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<論説>「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」(7) : アメリカ資本主義と民主主義の関連をめぐる一考察

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(1)軒. 説. 「アメリカ. ィ水. と「ジャクソニアン・. 制u. デモクラシⅡ (7) アメリカ資本主義と 民主主義の関連をめぐる 一考察. 柄. 井. 敏. 朗. 系. の. 体. 政. 策. カ. 済 経. 1ノ メ ア の. 0 破. 「西漸運動」, 「移民」, そして新しい. ㏄. I.l. Ⅰム ⅠⅠ. (1) 1820 年代の社会構造 社会形成の特徴. C. (a) 人口の増大および 移動の動態,移民の動向 第 1 図は,建国(1783 年 ) から 1%0 年までの 合. 1820 年代における 合衆・国の社会と 政治. われわれは前節 F 財務長官報告書. (fTTB) において, 主として コを 資料として使い ,. 「アメリ. カ体制」と呼ばれた 政策体系が,政策主体の側 からいかなる 意図のもとで 打出されたかを 明ら かにして来た. 本節 (mo). 衆 国の国土膨脹,それに伴 新しい州の設立と 連邦への加盟状況を 示したものであ る. 1820 年 代が合衆国にとっていかなる 時代であ ったかが 鳥 撤されうるであ ろう. う. の課題は, かかる 政. 第. 表は, センサス統計に. 1. よ. りながら人口の. 策の是認ないし 批判が,当時の合衆国のいかな. 増大および移動の. る 社会的・政治的構造と. 面から内容を 与えたものであ る.. 結びついて提起されて. 来たものかを ,可能なかぎり 実証的に明らかに してゆくことにあ る.. 第. 動態を示し,第 1 図に人口の. 表から明らかにされ. 1. ぅ. ることは次の 通り. であ る.. 一つほ急激な 人口増大 (移民の増加を 含む ) と, その分布の変動, そしてそれによって 斎 らされ. した州が,アラバマ,イリノイ,インディアナ ,. た 社会構造の変化の 意味を問. ,ズーリの諸州と, 、 シガンおよびアーカンソ. フニ デラル. ライト. ステイツ. - っは ,連邦 権 , 州. ま. オ フ. 主. ピ. う. ことであ る. い. / ヴ アレンテイ. 主. - フル. ソ ヴァン. 権 ,人. う. 民. ことであ. 資料としては ,主として米国商務省国勢調査 ・. どん. 一の 2 准州で , あ. e ひれite こ ざ し 比 s, COo10 れァク サ. Ⅰ. T みれ es. to 7970. Ⅰ. 50% 以上の人口増加率を 示. が. , Pt. ェ,. アパラチア山脈以西の. 位が, ニューヨーク ,. ュ. 地方で. ったこと.第 2. 1820 年には州別人口数の 順. 、ジニア,. る・. 局の出版になる 統計 書 (朋 ,t。r たal S ぬ甘田た. ザこ. ソティ. 権 の三次元から 構成されていたこの 時代. 0 合衆国の政治の 構造的意味を 問. 第 1. 1820 年代. ペンシルヴェニア ,. ノースカロライナ ,. ウセッツ…. オハイオ, マサチ. であ ったのに対し , 1830 年に. は, ニューヨーク , ニア, オハイオ,. ヴァ. ペンシルヴ ヱ ニア, ヴァ ジ ノースカロライナ ,. ケンタッ. Washington,D .C.,1975);WiIliamJ. BromweIl,. キ ー ‥‥‥‥・と 変化していること.. 王ぬ 壬 to Ⅰノ 9ⅠⅠ碑れ igrrクだ。れ to 妨ゼひれ ite虜ぶ tates,. 脈以西の諸州が 重要な地位を 占め始めているこ. New. とは, ここでも同様であ る. 第 3. 人ロ増加率. York l855, それに,前節 (fDDB)でも用い た Niiles, Wee ゐ奴 R 笘㍊ダの各巻 各号が使用. が 10% に満たない州は ,. された.. ウェア. ,. メアリーランド. アパラチア 山. コネティカット , ,. デラ. ニュー " ノブ シャの.

(2) 36 (36). 第Ⅸ 巻. 横浜経営研究 第1 図. 178 ㌻ 1840. THE. 年の合衆目の. l l. L. 第 1 号 (19㏄ ) 膨脹. NA. PURC. イ ⅠⅠ 1803 年のルイジアナ 1818 一 1819 午に 合. 出典. 4. 州・. Ⅰort 訊 Gi 肪ert, A. 且. ゎon H szo ひ AzZds, London 「. 10% 台の州は ,. ュ ウセッツ,. ケノ タッキコ マサチ ニュージャージ , ノースカロライ. ロードアイルランド. ナ,. 笏 gr. ヴァーモント ,. ,. サウスカロライナ. 南. 部 諸州に属していること・ 植民地時代から 開発 の進んだ諸州では ,人口の増加率が 比較的緩か であ ったことに注目されたい. 国. このことは, 建. 当初以来の諸州における 経済の停滞を 意味す. るものでは決してない. 経済構造の質の 変化を 意味している.すなわち,. る. 以下「人口論的アプローチ」という. 膀に意を. 介せず,いま少しこの時期の 人口の動向を 検討 しておこう. 第 2 表 は, 1820 年代の移民の 動態に概観を 与. えたものであ る. 第 2 表から次の事柄が 明らかになる. 第 1. 1830 年代の移民の 総人口に対する 割合. マサチュウセッツ ,. ロードアイランド 州は,すでに本論Ⅱで明らか にされた よう に, この同じ時期新興木綿工業, その他の製造業の 発達を中心に ,. 因 として作用せず ,むしろ開発の遅れた ア パラ チァ m 脈 以西で人口の 新たな増加が 見られた 原 因 こそ, ここで注目さるべき 大切な特徴であ. ,. ヴァジニアの 8 州で, ケンタッ. キ ー 州を除いて, ニューインバランドおよび. 1968, p.39.. アメリカ産業. は,おょそ0.1% 前後であ るが, 1827 年以後に は 増大する傾向が 見られる. 第 2. 1830 年の特殊事情にの 理由は い まのと. 革命の中心地であ った.サウスカロライナ州. ころ理解不能 ) を除いて, ョ一 Ft. は,. の 移民が圧倒的に 多い.中でもイギリスおよび. 当時, アメリカ第一の 綿花生産 州 であ. っ. パ 諸国から. アイルランドからの 移民は群を抜いている.. ナⅠⅠ). ・. 明治以後のわが 国産業化の歴史と 異なって , 産業とく. ,. vこ 製造業の発達が. 人口吸収の決定的 原. と. くに後者は移民総数の 30 一 50% を占めていた. 1850 年当時, 国務省の役人であ ったウィリア.

(3) 「アメリカ. ン. 1790 ∼ 1840 年の州別人口. 第1表. セクション と州 (准りl.l) ・. New@ England メ. 体帝U」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 (7) (柄 井敏朗 ). イ. マサチュウセッツ ニューハンプシャ. 上棚総数, 下栢 (括弧内 ). 1790. 1800. 97 (3.2) 379. 152 (5.1) 423. (15.7). ヴァーモント. 1810. 184l54 (204 ). 平方マイル当り 人口 (単位 : 1,000 人 ) Ⅰ. 1830. 820. 229. (7.7). c. 340. ニューヨーク. (7.1). 434. ペンシルヴェ ニア. (9.7). - ジ. 一 コーン 。 ヤ. 184. (24.5). South@ Atlantic デラ ウ ェア. (58.7). 214 (23.7) 218. 285. 298. 310. 59. (30.1). 602. 870. Ⅰ, 724. Ⅰ. 246. く. Ⅰ. 2.4) 3.4). 211. (28.1) 64. (32.7). (20.1) (18.1) (32.7). ニア. 692. 808. 50. (13.7) 79. 878 ( 5.2) 105. (11.6). ウエスト・ ウア ジニア. (34.4). ). 321 ). (42.7) 77. 73. 381. (32.0). 278 (3f9 (133. (39.0). (37.0). 342. ジ. 269. 2,429. く. 320. ア. 502. 959. 589. メアリーランド ヴ. 399. 472. コネティカット Atlant. 1840. 69. ロードアイランド. Middle@. (37)@37. (38.3). 2,429. (51.0) 78. (39.0). 447. 470. Ⅰ. サウス,カロラ 4 々. 249. 346. 415. 581. 594. ノース・カロラ. 394. 478. 556. 738. 753. 163 (Ⅰ. 5). 252. 517. f691. 35. 54. 32. 212. ジ. イナ. (8.2) (8.1). ー ジ ア. ョ. 83. (0.6). フ. ロ. Has. 毛エ刈. ,. (11.3). (9.8). 0 ⅠⅠ n Cent シ ガ ン. ハ. 5. (0.1) 45. オ. イ. ( . 1) エ. リ. ノ. 6. イ. 74. 22. テ. 36. Ⅰ. シ. (1.8). ー. (0.8). ア さ. ラ. バ. シ シ. マ. ッ. ズ. 一. Of. (2.5) Ⅰ・Ⅰ. ピ. 8. (0.3). West@ North@ Central ,. Ⅰ. (5.5). (Ⅰ. 0). (3.7). 31. (0.4). Ⅰ. 938. 1,519. 25. 343. 686. Ⅰ2. 157. 476. 768. 780. 9. 310. 59. 31. 137. 376. 23. (5.7) (0.6) (0.1). East@ South@ Central ケンタッキ 一 ネ. (4.3). エ al. インディアナ イ. (11.4). タ。. リ. ウィスコンシン オ. (13.6). 407. (10.1). (8.5). 262. (6.3) (0.4). Ⅰ. (8.1). Ⅰ. West@ South@ Central. アーカンソー. U.S. Pt.l,. Depa. 「. tment. Ⅰ4. of Comme. Ⅴ W ash. D.C., 1975,. 「. ce,. pp.24. H. ゎto Ⅰ たd ぎぬわ打たS o/ tAg けれ れeピ Sf 乙比J, COZo 抑ぬZ Ti/7zgs to JgZ0, ∼ 36, より Ⅰ. り 820 年と 1830 年の間に見られる ( ) 内 数字は, 1830 年の人口の 1820 年の人口に対する 増加率 (% ) を示す.

