• 検索結果がありません。

オーストラリアの新しい対日観光政策 : 「黄金時代」の終焉?と新戦略の検討(傳田功教授退官記念論文集)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "オーストラリアの新しい対日観光政策 : 「黄金時代」の終焉?と新戦略の検討(傳田功教授退官記念論文集)"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

オーストラリアの新しい対日観光政策

「黄金時代」の終焉?と新戦略の検討一

応  山  嘉  博

1 オーストラリアの対日輸出晶構成の近年の変化

  一壷輸出からサービス輸出へ一

 西オーストラリアのハマズリー地区(Hamersley Range)における大規模良 質の鉄鉱石鉱床・の発見に伴い,オーストラリア政府は1960年12月,国内消費優 先のため1938年7月以来続けてきた鉄鉱石輸出禁止措置を解除した。これを契 機として日豪貿易は急進展をとげ,これを基軸に日除経済関係は急速に緊密の 度を高めた。その結果,両国経済は相互に相手国経済に組み込まれ,相互の経 済成長にとって相手国経済が不可欠となるほどにまで相互依存は高度化,深化        1) をとげ,今日に至っている。  すなわち,ユ960年半後半に始まる鉄鉱石に代表されるオーストラリアの対日 鉱物輸出は,日本の第1次高度経済成長下の鉄鉱石をはじめとする鉱物需要の 急増と符合して,両国経済成長の加速的推進者となった。1970年代に,オース トラリアの対日鉱物輸出は伝統的農牧畜産品輸出を追い抜き,オーストラリア の雇用と所得の:増大に大きく貢献した。オーストラリアの輸出先として日本は, 1966−67年にイギリスを抜いて第1位となり,資源貿易の絶頂期である1976− 77年には全輸出の34.0%を占めるに至り(第2位のアメリカは8.7%),以後現 在に至るまで一貫して,ガリバー型カストマーの地位と役割を維持してきてい 1)日豪経済の相互依存の実態と問題点については,つぎに詳しい。遠山嘉博「日豪相互経 済政策の展開と課題」「オーストラリア研究紀要』第6号,追手門学院大学オーストラリア 研究所,1980年12月,とくに11−22ページ。

(2)

2︶ る。  しかしながら,オーストラリアの対日輸出品の構成,より正確には対日外貨 旧邸産業の構成が近年大きく変化していることに注意しなければならない。 1960年代後半から1970年代にかけての石炭,鉄鉱石,ボーキサイトまたはアル ミナを3大品目とする鉱物輸出は,1978年の石油危機以後急速に進んでいる日 本経済の脱工業化,サービス経済化の結果,農産物の対日輸出ともども,1990 年代においてもなお重要ではあるとしても,その大きな拡大を引き続き期待す ることは困難とみられる段階に到達し,それに代わってサービス輸出が重要と        3) なる新たな段階に入ったのである。農鉱に代表されるオーストラリアの伝統的 輸出産業に代わって,観光を筆頭に教育,金融,医療,種々のコンサルティン グ・サービスなどの諸サービスが,新しい輸出産業,新しい外貨稼得産業とし て重要性を増しつつある。こうした日豪経済関係における変化の胎動は,1980 年忌後半にすでに始まっており,筆者はこれを1990年代の新局面と位置づけ, 従来の「商品貿易とその関連投資」に加えて,それとは全く異質の「サービス 貿易とその関連投資」が,酒豪経済関係における新たな主役として登場してき          4) たものととらえている。  サービス貿易のなかでも,観光はとくに重要である。そして観光のなかでも, 対日観光がとくに重要である。1980年代後半以降,日本人のオーストラリア観 光需要の増大,オーストラリアの観光サービス供給能力増大のための日本の対 2)輸入についてもまた,1973−74年に17.8%を占めてイギリスを追い抜き,第2位の相手 国となった(第1位のアメリカは22.2%)。以後一貫して現在まで,アメリカと並ぶ2大供 織縞となっている。 3)筆者が計画した1991年7−8月の追手門学院大学オーストラリア研究所とクイーンズラ ンド大学経済学科との共同研究において,同学科長のクレム・テKスデル教授も同様の認 識を示している。cf. Clem A. Tisdell,“Aspects of Japan−Australia Economic Relations in the 1990s:Especially Trade in Services,”遠山i嘉博,クレム・ティスデル編『1990年 置の日豪経済関係の研究』追手門学院大学オーストラリア研究所,1991年,12−19ページ。 4)遠山嘉博「オーストラリアおよびクイーンズランドにおける日本の観光客と観光投資」 遠山編,前掲書,およびYoshihiro T6yama,“Japanese Tourism and Tourism Invest− ment in Australia and Queensland,” Otemon Economic Studies, No. 24, 1991.

(3)

豪不動産投資および観光投資の増大が著しい。しかしながら,オーストラリア にとって深刻なことに,わが国におけるバブルの崩壊により,日本の丁丁投資 は急速に衰退しつつある。それのみならず,日本人訪豪観光客についても,そ の黄金時代の終焉を予兆するかのごとき変調が進行しつつある。以下では,ま ず,オーストラリア経済にとっての国際観光の重要1生を明らかにし,ついで, 日本人観光客の実態を分析し,さらに,オーストラリア側における危機意識と 新戦略への取り組みを検討し,今後の展望を行いたい。 II 国際観光の経済的重要性  農牧畜産物や鉱物などオーストラリアの伝統的輸出産品の価格と量の両面に おける伸び鈍化の予想,製造業振興政策にもかかわらずその相対的低迷による 拡大と輸出の両面における低い伸びなどから,観光の経済的重要性が大きく高 まってきている。観光需要は,オーストラリアの国内観光についても国際観光 についても,富裕度の一般的向上,労働時間の短縮と退職の早期化によるレジ ャー・タイムの増大,耐久消費財丁丁の飽和状態化,旅行者が利用する施設と サービスの質の改善などにより,これまで拡大し続けてきたし,将来も成長産 業としての潜在力をもつものと期待されている。オーストラリア経済にとって の観光,とくに国際観光の重要性をみると,以下のごとくである。  1 経済成長の牽引車  観光は広範な諸活動と結びついている。主なものとして,旅行,宿泊,食事, 歓待(hospitality),小売り,会合や会議などの諸部門がある。これらは成長性 豊かな領域であり,観光開発プロジェクトへの投資の魅力的機会を提供し,労       5) 働の大きな雇い手となるものと,オーストラリアのすべての政府はみている。  (1)雇用と所得の増大への貢献  産業経済局(Bureau of Industry Economics)の1984年の報告書は,オース トラリア経済にとっての観光の重要性に注目し,それはオーストラリアのGDP の4、8%,雇用の5.2%(繊維,衣服,はきもの,自動車の労働力人口の合計, 5) Year Boole Australia 1986, p. 687.

