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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 利用統計を見る

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(1)

現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法

著者名(日)

ユニアルソ,K,アディ, シンギ,T,スリスティヨノ,

イエティ ロフウラニンシー, 後藤 武秀[訳]

雑誌名

東洋法学

51

1

ページ

147-214

発行年

2007-10-15

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000629/

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法

ユニアルソ・K・アディ

シンギ・T・スリスティヨノ

イエティ・ロフウラニンシi

後 藤 武 秀︵訳︶

インドネシアの相続法の多様性

東洋法学

ユニアルソ・K・アディ

  紹O巳四おO囚>﹂一 147

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 第一章 序 論  インドネシアの相続法には、過去から現在まで様々な形態があり、オランダ領東インド統治法第一六三条およ び第一三一条の規定に則って、住民はそれぞれの階層ごとに適用される規定を順守してきた。  統治法によると、住民は次の三つの層に分けられていた。  ①ヨーロッパ人の子孫、または同列とされるインドネシア住民  ②東アジア人の子孫︵中国人、非中国人︶であるインドネシア住民

 ③インドネシア原住民

 しかし、相続法については一九五八年法律第五八号、一九五七年大統領令第二〇号の規定により、右のような 住民の階層分けは廃止され、イスラム相続法、慣習法、民法が適用されている。この三法制はそれぞれ独特の規 定を持っているため、各法制によって国民の相続法に対する理解が異なるという状況を生み出している。とはい え、各相続法とも、遺産と呼ばれる非相続人が遺した財産や資産があること、遺産を占有または所有している被 相続人がいること、遺産の移譲、承継、分与を受ける相続人がいることの三要素を切り離して論じることはでき ない。通常、相続という場合、人が亡くなり、その人が残した財産を相続人全員が受け取るために分割するもの と考える。しかし、時には被相続人が生存中にその資産を受け取る者を指名する場合もある。  これまでインドネシア国民は、各々の社会的グループがそれぞれに特徴を持ちながら、同時に共通点をも持つ

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東洋法学

様々な相続法を用いてきた。端的に言えば、慣習相続法も多種多様である。一般に家族や親族構造に影響を受け ているからである。インドネシアの親族構造には次のものがある。  ①父系︵評鼠菅①巴︶   例一般に、バタック、バリ、アンボン  ②母系︵竃簿巨冒Φ巴︶   例ミナンカバウ、クリンチ︵ジャンビ︶、スメド︵南スマトラ︶

 ③双系︵評お暮巴\匪耳R豊

  例ムラユ、ブギス、ジャワ、カリマンタン︵ダヤック︶など  また、相続方法についても・次の三つがある・

 ①個人相続

  例双系︵ジャワ︶や父系︵バタック︶  ② 共同相続   例ミナンカバウのハルタ・プサカ・ティンギー、アンボンのタナン・ダティ

③長兄・末弟相続

  例バリ、ランプンなど  以上を前提として、以下において、現在インドネシアで効力を持つ相続法の概要について考察する。主要な間 149

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 題点は、インドネシアの相続法の実態はどうなっているか、 なぜインドネシアではすべての国民に適用される ように相続法を統一することが困難なのか、という点にある。

   第二章本   論

 A 相続法の多様性  右に見たように、インドネシアの相続法は多種多様であり、それぞれのグループがそれぞれの法律を用いてい る。例えば、イスラーム教徒にはイスラーム相続法が適用され、遺産分割の方法、息子、娘、養子の相続割合、 相続人同士の紛争が起こった場合に調査と決定の権限を持つ審判機関などの間題は、地元の宗教裁判所が担当す る。一方、非イスラーム教徒たちにはそれぞれの慣習法が適用されるが、慣習法は地元の宗教や信仰に大きな影 響を受けている。また、ヨーロッパ入の血を引くインドネシア人や彼らと同列とされる人々に適用される相続法 の考え方は、ヨーロッパ民法︵民法︶に委ねられている。  インドネシアでは、社会的グループごとに相統法に対する理解が異なっている。要するに、インドネシア全域 で通用する法的な基準︵指針︶や範囲などについて、相続法の統一的な意味や理解が醸成されていないのであ る。そうではあるが、どのグループに属していても、相続法について語る場合には次の三点が関心の的であるこ とには変わりない。すなわち、  ① 遺産と呼ばれる、被相続人が残した財産があること。

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東洋法学

 ②遺産を占有または所有し、それを移譲または引き渡す被相続人がいること。  ③その遺産を移譲され、あるいは分割された遺産の一部を受け取る相続人がいること。  イスラーム相続法︵ファライダ法胤胃巴爵︶では、相続法はタクディル鼠医ヰ︵神の決定︶と、分割された遺 産の相続分を意味するシャーラω冨.鍔という言葉で理解される。したがって、賦賊巴爵は、ω旨、轟によってその 多寡を決められた相続人の相続分に関することをいう。  慣習法の立場から相続法をみると、﹁有形・無形の資産を世代から世代へと引き渡していく方法﹂︵↓段国器さ 一。9二零︶と理解されている。  ﹁相続慣習法は、有形・無形のものをある世代からその子孫へ引き渡すプロセスを定めた規則である﹂ ︵ωρ宕奪ρ一8ヨお︶。  一方、民法も指針として相続法の意味・定義に制限を加えている。例えば、第八三〇条は﹁相続は死亡によっ てのみ生じる﹂と規定している。また、第八三二条は﹁法定相続人とは、婚姻または婚外による血族および長期 間生活を共にした夫または妻である。血族または長期にわたって生活を共にした夫または妻がいない場合には、 被相続人のすべての財産は国の所有となる。国は当該被相続人に負債がある場合には、遺産価値がその負債を賄 う場合においてのみ、その負債のすべてを返還する義務を負う﹂と規定している。 151

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法  B イスラーム相続法  イスラーム相続法は、ファライダ法としてよく知られている。先述したように、ファライダという言葉は、タ クディルと決められた遺産の相続分であるシャーラを意味する。したがって、ファライダとは、とりわけシャー ラによって多寡が決められた相続人の相続分に関することである。ファライダにおいては、遺産の分割方法、息 子と娘の相続分などが規定されている。イスラームがアラブの地にもたらされる以前には、重複があり、人間の 感覚に反した誤った相続法が用いられていた。無知なアラブ人は女性や子供といった弱い者には遺産を与えなか ったが、成人男性や自分たちが養った養子には遺産を与えた。そのため、親族は養子のために遺産をもらえなか ったり分け前が減ったりすることがあった。養子によって身内の権利は損なわれ、敵対的に奪われた。この法律 はまったく彼らの肉欲から生まれたもので、誤った慣習法に基づいたものであった。なぜ遺産を成人男性と養子 にしか与えないのかという理由として、男たちは戦闘において敵に立ち向かい、他民族の侵攻からおのれの民族 を守ることができるということがあげられた。一方、女たちはただ騒々しく恥さらしで、財産を使い尽くすだけ である。したがって、彼らは女性と子供には相続する権利がないと定めたのである。その後、公正で、相続人と して男女を分け隔てず、多寡の違いはあれ全員が相続できるという規則を持ったイスラームが入ってきた。アッ ラーは次のような啓示をクルアーンで示した。  ﹁男たちには父母と親族の遺産を相続する権利がある。また女たちにも父母と親族の遺産を相続する権利があ る。いずれも相続分が定められており、少ないものも多いものもある﹂︵>暮一鴇の手紙︶。相続人である男女が

