みすすめていくうちに、信輔は自分が中流下層階級者―― 下層階級へ転落しかねない不安と恐怖を抱えている――の 一人として、徹底した自己凝視をし続けていることに気付 く。この作品は三十歳を過ぎた信輔の回想記である。回想 時点(現在)の自己につながる過去を探っているのである が、その出発点に位置づく場面である。 信輔は、体裁を繕うためにより苦痛を承けなければなら ぬ 中 流 下 層 階 級 の、 貧 困 に 発 し た 偽 り を 憎 ん だ。 学 校 で、 彼は「孤独に耐える心情」を身につけた。貧困を脱した後 も、貧困を憎んだ。人生を知るために「本の中の人生」を 知 ろ う と し た。 上 流・ 中 流 上 層 の 青 年 に は、 「 握 手 す る 前 にいつも針のように手を刺した」 「何か」を感じていた。 こ の 作 品 は、 こ う し た 信 輔 の 半 生 を 描 く こ と で、 「 人 間 が人間らしく生きるための不可欠の教養(――文化)と階 級意識を主体的に身につけた〈教養的中流下層階級者の文 学〉の、その名に値する作品であった。大逆事件から大正 時代をもっともよく見通すことのできた視点的立場の確立 である」 (『芥川文学手帖』 ) 。 結果的にではあるが、 「高瀬舟」 「大導寺信輔の半生」こ の二作品を対比することで、鷗外文学が教養的中流下層階 級者の文学の外祖であるという系譜論を再確認できた気が する。
私は西鶴作品をこう読んだ
――「はみだし」という切り口から
椎名 伸子 「 現 代 史 と し て の 文 学 史 と し て 西 鶴 作 品 を ど う 読 ん だ の か」報告するようにという課題を与えられたとき、まっさ きに頭にうかんだのは、熊谷孝著『現代文学にみる日本人 の 自 画 像 』 の あ と が き で し た。 „現 代 史 と し て の 文 学 史 " というふうな、と熊谷氏は書き出して 小説に例を求めれば、個々の作品の作中人物のいだく 想念や想念の推移、その行為の軌跡を、現代の実人生と かかわりを持つ限りにおいてお互いの話し合いの材料と して選ぶ、ということになるのである。また、もろもろ の作品相互の関連を、それらの作中人物に関して、その 人間主体の、同世代あるいは次の世代の他の人間主体と の精神の関連という、人間精神の系譜の問題として考え る、ということになるのである。( 熊 谷 孝『 現 代 文 学 に み る 日 本 人 の 自 画 像 』 三 省 堂 一九七一年) と書いています。 作家の形象した作中人物の精神の系譜として文学史を考 えてみよう、という提案は、初めてこの本を手にした当時 も、また現在でも、私にとって新鮮な驚きでした。全国集 会で読み合ってきた西鶴の作品の作中人物たちが、まるで 今も生きていて、現代を生きる私に対して、私たちがたた かった課題はいまどうなっているの、あなたはどうしよう と し て い る の、 と 迫 っ て き ま す。 「 精 神 の 系 譜 」 と い わ れ たことが、鮮明になってきました。 私たちが生きている現代とはどんな時代でしょうか。私 は、人間らしく生きようと願う人にとって、厳しくない時 代なんてない、と思っています。そして、現在もそのとお りだと。 い く つ か の 作 品 に 即 し て 考 え て き た こ と を 報 告 し ま す。 「 文 学 史 」 と い う 以 上、 作 品 の 発 表 年 を 追 っ て 話 す の が 当 然なのですが、私の関心事に沿ってお話します。 「高瀬舟」 森 鷗 外 (一九一六年一月『中央公論』 ) 私 は、 こ の 作 品 を い ま ま で は、 罪 人 と し て 高 瀬 舟 で 護 送 さ れ る「 喜 助 」 の 物 語 と し て 読 ん で き ま し た。 そ れ は、 「足るを知る」 「安楽死」をテーマとした作品だとした解説 に多分にひっぱられた読み方であったのでしょう。 「喜助」 の生き方にある衝撃をうけたことは確かなのでしたが。し かし、現代を生きる私が今回読み直してうかびあがってき たのは、これは、 「喜助」を護送する「庄兵衛」の物語だ、 ということでした。 庄兵衛は罪人を高瀬舟に乗せて護送する同心(町奉行に 属し雑務にあたった役人)です。今回、護送する罪人、喜 助の常とちがう様子におもわず声をかけます。喜助は刑と して遠くの島に送られるにあたってお上から二百文の金を も ら い、 「 お あ し を 自 分 の 物 に し て 持 っ て い る と い う こ と は、 始 め で ご ざ い ま す。 」 と 語 る。 喜 色 満 面 な の で す。 庄 兵衛は、意表をつかれて、自分の暮しをふりかえってみま す。 そ し て、 「 わ が 身 の 上 を 顧 み れ ば、 彼 と 我 と の 間 に、 は た し て ど れ ほ ど の 差 が あ る か。 ―― 彼 と 我 と の 相 違 は、 いわば十露盤(そろばん)の桁が違っているだけで、喜助 のありがたがる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはない のである。 」と考えるようになりました。 庄兵衛は役人と罪人という関係をはみだして、喜助に自 分 と 通 じ る 人 間 を 発 見 し た の で す。 そ し て、 「 弟 殺 し 」 と
