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談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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77 談 話 て・−

私の受けた一般教育

山 下 智恵子

四教授は,医学部から,毎週この講義のた めに教養部まで出向かれていた。「被爆の 医学」といった講義ほ,−晴れであっ た 】 という当日の天候からほいり,原爆 投下後,広島赤十字病院の医師によって, 地下室に保存してあったⅩ線フイルムがす べて感光していたことから核爆弾であった らしいと推定された事実に及び,その後の 被災者の治療に当った医師の体験,調査結 果からのチーターーを紹介したものだったと 思う。 00キュ.リ− 被爆一嘔吐,下痢 00キュリ・− −一一火傷,脱毛 00キュリ・− −即死 被爆線長の増加に伴なって,確実に人体組 織の破壊が増し,死に到る。しかも,その 後退症は,被爆後20数年を経過したその当 時でさえも,血液ガンである白血病の曜息 率が高いというような形であらわれている など。 田中教授は,被爆の事実と,その人体へ の影響を,淡々とした口調で語った。 わずか数時間の講義だったと思う。資料 館での見臥 市内あちこちに見られる慰霊 碑,理学部裏面の風化したレンガ,学友の 大声で叫ぶ「ノーモア・ヒロシマ.」,ひそ やかな精霊流し,短時間の私の貧しい体験 が,地理的な広■がりと,時間的な経過をも 教養部時代の講義内容に/ついては,ほと んど忘れてしまっている。思い出すことの できるのほ,断片的なことがらで,例え ば,日本国憲法の時間に.話題になったアル カポネの裁判のこととか,「愛の習学」, 「結婚年齢の調査弼計処理」などで,前後 の脈絡のつかないまま頭に.浮んでくる。 そのようなものの中で,ある種のいたみ を伴なって思い出されるのほ,公衆衛生学 の一周;分で聴いた「被爆の医学」だ。 九州で育ったために.,昭和20年8月6日 の広島原爆投下に.ついては,透明で平板な −・枚のスチ−ル写真をみるような印象しか なかった。 入学式の後,友人と市内観光し,広島 城,縮景園,首メー・トル通り,元字品公 園,比治山,宮島などとともに.,平和公 園,平和記念館,原爆資料館も巡って歩い た。原爆資料館では,偽のようになったビ ン,瓦,変色しボロボロになった布切れ, ガラスの破片で傷つき血を流し,焼けただ れた皮膚をひきずる人形,どの前に立って も,おどろおどろしさに息をのんだ。しか し,−・たび屋外に出れば,市井の雑踏。時 間が経つに.つれて,しだいに興奮はうすら いでいった。私に.とっては間接的な経験に すぎなかった。 公衆衛生学の講義ほ,大きな階段教室で 行われた多人数授業だった。担当の田中正

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渡 辺 節 夫 りを込めた痛みを伴って刻まれたように思 う。 78 つて整理できたと思う。そして,−嘲の閃 光のもと,熱線と放射線の束が,人を死に 至らしめた因果関係が,私自身の脳裏に怒