(4) 38 (38). 横浜経営研究 第2 表. 第Ⅸ巻. 第 1 号 (1988) 単位 : 1 ㏄ 0 人. 1820 ∼ 1830 年の国別移民の 勒 態 (. ン. ア 一。 イ. ナ. スン ブ l @ ・. ッ. ス,デ. 0 3. 0 7. 11,252. 10 (0 . 2090)8.5. 0.5. 0 7. .8 ,093) 9.8. 0 5. 1.0. 6.7. O.4. 1.8. 1.9. 4.7. O.6. 1.. 1.0. 1.3. ●. ・. 11,580. 1827. Ⅰ. 1828@. 12,237. 1829@. 12,565. 27.8 (0. 228)24.7 12.5 22.6 0 . 179). 1830@. 12,901. 7.2 23.3 (0.181). 159). 1,909. Ⅰ. ・. ・. ・. ・. 1826@. 0 2 0 3. ・. 8 6 Ⅰ山色 リ Ⅰ 0 0 0 2 3 2. 1825@. ●. 0. 2. 6. 4 9. 1824@ 10,924. ・. 3. 0 5. ・. 8. 0 2. (0.058) 6.3. 10,596. ・. 4. 1823@. 0 2. Ⅰ. く. 0. 4.0. ・. 0 2 ・. O 2 ◆. 0 3 ・. 0 4 ・. Ⅰ 上. 0 5. ・. 6 7 8 O 6 3. 0, 1. (. 0 2. 工. 4.4. 60,067) ,9. ・. 0. 0. 5. 0 2. 0. 0, 4. ・. ). 2. 5.9. @ ド. フ. 丁 2. 0 5. ユノ. 2. 1. O. ・. ド. ・. 二フ. ・. ス ルネ ィグ @. ビ ア. 数. 9,939 10,268. イ. 3 9 6 2. 1822@. 804O 87. ナウ ダン. 7.7. (. カァ. フルベル. l. その他. 本. ド. カ. 4 3 4 4 6 8 ㏄ ㏄㏄鉄色㏄. 9,618 %,*. ス. 数. 次. 年. 1821. 総. 移民総数. 合衆国総人口. 年. 1820. アメリカ大陸から. ヨーロッパ諸国からの 移民 総. 末尾四捨五入 ). 0. 8. 1829 年を除いて 30 人未満 * なむ ( ) 内は移民総数Ⅰ総人口 (百分比 ) イタリア, スペイン, ポルトガル 出典 H szo Ⅰ たは すtdzistic5 が ん e ひれ劫材 Ⅰ㏄, Pt. l, pp.106, 108, 109. * *,. 「. ム. ・. Ⅰ. で. ち. で尹サ己. J . ブロム ウヱル (WIlllam J. BromwelI) が ,. を 通じてニューヨーク 市がつ れケこ トップの座を. 次の三つの資料,①国務省の「移民に 関する年. 占めていたことは ,当然のことと頷ける.ニュ. 次 報告書」,②関税徴集 官 によって国務長官に 報告された「旅客人摘要」,③国務長官に 報告 されない資料「税関報告書」に 基づいて書き 上 げた『合出国移民 史肥 は,第2 表に与えられ た 「権威あ る数字」とはかなり 開 ぎがあ るが, この時代の移民の 動向に関しても 少し詳細な. 一. う. 情報を提供していて 興味ぶかい.第 3 表は ,. こ. れによ りながら入港 先 別に移民数を 纏めたもの. 市 に飛躍しつつあ り, とくに, 1825 年の ェリ一 運河の開通後は ,. オ. - ルド.. 北. /-. 西. ス .ウニスト. 部諸州に直接 連. 結する交通網を 整備しつつあ ったからであ る. いずれにせ よ ,海外から最初に入港する移民に と 。 て ,最大の移民基地として大きく期待され. ていたからであ ろう. その他,第3 表に明らかになるよ. う. に,当時. 海港都市として 繁栄し商工・ 金融の中心地で. であ る. 移民が最初に 入港した都市のうち ,. ヨーク市は, この時期,合衆国最大の商業 都. この時代. もあ った, フィラデルフィア ,ボルティモア,.

(5) (7) (柄井敏朗 ). 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 第 3 表 1820 年代の移民とその 入港 地. l1S20 年. 1821年. (Mass.). チャールズトン. (636). (各年とも. (39) 39. 9 月末日に終る 1 年間の数字 ). 1822年, 1823年 1824年 1825年・ 1826年 1827年. (670). (701). (485). @ 1828年. 1829年. (541) 23. Ⅰ. (45/. ファルマス. (Me.). 1O. 一" サ. ヴ. ァ. ン. (7). 一". 引. (Ga.) アレグサンドリア (D . C , ). (Me.). ネ. 括弧 (. 32. エ. 。. ) 内 数字は男桂の. 数,但しその他に性別不明者も 相当数見受けられるので ,この数字がすべて. 性とは限らない. 牡 ゴチック組の 数字は,入港者の大きいものの 順位・ 出典 William J. Bromwell, Hiistory Ⅰ o/ Ⅰ櫛mig 戸り tinn to th ビひれ ited States, New. York. 男. l855, pp. 21,. 25, 29, 33, 37, 41, 45, 49, 53, 57. ボストン, ニューオーリンズが ,. 同様に大切な. しかし第 4 表から次の大切な 事柄が明らかにな. 地位を占めていたことにも 注意を払っておきた. る.. い,. 第 1. 移民のなかに 占める商人および 農民の 比重がかなり 高い と しかもそのすべてが 男 性 であ ったこと.第 2. 機械工を含めて 種々の. とくにニューオーリンズは. ,. ,シシッピ河. 通じてオハイオニミシシッピ 渓谷に通じる 基. を. 地 として重要性をもっていた. メカニツクス. 第 4 表は,フロム ウヱル の著書に依拠しなが ら 1820 年代の移民を 職業別に示したものであ. 職人 (例えば, 靴 職人, 仕 上職人, 織 有王,紡工 ,ペン. る.. が相当数含まれていることが.. 職業不明者が 50% 弱から 60% 強まで見られる ので完全に正確な 情報は期待さるべくもない・. 表示されなかったが ,渡米した女性の職業は ,. キ 職人.石工,帽子作職人,製粉 工 ,製パンエ など ). これも完全に 男 性であ ること. これに対して 第 3. 第 4 表にほ.

(6) 40@ (40). 横浜経営研究. 帯 ] 号 (1988). 第 Ⅸ巻. 第 4 表 1820 農. 商. 年. 水. 次 民. 人 933. 機. 労. 夫. 年代に渡米した 仕. 朝ヒ. 働. 械. 職. 者. 工. 人. 紡. 移 石. ぺ. 中貫. 子 作 人. 人. 工. 工. 職 人. ( 9.0). 874. 269. 62. 63. 90. 17. 27. 5. (. 1,249. 420@. 101. 80@. 107@. 21. 38. 13. 1822. 1,441 (12.4) 1,431. 1823. 1,427. 1820 Ⅰ. 821. (16.7). く. Ⅰ. 8.5) 7) 834. 536. 414. 283. 71. 90. 146. 9. 35. 10. 800. 455. 338. 389@. 46@. 59. 85. 14. 26. 5. 289. 57@. 54@. 121. 16. 29. 7. 0.. ( 9.8) ( 9.7). 1824. (17.3) 1,926. (20.0). ( 9.5). 918. 436. 38. 1825. 1,841. Ⅰ, 647. 527. 650. 376@. 49@. 44@. 162. 9. 38. 11. 1826. 1,943. Ⅰ, 382. 555. 716. 593@. 132@. 77@. 366. 14@. 48. 19. 2,076. 2,071. 486@. 1,761@. 1,056@. 170@. 139@. 648@. 47@. 130@. 23. 1828. 2,328. 2,542. 468. 2,628. 1,334. 267. 206. 766. 44. 162. 26. 1829. 2,66. 1,264. 408. 1,885. 111@. 127@. 348@. 31. 38. 12. け 4.3). (14.0). 1827. ( 9.5). ( 7.7) Ⅰ. (10.9). (12.8). ( 9.9). ( 9.5). (@8.4) ( 5.2) 出典. William. 括弧 ( 「お針子」㎏ eamst,e,,。S 、ndmilljn。,, ). 854@. J. Bromwell,. Hi sto Ⅰノ 0/ 「. ) 内の数字は,各年の. と 奉公人. (,㏄ ""nt,) が主要なものであ ったこと・. Ⅰ. 「お 針. 子 」はすべてが 女性.奉公人のうち女性の比率 は 各年とも大略 50% 前後であ った。). さらに, 第 4 に,職業不明者の60% 弱が,各年とも女性 であ ったことが目につく。). これらは,恐らく , 配偶者に伴って 渡米したものと 考えてよかろ. Ⅰ笏笏. i9. Ⅰ・. a ガo れ to. tんピひれiteイ. 移民総数に対する 百分比. 性格を多分に 残していたと 考えられることであ る. 第 5 表 は, 1830 年代以降の移民の 職業別構成 を 示し この仮説を裏 づけよ としたものであ る .整理の必要上,第 4 表と異なり,商人,農 う. 民 ,労働者,職人 (機械 工 , 靴 職人, 仕立 職人, 織. 有王,紘二,ペンキ 職人,石工,帽子作職人,製粉. .その他第5. 法律家,外科医,技師,教師 エ ,製陶工,製パン 工 ), 知的職業人 (法律家,外 など,教育水準の高い移民も無視できない 程度 科医,技師,教師,牧師 ) に類別した, 第 5 表から確認された 1830 年代以降の移民の 発見できること.以上であ る ぅ. 3, 第 4 表を総合して 明らかにされ ぅる 事実は , 1820 年代の合衆国における 移民の 第. 2,. 第. 性格変化とは. ,次の事柄であ る・第 1 は,商人. 性格が, ヨーロッパ, とくにイギリスにおける. の構成比が急激に 減少していることであ る・ くにこのことは 1840 年代に入って 顕著であ. 産業革命の影響を 被りながら,例えばアイルラ. た .それに伐. ンド人の移民増大のように ,かなり変化しつつ. 人,. あ. りたとはいえ ,いまだ1830 年以降のものと 決. 定 的に異なって ,基本的には植民地時代以来の. と. っ. って第 2 に, 農民,労働者, 職. とくに前二者の 構成比が高まっていること. であ る・しかも特徴的なことは. ,それが景気循. 環に大きく左右されていることであ. ろう・ 183 ト.