いう喜助の罪科にも疑いをもつようになります。自分より 上 の 者 の 判 断 に 疑 念 が 生 じ た の で す。 「 庄 兵 衛 の 心 の う ち には、いろいろに考えてみた末に、自分より上のものの判 断に任すほかないという念、オオトリテエに従う外ないと いう念が生じた。――そうは思っても、庄兵衛はまだどこ やら腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様 に聞いてみたくてならなかった。 」と作品にはあります。 現在、アメリカでは一一月の大統領選挙の民主党候補者 選びが進行しています。その有力候補の一人バーニー・サ ンダース氏のスローガンに「九九%のための政治」とあり ます。彼は貧困や格差の問題を訴え、全国民対象の医療保 険制度の創設や、学生の学費ローンの返済免除などを政策 として掲げているのです。そして、若者の圧倒的な支持を 得て善戦しています。税金を九九%の国民のために使えと いう主張です。日本の現実はどうか。自分が九九%の一人 だと自覚することで世界の構造がみえてくるのではないで し ょ う か。 「 自 分 は ま だ ま し 」 と 考 え る こ と で、 大 事 な 他 者との連帯のとばぐちを失ってはいないでしょうか。この 庄兵衛の「はみだし」は、私にとってすぐれて現代的な課 題として迫ってきました。 「忍び扇の長歌」 西鶴 (『西鶴諸国ばなし』一六八五年) 西 鶴 の「 忍 び 扇 の 長 歌 」 で も、 「 は み だ し 」 と い う 切 り 口で読んでみると、 現代の課題につながってきます。まず、 下 級 武 士 の「 あ る 男 」 は、 「 女 の 好 か ぬ 男 な り 」 と あ る よ うに今の言葉ではイケメンでもなく、地位も低く、財産も ありません。しかし、大名屋敷に住む姫に一目ぼれしてし まい、なんとか接近しようと行動を起こします。ここから して、はみだしているのではないでしょうか。身分ちがい の恋が成就するはずもなく、普通であれば、あきらめると ころを二年余りの奉公で姫と心がかよう。姫も、行動をお こ す。 な ん と、 「 男 に さ ま 変 え て 」 二 人 で 屋 敷 を と び だ す のです。この「姫」のはみだしは封建社会の倫理、論理か ら の 完 全 な 逸 脱、 「 は み だ し 」 で す。 そ の「 は み だ し 」 の 結末はどうだったのか。下級武士である男はお手打ちで命 を絶たれてしまう。姫は、自害を迫られます。二人のはみ だしは命をかけても成就しなかったのです。その後に、姫 の放つ「論理」が時代を超えて迫ってこないでしょうか。 「 わ れ 命 を 惜 し む に は あ ら ね ど も、 身 の 上 に 不 義 は な し。人間と生を請けて、女の男ただ一人持つ事これ作法 なり。あの者下々を思ふは、これ縁の道なり。おのおの
世の不義といふ事を知らずや。 夫ある女の外に男を思ひ、 または死に別れて後夫を求むるこそ、 不義とは申すべし。 ――」 封 建 社 会 の 倫 理、 論 理 に ま っ こ う か ら 異 議 を と な え た 「姫」の人間宣言ではないでしょうか。 「はみだし」のもつ 力、未来を志向する力に圧倒されました。 「 人 に は 棒 振 虫 同 然 に お も は れ 」 西 鶴 (『 西 鶴 置 土 産 』 一六九三年 門人の手による遺稿集) この作品に登場する利左と吉州も封建制の論理と倫理を はみだした生き方を選びました。大店の若旦那だった利左 は遊女の吉州と本気の恋をする。遊女と客という関係をは みだしてしまったのです。そして、餌指町で、薪にも、息 子の着換えにも事欠く生活をおくっています。昔なじみの 友だち三人が援助の手を差し出そうとするが利左は決然と それを拒否します。吉州の「是非なきは勤めの身、あなた にはただ一度かりなる枕物語せし事、いまもって心にかか りぬ。主にかくす事もよしなし」という言葉が切ない。そ の言葉に「是はやさしきことわり、 と時に胸をはらし」 「こ れはわれらが客なり」といって招き入れる利左。二人の間 に、人間と人間の信頼し合う美しい関係がみえてこないで しょうか。男と女の関係として、利害や上下関係を乗り越 えたむすびつきが成立していることに驚きます。これは決 して、利左の友人たちには理解できない生き方なのです。 現代の男と女の関係はどうでしょうか。恋、結婚はどう でしょうか。お見合いのサイトでは、男性の年収や、身長 の情報が入会の必須条件と聞きます。 