城
寺 の 別 院 で あ つ た 洛 北 岩 倉 大 雲 寺 に 入 室 。 族 兄 文 慶 に 師 事 し て 剃髪
受 戒 す る 。 悟 円 入 道 親 王 ・ 阿 闍 梨 法 橋 上 人 位 行 円 . 阿闍
梨 法 印 大 和 尚 位 明 尊 等 に つ い て 内 外 典 を 勉 学 し 、 長 ず る に 及 ん で 智 証 大 師 門 流 の 顕 密 二 法 を も 受 け る 。 そ の 後 、 丈 慶 の 法 席 を 継 ぐ た め に岩
倉 に 住 し、 専 ら 法華
を 行 じ た 。 長 久 四 年、 三 十 三 才 に し て 大 雲 寺 別 当 と な り 、 天 喜 二 年十
二 月 二十
六 日 四 十 四 才 の 時 に 明 尊 の 推 挙 に よ り 延 暦 寺 撼 持 院 阿 闍 梨 を 勅 許 さ れ た 。 成 尋 は 早 く か ら 入 宋 の 志 を 懐 き 、 選 暦 の 老 境 に 近 づ い て も な お そ の 志 を 捨 て ず 、 旅 行 の 苦 難 に 堪 え 得 る 身 心 を 作 る た め に 、 五年
聞 不 横 臥 の 修 行 を し た と い う 。 こ の こ と は 彼 の 著 書 『参
.公
呈
臺 山 記莚
久 四 年 三 月 + 九 日 の 条 に 「 五 箇 年 間 以 レ 不 レ 臥 為 レ 勤 」 と 白 か ら 書 き 記 し て い る 通 り で 、 彼 の 入 宋 の 志 の 固 か つ た こ と が 察 せ ら れ る 。 延 久 二 年 正 月 六 十 才 を 迎 え た 成 尋 は、 五 臺 山 と 天 台 山 と の 巡 礼 を 目 的 と し て 朝 廷 に 入 宋 許 可 を 請 う状
、 即 ち一 請 下 特
蒙
二 天 裁 一 、 給 演 符於
本 府 一 、 随 二 大 宋 国 商 客 帰 郷一 、 巡 申 礼 五 臺 山 、 井 諸 聖 跡 等 上 状 」 を 上 り 、 許 さ れ て 延 久 四 年 一 26 一( → ◎ ヒ ニ 軍 ) 三 曙 十 圧 目 』 へ 十、 . セ の 邑 縮 を も つ て 年 来 の 宿 願 で あ る 入 宋 の 途 に つ い た 。 『 広 朝 高 僧 伝 』 ( 巻 六 七 ) に よ る と、 成 尋 は 大 雲 寺 に い る 時 に 『 観 心
論
註 」 『法
華・ 経 註 』 『 法華
実 相 観 註 』 『 観 経 鈔 」 『 普 賢 経 科 』 「 善 財 童 子 知 識 集 』 等 を 著 述 し た と い わ れ て い る. 、 し か し 現 在 何 れ も 伝 わ つ て い な い 。 な お こ の 外 に 彼 の 入 宋 日 記 と も い う べ き 「 参 天 台 五 蔓 山 記 』 八 巻 が あ る こ と は 周 知 の 通 り で あ る 、第
四
入
宋
の 目的
入 宋 僧 は、 齎 然 、 寂 昭 、 成 尋等
、 有名
無 名 を 合 わ せ れ ば 二 十余
名 に 達 す る の で あ る 。 こ れ ら 入 宋 僧 は 入唐
僧 に 比 較 し て、 自 か ら そ の 渡 来 の 目 的 が 異 な つ て い る 。 即 ち 入 唐 僧 の 最 大 の 目 的 は 求 法 と い う こ と に あ り 、 お お む ね 国 家 の 留 学 生 と し て 派 遣 さ れ た 人 々 で 、 新 し い 仏 教 を 学 び、 新 法 門 を 我 国 に 流 通 せ し め よ う と し た わ け で あ る 。 こ れ に 対 し 入 宋 僧 の 目 的 は 、 自 己 の 罪障
消 滅 の た め 、 ま た は 、後
生 菩 提 の た め に 霊蹟
を 巡 拝 す る こ と に あ つ た の で あ る 。 成 尋 よ り も 先 に 渡 来 し た 斎 然 ・ 寂 昭 も 五 壷 山 霊 蹟 巡 拝 が 目 的 で あ つ た が 、 今 こ こ に 述 べ ん と す る成
尋 も 、 同 じ く 天 台 山 ・ 五 臺 山 の 聖 蹟 巡 拝 が 第 → 目 的 で あ る 。 延 久 二 年 正 月 彼 が 朝 廷 に 入 宋 を 請 う た奏
状 は 「 朝 野 群載
」 巻一 . 十 に 収 め て い る 。 阿 閣 梨 伝 燈 大 法師
成 尋 誠 惶 謹 言請
下 特 蒙 二 天 裁 一 、 給 二 官 符 於 本府
一 、随
二 大 宋 国 商 客 帰 郷一 、 巡 中 礼 五 壷 山 ・并
諸
聖 跡 等 上 状 。 右 成 尋 伏 尋 二 往 跡 一 、 先 賢 入 レ唐
之 輩、 本 懐 各 以 相 分 、或
為 レ 決 二 法 流 之奥
旨 一 、 或 為 レ 礼 二 聖 跡 之 霊勝
一 、 亙 請 二 天 裁 ( 蹟 4 ( 教 ) 於 本 朝 一 、 方 遂 二地
望 於 異 域一 、 囚 レ 茲 探 レ頤
討 レ 深 究 二 学 顕 密 之 厳 文 】 跋 レ 山 渉 レ 水 、 巡 二 礼 幽 邃 之 名 地一 、 而 某 聊 開 二 法 門 之 枢 鍵 一 、 纔 見 二 数 家 之 伝 記 一 、 五 臺 山 者 夊 殊 化 現 之地
也 、 故蛙
厳
経 云 、 東 北 方 有 二 菩 薩 住 処一 、 名 二 交 殊 師 利 一 成 尋 阿 鬮 梨 の 研 究 一 27 一NII-Electronic Library Service 西 山
学 報 有一 二 萬
菩
薩眷
属一 、 常 為 二 説 法一 、 又 文 殊 経 云、 若 人 聞 二 此 五 臺 山 一 名、 入 二 五臺
山 一 、 取 二 五 臺 山 石一 、 踏一 一 五 臺 山 地一 、 此 人超
二 四 果 聖 人 一 、 為 レ 近 二 無 上 菩 提 一 者 、 天 台 山 者 智 者 大師
開
悟
之 地 也、 五 百 羅 漢 常 住 二 此 山 一矣
、 誠 是 炳 二 然 経 典 文 一 、 但以
レ 甲 二 於 天 下 之 山 一 、 故 天 竺 道献
登 二 華 頂峯
一 、 而 礼 二 五 百 羅 漢 一 、 日 域 霊 仙 入 二 清 涼 山 一 、 而 見 二 一 萬菩
薩’ 、某
性
雖 二 愚魯
一 、 見 レ 賢 思 レ 斎、 巡 礼 之情
歳 月 己 久 矣 、 加 レ 之 天慶
寛 建、 天 暦 日 延 、 天 元 奇 然、 長 保 寂 昭 、 皆 蒙 二 天 朝 之 恩 計 一 、 得 レ礼
二 尊 家 之 聖 跡一 、 爰 齢 追 二 六 旬 一 、 余喘
不 レ幾
、 若 無 レ 遂 二 旧 懐 一 、 有 二 何 益一 、 宿 縁 所 レ 催 、 是念
弥 切 也、以
三 ハ 時 六 行 道 一 、 → 生斎
食 、 常 坐 不 レ 臥 、 勇 猛 精 進 、 凝一 二 心 誠 一 及 二 三 箇 年 一 、 於 戯 航 海 之 棹 非 レ 不 レ 畏 也、 偏 任 二 残涯
