名誉権保障と表現の自由とその規制―讒謗律の事例
紹介と刑法へ変化を中心に―
著者
始澤 真純
著者別名
Masumi SHIZAWA
雑誌名
東洋法学
巻
60
号
1
ページ
205-227
発行年
2016-07
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00008238/
《 第 四十五回 東洋大学公法研究会報告 》
名誉権保障と表現の自由とその規制
――讒謗律の事例紹介と刑法へ変化を中心に―― 始 澤 真 純 報告者 始澤真純(東洋大学博士後期課程) 報告題 「名 誉 権 保 障 と 表 現 の 自 由 と そ の 規 制 ―― 讒 謗 律 の 事例紹介と刑法へ変化を中心に――」 日 時 平成 28年 1月 26日(火) 18時― 19時 30分 場 所 東洋大学 2号館 14学習室 名雪健二(東洋大学) 、宮原均(東洋大学) 、齋藤洋(東洋大 学) 、 鈴 木 陽 子(武 蔵 野 学 院 大 学) 、 荒 邦 啓 介(東 洋 大 学) 、 鈴 木 崇 之(東 洋 大 学 博 士 前 期 課 程) 、 菊 地 大 樹(東 洋 大 学 博 士前期課程) 【目次】 Ⅰ.報告の概要 Ⅱ.報告 1.問題の所在 2.大審院判例から見る名誉保障――讒謗律の適用をめぐっ て ( 1) なぜ讒謗律を論じるのか――成立の背景と名誉侵害の 基準 ( 2) 讒謗律に関する事例紹介 3.名誉権保障と表現の自由との対立――讒謗律の影響と刑 法の名誉権保障の発展 4.統括――残された問題と今後の研究に向けて Ⅲ.質疑応答 Ⅰ.報告の概要 本報告では、明治初期の名誉権法制の中で、主に讒謗律の 事例について紹介させていただく。 我が国の法は古代から中国法を継受していた。明治期から は西洋法を取り入れ急速に法制度を発展させ、人権保障の在 り方を変化させた。本報告の表現の自由や名誉権保障もその 一つである。表現の自由は明治憲法制定により公式化された が、名誉保障の起源とその由来はそれより遥かに古いのであ る。現代最も注目され、解決の困難な問題の一つである名誉 権の保障と表現の自由の対立について、過去の事例を分析す ることにより、現代の問題点を明確にし、その根本にある問 題を探る。本論文ではその分析として、法制度を検討する中 で最も重要な時代の一つである明治時代の名誉権法制の一つ である「讒謗律」に焦点を当てた。 讒謗律は名誉保護に関し、刑法・民法に先立って明治八年 に 制 定 さ れ た 日 本 初 の 単 独 名 誉 権 保 護 法 で あ る。 制 定 目 的も、近代的人権保障・西洋型の名誉権保障を目指していたと いう点においても、非常に注目すべき法の一つである。しか しながら、讒謗律はその重要性にもかかわらず、当時の言論 の自由弾圧の点からのみ紹介されることが多く、内容そのも のや関連する裁判例について触れる研究は少ない。そのため 本報告は、明治期からの近代の名誉権保障について考察する 際に、刑法前から存在していた讒謗律が、名誉保護の歴史と 判例の蓄積の中で、どのような役割を果たしたのか検討する ことを眼目としている。急激な西洋化と近代化の進む日本の 中で、讒謗律はどのような役割を担い、影響を与えたのか。 これまでの先行研究とは異なり、名誉権保護の観点から讒謗 律の制定背景や事例を紹介し、言論弾圧という不の影響しか なかったのかについて考察した。なお、本報告は事例紹介を 中心に行い、事例の細かな考察・検討は次回報告とさせてい ただいた。 Ⅱ.報告 1.問題の所在 明治期とは、日本における最も大きな法の変革期の一つで ある。これまで日本法は中国法を取り入れていたが、明治期 からは本格的な西洋法の継受が始まる。国家体制にも大きな 変革が見られ、中央集権及び、天皇中心の国家体制が敷かれ た。それに伴い、国民の倫理観も急激に西洋化・近代化が進 んだ。しかしその一方で、多くの部分に旧時代の倫理観の現 存していたことも留意せねばならない。日本独自の文化・慣 習・国民性は根強く残っている。そのため、現代の法制度や 権利保障の在り方では、日本人の求める名誉権の保障が十分 に望む形で保護することができるのかという問題が生じる。 欧米で重視された名誉と、従来の日本で重く保護された名誉 を支えてきたものが異なることが、その要因の一つではない かと考えられる。 明治期における法制度・社会の変化に伴い、名誉権の保護 の在り方の変化し、言論の自由な主張は名誉権保障と表現の 自由との対立構造を生み出した。これまでの「名誉権の絶対 性」 に 対 し て、 「言 論・ 出 版 の 自 由」 が 求 め ら れ た の で あ る。二次大戦後はその歴史的反省から、表現の自由の優位が 主張される。表現の自由と名誉権保護の利益衡量において、 「表 現 の 自 由 に 含 ま れ て い る 社 会 的 利 益」 と「平 穏 な 社 会 秩 序の維持」のバランスという観点から、表現の自由か社会秩 序の維持かという問題を解決するための基準を探求すること が憲法学上必要にな っ ( 1) た 。 明 治 初 期 は、 急 速 に 言 論 の 自 由 が 芽 生 え 始 め た 時 期 で あ り、名誉権保障の在り方が大きく変化する時期でもある。そ のため、明治初期の名誉権保障を述べるため、日本で最初の 単独名誉権保障法の「讒謗律」に着目する。讒謗律は明治期 の表現の自由の芽生えから発展する過程において、どのよう
な役割を果たしたのかについて、同法にかかわりの深い大審 院の事例から、法の特徴や、問題点を概観することで、現代 への影響を探り、現代においての表現の自由と名誉権の対立 の問題解決の手がかりとする。 2.大審院判例から見る名誉保障――讒謗律の適用をめぐっ て 讒謗律は憲法・刑法・民法よりも先に制定・公布された単 独で名誉権を保護する法である。同法は全八条からなる法で あるため、報告の初めに全文を紹介する。 讒謗律(明治 8 ( 2) 年 ) 第一条 凡ソ事実の有無ヲ論セス人の栄誉を害スヘキノ行事 ヲ摘発公布スルモノ之ヲ讒毀トス人ノ行事ヲ挙ルニ非スシ テ悪名ヲ以テ人に加ヘ公布スルモノ之ヲ誹謗トス著作文書 若シクハ画図肖像ヲ用イ展観シ若シクハ発売シ若シクハ貼 示シテ人ヲ讒毀シ若シクハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪 ヲ科ス。 第二条 第一条ノ所為ヲ以テ乗輿ヲ犯スニ渉ル者ハ禁獄三月 以上三年以下、罰金五十円以上千円以下〈二罰并セ科シ或 ハ偏ヘニ一罰ヲ科ス以下之ニ倣ヘ〉 。 第 三 条 皇 族 ヲ 犯 ス ニ 渉 ル 者 ハ、 禁 獄 十 五 日 以 上 二 年 半 以 下、罰金十五円以上七百円以下。 第四条 官吏ノ職務に関シ讒毀スル者ハ、禁獄十日以上二年 以下罰金十円以上五百円以下誹謗スル者ハ禁獄五日以上一 年以下罰金五円以上三百円以下。 第五条 華士族平民ニ対スルを論セス讒毀スル者ハ禁獄七日 以上一年半以下罰金五円以上三百円以下 第六条 法ニヨリ検官若シクハ法官ニ向テ犯罪ヲ告発シ若ク ハ証スル者ハ第一条ノ例ニアラス其故造誣告シタル者ハ誣 告律ニ依ル 第七条 若シ毀損ヲ受ルノ法ニ触ルハ法官ニ告発シタル時ハ 讒毀ノ罪ヲ治ムルコトヲ中止シ以テ事案ノ決ヲ俟チ其被告 人罪ニ坐スル時ハ讒毀ノ罪ヲ論セス 若シ刑事法ニ触レス シテ単ヘニ人ノ栄誉ヲ害すルモノハ讒毀スルノ後官ニ告発 スルト雖モ尚ホ讒毀ノ罪ヲ治ム 第八条 凡ソ讒毀誹謗ノ第四条第五条ニ係ル者ハ被害ノ官 民自ヲ告クルヲ待テ乃チ論ス ( 1) なぜ讒謗律を論じるのか――成立の背景と名誉侵害の 基準 讒謗律とは日本で初めての単独名誉保護法であり、これま で の 法 と は 異 な り、 逐 条 型 の 法 律 で あ る。 そ の 典 拠 は 英 吉 利 ( 3) 法 もしくは仏蘭 西 ( 4) 法 であると言われるように、西洋法を母 法とし、近代型の個人の尊厳の 保 ( 5) 護 ・近代的名誉権保障を目 標としていたとされている。その背景には、急激な近代化に
