オーケストラ
《エクセルシス》第3回演奏会出演者
オーケストラ
《エクセルシス》第3回演奏会出演者
Violin
Violin
ヴァイオリンヴァイオリン 池 田 孝 祐 池 田 孝 祐 岩 崎 範 子 岩 崎 範 子 海 野 とし 絵 海 野 とし 絵 小 倉 勇 樹 小 倉 勇 樹 加 茂 一 成 加 茂 一 成 霜 島 恵 霜 島 恵 後 藤 正 尚 後 藤 正 尚 小 宮 麻 里 小 宮 麻 里 佐 藤 俊 佐 藤 俊 鈴 木 孝 一 鈴 木 孝 一 龍 田 学 龍 田 学 徳 島 由 莉 徳 島 由 莉 橋 本 理 紀 橋 本 理 紀 長 谷 玲 子 長 谷 玲 子 林 昌 英 林 昌 英 樋 口 澄 子 樋 口 澄 子 藤 井 優 実 藤 井 優 実 藤 原 夕 希 子 藤 原 夕 希 子 道 場 生 基 道 場 生 基 簗 田 千 明 簗 田 千 明 山 内 麻 紀 山 内 麻 紀Viola
Viola
ヴィオラヴィオラ 加 藤 由 貴 夫 加 藤 由 貴 夫 草 野 康 子 草 野 康 子 久 保 健 俊 久 保 健 俊 近 藤 健 一 郎 近 藤 健 一 郎 高 田 賀 夫 高 田 賀 夫 田 川 瞳 田 川 瞳 錦 見 容 代 錦 見 容 代 丸 山 瑞 江 丸 山 瑞 江 村 井 良 行 村 井 良 行Cello
Cello
チェロチェロ 片 寄 隆 典 片 寄 隆 典 北 畠 重 顕 北 畠 重 顕 小 菅 健 司 小 菅 健 司 前 嶋 修 光 前 嶋 修 光 山 田 愛 山 田 愛Contrabass
Contrabass
コントラバスコントラバス 荒 木 浩 志 荒 木 浩 志 戸 田 利 忠 戸 田 利 忠 山 内 正 好 山 内 正 好 渡 部 辰 矢 渡 部 辰 矢Flute & Piccolo
Flute & Piccolo
フルート&ピッコロ フルート&ピッコロ 大 林 裕 幸 大 林 裕 幸 高 林 り か 高 林 り か 成 田 咲 菜 成 田 咲 菜
Oboe & English horn
Oboe & English horn
オーボエ&イングリッシュ・ホルン オーボエ&イングリッシュ・ホルン 今 角 良 子 今 角 良 子 圓 道 敦 圓 道 敦 古 山 友 理 古 山 友 理Clarinet
Clarinet
クラリネットクラリネット 奥 山 恵 奥 山 恵 髙 田 裕 二 郎田 裕 二 郎 田 中 奈 津 姫 田 中 奈 津 姫Bassoon
Bassoon
ファゴットァゴット 安 藤 諒 安 藤 諒 音 謙 一 音 謙 一 松 木 勉 松 木 勉Horn
Horn
ホルンホルン 石 関 沙 紀 子 石 関 沙 紀 子 菊 池 菊 池 早 苗早 苗 坂 口 裕 志 坂 口 裕 志 信 岡 良 典 信 岡 良 典 橋 川 吾 教 橋 川 吾 教Trumpet
Trumpet
トランペットトランペット 佐 藤 泰 彦 佐 藤 泰 彦 新 保 京 子 新 保 京 子 十 川 雅 彦 十 川 雅 彦Trombone
Trombone
トロンボーントロンボーン 伊 木 史 紀 伊 木 史 紀 窪 田 和 史 窪 田 和 史 半 澤 靖 半 澤 靖Tuba
Tuba
チューバチューバ 植 松 隆 治 植 松 隆 治Timpani & Percussion
Timpani & Percussion
ティンパニ&パーカッション ティンパニ&パーカッション
♪オーケストラ《エクセルシス》第4回演奏会♪
日時:2013年9月23日(月・祝) 午後公演予定 場所:杉並公会堂 指揮:大浦 智弘 ∼バルト三国プログラム(仮)∼ ♪ ドヴァリョーナス:ヴァイオリン協奏曲 他 演 奏 機 会 の 少 な い 作 品 が 好 き な 方 は も ち ろ ん、「い ろ い ろ な 知 ら な い 曲の魅力を感じてみたい!」という方のご参加もお待ちしております。 普段は触れることの少ない作品を、ご一緒に演奏してみませんか? 練習場所:都内施設を中心に活動 募 集:弦楽器全パート及び打楽器 練 習 日:月 2 ∼ 3 回 土曜日(演奏会直前は集中練習もあります) (第4回演奏会の練習は 2013 年春頃開始予定) 参 加 費:35,000 円程度(学生割引あり) ホームページ:http://excelsis.sub.jp email:[email protected] ♪♪♪ 団員募集 ♪♪♪ 正 指 揮 者 大 浦 智 弘 大 浦 智 弘 弦トレ ー ナ ー 加 藤 由 貴 夫 加 藤 由 貴 夫 小 山 啓 久 小 山 啓 久 代 表 代 表 伊 木 史 紀 伊 木 史 紀 会 計 会 計 奥 山 恵 奥 山 恵 演 奏 会 演 奏 会 実 行 委 員 長 実 行 委 員 長 伊 木 史 紀 伊 木 史 紀 プログラム編集 プログラム編集 佐 藤 泰 彦 佐 藤 泰 彦 広 報 広 報 音 謙 一 音 謙 一Concertmaster
oncertmaster
コンサートマスター コンサートマスター 小 山 啓 久 小 山 啓 久 ビ デ オクラシックス ビ デ オクラシックス 撮 影 撮 影ORCHESTRA “EXCELSIS”
ORCHESTRA “EXCELSIS”
オーケストラ《エクセルシス
オーケストラ《エクセルシス》
第3回演奏会
第3回演奏会
イギリス音楽復興の時代
イギリス音楽復興の時代
∼19
19世紀末から
世紀末から20
20世紀初頭の音楽∼
世紀初頭の音楽∼
2012
2012年 9
9月16
16日(日)
日(日)
開演
開演 14:00
14:00
開場
開場 13:30
13:30
杉並公会堂
杉並公会堂 大ホール
大ホール
主催 : オーケストラ《エクセルシス》
主催 : オーケストラ《エクセルシス》
石 井 浩 史 石 井 浩 史 小 川 止 小 川 止 舘 裕 之 舘 裕 之 橋 本 純 子 橋 本 純 子Bass Clarinet
Bass Clarinet
バス・クラリネット バス・クラリネット 森 岡 由 紀 子 森 岡 由 紀 子Harp
Harp
ハープハープ 奥 田 恭 子 奥 田 恭 子 Yang Yamamoto Yang Yamamoto -過去の演奏会-第1回 2010年 9月20日(月・祝) かつしかシンフォニーヒルズ 大ホール ∼オール・ステーンハンマル・プログラム∼ ♪ 序曲「エクセルシオール!」 ♪ ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 ピアノ独奏:和田 記代 ♪ 交響曲第1番 ヘ長調(日本初演) 指揮:大浦智弘 第2回 2011年 8月7日(日) 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール ∼オール・ポーランド・プロラム∼ ♪ノスコフスキ:演奏会用序曲「モルスキェ・オコ」 ♪カルウォヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン独奏:小山啓久 ♪カルウォヴィチ:交響曲「復活」 ホ短調 【アンコール】キラール:オラヴァ 指揮:大浦智弘オーケストラ《エクセルシス》 代表 伊木 史紀
プログラム
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
様々な作品が日々の演奏会で取り上げられていますが、本当は素敵な曲であるにもかかわ らず、諸処の事情により埋もれてしまい、演奏される機会の少ない、あるいは録音が少ない 事などからなかなか知られる事がない、けれども耳にすれば「ステキな曲」と思えるような 作品も数多くあります。 作品を知らない方にとっては、新しい作品に接して魅力を体感していただく場となること を願い、また作品を知っている方には、待ち望んだ場であることを願い、創設いたしました。 決まった枠組みの中で考えられる「名曲」だけではなく、人それぞれが「ステキ」と感じる、 そういう作品はたくさん埋もれているはずです。このオーケストラが、少しでもそのような 作品との出会いの機会となってくれればと思っております。 誰でも、どの曲に対しても「初めて接する」時は必ずあります。 このオーケストラで演奏する、このオーケストラの演奏会で聴く、それがその曲の初体験 となり、作品を 1 つ、また 1 つと知っていただき、よく耳にする作品以外にもステキな作品 があると実感していただければ幸いです。
オーケストラ紹介
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
代表挨拶
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
イギリス音楽復興の時代
∼ 19 世紀末から 20 世紀初頭の音楽∼
交響曲第
交響曲第 2 番 ヘ長調 「ケンブリッジ」
番 ヘ長調 「ケンブリッジ」
Symphony No. 2 in F major, "Cambridge"
管弦楽のための詩 「ワイルドギースとともに」
管弦楽のための詩 「ワイルドギースとともに」
Poem for Orchestra “With the Wild Geese”
ヴィオラ協奏曲 ト短調
ヴィオラ協奏曲 ト短調
Viola Concerto in G minor
Allegro moderato
Romance: Andante
Finale
I.
