戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について -- 『全国工場通覧』からみた東大阪市域の動向 --
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(2) 第46巻. 第2 号. 村を中心に周辺地域の 工業化や宅地化が進んだIll 。 それでは , 大阪郡部への工業化が浸透しは じめたこの時期の中河内地域では , どうであ っ たのか。 この中河内地域にも 鉄道の 開通と 電力 供給事業の 開始が大正期 に み られた。 すな ー わち, 大阪 電気軌道が大正3 年に大阪 奈良間の 開通を図り(そして大正13 年には , 布. 施一恩地間を 開通させていたが), より開始していた。も っとも,. 電灯•電力 供給事業は 本業の 全線 開通前年の大正2 年. その 電カ・電灯供給地域をみると , 奈良県生駒郡や大阪府. 北河内 郡の一 部に 供給されていたが , 中河内地域に関してい えば, 東大阪市域に当たる地 域であ った121 。 東大阪市域における大正3 年の 電動機の 普及状況をみると , 表lに 示され る。楠根村や枚岡村での 利用が 顕著であ った。枚岡村の 伸線業における大正 10 年の 原動 機の 利用状況を示す 調査が ある。 それによると , 台数的には, 生駒山系の 流水を 利用する 水車 62 台に対して ,. 電動機は50 台であ った。 それが大正13 年の 調査では , 51 対58 と. いう地位の 逆転が み られた131 。 また , 他村でも, 大正 10 年頃になると , 使用される 電動機 も大型化していた。 たと えば木村織布工場 (木村菊松•長瀬村)の 二十五馬力電動機や白 井製網所 (白井孝一 •長瀬村), 河内製網所 (徳美寅松•長瀬村)の 二十馬力 電動機 , 日 本製綿工場 (山田武久・意岐部村),. 宮本セルロイド工場 (宮本一郎•長瀬村) の 十馬力. 電動機等が稼働していた1410 表l. 大正初期電動機の普及状況(大正3年) (台). 小阪村 楠根村 玉川村 北江村 東六郷村 西六郷村 意岐部村 枚岡村 大戸村 計. 0.5. 1.0. 5 2 5 3. 6. 1 3 4 24. 1. 1 l. ,. 3.0. 5.0 以上. 1. 4. 2. 1 2. 1 3. 6. 5. 8. 2.0 1 l. 2. (注)東大阪市史編纂委員会編「東大阪市史 近代 IIj 304 頁より引用 (1). 松下電器産業の社史は.「移転の意義」について.次のように記述している。「当時この方面は, 大阪の「鬼門」に当たるというので. 進んで進出してくる企業がなく. 発展の遅れる原因になって いたが, 所主は,「松下の門真進出が成功するかしないかは. 迷信を打破して. この地区を多くの 企業が進出する土地にするか, 鬼門恐るべしの迷信を深くさせるかの分れ道になる」として, 全員 5 月, の奮起を求めている」創業五十周年記念行事準備委員会『松下電器五十年の略史」昭和 43年 110 頁 2 月297 -298 頁参照。 9年 東大阪市史編纂委員会編「東大阪市史 近代 11 』平成 (2) 一 (3) J 大阪府立商工経済研究所編「鐵鋼二次製品工業の実態一 府下枚岡町の伸線業を中心として 2 月22 - 25 頁参照。 昭和 28年 (4) 1 月, 169 - 171 頁参照。 中河内郡役所編「中河内郡誌」大正 12年 - 72 (226)-.
(3) 戦前昭和 期の大阪府郡部の工業化について(衣本). 要するに , 河内平野の大阪東部から生駒山西麓に至る地域一東大阪市域には , 明治から 大正にかけて ,. 伸線 , 撚糸 , 金網 , 釦 , 理器等の生産活動が地場産業として一 定の展開を. 見せており, 新しい産業動力としての 電力の導入が契機になって ,. この地域の工業化が加. 速されることになった。. たと えば , 表2 をみよう。 大阪府 の工場数に関して , 大正3 年と. 昭和2 年を比較すると,. 工場増加数は11367 工場 あり, その内の71.3 %が大阪市内の増. 加分であった。. 中核都市・大阪への工場集積は強 まる一方であったが , しかし増加率でみ. ると , 中河内 郡は大阪市をはるかに凌駕していたし , 他の郡部にくらべても 格段の違いが あった。 それだ け 中河内 郡部への工場進出が 顕著であったとい える。 北河内地域のように 松下 電器や東洋紡績等の工場進出といった話顕性には欠けていたが , 特徴 ある地域的な工 場地が点在し , 多様な製品の生産活動が盛んになっていたと考 え られる。 その一翼を担っ たのが東大阪市域の産業群であった。 表2 大阪工業の工場分布(地域別). 大正 3年. 昭和 2年. (1914 ) 計. 大阪市 豊能郡 三島郡 泉北郡り 泉南郡 北河内郡 中河内郡 南河内郡. 切 32 024. ,. B. 12,138"" 4,885 2 4. ,924 ,281. ,877 1,595 675 2,649 2. 100% 37.9 15.3 9.1 13.4. 9.0 5.0 2.1. 8.3. 43,391 , 4. 20 2 6. ,440 4,910 3. ,593. 4. 3,069"'. 1,596 1,541 3,996. B-A A. B-A. (19 27 ). A. 総. (単位:工場数) 増減率. 増減(△). 実数. 100% 4 6.7 .9 11.3 7. 10.6. .1 3.7 3.6 7. 9.2. 11,367 8,108. △ 1, 445 1,986. 100%. 1.3. 7. △ 12.7. 1. 17.5 .. 3. 5.5% 6.8. 6. △ 29.6 67.9 .. 3 2. 27. 73. 192 1 866. 1.7 0. 0 7. 6. . 0.0 128.3 50.8. 1,347. 11.9. 67. 32,041 となる。 口) 西成郡, 東成郡の工場数 備考)イ)地域不明の工場が 17 あり, これを入れると を含む。 ハ )堺市の工場数を含む。 二 )岸和 田市の工場数を含む。 注) 1. 職工 5 人以下の工場を含む。 .2. 大阪府立商工経済研究所編『発展過程よりみたる大阪工業とその構造』より作成. そこで, 以下において , 東大阪市域の工業化が昭和期においてはどのような地域的内容 を持って展開したのかについて概観し , 東大阪工業の戦前期の集積過程を明 らかにしよう。. 2. 中河内郡と東大阪市域の町村工業. 明治20 年代 中頃の大阪府 には, 摂津に7 郡 , 河内に16 郡 , そして和泉に 4 郡の27 郡 - 73 (227)-.
(4) 第46巻 第2号 が数えられたが, 明冶 29 年に, それらが 9 郡に統廃合された。 即ち , 摂津に は , 西成 , 東成, 三島 , 豊能の 4 郡 , 和泉に泉北 , 泉南の 2 郡 , そ して河内に北河内,. 中河内, 南河. 内の 3郡であった。 そ して この 中河内郡には , 丹北郡, 大県郡, 高安郡, 河内郡, 若江郡, 渋川郡 , 志紀郡の三木本村が含まれていた。 この内の河内郡 , 若江郡 , 渋川郡が現東大阪 市域を形作る ことになるが, 大正14 年当時では , この市域には次ぎの 2 町 17 村 から構成 されていた。 布施町 ,. 小阪町 , 高井田村 , 意岐部村, 楠根村, 長瀬村, 弥刀村, 三野郷村,. 英田村, 若江村 , 玉川村, 東六郷村, 西六郷村, 北江村, 孔舎衛村 , 大戸村, 枚岡村 , 枚 岡南村, 池島村である。 昭和に入ると, 昭和4年に, 枚岡南村と池島村が合併して , 縄手 村に, そ して楠根村は楠根町になった。 昭和6年には , 東六郷村 , 西六郷村, 北江村が一 つになって ,. 盾津村となり, そして , 昭和 8年に, 布施町が高井田村を飲み込む形で合併. し , 町域を大きく した。 この布施町が小阪町 , 楠根町,. 意岐部村, 長瀬村, 弥 刀 村と合. 併して, 布施市となるのが昭和 12 年である。 また , 昭和 18 年には, 玉川村 および盾津村 が町制を施行 していた。 戦前期の , この地域の町村形成の経過 は このような流れに ある。 ところで, 府県制が確立している もとでの郡制の実施 は , 財政基盤の弱さや伝統 ある市 町村行政との整合性の悪さ から , 発足当初 から自治体としての機能においてのアイデンティ ティが弱く , その 中途半端さがわざわいして , 郡制は はやく も大正 12 年に廃 止 される運 命となった。 そして , 大正15年には , 郡長や郡役所 も完全に廃止され , 実体 がなく なっ たが, その後 は , 単なる地理的名称として用いられるに すぎなかった151。 たとえば , 大阪 府に関 する統計において ,. 上 記でみたように, 府下郡部プロックとして 7 つの名称が通常. 用いられている一西成 , 東成両郡 は 大正 14 年 4 月に大阪市の市域拡張のため大阪市に編 入される一。 したがって , 戦前期の 大阪府郡部の 調杏報告や統計 は三島 , 豊能 , 泉北 , 泉南, 北河内, 中河内, 南河内の 7 プロックにおいて示される ことが多いのである。 言い換えれば , 7 ブ ロックに関 する統計的数値は公表されている統計書等より容易に抽出(検索)できるが, 逆に, 市町村レベルでの工場数や生産額といった統計資料の公表はほとんどないという状 況下に ある。 このような状況下において , この時期の市町村単位での工場 分布が把握でき る唯一の資料といえば, 商工省編纂の『全国工場通覧』 が揚げられる161。 こ こには , 昭和 4 年 から 14 年までの ものが収録されているが, その内 容 は , 現在の『工業統計表」のよ うに全国または都府県単位での工業活動の数量的把握を目的とした統計的資料とちがって, 藤本篤•前田豊邦・馬田綾子•堀田暁生著『大阪府の歴史」山川出版社 , 1996 年 11 月 266268 頁 , および前掲『東大阪市史 近代 1I 』 19- 20 頁, 参照。. (5). - 74 (228)-.
