1. はじめに 多民族・多文化社会の合衆国において,多数派民 族と少数派との軋轢は複雑な様相を呈している。そ こで,長年にわたり多様なものが一つに溶け合い, 新しい国家を創ることはこの国の理想であった。し かし,かつての人種の「るつぼ論」に代表される各 エスニックのアメリカ化への方向づけは,1980 年 代の自己認識の高まりとともに,エスニックみずか らの文化を復活させるような動きが現れてきた。そ の結果,それぞれの生活様式や,文化・思想などの 多様性は,広大な合衆国の地域性に一つの魅力を与 えた。 したがって,この国の地域現象の理解にとって, エスニックの行動様式の理解は重要であり,各グ ループのもつ歴史性は,今日のあらゆる社会状況を 派生する基礎になっている。本論文で取りあげる アーミシュは,「エスニック」本来の範疇から外れ るかもしれない。合衆国内の約1,500 のグループは, これまで民族性を重視して区分されてきた。しかし, 今日,全米に15 万人を有するこのグループは,独 特の文化と慣習,宗教を継承しており,一つの宗教 集団として見過ごせない面をもっている(最近の専 門書ではエスニックに含めることが多い)。 地理学からアーミシュに関する研究としては,拙 著(1984・1987)があるに過ぎない。一方,宗教学 の分野からの研究も決して多いわけではない。なか でも,彼らを迫害しつづけたヨーロッパでの研究は 少なく,合衆国でもOld Order Amish 研究はここ 50 年である。今回,事例地として取りあげたペン
ペンシルベニア・ダッチ(アーミシュ)地域における近年の社会変容
永 野 征 男
The Transformation of Amish Society
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The Case Study of Lancaster County, Pennsylvania
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Yukio NAGANO
(Received November 1, 2000)
1
The Amish have been a people of the plow for more than three centuries. An agrarian tradition and a love of the land have shaped their distinctive faith and culture in many ways. The farm provided a crib for nurturing large families and stable marriages, a locus for work, and a haven from the vices of the larger world. Indeed, some analysts have argued that only a rural context could sustain the sectarian ways of Amish life.
The coming decades will surely test that assertion as the Amish enter nonfarm occupations in ever growing numbers. This paper tells the story of the Amish of Lancaster County, Pennsylvania, who have rather rapidly abandoned their plows for the pursuit of profit. It is, in short, the story of the transformation of Amish society in one particular settlement. A case study of one Amish community cannot be generalized to all Amish everywhere, but the story of Lancaster’s Amish may be a harbinger of things to come in other settlements that also face encroaching urbanization.
日本大学文理学部地理学科:
〒156 − 8550 世田谷区桜上水 3 − 25 − 40 Department of Geography, College of Humanities and Sciences,Nihon University: 3- 25- 40 Sakurajousui, Setagaya- ku Tokyo 156- 8550 Japan
2 シルベニア州ランカスター(図1)は,1940 年に政 府によって農村共同体調査地に選ばれている。社会 学的なアーミシュ研究は,W. M. Kollmorgenn によ るものが最初であった。その後は,アーミシュ出身 のJ. A. Hostetler による一連の研究がみられる。 ペンシルベニア州のアーミシュの生活を世界に紹 介 し た の は , 雑 誌 「Geographical Magazine」が, 1981 年に特集したことが大きな契機である。わが 国では,1960 年代から 70 年代にかけて,吉野清人 がオハイオ州で調査したものがある。特異な共同体 についてまとめたものとしては,大原長和のランカ スターにおける研究がある。さらに,坂井信生は彼 らの特徴的な宗教理念「忌避(Meidung)」の解釈 を軸として,行動様式全般について広範な研究を報 告している。 今回,本論文で取りあげたアーミシュの企業経営 に関しては,農業主体を通してきた彼らの生活を考 察する上で興味ある課題である。とくに,商業活動 への急速な転身が,長年にわたる彼らの慣習をどの ように変革させるのであろうか。これまでは教会を 中心とした生活リズムであったものが,新たな産業 へ進出することによって,つまり「富」を 掌中に収めることにより,従前のようなリ ズムを持続できるか,そこに多くの疑問点 を感じる。アーミシュが個人経営の企業を 有することは,大都市から離れた土地で, 現代社会から分離してまで,反文明的な生 活を続けてきたことに反逆する行為になら ないだろうか。 東部メガロポリスの縁辺において,都市 化の影響の強い土地で農業を営むことは, 将来的にも土地を購入することが困難な状 況にある。何世代もの間,土地を耕すこと に専念してきたアーミシュが,どのような 方法で商業の世界に踏み込み,企業人とし ての成功を掴まえるのであろうか。