• 検索結果がありません。

第 13 期 横 浜 市 文 化 財 保 護 審 議 会 委 員 名 簿 ( 任 期 : 平 成 日 ~ 平 成 日 部 会 ごとに 五 十 音 順 部 会 氏 名 現 勤 務 先 役 職 等 専 門 美 術 工 芸 建 造 物 無 形 民 俗 記 念 物 考 古 地

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第 13 期 横 浜 市 文 化 財 保 護 審 議 会 委 員 名 簿 ( 任 期 : 平 成 日 ~ 平 成 日 部 会 ごとに 五 十 音 順 部 会 氏 名 現 勤 務 先 役 職 等 専 門 美 術 工 芸 建 造 物 無 形 民 俗 記 念 物 考 古 地"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

平成 24 年度第2回第 13 期横浜市文化財保護審議会次第

日 時 平成 24 年 10 月 31 日(水)

午後2時から

場 所 開港記念会館2階 9号室

開 会

1 五味会長あいさつ

2 生涯学習担当部長あいさつ

3 議事

(1)平成 24 年度横浜市指定文化財の指定について

①「東漸寺詩板」 資料1 P 5~13

②「根岸の榊神輿」 資料2 P14~16

(2)平成 24 年度横浜市地域文化財の登録について

「平野玉城と永野地区学校教育の成り立ちを示す資料群」 資料3 P17~22

(3)その他

4 報告

(1)

「武家の古都・鎌倉」世界遺産登録について 資料4 P23~29

(2)その他

閉 会

(2)

※部会ごとに五十音順 部会 氏名 現勤務先・役職等 専門 あいざわ まさひこ 相澤 正彦 かしま まさる 加島 勝 ごみ  ふみひこ 五味 文彦 さいとう けんじ 斉藤 彦司 にしおか よしふみ 西岡 芳文 やまもと つとむ 山本 勉 おおの さとし 大野 敏 みずぬま よしこ 水沼 淑子 よしだ こういち 吉田 鋼市 おおやつ さなえ 大谷津 早苗 なかむら ひろこ 中村 ひろ子 ふくた あじお 福田 アジオ はっとり つとむ 服部 勉 ふじわら かずえ 藤原 一繪 いけがみ さとる 池上 悟 てづか なおき 手塚 直樹 やまもと てるひさ 山本 暉久 うえやま かずお 上山 和雄 斉藤 彦司 美術工芸と兼務 -中村 ひろ子 民俗部会と兼務 -手塚 直樹 考古と兼務 -池上 悟 考古と兼務 -五味 文彦 美術工芸と兼務 -斉藤 彦司 美術工芸・地域文化財と兼務 -西岡 芳文 美術工芸と兼務 -藤原 一繪 記念物部会と兼務 -○部会専門調査員 すずき のぶはる 鈴木 伸治 うちだ せいぞう 横浜市立大学准教授 土木 建造物部会 専門調査員 横浜市立大学特任教授 世界遺産 昭和女子大学教授 地域文化財 (任期:平成24年6月1日~平26年5月31日) 國學院大學教授 近代史 立正大学教授 考古(古墳・歴史) 青山学院大学教授 考古(中世) 大正大学教授 工芸(金工) 放送大学教授 文書

第13期 横浜市文化財保護審議会委員名簿

成城大学教授 絵画 (任期:平成24年6月1日~平成26年5月31日) 美 術 工 芸 元神奈川県立歴史博物館企画普及課長 石造建造物 神奈川県立金沢文庫学芸課長 歴史(中世) 清泉女子大学教授 民俗 元神奈川大学教授 民俗 彫刻 横浜国立大学大学院准教授 建築(民家・社寺) 関東学院大学教授 建築(近代和風) 考古(縄文) 考古 東京農業大学准教授 造園 建 造 物 横浜国立大学大学院教授 建築(近代) 昭和女子大学教授 記念物 民俗(芸能) 無 形 ・ 民 俗 元神奈川大学特任教授 植物生態学

(3)
(4)
(5)
(6)
(7)

横浜市指定有形文化財

1 名 称

東漸寺詩板

2 員 数

2 面

3 指定年月日

平成24年11月22日(予定)

