鳥取県 にお ける社会同和教育 の現状 と課題
社会教育研究室 後 `まじ
め
に 「裏側か ら見たら何が見 えて くるのか。」 未熟 な人間 として
,時
には常識 にすがって,目
に入 った ものをその まま,そ
れだけで しか受 け と めようとしない自分 に気づ く。それに気づ く時,何
かで自分の 目を洗 い直 さなければ,
と思 う。 教師 を長いことしていると,自
分 のまわ りを,教
師 とい う立場の目で しか,何
もか も見 ることが で きな くなっているのである。友谷健次郎氏が,(笑
いの とまらない人が いる一方では,涙
の とまら ない人たちが ぃる〉 とい う一文 を,沖
縄の小雑誌の中に発見 した衝撃 を述べ る①時,私
も灰谷氏の レベルには到達 しないまで も,私
な りの衝撃 を受 ける。 それが,私
自身 に裏側 に見 えるもの をとら えさせ ようとするのか もしれない。 ` 常識以外の視点で見た ら,自
分 の周囲に何が見 えるのか。″私 は自分 にこう問いかけてみる。 で もまだ,自
分 を納得 させ得 るだけの答 を出すに至 っていない。 常識 とはどんなものだろう。生育歴 と生育環境 は,生
育過程の間に,自
己 と環境 とを均衡 させて, 安定状態をつ くりだす枠組 みをつ くって くれる。 この枠組みこそ,自
己 を危機 か ら救 って くれる拠 りどころであるし,ま
たか くれ簑で もある。我々が常識 と呼ぶ ものは,こ
の枠組 みだろう。 我々の 日常生活が,別
して困難 な状況 に追 いこまれない限 り,こ
の `常識=あ
た りまえ″の枠組 みは,他
者 をよせつけない。仮 りによせつけた として も,他
者か らの影響が きび しく及んで くる範 囲の外 に自分 を位置 させて くれ る。 そ して,い
つか,常
識 に社会性 を持たせ なが ら,自
己防衛のた めの特有な もの さしの役割 を果 させようとする。従って,常
識の目で は,自
己 と異 なって見 えるも のには,概
して冷た く,低
い評価 を しようとかまえさせて しまう。 こうなった時,完
全 に我々の心 は,差
別 を もあた りまえとして受 け とめようとす る機制が,で
き あが ってい く。 常識 は,`なぜ″と問わない。 それは,目
の前 にあるもの,視
野 に入 って くるものを,事
実 として 存在 するもの と見,そ
れ を無批半Jに受 け入れて しまうか らであ り,受
け入れ られない ものは,拒
否 す る ことが,あ
た りまえときめつけて くれるか らである。考 えてみれば,世
の中には,我
々の持つ 常識 では処理で きないことが らが,処
理で きることが らに比べて,
きわだって多いはずなのだが。 ここに,我
々は発想の転換 を余儀 な くされ る。 ここで発想の転換 は見 え方の転換 とも言 えよう。 今 までの自分の持 っていた視点 とは異なった ところか ら見 ると,見
え方 は異 なって こよう。 その時 也 誠 藤後藤誠也:鳥取県における社会同和教育 の現状 と課題 は,` なぜ
,こ
の よ うに見 えるの だ ろ うか″と,自
身 で驚 ろ くにちが いな い。 今見 えて い る こ とは,そ
れな りに事 象化 する まで に経過 があ るはずで あ る。 原因 や経過 につ いて 問わ な い こ とは,自
分 の 目に見 えた こ とを,自
分 につ ご うの い い解釈 を した り,解
釈 の拠 りど ころ を,常
識 の線 で と どめて しま うこ とに もな る。 `なぜ〃 と問わ ない我々 の心 は,他
者 の痛 み を共有 で きな い。 いや,
しよ う としない思 いあが っ た地 平 に,自
分 自身 を置 い て しま う。 こん な時,我
々 は,他
者 の持 つ心 の傷 や痛 み を,表
面 か らは 見 る こ とがで きな いの を 国実 に,無
関係 の こ ととして,見
過 した り,切
り捨 てた りして しまう。 小川正 氏 は,「 自己教育 の構 築」 の中で,大
岡昇平氏 の 「 レイテ戦記」 を評 して,「 大 岡氏 の とら えた く真 相 の地平〉を,我
々 の教育 実践 は超 えてい るだ ろうか」と問 いか けてい る。「人 間 の営為 が な けれ ば,米
軍 と戦 った,物
量,装
備 と もに劣 悪 だ った 日本軍 の敗戦 は意 味 づ け られ ない。 いや よく戦おうとすればするほど
,か
えってそれら
(劣悪な
)条件た意味をもたせる
9と述べた点は
,全
く
同和問題 に もあてはめ得 る。(差別か らの解放 を,自 らの手でかち とろうと苦闘すればす るほ ど,周
囲の差別 に満ちた社会的諸条件 を,わが身に引 き受 けざるを得なか った,同和地 区の人たちが いる〉 か らである。我々の常識の 目か らは,
とうてい見えるものではない。 ここに,裏
側 か ら見た ら何が 見えるのか,を
我々自身に,個
々が問いか けねばならない契機があるのだし,社
会 同和教育 の出発 点が確定で きる拠 りどころが あると思 うのであ る。1
鳥取 県社 会 同 和 教 育 の 現 状 と課 題 鳥取県 における社会同和教育 は,学
校 における同和教育 に比べて進展が遅 い。教育機会設定 の困 難 さと,啓
発活動のあ り方が,各
市町村 ごとに,水
準か らも質的にも,差
異があることに もよるが, その他の面 について も見直すべ き課題 は多い。(1)同
和地区のかかえる諸問題 の認識 の弱 さ 同和対策事業特別措置法 (以下「同対法」 と略記)に
よる各種 の事業の表面的成果のみに目を奪 われ,事
業の進行が,同
和地 区周辺住民 を中心 に,多
くの同和地 区外住民の中に,ね
たみによる新 しい形 での差別感情 を生みだ している。 しか し,こ
れへの対応 は明確でなかった。 また,解
放運動の高 まりが,逆
に,地
区外住民の中に感情的な反感 を生みだ し,差
別落書 き等の 形で,悪
質 な攻撃がかけられている。本県 において も,1982年
秋の全同教鳥取大会最終 日に,全
同 教大会開催 ポスターに,差
別語の落書 きが発見 されている。 この ように,同
和問題 の解決 は,国
民 的課題 だ と言われなが ら,今
なお,多
くの住民 に浸透 していない。 一方では,研
修 や学習の機会が多 くなるにつれて,タ
テマエ的,知
識的に,同
和 問題 を知 ること に努 める者が増 えている。 しか し,意
識 の底では,解
放運動 その ものには直接関心 を示 さず,む
し ろ消極的ではあるが,批
半Jの目を向 けようとしている群が,ま
だまだ多いのが現実である。 ① 実態 に学 ぴ,そ
こに視座 を据 えての教育 とい うあ りようの弱 さ 過去か らの同和地 区の生活 と環境 の悲惨史 を強調 しす ぎて きた,こ
れ までの社会 同和教育 (以下 「教育,啓
発活動」あるいは「啓発活動」 とい う)の
弱 さのあ らわれ とも言えるが,〈実態 に学ぶ〉 視点が,あ
まりにもスローガン化 されて しまっていた。 そのため,皮
相的で観念的 な実態把握 に終鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 り