(4)

      6) または鉱業労働力人口に等しい)を占めるものと推計した。1988−89年にはそ の比率はさらに高まり,GDPの5.4%を生み出し,約44万8千の仕事を提供した が,これは全労働力人口の6%近くに相当する。1980年代を通してみると,観       7) 光は10万以上の新しい仕事を生み出したのである。  これらの比率は,サンシャイン・ステートのニックネームによって観光州と してのイメージと地位の確立に成功したクイーンズランドでは,さらに高くな る。同州では,同じ1988−89年に観光は40億ドルの収入をもたらしたが,これ は州GDPの9.2%に相当する。また,11万6千の仕事を提供し,州労働人口の        8) 9.2%を占めている。クイーンズランドにおける観光の経済的貢献度は,オース トラリア全:体のそれに比して,GDPで1.7倍,雇用では1.5倍以上となる。  観光は,たとえばツァー・オペレーター,宿泊施設,テーマ・パークやアト ラクション,エンターテインメントや美術品の集中する場所,博物館や史跡, レストラン,旅行代理店,および土産物小売店などによって提供される広範な 財およびサービスへの消費需要を生み出し,雇用機会の増大をもたらす。観光 はまた,観光客による直接の料金支払いがなくとも,連邦政府,州政府および 地方政府による各種のサービス需要を生み出す。たとえば道路,空港,港,鉄 道,国立公園,観光促進や移民や税関などの諸サービス,インフォメーション ・サービス,大量のレクリエーション施設の充実等々がある。さらに,広い意 味で観光は,観光客へ直接食事を提供する産業,観光に利用される耐久消費財 を生産する産業,たとえば自動車やレクリエーション施設などの諸産業への投        9) 入物を供給する経済活動を誘発する効果がある。  観光の雇用増大活動は,量,質の両面で注目されなければならない。量的に は,観光は平均的産業以上に労働集約的産業である。質的には,未熟練または 半熟練労働者など,さもなければ失業しやすい一定のグループへの雇用の提供 6) lbid., p.686. 7) Year Book Aztstralia 1991, p. 378. 8) eueensland Year Boole 1991, pp. 148−49. 9) Year Boole Australia 1991, p. 378.

(5)

や,通常の労働時間では労働することができない,または労働を選ばない婦人 やパートタイム労働者への雇用機会の提供があるのである。  (2)投資の増大  上述の観光の広範な需要誘発作用は,それらの産業における財およびサービ スの供給増大のための投資を,当然のことながら誘発することになる。直接的 には,ホテルの建設,レストランや土産物店の建設,ゴルフ場などのレジャー 施設や娯楽設備の整備などの投資のほか,間接的には,空港や道路などインフ ラ設備の充実,国立公園の整備や観光教育・訓練施設の充実のための投資をは じめ,広範かつ巨額の投資需要を生むことになる。それは,オーストラリアへ の外貨の流入を促進し,オーストラリアの経済活動の活発化に貢献するところ 大であったし,今後もそうあり続けるものと期待されている。  2 新しい輸出産業  国際観光をオーストラリアの輸出産業,外貨稼得産業としてみた場合,その 経済的重要性はいっそう際立ったものとなる。  (1)国内観光を上回る伸び  オーストラリアの観光を産業としてみた場合,需要の大宗はなお国内観光で あるけれども,国際観光市場の急速な拡大を反映して,国内観光の比重の低下, 国際観光の重要性の増大が近年顕著化してきている。すなわち,1985年には, 観光客の全宿泊数の87%は国内部門に生じたが,1988年以降,その比率は80%       10) に低下している。しかも,観光客の支出(1989−90年)では,国内観光は74%        11) であるのに対して,国際観光は26%を占めているのである。  国内旅行市場は,1984−85年から1988−89年の間,相対的に停滞していたが, 1989−90年に旅行者数は,前年比9%の伸びを示した。一方,国際訪豪者数は, 1984年から1988年の224万9千人まで,毎年25%の大幅な増加を示したが,1989 年には,Expo 88および200年祭の終了と1989年末の国内航空ストのマイナス効 10) Bureau of Tourism Research, Australian Toun’sm Trends 1991, Canberra: BTR,  1991, p. 1. 11) lbid., p.2.

