アメリカにおける教育の始まり(植民地時代)
本 城 精 二
序
アメリカの教育は今や世界一のレベルと言えるだろう。アメリカの歴史は浅 いが、植民地時代に教育制度が整い、さらに独立以後益々発展し、非常に近代 的な教育制度を整えている。特に19世紀以降は教授法の研究が進み、また教員 の養成機関が設立されたり、教員の待遇が改善され、教員の資質も向上してい る。また州立の大学が各州に設立され、高等教育が大衆化している。そして現 在では教育や学問に関して、アメリカはほとんどの分野で世界第一の国である。 歴史的にヨーロッパよりはるかに短い国ではあるが、いつの間にか世界一の国 である。 政治、経済、産業、科学、軍事力、その他ほとんど何を挙げても現代のアメ リカは世界第一級の国である。教育も世界第一と言ってよいだろう。それらの 発展はめざましいものがある。19世紀以降アメリカは政治力、経済力、軍事力、 その他あらゆる分野領域で発展し、ヨーロッパに肩を並べるまでになっている のである。さらに20世紀においてはヨーロッパをしのぎ、いつの間にか世界第 一の国家に成長しているのである。歴史と伝統を除けばアメリカは世界第一の 国である。教育も世界第一級の国である。どのようにして短い歴史の中で教育 がここまで発展したのであろうか。独立までの時期、つまり植民地時代に限定 してアメリカにおける教育の始まりについて考えてみたい。 独立までに女子教育のための学校が創設されたり、また大学に医学部が開設 されるなど、アメリカは独立までに教育や学問についてかなり先進国であった と言える。しかし女子教育や医学教育については独立後さらに躍進しているの で、この小論ではそれらを除いて独立までの教育の始まりを追求してみたい。 アメリカは移民の国である。ただアメリカと言うとき、我々は白人がヨーロッパから移民して新世界と呼ばれていたところに築いた社会を便宜上アメリ カと呼んでいる。本当はそれまでに原住民が築いた社会があり、彼らの長い歴 史があったはずである。そして移民してきたヨーロッパ人が原住民の大地を侵 略して、アメリカという国家を建設したというのが歴史的事実である。今現在 我々が呼ぶアメリカとは、17世紀以降にヨーロッパから移民してきた白人が中 心になって建設した社会をアメリカと呼んでいるのである。この小論において も17世紀以降に新世界に建設された社会をアメリカと呼んでいる。 ヨーロッパからの最初の移民は1607年にヴァージニアのジェイムズタウン Jamestown に上陸し、まず最初の植民地を建設した。その後ジェイムズタウン がアメリカ南部植民の玄関口となって、南部の植民は拡大していった。一方北 部ではマサチューセッツのプリマス Plymouth に1620年にメイフラワー号で移 民した人々が最初の植民地を建設したのである。これ以後アメリカには植民化 の特徴としてふたつの流れができ、マサチューセッツをはじめとする北部的な 植民地と、ヴァージニアをはじめとする南部的な植民地が次々と形成されるこ とになったのである。 17世紀初頭にヨーロッパから移民してきた人々にとって何が最もせっぱ詰 まった切実な問題であっただろうか。宗教的な自由や経済的な自由を求めて、 当時新世界と呼んでいたアメリカという新しい大地にやって来た人々にとって、 大事にしたいものはたくさんあったかもしれない。しかしその中で一番せっぱ 詰まったものと言えば生き残ることであろう。 1 日 1 日を生き延びることが最 大の問題であっただろうということは容易に推測できる。