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自由の客観的可能性と歴史の発展法則(六)

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25一一千奈良法学会雑誌』第 6巻3号 (1993年12月〉 入 論 説

V

自由の客観的可能性と歴史の発展法則

日 次 序 言 第一章社会的統合の手段(以上第四巻二号﹀ 第二章社会的統合と自由 第一節統合と自由の関係(第四巻三号﹀ 第二節政治的空間の規模(第四巻四号﹀ 第三章﹁統合史観﹂ 第 一 節 理 論 付基本思想(第五巻三号﹀ HH メ カ ニ ズ ム ( 第 六 巻 一 号 ﹀ 局発展段階ハ本号) 第 二 節 検 証

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第 6巻 3号一一26 局 発 展 段 階 前述のように、限定的な意味においてであるが、 しかしまた歴史の認識としてはおそらく十全な意味において、 定の法則が設定された。それは、これまでの考察と推理からする限り、人類の歴史発展の基本的なメカニズムである と考えられる。人間と社会の最も根本的な事実からして、 ﹁統合史観﹂の論理が歴史の基軸を成していると推定され る の で あ る 。 そうであるとするならば、それは世界の実際の歴史とどのように結びついているのであろうか。実際の歴史はそれ によってどのように説明されるのであろうか。逆に言えば、そのような歴史のメカニズムは具体的に如何に展開し、 現実に如何なる形態をとるのであろうか。これまでに明らかにされたのは、自由化と政治的空間の拡大という二つの 根本領向それ自体についてであって、まだ抽象的な議論に止まっている。従って、その具体的な展開の仕方や現実的 な形態変化を示さなければ、十分な歴史理論とは言えまい。そこで、ここに至って実際の歴史を取り扱わねばならな いことになるが、この場合、理論にとって何が必要とされるのであろうか。それは、﹁メカニズム﹂とは変化・発展 に関るものであるから、時代を区分する、或は発展段階を画定するということであろう。即ち、自由化と空間の拡大 に関して、それらを概括的に段階づけるということである。歴史法則はそのようにして、むろん(理論である以上) 般性のレベルにおいてではあるが、具体化され現実化されることになるのである。そしてそれによって、 一 個 の ﹁ 理 詳細﹂として一応の完成を見るのである。 とはいえ、歴史法則が変化・発展のそれであるからと言って、それが段階を成すとは限らないかもしれない。変化 -発展と言っても様々であって、明確な段階を形づくらないこともありうるであろう。即ち、極めて小刻みな変化や

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非常にスムースな発展の場合である。しかし、 ﹁統合史観﹂においては、その可能性は殆どない。 ﹁ 統 合 史 観 ﹂ か ら して、発展段階の存在は半ば必然的である。それが示す﹁メカニズム﹂は、理論的に段階的発展ということを帰結す るのである。このことは、自由化と政治的空間の拡大というものの性質を考えてみれば、直ちに判る。それらニつの 傾向が段階を成すことは、容易に想像することができるであろう。何故なら、それらの如何がそれぞれ依拠するとこ ろの政治権力も政治的空間も、共に人為的なものであるが故に、その推移は段階的だからである。 つまり││﹄人為 的であれば、いったん設定されると固定化する。固定化すれば、当然その変化は連続的・漸進的ではなく、多かれ少 なかれ断絶的であり急激である。従って、いくつかの段階が普遍的に形成されることになるのである。 27一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則付 ところで、先程﹁明確な段階を形成しないこともありうるであろう﹂と述べた。しかし、如何に﹁小刻みな変化や スムースな発展﹂であれ、およそ人間絡みで運動変化するものは、長期的には(相対的に多少とも)大幅に、そして質 的に変わる。それ故、そのようなものについての段階づけはむしろ必然的であると考えられるであろう。 つまり、単 純な量的・比例的変化は別として、変化と段階とは一体のものなのである。そして、段階のもつ意味は単にそれだけ ではない。それは極めて根本的な事柄に関っている。というのはli│段階寺つけるためには、何らか特定の要素に注 目する必要がある。即ち、或る一定の視点がなければならないが、それが如何なるものかは、歴史観のそれ(その何た るか)と直結している。歴史観なくして、段階づけのための視点はありえないのである。そうであるとするならば、 或る一定の段階づけとは或る一定の歴史解釈に他なら、ず、まさに歴史学そのものだということになる。従ってまた、 特に﹁統合史観﹂によらずとも、あらゆる史観はそれぞれ独自の区分に到達するはずだということになる。段階づけ や時代区分とは、実は﹁歴史研究そのものの本質的な操作﹂、﹁歴史の統一的理解の操作﹂であり、 ハ I U ることのできない作業﹂なのである。 ﹁ ど こ ま で も 避 け

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第6巻3号一一28 歴史の発展段階の設定はこのように重大な意味をもっているが、それでは、 ﹁統合史観﹂はその諸段階をどのよう に説明するのであろうか。如何なる段階に区分するのであろうか。段階守つけるという以上、前述の如く、当然その視 点又は基準が必要である。そして、それはむろん﹁統合史観﹂の論理によって与えられる。それ故、発展段階に関し て考察するためには、先に述べた﹁メカニズム﹂について簡単に振り返ってみなければならない。もう一度その要点 を押さえておかなければならない。そこから何が導出されうるであろうか。 既述のように、生産力(経済的統合力)の増大は、内的には白由化を、外的には政治的空間の拡大をもたらす。それが 歴史の根本的傾向である。従って、段階的な変化・発展は当然それに基づいて生み出されてくるはずであり、従って また、段階的な区分もそれに依拠してなされねばならない。即ち、自由化と空間の拡大という視点からである。とこ しかも、(これも既に指摘しておいたように)それらは互に背馳す ろが、そのように、傾向は一つではなく二つであり、 る 。 そ れ 故 、 いずれを優先すべきか、基礎的・一次的な基準としていずれを採用すべきかということが、或は両者を 綜合化したものを採用すべきか否かということが、問題となるであろう。この点はどのように考えればよいのであろ う か 。 自由化の進展というものは、 一方的ではない。それは後退或は逆行の時期を含んでいる。 つまり、既述の如く、自 由化又は分権化と強権化又は集権化とは循環的に生起するのである。むろん、それは同じ状態の繰り返しではなく、 質的・内容的にレベル・アップしていくが、 しかし確かに、そうした前進と後退の二つの局面が存在している。それ に対して、空間の拡大のほうには後退局面がない。その拡大は、直線的ではないが一方的なのである。それ故、発展 の基準としては、空間の拡大のほうが適切であろう o また、変化の様相を較べてみても、自由化が質的・内容的な変 化であるのに対し、こちらのほうは量的・外形的なそれであり、従って、 より明確である。だとすれば、この点から

