「リューベック法」研究のための一つの覚書
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(2) 個. うと す る も ので あ っ た 。 し か し 、筆 者 が 次 第に 痛 感 せし め ら れ る よ うに な っ て き た こ と は 、こ の よ う な研 究 方 法 が 、. ,うヽ 質 的に も 、 量的に も 、 多 様で か つ 膨 大な 法 史 料 を伴 う、法 の総 体 の全 体 像 の解 明 1 ‘ 「 リ ュー ベ ック 法 」 と し. 人の研 究 で は 、 実 際に は 、 その 全 体 の 、さ ら に ほ ん の一定 部 分 、に つ い て し か 及 ばな い ので は あ る が ー� に は 、 方法 ー 論 的 な 観 点 か ら も 、 必 ず し も 十 分 と は 言 え な い と い うこ と で あ る 。. し か し 、 そのよ うな 未 熟 な 、手 探 り 的な 手 法 と は 言 え、研 究 の 成 果 が 、 多 少な りと も 、 蓄 積 さ れ て く る と 、筆者 の. こ れ まで の研 究 が 一 体 何 を明 ら か に し て き た のか を総 括 し 、 そし て 、 そこ か ら 導 き だ さ れ た 結 論 を今 後 の研 究 の基 礎. と し て 役 立 て て み た い と も 思 う よ う に も な っ た の で あ る 。 大胆 な 言 い 方 を す る と 、 こ れ ま で の 研 究 成 果 を 踏 ま え 、 自. ら のオ リ ジナ ルな 研 究 視 点に 立 ち 、 一定 の研 究 方 法 を用 い て 、 幾 分 体 系 的な 研 究 を試 み る 必 要 に 駆 ら れ る よ うに な っ. た ので あ る 。. 本 来 な ら ば、筆者 は こ こ で 、 まず 、 自 ら のこ れ まで の研 究 を総 括 し な け れ ばな ら な い ので あ ろう 。 し か し 、 最初に. 述 べ た ご と く 、筆者 のこ れ まで の研 究 の不 十 分 な 体 系 性 を反 省す れ ば、 それ は 余 り生 産 的で は な い ので 、 こ れ は 断 念. し よ う。 むし ろ 、こ こ で は 、 最近 の 筆者 の 研 究 の 過 程 で 次 第に 、曖 昧 さ を伴 い つ つ も 、浮 か び 上 が っ て き た 筆者 の素. 朴 な 問 題意 識 を、今 後 の理 論 的な 研 究 の基 礎 と す る た めに 、 幾 つ か の 視 角か ら 検 討し て み た い と 思 う 。 こ の 検 討が 、. あ る 意 味 で は 、 筆者 の 未 熟 な 研 究 の 総 括 と な り う る か も し れ な い 。 こ こ で 取り 上 げ る 論 点は 甚 本 的に 以 下の二 点に つ き る 。. 第一 に 、 前 述 の 筆者 の 問 題 意 識 を法 史料 に 則 し て 、 再 度 、 検 証し 直 し て み る こ とで あ る 。こ れ は 、 その 問 題意 識. に 、 現在 、管 見し うる リ ュー ベ ック 法 史料 が 十 分 に 答 えて く れ る か ど う か を確 認す る こ と を意 味 す る。 よ り具 体 的に. - 92-. 近畿大学法学 記念号.
