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法社会学とフィールドワーク論 : 解釈学的方法と末引厳太郎の「三つ巴論」

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法社会学とフィールドワーク論

─ 解釈学的方法と末弘厳太郎の「三つ巴論」 ─

林  研 三

はじめに 1.末弘厳太郎・川島武宜・戒能通孝 2.戦後法社会学にけるフィールドワーク論 3.フィールドワーク再考と「三つ巴論」 おわりに

はじめに

法社会学が法と社会の関係を論じる学問であるならば、法社会学 においては法とともに社会についても知ることが必要となる。それ ではどのようにすれば社会を知ることができるのであろうか。かつ て末弘厳太郎は社会を知るためには「完全なるラボラトリー」が必 要であるが、それが完備されていないなら、限定的ではあるが「判 例」と「新聞雑誌」によって社会を知ることができると述べていた (末弘1921、5)。しかし、その末弘も後述の「中国農村慣行調査」 では、一定の調査方針を示すことによって、実態調査の可能性を示 している。 末弘の例を持ち出すまでもなく、法社会学研究では社会を知るた めの実態調査が不可欠である。その場合、実態調査はどのようにし て行われるのであろうか。通常、調査は「量的調査」と「質的調査」 に分けられる。「量的調査」とは、相当数の回答者をランダムサン・ プリング(無作為抽出)し、アンケート調査等の定型的質問への定 型化した回答方式という形をとることの多い調査である。他方の「質 的調査」とはむしろフリートーキング等によって限られた対象者か

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ら話を聞くという調査であり、参与観察やフィールドワークと呼ば れる調査方法が中心となる。従来法社会学研究においては、「量的 調査」方法やその回答の分析については一定の蓄積があるようであ るが、それに比するとフィールドワーク論や参与観察に関してはさ ほど考察されてきていないようである。 しかし、近時の隣接分野ではフィールドワークについての多くの 書物や論文がわが国でも出版され、この調査方法のもつ意義やその 可能性が大いに論じられてきている。そこで、本稿でも法社会学で の調査論、特にフィールドワークについて論じていきたい。ここ で、「法社会学での」との限定を付加したのは、他分野での研究を も必要に応じて参照するが、主として我が国の戦後法社会学界にお けるフィールドワーク論を回顧することを意味し、法社会学特有の フィールドワークの存否、あるいはそのあり方を論じることを主眼 とはしていないことをあらかじめお断りしておきたい。 ところで、ここまで何の注釈もなくフィールドワークという言葉 を用いてきたが、そもそもフィールドワークとは何であろうか(1) 一般に調査というと、世論調査や国勢調査が思い出され、そこから はアンケート調査等が連想されるかもしれない。しかし、フィール ドワークは、前述のように、限られた相手・対象に対する「参与観 察」である。「参与」とは相手の生活への参与であり、そのなかで 相手を「観察」するということになる。「参与」と「観察」が両立 するかどうかについて疑問が呈されることもあるが、ここではそう いった疑問は自然科学的な「観察」を考えた場合の疑問であるとだ け言っておこう。 このフィールドワークでは定型化した質問項目もあり得るが、そ れ以上に調査対象者と調査者のフリートーキングーこれは場合に よっては「雑談」になるーが重要になってくる。そのためには、そ れ以前にフリートーキングができる人間関係が確立されていなけれ ばならない。従ってそのような対象者は自ずから限られてくるが、 そのフリートーキングを重ねることによって、調査対象ーこの言葉

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はフィールドワークを重ねるなかでは適切ではなくなってくる時も あるのだがーの「本音」や対象者自身が普段は意識していなかった ことも見えてくる。 フィールドワークを多用してきたのは、文化人類学・社会人類学 や社会学・民俗学であった。特にB.マリノフスキー以後の近代人 類学は、フィールドワークとともに歩んできたといっても過言では ない。その人類学で、さらには社会学でも、既述のように1980 年代以降に「フィールドワーク論」が大いに議論されてきている。 これには1967年に刊行された『マリノフスキー日記』(原題は A Diary in the Strict Sense of theTerm、邦訳は 1987 年刊行)の影響もあるの かもしれない。その日記にはフィールドでのマリノフスキーの心情 が吐露され、それまでの「模範的」なフィールドワーカーとしての マリノフスキーのイメージが崩壊したからである。 以下では、まず戦前の末弘厳太郎の「中国農村慣行調査」での調 査方法論、川島武宜や戒能通孝、さらには渡辺洋三の調査論をとり 上げ、次いで最近の法社会学のテキストでフィールドワークがどう 取り扱われてきたかをみてみよう。そこでは決して肯定的な評価を 受けていないことが知れる。ただし、まったくの否定的な評価でも ない点に、この調査方法の難しさがある。 最後の第3節では文化人類学や社会学におけるフィールドワーク 論を必要な限りで参照してみてみる。その上で、再度フィールド ワークについて考えてみよう。ここでは他分野のフィールドワーク 論、特に解釈学的・構築主義的なフィールドワーク論に呼応するよ うな法社会学での方法論として、末弘厳太郎の「三つ巴論」をとり あげてみる。とりわけ末弘の「事実認定」の方法に注目し、この方 法と解釈学的・構築主義的なフィールドワークとの共通点を指摘し ていく。

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1.末弘厳太郎・川島武宜・戒能通孝

ここで最初にとり上げる末弘厳太郎、川島武宜、戒能通孝の 3 人 が、戦前・戦後を通じて我が国の法社会学の礎を築いた研究者であ ることに異論をはさむ者はいないだろう。ただ、彼らは主として民 法を専攻していたこともあり、調査方法論自体については「素人」 であったとの批判もある。こういった批判の多くは、社会学的な調 査方法論を、特にアメリカ社会学でのそれを学んだ世代からなされ ているように思われる(和田1994,10)。 確かに現代社会学の「社会調査方法論」からすれば、彼らの調査 方法論は「素朴」なイメージが持たれるものであったのかもしれな いが、その「素朴さ」は再考してみる価値があると思う。なぜならば、 本稿では調査やフィールドワークは、つまるところ信頼関係に基づ く「人と人とのコミュニケーション」によって可能となるという立 場をとっている。その立場からすれば、そういった信頼関係(ラポー ル)やコミュニケーションには技巧的なテクニックではなく、「人 が人とふれあう」際の「素朴」な感情が必要であろう。 そういった「素朴」な感情だけで「調査がうまくいく」時代では ないという批判もあろう。特に1970年代以降の我が国では、地 域社会の流動化、価値観の多様性、さらには「全面的帰属集団」か ら「断片的帰属集団」への移行等が指摘され、それまでのインフォー マルな紛争処理方法が機能しなくなってきたとの指摘もなされてい る。従って、かつてのような調査者と被調査者の「牧歌的な」信頼 関係は簡単には成立しない。似田貝香門の社会調査論再考とそれへ の反論が中野卓によってなされたのもこの頃からであった。しかし、 似田貝も中野も、ともに調査者と被調査者の関係の質を問うている 点では共通していよう(似田貝 1974,1977、中野 1975a, 1975b)。つまり、 そういった時代状況であるからこそ、なおさらその関係の質を問う ためにも3人の「素朴」な方法論から検討していくことが必要かと も思う。