,生
活や意識 として表われ る諸事象,諸
事実の持つ真の意味 を捨象 して しまい,差
別実態であ る のに,安
易に見逃 した り,教
材化で きずに終 った りしていた。同時に,身
近かな ところに,差
別 の 現実があって も,遠
い ところ③の事例 を とりあげることで,自
分の問題 として受容 させ得なか った 弱 さを,我
々 は持 っていた。 ② 観念的 な働 きか けに終始 していたのでは,……… 同和地区あるいは差別の歴史 を,単
に歴史 として しか とりあげず,歴
史のための歴史学習 に終 ら せた り,差
別 は不合理 なもの,人
権侵害 なのだ,
とのみ,原
則的,教
条的な教育,啓
発 に頼 りす ぎ て きたため,歴
史 としての理解 も断片化 され,更
には,現
実 を認識 し,そ
の中に存在す る差別 を認 識する基盤 としての歴史学習の意味 も,そ
して必要性 も,抽
象化 し形骸化 させていた。 現実 を目に した時,ど
うして も必要だった `なぜ″の問いかけの不足,軽
視 と,な
ぜの答の うえ に見定 められ るべ き `どうすればよいか″の将来展望に立 った,具
体策が引 きだ されなかったのは この故である。 ③ 個 々にまで徹底 することの必要性 に気づ くのが遅かった 各市町村 を単位 とした,大
量集会的な啓発活動への依存が,形
式的な実績 として目立 ったためな のか,啓
発活動の形態が,住
民 を,割
り当て動員 して行 う集会方式 を中心 にして しか組 まれて こな かった。 この点は,反
省すべ き点であった。形式上 は,延
参加人数 の多 さで成功かに見 えたが,成
果や住民個 々への浸透力 は,思
いのほか小 さかった。研修や学習会等への参加者が,次
第に特定化 してい く傾向 も見 えた。 また,動
員割 り当て方式の結果,定
め られた時間 さえが まんすればよい, とする参加者 の発想 も強 ま り,
とて も多 くの ことは望 むべ くもなかった。 ここに,一
層徹底 した底 辺拡大方策が,考
えられね ばな らない契機があった。い くつかの町村で行われている,小
地域懇談 会や宅訪活動 は,そ
の方策の具体化であったが,こ
の有意義性 と効果 について,気
づ くのが遅 す ぎ た感が強い。(2)潜
在する差別意識 に即 しての啓発だったか 同和地 区外住民の中には,ま
だ,差
別 をあた りまえとす る意識が残 っている。 また差別 に無関心 な層 もある。 たしかにこれ まで,住
民意識 に見 られ る差別性 は,啓
発活動の基盤 に据 えられて きて いる。 しか し,事
実は,住
民が意識の底 に持 ち,時
には意識の表面 に浮かびあが らせ る差別意識 と は,切
断 された形 をとってきた。そして,差
別意識の一般型や表現 された傾 向のみを上台に,た
だ その非 を指弾するに終 っていた。 ① 意識調査の結果 を教材化 しえなかった 差別意識 は,生
活 に即 して,様
々 な形 をとって差別行為 として表現 される。それ故,個
々 に密着 して啓発 を行 うためには,個
々の生活の内部 にまで切 り込み,生
活の中にとりこまれている差別性 を,白
日の下 に引 き出す必要があった。そうでなければ,自
分の生活 とのかかわ りで,自
分の内な る差別意識 の様態 と対面 し,意
識変革 を行 うことは不可能だか らである。 この対面 に持ち こむ切 り込み日 としての住民意識 のあ りようは,
ことに大事 な ものであった。表 1に示すT町
での意識調査の結果 は,興
味ある事実 と,そ
の事実か ら解釈で きる,啓
発活動の問題 点 を如実に示 して くれ る。 この調査 は,昭
和53年 と56年の2回 , 3年
の間隔 をおいて,同
じ設間で後藤誠也:鳥取県における社会同和教育の現状 と課題 表
l T町
にお ける「同和問題 」 に関す る町民意識調査結果 (抄) 質 間 総 数 男女 才 上 5 0 以 け ∼ 財 け ∼ 財 801人 835 434人 367人 385 450 135人 296人 370人 121 309 405 ① 結婚差別や就職産別 は 自分 とかかわ りがあるこ とと思われ ますか かかわ りがある 53年 56
27%
29 32% 21% 31 2729% 32% 22%
35 28 27 かかオつりはイ賓セゝ嗅管暮
い
31 3740 50 44 45 45 35 36 33 ② 部落 を解放す るために は,ど
うすればよい と思 われ ますか 同和教育を徹底する 自然 にな くな る 部落の人が行動等を直す嗅Υ懇
い
6 20 6 閉 5 20 8 20 3 20 2 24 ③ 同和対策事業をどう思 われますか よい ことである 不公平 である嗅Υ暮
い
④ これまでの学習で,同
不日問題の ことが, わか り ましたか だいぶ わか って きた嘘毛
子
懲
ら
な
い
43 41 41 46 42 40 ⑤ 今後,同
和問題 の学習 会 に参加 したい と思われ ますか 参加 したい 参加 した くない嗅毛
子
暮
ら
な
い
13 41 16 41 11 12 15 39 38 42 ⑥ 小学校や中学校の同和 教育を,ど
う思われます か た いへん良 い こと で あ る 教 える必要 はない嘘慾暮
い
18 34鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 25巻 実施 されている。従 って
, 3年
間の啓発活動の決算値で もある。結果 の意味の良 し悪 しいずれにし ても,〈判断保留〉が増 えてい ることは瞭然である。啓発活動の進展 は,住
民意識の中に,望
ましい 方向が顕著 に示 され るはずなのに,今
後の啓発活動 に,否
定的あるいは消極的な反応が見 えている。 ここに,我
々に とって,大
きな課題 が示 されている。県内で も,啓
発活動が綿密 に計画 され,実
施 されている地域であるこの町 です ら,まだ,住
民意識のあ りように,問
題性 を残 しているのである。 あ とは推 して知 るべ しとも言 い得 る。 啓発活動のために最 も適 した教材,資
料の一つは,自
分 たち とい う身近 かな ところで浮 き彫 りに された,意
識 の実態であるはずである。意識調査で,実
態や傾向が明 らかにされて も,そ
れが教材 として,十
分活用 され てこなかった ところに,我
々 は,問
題 を感 じるのであるし,力
量の弱 さをも 感 じるのである。 同和地区の起源についての理解の弱 さ,あ
いまいさ,誤
ま り,差
別事象の現存認識 の弱 さ,同
対 審答申内容 の不理解,今
後の同和 問題へのたて まえ的な反応や意見,学
習参加への消極性等,各
市 町村で行なわれた意識調査の結果 は,啓
発活動の浸透力の弱 さを示 してい る。こうした意識の実態, そして,
とらえられた事実の一つひとつを,適
切 に教材化 (単に住民 に結果 を返 すだけでな く,教
材,資
料 として,学
習に持 ちこむ ことの広報活動 を含めて)で
きなかった ことが,啓
発活動推進の 弱 さをも示す もの ととらえねばならない。 意識調査 は啓発活動の出発点 であった。だが,調