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も同様に言うことができるであろう。 但し、このように空間の拡大のほうを段階区分の基準にするということは、もちろん、もう一方の自由化を無視す るということではない。歴史の流れはそれら二つの傾向から成っており、 一方を捨象することはできないし、しかも、 それらは生産力によって、従ってまた統合を介して、相互に連関しているからである。 一方を採用するということは、 あくまで基礎的・一次的な基準としてである。それ故、その段階区分の中に他方を組み込まなければならない。法則 に基づいて関係づけなければならないのである。両者をそのような仕方で綜合することによって、段階区分は完成す るであろう。つまり、いずれを基準にするにせよ、両者の綜合は不可欠なのである。ただ、前述の理由により、空間 の 拡 大 を ベ l スとするほうがベターだと言うのである。 29一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則的 それでは、そのように政治的空間の拡大を基準にするとして、歴史はどのように区分されるであろうか。どのよう な段階に分けられるのであろうか。結論から言えば、それは次のようになされるであろう。

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近 中 古 原 代 世 代 始 国 分 都 村 民 邦 市 落 国 国 国 共 家 家 言 家 同 〉 体 ﹁ 統 合 史 観 ﹂ か ら す れ ば 、 おそらくこれが最も妥当な段階区分であるように思われる。各段階はそれぞれの時代の経 済的水準にふさわしい政治的空間の規模であり、その意味における適正規模である。即ち、実効的な統治の可能な、

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第6巻3号一一30 従 っ て 、 一個の統一的な政治社会として平和的・安定的に存続しうる規模である。或は、別の視点から言えば、その 時代の人々が十分なす体感や帰属意識を自然にもちうる規模である。もちろん、いつの時代にもそれ以上の(又は以下 の)空間が存在している。しかし、それらは(以下の空間についてはともかく可何らか特殊な条件に恵まれない限り、実 効的でも統一的・安定的でも、また一体的でもない。四段階こそが各時代における最も基本的な政治的空間なのであ る さて、このような諸段階が区別されたが、その具体的な意味はまだ不明確であるし、それに対してむろん様々な説 明が加えられなければならない。そしてそれによって、四段階の妥当性を弁証しなければならないのである。そこで まず始めに、各段階の概念的な内容を簡単に示しておく必要があろう。 第一の﹁村落共同体﹂は、原始時代(新石器時代ないし金石併用時代まで)における文字通り共同体的な、即ち権力的 性格の弱い空間である。それは、狩猟採集から農耕・牧畜への転換に基づく定住によって形成された。しかし、その 未だ低レベルの生産力の故に、それはいくつかの家族や氏族から成っており、その広さは集落程度でしかない。その ような小規模空間の中で、(少なくともかなり)共産制的な自給自足の生活が営まれているのである。 次に、古代の﹁都市国家﹂は、氏族団体や村落の結合(征服)によってそういった血縁的な一体性・閉鎖性から(不完 全な形にぜよ)脱皮したところに成立する。そしてそれは、金属器(青銅器、更に鉄器)の発明・使用などのもたらす農業 生産力の上昇、それによる余剰に基づく。何故なら、食料生産に従事しない人々の扶養可能性ということが、都市の 存立条件だからである。そうした非農業人口の創出と、更にはその増大によって、都市の基盤である商工業が生成し 興隆するのである。もちろん、後者は、余剰を基礎としつつ、それ自体のメカニズムによっても促進される。即ち、 分業の進展である。そして、それは必然的に、私有制と階級分化を、従って支配関係を生み出すであろう。しかもそ

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ゅような都市国家は、商工業の発展と人口の増加に伴って、かなりの範囲の地縁的領域に及ぶことになる。それ故こ こに、権力を核とする本格的な(とはいえ祭政一致的或は神政一致的だが﹀政治的空間、まさに国家が、 の で あ る 。 初めて成立する 続いて、中世の﹁分邦国家﹂(封建国家)であるが、そこには、更に拡大した政治的空間がみられる。しかし、生産 力(経済的統合力﹀の不足の故に、それは形式的・外見的であって、単一の空間として存在しているわけではない。即 ち 一つの中央権力によって実効的に統一されているわけではない。その統合の仕方は、当時全国的支配を可能にす 31一一自由の客離宮可能性と歴史の発展法則的 る経済水準に未だ達していないために、二段階に分かれており、二つの力が複合されることによって全体的な統合が (かろうじて﹀維持されているのである。そしてそれら二力を生み出すものとは、言うまでもなく領主制(荘園制・農奴 制 ﹀ と レ l エン制である。まず前者によって、各地方の内部的統合が図られ、次いで後者によって、それらが更に全 国的にまとめ上げられるのである。しかしそのうち、前者は流血裁判権を核とする領域的な独占的支配体制であるが、 ﹁分邦国家﹂は一見一つの王国であるが、しかし国王の領主権は他の 後者は不安定な人的結合にすぎない。つまり、 所領に及ばず、その支配は間接的なのである。 最後に、その名目的な空間全体を一つの国家として実体化したものが、近代における﹁国民国家﹂である。それは 更なる経済発展、即ち、地方的・閉鎖的な自然経済から広汎な商品・貨幣経済への移行に伴う全国市場の形成に基づ く。従ってそこでは、経済的統合の力が(絶対主義時代においてさえ)飛躍的に大きくなっていおしかしまた同時に、 まさにネイション(本来は﹁民族﹂﹀又はネイション・ステイトと呼ばれる如く、民族的もしくは言語的・文化的・歴 史的な共通性・一体性という非経済的な自然的統合要耗も、一般に極めて大きな役割を果たしている。つまり、﹁都市 国家﹂から﹁国民国家﹂への空間的拡大のためには、﹁分邦国家﹂の時代を通じて次第に成長してきたこのようなネ

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第6巻3号一一一32 イション的要素が必要だったのである。そしてそこに、近世以来現在に至るまで、﹁国民国家﹂が(少なくとも法的に) 人類にとって最大可能な規模であり限界であるところの所以がある。何故なら、非経済的な自然的要素はそれ自体発 展的・拡大的ではないからである。ともあれ、﹁国民国家﹂は経済的にも非経済的にも確固とした自然的基礎に立脚 しているのであり、更にその上に、主権を核とする人為的(政治的)統合が加わることにより、非常に強固な統合空間 となっているのである。 以上、各段階のあらましについて概説してきた。それによって、少なくとも、四段階が政治的空間の漸次的拡大を 示していること、そしてそれが根本的に経済発展に起因するものであるということが、 一応説明されえたように思わ れる。確かに、各段階が本当に時代を画するにふさわしいものであることについては、この時点ではまだ論証不足で あるが、それも次第に明らかにされるであろう。 ところで、既述の如く、この段階区分は政治的空間の拡大ということを基準にしているが、先ほど論じたように、 ﹁分邦国家﹂と﹁国民国家﹂の聞にはその点での違いがない。両者はその全体的な規模においては殆ど同一である。 従って、それらを区別するのは理論的に妥当でないと考えられるかもしれない。この疑問に対しては、どのように答 えられるであろうか。 なるほど、両者の聞に規模の変化はない。しかし、その内部構造に基本的な相違がある。それは、先述のように、 ﹁国民国家﹂の統合が一次元的であるのに対し、 ﹁分邦国家﹂のそれは二次元的だということである。即ち、二つの レベルから成っているのであるが、実はそうした統合の在り方が空間の拡大の歩みにおいて非常に重要な役割を果た しているのである。つまり、そのような中間的段階を経ることによって初めて拡大が可能になるのであり、それは不 可欠の過程なのである。しかも、後に見るように、このような認識は人類の未来に関して極めて大きな意義をもって

