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麗江の古楽 : 雲南に残る唐の音楽と奇才

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(1)

麗江の古楽 : 雲南に残る唐の音楽と奇才

著者

黄 名時

雑誌名

名古屋学院大学論集 人文・自然科学篇

41

1

ページ

27-36

発行年

2004-07-31

URL

http://doi.org/10.15012/00000836

(2)

研究ノート〕

1.は

じめに

2001年 の秋に雲南の風光明眉な街・麗江を 訪れた筆者は

,当

地で古楽 コンサー トを観賞す る機会を得

,そ

こで極めて印象に残 る体験をし た。会場では古楽器が演奏 されたが

,演

奏者が すべて 70∼ 80才 の白ヒゲの老人 という風変わ りな古楽演奏会である。 この古楽は唐宋の詞 牌

,曲

牌が道教をキャリアーとして今 日に伝え られたもので

,他

の地方では夙に失われナシ族 のみが比較的完全に保存 してきたものである。 筆者はこの楽団を主宰する宣科 という司会者兼 演奏者を務める

,浅

黒い顔の人物のことが特に 気になっていた。少数民族出身であるこの人物 は漢語 と英語を自在に操 り

,一

流の弁舌で

,立

て板に水 と言わんばかりに活沿 としゃべ り

,発

言内容 も大胆で

,ナ

シ古楽は自分を抜 きにして 語れないといった口調である。漢語はともか く

,

ネイテ ィブと見まが うほどに英語を上手に 話 し

,中

国の田舎でか くも大胆 に豪語す るユ ニークな人物の存在に

,筆

者は驚きを禁 じ得な か った。中国では少数民族を配慮する優遇政策 があり,自分 も70才 を越え何 も恐れるものはな いと言 う。 さらに,「過去 に中央の国家主席が 訪れた折 りにも私の主宰するコンサー トを賞賛 し

,古

楽団の事業を支持 して くれている」 と, いわば

,お

墨つきを貰 ったという勢いである。 筆者は直接宣科氏 とも対話をしたが

,雲

南の 片田舎に居るこの特異な人物にある種の不思議 名古屋学院大学論集 人文 。自然科学篇 第41巻 第1号 (2004年 7月)

麗江の古楽

雲南 に残 る唐の音楽 と奇才 ―

な興味を覚えた。本稿では周文林主編の『宣科 与納西古柴』等に基づいて

,

この `奇

'を

み出した風土

,背

景を探 り

,麗

江に残 された幻 の唐楽等の文化遺産を探求 したい。

2.麗

江と トンパ文化

雲南省 は漠 とも称 され7つのブ ロックに分 け られ る。 いわゆる漠西北

,漠

東北

,漠

,漠

中, 漠西

,漠

西南

,漠

南である。 ここには古代 に高 度 な青銅器文化が存在 した。漠西北 に位置す る 麗江 は山河が交錯 し

,地

形 は変化 に富み

,暖

冬 涼夏で

,四

,春

の如 しと言われ る地方である。 ここは原始林の広が る風光明媚 な「麗江玉龍雪 山風景名勝区」 として国の重要風致地区に指定 されてい る。 「麗江 の十絶」と称す る次の フレーズは,こ の 麗江地域 の特色 をみご とに言 い表 している。

1.陽

春 白雪 の玉龍山。

2.金

江労流の虎跳峡。

3.万

里の長江の第一湾。

4.古

風五色 の大研城。

5.宝

山の奇観 の石頭城。

6.杜

鵠王国の老君 山。

7.神

秘的絵画の トンパ文字。

8.玉

水清音 のナシ古楽。

9.蓬

莱の仙境 の濾浩湖。

10.モ

ソ風情の母系社会。

(3)

麗江古城 。大研鎮 は山村 と水都の両者の景色 を具 えた千年 の歴史 を有 す る高原 の水郷 で あ る。街の メイン通 りは河 に沿 い

,路

地 は用水路 に面 し

,泉

水が各家庭をめぐり

,門

を開けば川 があ り

,眼

前 には柳がある。古城 は独特 な水の 都 としての景観をなしている。 この古城には至 るところに流水があるが

,古

城 の住人 には用水 の きまりがあ り `三つの井戸

'の

原則 を厳格 に 守 っている。泉の湧 く第一の井戸水は飲用に供 し

,下

流 の第二の井戸水は野菜を洗 うために用 い

,

さらにその下流の第二の井戸水は洗濯用 と して

,

これ らを乱用す ることはない。 また

,古

城 には明清時代のアーチ型の石橋が数多 く保存 されてい る。 これ まで数百年 もの間

,風

,戦

,地

震 などに見舞われて きたが今 も往時の姿 を残 してお り, `中 国のベニス', `高 原の姑蘇' と称 され るこの街 に壮麗 と質朴の風情を添えて いる。 麗江県は全国唯一のナシ族 自治県であ り