査が調査のための もの に とどまって しまってい た。`なぜ このような結果 となったのか″の理 由を,解
明す る作業を忘れていたことによる。 そのた め,教
材化の道筋が分 らな くなっただけでな く,調
査結果 をもとに した啓発活動 を組 みたて,住
民 に討論 の輪 を広 げることもで きな くなったのである。 ② 目標の先行 と出発点設定のあい まいさ 先 を急 ぐあ まり,調
査結果等で明 らかになった,住
民の身近かでの差別意識の実態や差別事象を, 啓発活動の出発点 として位置づ けることを忘れていた。教育,啓
発活動で は,そ
の出発点が明確で あつてこそ効果 は大 となる。 そ して,現
実の姿 という出発点が確定で きれば,差
別意識克服 とい う 目標 への筋道 は,明
らかにされ るはずだか ら。先 を急いだ とは,差
別意識 の克服や人権尊重 の 日常 実践化 という,啓
発活動の 目標 ばか りを先行 させた ことであ り,現
実の,意
識改革 を迫 る対象 とし ての住民の `今の姿,状
態″を,啓
発活動の出発点 として位置づ けることを軽視 した ことを指す。 啓発活動の推進者 は,住
民 の今の姿の把握 も点検 もしない まま,日
標 だけを胸 に抱 いて活動 にと りかか り,多
くの住民 も,従
って,自
分たちの今 を十分 に把握 しないまま,ま
たで きないまま,た
だ同和問題解決 という抽象化 された 目標のみの提示 を,観
念的に受 け とめるだけになっていた。 こ の結果,抽
象化 された目標 と自分 たちの今 とがかけ離れす ぎ,住
民 の多 くは,や
むをえず知識 とし て受容することにな り,ま
た,そ
れで十分 とす る発想 を持 って しまった。 この状態 では,同
和問題 は万事他人事であ り,自
分 の生活 に直接かかわることが らとは考 えられない。更 には,か
かわ らせ る必要性 も痛感する ところまで,行
きつかなかったの も当然であった。 ③ ねたみ意識 を克服 で きなか った 啓発活動の出発点確立のあい まいさが,同
対法 による事業の進行 につれて大 きくなった,`ねたみ 差別″を生起 させる要因 となっていった。同和問題の認識 と合わせて,同
対法の意味 と必要性 をど う理解するか。それ も,同
和地 区,地
区外両者の生活 と生活環境 との現況対比 を歴史的な経緯の中386
後藤誠也:鳥取県における社会同和教育 の現状 と課題 で,ど
う受 け とめるか。 これ らは,啓
発活動の基本的課題であった。 しか し,こ
の点 を深 く認識 す ることがで きないまま,時
間だけが経過 した。事実,事
業 は事業,啓
発 は啓発 という三分割的発想 が定着 し,相
互 に関連す る ことはなかった。 もし,法
の意味や位置づ け,他
の特別措置法による事 業 とのかかわ り,事
業の成果の裏面 で新 たに同和地 区に生 じつつある問題点等が,正
しくとりあげ られていた ら,啓
発活動 には,今
と異 なった局面が見 えていただろう。 事業の進行 に合わせて生 じてきた `ねたみ差別意識″の克服 は,ま
さに啓発活動が担当する役割 であった。そ して,事
業の展開 を支 える基盤 で もあった。 しか し,こ
れ らの役割 を,市
町村 にお け る啓発活動が,十
分果 し得なか った ことは,事
実である。(3)推
進上の問題点への反省 と改善 すべての市町村 に,同
和教育推進協議会 (以下「同推協」 という)が
結成 されてい る。 しか し, 体制上 また活動上では,多
くの問題点が発見で きる。 この問題点への対応 も改善策 も講 じられ るこ とは少な く,未
解決のまま,推
進上 の阻害要因 として残 る形 となっている。 ① 体制,組
織 に点検 を加 えることもな く 一 つには,体
制づ くりが十分でない ことがあげられる。組織が組織 のための組織化であった り, 便宜的,単
純網羅的に人 を集 める ことで体制づ くりを終 った りしている現実が あった。 これには, 行政機 関だけでな く,同
推協 もその他の各種団体等に も共通なこととして言 うことがで きる。 二つには,組
織 さえつ くれば,自
然 に啓発活動 は推進 されてい くとする,安
易 な発想 によ りかか りすぎていた ことである。 た しか に,組
織や体制 は,実
際の活動の進展 を支 え,方
向づける拠 りど ころである。が,組
織が強固にで きす ぎると,組
織維持の機能が強 く働 き,活
動 その もの を,動
脈 硬化の状態 にする要因に もな り得 る。 この ことに気づかずにきたことも指摘 で きよう。 三つには,運
動体 としての組織づ くりの方向が追求 されなか った ことがあtデられ る。 ある目標 を 持 って,そ
の達成へ向けての運動 は,組
織 自体 が運動 をよ り積極的,効
果的 に行 えるようにつ くら れていな ければな らない。従 って,行
政の組織 とは異なった組織づ くりの発想が,な
けれ ばならな かった。 しか し,本
県の場合,行
政組織 に近い性格 を持 つ組織 として存在す るものが多い。 ② 啓発活動 そ して教材,資
料の見直 し 啓発活動の効果 は,よ
り身近かな ところか らの教材や資料が用意 されて,は
じめて見 えて くるも のである。 それぞれの地域の実態 に根 ざ した学習資料の拾いだ し,教
材化が行 なわれたか。 また, 推進組織の中に,こ
のような教材や資料が収集 され,住
民全体 に提供 されたか。更 には,学
習や研 修の機会 ごとにそれが提示 されたか。 これ らの点 についての見直 しがせ まられている。 田村正男氏 は,暗
[落問題 の勉強 というものは,知
識や理屈 を学ぶのではな く,人
間の生 き方 を学 ぶ ことなのです。 そのためには,ま
ず具体 的な事実 を学 び,そ
れ を理屈や知識で補強す るとい うもので・
…・
…
9と言う。まさしく
,我
々の身近かにある具体的な事実を手がかりに
,「その奥にひそむ
『真 実』を見 よ うとす るこ とな し」には,啓
発活 動 は成 り立 た ない。「 人 間が生 きる姿 を見 よ う とし な くて は,部
落 問題 も部落差別 も見 えては きませ ん。必 要 なの は,そ
こに生 きる人 た ちの生活 と心, 生 きる悩 みや怒 り,願
い,訴
え を正 し く受 け とめ る こと9なので あ る。 この ため に も,「遠 くよ り近 く」での人 間の生 きる姿の中 に根 ざ した教材や資料 の用意 が,我
々 に は,こ
とに必要 とな って くる のであ る。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 25巻 387 ③ 推進者の意識 と姿勢 教育や啓発活動推進の核 となる推進者 は
,多
くの場合,指
導者 として位置づ けられている。指導 者 とい う語感か ら,教
育・ 教導をする者 ととらえる発想が強 く,推
進者 自身 も同様 の考 えに基づい て行動 していた。我々 は,指
導者 をもちろん必要 とはす るが,そ
れ以外 に,日