(3) t. キ、 .. . . . .. 筆 者 は 、 何 を 対 象 と し て 、 ど の よ う な 手 法 に よ っ て 、 何 を 、 ど の 程 度 解 明 し う る か と い う 、 今後 の 研 究 の た め. の 基本 的 な 研究 視点 を 確 立 す る こ と で あ る 。. 第 二 に 、 筆 者 の 提 起 す る 問 題 意 識 が こ れ ま で の リ ュー ベ ッ ク 法 研 究 史 上 に お い て 、 ど の よ う に 検 討 さ れ 、 そ の 結 果. と し て どの よ う な結 論 が 導 き 出さ れ て き て い る の か 、 と い う こ と 、 換 言 す れ ば ‘筆 者 の 問 題 意識 に そ っ て 、 こ れ ま で. の 「 法 史 学 」 者 の 研 究 を た ど っ て み る こ と で あ る 。 そ れ に よ っ て 、 筆 者 が 今後 何 を 前 提 と し て 研 究 に 取 り 組 ま ね ば な. らな い か が 明 ら か に な る は ず で あ る 。. た だ し 、 こ こ で は 、 紙 数 の 関 係 で 、 近 代 以 前 の リ ュー ベ ッ ク 法 研 究 に つ い て の み 言 及 し 、 十 九 世 紀 以 降 の 研 究 に つ. 註. 山 拙稿「 中世都 市リ ューベックの法史料について」 、「近大法学」、 第 三五 巻、第 三•四 号において、筆者はリ ューベック法史 料 を総花的に扱っておい たが、本稿で取り上げる史料も基本的にはそれらの史料と同 じである。ただ、ここでは筆者の問題関心に そってさらに詳 説するつもりである。. ② 筆者 のリ ューベ ック法、 特に 不動産法に関する論考は、 残念ながら、それほど多くはない。「中世都 市リ ューベックにおける レンテ売 買について」、「阪大法学」 、 第 一〇 九号、「リ ューベック法における家 財産に対 する家 族法的な拘束」 、「近大法学」 、第 三四 巻、 第 一・ニ 号、「 中世 末期リ ューベックの都 市法典における不動産に関する条文につい て」 、「 近畿大学法学」、第三七 巻、 第 一・ニ 号。この内、最初の二論文は、基本的に、 ドイ ツの研 究者の研 究に依拠 しながら、自分の理論を組み立ててみようとし た試論であり、それらの拙稿において、筆者は、結局、前提とした研 究の枠組みから抜け出 すことはできなかったように思 う。 しかし、これらの論考を通して具体的に法史料に当たり、独自の問題設定に基づく研究の必 要性を痛 感したのである。. 法. - 93-. い て は 次稿 に お い て 論 じ る こ と に す る 。 「リュ ーベ ック 」研究のための 一 つの覚書.
(4) 二、 不 動 産 法 に 関 す る 法 史 料. 筆者の研究課題 を設定する前に、 その研究対象となる 「リュー ベ ック 法」自 体を法史料 に そって再検 討しておこ. う。 既に、前節において述べたごとく、 膨大な史料群を伴い、 近代法のような体系性を十分に備えていないリュー ベ. ック法を前にして、「リュー ベ ック 法とは何か」 と 問うこと自体が、 余りにも大雑把な表現と言わざるを得ない。以. 下において、まず、筆者が解明し ようとするリュー ベ ック法ーー 特に不動産法分野ーー↓は‘ 史料的には、何を、 どの. 程度、その分析対象として包含しうるのかを、さらに、その際の問題点についても、検討してみよう。. 筆者が研究対象とするのは、リュー ベ ック法を客観的に記述したものとして‘我々の眼前に残 されてきているI. あるいは、そのように見 なしうるよ うなーー同法の記録である。より具 体的には、主に法典、法典に類似した法書、 a 判決記録、 都市帳簿等である。従って、法的な記録ではない、法理論や法学説等の、いわゆる「法学 イデ オロギー 」. に関する文献史料はここでは、 原則として、問頗とはならない。なぜなら、中世リューベ ック においては、これに関. する文献はほとんど無く、 それらの文献が、 史料的にも明白に、 登 場するのは十 七、 八世紀頃の「リューベ ック法. 学 」に代表される人々の作品においてであるからである。ただし、 客観的なものと見なされる中世の法史料から法学. イデ オロギー 、 例えば、判決の中に登 場する訴訟代言人のそれ、を読み取ることも全く 不可能ではないし、必要に応. じてはそのような作業も生じうることがありうることまでも否定するものではないが、差し当たり、 筆者の不動産法 研究の対象となるのは法記録であるということである。. - 94-. 近畿大学法学 記念号.
