東 南 ア ジア研 究 17巻1号 1979年 6月 /I JJ 、 \≠ - ∼ ∼- 、し㍗\・ご\\\、\、 、こ\\一 、、、 、\、 \ 、\ 、・"\\、、:"\ ・、 、、、 、、、 \\ 、、 、、、 、 、、、J 、、JI、、へご ヽ ㌦ -≠へ 、 ヽ IJ I, こ ト ナ
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ム \\ヽ・. \\ヽ 、\、 、\、 ヽ、 \ 、\ \ \ \ヽ、 ム 碍 民 族 俗 字 謙寮 幡
酷 め 構 造 を 接 \ヽ \ \ \ヽl←t l \\\\ヽ 冨 田 \ 1. .Lヽ
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次 * * 、\\ ・、.Ⅶ Lこ"";::h、、ミニ l\\ \\\ \\ヽ\\ \ヽ\\ " ≠ 、-ヽk、 、い 、L 、J 、、、 、、 I 、≠ヽ、 、、、ベヽ、、 \≠\\ "ヽCh
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iN6m
,theFormerVietnam eseDem oticScript -ItsStructureandOrigin-Ke
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T oMITA* *`Ch荘N6m,'theformersystem ofwrLtlnglnVented by borrowlng tlle principles and forms of the Chinese character,really means "vulgar script" or``southerncharacter,"in contrasttD`Ch荘Nho,' meanlng "Confucianistscholars'scrlPt."
I havebeen considering why `Ch荘 N6m'was notestablishedastheVietnameseorthographylike thesimilarJapanesedemoticscriptnanabutwas replacedby`Qu6cNg
任
,'
meaning"national script,
"
whichwasinventedbymodi丘cation。ftileRoman alphabet.Recentlylnoticedthataslongas`Ch荘N6m'dependedtoalargedegreephc・neticallyand seman tically on the Chinese system itwas i m-possibleformostofthepeople,whowereblinded
Ⅰ は あ る民族 の文字 の歴史 を見 る と, その民族 の経 て来 た足跡 が透 か し彫 りに されていて 興 味 深い もので あ る。文字 はその民族 の歴史 を 鋭敏 に反映す る もの なので あ る。 世界 の諸言語 の中で類 を見ない ほ ど複雑 な 組 織を有 す る 日本語 の文字 -正書法 も, その * ChiiN6m. **大 阪外 国語大学 タイ ・ベ トナム語学科 ;Thai&
Vietnamese Department,Osaka University or ForeignStudies,Osaka,Japan
ヽヽ\\ヽヽ 、、ヽ \\\\ヽ、 \
bytheirgovernorandhadalmostnochancetolearn Chinese itself, to master it completely. And, paradoxically,Justbecauseitremainedvulgar,Its rat∫ond'2trewasto expressracialromanticism. Inotherwords,almostallVietnameseintellectuals, mostofwhom wereI)ilingual,neverhopedthatthe scrlptWOuldbefosteredasanationalorthography.
Ifthisistrue,itisevidentthatthescriptplayed averyImportantroleineverysphereinVietnamese history. Scholars ofVietnam should,therefわre,
Comprehenditssystem andstructureandlifpossible
J
investigateitsorlgln and how itchangedin each periodofhistory. じ め に 例 に もれず, 日本民族 の成立 か ら今 日まで に 至 る長い歴史 の シワを深 く刻 み込 んでい る と 言 え る。 「創造 す る ことな き 日本民族」 な ど と外 国人 に蔭 口を叩 かれ る 日本人 が, その加 工能 力 とい う最大 の武 器を縦 横 に駆使 して 中 国文 化を どん欲 に吸収 し, その文 化 の媒体 で あ った漢字 を見事 に自家薬篭 中の ものに して しま った ことは余 りに も有 名 な ことで ある。 日本 民族 の歴史 の大部分 が中 国文化 との格 闘 85東 南 ア ジア研 究 17巻1号 の歴史 で あ った ことを, これ ほ ど如実 に証言 して くれ る もの がはかにあ るで あ ろ うか。現 代 正書法 に目を 向 けるまで もな く,漢字 その ものは音訓両様 に利用 され ,主 と して活用部 分 には これ また 漢字 を簡略 化 して字母化 した 「平 仮名」 を使用 し,さ らにまた外来 の ことば, 外 国語 の読 み には これ また漢字 の一部 をその まま借用 した り簡略化 した りして作 った 「片 仮名
」
を用 い るとい う実 に軽 わ ざ師的表記法 をい とも簡 単 に使い こな してい るので あ る。 と ころが, この よ うな複雑 な組織 が形成 され るまでの過程 は,上述 の どと く実 に単純 その もので あ ったので あ る。 同 じく中国文 化圏 -漢字文化圏1)の一角を 占める朝 鮮 に 目を転 じてみれ ば, 日本 が地理 的 に,海 とい ういわば 「ク ッシ ョン」 を 置い て 中国 と対時 し, 比較的悠長 にその文化 を吸 収す る ことが可能 で あ ったの と異 な り,朝 鮮 は陸 伝い に中国 と直接相対時 しな ければな ら ず, その文 化 的,政 治的脅威 は比較 にな らな い ものが あ った はずで あ る。 その言語 の歴史 を見 て も, 日本人 が中国語 -漢語 を十分 に客 体化 し 「万葉 仮名」や 「書 き下 し文」 な どに 見 られ る よ うに, 日本語 に十分 適合 す るよ う な形 で徹底 的 に利用 し尽 くしたの と は異 な り, 朝 鮮語 において は,言語 の構造 と して は 日本 語 と酷似 してい るに もか かわ らず, その よ う な試 み はご く限 られた もので あ り, 多 くは生 の まま,純 粋 な形で 中国語 を接受 して きた と 言 われ る。2)そ して,この傾 向 が一 転 して民族 言語 の愛護 - と変ず るには,1443年 の- ング ル (大 いな る文字) の創 製 を 待たな けれ ばな らな か った。 この文字 は周 知の よ うに 日本 の 仮 名 とは全 く異 な り,た とえ それが漢語音韻 学 の ベースの上 に形成 された もので あ った と して も,全 くの独創 と言 え, 民族 の見事 な創 作で あ った 。以 後, 日本語 と同様 に漢字併用 の 時代 が久 しく続 くが, 1949年 に北 部朝鮮 で は漢字 を全 廃 し,文字通 り正書法 の確立 に成 功 して い る。 この民族 の文字 の歴史 に も, や は り中国文 化 との格 闘の歴史 の足跡 が明 白に 刻印 されて い る と言 え よ う。 Ⅱ 『字 晴 』 の 定 義 漢字文 化圏の一 角 を 占め る もう一 つの勢 力 は言 うまで もな くベ トナムで ある。 東 ア ジア はざ ま 文化 圏 と東南 ア ジア文化圏 のいわ ば間 に位 置 して いるベ トナ ムは, 多 くの民族 の吹 き溜 り とい う点で は 日本 と も相似 た環境 にあ ったが, 中国 と陸伝 い に相接す る とい う厳 しい地理 的 条件 の面で は,む しろ朝 鮮の それ と酷似 して いた と言 えよ う。ベ トナム も朝 鮮 同様 , 中国 による長 い政治支配 の下 に坤吟 しつ つ も,そ の中か ら独 自の文化 を花咲 かせ た ことは周 知 の ことで あ る。言語 的 に見 る と, 日本語 と朝 鮮語 が孤 立語 的性格 の強い中国語 とは異 な り, 1)このような呼び方については,亀井孝等編 1963.『文字とのめぐりあい』(日本語の歴史2) 平凡社;藤堂明保 1971.