常的に自身で また少 数のグループの中で,実
質的な推進者 として活動 してい く人 たちを多数欲 していた。 しか し,指
導 者の特定化 も進行 し,実
質的推進者の確保や支援 については,と もす ると忘れがちになっていった。 我々 は,こ
れ ら指導者 と推進者の同和問題への認識の深 さ,啓
発活動のあ り方な どに,ど
の程度 点検 を行 ってきただろうか。 また,研
修 のあ り方 を工夫 して きただ ろうか。 啓発活動 の リーダー として,我
々 自身,前
述 したように,原
則主義やスローガ ン主義 に落 ち入 っ てはいなかっただろうか。「原則主義やスローガン主義によっては,問
題 は解決 しませ んΩ「原則的 なことはゎかった。それなら,い
ったい,ど
うすれ ばいいんだ, というところか らはじめなけれ ば ならないのです。…∵… (資料や文献,法
令等 をあげて)○
○○にあるか らという発想 ではダメな のです召 と田村氏 は言 う。多 くの場合の研修が,田
村氏 の言 うような形であった ことは,認
めなけ ればな らないだろう。推進者 自身が,他
か らの借 り物 の知識 をただ多 くの人へ伝達す るだけでは, とうてい効 果ある啓発活動 にはならないはずである。推進者の意欲のあ りようは,同
和 問題 を自分 自身の問題 としていなけれ ばならず,そ
れ には,自
分 自身の点検 が,「なぜ,部
落問題 はあなたの課 題 になるのか,との反論 に,見 事 に答 えきれ るか?で
なされていなけれ ばならない。この問いに見事 答 えきれ ることが,〈どうすればよいか〉をつ くりだす出発点 となるのであ り,推
進者 としての真の 役割 を果 しうる基盤 となるか らである。 ④ 啓発活動の対象の把握 に問題 はなかったか ほん とうに学習 してほ しい人 たちへの働 きかけと浸透が不十分であったことが,ま
ず反省 の材料 となる。同和問題 に関する研修 の機会 は,市
町村 ごとに多様 な形で計画 され,実
施 されてい る。 し か し,こ
の場合,研
修 に参加す る者 についての考 え方に不十分 な点 はなか ったか。 前述 した ように,啓
発活動の対象者が特定化 してい く危検性 を,現
在,明
らかに見 て とることが で きる。 ひ とりで も多 くの住民 を,学
習 に参力日して もらうための対策が,新
たな視点 に立 って必要 だ ろう。幸い小地域懇談会,宅
訪活動等が広が りだ した ことによって,ほ
ん とうに学習 してほ しい 人 たちへの手当ての一方策が案出 され,実
施 されている。 しか しまだ,県
内市町村の中では,対
象 の把握や働 きかけの具体策 において,十
分でない ところがある。 まだ まだ,働
きかけ,浸
透 してい くべ き対象 は多数残 っている。一人 ひと りにきめ こまか く働 きかけてい く方策 を用意す ることが, 焦眉の急である。推進者の増,推
進活動への条件整備,日
常活動化等。2
社 会 同和 教 育 の め ざす もの 我々一人ひ とりが,自
分 の課題 として部落解放 に積極的にかかわって実践的活動 を行 いうるよう にす るためには,今
何 をもとめることが必要か。社会同和教育 が真 に求 めることは,県
民一人 ひ と りが,部
落解放 の推進者 となることである。 そのためには,同
和地 区の存在することを前提 に,ま
た,未
だに,同
和地区を差別の諸事象が とりまいていることを十分 な形 で認識 し,身
近 かな ところ か ら,差
別 を解消 してい く活動が,日
常的に可能 となる力 を育 ててい くことが必要 とな る。教育,後藤誠也 :鳥 取 県における社会同和教育の現状 と課題 啓発活動の徹底 化 を図 り
,ひ
とりの脱落 も見逃 さないような働 きかけの網の目をつ くりあげるこ と,そ
れ を根本 か ら支 える体制づ くりと,解
放 団体 との連 携 を図 るべ きであろう。(1)意
識変革 をもとめる啓発活動 にするために 県民一人 ひ とりが,部
落解放 にかかわるためには,そ
の基礎 として,そ
れぞれが,自
己の現在 を 自己点検 する必要がある。 ① 自 らの人間観の吟味 を上台 にラ差別・被差別の関係の克服 をめ ざす こと 同和地 区外の住民のほ とん どは,自
らを被差別の存在 とは意識 していない。 このことは,人
間観 の持ち方に偏 よ りが あることを示す。自分 と他者 とのかかわ り,相
対的位置 は,本
来同 じ地平 の上 にあるはずである。 この場合,差
別。被差別の関係 は成立 しない。「現実又 は架空の差異 に,一
般的 かつ決定的 な価値 をあたえ,そ
の ことによって差別者が,自
己の特権や攻撃 を正当化するために, 被差別者の犠牲 を も顧 みず,自己の利益 を守る目的Pで
行 う行為 を差別 と言 う。す ぐれて自己中心的, 自己防衛的なものである。 この発想の中には,他
者 は常 に自己 を脅かす もの ととらえられ,こ
の発 想で人間評価 を行 おうとす る心の機制がある。 ことに自己の責任 によらないで,し
か も,社
会的に 保障がえられるような理由や事象 をとりあげれ ば,こ
の差別 は自己の責任外の もの となる。 ` 過去から″,`みんなが″な どは,そ
の合理化 された表現である。 これ らの表現はす ぐれて説得 的なので,多
くの人が同調 しやすい。 さらに眼前 にスケープゴー トが存在すれば,な
おの こと説得 的な ものとなる。 「スケープゴー トが,あ
る日急に力をつけ,自
己 を追 い抜 こうとす るの を見 ると,猛
烈な形 で, 転落の恐怖 を憎悪で まぶ して差別 を行 うことPを
当然 とす ることになる。これは,現実の力関係 の中 で起 こって も,(思
いこみ〉によって も始 まるはずである。 ここには,自
分以外 に人間は見 えていな い。 と同時 に,人
権 は自分のためだけに有 り,他
者のためには無い とす る発想 も狭 まって くる。 こんな人間観が克服 されない限 り,「いつ も底辺で犠牲 を払 うことを余儀な くされている人 を,温
存 しておかなければPと
いう発想が残 り続 け,差
別・被差別 の関係 も,社
会的現実 として残 り続 けて い くことになる。 この点 を基礎 に,人
間観の吟味が必要 となるのである。 ② 人間観の変革はすべて自己変革による 人間観 は,個
人 に とって個有の ものである。と同時 に,自己を自己 として把握する根拠で もあ る。 それ故,教
育活動 は,
この人間観 に切 り込 まなけれ ば,単
に学習活動 に引 きこむ ことはで きて も, 学習は知識 の段階で止 まって しまう。 自分 自身が人間 として生 きることを上台 とし,ま
た,生
きる こととかかわ らせての学習 にはな らない。人間観の変革 に もつなが らない。人間観の変革 は,す
べ て自己変革 によらねばならない ことを,我
々 は銘記すべ きである。 それ はまさしく,過
去か らの多様な くしが らみ〉,〈先入観〉か らの自己解放 である。 この自己解 放への手助 けを考慮せねばならないのが啓発活動 である。そして,そのために,〈裏側 か ら事象 を見 たら,何