,悠

久の歴史の中でナシ族の人 々はここに燦然 たる トンパ文化を創造 して きた。 トンパ文化の名称 はそれが トンパ教の中に保存 されていることに 由来 し

,千

年近 くもの歴史を もつ。 ナシ族 は古 くは `座些

'

と呼ばれ

,

これ まで彼 らは北か ら 南 に移住 して きた氏尭 と呼ばれ る民族集団であ るとされて きた。 ナシ族の トンパ文字 は世界で 唯一 の保存の完全 な `活きた象形文字

'で

ある との誉れが高 い。1300余の トンパ文字があ り, 1000余種 もの組み合わせによ って,ナシ族の歴 史

,文

,宗

,芸

,文

学 および科学技術 な どが記述 され

,大

量 の文献が今 も保存 されてお り

,一

つの奇跡的文化遺産 として興味津津たる ものが有 る。古色蒼然 とした古城 にはナシ族の 民間建築や服飾

,

日常生活があ り

,今

も伝統的 文化や習俗が保持 されている。 ここでは `活 た歴史

'で

あ る トンパ象形文字や トンパ洞経音 楽のナシ古楽が鑑賞できる。ナシ古楽は世界芸 術史上の貴重な作品である。ナシ族の人々は白 沙細楽・ ナシ古楽を大切に保存 してきたのみな らず

,さ

らにはペルシア将来の四弦の弾披琴 `蘇古篤'および元人の遺音 とされるナシ洞経古 楽を保持 している。

3.現

存する国宝級音楽

唐宋時代には道家の洞経音楽 と儒家の宮廷音 楽が一時隆盛 したが

,以

,時

代 の変遷 ととも に次第に伝承が途絶えていった。麗江はもとも と交通の便が悪 く情報が伝わ らない貧困な僻地 であるが

,

しか しその文化には相当な包容力 と 吸収力が ある。 ここはまた僻地であるがゆえに 戦禍を避 け

,中

原 との文化交流 の中で唐宋時代 の音楽を保持す ることがで きた。即 ち

,貴

重 な 文化遺産が玉龍雪山麓のナシ族の居住地区で保 存 され

,

さらには独特の特色を もつナシ古楽に 発展 し昇華 しているのである。 麗 江地 区の ナ シ族 の学者 の研究 に よると, 1140年か ら1368年の間

,即

ち宋代か ら元代に かけて中原地域の詞・ 曲が四川をへて麗江に伝 え られ

,そ

れが音楽を愛好す るナシ族に受 け入 れ られ

,

さらにナシ族の音楽 と溶け合 って今 日 のナシ古楽になったとい う。驚 くべ きは

,ナ

シ 族 の人 々が現在 も依然 として この唐宋元時代の 中原の詞・ 曲および道教の宗教的礼楽を保持 し 伝 えてい ることであ る。例えば ナシ族が好んで 演奏す る『八卦』の曲は

,唐

の玄宗皇帝・ 李隆 基の作である『紫微八卦』の原形 とされている。 このほか

,ナ

シの琴・ 笛 などの音楽では中原で 夙 に伝承の途絶えた `工尺譜

'

とい う古譜が今 も用 いられている。 ナシ古楽はまさに典雅0荘厳 の唐宋皇室の宮 廷音楽 と純粋 な道家の洞経音楽 とが結合 し

,

(4)

麗江 の古 楽 らにナシ族の文人雅士の数百年 にわたる伝承 と 創造 によってナシ族 の民歌・ 民曲・ 演奏法が融 合 された もので

,今

日 `古曲・ 古楽器・ 古稀老 人

'