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いる。そこで、そうした国家概念を一般化するために、 そ れ を ﹁ 複 合 国 家 ﹂ 、 家﹂と名づけることにしよう。そうすると、先の表は増補されて次のようになるであろう。 そうでない一次元的な国家を﹁単一国

ω

︹原始︺村落共同体

ω

︹古代︺都市国家

l

単一国家

ω

︹中世︺分邦国家│複合国家

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︹近代︺国民国家

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単一国家 ,';::::ξ、‘ f 、!、、ノ、

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なお、このような、単一国家と複合国家の交互的移行という法則性からすれば、 33一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則的

O~

ベルにおいても単一・複合の二段階が存在するように推測される。即ち、複合的な村落共同体 1 ←単一的な村落共同 ﹁村落共同体﹂や﹁都市国家﹂のレ 体│←複合的な都市国家

l v

単一的な都市国家、というパターンである。理論的には、このほうが(そうでないとして も理論上別に問題はないが﹀斉一的である。では、事実はどうであろうか。もし仮にそのパターンの通りであるとすれ ば、複合的な村落共同体とは家族連合又は氏族連合のようなものに、複合的な都市国家とは氏族連合又は部族連合の ようなものに相当するのではないかと考えられる。そして管見によれば、少なくとも後者については、その存在及び その単一化は(例えばアテナイに見る如く)確かに事実なのである。だがこの点については、様々な制約から現時点で は問題提起に止めざるをえない。 ともあれ、このような四つの発展段階を本稿は設定しようとしているわけであるが、それについては当然いくつか の注釈が必要であろう。錯綜した歴史を、また世界各国の異なったそれを、そのように単純な枠組によって表象する

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第6巻3号一ー34 からには、そこに相当の限定化・抽象化がなされているはずだからである。そしてそうした限定化・抽象化のために は、何らか一定の観点がとられているはずだからである。 まず第一に、古代・中世・近代という三分法について言及しておかねばならない。この区分法は、古代ギリシャ・ ロlマ文化の復興をもって近代とするルネサンス人の見方に由来すると言われているが、その後伝統化し、全く常識 マルクス主義の史的唯物論とも合致して(むろん区分の原理や時期は異なるが)、 的なこととされてきた。またそれは、 ﹁科学的﹂な裏付けも得日目しかし、現代歴史学の進歩は、 ﹁今日ではそれが世界史の区分法として適当でない﹂と ﹁近代ヨーロッパの歴史意識の産物﹂によって世界の諸民族・文化の多様な歴史を一 律に扱うことはできないというのである。それでは、三分法を採用することは、妥当でないのであろうか。 見なすに至っている。 つ ま り 、 これは単一の問題ではない。そこには、およそ三つの主要な問題点が含まれているように思われる。或は、それは 一つは、伝統や常識の採 三つの副次的問題に懸っているように思われる。そして、それらの問題とは何かと言えば、 ヨーロッパ中心主義ということ、三つは、時代区分の法則的性格ということである。このう ち後二者は、後述する第二・第三の注釈に関りがあるので、ここでは前者の問題について述べておきたい。即ち、伝 統や常識をそのまま採用することの是非という問題についてである。 用ということ、二つは、 ところが、そもそも本稿は伝統的・常識的な見方を安易に踏襲しているわけではない。何故なら、古代・中世・近 代という言葉は同じでも、 またそれらの時期も(ごく大雑把に言えば)同じでも、その概念内容は異なるからである。 つ ま り 、 一般的な三分法では文化や経済を、そして政治の場合もその内容である政治体制を、その基準としているが、 本稿における基準は(既述の如く)政治的空間の規模にある。それは、従来の三分法にはなかった要素である。もちろ ん、文化・経済・政治体制と政治的空間との聞には、それぞれ大なり小なり相互的関係があるが、 しかし本稿の視点

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は後者のみにある。従って、時代区分の一致というのは理論的には実は偶然にすぎないのである。 続いて第二の注釈点だが│││単に歴史と言っても、その内実は(少なくとも現象的には﹀余りにも多様である。従 っ て 、 一般的理論化のためには、焦点を絞らなければならない。そこで本稿は、 主に西欧(古代オリエントなども含め て)の歴史を念頭に置くことにした。即ち、それを基本的な材料にして、﹁発展段階﹂は構想されたのである。その 理 由 は 、 一つには、西欧(それがともかくも一つのまとまった世界であると見なしうるとして)及びそれに由来する地域が、 近現代において圧倒的な政治的・経済的優位性をもっているということである。その基礎には、西欧のみが本格的に 35一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則帥 生み出しえた(感覚経験と論理的思考の結合である﹀科学の力があるが、そのような科学的西欧文明は世界を支配してい ると言っても過言ではない。非西欧諸国にとって、近代化と西欧化とは同義語だったのである。そうであるならば、 歴史が(既述の如く)現在における自己認識である以上、西欧に焦点を当てるのが適切であろう o 但し、二

O

世紀の後 半以降、非西欧地域の台頭が著しく、世界は多元化しつつある。従って確かに、西欧︿むろん精確には欧米)はもはや世 界史の基軸ではない。しかし、少なくとも政治(更には経済)における世界的な基本原理は、依然として西欧のものなの である。それ故、自由に注目する政治史的な﹁統合史観﹂であれば、西欧を対象とすることは妥当であろう。 もう一つの理由は、西欧のそのような優位性はその結果でもあるが、西欧がこれまで最も順調に発展してきたとい うことである o 全体として西欧は、他の多くの地域とは異なり、その歴史が外的な力の介入によって根本的に変化す るということがなかったし、外部勢力によって歪曲され或は切断されるということがなかった。なるほど、ゲルマン 諸民族の移住による混乱はあったが、彼らはロ 17 に同化し、それを継承した。 また、ギリシャ・ロ I マ ( 地 中 海 ) 、 ゲルマン(内陸)、イギリスというように、文明の中心もしくは各時代を代表する典型的な地域は移動したが、それは (実はアラビアやピザンツの文化に媒介されているが故に、連続的ではないとしても)断絶的ではなかった。つまり、内発的・

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第6巻3号一一36 自律的な仕方で着実にステップ・アップしてきたのである。従って、我々は西欧に関してはかなり規則的で明確な発