上記の どれ一つを捉えても,ここ数年間のアーミ シュ社会の変革は,研究課題として重要な 意味をもつと考える。 2. アーミシュグループの誕生と 史的背景 アーミシュ誕生の歴史的な経緯については,これ までにも宗教学の面からの研究が多くみられた。こ こでは,発祥地のヨーロッパから,新大陸アメリカ への移住の経緯を中心に考察する。 アーミシュ教会は,16 世紀のヨーロッパにおけ る「アナパブティスト(再洗礼派)運動」から発生 している。1517 年に,マルチン・ルターが率いる ローマンカトリックの教義に対する非難が高まり, 短期間にチューリッヒの熱心な教会指導者たちは一 つの宗教改革を目指した。その運動の中では,市当 局や国家からの運動に対する承認をあてにしてい た。 若手の急進派である彼らの争点の一つは,幼児期 における洗礼の破棄と,ミサの慣習の改善,それに いま以上の聖書研究を主張した。チューリッヒでは, 市側がこれら集会の解散を命じたために,一部の人 たちは国教会を去り,1952 年に個人の家を集会所 として再洗礼を施すようになった。洗礼は信仰の意 味が理解できる年齢に達してから,実施すべきであ るという主張をもち,彼ら自身も幼児期にカトリッ ク教会で洗礼を受け,世間からは再洗礼者という意 図1 ランカスターの位置及びアーミシュ教区の分布 (D. B. Kraybill による)
3 味のアナパブティストと呼ばれた。 そのために,国教会や国家とは無縁の教会を設立 し,世俗的な生活から離れることを決意した。聖書 の教えに従順に従い,軍隊などへの協力を拒否し, 市民としての法廷闘争も拒絶した。つまり,アナパ ブティストの目的としては,長年の教会の慣習に対 抗しようとしたが,国家はそれに全く答えようとし なかった。むしろ社会の体制を乱す恐れがある団体 として,国は根絶する方向に動いた。 それから数ヵ月後に,多くのアナパブティストた ちは逮捕された。しかし,論争・投獄によっても彼 らの動きを押さえられなかったため,1525 年以降 の数10 年間に,信者の多くが投獄・拷問にかけら れ,数千人が死亡した。この残酷な様子は,今日で もアーミシュの間で語り続けられ,自らを世俗から 分離する根源となっている。このことは,アーミ シュの家庭にある1, 200 ページに及ぶ「Martyrs Mirror」に収められている。 当時のヨーロッパにあって,スイスだけはアナパ ブティストを容認していたが,しだいに迫害は南ド イツやスイスにまで及んだ。一方,オランダでは 1530 年までに再洗礼派の考えが浸透していた。と くに,Menno Simons というカトリックの聖職者が リーダーとしての信奉を集めた。1536 年に,彼は 多くの信者を引きつれて,北ヨーロッパ各地を移動 した。彼の英知や統率力は,教会の内外か ら信頼を得て,アナパブティストの呼称も 名前を冠したメノナイト(Mennoniter) として知られるようになった。 アーミシュとメノナイトは,同じアナパ ブティストの伝統を引き継いでいるが, 1693 年に 2 つのグループに分かれた。先述 した1525 年以降,迫害の歴史の中でスイ ス人のメノナイトは山岳地帯に安住の地を 見いだした。辺境の土地を耕作することに よって,生活の信条が子供たちに受けつが れることを生甲斐と考えた。1648 年にな ると,メノナイトはライン川流域のパラチ ネートとアルザス両地方へ移動した。新し い入植地は,アルプスにある彼らの母教会 と連繋を保っていたが,しだいに考え方に も違いを生じた。 17 世紀末になると,スイス人のメノナイトの リーダーである長老のヤコブ・アンマン(Jacob Ammann)の周りには,多くの信者が集まりはじめ た。彼の主張は,厳格さに欠ける教会の規律が人々 の情熱を失う原因であるとして,メンバーに対する 規律を厳しく設定した。また,アナバプティストの 信者が国教会にも属している場合は,それらの人々 がアナバプティストの集会へ出席することを拒否し た。 さらに,明確な主張は教会から破門されたメン バーに対して,日常の生活面でも忌避することを断 行した。こうすることで,破門者たちが罪の深刻さ を知り,早期に自分たちの教会へ戻ることを期待し た。しかし,この「社会的忌避」の捉え方に関して は,スイスのアナパブティストとは考えを異にした。 後者は,この方法が悪意を引き起こすことを危惧し, アンマンの考え方は独断すぎると非難した。アルザ ス地方を本拠地としてきたアンマンは,たびたびア ルプス地方へ出向き,両者の考えを統一しようと試 みたが,1693 年・ 94 年に開かれた会議によって妥 協の余地の無いことを知った。その結果,アルザス 地方の人々はアンマンに従い,彼の名前に因んで 「Ammanishi」と呼ばれたが,のちにこれが変化し てドイツ語ではAmischen,英語では アーミシュ (Amish)となった。その他のスイス南部のドイツ 図2 ランカスターから拡大したアーミシュ教区の分布状況 (D. B. Kraybill による)
4 人アナパブティストはメノナイトという名称になっ た。 アンマンは規律を厳しくするばかりではなく,質 素な生活を強調した。今日,アーミシュのトレード マークであるアゴ髭,質素な服装など,メノナイト とは異なる側面を持ちながら,新大陸アメリカへ移 住した。ちなみに,ヨーロッパにおけるアーミシュ の集団は,1937 年に解散している。 17 世紀末から 18 世紀に初めにかけて,多くの ヨーロッパ人は新大陸に安住の地を求めた。メノナ イトとアーミシュが分裂する10 年前の 1683 年に は,メノナイトはフィラデルフィア近郊に入植して いた。当時,ペンシルベニアを治めていたウィリア ム・ペンは,イギリス・クェーカー教徒であり,宗 教上の迫害に苦しむ少数派に対して寛容であった。 のちにアーミシュにとっても,この土地が安住の場 所となる。(表1) 1730 年以前にも,アーミシュはアメリカに入植 していたかもしれないが,コミュニティーの形成は 1737 年といわれる。1770 年代に入ると,多くの アーミシュがペンシルベニア州バークス郡南部と, ランカスター北部との中間地域に入植した。これら 初期のコミュニティーはインディアンとの戦いや, 他の教会への離脱により崩壊したケースが多くみら れる。いずれにしても,この地域における永住的な 入植はこの時期から始まり,1790 年ごろにかけて ランカスター郡東部へ拡大した。 新大陸におけるアーミシュのコミュニティー展開 は大変に遅々としていた。1900 年代までに,ラン カスターにおけるアーミシュの居留地は6 集 落であったが,20 世紀には 100 集落以上に 成長している(図2)。今日,北米のアーミ シュ人口は15 万人を超えるといわれる。そ の内の65%がオハイオ・ペンシルベニア・ インディアナの各州に居住している。 3. 