とい う独特無二の

3種

の組合わせ として演 奏 されている。 中国では この古楽が `稀世 の三 宝', `盛 世 の元音', `中 国古典音楽の活 きた化 石

'な

どと称 され

,国

宝 として扱われている。 `ナシ古楽'は 元を正せばナシ族独 自の民族伝 統音楽ではない ことが知 られ るが

,そ

の源 とし ては道教の談演『三洞経文』の宗教的礼楽 と, 儒家が本家本元 の風雅 な管弦楽

,お

よび民間に 伝 え られた宮廷宴楽 と詞牌・ 曲令が含 まれ

,そ

れ らは歴代

,道

場や教坊 で演奏 されていた もの である。中原の移民 によっていつごろ麗江 に伝 え られたかについては上述 の年代のほか諸説紛 紛

,三

国時代か ら明末清初 に至 るまで定かで な く

,統

一 した見解はない。 それは西京 (西安), 南京

,北

京 などの漢文化 の中心地か ら伝来 し, 麗江で代 々継承 され伝え られて きた もので

,発

祥地では滅 び失 われた音楽が麗江で奇跡的に保 存 されて きた。詞や曲が中原地域 でどのよ うに 伴奏 され歌われたのかは早 くか ら不明 とな って いたが

,洞

経音楽 には詞や曲の音楽伴奏 と歌 い 方が保存 されてお り

,唐

宋音楽の `活きた標本' と考え られている。 洞経音楽の曲 目を見 ると

,唐

宋元 の3つの時 代 の詞牌・ 曲牌 に基づ くものがあ り

,例

えば麗 江のナシ古楽の『水龍吟』,『浪淘沙』(図版1), 『 山坂羊』(図版

2)な

どはいずれ も唐・宋・ 元 詞 の詞牌で,『一江風』は元曲の曲牌である。上 述 の如 く『八卦』は

741年

に唐の玄宗皇帝 。李 隆基が創作 した宮廷 音楽『紫微八卦』の舞曲で あ り,『浪淘沙』は南唐・李爆の時代 に制作 され た古曲である。 また

,障

目水曲』は1551年か ら 1554年の間に鄭述祖が作 った『水龍吟』が基 にな ってい るとされ るもので

,明

代では『桂枝 香』 というのも見 られる。 洞経は道教的意味合いの強い名称であり

,道

士の修行する `洞経

'を

連想 させる。 この音楽 の旋律は凡俗を超越 した夢幻的情調があり

,洞

経の起源は道教の祭典や儀式の音楽にあるとす る説がある。洞経音楽はおおらかで美 しく豪奢 に感 じられるが

,演

奏時には文楽 と武楽の区別 があり

,楽

器は大方が古代の宮廷楽隊が演奏時 に用いた楽器が使用 されており

,当

初は宮廷音 楽であったと考えられる。洞経には道家音楽の 瓢逸

,儒

家音楽の雄渾 と優雅

,宮

廷音楽のおお らかさと荘厳

,江

南の調べの優美 と清新などが そなわ っている。洞経音楽は道家文化に源が あって仏教文化のなかで発展 し

,そ

して民族文 化のなかに根を下 ろしたものであると言えよ つ。 今 日の麗江 の民間で俗 に言 う `ナ シ古楽

'

と は実質

,儒

道合体の上述 の宗教的 `科儀音楽'0 洞経音楽が中心 にな っているが

,長

年 の口承 の なかでナシ族の心情や美意識およびナシ音楽の 表現法や艶 やか さが微妙 に溶 け合 ってお り

,漢

民族 とナシ族 の文化が融合 した特色が認 め られ る。主 な曲 目としては上述 の もの以外 に,『 万 年歎』,『到夏来』,『偶子』,『十供養』,『歩歩嬌』 等がある。 ナシ古楽の うち特に保存保護の必要 な古楽が

3種

類 ある。一 つは麗江東部 の山間地区に伝 わ る原始社会の遺風を残 した中国最古の歌舞音楽 の『熱美畦』であ り

,二

つは物語 と筋立てをそ なえた700年以上 の歴史を有す る大型の管弦楽 組 曲『崩石細哩』で

,二

つは中原 よ り伝え られ ナシ化 した前述の唐宋詞・元曲 と道教の礼楽で ある。 これ ら

3種

類 の古楽 は中国の音楽史のみ な らず世界 のそれ にお いて も特別 の価値 を も ち, `中 国音楽の活 きた化石

'

と称 されている。

(5)

