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香川県高松市地表下から産出した繩文前期~中期の大型植物遺体-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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(1)

香川県高松市地表下から産出した縄文前期

∼中期の大型植物遺体

古 市 光 信

〒762 坂出市王越町 香川県自然科学館1)

Mega−Plant Fossils of the Ear・1y1−MiddleJomonzian Age

from the Sub−・Sur・face of Takamatsu Cityin Kagawa

Pr・efecture,Nor・theaster・n Shikoku

Mitsunobu FuRUICHI,Bbgawa乃・qfbcturalScience励sem,

Ogoβん省一¢加,ぶ成α五dβ762,J叩仇1)

Abstract:Mega−Plant remains were obtained fr・om the subsurface deposits of Ta−・ kamatsu City,Kagawa PrIefecturIe,nOr・theastern Shikoku。They are der・ived from a band of car’bonaceous silty fine grained sand having radiocarbon age of 5,930 ± 170y・B・Pl・at a depth of five meter・s and of carbonaceous clayey silt having rad−

iocarbon age of 4,910±140y・B”P。at a depth of six meters。The for・mer Plant

assemblageis composed of Abies sp・,Tsuga sp。,Quercus aliena Blume,Q”(Cycq・

lobalα托OPSis)sp・,Sapindus mukunssiGaerten。,Ca刑ellia j’aponica sieb。,Ae−

Seulus turbinata Blume and Styrax obassia sieb.et Zucc.Thelatter・is composed

of Chα刑αeCyParis obtusaEndl.,Pinus thu7tbergiiparl.,Quercus glαWaThunb.,

Q.cf.gilva Blume,Q.(Lenidobalanus)sp”,Zelkova serrata Makino,Cih耽α批OmWn

CamPhora sieb..,Mallotus j’aponicus(Thunb.)Muell.Arg.,Melia azedarach L.var

japonicaMakino,Sapimdus mukurossiGaer・tn,Styrax japonica sieb.etZuccり,Comus

cf.conlroversa Hemsland Leguminosae gen..et sp.indet.etc.Judging fr・om these

assemblagesit can beinfer’r’ed the area was a warm temperate forest zone at

that time,i。e。5,930±170 y・B。P。and4,910±140y。B。P。,in the early−

middleJomon period。AIso,if ther’e are no remair)S fromJomonzian peopleinthese

plant assemblages,One Car)infer’that the climate of 5,930士170y。B。P。 WaS more orless coolin corrparison to the climate of 4,910±140y。B。P。

は じ め に これまで香川県から知られている縄文時代の 大型植物遺体は,坂出市与島のもの(古市,19 83)だけであった。今回の高松市中央球場跡地 々表下(園1)からの大型植物避体は,それに 次ぐもので,種煩数が多い点で注目される。 地質の概要と産出層準 多数の大型植物退体を産出した高松市中央球 図1高松市中央球場跡地植物迫体産出地点(×印1

(2)