II.
III.
Andante - Allegro
Scherzo: Molto vivace
Andante
Allegro vivace
I.
II.
III.
IV.
サー・ハミルトン・ハーティ
サー・ハミルトン・ハーティ
(1879-1941)
1879-1941)
Sir Hamilton Harty
休憩
intermission
セシル・フォーサイス
セシル・フォーサイス
(1870-1941
1870-1941)
Cecil Forsyth
サー・ヒューバート
・パリー
サー・ヒューバート
・パリー
(1848-1918
1848-1918)
Sir Charles Hubert Hastings Parry
指揮 : 大浦 智弘
指揮 : 大浦 智弘
管弦楽 :
管弦楽 : オーケストラ《エクセルシス》
オーケストラ《エクセルシス》
ヴィオラ独奏 : 加藤 由貴夫
ヴィオラ独奏 : 加藤 由貴夫
本日はお忙しい中、オーケストラ《エクセルシス》第3回演奏会に足をお運びいただき、誠 にありがとうございます。団員一同、心より厚くお礼申し上げます。 日本で演奏機会の少ない作品を取り上げるというコンセプトのもと、第1回はスウェーデン を代表する作曲家ステーンハンマルを、第2回はポーランドの作曲家で師弟関係にあったノス コフスキとカルウォヴィチを取り上げました。過去の2回は、それぞれの国の作曲家自体あま り取り上げられる事がなく、ポーランドはショパンと他の作曲家の聴かれ方に差があり、取 り上げた2人は、ポーランドでは名が知られていても日本で聴かれる機会はほとんどありませ んでした。 さて今回はイギリスです。ロンドン・オリンピック、パラリンピックの興奮が残っている 方もいらっしゃるでしょうか。イギリスには有名な作曲家が何人もいます。エルガー、ホル スト、ヴォーン・ウィリアムズ、ブリテン、ハンデル(ヘンデル)、パーセル等々。吹奏楽をやっ ている方、お好きな方だと、さらに近代の作曲家でウォルトンやアーノルド、ブリスなど、 いくらでもあがるかもしれません。しかし日本で演奏される作品はかなり限定的です。 そのような中で、今回のエクセルシスは「イギリス音楽復興の時代∼19世紀末から20世紀 初頭の音楽∼」と題しまして、日本では馴染みの薄い3人の作曲家を取り上げます。アイルラ ンド出身で、アイルランド民謡を思わせる旋律で非常に親しみやすいハーティ。管弦楽法の 著書が有名で、自身ヴィオラ奏者としても活躍したフォーサイス。フォーサイスの師でもあ り、王立音楽大学の理事長を長年務め、ヴォーン・ウィリアムズを始めとする多くの後進を 育てたパリー。それぞれ異なった味わいを持つ作曲家ですが、その独自の音楽がいずれも近 代イギリス音楽になくてはならないものだと思います。有名なイギリスの作品をご存知の方 なら、どこかに似た雰囲気を感じる事ができるのではないでしょうか。もちろん何もご存じ なくとも、音楽そのものを楽しんでいただければ幸いです。 最後になりましたが、当団の正指揮者である大浦智弘先生、弦トレーナーでコンサートマ スターの小山啓久先生、同じく弦トレーナーで、今回は協奏曲でソリストを務めていただく ヴィオラの加藤由貴夫先生、その他、この演奏会のためにご尽力いただいた皆様、何よりご 来場いただきましたお客様に、心よりお礼申し上げます。 “EXCELSIS”は、「高位」「高所」「優秀」「天」などの意味がある単語です。 このオーケストラは、あまり知られていない《佳曲》を、“高いところへ”と導きたい(=多くの人に曲の 良さを知っていただきたい)、それを通してオーケストラのメンバーも、オーケストラそのものも向上してい きたいという気持ちを込めて、「オーケストラ《エクセルシス》」と名付けました。(約20分)
(約25分)
(約40分)
(20分)
指揮者&ソリスト紹介
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
東京芸術大学音楽学部器楽科卒業と同時に、新日本フィルハーモニー交響楽団 ヴィオラ奏者として入団。その間、小澤征爾指揮、新日本フィルのヨーロッパ主要五都市 (ロンドン、ミュンヘン、パリ、ローマ、デュッセルドルフ)での演奏旅行に参加。 退団後、サルバンティーノ音楽祭に東京ゾリステンの首席ヴィオラ奏者として参加。東 京ヴィヴァルディ合奏団、新ヴィヴァルディ合奏団などにも出演。また、府中の森芸術劇場 ウィーン・ホールに於いて、モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲のソリ ストを務める。 ヴァイオリンを鷲見康郎、広瀬悦子、ヴィオラを兎束俊之、ライナー・モーク(元ベルリン・ フィル.ソロ・ヴィオラ奏者)、室内楽を黒沼俊夫(巌本真理カルテット・チェロ奏者)の各氏 に師事。 現在、室内楽、ソロ、レコーディング及び様々なオーケストラの客演首席奏者など、多 方面で活躍している。当団弦トレーナー。 宮城県塩竈市出身。東京学芸大学教育学部を卒業、同大学大学院を修 了。ピアノを斎藤信子、須田昌宏、作曲を小林康浩、吉崎清富、指揮を松岡究、 山本訓久、小林研一郎、スコア・リーディングとオペラ・コーチングを田島亘祥の 各氏に師事。2007年イタリア・カターニアにおけるArte Musicale Italianaの マスター・コースにおいてレオナルド・カタラノット氏に師事、氏よりディプロマを授 与される。 これまでに数々のオペラ公演やコンサートを指揮するほか、新国立劇場、東 京二期会オペラ劇場、びわ湖ホール、東京室内歌劇場をはじめ、各地のオペラ 団体や管弦楽団、合唱団等において副指揮者や合唱指揮者、コレペティトー ルを務めている。特に井上道義、チョン・ミョンフン、阪哲朗、ユーリ・テミルカーノ フ、ロベルト・リッツィ=ブリニョーリ、沼尻竜典、ヴィト・クレメンテ、大勝秀也、北原 幸男、上岡敏之といった著名な指揮者のアシスタントを務め、研鑽を積んでい る。当団正指揮者。
加藤 由貴夫
(ヴィオラ)Yukio Kato, , Viola
Viola
解 説
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
大浦 智弘
(指揮)Tomohiro Oura,
Tomohiro Oura,
Conductor
Conductor
イギリスの音楽。そう言われて思い浮かぶのはどのようなもの だろうか。一般的に広く知られているのは、アイルランドやスコット ランドの民謡だろうか。クラシック音楽という枠の中でいえば、普 通に名前があがるのは、エルガー、ホルスト、ブリテンあたりだろ うか。古い時代だと、ハンデル(ヘンデル)、パーセルあたりだろう か。20世紀の作曲家であれば、特に吹奏楽をやっている人に とっては、ヴォーン・ウィリアムズ、ブリス、ウォルトン、アーノルドあた りはご存知の方も多いかもしれない。 ここに挙げた作曲家、17世紀から18世紀前半の2名(ハン デル、パーセル)の他は19世紀後半以降の作曲家ばかり。今 回の演奏会で取り上げる3人も、19世紀後半から20世紀前半 に活躍した作曲家である。では18世紀後半から19世紀前半 のイギリスの音楽は
?