が見 えるのか〉 と問いかける必要が生ずるのである。 我々の多 くは,自
分 の ことしか見 えない。 また見 ようともしない性 向がある。「この ような人 は, 現実が見えない。差別 し差別 されていて も分 らない。不合理 に気づかない。………。このような人 は 人間 として,人
間 らしく生 きるための基礎的条件が身についていない?こ とになる。 自分が現在に存在 していれば,必
ずその対面 には他者がいる。 自分が権利 を主張 し,権
利 を防衛鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 しようとすれば
,他
者 も同様 のことを行 う。「差別す る側 も被差別者であることを自覚す ることが, 部落問題 を自分の問題 として とらえるための第一の要 になるPと
いう意味は,この関係の中から出て くる。 この関係 を認識 し,日
常の中に行動化 しているところに,人
権尊重 の表現があ り,人
権意識 の存在が確認 され るのである。 我々は,好
む と好 まざる とにかかわ らず,「上下の重層構造のなかの一人 として」存在す る。「自 分が受 けている抑圧 による欲求不満 を,自
分 よ りさらに下にいると思われる者 に移 して,自
分だけ が気分的に満足す る?だ
けでは,そ こには,人と人 との間 にあるべ き,人権 を基盤 とした関係 は切断 されたままであるし,差
別 を容認す るだけの もの となる。灰谷氏が発見 した,〈笑 い と涙 の関係〉を, 現実の差別・被差 別の関係 として正 しく受 け とめ,自
分の こととし,そ
の克服 をめざして,自
己変 革の道 を探 り続 けてい くことが,我
々に課 された責務であろう。 その ことが,自
己の生活 を点検す ることで,〈差別 と人権 〉に,よ
り深 くかかわ ってい く営 みその もの とな り,人
間観 の変革 につなが るもの となろう。(2)人
権尊重の意識 を行動 に結実 させ る 人権 は,我
々の生活の中に表現 されている。 ただ,
この権利 を享受 で きている間 は,意
識の表面 には上って きていない。侵害の状況 が出現す ると,そ
こに,人
権 とはどんな ものかが,深
刻かつ重 大 なもの として見 えて くる。だが人間は,も
ともと自己中心的で防衛的な心的機制 を持 つ。 自分の みの人権 には強 い関心 を抱いてはいるが,他
者のそれ まで は,通
常の ところ意識 はしていない。 こ とに,自 己の人権←→他者の人権 とい う不即不離の筋道を,確
かな もの として身につけて もいない。 ① 日常生活の中で人権 を意識 で きる人間づ くりをめ ざして 人権 は日常性 の極 めて強 い ものである。 そ こで自分 の生活 をぶ りか え り,そ
の中で,ど
んな時, どんなところに,ど
んな形 で人権が保障 され ているか を,確
認 してお くことが大事 となる。 自分 も他者 も,欲
しい もの,
したい こと,要
求 したい ことは同 じとい う関係 のバ ランスを,具
体 的な事例 を通 して体験す る機会 を多 く持 ちたい。たてまえや理論 としてで はな く,ま
た,個
人 に保 障 されているとい うレベルでな く,人
間関係 のバ ランスの中での人権の保 障程度の,相
対的な揺れ 動 きを理解できる形 での,研
修や学習の機会が望 ましい。 これによって少 な くとも,我
々 は,自
分 の 日常生活 における人権 を,
自分 とのかかわ りにおいて理解 してい くことが可能であろう。 そうでなければ,「すべての人間が,他の人間 との 'ヒ 較の中で,自己の位置 を同定 しようとする……… 価値観の枠組 み」 の中に埋没 して しまい,そ
れ に疑間 を持たな くなる。 そ して,「(その)枠
組みに 疑間を抱 き,そ
れ と闘 うとか,闘
わない まで も自らの新 しい生 き方 を模索す るとい う行為 を選択 し ない時,彼
は,そ
の枠組みの中で,自
分 より`下位″の存在 を見 い出そうとするのであ り,…
…… (その存在 を)信じようとし…………すさまじい憎悪 と差別意識 をたた きつけるPこ
とになるであろ つ。 ② 差別意識克服 を日常の中で実践で きることを 強固につ くりあげ られた 自己防衛機制 としての差別意識 は,我
々 に とって完全 に払拭す ることは かな り困難 なことであ る。 しか し,そ
れ を自己の力で,少
しで も克服 してい こうとす る努力 は,誰
にで もで きる。我々の啓発活動 はここに信頼 を置 き,ま
た,こ
こに働 きか けようとしているのであ る。田村氏 は,「啓発 とは………単なる知識 を持 ってもらうことで もあ りません。・…Ⅲ…°番
のね ら後藤誠也:鳥取 県におけ る社会同和教育の現状 と課題 い は
,…
……啓発 され る立場 にあ る人 び との気持 ちをグラグラ と揺 り動 か し,そ
の人 が考 えて きた 物 の考 え方 を,正
しい方向 に変 え る ことりと言 う。 一般論 としての差別 は,理
解 しえた として も,自
分 とは遠 い世界 の こ とで あれ ば,知
識 として し か残 らない。身近かな ところでの事例 や問題 な らば,自
分 とのかか わ りが濃 いので,ほ
んね で対応 で きる し,ま
たせね ばな らな くな る。啓発活動 が成 功 す るか否 か は,学
習者 の身近 か な ところの問 題 や事 象 を,い
か に上 手 に教 材 化 で きるか にかか ってい る。 そ して,こ
の教 材 に よって,啓
発 され る立 場 の人 の考 え方 を,グ
ラグラ と揺 り動か してい くことであ る。 身近 か な ところでの差別事 象 は,自分 の生活 とのか かわ りで,`なぜ起 ったのか″,`それ は どん な ことか″,等
,よ りよ く把握 で きるか らで あ り,ま
た,差
別事 象 とは どんな ものかや,い
つで もどこ で も,差
別 事 象 は起 りうる,自
分 のす ぐそばで も,
とい うことを明瞭 に焼 きつけ うるか らであ る。 小沢有 作氏 は,被
差別者 の 「生育 史 に刻み こまれ た差別」 を検証 す るこ とな しに差別 の事 実 に は ふ れ えない と言 う。これ でな けれ ば,「人 間の事実 の中 に差別 と差別 か らの解放 の原点7は
さ ぐりだ せ ない とも言 う。 しか し,差
別 者側 に とってみれ ば,単
に これだけで は,知
識 的理 解 や被差別 者 の 悲 惨 な生育 史 とい うのみの意 味 に終 って しまう。 そ こで どうして も,人
間一人 ひ と りの「 自分 史 を く ぐらせ る こと,そ こか ら差別 とい う社会的 な ものの意味 を検証 してい くこ とPな
しには,差 別 の真 相 も,差
別 か らの解放 を具体 的 に行 動 化 してい くこ とも,不
可能 にな る。 現在 とい う時点のみ での理解 を超 え,自
分 の生育 史 の中での被差別者 とのか かわ りを,順
次 的確 に検証 してい く手続 きを,啓
発 活 動 は,機
会 として準備 していかね ばな らない。(3)部