於 畳 浪 之 風 一 、 懐 土 之 涙 非 レ 不 レ 落 也 、 唯 寄 二懇
望 於 五峯
之 月 一 、 師 跡 之 遺 室 、 興 隆 之 思 豈 廃 、 母 老 今 在 レ 堂 、 晨 昏 之 礼 何 忘、 然 而 先 世 之 因、 欲 レ 罷 不 レ 能、 今 世 之 望 、 又 思 二 何 事一 、 望 請 天 裁 給 二 官符
於 太 宰 府一 、 随 二 商 客帰
向 之便
一 、 遂 二 聖 跡 巡 礼 之 望 一 某 誠 惶 誠 恐 謹 言 。 阿 闍梨
伝 燈 大 法 師 成 尋 延 久 二 年 正 月 十 一 日 こ れ に よ つ て 成 尋 入 宋 の 志 願 日 的 等 が 詳 ら か に さ れ 、 彼 の 熱 烈 な信
念 の 程 が う か が え る の で あ る. 成 尋 は 延 久 四 年 三 月 十 五 日頼
縁
供 奉 ・ 快 宗 供 奉 ・ 聖 秀 ・ 惟 観 ・ 心 質 ・ 善 久 ・ 沙 弥 長 明 等 八 人 と 共 に宋
船 に 乗 じ て 肥 前 松 浦 を 出 発 し 、 天 台 山 に い た り 、 十 一 月 に は 五 憂 山 巡 礼 の 旅 に 上 つ て い る 。 こ の 時 代 は 渡 海 し た 僧 侶 は 少 な く 、 し か も 彼等
は 求 法 と い う よ り は 前 代 か ら の遺
風 で あ る 天 台 山 . 五 臺 山 の 聖 跡 巡 拝 を 主 た る 目的
と し て 民 り、 従 つ て 宋 の 国 か ら の 文 化 的 影 響 を 受 け る と い う こ と は 非 常 に 少 な く 、 む し ろ わ が 国 か ら 宋 の 国 に む か つ げ 、 文 化 の輸
出 が 行 わ れ た 程 で あ る , こ の よ う な 交 化 の 逆 輸 入 と い う こ と は、 当 時 の 中 国 仏 教 界 で は、 汝 台山
及 び 圧 『『 堂 山 ・ 開 封等
の 諸 地 域 か ら 日 奪 仏 教 学 徒 、 特 に 成 尋 の 如 き 日 本 天 台 学 徒 が 学 ぶ べ き も 一 28 一 N工 工一Eleotronlo Llbraryの が な か つ た と 見 る べ き で あ り、 こ の 点 に お い て 入 宋 僧 は 、 逆 に 日 本 仏 教 を 紹 介 す る 場 に お か れ た わ け で あ る 。 成 尋 も こ れ に 違 わ
ず
『 往 生 要 集 』 「 安 養 集 」 等 の 薯 述 を 推 薦 し、 日 本 仏 教 の 紹 介 に つ と め て い る の で あ る 。 ( 六 月 二十
日 の 条 に 、「 寺 主 借 二 南 泉 房 安 養 集 十 帖 一 」 と あ り 、 ま た 八 月 六 日 の 条 に は = 房 寺 主 白 令 レ 持 ニ ヒ 条 袈 裟一 来 志 返 二 安 養 集
十
帖
懺
法 私 記 一 巻 一 了 」 と あ る 。 こ の 種 の こ と は 「 参天
台 五 襃 山 記 』 の 諸 所 に 記 さ れ て い る 。 次 に お お む ね 入 宋 僧 は 日 本 か ら 経 典 を も た ら し て宋
国 の 経 典 亡 秩 を補
う こ と が 多 か つ た け れ ど 、 そ れ と 共 に ま た ・ い ま だ 円 本 に 伝 わ ら な い も の を 、 宋 国 か ら 将 来 し 、 或 い は 成 尋 の 如 く に 、 便 船 に托
し て 送 つ て き た の も あ る 。 成 尋 は 彼 地 で 遷 化 し て 遂 に 日 本 に 帰 つ て 来 な か つ た け れ ど も 、 延 久 五 年 二 〇 七 三 年 ) 随 従 の 弟 子 で あ る 頼 縁 、快
宗 ・惟
観 ・ 心 質 ・ 善 久 の 五 人 を 帰 国 さ せ る時
に 、 こ の 人 達 に 托 し て 顕 聖 寺 印 経 院 の 印 本 新 訳 経 計 二 百 七 十 八 巻 、 或 い は 『 天 聖 広 徳 録 」 ゴ. 十巻
、 『 蓮華
心 輪 廻 交 偈 頌 」 一 部 二十
五巻
、 『 秘蔵
詮 』 一 部一 . 一 十 巻、 「 逍 遙 詠 』 一 部 一十
一 巻、 『 縁 識 』 一 部 五 巻 、 『 景徳
伝 燈 録 」 一 部 ゴ、 十 ゴ. 巻 、 「 胎 蔵 教 」 三 冊 、 『 天 竺 . 字 源 」 七 冊 、 合 せ て 四 百 十 ゴ. 巻 冊 を 送 つ て来
て い る の で あ る 。 ( 『 参 天 台 五 臺 山 記 」 灘 寧 六 年 三 月 二 + 四 日 及 び 四 月 + 三 日 の 条 ) こ れ も 入 宋 の 目 的 の 一 つ と 云 え な い こ と は な い と 思 わ れ る 。 さ て 成 尋 は 、 丈 殊 示 現 の 霊 場 と い わ れ る 五 臺 山 や 、 天 台 発 祥 の 根 本 道 揚 で あ る 天 台 山 と 五 百 羅 漢 の 霊 域 を ひ と え に あ こ が れ き た つ た 人 で ・ か ね て の 志 願 で あ る 入 宋 の 困 苦 に堪
え得
る身
体 を 作 り あ げ る た め に 五 箇 年 間 不 横 臥 の 修 行 を し た こ と は 明 ら か で あ る が、 老 体 を 厭 わ ず 苦 行 を し た と い う こ と か ら 、 成 尋 が 如 何 に 聖 蹟 を 慕 い 、 そ の 巡 拝 を 念 願 し て い た か を ま た そ の 意 志 の 堅実
で 精 励 し て い た か を 知 る こ と が で き る の で あ る 。 以 上 述 べ た 如 く、 成 尋 は 聖 蹟 巡 拝 を 第 一 目 的 と し て い た の で あ る が、 ま た 彼 は 、 日 本 仏 教 徒 で あ る と い う 自 覚 を 深 く 持 ち 、 朝 廷 か ら 阿 闇梨
位 に 補 せ ら れ て い る 日 本 仏 教 徒 と し て の 、 ま た 天 台 宗 徒 と し て の 自 信 と 誇 り は 、 あ 成 尋 阿 闍 梨 の 研 究 一 29 一NII-Electronic Library Service 西
山
学
報 ら ゆ る 機 会 と 場 所 に お い ヴ 丶 こ れ 夕 示 し て い る の で あ る 。 こ れ は 、 多 数 の 日 広 天 台
真
言 の 諸 典 籍 を始
め と し、 最 近 の 日 本 の 著 述 ま で も も た ら し、 こ れ を 彼 地 の 学 者 に 紹 介 し て い る こ と か ら も 、 そ の こ と は う な づ け る の で あ る . ( 『 、 穆 天 台 圧 堂 国 記 』 瀬 寧 五 年 六 月 + 一 日 ・ 六 月 二 + 日 ・ 七 月 + 日 ・ + 月 二 + 五 日 の 条 ) 成 尋 は 入宋