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まず、末弘厳太郎の調査方法論についてであるが、それは「中国 農村慣行調査」の際の「調査方針等に関する覚書」に顕著に表れて いる。この「中国農村慣行調査」というのは、昭和 17 年(1942 年) 頃から「東亜研究所」という「半官半民」の研究所が満鉄調査部の 協力を得て、現在の中国東北部(旧満州)のいくつかの農村で行 われた「聞きとり調査」であった(福島正夫1993,245以下)。調 査は6委員会に分かれ、末弘はそのうちの3つの委員会の責任者で あった。その調査は敗戦色が濃くなった昭和 18 年頃まで続き、調 査結果は『中国農村慣行調査』全 4 巻として戦後刊行されている。 この調査で主導的役割を果たしたと言われている末弘厳太郎の調査 方法論をみてみたい。 まず「調査目的」について、末弘は「中国社会に行われている慣 行を明らかにすることによって其社會の特質を生けるがまゝに畫 き出すこと」、「現在の中國社會諸關係を現に規律し成立せしめて ゐる法的慣行を、動きつゝあるがまゝに如實に捉えること」(末弘 1952,22)であると記している。ここで注意したい点は、調査目的が「慣 行を明らかにする」ことそれ自体ではなく、そのことによって「其 社會の特質を生けるがまゝに畫き出す」ことにあるという点である。 つまり調査者による「生けるがまゝ」の記述、すなわち「書くこと」 が最終的な目的として明示されている。 ならば、どういう方法によってそれが可能になるのか。末弘はそ の対象を「法的慣行」に限定しつつ、「事實を記述しながら自ら其 間に躍動しつつある規範を畫き出そうすること」、あるいは「現實 を現實としてそのまゝ寫し出すこと」が最善の方法であるとしてい る。ここでも「書き出す」こと、あるいは「寫し出すこと」に力点 がおかれているが、それは「現實を現實として」と言われるように、 そこにすでに存在する「現實」を前提とする実証主義的な認識論(「現 実のカメラ理論」(桜井 2002,457))に基づいていた。 この実証主義は自然科学を模範としており、「調査要綱と調査と の關係について」も、「喩へて言えば自然科學的研究に於ける仮説

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と實驗との關係のようなものだと」と述べられている。すなわち、「初 めに要綱を作って調査の方針を立てなければ調査は不可能であるけ れども、其後調査が進むにつれて逆に要綱に檢討を加へてそれを修 正補足する必要を感ずるに至るべきは當然であつて、かくして修正 補足された要綱に依つて更に調査を進めた上、新に要綱を修正補足 する必要を感じたならば直に又修正補足を行ひ、かゝる操作を屢ゝ 繰り返す内に自ら完全なる調査が出來上るといふような気持ちで仕 事を進めてゆくべきであると思う」(末弘 1954,26)。 このような方法論は戦後の川島武宜においてより明確に見られる。 「経験に基づいて事実を観察0 0し、観察された事実を整理し、それに 基いて経験的事実相互の関係について仮説0 0を設定し、それをさらに 経験的事実で検証0 0し、こういう手続きを通じて多かれ少なかれ普遍0 0 的な経験法則0 0 0 0 0 0を発見してゆく、ということが、経験科学というもの の基本的な手続および目的」(川島1982,154)であり、そこには「社 会現象についても自然現象と同じ性格をもった経験科学が成り立つ 可能性と必要性とがある」(川島1982,155)という確信に基づい ていた(2) このように中国農村慣行調査時の末弘や川島の「調査方法論」は 自然科学的な方法を模範としていた。川島の場合、この傾向は「調 査方法論」に限らず、川島法社会学の全体を覆っていると言ってよ い。これに対して、末弘の「弟子」の一人であり「中国農村慣行調 査」にも福島正夫らとともに参加した戒能通孝は、少し異なった「調 査方法論」を考えていたようである。戒能は戦後の日本法社会学会 でのシンポジウムで、以下のように発言している。少し長いが、行 論上必要な範囲で引用しよう。 「調査は本来からいうと何らかの目的の下に自己の欲する結論を得るた めにではなしに、事実を客観的に把握するために行われねば無意味だと信 じます。また目的がはっきりしているほど調査の方法も厳密になり、また 調査の正確性が尊ばれなければならないと思うのであります。」

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「法律学研究者という立場に立った以上、法律学研究者としての立場な いし研究目的を設定し、そのなかで責任を果たす以外にはないだろうかと 感じます。このような研究目的の設定は、いうまでもなく一つの仮説を置 いております。… 私自身がその意味で仮説としてまず掲げたく思うのは、日本国憲法であ ります。言いかえれば日本国憲法が、どうしたら文字の上だけでなく、社 会的に実現できるか、これが法社会学本来の調査の主要問題ではないで しょうか。だから調査はあくまでも日本国憲法がなぜ実現されないかとい うことの調査であるとともに、またいかにしたら実現せられ得るかという ことの調査である必要を持つのではないかと感じるのであります。」 「われわれ自身の気持の中を分析してみると、ずいぶん反憲法的な性格 ないし、気質もあると信ずるのでありますが、これをいかにして排除する かということ、これが調査者の第一の資格になるのではないか…。ある人 が自分の気持ちを正確に分析し、自分の気持ちの中から旧憲法的な法意識 を排除することに成功すれば成功するほど、その人は調査の技術に熟達性 を見出し得るのではないかと思います。換言すれば、調査は客観的事象を 前にしておりますが、しかしある意味においては客観的事象の分析を通し て、自己自身を分析するのだとも言えると思います。だから自己調査がで きない場合においては、客観的調査が完全にできないのは当然ではないで しょうか。そうなると、調査の中から発見できるところの真実とは、ある 意味で自己の投影であるということになりはしないか。また自己の投影力 が強ければ強いだけ、調査の中から客観的事実がより精密に発見できるの ではないか。なお客観的事実と申しましても、…むしろ現在存在する事象 の中に真に実現性のある傾向は何かを発見することが、客観的事実の発見 ではないかと思うのであります。」(戒能 1954,71,72) ここには当時の末弘や川島の実証主義的な方法論とは異なった方 法論が展開されている。末弘や川島が事実を事実として把握し、記 述することに主眼をおいていたとすれば、戒能はあくまで調査の前 提としての研究目的を定める必要を論じ、それを一応仮説としてで