(5) 戦前昭和 期の大阪府郡部の工業化について(衣本) 個々の工場の所在地を明記するとともに , その代表者, 創業年月, 主要生産品目を 掲載す る名簿的役割に ある。したがって , どのような産業やどんな工場が市町村レベルで 存在す るのかを 検索することが そこから可能になる。 東大阪市域の町村の昭和 初期の工場分布を 『全国工場通覧』より作成しよう。 それが表 3 である。昭和4 年 12 月末に , 1 97工場 (5 人以上の職工を 使用する設備を 有し , 又は常 時5 人以上の職工を 使用する工場)の 存在が確認で きた。業種的には ,「 その他の工業」 が最も 多く , 55 工場となる。これは釦の製造に従事する工場が55 工場の内 , 25 工場を 占 める , 中河内 郡での一 大産地を 形成していたからである。次いで 靴下や手袋等のメリヤス 製造加工 (1 9工場), 撚糸 (9工場)が 中心の紡織工業 ( 5 1工場),. 鉄線・針金 (1 8工場),. 金網 (1 0工場), 鋳物 (9工場)の金属工業 (42 工場), 腕輪や歯ブラシ等のセルロイド 製品 (15 工場)とゴム風船 ( 5 工場)が中心の化学工業 ( 32 工場)の順である。雑工業 が多いことも , 日用品の製造や加工が 中心であることも , 大都市の消費生活や輸出に関連 した大阪近郊の工場群の在り方が そこに感じられる。また , 金属工業はこの地域のいわゆ る「金偏」地場産業の発達を示すもので , この地域の土地柄を顕著に示す要因である。一 逆に北河内や南河内では多くみ られる食品工業が一 つも抽出されなかったことも同様に特 筆に値する特徴である。一 ところで , 基準となる5 人の職工を 雇用している「経営規模」はこの当 時の郡部では大 きな規模で , 少数であった。たとえば, 枚岡伸線業をみると , 昭和2 年の工場数は60で , そこに225 人の職工が働いていた。 1 工場当り約4 人となる。 その2 年後の6年には工場 数が 70となり, 職工も35 0人になった。この時点で1 工場当たり5 人という計算になる1710 昭和4 年の枚岡伸線業の場合,『全国工場通覧』に 掲載されているのは , 僅か14 工場であ る。また高井田村の村誌によれば, 昭和4 年の同村の工場数は2 1 0と記載されている(81 0 それに対して ,『全国工場通覧』からの高井田村の抽出分は僅か12 工場となっている。大 半の工場が条件的にザルの目からこぼれ落ちていることになる。このことは他の町村にお (6) 本稿に用 いた「 全国工場通覧』は柏書房により, 復刻されたもので ある。 原本は昭和 6 年 版 (収録:昭和 4年末現在)から1 6年版(収録:昭和 14年末現在)までの11巻からなるが,復刻版 は23巻に分冊されている。 その第1巻,「解題」のなかで, その資料価値について, 次ぎのように 解説されている。 政府(農商務省)の「工場統計表』や各府県の『統計書』には, 個別工場につい ての記載はほとんどないが, 本書 は各個別工場を工業種類別・府県別に分類してイロハ順に掲載し ている ことから,「各府県・郡市町村 でどのような工業が存在し, それらがどのように 発展したの か, またいつ消滅してしまったかを個別工場にまで立ち入って検討しようとする上 では唯一 のもの で ある」後藤靖•下谷政弘「解題」「 全国工場通覧 1 』柏書房, 1992年10月 , 参照。 我々の関心 を強く引いたのは, 市町村 内工場を抽出するのに必要な住所が村 及びその「大字」まで記入されて いる ことで あった。 (7) 前掲「 鐵鋼二次製品工業の実態 」19頁参照。 (8)布施町誌編纂会「布施町誌 統編 J 昭和 1 年 2 9月, 254頁, 参照。 - 7 5(22 9)-.
(6) ''. 表3 東大阪市域の市町村別工場数の推移. A B. C. 閤. D E F. 年. H. 4. G. I. J. 紡織工業 金属工業 機械器具工業 窯業 化学工業 製材及木製品工業 印刷及製本業 食料品工業 ガス及電気業 その他の工業. 眉 8. 年. C. D E F. a. 6 2 1. ,. 3. 42. 12 3 23 14 2 24. I I. G. H. I. 19. J. 計 A B. 閤 12. C. D E F. G. H. I. J. 計. 5 4. 87. I市. 1 10. 5 5 2 2. 2 3. 3. I. 2. 2 1. ,. 11. 2. 2 2 2 1. 1 18. 3 1. 白 〗 4. 5. 4. 6 1 2. I I. 4. 4. I. 19. 月 月. 4. I. 〗. 4. 玉. 翡. 2. I. I. 13. 4. 7. 3. 15. 10. 12. 5. 5. 1. 1. II. 3 1. l. 青. 2 1. :. (年末現在工場数). 貸. 村 2 15 2. I. 2 1. I. 2 1. 2. g. I. 2. 5 1. 村 �. � 西 、. 村. I. 盾津. 村. 12 10. I I. 1. I. 6 3. I. 1 2. 『. 5. 3. 20. 2 1. 12. 1 19 1. 3. 1. 4. 22. 12. 5. I. ,. 2. 37 143 89 5 100 7. 11 21. 1. 10. 5. 10. 5. I. 1. 2. 10. 13. 3. 14. 5 1. 1. 5 1. 14. I. I. 6. I. 1. I. 4 69. 18. 7. 5. 455. 24. 14. 7. (注) 1. 5 人以上の職工を使用する設備を有し, 又は常時 5 人以上の職工を使用する工場 2. 商工省編纂「全国工場通覧」(復刻版:柏書房)より作成. ,. 12. 2 1. 3 4 4. I. 1 2. I. 2 79 6. 4 15 11. 2. 3. 10. 1. I 18. , ,. 2. I I. , ,. 1 100. 51. 計 信: 50. 42 11 4 33 2. 25.4 21.3 5.6 2.0 16.8 1.0. 55. 28.3. 197 100.0 40 61 30 5 36 2 1 2. 17.2 26.3 12.9 2.2 15.5 0.9 0.4 0.9. 55. 23.7. 232 100.0 69 246 111 6 122 8 3 5. 9.9 35.2 15.9 0.9 17.5 1.1 0.4 0.7. 129. 18.5. 699 100.0. � 2�. 76 (2 30)-. A B. 5 5 2 3 18. 巖. 町. 英. 瀕 46{!. |. 計. i. ffl. =.
(7) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について(衣本) いても 同じであると考えて間違いな いであろう。 したがって, 事業所数的には はる かに多 いと いえる , 5人未満の 小さ い規模の工場や, 農家副業が調査の 対象外として処理されて いることは , この地域の工業活動の実勢を正確に 反映させているとは言えな いが, 上記 197 工場が意味のな い存在であると いう ものではな い。 当時としては地域を代表 する存在 であると言 い換えることができる工場群であり, これらの工場の活動内容や 歴史に 加えて, 197 の 分布する地域を鳥緻することから , 当時のこれら地域における工業化動向に 対して, 一. 定の具体的な 判断が可能であると いえよう。 この資料を通 してし か知り 得な い実態がそ. こに あると いえる。. 3. 昭和初期の町村別工場分布 東 大阪市域の各町村別に分布する工場の工業活動に 関して, 世界恐慌の直前の現状を以 下にお いて把握しておこう。. 布施町(大正 14年 4月 1日町制施行) 42 工場の内, 西脇硝子工場(創業・明治 43 年), 伊東製綿工場(大正2 年), 高浦貝 釦工場(大正 5年)を除けば. 大半の工場が 第一次世界大戦後 . 特に大正 末から昭和初 期を創業としている。 それだけ工業地形成の動 き は若 いと いえる。 業種的には . 化学工 業部門の工場が18 工場と 最も多いが, 大消費地であり, 貿易都でもある 大阪に 近接し た地の利を立地 条件とする日用品雑貨型 加工産業が中 心で, 櫛. 腕輪. 洋傘柄等を製造 するセルロイド工場が 8工場(川崎•井上・天野•浜田・上田・辰己•神原•藤間)を 占め, 次いで 襖紙や化粧紙の紙 加工の4工場(池 田・監尻•東和•岡本), 子供玩具の ゴム風船の 3工場(倉橋•松永•杉原)の順であった。 雑貨型製品が中 心の化学工業に 次いで 9工場と多かったの は , 「その他の工業」であるが,. 同様の傾向が 読み取れる。. 貝釦(竹本・高浦)や 水牛釦(吉川), 運動靴(尾崎足袋), 造花(丸山美術), 人造真 珠(竹本)と いった輸出向け製品がつくられていた。 また. 紡織工業.. 金属工業 も,. い. ずれ も 5工場を数えるが, 足袋(三好足袋). 肩掛レ ー ス(大阪剌繍). 風呂敷(不破染), 鉄瓶(小 川・辻西•菊田)と いった日用品の生産 が 中 心であった。 もっとも . 綿打ち (伊東製綿), 綿糸晒し(福西)等の紡織 関連の工程や, 針金(吉田鍍金)や 金網(鳴門) 等の 中間財の生産に 従事 する工場 もあった。. - 77 (231)-.