4 所在の場所

横浜市磯子区杉田一丁目9番1号

所有者の氏名又は 名称及び住所

宗教法人 東漸寺 代表役員 酒井 康充

横浜市磯子区杉田一丁目9番1号

6 種 類

歴史資料

7 品質及び形状

木板製陰刻黒漆塗

8 寸法又は重量

〔左板〕 縦 35.0 ㎝ × 横 189.0 ㎝ × 厚 1.7 ㎝ 〔右板〕 縦 35.3 ㎝ × 横 189.0 ㎝ × 厚 1.7 ㎝

9 作 者

不明

10

製作の年代又は時代

鎌倉時代

応長元年(1311)頃

11

画賛、奥書、銘文等

別紙の通り

12

伝来その他参考とな るべき事項

調書参照

添付するもの

写真

資料1

(8)

指定調書 東漸寺詩板 員 数 2面 時 代 鎌倉時代・応長元年(1311)頃 法 量 〔左板〕 縦 35.0 ㎝ × 横 189.0 ㎝ × 厚 1.7 ㎝ 〔右板〕 縦 35.3 ㎝ × 横 189.0 ㎝ × 厚 1.7 ㎝ 所有者 横浜市磯子区杉田1丁目9番1号 宗教法人 東漸寺 代表役員 酒井康充 磯子区杉田に所在する霊桐山東漸寺は、臨済宗建長寺派の古刹。弘安年間(1278~ 1288)ごろ、北条(名越)宗長(または定長)を開基とし、明窓宗鑑(1234~1318)を開山と して創建された。二世住持には高名な禅僧である桃渓徳悟(1240~1306)がつき、さらに 了欽の代に本格的な造営がなされたらしい。永仁6年(1298)に鋳造された重要文化財の 梵鐘や、正安3年(1301)の「梁牌」を有する釈迦堂(神奈川県指定重要文化財)など数多 くの文化財を伝えている。 元亨3年(1323)の北条貞時十三年忌には東漸寺から 38 人の僧が出仕し、室町時代に は関東十刹に列している。かつては根岸湾に面する景勝の中に境内が広がっていた。 詩板は、東漸寺本堂の仏前両側の欄間に掲げられている。スギ材の長い板の両端を台 形にくり抜いて別材をはめ、端食(はしばみ)とする。左板の右側と右板の左側の端食部 は古くから欠損し、さらに関東大震災の被害を受け、左板右半分の上端約一文字分が破 損している。詩文を陰刻したうえで全面を黒漆塗とし金箔を施したものと見られるが、 金箔は今ほとんど剥落している。 江戸時代には仏殿裏にあった開山堂に掲げられていたが、安政2年(1855)の震災・風 災の後は庫裏の棚板に転用されていた時期があったという。明治4年(1871)に再建され た開山堂に再び掲げられたが関東大震災で倒壊、このとき詩板は傷つきながらも救出さ れ、現状に至ったものらしい。 無学祖元の漢詩を冒頭に刻む一枚目(左板)は、辛亥(応長元年〈1311〉)の円覚寺の東 明慧日の跋文と漢詩を刻んで終わり、二枚目(右板)は「山偈粛題 東漸勝地」という題 で始まる鎌倉五山の禅僧の作品を並べて刻むが、仏前から詩文を続けるためか、左から 右へと行を続けるところが珍しい。 左板冒頭の跋文によれば、弘安6年(1283)3月、無学祖元(1226~1286)が東漸寺住持 の明窓宗鑑の招きによって、葦航道然(首座)、涼庵(都寺)、機叟・納川(書記)、約翁徳 倹らの建長寺の役僧たちを引き連れて当地を訪れた際、その勝概(景勝)を七言律詩に詠 んだ。祖元は北条時宗の招請によって弘安2年(1279)に来日し、鎌倉建長寺の住持に招 かれ、同5年 12 月には円覚寺の開山を兼ねた。円覚寺開創の事業に一区切りついた時 点で杉田東漸寺に巡遊したものと想像される。 次に建長寺の一山一寧(1247~1317)が、祖元の詩と同じ韻を用いて作った詩、および 東漸寺の桃渓徳悟の和した詩を刻む。これに続けて無外慧方・約翁徳倹・林叟徳瓊・無 及徳詮・乾峰士曇ら 18 名の禅僧の詩を連ねるが、これらの禅僧が一堂に会して作詩の

(9)