『漢字とその文化圏』 (中国語研究学習双書3)光成館などを参照。 アル タイ語 的勝者性 の言語 で あ り,両者 とも 極端 な言語 的同化 は受 け難か ったの に比べ , ベ トナ ム語 は中国語 と同類型 の言 語 に属 し, 常 にその 同化の脅威 にさ らされていたので あ る。3)その文字の歴史 を見て も極 めて象徴 的で ある。紀 元前111年 に中国の支配 下 に入 り, 1075年 に科挙 の制度 が始 め られ,漢字 が正式 の文字 とな って以 来,1915年 (中部 で は1918 年) にその制度 が廃止 され るまで実 に840年 2)たとえば,河野六郎 1968.「朝鮮の漢文」
『中 国』第53号,pp.8-17などを参周。 3)ベ トナム語の構造については,三根谷徹 1955. 「安南語」『世界言語概説 (下)』 研究社,pp. 833-870;L.C.Thompson 1965.A Vt'ctnamesc Grammar.Seattle;冨 田健次 1977.「ベ トナム の言語」『ベ トナム』アジア ・アフリカ研究所編, 水曜社などを参照。冨田 :ベ トナムの民族俗字 『字噴』の構造とその淵源 もの間 漢 字 を正式 の 文字 , 漢文 を正式 の文 章 と して きた ので あ る。4)つ ま り,ベ トナ ム人 知 識 人 に と って は漢 文 - 中 国語 に精 通す る こと は絶 対不 可 欠 の条 件 で あ り, 極 言 す れ ば母 国 語 を 知 る こ と以 上 に重要 な こ とで あ った ので あ る。 そ して文 字 を知 る とい う こ とは実 は漢 字 を 知 る こ と には か な らな か った の で あ る。 自国語 表 記 - の 欲 求 だ が, 一 部 の 自覚 した 知識 人 の問 に, 日本 人 や朝 鮮人 同様 , 当然 , 自国語 を表 記 した い とい う欲 求 が起 こ って くる。 そ の時 ベ トナ ム人 は 日本 人 と同 じよ う にす ぐ手 近 にあ った漢 字 を用 い何 とか工 夫 して これ を表 記 し て み よ う と思 い つ い た 。 そ れが 『字 晴 』 とい う文 字 の起 こ りで あ る。5) チ
ユ
ー
ー
・ ノム 『字』
は文字 通 り 「文 字」を 意味 し 『晴 』 は ナ ム 「話 し言 葉 の 」 も し くは「(
中 国 に対 す る) 南 の」6)を意 味 し,全 体 で 「話 し言 葉 の文 字」ま た は 「南 (国 )の文 字」 7)の意味 を 持 ち,正式 の チ ユ ー・・ 文字 で あ る 「儒 学 者 の文 字 」 を意 味 す る 「字 こヨ
ー 儒」 8)と対 立 す る。9) と ころが, この試 み は 日本 語 の よ うに は成 功 しな か った 。 口本 語 は 多音節 の言 語 で あ り, 4)三根谷徹 1968号
漢字か らローマ字--ベ トナ ムの文字」
『月 刊百科』70,pp.13-28. 5)『字晴』の発生は中国人に よって 先鞭を つけら れたのか も知れない。たとえば,陳字 『使交州 レー クイ ドン キニ ング 丁 ソテ ィエ ウル ック 詩集』(裂貴惇 『見 聞 小 録』所収)14世紀 初や 『安南諾語』 (『華夷評語』 中)14-17世紀 (?)に見 られるような中国人による表記法が先 行 し,のちに徐 々にベ トナム人による工夫が こ らされたのか も知れない。冨田健次 1978.『ベ トナムの ``民族俗字" 「字晴」 の研究方法とそ の意義』大阪外国語大学 タイ ・ベ トナム語学研 究室,pp.3-4. 6)「南風」を意味す る現代ベ トナム語はgidnamで あり,namが 「南」namの靴音とするな らchii n6mのn6mもna- の靴音と考えることができ よう。 ′ヾツ ククオ ツ ク 7)ベ トナム人 は自分の国のことを,中国- 北 国に対 して南国Namqu6CまたはmrbcNam と 昔か ら呼びな らわ している。
8)chG・nhoまたはch荘Han「漢字」O(ベ トナム
チユ - ハ ン 語の語順では 「字 漠」)。 そ の音節 一 つ 一 つ に類似 した 音 形 を 持 つ 漢字 を 当て はめて い くとい う万 葉 仮 名方 式 で ,文 字 と音 の 間 に一 定 の 約束 を成 立 させ , 同時 に 簡 略 化 , 字母 化 が図 られ た 。 そ の使 用者 に と って は一 定 の数 の漢字 も し くは簡略 化 され た 漢 字 -平 仮 名 を さえ記 憶 して お け ば, そ れで 十 分 , 母 語 の一 昔 一 昔 を表 記 す る こ とがで き るの で あ り, 必ず し も漢 字 そ の もの の 音 義 に わ た る知 識 は必 要 と しな い。 しか し, ベ トナ ム語 の場合 は 中国語 同様 に単 音節 孤 立語 型 の 言 語 に属 し, 表 語 文 字 を擁 す る中 国語 と全 く● ● 同様 に,一 語 一 語 に孤 立 的 に固有 の文 字 を 要● ● ● ● 求 す るの で あ る。つ ま り, 理 論 的 に言 え ば, 無 数 の 音節 に そ れ ぞ れ の 文 字 を要 し, 同音 の 音 節 が あ って も意 味 が異 な れ ばそ の 数 だ けの 文字 を要 す る こと にな る訳 で あ るO しか も無 数 の 中 国語 か らの借 用 語・を か か え, そ れ を原 形 の ま ま表記 しつ つ 日本 語 の よ うな 「仮 名 ま じ り文 」式 に表 記 す る とな る と, どれ が本 来 の 漢字 で どれ が 『字 晴 』 で あ るの か区 別 がつ きに くい。 ま た 『字晴 』 の表 音部 分 も表 意部 分 もす べ て漢 字 の音 義 に拠 って お り, 漢字 の 素 養 が な けれ ば全 くお手 挙 げで あ り,一 部 で 言 われ る よ うに, せ っか くの 民族 文字 を一 部● ● ● ● の支配 者 が禁 じた り, 文 献 を 燃 や した り した た め に その発 達 が止 ま り,大 衆 へ の 普及 がな らな か った10)な ど とい う性 格 の もの で はと うて い あ り得 な い 。 『字 晴 』 は支配 者 の支配 の道 具で あ った 漢字 と正 に表 裏一 体 を成 す に 過 ぎな い別 種の 道 具で あ り, 漢字 に精 通 した 9)『字晴』の定義については,NguyさnDinhHda
1959. "Ch荘 N6m - TheDemoticSystem of WritinginVietnam
,
"
Journalof lieAmerica7t Orie71taZSociety,Vol.79,No.4,pp.270-274; Nguyさn KhacKhan 1974."Ch任 N6m orthe formerVietnamesescrlPtanditspastcontri -butionsto Vietnamese literature,
"
Area and CuZtureStudie∫,No.19,TokyoUniverslty Of ForeignStudies,pp.171-189などに詳 しい。 10)Tr五・nV昆nGiap1969."Ll叩Ckhao vさnguBng6cch荘 N6m,"`Ngh ienc血uLich sふ,'S6127,
tr.22.
東南 ア ジア研 究 17巻1号 知識人 層 の民族 主 義 的 ロマ ンテ ィシズ ムの表 白の手 段 と して は極 めて有 効 で あ った に もか かわ らず , 漢字 ・漢文 に無縁 の一 般大 衆 に は 「絵 に描 い た餅」 にも等 しい普遍 性 の な い も の で あ った ことを率 直 に認 めな けれ ばな らな お もて い。11)表 を成 す漢 字 が廃 棄 され れ ば 当然 その 裏 にあ る 『字 晴 』 も生 き残 れ る はず はな い の で あ る。 つ ま り裏 は表 を透 か して しか見 え な い もの で あ った か らで あ る。逆説 的 に言 え ば,
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を条 件 とす るベ トナ ム知識人 た ちに と って は, む しろ この俗字 は俗字 の ま ま で あ った か らこそ存 在 意 義 が あ ったので あ り, 彼 らの民族 主 義 の発 露 とい う点 で は十分 有効 な役 割 を果 た したので あ る。 この俗字 を正式 の文字 と して 採用 しよ うと して空 し く努 力 した人 がベ トナ ムの 歴史 上 に チヤン は何 人 か存 在 す る。 陳 朝(1225- 1339)を倒 し ホ- ホー て1400年 ち ょうど に胡朝(- 1413)を建 て た胡 タイ 1)- 3イソン クワンチユ ン グエンフエ 季犀 ,西 山党 か ら出世 した光 中君院 恵(18世 紀末 )で あ り,さ らに は この こ とを 強 く皇帝 に トサドゥツク ダエンチユオン トー 建議 した嗣 徳 帝 治下 の学 者 院 長 酢 (1827 - 71),さ らに は 『字晴』の創 作 を勧奨 した り レータイン トン チ ンキエム 自 らも筆 を握 った繁 聖 宗 (1442- 97),鄭 検 レ-クイドン (16世紀 中),袈貴 惇 (1726- 84)な どが あ っ た。12)しか し,彼 らの努 力 が全 く報 われ なか った の は上 述 の よ うに 当然 の帰結 で あ った 。 そ して次代 の民族 主 義 を支 え る普遍 的文字 と して これ に取 って代 った の は皮 肉な ことに西 洋 植 民地 主 義者 た ちの もた らした世 界 的表 音 文字 - ロー マ字 で あ った 。 これ は 日本 の 「平 仮 名」 と同様 に, 音 と文字 との 間 の一 定 の約 束 を覚 え さえす れば誰 にで も使 用 す る ことが で き,急 速 に民 衆 の問 に浸透 し, と くに1945 年 の8月 革 命以 後 は文盲 を一 掃 し,
1
3