落解放 の推進者づ くりをめ ざ して 国民 一人 ひ とりが,部
落 解放 を推 進 す る役割 を担 って い る。啓発活動 は,
この前提,そ
して 目標 を注視 して,具
体 的 な働 きか けの あ り方 を確立 していか ねば な らな い。 ① 一人 ひとりが部落解放 の実践者であることをめ ざして 我々は,一
人 ひとりが部落解放 の実践者でなければならない。被差別者 は,そ
の社会的立場 で, 解放運動の一方の担 い手 として,差
別者側 は,そ
の立場 にあることを前提 に して解放運動 を支 え, 一 日も早 い解放の実現 に向けての,生
活環境上の,そ
して心的環境 の解放条件 づ くりに,努
力をね ばな らない。 自らを多数者の中に置 けば,そ
こか ら出て くる解放 のイメージは,例
外的 なこととして しか画 き えない。多数者 は,社
会の世論 とその動向を決定する力 を持つ ことで,少
数者か らの強力 な要求 と 復権運動 をも,例
外的な小問題視 しかねない。 この視点 に立てば,解
放運動 は少数者 による,少
数 者のための,少
数者の問題 に,`わ い小化″されて しまうことになる。 これでは,一
人 ひ とりが解放 の実践者 にな りえない。む しろ傍観者で,少
数者の復権が,多
数者の既得権益 を大 き く損 うことに ならない限 り,無
関心 になって しまう。 もし,権
利 (益)を
損 うことになる と見れ ば,一
斉に攻撃 に転 じて くることになろう。 ② 差別 を許 さない生活の組織者 として 差別 は一度見逃すと,そ
れは`あたりまえ〃の論理の中に定着していく。我々の多 くはそこに気 づかない。外から加えられる差別に対 しては,容
赦のない批判は加えても,自
分が日常生活の中で 行っている差別行為等には,全
く気づかないでいる⑩ことが多い。 これは,自
分の自分 に対する甘鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 えを認めることだ し
,自
分 の生活のすべてを,人
権保障 として点検 しないこと,自
分 さえ何 の実害 もなければ,他
者の ことには無関心,無
介入でいたい気持ちのあ らわれである。 差別 を許 さない生活の組織者 は,ま
ず,自
らの生活の中に見 える差別 を,き
び しくチェックす る し,そ
こか ら他者 を見直すはずだか らである。3
推 進 上 の 実 践 課 題(1)現
状把握の必要性 実践的課題 を明確にするためには,啓
発活動が到達 した,現
時点での成果 と問題点,課
題 を把握 することか ら始 めね ばな らない。何 を,何
のために, どの ように,や
ろうとしてきたか。 そこに, どのような出発点 としての現状 を把握 していたのか。 また,ど
のようなことが,そ
れにかかわ るこ とが らとして存在 しているのか,な
どの点検 がある。 ① 部落解放の要求,願
いの把握 を出発点 として 部落解放 は,被
差別者 による自力解放の闘いの歴史 を理解せずには,語
ることがで きない。差別 者 と被差別者が厳 (現)存
し,そ
の相対関係 において,解
放運動 は成立 している。 啓発活動の対象が国民全体であるとすれば,被
差別者の解放 にか ける熱意や要求,願
いの把握な しに,教
育 は成立 して こない。従来被差別者 の生活 と意識 を通 しての願 いや要求等 は,教
育 や啓発 活動の教材 とされてはきたが,解
放運動が到達 した現時点での状況や,解
放運動の今後等 について は,教
材化 された例 はほ とんどない。同時 に,
ともすればスローガン化 されす ぎた傾 向のあ る「部 落差別 の現実に学ぶ という原則の確認」 も,改
めて してみなければならない。 八木晃介氏が言われ るように,略
Б落差別の撤廃 をめざした社会啓発 であ りなが ら,く部落抜 き〉, 〈差別抜 き〉の一般的抽象的啓発 を くり返 した ところで,問
題点の核心に矢を射 あてることにはな らない。…………差別 の現実に学ぶ とは,竹
)部落民衆の生活の現実 (環境 。教育・ 労働・ 産業・ 人 権・福祉)と
闘いの事実 を学び とるこ とであ り,
またlHl具体的事件 (結婚差別・就職差別 。その他 悪質化 する差別)が
教 えるものを学び とる,
といった点か ら出発す ることPなのである。②
住民意識のありようを啓発の出発点に
啓発活動の対象 としての住民の意識のあ りようは,前
述のような問題点を持 っている。 この点 を 啓発活動の出発点 に据 えることな しに,啓発 は行 い得ない。`なぜ このような意識の状況があるのか″, `なぜ このような状態にあるのか″の問いに,正
しい答 えを用意 して もらうためには,ど
んな教材 や資料 を とりあげ,個
々 に考 えて もらい,自
分史 を点検 し直 して もらうか。今 も生 きてい る部落差 別の現実 は どのように見た らよいのか。部落差別 を解消 してい く課題 はどのようなことか。我々 は, 現実 に即 して認識 を深めて もらう具体的な方策 を樹立 していかねばならない。 小森哲郎氏 は,こ
れ らの問題 の認識をよ り容易 にするために,課
題や部落差別の現実 を図1, 2
のよ うに構造化 してお られるPこの図のような循環や構造の中で,我々が気づかねばならない ことや, どこに どの ような手だてを構 じた らよいか,差
別のあらわれ方 はどのような構造の中で具体化 し, また,次
の差別事 象を生みだすか,な
どを一 日で理解で きるように してお られる。 この ような構造 図 と我々の現実の意識 とをかかわ らせていけば,よ
り深 く問題 の本質が理解で きるだ ろう。後藤誠也:鳥取県にお ける社会同和教育 の現状 と課題 注
1.被
差別部落 の数字は、1977年の北九州市15部落 (約 1,000世帯)の調査結果 2.労働力率 は,15茂以上の人 口の中で,労働力人 口 (就業者 十完全失業者)が占め るとし率 3.失業率 は、労働力の中で、完全失業者が占める比率 4,日雇労働者は被雇用者の中で占める比率 図1
今 も生 きて い る部 落 差 別 の 現 実 小森哲郎「社会啓発のあ り方」 (部落解放,183号,1982-7)p,図
1を転載 健康が破壊 される *有病率331%
(全国 116%) Й〕いときか らlp」かなイナれば な らはか った ◇働 き始めた年齢 10歳未満74%
10∼12歳 17.8% 13∼ 15歳418%
教育歴が短 い *小学校不修了192%
(北九州市05%)
*旧中・ 新高卒177%
(北九州市 45.4%) 学校 内に差別があった *経費 を持 っていけなかった *宿題 をしていけなかった ◇先生は「駄 目な子供 と決 めつけがちだった ◇友達の差別的言動 字を奪われてい るノヘ、が いる *読み・ 書 きと も自由な人 51.9% *新聞 を購読 し てい る世帯686%
「地名総鑑」 に代表 され る就職差別 将来への展望 のなさ *親の仕事 など 子供の発達に マイナス 行政の努力の欠如 不安定な生活 *生活保護が主たる 収入源の世帯 35 1% (北九州市43%)
仕事が不安定 *労働力率 74.3% (北九州市 58.2%) *失 業 率372%
