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The Sooio Socio-Economic Eoonomio History Society Sooiety 社会経済史学 79 2 (2013 年 8 月 ) 圖 近世ハンブルクのバルト海海上貿易 中継貿易都市の流通構造に関する 一考察一 菊池 雄太 その 近世ヨーロッパの商品流通は, さま

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(1)

The Socio-Economic History Society

NII-Electronic Library Service The  Sooio

Eoonomio  History  Sooiety

  『社会経済 史学』79

2 (2013 年 8月)

近 世

海海

上 貿

中継 貿 易都 市

構造

考察

菊 池  雄 太

 近 世ヨ

ロ ッパ の商 品流 通は

さまざ ま な 政 治 的

経済的

自然 的制約に縛られてお り

その もとで陸 路

河 川 路

海路がそ れ ぞ れどの程度の役割を果たし て いたの か

た び た び 議論されて きた 水上交 通を 主要 輸 送 手 段とする立場に対し て は陸路交通 を 重視す る 立 場 か らの反 論が提 出された

そのため

いずれか の み を 重視 する結 論を 下 す こと は 不 可能で あ り

むしろ時 代 や 地 域に特 有な商 業 条 件を考 慮しつ つ

そので どの よ う な流通構造が み ら れ るのか を分 析す る 必要 があ る。 ハ ンブル ク は陸 路

河 川 路

海 路か ら なる貿 易 路に よ り展開す る中継貿易を発 達させ た都 市であり, こ の問 題に対し格 好の事 例を提 供 する

本 稿は

同市のバル ト海 地 方 との海 上 貿 易 を 例に と り

陸上交通と比 較しつ つ の流 通構 造を分 析し た

検 討 課 題は

どの ような商 品がい かなる条 件の下

ル ク で中継さ れ

海 路に よ り輸 送 されたのかで あっ た

その結 果

ハ ンブル ク に特 有な政 治的

経 済的諸条 件 を 背 景とした流 通 構 造

と り わ け精製のた め市内に搬入 さ れ た砂 糖を大 量 輸 送の必要か ら海 路で再輸 出するパ タ

ンが 18 世紀になっ てか ら定着し たこ とが 判 明した。

1

問題の

所在

 

近 世ハ ンブ ル ク の

中継貿

の め ざましい 発 達は当 時に お い てすで に同時 代 人の目 を 捉 え

,17

末の イギリス 人 旅 行 者

「ハ ンブル ク は いま や ドイ ツ

バ ル ト

海,

倉庫

と なっ た」     1) と記し

,18

世 紀 後

人の手

r

し た商 人』を 著し た

G .

Chr ,

ンは

「ヨ

ロ ッ パ の

東,

そ して 南と西の ほぼ中 央, さ らに

2

つ の大

[北 海と バ ル ト海

引 用 者 ]の そ ば」に 地 するハ ンブル ク の地 理 的な好 条 件を

指摘

中 継

貿

易 がハ ン ブル ク商 業の主 要 部 門で       2) ある 」 とした。 こ の基 本 的 特 徴 把

は現 在の 研 究に お い ても

き継が れてお り

,近

世ヨ

ッ パ

経 済

におけるハ ン ブル クの 重 要 性を 明 らか に した

K .

マ ンに よ れ ば, 同市の 主

機 能は 「港 湾に特 徴 的なそ れ

すな わ ち ヨ

ロ ッ パ 大 陸へ

あるい は ヨ

ロ ッ パ 大 陸か ら商 品が通 過 す        3) る

中継

の場

そ して商 品 が 売 買される集 散 地 とし て の

機能

」 で あっ た

。15 世紀

ロ ッ パ

経済

の重心が西方へ 移 動し て い く過 程に お い て

同市が その

通の 主

経 路の

部を担い

北 海

大西

圏と中 欧

バル ト海 経 済 圏 を 結ぶ中 継 貿 易を拡 大し た こ と は

商 業 史 研 究に共

さ れる認 識で る。

1)

W .

Carr,7

αvets through Ftanders

 Holland  

Germany ,

 

S

ωeden αnd  

Denm

αrh , 

London

 1693

p

108

2) 

G .

Chr ,

Bohn ,

ヱ)er 

Wohterfahrne

 Kαu αnn

5

 

Aufl.

 

Hamburg ,1789,Abt .

1,

 

S

 

2 .

3)

 1

Newman ,

‘Hamburg  in the European  Economy

1660

1750

,Journal

 of European  Eco

 nomic  Histoy

14

1(1985)

p

58

253

)  

109

(2)

[研究ノ

ト] 近世ハ ル ク の バ ル ト海海上貿易 (菊池雄太) 中 継 貿 易の 発 達を論 ずる際に留 意 すべ 大 陸ヨ

パ の商 品 流 通は鉄 道の 登 場 以 前に は

に大 きな

約に

ら れて お り

と り わけ ドィ ッ地域の

通は未 発

であっ た点である。

分 裂 状 態は体 系だっ た道 路 整 備を妨 げ

未 舗 装の 道 路は劣 悪 な 状 態に おかれ

貨 物 輸 送を困 難 に し た。 水上

通 も

自然 条 件や商 業 政 策

高 関 税な どによる制 約を免 れ 得 ず

中 継 貿 易の発 達 を 促 進 する商 業 条 件は概して恵まれてい な かっ た。 この ような

環境

の もとで

い か な る交 通 手 段 が

品 流 通に お い て中心的 役 割を果たし て い たのかに つ い て は 研 究 者の 見 解は

致しない

(道 路 )に対 する水上

す なわ ち河 川

運 河

あるい は海 路 を 利 用した輸 送の優 勢は し       4) ばしば 指 摘さ れ て きた。

陸 路重 視す る 立 場 か ら はな る

示 さ れ る

代 表

M .

シ ュ ト ラ ウベ に よる

連の論 考であ り そ こ で は ラ イプ ツ ィ ヒを巾心 とし た陸 路 交 通の 活

      5} かつ 広 域な展 開が

量的に証 明さ れ た。 陸 路 交 通に対 する高い評 価は

,A .

シュ ミッ ト

デ        6} ル のエ ァ フ ル ト大 青 貿 易を例にとっ た研 究

日本では 馬場 哲に よ る

作の シ ュ レジエ ン

麻織物輸

      7) 送 に

す る言 及 な どに み ら れる

。H .