)正 書 法 と して の地 位 を獲 得 した の で あ った。 それ ま クオツクグ-で 『字晴』を指す の に用 いて いた『国 語』14) とい う称 号 を, 彼 らは何 の惜 し気 もな くロー マ字 正書 法 に譲 った ので あ った。15) Ⅲ 『字 晴 』の 意 蕎 『字晴』は上 に述 べた 通 り漢字 の い わ ば亜 流 に過 ぎず, 文字 そ れ 自体 の性格 と して は何 ら 興 味 を 引 くもので はな い。16)しか し, に もか かわ らず この文字 の研 究 の重要性 が叫 ばれ る の は, この文 字 がベ トナ ムの歴史 にお いて果 た した役 割 が決 して小 さ くない か らで あ り, この文 字 の研 究 も し くは この文 字 に よ って書 か れた諸文 献 の綿密 な研 究 な しにはベ トナム ll)冨田 「前掲論文」pp.185-189・ 12)川本邦衛 1977.「鳥轍ベ トナム文学論」rベ ト ナム』アジア・アフリカ研究所編,水曜社,p.221; Dinh Cia Khanh,BbiDuy Tan,
MaiCao ChlJαng1978.`Ⅴ昆nViHocetNan-Thさk㌢Xn丘adauthさkFXVIII.'TをpI,NXB.D 争ihoc
vaTrungh9cchuv8nnghi阜p,pp.226-227;冒
田 「前掲論文」 p.186. 13)川本邦衛 1966.「現代ベ トナムの教育と文化-クオツク・グーを中心 として」『世界の文化14 東南アジア』河出書房。 14)qu6cng任.日本語で言 う 「国語」とは意味が異 なり純粋に 「国字」の意味である。 研 究 は いず れ の分 野 にお いて も全 く不 完全 な もの に終 わ る と言 って も過 言で はないか らで あ る。 その理 由を一 言 で言 えば, この文字 が 漢 文 -中国語 を表記 した ので はな く, 正 に民 族語 -ベ トナ ム語 を表記す る唯 一 の手 段 で あ った か らに はか な らな い。 まず歴 史研 究 の分 野 か らそ の重 要 さを見 る と, この文 字 は いわゆ る正史 を書 き記 す た め 15)今 日のローマ字正書法の原形 とも言える,現存 最古の辞書は,AlexandredeRhodes1651.Dill tionarium annamiticum,Zu∫itanum ezZatinum. Rome(東洋文庫所蔵)であり,この普及に最大の 功績を成 したベ トナム知識人はP.J.-B.Truung VinhKタ(1837-98)と HuinhT阜rlhPaulusCaa (1834-1907)であるO三根谷徹 1972.F'越南漠 字音の研究』東洋文庫論叢第五十三,pp.32-33. 16)その点では他の 「疑似漢字」と言われる西夏文 字や契丹文字,女真文字とは根本的に異なる。 西田龍雄 1973・「疑似漢字について」Energ , Vol.10,No.2,pp.36-42.
冨 田 :ベ トナムの民族俗字 r字噴』 の構造 とそ の淵源 には もちろん利用 され る ことはな か った が, ベ トナ ム語 そ の もので , しか も詩 の形 で書 か れ,吟 じ られた歴史 長篇叙 事詩 の類が数 多 く 存 在 し, それ らは皇帝 の命 によ って編 まれ , 外 国語 で あ る漢文 によ って書 き留 め られた正 史 と正 に好 一 対 を成す もの で あ り, た とえ史 的資料 と して の価値 に乏 しい とは言 え, ベ ト ナム人 白身 の歴史 観 を十分 に窺 わせ る もので ある。 その代 表 的作 品 は言 うまで もな く, ダ イナム クオ ツ クス-ズ イユ ンカー レーゴー カ ッ ト ファ ムデ イン トア イ 『大 南 国 史 演 歌』袈 呉 吉 ,:泊 廷 件 , トウドウツク 嗣 徳 23年 (1870) で あ り, また その原 形 と も言 わ れ る, テ ィエ ンナムグ ール ッ ク 『 天 南 語 録 』作者未 詳,17世紀 末 で あ る。17)しか もそれ ばか りで な く,歴 史 の あ る時点 にお ける証 言 と も言 え る詔赦 ,公 文 書 の類, 商業 通信 な ど も数 多 く『字
噛
』で書 き留 め られて い る ことを私 た ちは忘 れ る ことが で ズ イタ ン ドンズ ー きな い。今世紀 の初 め,維新 会 を起 こして東 遊 運動 に先鞭 をつ け, 同胞 に抗仏 救 国を訴 えた フ丁 ン ボイチヤ ウ 滞 僻 珠(1867-1940)の 『海外 血書』に は六 八 クオ ツクグー 体18)による『字 晴』と『 国 語』が付 されて お り, 青年 た ちの心 をゆ さぶ った とい う事 実一 つ 見 て も, この文字 お よび この文 字で 記 され るベ トナ ム語 が, いか に深 く歴史 とのかか わ りを 持 って きた かを窺わ せ る に十分 で あ る。 文学で
果 た し た役
割 また,文学 の分 野 で果 た し た 『字晴 』 の役 割 は と りわ け大 きい。 ベ トナム語 が 中 国語 同様,藷 文 に非 常 に適 した言語 で あ り, しか も長 い間 中 国語詩 (漢詩 )の世界 に な じん で きた ベ トナ ム人 が 自 らの ことば による文学 の形態 によ り多 く詩 を選 んだ と して も何 ら不 ティエソナムグールック サイエツ トスークオツクダー サイエツトス-17)『天 南語 録』- 『地 史 国 語』一・『地 史 嵩 転 落 敷 一隊
琵 韻 竃 ク盲 板 』 - 『笑 南 国 史 演 歌』の順に完成 されたものと推論 されている。 川本邦衛 1967.『ベ トナムの詩 と歴史』文萄春秋社,p.62・ 18)thさltlCbat.平伏の交替を行いっつ六言と八言 の詩句が脚韻と腰韻を踏み合 って交互するベ ト ナム独得の詩形式。 恩議 な ことで はない 。換 言す れ ば, 漢詩 に十 ハ ンヴ イエ ツ ト 分 鍛 え られ た ことによ って 「漢 越 文学」 19) とで も言 え る,外 形 は漢文 で あ って もそ の中 身 は極 めて民族 的 な独特 な世界 が既 に形成 さ れて いた の であ り, あ る刺激 によ って 加速 度 的 に民族語 に よ る詩 が噴 出す る下地 は十分 に 作 られて いた もの と考 え られ る。唐律 を よ り ハンルアツト ベ トナ ム的 に改 変 した韓待 20)を生 み 出 し,の ち にはそれ を基 礎 にさ らに独 特 な六 八体 ,双 七 六 八体21)によ る詩 型 を完成 させ, 国語 詩, 国音詩 と して の独 自の世界 を創 り上 げた ので あ った 。 これ を文字 通 り支 え, は ぐ くん で き たのが, と りもな お さず 『字晴』
であ った の で あ る。 国語詩 の創始 者 と して, ベ トナ ム人 は よ く ハン グ エ ン トウエ ン 韓 (玩 )詮 (13世紀 末) の 名を挙 げ る。 それ は以 下 の よ うな歴史 書 の記 述 に拠 って い る。 ニヤム ゴ テ イエ ウパ オ (1) 壬 午 紹 宝 四年 (1282年 ・- ・筆 者 ) チ ヤ ンニ ヤ ン トン 秋 八月,有鯉 魚至 浪江,帝 (陳 仁 宗 -ヒン ポ トウオ ン トウー 筆 者 )命 刑部 尚 書 院詮 為 文投之江 中, ハン ダイ 塵 魚 自去, 帝以 其事類 韓愈,賜 姓韓 『大 ゲ イエ ツ トスーキーートア ン トウ一 越 史 記 全 書 』 巻5.57 (2)院詮 海 陽青 林 人,善為 国語詩賦, 人 多 カムデ イン 数 之, 後為 国音詩 日韓律者以 此 『欽 定 ゲイニ ッ トスー トンサ ム クオ ンム ック 越 史 通鑑 綱 目 』 巻7.26a ハ イ ドンチー (3)我 国文字 多用 国語 , 自詮 始 『海東 誌 ル オ ツク 略』
A103.38 7アン プイチユー リツクチエ ウ ヒエ ンチエ オ ン ロア イチー また 清 輝 注 の 『歴 朝 憲 章 類 志 』 には フイー サ- タ ツ プ 彼 の国語詩 集『披 沙 集 』の名を留 めて い るが 残 念 なが ら今 日にまで は伝 わ って いない。 そ チヤ ンク イン トン の他,国語詩 の達人 と して史書 は,陳 聖 宗 の ノ イテ ィホ ックシー グェ ン シー コ-内侍 学 士 を務 めた 院 士 固 (13世紀 末-14世 チ ャ ン ミン トン タオ ツ タ トゥーサ ー ム トウーギ エ ツ ブ 紀初) や 陳 明宗 治下 の 国 子 監 司 業 の チユー 丁 ン ホ- クイ l)一 朱 安 (14世紀 ),前章 で挙 げた胡 季題 (14世19)DinhCiaKhanheta1.,Optcii.グエント,p.220ウエン ハンなど参照.1・ウエソ
20)国語詩を創始 したと言われる院 詮 - 韓 詮 の名に因んでこのように呼ばれる。本文後段落 参照。
21)th毒songthatltlCbat・注18)で述べた六八体の頭 に七言の二句が冠せ られるやはりベ トナム独得 の詩型。18)参席。
東 南 ア ジア研 究 17巻1号 紀末
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世紀 初)の名を留 めて い る。 しか し, 彼 らの作 品 は何一 つ 後代 に伝 わ って いず,彼 チ ヤ ン らの生 きた 陳 時代 に 国語詩 が 実 際 に確 立 し て いた ものか 否か十分 な証 拠 とは成 し得 な い。 しか し,現 存 す る最古 の 『字噛』文献 と して グェ ンチヤ イH.Ma
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22)の挙 げ る 院 薦(
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)
ザ ーフア ン カー クオ ツクアムテ ィタ ッ プ の 『家 訓 歌』
の存 在 と彼の 『 国 音詩 集 』 な どの 『字 晴』 作 品群, また彼 が仕 えて いた レー ク イ ト- ホー クイ リ一 変 太祖 の求 めに応 じて胡 季犀 の 『字晴』手詔 お よび詩文 を蒐集 して献 じた とい う史書 の記 ダ イケ イエ ツ トス ーキー トア ン トウ-述 (『大 越 史 記 全 書 』巻1
1
.