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展段階を構成することができるのである。 最後に第三点であるが、四つの段階は、当然のことながら、厳格な法則でも普遍妥当的なそれでもない。即ち、あ らゆる地域の歴史が必然的に辿る唯一のル l トというわけではない。それは西欧における諸々の歴史的事実を概括化 し抽象化したものであり、また逆に言えば、或る一つの観点から理論的に構成されたものである。従って、西欧の歴 史ですら、その通りに順調に推移したとか万事それだけで説明できるということではないし、況や、西欧(及び日本) 以外の地域にそのまま当てはめることは、無理があろう。つまり、それは現実の複雑・多様な歴史についての或る一 ハ ロ ﹀ つの、しかしおそらくは基本的な理解の仕方であり、歴史発展の言わば﹁理念型﹂であるから、西欧についてであれ 非西欧についてであれ、具体的・個別的ケ l スに関してはモデルにすぎないのである。では、大した意義はないのか と言えば、決してそうではない。まさにそのモデルが重要なのである。何故なら、理解とは理論化の成功に他ならず、 そして理論化とは、(自然的対象ではなく)社会的対象については、整合的なモデルの構築以外にはないからである。 四段階モデルは現実を理論的に理解するための標準となりうるであろう。なるほど、実際の歴史は想定外の特殊要因 や種々の偶然性によって混乱し錯綜している。しかし、その中核にはおそらく統合に基づく発展があるが故に、それ ぞれの歴史についての理解は四段階との比較によって最もよくなされると考えられるのである。 もちろん、中核に統合があると言っても、統合には様々の種類がある。統合の如何があらゆる国家社会の在り方の 根本的な規定要因であるとしても、それぞれの社会にはそれぞれ独自の統合方法がある。経済的要因に基づく一般的 な共通性はあるが(だからこそ、法則化が可能なのである)、様々の特殊性も存在している。即ち、非経済的な諸要因の 内容とそれらのもつウェイトは、千差万別なのである。例えば、宗教的一体感の有無又は強弱とか、民族的な配置の

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如何、或は地理的条件などによって、各々異なってくる。従って、具体的・個別的には、四段階のモデルに合致しな い ケ l スがいくらも出てくるであろう。 モデルとの聞の、空間の規模の相違や時代的なズレなどが、見られるであろ ぅ。しかしながら、それは四段階が無効であることを意味しているのではない。そうした不一致やズレはむしろ当然 であって、今述べたように、非経済的な統合手段の多様性がそれをもたらしているのである。そして逆に、四段階と いう尺度があることによって、それぞれの社会の歴史の特質が明確になるのである。 四段階は﹁理念型﹂であり、歴史の現実と必ずしも一致しないのであるが、このことに関して一つ論 じておかねばならない重要な問題がある。その問題とは、帝国の存在という問題であり、そしてそれは、﹁統合史観﹂ こ の よ う に 、 37一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則付 の論証において見過ごすことのできない基本的な問題である。それは何故かと言えば、帝国は、四段階的発展に明白 に当てはまらないように見えるケ l スであり、その最も極端な場合だからである。既に古代より、巨大な帝国が各地 に見られるが、それは﹁四段階説﹂の顕著な例外であるように思われるであろう。というより、それは四段階説その ものの妥当性を疑わしめるものではないであろうか。従って、この問題を是非解決しておくことが必要である。 合史観﹂は帝国の存在を如何にして説明するのであろうか。(但し、より詳細且つ具体的な説明は次節の﹁検証﹂に譲らざる を え な い 。 こ こ で は 一 般 的 な 概 説 に 止 め る 。 ) ー「 統 先に提示した四つの段階は、経済の自然的な発展に伴う政治的空間の必然的な拡大過程である。そこでは、停滞や 衰退、混乱や逆行は想定されていない。つまり、それは現実そのものではなく、現実を或る観点から抽象化したもの、 即ち、具体的現実ではなく言わば抽象的現実である。しかし同時にまた、そのような仕方にせよ現実に依拠している が故に、四段階は実際にも各時代の最も標準的な形態であると言える。或はむしろ、逆に、政治的空間の拡大におけ る四つの段階によって時代を区分したと言うほうが、精確かもしれないが、ともあれ、そのようなプロセスが経済発

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第6巻3号一一38 展に見合った最適の規模とベ l スなのである。それ故、それをはるかに超えた巨大な帝国は、例外的な国家であると 見なければならない。日常的な存立基盤を欠いていると見なければならない。そしてそうであるならば、それは何ら か特殊な要因に基づいているはずであろう。そうした帝国に特有の要因、それが何であるかは、もちろんケ l ス に よ って異なる。しかし、その中で普遍的且つ決定的なのは、言うまでもなく軍事力(より広く言えば権力﹀であろう。帝 国は基本的に軍事力によって形成され、そして維持される。そこには自然的基礎が欠けているのであって、それを埋 め合わすのは、軍事力を中心とする人為的統合なのである。従って、それは本質的に不安定であり、遅かれ早かれ分 裂を避けることができない。 つまり、帝国というものが国家として十分な形で永続することは、稀なのである。それ は、歴史の大河からすれば、部分的な淀みや一時的な氾濫であると言えるであろう。 とはいえ、歴史的事実は必ずしもそれを支持しない。相当の期間どころか極めて長期にわたって命脈を保った帝国 が、かなり存在している。例えば、神聖ロ 17 帝国は八

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年、オスマン・トルコ帝国は六

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年 も 続 い た し 、 ロ v l マ帝国に至っては、東ロ l マも含めれば一五

OO

年という驚異的な長さである。このような事実は如何に解釈すべき であろうか。それは拙論に対する反証となりうるのであろうか。 て い 私の見方は、そのような国家は実は一つの国家とは言えないのではないか、国家としての体を成していないのでは ないか、というものである。その根拠として、次の諸点が指摘されうるであろう。まず第一に、巨大な帝国の場合に は、その領域の大半は不毛の荒野か人口過疎地であった。或はせいぜい、村や町が点として孤立的に散在していたに すぎない。従って、帝国の実質的な支配領域は見かけよりはるかに小さかったであろう。第二に、それと関連するが、 経済的・文化的に繁栄した地域が中心部又は或る一部に限定されており、それと周辺部との格差が甚しかった。周辺 部は、独立化し自立化するだけの実力がなかったのであり、中心部に較べれば殆ど無に等しかったのである。従って

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また第三に、中央権力の実効的な統治が全土に及んでいたのではなかった。単に有力な反抗勢力が存在しなかったと いうだけである。各地方においては、中央とは殆ど無関係に、帝国成立以前と変わりない生活が続けられていた。ま h -