ヨーロッパから移民 してきた人々にとってアメリカの大地はまったく予測し得ない土地柄であっ た。気候も風土も本国のそれらとまったく異なるため、生きること自体が大き な試練である。とにかく移民の主目的を達成するためには生き延びねばならな いことは言うまでもない。その辛苦は計り知れないものがあっただろう。それ らを想像するためには当時の掘っ立て小屋のレプリカを見学するとよいだろう。 ジェイムズタウンにも、プリマスにも当初の集落が復元され、一般に開放され ている。それらを見れば当時の生活の辛苦が十分想像できるだろう。 プリマスに清教徒たちが最初に上陸し、プリマスに小さな社会を建設し始め たのが、上に述べた通り、1620年のことである。そして厳しい冬の寒さと餓え のために多数の人々が春を迎えることなく他界しているのである。厳寒の冬を
乗り越えて約半数の者が生き延びることができたのを感謝するために、翌1621 年の秋の収穫の頃開いた宴が感謝祭 Thanksgiving Day の始まりである。それか らも徐々にではあるが少しずつ生活が安定し、自分たちの望む形で、いつでも どこでも自由に宗教活動をすることが可能になった。好きな時、好きな形で自 由自在に宗教活動をすることは彼らが大西洋の荒波を乗り越えて移民してきた 当初の目的である。とりあえず当初の目的が達成できたとなれば、その次に必 要なものは何だったのだろうか。そのひとつは教育ではなかっただろうか。17 世紀の初頭にマサチューセッツに移民した人たちの教育の場は本国であるイギ リスにしかなかった。イギリス本国へ子息を教育のために送り込むのが通例で あったが、アメリカにも教育の場を設立する機運が高まり、教育問題が浮上し てきたのである。教育の必要性から学校というものが設立されたが、アメリカ の教育はどのように始まったのか、そしてまた何故教育が必要であったのかを 考察してみたい。
Ⅰ.高等教育機関の設立:次世代の指導者の養成
まず最初に、後のアメリカ社会に文化的また教育制度上大きな影響を与えた マサチューセッツの教育事情について考えてみよう。植民地時代は牧師が社会 の指導者であり同時に政治家でもあった。次世代の牧師を養成するために、彼 らは子息たちをイギリスの学校に送り込んでいたのである。17世紀初頭はアメ リカに教育機関がなかったからである。しかしアメリカに移民してきた人々は ヨーロッパ本国にいてはできない、彼ら独自の宗教活動をするために大西洋の 荒波を乗り越えて来たのである。生涯二度と祖国を見ることも、友人や親族に 会うこともない覚悟で新天地へ移民してきたのである。そのためには自分たち の望む宗教的自由が必要であったし、自分たちの宗派の独自の宗教的解釈を次 世代に伝えていく必要があったのである。このためにアメリカには各宗派独自 の教育を施す機関が必要となってきたのである。つまり自分たちの独自の宗教 観を持った人材を育成し、次世代の指導者としての牧師を養成することが不可 欠であったからである。 アメリカにおける最初の学校は1636に設立されたマサチューセッツのハーヴァード神学校 Harvard College である1。それは神学校として設立されたもの
で、次世代の指導者を育成する狙いがあった。宗教活動のためには牧師が必要 であり、牧師には高度な学識が必要であるために高等な教育機関が必要である。 そのような目的を持ったアメリカ最初の高等教育機関がハーヴァード大学の前 身であるハーヴァード神学校である。