3
8
a)な どを チヤ ン 考 え合 わせ て み る と,や は り 陳 時代 には既 に 国語詩 が十分確 立 して いた と見 るの が妥 当 な よ うに思 われ る。 チヤ ン と もあれ 『字晴』 文学 は恐 らく 陳 時代(
1
3
世 紀初-1
4
世紀末 ) か ら今世 紀 初 め まで 連綿 として生 み 出 され続 けて きたので あ り, それ チユ ー クオツ クグ ー が さ らに現代 正書法 で あ る 『字 国 語』に翻 音 され広 く読 み継 がれて い る ことは周 知 の こ とで あ る。 『字晴』
の ベ トナ ム文学史 上 に 果 た した役 割 は実 に測 り知 れない もの がある と 言 え よ う。 一 方,言語 学 の分野 か らこの文 字 を見 る と, や は り何 と言 って もこの文字 が ベ トナム語 を 表記す る唯一 の手段 で あ った とい う点 で重要 で あ る。ベ トナ ム語 の変額 上 の変遷, 語嚢 の 交 替,句 法 にお ける変化 な どそ こに含 まれ る 問題 は少 な くな く, かつ魅 力的で ある。 しか し, と くに音韻 の変遷 とい う問題 に限 って 見 た場合 ,以 下 の よ うな最低 限の認識 を持つ こ とが必要 であ る と思 われ る。 第1は, この文 字 には時 間的 限定 が加 え られ ない ことで あ る。 この文字 はある一定 の時期 に突 然 作 られた も ので はな く,長 い期 間, も しか した ら千年以 上 もの間 の蓄積 によ って作 られた もの であ る。 しか も周知 の よ うに文字 は極 めて保 守 的で 強 い伝承性 を持 つ もので あ り,個 々の文字 を あ る特定 の 時代 の もの と して その背後 の音韻 を 追求 す る ことは極 めて 困難 であ る。23)第 2は, 地域 的 限定 を加 え る ことがで きない とい う点 で あ る。換言す れば,都 に限 らず各地 に住 む 人 々の個人 的 な主張 ,私 的 な晴好 が入 り込 む 余地 が極 めて多 か った とい う ことで あ る。 こ れが 『字晴 』 の体 系化 を許 さない理 由の一 つ で もあ った。第 3に, この文字 その ものの性 格 上 の欠 陥 で あ るが, この文字 が漢字 と同様 に表 意性 も し くは表語性 に大 き く依存 す る も ので あ り,表 音 的要素 が相 対 的 に小 さい こと で あ る。つ ま り,字 の背 後 にあ る音 はあ くま で暗示 に過 ぎず, それを正確 に読 み取 る こと が 困難 で あ る とい う点 で ある。24)しか もそれ が漢字 の音 -中国語 音 に全面 的 に依存 す る も のであ り, その音韻解釈上私 た ちは二重 の障 碍 を背負 って いる と言 わ な けれ ば な らない。 上 のよ うな認識 は 『字晴』研 究 において も 『字晴』文献 の翻 音,解釈 にお いて も不 可欠 な ことなので あ る。 これを克服 す る若干 の方 法 につ いて はの ちに詳述 す る ことに しよ う。 Ⅳ 『字 晴 』の 構 造 今 日,
『字晴』研究 の重要 さが各方面 か ら叫 ばれて い るに もかかわ らず遅 々 と して進展 を 見 ないの は,単 にその難解 さのみ に原 因が あ るので はな く,上 の よ うな 『字晴』 そ の もの22)HenriMasp6ro1912.日丘tudessurlaphon6tique historiquedelalangueannamite,Lesinitiales,H B.E.F.E.0.,t.XII,p.7,note1. 23)三根谷 『越南漠字音の研究Jp.16. の持 つ欠 陥が災 い して い るので はなか ろ うか。 それで は こ こで,『字晴』とは一体 どの よ う な文字 で あ るの か, そ の構造 について一 言 し 24)漢字そのものとは異なり表音化の方向-向かお うとする強い傾向は見 られたが,『字晴』の場合, それが漠字音をベースにしたものであり限界は 目に見えていた。漢字そのものが暗示的表音に●●●●● 過ぎないからである。
冨 田 :ベ トナ ムの民族 俗 字 『字 噴』 の構造 とそ の淵源 カ ン氏 ア イン 手 桶例 字 鳴 音 意 味 漢超 音 呼称 氏呼称 趨 音 A
l 第2
l!LA tii 才能 t左i義
両用
義
面
用
音
両倍
音
片
倍
ノ
\
仮
借
趨 音 A 2 第1 E'符ー柑 bGa 護符 phlut 仮借 B 第 5 F'<yD l左m T る vl 仮借 漢越 同音 C l 第 3 仮借 付 加 D l削
除
D 2 荏 +音 E 打没』 mat - nl^ot F別 L¶ blft 知 る bi 'et F削 mふi 新しV, m 誉 i 管.剛 kh苔 くど くどkty kha 言う Er濁j t,'ai果物 ba+laL 義 +義 F 会 意 F杢』 tr〉i天、空 G l 第1 Fll又Jl quo' か き集 qu8 形声 め る 告+義 C 2 第2 『軌」 Cふ 草 形声 図1 て お か な け れ ば な る ま い。 この 文 字 の下 位 分 類 は細 か くす れ ば全 くキ リが な い ので 詳 し く は他 の 場 所 で 論 じる こ と に して ,25)最 近 ベ ト ナ ム人 言 語 学 者 グ ェ ン ・タイ ・カ ン氏26)に よ って 提 示 され た平 易 な 『字 晴 』 分 類 を筆 者 な りに若 干 整理 して 図 表 化 し, そ れ に沿 って 簡 単 に説 明 を試 み て み よ う。上 表 の ロー マ字 ア ル フ ァベ ッ トと数 字 が カ ン氏 の分 類 記 号 で, そ の右 隣 に, の ち に詳 し く紹 介 す る こと に し て い る 同 じ く ベ トナ ム人 漢 学 者 で , 『字 晴 』 25) 『字晴』の分類 については多 くの学者がいろい ろな所で論 じているので参照 されたい。 三根谷 「安南語」および 『越南漢字音の研究』 NguyさnKhacKham,oP.liz.Nguyさn QuiHもng1965. "Ch荘 Viさt,"`Van Pham Viet- tlTng荘h9C,PhantichhQC,'Saigon, pp.151-227.