(北九州市50%)
*日雇労働者303%
(北九州市45%)
鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 0みんなで手 をお り合 い、すべての 人の幸せを実現する 。科学的にもの ごとをみる 。差別 を憎み、その根絶に努力する *親が文字 を奪われている *家庭 に新聞・ 図書がない *親か ら話 を聞 くことが少ない *社会的経験が少ない 図
2
部 落差別 をな くす 中心 的 課題 小森哲郎「社会啓発のあり方J (部落解放,183号,1982-7)p,図
2を 転載(2)目
標 の設 定 を明確 に 教 育 の営 みであ る限 りは,日
標 の設 定 が明確 で な けれ ばな らない。 この 目標 は,教
育 の結 果 と し て生 みだ され る人 間像 とい う,教
育 その もの の 目標 と,必
要性 か ら生 みだ され る目標 とに分 けて と らえる ことがで きよ う。 ことに後者 は,人
間像想 定 を支 え る根拠 として,` なぜ,この よ うな人 間 に な って もらうの か″を明 らか にす る もので,こ
こか ら具体 的 な目標 到達 への筋道 と方法論 が明 らか に され る とい う点 で,格
別 重要 な もので あ る。 しか し,こ
こで は,解
放 達成 の 目標 時点 と,啓
発 活 動 の筋道 や方法論 についてのみ,
とりあげてお くこととす る。 ① 解放達成の 目標時点 を確認 してお くこと 部落解放 を達成すべき目標の時点 を,い
つに想定す るか は,従
来,社
会啓発活動で も学校同和教 育で も,あ
まり明確な形では とりあげられてこなかうた。一 日も早 い解放 をというだけで,目
標時 点の ことは,比
較 的あいまいにされてき翌 このことは,日前,た
だ解放教育 を行 っておればよいの だ とい う,形
式的で安易な発想 を定着 させて しまう要因で もあった。我々の将来展望の中に,解
放 達成の 目標時点の想定がなされていない限 り,具
体 的で実践的な課題 も,教
材選択 も,啓
発 の方法 論 も発見す ることはで きない。我々が今 日まで,啓
発活動の効果や手応 えを,確
信で きずに きたの は,ま
さに この点 に起因すると考 えてよか ろう。 子供の成長・ 発 展の阻害要因後藤誠也:鳥取 県における社会同和教育 の現状 と課題 目標時点 は
,少
な くとも,我
々の次の世代 が社会の主要な担 い手 となった時,
として想定 するこ とがで きよう。我々の子供 たちが成人 した時 に,差
別観 を上台に した人間観 を持 つ者が存在 しな く な り,差
別 は解消 され,人
権尊重が生活の中で 日常的に見 られ る社会が存在 していること,こ
れが 今,我
々の啓発活動の 目標 である。 この 日を将来展望の真 中に位置づけるところか ら,そ
のために 今,我
々 は何 を しなけれ ばいけないのか,を
考 えだす根拠が明 らかにされて くると思 うのであ る。 ② 啓発活動の筋道 と段階 部落解放が達成 で きた時,ど
んな社会 になっているべ きだろうか。少な くともその社会では,差
別は存在 しないはずである。人権 はすべての人間に保障 され,明
る く豊かな生活があ り,我
々 は相 互に人間性の尊厳 を第一 に考 える態度 と心情 を持 ち,行
動化 しているはずである。すでに同和地区 は存在 しない。 この状態に到達 するためには,差
別 に満ちた現在 を対比的に とらえ,目
標 へ向 けての筋道 を設定 しておかねばな らない。学習の程度,理
解 。認識の程度,同
和地区 とのかかわ りの程度等,我
々一 人ひとりの現時点か ら出発すれば,啓
発活動の段階 は次のようになろう。 差別 に気づ く― →差別 を知 る一 →関心 を持つ一 →問題点,課
題 を見つけだす― →問題解決の方法 や筋道 を明 らかにす る一→ 行動 を通 して課題解決 をめざす一→それを評価する。 これ らの段階は, それぞれにおいて必要 な力量が具体的に想定で きるものだ し,そ
の力量 を獲得で きているか否か も 見ることがで きる。 この筋道 を追 っての啓発活動の具体的 プログラムが編成 され る必要がある。(3)推
進体制 の整備 を 学習 と意識変革 は,一
人 ひ とりの問題であるが,こ
の一人 ひ とりの学習 と意識変革 を支 え,全
住 民に広 げてい くには,推
進体制が整備 されていなけれ ばな らない。 ① 行政責任が明確 に示 しうるような体制が行政 の中 に 解放へ向けての運動においては,何
よ りも行政 のかかわる部分が多い。 それ故,行
政 に携わ る者 にとっては,自
己の研修 と行政責任の遂行 とい う二面での解放へのかかわ りが要請 され る。 法があるから対策事業 をするのだ,と
いう考 え方ではな く,法
をか りて解放 の実 をあげるのだ, とする積極的姿勢が どうして も必要である。地域改善対策特別措置法 (以下「地対法」 とい う)に
よる改善対策の期間 は5年
と限 られている。行政の責任 は大 きい。 それ故,行
政 においては,事
業 進行 と啓発活動の両面 をカバーする体制の整備が急がれねばならない。行政者 自身の部落解放への かかわ りを十分 にするために も,研
修 とその推進体制 は不可欠の ことである。 と同時に,市
町村全 体の推進組織の核 とならなければならない。 ② 運動体 と しての推進組織づ くりを 啓発活動の推進 に当っては,た
だその組織 をつ くっただけでは意味がない。各種の事業 (教育, 啓発活動 を含んで)の
遂行が最大 の課題 となることか ら,推
進組織 は,運
動体 としての機能が最大 限に発揮できるものでな くてはならなぃ。従って,推
進組織の長自らが先頭に立って活動すること を基本にした,組
織づ くりを考えておかねばならない。組織づ くりのための組織に終っていないか の点検 と,組
織化の規約 による制約の下での活動に終 っていないかの点検が,常
に必要である。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 ③ 住民個々が推進者 とな りうる組織づ くりと研修体制づ くりを 住民一人ひ とりが
,啓
発活動の実行者,推
進者 になっていなけれ ばな らない。 この点か ら,こ
こ での教育 の意味 は,自 己教育 と相互教育 の両者の意味 を持つ もの と,明確 に意識づける必要が ある。 研修 も教育 も与 えられるものではな く,自
らが,自
らのために学習 し,自
己 を変革 してい くことを ね らいに した活動 として進 め られていかねばな らない。与 え られることを待 っている現在 の状況で は,住
民一人 ひとりが推進者 とな りうる日は遠 い。 自己教育,研
修の機会 の設定 は,で
きる限 り多 数であることと,そ
の機会の広報 について も,配
慮すべ きである。広報や通知 も,学
んでい こうと い う意欲 をかきたてるように,創
意 と工夫がなされねばならない。 ④ 団体,事
業所等で も,独
自で実効 ある推進組織づ くりを 各種 の団体,事