という事になる。もちろん、17世紀より前の 時代の音楽だって存在するのだが。 という事で、近代の英国音楽に至る流れをごく簡単に辿って みる。 彼らの書法は20世紀の作曲家によって研究され、現在でも 英国特有のポリフォニー形式として高い評価を受けている。そ のような研究を行った1人、同国の作曲家ヴォーン・ウィリアムズ (1872-1958)はタリスの「大主教パーカーのための詩篇曲」の 旋律を用いた「トマス・タリスの主題による幻想曲」いう作品を作 曲している。 また、ヘンリー8世は教皇クレメンス7世と対立、ローマ・カトリッ ク教会に反発して離脱し、1534年には国王至上法を発布、自 らを長とする英国国教会を設立した。このような背景から、この 時代に活躍した作曲家は、ミサやモテットなどラテン語による作 品とともに、アンセムなど英語の作品も登場、この流れは現在ま で引き継がれている。 16世紀後半、エリザベス朝になってますます芸術は盛んに なっていった。イタリアの歌曲形式であるマドリガーレに刺激さ れイングリッシュ・マドリガルが作られるようになり、ウィリアム・バー ド(1543-1623)、オーランド・ギボンズ(1583-1625)らが多くの 作品を残した。また、英国国教会とカトリック教の宗教作品はも ちろん、器楽のための作品も数多く作曲されるなど、著しく発展 していった。また、作曲家でありリュート奏者でもあったジョン・ダ ウランド(1563-1626)は、声楽とリュートのための通俗作品を 1 7 世 紀 後 半 、ヘンリー・パーセル (1659-1695)の登場により新たなる黄 金時代を迎える事となる。イタリアやフラン ス音楽の影響を受けつつも独自の音楽 を生み出し、わずか36年という生涯にお いて、劇場作品から器楽作品、歌曲、機 会音楽など幅広いジャンルで作品を残 し、後期バロック音楽から古典派に至る 書法の基礎を築き上げた。現在でもその 作品は親しまれている。同国の20世紀 の作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)の作品「青少年 のための管弦楽入門 - パーセルの主題による変奏曲とフーガ」 において、パーセルの劇付随音楽「アブデラザール」の第2曲 「ロンドー」が用いられるなど、後世の作曲家にも刺激を与え続 けている。18世紀に入って英国で大活躍した作曲家ジョージ・ フリデリック・ハンデル( ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル 1685-1759)は、日本ではドイツ出身の作曲家という事で「ヘン デル」と呼ばれるが、1710年に渡英、1727年には帰化してロン ドンの市民権を得て、人生の約3分の2を英国で過ごしている。 帰化してから数えても、およそ人生の半分であり、英国でも“自 国を代表する作曲家の1人”とされている。 「メサイア」を始めとする数々の作品は 後世にも大きな影響を与え、パリーやエ ルガーらの声楽作品にもそれを聴く事が できる。20世紀に入ると、当時のオーケス トラでこの時代の作品を演奏する事も行 わた。ハミルトン・ハーティ(1879-1941) は「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」 などを現代オーケストラ用に編曲し、 今日では“ハーティ版”として知られ、 演奏会で取り上げられている。また指揮者サー・トーマス・ビー チャム(1879-1961)の依頼により、やはり指揮者で作曲家の ユージン・グーセンス(1893-1962)が編曲した「メサイア」は壮 大で、今では賛否両論あると思うが、筆者は好きだし、このよう な版があっても良いと思う。とにかく、20世紀でも様々な編曲の ような形でも、ピリオド楽器やピリオド演奏が見直される今日の形 でも、愛され続けている作曲家である事に変わりはなく、英国を 代表する作曲家であろう。*
【イギリス音楽の歴史】
中世のイギリスでは聖歌が発達していた。単旋律が主流 だった聖歌は、14世紀頃より、3度や6度の和音を利用した大 陸とは異なる独自の音楽が作られていた。島国ではあるが、百 年戦争(1337-1453)の時代、イングランド王国が大陸の一部 を占領して往来も増え、音楽家の交流も盛んになった。そのよう な中で特にジョン・ダンスタブル(1380頃-1453)は、イギリス特 有の和声と大陸の音楽から新しい音楽を生み出し、大陸の音 楽にも影響を与えた。 15世紀後半、薔薇戦争(1455-1485)の頃には一時期、音 楽不毛の時代となってしまったが、16世紀に入り、音楽に造詣 の深かったヘンリー8世(1491-1547)が王位についた頃から 再びイギリスの音楽活動は盛んになった。この時代に活躍した のが、ジョン・タヴァナー(1490頃-1545)、トマス・タリス(1505頃 -1585)らの作曲家で、主に宗教作品を残した。 ヘンリー・パーセル ジョージ・フレデリック・ハンデル (ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル) 数多く残した。21世紀に入って、ポップス界の大御所スティング (1951- )がダウランド作品集を発表したのも記憶に新しい。作 曲当時から一般大衆の間で流行したその魅力は、今日でも色 褪せる事はない。Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
さて、18世紀半ばまではハンデル(ヘンデル)も活躍したが、 その後19世紀にかけての英国音楽は、あまり語られる事がな い。空白の時代、と呼ばれる事もあるが、独自の音楽があまり注 目を集めないにしても、この時代が後世に残したものを無視す る事はできない。ハンデル(ヘンデル)に続いて、というわけでも ないであろうが、18∼19世紀の英国音楽界の発展に大きく関 わったのは、海外生まれの2人の作曲家であった。大バッハの
*
解 説
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
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Orchestra excelsis
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Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
Orchestra excelsis
解 説
Orchestra excelsis