す る こ と に よ つ て 天 台 、真
番 経 釈 を 宋 か ら 伝 来 す る こ と よ り も、 天 台 山 、 五 臺 山 の 聖 蹟 を 巡 拝 し、 更 に わ が 国 天 台 教 団 に 伝 え る 顕 密 二 敦 の 書 籍 図 画 像 等 を 主 と し た 六 百 巻 を 持 つ で ゆ き 、 そ の 現 証 を 得 ん と す る こ と に あ つ た の で あ る 。N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
第
五中
国
に お け る行
歴
成 尋 阿 闍 梨 は 、 先 に も 述 べ た よ う に 延 久 三 年 ( 一 〇 七 一 年 ) 三 月 入宋
の旅
に 出 た の で あ る が、 成 尋 入 宋 中 の 系 路 及 び 行 歴 等 は 、 破 の 自 著 で あ る 参 天 台 五 廉 山 記 に 詳 し く 書 か れ て い る 。 こ の 書 は 入 宋 中 の 事 象 が 日 記 風 に 書 き 記 さ れ て い る も の で 、 す べ て 八 巻 あ り 、 延 久 四 年 〔 熈 寧 五 年 一 〇 匕 二 年 ) 三 月 十 五 日 に筆
を 起 し、 灘 寧 六 年 六 月 十 二 日 に 筆 を 擱 い て い る 、 こ れ に よ つ て 、 彼 の 入 宋 中 の 行 歴 は勿
論
、 当時
の 中 国 仏 教 そ の 他 が 詳 し く う か が い 知 ら れ る 。 先 づ . こ の 書 に よ つ て 彼 成 尋 の 入 宋 の 足 ど り と 行 歴 を み て み る こ と と す る 。 成 尋 は 延 久 四年
三 月 十 五 口 、 長 年 の 志 願 が 成 就 し て 入 宋 す る こ と に な り 、 肥 前 松 浦 郡 壁島
よ り唐
人 船 に 乗 り 、 頼 縁 供 奉 ・ 快 宗 供 奉 ・ 聖 秀 ・ 淮 観 ・ 心質
・ 善 久 ・ 沙 弥 長 明 等 の → 行 と 共 に そ の 途 に 着 い た 。 十 九 日 壁 島 を 出 発 、 杭 州 湊 口 津 を 経 て 問 官 客 商 舎 に 着 き、 四 月 十 六 日 初 め て 上 陸 す る 。 そ の月
の 廿 五 日 に は 金 剛 宝 乗 寺 に 到 着 。 大 仏 殿 、 五 百 羅 漢 院 、 観 音 院 等 を 参 詣 。 五 月 四 日 に は 再 た び 船 に 乗 じ 銭 塘 江 を 渡 つ て 多 年 あ こ が れ の 霊 地、 天 台 山 に 向 つ た 。 か く て十
二 日 に は台
州 大 台 県 界 に 足 を 踏 み 入 れ 、 翌 口 国 清 寺 大 門 前 に 到 着 、 国 清 寺 を 宿 舎 と し て 山 の 諸 寺 を 巡 歴 し て い る 。 一30
一国 清 寺 に 於 て は 、
成
尋 一 行 は 国 清 寺 々 主、 賜紫
仲
方 、 副 寺 主賜
紫
利 宣 、 監 寺賜
紫
仲 文 を 始 め 寺 の 大 衆 数 十 人 に 出 辺 え ら れ て 国 清 寺 大 門 に 入 り 宿房
に 案 内優
遇 せ ら れ る 。 早 速 羅 漢 院、 食 堂 、 大 師 堂、 大 仏 殿、 戒 壇 院 等 の 諸 堂 を 参 拝 。 翌 十 四 日 に は 寺 主 の 院 で あ る 教 跡 院、 即 ち 智 者 大 師 懺 堂 に 入 り、 智 者 大 師 の 持 仏 た る 三 尺 の 釈 迦 、 弥 陀 、 観 音 等 の 像 、 並 び に 大 師 自筆
の 法 華 経 第 七 巻、 大 師 影像
、 十 六 羅 漢 等 を 拝 し 、 午 後 に い た つ て 豊 干 、 拾 得 、 実 山 の 三賢
院 及 び 普 明 泉 等 を 参 拝 す る 。 十 八 日 に は 轎 に 乗 つ て 国 清 寺 東 に あ る 金 地 定 恵 真 身 塔 院 に い た る 。 こ こ は 智 者 大 師 の 真 身 塔 で 、 塔内
に は 龕 が あ り 、 そ の龕
内 に 智 者 大 師 の 真身
が 座 し て 居 ら れ る と い わ れ、 成 尋 は こ こ に 於 て 感 涙 に む せ び な が ら 焼 香 し た と 記 し て い る 。 二 十 七 口 に は 台 州 臨 海 県 に 入 り 、 二 十 九 日開
元
寺 、 続 い て 六 月 二 日 に は 大 興 善 寺、青
竜 寺等
を 巡 拝 。 六 月 四 日 再 た び 国清
寺 に 帰 つ て き て い る 。 次 い で 濕 寧 五 年 ( 、C
七 二年
) 入 月 宋 朝 廷 か ら 上 京 の 公牒
を得
て 天 台 山 を 発 し、 官 費 に よ つ て 、旅
行 の 途 に つ く . 即 ち 一 行 は 杭 州、 蘇 州、常
州 、 潤 州 か ら 揚 子 江 を 渡 り 運 河 に よ つ て 揚 州 、 楚 州、 泗 州 、 宿 州 を経
て 開 封 に 入 つ た 。 開 封 で は 当 時 官 設 の 翻 訳 事 業 の 道 場 で あ り 、 ま た 天 竺 の 口 称 三蔵
、 天 吉祥
三蔵
等 が 留 住 し て い た 伝 法 院 を 宿 舎 と し て あ て が わ れ て い る. 、十
月 二 十 二 質 に は 成 尋 は 快宗
等
と 神 宗 皇 帝 に 拝 謁 し、 大 相 国 寺 、 大 平 興 国 寺、 啓 聖 禅 院、 感 慈 塔 、 開 宝 寺、 磊 聖 院等
の代
表 寺 院 の 巡 拝 を 許 さ れ 、 五 蛋 山 巡 礼 に 対 し て は 宋 朝 廷 よ り 特 別 の 便 宜 が 与 え ら れ る こ ・ 尸 } に な つ た 。 こ の よ う に し て 成 尋 一 行 は十
一 月 五 日 五 臺 山 に 登 る べ く 、 宿 場 か ら 宿 揚 へ の 馬 、 或 い は 護 衛 兵 、案
内 者 等 全 て 官 費 に よ つ て 日 ご ろ の 宿 願 た る 五 豪 山 巡 礼 の 旅 に 上 つ た 。鄭
州 、 栄 陽 県、 河 陽 県 を 過 ぎ 此 処 よ り 黄 河 の 浮 橋 を 渡 つ て 太 行 山 脈 を 過 ぎ 、 沢 州 晋城
県、 上黨
県 を 経 て濫
州 襄 垣 県 を過
ぎ 十 七 日 に は 天 原 府 に 達 し て 二 十 七 日 興 国 寺 下 瞠、 に 宿 泊 す る . 翌 日 い よ い よ 五 臺 山 に 登 る こ と に な り 先 つ 北 台 に到
り、 次 い で 中 台、 囀 台、東