会を開いたものかどうかは不明である。東漸寺開山の桃渓徳悟は徳治元年(1306)に 67 歳で示寂したといわれるので、それ以前ということになるが、元徳元年(1329)入寂説も ある(玉村竹二『五山禅僧伝記集成』)ということから、一概に定めがたい。ちなみに一 山一寧は正和2年(1313)に花園天皇の招きによって上洛し、南禅寺で4年過ごした後に 入寂している。 右板には、辛亥(応長元年〈1311〉)4月、円覚寺の東明慧日が東漸寺を訪問した時に 同行した禅僧 25 名の作品が並ぶ。その中には大川道通・南山士雲ら著名な禅僧も含ま れている。詩板はこのあと程なくして製作されたものと見られる。 収録された漢詩には、鎌倉から杉田まで馬で半日の行程だったこと、長江流域の焦山 普済寺と似た景観であること、漁業が盛んな様子、あるいは屏風ヶ浦の断崖を「石屏」 と譬えるなど、鎌倉とは異なった海辺の禅院の景観を賞した作品が連ねられ、往時の杉 田の風景が読み込まれているのが興味深い。 五山禅僧が風景を賞して詠んだ漢詩を板に刻み、勝地の堂祠に掲げた事例は文献上い くつか知られ、金沢の瀬戸明神に掲げられた嘉暦4年(1329)の清拙正澄の「三島廟亭詩」 や、同じ頃、夢窓疎石が瑞泉寺の山上の亭に掲げた「徧海一覧亭詩」などは有名である。 しかしいずれも原詩板は消滅し、今は詩文のみ記録されているに過ぎない。 中世の詩板として現存するものは、鎌倉市荏柄天神社の「栽梅法楽詩板」(前欠、応 永年間〈1394~1428〉)、円覚寺塔頭伝宗庵現蔵の「慈恩寺詩板」(応永 25 年〈1418〉) が知られているが、東漸寺詩板はこれより遥かに古い遺品であり、東漸寺や杉田地域の 歴史を刻んだ地域史料であるにとどまらず、五山文学史の上でも、日本禅宗史の上でも 稀有な価値を有する文化財と認められる。 【参考文献】 坪井良平「横浜市杉田東漸寺の詩板と梁牌」『歴史考古学』12 号(歴史考古学研究会、 1983 年 10 月) 関口欣也「武蔵東漸寺とその釈迦堂」『佛教藝術』151 号(毎日新聞社、1983 年 11 月) 『特別陳列・東漸寺』(展示図録、神奈川県立博物館/神奈川県文化財協会、1980 年 4 月) 『神奈川県文化財図鑑・補遺篇』(神奈川県教育委員会、1987 年 3 月) 『東京市史稿・港湾篇第一』(東京市役所、1926 年 3 月) 玉村竹二編『五山文学新集・別巻一』「詩軸集成」(東京大学出版会、1977 年 3 月)

(10)

〔武藏杉田東漸寺詩板〕

○武蔵東漸寺(横浜)所蔵

左板

千簇雲山踏曉青、巘嶇行盡路方平、携朋喜是

三春月、騎馬何嫌半日程、庭樹著花兼吐葉、海

天如雨却還晴、主人首蓿盤光美、慰我天涯遠

客情、

右、弘安六年三月、偕明因葦航

(道 然)

首座・涼庵都

寺・機叟書記・納川書記・約翁

(徳 倹)

小師恵明、赴東

漸明憲

(宗鑑)

之招、乘興一律、以記歳月、無學祖元書、

滄波渺渺接天青、霧歛煙消一望平、老眼逢春

添野興、小輿乘暖轉山程、沙堤古木參虚碧、海

寺奇花炫曉晴、珎重主翁延遠客、綈袍眞有故

人情、

謾用佛光禪師韻、奉呈東漸寺方丈桃渓

(徳悟)

福山

一寧

皇恐、

冥心丘壑絶追攀、放曠希夷宇宙寛、重疉山遮

名利路、渺茫海隔是非關、蒼松翆竹煙籠淡、古

岸平沙月照寒、即此逍遙無外事、白雲饒得伴

清閑、

東漸閑居

桃溪

江上晩來雪未晴、謝郎定錯自鴎盟、一身孤影

渺茫外、眼醉蒼波看玉屏、

無外

慧方

揀勝江干阻暮雪、輕鴎数點未寒盟、平生湖海

風波眼、贏得終朝對石屏、

約翁

徳儉

阻雪江濱待晩晴、開牕且看釣翁盟、煙波盡處

眼頭盡、又倚危闌獨石屏、

慧冲

精籃創建起樷林、三友聚頭用處深、水色緑和

青嶂色、梵音韻接海潮音、分明東漸懸讖記、親

得西來端的心、遠絶忙々塵世事、圓成須識輯

群襟、

不退

徳温

海環山轉處、寂寞歳月深、湖洗沙濱靜、鐘驚客

夢音、雲凝生嶺上、月淡照江心、四顧無窮事、有

(11)