ケレ ン ベ ン ツ は 当 時の交 通で は 「陸 路 輸 送に対し て と りわけ 海 上 輸 送に特

づけ ら れる水 上

送の

本 的な優

」がみ られる反 面

海 難 や海 賊 行 為に       s) よる海上輸 送の 危 険を避 ける ために

陸 路 輸 送 が 好 まれる場 合 もあっ た とする。 このよ うに

,商

4) W

グロ

スハ ウプ トに よれ ば

「荷 車は小さく

遠 隔 地 貿 易で は 可能な かぎり 河 川 や海が利 用さ  れ た

航 海 方 法の大 き な 改 善に よっ て

鉄 道の時 代 以 前は船 舶 航行に比 類 する もの は な かっ た」。 W

 GroBhaupt,

Kaufleute,

 

Waren

 

 

Geldhandel

 und  

NaehrichtenUbermittlung

 

in

 

der

 

Neuzeit

,in

  R

Koch (Hg

Br乱c んe zwisehen (ien Vδlleern

 Zur Geschichte der Frαnkfurter  Messe

 

Bd .

1,

 

Frankffurt

1991

 

S .

225 

f.

14世 紀降に活 発 化した運 河 建 築に よっ て商 品 輸 送が促 進された こと

 は問 違い ないであ ろ う

M .

Seheffel

 f KUnstliche WasserstraBen  : Kanale 

 in J

Bracker u

a

 

(Hg

Die Hanse

 Lebenswirlelichkeit und  

Mythos,

3

 

Aufl、

 LUbeck

1999

 S

797

800

P

ク   リ

テ は

道 路の状 態が悪 くな るほ ど

運河網の重要 性 は 大きくな る。 [

] 道 路は 2つ の運 河を

 

結ぶた め だ けに利 用さ れる こ とが し ばしばあっ た 」 と述べ る P

Kriedte 

Trade

,in

 

S .

 

Ogilvie

 

(ed

,Germ

αny

 

A

 

Ne

ω

Soci

α1αnd  Econonzic History

 Vol

2

 London &

New

 

York ,1996,

 p

  102

さ らに水 上輸送を 重視する 立場を と る研 究と して

高 橋 清 四郎

r

ドイ ツ商 業 史 研 究

一一

八 世紀  プロ セ ンに おける河川

運河交 通

』 御茶の水書房

1977 年

5

M .

Straube

, 5Zum

 

Warenaustausch

 

im

 

Ost−West−

Handel  auf  dem  Landwege  in 

der

 ersten

 

Htilfte

 des 16 ,

 

Jahrhunderts

 Wissenschaftliche

 

Zeitschrif

der

 

Pttdagogischen

 

Hochschule

 

Leipxig

(1977 Nr

3)

S

22

−36

;M

 

Straube,

Leipzig

 und  

Sachsen

 im ost

und  sUdeuroptiis

 

chen  

Handel

 

des

 18

 Jahrhunderts

」α

hrbuch

彫r 

Wirtsch

α

ftsgeschichte

(JbWG ) (1978

 Teil

 

1)

,S .

239

244 ;M

Straube

Zur Stellung der Leipziger Messen  im Uberregionalen 

Waren −

verkehr  zu  Begi 

des

 

16.

 

Jahrhunderts

 in:JbWG (1979

 Teil 3)

S

185

205 ;M

Straube

 

Mitteldeutsche St註dte und  der Osthandel zu 

Beginn

 

der

 

fhdhen

 Neuzeit

 Forschungsergeb

 

ni$se

  Forschungsm6glichkeiten

 Forschungsnetwendigkeiten

B .

Kirchgassner

& H

P

 

Becht (Hg

Stadt und  Hαndel  

Sigmaringen,1995,

 

S .

83−

106

6)  A

Schmidt

Handel

Landtransport  im 

Spgtmittelalter

 und  

in

 

der

 

Friihen

 

Neuzeit

 am Beispiel des Erfurter Waidhandels

 

in

 

M .

−L .Heckmann

J .

R6hrkasten

Hg .

臨 瓶

gorod bis London

 

Studien

 ZU 

H

αndel

 

Wirtschaft

 und  

Gesellsch

α

ft

 

im

 mittel α

lterliehen

 

Euro

ρα

 

G6t

ingen,

2008

,S 、

197

212

7

 

馬 場 哲

r

ドイツ農 村工業史

プロ ト工業 化

世 界 市 場

東 京 大 学 出版 会

,1993

78

 79 頁。

8

 H .

Kellenbenz,

Das Verkehrswesen  zwischen  

den

 

deutschen

 Nord

und  Ostseeh 齟 en  und

 dem

 

Mittelmeer

 

im

 

16.

 und  

in

 

der

 ersten  Halfte 

des

 

17.

 

Jahrhunderts

in A

V

Marx (Hg

 

Tr

αsPorti  e svilwppo  economico

 sec

 XCIII

XVIII

 Florenz

1986

 

S .

121.

(3)

The Socio-Economic History Society

NII-Electronic Library Service The  Sooio

Eoonomio  History  Sooiety

 

r

社 会 経 済史学 』79

2 (2013 年 8月) 品

構造

をめ ぐっ て は ,

検討

する時 代, 地域, 都 市の立地, 貿 易 部 門に よっ て

し く異 なっ た

結果

が出る と

え ら れ

に い

れ か を重

する結 論を下 すこ とは で きない 。 む し ろ

近 世 都 市の 中 継 貿 易

時 代や地 域に よっ て変 化 する特 有な商 業 条 件に 影

され

それによ り逐 次 複 雑 な商 品 流 通 構 造を 示す もの と考 えるべ で あろ う。 その理解の た め に は

視 点 を

都 市に定め, その 都 市 が 有 する貿 易路それ ぞれに 目配りするこ とで

構造

総体

的に分

する

例 研究の

重ね が必 要である

 