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東洋法学

相続する遺産の配分は、アッラーがクルアーンの中で次のように定めている。  ﹁アッラーはお前の子供たちへの︵遺産分与について︶、お前に言う。すなわち、一人の息子の相続分は二人 の娘の相続分とする﹂。  したがって、アッラーが定めたイスラーム法によれば、遺産分割では、息子は娘二人分の取り分と同等、また は二対一となっている。イスラーム法集成︵KHI︶第一七一条Aは次のように定めている。  ﹁相続に関する法は、被相続人の遺産の所有権の移譲、誰が相続人となる権利を有するか、その相続分はどれ だけかを定めた法律である﹂。  さらに、イスラーム法集成第m章第一七六条は、  コ人娘の相続分は半分︵二分の一︶、娘が二人以上の場合は全員で三分の二、また娘全員と息子の相続分の 割合は一︵女子︶対二︵男子︶とする﹂。  また、第一八三条は、  ﹁相続人たちは各自の相統分を理解した後、遺産分割における和解に合意することができる﹂と、規定してい る。  以上のことから、クルアーンとイスラーム法集成は、特に男女の子供の相続分の割合を、二対一と規定してい ることがわかる。この地上の全イスラーム教徒にとって、クルアーンとハディースの教えの遵守は義務であり指 針であることを考えると、この遺産分割の規定も、快く守らなければならないものである。クルアーンはその意 153

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 味を次のように述べている。  ﹁聖クルアーンに従って相続人たちで遺産を分けよ﹂。  さらに、  ﹁︵これらの法律はアッラーの定めたものである︶アッラーとその使者ムハンマドに帰依する者は何人であ れ、アッラーは必ずやその内に川が流れる楽園に入らせて、そこに永遠に住まわせる。それこそが大いなる勝利 である﹂。  以上のことから、定められたきまりに則って財産分与を行う者に対しては楽園という見返りが与えられるが、 それを拒絶し、従わない者は地獄の火に焼かれるようになる。要するに、イスラームはムスリムに対して適用す る相続法を明確に定めているといえよう。  また、時代の進展とイスラーム法学者たちの意見に基づいて、イスラーム相続法では共同相続や長子相続では なく、被相続人と相続人の二者間の個人相続主義を適用している。したがって、イスラーム法では被相続人を父 方のみ、あるいは母方のみに限定していない。イスラーム法で相続人と定められているのは以下の者である。

 ①女  性

 遺産相続を受けられる女性は次のとおりである。  a 娘

 b 孫娘

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東洋法学

②ihgfedc

母を同じくする姉妹 父を同じくする姉妹 姉 妹 父方の祖母 母方の祖母 母 親 妻 男  性 遺産相続を受けられる男性は以下のように分類される。

9fedcba

父を同じくする兄弟 母を同じくする兄弟 兄 弟 父方の祖父 父 親 息子の孫で男子 息 子 155

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法

i h

③nmlkj

父を同じくする伯母・叔母の息子 母を同じくする伯父・叔父の息子 父を同じくする伯父・叔父 母を同じくする伯父・叔父 父を同じくする兄弟の息子 兄弟の息子 夫 ジル・アルハムU旨餌勾=︾霞︵親戚︶  相続を受けない他の親族であるが、愛情を介した関係または﹁親族の子﹂と呼ばれ、ザウル・フルド尽三一 甘霊α︵一番目の法定相続人グループで、それぞれの立場によって相続の割合がが決められている︶にもアシャ バ器冨び魯︵鑓£=貫&が相続分を得た残りの遺産を相続する権利を持つ者︶にも含まれない者である。  ④アシャバ︾ω缶︾ω︾頃  アシャバは援助者・保護者という意味がある。アシャバは次の三つに分けられる。  a おのずとアシャバとなる者︵アシャバ・ビナフシ︾鴇善魯国屋匿︶   例 すべての男性リストから異父兄弟と夫を除いたもの  b 他人であるためにアシャバとなる者︵アシャバ・ビルハイ︾筈筈魯国、一讐巴︶

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  例 娘⋮息子と娘がいるため  c 他の人と一緒にアシャバとなる者︵アシャバ・マアルハイル>谷暮魯竃四、巴磯冨ε ⑤フィ・サビリラ国ω魯一巨ぎまたはバイトゥ・アル・マアル︼W巴け巴日巴  遺産分割後に遺産が余った場合、インドネシアではフィ・サビリラまたはバイトゥ・アル・マアルヘ供与され る。これは、モスクやウンマ︵イスラーム共同体︶などに寄与するのが目的である。  なお、イスラーム法による遺産相続分の規定は、次のようになっている。

東洋法学

⑥⑤④③②①

二分の一 四分の一 八分の一 三分の二 三分の一 六分の一  イスラーム法では遺産の分配を受ける相続人に関する問題を以上のように定めている。また、イスラーム法で は個人相続主義が採られている。  次に、イスラーム法集成における相続人に関する概念および分類についてみてみよう。第一章第一七一条は、 相続人を﹁被相続人の死亡時に血縁または婚姻関係がある者で、イスラーム教徒であること、また相続人となる 157

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 ことに法的な障害がない者﹂としている。さらに、第二章第一七四条は、相続人を次のように分類している。

①血縁関係によるもの

  男性は、父親、息子、兄弟、叔父・伯父、祖父。   女性は、母親、娘、祖母。

 ②婚姻関係による者

  寡夫、寡婦  また、﹁相続人が全員いる場合には、遺産を相続できる者は、子、父親、母親、寡婦、寡夫のみである﹂。  イスラム法集成における遺産分割の方法、息子・娘の相続分などを定めた相続法は以上のとおりである。  C 慣習相続法の概要  慣習相続法について語る場合、本来なら理解を容易にするための指針のようなものがあったほうがよいと思わ れる。慣習相続法には相続の原則、遺産、被相続人、相続人および遺産分割の方法の規定が盛り込まれている。 慣習相続法は、本来、ある世代から次世代への財産の承継法である。先に見たU①↓鋤貰をω080目oの説のよ うに、その相続法は、被相続人から相続人への資産︵有形・無形︶の承継・移譲の方法を定めたものである。資 産の承継・移譲は、被相続人の死亡後だけでなく、生前に行うこともできる。ここが西洋の相続法︵民法︶と異 なる点である。慣習法による被相続人の資産の承継・移譲の方法では、被相続人による相続人の指定、権利の移

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東洋法学

譲、所有権の移譲が可能である。また、次のような原則も用いられている。  ﹁直系下位親など︵直系子孫︶へ相続できなかった場合には、直系尊属または傍系へ相続が行われる。すなわ ち、相続人になるのは、まず子供の男女と彼らの子孫である。子孫がいない場合、父、祖父など直系尊属が相続 人になる。それもいない場合には、兄弟姉妹とその子孫となる。すなわち傍系の血族で、もっとも近い家族であ って、遠い親族は除かれる﹂。  ﹁慣習法では死亡した被相続人の遺産がそのまま相続人同士で分割されるとは限らない。遺産が流動資産であ るため、分割が延期される場合や将来にわたって分割できない場合もある﹂。  ﹁慣習法では代襲相続︵国鎚富<R≦臣鑛︶の原則が採られている。すなわち、相続人である子供に子︵被 相続人からすると孫︶がいた場合、彼ら︵孫︶が父親のポジションにとって替わることができる。そして、孫は 父親の相続分と同じ分を相続する﹂。  ﹁実子と変わらぬ権利と地位を持つ養子の縁組を行う機関がある﹂︵以上、∪讐民¢ω日餌P這8二竃山8︶。  次に、慣習法による遺産分割について述べる。一般に、慣習法ではいつ遺産を分割するか、いつが適切か、ま た規定がない場合には誰が判断するかといったことを定めていない。慣習では、供養の儀式や被相続人の死後七 日、四〇日、一〇〇日、一〇〇〇日といった法要が済んだ後に行われる。その時に相続人たちが集まるからであ る。遺産を分割する際に判断を下す立会人には以下の者がなる。﹁生存しているもの︵被相続人の配偶者・寡婦 または寡夫︶﹂または、﹁長男または娘﹂、﹁誠実・公平・思慮深いとみなされている家族の年長者﹂、﹁相続人たち 159