伴い、列強に追いつくための近代型・西洋型の法制度に倣う 必要に迫られたことが挙げられる。明治期に入り、情報伝達 が全国的になったが、政府批判・佐幕派の新聞雑誌が多く出 回る中で、直接的な言論規正法が存在していなかったためで ある。当時の政治活動は演説よりも新聞・雑誌等の紙媒体が 中 ( 6) 心 だったことから、新聞・雑誌等 の文書図画による名誉侵 害を処罰するために立法化が進められたので あ ( 7) る 。 讒 謗 律 の 特 徴 を 極 め て 簡 潔 に 述 べ る と、 身 分 制 を 前 提 と し、名誉権保障の方が言論の自由よりはるかに重いことであ る。近代的・西洋的名誉権保障を目指し、わずかながらも取 り入れているにもにもかかわらず、このような日本の伝統的 観念が盛り込まれている。このように、讒謗律は身分制を重 視する等前時代を踏襲する罵詈律・仮刑法と、西 洋 ( 8) 式 ・近代 的人権保障を取り入れ、表現の自由の調整を図る旧刑法との 中間に位置する。表現弾圧という制定目的もあり、名誉権を 保障すること目的に制定された刑法とは異なるため、讒謗律 のように刑法以前の名誉毀損法がどのように運用され、一般 市民にどのような影響を与えていたのかを後に制定された法 と比較する。 讒 謗 律 の 制 定 に よ り、 こ れ ま で ほ と ん ど 判 例 に 蓄 積 に な かった名誉侵害に関する分野について讒謗律の登場時期から 名誉侵害の裁判が増加した。前回の報告で述べさせていただ いたが、讒謗律制定前に多かった名誉侵害の事例は、暴言に より自尊心・名誉感情を傷つけられたというものや、悪い評 判をたてられたために仕事に差し支え経済的損失を負ったと いうものがほとんどであった。しかしながら、讒謗律の条文 で、 裁 判 上 保 護 さ れ る 名 誉 と は、 「讒 毀」 ・「誹 謗」 と し て 一 定の在り方が示されたといえる。このように、明治初期は名 誉侵害の基準が明確に定まっていないため、讒謗律の事例の 中から裁判により保護される名誉と、どのような場合に表現 の自由よりも名誉保護が優先されたのかについて概観し、刑 法の名誉保護の研究に繋げる。 なお、参考資料として、讒謗律に関係の深い律令と、讒謗 律制定前に公布されていた名誉保護法を紹介する。 律令 詈夫。杖八十(不孝) 、「詈祖父母・父母 徒三年」 (闘 ( 9) 28) 詈 レ夫者杖八十(闘訴律) 詈者杖八十伯叔父姑外祖父母。各加 二一等 一 傷凡補妻妾詈 二夫父母 一者。徒三年。 諸妻妾敺詈故夫之祖父母父母者 一者。各減 下敺 二詈舅姑二等 上。 仮 刑 ( 10) 律 凡、匿名又は偽名之文書を作り官府に投入或は路傍に張り人 之罪悪を顕し告るものは笞一百、死罪に係らは刎首、告らる
る 人 は 実 を 指 す 事 有 る と い へ ど も 論 せ す、 文 書 は 焼 燬 す、 若、官司違ふて受理するものは笞五十・徐役、 新律 綱 ( 11) 領 罵詈律 罵 レ人 凡人ヲ罵ル者ハ笞一十。互ニ相罵ル者ハ各笞一十。 罵 二属長官 一 凡吏卒軍民。本属ノ勅任ノ長官ヲ罵ル者ハ徒一年。奏任長官 ヲ罵ル者ハ。杖九十。判任長官ヲ罵ル者は杖六十。 其長官。及ㇶ。本属ニ非ル者ハ。各二等ヲ減ス。並ニ親ヲ聞 テ乃坐ス。 罵家長 凡奴婢家長ヲ罵ル者ハ徒一年 雇人家長ヲ罵ル者ハ杖八十 並ニ家長ノ親ラ告ルヲ待テ乃坐ス 罵有服尊長 凡卑幼 四等親ノ尊長及ヒ妻ノ父母ヲ罵ル者ハ笞五十 三等 親ノ尊長ハ杖六十 若シ兄姉ヲ罵ル者ハ杖九十 伯叔夫姑外 祖父母ハ杖一百 若シ妻妾夫ノ有服尊長ヲ罵ル者ハ夫ノ罵ル ト罪同 並ニ尊長ノ親ラ告ルヲ待テ乃坐ス 罵祖父母父母 凡子孫祖父母父母ヲ罵リ及ヒ妻妾夫ノ祖父母父母ヲ罵ル者ハ 並ニ流三等 祖父母父母ノ親ラ告ルヲ待テ乃坐ス 改定 律 ( 12) 例 罵官吏律 原罵本属長官律 第二百三十四条 凡勅任官ヲ罵ル者ハ。懲役一年。奏任官ヲ 罵 ル 者 ハ 懲 役 九 十 日。 判 任 官 ヲ 罵 ル 者 ハ。 懲 役 六 十 日。 並 ニ。親ヲ聞テ。乃坐ス 罵官吏条例 第 二 百 三 十 五 条 凡 判 勅 任 官。 勅 任 官 を ヲ 罵 ル 者 ハ。 懲 役 六十。奏任官ヲ罵ル者ハ懲役四十日。並ニ。親ヲ聞テ。乃坐 ス 第二百三十六条 凡奏官。勅任官をヲ罵ル者ハ。判任官。奏 任官を罵ルト罪同シ。其勅任官奏任官ヲ罵リ。及ㇶ奏任官。 判任官ヲ罵ル者ハ。並ニ凡人罵詈ヲ以テ諭ス。 第二百三十七条 凡平民。本属ノ戸長ヲ罵ル者ハ。凡人罵詈 ニ一等ヲ加へ。邏卒ヲ罵ル者ハ又一等ヲ加フ。 罵祖父母父母条令 第二百三十八条 凡子孫祖父母ヲ罵リ。及ヒ妻妾。夫ノ祖父 母父母ヲ罵ル者ハ。流三等ニ処スル律ヲ改メ並ニ懲役三年。
なお、讒謗律を検討する際に留意しなければならないこと がいくつか存在する。第一に、讒謗律の制定目的は、近代的 名誉保護であるが、それと同等かそれ以上に、表現の自由弾 圧目的が存在したことで あ ( 13) る 。江戸期から、人物・国政批判 を す る 記 事 や 公 序 良 俗 に 反 す る 内 容 は 為 政 者 か ら 好 ま れ な か っ ( 14) た 。それに加え、讒謗律制定当時は、公明・公正でない 立場から個人の名誉を害する文章や国家の在り方を批判する 記事が多く見られたため、それを防ぐことを多くの有 識 ( 15) 者 が 示唆していた。中央集権国家体制を確立と列強に追いつくた め、国全体の団結の必要性が求められていたからであろう。 また、讒謗律に関する事例の多くは私人間の告訴ではなく、 官吏に対してや集会の臨検の警察や、演説・出版を止めよう とした警官に対する言動であったことからも、政治運動の摘 発を目的としていたことが十分にうかがえる。 第二に、讒謗律で保護される対象の多くは皇室・士族・華 族・官吏・社会的地位の高い者等特定の人物だ っ ( 16) た 。これは 後に紹介する事例でも示される。原告・被告の身分は非常に 考 慮 さ れ、 例 え ば 国 家 に 対 す る 批 判 や 政 治 家 へ の 名 誉 侵 害 は、 い く つ か あ る 法 の 中 か ら 罰 則 の 重 い 讒 謗 律 で 処 罰 さ れ る。被告の身分が高い場合は 閏 ( 17) 刑 が適用された。結果的に、 市民の言論弾圧をし、政治家・官吏等の名誉を厚く保障した とも言える。このような事情から、国家体制・国家機関への 批判や、それらに密接に関係する政治家・官吏等の批判を抑 えるために、讒謗律は機能していたとされて い ( 18) る 。そのため 讒謗律とは、名誉を保護し、侵害行為を防止する刑法と同様 に考えるのではなく、讒謗律は表現の自由弾圧法の一つとし ての位置づけられるようになった。 第三に、表現の自由を考慮していないことである。これは 後に制定される旧刑法に関する事例との違いである。これま での表現の自由について、江戸期までは書物・演説等の表現 行 為 は 全 て 幕 府 の 許 可 が 必 要 で あ っ た。 名 誉 権 保 障 は あ る が、表現の自由がない状態である。讒謗律が機能していた当 時、 人 権 を 保 障 す る 憲 法 が 存 在 し な い た め、 「表 現 の 自 由」 の法的保障がなく、国民一般にも言論の自由が浸透していな か っ た た め に、 「名 誉 権 と 表 現 の 自 由 の 調 整」 と い う 観 念 が 導かれなかったのである。 それゆえに、名誉侵害で訴えられた際、被告側に防御手段 がないことが第四の問題点である。江戸期まで名誉権とは、 最も厚く保護されるものとして慣例としても確立していた。 これまでの慣例として、名誉侵害の事実・客観的にどの程度 名誉を侵害したかと共に、当該人物の傷付いた自尊心も有罪 判定の考慮に入れていた。法で個人の権利・表現の自由は保 障されておらず、事実証明制度もないため、たとえ公共性・ 公益性・真実性を主張しても名誉侵害となる。 第五に、保護された名誉の範囲の広さが挙げられる。名誉 権 の 定 義 や 概 念 大 審 院 に お い て 示 さ れ た の は 明 治 後 期 で あ ( 19) り 、