浪 淘 沙

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雨江洞径音栞 曲牌

南膚 ・李 爆 詞

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(6)

麗江 の古楽

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2[山

装羊]

(7)

純粋のナシ古楽の一つ とされ るものに『熱美 瑳』がある。 これはアニ ミズムの信仰 と深 く関 わ る もので あ るが

,今

日に至 って も麗江 の大 東・ 鳴音・ 宝山一帯 の山間地域 のナシ族 は葬送 の儀式 を行 う際 に

,老

若 男女 が手 と手 を取 り あ って火を囲み

,ゆ

っ くりとした歩調で歌いな が ら足で地を踏みならして踊 り

,獣

を まねたよ うに足を踏み切 って跳ぶ など

,依

然 として この よ うな舞踊を踊 っている。 この種の歌舞がすな わち『熱美嵯』であるが

,

これは原始社会の時 代 に現れた原始音楽で,ナシ族の祖先が `飛' を追 い払 うのに用いた一つの儀式であるとされ る。 この歌舞には死者を悪霊か ら守 る意味があ る。 もう一 つの純粋 なナシ古楽 としては

,ナ

シ族 の祖先が約

700年

前 に創 作 した『崩石細哩』の 楽曲がある。 これは漢語 では『 白沙細楽』 と訳 され

,独

,合

,歌

唱および舞踊か ら構成 さ れている。 この楽曲の重要 な要素は器楽による 合奏 が あ るとい う点 で あ る。13世紀 まで は洋 の東西を問わず『崩石細哩』のように

,筋

立て とス トー リーとハーモニーをそなえた管弦楽は 出現 していなか った とされ る。

4.奇

才宣科一 人とその生立ち

ナシの古楽といえば

,宣

科 という伝奇的人物 を離れて語 ることはできないと言われる。宣科 氏は大研古楽会の会長で, `大研の一怪

'(雲

南 には `十八怪

'が

ある)と 称 される人物である。 氏 は中国 と西洋の学を修 め

,実

務能力に もた け

,本

人は漢語 よ りも英語 のほ うが堪能 とい う。氏の主導によって数百年の歴史を有する大 研古楽会が再建 されたが

,再

構 された古楽隊は すでに国内外で千回以上の公演を行い

,聴

衆は 延べ百万人以上にも達する。 筆者 もその古楽 コンサー トを鑑賞 した。宣科 氏 は丈がすそまであ る紺色 の単衣 を着て

,他

の 楽師たちはいずれ も単衣の上 に更 に錦 の上着を はお って い る。楽隊の楽師のほ とんどが70∼

80歳

の老人であ り

,そ

れぞれが400∼

500年

もの歴史を有す る古楽器を抱えている。宣科氏 は音楽の指揮 と司会をつとめていた。眼鏡をか け

,現

74歳

になる老年者であるが,その声は 力強 い。氏 はまず最初に観客 に雲南 なまりの漢 語共通語 と流暢な英語で楽隊 と古楽曲について 紹介 したが

,つ

づ く中国文明 と現代社会につい ての説明の中では機知 に富んだ言葉が次 々に飛 び出 し

,生

き生 きとした内容 とユーモアが常 に 人 々の笑 いを誘 っていた。 コンサー トでは『八卦』や『安魂曲』,『電裳 羽衣曲』等が演奏 され る。 `電裳羽衣 の曲'は白 居易『長恨歌』のなかに「驚破寛裳羽衣曲」 と 詠 われた もので

,

これは唐の玄宗皇帝 の時代 に 天女 を歌 った舞曲である。場内に古楽が響 きわ たる。管楽器 と弦楽器の両者が入 り混 じってい るが, `琴 豚相和す

'

とい った風情である。 宣科氏の祖先 は明朝の嘉靖年間に安徽の宣城 か ら雲南の鶴慶 に移住 した漢民族である。曽祖 母 はナシ族

,祖

母 はチベ ット族 の康 巴貴族

,祖

父 は挙 人で あ った。多民族 の血縁 のゆえ に, 父・ 宣明徳 は殊 に聡明で

,7つ

の民族 の言語 に 通 じていた。父はその傑出 した演説能力ゆえに 外国人宣教師か ら重視 され

,

ラマ人をキ リス ト 教 に改宗 させ るための遊説 を行 った こと もあ る。父 は最初 の ナシ族 の宣教 師で あ った。 ま た

,ル

ーズベル ト大統領の子息の通訳 も担当 し ていた (大統領の令息 は優れた狩人で

,当

時, 宣科の父親 とともにパ ンダの捕獲に携わ ってい た)。 母 親 は康 巴 の チ ベ ッ ト族 の有 名 歌 手 で あ った。

(8)