誰解披襟、

景芳

東漸名藍接少林、海深爭似法源深、忘機智鳥

列寒影、捲葉金風助梵音、萬里孤舟分水脈、一

天明月落波心、視聽盡是世塵外、誰把世塵汚

衲襟、

無聞

自聰

此地分形隣少林、二株嫩桂緑陰深、前村不斷

漁歌曲、遠谷遙聞石磬音、親説舌頭無味話、全

提鼻祖正傳心、但仰聖加頻懇禱、蹄構速成容

衆襟、

明窓

宗鑑

漁歌斷續有無間、回首蘆花雪滿灘、只看寒蟾

生水面、不知何處別波瀾、

可菴

若進

寺在江濱馴白鴎、石屏如晝入幽眸、釣舩一曲

漁歌曉、明月蘆花天地秋、

林叟

徳瓊

峭壁嵯蛾碧浪深、樓臺倒影蘸波心、目前盡是

普門境、時聽海潮鼓梵音、

無及

徳詮

一筇抹過幾重山、歴盡崎嶇沙際寛、興未窮兮

回首去、松聲帶浪海風寒、

無絃

徳韶

月明午夜冷於秋、三島十洲一望中、若是眼睛

才定動、依前舩過海門東、

了欽

偶來東漸寺、水石自相宜、海月山雲興、餘生付

與誰、

歇堂

素心

眉欄危檻半江村、海遶山腰樹影昏、目送不知

餘幾里、孤烟淺處著蟾痕、

巨山

志源

波瀾浩渺拍青天、短樟孤舟破曉煙、曲笛漁歌

屏石外、不知吟盡幾多年、

春谷

徳煕

寒江夜靜月團々、萬里雲濤萬里天、蕩泳漁舟

蘆葉外、金鱗不食枕莎眠、

(松嶺)

知義

乘興優遊江上寺、潮聲只打玉屏寒、孤舟一葉

滄溟月、幾照漁翁把釣竿、

獨照

祖輝

江上青山々下寺、滄波渺々亂鴎飛、海天萬里

(12)

無雲夜、數點漁舟載月歸、

白雲

惠宗

因到

盛山拜禮、得瞻

佛光禪師尊韻、敬

借以述所見、仍呈

堂頭

(徳瑩)

玉翁老師、併得以

紀曾到云、時同道南翁・

(本立)

千峰二首座、梅庵記

室、辛亥

(応長元 年1 3 1 1)

四月廿日、瑞鹿山主

( 東 明)

慧日再拜、

乘興攜朋偶踏青、山回海國目潮平、人家煙起

知炊近、梵刹鐘沈復問程、夏木森陰將作雨、嵐

光氣肅又舒晴、閙中消息靜中看、輸與山翁樂

道情、

〔武藏杉田東漸寺詩板〕

○右板

山偈肅題

東漸勝地

圓覺

慧日

萬木清陰蔽梵宮、此時未怯野僧心、何當勝集

高秋節、得聽寒濤響夜砧、

千載桃翁舊典刑、焚修繼續徳惟馨、門庭臨岸

接蛟室、殿閣倚空對石屏、氣霽前灘煙浪闊、風

回別□水雲腥、奇蹤恰類焦山景、只欠沙頭瘞

鶴銘、

千峯

本立

徑通幽處海天寛、潮落沙汀鴎鷺閑、憶得高秋

清夜景、寒濤搗月浸欄干、

象先

文岑

風柔雨霽螭江靜、數點漁舟剪浪浮、養得山雲

海月意、幾回取棹又隨流、

常證

山圍平海小坤維、白鳥衝潮映落暉、空盡十霜

瓢泊恨、水天上下碧琉璃、

大川

道通

傑出東州仙境地、千峰環拱鎖煙雲、杖頭活落

生平眼、月印海心玉一痕、

(祖裔)

竺芳

海闊水寒舟一葉、漁竿拗折樂無餘、夜深天月

落波底、祗釣清光不釣魚、

可遵

渺茫蒼海如天遠、清月沈々漾碧流、是處勝幽

(13)

難比類、漁翁夜靜下綸釣、

祖淵

呑空海脈平如慰、繞屋千山眼底幽、彷彿姑蘇

城外寺、鐘聲和月落漁舟、

芝景

歌聲欸乃報潮去、萬頃煙波碧似眉、永夜不眠

騒子意、幾和明月下漁磯、

覺允

海濱風定夜方靜、萬頃波心月一圓、睡美沙鴎

不知處、謝郎猶在釣漁舩、

徳輔

滄溟渺々接天遠、月落波心鏡樣新、夜靜扁舟

歌宛轉、篷窻多有不眠人、

(月翁)