(6)

果のために,208万人に減少した。しかし,1990年には221万5千人と回復し,        12) 今後とも堅調な伸びが期待されている。  1989−90年の観光による総支出額は237億ドルで,うち173億ドル(73.0%)        13) は国内観光,64億ドル(27.0%)は国際観光によるものであった。この国内観 光支出は122億ドルの所得(要素費用GDPの3.8%)と約32万5千の仕事(オー ストラリアの全雇用の約4%)をもたらしたが,国際観光支出は約46.5億ドル の所得(GDPの1.5%)と12万の仕事(フルタイムおよびパートタイム)(総雇       14) 用の1.6%)をもたらした。  以上により,国際観光部門は国内観光部門に比して,観光客の絶対数ではな お小さいものの,脚数の伸び率や観光客1人当たり支出の大きさ,GDPや雇用 への相対的貢献度においてはいずれも大きく上回っていることが明らかである。  (2)効率的かつ最大の外貨稼得産業  国際観光はオーストラリアの伝統的輸出産業と比較した場合,その外貨稼得 能力はきわめて大きく,かなり効率的な輸出産業とみなすことができる。観光 調査局(BTR)の推計によれば,1986−87年に1人の平均的観光客がもたらし た外貨の大きさは,6トンの砂糖,8トンのアルミナ,10トンの小麦,2アトン        15) の石炭,または64トンの鉄鉱石に相当するとされている。その後の伝統的輸出 商品の国際市況の低迷,観光客1人当たり支出の増大を考慮すれば,観光客1 人当たりの外貨稼得能力はさらに向上しているものと思われる。また,1987年 当時の連邦観光大臣ジョン・ブラウン(John Brown)の推計によれば,1人の 日本人観光客はオーストラリアに5−6日滞在し,平均1,400ドルを支出した が,これは59トンの鉄鉱石,10トンの石炭,10トンの小麦,またはアトンのア        16) ルミナの輸出に等しいとされている。これとBTRの推計との差は,日本人観光 客は他国からの観光客,とくに欧米人に比べて,1日1人当たり支出額では最 12) Year Boole Australia 1992, pp. 385−86. 13) lbid., p.385. 14) BTR, oP. cit,, p, 2. 15) BTR, Tourism UPdate, Vol. 1, No. 1, March 1988, p. 2. 16) “Brown Hails Japan,” in The West Aztstralian, November 19, 1987, p. 14.

(7)

高であるものの,滞在日数がはるかに短いことによるものと思われる。  こうして国際観光は,1988−89年には,オーストラリアの外貨稼得者として は羊毛を追い抜いてトップとなった。観光と羊毛などの巨大輸出産業との外貨 稼得額を比較すると,観光の62億ドルに対して,羊毛は59億ドル,石炭は47億 ドル,肉は22億ドル,アルミナは22億ドル,小麦は21憶ドル,鉄鉱石は18億ド    17) ルである。  1989−90年には,国際観光による外貨収入は約64億ドルであり,1990−91年 のそれは14.1%増の73億ドルに達するものとみられている。これは,オースト ラリアの総経常勘定黒字のじつに10%に当たる。この増加は,訪豪者数の増加        18) および1人当たり支出額の増加によるものである。  (3)政府の観光重視姿勢の高まり  以上のところがら,オーストラリア政府の観光に対する認識にも,ここ10年 ほどの間に大きな変化がみられる。たとえば,『オーストラリア年鑑』によって それをみると,1980年代初期には,観光は産業としてはほとんど注目されてお らず,観光にさかれている紙数もきわめて少なかった。ちなみに,1982年の年        19) ’ 鑑では,わずか3ページを当てているにすぎない。ところが,国際観光客,と くに日本人観光客の増加の胎動下に観光が経済的,社会的に重要な産業として 認識され始めた1986年には,観光の:重要産業としての登場(emergence of tour・ ism as a major industry)に注目し,「観光は今や,それ自身の価値によって       20) 政府の政策的関心事となる産業,領域として完全に認知されている」として, 観光に10ページをさいている。さらに,日本人観光客の黄金時代を謳歌した1991 年には,「観光はオーストラリア最大の,そして最もダイナミックな産業の一つ である。近年,観光は空前の成長をとげ,国の経済発展に大きな貢献をなして きた。それは,オーストラリアの将来の繁栄の確保に重要な役割を果たす可能 17) Department of Arts, Sport, the Environment, Tourism and Territories, Tozan’sm  ShopPing in the Ninties, Australian Government Publishing Service, June 1990, p. 84. 18) Year Boole Australia 1992, p. 385. 19) Year Boofe Australia 1982, pp. 701−03. 20) Year Book Australia 1986, p. 686.

(8)

性をもつ重要にして高度な産業(a prominent and sophisticated indusutry)   21) である」として,観光の経済的な重要性と将来性に大きく注目している。さら        22) に,最新の1992年版では,観光をはじめて章として独立させているが,これは 連邦政府が観光を,産業としていかに重要視するに至ったかの証左であるとい えよう。  観光の経済的役割に対する政府の認識のこのような変化は,当然に,観光に 対する政府の政策的取り組みの変化に導いた。オーストラリアでは1967年に, オーストラリア観光委員会(Australian Tourist Colnmission)が設立された が,1980年代に入ると観光省は,観光業界,連邦および州の各省と連携して, オーストラリアの観光の効率的発展を促進する諸活動に取り組み始めた。1981 年4月に,最初の全国観光事業展望会議(National Tourism Outlook Confer−       23) ence)を開き,1984年にも開催することにした。この種の会議や委貝会は,そ の後の年鑑をみると,年々数が増えていることがわかる。  こうした政府の観光重視姿勢の高まりにおいて特筆すべきは,従来からある 単なる観光客誘致のためのPR機関とは別に,観光専門の調査研究機関として, 1987年に観光調査局(Bureau of Tourism Research)を設立したことである。 これは連邦政府と州政府との2対1の出資に成り,「観光事業の効率的発展のた       24) めに必要な統計的,分析的支援:を政府および観光会社に提供すること」を目的 とするものである。また州レベルでも,一例として観光州のクイーンズランド では,1979年に,クイーンズランド観光・旅行公社(Queensland Tourism and Travel Corporation)を設立している。これは,「観光インフラストラクチャ ー,目的地および統合された産物の創造の促進により,クイーンズランドを太        25) 平洋観光の先導者に位置づけること」を目標として,観光関係の統計的分析と 資料提供を行い,観光の発展に重要な貢献をなしている。これらの動きは,連 21) Year Book Australia 1991, p. 378. 22) Year Booh Azastragia 1992, Chapter 13 Tourism, pp.383−396. 23) Year Boole Australia 1982, p. 701. 24) e.g., BTR, Australian Toun’sm Trends 1990, 1990, p. 4. 25) Queensland Year Book 1991, p. 148.