台 を 巡 礼 し て 感 涙 成 尋 阿 閣 梨 の 研 究 一31
一NII-Electronic Library Service 西 山 学 報 に む せ ぷ と あ る , 五 臺 山 を 巡 礼 せ る 成 尋 は 、 二 十 九 日
交
殊閣
に 詣 で て 妙 済 大師
に 謁 し 、 省 順 よ り 『 広 清 涼 伝 』 摺 本 三 帖 を 受 け 、 十 二 月 一 日 宝 章閣
、 聖 閣 、 僧 堂、 無 言 常 坐 僧 疑 和 尚 坊 等 を 巡 覧 、 ま た 太 平 興 国 寺 に 参 詣 す る 。 十 四 日 に は 石 覆 山 を 越 え 二 十 六 日 に は 東 京 伝 法院
に 還 つ て い る 。 以 上 は 成 尋 の天
台 山 、 五 臺 山 の 巡 拝 を 『 参天
台 五 臺 山 記 』 に よ つ て 、 そ の 足 ど り を 追 う て み た わ け で あ る 。 さ て 次 に 聖 蹟巡
拝 を 終 え た 後 の 成 尋 の 生 活 を み る に 、 濕寧
六 年 ( 一 〇 七 三年
) 正 月 十 三 日宋
帝 は 太 平 興 国 寺 に 臨 仰 さ れ 、 特 に茶
華 を 賜 わ り 、 日 本 僧成
尋 大 い に 面 目 を 施 こ す と 書 い て い る .爾
来、 成 尋 は ま す ま す 朝 廷 の優
遇 を う け た 。 ま た熈
寧 六 年 三 月 二 日 成 尋 は勅
に よ り 後 苑 に 召 さ れ て 雨 を 祈 り 、 験 あ つ て 四 日慈
雨 が 降 っ た 。 よ つ て 善 恵 大師
の 号 を賜
わ つ た と い う 。 こ の よ う な 生 活 を 送 る 一面
、 ま た 成 尋 は 翻 訳 三 蔵等
と 道 交 を 結 び 、 訳 経 の 揚 に 参 じ て そ の 儀 を み 、 更 に 顕 聖 寺 に 到 つ て 新 訳 経 並 び に 真 言 、 天 台 の 教 典 を購
い 、 印 経 院 に 赴 き、 『 大 教 王 経 』 三 十 巻 、 「 除 蓋 障 所問
経 』 二 十 巻 等 を 得 る こ と に つ と め た 。 そ し て こ れ 等 の 典 籍 を 、 四 月 帰 朝 す る 随 従 の 弟 子 頼縁
、 快 宗 、 惟 観 、 心質
、 善 久 の 五 人 に 托 し て い る 。 そ れ は字
治 平 等 院、 岩 倉 大 雲 寺 に お さ め る た め で あ る が 、 こ の時
大 宋 皇 帝 が 日 本 へ 贈 る 御 書等
を
も 同 じ く 托 し て い る 。 さ て こ れ で 一応
宋 に 於 け る 成 尋 の 生 活 を 書 き 記 し た が、 宋 に お い て 彼 の 名 を 一 段 と 高 か ら し め た も の は 、朝
廷 に 召 さ れ て 法 華 経 法 を 修 し 、 後 苑 に 雨 を 祈 つ た 際 の こ と で あ ろ う 。 そ し て そ の 霊 験 に 感 服 し て い る 人 π に対
し 、 目 本 に は 現 在 か か る 祈 雨 の 霊 験 あ る 阿 闘 梨 は 沢 山 い る の で 、 自 分 よ り す ぐ れ た 人 が 数 十 人 、 自分
と 同 等 の も の が 数 十 人 、 従 つ て 自 勞 の 如 き は 、 日 本 国 無智
無行
の 唖羊
僧
に 過 ぎ な い と 、 日 本 仏 教 界 を 大 き く 誇 示 し て い る 点 に、 彼 の 一 つ の 面 目 が あ る で あ ろ う 。 最 後 に 成 尋 の 天 台 山、 五 臺 山 巡 拝 の 経 路 を よ り 明 瞭 に す る た め に 、 地 図 の 一部
一32
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary成 尋 阿 闍 梨 の 研 究
を
示
し て お く事
と す る 。 一33
一NII-Electronic Library Service 西
山 学
報
第
六
台
密
の修
法
成 尋 阿 闍 梨 は 天台
宗 僧 侶 で あ り、 ま た智
証 大 師円
珍 の 門 流 で あ る 。 成 尋 は 天 喜 二 年 ( 一 〇 五 四 年 ) 四十
四 才 で 阿 闘 梨 に 補 せ ら れ た の で あ る が 、 こ の 当時
は 関 白 藤原
頼 通 の 時 代 で あ り 、頼
通 は 永 承 七 年 ( 一 〇 五 二年
) に宇
治 の 別 業 を 寺 と し て平
等 院 と 号 し 阿 関 梨 四 口 を 申 し こ ひ 、 慈 覚 ・ 智 証 の 両 門徒
か ら こ れ を 補 し 法 華 三 味 を 修 せ し め た の で あ る が 、 こ の 時 成 尋 は 智 証 門 徒 か ら の 選 に 入 り 、法
華 三 昧 を 修 す る 阿 閏 梨 と な つ た 。 天 台 宗僧
侶 で あ る 成 尋 は 、 こ の よ う に 伝 教 、慈
覚、 智 証 大 師 の 教 学 に 基 礎 を す え て 発達
し た 日 本 天 台 学 の 法 華 三 昧 の 修 業 者 で あ り 、 ま た 台 密 の 学 者 で も あ つ た 。 成 尋 は 日 本 仏 教徒
と し て の 、 わ け て も 天 台 宗 僧 侶 と し て の 自 信 を 非 常 に 強 く 持 つ て い た 人 で あ る ら し く 、 そ の こ と が 『 参 天 台 五 臺 山 記 』 に し ば し ば 見 出 さ れ る 。 彼 の 入宋
の 目 的 と い う の も 、 こ の 頃 は 伝 教 大 師 や 慈 覚、智
証 大 師 が 渡 海 さ れ た頃
と は違
つ て 、 日 本 天 台 学 は 密 教 も 取 り 入 れ 、 宗 学 化 せ ら れ て 不 動 の 基 礎 を す え て い た 時代
で あ る か ら 、 も は や 中 国 仏 教 界 よ り 学 ぶ べ き も の は な い と い つ た 有 様 で あ る か ら 、 求 法 と い う の で は な く 、 む し ろ 聖 蹟 巡 拝 と い う 点 に 向 け ら れ て い た の で あ る 。 こ の こ と は 前 章 に 於 て 述 べ た 通 り で あ る 。 そ の 結 果、 成 尋 は彼
地 に お い て も 日 本 天 台 宗 徒 と し て の 自 信 と 誇 り を 強 く 持 つ て い た の で あ り 、 ま た 持 ち 得 た わ け で あ る 。 撫 寧 六 年 三 月 二 日 成 尋 が 宋 朝 廷 の 勅 に よ り 後 苑 に お い て 祈 雨 の 修 法 を 行 じ た こ と は 有 名 で あ る が 、 こ の 時 の こ と を 『 阿 娑縛