元規

海遶山圍遥望外、謝郎釣月未收綸、此身疑是

到三島、桂渚松汀改觀新、

悗堂

聰賀

海脈呑門占要津、倒沈坤軸鏡容春、蓬莱三點

水雲闊、眼底清幽不受塵、

銕菴

道生

前年捜勝海邊寺、目斷煙波萬里天、今日重來

江上望、白鴎盟在釣漁舩、

雲屋

慧輪

嵐光水色異人間、門外波濤屋後山、漁唱斷時

樵唱續、倚欄贏得樂清閑、

素燦

驅興優遊江口寺、既知風景勝諸方、去來人記

存亡跡、長短句傾今古腸、樵唱漁歌爭品弄、水

光山色幾平章、雖慙一字無新趣、不免効顰寫

斐荒、

南山

士雲

月落霜濃曉欲開、寒潮靜打石屏回、思量不到

遠煙浪、盡上幽眸一瞬來、

鰲峰

徳存

祖宗東漸地、遐邇播佳名、山擁玉樓嶮、海涵碧

落清、松風吹夢轉、月色映牕明、物化渾奇異、有

誰知此情、

玉山

徳璇

水遶山腰碧似藍、月離雲嶠落波瀾、數聲欸乃

漁歌外、風捲蘆花洲渚寒、

靈岩

至昭

路頭盡處到東漸、極目江湖連碧天、漾浪扁舟

斜照外、遊人佇立石屏邊

見山崇己

(喜)

(14)

月寒夜靜清波好、獨棹漁舟自扣舷、半捲絲綸

回首看、白鴎驚起五更天、

聰祥

佛法分明東漸寺、樓臺湧出海天涯、濤山浪屋

都相似、旦暮鐘聾漁客歌、

乾峯

士曇

東國天然絶勝山、滄波浩渺石屏欄、鐘聲一撃

江村曉、驚動漁舟客夢殘、

(東里)

徳恵

隨侍相依勝地遊、層樓殿閣聳平洲、海天空闊

月明夜、萬頃煙波一目收、

敏泰

崎嶇行盡到平寛、無限風光笑裏看、桃臉暈紅

羞小雨、柳眉顰緑怯輕寒、芹塘燕觜香泥滑、花

塢鸚喉薫露乾、歴々見聞曾不昧、見中如脱透

何難、

一山

一寧

○コノ一板左書ナリ今右書ニ改録ス、東漸見性塔

掛壁題詠ニヨツテ校ス、東明慧日ノ何當勝集「高」

秋節ノ高字ノミハ東漸寺由緒内杉田名陽記ニヨツ

テ補フ、

◎玉村竹二編『五山文学新集』別巻一「詩軸集成」

(一九七七年、東京大学出版会)初秋の

翻刻に基づき、原本に従って改行した。

(15)

東漸寺詩板

(左板)

(16)

横浜市指定無形民俗文化財

1 名称

根岸の榊神輿

2 指定年月日

平成24年11月22日(予定)

当該無形の民俗文化 財を主として保持し ている者若しくは団 体又は保存すること を主たる目的とする 団体の氏名又は名称 及び住所

保存団体 根岸榊神輿保存会

代表者 寺田寛

住 所 中区根岸町二丁目118番地

4 内容及び由来

根岸八幡神社の例祭に際し根岸町で3年に一度行

われる榊で制作した神輿を中心とした祭礼行事

5 行われる時期及

び場所

3年に一度の8月第2土曜日および日曜日

中区根岸町および磯子区西町根岸八幡神社

6その他参考となる

べき事項

指定調書参照

添付するもの

写真

資料2

(17)