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はあるが、「日本国憲法の実現」としている。ここで憲法を持ち出 すことには一定の時代状況を感じるが、問題はその次の「客観的事 象の分析」を媒介とした「自己自身の分析」の必要性の指摘、そし て「自己調査ができない場合」は、「客観的調査が完全にできない」 との指摘である。つまり、調査や調査結果は「自己の投影」であり、 「自己の投影力」によって「調査の中から客観的事実がより精密に 発見できる」という。 ここでの戒能の調査方法論の中心は、調査者自身と調査目的や調 査対象が分離したものではなく、それらの間に一定の関連性が想定 されていることである。こういった方法論は後述する最近の解釈学 的・構築主義的なフィールドワーク論とも通じる側面を有していよ う。さらに、戒能は調査者が単に事実を認識し記述するだけでなく、 調査結果を社会に対して「訴えるということ、それを世の中に持ち 出して行くこと、そうしてまたそれを直すにはどうすればいいかと いうことを他の人々に対しても説得するということ」が必要であり、 そのためには「まず第一に調査者自身が学者であり、また説得力を 持つ学者でなければならない」(戒能 1954, 88)としている。こういっ た「説得力を持つ学者」が成立するかどうかに関しては疑問視する 傾向が現在はあるが、ここでも調査者自身の目指すべき実践的方向 性が明示されており、戒能のこういった姿勢の延長上に「小繋事件」 があったとも言えるかもしれない。 この 3 人に続く世代の法社会学者の一人に渡辺洋三がいる。本 節の最後にこの渡辺洋三の調査方法論をとりあげてみよう。渡辺 は「調査は観察にはじまって観察におわるともいえる」とし、観 察の重要性を指摘するとともに、観察を「参加観察」participant observation と「非参加観察」に分ける。前者は現在では参与観察 と言われるものに、従って本稿のフィールドワークに該当するもの となろう。渡辺は上記の指摘に続いて、この参与観察の利点と欠点 を以下のように整理している。

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利点①被調査者の作為的でないあるがままの行動を記録できる。   ②通常の傍観者とは異なり、被調査者の言葉や行動の裏側にある真実 の意味を理解できる。 欠点①調査者の参加の度合いが高まるに従って、その経験の範囲が狭まる 危険性。   ②調査者が情緒的に対象に参与すればするほど、客観性が失われる可 能性が大きくなる。   ③調査手法が独特なものになる故に、第二、第三の調査者によって 同じ事実を記録することができない可能性が大きい(渡辺1959、 263以下)。 渡辺のあげている欠点①と②は、以下で言及する最近の法社会学 テキストでもとり上げられている点と共通する調査結果についての 客観性や普遍性の欠如の指摘であり、③は検証不可能性の指摘であ る。このような渡辺による欠点の指摘とともに、利点①は、川島武 宜の方法論と同じように、自然科学的な方法を模範としている故に 生じてきたものであるが、後にはこの点が疑問視されることにもな る。また、利点②も同様に現在のフィールドワーク論においても議 論となる点であり、単純な「現実のカメラ理論」を超える契機をも たらす視点でもあり得ることをここでは指摘しておこう。

2.戦後法社会学におけるフィールドワーク論

戦前・戦後の日本法社会学界での調査方法論に関して、前節では 4人の論述をとり上げたが、「中国農村慣行調査」時の末弘、そし て戦後の川島の目指す方向は、戒能の目指す方向とは幾分異なって おり、それはこれら3者の法社会学研究の内容とも深く関連してい よう。ここではその内容について言及する余裕はないが、すくなと も本稿の課題であるフィールドワーク論に関しては、川島の実証主 義的な方法論がその後も我が国の法社会学界では継承されていった

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ようである。川島よりも一世代若い渡辺は、川島ほどに自然科学へ の執着な見られないようであるが、それでもそのとりあげた欠点は 川島と同様な視点からの指摘であった。本節でとり上げる近年の法 社会学のテキストにおいてもいくつかの調査方法論が述べられてい るが、そのなかのフィールドワーク論に限定してみると、川島と同 様な視点が見える。以下ではその内容を順次紹介してみよう。 ま ず 最 初 に と り 上 げ る の は 六 本 佳 平『 法 社 会 学 』( 有 斐 閣  1986)である。六本はフィールドワークという言葉は使用せず「参 与観察」とし、次のようにその利点を述べる。「調査対象たる出来 事についての、人間の眼による直接の観察は、データ収集の方法と して非常に重要なものである」。「研究者による直接の観察は、対象 たる制度やその作用の具体的な姿を研究者が直観的に知り、理解す る上で重要である。また、研究者自身が持っているそのようなファー ストハンドの知見は、より間接的な方法でえられたデータを解釈す るさいの基礎としても役立つ。さらに生まの直接的な観察から理論 上の重要な着想が得られることもある」(六本1986,166)。しか し、この方法にも多くの困難な点があるとし、その主なものとして は以下のようなものあげている。   「①人間の感覚が不完全であること(人間の目に見えないもので重要な ものがあり、また、人は自分の見たいものを見る傾向を持つ)。   ②観察によるデータには、見たものが何であるかについての、観察者 による推論がふくまれること。   ③観察者と対象との間に相互作用が生じ、観察者がそこにいることに よって、観察対象の過程が通常の、自然のものではなくなることが ある。   ④1人の人間が直接に観察できる対象の範囲は、おのずから狭く限定 されるから、その結果を一般化するさいの限界が大きいこと。」(六 本1986,167 以下)