讒謗律の制定・事例の適用された時代には「名誉権は何か」 と い う こ と が 法 律 上・ 判 例 上 定 ま っ て い な か っ た。 そ の た め、次項で紹介する讒謗律の適用された事例を概観すると、 現代のように名誉侵害有無の判断基準である「社会的価値の 低 下」 で は な く、 「職 務 上 の 名 誉」 ・「道 徳 上 の 栄 誉」 ・「プ ラ イバシー侵害」 ・「自尊心を傷付けた」等もみな名誉侵害と認 定されていた。 これ以外にも問題点はあり、罪と罰のつり合いについて、 懲役の長さ、罰金額の大きさの問題点、後に紹介する「不応 為」の条文、法曹 不 ( 20) 足 、裁判制度の問題等があった。 欧米の革命に相当する日本の明治維新だが、それは列強に 追いつくための近代化を求めたものだった。江戸幕府(旧体 制)を解体する目的は一側面としてはあったものの、それは 欧米のように自由権を求めた故の革命ではなかったため、個 人の権利意識が根付いていない等、国民の思想と導入された 西洋法との齟齬があった。その背景には、急激な西洋化に国 民の倫理観・知識が追いついていない現実もあ っ ( 21) た 。 ( 2) 讒謗律に関する事例紹介 明治初期は名誉権侵害に関連する法律は讒謗律以外に新聞 条例・集会条例・罵詈律・改定律令等があるが、本報告では 讒謗律の適用が争われたものを中心に紹介させていただく。 法は身分の区別なく適応されるべきであり、名誉権は誰しも 保障されねばならない。讒謗律の事例は、あくまで特殊な名 誉侵害の事例であるが、事項で扱う讒謗律の事例から見られ る 名 誉 観 念 形 成 や、 法 に よ り で 保 護 さ れ る 名 誉、 侵 害 行 為 等、どのような行為が名誉侵害となるのかについては、後の 法や裁判事例にどのように引き継がれていく可能性がある。 そのため、後に制定される誰しも平等に適用される刑法の事 例についての考察や現代との比較に用いるため、本法及び関 連の深い事例を紹介した。 ①新聞・雑誌によるもの Ⅰ ― 1 大 審 院 判 決 明 治 九 年 一 月 二 五 日 皇 朝 律 例 彙 纂 第 六 巻 八〇丁 X(東京で発行されている曙新聞の編輯代理)は明治八年 一 二 月 五 日 の 記 事 に、 県 令 M 氏 が 芸 妓 に 一 〇 円 の 心 付 け を 贈ったことを記載した。投書を基に書かれたその記事の内容 は、 M 氏 は 催 し 物 の 帰 路 に 妓 楼 に 上 り、 「徹 夜 ノ 興 ヲ 催」 し、それとは別の機会に「芸妓ヲ召シ、愉快」というもので あったが、それは事実無根であった。これが讒謗律一条・同 四条に違反するとされ、Xは禁獄一ヶ月、罰金二〇〇円の判 決を受けた。これに対し、Xは明治九年一月一三日に大審院 に上告した。その理由は、①本件記事はM氏の遊興について 記 述 し た も の で あ り、 「官 吏 ノ 職 務」 に 関 す る も の で は な く 職務に関係ない「私行」であるため、讒謗律第四条ではなく
第五条を用いるべきであること、②M氏の行為は「道徳上ヨ リ論スレハ固ヨリ汚穢ノ 醜態 ト為スヘシト雖モ」であり、公 開されては不栄誉となるが、芸者遊びは法律で禁じられてい るわけではなく、このような道徳上の問題について地裁が判 決していることが不服であるということ、③事実証明につい ても、Xは 投 ( 22) 書 を基に記事を作成しているが、一定の事実確 認は行っており、事実と信ずる根拠はあったことを 主張して い る。 大 審 院 は、 「東 京 裁 判 所 ノ 処 分 ハ、 讒 謗 律 ニ 適 当 セ ル 裁判ナルニ因リ、取消ス可キノ理由無キヲ以テ、上告状下戻 者也…大審院ニ於テ法律ニ照シ弁明ヲ為スヿ左ノ如シ」と判 示 し た。 名 誉 侵 害 と さ れ た 根 拠 は、 M 氏 は 士 族 で あ り、 「県 令ハ一県無上ノ高官」である。記事で問題となったことは、 県 令 に つ い て、 「淫 ヲ 売 ル ノ 醜 業」 で あ る 芸 妓 と 関 わ っ た と の記事は、職務と関係がないと論じる事ができるかという公 共性の問題と共に、M氏の侵害された名誉をどのように考え るかということであった。M氏は県令という職業に付いてお り、 全 て の 行 動 が 注 目 さ れ て い る。 そ の た め、 「淫 ヲ 売 ル ノ 醜業」である芸妓と関わったとの記事を掲載していながら、 職務と関係がないと言う事はできない。また、Xは「栄誉ヲ 害ス」の「栄誉」概念を、 「道徳上」のものと、 「刑法上」の も の と に 区 別 し、 「青 楼 花 街 ノ 遊 嬉」 は 道 徳 上 の 栄 誉 を 害 す るだけであるとするものであり、娼妓の公許等からそれを立 証できると主張した。しかし、讒謗律第七条の処罰規定であ る「栄誉ヲ害ス」るときとは、道徳上の栄誉を害するという 事だと解釈せざるを得ない。本件では刑法に触れる事実を摘 示することで讒毀した場合には当たらず、本法で罰するべき である。原審は正当であり、Xの主張は理由がないとした。 なお、第一条に言う「事実ノ有無ヲ論セス」と言うのは、事 実の有無により有罪・無罪が決せられるのではなく、事実が 実際に有ろうと無かろうと罪に問うものである。Xは曙新聞 が 讒 謗 律 に よ り、 損 ( 23) 害 を 被 っ た こ と と、 本 件 記 事 が 真 実 で あったことを保障する者を立てる旨を述べているが、それは 独自の見解に過ぎないものであり、本判決の取り消しの理由 とはならないとした。 Ⅰ ― 2 大 審 院 判 決 明 治 九 年 八 月 二 八 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 三七號三〇一丁 X(東 京 府 士 族・ 采 風 新 聞 編 集 長) は 同 新 聞 五 五 条 の 中 で、以前同新聞社の仮編集長が検事に取調べを受けた際の様 子を掲載した際の内容について、その担当検事の態度が高圧 的であったこと、その担当検事が讒謗律について述べたとこ ろ、Xは讒謗律を「乱暴律」と書いた。東京地方裁判所は、 その行為を讒謗律四条違反(官吏に対する侮辱)として禁獄 一 〇 ヶ 月・ 罰 金 一 〇 〇 円(明 治 九 年 三 月 五 日 判 決) と し た が、Xは上告した。その理由は、自分は新聞記者として、公 益の事を考えてこの記事を執筆したこと、記事は全体的には
「明 治 政 府 及 ビ 賢 明 政 府」 な ど 全 体 的 に 政 府 を 称 賛 す る も の であった。また、諸外国は新聞記者を公益のための記事なら 罰することはないため、日本は記者を罰することは承知でき ないと述べた。また、量刑についても、新聞条例と讒謗律を 合わせて二罪での刑あっても重すぎると主張している。この ことについて大審院は、取調べの様子を記載して讒謗するこ と は「二 罪 以 上 具 発 ス ル 者 ニ シ テ 讒 謗 ノ 罪 ヲ 犯 セ シ 者 ト ス …」 と し て、 そ の 量 刑 に つ い て、 「禁 獄 ノ 月 数 ト 罰 金 ノ 多 寡 トハ其裁判所ノ権内ニ在ル」として、讒謗律四条違反とした 東京地裁の判断は適当であるとして上告を差し戻した。 Ⅰ ― 3 大 審 院 判 例 明 治 一 一 年 八 月 二 八 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 二一五號五二八丁 函館新聞中の雑報の中に記載されている投書の中で、官立 の学校の教員と生徒指導の在り方を非難する記事があった。 「風 儀 清 潔 ノ 学 校 ニ 此 汚 行 ア リ」 と 疑 わ れ る 記 事 が 掲 載 さ れ た。 X の 記 事 を 書 い た そ の 目 的 は、 「世 ノ 淫 風 ヲ 矯 正 セ ン ト ノ好意ニ出ル」もので、学校・教員等の名誉を傷付ける意図 はなかった。その記事に中で、実際に報じられた官立の松陰 学 校 の 直 接 の 学 校 名 や 教 師 の 名 前 は 明 示 さ れ な か っ た が、 「松 の 陰 私 と お 前 は そ の 陰 で … 其 教 員 と テ ー ブ ル の 下 で 握 し 手と手の縁がいつしの深き中となり今は唯ならぬ身となりし …」等、読者にその学校名が推意される記述がいくつか存在 していた。