近 世ハ ン ブル ク は

中 欧

バ ル ト海 地 方に広が る後 背 地へ 陸 路

河 川 路

海 路によ る

絡を右       9) して いた こと か ら

こ の問 題に アプ ロ

チする た めの格

の研 究

象と な る。

17

か ら

19

初頭に おける同 市の 陸 路

川路 貿 易を扱っ た最 近の論 考で は

当 貿 易が北 海

大西洋 貿 易と 密 接な連 動 関 係にあ り

各 陸上貿 易 路が さ ま ざ ま な商 業 条 件に応じて利 用されるこ とで

全 体 と       le) して中 継 貿 易を機 能させ てい たこと が示された。 その中で

リュ

クへ の陸 路

運 河ル

ト がハ ン ブル クとバ ル ト

地方を結ぶ重要なチ ャ ンネル で あっ た こ と が

調さ れ た が

バル ト

地 方との

絡に は海

による結びつ き もあり得た。 玉木

明は

ハ ンブル クか らバ ル ト

へ 向       11} けた

民地

物産

出 が

18

中に

大し たこ と を

指摘

して い る。 それで は

ハ ン ブル ク を

継 するバ ル ト

海海

貿

易は

貿

易と 比 し た場

どの よ うな特

を もち, それはハ ンブル ク 中 継 貿 易の全 体 構 造の中に どの よ うに位 置づ け ら れる の か 。 言い 換え れば

どのよ うな

品 がい かなる条 件の 下

ハ ン ブル ク で中 継され

海 路に より輸 送された の か

こ こ で 前 提とし て留 意 す べ

こ の 中継 貿 易で は前 面地 (北 海

大西洋 経 済 圏 ) と後 背地 (バ ル ト海 地 方 ) との

      12) か ら

路とい うル

トがと られてい る点である

つ ま り

ハ ン ブル ク に接 続 する道 路 や 河 川 路 を 利 用

貿

易と

な り, 交 通の 便か ら 同 市 経 由で商 品を輸 送 する理 由が欠 けて い る。 北

か らハ ン ブル ク に至るに はエ ルベ 川 を

100km

遡 らけ れば ない の で 、 さ らに以下に

べ るよ うに

バ ル ト

海海

上貿 易におい てハ ン ブル ク

船舶 ・

商 品に は政 治 的に対 立 する デン マ

ク に よっ て

制約

がか け ら れてい た 。 し たがっ て, 商品 がハ ンブル ク で

上か ら

上 へ 中 継さ れ 必 然 性を考 察 する必 要がある。

 

で は

まずハ ブル ク のバ ル ト海 海上貿 易に っ とも大 きな影 響を及 ぼし たデン マ

ク に よ る通

規 制につ い て, 従 来 知 ら れて い る以上 の事 実を確 認 するこ とで

商業条件

を 正

に把

し, そ れと関

させ る

でハ ンブル ク

バル ト海 間の 輸 送を担っ た船 舶の 構 成と航 行パ タ

さら にハ ン ブル ク で中 継され た 積 荷の分 析 をお こない

上記の問 題

tc

対 する

解答

導 く

対象

る 時 代は 陸上貿 易との比 較

史 料 状 況な どに鑑み つ つ

ル ク

業 全

た る 9)  内陸には陸 路とエ ル ベ 川

バ ル ト海 地 方に は リュ

ベ ッ クへ 向 けた陸 路とシ ュ テ クニ ッ ツ運 河を  利用し た河 川 路

さ らに海 路によ りアクセ ス で きた

10

} 菊 池 雄 太 「ハ ンブル ク の陸上貿 易1630

1806 年

内陸とバ ル ト海地方へ 商 品 流 通

r

社 会   経 済 史 学』第

78

巻 2号 (2012 年8月 )

27

51頁。 11) 玉木 俊 明

r

北 方ヨ

ロ ッ パ の商 業と経 済

1550−1815

年』知 泉 書 館

2008

291−

292 頁

12) 港湾の後背地へ は陸 上 交 通に よ り連 絡 するもの と

般 的に み なされる であろうが

リュ

ベ ッ ク  へ の陸 路に よっ て結 ば れる バル ト海 地 方 を 後 背 地と して捉え る以上

海 路に よっ て 到達する 場 合 で あ  っ て も そ れは後 背地 と呼ぶべ きであろ う

255

)  

111

N工 工

Eleotronio  Library  

(4)

[研 究ノ

ト]近 世ハ ンブル クのバル ト海 海 上 貿 易 (菊 池 雄 太 )

17

世 紀か ら

18

まで と する。

 

おもな利 用 史 料は, 以 下の ようにま とめ られる。 第

2

節では, ハ ンブル ク州 立 文 書 館 が 所 蔵 す る

事 会の関 税

文 書を使 用 する

具 体 的に はデ ンマ

ク に よ る通 行 規 制

す なわ ち北 海

バ ル ト海 間を結ぶ デン マ

ク領工

ア ソン海 峡で徴 収された通 行 税をめ ぐる

連の文 書 群を       13] 検 討 する。 第

3

と第

4

でな さ れ る

船舶

荷の 分

で は

ハ ンブル ク で 作成 さ れ た港 湾記

      14) である

r

長 記 録 簿 (Schifferbilcher)』 と

上述の エ

ア ソ ン海 峡で徴 収された関 税の 記 録が ま       15)

と め ら れ た

r

ソ ン税 台

(Sound Toll Registersこよ り

量的 基盤 を得る。 バ ル ト海 貿 易

史 研 究に おける後 者の史 料 的 価 値は

般に認め られてお り

ブル クの バル ト海 貿 易の分 析に もこ の

史料

の信

頼度

い。 エ

ア ソ

峡で は

,1768

年のデン マ

ク との和 約に よ り同 国と の政

立 が

解消

さ れ る まで

を 出 入港 する船

に対し特 別 厳 格な積 荷 検 査が行われてお 16) り

また そ れ 以 降 も

積 荷 申 告で の 不 正 は み ら れ るもの の

ハ ンブル ク で は 同市とバ ル ト

       ユ7} を

往来

する

舶に正確な税 関 手 続 ぎが求め ら れてい た か らであ る。 近

で は台

の オ ン ラ イ ン刊

が 進め ら れ, そ れに よ り

1784

年以

のデ

利 用 可 能と な り

ま た

刊 行 史 料で は 不 明であっ た個 別 船 舶 情 報 (出入港地

船長名

船長 居住地

積荷

支払 税 額 )が 得られるように なっ Is] た

2

 

デンマ

ク と の対 立とエ

アソン

海峡

通 行 規

 

17

開 始と ともに

ル ク の バ ル ト海 海上貿 易は大 きな 困 難を負 うこ ととな る。 ホ ル シュ タ イ ン公と して同 市の 帰 属 を 迫るデン マ

ク 王 ク リス テ ィ ァ ン

4

世 との 対立 が深 刻 化し

13> 

Staatsarchiv

 

Hamburg

StAH

), Senat Cl

 VII, Lit

 Ec Nr

4

14) 複 数 年 利用 可能かつ 情 報を もつ の は 17世 紀 前 半の 入 港 記 録のみである

当 史 料を 用いた 研

 

究と し て

E

論 文げ ら れ る。 

E .