その頃の教育機関や教育制度に関する項目をAmerican Eras: The Colonial Era
1600-1754(A Manly, Inc. Books, 1998)から拾い上げてみよう2。その中で、ま
ずハーヴァード神学校が天動説を否定し、地動説を受け入れたという項目に注 目してみよう。
1656 Harvard College formally accepts Copernican theory.
これは当時としては文字通り天地がひっくり返る大騒動であっただろう。キ リスト教の世界では天動説が信じられていた時代に、ハーヴァードの学者は地 動説を唱えているのである。地動説はポーランドの天文学者であるコペルニク ス Nicolaus Copernicus(1473-1543)が提唱したもので、地球を含めた惑星が太 陽の周りを回っているという説である。この地動説は神に対する挑戦として受 けとめられ、天動説を支持していた教会が拒絶していた説である。それをハー ヴァードの学者は受け入れ、科学的な態度を表明しているのである。 ハーヴァードが地動説を受け入れるということは、当時の教会中心の神政政 治の社会状況を考慮すると重大な事態ではなかったのだろうか、と推測せざる を得ない。地動説を唱えたコペルニクスでさえ、宗教上の異端児となることを 恐れて、自説を公表したのは死去する直前である。それから110年余り後とい えども、地道説はキリスト教の世界では異端視されていたことであろうと推測 されるのである。そのような時代にハーヴァード大学の学者が地動説を受け入 れるということは、「神学校」としてスタートした設立の趣旨に反することで あり、大きな混乱を招いたのではないだろうかと推測してしまうのである。 ハーヴァード神学校はそもそも次の世代の牧師を養成する学校である。当時、 牧師は政治家でもあり、社会の指導者でもある。しかしハーヴァード神学校が 天動説を否定し、地動説を受け入れるということは、自然の摂理を科学的に受 け入れるという態度の表明である。学者が科学的な真実を受け入れるというこ
とは、科学的に正しい思想を高く評価した結果であると言える。そしてそれは 科学的な思考をする指導者を養成することにつながると言える。
一方、南部と言われるヴァージニアの教育はどうであろうか。アメリカは移 民が始まった当初から、北部は北部的な特徴を帯び、南部は南部的な特徴を帯 びた植民地が拡大していったが、ヴァージニアの教育はどうであったのだろう。
1693 A charter for the College of William and Mary in Williamsburg, Virginia, is signed. James Blair receives a grant to “furnish Virginia with a seminary of ministers, to educate the youth in piety, letters and good manners and to propagate Christianity among the Indians.” The school opens the next year.
アメリカで 2 番目に古い大学はこの項目に示されているウィリアム&メア リー大学 College of William and Mary である。1693年にイギリス国王から大学 の設立認可を得て、翌1694年、ヴァージニアの小さな町ウイリアムズバーグ (現在は古都として保存されている)に設立された。その狙いは、上の英文の ことばを要約すれば「ヴァージニアに神学校を創設し、若者を教育し、そして 原住民(インディアン)にキリスト教を布教する」ことであった。そして南部 の植民地の拡大にヴァージニアは大きな貢献をし、南部植民地の中核となっ て発展していったのである。さらにAmerican Eras の1723年の項目には“The
first permanent Native American school is established at the College of William and
Mary.”3と記されているのである。これも当時のイギリスのアメリカに対する 観念が反映されたものである。原住民にキリスト教を理解させ、野蛮人から文 化人に変えようというイギリス側の発想である。それはそれなりに注目に値す る。 アメリカで 3 番目に設立された高等教育機関としてイェール大学の前身が挙 げられる。イェール大学は現在ハーヴァード大学と並んで極めて高く評価され ている大学である。次に上げるのはイェール大学の前身ができた経緯を示す項 目である。
1701 Congregationalists dissatisfied with the growing liberalism of Harvard College established the Collegiate School in Killingworth, Connecticut.
このようにイェール大学の前身はハーヴァードから分離した会衆派の人々が コネチカットに設立したものである。それが1745年に次の項目が示すように イェール大学となったのである。
1745 The Collegiate School of Killingworth, Connecticut, moves to New Haven and changes its name to Yale College.
これらふたつの項目はイェール大学の設立のいきさつを示している。ハー ヴァード神学校のリベラルな考えに反発する会衆派の人々が、1701年コネチ カットに別の学校を設立した。その学校は1745年ニュー・ヘイヴンに移され、 そして名前をイェール大学と変更したのである。それが現在ある名門イェール 大学設立のいきさつである。名前がイェールと変更になったのは1745年である が、設立は1701年というのが通説である。この大学も次世代の牧師、すなわち 次世代を統治する指導者を養成するための高等教育機関であった。 次にニュージャージーに目を向けてみよう。そこにはプリンストン大学があ る。プリンストン大学と言えば誰でも知っている名門大学である。
1746 The College of New Jersey receives a charter, and the next year it opens in Elizabethtown. The school later moves to Princeton and changes its name to Princeton College.