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 によって依頼、指名または選ばれた近隣の親戚、慣習長老、宗教指導者﹂︵霞冒碧=蝕一ざ鶏営僧ピ。。 。”一9− 一8︶。  相続をめぐって争いが生じ、話し合っても、両親や長男・長女、家族では解決できない時には、慣習長老や宗 教指導者に介入を要請することができる。慣習法では遺産分割の方法を数学的に︵数字で︶計算することがな い。常に資産の形態や相続人の二ーズを勘案する。したがって、慣習相続法が権利平等主義を適用していても、 それは相続人全員が同じ数・同じ額の相続分、あるいは定められた相続分を受け取ることを意味するわけではな い。一般に分割方法には二つの可能性がある。  ① サピクル・サゲンドガンω8穿包鴇鴨民o躍讐法によるもの。この場合、息子の相続分は娘の二倍であ   る。  ②ドム・ドム・クパット身ヨ倉ヨ屏唇讐法によるもの。この場合、息子と娘の相続分は等しい︵頃一ぼ程   =四9犀二霊目餌一8︶。  インドネシアでは、遺産は子供全員に等しく分割される場合が一般的である。以上に見たように、イスラーム 法とインドネシア独自の法律では、特徴が異なっている。慣習相続法とイスラーム相続法の相違点をもう少し詳 しく述べれば、以下のようになろう。 a 慣習法では財産は値段で評価できるものではなく、分割できないものもあり、あるいは種類によって、また 相続人の利害によって分けられるものもある。現行の規定によれば、慣習遺産は売却してはならず、その売上を

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相続人で分割してはならないとされている。  一方、イスラーム相続法では、遺産はファライダ法に則って法定相続人同士で分割してもよい。 b 慣習相続法では、遺産には、相続人がその占有や所有を分割できないものと、分割できるものの二種類があ る。分割できない財産は、相続人たちの共同所有となり、個人所有は認められないが、利用することはできる。 さらに、相続人が困窮している場合、慣習長老たちや親戚の同意によって、質入することができる。もし相続人 が相続した遺産を他人に移譲・売却する場合にも、親戚の団結にかかわる隣接権に反しないよう、親戚の意見を 請わなければならない。慣習相続法には法定相続分という概念はない。  一方、イスラーム相続法ではクルアーンで相続人の権利と相続分が定められている。 c 慣習相続法では、相続人が遺産の分割を求める権利を認めていない。相続人が必要に迫られ、かつ遺産を得 る権利を有している場合、他の相続人たちと話合いに応じるよう要望を出すことができるのみである。

東洋法学

 D 西洋相続法  ここで述べる西洋相続法とは、死亡した被相続人の遺産を個人に分配する民法の規定のことである。この規定 は、ヨーロッパ人、中国人、アラブ人、その他の外国人の子孫で、宗教の教義にこだわらないインドネシア国民 に適用される。今日までに、民法のいくつかの規定はすでに廃止された。例えば、全国民に適用される統一婚姻 法に関する一九七四年法律第一号の施行により、民法の婚姻法は廃止された。統一婚姻法第一四章終章第六六条 161

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 は、﹁すべての婚姻にかかわる規定、民法の規定、キリスト教によるインドネシア婚姻法︵国09ω﹂8ω20● 謹︶、国際結婚規則︵勾畠&轟8号鴨目窪覧①==巧①三ぎPω。一。 。。。 。Z9嵩o 。︶、この法律の制定以前に制定 された婚姻に関する規則は、この法律の施行をもって、効力を失う﹂と規定している。しかし、民法上の西洋的 相続法は今なお効力を有しており、主な規定は、民法第一〇六六条に見ることができる。その内容は、以下のと おりである。  ①資産の一部に対して権利を有する者は、その資産をそのままにしておくよう強制されない。当該資産に対   する権利を共に有する他の者と分割できる。  ②この資産の分割は、たとえそれと相反する協約があったとしても、求めることができる。  ③資産の分割を一定期間以内に終わらせることを約束することができる。  ④この種の約束は五年間有効である。しかし五年以上が経過しても行うことができる。︵薫Ego甲o阜   Uoq詩o噌ρお蕊二“︶。  したがって、西洋相続法では、被相続人が死亡すると、その遺産はただちに相続人たちで分割される。たとえ 遺産分割と矛盾する内容の約束があったとしても、相続人は誰でも相続分をただちに分割するよう求めることが できる。相続人たちの合意によって遺産分割を延期することは可能であるが、その期間は、特別の事情を除いて 五年を超えてはならない。その場合には新たに延期期間を設けて延長する。一方、相続人は二つのグループに分 けられる。

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東洋法学

 ①法定相続人

 法定相続人は、遺言のない相続人または無遺言相続人とも呼ばれる。このグループには、次の三者が含まれ る。  a 被相続人の配偶者︵寡夫・寡婦︶  b 被相続人と婚姻による血縁関係にある家族  c 被相続人と婚外による血縁関係にある家族

 ②遺言による相続人

 これには、被相続人がその遺言状の中で相続人として指定したすべての人が含まれる。この相続法を理解する ためには、基本的に血縁による家族と婚姻による家族、無遺言時の子供の相続権の法的な規定などについて考察 することが望ましい。したがって、本稿では前記のイスラーム相続法と慣習相続法で説明した内容に関係のある 部分についてのみ考察する。  子および子孫の法定相続分冒畠置器男〇三Φ  法定相続分は、当該法律が定めた無遺言相続分である。子や孫の法定相続分がどれだけであるかは、まず、被 相続人が残した子供の数を見なければならない。民法第九一四条は、この点について次のように説明している。  a 子が一人の場合、子の法定相続分は遺産の二分の一である。  b 子が二人の場合、各自の法定相続分は各々の無遺言相続分の三分の二である。 163

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法  c 子が三人またはそれ以上の場合、各自の法定相続分は各々の無遺言相続分の四分の三である 悶8&o&闘○目P一㊤蕊”①o o︶。  子が三人またはそれ以上とは、代襲としてその孫全員が含まれるという意味である。 第三章 結 論 ︵≦一ユo昌o  以上に、インドネシアの相続法の多様性について見てきたが、以下のようにまとめることができる。  インドネシアでは相続法に対して、広く適用される指針・基準としての統一的な概念がまだ醸成されていな い。イスラーム相続法、慣習相続法、西洋相続法でみてきたように、各エスニックグループがそれぞれに定義づ けを行っている。しかし、これら三つの相続法においても、遺産と呼ばれる被相続人の残した財産または資産の 存在、被相続人および相続人の存在の三要素が、重要であることに変わりはない。  相続法を一つに統一することは、ほとんど不可能であると言わざるをえない。それぞれのグループが相続法に 求める範囲は様々であり、三つの相続法の内容も互いに異なっていること、そしてその違いを埋めることは不可 能であると思われるからである。さらにいえば、それぞれの相統法の規定は、感覚、認識、信仰、宗教と深く結 びついており、言い換えれば、一人ひとりの人生観と強く結びついているものであるからである。  とはいえ、近年、かなり多くの地方では、個人相続︵国家法制度の活用︶を志向しているが、広大な地域と多 様な文化を有するインドネシアでは、今なお長男を父親の代理と位置付ける慣習の影響が認められることも事実

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である。また、インドネシアの近代的な家族構成では、父系や母系、共同相続や長兄・末弟相続制度は維持され ない傾向にある。要するに、多くの国民はこれまでの慣習法ではなく、時代の変化に応じた法律を使うようにな っている。