社会構造の特性と「Gelassenheit」 アーミシュ社会の構造的な特徴は,居住 地 が 特 定 な 地 域 に 限 定 さ れ , 各 コ ミ ュ ニ ティーが小規模なことである。このコンパ クトであることが,生活信条から組織全体 に関わることまで,すべてのことに関係し ている。彼らにとって,大規模なことは権力の乱用 をもたらす象徴として恐れられ,コミュニティー内 部では形式的な行動や官僚的な構造は存在しない。 また,彼らの行動範囲は,馬と馬車で移動が可能な 範囲内に限定され,お互いが均質な生活を維持する 上でも,農業を主体とする職業構造が歴史的に継承 されてきた。 教区は,地理的に区分された範囲内でまとまって いる。北米には900 以上のアーミシュの教区があり, 一つの地区単位に25∼40 の家族が含まれている。 日常の礼拝には教会を使わず,メンバーの家に集合 する。その数が大きくなると教区を分割する。この コンパクトな社会小単位は,メンバー相互の交流が 十分にできる規模であり,親戚同志が集まることも 多い。
ランカスターでは,Old Order Amish が最大のグ ループであり,New Order Amish と Peachey Amish は小さい。ランカスター地区内の約100 教区の中で, 前者は2 地区,後者は 5 地区のみである(表 1 )。各 グループは,長い年月に作り上げてきた教会の慣習 や規定をもっており,それらは英語では表現できな い「Ordnung」として知られている。この内容は, 原則的な事項から特定のものまでを含んでおり,一 般的に成文化されずに口承で伝えられる。これに よって,アーミシュ共同社会の道徳的な秩序が規定 され,彼らの重要な身分を定義している。たとえば, Ordnung によって規定される慣習には,衣服の形 や色,男性の帽子の形,馬車の色や型,野外作業で の馬の使用法,ペンシルベニア・ダッチ言語の使用,
5 集会での食事メニュー,教派内での結婚などがあ る。 一方,Ordnung で禁止されている行為としては, トラクターや自動車の使用,電気の使用,軍隊への 入隊,裁判を起こすこと,テレビやラジオの所有, 宝石類の所有,離婚,高等教育を受けることなどが 含まれる。その内容は時代とともに変化してきたが, Ordnung はアーミシュ社会をまとめ導く原則であ り,教会の長老は日常的にメンバーへこれらを守ら せるための重要な役割を担っている。しかし,教区 ごとに細部については相違がある。たとえば,仕事 に電話を使うこと,個人事業の経営規模,家具の種 類などには差がある。そこで,教会はできる限り共 通のOrdnung を推し進めるため,一年に 2 回の会 議を開催している。 もし,アーミシュのメンバーがOrdnung を侵し たときは,教会の懲罰によって破門され,排他的な 扱いを受ける。のちに謙虚さが認められると,教会 への復帰はいつでも可能であるが,排他的な行為は 一生つづくといわれる。 アーミシュ文化の核心は,ドイツ語の「Gelassen ―heit」 で表される。その意図することは,最高 の権力者への服従(Submission)を意味する。むし ろ,アーミシュの具体的な生活信条である従順,謙 虚,服従,質素,地味が,このひと言で表現されて いる。昨今の個人主義的な文化の中にあって,うぬ ぼれ(Proud)とは好対照の言葉である。 Gelassenheit は,個人が神,教会,指導者,親, といった権力者に屈することを示している。この言 葉は,彼らの思想や文化に深く浸透し,軍隊への入 隊や,行政機関の設置,訴訟の提起を禁止している。 その結果,これがアーミシュの宗教的な世界観であ り,伝統的なさまざまな行為に服従してきた根源で もある。 現代社会の一つの見方としては,マックスウェー バーがいうように合理的な社会であるといえる。こ の合理性は打算的な精神と官僚機構の中に現れてい る。そこでの重要なことは,時間をつねに意識し, その中で能率を上げること,計画立案を成しとげる ことなどが要求される。しかし,アーミシュの共同 体には官僚も存在しないし,能率・計算・統制を避け て生活している。みずからの環境の中で科学技術を 使うことよりも,それ自体をどのように統制してい くかということに,最大の関心を払ってきている。 そのような中にあって,小規模であるといえども 企業の出現は,伝統的なアーミシュの社会を変質さ せるのであろう。そして,企業経営者たちは,これ までの伝統文化と技術進歩とを,どのようにして整 合性をつけるのか,興味ある課題である。 4. 近年の企業経営への参入動向 本論文で,アーミシュの企業への参入問題を研究 することの意義は,長い間,彼らを統制してきた文 化的要因,あるいは文化力というものが,逆に彼ら の企業活動を活発化させるのだろうか。つまり,伝 統的に農業のみに依存してきたアーミシュが,その 伝統性を失うかもしれない社会的な危機に直面した とき,彼らのエスニック文化が,一つの資源として 新しい活動の推進力になるのか,また束縛するのか, このことの考察が可能となる。 文化的な資源には,教会の規則,価値観,慣習, 技術などを含むが,これらがベンチャー的な新規企 業の育成に潜在的なエネルギーを提供することも多 い。たとえば,強い血縁関係,大きな家族単位,商 業主義に対する宗教上からの禁止行為などが,逆に 新企業にとって有効な社会資本となり得る。しかし, これら文化的資源のすべてが有益に作用するわけで はない。これまでの歴史的な価値観,高等教育を禁 止してきたこと,訴訟や政治に関与しなかったこと など,外界と個人レベルでの交渉を抑制してきたこ とはマイナスである。さらに,自動車やコンピュー タなど,テクノロジーを拒否してきたことも重くの しかかっている。したがって,企業の育成にとって は,つねに民族社会の文化的資源の束縛を取りはず 表 1 ランカスターにおける宗派別宗教グループの現状(1985) グループ数 教区数 会員数 37 合 計 289 41,600 Old Order 派アーミシュ その他のアーミシュグループ ランカスターメノナイト教派 その他のメノナイトグループ Brethren 教会派 その他の Brethren グループ 6,300 1,000 12,100 9,000 8,200 5,000 1 6 1 20 1 8 82 10 84 57 20 36