(8) 第46巻. 第2号. 高井田村. 12 工場の内, 龍文堂鋳造所(創業・明治 45 年), 富士鋳造所(大正 6 年)を除けば, 大半の工場が 第一次世界大戦後, 特に大正 末から昭和初期を創業として いる点では布施 町と 同じである。 特に8工場が昭和に入って からの創業である。 業種的には, 鉄瓶や機 械部品等の 金属製品を生産 する鋳造所 4 工場(龍文堂 • 富士 • 西野 • 特 田),. セルロイ. ド製の日用品を製造 する 2 工場(上野 • 前 田), 木箱( 辰己木工), 造花 (中西造花), 洋服(荒海 ミ シ ン), 布の防 水 加工(阪 田)等の雑多の生産活動 もみられ,. そ こには大. 阪近接と いう立地条件にお いて布施町とも通じる側面がう かがえる。 また, 生駒山麓で 発達して いた鉄線 加工業(合 同電気)と, その関 連産業といえる針 金 メ ッ キ 工場(昭和 亜鉛鍍金)の この地域での活動が確認できる。. 小阪町(大正 14 年 4 月 1 日町制施行) 1 0工場の社 歴 は布施町の場合とは 対照的で, 前 田 金網工場(大正 1 0年), 岸 田撚糸. 工場(大正1 1 年)を除けば, 明冶 中期 から 第 一次世界大戦までに創 業 して いる。 明治 期では, 西野織布工場(明治 18 年), 北 尾 金 網 工場 (明治 37 年), 林 金 網 工場 (明治. 40 年)の 3 工場があり, 大正期では, 5 年を創業と記 すの は 4 工場(中村織布・大西 メ リ ヤ ス • 久貝 金網 • 上 田 釦)であり, 6年 は岸本撚糸工場である。 業種的には, 紡織工 業 は綿撚糸工場 2, 厚司や足袋底をつくる織布工場 2, メ リ ヤ ス工場 l から成る。 工業 は 4工場とも 金網 の製造であり,. 金属. 金網 工業の 中 心地である ことがう かがえる。 釦工. 場(その他工業) は l である。 撚糸 や織布工場は河 内 木綿を伝承 する関 連産業としての 地域展開を形作って いたが, 特に西野織布工場の西野宗七は河内木綿の特性に適した雲 斎織の推進者であった。 また, 北 尾 金網 工場と林 金網工場 は この地での 金網 製造を 最初 に手掛けた工場である。. 金網 製品は この頃には大阪の輸出商品の一 つになって いたが,. 国内にお いて も, 当時次 第に用途が多様にな り, 市場の拡大に 対応 して 金網 織機が工夫 され, 機械生産への展開が中 心にな り, 地場産業としての新たな 地域展開が本格化しは じめて いた。. 楠根町(昭和 4年 1 0月 15 日町制施行) 社 歴 の古 い工場が比較的多く, 19 工場の内, 明治期の創業が 9 工場で ある。 また大 正 7 年の樋 口 貝 釦繰生地製造所を除けば, 大正 10年代が 7 工場, 昭和が 2 工場と新 し い動 き も示して いる。 業種的に特色があるのは, 貝釦の製造(宮野• 前 島・ 樋口 • 川楠・. - 78 ( 232 )-.
(9) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について(衣本) 馬場・ 石井• 西 田)である。 これは撚糸,. 金 網 , 伸線等と 同 じ様に, 明治期に大阪より. 伝わり, この地域の農家余業を核に発達 し産地化 して い っ た ものである。 宮野貝 釦製造 工場(宮野佐 吉) は明治40 年, そ して前 島貝 釦製造工場 は明冶44年を創業として いる。 大阪府の『府下農村 二 於 ケ ル副業的 加工業 ノ 概況』(昭和4年)によれば, 「貝 釦 ノ 製造 ハ 大阪市天王寺町付近ガ元祖 ニ シ テ数十年前 ヨ リ 之 ガ製造 二 従事セ リ 。 然 ル ニ 大阪市 ノ 発展二 伴 ヒ 地代戦エ貨 ソ ノ 他諸経 費漸次高 マ リ 経営難 二 陥 リ , 漸次農村 二 移 リ 各地 二 於 テ 之 ガ製造 ヲ 為 ス ニ 至レ リ 。 中河内郡楠根村 ニ ハ 今 ヨ リ 約二十年前 同 地 ノ 人宮野某氏 大 阪市 二 於テ之 ガ技術 ヲ 修得 シ 製造 二 着手セル ニ 始 リ , 爾後年 卜 共 二 製造家 ヲ 増 加セ リ 。 近時 ノ 情勢 ト シ テ ハ 従業者ハ漸次農村二 移 リ ッ ヽ ア リ 」と記ず91。 他の 5工場の内4エ 場は 大正期の創業であり, 西 田貝 釦繰生地製造所が昭和 2 年 と 最も若 い創業である。 これら貝 釦の生産を除けば, 生産品目 は多様である。 マ ッ チ (近藤燐寸製造所), ハ ン カ チ (山内 ミ シ ン工場), ロ ー プ(村井製網所) , 家具(泉家木工所), ガ年筆(稔野 セルロ イ ド工場), 柑禍(日本柑禍株式会社),. 金 網 (坂本 金網 工場) , 導火線(日本導. 火線会社) , 浴布(石 田 タ オ ル工場), 天笠(東崎 メ リ ヤ ス工場), フ ェ ル ト (国産 フ ェ ル ト 研究所) , 押紙(渡辺押紙 加工所)が挙げられる。 その意味では, 布施町以上に, 古くて, 多様な工場の活動が展開して いた。 なお, 多様な工場活動のなかでは,. 金属の溶融や 加熱に必要な器具である柑渦の製造. に 従事 する日本用禍株式会社の大阪拠点造りが始ま っ て いた こ と に注目される。 この業 界は重化学工業の 発達や, 戦争に敏感に 反 応 するだけに, 日露戦争や 第一次大戦は 大 き な転機となっ た。 たとえば, 日露戦争後, 大日本用渦製造所, 帝国柑渦 . 大阪琳禍が合 併して, 日本柑渦株式会社が誕生 したが, 大戦 ブ ー ム を契機に, 大正8年に楠根村の稲 田に新工場を建設して いた。 そ して, 大戦プ ー ム の 反 動 不 況が現れ始めると,. 同社の積. 極経営 は 大 き く 後退 させられたが, 東京工場が関東 大震災により被害を受けた ことから, 昭和の初めには, この大阪工場が主力工場として稼働 するよ う になっ て いた呪. 意岐部村 この村は北に楠根町, 南に 小阪町に接し, 西には布施町, 高井田村が位置して いる。 いわゆる この当時の 大阪都市圏のイ ン ナ ー リ ン グの東部に隣接する近郊農村部に あ っ た だけに, この時期の工業化の波を身近に感 じ る位置に あ っ た。 9工場の内, 6工場が昭 (9) 近畿大学商経学部 •関西経済研究会編 「地域経済 と 企業者精神」 1996 年 3 月 , 8 - 9 頁参照。 QO) 武知京三著 「近代 日 本 と 地域産業」 税務経理協会. 平成 10 年 10 月 , 80 - 83 頁参照。 - 79 ( 233 ) -.
(10) 第46巻 第 2 号 和期の創業であり(昭和 3 年 : 草開製綿•豊 田製綿• 中島整毛, 昭和 4 年 : 南野鋳物 ・ 東洋文具•原 田製膠) , 残り 3 工場の内の 2 工場(恒 川 金具・ 大村墓 口 口 金鍍金) も大 正 1 5 年創業と いう若さであった。 吉 岡製膠所 は明治 29 年創業であり,. 中河内郡のにか. わ製品は主に晒し用にかわであったが, こ こでは マ ッ チ 用にかわや, 絵具用にかわを生 産 して いた。. 三野郷村 明治 22 年 5 月を創業とする寺西製網 所(寺西治三郎)が 水牛 釦の製造とともに,. ハ. ン モ ックの生産を 最初に始め門 当初は 「輸出 ノ ミ ノ 制作 ナ リ シ ガ, 以来販路拡張 ヲ 計 リ , 現今 二 於 テ ハ日本全国 二販売 ス ル ニ 至レ リ 」と いう。 販路の拡張に伴 い, 寺西源三 も大正8 年に寺西製網所を創業し,. ハ. ン モ ックやネ ッ ト の生産に 従事して いる。 この 2. 工場で昭和の初めには 従業者 も 190 人を数えた。 さて, 1 5 工場の内, 釦 の製造に 従事 して いる工場は6工場と 最も多い(辻井•西 尾· 吉 田•岡本・貝堀・阪本)。 貝 釦 の吉 田 釦工場を除けば, 他の工場は全て 水牛釦である。 また創業的にみれば, 坂 本 釦工場 (大正 1 2 年)を除けば, 他の工場は全て 第一次世 界大戦以前の 大正初期の創業である (大正 2 年 : 辻井, 3 年:西 尾•吉 田, 4 年: 岡本, 5 年:貝堀) 。 前掲の『府下農村 二 於 ケ ル副業的 加工業 ノ 概況』 によれば,. 水牛釦の生産 は「今約参拾年前 大阪市 二 於 テ 起 リ ,. 中河内郡各地 ニ ハ ニ十年前 ヨ リ 普及 シ , 大正八, 九年好況時代 二 於 テ 急激 二 増 加 シ , 其 後多少減少セシ モ 現在ハ亦梢増 加 ノ 傾向 ニ ア リ 」 と記されて いるが, 同 村ではプ ー ム以 前の事業化が見受け ら れる ことになる。 この釦の製造に次 いで, 多いのがプ ラ シ の生産 に関 連 する豚毛の整毛, 漂 白 に 従事 する整毛所である。 松本(創 業・ 大正4 年), 林 (同 5 年), 沢 田(同 7 年) , 大正 1 4年創業の増 田, 樋口の 5 工場があった。 若江村 若江村は,. 小阪町とともに, 明治期に, 河内木綿を伝承 する雲斎織の 中 心地となって. いたが, 厚司の織物 加工としての足袋の製造がフ ァ ッ シ ョ ンの洋風化とともに衰退し, 代わって靴下製造がこの地域にお いてみ ら れるようになって いた。 松村(創業 ・ 大正 5 年) , 武藤の 2 靴下工場があった。 し か し, 雲斎織が全く衰退したのではなくて, 雲斎 の森 田織布工場(森 田仙次郎)が, メ リ ヤ ス 加工品の三上商会(製織部), 靴下の武藤 の 2 工場と同様に, 昭和 3 年に創業されて いる。 そ して, この時期の村を代表した工業. (lD 前掲 『東大阪市史 近代 II J 189 頁参照。 - 80 (234 )-.