この項目にニュージャージー大学 College of New Jersey の起源が示されてい る。それがプリンストン大学の前身である。プリンストン大学は1756年にプリ ンストンに移設され、校名がプリンストンに改称されている。そして当時アメ リカ植民地にある大学として“the largest college in the American colonies at this time”4 である。
1766 Queen’s College in New Jersey(Rutgers University) is granted a charter. The college... is affiliated with the Dutch Reformed Church.
ガー大学が設立されたいきさつを示している。この大学も次世代を担う牧師 を養成するための学校であった。そして次にペンシルベニア大学 University of Pennsylvania の創設については次の項目が示している(Pennsylvania State University は州立大学で University of Pennsylvania とはまったく別の大学)。
1751 Through the efforts of Benjamin Franklin, the Academy and Charitable School of Philadelphia is established; it later becomes the University of Pennsylvania. 次にニューヨークに目を向けてみよう。ニューヨークには高名なコロンビア 大学があり、その前身が1754に設立されている。しかしそれ以前に設立された 高等教育機関があることを記しておきたい。それは、American Eras の年表に よれば1710年設立の Trinity School である。これまた当時としては大切な神学 校である。その後コロンビア大学の前身が誕生しているが、今ではアメリカを 代表する名門大学のひとつである。現在のコロンビア大学はさらに次の項目で 示されている通りニューヨークに1754年に設立されている。
1754 King George II grants a charter for King’s College in New York City; it later becomes Columbia University.
この項目に示されている通り、コロンビア大学は設立当時 King’s College と 呼ばれていたが、後年名称が変更されてコロンビア大学となっている。次に ロードアイランドに目を向けると、プロヴィデンス Providence に高名な大学が ある。
1764 The College of Rhode Island (Brown University) is founded in Providence. It is affiliated with the Baptist Church.
ブラウン大学といえばアメリカを代表する名門私立大学のひとつである。次 の世代の指導者としての牧師を養成することは高等教育機関の使命であった。 それぞれの植民地毎に、あるいはそれぞれの宗派毎に次の世代の牧師を養成す
る必要があったから、1764年に現ブラウン大学の前身であるロードアイランド 大学ができたのである。ロードアイランドはマサチューセッツを追い出された ロジャー・ウィリアムズ Roger Williams が建設した植民地である。そしてバプ ティスト派の牧師を養成する高等教育機関としてブラウン大学の前身である College of Rhode Island が設立されたのである。
American Eras の1721年 の 項 目 に よ れ ば、 現 在 の イ リ ノ イ 州 に A Jesuit
College ができている。当時まだ植民地とさえなっていない未開の地に神学校 が建設されているのは非常に驚かされることである。1776年の独立宣言の時は 13州でアメリカが独立国家となったが、まだその当時のイリノイは未開の土地 であっただろうと思えるのである。そのような土地に神学校を建設するという ことは、キリスト教がいかに重要な意味を持っていたか十分推測できる。 1769年にはニューハンプシャー植民地に Dartmouth College が誕生している。 独立までにアメリカの名門の私立大学が次々と設立されて、高等教育機関とし て機能を果たしてきたのである。そして各植民地で、自分たちの宗派の牧師を 次世代の指導者として養成してきたのである。 植民地時代にアメリカでは名門の高等教育機関が誕生している。19世紀中頃 以降州立大学がたくさん設立されたが、植民地時代の高等教育とは目的を異に していた。州立大学は牧師養成のためではなく、大衆の高等教育が大きな狙い だったからである。1862年のモリル法 Morrill Act 以後は各州に州立大学がで きて、高等教育が大衆化に向かっている。
Ⅱ.初等・中等教育のはじまり
初等教育や中等教育はどのように始まったのであろうか。植民地時代アメリ カで最も教育制度が進んでいたのはマサチューセッツである。教育を施す大前 提にキリスト教の聖書を読ませ、キリスト教を広く大人も子どもも、大衆すべ てに理解させるという狙いが根底にあった。そのためには文字を読めるように 教育する必要があったのである。キリスト教の布教のためには、教育特に読み 書きが絶対必要であったと言える。マサチューセッツは植民地時代最も先端を 行く教育先進地である。そしてアメリカの教育史上後年に大きな影響を与えているのである。