(9)

邦および州政府が,観光を将来性豊かな成長産業として,また重要な外貨稼得 産業としていかに重視しているかのあらわれとみることができる。 III 日本人観光客の黄金時代の終焉?  1980年代後半に始まる日本人オーストラリア観光客の急増は,日豪経済関係 の歴史のなかでみると,1960年代後半以降の日三間の鉱物需給の一致に匹敵す る画期的事象であると筆者は考えている。日本側における国民所得水準の向上, 余暇志向・海外旅行志向の高まり,自由時間の増大,国際収支対策の一環とし ての政府の積極的支援などによる日本人海外旅行ブームとそこにおけるオース トラリア観光需要の急増,オーストラリア側におけるホテルやレストランや娯 楽施設や道路など観光のハード面と,観光従業員教育や日本語教育や航空便・ 空港能力など観光のソフト面との両面における充実努力による観光サービス供 給能力の量的増大と質的向上は,観光という名のサービスの輸出入を通して, 1960年代後半以降の鉱物資源の輸出入による日豪蜜月時代を再現せるものと位 置づけることができる。  ところが,1990年代に入るや,1990年1月4日以降の株価急落に象徴される 日本におけるバブル経済の崩壊,一般的消費需要の減退にやや遅れてやってき た海外旅行需要の減退などから,この第2の蜜月時代にも変調が生じ,前途に 暗雲が垂れ込め始めたとの危惧が生じてきている。最近のオーストラリアの観 光調査局の報告書『オーストラリアにおける日本人観光客・第2部一一変わり つつある市場  』は,この変調をいち早く察知し,「これまで莫大な利益と目 覚ましい年々の成長をもたらしてきた日本人観光客によるオーストラリアの 『黄金時代』(Australia’s‘golden age’for Japanese tourism)は終焉に近づ         26) いたのかもしれない」と,暗い見通しを示している。BTRのこの危惧は,来た るべき変化の正しい予測となるのか,それとも単なる杞憂にすぎないのであろ うか。 26) Bureau of Tourism Research, faPanese Tourism in A ustralia, Part 2 : The Shzfting  Marleet,1993, p. L(以下Pαrt 2と略記する)。

(10)

         第1表 日本人オーストラリア旅行者数 年 日本人訪豪者数 増加率(%) 日本人海外旅行者 フ対前年増加率(%〉 1985 107,590 22.0 6.2 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 145,608 216,500 355,200 349,500 479,900 528,500 629,900 35.3 47.9 63.4 −O.8 37.3 10.1 19.2

[﹂847830﹂

−つ﹂340﹂30

12211  1

(出所) 『観光白書』(各年版)より作成。  1 近年の日本人観光客数の推移       27)  日本人訪豪者は1980年代後半より急増したが,近年その勢いは鈍っている(第 1表)。  経年的にみると,1988年には200年祭やExpoなどのプラス効果による大幅な 増加がみられた。1989年には,パイロットのストライキによる減少があった。 1990年には,その反動による大幅な増加がみられた。1991年には,日本のバブ ル崩壊の影響がみられ,微増にとどまった。1992年の増加率は前年のそれの2 倍近くになったが,それにもかかわらずBTRが暗い見通しを示した理由とし        28) て,1992年後半(ピーク・シーズン)における増加率の著しい鈍化がある(第 1図)。そのほかにも,変調の予兆として,つぎを指摘しうる。まず,日本人海 外旅行者の対前年比伸び率に比べて訪豪者のそれは,これまで2,3倍の大き さであったが,1992年には,その差は2倍以下に縮小している(第1表)。ま た,日本人海外旅行者を旅行先別にみると,1980年代後半にオーストラリアは, 1989年以外はつねに全世界で第1位の伸び率を示していたが,1990年代に入る 27)海外旅行老を目的別にみると,82−84%が観光であり,この数字は長年安定している。  したがって,訪豪者数を訪豪観光客数とみることに,さしたる支障はないものと考える。 28)湾岸危機に直面して,オーストラリアは「安全な旅行先」(“safe destination”)として  売り込まれた結果の1991年の激増の反動として,前年から予想されていたことであったが  (of. Bureau of Tourism Research, laPanese Toun’sm in Azestvalia : Marfeet Segmenta−  tion :AKey to A[ew()PPortzanity,1992, p. 11)(以下Part 1と略訳する)。

(11)

オーストラリアの新しい対日観光政策 120 00

@80 60 40 20 0 20

1      一 対前年同月比変化率︵%︶ 第1図 日本人訪豪者の伸び 1988 1989 1990 1991 1992 (出所)Bureau of Tourism Research, Japanese Tourism in Australia. Part 2 : The Shtfting Market, 1993, p. 16.      第2表 日本人訪豪者の内訳け 1990年 1991年 部  門 人 数

比率

全体に占める @  (%) 人 数 全体に占める范ヲ(%) 増加率 休   暇 394,856 86 459,674 90 十16 業   務 28,351 6 23,571 5 一17 反復旅行者 96,154 21 96,544 19 0 初回旅行者 335,001 73 390,694 76 十17 老 齢 者 42,694 9 62,732 12 十47 新婚旅行者 100,403 22 124,381 24 十24 学   生 47,531 10 41,978 8 一12 団体旅行者 275,422 60 348,842 68 十27 単独旅行者 89,236 19 59,195 12 一34 O   L 44,565 10 76,301 15 十71 計 459,616 100 510,809 100 十11 (注)1)国際訪問者調査の数字は,15歳以上の者だけを対象としている。   2)回答者は一つ以上の部門に含まれる場合があるので,数字の合計は総数と一致しな   い。 (出所)Bureau of Tourism Research, fapanese 7b%廊〃z in Azestralia, Part 2,1993, p.18,  Table 1。11より作成。

(12)