iX MAP 5 1ND ; ● ● ▼ ; ● ● †

千国− ∈≡∃3[≡∃5 瓦]7 区司

一巨≡≡∃2匡≡い 囲6 ⊂とコ8

図2 高松市中央球場跡地の地表下堆積物の地質柱状図. 1:表土,2:粘土,3:粘土質シルト,4:シルト,5‥細粒砂/中粒砂,6:粗粒砂/礫,

7‥塊状粘土質シルナ,8=土器片,9:動植物退体産出闇準,地図中の×−1∼5は地質柱状

図番号に同じ. す層:層厚02m∼04mの砂礫からなる。 礫種は和泉砂岩の小礫・中礫(小径)が大部分 で花崗岩,流紋岩,粉岩などの礫が混じる。充 塀物はアルコ・−ル砂である。上位のB層と区別 することは困難であるが,B層に対して土器片 を含まず,多分に砂がちである。 B層:層厚3.8m∼48m。淡黄土色の礫層 で弥生後期∼古墳時代の土器片と長径02m∼ 05mの炭質な粘土質シルトの団塊を含む。礫 種は,小礫・中礫(小径)の和泉砂岩礫が大部 分で他に花崗岩,粉岩,流紋岩,安山岩,まれ に三波川結晶片岩礫を認める。充塀物はアルコ −ス砂である。 木屑は層位的に〟層とB′層より上位である。 露頭追跡では,A層までの削り込みが観察でき る。 表土層:層厚09m∼19m。瓦やコンクリ ート片の多い黒色の盛土。 ここに報告する植物遺体の産出は,A層上部 場跡地の地表下堆積物は,園2に示すように下 位より,A層,A層,打層,B層,表土層に区 分できる。 A層:層厚約1mの暗灰青色の炭質なシルト 質細砂層とその下位の層厚約03m(下限不明) の礫層からなる。礫は小礫サイズで白亜紀後期 の和泉砂岩礫が大部分を占め,花崗岩や流紋岩 などの礫は多くない。充現物はアルコース砂で ある。 本層は〟層の下位にある。 〟層:層厚約1mの炭質な粘土質シルト層で 中に層厚006m∼014mのアルコ・エス砂の蒋層 を数枚挟む。 本層はg層と同じレベルにある(図2)が, B′層により削られていることから層位的にg層 の下位に置かれる。なお,図2の地質柱状図番 号4のA′層下部の礫層は〟層に削り込んだg層 の礫の可能性もある。しかし,土木工事の進行 上確認できていない。

(3)

の暗灰青色の炭質なシルト質細砂層中の層厚約 005mの著しく炭質な部分(図2,地質柱状図 番号4のb)からと,同じく〟層上部で,層厚 約0,05mの著しく炭質な部分(図2,地質柱状 図番号5のC)からである。 これら産出層準の地質時代については,それ を証明する古生物学的資料や文化的遣物は何も ない。遺体産出層準の炭質物からそれぞれ5,93

0±170y。B。P。(A層:図2,地質柱状図

番号4のb)と4,910±140y・B。P”(A(層:

図2,地質柱状図番号5のC)の14C絶対年代

を知るのみである。年代測定値に新旧の逆転が

ないこと。年代測定試料採取層準の上下間隔と, 絶対年代値の差の関係を,Maeda(1976),前 田(1980)の大阪湾岸における類似堆積物中(砂, シルト,粘土)に求めても,大きく逸脱しない こと。5,930±170y・B・P。の暗灰色の炭質な シルト質細砂層が,中央球場跡地々衰下で礫層 に挟まれて広く分布しており(松本,1981), その周辺にも連続する可能性がある。年代的に, それが縄文海進の影響下にあったとも考えられ ること。また,A′層の絶対年代値が,香川県与 島のC五w托0棚〝乃sp・(古市,1983)の材そ のものの絶対年代備に極めて近く,与島の産出 退体と同様C宜朋α〝∽ケ乃仰の遺体を産出するこ と。これらは,いずれも年代測定値を肯定する ものである。しかし,必ずしも十分な証拠でな いことも事実である。 ここでは,絶対年代億を信頼し,そのまま地 質時代の古さを示しているものと考える。 産出した大型植物遺体 地表下から産出した大型植物遺体は次の通り である。

A層(5,930±170y。BりPl:図2,地質柱

状図番号4のb): Aろ五β8sp。 種鱗,材片 rβ髄gαsp 材片

伽γC%8 d五β朋Blume

堅果,殻斗 Q.(Cycgoあαね耽0卵五β)sp・1‥‥堅果,殻斗

伽βsp

種子

Sapindus mukunssiGaeltn・・種子,真皮

AββC祝g耽β と≠γゐ宜耽α£αBlume…・種子,果皮 Cα仇elliaカponica sleb。…”…種子 Styrax obassia sieb.et Zucc。

〟層(4,910±140y)B。P・:図2,地質柱

状図番号5のC): C板mc財pαγ宜β0如祝βαEndl・…球果 C・Sp・・(?) ‥‥‥川材 /′′り′バ//′〃〃/一ぐJ・!い1、..:− ・1− QwγC≠βg′α%Cαmunb. 菓 Q・((加go占α耽0卵ゐ)sp。……」菓

Q・Cf・gilvaBlume

堅果,殻斗 Qり(ムβp五加ゐαねれ祝8)sp.・・……菓

Zelkova serrata Makinor・・l葉

Cわ∽α仇0仰↓刑C画0γαSieb。 肋ggo≠≠βj■αpO7も宜c%β(munb.) Muell・Ar’g・・ 種子 Sapindus仇ukurossiGaer・tn種子,真皮

