意味についての研究課題(看護学科開設10周年記念
特別号 総説・論説)
著者
宮田 久枝
雑誌名
滋賀医科大学看護学ジャーナル
巻
3
号
1
ページ
7-12
発行年
2005-02-20
URL
http://hdl.handle.net/10422/873
不妊治療における女性クライエントの
子どもをもつ意味についての研究課題
宮田 久枝
臨床看護学講座
要旨 子どもをもつことは、文化・社会的要請を含め扱われ社会経済的状況と密接に関連している。そして、近年では女性の 母親役割、生きがいの変化が生じ子どもをもつことは選択の一つとなっている。不妊治療を見ると急速な治療の一般化は、 女性クライエントの生き方の選択、家族への考え方からの子どもをもつこと、そして治療によって子どもをもつことがで きるのなら持ちたいという思いより新たな子どもをもつことの意味が生じているのではないだろうか。この論文では、女 性クライエントの子どもをもつ意味について、先行研究より研究課題を見出そうとすることを試みた。不妊治療には、そ の治療中、妊娠成立後や分娩後、障害児の誕生などさまざまな困難がある。不妊治療の主たるクライエントである女性よ り、その女性の家族、結婚、不妊治療への意識の構造を明らかにすることによって、子どもをもつ意味を解明していくこ とが研究課題である。 キーワード:高度生殖医療、近代家族、女性、子ども、個人化 はじめに 子どもをもつことは、単に産む・産まないという生理 的な現象だけでなく、文化・社会的要請を含め扱われて いる。また、子どもをもつことは社会経済的状況と密接 に関連している。子どもをもつことは経済的・実用的価 値から、心理的喜びや価値を見出すようになってきた。 そして、近年では女性の母親役割、生きがいの変化が生 じ子どもをもつことは選択の一つとなっている。 一方、わが国における生殖医療は、ヒトにおける排卵 誘発剤を使用しての治療による多胎妊娠後の出産が話題 となってから知られるようになった。高度生殖医療技術 (Assisted Reproductive Technology:以下ART とする)注1)は、1983 年に体外受精・胚移植(In Vitro Fertilization:以下 IVF-ET とする)注 2)による妊娠例が報告されて瞬く間に普 及していった。日本産科婦人科学会の報告によると、患 者数は毎年のように増え続け 1994 年の 21,884 名に比べ ると 1999 年では 2 倍強の 47,716 名であり、治療周期も 同様に 2 倍となった。この技術による出生児は 2.6 倍と 相関して増え、総出生児 100 人に1人という割合となっ た。一方、わが国の医療施設数は人口当たりでイギリス を 1 とすると 3 倍であったと報告されている1)。これは、 子どもをもつことを望み受療を希望する依頼者(以下、 クライエントとする)と、医療を供給できる施設の関係 によって生じているものである。つまり、身近に不妊治 療を受療することができるという不妊治療の一般化がす すんだ結果といえる。基より、医療は人々の幸福を追求 するものであり、その限りにおいて ART は支持されるも のである。しかし、急速な不妊治療の普及は、不妊治療 における女性クライエントの生き方の選択、家族という 考え方からの子どもをもつこと、そして生殖医療によっ て子どもをもつことができるのなら持ちたいという思い より新たな子どもをもつことの意味が生じているのでは ないだろうか。 この論文では、不妊治療が女性を主体としている治療 であるが故におこっている現状を捉え、不妊治療を受療 する女性の子どもをもつ意味について、先行の論文を整 理することによって研究課題を見出そうとするものであ る。 家族と女性 現代の家族は、家父長的な「家」から近代的な「家族」 への変換であり、おおよそ第二次大戦後の家族制度の廃 止以降、それまでの家族に対する考え方に線引きされ新
たな家族像がつくられてきた。そのあるべき家族像は、 夫婦と実子が家族の重要な構成要件であり2)、秩序として いる。家族像とは現実にあるものではなく創り出してい く理想像である。そして、この家族像の示す特徴は家族 の定義のように社会に浸透していくこととなった。 家族像の特徴は、家内領域と公共領域の分離、家族構 成員の相互の強い情緒的関係、子ども中心主義、性別分 業(男は公共領域、女は家内領域)、家族の集団性、社交 の衰退とプライバシーの成立、非親族の排除などであっ た。これはあえて特徴と挙げなくとも家族の持っている ものであるが、あえて近代家族ということばの基に意識 化されていった。具体的には、家族の基本は核家族であ り、その集団は主に親族より成り立ち、強い情緒的結束 の基に生活するものであった。