(7) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン■デモクラシー」(7)(柄井敏朗). (41)41. 民の職業(各年とも月末日に終る年間の数字). 製製製牧. 不 律科. 粉肉 ン. 墓芸. 工工工師. 明. 計. 者. 7 36 46 24 6 43 12 19 63 13 35 139. 6,49910,311. 15 34 61 38 20 62 7 35 114 16 15 431. 6,23911,644. 14 20 30 31 23 56 16 21 74 18 29 20. 3,865. (63.0) (53.6). 8,549. (45.2) 14 16 29 24 27. 73 5 29 85 11 15. 3,889. 6. 8,265. (47.1). 11 25 26 34 25 70 20 31 88 10 28 13. 4,580. 9,627. (47.6) 11 28. 36. 37 29 87 24 19 51. 6,56612,858. 5 36 69. (51.1) 17 33 57 25 25 92 14 14. 6,99213,908. 75 16 69 70. (50.3) 11,69821,777. 38 18 60 42 26 65 30 29 86 35 38 136. 35 61 140 70 31 112 33 33 106 29 107 421 38 44 76 54 15. 96 28 39 108 14 40 717. ∫gdgg∫∴NewYork1855,pP.23,27,31,39,43,47,51,55,59.. 39年の恐慌後,あるいは1847年前後の動向に注注員されてよかろう.プロテスタソト系アング 目されたい.もっとも1848年がヨーロッパ. 大陸 ロサクソソによって建設されたアメリカ合衆国. で革命の年であったことにも留意.一言でいえ が,この時期大きく性格転換を示し始めていた ば,イギリスを中心とするヨーロッパの産業草 事実に留意しておこう. 命の結果土地を離れ,あるいは仕事を離れて新 天地を求めた移民数の急増である. 合衆国ほ1830年代以降はっきりと,経済的, 政治的,社会的に抑圧されたヨーロッパ人にと って,「自由な土地」と意識されるに至ったと いえる.. この事実ほ,すでにアメリカ史の概説書でも. このようにみてくると,われわれは,いま考 察している1820年代こそ,アメリカ移民史にお. いて決定的に重要な転換期であったことに思い 至るであろう.. さて,われわれは,ここで,問題を展開しな ければならない.一移民と自然増加によって. 明らかにされていることであるが,弟6表に示. 急増するこの時期の合衆国の人口増加と,その 地域移動の動態を,この同じ時期の具体的な歴. された1840−50年代におけるアイルランドおよ. 史の動きと重ね合わせたとき,どのような歴史. びドイツからの移民の絶対数の急増と,イギリ. 像が浮かび上がってくるかという問題である.. かなり旧い研究に属するが,Frederick スからの移民の相対的な低下からも裏づけられ る.とくにアイルランドからの移民に加えてド. Jackson Turner,771e United States,1830−. イツからの移民の1830年代後半以降の急増ほ,. ヱβ50ご7Ⅵg入仏土わ刀〃刀d克ゞ▲免c∠∼0刀∫,ひ∠fんd乃.

(8) 42 (42). 横浜経営研究 第5表. 人口総計. 次. 1839. 16,684. 1840. 17, 20. 184. Ⅰ. 17,733. 842. 18,345 本ボ. や. Ⅰ. 8,957. 9. ︵ ︵. @. 3. William@J. ・. Bromwell. ,. History@ to@the@ United@ States. , New@York@. 1855 , pp. 87.91,95,99,103,107.111.115.119,123,127,131,135,139,143.147.. ・. 63,67. 1.1. 括弧 ( ) 内 数字は移民総計 / 人口総計 (百分比 ) "" 括弧内数字は 移民総計に対する 比率 (百分比 ) *** 人口総計を除く 各項目の数字は ,その年の最初の四半期のみの 数字 ffi@@. 明林. ⅠⅠ 上1 Ⅰ.1. ︵. 23,261. l1 ユ. @Ⅰ上. 1850. 3 2 2. 22,631. ︵. 1849. @ⅠⅠ. 22,018. 4 2 2. 1848. ︵. 21,406. 2. 1847. 0. 20,794. Ⅰ︵ Ⅰ. 1846. ︵. 20,182. @Ⅰム. 1845. 8. 19,569. (1.3). 844. Ⅰ. ︵. 1843. Ⅰ l ユ. Ⅰ. Ⅰ. 不. 6. 16,264. ︵︵︵︵︵︵︵︵ ︵︵︵︵︵︵︵ ︵︵︵︵︵︵. 1838. ︵. 15,843. I.l. 1837. ︵. 15,423. @1.1 @1.1 Ⅰ @ 上 @ 9 3 5. 1836. ︵. 15,003. 9. 1835. @1 Ⅰ. 14,582. ︵. 1834. 8. 14,162. )1 人. 1833. 3,742. 人材. ︵. Ⅰ. 職. 4. 1832. 労働者 蹄. ︵. 13,321. 民牡. l ヰⅠ l. 1831. 農. ︵ 3︵ 4︵ 2︵ 2︵ 8︵ 9︵ 3︵ 7︵ 9︵Ⅰ︵ 5︵ 5︵ 9︵ 6︵ 8︵ 5︵ 9︵ 2︵ 6︵ 甘 ⅠⅠ 上 ⅠⅠ 3 4 6 4. 12,901. 人 "". 工︵ 2︵ 7︵ 6︵ 7︵ 6︵ 8︵ 0︵ 6︵ 2︵ 8︵ 2︵ 2︵ 8︵ 9︵ 9︵ 7︵ 3︵ 1︵ 9︵ 2︵ ⅠⅠ Ⅰ ユ・ ⅠⅠⅠⅠⅡⅠ エ 2 4 3 3 4. 830. Ⅰ. 1830 ∼ 50 年の移民の職業 桂成 商. (千人 ). 第 1 号 (19㏄ ). 業 職 的牡 知者. 年. 第Ⅸ 巻. , 71 , 75 , 79 , 83 ,.

(9) 「アメリカ. 体帝Ⅱ」と「. ジ ヤクソニアン・デモクラシー」. ヨーロッパ全体,. ㈲. 「自由なる西部」と. これら「自由な 西部」と「綿花王国」の 形成者 がいったい誰であ ったかという 問題であ. る・. ま. ず「自由なる 西部」の形成者について 考えてみ よ. Ⅰ ターナーは, ノース,セントラル・ディヴィ. 、ジョンの移民の 特徴を, オハイオ渓谷の 森林地. 帯を挟んで大きく 南北両地域に 分けている・ 北 部への移住者は ,ニューイグラソド からの内地 移民, とくにニューヨーク 棚経由で西部に 移住 した ニューインバランド 人の子孫であ った. し. 183 ㎝ 50 年にノース・セントラル・ディヴィ. かし,その他ャこ,. イリノイ, ミシ. ガン, ウィスコンシン (以上イースト と. 3226. その一つの特徴的性格. (b) 新しい社会形成の 特徴 ( イ ) 「自由なる西部」の 成立. ). う. 「綿花王国」の 形成であ る. ,シシッピニオ" ィオ渓谷に移. ジョン ( オハイオ, インディアナ ,. 2 Ⅰ ア Ⅰ Ⅰ @Ⅰ ミ リ ユノ Ⅰづ Ⅰ r. 移民,そし. 司書から整理しておきたい・. ントラル. ったと ターナーはい. ここでわれわれにとって 興味ぶかい問題は ,. て自然増加によって 殖え続ける合衆国の 人口 が ,建国期 にすでに開発されていた 諸州にその. を,. 77. な試みに貴重な. 重要な海港都市に 到着した数多くの. 住していったさまと ,. 8086956022. YO 「 k. われわれは, ここで, ニューヨークその 他の. まま定着せず ,. Ⅰ. 5. 9. 1935, は,われわれのこの ょ 史実を提供している.. Ⅰ. ひた iteは St ク亡 ㏄, Col0 れ伍Ⅰお別 ぴ tn 7970 , Pt.l, p.106 より作成. ノ C7-d ひg 裾 , NeW. ひヒ Ⅰ. 2. 互. 25.8 20.2 21.3 19. 39.0 38.5 50.3 35.8 35.4 35.5. ㏄ 臥. Ⅰ。 イぴCZ 07Z &ノ A. ピ. 6. 色ム出﹁土 色エ色 冗 ・Ⅰ 上Ⅰ﹁ ・ ーⅠ ・Ⅰ﹁・. てんち. Histo Ⅰ たalS 加 tistわ携が妨. Ⅰ・. 2. 出典. 3. 鉱 Ⅰ. 200,877 200,436 153,640. 35.3 30.0 37.3. Ⅰ 77%6 ㏄ 曲 ㏄花村. 427,833. 色㏄㏄. 234,968 226,527 297,024 369,980 379,466 371,603 368,645. 10.6 18.3. 1.1. Ⅰ. @ ドイツ. 60825987339. 45,374 84. 066 14,371 154,416. 1 ﹁ .5 Ⅰ ・ 1 . 上1Ⅱ 上 1Ⅰ 1 アⅠⅠⅠ 6733 8l 8Ⅰ 9 6Ⅰ 86T 9l 2Ⅰ 9. 61 工 r ふ 3% ㏄ まよ 6% 臥 こま 3 エ 22. 22,633. アイルランド. イギリス. あ邸邸 ㏄㏄ 佃ゆ. 移民総数 (千人 ). 5245852544丁 68489 99994321 肝銘的的㏄ 叩︵ 6 ︶ 6 ︶ 。㏄肝銘 mO. 年次. (43)@43. 183件㏄年の国別移民の 劫 憩 (移民総数に対する 百分比 ). 第6表 l. け) (楠井 敏朗 ). ,ノース・ セ. ミズーリ,カンザス ,アイオア,ネヴ. ナ. 吋の出身者や ,. ドイツ /Ⅰ, アイルランド ノⅠ ,. さ. らにイギリス 系アイルランド 人, カナダ人, ス. カンディナビア 系移民の存在を 追記することを. ァタ ,ミネソク ,ノースダコタ ,サウスダコタ (以上. 忘れていない. ウェスト・ノース・セントラル ) コが, 後にみる. サ. ヵ. ウス・セントラル・ディヴィジョンとともに. ,. ど少ないから ,. アメリカ合衆国で 二つの新しいセクショ ソ に な. 「ドル・アトランティック 諸. つ. ・第 2 表に見られる よう に ,ス. ンディナビア 系移民はこの 時期無視し得るほ. よいだろう③.. ここで は まだ考慮に入れなくて.