Baasch ,

Hamburgs  

Seeschiffahrt

 und  

Waaren −

 handel

 vom  

Ende

 

des

 

16.

 

bis

 zur  

Mitte

 

des

 17

 

Jahrhunderts

Zeitschrifl des Vereins 

1

遊r  hαmburgisehe  

Gesehichte

,9

1894

,S .

295−420 .

15)

 

N

E

Bang &K

Korst

(eds

Tabeller

 over  

Shibsfart

 og 

Varentr

αnsport  gennem  

Oresund

 

1497

1660

3Vols

  Copenhagen &Leipzig

,1906

1933 ;

N ,

E .

Bang

K .

Korst (eds

 

1

abelle 厂 over  

Skibsfart

 og  Varentrαnsport  gennem  彦resund  1661

1783  0g gennem  

Storeb

〔melt

 

1701

1748

4Vols

Copenhagen & Leipzig

1930

1953

研 究

ヒSound  Toll 

Registers

の名 称で知  られる

日本で は 玉木 俊明が 当史料を用い近世バ ル ト海貿 易の全 体 像を描 き 出し た

玉木

r

北 方ヨ

 ロ 3

6

1668 年まで は 目 的 地 が 記 録 さ れて おら ず

海 峡を 西航 し・

ル クへ か  っ た船 舶に関 する情 報は得 られない

その 欠 落は上記 『船長 記録簿』で補わ れる

16) ハ ン ブル ク商 業 会 議 所の委 員は 1742 年

「ハ ンブル クか ら [エ

ア ソ ンに] 来る船 舶は

 

コ 他よ り も厳し く検 査 さ れる 」と報 告した

StAH , Senat Cl

 vlI

 Lit

 

Ec

 

Nr ,

4

 

Vol.

7k

 

Q

 20

17) 次 節 末 尾および注

35

る よ う

1788 年にエ

ア ソン 海 峡で・

ンブル ク船 舶の荷申告に

 不 正が発 覚した 際 ハ ンブル ク市 参 事 会お よ び商 業 会議所は 以後 厳格な積荷目録 作 成を徹 底 する よう

 

商人

仲 買 人

海 運 業 者に強 く求め た。

18) www

soundtoll

nY 〔

Sound

 

Toll

 

Registers

 online :

STR

 online )

本サ イ ト は出入港 名

船 長 名

 

商品 名別に整 理されたカ テ ゴ リから デ

タを絞り込み

そこか ら さらに船舶の個 別 情 報 を 得る仕 組み

 に なっ てい る

これに より本稿で は既 存の 刊行史 料で カバ

されて いない時期の船舶 数と商 品 輸 出入

 

量の調 査や

個 別船舶の海パ タ

ンと積 荷の分 析がな さ れ る。

(5)

The Socio-Economic History Society

NII-Electronic Library Service The  Sooio

Eoonomio  History  Sooiety

 

r

社 会経済 史学』79

2 (2013 年 8月 ) た ことに より

,1560

年に フ レデ リ ク

2

世とノ・ ンザ諸 都 市の間で結 ば れたオ

デン セ 条

保障

      19) されて いるエ

海 峡 通

諸権

i

無視

さ れ る よ っ た

。1603

年にハ ン ブル       2e) ク の

従来

利が 王に よ り確 認された に も関わ ら ず

同市の

船 舶

(ハ ン ブル ク市 民を船長

Schiffer

とする船 舶 )に は

強力

な圧

力 ・

規 制がか け られるよ うにな る。

1611

ダン ツ ィ ヒを出 港しエ

ア ソ ン海 峽 を 通

し ようと し たあるハ ン ブル ク

船舶

に対し

従 来の慣 習に反し て 」船       21)

か ら

3

ロゼ ノ

ベ ル (

Rosenobel

),

荷である穀

か ら

3

ソ ン税が徴 収され       22) たこ とが 報

さ れ た。 さ らに

1618

年に も

ダン ツィ ヒを出 港した

2

隻の ハ ンブル ク

舶 が

エ       23)

ア ソ ン海 峡無 関 税 通 過 っ た旨 が 伝 えら れ た。 ハ ン ブル ク に対 するデン マ

強 硬な

度は続 き

, 1630

年に はエ

ア ソ ン海 峡で 必要な税を 「に 」

シ ュ テ テ ィ       24) ンで停

し ていたハ ン ブル ク

船舶

,税

の ご ま か しの疑い で船 長と ともに逮 捕された

あ ら ゆる 抗 議 も効 果はな く

同 市に

保管

されて い る

1642 年

詳細

なエ

ア ソ ン

海峡

関税率

表は

,関

税       25} 特 権が もはや 過 去の もの となっ た こ とを 証 明して いる。

 

三十

年戦争

末 期に は

状況 の好

が期

さ れ た。 晩 年の ク リス テ ィ ア ン

4

世は外 交 面であ ら ゆる譲

余儀

な くされ,

1646 年

に は

ハ ンブル ク市 民から は

1603

年に定めら れた以上 の 税       2s) が徴 収 され ない こ とが

ソン海 峡の税

に申し

された。 し か し

く も

1653

年,慣習

に 反 するエ

ア ソ ン

が徴 収されて い る との抗 議がハ ンブル ク商 人に よ りコ ペ ンハ

ゲンに提 出さ   27) れ た。

1670

年に 即 位し たク リ ス テ ィア ン

5

世は ハ ンブル ク に対し服 従を強 く要 請し た た め, 両 者の 関 係は大い に緊 張し た。 し か しブラ ウン シ ュ ヴァ ィ ク

リュ

ネ プル ク公の働 きか けに よ り       2s) ・・ン ブル ク に 有 利な方 向へ 示 談 が 進

,1692

年に コ ペ ン・ ・

ゲン協 約の第

6

条で

ソ ン       29) 海 峡におけるイギ リスやオ ラ ン ダ と同 等の権 利が 同市に認められた

とこ ろ が こ の規 定は実 際に は遵 守さ れず

ハ ン ブル ク商 業

会議

所は 同市

参事会

にハ ン ブル ク

船舶

か ら

然と して ロゼ ノ

ベ       3o) ル

されてい るこ とを 訴 えた。

1714 年,

商 業

会議

所はハ ンブル ク

船舶

と商 品にか か る ロ ゼ 19) オ

デンセ条 約で は

ハ ンザ諸 都 市の船 舶は

ブ ドウ酒と銅を除 く商 品に は課 税される こと なく

 

浮 標 税 (Tonnengeld ) と 登記手数料 (Schreibgeld)の支 払い の み で峡を通過する利が認め ら れ

 た

この条 約の該当 部の抜粋 はハ ンブル クの文 書 館に保 管さ れてい る

。StAH ,

 

Senat

 

CL

 

VII,

 

Lit.