(11) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について ( 衣本) 活動 は 釦 の 製造であった。 12 工場の内, 5 工場(北 口 • 清野・J:野 • 石 田・萩原)が釦 の 製造に 従事して いた。 この村では, 楠根町のように貝 釦繰生地製造ではなくて, 紐釦, ナ ッ ト 釦,. 水牛釦を主. な製品として いる。 北 口 釦工場(大正2 年)と清野釦工場(大正3年) は紐釦 の 生産で あり, ナ ッ ト 釦 は石 田 釦工場(大正12 年)と萩 原釦工場(大正 14 年)であった。 大正 10 年創業の上野釦工場だけが 水牛釦 の 製造であった。 中河内地域での 釦 生産に関 して いえば,. 第 一次世界大戦以前には 水牛釦 の生産が盛んであったが, 大戦後 は, ナ ッ ト 釦. の生産が主流になって いたといわれる。 なお , 若江村の 東南に近接する三野郷村が 上述 したように 水牛釦 の 製造 の 中 心であった ことに 加えて, それらの工場の 創業が大正の 初 めに集 中して いる ことを勘案 す れば, 三野郷村に 対して若江村 は釦生産に関して新展開 地であったと いえる。. 西六郷村・東六郷村・北江村 これら三村は昭和 6 年 4 月には合併して, 記述 する。. 盾津村になるので, こ こでは一地区として. 最も工場数が多 い の は西六郷村であり, タ オ ル から メ リ ヤ スヘ の 転換による. 産地形成が進んだ地域で, 13 工場を数える。 植 田 釦工場(大正 12 年)を除けば, 全て メ リ ヤ ス工場である。 メ リ ヤ スと表示される製品 の 多く は手袋, 靴下であった。 東六郷 村 の 2 工場(巽 • 西村) もメ リ ヤ ス生地 の生産に 従事して いる。 創業的に いえば, 西 お よび東六郷村の メ リ ヤ ス工場 13 の内, 7 工場(西 田・多 田 • 堀 池 • 若松・好川・東野・ 巽)が明治 40 年代 の 創業であり, 大正に入っては, 大正2 - 4 年が 3 工場(松本 • 西 村・谷 口)である。. 第 一次世界大戦後 の 創業 は 3工場(今林・寺北 • 吉 田)で, その内. 昭和期は 吉田 メ リ ヤ ス(昭和 2 年)だけであった。 早く から工的活動が根付 いた メ リ ヤ ス村であった。 また, 北江村の 5 工場の内, 3 工場が繊維関 連であり, タ オ ル の 北村織 布, 敷 布の北橋織布に 対して, メ リ ヤ ス製肌着を製造 する川 上工場がある。 したがって, 三村の メ リ ヤ ス工場は東六郷村の編 立業と, 西六郷村, 北江村での 縫製部門を合わせ持 つ メ リ ヤ ス 加工が中 心であった見 なお, 北江村の非繊維部門 の 2 工場は謄写版やイ ン ク の 生産に 従事 する 不 二版合資会社(大正10 年 : 佐 々 木多吉) と,. 第 一 次世界大戦 の. 軍需 ブ ー ムに剌激された長栄館用禍製造所(大正2 年:長谷 川亀吉)である。. U2l 前掲 「近代 日 本 と 地域産業』 49- 51 頁参照。 - 81 (235)-.
(12) 第46巻 第 2 号 長瀬村 と 弥刀 村 長瀬村 は布施町に南接し, 弥刀村 は 小阪町に南接する。. 両村 は長瀬 川を挟んで隣接. 一. して いる。 地理的に 帯観の ある と ころである。 工場数 は長瀬村の 5に 対して, 弥刀村 は 4 工場 と 同程度である。 異 な るの は長瀬村 はセルロイ ド 工場( 大正12 年 : 宮 川恒蔵) を除けば, 紡織工業であり, 宮 島(明治 44 年), 西 尾(明冶 45 年) , 高田(大正 5 年) の 3 撚糸工場 と 雲斎の木村織物工場(明治 4 1 年) からな る。 前述の 大阪府の 調査によ れば, 農家副業 と しての撚糸産地 は長瀬村以外では, 弥刀村, 三野郷村があげられて い たが, この 「全国工場通覧』 には, そのよう な 傾向 は伺えな い。 三野郷村が釦工場に代 表されるように, 弥刀村の 4 工場 は金網 工場であった。 西村金網(西村 吉松), 林 山 福 金網, 関谷金網 は 共に 第一 次世界 大戦後の 大正9 年の創業であり, 西村金網(西村作治 郎) は 大正 12 年であった。 弥刀村の工場立地 は 小阪町の金網 工業の展開 と 一 帯的にと らえられる ものである。. 枚岡村 この地域にお いて は, 「天保年間 ヨ リ 水車 ヲ 利用 シ 針金 ノ 製造 ヲ 為セ シ ガ, 明治時代 二 入 リ 其 ノ 需要漸次増 加 シ電気動カ 二 依 リ , 之 ガ製造 ヲ 為 ス ニ 至 リ , 欧州戦争当時好況 二 乗 ジ 製造家ノ 数 ヲ 急激 二 増 加セ リ 」 と 先の 大阪府の 調査 は記載して いる。 大正8年に は, 工場 は 72 を数え, 戦エ数 も 290 人にな って いた。 大正 4 年が工場数 35, 戦エ数. 104 人であった こ と から, わず か 4 年で産地規模が2 倍以上に拡 大 して いた こ と になる。 その産地の昭和 4 年の 「全国工場通覧』 に掲載されて いる工場数 は 20 である。 その内,. 1 4 工場が鉄線や真鍮針金の製造業であり, 伸線業の村である こ と は この点 から も伺え る。 し か し, それ以外の工場 もある。 厚司地を製造 する 中村織布工場, と 鉄 川製綿工場, 傘の骨の製造に 従事して いる秋山洋傘製造所, 革製品製造の黒 田 パ ッ ト レザ ー 製造所, そ して西田工場, 岡田工場 は シ ャ フ ト を製造して いた。 創業的には, 伸線業の山 中(明 , 松本(明冶 25 年), 西村(明治 35 年)を除けば, 他 は すべて 大正年 間 に創 治 19 年) 業されて いる地場産業形成の村である。. 縄手村(枚岡南村 と 池島村が昭和 4 年 4 月合併) 12 の工場の内, 5 工場が理髪用 ジ ャ ッ キ ・ バ リ カ ンを製造して いた。 村の産業の成り 立 ち につ いて, 先の 大阪府資料 は次のように述べて いる。 「今 ヲ 去ル三十 四 , 五年前 伊 藤氏ハ 大阪市二 於テ之 ガ製造 ヲ 為 シ 居レル。 当時縄手村樋 口氏ハ ー識工 ト シ テ 伊藤氏 ノ 工場 二 於テ働 キ 居 リ シ ガ, 約二十年前郷里縄手村 二 帰 リ 之 ガ製造 ヲ 為セル ニ 始マ リ , 漸 - 82 ( 236 )-.