1639 The town of Dorchester, Massachusetts, established the first school supported by community taxes.
この項目が示すように住民の税金で学校が建設されているのである。マサ チューセッツのひとつの町にすぎないが、17世紀という時代を考えると画期的 なことであると言えるだろう。メイフラワー・コンパクトがアメリカ民主主義 の原型であると言われているが、マサチューセッツのひとつの町とは言えども、 税金で学校を建設するという発想が民主的であると言えるだろう。もちろん学 校と言っても、当時は小さな小屋のようなものであっただろう。しかし税金を 使うという発想が注目に値する。
1647 The colony of Massachusetts Bay passes the first compulsory school laws in America. The statute requires every community of at least fifty families to maintain free elementary schools; communities with more than one hundred households have to provide secondary education as well.
この項目が示すように1647年には、マサチューセッツではアメリカで初めて 義務教育に関する法律が制定され、初等中等の教育が始まっているのである。 1639年の段階では義務化されていなかったが、1647年には50所帯のコミュニ ティには無料の小学校の設置を課しているのである。そして100所帯以上のコ ミュニティには中等学校の設置を義務づけているのである。17世紀という時代 を考慮すれば画期的なことであると言えるだろう。これは識字率の向上に大い に貢献する結果となることは明白である。識字率については次章で論じている 通りである。
1669 The first Sunday school is opened in Plymouth, Massachusetts.
マサチューセッツのプリマスでは1669年に日曜学校が始まっている。当然こ れはキリスト教を布教したり、深く理解させる狙いがあったと推測できる。マ
サチューセッツは文化や教育の面でアメリカでの先進地である。後のアメリカ 社会を考えれば、マサチューセッツはアメリカ社会の発展、特に教育と文化の 分野において多大な影響を与えている。
このようにマサチューセッツは教育の先進地である。またペンシルベニアも その後のアメリカ史を考えれば教育や文化の面で先進地である。
1689 The William Penn Charter School is founded in Philadelphia. The first public school in America, it charges tuition, but only for those students who can afford it. ペンシルバニアと言えばウィリアム・ペンの植民地である。この項目が示 すように、W. ペンはフィラデルフィアにアメリカ最初の公立学校を設立した。 しかし経済的に余裕のある家庭の生徒に授業料を課したため、万人が無料で学 べる公的学校ではなかった。それでも17世紀という時代を考えれば画期的なこ とであると言わざるをえない。初等中等教育はこのように17世紀の植民地時代 に始まっているのである。
Ⅲ.識字率と図書館
次にアメリカにおける識字率はどうであったのだろうか考察してみよう。教 育的に、また文化的にアメリカでは最先端に位置づけされるマサチューセッツ の場合からみてみよう。マサチューセッツでは他の植民地より早く教育制度が 整ったということが言える。その結果識字率はどうであっただろうか。次の項 目は女性に限定しての非識字率を示している。1655 Illiteracy among women in Massachusetts Bay is about 50 percent; the rate in New Netherland is 60 percent and in Virginia is 75 percent.