と91年,92年と連続して中国の後塵を拝している。その結果,絶対数でも,1990 年に中国を上回った後,91年,92年は逆転されて下回っている。  これらのことは,オーストラリアの人気が一段落したこと,オーストラリア 観光は成熟期に入ったことの予兆とみることもできよう。事実,日本交通公社 では,「オーストラリアはここ数年の勢いがなくなってきたので,てこ入れする     29) 必要がある」としている。とはいえ,オーストラリアにとって日本入観光客は, 国別ではここ3年連続トップを占めるドル箱であることには変わりはない。そ れだけにオーストラリアとしては,日本人観光客の動向のわずかの変調にもき わめて神経質になっていることがうかがえるのである。  2 市場部門別の変化        30)  日本人観光客をタイプ別にみると,1991年に各市場でつぎのような変化がみ られた(第2表参照)。  (1)初回訪問者  初回訪問者は日本人訪豪者全体と比べて特別の違いはないとして,報告書は 詳細な分析の対象外としている。1991年にオーストラリアをはじめて訪れた日 本人は,滞書中に平均1,277ドルを支出したが,これは前年比17%減であった。 彼らの過半数は30歳未満で,3分の1は事務職であった。半数が6泊以下の滞 在であり,平均では7泊となるが,これは前年の11泊と比べてかなり短くなっ ている。        31)  (2)反復訪門者  ビジネス旅行者を除くと,日本人旅行者の5人に1人は,以前にオーストラ リアを訪問したことのある反復旅行者である。1991年に,日本人リピーターの 数は増えなかった。とはいえ,日本人の5人に1人ということは,年間約10万 29) 『日本経済新聞』1993年9月24日。 30)日本人観光客の市場部門別の分析は,1992年の報告書(Partエ)ではじめてなされ,10の  主要市場部門を類別している。1993年目報告書(Part 2)では,単なる統計資料だけでな  く,インタビューも付加して,最新の日本人観光客像を浮き彫りにするよう努めたという。  cf. BTR, Part 1, p. 8. 31) BTR, Part 2, pp.23−34.

(13)

人の旅行者であることを意味している。  1991年にリピーターは,性別では女性,年齢層では30歳台で,大きな伸びを 示した。これは,1990年の40歳台での最大の伸びよりも若干若くなっている。 職業別では,同じく前年比で,管理職の比重低下(全体の37%から16%へ)と 事務職の伸び(20%から38%へ)が目立つ。これは,1991年のリピート部門に おける若い女性のシェアの大きいこと(54%)を反映し,また,1990年のバブ ル景気下の男性管理職の著しい増大と明確な対照をなしているものと思われる。  リピーターはオーストラリアの1ヵ所に,一つの州に,行き先を絞る傾向が ある。彼らは買い物よりも,スポーツ,国立公園,日帰りツァーなどにより大 きな関心がある。彼らの行動調査では,①動物園や野生生物禁漁区,②植物園 や国立公園,③水泳やサーフィング等の比率が高い。1991年には前年比でゴル フの人気が落ちたが,これはバブル崩壊による企業収益悪化の影響によるもの       32) であろうと報告書はみている。オーストラリアでの支出は平均で1,429ドルで, 日本人全体の平均よりも8%ほど多い。リピーターの5人に1人は10泊以上の 長期滞在者であり,そのほとんどは単独旅行者〔後述(8)を参照〕であった。  (3)業務旅行者  ビジネスによる旅行者は日本人訪豪者の5%以下にすぎず,このシェアは 1990年代に入って低下してきている。それ,は,日豪両国の経済成長の停滞のた め,日本企業が①旅行費の大幅な削減,②ファーストクラス利用禁止の一般化, ③旅行および宿泊の日数と等級の切り詰め,を行っているからであると報告書 は分析している。1991年に彼らは平均5−6泊したが,これは日本人の平均よ     33) りやや短い。  (4)老齢者  老人観光客というのは55才以上の熟年層や退職者で,その3分の2は男性で ある(ここ数年間不変)。彼らは1991年に63,000人を数え,前年比5%の増加を 32) lbid., p.28. 33) lbid., pp. 35−36.

(14)

      34) 示し,日本人訪豪者に占める比率も前年の9%から12%へと上昇した。彼らは 富裕であり,景気後退の影響を他の市場部門ほどには受けないものと思われる。  彼らのほとんどは一つの州だけ,とくにニュー・サウス・ウェールズ州だけ を訪問する(第2位はクイーンズランド州)。平均滞在日数は他の部門に比べて きわめて短く,日本人平均の3分の2の長さである。ちなみに,彼らの40%で は,3日以下であった。これを反映して,彼らの平均支出額も957ドルと,日本 人平均をかなり下回っている。しかしながら,日本における会社人間退職時の 海外旅行願望の強さ,老齢人口の急ピッチの増加などから,オーストラリアで       35) はこの市場も重視していることが明らかである。  なお,1991年の注目すべき傾向として,パッケージの一部にニュージーラン ドを含むようになったことがあげられる。  (5)新婚旅行者        36)  日本人観光客の4人に1人は新婚旅行者である。この比率は1990年には22% であったが,1991年には24%に上昇した。この間の人数の増加は,24%と大き かった。これは,1991年の湾岸戦争危機による「安全な」旅行先(‘safe’destina− tion)へのシフトが好影響を及ぼしたものと報告書はみている。  新婚旅行者は,すべての市場部門中黒も高値のパッケージを選び(1991年は 4,101ドル),オーストラリアでの平均支出額も1,265ドルと高いが,1990年の 1,468ドルと比べると大きく下落した。これは,買い物への支出減が主因であ る。彼らの滞在日数は6−7日であり,これを超えることも,これより短くな ることもなさそうであるとみられている。  1993年には皇太子御成婚によるあやかD結婚のラッシュによる利益がオース トラリアに期待されるものの,この部門は長期低落市場とみられている。理由 34)オーストラリアの国際訪問者調査の数字。日本交通公社の数字は10%で,若干異なる  (lbid. p. 37). 35) lbid., pp.37−44. 36)1991年に,日本の新婚旅行組の80%が海外へ旅行し,そのうち26%がオーストラリアま  たはニュージーランドへ行き,19%がハワイへ,そして13%がヨーロッパへ行った。オー  ストラリアは長年僅差で2位にいたが,1991年にハワイから首位を奪った(lbid., p.45)。