Styrax2aPOnica sieb.et

Comus cf。COntrOrerSaHemsl

Leguminosae gen。et Sp・indet・

これら植物退体は,色調が残るほどに保存が 良く,現生種の標本と十分に比較することがで きる。A′層からは木炭片も若干産出する。 植物遺体のうち球果や種子腰層大阪市立大学 粉川昭平教授,葉は国立科学博物館植村和彦研 究員の鑑定,材は元奈良教育大学嶋倉巳三郎教 授の鑑定による。これら植物遺体の−い部を図4, 5に示す。 なお,植物追体の他に動物遺体も若干産出す る。A層下部の礫層から礫の表面に何者したこ け虫類(Br・yozoa),甲殻類(αgg宜αれ0ββα cf・Petatura Srimpson)の不動肢の先端部 (国立科学博物館武田正倫博士鑑定),A層上 部の植物造体産出層準からAnatidae gen.et

(4)

0 7

図3 高松市中央球場跡地地表下産出の大型植物迫体・

1&4:Q比汀C比ぶ α〃e几αBlume,2&3:AeぶC′↓J〟∫拍r占よ几α£αBlume,5:CαmeJ㍍α

jqpon{Lca Sieb・,6‥SqpiTuitLS TnukurossiGaertn,7:Q・9lauca Thunb・, 8&9‥StγraX Obassia Sieb・et Zucc。,10:Leguminosae gen・et SP・indet・

1∼6&8∼ユ0はA闇産出(5,930士170y.B.P.)の植物週休.7はA′同産出(4・910±

(5)

図4 高松市中央球場跡地地表下産出の大型植物遺体

1:Q比erC〟ぶ Cf..ダよ∠即α Blume,2:C∠花几αmO〝∽m Cαmβんorα Sieb・,3:肋Jよα αZe(ゴαrαCんL。Var・ノ叩0几∠ぐα Malくjno,4&5:肋JJo£αぶ ノ叩0托血ぶ(Thunb)・

Muell.Arg.,6‥ChamaecγParis obtusa Endl・,7:Q・(CγClobalanopsis)sl〕・,

8‥Q∫↓erCαぶ(ム叩よd叩αrα托αぶ)sp・9‥戸上花〟∫ とん肌ムer、グよよ Parl・,10:Ze挽0むα

serrata MakirlCL,11‥Styrax japoTILca Sjeb・et Zucc・1∼11は全てA′同産出

(6)

図5 高松市中央球異跡地地表下産出の動物週体・

1:Bryozoa?2∼5‥Callianossa cf・POtaluTa StimpsonI6:Anatidae gen・

et sp・indet・,7:Porifera・1∼5はA閣下部礫闇産,6はA同上部シルト質紳

砂同産(植物遺体と同闇準5,930士170y・B・P・)7はA′同産(植物遺体と同層準4,910± )

(7)

いし,晩氷期から現在の植生に至る変遷の−・過 程の投影にすぎないのかも知れない。 人為的影響については,香川県西部や備讃瀬 戸海域の島し上部(鹿瀬,1983;高橋ほか,19 72),岡山県南部(池菓須,1971)に縄文早期 ∼晩期の追跡があることにかかる。し′かし,植 物遺体を産出するA層もB層も木器や土器片1 つ産出せず,また植物追体の産状や地層の堆積 に不自然さも感じられない。ただ〟層の植物遺 体中に木炭片が産出するが,これとて積極的な 人為性の証拠にはならないであろう。少なくと もA層,〟層の両植物遺体群は粉川(1979)の 「ごみすて場的造物」中の週休群でないことだ けは確かである。 人類の活動の時代に入り,人為的影響を・ぬぐ い切れない時代の古生物学的資料1つでは,ヒ プシサ・−マル期の一・時的気温低下について主張 もできまい。今後のヒプシサ− マル期間中の古 生物学的資料の蓄積に期待したい。 お わ り に 1)高松市中央球場跡地地表下約5m∼6m から,縄文時代前期∼中期頃の大型植物週休が 産出したことを述べた。 2)それらは,14C年代値で5,930±170y,B。 P。頃と4,910±140y B.P。頃の2つの植物週休 群で,いずれも本地域が当時暖温帯域の植生気 候下にあったことを褒づけるものである。 3)また,5,930±170y。B.P.の植物退体群 が,ヒプシサ・−マル期に−・時的気温低下のあっ たことを暗示しているかも知れないということ について述べた。 謝 本稿を草するにあたり,常に心良く指導・助 言をしてくださった故香川大学坂東祐司教授に 深く謝意を表する。また,放射性炭素14C年代 測定をしてくださった学習院大学木越邦彦教授, 植物遺体の鑑定をしてくださった大阪市立大学 粉川昭平教授,国立科学博物館植村和彦研究員, 元奈良教育大学嶋倉巳三郎教授,動物遺体の鑑 定をしてくださった国立科学博物館の武田正倫 sp。indet。の左足とう骨(国立科学博物館小 野慶一研究員鑑定),〟層全体から海綿の骨針 を多産する(図5)。 大型植物遺体産出の意義 A層とA′層いずれの植物遺体群も常緑Que−・