 

Ec

 

Nr ,

4

 

VoL

 

7a,

 

Q1

20)  StAH , Senat CL VII, Lit

 Ec Nr

4

 Vol

7d

 

Q3

 und  

Q4

21) ロ ゼ ノ

ベ ル とは

ア ソ ン海 峡を 通過 する特 定船 籍の船 舶

特 定 都市の商人の積 荷にか け ら   れた特 別 税で

1 ロ ゼ ノ

ベ ル = 4

ー36

シ リング であっ た。

22) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl.VII,1.

it.

 

Ec

 

Nr .

4

 

Vo1.

7f

 

Q1

23

) 

StAH ,

 

Senat

 

C1.VII,Lit.

 

Ec

 

Nr .

4.

 

Vol.

7b,

 

Q1

24

) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl,VII,Lit,

 

Ec

 

Nr .

4,

 

Vol.

7f,

 

Q2

25

) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl.VII,

 

Lit.

 

Ec

 

Nr .

4,

 

Vo1.

7c.

26

) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl.VII,

 Lit

 Ec Nr

4

 Vol

7d

 

QI

 und  

Q2

27)  StAH

 Senat 

Cl.

VII

 Lit

 Ec Nr

4

 vol

7d

 

Q5

28) A

Zuschlag

 Z)ie Rolle des Hauses Brαunschu ;eig

Ltineburg im 

Kampfe

 um  

H

α 腕

b

gs

 

Re −

 

ichsfreiheit 

gegen

 Ddnerrtarh 1675

1692

 

Hildesheim

Leipzig,

1934

を 参 照

29) 協約のテ キス トは

J,

G .

Gallois

 

Geschichte

 

der

翫α碗 Hamburg

 N αch 

den

 

besten

 

Quellen

 be

αrbeitet

 

Bd ,

2,

 

Hamburg

 o

J .

(circa 

1855

S .

392 .

3e

) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl.

VII

Lit

 Ec Nr

4

 Vol

7f

 

Q13

(257) 113

(6)

[研 究ノ

ト] 近 世ハ ンブル ク の バ ル ト海 海上貿 易 (菊池雄 太) ノ

ベ ル 等の負 担によりい か にエ

ソ ン

通過

する

輸送

が妨 げ ら れて い る の かを 示す た めの リス トを

成 し た。 そ れ に よ る と

商 品を

載し たオ ラン ダ船 舶か らは個 別 商 品 税以外に

7

19 シ リン グの 支 払いが求め ら れる の に対し

のハ ン ブル ク

船舶

か ら は

16

ー24

シ リン グ

バ ラス ト

船舶

の場合は

前者

か ら は

5

ー 3

シ リング, 後 者からは

12

タ       Sl)

 

43 .

5

シ リングが徴 収されてい た

 

1737 年に

事 会に な された

報告

に よる と, エ

ア ソ

海峡

を通

する航

に おい て ハ ン ブル ク に立 ち寄 らない (ま た は立ち寄 ら なか っ た) 同市の

船舶

, すな わ ち

地か ら外 地へ 直 接 航 行 する       32) ハ ン ブル ク船 舶に は

r

旧関 税 率」が適 用される ように なっ た

これに 該 当 する

船舶

,通常

の       3s)

25 〜50

セ ン ト増の商 品 税を支 払わ なけ れば な らない とい う。 ハ ン ブル クを

由 する 同市の

舶には通

税 率 が 適用 さ れ たが

船 舶 と商 品に は ロゼ ノ

ベ ル が 支 払 わ れ な け ればな ら な か っ た。 ハ ンブル ク商 人がオ ラ ンダ

を利 用し た場 合は

どのよ う な 航 路であっ て も通 常 税 率が適 用された が

彼 らの商 品か らは ロ ゼノ

ベ ル が徴 収さ れ た。 次

論じ ら れるよ うに

こ の幾

分複

雑な

条件

がハ ン ブル クを中

地 とするバル ト海

貿

易に影

え た。

 

ル ク

・商

品 がエ

ア ソ

い て デンマ

ク の迫 か ら

さ れ るの は

両者 の間で ゴ トル プ和 約が結ばれた

1768

年の こ とであり

こ こ に お い て

150

年 以上続いたバ ル ト       34) 海 海上交 通の 制 約は取 り除かれた。 和 約 第

10

条で

デ ン マ

ハ ン ブル ク に対して エ

ソ ン海 峡におけるオラ ン ダ等の優 遇 国 家 と同 様の 扱い を認め P ゼ ノ

ベ ル の徴 収は撤 廃された

      35) 以

後,

目録の不 正 に関し両

の 関 係は

緊 張し た が

そ れによりハ ンブル ク の地 位が揺 ら ぐこ とはなか っ た。

3

 船  舶

 

前 節で確 認し た商 業 条 件の もと ハ ン ブル ク とバ ル ト

往来

す る

船舶

は どの よ うに

31

) 

StAH ,

 

Senat

 

Cl.VII,Lit.

 

Kc

 

Nr .

5

 

Vol.

2

 

Fol.

2r

32)

StA

 

Senat

 

Cl.

VII

 Lit

 Ec Nr

4

 Vol

7k

 

Q1

「旧関税率」 につ い て明確な説 明はな されて  い ないが

これは1645 年の ク リステ ィ ア ノ

ペ ル条約におい てデン マ

クが定めたエ

ア ソ ン海 峡

 に お け る新関 税率以 前の税率と考え ら れ る。 旧関税率と新 関税率の両方を 記 載 し た関税率 表 (1766

 年 作 成 )は

StAH ,

 

Senat

 

Cl.VII,

 

Lit.