DlrCrngQuangHam1942. "LeChfiN6m ou Ecriture Demotlque・ Son importance dams L'EtudedeL'AncienneLitteratureAnnamite,"
BuZZetinGeneraldcZJ'in∫truciionPubZigue,No. 7. NguyさnDltnhHda,oP.lit. 藤堂 『前掲書』 ^l CO の全 般 につ いて ま っ こ うか ら取 り組 ん だ 最 初 の学 者 と も言 え るダ オ ・ズ イ ・ア イン氏27)の分 類 呼 称 を 付 して お い た 。 『字
晴』
は左 表 の よ う に まず 大 き く二 つ の範 暗 に分 け られ る。す な わ ち, 漢 字 を 原 形 の ま まで ベ トナ ム語 に適 合 させ る 「単 一 字 晴 」,つ ま り「仮 借 字 晴」と,漢 字 に あ る種 の 加 工 を施 した り2
-3
個 の 漢 字 を 重 ね 合 わせ た り して ベ トナ ム語 に適 合 させ る 「複 合 字 晴 」 また は 「派 生 字 晴』28)の 二 つ で あ る。 まず 「単 一 字 晴 」 か ら見 て み る と, これ は さ らに二 つ に分 け られ, 漢 字 の音 と義 の両 方 を と も に使 用 す る も の(A)と音 か義 の ど ち らか一 方 を借 用 す る もの が あ る。 音 義両 面 の借 用 に は これ また 2種 類 あ り, 漢 字 を 原 形 の ま まで 音 義 と もに受 け 継 い だ もの(Al)とベ トナ ム漢 字 音29)が成 立 す る以 前 の, つ ま り中 国唐 代 以 前 の 湊 代 , 六 朝 時 代 の古 い伝 統 的 音 を そ の ま ま受 け継 いで ベ トナ ム語 化 した 俗 に言 う 「古 漢 越 音」 30)を 表現 す る 『字 晴』 (A2)が あ り, と くに後 者 の 『字 晴 』 は それ が頻 出す る度 合 に よ って , 時代 確 定 の不 明 な 『字 晴 』 文 献 の時 代 確 定 作 業 の重 要 な根 拠 にな り得 る もの で あ り, ア ィ 26)Nguyさn TaiCan,Ⅹtan-ke-vich,N・V・1976・"Di芸m quavainitvさtinh h主nh cau t争・OCh荘 N6m,
"
`Ng6nNg任,'S62,pp・15-25・27)Dao Duy Anh1975・`ChtとN6m,nguBn g6C, caut争O,diさnbi6n・'Hanoi・
28)Can氏 はこれを 「自造字晴」ch荘 N6m tlFt苧o と呼んでいる。Can,oP.citリPP.18-25. 29)紙数の都合でベ トナム漠字音-漠越音 について 全 く触れることがで きなか ったが,以下の諸論 文を参照 されたい。 三根谷 『越南漠字音の研究』;H.Masp6ro,oP. cii.;王力 1958. 「漠起語研究
」
『漢語史論文 集』pp.290-406;藤堂 『前掲書』および1957. 『中国語音韻論』江南書院 ;冨田『前掲書』pp.4-5. 30)王力 「前掲論文」などの呼称 に従 った。 91東 南 ア ジア研 究 17巻1号 ン氏 は これを 「第 1仮借 」 と して あ と に述 べ るよ うに極 めて重視 して い る。31) 次 に, 漢 字 の音 も しくは義 の どち らか一 方 を借 用す る 『字 晴 』 の うち, 日本 語 の訓読法 の よ うに音 には全 く関係 な く義 のみ を借用 す る もの が
B
(例 字 は 「為 」 の省画 形) で数 の 点 で はそれ ほ ど多 くはな い。
3
2
)一 方, 意 味 に は全 く無 関係 に音 だ けを借 用 す る ものし
C)
は, 漠 越 音 と全 く同音 の ベ トナ ム語 音 に利 用 され る もの(C1)と漠越 音 と音的 類似 はあ るが声 母 (語 頭子 音) も し くは韻母 (介母 音,主 母 普, 語 末子 音 を含 む) も し くは声 調 がやや異 な るベ トナ ム語 音 を暗示 的 に示 す もの(C2) の2種 類 が あ る。 以 上 が 「単一 字晴 」 も し くは 「借 用字晴 」 で あ るが,次 に 「複 合 字 晴 」 も しくは 「派 生 字晴」
と呼 ば れ る 『字 晴 』 に話 を移 そ う。 まず第 1に,日本 語 で言 え ば 「お ど り字」 33) に似 た よ うな符牒 を右肩 に付 した り,漢 字 の 部 首 を純粋 に符牒 化 して小 さ く左 肩 に加 えて 漢 字 との区別 を表 示 した もの (Dl)と,逆 に 漢 字 の一 部 を 削除 す る ことに よ って ベ トナ ム 語 音 を暗示 的 に表 示 した もの(D2)があ る。34) 後 者 は数 の点 で は ご く限 られ た もので あ る。 「複合 事情 」には さ らに音 と音 とを組 み合 わせ る方 式 の もの(E)が あ る。 これ はた とえ まろ くめ ば 日本 国字 の 「麿」 や 「粂 」 にそ の類 例 を見 出す ことがで きるが,35) 『字晴』
の場合 は現 代 ベ トナ ム語 で は既 に消 滅 して しま った声母 の子 音 群(consonantcluster)を暗示 的 に示 し た もの で あ り, その存 在 の 名残 りを留 め る極 めて注 目す べ き種 類 の 『字晴 』 で あ る。 しか し, これ も残 念 なが ら数 の点 で は ご く限 られ て い る。36) また, 音 には全 く無 頓着 に意 味 同士 を組 み 合 わせ るいわ ゆ る 「会 意」 形式 の もの LF)が さか喜 と うげ あ り, これ も日本 国字 の 「榊 」 や 「峠 」 に そ の類 例 を見 出す ことがで きる。37)事 物 ,辛 象 を概 念化 す る際 のベ トナ ム人 の思考 様式 の 一 端 を窺わせ る興 味 深 い もので あ るが, これ も数 の点 で 限 られて い る。38) 最 後 は, これ が 「複 合 字晴 」 と して は最 も 一 般 化 した方 式 で あ った が,意 義 を担 う漢字 と音 を担 う漢 字 を組 み合 わせ るいわ ゆ る形 声 (語声) 方式 の 『字晴 』 で あ る。39)これ に は また,漢字 の部 首 また は 『字晴 』 特 有 の部 首(
「巨」 と 「司 」) を付 加す る もの(Gl)と漢 字 そ の ものを原 形 の ま ま義符 と して添 え る もの (G2)の二 つ が あ る。 『字晴 』 は大 体以 上 の よ うに分 類 され るが, 『字晴 』研 究 お よび そ の文献 解読 に は漢 字 と 漢 越 音 に精 通 す る こと は もちろん の こ と,上 の よ うな構 造 を把 握 す る こと も不 可 欠 な条件 で あ る ことは言 うまで もな い。40)Ⅴ
『字 晴 』の 起 源 『字晴 』 が一 般 に普及 しな か った原 因 はい くつ か考 え る ことがで きた が, だ か らと言 っ て この文 字 が全 く私 的 な もので勝手 気 健 な も の でな か った こと は上 の構 造 を見て も明 らか 31)Da・oDuyAnh,op.cit.,pp.66-76・ 32)Can氏によると彼 らの資料では約40個に過ぎな いと言 う.Can,oP.lit.,p.21,footnotell.33)ベ トナム語では daunhay「ウィンク ・マーク」 と呼びな らわ している。 34)中国語の簡体字にこれと酷似 した 「兵
長
」(ping p琵ng-pingpong)があるのは周知の通 り。 で あ る。 自由な部分 はか な り残 しなが らもそ れ な りの体 系を成 した文字 で あ った ことを私 た ち は認 めな けれ ば な らな い 。 35)朝鮮の国字 (漢字を改造 したものという意味) の「
賀
」(kal)や 「亮
」(kos)なども同様の範境 に属すだろう。藤本幸夫 1973.「朝鮮の国字」Energy,Vol.10,No.2,pp.43-45.