(13) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化につ いて ( 衣本) 次二 製造家ノ 数 ヲ 増 加セ リ 」。 この樋 口工場 から職工が独立 し, 新たな工場が興された。 明治 42 年の 福 田 ジ ャ ッ キ 製造所( 福 田嘉治) , 南谷 ジ ャ ッ キ 製造所( 南谷丑松), 大正 , 2 年の 川 上 ジ ャ ッ キ 製造所( 川 上 福松), 大正 9 年の希有 ジ ャ ッ キ 製造所(希有宗太郎) そ し て地引 為次郎が 上述の 伊藤氏( 伊藤兼 吉)と図って, 日本理器株式会社を典 し たの が, 大正 12 年の ことである。 なお『全国工場通覧』 には, 樋 口工場の記載はな い。 理器の製造以外の特色の ある社 歴 の古 い工場があった。 サ ンドペ ー パ ー を製造 する市 ロ ペ ー パ ー 製造工場(明治 30 年)と永塚ペ ー パ ー 製造工場(明治 32 年) および義手義 足の製造に 従事 し て いる土居義一肢矯正専門技術研究所(明治 43 年) がそれで ある。 また, 近隣町村に展開 し て いた業種 も見られた。 歯プ ラ シ 柄を製造 する 中 川セル ロ イ ド 工場( 大正 14 年), 辰己紙箱製造 加工所( 大正15 年), 鉄線の室田伸線工場(昭和 3 年) は若 い工場であり, 帆布の松岡織布工場だけが大正元年の創業であった。. 英田村と玉川村 両村は東 大阪市のほぽ 中央部に位置 する地域であり, 北にメ リ ヤ ス 村(西六郷村・東 六郷村) , 西にセル ロ イド 加工とニ ー ズの多様化に 対応 し た都市型工業が展開 する布施 町や高井田村, そ し て 釦の産地形成がみられる楠根村がある。 また, 南には釦の生産と ともに, 整毛所が発達 し て いた若江村, 三野郷村に接し て いる ことを 反映し て, 工場の 種類 も多様である。 英田村の 10 工場の場合,. 吉郵卯之助,. 吉郵豊 吉の撚糸工場 2, 歯. 刷子毛植工場 2 (里村· 村野), 靴下編 立工場 2 ( 大友•宮崎)と岡田 メ リ ヤ ス 針製造工 場 市富セル ロ イ ド工場 北 島藤細工工場 清 水紙 加工工場があった。 玉川村の 5工場 は撚糸工場 2 (奥田•河内) , 釦工場 2 (萩 原・杉山) , 歯刷子細工工場(林) からなる。 明治 1 1 年創業の河内撚糸工場を除けば, 他 は 第 一次大戦後の創業であ リ ,. そ こには,. 周辺町村 からの影響が感じられる。 し か し, 東の伸線業の枚岡村, 理器製造の縄手村と の繋がりは業種的にはみられなかった。. .. 孔舎衛村と大戸村 両村は東 大阪市の北東部生駒山麓に位置 する地域である。 大戸村 は北に孔舎衛村, 南 に枚岡村に接し て いる。 大戸村 は優良な住宅地とし ての開発が進んで いて, 工場の 進出 を積極的には歓迎 しなかった。 すでに大正6年には, 枚岡村の針 金工場の公 害(河 川の 水質汚濁)に注目 し て, 「針 金工場設置 不 許 可」を決定 し て いる程である呪 その ことを 反映し て, 『全国工場通覧』 には, 掲載された工場 は一つ もなかった。 し たがって, 孔. (13) 前掲「 近代 日 本 と 地域産業 」 61 頁参照。 - 83 ( 237)-.
(14) 第46巻. 第2号. 舎衛村 は西側に位置 す る メ リ ヤ ス 村 ( 西六郷村 ・ 東六郷村) と の 繋 が り が主 に 考 え ら れ る 程度で, 工場数 も 3 工場 と 市域 内 で は最 も 少 な か っ た。 靴下製造 の 原田 メ リ ヤ ス 工場, 中入綿製造の 浅 田製綿工場, そ し て織物機械 の 谷 口鋳造所 で あ る 。 図1. 昭和初期の東大阪市域の工業分布 (昭和 4 年). 阪. 生駒山. 大 (工場数) A. 布施町. セ ル ロ イ ド工場 (8). C. 長瀬村. 撚糸工場 (3). D. 小. B. 高井田村. 鋳物工場 (4). 町 ・ 弥刀村. 金網工場 (8). E. 楠根町 ・ 若江村 ・ 三野郷村 釦工場 (18) 阪 F. 東六郷村 ・ 西六郷村 ・ 北江村 G. 縄手村. 理器工場 (5). I. 英田村 ・ 玉川村. メ リ ヤ ス工場 (9). H. 枚岡村. 鉄線 ・ 針金工場 (14). 歯 プ ラ シ工場 (3). 最後に, 以上 に よ う に概観 し て き た 町村 の工業 の 特色 を工場数が最 も 多 い業種 を 考慮 し て, 当 時 の 町村 図に 描 き 下 ろ し た 産地概観図が図 l で あ る 。 そ こ に は, 現東大阪市域 の 昭和初期 の 工業展開 は 次 ぎ の よ う な 二様 の 動 き を特色 と し て い た。 即 ち , 1) 伝統的 な 明治以来の地場産業的展開が地の 利 や地縁 ・ 血縁 的 繋 が り に よ る 技術 の 習得や労働力 の 確保が重要 な 条件 と な っ て, 農村地域 の 点在的広が り 状況一村単位的産 地形成ー が進ん だ こ と が考 え ら れ る 。 た と え ば, 地 の 利 の典型 は生駒 山 系 の 流水を利用 0. す る 水車工業 の 伝統 を 継承す る 枚岡村 の 伸線業で あ る �。 ま た , 地縁 • 血 縁 的 繋 が り の 典型例 と し て は, 金網工業や理器工業が揚 げ ら れ る 。 金網工業の場合, 大阪立売堀 の金. a4l. も っ と も , 電動機の普及により, 工業立地の拘束性が著 し く 緩和 さ れた後 も , 工場集積がみ ら れ た の は, こ の地に培われた 「線引 き 」 な る職人の伝統的な技能に負 う と こ ろ 大で あ る と い う 。 こ の特殊技能 の温存を可能 に し たのは, 「業者間 に お け る 地縁的, 血縁的 な紐帯, 親方, 職人の封建的 な結びつ き 」 によ る 排他性が指摘 さ れて い る。 枚岡の線屋 は無論の こ と , 布施や そ の他の地域で伸線業を営む事業主の多 く が枚岡村出身で あ る が特殊技能の継承 と い う 点か ら 意味のあ る こ と と 指摘 さ れ る 。 こ の特殊技能 は電 動機の普及 に合わせて近代的な工具で あ る 合金 ダ イ ス が 一般化す る こ と によっ て (昭和 10 年 頃 か ら ) 力 を う し な っ て い く ので あ る。 (前掲「 鐵鋼二次製品工業の実態 」 16 - 17 頁参照). - 84 (238 )-.
(15) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について ( 衣本) 網 製造卸業の 「斎藤商店」に働いていた藤川という 小阪村出身の職工が織編 技術を習 得 したのち, 独立したが, そ こに 同村出身の青年が徒弟奉公 し, 技術習 得後, 帰村し, 農 家の納屋で金網 の生産を始めたのが小阪村での 最初であるという。 独立自営業者にとっ ては, 安い労働力の 確保が, 徒弟奉公にでる農村出身者 からいえば, 安 心 して技術の習 得ができるという関係であ っ た。 農村部への都市化, 資本主義化の浸透 は農業以外の労 働や現金収入の道を求める部 分を以前より多く して, 先の関係をテ コ として, 工業活動 が村社会の 中に もち こまれ, 兄弟の暖簾わけや職工の独立という形で産地化してい っ た。 このような関係が縄手村の理器製造業でもみられた。 表 4 町村別工場の創業年の特徴 明治 布施 高井田 小阪 意岐部 楠根 長瀬 弥刀 三野郷 英田 若江 玉川 西六郷 東六郷 北江 孔舎術. 縄手. 枚岡. 1 1. 3. , 1. ゜ ゜ ゜. 3. 1 1. 1 6 1 1 5 4. 大正 昭和 ( 1 - 7 年) 8 年以降 ( 1 - 4 年) 2 1 5. ゜ ゜ ゜ 1 1. 8. 2 3. 2 1 1 2 2. ,. 24 2 2 2 7 1 4 4 4 6. ゜ ゜. 3 3. 3. 4 7. (注) 前掲 『全国工場通覧」 よ り 作成 2) 大阪に近い, 布施町,. ゜ ゜゜. 15. 8. 6 2 2 3 3. ゜ ゜ ゜ 1 1. 1. 1. (工場数) 特徴 直髯. 二. (ニ. 二 二 c二. ニニニ). 二 二 ニニニ). 小阪町, 高井田村, 意岐部村, 楠根町, 長瀬村, 弥 刀 村と. い っ た町村(昭和 12 年に合併して布施市なる地域)の工場数 は 多い。 197 工場の内, 約半 分に当たる 101 工場がこの地域に ある。 布施町のセルロイ ド 工場の集積や, 造花, 人造真珠,. 襖紙, 風呂 敷 , 鏡等の雑多な物を製造 する都市型工場 も多いのである。 これ. らの多く は 大阪 からの越境型工業である。 前節でも触れたように, 雑工業が多い ことも, 日用品製造 加工が中 心である ことも, 大都市の消費生活や輸出に関 連 した 大阪近郊のエ 場群の在り方がそ こに 反映され, 大阪 からの工業化の波が西 から東へと浸透し始めてい た ことを伺わせる。 たとえば, セルロイ ド 工場は英田村や縄手村において もみられるよ うになっ ていた。 また, 創業年をみた ものが表4である。. 第一次大戦後, とりわけ大正. 末期 から昭和にかけての創業がみられる町村は西 から 中部地域の町村である ことを示し ている。 要 するに, 新 しい工業展開力は布施, 高井田, 意岐部村を 中 心に, 若江, 英田 - 85 (239)-.