 

Kc

 

Nr .

5

,Vo1.

7

,Fol.

14r

23v

33) 実 際の税 徴 収 額を確 認し た と ころ

こ の航 路を とっ たハ ンブル ク船 舶して は 注

32

げた  旧関 税 率が実 際に適 用さ れて いた

STR  online

34) ハ ンブル クか らの多 額の金銭 的 見 返り と引換えに

デ ン マ

ク は この和 約に お い て 同市の帝 国 直  属の地位を認め

両者 間の政 治的

経済 的諸し多くの 取決め が な された (全 14 条)

内 容

 

につ いて筆 者は和約締 結と 同年に 印刷さ れ た以 下の約定 原文を参照し た。

Vergleich

  welcher  zwis

 chen 

dem

 

Hochfdirstlichen

 

Ges

αrnt

−H

αuse 

Holstein

 und  

der

 

Kayserlichen

 

Freoren

 

Reichs・

St

α

dt

 Hamburg  zu 

Gottorff

 am  

27

 ten 

M

αy 

1768

 

geschlossen

 

f

ソworden

 

gedruckt

 von  

J ,

C .

Piscator,

 Hamburg

1768

35) 1788 年に

あるハ ンブル ク船 舶が申 告と異 なる積 荷 を 輸 送しよ う とし た こ とがエ

ア ソ ン海 峡

 

で露見し

大きな問 題と なっ た が

ハ ンブル ク参 事 会と商 業 会 議 所に よ り関 係 者の処 罰 がな さ れ

厳  正 な積荷目録作成 が厳 命さ れ たこ とで事なきを得た

StAH

 Senat 

Cl,

 VII

 Lit

 Ec 

Nr .

4,

 

Vol,

7

 n

Q2

Vol.

70

114  (

258

(7)

The Socio-Economic History Society

NII-Electronic Library Service The  Sooio

Eoonomio  History  Sooiety

 

r

社 会 経済史 学』79

2 (2013 年8月 ) 表 117 世 紀 前半の ハ ンプルク

パル ト海 間の航 行 船舶 数 (単位 :隻 ) 年 1620162116221623L62416251628162916321633 ハ ンブルク 入 港 船 舶 ハ ンブルク出港船舶   うち 出 港オ ラン ダ船 舶 ? 348 76139 7762296488221158224534114 42384 23335 35 ? ? 31P6 注 ) 入港 船 舶は 『船 長 記 録 簿』

出 港船 舶は 『エ

ソ ン税 台帳』 に基づ く

た だ し

ハ ン   ブル クを 出港した 船 舶 がエ

ソ ン海 峡 以 外海 峡 を 通し バル ト海地方へ航海し た場   合は後 者の史料には記録されない

ま た

注14で述べた ように

r船 長記録簿』から得   ら れ る数 量 情 報はE

が ま と め ている が

彼は 1622 年のデ

タを4月以降の記   録し か残されて いない とい う理 由か ら提示 して いない

しか し11

12月頃か ら2

3月   頃 まで海 面が凍 結 し航 海 がほとんど み られ ない バ ル ト海 貿 易に おい てはこ の欠 落は無 視   し得る ため

1622 年につ い て は原 史 料か らデ

タを 採 集し た。

出 所> N

E

Bang & K

Korst(eds

Tαbeller over Skibsfart og Varentransport gen

   nem  eresund 1497

1660

 Volユ

 Copenhagen&Leipzig

1906;Staatsarchiv Ham

   burg

 Senat C1

VII

 Lit

 Ea Pars

1

Nr

3a

 Vo1

1

 Fasc

1

変動

ま た その

成や航

パ タ

ン は どの よ うな もの であっ たの か。 表

1

,r船

長 記 録

簿

』 と

r

ア ソ ン税 台 帳』 をもとに

17

世 紀 前 半にハ ン ブル ク

バ ル ト海 地 方 間 を 航 行し た船 舶の

を ま とめた もの である。

録はすべ て 三 十

年戦争

期 (1618

48年 )に

該当

する。

1603 年

に始ま るエ

ア ソ

海峡

の圧 迫 も

わ せ る な らば,

戦争期

貫す

全 般 的

貿

の不 振が予 測された が

表が示 す 数 値はそ れと若 干 異な る

。1625

年 以 降になっ て よ うや く

出 入

港船舶数

しい 下

がみ ら れ るよ うに なるの で ある。

1621

年か ら

1624

年に か けて は

ハ ンブル ク とバ ル ト海 地 方の 間に 活 発な交 通があっ た と言え る

 

こ の

背景

1

つ は

,当時

西 ヨ

ロ ッ パ か らイ ベ リァ 半

にか けて

まっ た政

で あ る。 宗

的 問題に よ るオ ラ ンダ とス ペ イン の 対 立は

,1621 年

に 両者の 休

戦協

定が失 効 し たこ とで戦 争 状 態に移 行し た

ス ペ インに よ るオ ラ ンダ船 舶へ 攻 撃 より

バ ル 海と西

西 南ヨ

ロ ッ パ を結ぶオ ラ ンダ

継 貿 易は 大 きな痛 手を

るこ と と なっ たが

政 治 的 中立 を

つ       36) ハ ン ブル ク は この 混 乱に乗じ て中 継 貿 易を展 開さ せ た と い う

すな わ ち バ ル ト海地方と西

西 南ヨ

パ を結ぶ中 継 貿 易に お い て

中立港ハ ンブル ク の利 用やハ ン ブル ク

船舶

へ の

偽装

わ れ

と りわ けオ ラ ンダ 人 がハ ブル クを利 用し た。

r

船 長 記 録 簿』か らは入港 船 舶の 船 籍に つ い て知るこ と はで

ない

r

ソ ン税 台 帳』 か らはハ ンブル クを 出 港し たオ ラ ン ダ船 舶の 増 加が看 取される

 オ ラ ン ダ が・ ・ン ブル クを利 用して 展 開し た中 継 貿 易 を 直 接 示 す 証 拠は乏しい が

1626 年に ス ペ ン領ネ

デル ラン ト総 督イザベ ラ は

ハ ン ブル ク と その他ハ ンザ

へ 宛て た

書簡

ハ ンザ

オ ラ ン ダ

貿

易におい て

われてい る 不正に鑑み 「バ ル ト海 地 方からの商 品 輸 入」の禁 止 を       37)

告 する意 向を伝 えた。 こ の よ うな 貿 易の

部はハ ン ブル クを

中継

して行わ れ た と

え ら れる。

36

J .