麗江 の古楽 父親が宣教師 と関係が深 いことか ら

,宣

科氏 は幼少か ら麗江の教会学校に通 い西洋文化の洗 礼 を受 け

,な

ま りのない英語を習得 した。教会 の開設する中学高校を卒業 した後

,昆

明へ出て 学業 を継続 し

,昆

明の姉夫婦 の援助 を受 けた。 姉 の夫 は当時

,チ

ベ ットのグライ政府の昆明駐 在事務所長 を務 めていたため

,宣

科氏 は何 ら生 活 の心配 もな く芸術 の勉強に専念す ることがで きた。 新 中国の成立後

,氏

は昆明市の文芸工作団に 入 り

,楽

団の指揮者を担当 した。姉夫婦は イン ドに移住 したが

,宣

科 の生活援助 のため イン ド か ら香港の銀行に送金 していた。宣科氏の全 く 知 らないことだが

,当

,国

民党 の特務経費が この銀行か ら支払われていたため

,氏

が銀行へ 引出 しに訪れた時

,彼

を待 っていたのは拘留 と 尋間であ った。出自に問題があるとされ

,1958

年 に氏 は紅 河州 の僻地 の期北 山へ護送 され, 1978年までの

20年

余 の間

,労

働改造 に服す監 獄生活 を送 った。 出所後 は麗江 に戻 り中学高校 で英語教師を務めた。 労働 改造 に よ って氏 は身体 が鍛 え られ たた め

,そ

の後

,麗

江の農村奥地 にまで深 く入 り田 野で観察 と調査を行 うことがで きた。 い くつ も の言語 に通 じた利点 を生か し

,氏

は音楽民族学 の課題を究めるためナシ族の原生文化圏のなか に深 く入 り込 んで い ったので ある。1981年に 氏 は大 研古 楽会 に参加 して演奏者兼通訳 者 と な った。 ナシ古楽の発掘 と救済は宣科氏の長年の宿願 であ った。氏は老芸人たちとともに400年余 り の歴史を もつ大研古楽会を再建 した。曲譜の整 理 を行 うと同時 に

,理

論 的帰納 と研究 も行 っ た。古楽曲 23曲 を発掘 して整理 したが,その中 で救済が遅れたため

,老

芸人 の死去 によ り伝承 が失われた楽曲 も多数 ある。 宣科氏は語学 の才能があ り

,チ

ベ ット語

,ナ

シ語

,漢

,英

,

ドイツ語 に精通 しているた め

,橋

渡 し役 として古楽を国内外 に紹介 してい る。氏は大器晩成型の学者であるが

,多

民族 の 異 なる思考方法で物事 を理解 し考 え ることに慣 れてお り

,多

数 の新 しい見解 を提示 して

,今

や 音楽界 の注 目を浴びている。

5.民

族音楽に関する新学説

宣科氏 はかつて冤罪 によ って

20年

間 もの牢 獄生活 を送 ったが

,そ

の後

,そ

の特殊 な経験 と 音楽 に対す る情熱 。資質・ 信念 によ って

,氏

は 堂 々と自らの持論を展開 していった。結果

,そ

の大言壮語の中か ら人に不可解 なが らも傾聴 さ せ る学術 的悟 りが開かれて い った。例 えば, 「音 楽 の起源 は恐怖 か らきて い る」,「 トンパ教 は ナ シ族 自らが生 み出 した宗教 で はな く

,チ

ベ ット族の本教が再生 され伝承 されたものであ る」,「 ナシ族 の祖先 は尭族 にあ らず」,「 麗江の 古楽のなかの自沙細楽は元人 の遺音 にあ らず」 等 々