指定調書

「根岸の榊御輿」

行われる時期 3年に一度の8月第2土曜日および日曜日 および場所 横浜市中区根岸町および横浜市磯子区西町根岸八幡神社 保 存 団 体 団体名 根岸榊神輿保存会 代表者 寺田寛 住 所 中区根岸町二丁目118番地 根岸の榊神輿は、根岸八幡神社の例祭に際し、根岸町で3年に一度行なわれる榊で制 作した神輿を中心とした祭礼行事であり、榊祭りとも呼ばれる。 祭りの準備は神輿作りからはじまる。祭りの5日前には近在での調達が難しくなった 大量の榊を千葉や静岡などから買い求め、必要な長さに切りそろえて根岸町の白滝不動 の滝壺に一晩浸す。担ぎ棒となる丸太を取り付けた井桁状の台座に榊の枝を順次結び重 ね、2メートル四方、高さ1.6メートル、重さ400キログラムという四角錘状に形 を整え、幣を結びつける。 榊神輿は宵祭りに魂入れを済ませて町内を巡行し、祭礼当日は朝神酒所から八幡神社 に向かい祓いを受けた後、榊神輿、山車、子供神輿に近年は子供のお囃子車が加わり町 内を巡行する。榊神輿の担ぎ手たちは化粧を施し、榊儒袢と呼ぶ長襦袢の色や柄に趣向 を凝らして競い合い、神酒所に戻った榊神輿は待ち受けた人々の手で榊が抜き取られ、 榊は1年の安泰を願って家々の神棚に供えられる。 かつては根岸町を含む4つの地区が輪番で毎年榊神輿の制作に当たり、神輿は巡行し た後海に入り榊の枝を沖に流して大漁や安全を祈願したという。戦時中に中断し、戦後 断続的ではあるが再開し昭和50 年を最後に途絶えていた榊神輿は、昭和60年根岸町 で復活する。榊神輿はもともと加曾と呼ばれた根岸町が祀ってきた白滝不動の祭礼であっ たとも伝えており、海が埋め立てられ海上への渡御はないが、3 年に一度榊を用いて神輿を 制作する祭礼行事として定着し、平成6年には保存会が結成された。本牧八王子神社の榊 神輿が途絶えた今、市内に残る唯一のものとなった。 以上、根岸の榊神輿は、氏子たちが神を迎えるための神輿を自らの手でしつらえると いう祭礼の一つのあり様をよく伝えるものであり、また横浜という変貌著しい地域にあ っての復活と継承は今後の民俗文化財存続の可能性を示唆するものでもある。よって市 の無形民俗文化財に値するものと評価した。

(18)
(19)

文化財の種類

横浜市地域有形文化財 歴史資料

平野玉城と永野地区学校教育の成り立ちを示す資料群

3点

① 勝海舟の書「永谷学校」

② 永野小学校「学校沿革史」

③-1 平野武雄から斎藤止女男宛書簡(昭和31年7月

28日) 附、平野玉城写真

③-2 平野武雄から斎藤止女男宛書簡(7月7日)

港南区上永谷二丁目21番10号

(横浜市立永野小学校)

横浜市

登 録 年 月 日

平成24年11月22日(予定)

登 録 調 書

別紙のとおり

資料3

(20)

地 域 文 化 財 登 録 調 書

平 野 玉 城 と 永 野 地 区 学 校 教 育 の 成 り 立 ち を 示 す 資 料 群

員 数 3 点 種 別 地 域 有 形 文 化 財 歴 史 資 料 所 有 者 横 浜 市 所 在 地 横 浜 市 港 南 区 上 永 谷 二 丁 目 21 番 10 号 ( 横 浜 市 立 永 野 小 学 校 ) 時 代 明 治 ~ 昭 和 期 明 治 25 年 創 立 の 横 浜 市 立 永 野 小 学 校 の 校 長 室 に は 、「 海 舟 」署 名 の「 永 谷 学 校 」の 額 が あ り 、明 治 末 期 に ま と め ら れ た と 推 定 さ れ る「 沿 革 史 」は 、 学 制 発 布 後 に 当 地 域 に 設 立 さ れ た 棲 心 庵 学 舎 か ら 永 谷 学 校 、永 野 小 学 校 に 至 る 経 緯 、 さ ら に 職 員 ・ 学 校 長 ・ 学 務 委 員 な ど の 任 免 を 記 し て い る 。「 沿 革 史 」は い っ た ん ま と め ら れ た 後 、異 筆 で 書 き く わ え ら れ 、ま た い く つ か の 書 類 が 綴 じ く わ え ら れ て い る 。 そ の 中 に 、 平 野 武 雄(玉 城 孫 、 直 吉 子 )の 2 通 の 書 簡 も 綴 じ ら れ て い る 。 こ れ ら に よ っ て 明 ら か に な る 同 小 学 校 の 設 立 沿 革 に 加 え 、近 接 す る 貞 昌 院 に 所 蔵 さ れ る 海 舟 の「 眠 雲 」の 書 、同 寺 に 所 在 す る 玉 城 の 墓 石 、さ ら に 二 代 、か つ 長 期 に わ た っ て 同 小 学 校 の 校 長 を 務 め て い る 貞 昌 院 住 職 や 地 元 の 方 々 か ら の 聞 き 取 り な ど を 合 わ せ 、永 谷 学 校 、永 野 小 学 校 の 設 立 期 の 状 況 が 明 ら か に さ れ て い る 。 そ の 内 容 は お お よ そ 以 下 の 通 り で あ る 。 幕 末 期 、勝 海 舟 の 下 に あ っ た と い う 平 野 玉 城 は 、維 新 期 に 江 戸 か ら 流 れ て こ の 地 に 住 み 着 き 、当 地 有 力 者 の 支 援 を 得 て 寺 子 屋 を 開 き 、学 制 に 基 づ く 学 校 が 設 置 さ れ る と 、明 治 10 年 に 永 谷 学 校 の「 第 三 級 訓 導 補 」と な る 。 海 舟 の 書 は 、 同 校 が 新 築 さ れ た 明 治 12 年 に 得 た も の と 推 測 さ れ て い る 。 因 み に 、同 人 の 子 平 野 直 吉 は 明 治 15 年 か ら 25 年 ま で 訓 導 、初 代 校 長 と し て 、 ま た 縁 者 と 思 わ れ る 平 野 コ ト も 同 期 間 、 訓 導 と し て 勤 め て い る 。 永 野 小 学 校 で は 、「 港 南 歴 史 協 議 会 」 有 志 の 協 力 を 得 て 、 父 母 を 対 象 と す る 学 習 会 な ど を 催 し 、ま た 児 童 の 郷 土 学 習 に も こ れ ら の 資 料 を 活 用 し て 学 校 の 成 り 立 ち を 学 ば せ 、地 域 所 在 の 文 化 財 の 重 要 性 と 、地 域 の 歴 史 を 知 り 郷 土 を 愛 す る 意 識 の 醸 成 に 努 め て い る 。 近 代 学 校 教 育 の 成 り 立 ち の 一 つ を 示 す も の と し て 、貴 重 な 資 料 群 で あ る 。