(15)

         37) は以下のとおりである。  ・日本の人口構成からみて,新婚部門の成長は静止または低下する結果にな   るであろう。  ・新婚旅行を海外に決める新婚組の比率は,基本的に飽和点に達している。  ・パリ(ロマンティック)やカリブ海(異国情緒の海)といった新婚旅行先   の新しい波が始まっている。  ・日本の市場はあきっぼく,同じ行き先はいやになる。  ・日本国内での新婚旅行がトレンディーになるかもしれない。  ⑥ 学生  学生は,日本人訪豪者の8%に達している。女子学生が多く,増加中である。 オーストラリアでの平均滞在日数は,5泊程度の短期と2週間以上の長期とに 2分しているが,平均では22日であり,日本人の平均よりずっと長い(しかし, 1991年の数字は若干短縮されたものである)。したがって,食物や宿泊への支出 も1,479ドルと,最多支出市場の一角を構成している。日本の就職難は大学生に 大きく影響するであろうが,高校生にはあまり影響しないと報告書はみている。  安全は,学生にとってキーワードである。若い学生市場は大支出部門とはみ られていないが,短期間のうちにリピーターとなる可能性は最も高い。女子学 生は卒業旅行,OL市場,新婚市場で,平均8年の間に3回りピートするものと       38) 期待されている。  (7)団体旅行者  1991年に,日本人訪豪者の68%は団体旅行客であり,35万人を数えた。節約 型のパッケージのために,平均滞在日数は5泊と短く,5−7泊がほとんどで あるが,パッケージ価格の引き下げにより,短縮する傾向にある。この市場で は,コスト引き下げと「値段だけの値打ち」(value for money)志向のために, 37) lbid., pp. 4 and 45−47. 38)Ibid., pp.56 and 63.筆者はすでに先の論文で,学生のリピートの可能性について注目  すべきことを,その無視に対して批判的に指摘している。遠山編,前掲書,58−59ページ。  And also, Yoshihiro TOyama, oP. cit., p. 33.

(16)

1級ブランドのパッケージは減っている。ただし,すべて込みのパッケージ (inclusive package)の価格は3,500ドルと,なお比較的高い。1991年の平均支        39) 出額は1,151ドルで,約4億300万ドルをオーストラリアにもたらした。  (8)単独旅行者  すべて込みのパッケージで来る団体旅行客の対極にあるのが,完全独自型旅 行者(fuUy independent traveller−FIT)である。彼らは1991年の日本人訪豪 者の12%を占めたが,1990年比では急減した。すべて込みのパッケージの団体 旅行者の比率は,日本交通公社では減少するものとみていたから,これは予想 に反することであった。団体旅行者の比率は,1990年の60%から1991年には68 %へと上昇したが,その分個人旅行者が減ったことになる。これは,①パッケ ージ価格の引き下げ,②「最少限度型」旅行(‘skelton type’tour)の価格上 昇,③湾岸戦争による不安,④旅行業者の団体旅行市場への努力の傾注,など      40) の結果である。しかしまた,出国日本人のFITの総数はほとんど変化がなかっ たから,オーストラ)Jアは1991年のFITのシェアを他国に奪われたともいえ 41) る。  FITの3分の1以上は15−24歳の年齢層に属し, FITの約半数はリピーター である。また,学生がかなりの部分を占めている。彼らの行動範囲は広く,西 部傾向が強い。1991年にビクトリアは,日本人旅行者の減少にもかかわらず, FIT市場でのシェアを伸ばした。彼らは平均的な日本人旅行者に比べて,南オ ーストラリア,西オーストラリア,北部準州への訪問度が強い。逆に,ニュー ・サウス・ウェールズへの訪問度はずっと弱く,クイーンズランドへの訪問度 はいく分弱い。1人当たり平均支出額は2,348ドルで,全市場部門中最高を示し ている(ただし,1990年目2,565ドルよりは減っており,宿泊数の減少を映して いる)。買い物にではなく,エンターテインメントにより多く支出する傾向が強 42) い。平均滞在日数は27日で,全部門中最も長い。 39) BTR, Part ll,pp.64−65. 40) lbid., p.65. 41) lbid., p.79. 42) lbid., pp. 81 and 84−85.

(17)

 (9) OL  1991年の訪豪日本人の15%はOしであり,前年の10%から大きく伸びた。若 い,独身の,働く女性から成り,高彫判型,旅行好きという特徴をもっている。 しかし,彼女らの給与水準は高くないから,「値段分の値打ち」への志向性が強 い。安価な,しかし,コスト比では値打ちがあり,質の良いパッケージを求め る。彼女らの90%はすべて込みのパッケージを利用したが,その平均値は2,555 ドルで,全部門中最も安い。1991年のオーストラリア滞在中の平均支出額は 1,118ドルで,前年の841ドルから大幅に増加した。その主な理由は,買い物へ の支出が前年の626ドルから834ドルに増えたことによる。日本の旅行業上間で は,経済の沈滞状況からみて,1993年にOL市場の成長は制約されるとみられて いる。また,Oしのブランド志向は死んだから,彼女らの消費様式は変りつつあ       43) ると,報告書は悲観的にみている。 IV 対日観光政策の再構築  BTRの1993年の報告書は,前節でみたように,1991年における日本人観光客 の動向の変化から,1980年代後半以来の黄金時代は終わったかもしれないと, 悲観色の強い見通しを示している。そして,黄金時代をさらに延長し,日本人 観光客によるオーストラリア経済の成長と外貨の獲得を今後も維持,継続せし めるためには,新しい観光政策と観光戦略が必要であるとして,つぎのような 具体的諸方策を提言している。  1 全般的政策  日本の旅行代理店が顧客にオーストラリアを売り込んだり,顧客がオースト ラリア観光に興味をかきたてたりするうえで,市場像(market image)に関し て三つの基本的な問題がある。この聞題を改善し,オーストラリアの市場像を さらに広げれば,日本人観光客による利益のさらなる獲得が可能になると報告       44) 書は述べている。 43) !bid., pp.88−90. 44) lbid., p.2.