抄 』 第 七 に も 於 後 苑 涼 津 亭始
祈 雨 粉 壇 法 。 皇 帝 賀 来 着 壇 焼 香 。 四 日 己 及 行 雨 。 日 本先
々 大 師 等 入 唐 之 時 。 無 始 此 事 。成
尋 至 一34
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary愚
身
始 修 此 法 為 本 国 為 報 朝 恩 。 必 欲 顕 霊 験 , 午 時 俄 雷 電 雨 降 終 夜 大 雨 旦 早 旦 依 雨 感 悦 . 皇 帝賀
来 従 今 日 延 修 七 日 可 答 謝 竜 工 由 宣 旨 下 三 日 三 夜 雨 下 。十
一 日 皇 帝駕
来 焼 香 。 夜 半 結 願 。 十 二 日 早 旦 退 出 之 間 。 賜 伯菓
茶
布施
禄 物 以 多 々 。 什 七 日 賜 師 号 善 恵 大師
。 と 記 さ れ て い る . ま た 『 本朝
高僧
伝 』 巻 二 及 び 『 寺 門 伝 記 補 録 』 巻 一 五 に も こ の こ と が 書 か れ て い る 。 こ の よう
に 諸 書 に 記 さ れ て い る請
雨 法 を 行 じ た 時 に も 成 尋 は 、 左 街 副 僧 録 文 鑑 大師
や 大 乗 師 十 人 の 中 に あ つ て 、 そ の宗
と す る 日 本天
台 宗 の 阿 闍 梨 と し て 密 教 の請
雨 法 を 修 せ ず し て 、 法 華 経 法 を 修 し て 雨 を 祈 つ て い る の で あ る 。 法華
経 法 を 修 し た と い う こ と は 、 「 参 天 台 五 臺 山記
』 三 月 二 日 の条
に 、 入 夜 始 法華
法 。僧
俗 周匝
見 之 。 と 記 さ れ て い る こ と に よ つ て 明 ら か に さ れ る が 、 成 尋 は 、 日本
天 台 宗 の 所 伝 に よ つ て、 自 信 を も つ て 中 国 に お い て ひ と り 法華
経 法 を 修 し て い る の で あ る 。 こ の 時 成 尋 が修
し た 日 本 天 台 宗 の 法 華 経 法 は 、 宋 の 皇帝
皇 后 を 始 め 、 来 合 わ せ る 僧 俗 が 感 歎 し 随 喜 し た こ と が や は り 成 尋 の 日 記 に 、 殿 上 人 多 数 以 来 見 . 公 卿 又 始 是 。 法華
壇 皆 以 感 歎 。 末 時 俄 僧 俗 皆以
出 門 外 。 皇 后 達 為 礼 法 華 壇 参 堂 。 と 記 さ れ て い る 。 こ の 祈 雨 の 行 は、 霊 験 あ つ て 四 日 午 后 よ り 雨 を も た ら し、 成 尋 大 い に面
目 を 施 こ し た わ け で あ る が 、「 こ の 祈 雨 は 天 台 宗 の 三 観 中 の
何
の摂
か 」 と い う 人 々 の 問 に 対 し て 、 成 尋 は 即 座 に 、 「 こ の 行 法 な る も の は 一 心、 二 観 の 妙 法 な り 。 更 に 何 観 の 摂 と 示 す べ か ら ず 」 と 答 え て い る 。 そ し て 居 合 わ す 人 π に 対 し 、 日 本 密 教 に も 請 雨 法 が 伝 承 さ れ た こ と 、 自 分 は 口 本 天 台 宗 智 証 大 師 の 門 徒 で あ る た め 、 法 華 経 に 感 雨 の 理 あ り と 確 信 し そ の 確 信 に よ つ て 法 華 経 法 を 修 し て 雨 を 感 じ た の で あ る と 彼 自 身 天 台 宗信
仰 の 強 い 自 信 を 述 べ て い る の であ
る 。 成 尋 の 日 記 に よ つ て 彼 は ま た 宋 国 の あ ら ゆ る 所 が 日 本 天 台 宗 の 儀軌
に よ り 法華
壇 を 築 き 、 日 本 か ら 持 ち 来 つ た 成 尋 阿 闍 梨 の 研 究 幽35
一NII-Electronic Library Service 西
山 学 報 曼 荼 羅 等 を か け、 仏 具 を 並 べ て 法
華
法 を 修 し て い る こ と が 知 ら れ る . ま た 彼 が 開 封 に お い て法
華
壇 を 築 い た 時 に は 諸 寺 の 僧 が 多 く 見 学 に 来 て 居 る こ と も 記 し て あ り 、 相 国 寺 東 経 蔵 戒 律 院 の円
則 座 主 の如
き は成
尋 に 法華
法 を 授 け ら れ ん こ と を願
つ て い た こ と も み え る 。 こ こ に お い て、 日 本 僧 成 尋 は 、 日 本 天 台 宗 所伝
の法
華
法 を 宋 僧 に 授 け る こ と に な つ た の で 、 か つ て 中 国 か ら 伝 わ つ た 日 本 天 台 宗 は 今 で は 逆 に 宍 に お い て 日 本 天 台宗
義 を 授 け 、弟
子を
持 っ に い た つ た わ け で あ る 。 「 参 天 台 五 臺 山 記 』 に よ る と 成 尋 は ま た 五 月 二 十 二 日 に 国 清 寺 に お い て 自 か ら 日 本 で 修 し て い た 儀 軌 に よ る 法 華 法 の 修 法 壇 を 荘厳
し て い る こ と を 記 し て い る 。 七 月 五 日 よ り十
方 教 院 の 阿 弥 陀 仏 前 を 道 場 と し て 三 七 日 の 六 時 大懺
法 を 修 し て 、 そ れ ぞ れ 宋 国 の 諸 僧 を 感 歎 せ し め て い る が、 こ れ ら か ら も 成 尋 が如
何 に 日 本 天 台 密 教 に 対 し て 強 い 自 信 と 誇 り を 持 つ て い た か を う か が う こ と が 出 来 る . 更 に 今 } 度 成 尋 と 台 密 を 見 て み る に 、宋
国 に お い て 成 尋 阿 闍 梨 が 五 蟻 山 巡 礼 の 許 可 を朝
廷 に請
う た 表文
中
に は 終身
修 二 行 法華
秘 法一 。 専 求 二 現 証 一 。 更 期 二 極 楽 一 。 所 二 随 身一 天 台 真 言 経 書 六 百 余 巻 。 灌頂
道 具 三 十 八 種 。 至 二 干 真 言 経 儀 軌 。 持 二 参 青 竜 寺 経蔵
「 。 糺 二 其 訛 謬一 。 と 書 い て い る 。 こ れ に よ つ て 成 尋 は 、 日 本 天 台 教 団 に 伝 承 さ れ て い る 豊 富 な 顕 密 両 教 の 書籍