一般教育と私

渡 辺 節 夫

教育というものの内容についてのあるべき イメ・−ジが曖昧なところに原因があるので はないかと思い始めた。 こう番いてくると,おまえほ−・般教育の 存在意義について否定的な輩であるとレッ テルをはられそうだが,少なくとも,自分 が受けた−・般教育には大いに感謝している し,その思い出も多い。もっと正確にいう と,−・般教育を受けていた頃の人的環境あ るいほ雰囲気正対して感謝しているし,思 い出も多いということかも知れない。とい うことの中には,もちろん,・一・般教育を授 けて下さった先生方がすばらしかったこと も含まれている。 特に,歴史学のスタッフほ,大学院時代 の仲間からうらやましがられるはど,日本 史,東洋史,西洋史いずれも,すはらしか った。歴史の勉強をしようか,フランス文 学をなめてみようかと迷っていた私に,鱒 史に進むべきだとアドバイスしてくれたの は,これらの先生方の講義であった。 国文 学も,自然科学概論も,フランス語も,中 国語もおもしろかった。自分の講義などほ \′さ 全然比べものにならないと失望したり,私 も年季を帯めは,同じようになれるだろう と勝手な希望的観測をして,自分をなく、・さ めたりしている。 そんなわけで,69年の大学“紛争〝の頃 時のたつのは早いもので,香川大学に釆 て,もう4年近くがたってしまった。ここ に釆て間もなくの頃,この大学にンついて→ 番印象的だったことは,・・ハ・・パ般教育に.ついて の談論が実に熱心になされていて,日常会 話でもよく≠−一・般教育〝という言葉を耳にす ることであった。4年もたつと,なぜ,こ んなに「般教育ということが話題にのほる のか,微妙で複雑怪各な事情がそれとなく わかってきて,もう余り気にもとめなくな ったが,しかし,自分自身が現に担当して いる科目という意味でほもちろん気にとめ ている。気にとめているというより気にと めることを余儀なくされているという方が 正確だろう。つまり,細かい点まで気に.と め過ぎても,とめ過ぎることがないぼど, 私にほ苦手な,苦痛な教育なのである。 先日,大津で日教組の全国教育研究集会 というのがあり,・一・般教育の内容的な位恩 づけをめぐって議論が沸騰していた。要 は,専門の基礎教育という意味以外にどの ような意味があるのか,専門教育とは全く 別個の一・般教育という独自の教育内容があ るのかということであったと思う。それに 関係していろいろな意見が出されたが,−・ 般教育とは何か,よく考えてみると意外と 難しいものだとつくづく感じたのである。 私が,−−・般教育の教育が苦手なのも,一般

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の“高校教育のくり返しの−・般教育フンサ イ〝 というスロ∵−・ガンは,どうも私には, ピソとこなかった。私は,私の講義を受け ている学生の多くのように年間の鵠以上も 平気で自主休講することはなかった。殆ど の科目を一回も休まなかったように記憶し ている。とにかく,何もかもおもしろかっ た。 一般教育時代が楽しかったと記憶されて いる理由は,その他に,友達,といっても 男友達ばかりであるが,との関係があると 思う。どういうわけか,私のまわりには, 講義の時には一・番前に.陣取って,講義を聞 きながら首を横をこ振ったり,講義の途中で も平気で眉間を浴びせたりして,先生を悩 ます元気のいい,日立つ友達が4,5人い た。彼等は,浮いた話の方とは嫁が遠かっ たが,何かにつけて二倍発であった。彼等 は,都会育ちの浪人組であった。田舎育ち でトツ弁の私などは,何の反論もできず, 狭苦しい下宿に帰ってほ,ふがいない自分 がつくづく,いやに.なった。しかし,同時 に,彼等の議論を聞いているうちに何か学 問というもののポイントらしきものが,わ 79 かってきたような気がした。もちろん,早 熟な−というより正常な−彼等がロに する偉い思想家のことや,その時々の重大 な政治問題の断片的な知識も耳に入ってき た。こうした故式学級の下級生のような居 心地の悪さが逆匿刺激になって,一年生の 終り頃に.ほ思索的なことの楽しさがわかり 始めたし,日記にも詩のマネゴトや思索の カケラが書けるようになった。同時に,天 と地ほどかけ離れていた悪友たちとの距離 がぐんと縮まったのが手に.とるようにわか って,実に.愉快であった。 一般教育が高校までの教育の歪みの解消 を・一つの任務としているといわれるとき, その意味は,恐らく,私が友達の力を借り て,やっと,なんとかたどりつけた,自分 で思索し,自分で感じとる習慣を教育体系 を通して効果的に定着させようということ だと思っている。しかし,理論的にはわか っても,このことはなかなか難かしいこと のよう忙思われる。だが,少なくとも,私 に−・般教育を授けて下さった先生方と同じ 役割を,恩返しの意味でも,果さなければ ならないと考えている。

教育について

稲 富 健一郎

それがとても気に入っていた。大学の学生 にきくと,王ねby HaTneSS というのだそ うだ。HarJneSSとほ普通「馬具」と訳され ている。これは実に.合理的にできている。 お母さんほうしろで子供がころびそうにな ったり,危険なところに近づいたらひもを ひいて子供を守る。子供に自由を与えなが ロンドンで,おもしろいものをみかけ た。小さな子供にひもをつけて犬のように 歩かせているのである。時には2頭立の馬 のように,子供を二人同時に連れているの をみたこともある。われわれの感覚からす ると,、人間を動物のようにあつかっている からちょっと変な気持がするけれど,私は