rcus を含み,5,930±170y。B・Po及び4,910

士140y・B・・P。頃,本地域が暖温帯域にあった ことを示唆する。 この当時頃,Aと〟層の両植物遺体群にみら れるような大型植物退体の産出は,大阪湾岸に おける晩氷期以降の花粉分析結果(Maeda,

1976),香川県与島の4,950±160y。臥P。の

大型植物遺体(古市,1983),千葉県富津市大 坪の縄文前期貝塚,千葉県安房郡丸野町の縄文 前期後半の加茂追跡,福井県三方町の縄文前期 鳥浜貝塚などの大型植物遺体(粉川,1979;嶋 倉,1979)から十分予想できるものであった。 今回のものはそれを明確に実証するものである。 しかしながら〟層の5,900y・B・P。頃の大型植物 退体は,香川県から初めてのものである。 さらに,もしAと〟層の両植物退体群に人為 的影響がなく,周辺の植生をよりよく反映して いるとするならば,A層のものは,〟層のもの より,幾分冷涼で,暖帯上部に近い植生・気候を示 唆しているように思える。すなわちA層のものに

Abies sp・,Tsugasp・,Aesculuslurbinata

BlumeやStyrax obassid sieb。et Zucc。

など温帯系の樹種が多いことによる。 また,このA層の植物退体群の示す植生と年 代値は大阪湾岸におけるMaeda(1976)の花粉 分析結果の中にその対応を見い出すことができ

る。すなわち彼の分析結果で,5,900y。B。R頃

の(迦cgoあαgα仰卵宜8の−・時的減少期に良く−L致 する。さらに,小池(1982)の日本海における チョウセソハマグリの6,500y。B.P一一縄文中期 初頭の殻成長の低下の報告に視点を向けるなら ば,ヒプシサ・−マル期間中に一・時的気温低下期 があったことを示唆しているようでもある0し かし,筆者は,まだこのような気温低下を示唆 する報告に接したことがない。あるいはこの植 物退体群の構成が,全く偶然の構成かも知れな

(8)

学 aう:110−114

松本 勇。1981ノ中央駐車場ポー・リング調査委

託業務工事報告書 (関西地下水源開発株式 会社):1−31。 香川.

MaedalY・1976PalynologlCalStudy of

the Forest histor・yin the coastal area of Osaka bay sincel,4000B。 P。Jo≠γ..G¢08.,0∂αゐα C扉財 L履抽. 20:59−92 前田保夫・1980大阪湾の生いたちをさぐる。 ∧物≠祝ク■βぷ血勿 26 ㈹:7−10 嶋倉巳三郎.1979.木製品の樹種。鳥浜貝塚(Ⅰ) (福井県教育委員会):151−157 博士,小野慶一・研究員に心からお礼申しあげる。 引 用 文 献 古市光信.1983.香川県沖積層産の埋れ木.香 川生物 錮:15−22 贋瀬常雄.1983日本の古代遺跡(8)香川. 238pp・保育社,大阪. 他案須藤樹1971.岡山県児島郡灘崎町彦崎貝 塚調査報告 (岡山市田中258):1−41 小池裕子い1982日本海北陸地域産ハマグリ類 の貝殻成長分析.第四紀研究 21:273− 282 粉川昭平.1979 生活・環境。考古学と自然科

1)現住所(Present address):(〒761・−・14)香川郡香南町横井801香南中学校(K6w

九耽宜0γん宜gんβ¢如og,肋肌−・¢如,励gα棚α一脚≠ 76卜・14,J叩肌)

参照

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