を も つ て き て 天 台 山 で 自 ら 修 行 し、 現 証 を 得 よ う と し た こ と が 知 ら れ る の で あ り、 こ こ に も 彼 の 台 密 実 践 の 態 度 を み る こ と が 出 来 る と 思 わ れ る 。 さ て 以 ⊥ 少 し く 書 き 記 し た こ と に よ つ て 、 成 尋 阿 閣 梨 が 天 台 宗 僧 侶 と し て 如 何 に 天 台 宗 義 を 究 め 、 ま た 天 台 密 教 を 修 し 、 そ の 実 践 に 生 命 を 賭 し 、 台 密 の 奥 義 を 究 め ん と 努 力 し て い た か を 知 る こ と が出
来 た わ け で あ る が 、 成 尋 は台
密 ば か り で な く 、 ま た 浄 土 を 願 求 す る 念 仏 者 で も あ つ た よ う で あ る , こ の こ と は序
説 に 於 て も 述 べ た の で あ る悼 か 、 「 本 朝 古 同僧
伝 」 巻 二 第 六 匕 に 、 一36
一 N工 工一Eleotronlo Llbrary遷 二 開 宝 寺 一 。 元 豊 四
年
遘 レ 病 、 先 レ 期 三 日 鳩 レ 衆 。 念 仏 端 坐 而 化 。 齢 七十
一 。 頂 上 放 レ 光 。 三 口 不 レ滅
。 顔 貌 潤 紅 ,与
常 無 レ 異 。 と 記 さ れ て 居 り 、 ま た 五 臺 山 巡 礼 の 許 可 を 宋 朝 廷 に 請 う た 表 文 中 に も、 コ 専 求 二 現 証一 。 更 期 二 極 楽 一 。 」 と 記 さ れ て い る 。 こ の 点 か ら 成 尋 は 浄 土 の 願 求 者 で あ り 念 仏 し な が ら 喜 こ ん で 死 ん で い つ た と 思 わ る 。 西 方 浄 土 を願
求 し 『 往 生 要 集 」 を 著 わ し た 源 信 和 尚 を 尊 敬 し 、 そ の 源 信 の 「往
生 要 集 』 が源
信 存 命 申 に 中 国 に 送 ら れ、中
国 仏 教 界 で賞
讃 さ れ た と 聞 い て い る に も か か わ ら ず 、 現 在 そ れ が あ ま り に も流
布
さ れ て い な い こ と に 不 満 を い だ き、 こ れ を 改 め て紹
介 し 推 薦 し て い る 。 伝 法 院 に お い て は、『
往
生 要 集 』 だ け で は な く 、 『 源 信 僧 部 行 状 』 一 巻 「 唐 警 州 七 仏 道 揚 行 辿 和 尚請
納 往 生 要 集 返事
」 一 通 『 日 本諸
儒 参 源 信 僧 都 房 作 詩 』 一巻
等 も 併 せ て 紹 介 し 、 「 往 生 要 集 」 並 び に 源 信 の 徳 業 を 顕 彰 す る に つ と め て い る 。 そ し て 天 台 山 国 清 寺 に お い て は 源 隆 国 が 主 と な り、 極 楽世
界 を 慕 う 延 暦 寺 阿 闍 梨 数 人 ( 安 養 集 序 文 及 び十
帖 各 巻 の 割 註 に よ る 。 序 文 に は 数 十 人 と あ る ) に よ つ て 編 纂 せ ら れ た 「 安 養 集 」 十帖
を 紹 介 し て い る 。 『 安 養 集 」 は 、 源 信 の 『 往 生 要 集 』 に な ら つ て 撰 述 せ ら れ た も の で 、 天 竺 . 震 旦 の 聖 教 及 び 臥 本 撰 述 の諸
書 二 百 余巻
か ら 阿 弥 陀 仏 の功
徳
を 説 い て い る 要 文 を 抄 出 し 編纂
し た も の で あ る ら し く 、『 往 生 要 集 』 並 び に 「 安 養 集 』 を 推 薦 紹 介 し た と い う こ と は 、 成 尋 が 延 暦
寺
阿 闍 梨 で あ り 、 ま た 浄 土 を願
求 す る 念 仏 者 で あ つ た と み る こ と が 出来
る の で あ る 。 一37
一第
七
成 尋 阿 閣 梨 の 研 究母
と
そ の 日 記 ・NII-Electronic Library Service 西
山
学
報 成 尋 阿 閣
梨
の 母 は 堤 大 納 言 の 息 女 だ と い わ れ て い る 人 で、延
久 三年
( 一 七 三 一 年 ) 成 尋 入 宋 の 時 八 十 余 才 で ま だ 健 在 で あ り、 六十
二 才 に も な つ て い る わ が 子成
尋 と の 別 れ を惜
し ん で そ の 別 離 の 悲 哀 を 書 き 記 し 、 後 世 成 尋 阿 闍 梨 母 日 記 と 称 せ ら れ て い る も の を 残 し て い る 。 こ の 日 記 は 二 巻 、延
久 三 年 正 月 卅 日 よ り 延 久 五年
五 月 中 頃 ま で を 年 月 の 順 を追
つ て 記 し て い る が 、 こ と あ る 毎 に 、 ま た成
尋 を 思 い 出 す 毎 に 書 き 綴 つ た も の の よ う で あ る 。 こ と に 八 十 余 才 に し て 母 子 が 生 別 す る 悲 し い 心 中 を 、 や が て 帰 朝 す る で あ ろ う 成 尋 に見
せ よ う と す る … 心 か ら 、 執筆
し た も の で 、 「 か き つ け て も あ り ぬ べ き こ と な れ ど 、 も し お は し た ら ば さ 思 ひ け り と も み 給 へ か し 」 と 記 し て い る 。 日 記 の 中 に は 短 歌 百 七十
余 首、 長 歌 一 首 が あ り 、 中 で も 十 首[ ほ ど は 、 『 千 載 集 』 や 『 新 古 今 集 」 そ の 他 勅 撰 集 等 に も 選 ば れ る ほ ど の も の で 、 短 か い 歌 の 中 に も 母 子 の 生 別 と 孤 独 の 老 境 を 巧 み に 織 り 込 ん で い る 。 こ と に こ の 日 記 は 母 性愛
を 充 分 に 記 し た も の で 、 わ が 子 に対
す る 父 性 愛 と 母 性 愛 の 相 異 を 説 き、 胎 動 よ り 妊 娠 中 の 苦 し み 、 出 産 時 の苦
痛
、 さ て は 生 れ た 嬰 児 成 尋 が 病弱
で あ つ た た め 、養
育
に 人 一 倍 苦 労 し た の で あ る こ と 等 、 い つ れ も 他 の 日 記 に は 見 る こ と の 出 来 な い 母 性 愛 が 書き
つ け ら れ て い る 。 次 に こ の 『 成 尋阿
閣 梨 母 日 記 』 を 紹 介 す る意
味
に於
て 一 応 主 な 点 を 拾 い あ げ て み る と 次 の 如 く で あ る 。 第 】 巻 延 久 三 年 ( 一 七 三 → 年 ) ○ 正 月 卅 日 。 仁 和 寺 に 移 つ て 読 め る 歌 二 首 。 ○ 執 筆 の 動 機 。「 は か な く て す き は へ り に け る と し 月 の こ と 》 も 、 を か し う も あ や し き も 、 か す し ら す つ も り は へ り に け れ と、 そ れ を し る し お き て 、 人 の み る へ き こ と に も は へ ら ぬ を 、 年 八 十 に な