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六本のあげている上記 4 点は果たしフィールドワーク固有の問題 であろうか。以下で言及する他のテキストでもそうであるが、六本 も参与観察以外の調査方法としてはアンケート調査などの「量的調 査」をとり上げており、それとの対比での「困難な点」ということ になるのかもしれない。しかし、少なくとも上記①は一般的な指摘 であり、②もどのような調査方法をとろうとも「推論」は含まれる のではないだろうか。③と④は確かにフィールドワーク固有の問題 点であるが、これらについては、他のテキストでも同様の指摘があ るので、それらを紹介してから論じよう。 次に取り上げるのは和田安弘『法と紛争の社会学』(世界思想社  1994)である。和田は、「参与観察」は「想像以上に困難な作業で ある」とし、その理由は「研究者がその社会・集団に加わることに よって、研究対象である社会成員の行動はその影響を受けて変容す るからである。研究者がいわゆる「空気のような存在」ではありえ ない以上、彼(女)は決して研究対象のあるがままの姿を見ること ができない。また仮に時間の経過とともにそれができるようになっ たとしても、その時には、研究者はその社会・集団の一員として社 会・集団に同化してしまっているので、彼(女)の目の前のことは 「見えてはいるが見ては(気づいては)いない」日常の゛当たり前゛ に変わってしまうはずである。したがって、「参加」しながら「観 察」するということ、インサイダーでありなかがら同時にアウトサ イダーでもありつづけること、この二律背反を克服することが参与 観察の重要な課題となる」(和田1994,95)と述べている。そして、 これらを克服するための「便宜的な方法」として以下の 3 点をあげ ている。 「(イ)定期的に外部(自分のいた元の世界)の者と連絡をとる、  (ロ)データは研究者の解釈を加えずに逐語的にありのまま記録する、  (ハ)データ収集を複数の研究者で並行的に行う」(和田 1994, 95)

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和田の「研究対象のあるがままの姿を見ることができない」とい う指摘は六本の③と同じであるが、ここでは「観察」と 「参与」 の「二 律背反」の指摘とその克服方法の提示に留意したい。そもそもこれ を「二律背反」と捉えること自体が、自然科学的な実証主義に依拠 していることになるであろう。また、克服方法の一つとして(ロ) では「解釈を加えず逐語的にありのまま記録する」としているが、「解 釈」を全く加えない「記録」が果たし可能なのであろうか。 次に和田仁孝・太田勝造・阿部昌樹編『法と社会へのアプローチ』 (日本評論社 2004)をとりあげてみる。同書の第10章「社会調査の 技法」では、以下のように記されている。 「フィールドワークは、サーベイ調査にたいして、いわば狭く深く対象 にせまるやり方である。調査員がある程度の長期にわたって、調査対象の 内部に入り込んで生活をともにしながら観察する「参与観察」が典型的な 例である。 個別の事例を研究することが多いので、その調査結果の一般化可能性(誰 にでもあてはまるか)などについては限界がある(とよくいわれている)。 調査者は、調査対象の集団や地域に入り込んで、一定期間をかけて調査 を行う。そこでの具体的な活動や生活からは一線を画し、純然たる観察者 としてふるまう場合もあるし、集団や地域の正式な一員として生活しなが ら同時に観察を行う場合もある。」(藤本2004、199) 藤本の「狭く深く対象にせまるやり方」であるとの指摘は確かに フィールドワークの特徴でもあるが、それが「個別の事例」である 故に「調査結果の一般化可能性」が難しいとしている点は六本の④ と同じである。 最近のテキストとして、太田勝造・ダニエル・フット・濱野亮・ 村山眞雄編『法社会学の新世代』(有斐閣 2009)をとり上げよう。そ の「第1章 法現象の経験科学」では、村山眞男は「参与観察」の 欠点として、「研究者が実際に観察できる社会現象は、母集団のな

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かの極めて限られた一部にすぎないことが普通であるため、観察に よって得られた知見を一般化することが難しい」とし、その「観察 によって得られた知見を一般化するためには、観察対象についての 他の量的データを用いて補完することもある」(村山2009、17)と している。この「他の量的データ」による補完は、社会学において も一般的に言われている方法であるが、問題はどのように「補完」 するかであろう(3) 同書のダニエル・フットによる「第2章 審議会の参与観察」で は自らが委員として参加した「審議会」の「観察調査」から、以下 の「参与観察」の「難点・問題点」を指摘している。 (1)「アクセスをアレンジするのに苦労が伴う」、「信頼関係を築くことは 容易ではない」、「他の問題点として、背景や内部の事情が分からな いと、観察した行動や言動をどのように解釈すべきか戸惑うことが ある。」 (2)「観察者の存在が対象者に影響を与える、というリスクがある」 (3)「対象となる組織や集団に関して詳細な情報が得られたとしても、結 論を一般化することはできない。」 (4)「観察調査においては、中立 / 客観性を保つことが難しい場合もある。 例えば仲間に入れてもらってから、いつの間にか調査者の意識が対 象者の意識に近づいてしまうことがある。逆に人間関係がうまくい かないような場合においては、主観面でより批判的になることもあ る」 (5)「倫理問題にも注意する必要がある。研究目的を隠したり、偽ったり するような場合の倫理問題は明らかである」。「事前の承諾があって も調査結果を発表する際、対象者にとってあまり望ましくないよう な情報や結論を載せると、対象者がそれを裏切りと受け止める危険 性が常にある」(フット2009、31以下) 上記の(1)は調査ならば多くの場合に遭遇する事態であるが、

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これらに躊躇しているようならば、可能な調査は限定されよう。そ の可能な調査としては、いきなり郵便でアンケート用紙等を送りつ ける調査や無作為抽出した電話番号に電話するといった「量的調 査」だけかもしれない。さらに(5)は参与観察には限定されない。 どのような調査についても言えることである。(2)と(3)は六 本の③と④と同じであるが、(4)の「中立 / 客観性」については 六本の②と③や和田の(ロ)と関係するかもしれない。 しかしながら、そもそもこの「中立」であることが、そのまま「客 観的」になり得るのであろうか。また、「中立」的な調査者が調査 できるのであろうか? 特に利害対立が鮮明な「紛争の場」を調査 する時には、中立的立場で調査することはほとんど不可能に近いの ではないだろうか(4)。むしろ、「中立」であること自体が「客観性」 という名目のもとで、どちらかの利害に結びつくこともあり得るこ とに留意すべきであろう。勿論「中立である」ことが常にこのよう な事態をもたらすとは限らないが、そういった危険性のあることは 認識しておくべきことである。 以上の法社会学のテキストで記されている「フィールドワークの 欠点」の前提には、既述のように、実証主義的考えがあるのではな かろうか。すなわち、調査というものは、自然科学をモデルとした 実証主義的な認識論に基づき、「唯一の社会的現実の存在を想定し、 それを把握するために専門的な調査者が被調査者とラポールを形成 し、客観性を失わないように被調査者から情報を引き出そうとする ものであ」り、「正しい方法論で調査すれば対象となる経験世界を 正しく反映した現実をあきらかにすることができる」(「現実のカメ ラ理論」)(桜井 2002、456)という確信があるように思える。しかし、 近年の他分野ではこういった実証主義的認識論とともに、「解釈学 的」、あるいは「構築主義的」認識論に基づくフィールドワーク論 も展開されている。次節ではそういった他分野でのフィールドワー ク論も若干参照しながら、上記の法社会学テキストで指摘されてい た欠点、特に六本の指摘した③と④に関して考えてみよう。