(10) 横浜経営研究. 第Ⅸ 巻. 第. 号 (1988). 1. 入植したニューインバランドおよび、 ドル・ ス. テ ィッ からの移住民は , どのような特徴をもっ ていたか・ ターナーは次のように 述べている.. その入植は,正常な場合, 高 南部からの入植 と同様, 個々の家族によるものであ. った. 高高 イソデイヴ ィデユ ア. 部からの入植者を 特徴 づ げたかの「個. 人. セメ ラテ イ ズム. ズム. 義 」と「分離主義」が ,. しかし. た・. っていた・. ここにも支配してい. すなわち,新しい社会形成の際にひ. - ガヰセイ. オ. じょうⅤ こ 多くの場合,移住以前の段階で社 シヨ ソ. オ フ ・Ⅰ,ユニ テ イ. の. 組. あ. サ. 主. その定住方式には 特殊な要素が 加. 織. 会. 化が行なわれていたことがこれで. る・定住のために 作られた土地会社を 通じた. いわゆる コ、 ュ ニティの形成であ る. ターナー. は ,かかる「社会の 組織化」の例として ,オハイ オ州オーバーリン (Oberlin) のような種々の 大学 都市や,ウィスコンシン州 ベ ロイト (B 。l。田 , , 、ンガン 州 南部のヴァーモントヴィル. (ve,mont.. v Ⅲ ej. などの例を挙げているⅥ. このデ イ ヴィジョンへのドイッ 人 ,. アイルラ. ンド八等の入植は ,われわれが考察を進めてい る時代よりもも. う. 少し後の時期, 1840 ∼ 50 年代. ツノ p. の れ. ・の. イ. ヴィジ ,ン. を 新しいセクシ , ンに 発展させた. ボウィナイ. フをもち,無骨で,. しばしば神をも 恐れぬ不信. 仰者と見られた 南部出身者.安息日をビア・ガ ーデンで過し. ビールで酔いつぶれるドイツ. 人 . 粗野なアイルランド 人. 種々の国籍をもっ. たきわめて多数のカトリック 教徒. これらがピ 出身者と混じ. ューリタンのニューインバランド. り合って独得な 社会を形成した⑥. このセクシ , ン こそ, かかる意味で ,. まさに競合する 多く. 数. 寸マ カ Ⅰ. 六. レ発 フ活. ⅠⅡ つ乙派はた 打ムて 五っ 与 に円教 つる. のン なト. 活お. っ刹 ム口 もで を下 力以 響徒 影教 が洗 いク 徒再 強ツ 信と L リ. ィビ. @ @ をて ステ 動い. 派ア 行力. の 教派の入り交 る セクションでもあ った. メソ. ヂズ なに. れた 万ゥ 年 オ語 ら 方ょ き に ろ オ分力. らの新しい移民の 流れが, このデ. お し. て め. @. ノし. て. つ ろ 二. こ. いうつ. の十. 持分. に属すると思われるから , 1820 年代の人口構成. てか. 留ブヨ し と い住 ら移 内 の国. ほ流. 合. 給る ニ はデ あ 家ィ と 帯 て て植 た ら 三 地 何 方 っ 口 地 ﹁M 第ジは て, 消. 44 (44).

(11) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」 (7)(柄井敏朗 ). (45) 45. われわれはきわめて 複雑であ ったとはいえ , このセクショ ソ の最大多数者が 禁欲的プロテス. 「綿花王国」形成のひとつの 重大な画期であ っ たことを知り 得たであ ろう. 1821 年には ジ,一. タント派の信徒であ ったことを知るであ ろう.. ジア,サウスカロライナの原綿生産高の 1/2 に. ところで, われわれは, ノース・セントラル イ. ヴィションのこの 時代的状況を. も 足らなかったアラバマ ,. ミシシッ. ピ 三州が, 1820 年代には急激にこれに 追随し. 以上の. ,. テネ、シ弓. いわば牧歌的面でのみ 捉えておいては い げな. 1830 年代以降の「綿花王国」確立の 基盤をつく. い . むしろ危険であ る. この時代が同時に ,前. った 事実が見出されるからであ. 節 (fTTB)および本節 (Te(2)) で考察された ( る ) 国内開発事業計画の 立案の時代でもあ ったから. テネシ P,. ケンタッキ ロ. ,ピ, ル イジア ナ ,. る. アラバマ,. ミシシ. ァ 一ヵンソーから 構成され. であ る. ターナーが同時に 次のような大切な 指. た サウス・セントラル・ディヴィジョンは. 摘 を行なっているこ 円こ 注目しておこう. 「オハイオ渓谷社会には ,新しい土地で 社会. の時期, また,政治的にきわめて大切な意味を. 的地位の上昇機会を 窺. 節. していた・ る. う. もったデ. 家系や社会さえも 存在. そして, こうした家系や 社会に属す. イ. こ. ヴィジ ,ンに展開しつつあ った. 前. (DrB) 末尾で検討された「アメリカ. の強力な推進者ヘンリー・クレイは. 人々は, 自分たちがかつてそこから 移住して. ,. 税法制定当時ケンタッキー. 体制」. , 1824 年関. 別選出の下院議員. 来た , 古 い 文化の中心地に 備わる社会的快適さ. n下院議長 ) であ ったし. や 教養や知的関心を 自分のものにしょうとして. ・アダムズ政権 下には, 国務長官となって い. 年. た . また 1824 年後の選挙には 落選したが, 1828 大統領選挙では 当選するアンドゥルー・ 、ン. い た」,8)と. 「自由な西部」は ,. ン ・クウィ ソシ一. この時期, 禁欲的プロテ. スタントの独立自営農民層を 基盤に大きく 展開. クソン将軍 は, テネシー州出身者であ. しょうとしていた. 全国的商取引に 生命を賭 け. ヤ. った・. ジ. ク ソソと クレイ一一ジャクソン 期に真向から. るもの,銀行業を始めるもの,製造業を興すも 0 等が国内開発事業を 自らの社会的・ 経済的・. 対立する二人の 政治家が , 同じ時期,経済環境. 政治的上昇のステップ 台 と心得て 州 議会で活躍. 基盤をおいていたことは , 「アメリカ体制」と. し 始めていた. この耀くばかりの 条件が,民衆. 「ジャクソニアン・デモクラシⅡの 政策理念 0 対立を理解する 上で,看過することの 出来な. を 建国以来の諸州に. 閉じ籠めることを 避 け,. のきわめてよく 似通った同じデ. こ. イ. ヴィジョンに. い 大切な事柄であ ったと考えてよかろう・. の セクシ, ン への移住を招来さすことになった. 「サウス・ セソ トラル・セクショ. のであ った.. ソ の大半は. 丘陵地であ った. その自然のままの , それほど カ ウソトリー. 黒人奴隷制社会「綿花王国」の 成立 第 7 表からわれわれは , 1820 年代が同時. 肥沃でない地. ( 日). 第. 年次. ヴア. Ⅰ Ⅰ. 1. 工. 233. 8. 7. Ⅰ2. Ⅰ0. 34. 1上 .. Ⅰ上 ぴれダ. s. 』℡ gr. 表. 崩乙nts,. 几祇己 goz. 肋c, V0I.IV. 方こそ,森林開拓の基地, つま. ジャクソニアン・デモクラシ. 南部 綿作 地の西漸. ジニアカロライナカロライナ ノー ス 。 サ ウ ス @. Ⅰ. 78888. 9. ⅠⅠ﹁・ⅠⅠ 上. H. 7. り. ョ. (単位 : 百万 量 ポン け. ージアアラバマ. 1/2. 1/2. 40 50 73 65. 40 50 73 65 1/2. (1841), P.214. 一の基地であ っ. テネシー. ミシシッピルイジアナ l. 3. 20 50 45. 2. 20 65. 10 70. 85. 85. Ⅰ0. 55 63.

(12) 46@ (46). 横浜経営研究. た ・沿岸平野部には ,. 第Ⅸ巻. 、ジ,一ジアのそれとよく. 似た砂地地帯が 含まれていた. しかし. 第 1 号 (19㏄ ) 第8 表. この 地. 域内部には,やがて 奴隷を所有する 裕福な栽植,プ. Ⅰ %. 農園経営者が 、ノタ - 発達する基地があ った.つまり, サウス・ ア トランティック・ステイ ソ を支配し. 1. E 召鰯 ,Ⅳ 0 れん Ce れ かaZ. たかの大西洋岸低地地帯の 栽植農園経営者にも 匹敵し. ぅ. べ き,. いわ・ば 貴族階級の孤島があ. ちこ. ターナ一に よ るこの見事な 対比こそ, サタ ス ,セントラル・ディヴィジ , ンの 特徴を際立た せるものであ る. サタ ス・セントラル・ディヴ この時期,一方で,やがてジャク. ソンの政策を 支持することになる 独立自営農民 層の基地であ り, 他方,やがて ホ ウィッ グ 党を. 支持することになった 奴隷制栽植農園経営者の 基盤であ ったのであ る. 性格の異なるサウス・セントラル・ディヴィ 、ジョンのこの. 二つの地方を ,. として結びつげたもの. 河の水運であ. った・. 一つのセクション. それは,. 「シシッピ. ; シシッピ河は ,. ハ. イ. リ. ノ. イ. こ. シ. ガ. ン. 9. ネ. 31. *. ウィスコンシン. E 乙 sfSo. は. Ⅰ. A Ce れ ⅠⅠ dJ. l. States. ケンタッキ. 一. テ. シ. ー. ッ. ピ. 23@ 17@ 42@ 33@ 70@ 66. マ. 一一. ネ シ. ミ. ア. シ. ラ. バ. " 5 ㏄ 人 未満. 出典 ff sfor わ㎡ Sf 緩 isfたS ダ 「. CoZo れ肋Z Ti 笏 c5 fo J970, 28, 29, 30, 35 より作成.. Ⅰ. 85. 42 190 119. L伍 ifg せ Sfazes, Pt. l, pp.24, 27,. んせ. この時. 期,上流のケンタッキー 川やテネシ一の 生産物. だけでなく,. Std%$ オ. インディアナ. ちに成立していた」 '。 '.. ィジ, ンは ,. 人杖別にみた「西部」の 人口構成 (単位 : 1 ㏄ 0 人 ). 先レこ見たノース・セントラル・デ. さらに, ケンタッキ ロ. テネシ一両州と ,シ. シッピ,アラバマ両州を区別したものは ,奴隷. ィヴィジ, ンの 生産物をも, ニューオーリンズ. 制廃止政策をめぐる 両者の立場の 相違であ. まで運び出す 重要な交通手段であ った. ,シシ. た ・早くも 1830 年代初め, ケンタッキー 州 およ. ,. まだこの時期,サウス・セン. びテネシー州では. ,. が開始されていた・ヘンリー・クレイおよびそ. ピ 河の水運が,. トラルだけでなく. ノースセントラルをも 含め. ,奴隷制の漸進的廃止の動ぎ. てひろく「西部」をつくり 出していた事実を ,. の甥のカシアス・ M.. われわれは忘れてはならない.. 論者であ. レ. イ. ジャクソンも ク. も, まだこの時期, 、 シシッピ河によって. 恩恵を受けるかかる「西部」の. 代表的政治家で. あ ったと捉えた 方が正しい. 183 ㏄ 50 年に徐々に進行した.. この. 分離を決定づげたものこそ 黒人奴隷制の 有無で あ ったことは,改めて述べるまでもない. 、ンッピ. 、 シ. 河の水運によって 一つぼ結びつげられた. 「西部」を,すでに 1820 年代にさえ, ノース・. 1833 年, ケソ タッキ ー 州議会で 制定された法律では ,同州への新規奴隷導入は った・. 禁止された・テネシー 州でも 1836 年の同州憲法. 区別したものこそ ,黒人奴隷制の有無であ. じられた,の.. さて,われわれはここで,本論文の本来の課 題 に立ち向かわなければならない.. っ. サウス. ・セントル・セクシ , ンな 形成した歴史的主体. の性格 づ げであ る. 一般的. ャこ. 見て, 綿 作州と見られたアラバマ ,. ミシシッピ ,. セソ トラル と サウス・セントラルにくっきりと. た.第8 表はこの事実を 示している・. クレイは漸進的廃止賛成. 会議 (。。n,tituti。n 、I 。。n" 。ntion) で, この問題が論. ノース・セントラル とサタ ス・セントラル と. 0 分離は ,. っ. ルイジアナ姉州の 人口急増の原因. は , 1830 年代にはセクション 外からのものであ. ったと, ターナーはい. う. "'. 外国生まれの 者は.