り
て 、 よ に た く ひ な き こ と の は へ れ は 、 心 ひ と つ に み は へ る か 、 し は し か き つ け て み侍
ま ほ し う て 」 一38Pt
N工 工一Eleotronlo Llbrary○ 成 尋 阿 闍 梨 は 験 老 と し て 朝 廷 に も 藤 原 頼 通 に も 重 く 用 い ら る 。
治
暦 三 年 ( 一 七 二 七 年 ) ○ 藤 原 頼 通 宇 治 殿 に 住 む 。 後 冷 泉 帝宇
治 殿 へ 行 幸 。 帝 御 不 予 。頼
通 病 む 。 治 暦 四 年 ( 一 七 二 八 年 ) 〇 四 月 。 後冷
泉
帝 崩 御 。「 七 月 の つ い た ち の 日 、 い は く ら に い
り
ぬ 。 そ こ に い り て 念 仏 も せ よ か し と あ れ ば 、 よ ろ こ ひ て い り て ち か き と こ ろ に て み か よ は し て 思 さ ま に て は へ る 。 延 久 元年
( 一 七 二 九 年 ) ○ 成 尋 阿 閣 梨 入宋
の 志 を 作 者 に 告 ぐ 。 延 久 三年
( 一 七 三 一 年 ) ○ 入 宋 準 備 。門
出 は 二 月 十 六 日 と 予 定 。 ○ 正 月 卅 日 。作
者 岩 倉 の 大 雲 寺 よ り 仁 和 寺 に 移 る 。 和 歌 十 一首
。 し の へ と も こ の わ か れ ち を お も ふ に は か ら く れ な ゐ の な み た こ そ ふ れ ( 千 載 集 ) も ろ こ し も あ め の し た に そ あ り と き く て る 日 の も と は わ す れ さ ら な ん ( 新 古 今 集 ) 成 尋 阿 閣 梨 の 研 究 一39
一NII-Electronic Library Service 西 山 学
報 〇 二 月 一 日 。 成 尋 阿 闍 梨 よ り 文 あ り 。 〇 二 月 二 日 。 夜 半
成
尋阿
闍 梨 京 を 出 づ 。( 十 六 日 の 予 定 繰 上 げ ) 成
尋
よ り 文 あ り 。 ○ 成 尋 阿 闍 梨 が 帰朝
し た な ら ば 見 せ た い と 思 う 感懐
。 ○ 「 と し こ ろ は 、 た え い ら ん お り 、 ふ た り な ら ひ ゐ 給 ひ て、 た う と き こ と と も 念 仏 し き か せ 給 は ん を き き い り て 、 や が て こ そ は た え も い ら め と こ そ は 思 ひ侍
り つ れ、 こ の 人 の 御 こ こ ろ の か く お は す る に あ ひ た る 。 む か し の ち き り に す ゑ に わ う か り け る と か へ す か へ す お も ひ ね む し て 、 き こ え す な り に し か と 。 ○ 釈 迦 に捨
て ら れ た そ の 父 と、 成 尋 に 生 別 し な け れ ば な ら ぬ 自 分 と の 比較
。 釈 迦 の 父 も 悲 し か つ た で あ ろ う が 、 然 し 父 が 子 を 思 う 情 と、 母 が 子 を 思 う 情 と は 異 る こ と 。 成 尋妊
娠
の 時 よ り 出 産 の 苦 痛 。 養 育 の苦
心 。 成 長後
も 別 れ て い る 時 の 絶 え ざ る 不 安 。 も ろ こ し へ ゆ く 人 よ り も と 》 ま り て か ら き お も ひ は わ れ そ ま さ れ る ( 新 拾 遺 和 歌 集 ) ○ 釈 迦 の 父 は、 現 世 の 栄 華 を そ の 子 に 譲 ろ う と 思 う 望 み を 失 ひ 、 作 者 は 未 来 の 幸 福 を わ が 子 か ら 授 か ろ う と願
つ て 破 れ た 。 自 分 の 願 い を 遂 げ よ う と す れ ば成
尋 求 法 の 妨 げ と な る 。 こ れ は 自 分 の 余 り に 長 命 で あ つ た 為 と あ き ら め る 。 第 二巻
延久
三 年 ( 一 七 三 一 年 ) ○ 正 月 廿 日 ( 正 月 卅 日 の 誤 り か ) 「 い は く ら を い て ・ 、 に わ し へ わ た り し を り の こ と は 、 み な か き と ・ め て 一40
一 N工 工一Eleotronlo Llbraryは へ れ と、
猶
あ か す お ほ え て 」 〇 四 月 。 律師
禁
中
御 修 法 の た め 出 京 。 作 者 も 京 に 出 で て 住 む 。 〇 八 月 。 人 が 来 て 「 筑 紫 よ り 昨 夜 着 京 の 人 が 成 尋 は 八 月 廿 余 日 頃 渡 宋 の 予 定 」 と 告 げ た が 文 が な い の で 信 ぜ ず 。 ○ 筑紫
の 成 尋 に 丈 を や る 。 〇 十 月 十 三 日 。成
尋 阿 閣 梨 西 国 よ り 帰 京 . 〇 十 一 月 。 「 し も 月 に そ 御 文 あ る 。 み れ は 十 月 れ い の 我 に も あ ら す な か ら 、 日 こ ろ す く る ほ と に 人 お こ せ ん と あ り 。 さ り ぬ へ く は 、 み つ か ら き こ ん と そ あ る を、 も し や と 人 し れ す ま つ に 、 み え す 」 延 久 四 年 ( 一 七 三 二 年 ) ○ 正 月 十 四 日 。 岩 倉 の 僧 等 が 備 中 へ 下 る に 托 し て 文 を や る 。 〇 二 月 十 四 日 。 成 尋 よ り 文 。 「 ひ 中 よ り と を き あ き の 国 と い ふ 所 に ま て き た り 。 た う し ん あ り な し き 、 て 、 四 月 に 京 に は の ほ ら ん と そ あ る 」 ○ 法華
経 八 巻 に よ そ へ て の 歌 十 二首
。 〇 三 月 廿 七 日 。 「 あ め い と お そ ろ お と ろ し う 、 天 も か き く ら し た る に 、 た 、 い ま ふ ね な と に や 、 あ さ り は お は す ら ん 。 思 も や す か ら す な け か し 。 仏 を の み そ 念 し た て ま つ る 」 〇 五 月 五 日 。 成尋
す で に 入 宋 の 由 を 聞 く 。 〇 六 目 十 余 日 。 成 尋 よ り 交 。「 三 月 十 よ 日 そ、 た う の ふ ね に は の り て わ た り ぬ る 。 い ま は こ こ ろ や す く、 か な ら す こ く ら く に ま い る へ き と お ほ
ゆ