6 す詳細な交渉をともなうことになる。 4-1. 企業経営と農業との関わり アーミシュと,その生活基盤である農業との関係 は,彼らの伝統的文化を継承する上で,一つの宗教 上の権限になっている。一つの伝統が長く続くため には,首尾一貫した産業を継続するか,土に帰属し た生活を続けることである。土壌を耕すことは聖書 の教えであるとともに,土から離れることは自然か ら離れ,共同生活を難しくする。とくに,ランカス ター地域などのペンシルベニア州の肥沃な土は,こ の場所で彼らの永遠のコミュニティーを育んでき た。親が身体で子供たちに教える教育の場が農場で あり,農場を無視した生活は,たとえ企業経営者に 転向しても成功は難しい。 肥沃な土を背景に発達した農業,さらに工業,観 光業と,ランカスターにおける産業は実に多様化し ている。アーミシュは,その内の一つの農業を担っ てきた。ここは,東部メガロポリスのニューヨーク やフィラデルフィア,ワシントンDC などの大都市 に近く,州内でも人口増加が激しい地域である。ち なみに,1980 から 90 年までの 10 年間に 17%の人口 増加がみられた。 ここにおける農業は,この地方にとって主要な分 野を占め,すでに19 世紀前半にはランカスター郡 内の5,000 農場で 7 億ドルもの生産を上げ,産出高 では州内第1 位であった。 地域としては,都市と農村が混在した景観を示す ことから,年間に300∼400 万人の観光客を引きつ けている。1957 年になると観光委員会が行政内に 設置され,観光客への対応を開始した。先述のよう な,都市化による人口増加や,それにともなう住宅 団地の開発は,アーミシュにとって農業用耕地の拡 大をいっそう難しくしてきた。(図4・5) 土地の価格も急騰し,1940 年代に 1 エーカー当た り300∼400 ドルであったが,1980 年代には 4,500 ドルに跳ね上がった。やはり,東部メガロポリスの 市場に近いことが,土地の急速な需要をもたらした。 したがって,たとえ土地を入手できたとしても,農 業経営を続けるための費用は増加した。このような 郊外化現象による地価の上昇とともに,農業技術の 進歩がアーミシュに圧力となった。農業関連の機械 類は,馬でも使えるように改良が必要であり,その ために小規模な機械装置をもつ店舗が増えた。 また,観光客の増加により,アーミシュのファッ ションや工芸品に対する賞賛は高まり,国レベルで アーミシュの生活様式を報道するようになった。 アーミシュ自体の人口増加は1940 年から 60 年にか けて2 倍となり,1980 年までにさらに 2 倍となった。 これには,家庭での薬品類の使用率が高くなり,幼 児の死亡率が低下したためである。そのために,集 落内の農地の多くはアーミシュによって買収されて 図4 ランカスターにおける地域区分図 図5 図4 の東ランカスター地域
7 きたが,増加しつづける人口に対応できなかった。 このことも,新たな企業を起こす契機となってい る。 農業に従事することは,1960 年代 70 年代を通し て彼らの誇れる仕事であり,教会もそれを支援して きた。しかし,1960 年代中ごろには,手ごろな農 地の入手が困難になると,家内工業を興す人々も増 加してきた。また,労働者としてそれらの工場へ勤 める機会も増えた。この傾向に対する教会側の動き としては,伝統的な家族体制(家族全員で農業をす る)を壊す行為として,1975 年に警告を発した。 つまり,男性が工場労働者となることは,子供の 教育をはじめ,家庭内のすべての仕事が女性にかぶ さった。さらには,雇用されることによって,さま ざまな誘惑(年金・健康管理・保険などの受給)が もたらされることを危惧した。また,工場などの休 日は,アーミシュ社会のそれと必ずしも合致しない ものであり,たとえば,秋季に多くみられる結婚式 などは,伝統的に火・木曜日に実施されてきた。 1970 年代の後半ごろから不況による工場の閉鎖 が続いた。その結果,アーミシュの中には,居住地 から離れた場所で新たな生活を始める者も現れた。 ランカスター郡では,1960 年から 1978 年にかけて, 12 の新たなコミュニティーが形成された。そこで は,頻繁にアーミシュたちも農地のオークションに 立会い,農場を確保することに努力した。しかし, 大規模な開発業者との競争は厳しさを増し,ある居 住区では,男性の3 分の 1 だけが農業に従事でき た。 アーミシュ以外の雇用者のもとで働くことも一つ の選択肢であった。なかでも,観光産業のレストラ ンやホテルでの雇用は,独身男性に収入をもたらし た。しかし,こうした職業も教会との結びつきを遠 ざけるものとして非難された。比較的に好意をもっ て迎え入れられたものは,小規模な事業であり,ラ ンカスターへ留まる上でもその選択が多く見られ た。 1990 年代まで,ほとんど見ることもなかった小 ビジネスが急増してきた。これまでのアーミシュ・ ビジネスは,第一段階では馬の蹄鉄を打つ仕事で あった。第二段階では,馬が引く農機具の修理店舗, 第三段階にあたる1970 年代に入ると各種の店舗が 立地しはじめた。しかし,一貫して農業に関連する 仕事が多かった。 1980 年代に入り,アーミシュ・ビジネスが台頭 したときに,事業家の中にアーミシュ向けの照明器 具・電池・金物類・家具・靴・食品などを手がける アーミシュが現れた。いわゆる民族的企業が動きは じめた。表2 に示したように,これら民族的企業 (結合企業)と,外部経済と結びついた企業(分離 企業)との共存が起きた。いずれの場合も,アーミ シュが企業を所有し,労働者もアーミシュであるこ とから,企業は民族資源を活用したことになる。 このように,企業といえども外部企業との結びつ きはきわめて脆弱であった。たとえば,後述する馬 車用のファイバーグラス車体を造る会社では,雇用 者も経営に参画し,職場の会話では独特なペンシル ベニア・ダッチが使われた。その一方で,原材料と 最初の専門的な知識は外部の世界から受入れた。 4-2. 企業経営の概要 アーミシュ企業の60%は 1980 年代からスタート した。後半の5 年間で 31%(300 店)が開業した。 図6 は 1940 年から 1992 年までに開業した 13 教会区 118 名の経営者からの聴き取り調査を基本にしてい る。その結果,一つの教会区に9 企業が存在するこ とになるが,各企業の3 分の 1 はアルバイト,残り の3 分の 2 は専従労働力によって運営されている。 1 企業あたり 2 ∼ 6 名を雇用(最高で 15 名)してお り,7 %の企業が年間に 100 万ドル以上の売上を計 上している。 表 2 エスニックの経営する企業分類ごとの企業特性(1991) 企業所有状況 雇用者受入 民族的な色合い 教区内での立地度 資本力 技術力 生産性 顧客性 供給力 配達力 H H H H H H H H H H H H H H M M M M M M H M M L L L L L L L 資 源 分離的企業 混成企業 結合的企業 H:高位 M:中位 L:低位
8 経営者の多くは,すでに農業と決別しているが, 中には関連する馬具や鍛冶屋を経営している。しか し,全体的には農業との直接的な関係も薄れ,アー ミシュ共同体の文化とも離れつつある。 ア ー ミ シ ュ の 経 営 す る 事 業 は ,① 副 業 的 事 業 (Sidelines),② 家内工業的事業(Cottage Industries),