一審の函館裁判所は、本件は記事の文言は不明確 であり、編集人・投書人の不注意でもあるから「律(讒謗律 のこと)ニ抵触スル所ナキ」として無罪としたが、一審の検 事代行(警部)は、当該学校の教師・生徒の淫行を摘発・公 布し、彼等を指斥する目的があるとして、讒謗律四条の官吏 の職務に関する誹謗として上告 し ( 24) た 。大審院は、被告人の供 述 中 に、 記 事 の 原 案 に 学 校 名・ 生 徒 名 を 記 載 し て い た こ と や、本件は学校の教員が職務を行うことに関し摘発・公布し たことが讒謗律四条の官吏の職務に関して讒毀するとして、 函 館 裁 判 所 の 判 決 を 不 当 と し、 被 告 人 を 禁 獄 一 〇 日・ 罰 金 一〇円とした。 Ⅰ ― 4 大 審 院 判 例 明 治 一 四 年 一 月 一 五 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 三一號一二六丁 峽中新報においてXは山梨県N巡査を誹謗する記事を掲載 した。その記述に巡査の勤務する地名・官級・本名の記述は ないが、その遊猟の事故等の記事からはN巡査本人の氏名が 推認できるものだった。静岡裁判所甲府所は警官の職務に関 す る 讒 謗 と し て、 X を 讒 謗 律 四 条 に よ り 罰 金 一 〇 円 と し た (明治一三年一二月三日判決) 。Xは本件記事はN巡査の職務 に関係しないとしては上告したが、大審院は、N巡査の「職 務ニ関シテ讒毀シタルモノト判定」し、差し戻しとなった。
Ⅰ ― 5 大 審 院 判 例 明 治 一 四 年 二 月 一 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 一〇七號二四丁 Xは津枝町の「田舎新聞」において、Y(士族)の妻Mの 不貞行為を記載した。Xは本件記事は妻の栄誉に関するもの であり、夫であるYの栄誉を侵害するものではなく、本件夫 婦の氏名は明記しなかった。また、Mの告訴なしにYの名誉 侵害を主張するのは不当であると主張した。熊本裁判所中津 支 所 は、 妻 の 告 訴 が な か っ た た め に、 「讒 謗 律 八 条 ニ 依 リ 其 罪ヲ論セス」としたが、Yはその裁判の不服を申立て、司法 卿を経由し、検事より上告された。大審院は、妻の告訴を待 た ず、 「被 害 者 タ ル Y カ 告 訴 ス ル ニ 於 イ テ ハ 其 讒 毀 ノ 罪 ヲ 問 ウヘキ者ナリトス…Mノ告訴無キヲ以テ不問ニ置キタルハ不 法ノ裁判ナリトス」として、讒謗律第五条(士族に対する讒 謗)により罰金五円とした。 Ⅰ ― 6 大 審 院 判 例 明 治 一 六 年 一 〇 月 二 四 日 大 審 院 刑 事 判 決 録一五〇八號四八六丁 明治一五年六月二二日に北陸日報の欄に掲載されたXの執 筆 し た 記 事 内 容 は、 士 族 の 県 令 S 氏 を 批 判 す る も の で あ っ た。 「獄 門 首 ノ 如 シ」 ・「人 民 ヲ 害 ス ル S」 等 雑 報 欄 の 記 事 が S氏を誹謗したとして、S氏により北陸日報の編集 長 ( 25) X が告 発された。なお、明治一五年(一八八二年)一月一一日に旧 刑法が施行されている。同年七月一〇日に金沢地裁は、Xに 対し、讒謗律一条・五条・八条と新聞条例八一条により罰金 六円が言い渡した。同裁判所は旧刑法施行後も讒謗律が有効 という見解を採用した。後に検事上告が行われ、翌年一〇月 二四日に大審院は一審判決を破棄・自判した。S氏に対する 誹謗は刑法三五八条により禁錮一一日以上四月一五日以下の 罰 金 と し、 「明 治 八 年 第 百 十 号(讒 謗 律 の こ と) 等 ヲ 適 用 シ 処断セシハ是即チ法律ノ誤用ニ係ル不当ノ裁判 ナ ( 26) リ 」と判示 した。 讒謗律が適用 さ れた典型的なケースは、政治家・官吏の私 行の公表・政策の批判をした事例である。讒謗律が出版犯罪 を対象に刑罰を科していたのは、当時の自由民権運動・政治 活動が新聞・雑誌を中心に行われており、演説による主張が 一般的になされていなかったためである。この当時は日刊紙 が大量に創刊・廃刊を繰り返していた時期であり、また、当 時の新聞においては、特定人物を酷評するような、人格攻撃 のような記事も多かった。政府や国の在り方にもその批判が 及ぶことも多く、政府としても、何らかの対応が必要である と考えた時代である。そのため、文書規制の法である讒謗律 が明治一〇年代には演説の規制にも用いられるようになって いった。これまでは雑誌・新聞を規制する法に重い罰則は存 在 し な か っ た。 し か し な が ら 新 聞 紙 発 行 条 目 の 一 〇 条・ 一 一 ( 27) 条 で規定される事柄は、政府が最も重視していた部分で
あったため、讒謗律で言論を規制していたともいえる。 明治初期と現代の名誉毀損法との比較をすると、現代にお いて、政治的意見及び、政治に関係する機関・人物の情報公 開は、表現の自由の貫徹から、憲法上の強い保障を受けてい る。しかし明治初期の段階では、政治や公人に関する情報公 開に関しても、問題点や論議の対象として意識される段階で は な か っ た と 推 測 さ れ る。 Ⅰ ― 1の よ う な 事 例 は 公 人 の 私 事 に関する問題で、後述する事実証明制度と、表現の自由のバ ラ ン ス の 在 り 方 の 問 題 も 含 ん で い る。 「表 現 行 為 が 社 会 秩 序 をみだすときに、これをいかなる方式で、どのような限度で 禁 圧 で き る の か と い う の は 憲 法 上 の 難 ( 28) 問 」 で あ り、 「名 誉 保 護=治安維持」と結びつけて考えられていた当時では、国家 の重要な職務を担う政治家等の名誉を保護することは最も重 要だったといえる。例えばⅠ ― 1で保護された名誉とは、 「政 治家の体面」である。当時の政治家の「私事」とは、一般に 公開されていない事柄全てであるとされた。芸者と遊興に耽 り心づけを渡したという記事は真実であってもなくても当人 には不名誉なことになるため、讒謗律が適用されたと考えら れる。明治初期から、誣告(他人の罪や欠点や過失を述べる こ ( 29) と )や政治の批評等は注意を受けていた。確かに、讒謗律 一条の「凡ソ事実の有無ヲ論セス…」という語を文言どおり に解釈すると、大審院が述べるように、公表された内容が真 実であっても虚偽の事実であっても客観的に名誉を貶めるも のであれば名誉侵害となるということであろう。 なお、讒謗律は人の社会的名誉の保護に重きをおいている とともに、名誉感情の保護も包含して い ( 30) た 。大審院が事実証 明 の 問 題 を 全 く 考 慮 し て い な い こ と は そ の 一 例 で あ る と 共 に、M氏の主張を一方的に受け入れているのは当時の世相を 反映していると思われる。 このように、Ⅰ ― 1・Ⅰ ― 2・Ⅰ ― 4・Ⅰ ― 6の事例では、保 護すべき最重要とされたものが治安維持・秩序維持であり、 こ れ ら は 官 吏 に 関 す る 報 道 の 自 由・ 国 家 の 批 判 の 自 由 を 上 回っていた。当時は人物攻撃・政府批判・悲観的な記事は好 まれなかったことや、地位の高い県令を批判する記事を載せ て 民 衆 の 批 判 が 揺 ら ぐ こ と を 防 ぐ こ と も 背 景 に あ っ た。 当 時、言論の自由を最も必要としたジャーナリストは、国民に 政治を伝え、国家 に意見して、世論を形成するという社会的 に重要な役割を担っていたにもかかわらず、徐々に報道は政 府批判・体制批判へを変改していく傾向にあったことも関係 している。 1― 2のように公益性・公共性について、 「凡ソ事 実の有無ヲ論セス人の栄誉を害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル モノ之ヲ讒毀トス」として事実の有無にかかわらず処罰され 反証が許されないことは当時のジャーナリストの間で問題視 さ れ て い た が、 当 時 は 表 現 の 自 由 と い う 概 念 が な か っ た た め、表現の自由との調整がなされなかったのである。 Ⅰ ― 3に お い て 保 護 さ れ た 名 誉 と は「学 校 の 体 面・ 信 用」