(5) ところで、この法記録は、内容的に、大きく二つに分類 されなければならない。 即ち、 ―つは公法 、私法にまたが ② る法典類 であり、も う― つは判決記録と市民の不動 産法行為そのものに関する法史料 である。. 市参事 会制定 法と し て の「 法典」類 の史料 的な価値と 問題点. 前者の法典類に 記載された規定は、 その成立由来を考慮 すれば、 市参事会に よって 制定 された法ということにな. る。それらの規定は、本来はリュー ベ ック の市民集 会である定期裁判集 会においてリュー ベ ックの市民共同 体全体の. しかし、 それらの規定が 実 際に法典化 されるようになったのは十三世紀半ば以降であり、この時期には、市参. 法として決定されたものとされる。従って、論理的には、リュー ベ ック 市民の創造した法ということになるのである. ヽ. 2. ‘ . ヵ. 事会は市内において権力 的な機構としての地位 を確立させ始 め、 原則として、市参 事会が法制定 権をも獲得していた. より的確であ ろう。. 市参 事会員I. によって記載されたと い うことを意味 するものではない。それらは、しばしば、市. しかし、さらに厳密 に言うならば‘それらの法典類が市参事会の制定法であると言っても、それらが常に市参事会. の構成員自 体i. 書記と呼ばれる、 いわゆ る「 官僚」 によって編集 されている。従って、それらは彼らの作品であって、そこには、彼. らの法観 念あるいは法学 イデ オロギー が反映され ていたであろうことが十分に考えられる。とはいえ、市書記の誰が. どの部分を記載したのかを特定することは困難であり、たとえ、それが特定されたとしても、 通常、その記載者自体. に関する情報がほとんど欠落しているから、この検 討は、 原則として、放棄せざるを得ない。従って、本稿では、差. - 95-. H. と言われているから、これらの規定はリュー ベ ック 市民の法とい うよりも、むしろ市参 事会の制定 法と見なすほうが. 「リュ ーベ ック法」研究のための 一つの覚害.
(6) し当たり、この種の法史料は、リュー ベ ック市参事会が、現実 の、不動産をめぐる法的な争いについての法的な解決 ③ の中から、適切あるいは重要と認定した法文を規範化 させたものと規定することでとどめておこう。. 以上のような、法典類が有している「法源 」としての法的な性格 を前提として、法典を姐上に載せ、その中に存す. る法規 範の構造を、前述の問題設定にそって、探ることになるが、その際に、方法論的にも注意しておかねばならな. いことがある。それは、語学 上の困難さはさておき、リュー ベ ックの法典類の中のどれか―つを採り上げ、それにつ. いての分析のみで前述の問題に十分答えることが可能であるとは言えないということである。これは特に以下の二つ の阻害要因のために生じる。. 第一に、 中世リュー ベ ックの法典類の 不十分な 体 系性のゆえに、 個 々の法史料において、しばしば条文の繰り返. し、 あるいは矛盾する条文の併 存、 さらには既に廃棄されたと思われる条文の 残 存が見られるからである。 第二に. 二世 は、中世リュー ベ ック法は超 時代的に不変·固 定的に存在 した法ではなく‘それは時代とともに、 即ち、ほぼ十 一. 紀から十六世紀末に及ぶ約 四百年の間に、内容的にも次第に変遷 しているからである。. 従って、 ―つの法典を採り上げるとしても、その前後の法史料によって内容的に補充されなければ、その真意 を忠. 実 に理解することは困難なのである。しかも、法典類に関する限り、初期の法文が後の法典でもかなり忠実 に再現さ. れていることが多いので、 ―つの法典の内容が、 時代とともに、 論理的にも、 どのように変遷 していったのか、即. ち、ある ―つの条文が、後の時代にも存続しているのか、あるいは消滅しているのか、それとも別の抽象的ないし具. 体 的な用語によって補足 されているのか、はたまた書き寵されているのか、を跡づ けることはそれほどむずかしいこ. とではない。この点では、むしろ法典類の保守性が個 々の条文の解釈 を容易にしていると言える。 以上の操作によっ. - 96-. 近畿大学法学記念号.