「生活の安定」 「独身 だと世間の信用が得られにくい」女性も男性もさまざまの 打算から結婚に至ります。そういうものから解き放たれて 純粋に男と女が愛し合う社会はまだきていません。利左と 吉州の生き方の先には行き倒れ、餓死しかないかもしれま せん。しかし、その精神、そのはみだしを描き切った西鶴 と、それを受容した読者がみたものは、封建制を乗り越え た未来だったのではないでしょうか。 「六の宮の姫君」 芥川龍之介 (一九二二年八月『表現』 ) 一転して場面は平安時代にとびます。芥川の王朝物とい われる作品の中で、 平安時代に材をとった「六の宮の姫君」 をとりあげます。姫君は父親にも母親にも死に別れて、今 では乳母と少なくなった使用人と広い屋敷でひっそりと暮 らしていました。家の道具を売って暮すよりほかに生活の 手立てがないほどの困窮だったのです。乳母の勧めで男と
出会い「むつびあう」ようになりました。しかし、この短 い「結婚」生活も男の任地替えで終止符が打たれることと なります。男は五年で帰ってくるといいましたが、その約 束は守られなかったのです。しかも任地で妻を迎えていま した。九年たって、京へもどった男は姫君をさがしました が、屋敷は荒れ果て行方は知れませんでした。しかし何日 かの後、朱雀門の前にある西の曲殿の軒下で破れ筵にくる まれ死を前にした姫君を発見します。そして、この男の腕 の中で姫君は息絶える、何とも悲しい女の一生です。 姫君ははみだしてはいないのか。姫君は、生活のために 乳 母 の す す め る 次 の「 夫 」、 典 薬 之 助 ( 宮 中 の 典 薬 尞 の 次 官 ) に 会 お う と も し な か っ た の で す。 彼 女 が と っ た 行 動 は 唯 一「待つ」ということでした。そして高徳の法師の唱える 念仏も拒否して死んでいきます。いっさいの救いを拒否し た生き方(死に方)だったのです。貴族社会の女性の生き 方としてそれは、 「悲しみも少ないと同時に喜びも少ない」 一生だったが、時代の論理や倫理に精一杯抵抗した生き方 だったのではないか。芥川は姫が最後に見たものは、地獄 でも極楽でもなく「何も、――何も見えませぬ。暗い中に 風ばかり、――冷たい風ばかり吹いて参りまする」と書い ています。 現代のはみだし ひるがえって、今私たちの生きている現在、私はたくさ んの「はみだし」に勇気をもらってこの生き難い現代を生 きています。 安倍首相が自分の腹心の友に格別の便宜をはかった加計 学園問題で、退官後とはいえ、真実の証言をした文部官僚 の前川氏。官僚としてはみだした行動をとった彼に対し間 髪を入れず「スキャンダル」が流されましたよね。内閣情 報調査室からマスコミに流されたネタにすぐくいついた大 新聞が報じました。しかし、前川氏は現在も、夜間中学な ど の 支 援 活 動 や 講 演 で 全 国 を と び ま わ っ て 活 動 し て い ま す。 こ の 問 題 に 関 し て は、 今 公 開 さ れ て い る 映 画『 新 聞 記 者』に触れたいと思います。 (二〇一九年七月に公開され、 日 本 映 画 に め ず ら し い 社 会 派 ド ラ マ と し て ヒ ッ ト し た。 二〇二〇年第四三回日本アカデミー賞で最優秀作品賞を含 む三冠を獲得した。 ) このなかで若手官僚の「杉原」は内閣情報調査室で政権 を守るための情報操作やマスコミ工作ばかりさせられてい る任務に苦悩しています。新聞社に寄せられた内部リーク と思われる謎のファックスをおって取材を進める記者「吉
岡 」。 吉 岡 は 杉 原 に 情 報 源 を 明 ら か に す る こ と を 迫 る。 そ の時、 杉原は「自分は国側の人間だから」と断ろうとする。 それに対し、吉岡は「そんな理由で自分で自分を納得させ ら れ る ん で す か、 こ の ま ま で い い ん で す か。 」 と 杉 原 に 迫 ります。杉原はここである踏み切りをして真実を公表する 行動に出ます。しかし、映画を見た方はご存知と思います が、彼はこれにつづく二度目の踏み切りはできませんでし た。陰に陽に上司から圧力をかけられたからです。子ども がうまれたばかりでした。転任や閑職においやることをほ のめかされもしました。これが、現在、ただいまの日本の 現実です。 一人一人の「はみだし」をみてきましたが、はみだした 人間はヒーローではありません。またヒーローにしてはい けないと思います。メンタリティーの自然としてはみださ ざるを得なかったのです。 教育の問題として考えるべきは、 こうしたメンタリティーをどう育くんでいくかという事で し ょ う。 そ れ に は、 文 学、 文 学 体 験 は 欠 か せ な い し、 今 集 会 の テ ー マ で も あ る「 探 求 の 共 同 体 」 ( 注 ) を 教 室 で も、 家庭でも、 社会でもつくっていくことではないでしょうか。 (注)本誌五五頁参照