であり、Ⅰ ― 5において保護された名誉とは、 「夫の体面・自 尊 心・ プ ラ イ バ シ ( 31) ー 」 で あ っ た。 旧 刑 法 下 で も 同 様 事 例 を 争 っ た も の は 多 く、 こ の 事 件 の よ う に 夫 婦 を 一 体 と 考 え、 「妻 の 不 名 誉 = 夫 の 不 名 誉」 と す る 考 え と、 夫 は 妻 に 従 属 し ており、妻の不貞を公表することが夫の夫権を侵害するとい うことが主張されたとい え ( 32) る 。 Ⅰ ― 3・ Ⅰ ― 4・ Ⅰ ― 5に よ る と、 讒 謗 律 は、 相 手 の 氏 名 を 記載せずとも、その人物が特定されれば適用される。また、 表現者の主観的意図は関係なく、当該人物を誹謗した事実が 客観的に確認できれば名誉侵害となった。なお、誹謗の罪と なる程度・限界を示す事例は見当たらないやはり明治初期の 言論の自由や事実証明制度や表現の自由について、大審院の 考慮はいささか低調なものであったといわざるを得ない。 ②口頭・演説によるもの Ⅰ ― 7 大 審 院 判 例 明 治 一 二 年 一 二 月 三 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 五四七號六八丁 N(平民)は演説の中で暗に警察官を批判した。東京の巡 査はよく職務を行い指導が行き届いているが、地方の巡査は 管理が行き届いていないとして、巡査の住民への対応を「う ど ん」 に 例 え、 「中 津 之 ウ ド ン 棒 如 キ ハ 接 ス ル ニ 過 激 ニ シ テ 圧制スルカ故ニウドンハ切レ々々トナリ食スルニ尤悪シ故ニ 甚ダ有害多シ」演説したところ臨検の警察に拘引された。N は讒謗律は新聞・雑誌等で他人の栄誉を非難する場合に適用 されるもので、演説は該当しないと主張した。しかし熊本裁 判所は「暗ニ警察官吏ヲ讒謗シタル」として讒謗律により罰 金 一 〇 円 と し た が(明 治 一 二 年 一 月 二 二 日) 、 担 当 検 事 は、 官 吏 に 対 す る 罵 言 の 罪 は 罵 詈 律 で 処 罰 す る も の で あ り、 「讒 謗律第 4条ニ依リ処断シタル裁判ハ恐ラクハ律意ノ誤解」と して上告した。大審院は、讒謗律は新聞・雑誌により他人の 栄華を害した際に適用するべきものであるとして、讒謗律の 適用を避けた。本件のような演説を取り締まる直接の条文は な い が、 「衆 人 ノ 面 前 ニ 於 テ 揚 言 シ 暗 ニ 警 察 官 ヲ 誹 謗 シ タ ル ハ雑犯律不応為条ニ当ル」と公衆の面前で警察官を直接誹謗 したということで不 応 ( 33) 為 を適用し「笞三十トアルニ依リ懲役 三十日ニ処断スベキモノトス」として懲役三〇日とした。 Ⅰ ― 8 大 審 院 判 明 治 一 三 年 八 月 九 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 四一四號九二丁 本件は沼津出身の代言人X(明治初期の弁護士の総称)が 神社にて聴衆を集め「地方ノ概況」と題する演説を行った事 が名誉侵害に問われた事例である。その演説の中でXは沼津 区 の 裁 判 所 の 勘 解 を 攻 撃 し、 臨 検 の 警 察 官 に よ り 告 発 さ れ た。静岡裁判所はXに讒謗律一条・四条違反にて一〇円の罰 金を宣告したが、検事代行が讒謗律は演説を裁くものではな いとして大審院へ上告した。大審院はこの上告を受け入れ、
「贖 罪 金 五 円 弐 拾 五 銭」 の 判 決 を 下 し て い る。 そ の 理 由 は、 讒 謗 律 は 演 説 を 処 罰 す る も の で は な い た め で あ る。 「裁 判 官 吏ノ職務ニ関シ誹謗讒毀ノ演説ヲ為シタルハ讒謗律ニ依テ処 断スへキモノニ非ズ何トナレハ演舌ヲ以テ人ノ栄誉ヲ害シ又 ハ官吏ノ職務ニ関シ讒毀スル者ヲ罰スル明文ハナキヲ以テナ リ」とし、本件のように演説により人の名誉を毀損したとし ても、讒謗律により処罰することはできないと判断された。 Ⅰ ― 9 大 審 院 判 例 明 治 一 三 年 一 〇 月 二 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 六二八號四八丁 Xは集会において警察を批判し、男女同権・夫婦平等を説 き、当時の男性優位の在り方を批判した臨検の警察官により 演説を中止され、その後警察署に出頭した。Xは以前集会前 に 警 察 署 に 演 説 内 容 を 提 出 し て い た が、 当 日 異 な る 演 説 を 行った。Xは本件演説の内容は警察批判ではなくあくまでも 人民を高揚するための演説と述べた。静岡地裁では改定律例 に よ り 懲 役 六 〇 日 と し た が、 大 審 院 は 不 応 為 を 適 用 し 懲 役 三〇日(これを贖罪金二二五銭とした)とした。 Ⅰ ― 10 大 審 院 判 例 明 治 一 三 年 一 一 月 一 三 日 大 審 院 刑 事 判 決 録八三三號三〇丁 X は A 巡 査(一 等 巡 査) に つ い て、 A は 賭 博 の 税 を 徴 収 し、賄賂を受け取っていると演説していたところを臨検の警 察 官 に 告 発 さ れ た。 X は 本 件 演 説 は 国 家 の た め と 主 張 し た が、 松 江 裁 判 所 は「悪 意 ニ 出 テ タ ラ ン モ ノ ト 認 メ」 、 讒 謗 律 は演説に適用できないため不応為として禁獄七〇日とした。 Xは人民のためあえてこのような演説を行ったと主張し、判 決が不服として上告したが、大審院は、Xが事件当時の臨検 の警官に対し、Aについて「切リ殺シテヤリテモ可ナルモノ ト思ヒマス」など供述していたことから、Xの悪意から演説 を成したものとして上告を棄却した。Xは士族身分であった ため、不応為により懲役七〇日したものを閏刑に替えて禁獄 七〇日とした。 Ⅰ ― 11 大 審 院 判 例 明 治 一 四 年 一 月 一 四 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 二四號一〇六丁 Xは「人民権力」という演説中に、警官を 誹 ( 34) 謗 したことが 讒謗律四条に問われた。明治一三年一二月一日に松江裁判所 はその警官を嘲笑しているとして、讒謗律四条違反により、 罰金五円とした。検事代行の警部は本件裁判を不当として同 年一二月九日に上告した。その理由は、本件演説は全体的に 本件警官を称賛しているためである。しかし大審院は、警官 が職務中に居眠りをしていると演説したことは警官を嘲笑し ていると判断した。しかし讒謗律では演説を処罰する条文は ない。大審院は不応為により懲役三〇日とするところを、X が士族だったために閏刑により禁獄三〇日とした。