ふ ム 一応統一的に組織化されている場合も、実質的な統治は土着的であり、非常に分権的だったのである。 うしたことを考慮に入れるならば、帝国と言っても、その実態は相当割り引いて考えなければならないことが判る。 そして、そうではなく、もし仮に統一国家としての実体をもった帝国がかつてかなり永続的に存在したとすれば、そ れは何らかユニークな統合要因の働きによるものか、さもなくば、特別強大な軍事力によるもの(従って抑圧的な体制) だったであろう。かくして、帝国の存在は空間の漸次的拡大という歴史法則と矛盾しないと言うことができる。それ は決して四段階説を突き崩すわけではないのである。 39一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則付 帝自の問題に関してはとりあえずこれくらいにして、ともあれ先に述べたように、四段階説について三つの註釈を 付け加えておいた。即ち、伝統的な一二分法との一致ということと西欧モデルということ、及び理念型的ということで ある。ところが、それらについてもまた、それら全体に関して、誤解を防ぐために一号一目しておかねばならない。つま り、註釈の註釈というわけであるが、それはどういうことかと言えば、それらは西欧中心主義や、それに基づくラン ク付けを意味するものではないということである。既に多くの人々が指摘し、今や常識化していると言ってもよいよ うに、西欧の段階モデルが世界的な共通性をもっているわけではないし、それを唯一の基準として進歩・発展の程度 ( 刊 日 ﹀ が測定されうるわけでもない。文明の多様性、従って多系発展の認識は、もはや我々の共有財産であろう。そしてそ もそも、四つの段階は﹁統合史観﹂の示す唯一の形態であるとは限らない。つまり逆に言えば、四段階は(未だそれと 自由化との関連は説明されていないが﹀﹁統合史観﹂の妥当性を証明する(と思われる)一つの具体例なのである。ただしか し、先述の如く、それはモデルとして基本的であり、比較の基準になると言うのである。

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第6巻3号一一40 以上、四段階説に関していくつかの註釈を加えてきたが、次に、自由化の側面のほうに移らねばならない。歴史の 根本的傾向として、政治的空間の拡大と共にもう一つ自由化ということがあったからである。そこで、その自由化が どのような形で進展していくのかということであるが、既述の如く、それは空間の拡大の在り方に対応して、一般に 一方的ではなく逆行の時期を伴っている。即ち、歴史には自由化と強権化の二つの時期があり、それらを繰り返しな がら自由のレベルは段階的に上昇してきたのである。それでは、そうしたプロセスは具体的にどのような段階から成 っているのであろうか。先の四段階と如何に結びついているのであろうか。 ﹁メカニズム﹂において一説明したように、経済発展に基づく自然的統合の強化が自由化をもたらし、政治的空間の 人為的拡大が強権化を生み出す。そして、それら自由化と強権化は通常交互に現れる。そうであるならば、自由化は 各発展段階において経済発展に伴って次第に進行し、その後期において顕著に現れることになるし、また強権化は、 空間の拡大の準備・遂行・確立に関る、次の段階への転換期及び各段階の前期において現れるということになるであ ろう。或る段階は政治的空間の拡大によって次の段階に移行するが、始めのうちは強権が避けられない。しかし、経 済発展と共に自由化が進行し、後期にはその段階としての自由の開花期を迎える。だがまた、経済発展は同時に経済 的空間の拡大を通じてやがて政治的空間の拡大をもたらし、それによって再び新しい段階での強権が成立するのであ る。そこで、このような展開を先の四段階に組み込まなければならない。それによって、自由の歴史的な歩み、その 具体的な様相を、一市さなければならないのである。それはおそらく次のようになるであろう。 ︿自由化 V

ω (

原始)村落共同体︹共有制

l

私 有 制 ・ 階 級 分 化 ︺ ︿強権化﹀

(17)

助(古代﹀都市国家︹王政・貴族政

j

共 和 化 ・ 民 主 化 ︺

ω (

中世)分邦国家︹封建制

l

資 本 主 義 化 ・ 農 奴 解 放 ・ 自 治 都 市 ︺

ω (

近代)国民国家︹絶対主義 │ ψ 自 由 主 義 ・ 民 主 主 義 ︺ これについて簡単に説明しておくと、まず出発点は﹁共有制﹂である。原始時代の生活が、全面的にそうであるか どうかはともかく、少なくとも非常に共産制的であることは確かであろう。それ故人々は、無自覚的であるにせよ、 41一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則伺 共同体に従属し或はそれと一体的であり、独立的・自律的ではない。ところが、生産力の上昇は分業と交換の進展を 相互規定的に促し、それによって﹁私有制﹂を、従ってまた必然的に﹁階級分化﹂を惹き起こす。それは、支配関係 しかし、普遍的なる共同体的規制そのものの弛緩を の形成という点からすれば、実質的に自由に反する面があるが、 もたらすことによって、全体的な自由化につながるのである。 次に、そのような中に血縁的限界を超えて成立する﹁都市国家﹂は、何よりもまず統一が必要である。そしてその ためには、自然的統合要因の未成熟の故に、人為的統合に頼らざるをえない。従って始めは、強力な(専制的か否かは ともかく)﹁主政﹂や協働的な﹁貴族政﹂が形成されることになる。しかし、経済発展は平民の実力向上をもたらし、 自然的統合の水準を高める。そこで、次第に﹁共和化・民主化﹂が進展するのである。 続いて﹁分邦国家﹂であるが、それは(先述の如く)中間的な﹁複合国家﹂である。従って、統合は複合的、即ち二 段階的である。そして、名目的であれ民族レベルに拡大した政治的空間を維持するためには、二つ又はいずれかの段 階において強固な紐帯が要求される。それが、身分制を基礎とする﹁封建制﹂である。その下で、拘束力に差はあれ、 貴族たちは相互に主従関係を取り結び、農奴たちは領主支配に服するのである。そのうち特に、一般国民(というより

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第6巻 3号一一42 領民)たる農奴に自由が欠けていたことは、言うまでもない。しかし、そのような封建的秩序も、やがて農業生産力 の増大や貿易の活発化などに基づく商品・貨幣経済の浸透によって崩壊し始める。その結果、共同体から解放された 独立的・自律的個人が登場するに至るであろう。そしてそのようにして﹁資本主義﹂が普及するにつれて、内的には ﹁農奴解放﹂へと導かれ、外的には﹁自治都市﹂ に代わって、形式的に対等な個人とその個人間の自由な契約に立脚する社会を創出せしめるのである。 しかるに、それが同時にもたらした、封建的分立の克服、ネイションとしての一体化、即ち﹁国民国家﹂は、その ﹁自由都市﹂が発達することになる。それは、身分的・伝統的規制 広大な単一的空間の故に、強権による統一と秩序が求められる。分邦国家との比較で言えば、封建制の弱体化、それ ﹁ 絶 対 主 義 ﹂ で による個人主義化に見合う権力的補完が必要である。そうした客観的要請の情況下に成立するのが、 あり、それによって近代国家の基礎が築かれるのである。しかし、資本主義経済の全面的な発展は、自然的統合を強 化し、逆に強権を不要とするに至る。そこで惹き起こされるのが市民革命であり、それによって﹁自由主義﹂の体制 へと移行する。そしてそれは、更に産業革命による労働者階級の大量産出とその進出を通して、 ﹁民主主義﹂の要求 を取り入れていくことになるのである。 四つの段階それぞれにおける強権化と自由化の交替については、以上のように説明することができる。それはそれ 自体整合的であると共に、 ﹁統合史観﹂の論理と合致している。そうであるならば、これは同時にその論証の一っと 見なすことができるであろう。 それはともかく、そうした変遷を経て、現在の我々は、言うまでもなく第四段階の自由主義・民主主義の局面に生 きている。そしてもちろん、それで歴史が終わってしまうというわけではない。これまで述べてきた﹁統合史観﹂か らして当然予想されることは、我々は近い将来第五の段階を迎えるであろうということである。いや、もう迎えつつ