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そんな自国の音楽を生み出し、かつ後に続く作曲家を多く育 てたのが、今回の演奏会で交響曲を演奏するヒューバート・パ リーであり、同 時 期に活 躍したチャールズ・スタンフォード (1852-1924)である。ベネットの弟子でもあったパリーはブラー ムスに傾倒し、大陸のロマン派音楽の影響を大きく受けてい る。しかしその作品には後の英国音楽の源流を聴く事ができ、 続くエドワード・エルガー(1857-1934)やレイフ・ヴォーン・ウィリア ムズ(1872-1958)等の作曲家に大きな影響を与えている。アイ ルランド生まれのスタンフォードはドイツで作曲を学んだが、民謡 復興運動にも後押しされ、アイルランド民謡を作品に取り入れ た「アイルランド狂詩曲」のような作品を書くなど、より自国の音 楽を模索していた。彼らは声楽作品にも魅力的な作品が多 い。それは、ハンデル(ヘンデル)の多数のオラトリオ、フィルハー モニー協会により英国で演奏されたメンデルスゾーンのオラトリ オなどの影響も大きい。そしてこの2人、ともに王立音楽大学の 設立にあたり教授として迎えられ、次の世代を担う多くの作曲 家を送り出したのである。 彼ら2人が教授を務めた王立音楽大学、巣立った作曲家の 名前を見ると、後の英国音楽の中心的な人物がずらりと並ぶ。 レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ、グスターヴ・ホルスト(1874-1934)、 フランク・ブリッジ( 1 8 7 9 - 1 9 4 1 )、ジョン・アイアランド (1879-1962)、ジョージ・バターワース(1885-1916)、アーサー・ ブリス(1891-1975)、マイケル・ティペット(1905-1998)、ベン ジャミン・ブリテン(1913-1976)。彼らを直接育てた、あるいは育 てるための下地を作ったのはパリーとスタンフォードとも言えるわ けである。 末 っ子 、ドイツ生まれ のヨハン・クリスティアン・バッハ (1735-1782)と、ピアノを習った方には非常に有名と思われる イタリア生まれのムツィオ・クレメンティ(1752-1832)である。 挙げた他にも多数の作曲家が20世紀には活躍、英国音楽 院に学んだアーノルド・バックス(1883-1953)、個人レッスンなど を得て作曲家となったジェラルド・フィンジ(1901-1956)、ほぼ 独学で作曲家となったウィリアム・ウォルトン(1902-1983)など、 それぞれが独自の色を持ちつつ、いずれも英国の風を感じる 作曲家である。同じ時代に活躍した作曲家同士で交流を持 ち、その中で新しい時代の音楽が発展してきている。 クリスティアン・バッハは、父レオポルトと共にロンドンを訪問し たモーツァルトにクラヴィーアや作曲の手ほどきをした事でも有 名であり、作曲家としても秀でていたが、同時に、プロのオーケ ストラによる最初の“演奏会”を企画し、有数の音楽都市ロンド ンの基礎を作り上げた。 クレメンティは、ピアノ作品の作曲や奏法の確立、またピアノ 製作会社を仲間と共同で設立運営するなど、ピアノそのものの 近代化にも貢献した。その作品に関してベートーヴェンは、モー ツァルトよりも評価していたという。また多くの教え子を輩出、各地 で活躍するなど、ヨーロッパで名声を高めていた。 クリスティアン・バッハが基礎を作った“企画演奏会”は、クレメ ンティによってさらに進められていた。そのような中、クレメンティ 61歳の折、彼をはじめとするロンドンの30人の音楽家により 「フィルハーモニー協会」が設立された。1813年の事である。 「フィルハーモニー協会」は、国内外問わず新作を依頼し、 今の定期演奏会のように会員を募って定期的に演奏会を開催 するスタイルをとった。作品を依頼するのみならず、作曲家や指 揮者を招聘し、ロンドンにこのスタイルを定着させる事でさらに演 奏会を増やし、またホールを増やし、様々な団体による演奏会も 企画されるようになった。こうして英国音楽界は発展し、音楽都 市ロンドンが今に続くものとなるのである。同協会からの委嘱で 書かれた作品で最も有名なのは、ベートーヴェンの交響曲第9 番であろう。(初演されたのはウィーンであったのだが。)その他 の有名な作品としては、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタ リア」、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」などがあ り、これらは作曲家自身の指揮によりロンドンで初演されている。 自国の音楽が大きな発展を遂げたわけではなさそうだが、音楽 界そのものに与えた影響は非常に大きい。 ヨハン・クリスティアン・バッハ ムツィオ・クレメンティ
*
ジョン・フィールド ウィリアム・スタンデイル・ベネット そして、英国音楽の歴史を辿るなら、“プロムス”についても触 れておくべきだろう。 “プロムス”は毎年夏にロンドンで開催される8週間に渡る音 楽祭で、100年以上続く歴史をもつ。現在ではロイヤル・アル バート・ホールを中心に100以上のイベントが行われ、最終夜は 一種お祭り騒ぎのような華やかなコンサートとなる。ラスト・ナイト は日本でもテレビ放送され、ご存知の方も多いはず。 この“プロムス”は“プロムナード・コンサート”の略で、1895年 に、安いチケットで、普段はクラシックのコンサートに訪れない人 も親しんで欲しいという企画から、歩き回る(Promenading)だ けでなく、飲食や喫煙なども自由とされたコンサートだった。当初 はポピュラーな音楽によるものだったが、次第に同時代の音楽、 自国の作曲家ヴォーン・ウィリアムズや大陸の作曲家リヒャルト・ シュトラウスなどを演奏し、少しずつ現在の形へと発展していっ た。その立役者は、第1回から50年もの間、指揮をとったサー・ ヘンリー・ウッド(1869-1944)である。本日演奏するフォーサイス のヴィオラ協奏曲は、1903年の“プロムス”で初演されている。 プロムス・コンサート(2005年)*
●
サー・ハミルトン・ハーティ
Sir Hamilton Harty (1879-1941)
指揮者として活躍し、またハンデル (ヘンデル)の「水上の音楽」「王宮の花 火の音楽」の近代オーケストラ用編曲、 フィールドのピアノ曲を管弦楽用に編曲 した「ジョン・フィールド組曲」などでも知 られる、アイルランド出身の作曲家であ る。そのオリジナル作品、録音はあるもの の演奏会で耳にする機会は非常に少 ない。 1879年、アイルランドのダウン州ヒルズボロー生まれ。幼い頃 からヴィオラ、ピアノ、オルガンを父から学び、12歳で教会のオル ガン奏者となった。1901年からロンドンに移り、伴奏ピアニストと して活動、「伴奏界のプリンス」と賞賛されるほどで、クライス ラーやシゲティといった著名なヴァイオリン奏者、後に妻となるソ プラノのアグネス・ニコルズとも共演している。またソリストとして、 彼自身の代表作でもあるピアノ協奏曲の初演も行っている。 ハーティの指揮者としての成功は、妻ニコルズによるところが 大きい。彼女の取り計らいにより、親交のあった著名な指揮者 ハンス・リヒターに紹介され、初めて指揮をとる事となった。その 時の作品が「ワイルドギースとともに」であった。1911年、ロンド ン交響楽団を指揮したこの演奏が成功したおかげで、1912-13年のシーズンも契約する事となった。1913年にはコヴェント ガーデンでワーグナー「トリスタンとイゾルデ」やビゼー「カルメ ン」などを指揮したものの、彼の指揮への意欲はオペラより交響 作品に向いていた。第1次世界大戦のため中断はあったが、 1918年には体調を崩したビーチャムに代わってハンデル(ヘン デル)「メサイア」を、翌年もビーチャムの代わりにJ.S.バッハ「ミ サ曲ロ短調」を指揮するなど、指揮者としての活動が活発と なっていった。 