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稲 富 健一郎 もくれない。日本に.おいて,今−・番大切な のは,知識をこれでもかこれでもかとつめ こむことをやめて,精神的に一人立らでき る人を育てることでほなかろうか。このま まこの状態がつづいてゆ桝ま,日本人の 生活ほ∴精神的にますます活力を欠いてゆ き,死に直面するだろう。それもよいかも 知れぬ。行きつくところまでゆくのも,良 いかげんな対応策を講ずるよりは良いだろ う。しかし教育というのは,何と大切なも のだろう。日本は建物も精神もすべて安物 のように思われてくる。 私に部屋をかしてくれていたへ・ツプヮス 氏ほ,次のように.いって−いた。イギリス政 府ほ実際馬鹿だ,外国人を教育す孝ために 巨鶴の金を使っているのだから。それほど 英語数育にしても,設備・方法共しっかり している。プリティッ・=ンユ・カウンシルの ラング・エヂ・インステイチエ・−トもその−・ つ。そこで感じたことは次のとおり。まず 訳読というのは,英語のテキストを使った 日本語の勉強ではなか争うか。日本語に英 語をひき込んで理解しようとする。漢文で も返り点をうったりして,日本語になおし てから理解するようで,伝統的なやり方だ と思うけれど,どうもそれでは外国語を理. 解できないのではなかろうかと思う。日本 語をはなれて英語の中に、入って理解しよう としなければ。それは発音のことについて も言える。日本語のアイウエオ・の音と英語 の音がどう対応するかで日本語の発音で英 語を読む。実は発音も日本語の発音と全く

違う。全然ちがう有機体として認識しなけ

ヽ人 ればならない。スタ・−・トがまちがっている。 私のそこの先生も,日本人の英語ほど開き とれないものはないといっていた。私は以 前聞き話す能力を軽視していた。それを必 要と考えるようになったのは二つの理由に 80 ら,しかもらやんと守りみちびいてゆくこ とができる。私はこれが教育の原型であろ うと思う。子供をべたべた甘やかさずかと いって放任せず,一人立ちできるようにさ せる。 歴史的にみてもそうだが,イギリスは教 育に熱心で実際に・お金をかけているよう である。学生ほ両親の収入に・反比例して grantと呼ばれる奨学金をもらっている ので,■アルバイナをする学生ほいない。† ク・−・トリアルがあるから学生はあそんでは かりほおれない。日本のようにア′レバイト で得た金を遊びにつかう,そして勉強をし ないというのは,もってのほかだ。学生ほ 勉強せねばならない。イギリスでほ,成人 の教育もすすんでいる。学枚を卒業して も,教育をうけらわる。年間の学費は,3 千円位だ。ヒ1−・ス首相だったか,私がロン ドンを去る頃,学位をとったということが 話題になっていた。日本のように,大学を 出たら勉強をしないという事情とほ大ちが い。おじいさんも,おばあさんも,勉強す るのを楽しんでいる。もちろん国民全部が そうだといっているのではないが。 日本とのこの違いはどこから生れてくる のだろう。大きな原因の一・つは,教育がな っていないことがあげられるだろう。大学 生になっても成人になっても,一人立ちで きていない。めだかのように国民が,右 往左往する。一方に走り出したら,一人の こらずそっちへ走り出す。就職に有利だと いうことだけで大学に.来る。だからいやで も,目をつぶってがんばり通す,学問を楽 しむということがない。何か利益をもたら すもの,自分の得になるもののための手段 にしてしまって,そのものを楽しまない。 報酬を求める。報酬のないものには興味を もたず,目先きの得にならないものには日

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話 よる。読み届く能力を発展させるためと, コミュ.ニケ・−・シaソのため。英語を聞きと る場合訳読のように・ひっくりかえしたり, 逆行辱ていては,理解できない。したがっ て聞くことにより,そのまま理解できるよ うになり,読みも早くかつ完全に.できるよ うに.なるであろうし,書く場合も同様のこ とがいえるだろう。後者に関しては,英語 は世界語になってきている。日本は今まで 81 受身一・方だったが,これからほ,日本の考 えることを世界に.表現して世界の人々の考 えていることを知る必要がある。世界はま すますぜまくなり,日本が生きてゆくため にはどうしても世界の人々との対話が必要 となるだろう。そのた捌こほ,実際に.授業 をどのようにやれば良いかが問題だ。暗中 模索。頭が痛いことである。