36)deRhodcs,oP.cit.の辞書には,今 日既に失わ れて しまった子音複合b1-,m1-,tトがまだ登録さ れている.例字のtraiは辞書ではblai. 37)朝鮮の国字 「壁
」(
「敷地」の意)や 「帖」(
「嶺」 「峠」の意)などもこの範境に属す と言えよう。 藤本 「前掲論文」pp.43-44.冨 田 :ベ トナムの民族俗字 f'字噴』 の構造 とそ の淵源 それ で は この よ うな体 系 を成 す 文字 と して● ● ● ●● ●● の 『字晴 』 はいつ ごろ発 生 した ので あ ろ うか。 『字晴』の起 源 につ いて 内外 の学 者 の間 に意 見 の対 立 を生 じて い る原 因 は
,
『字晴』の,文字● ● と して の発 生 と体 系 を成 す文字 と して の発 生●● ● ● ●● ● を 明確 に区別 して いない点 にあ る。 そ こで本 論考 で は この点 を明確 に区別 して これ まで の 代 表 的 な諸 説 を簡 単 に紹 介 して み よ うと思 う。 (1)『字 晴 』の文 字 と して の発 生● ●A 1
世 紀前 後説 ザ オチー ター イ トウー 前 漠 の平 帝 の時 に交 祉 太 守 と して赴任 し テ ィツ ク クワ ン ク ウチャ ン た 錫 光 と後漠 の光武 帝 に よ って 九 真 の太 こ ヤムズ イエ ン 守 に任 じ られた 任 延 の 時代,両 者 に よ る住 ゲイエ ツ ト 民教化 政策 の過程 で発 生 した とす る。
(『 越 スー ル オ ツ クタツ プ 史 略 集 』 <作者 未 詳 >, ホア ・バ ン氏41))B 2-3
世 紀 説 わ に 日本 にお け る王仁 に似 て ベ トナ ム にお ける ナ ムザ オ ホ ツ ク トー シー 漢学 の祖, 「南 交 学 祖 」 と して崇 め られ る土 ニ エ ツ プ シー ヴオ ン 壁 -士 王 に よ って 始 め られ た とす る。 以 下 はその代 表 的主張 で あ る。・
「士 王我 国 に来 りて40年 余,人 を教 化 伝播 せ しむ るに我 俗 語 を用 いて 義 を説 き漢 字 の文 句 に通 ぜ しむ。 呼 び 名を記 す 国語詩 を集 め嶺 チー ナム フ丁ムヴ ン チ -に従 いて 『指南 品 菓』上下 二 巻 を成 す」
(『指 ナ ム ゴツタ丁ムザ イギ ア 南 玉 音解 義』
< 15世 紀 ?>)
38)Can氏によると約20例に過 ぎ な い と言 うo Can,op.lit.,p.23,footnote17. 39)朝鮮の国字 「独
」(tjan「山羊」)や 「蛸
」(so「舟 虫」)などの存在 も興味深い。藤本 「前掲論文」 p・43・いずれも声符が主で義符が従であろう。 40) 「字晴』の構造については以下の論文,辞書に 詳 しいので参照されたい。 間者 1933.「論字嘱 (Ch荘N6m)之組織及其与 漢字之関渉」
『燕京学報』14期, pp.20ト242. 山本達郎 1935.「間者氏,
『論字晴(Ch荘 N6m) 之組織及其与漢字之関渉』」r
東洋学報』12.2, pp.140-151.Nguyさn Quang Xi,VnVan Kinh 1971.`Tll Diさn Ch荘 N6m (『字典守字噛』).' Trung Tam HpCLieu,Saigon.
41)HoaB毘ng1970・"Ⅴ岩vand芭ch荘N6m,Gdp
チ
vbi6ngbanTranVanGiapvさbai《Ngu8ng6c ch荘N6m》,"`Ngh i仝nc血ユ1享chs任,'S6thang8, tr.57-62.・
「列 国言 語 不 同,- 国有一 国語 ,我 国,自 士 王詳以 北 音 ,其 間百 物猶 未 詳識 ,如 推鳩 不 知 何 烏, 羊桃不 知何 木 , 此 類 甚 多,是 書 註以ダイ 国音,暦得 備 致 ,或有 易 知者 ,亦不 必 註」(
『大 ナム クオ ツタグー ヴ丁 ンダ ークー シー 南 国 語』 <義例 篇 > 文 多居士 1880)・
「漢霊 帝 の 頃 中 国 か ら逃 れて 来 た無 名,有 名 の学者 を士 壁 が保 護 また は利 用 して , 自分 の威信 , 政治権 力 を聾 国 にす るた め にベ トナ ム人 に漢 学 思想 を教 授 させ た」(チ ャ ン・ヴ ァ ン ・ザ ップ氏42))・
「土壁 はベ トナ ム人 に漢字 を教 え,記 憶 さ せ る際 の工夫 と して,
『字晴』を考 案 した 。し か も彼 は中 国 旧広西 省 蒼 梧 郡 広信 の人 で あ り, 昔 か らその土地 で広 く用 い られ て いた『字晴』 によ く似 た俗 字 に親 しんで いた」 (ソー ・クオ ン氏43))C 8
世紀 説 フン フン ポー カ イダ イ グォ ン 鴻 興 の死後 の尊 称 「布 蓋 大 王 」中 に見 え る ポー
カイ
「布」しベ トナ ム語 で 「父 」 の意味),
「蓋 」(ベ トナ ム語 で 「母 」 の意味) とい う二 つ の 『字 晴 』 の存 在 を根拠 とす る。 (グ ェ ン ・ヴ ァン・ トー氏,44)ズオ ン ・ク ワ ン ・- ム氏45))D I
O世 紀説 テ ィ ン ダ イ コー ヴ イエ ツ ト コ 丁 朝 の 国号 「大 理 越 」中 に見 られ る「埋 」 42)TramV且nGiap,oP・cit・43)S& Cuang 1932・ ``ChB n6m vbiQu6cng諒,"
N am Pho72g,No.172,pp.495-496・なお,氏に よると中国末代の 『嶺外代答』には 『字噛』によ く似た次のような文字が記 されていると言 う。 (ノあ'd.,p.496)・ 「歪」(小 さい),「垂」(静かな)etc・ また,聞宥氏が研究 した 『広西大平府訳語』に も以下のような文字が見えると言 う。(西田「前 掲論文」p・42)・ 「屋穿」(lao星)
,
「胴」 (kbai月)etc・ さらに現代広東語における以下のような表記法 も興味深い。(中嶋幹起編 1977.『卑語常用語 集集』アジア ・アフリカ言語文化研究所)0 「脚」(leih舌),「也」(naメス)etc・44)NguyさnVanT61930・ "Langueetlitt6rature annamites:NotescrltlqueSI
,
"
B.E.i.E.0.,t. XXX,pp.141-145.45)DtrungQuangHa・m 1943・`VietNan VanHqC S丘Yさu.' Hanoi,tr.1131120.
東 南 ア ジア研 究 17巻1号 (ベ トナ ム語 で 「突 出 した 」 の意 味 )の字 の存 在 に基 づ く。46)(グ ェ ン ・ヴ ァ ン ・ トー 氏47)) (2) 『字 晴 』 の体 系 を成 す 文 字 と して の 発 生● ● ● ● ● ● ● A
8-9
世 紀 説 歴 史 音 韻 論 の立 場 か ら, 『字 晴 』 が ベ ー ス とす るベ トナ ム漢 字 音 の 確 立以 前 に は この文 字 の発 生 は あ り得 ず , ベ トナ ムが 独 立 の時 代 に入 ろ う とす る瞬 間 に出現 した とす る。 (グ エ ン ・タ イ ・カ ン氏48))B
1
0
世 紀 説 漢 字 音 が形 成 され始 めた8- 9世 紀 よ りや や クツク 遅 れ ,905年 の いわ ゆ る 「曲 氏 建 業 」 を一 つ ゴ- デ イ ン の境 と して,938年 呉 朝 成 立 ,968年 丁 朝 成 立 ,レ′ -980年 袈 朝 成 立 へ と至 る 自主 時代 に旺 胎 し, リ -1010年 に始 ま る李 朝 時代 に は十分 確 立 して い た と見 る。49)この説 の根 拠 につ い て はあ と に 詳 し く紹 介 す る。 (ダ オ ・ズ イ ・ア ィ ン氏50))C 1
2
-1
3
世 紀 説 第 3章 に述 べ た よ うな歴 史 書 の記 述 に よ っ ハ ン トウエ ン て 韓 詮 の時 代 を 『字 晴 』 の発 生 と一 応 見 な チ ャ ンズ ー トン テ ィエ ウ フォ ン ニ ン す 。 また,1343年 (陳 祐 宗 , 紹 豊 3年 )の寧 ビン ホ ー タ イ ン ソ ン 平 省 (覗 - ナ ム- ン省) の護 城 山 の石 碑 を グ ェ ン チ ヤ イ ザ ー フア ン カー 『字 晴 』 最 古 の碑 文 と し,l玩 薦 の 『家 訓 歌』 を最 古 の文 献 と して 挙 げ,