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3.フィールドワーク再考と「三つ巴論」

前節での六本のフィールドワークの欠点③で指摘されている点は、 観察者がフィールドワークの名の下に調査対象に入り込むことに よって、調査対象や対象者が「普段とは異なった言動」をする可能 性があるということである。たとえ明確に普段とは異なった言動で はなくとも、調査者の存在は有形無形の影響を調査対象に与える可 能性はあるであろう。かつて警邏警察の参与観察を行った村山眞男 も、それを警戒して「フィールドノート」をとったのは最初の1回 だけであったと記していた(村山1990,107)。 しかし、前節の最後でも指摘したように、これを欠点とみなすの は、自然科学を模範とする実証主義的認識論に基づいているからで ある。自然科学では顕微鏡や望遠鏡でのぞく細胞や星座のような観 察者と観察対象の関係が想定されている。こういう生物学や天文学 の場合なら、観察者の観察が観察対象に影響を与えることはない であろう(と思う)。しかし、社会現象を観察、調査する場合には、 どのような方法をとろうとも、対象に全く影響を与えることを回避 することは不可能ではないか。何故なら、調査や観察という行為、 調査者や観察者という人間の存在を全く消し去ることはできないか らである。先の村山は二回目からの調査ではノートをとらなかった が、簡単なメモはとったのであり、そもそも村山自身がその場にい たことが何の影響も与えなかったと言い切ることはできないだろう (5)。つまりどのような調査方法をとろうとも、六本のいう「自然 のものでなくなる」という状態は生じるのである(6)。調査方法の 違いによって、その程度の差異は生じようが、それは事実上の問題 であり、理論的な問題ではない。 六本の④での調査対象が限定されているから、「一般化」するこ とは困難であるという指摘も同様な方法論的前提によっている。も しフィールドワークによる調査結果についてそう言えるならば、そ れではどの程度のサンプル数や事例があれば「一般化」できるので

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あろうか。その程度を示す指標はどこに求められ、かつその指標自 体が「一般化」できるものであろうか。というよりも、そもそも対 象が限定されていることが、常に一般論を展開することを不可能に するのであろうか。アンケート調査のような数的調査の場合は一定 数の回答が必要となるとしても、同じことがフィールドワークに適 用できるのであろうか。 こういった疑問は常に調査論のなかで論じられてきたものである。 そういった疑問に答えるためには発想を転換することが必要である。 すなわち、調査やフィールドワークは対象に影響を与えるというこ とを前提にして、その方法論を考えるのである。その場合に参考に なるのが、解釈学的・構築主義的方法であり、近年の人類学や社会 学で展開されているフィールドワーク論である。これらとともに、 本節で参照したいのが、末弘厳太郎の「三つ巴論」である。以下順 に説明しよう。 解釈学的・構築主義的な方法論では、「社会的現実の説明は被調 査者主体の語りのたんなる反映ではなく、著者をとおして創造され、 また読者によって解釈されるものであるとする。その意味で、調査 報告やエスノグラフィーなどの調査者が描く作品も、フィクション の一種なのである。現実は発見されるべき事実ではなく、まさにフィ クションなのだ」(桜井 2002.457)。従って、調査者は「あるがままの 事実」をそのまま記述するのではない。そもそも「あるがままの事 実」は存在しない。「事実」は調査者と被調査者の相互行為として のコミュニケーションや、そのコミュニケーションを通じて書き上 げられた民族誌(エスノグラフィー)を読む読者の解釈によって成 立するものである。 そうであれば、調査過程においては、調査する「「わたし」がそ の過程で消え去ったり、無色透明な存在になることなどありえない し、あえて無理して、強引に「わたし」を消し去る必要などない」(好 井2004、28)ということになる。そもそも、当該の調査者がそこ にいようがいまいが、被調査者の営みは続き、その営みのなかでも

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「想定外の出来事」が生じる可能性は常にある。日常生活とはそう いうものではないだろうか。「昨日の如く今日があり、今日の如く 明日がある」と形容される日常生活が、常に不変的な生活であると は限らない。 しかし、ここで注意しなければならない点は、調査者は徹頭徹尾 「部外者」であるという点である。どのような調査においても、調 査者は外部から来た「部外者」であるという事実を否定することは できない。フィールドワークでの「聞き取り調査」であっても、郵 送などによるアンケート調査であっても、調査者は多くの場合突然 にやってくる「部外者」である。そうであれば、前述のように、そ の影響をなるべく少なくする方法を考案するよりは(影響を皆無に することはできない)、「部外者」であることを前提とした場合の 調査は、どのような方法で何を明らかにすることができるかを考え たほうが生産的ではなかろうか。「すべてのフィールドワーカーは、 フィールドワークの最中において探求すべき対象に何らかの影響を 及ぼしている」(足立2004、101)のだから。 それではどういう方法が考えられるのか。ここで再度「部外者」 とは何かについて考えてみよう。「部外者」とは「外部の人」であり、 日常生活のなかでは接することのない人ということになろうか。そ うであるとすれば、「部外者」に一切接することなく生活を営める 人は、はたして現在の日本で何人いるのか。戦前日本の村落社会や いわゆる「未開社会」や「部族社会」を想定したとしても、それら の多くが「部外者」との接触が一切ない社会であったわけではない であろう。例えば西日本の村落社会では、すでに戦前から村落外に 定期的に「出稼ぎ」に行っていた女性がいた(宮本1985,105)。 だとすれば、そういう社会では「部外者」が存在していた可能性は 高い。その「部外者」がどういう影響を与えたかを、ここで一般論 として言うことは難しいが、何らかの影響を与えたであろうことは 予想される。つまり、「部外者」の影響も当該社会の日常生活の一 部でありえるし、例えそうでなくとも、被調査者の生活での「想定