③ 移動的事業(Mobile Crews)に分けることがで きる。副業は,農民とくに女性や老人に補足的な収 入をもたらしている。これには季節的な雇用が多く みられ,金物屋・手工業・大工などの数百の事業が ある。家内工業としては,家族労働による場合が多 い。この点ではアーミシュの思想である家族全員に よる労働形態に近い。移動をともなうものは,建設 業・石工・屋根葺きなどの,近隣のコミュニティー や他州へ出かけることがある。アーミシュの男性の 職業選択においては,これらの仕事が農業に次いで 多く選ばれる。遠隔地の仕事では,発電機を使用し, 交通手段としてトラックやタクシーを利用する。そ のためにも,非アーミシュと共同作業することは, 職場まで自動車を利用できるので有利である。さら に,東部の大市場(フィラデルフィア・ボルチモア) へ,毎週2 ∼ 3 回の野菜出荷があるために,日常的 に車を借り上げることも増えている。 近年,アーミシュの企業は多様化してきている。 これまでは一つの生産ラインから1 種類の製品を生 産してきたが,今日では大多数の経営者が,2 種類 以上のものを考えている。表3 のように,1990 年度 初めには収益も拡大し,専従の雇用者を使う企業の 半分以上が年間に10 万ドル以上もの収益をあげて いる。 アーミシュの企業形態を,一般的なカテゴリーに 則して分析すると,個人経営・共同経営・株式会社 となる。全米では,71%の企業が個人経営といわれ る。ランカスターにおけるアーミシュ企業の85% がこの方式で開業した。しかし,企業拡大の中でこ の形態は減少し,今日では78%となっている。共 同経営方式は設立が簡単であり,自由性を有してい る。アーミシュ企業の21%(全米の一般企業では 10%)が,これにあたり,共同経営者の多くが家族 である。稀に部外者が共同経営に加わることもあ る。 さらに,特殊な事情がこれら共同事業を支えてい る。それは1965 年に,政府は雇用主がアーミシュ である企業に対して,社会保障のための税金を免除 した。さらに,従業員も雇用主の共同経営者として 減免された。しかし,1988 年にこの部分は見直さ れ,明確に個人経営へ戻した経営者も多かった。株 式会社方式は,アーミシュの中でも珍しい存在であ る。当初,わずか1 %の企業がこの開設を試みたが, 今日まで存在しているものはない。つまり,合衆国 政府との合同を強いるような開設条件に,反対の立 場をとるからである。 4-3. 企業家と小ビジネスの特性 アーミシュ企業の開設に際しては,わずかな自己 資金で始めるケースが多い。商業者向けの貸付金を 利用する者も少ない。また,政府による公的な資金 を使うことは,彼らの文化からあり得ないことであ る。自己資金の不足分は個人からの借金を当てにす ることになるが,負債があることは否定する。 出資金を最低限に抑えるために,店舗を新たに建 設することよりも,既設の建物を再利用する形での 図6 13 教区における小規模なアーミシュ企業数の変化 (D. B. Kraybill による) 表 3 アーミシュ企業の売上高(1994) 年間売上高 % ∼ 10,000ドル 10,000 ∼ 49,999 50,000 ∼ 99,999 100,000 ∼ 499,999 500,000 ∼ 1,000,000 1,000,000 ∼ 21 20 21 24 7 7
9 開業が多い。約45%の企業はこの形でスタートし, 軌道に乗ると他の場所への移転や,同一地点での再 立地がみられる。表4 のように,経営者の 20%はラ ンカスター郡以遠の地域との取引をしている。たと えば,農機具製造業者の中には,メイン州・フロリ ダ州まで配達している。販路が拡大する理由は,価 格競争の点から低価格かつ良質の製品であることが 好まれた。 表5 のように,アーミシュ企業への顧客層として は,非アーミシュの卸売業者や観光客が重要である。 ただし,非アーミシュへ販売するためには,各店舗 はそれなりの努力が必要である。たとえば,農機具 製造業を営むアーミシュは,アーミシュ向けの鉄製 車輪の用具と,ゴムタイヤとの2 つの設備ラインを 設ける必要がある。また,サイロの建設では,非 アーミシュ向けの大規模なものと,アーミシュ向け に小さいサイロを建てることになる。 より具体的な事例として,アーミシュは動力付き の芝刈機を使わない。古くから手押し式を使ってき た。一方,非アーミシュの経営する金物店では,動 力式が主力になるにつれて,旧式のものを取り扱わ なくなった。しかし,近年の燃料油の高騰と騒音苦 情の高まりとともに,旧式な器具が求められている。 この種の製品は郊外のアーミシュ店舗でしか扱わな いために,これら店舗の顧客層には非アーミシュが 多くを占めるようになる。このように両者のマー ケットは,少しずつ文化的な領域を越えてきてい る。 アーミシュ企業の中には,卸売部門を手がけるも のもある。約5 分の 1 の企業が製品の 90%以上を卸 売りしている。これら企業は,取引のための銀行口 座を全米やカナダ,海外にも開設している。卸売向 けの交易市場は,1994 年に Paradise(ペンシルベニ ア州)で開かれた。アーミシュからは約40 企業が, 工芸品・皮革製品・キルトなどを展示し,わずか2 日間に6 州から 200 以上の卸売業者が,アーミシュ 製品の注文・下見に訪れた。 概して,自宅の近隣での店舗は観光客向けの商品 を扱う場合が多く,売上の90%をそれに頼ってい る店舗は全体の7 %である。そして,売上の一部を 観光客に依存している店舗は20%にのぼる。そこ での商品としては,アーミシュキルトや木工工芸品 が伝統的に販売され,Hospitality Industry と呼ばれ ている。 経営者は商品の売れ行き動向にも注意を払い, シーズンオフには他所で開催される工芸品の展示会 へ出かける。これら観光客を相手とする店舗は,多 くの有利性を持っている。それは,この土地を訪れ る客の多くが,職人芸ともいえるアーミシュ製品の 購入を,当初から考えているからである。ある調査 に よ る と , 顧 客 の91%が同類の製品とくらべ, アーミシュ製品に高い信頼性を持っている。 ここで,アーミシュビジネスの特色をまとめると 以下のようになる。第1 は,店舗の規模が小さいた めに,働く側にとっても何ら権力的な階級意識がな く,当然に雇用者と労働者の格差もない。経営側は つねに雇用者と働くことが,ともに仕事に対する影 響を与えている。さらに,退職手当や健康保険など は一切ない。教会を中核とした組織内では,これら が不要と考えられている。さらに常雇いよりもパー ト雇用者を基本とするのは,諸経費を節減するため である。 第2 の特色は,その「柔軟性」にある。労働時間 や仕事の予定は,地域社会の規律や宗教上の信念を 優先させる。このことが逆に地域の結束や儀式の維 持を可能にしている。たとえば,秋の結婚時期に自 表 4 アーミシュ企業における販売上の特色(1990) 販売上の特色 % 距離的な面 90%以上がランカスター市内 90%以上がランカスター市外 混在 小売業と卸売業との比率 90%以上が小売業 90%以上が卸売業 混在 観光客との関係 90%以上を観光客に依存 90%以上が観光客と無関係 混在 観光客としてのアーミシュとの関係 小売の90%以上がアーミシュ向け 小売の90%以上が非アーミシュ向け 混在 31 22 47 52 20 28 7 81 12 18 43 39