,

これ までの学界の定説が氏によって覆 さ れ微塵 に砕かれた。 これに

,人

々は愕然 とし覚 醒 もし

,

また反感を覚え啓発を受 けることとな る。 また

,氏

は「 ナシ族が英語を学ぶのは `第 二外国語'と してであるか ら `第一外国語

'(漢

)を

手立て とすべ きでな く

,直

接母語か ら英 語 に入 るべ きである」 とも主張 している。か く して氏は毀誉褒貶の環境の中で `氷炭の思 い' を抱 くのみである。 ただ,宣 科氏 の学術上 の見解 は特 に奇想天外 な ものではな く,それ は独 自の眼識 か ら俗説 を 分析 し論 証 した結 果 で あ る。か くして歴 史,宗 教,音 楽 などの領域 にお け る定説 が新 たに書 き 変え られてい くこととな る。ここに,才 気横溢す るそのい くつかの学説の論点を記 してお こう。

(9)

1)『自沙細楽』はモンゴル音楽にあらず 『 白沙細楽』については従来,モンゴル族 の音 楽であるとす る説 とナシ族 の音楽であるとす る 説 の

2説

が あ り

,と

りわ け前者 が 優勢 で あ っ た。 これに対 し宣科氏は

,文

,語

,楽

器史, 音楽の4つの面か ら探究 し

,次

のように結論づ けている。 名は体を表す ことか ら

,標

題 はナシ族の呼称 である。 この大型組曲はナシ族独 自の音楽で, さらには イスラム音楽の痕跡が認められ る。語 義か ら考えると, `白沙細楽'1ま `白屍細哩

'や

`崩屍細哩

'に

基づ くものであ り

,伝

,文

献 お よび社 会的機能 か らす ると

,こ

れ は ナ シ族 の 『安魂曲』であ って

,戦

死 した(敵と味方双方の) 将兵 を弔 うもので あ る。(ナシ族 の居住地 を古 くは `篤

'と

称 したが

)楽

器史の面か らみ ると , 中国全土で唯一 の `蘇古篤

'の

楽器が その編成 上欠 くことので きないもの となっていること, また中の第二章『一封書』が『阿賛』 と偶然 に も一致 していることなどか ら

,

イスラム音楽 と 何 らかの繋が りが あるとみ られ る (楽器 に も ト ル コ楽器 の特徴がある)。 音 楽 の風格 か らす る と

,

これはナシ族の風格であ ってモンゴル族 の それではない。 なかで も『一封書』は イスラム 音楽の影響が あるもの と思 われ る。 また心理学 的側面 か ら考 え ると

,そ

れは元朝世祖の贈 り物 では決 してあ りえない。何故 なら

,

これは死者 の傍 らでのみ演奏 され るもので あ るか らで あ る。以上の ことか ら」『崩屍細哩』すなわ ち『 白 沙細楽』は `民間で創作 され た

'ナ

シ族の『安 魂曲』 としての民族音楽であ る。

2)ナ

シ族の多声混唱曲 `熱美畦

'の

原始的状 音楽の起源は恐燿 よ り出ず る 『熱美瑳』の発祥地 は雲南省麗江 の大東

,宝

山 一帯で

,ナ

シ族が人が亡 くな った時に歌 い踊 る 歌舞形式である。 宣科氏 は,`熱美瑳'は旧石器時代後期のナシ 族祖先 の民歌 であるとし

,総

合的観点 か らみて 『熱美瑳』のよ うな `現在 も活 きている

'原

始民 歌 には以下 の要素が具 わ っていると考 えた。

1.多

声 的 で あ る こと。人類 の音楽 活動 の 中では混唱が斉唱 に先行 し

,そ

の `和' は今 日の和声 とは全 く異 な り

,純

度 の高 い 心地良 い音程 はほとんど考え られない。

2.そ

の `創作材料

'は

名実 ともに大 自然界 か ら取 られ

,且

つ人類最古の原始の生産, 生 活 お よび観念形態 とも密接 な関係が あ る。

3.ず

っと後 の

,今

日の音楽活動 に至 るま で

,そ

こでは楽器の伴奏が一切排除 されて いる (拍手 も含む

,声

楽が器楽に先行)。

4.そ

れ は同様 の原始 の舞踊 と結 び付 くも のであ って

,分

け隔てることはで きない。 5。 この種 の音楽 の社会 的内包 は まず トー テム崇拝 と関係す るもので

,即

ち一種の宗 教的性質 の活動 であるが

,そ

れが儀式であ る とは限 らない。つ ま り宗教意識 の遠 因 と種族意識の近因 とがある。

6.こ

の種の音楽活動を行 う民族 は

,源

が深 いとい うものではな く

,開

化の遅れた民族 とい うことである。

7.こ

の種 の `活きた音楽の化石

'は

当地 の `生きたその他の原始文化

'の

裏づ けが必 ず あ り

,決

して単独で存在す るものではな い。

8.同

時 に原始 人類 の遺 跡 の出土 が あ るは ずであ り

,即

ち `死んだ原始文化

'の

実証 が ある。

9.そ

れが生 まれた土地 は

,気

,地

理・ 地 質 などの各方面 において

,生

物が今 日まで 集 ま り生 き長 らえ る条 件 が具 わ って いな

(10)