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外の出来事」に「部外者」が関与してくることはあり得るであろう。 だとすれば、「部外者」であるフィールドワーカーの存在もその 社会での通常の出来事の一つではないだろうか。そもそもフィール ドワーカーの出現によってその社会に大きな影響が与えられ、「自 然のものではなくなる」と考えること自体が、フィールドワーカー 側の「思い上がり」、「オリエンタリズム」(サイード 1986)の一つで ある。当該社会はそれほどナイーブでも「軟弱」でもないのではな いか。 そうだとしても、フィールドワーカーが何の遠慮もなく「根掘り 葉掘り」聞くことが許されるというわけではない(7)。そうではなく、 フィールドワーカーの存在やその聞き取り調査によって、当該社会 の日常性が大きく揺らぎ、「本当の姿」が捉えられないと考える必 要はないということである。そもそも「部外者」との接触のない姿 が「本当の姿」や「自然のもの」であるという前提を疑うべきでは ないか。例えば、上記の村山は警察でノートをとると「ぎこちない 反応」が見えたと言っているが、もしそうであればそれが警察の「本 当の姿」として、あるいは「本当の姿」の一端として把握すること は可能ではないだろうか。つまり「部外者」の闖入も「本当の姿」 に含まれるものとして考えることは可能であろう。むしろ、フィー ルドワーカーの質問やフィールドワーカーとの対話によって当事者 自身が「本当の姿」や「自然のもの」に気づかされることもあるの ではないだろうか。そうであれば、それは両者によって「創作され た本当の姿」とも言ってよいであろう。 しかし、これでは「部外者」であるフィールドワーカーごとに「創 作される事実」が異なる可能性は残り、やはり当該調査報告の「一 般化」は難しいということになるのであろうか。この点は複数の「事 実」、あるいは複数の「事実の解釈」の問題になる。この問題につ いて社会学者の見田宗介は次のように述べていた。

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「客観的に、われわれの意識から独立して存在する<現実>そのものと、 研究者の構成する<現実像>との関係は、ちょうど、地理的な現実と地 図との関係と同じことである。…地図には、五万分の一の地図もあれば、 二十万分の一の地図もある。街路図もあれば、地勢図もある。…それぞれ の描く現実像は、おのおの様相を異にしている。しかしそれらは、すべて 正しい地図なのである。…もちろん地図は、現地(現実そのもの)を正し く抽象せねばならない以上、恣意的・主観的な作成は許されない。けれど も、たとえば京都市なら京都市の、唯一の「必然的な」地図というものが、 あるわけではない。研究対象となった事例そのものと、研究者の解釈(事 例像)との関係も全く同様である。」(見田1965,193) ここでの見田の言うところを了解したしても、そのことが直ちに 「一般化」の問題に答えたことにはならない。しかしながら、見田 の言うように何種類もの地図があるように、何種類もの報告書やエ スノグラフィーがあったとすれば、それらを通して4 4 4 4 4 4 4 対象を理解する ことは可能であろう。すなわち、それぞれのフィールドワークによ る解釈や「事実」は、「いっけんしたところ、瑣末なものかもしれない。 だが、それをより広い文脈に置きなおすときに、その<事実>から イモヅル式にいろんな問題がたぐり寄せられ、さらにそこから、あ なたが生きることによって重要な<意味>が照らしだされる」(菅 原2006,316)こともあろう。そして、このイモヅル式にたぐり 寄せられた色々な「問題」や「照らしだされる」「重要な<意味>」 から当該社会を見通す視点が確立され、「一般化」が可能となるこ ともあり得よう。 さて、このようにそれぞれの解釈やそれぞれの事実がありえると いう点を、上記の解釈学的な方法とは少し異なった観点から論じて みたい。すなわち、法律学においてもこの「事実の創作」と類似す る手法が議論されてきたことがある。それが末弘厳太郎の「三段論 法批判」と法の解釈・適用に際しての「事実の認定」である(末弘 1952,90 以下)。「三段論法」というのは、裁判過程において判決は、「事

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実」ー「法律」ー「結論」という三段階を経て生まれるとの考えで ある。すなわち、まず事実を認定・確定し、次にこれに適用する法 律の内容を明確にするための解釈を行う。そして、その解釈によっ て確定された法律を、その前に確定しておいた事実に適用し、その 結果が判決となるのである。ここでは「事実の認定・確定」と「法 律の解釈・適用」、そして「判決」はそれぞれ画然と分離されて行 われている。 これに対して末弘はこれらは別個になされるわけではなく、一定 の限界内であるが、「事実認定」と「法律解釈」と裁判官の「結論 を産む心の働きとが三つ巴をなして決定し合う」という「三つ巴論」 を展開している。本稿での関心はこのなかの「事実認定」の方法で あるが、末弘によれば、適用されるべき法律の解釈を離れて当該の 事実だけを認識・確定することは難しいと言う。何故なら、法律適 用の対象である事実は「多数の自然的事実の中から選択し組み合わ せによって初めて法律適用の対象たるべき法律的事実が決まる」(末 弘1952,92)。その取捨・選択は何らかの規準によってなされる が、その規準は裁判官がその事件をどう裁くべきかとの考えと極め て密接な関係をもって決定されるものである。 「法律学と自然科学とは元來全く異なった学問」(末弘1952, 94)であるが、上記のことは「客観的事実」を歪めることではない。 末弘によれば、ここでの事実の取捨・選択は、信号が赤か青かとい うような単純な事実認定のレベルではない。同一の芸術的作品を複 数の者が鑑賞する場合に、その着眼点が色彩と筆遣い等のように異 なることはあり得るし、その着眼点の差異によって評価も異なるで あろう。事実の選択の規準も同様であり、それはどのように法律を 解釈・適用し、どのような結論を得るかという規準と連動している (末弘1952,93 以下)。つまり、事実はこの意味で創作されている のである。 さらに、末弘はこの事実認定に伴う裁判での最終的な判決の基礎 には「裁判官の合理性」(末弘1952,118)や「人格性」への信頼

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があると言っている。すなわち、「裁判官の合理性が事実認定の限 界を与える。裁判官も人間である以上一面われわれと同様に不合理 的の方面をたくさんもっているに違いないけれども、同時に他面合 理性を多分にもっている。したがって、裁判官がその合理性によっ てくだした事実認定はわれわれの合理性に照らしても同じく妥当で あったように思われる」(末弘1952,103)。 裁判官も人間であるが、人間は「決して理智のみ規準にして働い ているのではなく、同情、歓喜、嘆美、感激、驚愕、憤怒、嫉妬、 その他無数の心の働きが、吾々を駆っていろいろなことをさせる」 (末弘1994,41)。よって、そういう裁判官である故に、「事件を 読過した際咄嗟に浮び出る」のは先ず「結論」である。裁判官は「人 間として、その人格全部の発露として、先ず「結論」を生む。しか る後にこれに理智の批判を加え、法治主義の要求に背かざらんこと を期待する」(末弘1994,43)。このように、我々と同じ人間とい うレベルでの裁判が行われているので、裁判への信頼も生まれてく るという。 このような末弘の「裁判官論」からフィールドワークを再考して みることも可能ではないか。すなわち、調査報告書の読者が調査者 と被調査者の「人格」や「合理性」を信頼することによって、調 査対象の「真実」が明らかになってくると考えられないであろう か。人間が人間を対象とした調査を行うならば、そこになにがしか の人為的要素が含まれてくるのは不可避であり、それをすべて除外 した調査を求めるということは、もはや社会現象の調査とは言えな い。そうであれば、その人為的要素の介入がすべて不合理なものと 考えるのではなく、末弘のように、合理的で妥当な、あるいは許容 範囲内のものとして考えることはできないであろうか。このような 視点も六本の指摘したフィールドワークの「困難な点」、特に①の「不 完全」さと②の「推論」の否定的評価を克服する一つの方策として 考えることもできよう。