(18)

 (1) 1度限りの旅行先  日本人の間では一般に,オーストラリアといえば「自然の豊かな大きな国」 (a big country, full of nature)というイメージしかない。その結果オースト ラリアは,反復的旅行先(arepeat destination)としての広範なアピールを持 つ国としてよりも,「1度限りの旅行先」(avisit once destination)として受       45) け取られてしまっているという。  たしかにオーストラリアは,ヨーロッパ諸国のように古い歴史的遺跡,豊か な文化遺産,各国固有の特徴とそこからくる多様性などをもっているわけでは なく,また,アメリカのような地域間や都市間の産業的,文化的変化と多様性 に恵まれているわけでもない。オーストラリアはいわば,「大いなる田舎」とい った単調さと健全性をもつにすぎない。このことは,オーストラリアのこの特 徴を好む旅行者には反復的にアピールするであろうが,そうでない普通の人た ちには,一種の飽きと退屈さ,そして他の旅行先への移り気の誘因となるであ ろう。また,プレミアムの獲得のために新しい旅行先を探索したり,新しいパ ッケージの組み合せの先導者になろうとする日本の旅行会社にとって,自然の 豊かさのみに依存する単調な国オーストラリアは,複雑かっ多様な魅力を持つ 欧米諸国に比べて,販売努力上優先順位が下がることは否定しえないであろう。  (2>不明確な概念  オーストラリア国内には,日本人にとって不明瞭な旅行先や市場像がある。 たとえば,日本人はハイキングとか乗馬といった用語は理解していても,奥地 (outback)ではもう一つ実体的概念を把握できない。また,ゴールド・コース トという言葉は明快なイメージを醸成しているが,ケアンズではもう一つイメ       46) 一ジがはっきりしてこないと報告書は反省する。その結果がどうであるかは, 筆=者の過去の研究にも明らかである。それを要約すると,つぎのようである。  ゴールド・コーストの国際観光客中日本人は群を抜いているが,ケアンズは 欧米諸国からの観光客が多い。ゴールド・コーストの国際訪問客は,1984年 45) lbid. 46) lbid.

(19)

(70,726人)にはニュージーランドが29%で1位,2位日本は18%,3位アメ リカは13%であった。しかし,1989年(325,726人)には日本は47%と断然1位 であり,2位ニュージーランド20%,3位日本を除くアジア9%を大きく引き 離している。これに対してケアンズでは,1984年(78,744人)と89年(304,267 人)の両年とも,上位3ヵ国はアメリカとヨーロッパで占められ,日本は入っ    47) ていない。これをみても,日本人観光客の誘致と増加のためには,「観光地のイ メージ作り」がいかに重要であるかがよくわかる。  (3)大都市中心主義  これまでの日本人観光は,短い滞在期間と旅行日程のために,大都市とその 周辺を中心としていたが,地方的なオーストラリア(regional Australia)を売 り込む余地があるであろう。また,メルボルンやビクトリアの文化的イメージ や食料品のイメージを活用することによって,日本人観光市場の再構築を図る        48) ことができると報告書は述べている。  2 個別的(市場部門別)対策  上記の三つの問題点の改善のために報告書は,日本人観光客を何の工夫もな しにただ受け入れている時代は去ったとして,より特定の市場に的を絞った対         49) 策の必要性を強調し,各市場部門ごとにつぎのような挑戦的戦略を提言してい る。  (1)反復旅行者  リピーターはより新しい行き先に興味があると思われ,地方観光推進の先導 者となるであろう。また,彼らは「するために来る」(come and do)休日を持 とうとするから,サーフィング,ヨット操縦,釣り,森林散策のような行動型 パッケージに集中した短期滞在(4−7泊)型の観光製品を提供する余地があ 47)遠山「オーストラリアおよびクイーンズランドにおける日本の観光客と観光投資」,遠山  編,前掲書,62ページ。 48)BTR, Part ll,p.3.このほかにも,新規開拓市場としてのビクトリアの重視は,報告書  の随所にみられる。 49) lbid., p.1.

(20)

       50) ろう。さらにまた,彼らは観光地や催し物にも広く興味を持っている。したが って,リピーターには地方を含むより新しい旅行先,スポーツ・娯楽・文化な ど細分化した興味の向かう市場,「本物のオーストラリア」(‘real Australia’) に接するためのオーストラリアでのオプショナル・ツアー,などを開拓,開発       51) すべきだというのである。  (2)老人観光客  21世紀初頭に日本は,老齢人口の最も多い国の一つになるであろうとして, この市場も重要視されている。老人市場はサービス水準の向上によってシェア 拡大が可能であり,個人的なサービスが喜ばれよう。老人は予定やなすべき事

柄についての情報提供をつねに要求するから,この市場では予測可能性

(predictability)がとくに重要となること,しかしながらそのためには,老人 一般の英語知識の乏しさと方言使用傾向の強さから,高水準の日本語の熟達が       52) 要求されること,この2点を報告書はとくに強調している。  (3)新婚旅行者  新婚者が新婚旅行を海外で行う比率は飽和状態にあることからみて,日本人 観光客に占める新婚旅行者の比率は,経年的に低下せざるをえないかもしれな い。そこで報告書は,彼らは個人的に読えられたオーストラリア旅行の体験に 関心があることからして,この関心の持続のためにオーストラリアの市場像を        53) さらに広げることが必要であろうと述べている。  (4)学生  学生市場は有利な支出をしてくれる部門とはみなされていないが,短期間に 反復旅行者となる可能性が最も高い部門であり,将来のキャンペーンの標的と されなければならないとしている。彼らは典型的な日本人旅行者よりもより広 い範囲にわたって旅行する傾向を持つから,主要都市以外の地方の旅行先が地 50) lbid., pp.4 and 33−34. 51) 」颪ろid., p.22. 52) lbid., pp. 38 and 43−44. 53) lbid., p.46.