10 由な休暇が取れ,また農業の繁忙期は店舗の勤務時 間を短縮してまで農場を手伝う。 第3 には,彼らが商品を生産する際に,外界から の動力の供給や利用を拒んでいる点である。彼らは 大規模,スピード,自動装置を用いた機械に対する 懐疑心が強い。技術そのものの進歩に反抗するので はなく,近代技術が地域社会へ浸透することにより, 地域がバラバラに荒廃することを恐れている。たと えば,動力源として電気は使わない。公共電力を引 き込む準備はあるが,水力や風力にとって賄われて いる。そうすることで,外部経済との分離を維持す るとともに,市場経済の中で他者に負けまいとする 原動力になっている。 第4 としては,これらアーミシュビジネスと教会 との強い結束である。事業の経営者たちは,事業規 模・設計・投資などを教会の指導に従っている。こ の宗教的・文化的な拘束が,アーミシュビジネスを 特徴づけ,外界と区別することになる。どのような 小規模なビジネスであっても,教会が規制する権限 を持つことで,教会を核とした地域の絆が生まれ る。 5. ランカスターにおけるアーミシュ企業 全米における小規模な企業集団は,アーミシュの それと似通った点がみられる。それは個人的な自立 であり,自由を追い求める「柔軟性」である。アー ミシュビジネスでは,単に個人主義を求めるのでは なく,さらに伝統的な文化価値に立脚している。 企業家の第一世代は,土地を親や親戚から譲り受 け,83%の者が自力で起業している。その多くは中 年の農業従事者であり,45 歳前後で 4 分の 1 が子供 に農場を任せ,みずからは狭い祖父母の土地を耕す かたわら,事業にも手を出している。したがって, 大きな収益を求めようとはせずに,次世代の農業収 益を補充する程度のものである。なかには,農業か ら撤退する前に,ランカスター内で見込みのある土 地を入手した者もいる。事業規模が小さければ,そ れなりに農地を手放すこともなく,事業と並行する 農業経営も可能であった。 一方,起業する理由の一つとしては,農業生産物 の価格の低下も大きく影響している。主力作物のタ バコは喫煙に対する社会的な非難によって価格が下 がり,他の作物生産に切り替える必要に迫られた。 今日,事業家としての第二世代が誕生しつつあり, 第一世代とは異なり,事業のいっそうの拡大を目指 して収益を上げようとしている。 ランカスターには,約1,000 人を超える事業家た ちがいる。その4 分の 1 が,25 歳までに店舗を持っ た。遅くとも45 歳までには他の店舗での見習を済 ませている。かつての企業家のように,農場で過ご す時間を67%の人が持てないという。それでも, 20%程度の人は農繁期には家族の農作業を手助けし ている。 表5 で示されるように,事業家の 4 分の 1 が女性 である。ただし,この場合は常雇いが4 人以上いる ような店舗はない。女性オーナーの出現は,アーミ シュのような家父長制が支配する文化では珍しいこ とである。今後,既婚女性のビジネスチャンスは, アーミシュ社会における性の役割,力関係を変えて いくものとなろう。 一般論として,企業家になるためには,それなり の専門的な教育を事前に受けねばならない。しかし, アーミシュは形式的な教育の全てを拒否してきた。 なかでも,科学万能的な考えや,批判力を養うよう な高等教育には反発してきた。むしろこれが事業家 の育成に財産となっていると思われる。 アーミシュは公的教育からもたらされる内容に注 意深く対処してきた。彼らにとっては教育に対する 価値観が大きく異なり,家庭から子供を切り離すも のと考えられている。授業内容における科学至上主 義,競争力や批判的精神の育成が,アーミシュの教 義である人間性と質実性を重視する方針と合わな い。彼らは知識と体験を重んじている。書物から学 ぶことは二次的なものと捉えている。 このことは,長年わたる合衆国政府とアーミシュ における闘争であった。しかし,1974 年に最高裁 は彼らの主張を認めた。現在,ランカスターに居住 するアーミシュの子供たちは,百数か所の教区内の 表 5 アーミシュ企業における女子労働力の雇用(1993) 常雇人数 男 女 0∼1人 2∼3 4∼ 76 % 79 100 24 % 21 0
11 学校に通学し,8 年制の独自の教育を受けている。 そこでは,競争よりも協力の大切さや,個性を強調 する考えを抑制してきた。これがアーミシュビジネ スの成長に大きな力となっている。 アーミシュの体験学習は,ビジネスの世界におい て有効に生かされている。子供が農業を手伝いなが ら技術を学ぶと同様に,事業を開始した後に,並行 して経験から商売の手法を学びとっている。 6. 科学技術の抑制と起業との整合性 合衆国ならずとも,科学技術の進歩は商業的な事 業の成功の秘訣である。効率の良さと生産性の増大 にとって,最先端の技術に触れることは重要である。 しかし,アーミシュは対称的に彼らの伝統文化の前 に科学技術の使用を否定している。必ずしも,すべ ての技術を抑制しているのではないが,その使用に よって彼らの共同生活が崩壊することを恐れてい る。 したがって,彼らが技術を選択的に使用する際に は,地域社会に及ぼす長期的な影響の評価によって 決まる。生産効率を高め,労働時間を短縮する技術 は,アーミシュ社会の基本的な取り決めを傷つけな ければ,広く受け入れられる。たとえば,ガソリン で動く雑草刈取機が,それまでのカマに替わっても, 人間の雑草を刈るという仕事は根本的に変わらな い。どちらの方法を採るにしても,単独の作業は残 る。しかし,耕作用にトラクターや車を導入するこ とは,これまでの共同作業と地域社会の様式を乱し, より個別化が進むと考えられている。 ときには,教会の長老の考え方が,新しい科学技 術に承認や拒絶を下すことになる。したがって,地 域によってその使用に差が生じることもある。たと えば,アーミシュの店舗でファックスやコピー機の 導入がみられたとしても,すべての地区で承認され たわけではない。なかには,試験的に採用している ところもある。逆にすべての教区で統一的に禁止さ れている物品もある。