(13) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」. 少なく,外国からの移民の 85% はルイジアナ. 州. に限られていた 2ゎ. ケンタッキー 州は 「ヴァジ. ニア州の子供」と 呼ばれていたように ,播州ヴ ァジニア州からの 移住者で多くが 占められてい た, テネシー州は「ノースカロライナ と 呼ばれていたよ. う. 州の娘」. 身者が他を圧した. 同様に, アラバマ州では ,. は,. ,シシッピ州で. アラバマ州, サウスカロライナ 州 ,. ー州からの移住者が 多く見られた 襯 .. テネシ ここでも. (Nul 壬-. 州 主権 論を正当化した チ リフィケイション. cationコの 理論一穂 井 ) を, まさしくこのセクシ ソ を形成する影響力が. 強力であ ったその時代. に ,移住した地域にもたらしたからであ っ た」,6).. これも 隣州 であ るジョージア 州 およびサウス ヵ ロライナ州の 出身者が多く ,. (47)@47. え方 ,すなわち,連邦議会によって 制定された 法律の効果を 無効だと宣言する 考え方いわゆる. ョ. に, ノースカロライナ 州出. (7) (稲井敏朗 ). 1830 年代以降「綿花王国」の 確立を担ってい た人々は, まさしくこれら 資産と政治的指導力 を 併せもった,サウスカロライナ州からの移住 者を中心とする 人々であ ったといえる.. 隣 州からの「西漸運動」が 正常な形態であ った といえよう. ただルイジアナ 州では,事情がは じめから異なっていた. はじめはフランス 人が 1/2 以上を占めたが , 19 世紀以降ネイティヴ・ アメリカ人が 多く渡来した. アメリカ人移住者. 支配的であ ったのほ ,. のなか こは, 、 シシッピ川やニューヨーク 州 出. は,大部分プレスビテリアンであった 糊. ヶ. 最後にこのセクシ , ンの 宗教意識を考察して おこう. ターナ一によれば ,. ッ,. ドイ. フランスからの 移民が, 隣 州からの移住者. を上回る傾向をもっていた "). これは,多分, ニューオーリンズに 到来した海外移民の 統計的 数値を反映したものと 考えた方がよかろ 5. 以上から明らかなように ,サウス・セントラ ル・セクシ, ン 形成の歴史的主体は ,. 州へ移住したスコットランド 系アイルランド 人 禁欲的プロテスタンティズムに. のテーゼを想起するとき ,. の 移民であ. 。. ったと考えられる・. 旧 南部が高帝. の性格によって 大 ぎく二分されていたといえ る.先に引用されたターナ一の叙述は, この事 実を表現したものと 考えてよかろう・ 同時にターナ 一の次の指摘にも 注目しておこ う 「しかし,特別沖こ 重要な意味をもっていたの. ほ,サウスカロライナからの移住であ こからの移住者がしばしば. った・. そ. 資産を有し政治的. 立.. (a). 問題の所在 1820 年代の合衆国は ,. アメリカの政治におい. ても一つの重大な 転換期であ った, 「西漸運動」 によって形成される 新しい社会 (「自由なる西部」 と黒人奴隷制社会「綿花王国」. ). の成立は,合衆国. の政治のあ り方にさまざまな 影響をもたらし た」・. 第て. 州間あ るいはセクシ , ン 間の通商を促. 進する目的で 進められた国内開発事業計画に 対 して,連邦政府Ⅰ議会が積極的に関与し 始めた ため, 蓮テ篭㍗ 催 と簾 "." 茎ル "催の解釈をめぐ って激しい憲法論議が 惹き 起こされたこと・ っ夷. 指導力をもった 人々であ ったからであ る・ これ らの人々は,サウスカロライナに固有なあ の 考. 州 主権 ,. 人民主権 . これら三次元の 主権 の併存と対. 綿において,政治的,社会的,経済. ・ディヴィジョンもまた , 田 南部からの移住者. きわめて興味ぶかい. (2) 1820 年代の政治構造一一連邦 権 ,. 綿と 底 蕎サ. 的に異なっていたように ,サウス・セントラル. 属するこれら. ことであ る.. 旧 南部 (サウス・アトランティック・ステイツ ) から. サ. ・. 諸教派の人々が ,あの黒人奴隷制社会「綿花王 国 」を形成した 事実は, マックス・ヴェーバ 一. 主として ア ツメー・. ソディスト とバ プティ. メ. ストであ った.ただテネシⅠ ケンタッキ一両. 身者が多かった. しかし 1850 年頃 には,海外 からの移住者, 例えば, アイルランド ,. このセクションで. ク. ウ ナ. ッ. タ. -. 第二.国内開発事業計画の進行,無断入植者 -. の 進出等は,. テサトリ. インディアン 領有地におけるイン.

(14) 横浜経営研究. 邸 (邸 ). 第Ⅸ 巻. 第 1 号 (19㏄ ). ,ヴァ。 ,ティ. デイアンの統治権 を大ぎく侵害する 可能性と現. いう二つの 准 州の組織のさい , 両 唯円に奴隷制を 認. 実性を字んだため ,. めるか否かは ,居住民の選択に委ねるという 主張 (い. この統治権 をめぐって,連. 邦 権 と州主権 , 州 主権 とイソデイ アソ 統治権. と. の間の対立が 激化し政治問題化して 来たこ と. であ った.それは,基本的には, 州 主権 二人民. 主権 の立場に立って 連邦 権 に対立し これを阻 止する作用をもつものであ ったからであ る.. ・. 第三.. わゆる「 管 甚- 薯 。紬種 Ⅰ,6)とは区別さるべきもの. 「西部」諸州における 人口の増大が ,. 建国 期 に合衆国憲法で 規定されていた 大統領の. ここでい. 選挙のあ り方,連邦議会上下両院 (H 。u,e 。fR 。-. 合衆国憲法修正. p, 。,。ntative. れた「個人的権 利」 (indiVidu、l ,iCht,) とも区別. および S 。n 、t。) の議員選出方法をめ. 5. 人民主権 とは, したがってまた , 1. ∼ 10 条 ( 権 利の章 典コに 明記さ. ぐって疑問を 惹 ぎ趣 こし 名もない民衆の 意見. されるべ き ものであ った.. を連邦の政治にどう 反映させるか. 民衆の連邦政治への 参加は,今日と 同様,上下 両院議員の選出および 大統領選挙を 通じて行な われた,連邦議会下院は,各州の民出が 2 年毎 に 選出する議員で 組織されたもので ,議員定数. 間接選挙. 制 のままに残すか ,直接選挙制を採用するか,直接. 選挙制のばあ いでも,制限選挙制のままに残すか, 普通選挙制に 変更するか ソ打 。ソ ティ・. ナプ. ・. という観点から ,. ビ ノル. 州. 主権 と人 民 主 権 との間の対立を 苧 む 政治 問題に発展したこと ,以上である. ここで連邦 権 とは,連邦政府 (諸 。答 Ⅰ司法部Ⅰ. は 各州の人口に 比例して各州のあ いだに配分さ. れた. もっとも南北戦争双のこの 時期,黒人奴 隷は白人自由人並みに. 取扱われず,彼らの人数. 行政部 ) が自らの意思において 行使しうる権 限. の 3/5 が自由人の人数. ヰこ. 一一合衆国憲法第一編. っ たことは,改めて述べるまでもない. ( 連邦議会とその. 権限 , コ. とく. に 第 8 節,第二編 大統領とその 権 限 , 第三編 ( 連邦 司法部とその 権 卿を意味する , その一つ一つが ロ. コ. 合衆国憲法によって 明確に規定されていること 。 , テ ブ ド・ ガヴァ, ソ 。 から,かかる政府が「限定された 政府」と呼 ばれていることはよく 知られている.. 法,第一編,第 2 節,. 1. 加えられたに 過ぎたか. 項及び. 3. (合衆国憲. 項 ). また今日と. 異なって資産額に 応じて選挙権 が制限されても いた. さらにまた後述の 論議にかかわりをもつ が,納税義務のないイソディア ソ は, もちろん. 各州の人口数に 加えられていなかった. ( 同 第一. とは, これも合衆国憲法第四編 ( 1 と 他州および連邦との 関係 および修正第 10 条 ( 各 州の留保権 限 コで 規定された,それぞれの州の もつ独自の諸権 限 (例えぼ ,ここでの論述に 関連. 編 ,第2 節 3 項 ). していえ ぼ ,会社設立権限,銀行設立権限,奴隷制. て,各州議会の選任するところであ り,任期は. 度容認権 限, 逃亡奴隷 引渡 権 限, その他「憲法によ. 6 年であ った.. って合衆国に 委任されず,また 州に対して禁止され. 大統領選挙も 同様に間接選挙であ った.各州 はそれぞれの 州 議会の定める 方法に 2 9, それ ぞれの州から 連邦議会に送り・うる 連邦議会上下. 州 主権. ダイ. コ. なかった権 限」) を意味する. ここで人民主権 とは, 名もない個々の 民衆が 自らの意見を 連邦の政治に 直接反映させよ 5 と した「合出国の 統治権 に対する民衆の 参加権 」. とでもいわれるべ き ものであ る. したがって , 1850 年代にリンカーン. コ. 」. (1855 年 ) の成立に寄与したスティーヴン・ダバ ラスのあ の主張一一一ヵンザスおよびネブラスカ. に一律に た.. 2. ,各州から人口数とは無関係. 名宛選出された 上院議員で組織され. しかし その選出方法は ,今日とは異なっ. プ アンチンシヤル.キノ. クク. -ズ. 両院議員の総数と 同数の大統領選挙人を 選挙 し彼らの選挙によって 大統領を選出した. (阿. 弟 = 編 ,第1 節 3 項 ). 1820 年代に問題になったのは , 先にも触れた. ダグラス論争でアメリ. カ史上著名となり , 「カンザス・ネブラスカ 法. 連邦議会上院は. ように連邦政治に 直接関係するこれら 連邦議会 議員および大統領を , 個々の民衆がどんな 形で. と. 自分たちの利益に 反映させるかをめぐる 問題で.