る を 、 そ こ に も か な ら す あ ひ た ま ふ へ き な り と あ り 」 成 尋 阿 閣 梨 の 研 究 − 一41
一NII-Electronic Library Service 酉 山 学 報 〇 十 月 十 一 日 。 つ く し よ り と て、 ふ み も た る 僧 き た り 。 あ さ り の 御
文
か と 心 さ は し き し て 、 う れ し う お も ふ に 、 あ ら ぬ か の 御 と も に い に し 人 な り LO
十 一 月 廿 日 。 雪降
り 。 歌 。 こ こ ろ よ り な み た は い つ る も の な れ や お も へ は そ て に ま つ そ か か れ る ( 萬 代 和 歌 集 ) 延 久 五 年 ( 一 七 三 三 年 ) ○ 正 月 七 日 。 治 部 卿 の 文 使 ひ が 成 尋 の 許 に ゆ き 供 と し て 帰 朝 せ ん と い う 故 、 文 を 托 す 。 〇 二 月 十 四 日 。 成 尋 が 肥 前 守 へ 送 つ た 文 を 伝 へ 見 る 。 〇 四 月 一 日 。 律 師 、 院 の 御 修 法 の為
に 母 の近
く に 来 る 。 〇 五 月 五 日 。 菖 蒲 の 歌 。 楓 の 花 の歌
。 ○ 老 病 い よ い よ 重 る 。 極 楽 往 生 を の み 待 つ 。 母 日 記 は 以 上 の よ う な 内 容 を 持 つ て い る 。 こ れ に よ つ て 、 成 尋 や 母 の 伝 記 の 一 部 が 明 ら か に さ れ る の で あ り 、 ま た 成 尋及
び そ の 兄 が 出 家 し て 律 師 と な つ て い た こ と も わ か る の で あ る 。 こ の よ う に 作 者 が わ が 子 を 二 人 と も 出 家 さ せ た こ と は 、 主 人 に 死 に 別 れ た 淋 し い 自 分 の 老 後 を 、世
間 に も 立派
に 認 め ら れ た 二 人 の 子 供 に 見 守 ら れ な が ら 、 尊 い 念 仏 の声
を 心静
か に 聞 き つ つ 極 楽往
生 を し た い と 念 願 し て い た た め で あ る と 見 る こ と が で き る 。 そ の 母 の念
願 は 、 無惨
に も成
尋 の 入 宋 に よ つ て 破 ら れ 、 あ ま つ さ え 母 子生
別
と い う 憂 き 目 を み な け れ ば な ら な く な つ た 。 こ の こ と を作
者 は 、「 ほ と け さ へ 、 に く ま せ た ま ふ に こ そ 、 い と こ こ ろ う く 」 と 書 い て 、 自 分 が 余 り に 長 生 一
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一 N工 工一Eleotronlo Llbraryき し た た め に 、 仏 ま で が 自 分 を 憎 ん で お ら れ 、 こ の よ う な 世 問 に は あ ま り 類 の な い 子 供 の 入 宍 と な つ て 、 悲 し い 別 れ を し な け れ ば な ら な く な つ た の だ ろ う と 、 自 分 の 長 命 を 歎 い て い る 。 日 記 中 に 書 き 記 さ れ て い る 母 の 歌 が 、 「 千 載 集 』 や 『 新 古 今 」 或 い は 、 「 萬 代 」 『 夫 木 』 の 二 集 及 び 「 新
拾
遺 』 「後
拾遺
』 等 の 歌 集 に 載 せ ら れ て い る と い う こ と は 、 こ れ等
の 歌 集 が 作 ら れ た 当 時 に お い て 、 は や こ の 日 記 が 人 々 の 間 に 読 ま れ て い た と いう
こ と が 出 来 る の で あ る 。 さ て 次 に、 母 の 日 記 に よ つ て成
尋 に 対 す る 母 の 愛 情、 ま た 母 に対
す る 成 尋等
を少
し く み て ゆ き た い と 思 う の で あ る 。 お よ そ 、 わ が 子 を 愛 す る 心 は 父 に お い て も 変 り は な い が 、 も と も と 一 つ で あ つ た 母 と 子 と の 関 係 は 父 よ り 大 な る も の が あ る と い う こ と が 出 来 る の で あ る 。 成尋
の 母 は 、 日記
中 に 、 自 分 の肉
体 の 一 部 と し て 成 長 し て き た 子 供 の 存 在 は 、 決 し て 別 な も の で は な く、 こ の 点 に お い て 父 子 と 母 子 と の 関 係 は 本 質 的 に 違 う と い つ て 、 父 性 愛 と 母 性 愛 の違
ひ を 説 い て い る 。 成 尋 が 胎 内 に い る 時 か ら 胎 児 の 環 境 を よ く す る た め に 、 母 親 は妊
娠
中 精 神 的 節制
を 続 け 、 生 れ 出 る 成 尋 が 人 の 子 よ り す ぐ れ て い る よ う に と 願 つ て い る 。 そ し て 母 は こ れ ほ ど ま で に し て 生 ん だ わ が 子 成 尋 が 、 す く す く と 伸 び 立 派 に 成 長 し て い く こ と を 唯 一 の 楽 し み に し て 生 き て い る 。 わ が 子 を 見 守 る 母 の 心 は 、 わ が 子 可愛
さ の 一 念 か ら 起 つ て 居 り、 他 の も の な ら 人 手 に 任 せ る こ と も 出 来 る が、 わ が 子 だけ
は 人 手 に 任 す こ と が で きず
、 何 か ら 何 ま で 子 供 の こ と は 一 切 母 親 で あ る 自 分 の 手 で し て や り た い 。 わ が 子 の た め に は 、 ど ん な 苦 労 も 苦 労 と 思 わ な い の が 母 親 で あ り、 ま た 母親
の 心 で あ る と述
べ て い る 。 た か き も い や し き も、 は ・ の こ を お も ふ こ ・ う さ し は 、 ち ・ に は こ と な る も の な り 。 は ら の う ち に て 、 み の く る し う 、 お き ふ し も や す う せ ね と、 我 身 よ く あ ら ん と お ほ え す 、 こ れ を み る め よ り は し め て 、人
よ り よ く て あ れ か し と 思 ひ ね ん じ て 、 う ま る ・ お り の く る し さ も ・ の や は お ほ ゆ る 。 む ま れ い て た る を み る よ 成 尋 阿 閣 梨 の 研 究 一43
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