コンピュータは,1986 年に ランカスター地区では禁止された。また,公共用電 線から110 ボルトの電力を引くことは長く禁じられ てきた。自動車の使用についても同じである。農場 を維持する上で,これらの技術の抑制は問題視され ることも多いが,小規模な事業では表面化すること が少ない。しかし,事業家たちにとっては,非アー ミシュの商戦での圧力をつねに感じている。とくに, 後述の電話・自動車・電気については,将来的に抑 制しつづけることが難しい状況にある。 6 -1. 事業展開における電話の使用 電話の使用に関しては,アーミシュ社会の中で変 化に富んだ長い歴史をもっている。合衆国の農村地 域では,20 世紀はじめに電話使用が一般化したが, アーミシュ農家では会話装置(talking devices)と 呼ばれるケーブルを,独自に各家の間に張り巡らし ていた。しかし,1910 年に教会は電話の所有を禁 止した。その主たる理由は,共同体の結合が,便利 な電話によって破壊されることを危惧した。とくに, 電話が広い外界との直接的な連がりを持つようにな ることを恐れた。つまり,アーミシュの宗教的な主 義主張は,世俗からの分離ということが前提にあっ たからである。 また,電話による私的な会話が多くなることは, 他人からの監視が薄れ,秘密主義の台頭を許すこと に連がると考えた。さらに,電話に頼らない会話 (face to face)こそが,服装や礼節を気遣うことに 通じ,文化的なしきたりが守れることを強調した。 しかし,正式には電話の使用を禁止しなかった。 アーミシュは,「使用」と「所有」を明確に区分し た。アーミシュの家庭においては,医者を呼ぶよう な緊急時に,近所の非アーミシュ宅の電話を使っ た。 20 世紀の半ばから,アーミシュは家族間で共有 するコミュニティーフォーン(共同電話)に頼るよ うになった。この電話は農場の隅や,農道に沿った アーミシュの所有地内に小屋を建てて設置した。こ の電話を共用する農家は,電話ボックスまで徒歩で 来られる農家に限定され,メンバーの使用頻度は記 録され,請求書が各戸に配布される。これで家庭内 の一般電話のように個人的な会話が少なく,不便な 野外の共同電話を認可した意図が果たされたといえ る。1960 年代に入ると,この電話は特別なもので なくなった。多くの電話がアーミシュ農家の近くに 設けられ,鳥小屋や納屋の一部を改造するケースも 現れてきた。しかし,個人で専用的に使うことはで きず,あくまでも近所との共有が建前であった。
12 このように,設置場所と使用法を限定することに より,アーミシュの伝統的な文化と和解させてきた。 先述のように,アーミシュの中で企業が成長すると, この電話使用の制限が変化してきた。つまり,他の 業者との連絡上,店舗の庭には電話ボックスが設置 された。一部は事務所内部に設けられた。道路側か ら見えない場所や,机の中に隠すようにして所有し た。経営者の名刺や店舗広告には,ボックス内の電 話番号を記載する例も見られた。これによって,電 話は仕事を最優先して使っていることをアピール し,仕事中も着信音が聞こえるように,音量を増幅 する器具を取付けるようになった。 また,非アーミシュ宅の電話を,時間を限定して 借り上げ,取り次いでもらうことを考えている。さ らに,バッテリー付きの応答機の類を,非アーミ シュ宅に取付けたりした。このように,アーミシュ にとって電話は試行期間のようなものであり,農業 を中心的に考えてきた地区では,教会側もかなり寛 容な態度を示している。しかし,全体としてはいま だに自宅での電話所有を禁止している。 例外的なことでは,事業の経営者が電話線のある 建物を借りて仕事をする場合がある。この場合,教 会側は建物の所有者でない経営者に対し,電話の使 用を禁止できない。また,非アーミシュの経営者と 共同で建物を使う場合もある。ここでは,ノン・ アーミシュの机上の電話機をアーミシュも使うこと ができる。これらのことは,例外的に認めているに すぎず,これで教会はアーミシュビジネスの拡大を 支持し,伝統文化的には電話との距離を維持したこ とになる。 一方,事業展開における電話の禁止を歓迎する動 きもある。電話応対の事務員が不要,電話にとられ る時間の防止,従業員の個人的な電話を避けられる ことなどをあげている。しかし,電話を使用してき た事業家の91%が,現状以上に電話が使いやすく なることを望んでいるのも事実である。事業効率を 考えるならば,共同電話の場所まで走り回る無駄を 指摘する人が多い。また,サービスの上で問屋との 商談における素早いやり取りが重要であり,事務所 内に電話を持つことが,時間の節約と利益の向上に 役立つからである。 しかし,かなりの許容力をもって使用を認めてき た司教であっても,事業家に限っては無制限な許可 を与えなかった。ある実例では,自宅から共同電話 までの距離が遠いことを理由に,事務所内に電話設 置(外線の配線)が許可された。しかし,その場合 は,電話線の1 本は野外の共同電話用に振り分ける ことを義務付けられた。アーミシュは,自宅に電話 を引くことをタブー視する一方で,商業面での使用 を柔軟に認め,エスニック的なアイデンティティ内 だけで事業が繁栄することを許してきた。 6 -3. 自動車使用の規制緩和 長年の間,自動車の使用を禁じてきたアーミシュ は,個人的に所有することで家族を遠方の職場や娯 楽の場へ拡大し,しだいに共同社会を破壊すると考 えてきた。また,自動車文化が人間を不道徳,怠惰 の世界へ導くとして嫌った。いずれにしても,自動 車は個人主義・自由・移動性などの面で現代を象徴す るものであり,アーミシュの伝統的な生活の価値を 脅かすものとされた。 これまでの禁止措置を詳細に検討すると,決して 自動車による輸送手段そのものは拒否していなかっ た。遠方への旅行に車を使うことも認めてきていた。 つまり,所有を禁止しているのであって使用は認め ている。ランカスターでは,年々アーミシュタク シーと呼ばれる,非アーミシュの運転する車をタク シー代わりとしたり,一般のタクシーを利用するこ とも増えている。 アーミシュの経営者が自動車を使う理由は,木工 製品や家具の原料を入手の際や,完成品の搬送に必 要なためである。家具を購入者の家に取付けるのも 大事な仕事であり,そこまで出かけなければならな い。総じて流動的なアーミシュの職工たちは,辺境 の仕事場まで移動することが多い。配達業務の多い 事業主のアーミシュは,非アーミシュと車両輸送に ついて一定の契約を結ぶことが多い。その結果,一 人の従業員にドライバーとしての専従的な仕事が生 まれる。先述のように非アーミシュと共同で事業を している場合は,その人物の名義で車を所有し, アーミシュ側に貸与することもある。しかし,この方 法は,時として問題を起こすことがある。つまり,非 アーミシュのドライバーが賃金を不満として辞退で もすると,彼らの輸送手段は完全に途絶えてしまう。