(16) 第46巻 第2 号 村等に波及し始めて いたと いえる。 言 い換えれば, 新 し い工業化の波が, 西 か ら 東へと 浸透し始めて いる ことの一端を説明して いる。. 3) 工場数に 関して いえば,. 最多の業種 は 55 工場の 「 その他の工業」 であり, 次いで. 紡織工業の 50 工場であった。 両者を合わせた 105 工場 は全体の 53.3 %を占め, 機械 ・ 金属 • 化学の8 6工場を凌駕して いる。 昭和4年当時では, 軽工業が 中 心 であったと い う ことになる。. 4. 大阪工業の構造転換 と 町村工業の動 向 図 2 は 大正 14 年を基準とする世界恐慌前後の昭和期の 大阪工業の生 産動向を示 して い る。 そ こ か ら は, つぎのようなことが 読み取れる。 即ち, 1) 各種工業の活動は総じて昭和 5 年の世界恐慌後の二, 三年の低迷を経て, 上昇傾向を示して いる。 2) そのなかでも, 機械及器具工業が 最も力強 い成長力を有 して いる。 これにつ いて は, 当時の 「 大阪府勢要覧』 は次のような産業動向を指摘 して いる。 「各種 製造工業の 勃興 交通機 関・士木建築事業の 発達, 電気事業の進歩等のため機械器具類の需要激増 し, これ等輸入に剌激せ ら れて, 国内製造業の勃典を促し, 府下に於て各種の機械器具 工業 連りに輿り, 技術の進歩見るべ き もの少なか ら ず」 と大阪における工業化高度化へ の動向を指摘して いる。0� 3) それに 対して, 繊維(染織)工業, 飲食物(食料品)工業, 雑工業( その他のエ 業)と いった軽工業部門の生産額の推移 は すでに停滞的な傾向に陥って いた。 特にかっ て 大阪工業の 大宗であった繊維工業の場合, その生産動向は機械器具工業の力強さとは 対照的であった。 ところで, 菅野和太郎の『新 大阪論』 は次のような書 き出 しで始まって いる。 「 第 一 次欧州 大戦後 大阪は異常なる勢 ひを以て 発展 し, 一時は その経済 上の実力が東京を も凌 ぐ有様で, 我国産業の 一 大 中 心地たる勢威を有して居た。. 従って 『 大阪 は我国の 心臓で. ある」 と迄称せ ら れ, 江戸時代『大阪は天下の台所』 と称せ ら れた ことと 対比せ ら れる に至った。 事実我国に於て産業都と言へば直ちに大阪が指摘せ ら れ, 政治都の東京と相 対立して居た ものである町。 確 かに, ‘‘東洋のマ ン チ ェ ス タ. ー". 業が発達して, 昭和に入ると, 30 万本の エ ン ト ツ が林立 する. と呼ばれた大阪 は綿エ “. 煙の都. ". ともよばれ,. '. “政治は東京, 経済は 大阪 と言われるようになって いた。 昭和 6 年には, 全額市民の 寄付による 大阪城天守閣の再建を果たし, 「御奉行の名さえ も知 ら ず年くれ ぬ 」 と いう 江戸の昔よりの 大阪商人の気風が思 い起 こされるほどで, 「わが国経済の 中 心地たる こ と」の自負が 「 大 大阪」 と呼ばしめたon。 (15) 大阪府 『大阪府勢要覧』 昭和 4 年 5 月 , 92 頁参照。 (16) 菅野和太郎著『新大阪論J 全国書房, 昭和 17 年 4 月 1 頁参照。 (17) 宮本又次著 「大阪発達史』 大阪府史編纂資料室, 昭和 36 年 1 月 63 頁参照。 - 86 ( 240 )―.
(17) 図2. 大阪府の工業生 産動向 (大正 14 年 = 100). 400. 350. — 全工業 -------- --- 繊維 (染織)工業 飲食物工業. 灼丹 ) t ( nuL; t悪 翌岳苔逗S汁弼圭要要 SH 凝 {. 300. (生産額). 一 機械器具工業 - - - ' 化学工業. 250 | 8 7 ( 2 4 1 )ー. 200. 150. 100. 50. 和年 昭ー. 2年. 3年. 4年. 5年. 6年. 府総務部統計課編 「 統計上 ヨ リ 観 タ ル大. (注) 大 阪. 7年. 8年. 府 ノ 概況 」より作成 阪. 9年. 10 年.
(18) 第46巻 第 2 号. 表 5 大阪府の工業構造. 工場数. 紡織工業 金属工業 機械器具工業 化学工業 窯業 ・ 土石 製材木製品 印刷製本 食料品 そ の他工業. 1,879 1,212 1,107 674 315 378 315 880 1,118 7,878. 昭和 5 年. 23.9 15.4 14.1 8.6 4.0 4.8 4.0 1 1.2 14.2 100.0 %. 工場数. 生 産額. 274,879 135,254 133,783 164,717 26,502 21,451 44,949 79,884 51,296 932,715. 29.5 14.5 14.3 17.7 2.8 2.3 4.8 8.6 5.5 100.0%. 2,197 2,1 16 2,392 922 385 639 469 1,056 2,404 12,580. 昭和 10 年. 17.5 16.8 19.0 7.3 3.1 5.1 3.7 8.4 19. 1 100.0%. (所, 千円) 生 産額. 443,323 25.8 396,91 1 23.l 282,210 16.4 15.9 273,681 3.0 50,741 1.6 27,115 48,113 2,8 5.7 97,354 99,313 5.8 1,718,761 100.0%. (注) 1 ) ガ ス , 電気を除 く , ま た, 生 産額には 「加工賃及修理料」 は除 く 。 2 ) 大阪商工経済研究所編 「 大阪経済の基本統計 」より 作成。 表 6 大阪 ・ 東京の対全国比 (昭和 10 年) (単位 : 所, 人, 千 円 ). 数数額. 場 エ産. 工職 生. 大 阪. 東 京. 全 国. 12,591 328,283 1,848,248. 13,116 304,393 1,526,663. 85,174 2,369,277 10,836,894. (注) 前掲『大阪経済の基本統計」 より 作成 表 5 は昭和 5年と昭和 10 年の工業構造を比較した もので, 次のような構造的変化が 指摘できる。 かって 大阪工業を代表 して いた繊維産業の総生産額に占める 大 きさ は この 時期には 大正期よりはる かに 小さな ものになって いた。 昭和 10 年の生産額では, 繊維 は 第 1 位の地位を維持して いたとは いえ, 繊維にほ ぼ 同 じ ぐ ら いに拡 大 し た 金属を は じ めとする機械及び化学の総計としての重化学工業部門の 大 き さ は昭和 5 年の 46.5 % か ら昭和 10 年の 55.4 %へと拡 大 して いた。 工場数でも, 38.1 % か ら 43.1 %に拡 大 して い た。 工業構造の高度化がこの次期に確実に進展して いた ことを物語って いる。 昭和 10 年の 対全国比でみた 大阪と東京を比較 すると, 工場数では, 東京が優位に あったが, 峨 工数と生産額では, 東京を引 き離して, 大阪が 第一 位の地位を維持して いた (表 6 参照)。 し か し, 日 中戦争が勃 発した昭和十二年頃よりは, 政府の統制が強まり, 大阪経済の 自 由 な伝統にも陰りがみえ はじめ, 「東京の経済力が断然優位を示 し ,. 最早 大阪は到底. 東京に及びもつ かな い観がある」 と菅野 も 『新 大阪論』 のなかで述べて いる。 事実, そ の後の両者の動向 は逆転 して い く ことになるが, 日本経済が軍国主義の台頭を背景に重 化学工業を 中 心とする新たな工業化を急展開させ, その後, 東京への求 心力が政治的に も, 経済的にも形作 ら れ始めて いたと いえる。 言 い換えれば, 日 中戦争前の昭和前期は 経済力にお いて 大阪の優位がう かがえた時期であり, 構造転換への過渡期であったとい える。 それはまた産業的運命に直面 して いた時期ともいえる。 次のような指摘が思 い出 - 88 (242)-.
(19) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について ( 衣本) される。 「工業化が深まる過程で競争力を早期に失 う 性格を も つ 繊維( さらに雑貨) を 軸にして工業都市の地位を築 いた 大阪は, それゆえにこ そ, そ う でな い東京が, わが国 の工業化の進展ととも にその地位を高めて い っ た事実とは全 く 逆の経験を早々 と余儀な く され」ると い う 見解である呪 それでは, この構造転換の過渡期的諸相は, 大阪東部の工業化過程にお いて, どのよ う に投影させて いたのであろ う 。 以下にお いて, この点を 「全国工場通覧」から 考察し よ う 。 前述の表 3 は昭和前期 (4, 8, 12 年) の工場数を町村別に抽出 した も のである。 昭和4年当時,. 従業者 5人未満であ っ た経営が, 8年や 12 年には,. 5人以上の経営規模. になり, 『全国工場通覧」 に名 を 連ねる ことも , 大阪市 から こ の地域に流入 して, 新規 に 5人以上の経営規模で工場を経営 する ことも , 工業化の諸相と いえる。 各町村では, 若江村を除けば, 工場数の増 加傾向がよみとれる。 また, 大戸村は昭和4年, 昭和8年 に記載された工場が一つ も なか っ たが, 昭和 12 年には 9工場が数えられた。 総体 とし ての工場数は昭和 4 年の 197 工場 から, 8 年には 232 工場に増 加 し, そして, 12 年には,. 699 工場と昭和 4 年の 3.5 倍になっ て いた。 この 間, 布施町は昭和8年には高井田村と合併し, 12 年には,. 小阪町, 楠根町, 長. 瀬村, 弥刀村, 意岐部村を合併して, 布施市になっ て いた。 また, 昭和6年には, 東六 郷, 西六郷, 北江の三村が合併して,. 盾津村になっ た。 昭和4年の布施市域に あたる町. 村の工場数 は 101 で, 東 大阪市域に あたる全工場数の約 51 %を 占めて い た。 それが昭 和 12 年には 455 工場を数え, 全体の 65.1 %が西部地域の布施市域に立地 する結果になっ て いた。 工場数の増 加傾向 は 4.5 倍で, 東 大阪市域全体の増 加率, 3.6 倍を越えて いた。 同様の傾向を示したのは, 東部地域の隣接する二村, 枚岡村 ( 5倍) と縄手村 (4.3 倍) である。 東部地域の大きな工業集積地として拡大してきて いる。 そ こで, この二つの地 域を『全国工場通覧』 の内 容 から, 以下に お いて, 概観して お こ う 。. [布施市域] 布施市域に あたる, 昭和 4 年の町村の工場数合計 101 の内,. 「 その他の工業」で, 26 工場を数え. 次いで化学工業 (25),. 最も 工場数が多いのが, 金属工業 (23) となり,. 紡織工業は 19 工場で, この地域を代表する工業とは言えなか っ た。 この時, 2 工場に とどま っ て いた機械器具工業 は その後急速に工場数を増 加させ, 昭和 12 年には, 89 場となり,. 最多業種の 金属, 143 工場, 次いで化学の 100 工場を合わ せると, 機械.. エ 金. 属, 化学の三業種の工場数 は 332 工場となり, 布施市域の工場総数の 73 % を 占めるま a8) 辻吾ー著 「戦前期大阪の工業 : 統計資料による 若干の考察」 「経済学雑誌」 第 90 巻第 2 号 (1989. 7). 大阪市立大学経済学会. 96 頁。. - 89 ( 243)―.