東洋法学

  参考文献 冨仁ωゴ緯>一〇仁同、鋤ロ巳国胃一ヨ● 困拐、富胤≧頃区一けω筈o﹃魯︼W賃犀ゲo﹃こ自一−N’ >竃巳Oき凶︾び9一σFお漣︸09閃雪什輿囚O日冨器一頃¢ざヨ一ωσヨα巴四ヨ↓緯四国爵q旨一包9霧貯︵﹁インドネ シア法制におけるイスラーム法集成入門﹂︶、OΦヨ四目鐙巳汐霧ωし畏巽貫 ︾びα三一蝉げω楼四F一8企頃q犀q奪薫貰一ωU一江且四5U貰一ωo笹田q犀=日Hω一帥ヨ︵固ρげγ屏R$ω犀Φユ蝉ω凶B℃oωご旨 国¢ざ日妻巽一ωH&o口Φω㌶α①零霧餌一賞ギoひQ轟ヨ評且一α篤きω冨ω凶巴一ω乞○鼠鼠讐評ざ一富ω国仁ざ日d鼠く①邑$ω 望B簿Φ声d富轟鳩竃&き︵北スマトラ大学法学部行政書士教育プログラム、今日のインドネシア相続法シンポジ ュウム、ワーキングペーパー﹁イスラーム法︵フィクフ︶から見た相続法﹂︶.U簿爵dωヨmP一〇貫9辟緯 =qパq目︾α暮H押け6&℃四犀蝕q巴蝉ヨ一ぎ閃犀q口鵬鋤づω①旨象匡匹一閃◎犀三鼠ω国q犀q日q巳く霞ω一富ωω仁B四叶Φ声Oけ巽辞 ζ8き︵北スマトラ大学法学部にて使用、﹁慣習法屋︶. 三.鴫聾看国巽魯8・一8鯉犀&&q犀き富昌量・α&僧α帥昌き畏き鵬評再鼠ごヨ国q犀qヨ︾α象︵﹁慣習法におけ る寡婦、寡夫、養子の位置づけ﹂︶、℃θΩけ轟︾99憲国畏鉾ωき身轟’ 田一筥き国毬穿拐仁ヨ僧這Oω・国二犀qヨ譲巽冨>α讐︵﹁慣習法﹂︶、勺臼Ω賃曽︾&嘗醤切曽パ昌団き3漏。 罫O。ωΦBげヨ凝口。。 。8σ①び震巷蝉ω筈冨艮一鑛3冨旨=爵皿ヨゑ費一ωヨΦ霊霊け囚一$びd且曽薦−d&き鵬 缶爵ロヨ勺Φ巳象欝汐o鴨簿BuΦ民一α涛きω冨ω巨一ω20貫ユ暮閃欝q一鼠ω国爵q日〇三<Φ透$ωωニヨ魯R餌dけ霞僧 165

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 目①α彗︵北スマトラ大学行政書士教育プログラム、﹁民法の相続法における重要条文︵章︶﹂︶. 罰o oqび魯鼠帥零↓葺8器αま一ρ一〇〇 。ρ困$びご⇒αき等d昌匿轟国仁閃仁目悶R量富︵﹁民法﹂︶、零器昌旨19 。声B津辞 一蝉犀蝉旨鉾 因Φ薯gωき鼠魯惹暴﹃言琶閃お讐げ濤H邑・器ω壁$轟閃巴一乞8①善Φ二。①一z。﹂お\囚\ω曼一。①=①暮曽轟 づRω四B器づげ畏き蜜声き畏一接工畏一αΦ鑛彗彗接唱RΦヨ讐きα巴曽ヨ冨目訂咀き頃四旨曽ゑ畳ωきヨΦ壼益け 国仁ざヨ︾山簿︵慣習法による遺産分割における息子・娘の権利の平等に関する最高裁判所判決、一九六一年一一月 一日付け︶. 因①2富きζぎざヨ魯︾讐鑛即85算ぎαgΦω一卑z。。。 。8\因\ω6\一。①ρ雷轟ひq巴NZ8Φ日げR一8ρ 叶Φ導蝉ロ閃頃q犀ニヨ︾α象象ωΦ一皿⊇げ目αo器巴蝉日Φ目σ段一﹃四犀α蝉づ犀a仁αq犀蝉ロ屏8四α鋤すβα四q昌9屏ヨoゑ費一ω一 ﹃胃貫げR器旨鋤 ︵Ooぎ○営一︶ 母ロゲ巽鼠霧巴ω奉鼠︵インドネシア全国の慣習法については、夫由来の財産の 共同相続の権利及び地位を寡婦に与えているとする最高裁判決、一九六〇年一一月二日付け︶.

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歴史的にみたインドネシア労働法における労使関係の形態

イエティ・ロフウラニンシー

  属Φ昌閑o畠矩巳四巳p閃ω旨

東洋法学

1 序 文  インドネシアでは産業活動における労使関係は、基本的に国家法として法律で定められている。これらの法律 は、インドネシア共和国一九四五年憲法第二七条二項、後に改正を経て第二八D条二項の規定、すなわち、すべ ての国民は労働とその対価を得る権利および雇用関係において公平で適切な扱いを受ける権利を有するという条 文を具現化するための﹁付託﹂と言えよう︵国き巴﹄。9び。−竃︶。いわば、国は国民のために雇用の創出に努 め、労働者が相応の生活を営むことができるよう、公正な雇用関係を定める義務を負っているということを意味 するのである。  インドネシアの労働法の歴史を見ると、一九四八年以降、国は労使関係について検討を行い、労働法令に関す る法律︵一九四八年法律第一二号︶を制定した。そして、一九四八年法律第一二号を施行するために、全国にお ける一九四八年法律第一二号施行声明に関する一九五一年法律第一号が公布された︵一九五一年共和国官報第一 167

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 二号︶。この労働法を通じて政府は、特に就労時間、休憩︵休息︶、就労場所、住宅、児童労働者と女性労働者に 対する規定を定めて、労働者の保護に取り組んだ。このことは当時、インドネシアの政治家たちの間に反植民地 主義︵資本主義と意味されることが多いが︶の精神が非常に根強く残っていたことから当然のことであったとも 言える。  同様のことは、労働組合と雇用主との労働協約に関する一九五四年法律第一二号、労働争議の処理に関する一 九五七年法律第二二号︵一九五七年インドネシア共和国官報第四二号︶、民間企業における雇用関係の決定に関 する一九六四年法律第一二号︵一九六四年インドネシア共和国官報第九三号︶など、後に制定されたいくつかの 法律にも反映されている。これらの法律により、インドネシア政府は、国民が快適な労働環境と適正な生活を営 むうえでの保護と保障の姿勢を厳格に示した。  新体制︵スハルト政権︶になると、労働者と経営者︵企業︶との労使関係を定めた法律の規定に違いが見られ るようになった。すなわち、政府は労働者よりも経営者の利益により一層配慮する傾向が見られたのである。例 えば、一九九七年法律第二五号の労働法、さらにその改正法の一九九八年法律第一一号が良い例である。二つの 法律は、雇用関係においては、労働者は従属させられ差別され搾取される対象として、弱い立場に位置づけてい る。さらに言えば、政府側にも労働者に対して福祉の保障や保護を与えるだけの力がなかった。それは最低賃金 が最低生活水準を下回って設定され、しかも労働者がストライキ行う機会が制限されたことに現れている。  インドネシアの労働関連法令、特に労使関係に関する法律を吟味すると、労使関係においては単に従業員と経