『字 晴 』は陳 朝 に至 る まで に既 に久 し く存 在 し,発 展 して い た の か も知 れ な い とす る051)(H.Masp6ro氏,52) P.Pel】iot,L Cadiさre氏53)) 以 上 の よ うな 諸 説54)は多 くは未 だ 臆 断 の 域 を 出て いな い と思 わ れ るが, 最 近 に な って 歴 史 音 髄 論 を導 入 し, 『字 噛』の構 造 そ の もの の変 遷 を詳 し く究 明 す る こと に よ って そ の起 源 を辿 ろ う と言 う方 向 が提 起 され つ つ あ る こ とは極 めて注 目す べ き こ とで あ る。 中 で もダ オ ・ズ イ ・ア ィ ン氏 の最 近 の研 究 は非 常 に興 味 深 い もの が あ る。以 下 で は主 と して 氏 の研 究 を 紹 介 しつ つ 『字 晴 』 の構 造 そ の ものの 変 遷 を 辿 り, また それ が 『字 晴 』 の起 源 を 求 め る作 業 に果 た して 有 効 な 力 を発 揮 す る ことが で き る の か否 か 詳 し く検 討 を 加 え て み よ うと 思 う。 Ⅵ 『字 晴 』 の 変 遷 ア ィ ン氏 は『字 晴 』を 時代 的 に大 き く三 つ の 段 階 に分 けて い る。 そ して そ の各 段 階 に お け る代 表 的作 品 を 抽 出 しそ れ らの 作 品 中 の 『字 晴 』 の構 造 を 一 つ 一 つ 分 析 し, 先 に紹 介 した よ うな分 類 を施 しそ の一 つ 一 つ の 種 類 の文 字 を 数 量 化 し全 体 の 中 に 占 め る割 合 を 出す 。 そ して そ の よ うな作 業 を す べ て の 作 品 に通 用 し て そ の変 遷 の大 ま か な傾 向 を調 査す る。 一 口 レーダTン7- ダイダイエッ トスーキー 46)上の両 『字晴』は繁 文 休の『大 越 史記』(1272 ゴーシ-リエン ダイ 年完成)には登録 されていず,呉士 達 編の『大 ダイエッ トスーキー トアントウ一 越 史記全 書』 (1697年上梓)になって初 め て記録 されていることを もって この説 に疑いを さしはさむ人 もいるO(DaoDuyAnh,oP.cz't., p.42). 47)NguyさnV且nT6,02.cit.48)Nguy6n TaiCan1971. 日C血lieung任 am hoc lichsB vbivan dさthbikf ⅩuathiencGaCh荘
N6m,"`Ng6nNg諒,'S61,tr.41. に言 え ば氏 の研 究 は この よ うな もの で あ る。 まず 氏 が取 り上 げた文 献 につ いて 若 干 解 介 して お か ね ば な る ま い。 49)東 アジア地域 につぎつぎに発生 した諸疑似漢字 との関連 も考え られる。当時の情況を,西 田「前 掲論文」 p.36より引用 しておこう。 「東 アジア地域で,十世紀頃になると,中国周 辺の有力民族 は,次 々に固有の文字を持 ちだ し た。それまで漢文を唯一の通達手段 としていた 民族が,漢文 にかわ って 自国語を, 自国の固有 文字によって, しか も漢字に対抗で きるような 重厚な字形を具えた文字を作 り出 して,書 き表 わそうとした。 まずその代表的な動 きが,漢字 に似せた字形の文字を作 る方向とな ってあ らわ れ た
--・
」
50)DaホータoDuyAnhインソン ,oP・cit. 51)護 城 山の石碑を確認 した ものは誰 もいず,しか ザ-フ丁 ンカ-も 『家 訓 歌』も後代の偽作 と見 る説が最近有力 である。 これ らを 『字晴』最古の資料 とするの は問題であろう。冨 田 :ベ トナ ムの民族 俗 字 F字噴 』 の構造 とそ の淵 源 <第
1
段 階 > ヴ アンパ ン 1) 雲 本 寺 の銅鏡 55) 字 数 が余 りに少 な過 ぎて体 系 的 な資 料 とは 成 し難 い もの で あ るが ,1958年 に漁 民 が偶 然 , 海 底 か ら引 き上 げた ド一 ・ソ ンの雲 本 寺 の銅 鐘 で ,11世 紀 後 半 (1058年 に建 立 され た ド一 ・ソ ン塔 に遅 れ る こと18,9年 の1076年 ころ リ- ニ ヤ ン トン と見 られ る)の李 仁 宗 時代 つ ま り李朝 半 ば の もの と見 られ て い る。 ノヾオ ア ン 2) 報 恩 寺 の碑 文 諾 /# ィhk(,8号Ma
s
p6
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o
の 言 う 現 禦 更 の 『字 晴』碑 文 つ ま り護 城 ソン 山 の碑 文 を捜 し求 めて い る うち に, これ また 偶 然 に発 見 され た ヴ ィ ン ・フー省 イ エ ン ・ラ ン県 タ ップ ・ミェ ウ社 の報 恩寺 に あ る李 朝 末 リー カオ トン チ ビン ロンウン 李 高 宗時 代 の治平 龍 応 5年 (1209)の銘 の あ る 碑 文 で あ り, そ こに別 され た20個 以 上 の互 い に異 な る 『字晴 』 は今 日,目 に し得 る 『字 晴』 と根 本 的 に は全 く異 な らな い既 に確 固 と した 体 系 を成 した もので あ る と言 う。 つ ま り既 に 13世 紀 の初 め に は 『字晴 』 は十分 に体 系 化 さ れ て お り, それ以 前 にか な り久 しい時間 的経 過 が あ った こ とを推 測 せ しめ る証 拠 と成 し得 る もので あ る。Mas
p6
r
o
の言 う現 存最 古 の碑 文 が 正 し く彼 の言 うよ うに1343年 の もの で あ るな らば, それ に先 んず る こ と1世 紀 と30数 年 前 に は既 に十 分体 系 化 され た 『字晴 』 が石 碑 の上 に刻 み込 まれ て い た こ とにな るわ けで あ る。 52)H.Masp6ro,oP.cii.ただ し碑文 に記 されている という20個の村名を一つ も挙げていない。 53)P.Pelliot,L Cadiとre1904."Premi とre6tudesurlessourcesannamitesdel'histoired'Annam,"
B.E.F.E.0.,t.IV,p.62.
54)その他の説については以下の論文参照。
VuongLoc1975."Coupd'Ceilsllrl'6volutionde lalanguevietnamienne,"Etude∫Vietnamien718∫,
No.40,pp.15-18.
55)TramHuy】】a1963."Me'tquachu6ng700nam dtrbidaybign,= `Taqu6C,∫S6thang3で 初 め て紹介 された ものであるが,年号確定 には未だ 疑いが残 る。 ティエントンバンハ
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3)『
禅 宗 本 行』
8賦 中4賦 クーチ ャ ン ラツ クダ オ A 「居 座 楽 道」 ダ ック トウー ラム トウエ ンタ インダ オ B 「得 趣 林 泉 成 道」 チ ヤ ンニ ヤ ン トン (陳 仁 宗 1258- 1308) そ の文体 (詩 型 ),
『字晴 』 使 用法 , 語 句 の 新 旧, 内容 に至 るまで す べ て の角 度 か らの分 析 に よ って これ が陳 仁 宗 そ の人 の賦 で あ る こ とを氏 は詳 し く論 証 して い る。 も しこの説 が 正 しい とす るな らばMas
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の言 う現 存 最 ザ ー フ丁 ンカー 古 の文 献 『家 訓 歌』よ りや は り 1世 紀以 上 も 古 い 時代 の 『字 晴 』 とい う こと にな ろ う。 ゲ インホ ア イエ ン トウ チユ ツク ラム フエ ン クワ ンC
「詠 花 安 寺」(竹 林 派第 三 祖 玄 光 ) 玄 光 自身 の賦 か否 か は疑 いが残 る と して も 陳 代 の もので あ ろ うと言 う。 ザ オトウ-D
「教 子 」 チ ヤ ングエ ンマ ッ クデ インチー 状 元 莫 挺 之 の死 して 陰府 に入 りて よ り 7日, 地 獄 を垣 間 見 て , 生 きか え りて子 供 に 教 え るの賦 とあ る と言 うが 内容 的 に は 4第 の 賦 中最 も劣 って お り後 代 の付 会 で はな い か と す る。 に もか かわ らず そ の用字 法 か ら陳 代 の もの で あ る と断定 し得 る多 くの要 素 を有 して い る と言 う。 そ の他 ,陳 代 末 まで の この段 階 に入 れ る こ とが可 能 と思 われ る作 品 に次 の ものを挙 げて い る。 テ ィエ ン T.ン コア フーグ ール ッ ク トウエ テ ィ ン 4)『
禅 宗 課 虚語 録 』 (慧 浄 禅 師) チ ヤ ンズ エ トン 禅 師 は陳 末 の 陳 容 宗 時 代 の 人 で あ る と言 う説 が最 近 有 力 で, そ の用 字 法 か らも この作 品 は陳 朝 末 遅 くと も繁 朝初 期 の もので はな い か と して い るO 因 み に この作 品 はか の有 名 な チ ャ ンクー イ トン コア フール ツタ 仏 学 書 , 陳 太 宗(1218- 77)の 『課 虚 録 』 の 解 釈 本 で あ る。 <第 2段 階 > チ- ナム ゴ ツタ7 ムザ イギ T l) 『指 南 玉 音 解 義 』 六 八体 で書 かれ た一 種 の漠 越 字典 で あ り, 氏 に よ る と極 めて貴 重 で科学 的価 値 の あ る文 献 と言 う。現 在 目に し得 る もの は1761年 (景 興22年) の亥腔口本 で はあ るが後 代 の改 変 は少 95東南 ア ジア研究 17巻1号 グエ ンチヤイ クオ ツク な くそ の用 字 法 は次 に述 べ る 院 薦 の 『 国 7ムテイタツブ 音 詩 集 』に近 くそ れ よ り もやや古 い もので は な い か と言 う。 いずれ に しろ黍 朝初 期 の もの で あ ろ うと言 う。 2) 『国音詩集 』 グェ ンチ 十イ 院 薦 の最 も有 名な 『字晴 』 詩 集 で, 彼 の ウツクチヤ イズ イタツプ 『抑 斎 遺 集 』 の第 七章 を 占める もので あ る。 古 い 『字晴 』 の形 態 を留 め る袈 朝 初 期 の作 品 と言 う。 ホ ン ドゥツククオ ツクTムティタ ップ 3) F洪 徳 国 音詩 集 』 ダム グアン レー レークイン トン 帝 文 礼 に よ って袈 聖 宗