(20) 第46巻 第 2号. でになっ て い た 。 最も, 重化学工業部門 と い っ て も, そのほとんどが大企業の活躍 するような業種では な い。 たとえば, 工場を数える。. 金属の場合, 鉄瓶や各種機械部品を製造 する鋳造所が 最も多く, 57 金網工場 も多く, 17 工場が記載されて いる。 鋲 ・ ネ ジ ・ ナ ッ ト を 製造. する工場 も 10 数える。 それ以外では,. ペ. ン先, ナ イ フ , 食器, メ リ ヤ ス針, フ ァ スナ ー ,. プ リ キ玩具等を製造 する鉄工所や 金属製作所がある。 化学工業では, 櫛 , 腕輪 , 眼鏡枠 等のセルロイド製品の製造 • 加工 する工場が 53 を数え,. 最も多く,. ゴ ム風船やゴム靴. 等の製造に 従事 する ゴム工場 も 10 工場 ある。 機械器具工業では, 旋盤等の 小型工作機 械や紡織用の機械部品, 自動車や自転車の部品, 各種バルプやガ ス メ. ー. タ. ー. ,. ミ シ ン部. 品等の製作に 従事 する多様な鉄工所がほとんどであ っ た。 昭和 12 年には代表的な地位 を霞化学工業部門に譲 っ て いた 「 その他の工業」では, 19 の釦製造工場がある。 紙紐 ・ テ ー プや紙箱等の紙製品 加工場が 9, ゴ ム 防 水布の製造工場が6, 作業服や子供服等の 縫製工場が 5, 傘部品製造工場が3, それ以外にも, 魔法瓶, 煙草用パイ プ, 文化人形, 学用品と い っ た雑多な製品の製造や 加工がお こなわれて いた。. ,. 表 7 布施工業の創業年分布表 (昭和 12 年). � 年 明治 大正. 7 14. 8 24. ,. 昭和. 1 -5年 昭和 6 年 7年 8年 9年 10 年 11 年 12 年. 不明 計. は. 金. 3 2 2. r. 37. 属. 5 8. ,. ,. 5 2 8 17 25 15 29 1 143. 3 5 8 7 8 11 22 3 89. 羹. 塩. 1. 4 14. 2. 15. i 品. 4 5 10. ,. 1 1 5. 14 11 13 1 100. (単位 : 工場数). 閾繋. 1. I l. 2 1 1. l l. 3. 7. l. 1 4. そ. の. 他. 1 16. 26 78. 7. 53. 4 3 10 10 8 3 7. 16 19 37 46 56 46 72 6 455. 69. (注) 前掲 全国工場通覧 」より 作成。 次に, 表7をみよう。 これ は工場の創業年を表にした ものである。 昭和 12 年当時の 布施工業を構成 する工場 449 (創業年 不 明 6 工場を除く) の内, 76.8 % に あたる 345 エ 場が昭和に入 っ て からの創業である。 特に, 世界恐慌後の昭和6年以降に創業した工場 は 246 と昭和期総数の 85 % を 占めて いる。 紡織工業の場合, 昭和 6 年以降に創 業 した 工場は僅 か7工場に すぎず, 過半数の 21 工場が明治 ・ 大正期の創業で あり, - 90 ( 244)-. 歴 史 が感.
(21) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について ( 衣本) じられるのに 対して , 重化学工業部門 は約 7 割が昭和 6 年以降の創業に集 中して いる。 新開地 と しての布施工業の 一端が若 い工場を担 い手にして いる こ と が観察される。. [枚岡 • 縄手村域] 昭和 12 年の枚岡村には , 100 工場の内 , 79 工場が 金属工業で, その 大半 が鉄線 , 鋼 線 , 銅線 真鍮線の製造 と 加工に 従事し, 線屋の村 と 呼ばれた伝統の継承が強 調される。 出荷製品で いえば, 49 工場が鉄線であ っ たが, 真鍮線や銅線の製造工場が 10, 鋼材 , 引抜磨 ボ ードやシ ャ フ ト , 鉄管等の 金属製品工場が 10, そ して主に鉄線 加工の メ ッ キ 工場が 4 あ っ た。 これら以外では , メ リ ヤ ス針,. ハ. ト メ , ナ ッ ト , 座 金 , 傘部品,. 金網. を製造 する工場 もあ っ た。 中河内郡の この地域では , ほ と ん どの工場は 「一経営者ーエ 場」であ っ たが, この村の 中川製線(代表者 : 中 川熊吉)は 第 1 工場 から 第 9 工場まで あ っ た こ と が記載内 容より明ら かである。 また, 代表者が違うが,. 同姓工場が西 田 , 入. 江 , 車谷, 横谷, 山下, 北川, 山西の7組 もあり, 地縁 • 血縁の工業展開の一端を示 す もの と いえるOi。 「昭和 6 年以降の創業」 と する工場は 金属工業の約半数に あたる 40 エ 場を数える。 生駒山麓の 水車工業 から発達して きた線屋の村に, 新 し い工業化の息吹が 感じられる。 また, 機械器具工業でも, 6 工場の内 , 伸線機の製造に 従事 する工場だけ が大正期の創業であり, その他の自転車部品製造工場 (2 工場), リ. ー. ド ワ イ ヤ ー 製作. 工場 (2 工場) および 紡績機械部品工場は いずれ も 「昭和 6 年以降の創業」 であ っ た。 金属工業に次いで工場数が多か っ たの は「その他の工業」 で, 9工場を数える。 その内 , 歯プ ラ シ やその他のプ ラ シ等に使用 する豚毛を整毛 する工場が 6 あ っ た。 それ以 外では, カ レ ン ダ ー , 包装紙 , 釦の各工場である。 他 方 , 縄手村 は別名バ リ カ ン の村 と して有名であ っ た。 し か し枚岡村の様に 金属工業 の突出型 と 違い ,. 金属工業 (15 工場), 機械器具 (11工場), 化学 (1 0工場)がほ ぼ 同. じ程度の活動を して いた。 これら三部門で村の工場総数の 70 %になった。. 金属工業で. は , 理髪用 ジ ャ ッ キ やハ サ ミ の製造 と モ ン キ ー レ ン チ やペ ン チ , 銑鉄 はさみ と い っ たエ 具製造が主力 と なって おり, 明治 , 大正の創業が多い。 他に鉄線 , メ リ ヤ ス針, 建築 金 物を製造 する工場が各 l 工場 あ っ た。 機械器具I業では , タ ッ プ , カ ッ タ ー , 機械工具, 電気バ リ カ ン , 織物機 , ガ ス器具等が製作されて いたが, 1 工場( 創 業 大 正 15 年) を (19) 地縁的, 血縁的 な 繋が り を特色 と す る 産地について. 次 ぎのよう な 指摘が あ る 。 主 な工場の幹部 の多 く は そ れぞれお互いに姻戚関係に あ り , そ の人的な交錯 は複雑で, 伝統あ る 線屋 に は, 地元で は. 何々 一族 と 呼び習わ さ れていた。 そ れだ け業界 は排他的で あ り , 経営者は保守的で あ っ た と い う 。 (前掲r 鐵鋼二次製品の工業の実態 」 22 頁参照) - 9 1 ( 245)-.