麗江 の古 楽 ければな らない。 従 って,『熱美瑳』の存在 は

,美

学領域 の 自然 美すなわち真実 の美

,汚

染 のない美

,わ

ざとら しさのない美などを物語 る。

3)`熱

美瑳'の来歴 について一 音楽の起源は 労働 にあ らず 上述の如 く『熱美瑳』 はナシ族が葬儀の際に 歌 い踊 るもので

,あ

る種の歌舞形式にな ってい る。 `熱美'は一種の物の怪の呼称で,それは同 時に善 と悪 の属性 を もち

,雌

で もあ り雄で もあ る。彼 らはよ く森林や野原 に出没 して人畜 に危 害 と福 を もた らす。 それは悪であ り妖怪である がゆえに, これを追 い払わなければならない。 また

,そ

れは善であ り神 (高級 な霊

)で

あるが ゆえに祈 り乞わなければならない。`瑳'は,イ 族 のほ とんどすべての言語系統 で `跳

'

とい う意味になっているが

,こ

こでは `歌い跳 る' の意である。『熱美畦』に対す る直訳は`飛魔 の 跳 り' とい うことになる。 氏 は `熱美瑳

'の

由来 について次のよ うに結 論づ けた。

1.原

始 の人類 の生存意識 は

,安

全であ るか 安全でないかの生存意識 を含んでいる。

2.安

全 な生存を得 るためには

,非

安全的要 素 を排除す る必要がある。

3.非

安全的要素を排除す るす るために `追 い払 う

'行

為が生 まれ

,こ

れが次第に原初 の `歌い踊 る'と い う行為に進んでい った。

4.こ

の種の `駆

'の

意識 は何処にで もあ

,

したが って人類のすべての `意

'に

先行 して存在す るものである。

5.音

楽民族学 の角度か らみ ると

,

トンパ教 はナシ族祖先の `宗

'で

はな く

,チ

ベ ッ ト族の `本

'の

教 えが ナシ族 のなかで伝 播 す る際 に変異 した もので あ る可能性 が 高 い。 しか し `ト ンパ文字

'の

象形文字 は ナ シ族 の創作 した もので あ ることに疑 い はない。 6.『熱美畦』に類す る `悪魔払 い

'の

歌舞が 人類 の行為 のなか に多数存在す る事実 か ら

,人

類原初 の `悪魔払 い

'の

`芸術意識' の発生は労働の際の `芸術意識

'に

先行す るものと推断 され る。 7.『熱美瑳』の多角的研究 によって

,人

類早 期 の芸術 と りわ け音 楽舞踊 の発生 につ い て

,未

知 の

,極

めて大 きな成果が期待で き る。 6。

おわりに

麗江 は高原の山中に位置す るナシ族の集住地 区であるが

,そ

の地理的閉塞性か ら経済活動 に は不向 きであ って も古文化の継承 と保存にとっ ては好条件をそなえている。 ナシ古楽の意義は 道教音楽の保持にあるだけではな く

,事

実上, 中国古代音楽の保存で もある。 ナシ古楽の中心 は唐宋以来の詞や曲牌の音楽 であ り

,そ

れ らは後に道教に借用 され宗教的礼 楽 として継承 され

,中

原では早 くか ら変質 し失 われた ものが麗江で代 々伝え られ保存 されて き た。今 日

,大

研古楽会による復元が進み

,ナ

シ 族 の音楽 として クローズア ップ されているが, そのなかで重要 な役割を果た したのがナシの怪 傑・ 音楽の奇才 とうたわれ る宣科氏である。氏 は

,今

日では読 む ことしかで きない唐宋の詞・ 曲を

,演

奏のみ存在す る洞経音楽 と組 み合わせ ることによって復元 に成功 し

,そ

の歌唱が可能 とな った。氏 によって `音楽の活 きた化石

'が

発掘 されたと言える。宣科氏の功績によって, ナシ族の伝承や麗江 `出

'の

道教音楽 と唐宋 音楽が明 らか とな り

,中

国古代音楽史は もはや

(11)