その最たる現象は日本経 済の発展に伴いバブル期にみられた。女性は跡継ぎであ る子どもをもうけ、より良く育て学校に通わせ、夫を企 業に送ることによって中流以上の生活を目指すものであ った3)。こうして女性の役割はますます家内に固定してい った。その後、女性の社会進出、家族の変容・多様性が いわれるようになった。家族とは何か、家族の機能には 何が残っているのかなどが論議され、女性が社会に進出 して家内の役割が減ったのではなく、むしろ内にも外に も役割があり拡大している。 また、個人が「家族」を構成するレベルには現実と意 識とがある。たとえば全くの他人と思っていても血がつ ながっていれば実は家族ということもある。だが当事者 同士がまったく自覚しないまま「家族」の実体が存在す ることはありえないように、家族はその当事者同士がそ れを追認し家族意識を持ってから始めて成立する。つま り、「家族」は現実よりも多く意識の中に存在することに なる。例えば、祖父母のように同居していても他の家族 員が家族と認識しない場合もある。嫁いだ娘を家族と認 識する実親もいる。そこで、個人の意識下にあるファミ リー・アイデティティ(family identity:以下 FI とする) が問われるようになってきた4)。 そこで、現代女性の追求する家族とはどのようなもの であるのかを家族の中での女性の役割も含め明らかにし ていく必要がある。 女性と結婚 男女が結婚すれば家族という単位ができる。結婚すれ ば子どもはできるものであり、子どもをもうけることに よって世の中からその男女は一人前と認められる傾向は 今もある。その影響を受け、結婚した男女の意識下にも 結婚すれば子どもをもつという考え方が存在するといえ る。家族の形成は婚姻にはじまるといえる。加えて、女 性は、生殖機能の主であるため、女性においては性役割 を全うしようとするのが当然のこととなる。結婚は人の 人生の中である特定な人と個人的なつながりをもち家庭 生活をつくることである。女性の選んだ相手をみると、 自分にないものをもつ相手、似たもの同志や友愛カップ ルである。これは全ての共同を失ってきている現在家族 のファミリー・メンバーの FI.に自他認識となり、その メンバーの安定に働いている。言い換えれば、自分を培 い持ち続け自分で方向性を決めていくというマニュアル のないシングル(個人)での不安定さは受け入れがたい 5)。 そこで、結婚を選択する場合、其々が期待するある種 の安定を求めているといえるのではないか。 1985 年の生命保険文化センターの調査によると、1980 年代から始まった晩婚・晩産化の影響より結婚する・し ないから始まって、従来からの、結婚すれば子どもをも つといった価値観を、結婚したとしても子どもをもつ か・もたないか選択する、というところにまで及んだ。 一方、一旦、結婚や出産を選択した場合、日本人の二大 価値観のうちの全世代に浸透してきたといわれる「自分 主義(自分の選択を重視する自分中心主義的価値観)」よ り、結婚・出産を選択すると「大人主義(人々の和を大 切にするという価値観)」が認められるようになり、性役 割分担を選択したかのように妻は家事・育児の責任とい うような価値観を示すと報告されている。 現代の男女の生き方を見ると、結婚しない子どもをも たない、結婚しないで子どもをもつ、結婚しても子ども はもたない、結婚して子どもをもつなど様々である。ま た、夫婦となってもそれぞれの仕事や将来を考え人生を 選択していく中で子どもを得ることを決めていくという ように、子どもをもつことが心理的な満足であり、きわ めて個人的な事柄になってきている傾向があるともいわ れている。また、女性は自己実現を目指し、それは社会 進出であったり、出産による死亡などの危険性が殆どみ られない状況の中には、子どもにとっての親ではなく、 親にとっての子どもの存在を問うこと5)として、いわば女 性の発達として扱われるようになった。女性は自らの加 齢に伴う高齢出産のリスクを生殖機能として計りながら、 引き続き女性に集中している育児の支援や親の介護など、 自身の生活スタイルを保ちつつ回りとの調整をみながら やがて結婚を選択していく。一旦、女性が結婚を選んだ 場合、その結婚とは、生殖そして妊娠が連鎖してすすむ 「結婚-性―生殖7)」ということといわれている。つまり、 女性にとって結婚は、この一連の流れの始まりといえる。 では、結婚を選択し生殖への流れをたどっていくこと は安定なのであろうか。少子化が進む中、あえてこの流 れを選択していくことを明らかにしていく必要がある。 女性と不妊治療 生殖とは、種族保存のためのものであり自然の欲望で