(15) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシ テ. 」. (7) (稲井敏朗 ). ,第9 表が得られる・. (49)@49. また第 2 図は, M 巨億n. あ ったといえる. この ょう な問題が政治問題化. き. した直接のきっかけは ,各州における人口の増 大あ るいは変動であ った. 州境を超えた 経済の. GiIbert, Am ダica れ H 蕊oric口 Z AfZos, London. ナン オ ナサ ゼ イン ヰ. レイ. 1968, から転載されたもので , 第 9 表で示され. 国 民 化は一人一人の 民衆に連邦政治への 参 加意識を強烈に 植えつけた. ここでの問題点、. た計画を具体的にイメージアップするために. は ,第一に,上院議員の 選出を下院議員の. 選出 と同様に直接選挙制に 移行するか否か ,第二. これらの計画の 多くは,第3 代大統領トマ ス・ジェファソン 期の財務長官であ ったアルバ. に,大統領選挙に 際して,これまで 通り. ート・ギャラティ ソ の連邦議会への. そし. て今日もそうであ るよさに,大統領選挙人仁ょ る 間接選挙制のままに 残すか, あ るいは民衆一 般による直接選挙制に 変えるか,第三に,資産 額によって制限された 選挙 (制限選挙制度 ) から その制限のない 選挙 (普通選挙制度 ) へ 移行する. いられたものであ る.. 億ゆ 0rt ダ 品切。。t. PuM 符ぬ nCe. 問題は,しかし合衆国憲法の 修正 制の存否. 選挙に関する とくに連邦. にかかわる重大問題であ っただけ. に深刻な論議を 惹 き 起こすことになったⅢ・ 大 統領選挙および 上院議員選挙を 民衆による直接 選挙に移行させることは ,連邦政治に対する民 衆の直接参加という 点でアメリカ 民主主義の発 達にとってプラスのように 見えても, 州 主権 と. system) を否定する民衆 への展開を促し. 制. (Popul%system). 州 主権 を崩壊させることにな. ったからであ る 柑 ,. 本節 (Te) では,紙幅の都合上第姉の 問題点. <?. 報告書 '。 ,. sr,。「。ヤり がⅠ ん e Trreas ぴり. E 妨 he. 0 れ妨 6. Ro 材 s ぁ C ㎝が,; れ材 , 肪. げ 4 人㏄olutton o/ S 辮 at,, が Moor 。ん. D.C., 1808) を下敷にし. て企画されたものであ った. 慎重を期したつもりでも. ,. 第 9 表に整理され. た事業計画について 脱漏は止むを 得ないことだ と考えている.. しかし それにもかかわらずこ. の時期に,相当数の事業計画が連邦議会で 取り 上げられたことの 意義は否定できない. そのす べてが連邦政府言議会の 積極的な投資計画にか わる事項であ り, したがって,前節 (TB). でも. 触れられた憲法論議と 深く関連をもつ 問題であ ったからであ る. 第 9 表に付せられた 出典にかかわる 注を見る. 連邦権 の均衡と抑制の 上になりたっていた アメ. リカ民主主義のいまひとつのメリットを 失いか れない大切な 問題を字んでいたからであ った. 直接選挙は当然のこととして 連邦制 (federal. oダ. Ⅰん. 2, J807, Washington,. か否かにあ った. ジャクソニアン・デモクラシ. 一の息吹を感じさせるまさにこの. 用. とぎ , カンバーランド 道路 (第 2 図参照 ) が特別 に数多く取り 上げられているのは , ナショナル.. 戸ド. これが 他と. 違って国 道であ ったからであ る.軍事上, 郵便物配送上 (電信・電話のなかった 当時重要な情 報 伝送手段であ った事実を考慮して ,憲法でもその 建設は認められていた・ 合衆国憲法第一編,第8 節, 7. 項 ), そして通商上にれは 憲法で規定されてい. は指摘するだげに 留め, ジャク ソニア ン・デモ. なかったから , きまざまな論議を 呼んだ ), きわめ. クラシーを論ずる 後章まで議論を 留保しておく ことにしょう. そして 第 Ⅰ第二の問題に 焦点 を絞って論述を 展開することにする.. て重要な地位を 占めた ヵ ンバーランド 道路Ⅰこ は,. この時期,その維持と改修, さらに延長計. 画をめぐって 繰返し新提案がなされた.次いで 重要であ ったのが チエ サピーク・ オ "4. オ運河. (b) 国内開発事業をめぐる 連邦 権 と州 主権 の. であ り, チヱサ ピーク・デラウェア 運河であ. 対立 1820 年代に連邦議会で 取上げられた 国内開発 事業計画を『ナイルズ・ウィークリー・レジス. た ・企画中の チエ サピーク・ オ ". ターコに拠って 主だったものを 整理してみると. ンを臨む チ,サピーク 湾 と「西部」の 重要な通. イ. っ. オ運河は,. カンバーランド 道路と併行して 走る東西面セク 、ン,ンを結合する運河であ った.首都ワシント.

(16) 50@ (50). 横浜経営研究 第. 9. 第Ⅸ巻. 第. Ⅰ. 号 (19㏄ ). 表 1820 年代に連邦 拍余 で取上げられた 主なロ内挑発車集計画. 1)@ New@Jersey@ Canal り. 3). Canal to ㏄ nnect ぬ e navigatjon of the oad CumberIand. エ荻. ve Ⅰ s. Wabash. and. the Miami. of ぬ e Lake Erie. Ⅰ. 4)@ Chesapeake@ and@ohio@canal 5)@ canal@ to@ connect@ between@ the@ waters@ of@ the@Alghany@and@ Susquehannah 6) ㏄ nal from the DeIaware, o S ぬ uyIkiIl to ぬ e ive Susquehannah Erie 7)@ canal@ to@ connect@ to@ the@waters@of@Alleghany@river@and@Lake@ 8)@ road@ from@ Memphis@ (Tenn )@to@ Little@Rock@ (Arkansas) Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. ・. 9)@ public@roads@in@the@Territory@of@Florida 0) 1). Ⅰ Ⅰ. ㏄ nal ニ. mp. Ⅰ. to unite therive St.John,s with ぬ e bayo of ぬ e navigation of ぬ e Ohio and Ⅰ. Ⅰ. ove 皿 ent. Aug Ⅰ SⅠ ne Mississippi rivers, including the Mi ㏄ouri. 12)@ Chesapeake@and@Delaware@canal 13)@ 14) 15) 6) Ⅰ. 17). 18)@ Ⅰ. g). road@from@ Missouri@ to@ the@ confines@ of@ New@Mexico road fro 巾 Detroi to Chi ㏄ go Ohio ㏄ naI James ve and Ohio Navigation canal between the Illinois river and Lake Michigan Shuylkill@ canal@ (from@ Philadelphia@to@ Reading) road f om Washing COn to Frede nlck (Md り improvement@ of@ the@navigation@ of@ the@port@ and@ harbor@ of@ Mobile navigation@ of@ the@Appomatox@ river@ (fr0@@ Pochahontas@bridge@ to@ Broadway) ぇ. Ⅰニ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. 亡. 20)@ 21)@ 22)@ canal@between@Louisville@and@Portland 23). turnpike〉oad’rom仝ashington,. , C through仝inchester (Va ・. ・. ). to. Cumberland. 24)@ canal@ between@ the@Atlantic@and@ the@gulf@of@Mexico 25)@ 幼) 幻) 28)@ 四). canal@ from@ Pittsburgh@ to@ Olean@ Point@ (N Y ) ㏄ nal f om O]ean Poin to Lime IakC canal f om Lime Iake to LittIe Iake canal@ from@ Little@ lake@ to@Batavia@ (Gennessee@ Co Pennsylvania ㏄ naI ・. ア. ・. Ⅰ. Ⅰ. N ,Y ). ・. ・. 30)@ reparation@of@the@post@and@road@ between@Jackson@and@ Columbus 31)@ road@ from@ Little@ Rock@ to@ Can@tenement@ Gibson@ (Ark ) ・. 32)@ improvement@of@the@navigation@of@the@Alleghany@ river 33)@ road@from@Washington@ to@ New@ Orleans 84) P ㏄ oad from BaItimore to Ph Ⅱ adeIphia 35)@ canal@ fr0@@Lake@Michigan@ to@Illinois@river 36) road from the termination{fthe Blackヾwamp road (Ohio) to intersect the Cumberland road at ornearWashing Uon (Pa.) 37)@ national@ road@ from@ Pittsburgh@ (Pa ) , by@ way@ of@ Beavertown , New@ Lisbon,@ Canton@ and Wooster , to the eastern termination of the United State , road 止. Ⅰ. Ⅰ. ・. s. 38)@ Washington@ canal 39)@ canal@from@ogdensburg@(N Y )@to@lake@Champlain 40)@ post@ and@between@Jackson@ and@ Columbus@ (Miss ) 41)@ road@ fr0@@ Fort@ Smith@ (Ark )@to@ Nachitoches@ (La ) ・. ・. ・. ・. ・. 42)@ roads@in@Florida 4S) imp Ⅰovement of the inland navigation, from St. MaTy 柚 Tive to the Tortugas 44)@ improvement@of@ the@inland@ navigation@ from@ Apalachicola@river@through@ St, Andrew , s@bay , to@ Choctawharhie 45)@ Baltimore@ and@ Ohio@ Railroad 46)@ canal@ from@ Portland@ to@ Lake@ Erie 47)@ canal@ from@ Cincinnati@ to@ Lake@Erie,@ through@ Dayton 48)@ mail@route@between@New@orleans@and@Mobile Ⅰ. 49). reparation{f》he ̄ost〉oad’rom,incinnati.