1.

lsrael

 

Dutch

 

Prim

αcy 

in

 

World

 

Tr

α

de,1585−1740,0xford,1989,

 pp

121

196

ハ ンブ

 ル クの政 治 的 中 立につ い て は

菊 池 雄 太 「ヨ

界 商におけるハ ンブル ク の役割 (17

18  世 紀 )」

r

比 較 都 市 史 研 究』第 27 巻 1号 (2008 年 11 月)

13

29頁

37) R

Hapke

 Niederldndische Akten und  Urleunden xur  

Geschichte

 

der

 

Hanse

 und  

der

 deutsehen 

Seegeschichte

,Bd .

2 ,

 

MUnchen ,1923,Nr .

1076

(259)  115

(8)

[研 究ノ

ト]近世ハ ンブル ク の バ ル ト海 海 上貿易 (菊 池 雄 太) 表 217 世 紀 後 半 にハ ンブルク

バ ル ト海 間 を航行 し たハ ンブルク船 舶 数と外 地船 舶数 (単位 :隻 ) 東 航 (バラス ト船舶含む) 西航 (商 品積載船 舶のみ) 年 ハ ンブルク オラ ンダ その他 計 ハ ンブルク オ ランダ その他 計 1661

1670 1671d680 1681

1690 1691

1700 9648509

243010618

1589422173

278172377100

不   明  58  36  10 不   明   211 ・21   8 不   明   80189   32 不   明  159327   50 注) 東 航 船 舶はバス トのみ で航 海 することが 多い

西 航 船 舶はほぼ商 品 を 積 載 してお り

下に示 す 史 料には 西 航 す   るバ ラス ト船 舶が記 載されて いない

出所) N

E

Bang & K

Korst(eds

Tabeller over Skibsfant og Varentransport gennem  Oresund l661

17830g

   gennem  Storebαelt 1701

1748

VoL 1

Copenhagen& Leipzig

1930

1623

年 頃か ら

ハ ンブル ク と 西

西南ヨ

ロ ッ パ海 域の間を航

する

船舶 ・

商 品 がオラ ンダ と の 何 らかの関 係 を 疑 わ れ 抑 留

拿 捕 されて い るとして

ハ ンブル ク参 事 会か ら総 督へ 提 出 された        38) 抗 議が増 加してい る。 こ の ような状 況 下

,1627

年に リュ

ベ ッ ク は イザベ ラ に対し

ダ ン ツ ィ ヒと トル ンか ら リュ

ベ ッ クを経出 しハ ン ブル クへ 向

そ こか ら カレ

に輸 送される商 品の       39) 安 全 保 障を求め た ま た

1620

年 代 末, オ ラ ンダの バ ル ト海 貿 易に対 抗 する こ と を 目的とし て ス ペ

か らハ ンザ

諸都

市に ス ペ ン貿 易を 同国との共同におい て行うハ

会社

die

hansis・

che  

S

・zietat ) の結 成が打 診 さ れた が その際に 「オ ラン ダとの詐 欺 と共 謀」 の阻 止が 目的 として         4o) 挙 げら れ た。

 

以上の 状 況

拠か ら

ハ ンブル クはス ペ ンとオ ラン ダの

立が 先

鋭化

し た

と西

西南ヨ

ロ ッ パ を結ぶ中 継 貿 易 港と しての 役 割を果たし て い た と考 え られる

ハ ンブル クに駐留 するナラ ン ダ 公使フ ァ ン

ズ マ に よる

1622

年の

報告

に よると

同市は 「目下 繁 栄 の中にあ り

と りわ けス ペ インへ 自 由絶 え 間 ない

を 享 受し てい るが

それは件の

戦争

以        4D

降,著

し く

加し た」。 しかし その繁 栄は

時 的な もの であっ た

ハ ン ブル ク とオ ラ ンダの共 同

活動

を 示すもの と して

げた史 料は

同時に ハ ンブル ク に対 する ス ペ ンの不 信の高ま りと

そ れに伴 う貿 易 活 動の妨 害 を証 明 する。

1626

年に ハ ン ブル ク参 事 会 がイ ザベ ラ との交 渉のた めに 作 成し た信

状による と

同市の市 民は ス ペ ンに よ り 「ま る で

方である か の よ うに扱わ れて   42) い る」。

  1625 年

降,

ハ ン ブル クとバル ト

地方の

通は縮 小し

三十 年 戦 争 後 も貿 易は振る わなか っ た

さて

,17

世 紀 後 半 以 降の 貿 易の 分 析に は輸 出入の 両 方につ い て

r

ア ソ ン 税 台

』 を 利 用できる

2

に よれば

グス タフ 戦 争 (1657

60年 )

の 好 景

降,

ハ ンブル ク

38)  Htipke

Niederldndische

 

Ahten,Bd ,

2 ,Nr ,

1056−1058,1064−1066,1075,1092.

39) Hapke

1>iederldndische Akten

Bd

2

Nr

1083

こ の場 合は陸 路が利 用 され た と考 え られる

40

H5pke ,

 

Niederldndische

 

Akten,

 

Bd .

2

 Nr

1089

こ の政 治 的 中 立堅 持 を優 先ハ ン

 

ザ諸 都 市に よ り最 終 的に拒否 された。

K .

−F .Olec

  owitz

Die

 

HansesttiClte

 und  

der

 spanisch

 niederltindische  Konflikt

Wissenschα

ftliche

 

Zeitschrift

 

der

 

Universitdt

 

Rostoeh

GeselZsch

α

fi

 

liche

 und  spr αch ωissenschα

ftliehe

 Reihe)

21 (1972)

S .

255

−261,

を 参 照

41)

C .

F .

Wurm ,

 

Studien

 

b

J

 Uber die LebensschieksαZe 

des

 Foppius vαn 

Ait2em

α

b

 

Ham −

 

burg,

1854

 

S .