そして1920年よりハレ管弦楽団の常任指揮者に就任、 1933年までこの任に就く事になり、同楽団を英国でもトップクラ スのオーケストラへと育てあげた。1926年にはアーネスト・ジョン・ モーラン(1894-1950)に作曲を依頼、1937年になって交響曲 ト短調が完成、ハーティに献呈されている。残念ながら病気で 初演を振る事はできなかった。 指揮者として成功したハーティは、1931-36年には米国に渡 り、ボストン、シカゴ、クリーヴランド、ロサンジェルス、サンフランシ スコなどでも指揮している。作曲家としての活動のメインは、指 揮活動が忙しくなる前、1901-20年に集中している。代表作で あるアイルランド交響曲、ヴァイオリン協奏曲、本日演奏する「ワ イルドギースとともに」などもこの時期の作品である。 1936年頃から体調を崩し、また脳腫瘍で手術が必要になる など大変な時期を過ごした。回復はしたものの、すぐ指揮活動 には戻れず、作曲活動に重心をおいた。後、また指揮活動を再 開するも、腫瘍が悪化し、61歳でこの世を去った。 る。その多くは、王立音楽院(1822年創立。1830年に“ロイヤ ル”を冠する事が認められた)や王立音楽大学(1883年開校) から巣だっている。ベネットは19世紀後半より、ケンブリッジ大学 音楽科教授、フィルハーモニー協会の常任指揮者、王立音楽 院の主任教授などを務めている。 さてこの時代、英国の作曲家となると、前述のクレメンティの 元で学び、ピアニストでもあったジョン・フィールド(1782-1837) がいる。彼の書いた「夜想曲」という新しい作品の形式は、ショ パンに大きな影響を与えている。また、ウィリアム・スタンデイル・ベ ネット(1816-1875)は、ライプツィヒに渡りシューマンやメンデル スゾーンにその才能を賞賛された。シューマンのピアノ作品「交 響的練習曲」はベネットに献呈されている。またベネットのピアノ 協奏曲第4番は、メンデルスゾーン指揮のもと、自身のピアノ独 奏で初演されている。とはいえ独自の色は薄く、自国の音楽と 呼べるものが生まれるのは、もう少し後の時代になってからとな 最終夜のお祭りは、テレビ中継をご覧になった方はおわかり だと思うが、サッカーのイングランド代表のユニフォームを着たり、 ユニオンジャックを顔にペインティングしたり、「これがクラシック のコンサート
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」と思うような光景が客席に広がる。第2部では定 番となった愛国的な作品が演奏され、それに合わせて観客も 歌ったり、口笛を吹いたり、体を動かしたり。アーン作曲「ルール・ ブリタニア」、ウッド編曲「イギリスの歌による幻想曲」、パリー作 曲「イェルサレム」、エルガー作曲「威風堂々第1番」、国歌 「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」と いう、まさに自国の音楽で締め くくるのである。自国の音楽を 発展しつつ、音楽を楽しめる 都市ロンドンを築いてきた歴史 が、このお祭りの中に見えるよ うに思えるのである。 ワイルドギース。直訳すれば「雁の群れ」となってしまうが、こ の言葉が指すのは、フランス側について戦ったアイルランド傭 兵。アイルランドの辛い時代の記憶がここに刻まれている。 17世紀末、イギリスの名誉革命で王位を剥奪され、フランス に亡命していたジェームス2世が、王位奪還のためフランス軍と 共にアイルランドへ。イギリスの制圧下にあったアイルランド人も これに合わせて反乱を起こす。しかし敢えなく敗れ、ジェームス2 世は逃亡。アイルランド人にはイギリスのさらなる圧制が待って いるのみ。アイルランドの若者達1万数千人が故郷を捨てる覚 悟をし、ルイ14世のフランス軍に傭兵として入隊した。この悲し い歴史を背負い傭兵として異国に旅立った若者を渡り鳥にた とえ、ワイルドギースと呼ぶようになった。∼管弦楽のための詩「ワイルドギースとともに」
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解 説
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セシル・フォーサイス
Cecil Forsyth (1870-1941) 音楽学者であり作曲家であると同時 に、ヴィオラ奏者でもあったフォーサイス。 管弦楽法の著者としても知られている。 1870年、ロンドン南東部のグリニッジ に生まれたフォーサイスは、エジンバラ大 学、そして王立音楽大学で学び、王立音楽大学ではパリーお よびスタンフォードにも師事している。著作をいくつも残し、スタン フォードと共著の『音楽史』(1916)もその1つである。また『管 弦楽法』(1914)も彼の代表的な著書で、1935年には改訂版 も出している。現在でもこの改訂版がリプリントされており、その 際に米国の作曲家ウィリアム・ボルコムが序文において、楽器に 対する深い理解と知識を賞賛している。管弦楽法に関して言 えば、英国の指揮者エイドリアン・ボールト(1889-1983)が著書 で、フォーサイスがヴォーン・ウィリアムズに「ロンドン交響曲」の 管弦楽法でどのように助言したかを述べている。 作曲家としてのフォーサイスは、2つのコミック・オペラや合唱 作品、管弦楽作品などを作曲し、指揮者のサー・ヘンリー・ウッド は彼の管弦楽組曲「ヴィクトール・ユーゴーによる4つの習作」を 1905年のプロムスにおいて、クイーンズ・ホールで演奏してい る。また、自身がクイーンズ・ホール・オーケストラをはじめとするい くつかのロンドンのオーケストラでヴィオラ奏者としても活躍して いた彼は、本日演奏するヴィオラ協奏曲の他にも、「ダークロー ド」(ヴィオラと弦楽合奏)、「ケルトの歌」(ヴィオラとピアノ、後に 管弦楽に編曲)などヴィオラのための作品をいくつか残してい る。ヴィオラ奏者として知り尽くした楽器の特性と、彼が紡ぎだし た、歌うような旋律が美しい作品である。 しかしフォーサイスは、1914年に米国の出版社に所属して 移住、そのまま1941年に亡くなるまでを米国で過ごした。結果と して、彼の音楽は英国では忘れられる事となってしまった。【エミリー・ローレスによる詩 “With the Wild Geese”】より