(21)

方観光発展のためにこの部門に的を絞ることは大いに将来性があることである         54) と報告書はみている。  ㈲ 団体旅行者  ここでは従来,休暇をとった観光客が主体となっていたが,ビジネスと観光 の組み合せによるビジネスー教育的および専門的旅行をさらに促進する市場が ある。また,一切込みの料金で来てはいるが,団体の一部ではない旅行者 それは全訪豪者の少なくとも15%を占め,その半数は新婚旅行者である一は, 「個性的な」休日(‘individual spirit’holiday)を求めており,オーストラリア        55) の生産物を投入するための重要な市場であると報告書は注目している。団体旅 行者にとっては,日本の旅行代理店や旅行に関する書物や案内書が,依然とし て最重要の情報源であることも強調している。  (6)単独旅行者        ’  オーストラリアはこれまで,単独旅行者市場の開拓に遅れをとってきた。し かし,単独旅行者はオーストラリアにおける日本人旅行市場の拡大を可能にす る重要な標的であると,報告書はとくに重要視している。彼らはオーストラリ アでの旅行先について,在日のオーストラリア政府やその機関の情報提供には るかに多く依存するとして,この面での対策の充実と地方旅行開発の可能性を          56) 報告書は強調している。  (7) OL  OL市場では安価なパッケージ,しかし,費用に見合った価値のある,または 良質のものが要求されるとともに,個性化への要求が強まり,ブランド概念の 破棄が進んでいる。これらの結果,冒険感覚や典型的なオーストラリアの体験, 海洋スポーツなどに的を絞った売り込みを,よりきめ細かく,より果敢に日本       57) 市場で行うべきであると報告書は提言している。 54) 1麗ゴ.,p.56. 55) lbid., pp. 64 and 76. 56) lbid., p. 78. 57) lbid., pp.88 and 95.

(22)

V おわりに  日本人観光客は1980年代後半以降の短期間に急増し,良かれ悪しかれ,オー ストラリアに莫大な経済的,社会的利益と変化をもたらした。それだけに,1990 年代初頭における従来の増加基調の変調をみて,報告書は少なからぬ脅威を感 じ,暗い見通しを立てる結果となったのであろう。そしてそれが,新しい対日 観光戦略の再構築へとかり立てたものと思われる。  それでは,日本人観光客の黄金時代は本当に去ってしまったのであろうか。 日本人観光客の数や増加テンポが今後どう推移するかは,世界の他の旅行先と 比べて,オーストラリアのもつ高い安全性や女性好みの国(ここ一旦数年来,女 性の伸びが男性を上回っている)といったプラス要因と,自然は豊かであるが 単調にして退屈な国とか,距離的に遠い(と思われている)などのマイナス要 因とのいずれが強く意識され,作用するかの綱引きの結果次第であろう。リピ ーターの伸びの停滞や新婚旅行者の頭打ち予想など,たしかに暗い予想をかき 立てる要因もないではない。ちなみに,豪キチといわれる一部の人々を除いて 一般には,近場であるハワイやグアムがもっぱらリピーター市場としての繁栄 を謳歌しているのと比べると,オーストラリアははるかに後塵を拝していると いわざるをえない。ケアンズはハワイとほぼ同距離,同時間(前者は7時間15 分,後者は7時間10分)で行けるにもかかわらずである。  しかし,このことは,新しい戦略や政策の展開次第では,暗い予想を明るい 実績に転じうる可能性がなお存在することを示していると解釈することもでき る。したがって,これまでのような大幅な伸び(黄金時代)は期待し難いとし ても,それが完全に終わってしまったと悲観視する必要はないと考える(安定 時代への移行)。  つぎに,オーストラリアの対日観光事業の今後を左右するともいうべき新し い政策,戦略についてである。筆者がとくに重要と考えるポイントとして,つ ぎの三つを指摘しておきたい。①日本人海外旅行者は一切込みのパックツアー の時代を卒業して,テーマを絞ったベンチャー型へと志向がかわってきている。

(23)

したがって,これまでのような無差別的な受け入れ態勢から,より個性化した, 日本人の好みに合致したサービスを提供する努力の必要性が強まるであろう。 ②日本にないもの,対極的なものの提供が日本人の誘引に必要なことは自明の ことであるが,逆に,日本的なもの,同質的なものの存在もまた,日本人の琴 線に触れるのではなかろうか。たとえば,オーストラリアにあってもなお,日 本語,日本料理や日本的サービス,カラオケなどは日本人に喜ばれ,オースト ラリア観光の効用を心理的に高めるであろう。③オーストラリアの観光事業お よび同関連事業従事者のホスピタリティーの水準をなおいっそう向上させるた めの教育の拡充は不可欠である。日本人はオーストラリアで不満を抱いても, 欧米人のように声高に不満を訴えたり,自己主張したりはしない。ただ,ふた たびやって来ないだけである。

参照

関連したドキュメント

では「ジラール」成立の下限はいつ頃と設定できるのだろうか。この点に関しては他の文学

相対成長8)ならびに成長率9)の2つの方法によって検

現地法人または支店の設立の手続きとして、下記の図のとおり通常、最初にオーストラリア証

 この論文の構成は次のようになっている。第2章では銅酸化物超伝導体に対する今までの研

その結果、 「ことばの力」の付く場とは、実は外(日本語教室外)の世界なのではないだろ

なお︑本稿では︑これらの立法論について具体的に検討するまでには至らなかった︒

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

これらのことから、 次期基本計画の改訂時には高水準減量目標を達成できるように以