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営者だけでなく、政労使という三者が係わっていることが明らかである。この三者は基本的に等しく利害を持っ ている。労働者は生活を維持するために仕事から得られる報酬を必要とする。経営者は投資に対する利益を必要 とする。そして政府は憲法の規定の実現を負託されているだけでなく、工業製品に課せられる関税からもたらさ れる収益と外貨を必要としている︵ω旨貸Fお。 。N愚。 。。 。−N。 。“︶。  この三者の中でも、政府は労働者と経営者の間で結ばれる労使関係のあり方を決める立場にある。政府は憲法 の負託や経済的利害があるため、生産を維持していくうえで適切な労使関係を構築する必要がある。政府が制定 した様々な法律は、これを実現するために施行されるものである。したがって、労使間に緊張や紛争が起こった 時に責任を負うのは政府である。  以上の概要を前提に、本稿では、歴史的にみたインドネシア労働法に基づく労使関係の間題について考察す る。とりわけ、労働法の裏にあるイデオロギーと実際の適用について考察する。労使関係において、労働者はど ういった立場に置かれる傾向にあるかなど興味深い間題についても言及する。

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H

インドネシアにおける雇用関係の法的側面からの検討  労使関係は大きな変動を経験したが、その多くは、インドネシアが独立した革命期から今日までの政府の政策 によるものである。一般に、独立初期から一九六〇年代までの労使関係は、労使を事業のパートナーとして位置 づけようとする体系的な取組みが見られるといえよう。政府が労働者を重要な生産要素のひとつと位置づけよう 169

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 としたことは、一九四八年労働法、一九五四年法律第二一号、一九五七年法律第二二号、一九六四年法律第一二 号、その他の諸政策からうかがうことができる。  これらの法律で重要なのは、ω労働者に対して適正な賃金および待遇を得る権利と待遇の改善に向けて代表者 を通じて共闘する権利を与えるなど、労働者を保護している。⑧労働者にとって有利な労働協約を各企業が実施 するよう、労働大臣が企業に強制することができる。㈹政府が労使の対立や争議を公平かつ賢明に回避または解 決するために仲裁する。㈲労働者は実状においては弱い立場に置かれがちであるという理由から、労働者の利益 保護に資する雇用関係を構築する手続きや仕組みがある、という点である。  当時の複数の法律や政策の裏には、議会制的な性格を有していた統治制度の下、議会を支配していた政治勢力 や政治イデオロギーとの深い関係が見られる。インドネシア独立革命時代︵一九四五ー一九五〇年︶に、力を持 っていた政治勢力は社会党や社会党と連立を組んだ他の左派政党︵労働党、共産党、小政党、ゲリラ部隊︵独立 戦争時に自然発生的に形成された︶︶であった。共産党を除いたこれらの政党は社会主義イデオロギーの傘下に あった。したがって、一九四八年の労働法は労働者の利益に配慮したものであった。例えば、ILOで一日八時 間以内が適切とされた労働時間は、労働法では七時間以内と定められた。また、一九四五年から一九五〇年にか けて、インドネシア国民党︵PNI︶のほかに、マシュミ党、社会党、共産党、労働党 労働者と農民、インド ネシア・キリスト教党、カトリック党、地方代表、少数政党、など多様な政党が政治主張を展開した。  その後の一九五〇年代から一九五五年第一回総選挙までの時期には、国民党とマシュミ党が交互に権力を掌握

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するようになった。国民党とマシュミ党は国会の議席の多数を占めただけでなく、内閣の主要閣僚のポストを占 めた。両党は相反するイデオロギーではなく、互いにとって相乗効果をもたらすナショナリズムと宗教社会主義 を信奉していた。したがって、その時代の労働政策は、労組と雇用者間の労働協約に関する一九五四年法律第二 一号に反映された。それは、一見したところ労働者保護というポピュリスト的なものであった。  労働政策との関連でいえば、基本的に一九五五年の第一回総選挙は、インドネシアの国政図に大きな変化はも たらさなかった。というのも、国民党、マシュミ党、ナフダトゥール・ウラマー︵以下、NU︶、共産党が四大 政党として信任を受けたからである。この四大政党の労使関係に関する考え方には基本的に大差がなかった。す なわち、労使紛争の処理に関する一九五七年法律第二二号、民間企業における雇用関係の決定に関する一九六〇 年法律第一二号に見られるように、労働者には適切な生活を営むための保護と保障が与えられるという考え方で あった。  労使関係が大きく変化したのは、新体制時代に入ってからのことである。正確には、新体制時代、総選挙の結 果、ゴルカル︵職能グループ︶が単独与党として国政を牛耳るようになってからである。ゴルカルは政府、議会 だけでなく、インドネシア国家のすべての分野で強大な力を持つようになった。新体制下においては、労使関係 は近代化のパラダイムに沿って国家開発の枠組みに組み入れられた。近代化は国民生活のすべての局面における 社会的転換であった︵ω魯oo拝這竃︶。近代化において重要なのは、生産のメカニズムである。したがって、近 代化の過程で、伝統技術は近代技術へ、あるいは後進技術は先進技術へと転換が行われた︵U暮ρおo 。。 。︶。 171

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法  時代から時代へとインドネシア社会では近代化が進められ、西洋思想の影響の下、政治経済においては資本主 義の理念に基づく多国籍企業の力が支配的になった。インドネシアの近代化は、ある技術がその利用者ではな く、その所有者にとっていかに最大限の利益をもたらすかという意味を持つようになった。  経済の次元に集約される技術転換は、その発展が近代化、すなわち工業化という他の概念を出現させたが、経 済政治資本主義の理念に基づく近代化の概念によって、間題も生じるようになった。それは国際貿易上の正式な ルールや多国籍企業による経済帝国主義といった外的要因によるものではなく、国民生活に見出される内的要因 に起因している。インドネシアが直面した内的要因は、一般に第三世界の国々にも見られたもので、貧困、後 進、失業、高い人口増加率、環境の劣化、栄養不足、そしてエスニックグループ間の紛争である︵○轟鉦ざ帥 固β88︶。そのため、近代化というのは、前記の内的要因である間題を解決するために、先進国や多国籍企 業の先進・近代的な技術を導入することを意味することになり、経済はその中に統合されてしまった。  この理念を基盤にして、新体制の権力者たちは近代化を経済面への転換とみなしたため、常に経済成長に関す る目標を追求し、その後ようやく平等を考える傾向があった。まず成長ありきで、平等は二の次という考え方 は、しばしば上から下への波及効果論︵鼠o匹Φa妻⇒︶によって正当化された。すなわち、最重要セクターが 発展すれば、いずれ他の小さなセクターもそのおこぽれにあずかるようになるという理論である。所得格差が生

じれば、それがむしろ勤労意欲を刺激し、個々人にとって意欲を掻き立てるカとなるという考えである

︵園○㎎Rω ︵oPン一〇〇 。O︶。

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 したがって、新体制時代の労使関係は、ある面では労働者を弱い立場に置いただけではなく、政府と経営者に 搾取され、従属させられ、差別される立場に置く傾向があった。一九九七年法律第二五号や、その改正である一 九九八年法律第二号の規定に見られるように、労働者はしばしば非常に安い最低賃金︵一九七五年の労働大臣 決定以降、州ごとに最低賃金が決められた︶と最低の保護でもって、開発対象として位置づけられた。それによ って生産コストを低く抑えることができた。企業家、投資家の関心を引き、工業を通じて経済成長を遂げるため に、政府はこのような状況をしばしば利用した。  しかしながら他方において、新体制政権は一九七四年一二月四∼七日の全国セミナーで決議されたパンチャシ ラ労使関係という概念を推進してきた。この概念は、労使ともに生産要素であり、生産向上、雇用機会の拡大、 所得の均等化を達成するために、緊密な協調関係を築かなければならず、それによって国家開発の過程に参画が できるというものである。さらに、一九七九年四月一一日付労働・移住大臣決定第三五号により、インドネシア 三者協力機関が設立された。三者機関は政府、労働者、経営者の三者からなるもので、会員間のコンサルテーシ ョンを行う協議会である。第三条で規定されているように、三者協力機関は、パンチャシラ労使関係の概念を発 展させ、その実現のために政労使の三者が協力していくための媒体や刺激となることを目的としている。とりわ け、生産および生産性の向上、雇用機会の拡大、所得の均等化と国防強化の一環としての開発成果の均等化を謳 ったものである。  これまで政府は、労使関係の文脈において自らを仲裁者と位置づける傾向があった。したがって、労使間に緊 173