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あると言うべきかもしれない。国民国家の段階は、絶対王政の時代以来既に相当の永きに渡っている。そして今や、 経済の著しい国際化によって、 またそれに随伴する様々の交流や組織化によって、主権が厳格に仕切ってきた国境の 壁は侵食され、或は崩壊しつつある。即ち、経済的空間の拡大によって、政治的空間との不一致がいよいよ顕著にな ってきたのである。そこで、そうした国民国家の限界を打ち破る動きも、各分野で見られるようになっている。諸々 の国際組織の行動範囲は拡大し、その拘束力は強まりつつあるし、外交関係における相互的﹁内政干渉﹂も常態化し つつある。そして、そのような流れの先頭に E C があることは、一言うまでもない。かくして、少なくとも先進地域に ( 祖 国 ) おいては、現在は第四段階の末期であり、既に第五段階への過渡期又は移行期に突入していると、言うことができる で あ ろ う 。 43一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則付 さてそれでは、第五段階の政治的空聞は果たしてどのようなものになるのであろうか。それはどのような構造をも ち、その規模は如何ほどであろうか。もちろん、それについて精確に言い当てることはできない。また、地域によっ ても異なるであろう。しかし、理念型的な意味においては、我々は﹁統合史観﹂から一定の明確な予測を引き出すこ と が で き る 。 ﹁統合史観﹂は、第五の段階が国民国家を超える政治的空間をもっているということだけでなく、その 基本的な在り方についても指し示しているからである。まず規模について言えば、それが数ヶ国の結合したもの、そ のような意味において﹁地域的﹂なもの(例えば西欧地域や極東地域﹀であることは、明らかであろう。そしてその具 体的な組み合わせば、各地域の統合の存在情況によって左右される。 次にその在り方だが、 こ こ で 、 先に導入した ﹁単一国家﹂と﹁複合国家﹂の区別が登場してくる。既述の如く、空間の拡大は複合国家によって媒介されていた。 即ち、拡大の中間段階として複合国家の時期が存在しており、それが拡大定着への橋渡しをなしていたのである。従 って、それに基づいて第五段階の在り方を予想することができるだけでなく、最終段階に至るまで類推することがで

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第6巻3号一一44 きる。その結果は次のようになるであろう。 複 単

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4

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﹁連合﹂とは副次的な政治的空間の連合体という意味である。それは一元的な統合を欠いているが故に、狭義 の国家とは区別したのである。それからすれば、﹁複合国家﹂及び﹁分邦国家﹂における﹁国家﹂とは、むろん広義 の そ れ ( 連 合 ﹀ で あ る 。 このように、政治的空間は﹁単一﹂と﹁複合﹂という統合形態を交互に繰り返して拡大し、最終的に﹁世界国家﹂ へと到達するものと思われるが、それはさておき、現在の国民国家の次の段階は、複合国家たる﹁地域的連合﹂とな るであろう。少なくとも、自然的統合の必然的な強化・拡大によって、国民国家を上回る大国家が出現することは、 確実である。そうであるとするならば、その初期或は前期において、その政治体制は強権的となるのであろうか。空 聞が拡大する以上、強権化は不可避であろうか。 ﹁統合史観﹂からすれば、確かにそのように予測される。ただ、そ こで注意すべきは、先にも一言したが、同じく強権化(及び自由化)と言っても過去の反復ではなく、それまでとはそ の質やレベルを異にするということである。また、それらの如何はそれぞれの大国家における自然的統合の状態によ 然的統合に不足のない限り、 っても当然変わってくる。従って、強権化の在り方を具体的に明らかにすることはできないが、 リベラル・デモクラシーを否定するような体制にはならないこと、しかし分野によって 一般的に言えば、白

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は中央による統制が強まる恐れもあるということは、予想される。いずれにせよ、強権化の可能性は今後の諸国家の 連合化において十分警戒すべきであろう。それを全く回避することはできないとしても、できるだけ防止するために ハ 却 ﹀ は、拙速を避け一歩一歩着実に前進することが肝要である。従ってまた、成り行きや偶然性にではなく、人為的・計 画的なコントロールに依拠すべきなのである。 45一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則的 こうした将来のことはともかく、過去の四段階については、前述の如く、自由化と強権化のサイクルが法則通りに 発生していることが判るであろう。政治的空間の規模が拡大し新しい段階に移行する毎に、歴史的事実として確かに、 強権化から自由化へという流れが見られるのである。かくして、まだ具体的な検証が残されているが、﹁統合史観﹂ は実際の歴史をともかくも統一的・整合的に説明することができると言えよう。もちろん、既に言及したように、そ れが唯一の法則だというわけではなく、観点を変えれば、また別の法則を見出すことができるかもしれない。しかし、 歴史そのものを構成する人間と社会に、しかもそれらの最も根源的な事実に立脚していることからして、﹁統合史観﹂ ハ 2 v はとりわけ基本的・普遍的な歴史観ではないかと考えられるのである。 とはいえ、改めて断っておくが、それは理論的な再構成に立脚するものであって、具体的事実の説明としては極め ( お ﹀ ﹁統合史観﹂もまた、決して﹁全ての事実がはめ込まれる唯一の真なるパターン﹂では て概括的なものでしかない。 ないのである。従って、現実に対するその適用には、客観的な精神と細心の注意が必要である。それらの欠如は、事 門 川 島 ) 実と法則との主従関係を逆転せしめるであろう。そもそも歴史の法則的解釈というものには、本末転倒して強引に走 る危険性が潜んでいるのである。しかし、始めに力説しておいたように、法則定立の試みは学問的(即ち理論的﹀探求 ハ お ﹀ にとって必然的な要求であり、科学としての条件でもある。可能な限りの統一的・全体的な認識は、困難ではあって も、歴史研究の一つの、しかし究極的なゴ I ルたるべきなのである。

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第6巻 3号一一46 ともあれ、以上で﹁統合史観﹂の理論的な説明を一応完了した。 ﹁理論﹂は﹁基本思想﹂ ﹁ メ カ ニ ズ ム ﹂ ﹁ 発 展 段 階﹂という三つの部分から成っていたが、それら三つが歴史理論に要求される本質的な構成要素なのである。これま での論述によって、その根本的な論理は明らかにされえたと思われるので、最後に、理論内容をまとめておくと便利 であろう。そしてその結果は、法則の形にすると判り易い。それはおそらく次のように表現されうるであろう。 標 語 ﹁歴史は自然的統合と人為的統合の矛盾によって作られる。﹂ 法 員JI

L

﹁政治社会の根本的な在り方は統合の如何によって決定される。﹂

E .