「真っ赤なうそ」小考

小 林 賢 次

ものにあたるようである他)。詩などに.お

ける文芸上の技巧的な手法は別として,日

常語の中で,このようなシネステジアの用 法が,どの程度用いられてきたか,また, 現に用いられているか,興味を引かれると こ.ろである。 ところで,ここで問題とする「真っ赤な うそ.」の類であるが,これほ,本来は色彩 の赤とは無関係であったのでほないかと思 われるのである。この点について,いささ かの考察を試みることとしたい。 「量っ赤なうそ」の煩の初出は,近世中 期頃のようである。『日本国語大辞典』 (小学館)では, ③に.「まじりけなく,全くそのものである さま。まっかい。」のブランチを立て, ○地女は其実も真実,其赤な真実なるべ き(随筆・独寝・下82)く1724年> ○まっかなうそをつひてたきつける(黄 「貰っ赤なうそ」「真っ赤な偽り」など にせもの という表現がある。「其っ赤な贋物」をも 含めて,被修飾語はきわめて限定されてお り,・一・種の慣用句となっていると言え.よ う。 では,赤いうそとは,一体どのようなう そなのか。うそがなぜ赤いのか。−この ように.問いを発するならば,だれしも説明 に苦しむのでほなかろうか。同種の表現と しては,「赤の他人」があり,あるいは 「貰色い芦」のような場合かある(「青二 才」などはやや性格が異なるか)。中世か ら近世乾かけてこのものでは,「真っ黒に」 の形で,<夢中になって。−・途に。>の意 に用いた次のような例が加え.られる。 ○官位ヲモハガセラレイデワカナワヌ ト,マックPニ(maeeuroni)ウッ タエラレク(天草本平家物語・−・) このような色彩語以外にも,「寒い芦」 のように,本来の感覚と異なる結びつけの 用法があり,これらは,文芸批評用語でシ ネステジ17(synaesthesia)とよはれる 表紙・御存商売物・下)<1782年> ○似ても似つかぬ其赤(マッカ)な贋物 (歌舞伎・彩入御伽草・序幕)