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 張や紛争が生じた際には、生産活動がストップしてしまわないよう、ストライキ回避のための妥協策を提示する 義務があった︵ω旨ぼFおo 。N蕊。 。ω幽。 。“︶。こうした状況は、政労使すべてが損害を被ることになるので避ける 必要がある。したがって、政府は産業界の維持や発展にとって快適な環境を築く必要があった。快適な環境の構 築は新体制にとっての優先課題であり、そのため他の二者に比べて強い立場にない労働者の利益を犠牲にするな どの施策を採ってきた。 皿 インドネシアにおける労使関係の実態  独立当初から今日まで、インドネシアの労使関係の実態を歴史に沿って見てみると、労働法などの法律や他の 法令の規定と常に乖離している。いやそれどころか、矛盾すらしている場合も少なくない。一般に資本主義以前 の時代には、労働者の役割や地位は支配者に隷属するものとして見られがちであった。一九世紀の資本主義の時 代には、労働者は搾取の対象と位置づけられた。そして、今日においては労働者は、本来なら経営者たちにとっ て生産活動のパートナーとして位置づけられるべきである。労働者は単に物理的なメンテナンスを必要とする生 産のための機械ではなく、精神的、社会的、文化的な充足を必要とする社会的な生き物である。したがって、経 営者はパートナーとして、ただ衣食住といった最低限の二ーズだけでなく、教育、健康など他の社会的二ーズに も配慮すべきである。  様々な法律や政府決定などに見られるように、インドネシアでは労働に関する法令などの規定そのものは、理

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想的な状況の構築を目指した内容になっている。しかしながら、その実態や適用においては、規定とは大きく違 っていることが頻繁に見られる。これは政治集団と無関係ではなく、政労使、それぞれの立場に対して影響力を 持つ側の間で利害をめぐって綱引きが行われているためである。労使関係に政府と政治勢力が関与しているため に、間題がさらに複雑になっている。したがって、労働者側と経営者、政府、政治勢力などの利害関係者との間 に相乗的な関係を築く必要がある。労使関係のあり方では、法的制度と現実の間に大きな乖離があるからであ る。  一九五七年法律第二二号の付記︵条文の説明︶で言及されたように、インドネシアが独立革命を達成した一九 五〇年代には、ストライキを伴う労使間の対立が激化した。それは労働者や一般民衆が社会経済分野における闘 争にも関心を向け始めたためであるが、ストライキのための闘争は政治勢力からもある程度の支持を受けてい た。政府も労使の置かれている立場が平等ではないため、現行の法令の適用だけでは両者の対立を解決すること は不可能で、妥協点を見出すのは難しいことを認めていた。  また、政府自身は今日に至るまで、中立の立場を維持できず、対立する二者のどちらかについてしまうといっ た政治経済のゆがみのわなに陥ってしまうことが少なくない。新体制時代につくられた三者機関は実際にはパン チャシラ労使関係を実現することはできなかった。最低賃金を非常に低く設定したことやストライキ闘争の制限 だけでなく、時には労働争議を担当する政府職員による脅迫や抑圧的な措置もあった。これらは労働者が経営者 や政府に隷属させられ、搾取され、差別されてきたことを物語っている。 175

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法  同様に、一九五〇年代に設置された中央・地方労働紛争処理委員会もまた、現実の場面では調和のとれた労使 関係を構築するための何ら具体的な貢献をすることできなかった。というのも、労働紛争処理委員会は中央も地 方も対立する両者ではなく、政府の思惑を重視する傾向があったからである。それでも新体制の最後の一〇年間 にはこれまで積み重なってきた労働間題が、経営者や政府に対する大衆の抗議運動やデモという形で噴出してき た。このような労働運動が取り上げてきた間題は、例えば、ストライキ、解雇、賃金、燃料・電気料金、労働者 に対する暴力、組織、政府の施策に対する反応であった。  このように様々な間題が闘争のテーマとして取り上げられたのであるが、労働団体に関するテーマが、数の上 では労働者の一番の関心事として取り上げられているのは興味深い。このことは、今日においてもなお、労働者 の利益闘争のメディアとしての労働団体がその内部に間題を抱えているということであろう。インドネシアの労 働者団体は、労働者たちが抱えている間題を解決するうえで、労働者にとって力強い味方とは未だなりえていな い。それはこれまで労働団体といえども、経営者や政府の利益に配慮しなければならないという政策があったた め、労働者団体が労働間題を解決する機会をもてなかったことと無関係ではないと思われる。パンチャシラ労使 関係の考え方では、労働団体は経営者や政府の対立軸あるいは敵対するものではなく、協調すべき関係者として 位置づけられていたからである。  また、労働団体そのものが非常に多様で、統一的・包括的な労働闘争のビジョンを共通化し、まとめるうえで 間題を抱えていたことも一因である。例えば中ジャワ州スマラン市を例にとると、金属電気機械労働組合連合、

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観光労働組合連合、全国労働者組合木材林業労働組合、運輸労働組合連合、閃02↓.↓労組連合、北部海岸労組 連合、全国労働者組合連合、中ジャワ鉱山労働組合連合、民主主義労働者協議会、独立労働者組合︵出典”正規 労働組合調書添付資料︶といった多様な労働団体が存在した。  労働運動が二番目に多く取り上げたテーマは、賃金に関するもので、この時代には引き上げ傾向にある。経済 危機のきっかけとなった一九九七年末の通貨危機の影響により、産業界が大きな変動に見舞われたことが関係し ている。高いインフレに見合った賃金・給与の値上げ要求など、労働者たちは様々な間題に直面した。中ジャワ 州スマラン市では、二〇〇一﹁年以降、市が定めた最低賃金の伸び率はわずか七二%に過ぎなかったが、生活費の 伸び率を示す指標は二倍以上になっていた。そのため、労働者の大部分が、住居、教育、保健といった間題に直 面していた。彼らの賃金では最低水準の生活すら望めるものではなかった。これと並行して、契約制度の導入に より労働者の立場は雇用者に対してますます弱いものになっていた。こういった労働状況の悪化が、労働者の抗 議運動となって現れるようになっていった。  当時、新体制末期および改革期の労働政策に対しても、多くの労働者が反応したことは、賃金間題に続いて政 策が第三番目に多く取り上げられたことが示している。同時に政府の政策に対する不満が多く、むしろ労働者の 利益を損なうものだととらえられていたということもできる。一九九七年法律第二五号および一九九八年法律一 一号の規定のように、政府の政策は労働者よりも経営者寄りのもので、労働者はかなり低い最低賃金と最低の保 障でもって開発の対象とされがちであった。 177