(詩としての全訳ではなく、散文形式の日本語訳) クレア:アイルランドのクレア州 コルカ・バスキン:アイルランド南西部・クレア州に 13 世紀頃に存在した地名 フォントノワ、ベルギー 1745年 I. 会戦前夜 つらい行軍だ 異国の空の下を 疲労困憊した足並みで進んでゆく 美しい夜、友人のような夜 夜の美しさに 我らの疲れは癒される 酷い戦争だ 我らは汗まみれのままここに縛りつけられる しかし時は素晴らしい 友人のような時間 時は我らを戦いへと導く 家を失った部隊 追放された男たち 亡命したクレアの息子たち おお、いとしのコルカ・バスキン、寒々とした荒野、なんという美しさ ! おお、いとしい石だらけの牧草地、そこに咲く花のなんと美しいことか ! 荒々しい海よ、広大で雷のように轟きわたる大西洋よ その口づけはまるで戦士の口づけのようだ 一晩中 我らはおまえを想い続ける、そして目覚めている間 我らはおまえの元にいると想像する 虚しい夢、愚かな覚醒 我らは再びクレアを見ることはないのだ 今宵は風が荒々しい、風の中に戦いがある 西からの風 それはクレアからの風のようだ 夜の騒々しい喧嘩よ、我々には何もないのか? 我々の心を温め、戦いで奮い立たせてくれるような知らせはないのか ? この虚しく、星が突き刺さるような闇の中で 焼けつく太陽の光の中で 太陽と月と星が巡るとき 我々は渇く 我々はクレアを渇望する ! 思い出せ!あそこの闇から聞こえてくる大きな音を通じて 我らに西からの風を送りたまえ 信仰と名誉と栄光のために そして滅びたクレアの家族のために II. 戦のあと、夜が明け染める頃 クレアの海岸 聖母マリアよ、我らを守りたまえ 朝の海に過去が流れる 帆も櫂もなく 我らは大いなる潮に乗り コルカ・バスキンへと還る イエスが汝を救い賜うた 汝はなぜそんなにも白く 霞がかった光の中に静かに佇んでいるのか 我らを苦しめるものなど何もない 陽気な魂よ 朝の海を越えて 共に故郷へ還るのだ 従兄弟、友、親戚、大地の子供たちよ ここに我らの登場だ 心躍る 楽しい楽団だ 戦闘を終えて 我が家へ還るのだ フォントノワからクレアへ 朝の光の中を コルカ・バスキンの男たち クレアの旅団の男たち クレアの石だらけの丘よ、我らの突撃の音を聞け 我らを見よ 共に闘いから戻ったぞ そして祖国へ還るのだ コルカ・バスキンへ 朝の光の中を フォーサイスの代表作でもあるヴィオラ協奏曲は、おそらく英 国の作曲家による初の本格的なヴィオラ協奏曲であろうと言わ れている。この作品は、1903年、サー・ヘンリー・ウッド指揮、エ ミール・フェリルの独奏によりプロムスで初演されている。この作 品はフェリルに献呈されている。また翌年のプロムスでも同じコ ンビで演奏している。 この当時、英国で最も優れたヴィオラ奏者の1人に、ライオネ ル・ターティスという人物がいる。英国には彼の名を冠したコン クールもある。しかしターティスは、フォーサイスの協奏曲に興味 を示さず、彼の演奏リストには入っていない。 ではあるが、1906年のプロムスではウッド指揮、オランダの ヴィオラ奏者ジークフリート・ヴェルトハイムの独奏で、翌年にはダ ン・ゴッドフレイ指揮とヴェルトハイムの独奏で演奏されるなど、繰 り返し演奏されていた。 フォントノワで戦った人たちは英雄視されている。アイルランド を離れた兵士達。悲しい運命を背負った彼らではあっても、音 楽からそれはあまり感じ取れない。むしろ、心は常にアイルランド と共にある、という部分にクローズアップし表現しているように思 える。異国で散っていった若者の心、魂となっても愛する祖国 へ還れる事の嬉しさ、いや、嬉しいと表現する事で彼らの心を 救いたいという作曲者の願いか、アイルランドの悲しい歴史を 含んだこのタイトルで、アイルランドへの愛を強く表現している作 品に思えてならない。 余談であるが、この作品のピアノ伴奏の編曲は、ジョン・アイア ランドが手がけている。おそらく、アイアランドのオルガン奏者とし ての定期収入が少なかったため、フォーサイスがその助けに、 と仕事を依頼したと推測されている。 曲は 5 つのセクションから成っている。 ♪イントロダクション:故郷から旅立つ傭兵の寂しい姿を表して いるかのような旅立ちの音楽 ♪異国での兵士達の生活:アイルランド民謡風の旋律が、異 国で過ごしながらもアイルランドを常に感じている様を表している ♪戦闘前夜:美しいアイルランドの歌が聞こえる。夢の中で祖国 の景色を見ているのだろうか ♪戦闘:トランペットのファンファーレから激しい戦となる。その旋 律は「異国での兵士達の生活」と同じ、アイルランド人としての 誇りを持って戦っている ♪帰郷:死した戦士達の魂が夜の間に甦る。静かな闇の中か ら徐々に力強く。そう、愛する祖国へ還るのだ ! たとえ魂だけで あっても
∼ヴィオラ協奏曲 ト短調∼
第1楽章は、オーケストラの強奏とヴィオラ・ソロのカデンツァ風 な序奏から始まる。これが2回繰り返された後、静かにヴィオラ が歌い、続いてオーケストラが速いテンポで徐々にふくらみ、主 部を導く。木管が刻むリズムの上で、ヴィオラが第1主題を美しく 歌う。オーケストラと掛け合いながら形を変え、第2主題へ。こち らは長調となり、木管やホルンと絡み合いながら曲は進む。次第 に技巧的な面を見せつつ盛り上がり、カデンツァを挟んで再現 部へ。短いながら歌と技巧をしっかり聴かせてくれる。 第2楽章は3拍子のゆったりとした歌の楽章。弱音ながらも 荘厳な雰囲気の管楽器のコラールで曲は始まる。響きが静か に消え入ると、ヴィオラが美しく歌いだす。弦楽器の伴奏でひと しきり歌うと、一旦イングリッシュ・ホルンにソロを譲る。すると、動き を持った少し力強い新しいテーマでヴィオラが戻ってくる。次第 に盛り上がりを見せると、最初のヴィオラ・ソロのテーマがオーケ ストラ全奏で再び現れる。落ち着きを取り戻し、ヴィオラが静か に歌って楽章を閉じる。 第3楽章はオーケストラ全奏の短い序奏に導かれて、ヴィオ ラがリズミカルでかつリリカルな旋律を奏でる。この旋律が楽章 前半の主要なテーマとなり、またリズムが第3楽章前半の多くを 支配している。何度かテーマが登場した後、不規則な拍子が オーケストラで強奏され、一度小さな休止が入る。その後、オー ケストラが優しく美しい旋律を奏で、ヴィオラもそれを受け継いで 歌う。再び前半のテーマがホルンによって、続いてヴィオラによっ て再現され、後半のテーマを経てコーダに突入、華やかに全曲 を閉じる。 ヴィオラ独奏の歌や技巧はもちろんお聴きいただきたいメイン ではあるが、個人的には、ソロと絡む木管やホルンにも耳を傾け ていただきたい。対旋律の美しさはもちろん、ちょっと技巧的な 事をやっていたりする。 本日演奏する作品は、1902年に発表されたエミリー・ローレ スによる詩 “With the Wild Geese(ワイルドギースとともに)” という詩集の一部を元にハーティが作曲したもの。 1740-48年のオーストリア継承戦争中、1745年のフォントノワ の戦いが舞台。アイルランド人部隊は戦功をたてたが、3分の1 が戦死した。戦闘の後、アイルランド人は「戦死した兵士達は大 地から甦り、夜の間に愛する祖国へ還るのだ」と言ったという。 ハーティが元にした詩の内容は、狂おしいまでの望郷の想 いに溢れているものである。異国の地での激しい戦闘の中、戦 場に吹く風を遠くアイルランドからの風だと感じ、木々の緑や野 に咲く花を見ればアイルランドの風景を瞼に思い描き、いつの日 か再び祖国の地を踏むことを熱望する。そのあまりにも激しい 情熱ゆえに、それがいかに虚しい夢かということが却って伝 わってくる。母なる祖国。異国の地にあっても、遠く離れていて も、片時たりともアイルランドを忘れない。そしてアイルランド人で あることを誇りに思う。そういった思いが込められた詩である。*
●サー・
ヒューバート
・パリー
Sir Charles Hubert Hastings Parry (1848-1918)