Ⅰ ― 12 大 審 院 判 例 明 治 一 五 年 三 月 一 七 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 二九八號六八丁 自由民権運動家のXは、静岡小早川座において「事物変遷 論」 と い う 演 説 を し た 際 に「乗 輿」 (天 皇 の 乗 り 物 も し く は 天皇そのものを指す)毀損する言葉があったとして臨検の警 官に告発された。静岡裁判所は讒謗律二条違反として禁獄三 年・ 罰 金 九 〇 〇 円 を 言 い 渡 し た。 前 島 氏 は、 「乗 輿」 の 毀 損 をしてはおらず、そのことは警官のねつ造であり、仮に神武 天皇を批判したとしてもそれは乗輿の毀損にはならないと訴 えた。Xが演説の中で用いた文言の「乗輿」とは現代の天皇 を指し、歴代の天皇は含まれないと主張し、讒謗律は演説を 罰する明文規定を欠くとして上告した。大審院は上告を棄却 している。その理由は、官吏の証言は反対の確証がなければ 覆せず、皇祖は乗輿に含まれないのは法解釈の誤りであると した。讒謗律は演説を処罰することはできないという主張に 対 し て は、 「法 律 ノ 見 解 ヲ 誤 ル モ ノ」 と し て い ( 35) る 。 後 に X は 再審の請求をするが、大審院は明治一五年九月一九日に請求 を棄却している。 こ れ ら の 事 例 に お い て、 裁 判 に よ り 保 護 を 求 め た 名 誉 と は、官吏の体面である。国政や国の機関に携わる官吏の信用 とともに、官吏が批判を受けないことが当時の秩序維持につ な が っ た と い え る。 Ⅰ ― 7で 保 護 さ れ た 名 誉 は、 「警 察 の 体 面」であり、Ⅰ ― 8も同様である。なお、Ⅰ ― 10は動機も重視 し た こ と か ら、 公 共 性・ 公 益 性 も 考 慮 し て い る。 Ⅰ ― 12で 保 護された名誉も同じく、警察の信頼・社会秩序維持である。 被告人が述べる男女同権等の思想は当時の明治政府の指導に 反するため、取り締まわれたと考えられる。 讒謗律の適用が争われた事例の中で、無罪となることは極 め て 困 難 で あ っ た。 そ の 中 で、 Ⅰ ― 8は 演 説 に よ る 名 誉 侵 害 は讒謗律を適用するべきではないとした事例である。讒謗律 は 文 書 に 関 す る 名 誉 侵 害 防 止 が 目 的 と さ れ て い た た め で あ る。 そ の 一 方 で、 Ⅰ ― 9は、 本 来 讒 謗 律 は 文 書 を 規 制 す る も のであるが、演説も規制対象となりえるという判例変更をし た 事 例 と も い え る。 Ⅰ ― 12に つ い て は、 こ れ ま で 前 例 の な い 天皇に対する批判だったがゆえに、あえて讒謗律を適用する 方 法 を と っ た も の と い わ れ て い る。 他 の 法 を 適 用 さ せ た 場 合、罵詈律や改定律例では天皇毀損の直接の罰則がなく、地 罪法では罰則が軽く新聞条例は適用が困難だったためであろ う。しかしながら、現代では、拡張解釈であり、現行刑法上 は禁じられると思われる。条文の文言では、演説が名誉侵害 となるという結論を導く解釈上のゆとりはない。この点も讒 謗律の問題点の一つであるが、演説を有罪とした事例を検討 するに、名誉権保障及び言論弾圧のため、解釈を広げたもの と思われる。
③その他の方法での名誉侵害 Ⅰ ― 13 大 審 院 判 例 明 治 一 一 年 三 月 二 二 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 七七號七六五丁 A(平民)は県庁官吏の行動を批判した差出人変名の投書 (賄 賂 の 額 が 少 な か っ た た め に 相 手 が 立 腹 し た 等) を 判 事 宛 に書き、県庁の郵便受けに置いた。明治一〇年四月一六日に 大阪裁判所は、本件書類を事実無根と認定し、讒謗律四条違 反として禁獄六ヶ月・罰金三〇円の宣告を受けた。Aは上告 し、大審院は原審を平翻し、讒謗律は「著作文書若クハ書画 肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ売買シ若クハ貼示」した場合に適用 されるもので、郵便受け取り箱の上に乗せた行為は「書面ハ 未タ曽テ展観又ハ発売若クハ貼示等ノコトヲ為シ以テ之ヲ公 布 セ シ ニ 非 レ ハ ナ リ」 と し て 改 定 律 令 を よ り 懲 役 七 〇 日 と なった。 Ⅰ ― 14 大 審 院 判 例 明 治 一 一 年 八 月 一 四 日 大 審 院 刑 事 判 決 録 一九六號三四八丁 Xは戸主の地位を狙うため現戸主を誹謗する書類(賄賂授 受・ 女 性 ス キ ャ ン ダ ル 等 現 事 実 無 根 の 悪 事 を 記 載 し た も の) を県令に提出した。一審では讒謗律四条違反で禁獄一〇日・ 罰金一〇円とされた。 自 ( 36) 首 により禁獄三〇日・罰金三〇円か ら の 減 ( 37) 刑 と な っ た が、 担 当 の 検 事 代 行 は 自 首 を し た 場 合 は 「其 罪 ヲ 全 免 ス ヘ キ」 と し て 上 告 し た。 大 審 院 は、 X が 自 首 し た こ と を 考 慮 し、 讒 謗 律 を 適 用 せ ず、 不 応 為 適 用 し 懲 役 七〇日のところ、自首をもって改定律例六〇条により免罪と なった。 上 記 の 事 例 で 保 護 さ れ た 名 誉 と は、 「誹 謗 さ れ た 人 物 の プ ライバシー・社会的信用」である。これは、秩序維持を重視 しているためといえる。加えて、当時の道徳や制度を重んじ て い る た め で あ ろ う。 こ れ ま で の 慣 習 と し て、 Ⅰ ― 14の よ う な戸主の誹謗は社会的・倫理的に容認できない時勢であり、 判例文においても被告の動機を「卑劣」と著していることな どから、これまでの名誉保護の目的だった社会秩序維持の面 を重視していたと思われる。なお、Ⅰ ― 13・Ⅰ ― 14は、書面に よる誹謗であり、讒謗理の適用が検討される事例だが、情報 伝播可能性が問題となる事例である。両者ともに情報が人目 に触れる前にその表現が差し止められたため、公示されるこ とがなかったため、讒謗律の適用を免れたと考えられる。 3.名誉権保障と表現の自由との対立――讒謗律の影響と刑 法の名誉権保障の発展 ここであらためて、讒謗律をはじめとする明治初期の名誉 毀 損 法 の 特 徴 を 紹 介 す る。 第 一 に、 皇 室(及 び 初 期 に は 官 吏・後に外国の君主、大統領・使節団)に対する名誉毀損は 「国 家 の 法 益」 に 対 す る 侵 犯 で あ り、 そ の 他 一 般 に つ い て は
「個 人 の 法 益」 に 対 す る 侵 犯 と し て 把 握 さ れ た こ ( 38) と で あ る。 これまでの名誉保護法は西洋の法廷侮辱罪や煽動際に近いも のであり、讒謗律から旧刑法・改正刑法と段階を経るごとに 身分制や秩序維持の面は薄くなる。前述したように、名誉毀 損法の重点は、個人の権利保障よりも治安維持や社会秩序維 持という公共の安全維持におかれていた事が関係して い ( 39) た 。 第二に、身分による差別の存在があったこと、第三に、比較 的早く新聞雑誌に対しては「真実の証明」を許 し ( 40) た 事が挙げ られる。 以上のことからも、讒謗律の 影 ( 41) 響 と果した役割は非常に大 きなものであった。制定当時も悪評の多かった讒謗律である が、今日においてもその評価はおおむね良いものではない。 そ の 一 例 と し て も、 「当 時 よ う や く 高 揚 し は じ め た 自 由 民 権 運動の出版物による活動を抑圧せんとした弾圧 立 ( 42) 法 」、 「悪名 の高さにもかかわらず――筆者寡聞ながら――従来必ずしも 本 格 的 な 研 究 が な い よ う に み う け ら れ ( 43) る 。」 等、 不 評 価 を 論 ずる著作は枚挙にいとまがない。その最大の理由は、特定の 人物の名誉を重く保護することと、表現自由弾圧に用いられ てことである。当時は江戸期から続く身分制が存在していた こともあり、民衆の反発を招いていた上に、自由民権運動・ 政府批判・社会主義等明治政府に反対する思想の取り締まり に讒謗律が利用されてしまったからであろう。 そ の 反 面、 讒 謗 律 の 良 い 点 は、 讒 謗 律 に 関 す る 事 例 の 中 で、初めて「表現の自由と名誉権の対立」という問題を顕在 化させたことである。これまでも当時も、表現の自由の保障 という観念は存在せず、裁判上、名誉保護と言論・口頭での 表現行為が対立した場合は、立証する必要もなく、名誉権が 保護されて言論・出版の自由は保障されなかったのである。 また、讒謗律の良くない点の一つとして、条文に身分の差に よる名誉侵害の差を規定しているが、その反面、いずれの身 分の名誉も保障することで誰でも名誉侵害訴訟を提訴するこ とが形式上は可能となったことからも名誉保護の裁判・考え 方の近代的・西洋化を推し進めたといえる。 明治一五年に旧刑法が施行され、讒謗律は姿を消すが、そ の影響は残った。その一例として、旧刑法の条文の一部を紹 介させていただく。 旧刑法 (明治 13年 7月 17日太政官布告 36( 44) 号) 施行 明 治 15年 1月 1日 改 正 明 治 31年 法 11 廃 止 明 治 41年 10月 1日 明治 40年法 45 第百十七条 天皇三后皇太子ニ対シ不敬ノ所為アル者ハ三月 以 上 五 年 以 下 ノ 重 禁 錮 ニ 処 シ 二 十 円 以 上 二 百 円 以 下 ノ 罰 金ヲ附加ス 第百四十一条 官吏ノ職務ニ対シ其目前ニ於テ形容若クハ言 語 ヲ 以 テ 侮 辱 シ タ ル 者 ハ 一 月 以 上 一 年 以 下 ノ 重 禁 錮 ニ 処 シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス 2 其目前ニ非ス