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おわりに

今までの記述でわかるように、最近の法社会学のテキストで述べ られてきたフィールドワークの欠点は、実証主義的な方法論を前提 とした場合に指摘できる点であり、解釈学的・構築主義的な方法論 の立場からは欠点とは言えないのではないだろうか。さらに解釈学 的なフィールドワークは、末弘厳太郎の「三段論法批判」や「三つ 巴論」での事実認定方法と共通点があると考えられる。しかし、こ の事実認定方法は、「中国農村慣行調査」時の「覚書」で指摘して いた調査方法とは明らかに異なる。この差異は末弘の言葉を再度 引用すれば、「法律学と自然科学とは元來全く異なった学問」であ るという点によって説明されるのであろうか。つまり、「中国農村 慣行調査」では「自然科学的」な実証主義的な調査方法が提唱され、 法解釈に伴う事実認定方法はそうではないというように使い分けら れていたのであろうか。 しかし、既述のように、末弘は「中国農村慣行調査」では「記述」 することに主眼をおいていたように思われる。「調査」とこの「記述」 は厳密には同一の行為ではない。対象を調査した結果を記述するの であるが、調査方法と記述方法は異なろう。前者で「聞き取った」 事項(フィールドノーツ)を整理したうえで、文章として組み立て る作業が必要となるが、この「書くという行為それ自体によって現 地社会の人々が体験している意味の世界を追体験し共感的4 4 4 に理解す ることができた時にこそ、フィールドノーツの記録は、単なる表面 的な事実の記録だけではない、分厚い記述としての資格を兼ね備え たものになっていく」(佐藤 2002,215 傍点は林)と言うことができよう。 その際重要になってくるのが「共感」である。この「共感」は末弘 の「人間としての裁判官」論や戒能の「自己と調査対象の関連性」 とも通底するし、かつての先行研究においても言及されていた(8) この「共感」は調査対象を個々の要素に還元することによる理解 によって得られるのではなく、調査対象からの「全体として醸し

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出される雰囲気のエッセンス」(山田1996,7)を受け取ることに よって獲得されるものであり、「実感と感性のフィールド理解」(松 田2002、510)と言われるものに該当する。ここでは感性と知 識が一体となる「全的認識」が成立し、この「全的認識」によって 「生活感情の流れに身をまかせながら、違いをあるがままの状態に して、対象と交歓する」(松田2002、511)。このことによって、「わ かった」という実感も生まれるのではないか。 そうであれば、これは技巧をこらしたコミュニケーションや調査 項目によってではなく、相互の信頼関係を基礎とした「何気ない会 話や行為」のなかから、あるとき急に生じるものではないだろう か(9)。「何気ない会話や行為」を生みだすのに技巧は不要である。 「共感」や「わかった」という実感は、緻密な調査項目や技巧的 な調査手法を超えた次元で生じる可能性が高く、その意味ではそう いった知識や技術を有しない愚直なまでの「素朴さ」や「素人くさ さ」も必要となろう。そして、こういった「素朴さ」や「素人くさ さ」というのは、調査者の「全人格」や人間性によって顕されるも のである。 末弘が最後には「裁判官の人格」に依拠することによって裁判へ の信頼を得ようとしたように、フィールドにおいても調査者と被調 査者が相互の人格を信頼し合うところから、「わかった」という実 感がもたらされ、そのことが調査報告書や民族誌の読者にもそう いった実感を共有できる契機となるのではないだろうか。 (1) フィールドワークとは何かについては、本稿全体で答えることになる が、本文で引用する以外の文献での該当箇所を2,3紹介しておこう。 「フィールド・ワークの経験とは対話であり、たった一人の活動では ない。化学者は、非人間的化学的物質に一人で囲まれているが、調 査地の人類学者たちは他の人間に囲まれている。さらに人類学者が 地元民のことを考えようとするばかりでなく、地元民も人類学者の ことを考えようとしている。それゆえフィールド・ワークは、人間

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同士の一連のきわめて人間的な出会いとなる。」(シュルツ1993、 46) 「フィールドワークとは自分とは違う人々の生活を記述し、特徴づけ るための確固たる一つの方法ーしかも科学的方法ーでもあるのであ る。」(ピーコック 1993,134) (2) 「現代の社会科学は、生きている肉体的人間という生物学的事実から 出発します。人間は生物として生きていくためには、外界の自然に はたらきかけ衣食住の手段としてこれを支配していかねばなりませ ん。このような「自然的環境」と人間との関係は、…常に同時に人 間と人間との関係であります。」(川島1982,162 以下) 「このようにして、社会現象と呼ばれるものは、究極においては生 物学的な現象に還元することのできるものなのであります。」(川島 1982,164) (3) 見田宗介によれば、「「質的」データはまさに「質的」データとしての、 「量的」データはまさに「量的」データとしての、それぞれに固有4 4 4 4 4 4 4 の持ち味ないし利点を最大限に活かせるような仕方の結合4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4、いいか えれば多段式の分析4 4 4 4 4 4 」が望ましい。すなわち、「数量的なデータ」に よる共変関係を発見し、次に「質的データ」によってその共変関係 の内的な因果関係を説明する。そして最後に新しい数量的データに よって仮説を検証し、法則を確定するのである(見田1979、145) (4) 「フィールドワーカーは、その社会の中である一定の役割をとり、ま た、現場の人たちと何らかの形で関わっていく中で否応なく研究対 象となっている社会的世界の一部を構成することになるのであって、 決して中立的で距離をおいた観察者ではあり得ない」(エマーソン 1998、442)。同様な指摘はかつての私の指導教授であった畑穣 先生からもお聞きした記憶がある。かなり以前のことであり、私が 学部学生の時であるが、先生との会話のなかで、私が調査自体への 疑問を申し上げたことがあった。その時、先生は多分「北富士演習 場」関係の調査を念頭においてであったと思うが、「自らの立場をはっ きりさせないと、何も話してくれませんよ」と静かに且つ明確におっ