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小 林 賢 次 さて,このような例に対して, ○箱の内なほ,こりゃまっかいな贋物 82 の例をあげている。第2・第3例は,現行 の用法と同・一−一八であるが,第1例ほやや異な る用法となって−いる。第1例に関しては, 日本古典文学大系本の頭注(中村幸彦氏) に「赤心をこめての其実」とあるように, 漢語「赤心」(=まごころ,誠意)を念頭に おいて,これを和語化したものであろう。 「真っ赤なうそ」の輝とほ正反対の概念と 結びつくものであり,別に扱うべきものと 思われる。 ここで問題となるのほ,マッカナと並ん で‥マッカイナという語形がしばしば見られ るととである。意味的にほ,マッカイナは マッカナとほぼ重なるようであり, ○こちらのすみに其かいな物が見ゆるが あれほ何じゃ(虎発本狂言・萩大名) <大日本国語辞典所引> ○ハテ,さるの尻ほ,まっかいな(軽口 (韓人漢文手管姶・一っ<1789年> のような場合,はたして「真っ赤」の意か どうか疑問が持たれ,むしろ,中世以来の マッカイサマとの関連を蚤祝すべきだと思 われる。上記の例についてほ,日本古典文 学大系本の頭注(浦山政雄・於崎仁氏)に もく「まっかいさまな」の略。全く違っ た。>という見解が示されている。 マッカイサマは,中世の抄物等に.ほしば しば見られるものであり, ○顛トハマノカイサマニウチカヘスヤク ナルコヤヲ云。(略)ヱど_聖二毀ご竺ヱニ 顕サウナレトモ(東山御文庫本論語抄 ・四) ○間色ヲハ上衣ニモ(シ),五色ヲ′、裳ニ シテハ,マッカイサマナソ(古活字版 毛詩抄・ニ) のようにり <正反対,辿,さかさま>の急 に用いられている。さらにさかのばるなら ば,マッカイサマはマツカへサマ(其返様) の転じたものであり,この点に関してほ語 群典等でも輿論はないようである。接頭語 のマッ(其)を取ったカへサマ・カイサマ の例も,中世・近世せ通じて用いられてい る。カへサマ(返様)の例は中古以来のも のであり(宇津保物語・枕草子に例がある。 『岩波古語辞典』に説くごとく,カへサマ はカへシサマの音変化としてとらえられ る。),むしろ,カへサ・マに腰頭語としての マッ(其)を添えて.マッカへサマ・・マッ カイサマという語形を成立させたものと言 えよう。中世書こおけるカへサマ・カイサマ の例としては,管見では次のようなものが ある。 ○適格をたてうとも,嘩をたて うとも,殿原の舶に.は首ぢゃう千ぢゃ 独狂言)く1765年> ○まっかいに夕日ほ西に申の尻酉のかし らの夏のすゝ風(万代狂歌集・上) <1812年> のような「真っ赤」の意の例が見られる。 マッカイナは形容動詞マγカナと形容詞マ ッカイ(あるいはアカイ)との混清(con− tamination)によって生じたものと一応 解釈できよう。マッカイの語形ほ,接頭語 マッ(其)とアカイとが融合してしま、つて いるため,マックロイやマッシロイなどと 遮って,形容詞としてほ安定しにくく,そ のため,形容詞を含んだ形のマッカイナ が,一・時的にせよ,マッカナと肩を並べて 用いられたのではなかろうか。ただし,形 容詞マッカイも存在しており,次の例など は「其っ赤いうそ」の例として注意され る。 さいし ○墨に・彩色く緑青や丹の塾弘二塵でござ る(今源氏六十帖・上)<1688年>

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うもたて給へ。義経はもとの格で候は ん(平家物語・十−‥逆櫓) ○若イ老モ高官ニアルホドニ是こ依テ叔 話 83 ○兵庫の頭,坂田の公平には顔まっかい 生迫△にて」(雪女五叔羽子板・もん さく系図<1705年>(日本国語大辞典 所引) のような例の存在は,この場合もやはり, 本来赤色とは無関係であったのではないか という推測を可能にするものであろう。 以上,語史考証としてはまったく不十分 なものであり,確定的なことを言うために は,さらに資料の収集を続けなければなら ないが,一つの仮説として提示してみた。 言語の変化には,さまざまな要因がからみ あってはたらいており,一山つの語を取り上 げても,限りなく問題が広がっていくこと を痛感するのである。個々の現象の追求・ 解明を,国語史の大きな流れの中にいかに. 位暦づけていくか,遺は遠い。 (往)小西甚−イ鴨の声ほのかに白し−芭蕉句 分析批評の試み−」(文学31巻8号,昭 和38)による。 (1975,12,25) (古活字版毛詩 伯ヰ・カイサマニシタゾ 抄・四) 以上考察してきたように,マγカイサマ ナの形が定着し,多用されるに至った結 果,「マッ+カイサマ」という語構成の怠 識が弱まって,「マタカイ+サマ.」という 意識で受け取られるようになり,そのた め,接尾語的なサマを脱落させる場合が生 じたものと思われる。 このようにして生じたマッカイナく=正 反対な,連な,まったく異なる>は,語形 の類似から「真っ赤いな」として受け取ら れるようになり,「マγカイナ贋物」ほ, やがて「其っ赤な贋物」の形で定着するに 至ったものであろう。 ちなみに,このように見てくると,「赤 の他人」の場合も,その成立については, やはり同様の観点から考察する必要があり そうである。すなわち,

ある日の対談

森 本 国 臣

小先生「先生は結局六カ月御入院だった わけですね,その間にザいぶん読書なさっ たと聞いておりますが。」 大先生「いや,たいして読まなかった よ。読書家の君とは違うよ。大体ね,本と いうものは信じ過ぎると大変なこ.とにな る。本に書いてあるから,これほこうだと 主張するのが君のいつもの論法だが。.」 小先生「それについてほ自戒していま 小党生l先生,今年ほ各地で大雪のよう ですが,スキーは如何ですか。」 大先生「今年はダメじゃ。骨新した足が まだよく直っておらん。足の中にまだ金属 の棒が埋め込んである。」 小先生「それほどうもお気の毒なことで す。先生のようなベテランが骨折とは信じ られませんでしたよ。」 大先生「油断大敵じ・や.」