(17) 「アメリカ体制」と「ジャクソニアン・デモクラシー」. (7) (柄井敏朗 ). (51) 51. 50)@ road@ from@ Natchez@ to@New@ Orleans. 51)@ Chipola@canal@(Florida) 52)@ canal@ to@ unite@ the@waters@ of@Lake@Erie@ and@ Michigan 53) canal to connect the Lakes Ont たanIco and Erle 54)@ ffiigi. S , Carolina@railroad@. and@ canal@ company. l)Niles , Weekly Register , XXV・ , pp 220-222; 2)Ibid ・, XXV(1823) , p , 255´ ], XXVI (1824), p l97 ], XXVII@(1825) , p 414 ], XXX@(1826) , pp , 145-146@L ], XXXI@(1826) , p , 261 ], XXXI@(1827) , p , 389@ ], XXXIV@(1828) , p , 215@ ];@ 3)Ibid ・, XXV(1823) , pp 255L ], 270 ], XXVI(1824) , pp , 209[L] , 210[R , 211 ], XXVII(1825) , pp 320L ], 333L ], 334 ], 348@ ], 349@ ]@ ], 357@L ]-361@L ], 362@ ], 412@L ], 415@ ], XXVIII@(1825) , p , l2 ], XXIX (1826), p 270L ], XXX@(1826) , pp 84[L] 160L ]-161@[L], 213@ ], 216@L ], 219@ ], 222@[L], ], 262 ], XXXI(1826) , p , 244 , XXXI(1827) pp 376[L] , 413[L]L ], XXXII(1827) , p , 11 ], XXXIII(1827) , pp 269 ]-270 ], 320L ], 365@ ], 379L ], XXXIV(1828) , pp , ll ], 78[R] 126[L] [R], 146 [R]-147 [L], 161[R], 177 [L], 182[R], XXXV(1828), pp. 251 [L] [R], 252 ], 253´ ], 311 ], 325 ], 326´ ], XXXV(1829) , pp 355L ], 356´ ], 371ーL] , 374´ ] ], 376 ], 400 ], 410L ], 437@L ], 439[L] , XXXVI(1829) , pp l2 ], 13[L] , 24[L] , 26 ];@ 4)Ibid ,, XXV<1823) , p 256L ], XXV@(1824) , p 303@L ], XXVI@(1824) , p 47@L ], XXVII (1825), pp , l3[L]-14 ], XXVIII・ , pp , 218 , 364ーL]-366 , XXX・ , pp , 196´ ], 224 ], XXXI(1826) , pp l36L ]-140L ], XXXI(1827) , p 367@L ], XXXI Ⅴ 1828) , pp , ll5L ], 117 ], 150L ], 227L ], 263 ], XXXV(1829) , p 341 ];@ 5)@Ib@id・, XXV@(1824) , p 300@ ]; 6)J61, d ,, XXV(1824) , p , 801[L];@ 7)2&id ,, XXV@(1824) , p 301@[L];@ S)Ibid ,, XXV@(1:824), p , 302 ];@ 9)Ibid ・, XXV(1824) , p , 415L ];@ 10)Ibid ・, XXVI(1824) , p , 175@L ];@ ¥¥)Ibid ・, XXVI (1824), pp , l2[L] , 197@[L], 213L ]-215[L] , XXVII@(1825) , pp , 335@L ], 342@[L]-345@[L] , 348@[L], 349[L];@ l2)Ibid ,, XXVII(1825) , pp 348 , 351 ], 362 ], 415 ], XXVIII@(1825) , p , 11@L ], XXXI(1826) , pp , 280-282. XXXIV 1828) , pp l82 ], 184L ], 193[L] , 209[L] , 210[L]´ ], XXXV@(1829) , pp 396@L ], 409 ];@ 13)@Ibid,, XXXVIII@(1825) , p 15@L ]@ ];@ 14)@Ibid,, XXVII (1825), p 366[L] , XXVIII@(1825) , p 15.@ XXXVI@(1829) , p , 13@ ];@ 15)Ibid ・, XXVII(1825) , P 397ーL] , XXVIII・ , pp , 79 80 16)!bid・, XXVIII・ , pp , 95´ 96[R ; n)Ibid , XXVI@(1824) , p 79@[L], XXVIII(1825) , pp 110[L]-111@E ];@ lS)Ibid XXVII(1824) , ・. Ⅰ. ・. Ⅰ. ・. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. ・. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. ・. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. Ⅱ. Ⅰ. ・. ・. Ⅰ. ・. ・. Ⅰ. Ⅰ. Ⅰ. ・. ・. Ⅰ. Ⅰ. Ⅱ. Ⅰ. ・. Ⅰ. Ⅰ. ・. Ⅰ. ・. ・. ・. Ⅰ. Ⅰ. ・. ・. Ⅱ. Ⅱ. Ⅰ. ・. Ⅰ. ・. ・. Ⅱ. Ⅱ. ・. Ⅰ. Ⅱ. Ⅰ. ・. Ⅱ. ・. ・. Ⅰ. ・. Ⅰ. ・. ・. Ⅰ. ];. Ⅰ. Ⅰ. ・. p 258[R];@. 19)@Ibid. ・. ・. Ⅰ. ・. ・・. ・. , XXVII@(1825. Ⅰ. p 350@[L];@. 20)J&id. ・. ・. ,XXVII(1825. p , 362[R];@. Ⅰ. 2 l)Ibid. ,,. ・. XXVII(1825) , p , 397[L] , XXIX・ , p 371ーL]; 22)Ibid ・, XXVII・ , p 413ーL] , XXIX (1826), p 371@L ], XXX@(1826) , p , 162@L ], XXXV@(1829) , p , 376@L ];@ 23)Ibid ,, XXVII(1825) , p 414 ], XXIX@(1826) , p 375@[L], XXXV(1829) , p 360[L];@ 24)@Ibid,, XXIX@(1826) , pp 348 412[R];@ 25)26)27)28)7&fd , , XXIX(1826),@ p 371@[R];@ 29)@Ibid , XXIX@(1826 [L 391[L pp , 405L J-407L ], XXX(1826) , p , 200L ];@ 30)Ibid ,, XXIX@(1826) , p 412@L ];@ 31)Ibid ・, XXX (1826), p 83L ];@ 32)Ibid ,, XXX@(1826) , p , 96@L ];@ 33)Ibid ,, XXX(I826) , p 166L ]-168[L]; , p , 179ーL]; 35)Ibid ,, XXX(1826) , pp 183´ ]-184ーL], 193ーL]´ ], 195 34)Ibid ・, XXX・ fL1;@ 36)7&td ,, XXX(1826) , p , 212L ];@ 37)Ibid ,, XXX(1826) , pp 212 ]-213@[L];@ 3S)Ibid ,, XXX@(1826) , p 225@[L];@ 39)Ibid ・, XXX(1826) , p 222@[L];@ 40)Ibid ・, XXX@(1826) , p , 228@ ]; 42)Ibid ,, XXXI・ , p , 316´ 43)Ibid ・, XXXI(1827) , 41)7&id ・, XXXI(1827) , p , 316 p , 375L ];@ 44)Ibid , , XXXI@(1827) , p 375@L ];@ 45)Ibid , XXXIV@(1828) , pp 、 147@L ], 213 ], ・. ・. ・. Ⅰ. ・. ・. Ⅱ. ・. ・. Ⅰ. ・. Ⅰ. ・. ・. ・. ・. ・. Ⅱ. ・. ・. Ⅰ. ・. Ⅰ. [;. [;. ・. XXXV@(1828). , p 298@[L] , ・. XXXIV・. XXXV(1829). Ⅰ. ・. ,. p , 409[L]. ,. XXXVI(1829). p , l5L. ,. ];@. 46)47)Ibid. ・,. 4S)Ibid ・, XXXI Ⅴ 1828) , p 215´ ], p 224L 49)Ibid ,, XXXIV 0828) , p , 216@E ];@ 50)Ibid ,, XXXIV@(1828) , p , 216@L ];@ 5l)Ibid ・, XXXIV@(1828) , p 101@L ]; , p 343 ];@ 54)Ibid ・, XXXVI 52)Ibid ,, XXXIII@(1828) , p , 379@L ];@ 53)J&zd ,, XXXV(1829) , p , 214´. ];. ・. ];. ・. ・. ・. (1829) , p l2[R] ・. Ⅱ.

(18) 52 (52). 横浜経営研究 第. 2. 第Ⅸ 巻. 第 1 号 (1988). 図 178 ㌃ 1840 年の合乗田における 遼河及び CumberIa Ⅰd road.. 一. 出典. Martin Gilbert, A. 笏 en. わa れ Hi storvノ AtZas, London. 1968, p.47.. 「. 商 路であ るオハイオ運河で 結はぅ という計画. Stewart,Pa.),. で,現在でも残る 廃 嘘を見るだけでも ,その親. N.Y.), ロバート・ P. ヘンリー (Robe 珪 P.Hen ワ .. 模の壮大さが 推測され. Ky.). その重要性は ,. ぅ. るというものであ る,. 当時ニューヨーク 州で企画さ. @ /。 Ⅹ. ピータ・シャープ. (PeterSha 皿 ,. ン ・ハーキ マ (Joho Herk ㎞ er, N.Y.,. ウィリアム・ C.. リヴ ァズ (Willjam. C. Rives,. れ, 181 ト -25 年に完成を見た ヱり一 運河のそれ. Va.),. に 勝るとも劣らぬものと 評価されていた. もと. 明 , Cuthbert) から構成された 7 人の委員会であ. もと ヴア ジニア 州 議会の企画した 事業計画を ,. った , 0,・. 勝川メアリーランド 州 議会も同調承認し に 連邦議会が追認したものであ. ( ファースト・ネーム ,選出覚不. ここで国内開発事業をめぐる 連邦 権 と州 主権. さ ら. った. したがっ. カズバート. がどのように 対立したかを 見定めるため ,. ま. てこの計画の 進展は,延長線上にあ たる ぺンシ. ず ,第一に同委員会が1825 年 2 月 26 日に下院に. ルヴヱ ニア 州 議会の承認をも 必要とするもので. 対して行なった 報告書 (R 。po 珪. あ った・連邦政府Ⅰ議会は ,. この企画に参加す. ることで, チヱサ ピーク・オハイオ 運河会社に. 対する共同出資者となった. 連邦議会で問題になったのは ,以上の多くの. and. on. UPOnthe. 。f. the Comm. 血 ee. of lnt<elnal て. accompanied by a b Ⅲ "concerning jmprov 。m 。nt,")3U, 第二に連邦政府言議. ㎞ provements,. 計画に連邦政府言議会が 参加するか否かの 問題. 会の開発事業への 積極的関与に 賛成を表明した 1825 年上方 17 日のへンリー・クレイ (Hem ワ. であ った.連邦議会内でこの問題を取扱ったの. Clay) の、 清議 (In favorofeXtending theCumbeHand. が ,下院の常設委員会であ った「道路・ 運河 委. ,oad. 員会 」 (。omm. ㎞。e on roadsand. それは, ペンシルヴ , ニ% 州. canals) であ った.. 選出の. ジョゥズ. 寺. in the House of Representatives),",第三に. これらに反対した 1824 年 1 月Ⅰ 5 口のフィリップ. P. バーバー (Phillip. P. Barbour) の演説 (On. イブ ・ヘムフィル (Joseph Hemphll1) を委員長. the|ill. とし,アンドクルー・ステューアート (Andrew. subject of roads and canals)朗の要旨を検討して. for{btaining》he necessary《urveys{n》he.