(22) 第46巻 第 2 号 除けば, 昭和 10 年前後の創業 と い う 若 い工場で構成されて いた。 化学工業では. 歯プ ラ シ等のセルロイ ド 加工 と . サ ン ド ペ ー パ ー 等の紙製品 加工の二様の工場があ っ たが, 機械器具工業 と は 対照的で . 明治, 大正の創業が多 か っ た。 「 その他の工業」 は 枚岡村 と 同じで 9工場を数えるが, 藤椅子等の家具工場 (4工場)や義手の製作に 従事 する研 究所は枚岡村には見 ら れな い工場であ っ た。 他には . 整毛工場, 紙缶工場 と 釦工場 (2 工場)がある。 最後に, 両村の工場を合わせる と , 151 工場になる。 その内の 73 工場が 「昭和 6 年 以降の創業」 であ っ た。 新 し い工業化 エ ネ ル ギ ー が大阪に隣接する西部地区の布施地域 では 70 % (工場数) であ っ たが. それに比べる と 50 % と い う 割合 は低 いが, この東部 地区にも, 昭和 12 年になる と ,. 金属 ・ 機械器具工業を 中 心に新 し い工業化がよ う やく. 地域形成の 大きな力 と なり始めた こ と を物語 っ て いる。. 5. 結 び に 代 え て —工業化の特徴_ 東 大阪市域の昭和前期の工業化動向の一端を抽出 する作業 と して, 『全国工場通覧』 よ り, 町村別に工場を整理してみた。 村単位の工場数の 把握は通常 発表されて いる統計表で は 把握できな いが, この通覧 は名簿である こ と か ら , 村の 大字までの所在地が記載されて 代表者名が掲載されて いるだけで, それ以 いる。 それ以外には, 創業年 と 主要製品 および 上の情報をくみ取る こ と ができな い と い う 限界があるが, この時期に地域を代表する工場 がどのよ う な活動をし始めたの かを知る手掛 かりになっ た。 これまでの 考察 か ら , 次のよ う な点が要約できる。 (1) 東 大阪市域の昭和前期の工業化動向の特徴 は二つの 発展軸 か ら 成る。 その一 つは 大阪東部工業地帯に隣接する布施市域であり,. もう 一 つ は生駒山麓の 水車工業に起源を. もつ枚岡 • 縄手村域である。 布施市域 (455 工場)及び枚岡 • 縄手村域 ( 151 工場)を 中 心にした工業展開は顕著であ っ た。 この両地域だけで, 86.7 %に あたる 606 工場が集 ま っ て いる こ と になる。 その内の 60 %に あたる 365 工場が昭和 6 年以降の創業である。 (2) 業種的に,. 金 網 , 鉄線, 鋳物, 釦等の いわゆる 金偏工業が中核になっ て, 伝統 あ. る撚糸工業や新参入のセルロイ ド 工業が産地を形成 して いた と ころへ, 新たに機械器具 工業やその他の多様な都市型工業が参入し, 東 大阪市域に点 在 する形で展開してきた村 単位の工業化が一気に面的展開を推進 したのである。 その 原因は一つには, 阪神工業地 帯を 中 心にした機械需要の増 大が投影して, 各種機械 加工や部品製造に 従事 する鉄工所. - 92 ( 246 )-.
(23) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化について ( 衣本) や鋳造所, 金属製作所等と いう工場の活動領域が広げられてきた こと。 二 つには, 大阪 都市圏のイ ン ナ ー リ ン グ部 分への組み込みが鉄道や電気事業により進展し, 宅地化とと もに都市型工業の活動領域へと近郊農村部を変えた こと。 その結果, 多様な日用品雑貨 の製造や自転車やラ ジ オ・ ミ シ ン等の民生用機械製品の製造や 加工が進展したのである。 要 するに, 現東 大阪市域の昭和前期の工業化に関して いえば, 昭和4年段階でみたエ 業化 は もっぱら西 から東に向 かっての 「途 上」であったが, 「満州事変」 を経て日 中戦 争へと突 き進む軍需依存型経済の高まりが強 く 感じられる頃には, 大阪経済の周辺部へ の工業化は全面的な広がりになって浸透し, 特に, 布施地域と枚岡縄手地域におけるニ つの展開軸が形成される勢 いであった。 (3) 東 大阪市域には, 明冶 から 大正期にかけて, 鋳物・ 金網 • 鉄線・ 理器と いった金 属工業が地場産業として 一定の集積をして いたという土地柄が素地になって, 工業構造 の高度化は 確実に浸透した(表3参照) 。 昭和 4 年当時, 工場の多い順に並べ ると, 「 そ の他の工業」, 紡織, 金属, 化学, 機械器具であった。 その 上位二業種の軽工業が工場 数の過半となる 53.7 %を 占めて いたが, その比率 は昭和 8 年には 40.9 % に低下し, 昭 和 12 年には 28.4 %にまで落ち込んで いた。 逆に, 金属, 化学, 機械器具の重化学工業 部門 は, 昭和 4 年の 43.7 % から, 昭和 12 年には 68.6 %にまで拡 大して いた。 東 大阪市 域での重化学工業化の進展の一端がう かがえる。 特に,. 最も工業集積が進んで いる布施. 市域の場合は, 重化学工業化率 は 73 %であった。 また枚岡 • 縄手村域では, 線屋の村・ バ リ カ ンの村の伝統が核になって, さらに高 く 82.1 %であった。 (4) もっとも, 地域で活動 する工場群が童化学工業化したとして も, 地域の住民が巨 大な資本による生産設備に驚 かされると いうのではな く , その多く は 中小工場である。 そして, この周辺に, さらなる零細な規模の工場が存在し, 生産の裾野を形成させて い た ことが指摘できる。 たとえば表8 は表3と 同 じ時点の 「布施市の工業統計」である。 表 3 で把握できた 455 工場に 対して, 表 8 には 1 134 工場と 2.5 倍の工場数の存在が示 ざれて いる。『 全国工場通覧 』が 「五人以上の職工を使用 する場合の工場の工場主より 提出せる 調査票」を もとにして作成された ものだけに, 場合に因っては, なんら かの理 由により工場主より提出されな い場合 もあるが, 政府(商工省)が 「工場統計規則」に もとづ いて実 施した 調査である ことを勘案 す れば, 有力工場の掲載率は高 く , そのよう な事例 は少なかったと考えられる。 したがって, 両表の差,. 679 工場の すべてではな い. がその 大半を 5 人未満の規模の個人経営の零細工場が占めて いたと考えられる。 このよ うな零細工場の集積 は布施市域が都市化に必要な人口集 中の基盤となる コ ン プレ ッ クス・. - 93 ( 247 )-.
(24) 第46巻. 第2 号. エ リ ア を内在させ , 「特色 ある産業地域社会 」を 形 作 りつつ あったとい える⑳° また.. 枚岡村では. 昭和11 年の数字 であるが,. 工業の戸 数101 であり , 従業員 も. 1012 人であった。1 工場数当 たり10 人という規模であった丸 『 全 国 工場通覧 」 では , 昭和12 年の数字 であるが , 100 工場が把握 で きる。こ のような 掲載率の高 さは 伸線工 場を中心にし た村であるこ と , また規模的に零細 な工場といっても , ある程度 の規模が ないと 鉄 線. 針金 等の二次製品の製造• 加 工に従事で きなかったのである。こ の当 時枚. 岡村の農家戸 数は199 で ほ , ぼ工業の2 倍 であった。要するに , 東大 阪市域の工業集積 の動 きは布施 市域のように地域社会 の生活の中に溶 け込 んで 混 在する町工場や枚岡村の ように 「野良仕 事」 と 接 する村工場の集積といった 中1j渇諄旧 工業を中心とするものであっ た。 表8. 昭和 12 年布 施市の工業 (昭和 12 年 12 月 31 日 現在 ). 組織 別・ 業種 紡織 工業 金属工業 機械器 具 工業 個 窯業 化 学工業 製材 及木 製品工業 印刷業及 製本 業 人 食料品工業 その 他 の 工業 個 人総 数 紡織工業 金属工業 機械器 具 工業 法 窯業 化 学工業 製材 及 木 製品工業 印刷業及 製本 業 人 食料品 工業 その 他 の 工業 法人総 数 個 人 ・ 法人総 数. 工場数 88 223 117 18 141 50 5 157 206 1,005 7 37 39 1 25 2 1 2 15 129 1,134. 従業 者 数 600 1,410 823 1 12 945 1 14 6 311 1,121 5,442 205 757 1,670 202 427 43 5 62 314 3,685 9,127. 年 間生 産額 (円 ) 2,261,251 5,161,733 1,411,724 237,229 2,796,579 189,990 5,350 419,327 1,222,420 13,705,603 1,453,506 2,821,178 4,965,773 1,393,829 3,080,142 1 10,020 22,127 127,000 1 ,678,231 15,65 1,806 29,357,409. 11 月 発行 (注) 1 . 資 料 「布 施 市 土地 賽典 」 和 昭 13年 75 頁より 引用 商 工会 議所編「 東 大阪 商 工会 議所五十年史 』 2 . 東 大阪 (5). かくし て , 東大阪市域に集積した 中小零細 工場群の 存在は , その生産内容 から,. 次のような特徴がうかが える。 1) 大阪工業の工 業化高度 化に伴 う機械需要の高まりと, 都市 化の拡 大に伴 う雑多な需要の発 生に対応 し た , 都市型工業とし ての特 化 , 2 )釦やセ ルロ イ ド 製品のように外貨獲得 のた めの輸出工 業としての商品特 化, 3 ). 産業の米 と し. QO) 板倉勝高 • 井 出 策夫 • 竹 内 淳彦著 『 大都市零細工業の構造 」 新評論 , 1973年 3 月, 168 - 169 頁 参照 。 ⑳ 前掲「 鐵鋼二次製品工業の 実 態 J 11 - 17 頁参照 。 - 94 (248 )-.
(25) 戦前昭和期の大阪府郡部の工業化に つ いて ( 衣本) ての鉄鋼の二次製品, 三次製品の 加工基地への特化, を主に内 容とする 「 ものづくり」 領域の広まりを意味する。 言 い換えれば, この当時の東 大阪市域に展開 し た重化学工業 化は, 大阪工業の近郊農村への外延的展開とし ての活動がその地域の特性を生 か し た雑 多な中小零細工場の集積を内実とする ものであった。. - 95 ( 249 )-.
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