(7) 「リュ ーペ ック法」研究のための一つの覚害. て 、 最 初 の 、本 来 の 当 該 条 文 の 意 味 も 確 定 す る こ と が で き る の で あ る o. さ ら に 、 必 要 に 応 じ て は 、 こ れ は 、 後 述 す る 市 参 事 会 の 判 決 や 「法 の 教 示 」 に よ っ て 補 わ れ な け れ ば な ら な い 。 後. 者 の 法 史 料 は そ れ が 付 与 さ れ た 都 市 、 い わ ゆ る 、 リ ュー ベ ッ ク 法 都 市 に 保 管 さ れ て い る の で あ る か ら 、 前 述 の 作 業 に. は リ ュー ベ ッ ク 市 の み の 法 史 料 で は 決 し て 十 分 で は な い こ と も ま た 注 意 さ れ ね ば な ら な い の で あ る 。. こ れ ら の 研 究 の 積 み 重 ね に よ り 、 そ し て そ の 成 果 が 総 合 さ れ る こ と に よ っ て 、 リ ュー ベ ッ ク 市 参 事 会 の 制 定 し た 不. 動 産 法 の 規 範 的 構 造 と そ の 変 遷 過 程 の 認 識 に 到 達 し う る こ と に な る の で あ る 。 ―つ の 法 典 に つ い て の 検 討 は 、 中 世 の. あ る 特 定 の 時 期 の リ ュ ー ベ ッ ク 法 の 存 在 形 態 に つ い て の 解 明 で は あ っ て も 、 中 世 リ ュー ベ ッ ク 法 全 体 の 法 的 構 造 の 解. 明 と は 言 え ず 、 そ の 出 発 点 に す ぎ な い の で あ る 。 勿 論 、 そ の 検 討 の 際 に 、 背 景 に あ る 社 会 ・経 済 ・政 治的 状 況 が 常 に. 市 民 の 不 動 産 法 行 為 に関 係 す る 法 記 録 の 史 料 的 な 価 値 と 問 題 点. 考 慮さ れなけ れば なら ない。. n. 前 述 の 法 典 、 あ る い は 法 典 類 似 の 法 書 は 、 本 来 は リ ュー ベ ッ ク 市 民 共 同 体 の 法 と い う 法 的 性 格 を 有 し て い た で あ ろ. う が 、 実 際 に は 市 参 事 会 立 法 の 結 果 と し て 登 場 し て き て い る か ら 、 そ れ ら は リ ュー ベ ッ ク 市 全 体 の す ぺ て の 法 で あ っ. た と 即 断 す る こ と は で き な い 。 さ ら に 法 典 の 条 文 が 、 多 少 の 変 遷 は あ る も の の 、 後 代 の 法 典 に よ っ て も 跡づ け ら れ る. と い う こ と は 、 逆 に 内 容 的 に 考 え る な ら ば 、 市 参 事 会 が 初 期 の 法 文 を 数 百 年 に わ た っ て リ ュー ベ ッ ク 法 と し て 認 定 し. 続 け た と い う こ と に な る 。 そ う で あ る と す れ ば ‘ お そ ら く 、 市 民の 問 で は 、 前 述 の 法典 に 記 載 さ れ て い な い 法慣 行 、. いわ ゆ る 、 社 会 関 係 に 内 在 す る 行 為 規 範 も 存 在 し て い た の で は な か ろ う か 、 そ し て 、 そ れ ら は 時代 の 変 遷 と と も に 前. - 97 -.