﹁歴史を動かすのは統合の変化であり、その意味で最も基本的な統合手段は経済である。﹂

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﹁経済発展が内的には自由化をもたらす。﹂

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﹁経済発展が外的には政治的空間の拡大をもたらす。﹂ 圃﹁歴史発展の基軸は政治的空間の拡大であり、それに伴って強権化と自由化を交互に繰り返す。﹂ ( 1 ﹀ 堀 米 庸 一 一 一 ﹃ 歴 史 を み る 眼 ﹄ ( 日 本 放 送 出 版 協 会 、 一 九 六 四 年 三 八 四 l 五 ・ 一

OO

頁。固に、イタリアの著名な歴史哲学者 で あ っ た B ・ グ 戸 l チ ェ に 、 次 の よ う な 言 葉 が あ る 。 ﹁ 歴 史 を 思 惟 す る こ と は 、 確 か に こ れ を 時 代 区 分 す る こ と で あ る 。 ﹂ ︹ B -ク ロ ォ チ ェ ﹃ 歴 史 の 理 論 と 歴 史 ﹄ ( 一 九 一 五 年 ) 、 羽 仁 五 郎 ・ 訳 、 岩 波 文 庫 、 一 四 七 頁 ︺ ( 2 ) 当初は﹁封建国家﹂としていた。しかし、﹁封建﹂とは国家の具体的制度に関る内容的概念であって、単に空間的規模に 関る他の﹁村落

j

﹂﹁都市

1

﹂﹁国民

1

﹂とは異質であり、従って一貫性に欠けること、及び、中世国家を封建制と いうことに限定してしまえば、非西欧の歴史を考える上で普遍性を失なう(狭める)恐れがあること、これらのことから﹁分 邦国家﹂に変更したのである。これは私の造語であり、できれば避けたかったが、私の知る限り既成の言葉に適当なものが なかったためである。﹁分邦国家﹂とは、分割された多くの﹁邦﹂(領地・所領・領邦・分国・領国など)から成る国家、即 ち、或る程度の全体的なまとまりをもちつつも多くの地方的権力主体に分裂している(前者より後者に重点がある)国家を

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47一一自由の客観的可能性と歴史の発展法則的 意味している。そして、実はそれが、中国古代の周の制度に由来する︿﹁郡県制﹂に対する﹀﹁封建制﹂の本来の意味に近い ものであるが、現在のそれはヨーロッパの同

E E

-由自の訳語として使われており、(両者間の基本的共通性は当然あるが) 別の意味が混入しているために、やはり﹁封建国家﹂とすることは不適当なのである。 (3)F ・エンゲルス﹃家族、私有財産及び国家の起原﹄、﹁マルクス日エンゲルス全集﹂幻(村田陽一・訳、大月書広)、二七 l 八 頁 参 照 。 ( 4 ) ﹁古代が都市とその小さな領域から出発したのに対して、中世は地方から出発した。征服者たちが加わっても大して増え たわけでもない、既存の希薄な広い地域にちりぢりに散らばった人口が、このように出発点を変えさせたわけである。それ 故、ギリシア及びロ17とは反対に、封建的発展はそれらの場合よりはずっと広い地域において始まる。﹂ ( K ・ マ ル グ ス 、 F ・ エ ン ゲ ル ス ﹃ ド イ ツ ・ イ デ オ ロ ギ ー ﹄ 、 ﹁ 全 集 ﹂ 3 、真下信一他・訳、二

O

頁 ) ( 5 ) 広松渉氏は、近代市民社会(資本主義的な商工業社会﹀の人間関係を(血縁や地縁に対して)﹁金縁﹂的と表現しておられる。 ︹ ﹃ 生 態 史 観 と 唯 物 史 観 ﹄ ( 一 九 七 八 年 ) 、 同 一 書 名 ( 講 談 社 学 術 文 庫 ) 、 一 九 コ 百 片 ︺ ( 6 ) 民族・言語・文化・歴史などにおける共通性は自然的ということにあるが、また人為的な面もある。それら諸点において 全国民(大多数の国民)が自然に一致することはありえず、従って、一体性のイデオロギーを創出しなければならないからで ある。それが民族の神話でありナショナリズムであることは、言うまでもない。つまり、国民国家は(統合手段の種類に関 する、本稿第一章の分類表によれば)人為的・政治的統合手段のうちの精神的なものにもかなり依存している。但し、そう した﹁上からの﹂一体化も、﹁下からの﹂自然的な応答なくしては無力なのである。 ( 7 ) ﹁マルクシズムによる発展段階の考え方は、奇妙なほどわたくしどもが普通用いている古代・中世・近世の一二区分法にぴ ったりするのであります。:::歴史の三区分法はマルクシズムによって非常に強力な補強が与えられたと言ってよろしい。﹂ ( 堀 米 ・ 前 掲 書 、 八 一 一 具 。 点 線 は 中 略 ) ( 8 ) 岩 波 講 座 ﹃ 世 界 歴 史 ﹄ 1 ( 一 九 六 九 年 ) 、 ﹁ 序 一 一 日 ﹂ 六 頁 。 伊 東 俊 太 郎 ( 編 著 ) ﹃ 人 類 文 化 史 2 ( 都市と古代文明の成立﹀﹄(一 九七四年)︹同﹃文明の誕生﹄、講談社学術文庫︺、六一丁四頁参照。 ( 9 ) 伊 東 ( 前 掲 室 田 ) 、 八 四 i 八 頁 参 照 。 (山山﹀その点で、わが日本も含めることができる。即ち、前述の時代区分は日本史とも基本的に合致しているのである。従って、

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第 6巻 3号一一48 その区分は西欧並びに日本をモデルにしていると言ってもよい。しかし、この日本史の時代区分の問題は次節の﹁検-証﹂に 譲らなければならないであろう。 (口)因に、マルクスの発展段階論についても同様であって、よく指摘されるように、彼自身はその妥当性の本質的な限界を認 識していた。絶対的な普遍法則と化したのは、彼の信奉者たちの仕業である。そもそも各段階のモデル地域が全く異なって いることからして、その抽象的・理論的性格は明白であろう。︹斉藤孝﹃世界史の理論同│世界史の課題﹄(岩波講座﹁世 界 歴 史 ﹂ 初 、 一 九 七 一 年 ﹀ 、 一 一 一 四 l 五・二一一一頁参照︺上山春平﹃一元史観と多元史観の対話﹄(一九六三年﹀︹同﹃歴史 と価値﹄、岩波書底、一九七二年︺参照。