この項目によれば、1655年マサチューセッツ湾植民地の女性の非識字率、つ まり文字が読めない比率は50パーセント、ニューネザーランド(現在のニュー
ヨーク)では60パーセント、そしてヴァージニアでは75パーセントである。こ れは当時の非識字率としては低いと言えるのではないだろうか。逆に言えば文 字を読み書きできる率がかなり高い値であると言えよう。
次にイギリス本国およびイギリスの植民地における識字率について、1754年 の項目には次のように記されている。
1754 Americans are the most literate people in the British Empire. Approximately 90 percent of adult white males and 40 percent of the females in New England can read and write. In other British North American colonies the literacy rate among men varies from 35 percent to more than 50 percent.
ここに示されているように1754年には、イギリス本国を含め、イギリスの支 配下にある植民地も含む「イギリスのエンパイアー」“British Empire”の中で アメリカの人々が最も識字率が高かったと記されている。そしてニューイング ランド全体で言えば、90パーセントの成人の白人男性、40パーセントの成人の 白人女性は読み書きができたということである。当時の識字率としては破格に 高いのではないだろうか。 次に識字率が高いということに関連して興味深いのは図書館の有無である。 どのような場所にどのように図書館が設立されていったのかをみてみよう。ま
ずAmerican Eras: The Colonial Era の年表から年代的に項目を並べてみよう。
1731 Benjamin Franklin founds the first circulating library in the Western Hemisphere, the Library Company of Philadelphia.
ベンジャミン・フランクリンといえば避雷針をはじめたくさんのものを発明 した人物として知られている。社会改良家でもあり、たくさんの格言を残した 文筆家でもある。彼はこの項目に示されているように、1731年にフィラデル フィアで巡回図書館を発足したが、それは巡回図書館としては西半球で最初の ものである。印刷技術が未発達のため書籍は非常に高価であったことは容易に 推測できる。そのような時代に図書館は非常に大きな役割を果たしたであろう。 しかも交通機関のことを考えると、固定された図書館ではなく移動式の巡回図
書館は人々の公益に繋がったであろうと推測できる。
1754 The New York Society Library is established in New York City Hall by 140 wealthy citizens. ニューヨークでは1754年に裕福な民間人によって図書館ができている。そし てそれ以後にも18世紀には各地で次々と図書館が設立されている。当時書籍は 高価であるから、図書館は図書の公共利用の意味で非常に重要な役割を担って いただろうと思える。 1763年 2 月10日にメリーランド Maryland の植民地にも最初の巡回図書館 ができている。American Eras: the Revolutionary Era によれば当時“In England
fifty-three circulating libraries have been established by this time”5と記されている。
1731年にフランクリンが考案した巡回するタイプの図書館がイギリス本国に多 数できたことを示している。
同じくAmerican Eras の年表によれば、同じ1763年の 2 月16日にはサウス・
カロライナのチャールストン Charleston, South Carolina でも初めて巡回図書館 ができている。また同年 8 月29日にはニューヨーク最初の巡回図書館ができて いる。数千冊の図書があったと同書には記されている。
1765年に、“John Mein opens the first circulating library in Boston at his shop called the London Book-Store.”6と記されている。これはボストンにも巡回図書館が出
現したことを意味している。また1768年にルイス・ニコーラ Lewis Nicola がフ ランクリンとは別の巡回図書館を開いたことが示されている。そして約400冊 を収蔵していたとも同書は記している。このように教育や識字率の問題に関し て、図書館の存在は植民地時代に重要な意味があったと言えるだろう。
Ⅳ.黒人教育
南部の黒人は奴隷であり、自由も平等も人権の保障もなく、民主主義とは縁 のない存在である。南北戦争後、奴隷制度は形式上廃止されたが、ここでは独 立以前の黒人教育に目を向けてみよう。次の項目はジョージアで奴隷に教育することを法的に禁じた事例である。1755年には奴隷に書くことを教えてはなら ないという法律を制定し、1770年には読み方を教えることを禁止しているので ある。