(8) 者の法規から一囮 乖離していったのではなかろうか、という推 測が成り立ちうる。. この疑問の前提には、リュー ベ ック 都市共同体 の内部における市参事会と市民との関係の 、歴史的展開に伴う変遷. がある。もし、 市参事会が常に市民の各階層と一体であったならば、 即ち、市参事会が市民の代表機関の地位 に留ま. るならば‘このような疑問はそれほど重要ではあるまい。なぜなら、市参 事会は市民の間に存在 する行為規範を常に. リュー ベ ック法として認定するだけでよく、 そこには公認されたリュー ベ ック法と行為規範との麒嗣が生じる可能性. は低いからである。 しかも、 不動産に関する法行為は、 大抵、 市参事会の面前での履行を要求されていたからであ. る 。しかし、そのような一体感が崩れ、市参事会がリュー ベ ック市の統治機関としての地位 を確立するならば、 法的. に言えば、市参事会が独 占的に立法、行政、司法機関として機能するようになるのであれば、 前述のような疑問が必. 然的にわきあがってこざるをえない。このような疑問に一定の解答を与えようとすれば‘法典類のみでは史料的に不. 十 分であり、そのような行為規範が看取されうるような史料によってさらに補われるべきである。これに役立ちうる. と思われる法史料が、判決記録と市民の不動産法行為そのものに関する記録である。. まず、判決記録についてであるが、 現在 でも我々が手 にしうるのは、 主に、市参 事会判決のみである。それ以. として、いかなる判決を下しているのかであり、さらに、 それらの「権利 」主張や判決内容は時代とともにどのよう. 告である当事者は、どのような不動産について、いかなる「権利 」主張を行い、それに対して市参 事会は、何を根 拠. 市参 事会判決記録に対しては以下の研究作業が施されねば ならないであろう。 即ち、 裁判において 原告あるいは被. 外の下級 審の判決はほとんど紛失 してしまっている。なお、 市参 事会判決にはリュー ベック 法都市からの控 訴に対す 囚 る判決、さらに広義では、前述の「法の教 示」 も含まれる。. (1). - 98-. 近畿大学法学 記念号.
(9) に変化 したかである。. この作業によって、 裁判の当事者の主張の中に、時期的に対応する法典類には規定されてはいないが、市民の間に. 慣習的に存在 し、次第に変化 していく行為規範としてのリュー ベ ック法が読み取れる可能性がある。これらの、判決. から導きだされた行為規範は、 訴訟の過程で、その妥当性について最終 的には二つの方向 へ分化 する。 ―つは、市参. 事会の判決によってその妥当性が否定される行為規範である。この場合、それは市民の間ではなお妥当し続けるかも. しれないが、少なくとも、当分の間はそれが公の法史料において登 場する可能性は極 めて低いであろうから、 我々が. - 99 -. それをこれ以上追及することは困難である。も う ―つは、その妥当性が判決によって肯定される場合であり、この 場. 合には、それはもはや単なる行為規範ではなく、市参 事会の認めたリュー ベ ック 法となる。これは、前述の法典類に. 追加的に記載されるか、あるいは記載されなくとも、言わば‘法典を補う先例として機能することになるであろう。. ただし、市参 事会判決の記録の解明において全く研究上の問題 がないわけではないのであって、特に、以下の二点. 第二に、市参 事会の判決も、常に、理性的、論 理的、客観的に下されているのではないことである。 即ち、当事者. 補いえないことも多いのである。. の間には、しばしば、時代的なずれが存在 するのである。それゆえ、その研究成果は法典類についての結論を直接 に. ‘ . o それ以前 については史料はほんのわずかである。多 くの判決の下された時期と、前 述した法典類の成立時期と なし. 期は、中世全般に及ぶものではなく、 エー ベ ルによれば‘ ほぼ十五 世紀末以後から十 六世紀半ばに属しているにすぎ. 第一に、その史料の残 存状 況が良好ではあっても、それは他の史料に比較した場合のことであり、しかも、その時. が注意されねばならない。. 「リュ ーペ ック法」研究のための 一つの覚書.