業所等 は,そ
れぞれの機構 と事情 を持 っていようが,そ
の ことを上台に据 えて, 研修推進 に最適の組織 をつ くることが要請 され る。団体長,事
業所長 を全体責任者 に,各
層すべて を含 んだ,ひ
とりの脱落 もないような手当ので きる形 をとるべ きである。(4)推
進者 と しての姿勢 我々の反省の中で,最
も深 く点検せねばな らない点が,推
進者の姿勢である。 とい うのは,多
く の住民の反応 を徴するとき,一
方的押 しつけ とも受 けとれる,た
てまえ的な説教 と教条主義的で, 時 には借 り物 と思われる内容 の講話や研修 内容であるため,疑
問 も質問 も提 出で きる雰囲気 とはな らず,た
だ,研
修時間の過 ぎゆ くを待つばか り,
という場合 も多い ようである。 推進者 としての姿勢,研
修等への参加,啓
発 され る立場 にある人たちへの対応の しかた等 につい て,顧
み る必要があると言 えそ うである。 ① 推進者 であることを明確 に意識 する 市町村 では,多
くの場合,推
進者 としてではな く,指
導者 としての位置づ けを与 えられている。 `指導者″という語感のためか,そ
の意識の中に,意
識の遅れた者 を指導 し,教
化せねばな らない とい う使命感が強 く表面に出,住
民や研修参加者の個々の思 いや学習到達 レベルに関係 な く,教
育 課題 として持 って出た問題,内
容,資
料等 を,教
育 の名 において押 しつける行為が見 られ る。 ここで明 らかに してお きたい ことは,我
々 は指導者 としてではな く,推
進者 という立場 をあ くま で守 ることである。`分 らないのか″,`できないのか″と学習者の二歩 も三歩 も前で叱吠激励 す る姿 勢ではな く,`ともに学ぶ″姿勢 を持 とうとい うことである。教育 は,学
習者 の現在 の状態 を無視 し ては成立 しない。`なぜ,今
そうなのか″を明 らか にし,そ
れに対応す る適切 な働 きかけを考 えださ ない限 り,学
習者 の学習意欲 は刺激 されないし,学
習の進行 も遅 くなる。`学習者 の今〃を受容 し, ここか ら学習のめあてや必要性,学
習すべ き内容等 を手渡 ししてや り,学
習 しやすい条件 の整備 と 学習への援助 をしてや ることが,推
進者の仕事 となる。向かいあ うのでな く,肩
を並べて ともに進 む ことの大事さを忘れてはな らない。 もう一点,指
導,援
助 はで きないが,推
進の重要な働 き手,
ともに学ぶ ことな らいつで もす る, という人 を,多
数養成,確
保 す ることを考慮 しておかねばならない。実質的な推進 は,こ
の人たち に負 うところが大 きいか らである。後藤誠也 :鳥 取 県における社会同和教育 の現状 と課題 ② ともに学ぶ者であること 教育の内容が
,学
習者 に とって高度 す ぎた り,日
常生活 とのかかわ りが少 なす ぎた りす ると,実
感 としての学びが弱 くなる。指導者意識 は時 として,こ
のような場面 に直面 した とき,焦
操感 を強 め,`だめではないか″と説教調 を生 みだ しや すい。自分の学 びや意識のあ りようと比べた とき,多
くの学習者 は,
まだ低い段階 にあることは確かなのだか ら,自
分 と同 レベルであるとの思 いこみに よる説教調 は,か
えって学習者の反発 を強 め,研
修 や学習の意義や効果 を損 うことになる。 学習者 の現在か ら出発す るとなれば,
どうして も,学
習者の現在 に自分 も立 ち もど り,
ともに学 び直す という考 え方に徹 していかねばな らない。`ともに学ぶ″ことは,す
ぐそばで,学
習のあ と押 しをしてや ること,助
言 をしてや ることなのである。 ③ 自分が変 らな くては相手 は変 らない 指導者の多 くは,す
でに何 回 とな く研修 を行 い,自
己教育 も行 って現在 に至 っている。 この点か ら,一
般の学習者 よりは,同
和問題 についての知識 も多 く,認
識 も深 まっているはずである。 しか し,同
和問題 に関することは,ど
んなに数多 く,深
く学んで も,そ
れにつれてなお深 くまた多様 な 新 しい学習 を要請 して くるものである。 ある程度 まで学習が行われ,認
識 も深 まったなら,そ
れ以 上 は必要ない と言 うことはで きない。学べ ば学ぶ ほど,自
分の思いは変わ り,同
和問題 の深 さに圧 倒 されて くる。 この思いの変化 を我々 は大事 にしなければならない。 これな くしては,常
に目の前 にいる学習者や研修参加者のみを変 えようとする意識 ばか りが強 く なり,ま
た先行 して しまう。学習者 が,指
導者や推進者の言 うことを信頼 し,学
びを深 めようとす るときは,そ
こに推進者 自身が ともに学 び,自
分 も変 ろうという意志 と姿勢が見 えているときであ る。 自分 はこれ以上変 ろうとせず,相
手だけを変 えようとすればす るほ ど,相
手 はついて こない。 `ともに学ぶ″ということは `ともに変 る″ということなのである。 ④ ことばや生活の裏側 にあ るもの を常 に理解 しうる感性 を持つ ことばは生 き物 である。我々の生活 と生活 を支える心の表現で もある。同 じことばで話 して も, 話 し手 によって異なったものに聞 える。 それ は,我
々一人ひ とりが,こ
とばの裏側 に,生
活 と意識 をはりつけているからである。聞 えて くる表面的なことばの形や排列や意味だけでな く,話
し手 は, `なぜ,こ
の ことばで言ったのか″,`なぜ,こ
のことばで表現せざるをえなかったのか〃 を洞察す る姿勢が,推
進者 には必要 となって くる。この ことな しには,学
習者のい まは把握で きない。`なぜ″ の問いか けの答 として,その人の生活が あ り,生
活の中に くみこまれた経験があ り,人
間観が ある。 ここにふみ こまな くては,意
識変革 の手がか りは発見で きない。 啓発活動で,割
合顧み られなかった点が ここにある。学習者のい まの心情 との共感 な くして,`と もに学び″,`ともに変 る″ ことは不可能である。 ことばは,送
り手の生活 とそこに根 を持 つ意識 によって選 び出され,送
り出 される。 しか し,受
け手 は自分の生活 とのかかわ りで,そ
の ことばの意味す るものを解釈 し,受
容 しよ うとす る。ある いは,受
け手のひ とりよが り (思いこみ)に
よって,送
り手の意図が正 しく受 け とめ られない場合 だってある。 このずれが,差
別 を生 みだ し,ま
た見逃 して しまうひ とつの要因で もあ る。送 り手 と 受 け手の解釈のちが いを把握 し,そ
こに切 りこむ ことが,学
習の援助であ り,教
育 の営 みであ る。 学習者 の心情への共感 とは,学
習者のい まを受容することであ り,生
活の背後 にある,
これ まで の経験 とそれによって培われてきた人間観 を把握す ることである。生活 まで切 りこまない働 きかけ鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第25巻 は