ト 雖 モ 刊 行 ノ 文 書 図 画 又 ハ 公 然 ノ 演 説 ヲ 以 テ 侮 辱 シ タ ル 者亦同シ 第三百五十八条 悪事醜行ヲ摘発シテ人ヲ誹毀シタル者ハ事 実 ノ 有 無 ヲ 問 ハ ス 左 ノ 例 ニ 照 シ テ 処 断 ス 一 公 然 ノ 演説ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ十一日以上三月以下ノ重禁 錮ニ処シ三円以上三十円以下ノ罰金ヲ附加ス 二 書類 画図ヲ公布シ又ハ雑劇偶像ヲ作為シテ人ヲ誹毀シタル者ハ 十 五 日 以 上 六 月 以 下 ノ 重 禁 錮 ニ 処 シ 五 円 以 上 五 十 円 以 下 ノ罰金ヲ附加ス 第四百二十六条 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ二日以上五日以下 ノ 拘 留 ニ 処 シ 又 ハ 五 十 銭 以 上 一 円 五 十 銭 以 下 ノ 科 料 ニ 処 ス 十二 公然人ヲ罵詈嘲弄シタル者但訴ヲ待テ其罪ヲ論 ス 明治一五年 旧刑法が公布され、形式として讒謗律は廃止 され、刑法条文に引き継が れ ( 45) た 。の後、名誉侵害訴訟には旧 刑法、その後は改正刑法が用いられることになる。本報告の 中心ではないので、旧刑法・改正刑法の特徴と讒謗律との異 なる点の紹介は簡単にとどめるが、条文の近代化・身分差別 の撤廃・罪刑法定主義採用・侵害の客体の特定 (個人処罰) ・ 侮辱罪と名誉毀損罪の 区 ( 46) 別 等が挙げられる。 4.統括――残された問題と今後の研究に向けて 讒謗律は旧身分制や社会的地位のある人物を保護すること が中心となっているが、讒謗律に関連ある事例は事実証明制 度や名誉権と表現の自由との調整・公人の名誉権保障等の事 例 を 考 え る 際 に 応 用 で き る 極 め て 重 要 な 法 文・ 事 例 と い え る。讒謗律の裁判による適用という実践を通して、当時の名 誉権保障の在り方や言論の自由の形成過程が示されている。 本報告で紹介した讒謗律が適用された事例の主は、特定の社 会 的 地 位・ 身 分 を 有 す る 者 が 私 事 を 公 開・ 批 判 さ れ た も の だった。これによると、当時の大審院も一般国民も、前時代 の身分や、明治期においての社会的地位重視していると思わ れる。そのためか、讒謗律の運用方法によっては公人への批 判 封 じ と な り、 実 際 に 言 論 弾 圧 法 と し て 批 判 が な さ れ る の は、殊に社会的地位の高い人物への批判的な表現を処罰して いたためである。名誉保護の規定は、讒謗律から旧刑法、そ の後の改正刑法と身分とのかかわりは緩和してくるものの、 名 誉 毀 損 法 の 重 点 が 公 共 秩 序 の 安 全 維 持 に お か れ て い た た ( 47) め 、刑法が適用される時代になっても実質的に社会的身分 の高い人物の保護という面は継続していた。国政に直接関わ る政治家や官吏の名誉を重く保護することで社会秩序の安定 を図ろうとするものである。これはいずれの時代にも共通す る こ と だ が、 表 現 の 自 由 に 関 し て は、 「平 常 の 状 況 に お い て は、考え方の基本として、表現の自由こそが社会の秩序の維 持 に 奉 仕 す る も の で あ る と い う こ と で あ ( 48) る 。」 と い え る。 つ
まり、時代の流動期や変革期、有事の際等は、自由権も、殊 に表現の自由も制約されてもいたしかたないと、人権保障の 浸透していなかった時代では考えられていた。 総 合 的 に 検 討 す れ ば 言 論 の 自 由 が 芽 生 え 始 め た 明 治 期 か ら、 名 誉 権 と 表 現 の 自 由 の 対 立 は も は や 避 け ら れ な く な っ た。讒謗律制定当時の社会的背景を鑑みれば、讒謗律の条文 自体にはそれほど批判すべきところはそれほど多くはない。 近代的名誉権保障及び特定身分の強い名誉保護、自由民権運 動に関する表現弾圧と共に、士族・華族等特別な封建制の身 分を引き継ぐ者には明治期の平等化ゆえの不満をそらすため に必要であった。ゆえに、現代とは異なり、有事に近い状態 であるがゆえに、一定の権利を制限し、それを許容するを得 ない状況であったのかもしれない。中央集権国家体制創りや 天皇制を強化するため、人をあしざまに言うことや犯罪の扇 動 の 禁 止 し、 天 皇・ 政 府 批 判 を 処 罰 す る 法 規 は 必 要 だ っ た が、讒謗律の運用方法が悪かったために、結果として藩閥政 治批判者の弾圧と、表現の自由を圧迫する事態を招いたこと は最も残念なことであったが、讒謗律制定と事例の蓄積が、 名誉権保障の発展と法制定に貢献したことは間違いないと言 える。 Ⅱ.質疑応答 まず論文の構成と報告の焦点についてご意見を頂戴した。 題目にあるように、表現の自由と名誉権の対立とあるが、ス タートはそこで良いのか、讒謗律との関わりはどのように考 えるのか、ということだった。質問者は、かつての日本は軍 事国家であることを踏まえ、表現の自由と名誉権の対立を考 えるのではなく、この問題は「公の秩序維持」と名誉権保護 を考えるべきという観点から、名誉保護を社会秩序維持と押 さえることはよいが、一般の考える名誉と社会的に保護され るべき名誉はどのような違いがあるのか、というご意見を頂 いた。明治期は個人の人権としての名誉権と、社会秩序維持 の観点からの人権保障が混在している。この二つの観点がど のような意味をもっているのか、どのように移り変わってい くのかという質問であった。そして、名誉権のどのような部 分に焦点を当てるかはっきりさせないと、論点がちらかって ぼやけてしまう、名誉権保護の目的やその在り方をはっきり させるべきと御助言を頂いた。 わたくしは、名誉保護は長らく、道徳秩序保護・治安維持 を目的に運用されていたという面を報告で強調していた。殊 に讒謗律ではその傾向が強く、政治家等社会的に高い身分の 名誉権保障が厚いのは、官吏の名誉保護を名目として、表現 弾圧に近いものがあるため、個人の権利を厚く保護していた わけではないことを述べた。 次に、法の運用や判例の紹介の提示方法がまだ十分でない ため、データを上手く加工して論じること及び用語の使用法