13 大変に稀なことであるが,事業主が教会から特別の 許可を得て,自動車やトラックを間接的に所有するこ とがある。その場合でも,企業名で車両登録をおこな う。その際,教会側は事業所の代わりに非アーミシュ の従業員へ必要書類にサインを要求することがある。 いずれにしても,乗用車は個人の娯楽に使うのではな く,業務用であることを強調する。ドライバーは,余 剰の時間をアーミシュの傍で働いている。恐らく,事 業家にもっとも親密な非アーミシュは,このドライ バーであることが多い。車中では,彼らの好む音楽 テープを聴き,彼の政治的な見解がしだいに事業主に 移ることなど,さまざまな情報が事業主の世界観に影 響を及ぼすこともある。 アーミシュは,多くの仕事における輸送の必要性を 認めている。したがって,自動車の賃借や事業所での 所有を許可してきた。そこに至る過程は,充分に協議 された文化的な取り決めがある。一見,外部の者には 滑稽に思えるかもしれないが,車を利用しての移動性 に対する抑制が効かなくなることへの恐れと,伝統的 な共同体社会を危うくすることへのためらいを良く象 徴している。 6-4. 技術転換による電気の導入 1970 年代のアーミシュの人口急増とともに,新た な問題が発生した。それは,製造業と建設業の事業所 で使用する電気が教会側によって反対された。電気の 利用は,実利的な社会を拡大させ,その便利さは益々 高まりを見せてきた。教会は1919 年に,外部の電力 会社から電線(110 ボルト)を引くことを禁止した。 ただし,電池(12 ボルト)の使用は許可した。この 区別は,20 世紀の前半にほぼ固まっていた。これに よって,アーミシュの社会には,コンピュータやテレ ビの使用は不可能となり,その他の電気消費器具も生 活面で使用することはなかった。この公共電力を使わ ないことが,アーミシュのアイデンティティを象徴す る一つの事象にもなっていた。 1966 年,政府は新たな保険衛生上の規則として, 牛乳の保存に冷却することを義務づけた。冷蔵庫に電 気を使えない彼らは,ジーゼルエンジンを電源として 対応した。しかし,タンク内のミルクの攪拌には, 110 ボルトの電力を必要とした。そこで,いくつかの 教会では携帯用発電による110 ボルトの確保を承認し た。このことが他に転用されることもなく,これを 契機としてジーゼルエンジンのパワーによる電動用 器具が広まった。さらにアーミシュの技術者たちは, 一般の電化製品から電気モーター部分を取り外し, 水力・風力で稼動するモーターを考案した。この アーミシュの電気工学は,外界の方向性とは異なる, 彼らの保守的な信念が支えとなり成功を納めた。 しだいに,電気モーターを水力に切り替え,電気 コントローラーにたよっていた箇所はインバーター に変えて作動することになった。これにより,大規 模な装置であっても,高価な公共電力を使わずに済 んだ。家庭でも,従前の12 ボルトから 110 ボルト の電気をつくり出せるインバーターが増え,車の バッテリーほどの大きさで,広範な電化製品に電力 の供給が出来るようになった。水力と風力を使う方 法は「アーミシュ電力」と呼ばれ,宗派の魂を失う ことなく,共同体の生活を近代化することに成功し た。現在,修理業を営むアーミシュへは,非アーミ シュからも安い電力を使った修理の依頼が増え,外 部の市場に影響を与えつつある。 7. アーミシュ社会における技術革新 長い間,彼らは多くの種類の技術に対して自制し てきた。しかし,前述のように自らの伝統的文化に 適合する技術の進歩に関しては注意深く対処してき た。人工の原材料を使用して,伝統的な製品に統合 させた例としては馬車材がある。長期間にわたり使 用してきた木材は,新しい木材の入手が難しく,腐 食することも問題であった。そこでファイバーグラ スへの転換が,本体と関連する馬具に使われるよう になり,取り扱い店舗は急増し,その技術が他の製 品にも波及した。このファイバーグラスは高温で処 理をし,独特な臭気を発するが,アーミシュの職人 は嫌わなかった。また,製品が狭い場所でも成型で きる利点を持っていた。事業所によっては,馬車の 扉の部分をプラスチィック製にすることを考え,さ らに事業は拡大した。つまり,伝統的な馬車造りの 技術は継続するものの,他所で成型された素材を組 み立てる仕事も増えはじめた。 その他には,リサイクル商品として生み出された プラスチィック製木材は,アーミシュ家屋の各所で 使われた。これらは,一貫してリサイクル材の使用
14 が,結果として天然資源の節約になるという事実を 強調した。したがって,新製品の参入は,彼らの文 化理念に照らしても問題とならなかった。つまり, プラスチィックの事例では,その扱い方は,これま での伝統的な木材処理を変化させるものではなかっ たし,生活様式に脅威を与えることもなかった。む しろ,新製品の加工や取付けが,アーミシュ企業に よってなされることから,民族的な是認が与えられ たともいえる。 教会は,これら技術の進歩に対して,とくに禁止 措置をとらなかった。これらが,共同体の伝統的な 生活の質を妨げてはいないと判断したからである。 確かに技術の遅れは,大量生産方式にとっては致命 的なことであるが,多くの文化領域におけるアーミ シュ独自の境界(倫理的)を考えると,この新しい 産業は,彼らの民族的なトレードマークになりそう な様相を呈している。伝統的文化を守るために,し ばしば技術力を抑えてきたことが,現在になって独 特の民族的特徴を補強し,アーミシュビジネスの重 要な活力源となりつつある。 この報告は,1983 年以降,3 回にわたる日本大学海外 学術研究助成金,文理学部海外交流基金などによる調査 の一部である。ランカスターでは,ミラスビル大学地理 学教室のGary Hovinen と Mario Hiraoka 両教授から貴 重なご教示を得ることが出来た。ここに記して感謝いた します。 永野征男(1984):アメリカ合衆国における小宗教集団 アーミシュの地域的展開過程.日本大自然科学研究 所紀要19 号. 永野征男(1987):アメリカ合衆国における少数民族. 都立教育研究所:教育じほう3 月号. 吉野清人(1955):アメリカの保守的少数派 ─ アーミ シュとハッターライト ─ 哲学年報第17 号. 大原長和(1965):「アーミシュ家族の構造と機能」.『家 族の法社会学』所収. 坂井信生(1973):『アーミシュの文化と社会』.ヨルダ ン社. 坂井信生(1977):『アーミシュ研究』.教文館. ドナルド・クインビル,杉原利治,大藪千穂訳(1996): 『アーミシュの謎』.論創社. 池田 智(1995):『アーミッシュの人びと』サイマル出 版会.
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