`無声 の音楽史'で はな くな った。氏の新学説 は 音楽史 のみな らず

,人

類学

,言

語学

,宗

教学, 考古学 などの学術研究 に とって も貴重 な意味を もっている。 氏 はその学識

,才

,ユ

ーモア

,弁

,熟

練 した英語 によ って国 内外 の人 々を魅了 して き た。今 日

,

これ らの古楽は寺院の中か ら出て コ ンサー ト会場 に移 り

,か

つて宗教儀礼や文人雅 士 のためにあ った音楽が今や市民のための もの とな り

,そ

の用途 ももはや祭祀や祈祷のための ものではな く

,教

養 と人格 を磨 くための もの と な った。現在

,麗

江 の大研古楽会 は1988年に 舞台演奏をは じめて よ り

,す

でに海外か ら20万 人近 くもの観光客を集めている。音楽は `世界 の共通語

'で

あ り,こ れ まで16ケ国で古楽の演 奏会が開かれて きた。 統計 によれば

,今

や麗江には20余のナシ古楽 会が あるとい う。 当地 の行政 は農村 に一群 のナ シ古楽保存地域 を設 け

,民

間の歌手

,楽

師およ び民間楽器の製作者 に対 して重点的保護を行 っ ている。 しか し

,貴

重 なナシ古楽 も現代の流行 音楽 の浪 を受 け

,麗

江では今や70歳以上 の高齢 者 しか `工尺譜

'の

よ うな古譜を歌 うことがで きない。 この こととともに

,ナ

シ古楽の伝承 と 研究 自体 も後継が絶 える状況 に瀕 していると伝 え られ る。数多 くの消失 しつつある口承文芸な どの非物質的遺産 と同様

,ナ

シ古楽 も変質 と途 絶 の淵 にある。麗江県の学校では洞経古楽を教 え ることはないため

,老

人の直接 □授 によって その演奏を一曲一曲習 うしかないのが現状であ る。 宣科氏はかつて長年 に亙 る労働改造の服役生 活 を送 った ことが あ ったが,「如何 な る困難 と 挫折 も神 が私 に与 え た試練 で あ る」 と述懐 す る。 これが今の氏の沿沿たるユーモアの根源に なっているのであろうか。 いずれにせよ

,今

日のナシ古楽の成果は

,中

国の改革開放によってもたらされた変化の結果 であ り

,思

想文化界が 自由化 された証で もあ る。宣科氏の幸運は麗江当地の改革開放が収め た大 きな成功の縮図であるとされる。

図版出典

図版

1[浪

淘沙]周文林『宣科与納西古榮』p.198 雲南美術出版社 2001年 図版

2[山

坂羊]周文林『宣科与納西古柴』p.199 雲南美術出版社 2001年

文献・ 資料

・ 村松一弥『中国の少数民族― その歴史と文化およ び現況― 』毎 日新聞社 1973年 ・生明慶二「`伝承機能音階論'序説」学習院大学東洋 文化研究所『調査研究報告』NO.25 1988年 。胡倫『雲南旅遊』成都地図出版社 1998年 ・ 雲南民族学院編『雲南』雲南教育出版社 1999年 ・ 宣科主編『中国西南古納西王国』雲南美術出版社 1999年 ・ 周文林『宣科与納西古柴』雲南美術出版社 2001年 。宣科「宣科与納西古榮」

VCD廣

州音像出版社 ・ 劉俊傑 。平麗珠「来土古葉」

VCD廣

州音像出版社 ・ 張宇丹「納西古柴」

VCD中

国国際電視線公司出版 。雲南廣播電視節目制作中心「納西古来」

CD上

海音 像出版社 ・文阿干『中国歴史文化名城叢書 麗江』旅遊教育出 版社 2001年 。牛崇榮『雲南的世界之最』雲南人民出版社 2003年 。王子初『中国音楽考古学』福建教育出版社 2003年 (本稿は

2001年

,名

古屋学院大学研究奨励 金による研究成果の一部である。)

参照

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