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の主 宰 タオダ ン ニー タッ プ/<ツ トトウ∼ す る騒 壇会 の メ ンバ ー二 十 八 宿 の詩 を 蒐 集 した もの と言 われ, 聖 宗 の晩年 また は没後 に成 った もの とされて い る。袈 朝 聖 宗 治下 で 見 事 花開 いた 『字晴 』 に よ る民族 語詩 の代 表 と もされ る もの で あ る。 <第2- 第3段 階過 渡 期 > チエエ ンキ ーマ ンル ッ クサ イ丁ム 『 伝 奇 漫 録 解 音』
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年 に起 こ った 莫 朝 の末 , す なわ ち1
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グエ ンズー 世 紀 末 ごろ世 に出た と言 われて い る。院 塊 の チエエ ンキーマ ンル ック グエ ンテーギー 『伝 奇 漫 録 』 を 同時代 の 院 世 宜 が解 音 した もので あ り, そ の用字 法 は第2段 階 か ら第 3 段 階 の過渡 期 的状況 を示 して い る と言 う。 <第3
段 階 > ホ丁ティエ ンキー 1) 『花 茎 記 』 グエ ンフイ トウ 中 国 明朝 の通俗小 説 を 院 輝 似(
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ズ イエ ン丁ム ホ 丁ティエ ン が韻 文詩 の形 式 に翻 訳 - 演 音 した 『花 集 チユ エ ン 伝 』の いわ ば原形 とで も言 え る もの で,輝 似 の家族 が手 写 して久 しく家蔵 して いた もの が最 近発 見 され,1
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年 にア ィ ン氏 た ち によ クオ ツ タグ ー って 国 語 字 に翻字 され た もので あ る。 『花 篭 伝 』 に比 べ そ の 『字晴 』 の使用 法 が原本 に よ り近 い と言 わ れ,1
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世 紀 末教 朝 末期 の もの と見 られ る。 キム ゲ丁ンキユ ウタンチユエ ン 2) 『金 雲 勉 新 伝』
ベ トナ ムの国 民文学 の最 高傑 作 ,古典 の代 表 作 品,民族 の ことば の宝庫 な ど数 々の形 容 詞 を冠 され, ベ トナム人 に今 日で も最 も愛 読 され て い る古典 文学 作 品 の一 つ で あ り, 中 国 の通 俗小 説 の演音 で あ る と言 う点 で も, 『字 晴 』 に よる六 八体詩 で あ る と言 う点 で も最 も グエ ンズ-典 型 的 な作 品 と言 え よ う。 院 朝初 期 の 担元侠(
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の作 品 で あ るo ダ イナムクオツ タスーズ イユ ンカー 3) 『大 南 国 史 演 歌 』 第 3章 参 照 。 そ の用 字法 はか な り原 則 的 で この 時代 の代 表 と して信 頼 に足 る作 品で あ る と言 う。 これ まで に挙 げた他 の諸 作 品 と異 な り歴 史叙 事 詩 で あ り,借 用漢語 (と くにカ ン 氏 の言 うAl)の比率 が高 くな る ことはやむ を 得 な い。 ア ィ ン氏 は以 上 の諸 作 品 を それ ぞ れ の段 階 の代 表 と して挙 げ, この うち第 1段 階 の全 作 品,第 2段 階 の 『国語 詩集」,第 3段 階 の 『花 篭 記 』 と 『大 南 国史 演歌 』 につ いて,具体 的 数字 を挙 げて そ の 『字晴 』 使用法 を浮 き彫 り に しそ の変遷 を辿 って い る。次 頁 の表 はそ れ を 図表 化 して ま とめた もので あ る。数字 に若 干 矛盾 す る と ころが あ り修 正可 能 な部分 はで きるだ け修 正 した が,不 可 能 な部 分 はその ま ま に して おいた 。 取 り扱 われ た文献 の数 が少 な く, そ こか ら 断定 的 な結 論 は引 き出 し難 いが, そ の構 造 の 変 遷 に見 られ る一 般 的傾 向 を描 き出す ことは 可 能 で あ る。氏 の仮説 を さ らに簡 略化 した9
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ペ ー ジの図を参 照 しな が ら論 を進 め よ うo す なわ ち,
『字晴』の発 生 か ら揺 藍 期 にか け て の第 1段 階 で は圧 倒 的 に漢字 を原 形 のま ま 借 用 す るい わ ゆ る仮 借 字 が 多 く, 中で もア ィ ン氏 の言 う第 1仮借 ,第 2仮借 の 占 め る割 合 が高 い。 (報 恩寺 碑 文 で,第1
,第2
仮借 よ り 第 3,第 4仮借 が圧 倒的 に多 い の は,ベ トナ ム 語 の地 名, 人 名を多 く書 き記 して い るた めで あ る)。 しか も漠 字 音 確立以 前 の,つ ま り唐 代 以 前 の中国音 を直 接 保 存 す る, ア イ ン氏 の言 う第 1仮借 字 の頻 出率 が全 体 と して高 い こと も興 味深 い。 また この段 階 にお いて既 に形 声 文 字 も安 定 した頻 度 を保 ち, この時 期 には既 に借 用 漢字 のみ でベ トナ ム語 を暗示 す る こと冨 田 :ベ トナ ム の民族 俗 字 『字 噴 』 の 構造 とそ の淵 源 表 1 臆
兜
嘉 21 宗 主 嘉 三 品 2 総字数 <第 1段階 > 1) 雲本寺銅鐘 2) 報恩寺碑文 3) 『禅宗本行』(8賦 中 4賦) A 「居 塵楽 道 」 1482 B 「得趣 林泉 成道」 336C
「詠花安寺」 D 「教子」 4) 『禅宗課虚語録』 <第 2段階 > 1) 『指南玉音解義』 2) 『国音詩集』 3) 『洪徳 国音詩集』 <第2-第3段階過渡期 > 『伝奇漫録解音』 <第 3段階 > 1) 『花等記』 2) 『金雲勉新伝』 3) 『大南 国史 演歌』 642 序 文 300 538 頭2章 303 頭100句 700 仮借 仮借 仮 借 仮借 1 1 1 2 13 2 5% 8% 54% 8% (13% ) (62% ) 112 807 8% 54% (62% ) 13 156 4% 46% (50% ) 60 225 9% 35% (44% ) 10 100 3% 33% (36% ) 128 316 9% 21% (30% ) 34 93 10% 28% (38% ) 63 113 10% 18% (28% ) 39 100 13% 33% (46% ) 32 144 54 151 6% 27% 10% 28% (33% ) (38% ) 23 96 8% 34% (42% ) 33 372 5% 53% (58% ) の不 可能 な ことが認識 されて いた ので はな い か と思 わ れ る。 ところが第 1段 階 の終 わ りに 位 置す る 『禅 宗課 虚語 録』
あた りを境 に して 第1お よび第2仮借 字 が 目立 って減 り始 め る。 つ ま り漢 語 を そ の ま ま音 義 と もに借 用 す る度 合 が減 りそ の代 りにベ トナ ム語 そ の ものが表 面 に現 われ て くるの で ある。 そ れ は第 4仮借 (C2)の漸増 とい う形 で現 われ て い るの で は 28 54 9% 15% (24% ) 37 90 5% 13% (18% ) B G I G 2 第 5 第 1 第 2 仮 借 形 声 形 声 会 意 121 22% 100 33% 90 71 13% 10% (23% ) な いか とア ィ ン氏 は推 測 す る。 も う一 つ の傾 向 は, 次 の第 2段 階 において一旦 形声 文字 が 減 少 す る ことで あ る。つ ま り,声符 と義符 の 複合 とい う造 字 の原 理 の 当然 の帰 結 と して, 複雑 化 し過 ぎた この種 の文字 が逆 に簡 易化 を 目ざ して再 び仮借 の字 を利 用す る方 向へ と逆 戻 りす る。 これ も第 4仮借 へ流 れ込 んだ ので はない か とア ィ ン氏 は推 測 す るC そ して第 3 97東 南 ア ジア研 究 17巻1号 類 令 氏 ン カ A A B C C D D E F G G 1 2 1 2 1 2 1 2 顎 鮒 鯛 鯛 餓 鯛 鵬 ン 2 1 5 3 4 ィ 第 第 第 第 第 ア &; I; 形 形 意 1 2 会 第 第 時 代 区分 く1