に留意するようアドバイスを頂いた。讒謗律条文や関連判例 は、 現 代 で い う 名 誉 侵 害 を「栄 誉 を 害 す る」 、 と い う 言 い 方 で表わすことが多い。その使用の違いは何なのか説明が不足 し て い た。 「名 誉 侵 害」 の よ う に「栄 誉」 と い う 語 で 名 誉 と いう語を示さなくなるのは明治後期であり、今回報告の中心 となった讒謗律の判例には「名誉」という語はそれほど多く 見られない。例えば判例集の目次で名誉侵害の事例をみると 「誹 謗 ノ 罪」 等 が 多 い。 ご 指 摘 い た だ い た よ う に、 事 例 の 紹 介や検討についてはさらなるデータが必要である。 次いで、名誉保護が個人の人権になった背景と変化の影響 について意見を頂戴した。現在では名誉権とは個人の人権と なったが、名誉権を治安維持・社会的秩序維持の面を考慮し なくなった原因については、身分社会の構造が安定したから ではないかというご意見だった。秩序維持の目的として、天 皇の地位を厚く保障すること及び官吏を侮辱から守ろうとい う 面 の 目 的 が 達 成 さ れ た か ら で は な い か と い う ご 意 見 だ っ た。この点について、わたくしは未だ研究が不十分な事柄で あったため、早急に盛り込む予定である。そしてどのように 政 府 と 対 立 し、 保 護 さ れ る べ き な の か 考 察 す る よ う 示 さ れ た。 他 に も、 讒 謗 律 は 仏 蘭 西 法・ 英 吉 利 法 の 影 響 下 に あ る た め、讒謗律の裁判事例において、仏蘭西のエスプリや英吉利 法の雰囲気を感じることはできるのかというご質問いただい た。 今 回 紹 介 し た 判 例 以 外 に も、 讒 謗 律 に 関 す る 裁 判 事 例 は、どれも純日本的である。名誉保護とは、社会的地位の低 下・侮辱・プライバシー保護などを含む西洋の概念と比較し て大変に広いものであり、事実証明制度も認めていない。西 洋 的 影 響 は、 官 吏 の 地 位 を 重 く 保 障 し て い る 部 分 の み で あ る。その質問者から、いくつか論文執筆に役立つ論文・資料 があることを御助言して頂いた。 註 ( 1) 伊 藤 正 己『現 代 社 会 と 言 論 の 自 由』 二 八 三 頁(有 信 堂、 一九七四) 。 ( 2) 同 年 出 版 条 例 公 布。 後 の 明 治 一 一 年 に は 東 京 府 下 に お け る 演 説 は事前に警視庁への届け出制を布告し、明治一二年には官吏の政談 演説禁止、明治一三年には集会条例が公布される等言論の自由を規 制する法が制定されはじめた。 ( 3) 小 野 氏 は 英 吉 利 法 を 母 法 と す る 理 由 を、 文 書 名 誉 侵 害 の み を 処 罰 す る こ と が 英 吉 利 の 名 誉 侵 害( libel ) の 概 念 に 非 常 に 近 い こ と、 社 会 的 名 誉 に 重 き を お い て い る こ と、 名 誉 感 情 の 保 護 も ふ く む こ と、 「事 実 ノ 有 無 ヲ 論 セ ス」 と あ る 部 分 が 一 八 四 三 年 の 誹 謗 文 書 法 以前の英吉利普遍法の思想によるもの等説明している。小野清一郎 『刑 法 に 於 け る 名 誉 の 保 護』 六 頁 以 下、 一 二 七 頁 以 下(有 斐 閣、 一 九 三 四) 。 立 案 者 は 尾 崎 三 良・ 井 上 毅 の 二 人 と 伝 え ら れ て い る。 手 塚 豊「讒 謗 律 を 巡 る 二 つ の 大 審 院 判 例 明 治 法 制 史 料 拾 遺 ( 4)」 法 学 研 究 第 四 二 巻 一 一 号 一 二 六 頁 以 下(一 九 六 九) 。 岡 野 氏もイギリス法の影響を指摘する。岡野他家夫『明治言論史』三〇 頁(鳳出版、一九七四) 。
( 4) 岡 野・ 前 掲( 3)、 二 二 四 頁。 奥 平 康 弘「日 本 出 版 警 察 法 制 の 歴 史 的 研 究 序 説・ 4」 法 律 時 報 三 九 巻 第 八 号 六 六 頁 以 下 (一 九 六 七) 。 仏 蘭 西 法 を 母 法 と す る 根 拠 は、 仏 蘭 西 の 讒 毀 罪 (一八一九年) ・誹謗罪(一八一九年)のように、報じられた内容が 事実であろうとなかろうと処罰する点(英吉利の一八四三年の誹毀 法 で は 事 実 証 明 制 度 を 認 め て い る) 、 誹 讒 と 誹 毀 が 区 別 さ れ て い る こと、官吏の名誉を一般人よりも重く保護していることをその理由 に 挙 げ る。 奥 平 氏 は 仏 蘭 西 法 が 母 法 と な っ て い る 点 か ら、 尾 崎 三 良・井上馨に加え箕作麟祥・ボアソナードも関与したことを指摘す る。 ( 5) 手 塚 豊「讒 謗 律 の 廃 止 に 関 す る 一 考 察」 法 学 研 究 第 四 七 巻 第 一〇号 三頁(一九七四) 。 ( 6) 岡 野 氏 は 明 治 初 期 か ら 多 く の 新 聞 雑 誌 が 創 刊 さ れ、 言 論 活 動 が 活発になったことを「自由言論の黄金時代」と述べている。岡野・ 前 掲( 3)、 二 九 頁 以 下。 実 際 は 新 聞・ 雑 誌 の 内 容 の 多 く は 政 府 批 判や民権を主張するものだった。 ( 7) 小野・前掲( 3)、一二八頁。 ( 8) 刑 罰 の 在 り 方 の 近 代 化 が み ら れ、 閏 刑・ 身 体 刑・ 名 誉 刑・ 流 刑 が廃止され、罰金及び懲役のみとなった。 ( 9) 井 上 光 貞 他『日 本 思 想 体 系 3 律 令』 四 八 八 頁 以 下(岩 波 書 店、一九七六) 。 ( 10) 明 治 元 年 制 定。 明 治 政 府 が 最 初 に 編 纂 し た 刑 法 典 だ が 政 府 内 で の一般的準則であり公布・施行はされなかった。なお同年六月八日 には新聞書類発行についての決まり(太政官布告)が出され、許可 を受けていない雑誌・新聞の製本・版木の取り上げ・発売禁止と共 に、違反した者(新聞社・書店・社長・販売に関係した者)を処罰 する規定が盛り込まれていた。 ( 11) 明治三年制定・施行。 ( 12) 明 治 六 年 制 定・ 施 行。 同 年 一 〇 月 一 九 日 に は 新 聞 紙 印 行 条 令 改 正が公布され、新聞紙条目が制定された。こ新聞紙に正誤訂正義務 を科すというものだが名誉毀損に関する規定は存在していなかった (一 〇 条: 国 体 ヲ 誹 シ 国 律 ヲ 議 シ 及 ビ 外 ノ 法 ヲ 主 張 宣 説 シ テ 国 法 ノ 妨害ヲ生ゼシルムヲ禁ズ。一一条:政事法律ヲ記載スルコトニ付妄 ニ批評ヲ加フル事ヲ禁ズ。 )。 ( 13) 手塚・前掲( 5)、三頁。 ( 14) 徳 川 の 政 権 下 で は、 出 版 の 規 制 が 強 ま り、 風 俗 を 乱 す お そ れ の あ る も の(人 情 本・ 婦 女 の 様 子 の 書 き 加 え) ・ 社 会 秩 序 を 乱 す お そ れのあるもの(政治批判・心中の美化)は禁止された。享保七寅年 十一月二十一日には中山出雲守・大岡越前寺より、出版・表現を規 制する以下のような法度が公布されている。 一 自 今 新 版 書 物 之 儀 儒 書、 佛 書、 神 書、 醫 書、 歌 書、 都 而 書 物 類、其筋一通り之事者格別、猥成儀、異 說 等を取 交 へ、作出し侯 儀、堅可 レ爲 二無用 一事、 一 只 今 迄 有 來 侯 板 行 物 之 內 、 好 色 本 之 類 は、 風 俗 之 爲 不 レ宜 儀 ニ 侯間、段々相改 絕 板可 レ仕事、 一 人 々 之 家 筋、 先 祖 の 事 な ど を、 彼 是 相 違 の 儀 共、 新 作 之 書 物 に 書 顯 し、 世 上 致 二 流 布 一侯 儀、 有 レ之 侯、 右 之 段、 自 今 御 停 止 ニ 侯、若右之類有 レ之、子孫より訴出侯に於ては、 急 度御吟味可 レ有 レ之筈ニ侯事、 一 何 書 物 に よ ら ず、 此 ノ 以 後 新 版 物、 作 者 拜 に 板 元 之 實 名、 奥 書 に爲 レ致可 レ申事、 一 權 現 樣 之 御 儀 者 勿 論、 總 て 御 當 家 之 御 事 版 行 書 かき 本 ほん 、 今 無 用 可 レ仕侯、無 レ據子細有 レ之者、奉行所へ訴出で、差圖を 請 可 レ申侯事、 右 之 趣 を 以 て、 自 今 新 作 之 書 物 出 侯 共、 遂 二吟 味 一、 可 レ致 二商 賣 一侯、 若 右 定 ニ 背 侯 者 有 レ之 者、 奉 行 所 へ 可 二訴 出 一侯、 數 年 を 經、 相 知 れ 侯 者 、 其 版 元 間 屋 共、 急 度 可 二申 付 一侯、 依 仲 間 致 二吟 味 一違 犯 無 レ之 樣 、可 二相心得 一侯巳上、 享保七寅年十一月廿一日 中山出雲守 大岡越前寺 ( 15) 西 田 長 寿『明 治 時 代 の 新 聞 と 雑 誌』 九 一 頁(真 珠 社、