ドイツ・ロマン派の影響を強く受けなが らも、後の英国音楽近代化の香りを感じ る作品を残し、また多くの後進を育てた、 まさに英国音楽の近代化の立役者の1 人でもある。同時代に「ヘンリー・パーセル 以来もっとも偉大な英国の作曲家」と評 した人もいた。 毎年夏、イギリスで8週間にわたって繰 り広げられるクラシック音楽の祭典“プロムス”。その最終夜の第 2部で、ほぼ毎年演奏される定番の愛国心あふれる音楽が5つ ある。それは【イギリス音楽の歴史】の後半、“プロムス”の部分で も触れた通り。そのうちの1つ「イェルサレム」を作曲したのがパ リー。元はオルガン伴奏の作品を、“ラスト・ナイト・オヴ・プロムス”で は多くの場合エルガーによる管弦楽伴奏版で演奏され、客席も 一体となっての大合唱。そう、イギリスでは誰もが知る有名な作 品を書いた作曲家であるが、日本ではあまり知られていない。 パリーは、1848年イングランド南部のボーンマス生まれ。イート ン校へ通い、そこで音楽への興味を開花させた。と同時にス ポーツでも際立った才能を見せたが、この頃、生涯苦しむ事と なる心臓病の兆しがあった。そして彼は、ウィンザーのセント・ ジョージ教会のオルガニストであるジョージ・エルヴェイに音楽を 学び、いくつもの習作をこの時期に残した。 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
年 歳 パリー 歳 フォーサイス 歳 ハーティ 英国の出来事 世界の出来事 世界の音楽(生・没・初演等) 1848 0歳 ボーンマスに生まれる カリフォルニアでゴールドラッシュ 1849 1歳 ショパン没(1810〜) 1850 2歳 タネーエフ生(〜1918) 1851 3歳 ロンドン万博博覧会 ダンディ生(〜1931) 1852 4歳 スタンフォード生(〜1924) 1853 5歳 ペリーの浦賀来航 フンパーディンク生(〜1921) 1869 21歳 米国の大陸横断鉄道開通 1870 22歳 ロイズ保険組合に勤務(〜1877) 0歳 グリニッジに生まれる 普仏戦争 1871 23歳 1歳 1872 24歳 結婚 2歳 ヴォーン・ウィリアムズ生(〜1958) スクリャービン生(〜1915) 1873 25歳 3歳 三帝同盟 ラフマニノフ生(〜1943) 1874 26歳 4歳 ホルスト生(〜1934) シェーンベルク生(〜1951) 1875 27歳 5歳 W.S.ベネット没(1816〜) ラヴェル生(〜1937), ビゼー:カルメン 1876 28歳 6歳 ベル、電話を発明 カルウォヴィチ生(〜1909) ブラームス:交響曲第1番 1877 29歳 7歳 インド定刻をつくる 西南戦争 1878 30歳 8歳 1879 31歳 9歳 0歳 ヒルズボローに生まれる ブリッジ生(〜1941) アイアランド生(〜1962) エジソンが白熱電灯を発明 1880 32歳 「ピアノ協奏曲」 10歳 1歳 1881 33歳 11歳 2歳 ブルックナー:「ロマンティック」 1882 34歳 12歳 3歳 ストラヴィンスキー生(〜1971) ワーグナー:パルジファル 1883 35歳 「交響曲第2番」 王立音楽大学の教授に就任 13歳 4歳 ワーグナー没(1813〜) 1884 36歳 14歳 5歳 清仏戦争 1885 37歳 15歳 6歳 バターワース生(〜1916) 伊藤博文が首相に ブラームス:交響曲第4番 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 1886 38歳 16歳 7歳 ビルマを占領 リスト没(1811〜) 1887 39歳 「交響曲第2番」改訂版 17歳 8歳 ボロディン没(1833〜) 1888 40歳 「ユディト」 18歳 9歳 リムスキー=コルサコフ:シェエラザード 1889 41歳 「聖セシリアの日の頌歌」 19歳 10歳 ボールト生(〜1973) 明治憲法公布 マーラー:交響曲第1番「巨人」 1890 42歳 20歳 11歳 1891 43歳 21歳 12歳 ブリス生(〜1975) プロコフィエフ生(〜1953) 1892 44歳 「ヨブ」 22歳 13歳 ブルックナー:交響曲第8番 1893 45歳 「書かざる悲劇への序曲」 23歳 14歳 バックス生(〜1953) グーセンス生(~1962) ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世 界より」 1894 46歳 24歳 15歳 モーラン生(〜1950) 日清戦争 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 1895 47歳 王立音楽大学の理事長就任 25歳 16歳 "プロムス"初開催 レントゲン、X放射線を発見 1896 48歳 26歳 17歳 第1回近代オリンピック競技 ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲 R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語り き 1897 49歳 「ブラームスへの哀歌」 「交響的変奏曲」 27歳 18歳 ブラームス没(1833〜) 1898 50歳 ナイトに叙せられる 28歳 19歳 キュリー夫人、ラジウム発見 ガーシュウィン生(〜1937) 1899 51歳 29歳 20歳 エルガー:エニグマ変奏曲 1900 52歳 オックスフォード大学教授就任 (〜1908) 30歳 21歳 コープランド生(〜1990) 1901 53歳 31歳 22歳 ロンドンへ。伴奏ピアニストとし て活躍。 フィンジ生(〜1951) ヴェルディ没(1813〜) 1902 54歳 準男爵に叙せられる 32歳 23歳 ウォルトン(〜1983) 日英同盟 シェーンベルク:浄夜 1903 55歳 33歳 「ヴィオラ協奏曲」初演 24歳 ライト兄弟 初の動力飛行 1904 56歳 34歳 25歳 結婚 日露戦争 プッチーニ:蝶々夫人 マーラー:交響曲第5番 1905 57歳 「ハーメルンの笛吹き」 35歳 「ヴィクトール・ユーゴーによる 4つの習作」 26歳 ティペット生(〜1998) ポーツマス条約 血の日曜日事件(ロシア) ドビュッシー:海 1906 58歳 36歳 27歳 ショスタコーヴィチ生(〜1975) 1907 59歳 37歳 28歳 英・仏・露の三国協商が成立 1908 60歳 オックスフォード大学を辞職 38歳 29歳 エルガー:交響曲第1番 スクリャービン:法悦の詩 1909 61歳 39歳 30歳 ノスコフスキ没(1846〜) カルウォヴィチ没(1876〜) ヤナーチェク:グラゴル・ミサ 1910 62歳 40歳 31歳 ストラヴィンスキー:火の鳥 マーラー:千人の交響曲 1911 63歳 41歳 32歳 初めて指揮壇へ。ロンドン響で 「ワイルドギース」を演奏。 