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しゃったことを、私は今でも鮮明に覚えている。 (5) 勿論、「程度」と「慣れ」の問題もある。回を重ねるうちに、対象者の「慣 れ」が生じることはあり、最終的にはほとんど存在を意識されなく なったということもあり得よう。村山も「観察を目的とする部外者 の存在が勤務中の警察官の態度に何らかの影響を与えたであろうこ とは否定し得ない。現場での観察中に感じたところによれば、筆者 の存在は、警察官に対し普段よりも勤勉な勤務態度を取るよう、また、 事案の処理においてより丁寧な態度をとるように影響したと考えら れる。しかし、このような影響は観察調査の特に最初の時期に限ら れていたように思われる。A・B 両署において、現場の警察官は自分 たちの仕事を外部の人間に隠す必要は必ずしも感じておらず、むし ろ、仕事の実態を広く部外者にも知ってほしいと望んでいるように 見えた。」(村山1990、106)と述べている。しかし、このことは調 査期間全体を考えると、調査者の存在の影響が全くないとは言い切 れないということでもある。よって、後述のように、むしろ調査者 の存在や影響があるということを前提にしてフィールドワークを考 えるほうが生産的ではなかろうか。 (6)そもそも「自然のもの」てはどういう状態なのかという問題もあるが、 この点については後述参照。 (7)この点に関してよく引用されるのが、宮本常一の「調査地被害」で ある。例えば、ある民俗学者が調査に来た時のことであるが、「その 学者に土地の人が「こういうことがないか」と聞かれて「ない」と 答えると大変不機嫌で「ないということはないはずだ。あったのが 消えたのかもわからないし、あなた自身が体験していないだけのこ とかもわからぬ」と叱るような調子でいわれたという。調査という のが、あたかも百姓が侍に叱られているような有様であった」(宮本 1986,114)と述べている。程度の差はあれ、このようなやり とりを経験したり、目撃したフィールドワーカーは今もいるのでは ないだろうか。 (8) 有賀喜左衛門も「しかし村の生活が他所者に開かれるとしても、そ

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れは容易にして開かれるものではなく、それは村の生活を理解し感 得しようと念願する人々の態度と学問的な方法とにまつものでなけ ればならない」(有賀1967,26)とし、「感得」という言葉で、理 知的な理解を超えた「共感」の必要性を指摘している。 (9) このような理解は会話のみから生じるのではない。例えば、熱帯生 態学者の山田勇によれば、「私の体験で言うと、私は、西ジャワのパ ングランゴ山という山を調査していた。…10年かかったが、わかっ たと思った瞬間がある。雨に濡れ、ビショビショになって木を測定 することを何度も繰り返した。その時はやけくそに木を測ることだ けが頭にあって、山全体のことなど、考える余裕もなかった。その後、 山の頂上まで上がって、またおりてきた。その瞬間であった。それ からは、スルスルと謎が解けるいくようにフィールドがわかった」(山 田1996,15)と記している。なお、筆者自身の「フィールドワー ク体験」の一端については、(林2013)の「あとがき」を参照し て頂きたい。 (参照文献) 足立2004:「常識的知識のフィールドワーク」好井裕明・三浦耕吉郎編『社 会学的フィールドワーク』(世界思想社 2004) 有賀1967:『有賀喜左衛門著作集Ⅲ 大家族制度と名子制度』(未来社  1967) エマーソン1998:エマーソン / R・フレッツ / L・ショウー(佐藤郁哉他訳) 『方法としてのフィールドノーツ』(新曜社 1998) 戒能1954: 「シンポジウム 調査の目的と方法」『法社会学』5号(1954) 川島1982: 川島武宜「法社会学序説(講義)」『川島武宜著作集 第二巻』(岩 波書店、1982) サイード1986:エドワード・W・サイード(今沢紀子訳)『オリエンタリズム』 (平凡社 1986) 桜井2002: 桜井厚「社会調査の困難ー問題の所在をめぐってー」『社会学評 論』53 巻 4 号(2002) 佐藤2002: 佐藤郁哉『フィールドワークの技法』(新曜社 2002)

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末弘1952: 末弘厳太郎「調査方針等に関する覚書」『中国農村慣行調査 第 1巻』(岩波書店 1952) 末弘1921: 末弘厳太郎『物権法上』(有斐閣 1921) 末弘1952:末弘厳太郎『法学入門』(日本評論社 1952) 末弘1994:末弘厳太郎(川島武宜編)『嘘の効用 下』(冨山房 1994) 菅原2006: 菅原和孝『フィールドワークへの挑戦』(世界思想社 2006) シュルツ1993:E・H・シュルツ /R・H・ラヴェンダ(秋野晃司他訳)『文 化人類学』(古今書院 1993) 似田貝1974:似田貝香門「社会調査の曲がり角ー住民調査後の覚え書き」 『UP』24(1974) 似田貝1977:「運動者の総括と研究者の主体(上・下)」『UP』55,56(1977) 中野1975a:中野卓「社会学的調査における非調査者との所謂『共同行為』 について」『未来』102(1977) 中野1975b:中野卓「社会学的調査の方法と調査者・被調査者との関係」『未 来』103(1975) 林2013:林研三『下北半島の法社会学』(法律文化社 2013) ピーコック1993:J.L.ピーコック(今福龍太訳)『人類学とは何か』(岩 波書店 1993) フット2009:ダニエル。フット「審議会の参与観察」ダニエル・H・フッ ト他編『法社会学の新世代』(有斐閣 2009) 藤本2004: 「社会調査の技法」和田仁孝他編『法と社会へのアプローチ』(日 本評論社 2004) 福島1993: 福島正夫「東亜研究所第六委員会と中国慣行調査」『福島正夫著 作集 第七巻』(勁草書房 1993) 松田2002: 松田素二「フィールド調査法の窮状を超えて」『社会学評論』53 巻 4 号(2002) 見田1965: 見田宗介『現代日本の精神構造』(弘文堂 1965) 見田1979: 見田宗介『現代社会の社会意識』(弘文堂 1979) 宮本1985: 宮本常一「女の世間」宮本常一『忘れられた日本人』(岩波書店  1985) 宮本1986: 宮 本 常 一「 調 査 地 被 害 」『 宮 本 常 一 著 作 集 3 1』( 未 来 社  1986) 村山1990:村山眞雄『警邏警察の研究』(成文堂 1990) 村山2009: 村山眞雄「経験的社会科学としての法社会学」ダニエル・H・フッ ト他編『法社会学の新世代』(有斐閣 2009) 六本1986: 六本佳平『法社会学』(有斐閣 1986) 好井2004: 好井裕明「「調査するわたし」というテーマ」好井裕明・三浦耕 吉郎編『社会学的フィールドワーク』(世界思想社 2004) 山田1996:山田勇編『フィールドワーク最前線』(弘文堂 1996) 渡辺1959: 渡辺洋三『法社会学と法解釈学』(岩波書店 1959) 和田1994:和田安弘『法と紛争の社会学』(世界思想社 1994)

参照

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