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法  経営者に肩入れすることで労働者に不利益を与える政府の姿勢は、労使関係に契約制度を導入することを目的 とする二〇〇一年労働・移住大臣決定第七八号および第一一一号の施行により、さらに鮮明になった。そのた め、各地で労働者の抗議活動を勢いづかせることになった。政府が策定した規定が、全国の何百万という労働者 の運命に影響を与えるにもかかわらず、政府が労働者の要望や要求に疎いことは疑義に値する。政府が草の根の 労働者の声に無頓着であることは、労働者の利害が優先順位の最下位に置かれていることによく現れている。政 府にとっては、経営者たちが行うビジネスから得られる外貨獲得が最優先事項なのである。低賃金のスローガン と経営者の便宜に配慮した法制度は、新体制時代から現在まで外資呼び込みのために政府が使い続けているもの である。  大部分の企業が契約制度を導入している。経営者にとってこの制度は非常に有益で効率的であり、あまりリス クを負わなくて済む。経営者側は医療手当や住宅手当だけでなく、年金手当さえ支払う必要はない。逆に、この 雇用制度こそが、労働者に将来の不安を感じさせる原因となっている。政府は労働者の生活を保障するためのル ールを監視する立場から、早急に具体的な方策を採るべきである。労働者も基本的に国家経済を支える柱の一つ であることを考えれば、この点は重要である。  労働運動の中で、解雇の間題は四番目に多く取り上げられたテーマである。インドネシアでは、解雇の間題は グローバリゼーションと地域や国際貿易のアジェンダと切り離すことはできない。現在、ますます自由にかつ激 しくなっている市場圧力に対して、経営者たちは労働の弾力化という戦略を採るようになった。資本主義者のグ

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ローバリゼーション擁護者たちは、この戦略もひいては労働者の利に適うものであるという。なぜなら、パート タイム的な雇用制度が構築されることによってより広汎な就労機会が得られ、労働者と企業が市場の要求に対し てより柔軟に交渉ができるようになり、労組といった第三者を仲介させることなく、労働者が直接、企業と交渉 することで労働者のレベルアップにつながり、さらには労働者の能力による職種や負担に応じて仕事に対する満 足が得られるようになるからだという。  しかしながら、現実には逆のことが起こっている。仕事の環境も労働者の生活もグローバリゼーションの波の 中でますます悪化している。とりわけ第三世界では顕著である。労働の弾力化戦略は企業のみに都合がよく、前 記で語られた労働者にとっての様々な利点は未だに実現していない。労働者の立場を著しく弱めるような雇用関 係の規制緩和の結果のひとつとして、企業が労働者を解雇しやすくなったことがあげられる。一九九八−一九九 九年世界雇用報告の中で、ILOは一九九八年末には、約一〇億人、または世界の労働人口の三分の一が失業 か、不完全雇用の状態にあると報告している。アジアでは過去三〇年間のうちでも驚異的な成長率、すなわち年 間平均成長率八%を遂げたものの、それは労働者の待遇の悪化を伴ったものである。  インドネシアでも、特に一九九八年の全分野での危機以降、一年間のうちにほぼすべての業界で大量解雇が行 われた。一九九八年のILOの報告書によると、同年の終わりには、主に軽製造業、建設業、商業などで約五五 〇万人が解雇された。当時、労働大臣だったテオ・サムブアガは、一九九八年末のインドネシア全国の失業者数 は約一三四〇万人にのぼるとの推測を示した︵凶oヨ冨ω﹂8。 。年刈月曽日︶。二〇〇〇年以降、特に集中的に導 179

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      現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 表1 スマラン市における解雇件数〔2000−2004年〕 リストラによる解雇 中央労働紛争 処理委員会 地方労働紛争 処理委員会 意 合 使 労 件数 年

3

60 266 326 2000

2

21 250 271 2001

3

29 240 269 2002

4

42 198 231 2003

2

67 144 213 2004 〔出典:スマラン市労働・移住課〕 入された契約制度の登場により、隠れた解雇数は基本的にかなり 高くなっていたにもかかわらず、労働省のデータはむしろ減少傾 向を示している。契約制度による雇用契約では、契約期間が終わ る前に自ら辞職を申し出ること、そして何の要求もしないことを 協約としているため、解雇という事態は起こらないのである。例 えばスマラン市では過去五年問に失職した労働者の数は急激に増 える傾向があるが、しかし市の労働課の統計では表1のように件 数は減少している。  リストラによる大量解雇は深刻な社会間題を引き起こした。今 日までインドネシアを襲っている社会的分裂は、労働者の保護や 安全を含む社会福祉制度の崩壊によるものである。解雇された労 働者は一般に故郷の村に戻ることができない。.一九七〇年代から 推進されている近代化政策によって農村部の就業機会は減ってい るからである︵ωao讐ρお置︶。限られた能力のまま労働者は都 市にとどまり、様々なインフォーマル・セクターで働いている。 したがって、インドネシアの開発パラダイムとしての近代化は、

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主に解雇された労働者の就業機会に関する多くの間題を残したのである。高い就職競争と全業界が行ったダウン サイジングによって、再び正規雇用の地位を獲得するのが難しくなっている。  一方、新体制時代と改革時代には、当局による労働者に対する暴力︵任務の遂行のため、または経営者に﹁雇 われた﹂ため︶は減少するという、興味深い傾向を示した。このことは、民主化や透明化を訴える改革の波が労 働分野に波及し、経営者や政府が労働者を脅したり抑え込んだりすることが簡単ではなくなったことを意味して いる。改革時代の労働者は確かに権利獲得のための闘いなど、比較的自由である。同様に、経営者も財力で労働 に関する法制化など、事業の展開に都合の良い環境作りのために闘っている。  改革時代の労使間の利害対立が激化した代表的な事例としては、二〇〇三年の労働に関する法律第二二号に対 する賛否が分かれ、その対立が二〇〇六年に最高潮に達したことである。二〇〇三年法律第一三号は大枠では、 労使を相互利益と保護などパートナー同士と位置づけるための政府の工夫が見られる。労働者側がこの法律を評 価している点は、ω第八章第四二∼第四九条で規定されているように、外国人労働者の要件の厳格化や制限があ ること、ω第一〇章六七∼第一〇一で労働者の保護、賃金、待遇改善が定められていること、⑥第一一章第一〇 二∼第一四九条で相互に利益をもたらす雇用関係の促進が謳われていること、、㈲労働者に対するより良い権利保 障が第一二章第一五〇∼第一七二条で謳われていることである。  しかし、経営者側がこの法律にあまり賛成していないため、政府は改正しようとしている。政府の改正案に対 して、労働者側からは請願活動やデモ、中には暴力を伴うような抗議が全国的に広がった。労働者からすると、 181

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 政府の改正案は賃金や外注︵作業請負契約︶、身分、退職金、団結の自由、ストライキなど労働者の権利を弱め 差別的なものである。例えば改正案の第五九条四項は、一定期間の雇用協約︵PKWT︶を最大二年問であった のを五年間に延長することや、第一五八条ではすでに憲法裁判所の法審理で判断が出されている解雇手続きとメ カニズムについて再規定するといったように、いくつかの条項が労働者に不利なものとなっている。この改正案 からわかることは、政府は労働者よりも経営者の立場を支援し、労働者を弱い立場に置き、待遇保障もないまま 搾取にさらすような雇用関係を構築しようとしているということである。 IV 小 括 以上のことから、次のように簡単にまとめることができよう。 ① 歴史的にみて、インドネシアにおける労使関係には、労使だけでなく政府と政治勢力も加わっているこ  と。結果的にそれぞれが利害をめぐって綱引きを行ってきたため、解決策を見出すのは容易ではないこと。 ②インドネシアの独立当初から一九六〇年代までは、政府と主な政治勢力によって、労使が共に生産にかか  わるパートナーとしての関係を築くための取組みが行われた。このような雇用関係を実現しようとしたイデ  オロギーのもとになったのは、社会主義とナショナリズムである。 ③新体制時代から現在までの労使関係には、資本主義イデオロギーが色濃く反映されている。労働者は経営  者と政府に隷属させられ、搾取され、差別される立場に置かれている。

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④インドネシアの労働法制度は大きな変動を経てきたが、ILOの決定を比較的受け入れてきたといえる。 しかし、実施面では、経営者や政府は労働者を弱い立場に置き、犠牲を強いる場合が少なくないのが現状で ある。