ある。わが国において、子どもは神の子であり授かるも のとして扱われてきた。そして、家長制度の下、家のた め子孫繁栄、老後の面倒をみる世代を作っておくために 子どもを残しておくことは当然のこととして夫婦の間で 「できる」ものとされた。 やがて、医学の発展によって、分娩の安全性は保障さ れているかのように認識されるようになった。産婆や祈 祷師よりも医学の介入が進んでくると、子どもを産む か・産まないかということを選択するようになり、生殖 は操作できるものであり、子どもは、「つくる」ことによ る結果となったのである。これは、子どもをもつかどう かは人生のうちの出来事ではなく、自己の責任において 決めていくことであり、子どもをもつことは一つの役割 として個人的なものということを示す。生殖上の必然性 からではなく、男女の責任へと問題が移行した8)9)。 また、本邦におけるこれまでの思春期の性教育は分娩 教育9)といわれるように、避妊の方法等、女性は妊娠する ものであり妊娠を回避することを目標に行われてきた。 受胎調節においても子どもは自己のコントロールによっ て「つくる」ものとして扱われている。 現代の夫婦それぞれの生き方を尊重した流れの中で、 子どもをもつことが、個人の考え方の相違で選択される ものであるという見方、ライフサイクルの中でのリスク であるという見方があるにも関わらず、子どもをもつこ とは個人の規範として内在化している。そこには家族に 対する均質的考え方が存在しおり、依然として子どもが できてこそ夫婦であり、家族だとする家族観が根強い。 加えて、生殖にはもちろん男女両性が関与するが、自ら の体内で胎児を育て、出産し、さらにその後の育児につ いても、本能的な愛情を持ってあたる役割や天性として 女性特有のものとして広義の母性として扱われてきたこ とより、女性が子どもを産むことが当然とした考え方は 存在する。 日本における不妊の夫婦は、夫婦 10 組に 1 組の割合で 存在しているといわれており、子どもをもつことを希望 しない夫婦を入れるともっと多くであると予測されてい る11)。不妊治療は、夫婦が子どもをもつことを強く望み、 夫婦の合意の基で治療のクライエントになって初めてそ の対象となる。不妊治療におけるクライエントとは、男 女が結婚を選択し夫婦となり家族を作ろうとしたときに 家族が作れないという事実に遭遇していることである。 これは、この夫婦が目指していた家族をつくることを遂 行できない、つまり子どもをもつことを希望している夫 婦から逸脱しているということである。当然である産め る性が否定されることは、夫婦に危機的な状況を与える。 これまでの人生は自らの選択肢の中から選び得てきたも のであるが、これからは自身の努力によって結果を見出 していかなくてはならなくなる。 この治療の目的は、子どもをもつことにある。不妊と いう疾病を治すのではなく、疾病が致命的なものでない ことという一般の疾病とは異なった特徴がある。従って、 治療を行うかどうかはクライエントの選択によるという ことになる。不妊の夫婦が子どもを得たいと思った場合 には養子という方法もある。しかし、本邦においては法 律や夫婦が子どもを育てられるかどうかの査定などの手 続きが複雑であることと共に「我が子」ではないことへ の抵抗が存在するのではないだろうか。家名や家業を継 ぐ場合を除いては養子という制度の活用が少ない状況よ り容易に伺えられることである。近年、ART は女性の身体 に対する副作用などのリスクが高く存在するにも拘らず、 急激に一般化した。その理由には、男女双方の遺伝子(血 筋)を継承するという医療者と女性クライエントの共通 した家族への概念が根底にありより積極的に働いている のではないだろうか。 ART を駆使して子どもを得ようとすることに生命の操 作であるという意見、それに対し妊娠・出産は権利であ るという意見の中で、夫婦の間でも治療を続けるかどう か、女性クライエントの不安・悩みという扱いで報告が 多くなされている。ART を受療していくという行動は、如 何なる思いの中で実現されているのだろうか。人間の well-being を目指し次々と新しい医療技術が開発される ことは、人間にとって朗報であるはずである。 不妊は、女性の問題として扱われていた。女性にとっ て避妊していないのに、あるいは結婚したのに子どもが できないのはいわゆる普通でないことである。当時の性 教育を受けた女性は性役割として教えられた。女性は、 (妊娠)できないという立場でこれまでの人生を過ぎて きたのではなく、妊娠するものという立場で過ごしてき た。子どもができない場合、先に受診するのは女性であ り周りからの目をきにしながら通院していた。不妊は女 性にあるという性役割からの誤解が存在していた。