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森 本 国 臣 大先生「学校教育に.よって∴圧しつぶされ た人々は無数と言ってよい。成繚が悪いた めに辛い思いをした人々は数知れない。学 校のおかげで無意味な涙が流れたのだ。」 小先生「相当センチメソタルですね。.」 大先生「そうさ,ワシもいろいろな意味 で被害者の一人だからな。」 小先生「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い。」 大先生「君,何か学校教育に替わる妙集 ほないものかね。」 小先生「七しかハ1−ソく−・ト・リ−・ドが芸 術に.よる教育ということを唱えておりま す。彼以外にも先人がいます。もちろん知 育教育偏重せ批判し情操教育を重視してい るわけで,学校そのものを否定しているの でほなかったと思います。」 大先生「それではコペルニクス的転回に はならないな。ワンは学校という温室栽培 がいかんと冨1ておるのだ。学校では生き る喜びを教えるというよりも,ただ苦しみ を味わわせていると言っても過言ではな い。学校を中心に生活していると,人間は 学校人間となってくる。」 小先生「先生御得意の造語ですね。学校 人間が学校人間を造り出すという悪循環で すか。」 大先生「隣りの国では学校人間という奇 形を造らないための試みが行われている。 生きた社会に触れることによって生きるこ とを学ぶことなのだ。」 小先生「そうは言っても学校を廃止する わけにもいかず,困汲ましたね。」 大先生「ところで君ほ学校の中の定気が 外部の生きた社会の空気とかなり違うこと に気がつかないかね。.」 小先生「ずいぶん暖かいような気がしま す。たぶん暖房のせいでしょう。」 大先生「どうもワシは酸素が少ないので 84 す。ショーペソハウアーも警告しています よ。」 大先生「ほう,また始まった。」 小先生「■まあ,そういじめないで下さ い。」 大先生「これほ真面目な話だ。文字の使 用,さらに後のグ−‥チッベルクの活版印刷 術が文化を発展させてきたのは事実だ。世 界中の本を集めれば巨大な知識の山ができ あがる。しかし,こんなものはバベルの塔 だよ。」 小先生「めちゃくちゃを仰っでは困りま す。図書館の数と蔵書数ほその国の文化の バロメ、−・タ・−ですから。」 大先生「君,そんなつまらぬ常識にとら われてはいかん。ワシがここで考察せんと するのは容物の根本問題だ。書物のおかげ で人間は多少利口になったかもしれぬが, そ・の反面,書物のおかげで戦争を始めたと 言え.なくもない。ヨ・一口ッパでは聖書のお かげで宗教戦争が起ったのだ。」 小先生「■暴論ですね。」 大先生「凝論なものか。話を一歩進める が驚いてはいけない。教育というものも人 間を利口にしたが,反面どれだけ人間を堕 落させてきたか知れない。ここで言う教育 とは学校教育のことだ。学校教育に・は良い のと悪いのとあると言う奴がいるかもしれ ぬが,ワシに.言わせれば,良い学校教育と いうものは存在しない。」 小先生J■大胆な説ですね。」 大先生「人間が人間を導く。これほでき ないことだ。学校という狭い温室の中でモ ヤシが沢山のモヤシをこしらえ上げる。盲 人が盲人を導くことはできぬ,と聖書にも ある。」 小先生「先生も聖習を典拠に・されるので すね。聖召の権威は偉大なものですね。」

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談 はないかと思う。何となく息苦しい。」 小先生「病院の室気は如何でしたか。」 大先生「それは君,実に厳しいものだ よ。砕ナシの入院している問にも五,六人死 んだよ。内科の患者だったが。」 小先生「病院には『生き死に』がある が,学校にはない。」 大先生「君も時にほ気のきいたことを言 うね。入院するといろいろなことを学ぶ よ。病院は一種の教育機関と言ってもよい だろう。医者と看護婦は別格だが,患者た ちほ誰が先生で誰が生徒というわけではな 85 く,お互いが教え合い励まし合う。」 小先生「目的が実にはっきりしています ね。お互いの肉体と精神の健康を回復する こと。」 大先生「そう,そうだよ,書物からは決 して得られないことを学ぶのだ。生きた社 会に接す−ることは其の学問の始まりと言え る。」 小先生「’それじゃあ,さっそく私もスキ 一へ出かけ,骨折して入院することに・しま す。」 (1976.2り1)