(21)

平野玉城と永野地区学校教育の成り立ちを示す資料群

(1)勝海舟の書「永谷学校」

(2)永野小学校「学校沿革史」

(22)

(3)①平野武雄から斎藤止女男宛書簡(昭和 31 年7月 28 日)附、平野玉城写真

(23)

【参考】

平野武雄から斉藤止女男宛書簡

③‐1(昭和三十一年七月二十八日) 拝啓 過日ハ御校経歴及六十年祭記念品拝 受御厚礼申上候、此写真ハ祖父玉城に有之、先 U 般書斎の内より発見候間、明治初年の俤 U 且永谷学校額に縁古のものと存し、御校に U 寄進致し度御受納被成度、小生の幸甚に 存する次第ニ候 U 撮影の時期不明ニ候も明治十二年永谷学校 U 命名の前後ならんかと存られ候 敬具 昭和三十一年七月二十八日 平野武雄 斎藤先生 机下 ③‐2(七月七日) 謹啓玉章拝受御禮申上候 仰の件につき申上くる事ハ聊か拙家の 成立を申上くる事と相成り、恐縮至極 候、先祖より徳川家の幕下として U 忠勤をいたし居り、祖父平野玉城ニ至り U 明治元年維新ニ際し、彰義隊として U 上野ニ於て官軍ニ抗し、其の砲撃ニ苦み U 勝海舟の意見により隊ハ支散し、玉城も U 身を以て永谷に奔り、福本與兵衛氏の掩 U 護の下に一年を経過し、西木嘉兵衛氏 U 瀬之間氏、大津久五郎氏、通称神橋氏(同氏名を忘却せるを謝す) U 等御地大家の御支援により、聊か育英 U 之目的を以て手習師匠寺小屋として出発、 時ニ四書等も講したるらしく、祖母しま(明治三十□年七月二十一日□原にて死) は傍ら縫仕事を指導し、御陰を以て 生存することを得、年月不明なるも永谷 U 学校の小校舎が通称鳴海と申すところ

(24)