つま り、結果がでないこと=子どもをつくることが出来ない こと=不妊は、人並みではない状況であり、これは逸脱 として疾病として扱われるようになった 12)。そこで、子 どもをつくることへの追求は、「不妊治療を受ける」とい う個人の判断での対処となっているといえる。子どもが できない立場にあるときは、“人並み”の立場になること が最優先に解決すべきことで、常に負い目を持つことに なる。従って、不妊である夫婦は人並みになることに集 中せざるを得ない状況に陥る。生殖医療が発展し以前よ り診断が的確になると不妊であることを迫られることに なる。 不妊治療は、生殖の営みを尊重しつつ従来から生殖機 能を補助する立場であるということ、治療は女性の身体 への影響がより少ない方法より選択するとされているた めに、治療は不妊の原因を明らかにしようとしながら、
検査と治療が並行して段階的に進められるため長期に渡 っていた。最近になって、不妊原因が女性にあるのか、 男性にあるのか、双方にあるのかなど、其々の不妊疾病 に対する診断がより早く的確となってきた。明確になっ た不妊原因の基で、まず個人として子どもを持つことに どのような意味があるのか、改めて夫婦双方に問われる こととなる。先が見えない不妊治療の同志であった夫婦 が自分自身あるいはパートナーの不妊原因で女性が治療 をすることになる。加えて、女性の加齢が障害の子ども を持つ可能性が高いという危機感も加わり、子宮の外で 操作して妊娠を成立することに少なからず抵抗がある。 また、不妊原因の如何に関わらず女性として一人前に産 むということに拘る女性と、子どもをもつことを人生の 中でリスクとして捉える傾向が男性に強く存在する。不 妊治療は ART に達し、女性が 45 歳以降になっても技術的 には可能であり治療を実施している施設がある。加えて、 不妊治療の早期から ART の補助的な治療も積極的に併用 されている。しかし、IVF-ET を拠り所としてもその治療 効果は、胚移植あたりの妊娠率は 20%前後であるという 現実がある。 従来不妊治療は、産婦人科医師側から見ると「病気 でない不妊」もあるとした意思の共通点は疾病による 場合のみを病気とし妊娠しないことそのものについ ては病気と判断していなかった。つまり子どもがいな いことに対する評価によって捉え方の違いが存在し ていた。医師の世代と性別にもよるが不妊への対処が 医療行為以外に生活へも及ぶため身体的病気あるい は社会的病気とする傾向がある。現在は「不妊は疾病 である」という見方より、疾病であるなら治療しよう ということより進んだ。そして、自らを不妊という病 と定義し不妊治療を受ける「病人という役割13)」をと ることによって援助を受け回復することを選択し問 題を解決しようとする女性クライエントと、不妊治療 が一般に知られるようになったことによって不妊は ますます病気として捉えられるようになる。その一つ として妊娠・出産をめぐる決定権を支える会注 3)やフ ィンレージの会注 4)では妊娠・出産は権利であると主 張されている。その一方で、ART による新たな心理・ 社会的困難の存在があるといえる。 本邦における ART の発展は、治療の結果である妊娠へ の不確実性を急速に解消していくかのように捉えられが ちである。この不確実性への挑戦は、医療提供者やクラ イエントにとっては希望であり、女性クライエントに対 して不妊治療を受療して子どもをもとうとすることが当 然であり、ART に臨むことこそ社会的地位を得た証しであ るかような幻想を生んでいるのではないだろうか。不妊 治療での妊娠が確実になることは永遠に有り得ない。不 妊治療は、子どもをもたなくても夫婦であり家族である という考え方への転換がなければ、ART は家族規範の内部 におり込まれるばかりで、可能な限りの医療技術の駆使 が血筋へのこだわりと絡んで、近代家族のイデオロギー の強化への危うさを含んでいるのではないだろうか。 結論 不妊治療はこれまで緩やかに進んでいた。しかし ART の出現によって治療が万能のであるかのように期待され ていくことは容易に予測できることである。この期待は、 女性の加齢も伴い思い立ったら早急に子どもをもつとい う強い思いにつながる。臨床を見ると、不妊治療中には 女性の心身の不調・夫婦の心理的ストレスの増大、妊娠 成立後では多胎妊娠での異常の発生、そして分娩後の育 児困難・障害児の養育など様々な問題がある。不妊治療 は女性の身体を主にコントロールして行われるために最 終的には女性自身の選択によるところが大きい。そのた め、主たるクライエントである女性の、家族、結婚、不 妊治療への認識を明らかにすることによって、子どもを もつ意味を解明していくことが研究課題である。 