トロイアの女

高 橋 正 俊 た事件である。それは,アテネが中立の立 場をとっていた小国メ−・ロスに対し,自ら の支配下に入る事を強要し,拒絶されるや 攻撃をかけ城をおとし「逮捕されたメ・−ロ ス人成年男子全員を死刑に.処し,婦女子供 らを奴隷にした」というのである2)。これ を記した史家ツキディデスは,このような アテネの行動の動機・根拠を空自のままに・ 残している。先のミ。Lティレネの場合は, 従来の同盟者が謀叛を起こしたわけである から,その処罰の当・不当ほ別として,根 拠ほ明白である。しかるにメ−ロスの場合 は,話ほ全く別である。アテネの言いぶん は,史家の述べる所によれば,強者の論理 にかかっている。日く,「上の世で通ずる 理屈によれは正義か否かは彼我の勢力伯仲 のとき定めがつくもの。強者と弱者の間で は,強きがいかに大をなし得,弱きがいか に」、なる譲歩をもって脱し得るか,その可 1アテネ民主政の衆愚化現象を示すものと して,様々な事件が挙げられる。政治的に 重要な事例は,ペロポネソス戦争に.おいて アテネ側がやや不利になりかけ,頭に血が 昇った時期に.多発した。例えば,RC..428 に起った.ミュティレネの離反鎮圧の処理に おいて典型朗である。アテネ民会は,クレ オソの煽動に.のせられ,ミュティレネ市民 は全員死刑・婦女子ほ奴隷とするとの決議 をなしておきながら,一・晩頭を冷やして考 えてみて後悔し,翌日民会を閃きなおした のである。こんどほ穏健派が勝ちを制し, 危い所で市民全員処刑という最悪の事態を 回避できたのであった。1)これは,民主故 に.も抑制装置(権力分・立・ニ院制等)がや はり必要であることを説明する時のマクラ に使う話であるが,政治的に重要事件とは 言えぬけれども,もっと酷い例がある。 すなわち,B..Cい416年メ・−ロス島に起っ

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高 橋 正 俊 の全希望ほ去り,娩の炎上を背に女達ほギ リシャ人の舟に.引きたてられる。「ふるえ る足をふみしめて/進むわれらの行事は, /あわれ,悲しい隷属の日々。」ヰ) この劇が「単なる芸術作品というより も,予言の書」5)と言われたのほ,■アテネ のンケリ7■大遠征とその大敗北,そしてス パルタへの全面降服が遠からずやって釆た 為であった。この作品に.アテネ人は二等賞 を与えたが,その心はどうであったのであ ろうか。 1)ツキディデス,「戦史」nll∼49 2) 同 V84∼116 3) 同 V89 4)ェウリビデス,「トロイアの女」1328∼30 5)Gmurray,Euripides andhisage (0Ⅹford UniversityPress,1946)p83 86 能性しか問題となり得ないのだ」8)。 国際関係の緊張時においてほ,味方に非 ざる者は敵とする考えが強くあらわれる事 があり,特にそれが小・中国に対する強国 の態度である事,古今を問わぬのであろう か。実賀的根拠を探るのはもちろん歴史家 の任務に属しよう。ここで私の興味を引く のは,この事件に触発されてエウリビデス が書いた「†ロイアの女」である。劇作家 のこの事件に対する,更笹ほ戦いの悲惨に 対する弾劾が,優れた角度から浮彫に.され ているからである。†ロイアほ落城し,男 子はことごとく殺され,婦女子はへカベ ・−,カサソドラをふくめてみな奴隷とされ る。カサソドラは狂って,自らとアガメム ノンをはじめとする全ギリ・シア軍の運命の 暗澹を予言する。へ・クトー・ルの忘れがたみ たる幼児が城壁より投げ殺され,トロイア

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