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  参考文献 Uび蝉臨α四ρU四巳①ど一〇〇 〇㎝9、犠ミ蕊、ミ帖味簿b貸§盟oっ融ミ宍愚黛\醤蔚§b帆㌧§駄Oミ塁蔚駄ミ“ミ﹄§ミ賊旨肉簿ミ“欝ミ 評§隷ミ§§ミの鳶︵インドネシアの政治勢力分析による政党と政党制度ン冒ざほ巴い認国の uqげρω.PH。。 。。 。。ミミ鳴ミ誉織§§駄導ミN愚ミ鳴ミS壽Gり鳴ミ息誉\﹄詳ミミ慨ミbミミ尉ミ勲↓oξρ一〇且g 四づ血ZΦ妻︸Rω①図”↓﹃Φd巳けΦα2鉾一〇昌ωd巳くRω坤昌餌昌αN①α︼Woo犀ωいけ U日器↓窪甜節内Φユ餌∪き↓轟拐邑讐器一囚o$ω①目貰雪閃︵スマラン市労働・移住課︶. 国臣窪q押ωo身鋤昌︵℃Φロひq霞ヨ℃信昌γ一〇〇 。餅鴫ミ討ミミ㌔ミミミ誉“§O軌ミき§8墨内ミミ暦ミ黛§卜§晦ぎ辱qqb貸§ 評ミ§ミ苧評ミ§ミ§一ま一凸︵法令集第1−5巻、インドネシアの労働法︶﹂畏巽$”Oぎ一冨H包o口8一卑 =巽一き因oヨ窓ρ曽冒=一8。 。︵コンパス紙、一九九八年七月一二日︶. 丙睾ω芦Oωθ8。卜⇔簿鎌ミqS﹄聴軌b§“旨﹄ミ︵今日の一九四五年憲法をめぐってン冒犀四旨巴勺R8富ー パ鋤旨ZΦ閃薗声勾H● 国鋤霞POΦ○おΦ寓o●↓=§曽P一Sρ尋妹ご§ミ傍ミ犠§駄肉ミoミ織◎§き㌧§銚o§8鞘国q巴四Uqヨ唱二﹃”UΦ零鋤口ω甲 び霧騨UΦヨげ胃m昌ZΦ鵬畦四園H”80ω・¢dZo●一〇 。↓蝉げ=づNOOρ旨鋤匿巽鼠HOΦ鼠評四p O畠臨ぎ﹂一餌≦お民四帥閃一〇ぴ≧Φ盗注RρN。。ω.﹄ミ§ミ§赴§むb鳴ミN魯ミ§咋む9§ミ黛ミミ織§。Uoω ω蝉昌oωー一蝉閃qづ曽一ωRo騨 ℃拐鈷惹評亙貸88。dd国9窪甜畏Φユ器昌︵労働法ン磯oひq冨ざ昌巴℃5富犀四評亙舞 183

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 ・ω巻ぼF望富p一。。 。ドωoω芭δB①ミ駄§婁貸評§騨薦§§︵開発インドネシア社会主義ン因仁日冨一彗↓急ωき  ω二富昌ω蜜蝉びユ訴一鋤犀蝉旨餌”U国勺勺国Z>ψ ・勾。閃Rρ国く①曇什零﹄。。ω。b慧逃§Q歯§。ミ職§鯵固穿田筐。pZΦ薫ぎ詩”零8零Φωψ ・ω蝕o鵬Kρお試’ミミミミ駕職§§導oミbミ乳愚ミ鳴ミ§肉ミミ誉魁鼻劇○閃〇二冨蝉犀巴魯賦3犀&冨吾二爵き︹非  公開原稿︺. ・ω魯8拝い≦。﹂8ピ三〇α①旨圃銘玲、§鷺ミミの8融ミ蟹評ミ言ミ晦§§≧遷“ミーミ頓ミ貸の鳴§§偽ヒo璽誉ミ騨薦︵発  展途上国の開発社会学入門ン冒惹旨巴O声日Φ9鉾 ・留ξ9鶏一き2Φ鴉蚕困讐一3ド冨ヨげ霞き2①鵯声困Z9鵠↓魯§這竃︹一九五一年官報第一二号︺し接霞富  頃Φ同OけZΦ鵬曽吋蝉園H。 ・ω簿お鼠鼠きZ詔蝉声困”一3S冨ヨび巽き乞Φ鴉声国Z9島↓魯琶お黛︵一九五七年官報第四二号︶し接畦鼠  ℃Φ﹃Oけ2Φ鵬蝉同蝉園H ・ω魯8$二きZ①彊声霞”一ま“。冨旨げ畦きZΦ鵯蚕匹Z9潟↓魯§這躍︹一九六四年官報第九三号︺し畏巽富  悶Roけ●Z①讐轟困9

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歴史的にみたインドネシアの海洋法の脱植民地化

シンギ・T・スリスティヨノ

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東洋法学

   1 はじめに

 一九四五年八月一七日インドネシアは独立を宣言したが、その独立は政治的な性格のものであった。たしかに 独立宣言以降、インドネシアは政治的には他国による植民地主義のくびきから自由になった。しかし、経済や法 律面では、オランダ植民地の名残から十分に解放されたわけではなかった。経済分野では、大中規模の企業のほ とんどがオランダ人や他の外国人の所有するものであった。むしろ、当時のインドネシアには、直ちに経済制度 の脱植民地化を進めるだけの力がなかった。資本主義的な植民地経済制度を公正な社会を基盤とする国家経済制 度へ転換しようとする理想の実現には、当初考えていたよりもはるかに長い時間を必要とした。それどころか、 国家経済制度へ向けた自立経済開発の理念は、最初の大統領︵スカルノ︶政権の崩壊とともに暗礁に乗り上げ た。  今でも法制度分野での脱植民地化はとても十分とはいえないほど、非常に厄介な間題である。インドネシア政 185

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現代インドネシアにおける相続法、労働法、海洋法 府は自ら多くの法的資料や法律を制定してきたが、オランダ植民地時代の法制度のパラダイムやイデオロギi        ︵−︶ は、独立後六五年以上が経ってもほとんど変わってはいない。ある法制度・憲法評論家は、  ﹁今日においても法制度改革の成果が見られない。むしろ、失敗したと言わないために改革を進めているとい っても過言ではない。なぜなら、これまで我々は多くの法令を制定してきたが、現行の主な法律の大部分はオラ ンダ植民地の遺産なのであるから、実質的に意昧はない。要するに、イデオロギー的には我々は植民地法制度の パラダイムからまだ抜け出せずにいるということだ。植民地法制度のイデオロギーは、すべての国民が法の前で は平等であることを認めず︵差別的︶、抑圧的、権威主義的であり、封建的であることが明らかである﹂と述べ ている。  支配者側に有利で、しばしば論争にもなるオランダ植民地時代の法制度の遺産の例としては、刑法の冨撃 Nき一貰寓ぎ一窪︵敵意拡散条項、正当な政府に対して敵意や嫌悪感を国民に拡散させる条項︶がある。刑法第一 五四条は、公衆の前でインドネシア共和国政府に対する敵意、嫌悪、中傷を表明した者は、最高七年間の拘禁刑 に処すると規定している。ここでいう﹁敵意﹂﹁嫌悪﹂﹁中傷﹂は支配者の独断で解釈される。  ところで、インドネシア政府が海洋法の分野で脱植民地化に取り組み、豊かな成果を上げたことは、非常に興 味深いことである。経済的にオランダや他の西側諸国に依存していた状況の中で、そして、オランダやアメリカ の妨害にもかかわらず、一九五七年一二月一二日ジュアンダ宣言を公布して、インドネシアは果敢にも海洋法の 脱植民地化を行った。この海洋法の脱植民地化は、単に国内だけにとどまらず、国際的にも影響を与えるもので

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