(

) M ・ ウ ェ I パ l ﹃ 社 会 科 学 方 法 論 ﹄ ( 一 九

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四年)、宮、氷祐治他・訳、岩波文庫、七二頁以下。堀米(前掲室田)、一五五 l 六 頁 参 照 。 (日)最近まで、世界史の叙述は一般に西欧中心的であった。それは、近代における西欧文明(近代科学・民主主義・資本主義) の世界支配と﹁世界史﹂認識の西欧起源からくる自然な結果であったが、それが事実の歪曲であることは、一言うまでもない。 本稿はそうした問題意識に無知であるわけではないのである。伊東(前掲書)、一八 i 一 二 五 頁 参 照 。 (日)エンゲルス(前掲書)、二七 l 八頁、マルクス、ェンゲルス(前掲書)、一七 l 九 頁 参 照 。 (日)但し、これについては一言註釈を要する。というのは、﹁共和化・民主化﹂とは古代ギリシャ・ロ l マのそれを念頭に置 いているが、ギリシャの民主政とロ 17 の共和政は歴史法則からして行き過ぎであると考えられるからである。それらは共 に根本的に、奴隷制による生活上の余裕が作り出した特殊な別天地において成立したものである。しかるに、奴隷制に基づ く社会は、世界的に見て例外的なのである。︹林健太郎﹃史学概論(新版)﹄、有斐閣二九七

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年 、 一

O

七頁参照︺そうした 特殊性或は偶然性の故に、共和政や民主政はこの時代にあっては過度の自由化と見るべきであり、歴史法則の理論としては (既に、﹁共和政・民主政﹂ではなく﹁共和化・民主化﹂とボカしているとはいえ、更にもっと)レベル・ダウンさせ、折衷 的・中間的な概念を設定したほうがよいのかもしれない。ただしかし、(当時として﹀超先進的なギリシャ・ローマの政体で すら近代のそれとは根本的に異なっていたということは、認識しておく必要がある。というのは、前者には個人的自由の観 念が欠如していたからである。そのような観念、即ち一人一人の人間の人格・人権・良心・プライバシー・個性・自律・主 体性などに対する価値意識は、近代の産物なのである。︹清水幾太郎﹃社会心理学﹄、岩波全書、一九五一年、九五頁、 I ・

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49一一ー自由の客観的可能性と歴史の発展法則同 パ l リン﹃自由論 2 ﹄ ( 一 九 六 九 年 ) 、 生 松 敬 三 他 ・ 訳 、 み す ず 書 房 、 一 一 一 一 五 頁 ( 一 九 五 八 年 論 文 ﹀ 、 同 ﹃ 自 由 論 1 ﹄ 、 小 川 晃一他・訳、六 O l 二一貝、勝田吉太郎﹃知識人と自由﹄、紀伊園屋新書、一九六九年、四六頁・七四 l 七頁(一九六八年論 文)参照︺従って、その点の区別を明確にするならば、上記のままでもよいであろう。 (日山)ここでは、絶対主義の根拠及び意義はこのように考えられている。即ち、﹁統合史観﹂において、絶対主義とは政治権力 の一つの在り方であり、国民国家の建設に必要とされる強権的なそれを意味する。絶対主義については、一般に経済史的な 観点からその成立基盤によって特徴づけられているが、本稿にとってそれは二次的な問題である。 (ロ)西欧は近代以降世界の歴史をリードしてきたが、今や斜陽であると言われる。しかし、技術や経済についてはともかく、 い ず れ 少なくとも政治的には、今もなお世界史のトップ・ランナーである。何にせよ歴史的蓄積というものは、全く侮り難いので あ る 。 ( 叩 叩 ) 堀 米 ( 前 掲 書 ﹀ 、 一 七 ゴ ア 六 頁 参 照 。 (川口)とはいえもちろん、大半の国々はまだ国民国家としての発展をめざす段階にある。のみならず、国民国家の形成自体に苦 労している地域も数多いのである。 ところで、それは世界各地の発展段階か異なるという当然の事実であり、我々はそのことをくれぐれも肝に銘じておく必 要がある。何故なら、それについての認識不足が様々の国際紛争の根本原因になっているからである。というのは│││現 代における園内的又は地域的な紛争の二大要因とも言うべきは、民族的な対立とイデオロギー的なそれであるが、それらは 基本的に国民国家形成のための産みの苦しみである。先進諸国もまたそれぞれそのような過程を経てきたのであり、その自 力解決の上に今日がある。しかるに、民族的・イデオロギー的紛争に対する国際社会の対応は、そうした経験とは裏腹であ る。即ち、しばしば外国や外部勢力の介入が行なわれる。そしてそれによって、紛争が逆に激化・拡大し、国際化し、更に は泥沼化するのである。先述の歴史法則の示す如く、国民国家を形成するためには、強力な統一権力、現実問題として或る 程度専制的な体制が、必要である。そこで、そのような権力の確立を図ることが肝要なのであり、従って国際社会のなすべ きことは、それを辛抱強く見守るか、その方向へと手助けするかのいずれかなのである。そして一旦統一が成れば、余程の ことがない限り、その体制の如何にかかわらず経済的援助を実施すべきことは、言うまでもない。 このように、我々は各々の国家や地域の歴史性というものを十分考慮に入れるべきであろう。歴史に断絶や飛躍は決して

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ないのである。改革や革命も自然的な基礎なくしては成功しない。先進国モデルの押しつけは不幸や悲劇の元であり、自主 的・内発的な動きをあくまで尊重すべきなのである。 (却)その点で、現在の E C のやり方には問題があるように思われる。第一に、統合計画のテンポが速すぎる。マ l ス ト リ ヒ ト 条約には全く驚かされた。日米への対抗心からくる焦りであろうか。第二に、拡大志向が強すぎる。単なる経済連合に止ま るつもりならともかく、国家統合をめざすなら、現在の十二ヶ国でも既に多すぎるし、況や東欧の加入など無茶である。 (幻)因に、現代歴史学の大勢は単系発展説から多系発展説へと転換を遂げてきたが、いずれか一方を採用しなければならない というものではないであろう。それは観点目法則の種類によって当然異なるはずである。要するに、それぞれ歴史の一側面 を捉えた、従って互に両立しうる法則がいくつもありうるわけであって、それらが単系的であったり多系的であったりする の で あ る 。 (泣)本稿において﹁歴史観﹂とは、この文脈に示されているように、また既にこれまでの論述から伺えるように、最終的には 歴史についての法則的認識ということを指している。ただ、法則的認識であるからにはそれは﹁科学﹂かと間われれば、少 したじろがざるをえない。客観的な事実認識ではあるが、法則の抽象度が非常に高い、従ってそれと個別的事実との距離が 非常に長いからである。私が他方でまた﹁歴史哲学﹂と呼んできた理由も、そこにある。上山(前掲書)、八一一良参照。 ( お ) I ・パ1リン﹃自由論 1 ﹄ ( 前 出 ) 、 二 七 八 頁 ( 一 九 五 四 年 論 文 ) 。 (担)同右、二七九 l 入

O

頁 参 照 。 (お)斎藤孝﹃歴史の法則と発展段階﹄(岩波講座﹁哲学﹂ 4 、 第6巻3号一一50 一 九 六 九 年 ) 、 一 一 一 九 ・ 二 三 五 頁 参 照 。

参照

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