(19) るて適 切 か つ か よ て. ⅡⅡ j ノ / ⅡⅡ. 体帝U」と「ジャクソニアン ,デモクラシー」 (7) (楠井 敏朗 ). 「アメリカ. おこう.. 連邦下院道路・ 運河 委且 会報告 田 一一連邦 権 と州主権 の妥協政策一一 この報告書は 大きく二つの 部分から構成され. (イ). ていた. 前半部分では , 提案を行な. 際の基本. (53)@53. であ ったかど 5 かという問題であ った. 1820 年代∼ 30 年代の合衆国では , まさしくこ. 理念と構想が 論じられており ,後半部分では,. の根本的な問題が , 州 主権 と連邦権 の対立とし て 大 ぎくクローズアップされたのであ った. こ. 各州で計画されている 具体的事業計画と ,. の問題は他でもない・. う. それ. に対する論評が 叙述されていた.. 「国家」の経済力,. がって防衛力増強のため , 州 主権 ,. ここでは,後半部分に相当する内容は 第. した. したがって. 表. また人民主権 に対する連邦権 の優位がなし 崩し. で要約されているものと 大きく 量 っていること. 的に承認され ,連邦政府が「国家」として個々. を 含みおいて,問題を, ①連邦政府Ⅰ議会の 企. の州や個々の 民衆から独立して 存在する よう に. てる開発事業計画がどのような 意図のもとに 構 想されていたか ,②この構想がいかなる点で政 治問題に発展したかという 論点に絞って ,前半 部分を中心に 考察しておくことにしたい. この報告書はもともと「国内開発に 関する法 案」の付帯報告書であ った. 同法案は次の 四つ. なってもよいかという 問題であ った.. の事柄を内容としていた 何. ・. 第て. 9. 合衆国大統. 合衆国に特徴的なこの 問題こそ, まさしく民 衆にとって, したがって彼らの 居住する州にと って, 国家とは何かを 問わせる民主主義の 問題 だったといえよう. われわれはここで ぺ ンシル ヴェ ニア, ニューヨーク ,. ケンタッキロ. ブァ. 、ジニア別選出の 議員で構成された「道路・. 運. 領に対して必要と 思われる時期に 最善の条件 で,全体で1,0㏄ 万 ドルを超えない 額の資金を , 国内開発事業を 推進する目的のために 借り入れ る権 限を与えること.第二・ あ る州において 設 立認可された 国内開発事業会社 ( 運河または道 路会社 ) に対して財務長官に 出資権 限を付与す ること・第三・ 各州に対して ,一定の制約条件 のもとで,当初当該諸州および合衆国政府から. 河委員会」が 連邦政府. 出資されて保有されている 株式を購入し ぅる権 限を付与すること.第四・ 当該会社の株式が 合 衆国によって 所有される限り ,財務長官に対し. whoIe) Ⅵ,あ るいは「全体の 善」論 (9ood of. て , 出資した株式数に 応じて配当金の 受領と,. of the Union) 擁護論であ ったといってよい⑰.. 会社役員への 投票権 の行使を命ずること. 以上. 議会の関与容認の 政策. を,限定つきながら打ち出した事情に 注目して おかねばならない. これらの州が 道路,運河の 建設に大きくかわっていた 州であ ったことに注 目されたい. それでは下院道路・ 運河委員会は ,. この法案. をいかなる論拠で 正当化しよ とした.一言 でいえば「全体の 利益」論 (bene6cialto the う. wholej であ った・ 「全体のオ幡」あ るい ほ 体 の 善 」,. 「. 全. つまり「連邦の 公益」 (pub № int。,。 ,t. 「開発事業の 対象に関していえば , それらが ジ ニホテル・ ガ グアノソ. ト. 一般政府に属するか ,一つの州に属するか,. であ る.. ここで見られる 法案の内容が ,国内開発事業 に 対する連邦政府Ⅰ議会のきわめて. 目. 積極的な関. 与であ ったことは,改めて論ずるまでもない. 問題なのは,次のことであ る.すなわち,. イギ. いずれにもせよ ,その執行はあ る程度まで,全 体の利益にかかわる 問題であ る. 開発事業の対 象は,完全にあ る一つの州の 枠内に限られてい るものかも知れない , フヱ テラ ル. キセ ラクタ. -. しかしそれでもなおかっ. リスの後を追って 産業化をめざした 列強の政 策, とくにわが国明治以後の 経済政策を熟知し. 通ずる道路に 似ている. その事業対象が 二つの. ている者にとって 当然すぎるくらい 当然のこと. 州を分かつ河に 架かる橋梁のように ,二つのJ、l.@. 連邦的性格のものであ る. その性格は要塞に.

(20) 54 (54). 横浜経営研究. 第Ⅸ巻. に 跨がることがあ るかも知れない. しかし. こ. れら二つの州は ,連邦議会が 同意を与える 場合 には,橋を架けることができる. さもなければ これら関連諸州のあ いだに協定も 契約も締結さ れないだろうから. この ょう な場合,国家目的 に 応える必要があ るなら,連邦議会は橋梁建設 に認可を与えるか ,. さもなければ 合衆国によっ. 第 1 号 (19㏄ ). 諸利点を有している.諸州はこれらの諸利点を " 援助を受けても. 一般政府に譲り 渡す意思をもたないだろう.. …かりに開発当初一般政府から. であ る. この法案に盛り 込まれている 計画は, 一般政府から 援助を引き出す 利点を含むもので. はあ るが, 同時に随時合衆国の 利益を購入する 権 利を諸州に留保さすものであ る」",.. て橋梁の建設を 行なわせ 58. あ るいはまた二 つの州によって 設立された会社によって 建設さ. 個々の州によって 設立認可された 諸会社に対し. れてよい. もし開発事業の 対象が広域に 及び ,. て 出資するという 方法以外に , 多くの場合,一. 多くの州にかかわるならば. 般政府にとってより 適切な開発援助の 方法があ るかどうかを 考え出すことが 出来ない.連邦議. ,. オハイオ. ミ. 、 シシ. , ピ 河の改修の時のように , 連邦政府が単独に. 行な こともできる.多くの州に跨るこれらの 開発事業 は, 同じ重要性をもつものであ るから 他から区別されえない」 "). 開発事業に対する 連邦政府言議会の 関与の仕 う. 者 で. えあ. のす. をの. 浅も 方る. 類属 種に 二業 は事. ム 蚕の 員 、時 委め範 同 か的. し一. っ第. る.. これは異なるいくつかの 州に跨がる事業. で, しかも個々の 州が自らの意思で 事業を遂行 することに関心を 有していない 事業であ る・第 二は,連邦政府言議会が 関係諸州と共同して 行 かう事業であ る. この場合連邦政府の 関与は , 当該諸州によって 設立認可された 開発会社に対 する合衆国政府の 出資という方法をとる '。 '. 同委員会が薦めたのは ,. このうちとくに 第二. の方法であ った⑨・その 理由は , 「この法案で 提案されている 計画は,・…‥企画され るもの の中でも最も 妥当性をもっものと 考えられたも のであ り」,「奨励のための 計画」だと考えられ たものだからであ る,0,, ぅ. さらに続けて 次のように云う.. 「. 当 委員会は ,. 会は,必要な測量,事業計画,それに 経費の推 としている合衆国の 技師たちの 意. 計を行なお. う. 見を聴こ. としている.連邦議会は, 」 っ 一つ. う. の事業について , その重要性と 将来得られると. 見込まれる利潤に 関して, 州 当局や賢明な 株主 の意見に耳を 傾げる っ もりであ る.そして最後 ナン , ナル.キャラクア. に 連邦議会は,. -. この事業の効用と 国家的性格 に対して自ら 判断を下そうとしている.諸事業 の遂行は公的機関によって 行なわれるよりも , 共通の利害関心をもった 諸個人による 方が , 恐. らく遥かに少ない 経費で, しかも遥かに 少ない 時間で行なわれるであ. ろう」 , 。 , .. ここで見受げられた 連邦政府. 臣. 議会の側から. みての 川 主権 に対する配慮こそ , 「限定された 政府」の枠内で 企てられる開発事業計画の. ,唯. 一の達成可能な 方法であ ったといえる. 1820 年 のこの時期,連邦政府はあ りとあ らゆる方策を 講じて国家権 力を拡張し強化しよ うと 努めてい た. 他方,諸州は, こうした動きに 抗して,合. てでなかったことに 注意を払っておかねばなら. 衆国憲法を盾に 州 主権 の擁護を主張していた・ まさにこのとき ,下院道路・運河委員会がかか. ない. それに続く次の 重要な指摘は , 同委員会. る一つの妥協 策 ,すなわち,州 議会の認可によ. が,一方で開発事業の促進を国内通商を 促進す. って設立された 開発会社への 出資という賢明な 方法を政策として 立案し所期の 目的を実質的 に 達成しょうとした 事実に注目されたい "'.. しかしわれわれは , それだけが理由のすべ. るきわめて重要な 計画だと意識しながら , 他方. 同時に,その計画を,. 州 主権 を侵害するものか. ら区別しょうとしていたことを ものと受け取られ. ぅ. 明確に表明した. るからであ る.. 「諸州は開発事業から 得られる重要な. (口). 自然的. ヘンリー・クレイの 国内開発 枕護 祐 一一州主権 の連邦権 への帰属推進論一一.

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