ニ建設せられ、其の際玉城ハ海舟 先生之恩顧により「永谷学校」の 揮毫を得たるものに候、其後玉城ハ 鎌倉に隠棲し漢学を教へ居れり、二十四年 に没したる故御地を去りたるハ其の五六年前かと 推察致し候、永谷学校ハ父直吉が其の後 教鞭を執り、小生ハ其の学校の一室にて明治 十六年八月出生せしものニ候、父ハ其後(小生九才迄御健在) 鎌倉由井ヶ浜小学校々長ニ転出 明治二十四年七月二十一日祖父は鎌倉 長谷ニ於て死去、戒名楽性院釋浄養居士 なり、御地有志之方々の御言葉により 天満宮裏山ニ分骨埋葬の栄を 享け今日に及候、墓ハ四谷愛住町先祖 代々の菩提寺浄運寺ニ有之候、 又墓地ニつきてハ野庭飯島様之 一方ならぬ御尽力を忝ふしたるものと記憶候 前記御世話ニ相成候方々の御幾重ニも誤り又 洩れも有之べく、御寛容被下度候 敬具 七月七日 平野武雄 斎藤止女男様 御侍史 二伸 小生目下閑居、冬ハ犬を連れ山野 を歩むことを楽しみ居り、時ニ西木氏を 訪ね御高説を拝聴することを楽しみニ候、 時々御地の山河に接し、開け行くありさま も其の山姿河容に俤を止めなつかしく候、 何れ機を得て拝眉を得度候 目下教育勅語中父母ニ孝ニより 国憲ニ遵ヒ迄を孫共にふき込み 致し居候、老人の一徹御笑ひ被下度候

(25)

資料4

「武家の古都・鎌倉」イコモス現地調査結果の概要について

1 調査機関

平成24年9月24日(月)~9月27日(木)の4日間

2 調査員

中国イコモス国内委員会委員 Wang Lijun(ワン・リジュン 王力

)氏

3 調査日程

9月 24 日(月) 神奈川県入り、現地調査(称名寺、朝夷奈切通)

9月 25 日(火) 現地調査

(若宮大路、鶴岡八幡宮、荏柄天神社、永福寺跡、法華堂跡、

名越切通)

9月 26 日(水) 現地調査

(和賀江嶋、極楽寺、大仏切通、北条氏常盤亭跡、仮粧坂、

亀ケ谷坂、浄光明寺、寿福寺、東勝寺跡)

9月 27 日(木) 現地調査(円覚寺、建長寺、覚園寺、瑞泉寺、鎌倉大仏)

4 調査結果

・調査員は、4日間に渡る調査日程を無事に予定通り終えた。

・資産の保存管理の状況については、一定程度の理解は得られたものと考える。

・調査員の関心が高かった事項は、各資産の範囲設定、防火・防犯等を含めた保存管

理の在り方についてであった。

(※国際イコモスによる要請により、調査員は、調査内容及び評価について、具体的

なコメントを表明することができない。)

(26)
(27)
(28)
(29)
(30)
(31)
(32)

(案)

平成 24 年 10 月 31 日

横浜市教育委員会

教育長 山田 巧 様

横浜市文化財保護審議会

会 長 五味 文彦

横浜市文化財保護条例に基づく市指定文化財の指定について(答申)

平成 24 年 10 月 19 日付教生文第 1523 号で諮問のありました市指定文化財の指定につき

ましては、

平成 24 年 10 月 31 日開催の横浜市文化財保護審議会において審議いたしました

結果、別紙2件については横浜市文化財保護条例第6条第1項、第32条第1項に規定す

る有形文化財及び無形民俗文化財の指定に該当する旨、意見の一致をみましたので、答申

します。

(33)

平成24年度 横浜市指定文化財候補

番号種別 種類 名称 員数 所有者の氏名又は名称 所在の場所

1 有形文化財 歴史資料東漸寺詩板 2面 宗教法人東漸寺 磯子区杉田一丁目9番1号

(34)

(案)

平成 24 年 10 月 31 日

横浜市教育委員会

教育長 山田 巧 様

横浜市文化財保護審議会

会 長 五味 文彦

横浜市地域文化財の登録について(回答)

平成 24 年 10 月 19 日教生文第 1523 号で意見照会のありました地域文化財の登録につき

ましては、

平成 24 年 10 月 31 日開催の横浜市文化財保護審議会において審議いたしました

結果、別紙1件については横浜市文化財保護条例第45条に規定する横浜市地域文化財の

登録に該当する旨、意見の一致をみましたので回答します。

(35)

平成24年度 横浜市地域文化財 登録候補

番号種別 種別 名称 員数 所有者 所在地

参照

関連したドキュメント

○齋藤部会長

〇齋藤部会長 ありがとうございます。.

会  議  名 開催年月日 審  議  内  容. 第2回廃棄物審議会

職員配置の状況 氏 名 職種等 資格等 小野 広久 相談支援専門員 介護福祉士. 原 健一 相談支援専門員 社会福祉士、精神保健福祉士、介護支援専門員 室岡

○鈴木部会長

○古澤資源循環推進専門課長 事務局を務めております資源循環推進部の古澤 でございま

なごみ 11 名(2 ユニット) 、ひだまり 8 名(2 ユニット)短期入所(合計 4 名) あすわ 2 名、ひまわりの家 2 名

○町田審議会会長代理