アムンゼンが南極に到達 ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ 1912 64歳 「交響曲第5番」 42歳 33歳 1913 65歳 43歳 34歳 コヴェントガーデンでオペラを 指揮 ブリテン生(〜1976) ストラヴィンスキー:春の祭典 シェーンベルク:グレの歌 1914 66歳 44歳 著書『管弦楽法』 米国へ移住 35歳 第一次世界大戦(〜1918) 伊福部昭生(〜2006) クーベリック生(〜1996) 1915 67歳 45歳 36歳 1916 68歳 「イェルサレム」 46歳 著書『音楽史』 37歳 バターワース没(1885〜) ヒナステラ生(〜1983) 1917 69歳 47歳 38歳 ロシア革命 レスピーギ:ローマの噴水 1918 70歳 スペイン風邪にかかりサセックス 州で死亡 48歳 39歳 ビーチャムの代役を務める 1919 49歳 40歳 エルガー:チェロ協奏曲 ベルサイユ条約 レオンカヴァッロ没(1957〜) 1920 50歳 41歳 ハレ管弦楽団の常任指揮者 (〜1933) アイルランド統治法 1921 51歳 42歳 サン=サーンス没(1835〜) 1922 52歳 43歳 ワシントン条約 1923 53歳 44歳 関東大震災 スクロヴァチェフスキ生 1924 54歳 45歳 スタンフォード没(1852〜) フォーレ没(1845〜) レスピーギ:ローマの松 シベリウス:交響曲第7番 1925 55歳 46歳 ナイトに叙せられる 芥川也寸志生(〜1989),ベリオ生(〜2003) 1926 56歳 47歳 昭和天皇即位 プッチーニ:トゥーランドット 1927 57歳 48歳 ステーンハンマル没(1871〜) 團伊玖磨生(〜2001) 1928 58歳 49歳 1929 59歳 50歳 世界恐慌はじまる 黛敏郎生(〜1997) レスピーギ:ローマの祭 1930 60歳 51歳マーラー:交響曲第9番を英初演 ロンドン軍縮会議 武満徹生(〜1930) 1931 61歳 52歳 米国へ渡る 満州事変 ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 1932 62歳 53歳 ショスタコーヴィチ:交響曲第1番 を米国初演 キラール生 1933 63歳 54歳 1934 64歳 55歳 エルガー没(1857〜) ヒトラーが総統に シュニトケ生(〜1998) 1935 65歳 著書『管弦楽法』改訂版 56歳 ウォルトン:交響曲第1番を初演 バックス:交響曲第6番を初演 1936 66歳 57歳 二・二六事件 ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマ クベス夫人 1937 67歳 58歳 モーラン:交響曲 アイルランド憲法施行 盧溝橋事件 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 コープランド:エル・サロン・メヒコ 1938 68歳 59歳 1939 69歳 60歳 ナチス・ドイツがポーランドに侵攻 1940 70歳 61歳 最後の指揮を振る ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲 1941 71歳 米国で亡くなる 62歳 サセックス州で亡くなる ブリッジ没(1879〜) 真珠湾攻撃 シンディング没(1856〜)
解 説
Orchestra excelsis
Orch
estra
exc
elsis
exc
estra
Orchestra excelsis
Orch
elsis
elsis
elsis
exc
exc
estra
estra
Orchestra excelsis
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Orch
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イートン校在学中、史上最年少でオックスフォード大学の音 楽科に合格。オックスフォード大学へ進学したものの、父の勧め により、音楽ではなく商学を学んだ。そして1870-77年は、ロンド ンのロイズ保険組合に勤務していた。この間の1872年、エリザ ベス・ハーバートと結婚している。 保険の仕事をする傍ら、音楽の勉強も続けた。予てより、シュ トゥットガルトにてイギリス生まれのヘンリー・ヒューゴ・ピアソンに学 んだり、ロンドンに戻ってからはウィリアム・スタンデイル・ベネットに 学ぶなどしていた。ブラームスに傾倒していたパリーは、ブラー ムスの下で学びたい気持ちが非常に大きかった。しかし叶わ ず、続いてピアニストのエドワード・ダンロイターに師事、ピアノと 作曲を学んだ。ダンロイターはパリーにワーグナーの音楽を紹介 し、この時期にパリーの音楽はワーグナーの影響を受けている。 1880年、最初の代表作となったピアノ協奏曲を発表、師で あるダンロイターの独奏で初演された。またシェリーの詩による 歌曲「鎖を解かれたプロメテウス」を発表。この初演はしばしば “イギリス音楽のルネッサンス”と評された。こうしてパリーの知名 度も高くなっていった時期、音楽学者としてジョージ・グローヴに 請われ、グローヴ音楽辞典の編集アシスタントをし、1883年には そのグローヴが初代理事長に迎えられた王立音楽大学の作 曲および音楽史の教授として迎えられた。英国音楽の近代化 におけるもう1人の立役者チャールズ・スタンフォードも一緒に教 授として迎えられている。 作曲家としても学者としても地位を確立したパリーは、多くの 収入を得て安定した生活の中、聖書に基づいたオラトリオなど を作曲。これらは大衆に広く受け入れられたが、パリーの作風 は、当時のロンドンで音楽批評をしていたバーナード・ショウから 冷たいあしらいを受けたりもした。 しかし、グローヴが王立音楽大学の理事長を辞した後、 1895年から死去するまで理事長を務める事となり、また1900年 にはオックスフォード大学の教授職にも就いている。この前後に は、オックスフォードで上演された劇の音楽も書いている。 1898年にはナイトの称号を得、1902年には準男爵に叙され た。1908年、パリーは医者の勧めに従い、オックスフォード大学 の職を辞する。しかしその後も作曲を続け、交響曲第5番「交 響的幻想曲」(1912)、「降誕祭の頌歌」(1912)、「イェルサレ ム」(1916)などを次々と発表していった。 しかし1918年の秋、当時流行していたスペイン風邪にかか り、パリーは70歳でこの世を去った。 先に述べたように、ケンブリッジ大学音楽協会からの依頼に よって作曲された交響曲で、1882-83年にかけて作曲された。こ れはパリーにとって2作目の交響曲であった。初演は、同僚の王 立音楽大学の作曲家教授、スタンフォードの指揮で行われた。 初演は好評だったがパリーは納得せず、数年をかけて改訂を 行っている。特に4楽章は完全に書き直してしまった。改訂版は 1887年に名指揮者ハンス・リヒターにより演奏された。本日演奏 するのも、この改訂版である。 この作品、19世紀後半の英国音楽が持っていたドイツの影 響をはっきり聴く事ができる。英国音楽のたどった歴史もある が、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどの音楽が見え 隠れする。ブルックナーのような響きも聴こえてくる。しかしそれだ けではない、後の英国音楽に繋がる独特な響きや歌う旋律な どもあり、次の時代に受け継がれて行くべき精神がこの作品に 息づいている。 筆者は個人的に、第4楽章に一番「イギリス」を感じる。何 が、と言われると困るのだが、エルガーやヴォーン・ウィリアムズで 感じる空気に一番近い気がする、と言えばいいのだろうか。ドイ ツ・ロマン派の影響が強く出ているとはいえ、この第4楽章には 英国の空気が感じられる。たとえ本日、お聴きいただいて別の 感想を持っても、それはそれで良いと思う。ただこの作品を「ま た聴きたい」魅力的な作品だと思って頂ければと願っている。