1755 Georgia passes a law to prevent slaves from learning to write. 1770 Georgia outlaws the teaching of slaves to read.
黒人教育について興味深いのは植民地によって対応が異なる点である。ここ に示されているジョージアの場合は黒人に文字を学ばせるのを禁止しているの である。理由は容易に推測できよう。もし黒人奴隷が文字を読んで、白人や農 園主にとって都合の悪い事態になるのを避けるためであろう。奴隷が文字から 情報を得て、その後情報交換して、集会をしたり結託したりすると暴動を起こ す可能性がある。とにかく白人にとって都合の悪いことが起こらないように黒 人達に読み書きを禁止したのだと推測できる。
1758 Francis Williams, the first black college graduate in the Western Hemisphere, publishes a collection of Latin poems.
この項目は西半球で初めての黒人の大学卒業者がラテン語の詩集を出版した というものである。18世紀という時代を考えると、大変な偉業であると言える だろう。黒人が大学を卒業するだけでも偉業な時代に、ラテン語で詩集を出版 するということは破格の偉業であると言えるだろう。
1758 Thomas Bray’s Associates opens a trial school in Philadelphia for blacks, directed by the Reverent William Sturgeon, a Society for the Propagation of the Gospel catechist.
トマス・ブレイ協会がペンシルベニア植民地のフィラデルフィアで黒人のた めの実験学校を開いている。それは黒人に福音書を読ませ、キリスト教を理解 させるのが大きな狙いであると思われる。そうすることによって黒人がキリス
ト教の教えを身につけ、黒人の文化向上を促すことになるという理由であろう。 ここにジョージアの発想と大きな差違が見られるのである。
1760 Thomas Bray’s Associates opens schools for black children in New York City and Williamsburg, Virginia.
また同協会はこの項目が示す通り、黒人の子どものための学校も開いている のである。1760年にニューヨーク市とヴァージニアのウイリアムズバーグに黒 人の子どもの学校を開設しているのである。これはどのように解釈すべきであ ろうか。ニューヨークは北部である。一方ヴァージニアは南部である。当時は 奴隷制度に関して少しずつ北部的な土地柄と南部的な土地柄に分離し始めてい る頃である。奴隷制度に関するイデオロギーの違いが原因のひとつとなって、 やがてそれが後年南北戦争に繋がるのである。しかし1760年という時代を考え れば、トマス・ブレイ協会は黒人の子どものために純粋に教育を狙いとしてい たと考えるべきであろうか。そしてそれは学校教育を通してキリスト教精神と 文化の養成を目的としたのであろう。土地柄の見解の相違というより、トマ ス・ブレイ協会の教育観と宗教観が反映されたものと解すべきであろう。
1762 Thomas Bray’s Associates opens a school for black children in Newport, Rhode Island. またロードアイランドにおいても黒人の子どものための学校を、同じトマ ス・ブレイ協会が開設している。ニューイングランドでは白人の子どもの教育 は当然のものとなっていたはずであるから、黒人の子どもを教育するにはそれ なりの十分な理由があったのであろう。ともかく同協会の宗教観が黒人教育に 反映されていると言える。
1764 Alexander Garden’s school for black children, which was started in 1743 in Charleston, South Carolina, by Garden and the Society for the Propagation of the Gospel, closes.
この項目はサウス・カロライナのことである。注目に値する件である。1743 年にキリスト教の布教を目的として福音教会が黒人の子どものための学校を開 設したにもかかわらず、1764年に閉鎖したということである。その理由はおそ らく南部的発想であろう。黒人に余計な知識を吹き込ませないという考えであ ろう。黒人奴隷達が情報交換したり結束したり、さらに暴動に発展することを 白人達が恐れたからであろう。