注 注 1) 不妊治療では、人体外の精子の操作を行う 治療までを一般治療といい、卵子への操作を加えるも のより高度生殖医療と呼んでいる。 注 2)不妊治療の一つとして、卵および精子を体外で人為 的に受精させる方法をいう。手順としては、排卵を促 すための注射を1 週間から10 日間にわたり毎日行い、 その後 3-4 回の受診によって卵胞の発育状況をみて いく。卵胞の直径が 2cmほどになったら採卵する。 体外にて精子と受精させ、受精卵の分割を確認後子宮 内へ移植する。その後、着床の状況をみて妊娠の成立 となる。このようにIVF-ETを施行するにあたっては、 女性の身体の中で卵細胞を成熟させる操作から始ま る。つまり IVF-FT は治療の準備段階からはじまり全 てが女性の体のコントロールを主とする。荒木らの報 告によると、その治療成績は妊娠率によってみること ができ 1995 年から 21~24%の幅で移行しているがそ れ以降上昇は見られていない。副作用として(同時に 多数の卵胞が成熟し、卵巣が腫大し、腹水や胸水が貯 留する卵巣刺激症候群)の高頻度での出現が竹林らに よって報告されている。また、高額な医療費という課 題がある。体外受精の適応はガイドラインによって示 されており卵管性不妊、原因不明不妊、子宮内膜症、 免疫性不妊、内分泌異常のそれぞれにおいて 2-3 年 以上の不妊期間がある、女性の年齢が 36 歳以上であ る等、男性不妊では、不妊期間 2 年、精子の数・運動 性・形態等の一般的な基準が設けられている。 注 3) 妊娠・出産をめぐる自己決定を守る会
(Fertility Rights of Mothers:FROM)とは、医師、 弁護士らによって設立された組織であり、2001 年より 活動している。妊娠・出産に関する諸問題を、時代の
価値観の変化に即し、当事者の自己決定権をする事を 目的としている。具体的には、①妊娠・出産に関する、 医学的、社会的諸問題を当事者の意向を尊重して解決 するべく協力支援する、②妊娠・出産・人工妊娠中絶 (減胎手術も含む)に関する当事者の自己決定権の尊 重、③生殖医療における当事者の自己決定権の支援 (非配偶者間人工授精、非配偶者間体外受精、代理出 産、代理母、着床全診断、分娩前診断等をめぐって)、 ④代理懐胎をはじめ、生殖医療に対して刑事罰を伴う 法的規制に反対する、⑤生殖医療技術がもたらす当事 者及び関係者の不安を解消するための支援活動、⑥こ れらに関する法の整備、健康保険適応、国の援助等、 ⑦これら問題について当事者はもちろんのこと、社会 に広くアピールし国民的理解を深められるように努 力するとしている。 注4) 1991 年 1 月に発足された、不妊に悩む人・ 不妊の問題を抱えた人の自助グループ。関東を拠点と している。http://www5c.biglobe.ne.jp 引用文献 1) 菅沼信彦:試験管ベビーから卵子提供・クロ ーン技術まで, 73-74, 生殖医療, 名古屋大学 出版会,愛知県, 2001. 2) 田間泰子:母性愛という制度, 213-218, 勁草 書房, 東京, 2001. 3) 金井淑子編:家族, 144-151, 新曜社, 東京, 1994. 4) 上野千鶴子:近代家族の成立と終焉, 4-6, 岩 波書店, 東京, 1996. 5) 伊田広行:シングル単位の恋愛・家族論 ジェ ンダー・フリーな関係へ, 18-19, 世界思想社, 京都, 1998. 6) 柏木惠子:女性における子どもの価値, 教育心 理学研究, 47,170-179, 1999. 7) 柏木惠子:子どもという価値 少子化時代の女 性の心理, 111-170, 中公新書, 東京, 2001. 8) Elisabeth Bech-Gernsheim:子どもを持つと いう選択, 131-212, 頸草書房, 東京, 1995. 9) 柘植あづみ:ジェンダーの視点から地域・生活 を考える なぜ子どもが欲しいのか:不妊治療 とジェンダー, 578-581, 保健婦雑誌, 52 (7), 1996. 10) 村瀬幸浩編:ニュー・セクソロジー・ノート, 12-19, 東山書房, 京都, 1998. 11) 杉山陽一:婦人科学 MINOR TEXTBOOK, 金芳堂東京, 309-312, 1994. 12) 中山まき子:第2部コラム<授かる>から< つくる>へという思い込み(原ひろ子・舘か おる編『母性から次世代育成力へ』), 191, 新 曜社, 東京, 1991. 13) 高城和義:パーソンズ 医療社会学の構想, 51-78, 岩波書店, 東京, 2003. 参考文献
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