32

42

 

Hapke ,Niederldndische

 

Akten,

Bd

2

Nr

1075

(9)

The Socio-Economic History Society

NII-Electronic Library Service The  Soolo

Eoonomlo  Hlstory  Soolety

 

r

社 会経済史学 』79

2 (2013 年 8 月)

上 交 通 船 舶活 動 が 急 速後 退し た

そ れ

次 英

(1672

1674 年 )

デル ラ ン ト

戦争

(1672

1678 年)

は オ ラン ダ

船舶

を中心に外 来

船舶

が占め る割 合が 大 きく な る。 三十

年戦争終結

時に認め ら れ たエ

ソ ン海 峡ハ ン ブ ル ク船 舶の優 遇 が 実 施 され ず

1670

年にデ ン マ

ク王 に即 位したク リ ス テ ィ ァ ン

5

との関 係 悪 化によ りその実 現が期

できな くなっ た こ と が

,背景

と して

げら れる。 た だ し

船舶総数

は少 な く

三十 年 戦

中にみ られた規 模には 到

し な かっ た。

北方戦争中

(1700

21 年 ) は,

は ほぼ

無に 等し くな る。

 

ハ ンブル ク

バ ル ト海 間 海上交 通の構 造に変 化が訪 れるの は

,1730

年 代 後 半以

で ある。 そ の

変化

を よ り明 示的にする ため に

入港 船 舶 数の 動 き

17

世 紀との比 較に お い て把 握 したい 。 図 1 は

『エ

ア ソ ン税 台 帳』に記 録さ れ た

, 17

紀後

半か ら

18

にかけてハ ン ブル ク か ら バ ル ト海 地 方

か っ た

東航船舶

バ ル ト

か らハ ンブル クへ 向か っ た西航 船

の推

を 示 し たものである。

船舶

は バ ラス ト船 も多いため

図で は商 品 積 載 船 舶の み のグラフ と バ ラス ト

船舶

を含む グ ラフ を提示 し た

 

1

が 示 すよ うに

17

世 紀 後 半で は西 航 船 舶 数と

船舶数

に大 きな

ぎは な く

そ れぞ れ の グラフ は

干の

れ を除いて ほぼ同 じ動 きを示してお り

戦 争 直 後 などの特 殊 な時 期に上昇 す る ほか は

に留ま る

つ ま り

船 舶はハ ン ブル ク

バル ト海 間を限定 的な機 会に のみ往 復 航 海し て い た。 し か し

1730

年 代

半以

出入

港船舶数

そ れぞ れの動 きに乖 離が始 ま る。 すな わ ち

ハ ン ブル ク を出港 する船 舶 数は安 定し て増 加し

,1780

年 代まで は大きな

減少

が み ら れ な くな る

方, ハ ンブル ク に入港 する船 舶 数はその よ うな動 きを 示 さず, 極 端な増 加と

少 を 短い期 間で繰 り返 すよ うにな る。 これ は

西

西南ヨ

方 面からハ ンブル ク に寄 港し バ ル ト

へ 出港し た

船舶

帰 路同市に ち寄 らず

帰り

と ともに西

西南ヨ

ロ ッ パ 市 場へ 直 接 向 う と う航 海パ タ

ン が恒

化し た こ と

ハ ン ブル クへ の 輸入 は バ ル ト海地方の 産 品に対 する需 要が例

的に高まっ た場 合に のみ 行われた こと を意 味 する。 し た がっ て

ハ ンブ ル ク

バル ト

上交 通に み られる同 市の中 継 貿 易の

特徴

輸 出 中心の

であっ た と考え られる。 こ の含 意につ い て は

におい て さ らに詳 論 する

 

3

が 示すよ うに

ハ ン ブル クか らの輸 出の多 くは外 来 船 舶が

っ た。 バ ラス トの割 合は外

来船舶,

と くに オ ラ ンダ船 舶に お い て

くなるが

そ れで もハ ンブル ク船 舶に比べ れ ばは る か に 多 くの外 来 船 舶が同 市か らバ

へ 商 品運 送 し た

1767

年, す なわ ち ゴッ トル プ

締結

を 目

にして

商 業 会

所はエ

ア ソ ン税 問題に関し 「

で はい

れに せ よ当 地の 船 舶よ       43) り

外来船舶

の 方 がは るか に多 くの商 品をバル ト

て い る」 と述べ た。 そ し てハ ン ブル ク 船 舶が輸 出 全 体に占め る

割合

,1768

年にエ

ソ ン海 峡で の差 別 待 遇が

撤廃

さ れて も

的に

加するこ とはなか っ た

同 市の 船 舶による

出の

加 はすでに

1760

年 前 後に おける輸 出全 体       ゆ の 拡 大 期にみ られ

,1770

年 代はむ し ろ

退

に あたる。 こ の 頃ハ ン ブル ク で は

造船

海 運 業       45) の全 般 的 衰 退 が 嘆かれ

外 来 船 舶による競 争に

か さ れてい た。 オラ ンダ船 舶の 割 合が依 然とし

43

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Nr .

5

Vol.

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(261)  117

(10)

[研 究ノ

ト] 近 世ハ ンブル ク の バ ル ト海 海上貿 易 (菊 池 雄 太)   (a) (隻 ) 70 60 50 40 30 2D 10 0       図 1 17世紀 後 半

18世紀にお ける西航 船と東 航船の動き 1669

1700 年

一一

西 航 船 (積 載 〉 東 航 船 (積 載)

束 航 船 (バラス ト含む) L

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1800 年 Ol7202326293235384144475053565962656871747780838689929598 (年 ) 出 所 ) Bang & Korst

 Tαbeller 1661

1783

 Vol

1Sound Toll Regis七ers Qnline (STR online )

URL :

    www

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外来船舶

の著しい増 加が みられ

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44) 外来船舶の品輸 送が目を 引 く

ハ ン ブル ク船舶の輸送 も

定の割 合 を 占め て いたと捉 える

 

こ とも可能であろ う

同 市か ら商 品を輸 出す る 場 合にはエ

ア ソン海 峡で差 別 関 税がかけ られず

 

ゼ ノ

ベ ル の払い の みが求め られた とい う点 が指摘で

45) E

Baasch

 

Beitrttge

 zur  Geschichte des deutschen Seeschi17bauesμ η

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腸 αμρoZ漉

 Hamburg ,1899

 

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30.

参照

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