1765 A school for black children is opened in Fredericksburg, Virginia, by Thomas Bray’s Associates.
ヴァージニアのフレデリックスバーグにも子どものための学校がトマス・ブ レイ協会によって設立されている。ここにも同協会の宗教観が黒人教育という 実践に繋がっている。またAmerican Eras の1770年の項目によれば“Anthony
Benezet opens a free school for blacks in Philadelphia.”7というように、フィラデル
フィアに黒人の学校が開かれている。また1774年には、“The Abolition Society of Philadelphia starts a school for blacks, which flourishes for one hundred years.”8と
いうように、フィラデルフィアの奴隷制廃止協会が黒人の学校を開設し、それ が100年間続いていたことを示している。これは反奴隷制の活動思想が黒人の 教育に反映した結果である。
また1777年の項目には、“New Jersey initiates the separation of blacks and whites in education.”9というようにニュージャージーでは白人黒人分離教育というこ
とが示されている。植民地による黒人観や教育観の違いが見られるのであ る。また同じニュージャージーでも宗派によって黒人観が少し異なっている。 同 じ1777年 の“Quakers in Salem, New Jersey, approve the creation of schools for
blacks.”10という項目はクェーカーが黒人学校の開設を認めるというものである。 これは宗派による黒人観の相違であると言わざるを得ない。 American Eras によれば、独立までに黒人教育以外に医学教育や女子教育も 始まっている。11ヨーロッパに比べてアメリカは歴史の浅い国ではあるが、独 立までに様々な形で教育が実施されているのである。やがてアメリカは学問的 にも教育的にもヨーロッパを凌ぐ国になるのである。独立までにヨーロッパに 追いついたとは決して言えない。しかし歴史も伝統もないアメリカは独立まで
に教育を開始しているのである。後のアメリカ社会を考えればまだ萌芽かもし れないが、確実に教育制度の基礎が独立までにできているのである。
結論
アメリカの教育は独立以後益々発展し、充実していくのである。今ではほと んどすべての学問領域で世界第一級のレベルであると言えるだろう。アメリカ では19世紀以降に近代的な教育制度が整っている。その中には教授法の研究、 教師の養成、教師の待遇の改善などが挙げられる。独立後アメリカの教育は特 定の人のためではなく大衆のための教育へと発展していった。特に1862年のモ リル法が制定された後は各州に州立大学が設立され、高等教育の大衆化が始 まっている。独立以後アメリカの教育制度は益々充実しているが、基本的には 教育制度の礎が植民地時代にできていたと言えるだろう。 植民地時代に様々な形で教育の始まりが見られるのである。17世紀から教育 の必要性のために学校が設立され、高等教育機関のみならず、幅広い教育の始 まりが植民地の時代に見られるのである。次世代の指導者である牧師を養成す るための高等教育機関をはじめ、初・中等教育機関も設立されている。そして 大衆のための図書館が設立され、識字率も向上している。やがて医学教育や女 子教育も始まっている。植民地時代の教育は試行錯誤のようでもあるが、独立 までの短い間に教育制度を模索しつつ近代教育の礎を築いたと言えるだろう。Notes
1.1600年から1754年までの歴史的事実に関しては Jessica Kross, ed. American
Eras: The colonial Era 1600-1754 (A Manly, Inc., Book, 1998)に基づいている。
特に断りがないときは、以下同じ。 2.Ibid., pp. 166⊖8.
3.Ibid., p. 168.
American Eras: The Revolutionary Era 1754-1783 (A Manly, Inc., Book, 1998) に基づいている。特に断りがないときは、以下同じ。P. 118. 5.Ibid, p. 119. 6.Loc. Cit 7.Ibid., p. 120. 8.Loc. Cit.. 9.Ibid., p. 121. 10.Loc. Cit. 11.American Eras の次の項目が医学教育や女子教育の始まりを示している。 1765 John Morgan establishes the first formal medical department in the American colonies at the College of Philadelphia.
1767 A medical department is established at King’s College.
1754 Anthony Benezet opens the Morning School for Girls in Philadelphia so that young women can learn reading, writing, arithmetic, and English grammar. 1771 The Massachusetts Poor Laws are revised to allow females to be taught writing as well as reading.