(10) の主 張も 必ずしも首尾 一貫 しているとは限らないし、判決もまた同様の事 情が反 映していたであろうし、あるいは市. 参事 会が意図 的に最 終的な判決を避 ける場合もあったであろう。 従って、判決から論理 的にリ ュー ベ ック法を推 測す. る こともまた決して容 易ではない場 合がかなり多いのである。. ( II. 裁判規範)は、前 述の法典類に関する結論を十分に補いうる. 以 上の問 題点が存在する ことに考 慮が払われるならば、市参事 会の判決から帰納 的に引き出 された行 為規範に関す. る結論、 特に市参事 会によって公 認された行 為規範. ものとなりうるであろう。. 次に、もう―つの重要 な法史 料、 即ち、市民の不 動産法行 為 そのものに直 接関係すると思われる法史 料につい. ー. 例えば、 質ー が. は、 可能なはずであるが、 この法史料もまた市参事 会の判決記 録と基 本 的に同じ、 ひょっとすれば、より困 難な問 題. 決も登記 されている。 さて、 これらの 法史料からも前 述の 行 為規範としての不 動産法を読 み取る ことは、論理 的に. ー. 登記 されている「 ニー ダー 都市帳 簿( N rS5dt i e de b uch) 」 である。 なお、後者の都市帳 簿には前 述の市参事 会の判. れる不 動産登記 簿、もう―つ は、不 動産に関する法行 為であっても、 債権 債務に関する法行 為i. ュー ベ ック市内の不 動産に関する物 権 的な法行 為が登記 されている「 オー バー 都市帳 簿( O be rSsdt buch) 」と呼ば. に様々の都市帳 簿が完 備されていたが、 我々の問 題関心にとって重要 なのは以 下の二つの都市帳 簿である° 即ち、リ. まず、前 者の都市帳 簿についてである。 周知のごとく、中 世リ ュー ベ ックにおいては多くの法行 為を記 録するため. 市帳 簿と遺言のみである。. てである。 現在までの史料の残存と研究の進展状況から判断すると、 我々が、 差し当たり、研究対 象としうるのは都. (2). を抱 えており、 その検 討の際に以 下の点が注意される必要 がある。. -100-. 近畿大学法学 記念号.
(11) そ の問題 とは、前述 の都市帳簿は、具体的には 、市参 事会庁舎におい て二人 の市書記 ( s chr ei ber )によっ て S5dt 矧 管理され ていた のであ るが、 不動産法行為 の 登 記 の際に、 市参事会によっ て 公認された法行為 のみが登 記された の. か、 それとも、市民 の間に存在 する行為規範とし てのあらゆる法行為は、何ら の審査も なく‘登記された のか、とい. うことである。例えば、もし、法典類に規定され ている のとは異なる法行為が帳簿に登 記され ている場合、 それは単. なる行為規範であった のか、 それとも、 それは市参 事 会が 公認したリュー ベ ック 法を 補う規範であった のか、であ. る。. こ の問題 は、 端的に言えば、 登 記行為 が 不 動産法行為にとっ て いか なる機能を果たし てい た のかということ、 即. - 101 -. ち、登記強制、登 記 の証拠力 、登 記 の設権行為的 な効力 等 の問題と関連し ている。しかし、 そ の解答は登記 そのも の. からは引き出すことは困難 なようである。しかも本来 のリュー ベ ック の法典類にも登 記に関する規定 は少ない。 そ の. にも思われる。いずれ にせよ、こ の場合もまた市参 事会 の判決記録につい て論じ たことが妥当する のである。. リュー ベ ック法に従った法行為か、あるいは それを補う規範に従った法行為であった可能 性 が高いと推定しうるよう. で完了し ていたことを考慮する なら ば、登 記された法行為 の内容は、 単 なる行為規範では なく、市参事会 の公認する. ただし、 都市帳 簿 の設 置場所と、 通常、不動 産に関する大抵 の物権的 な行為は、登 記 の前に、 既に市参事会 の面前. 考察に依らない限り、 その首尾 一貫した説明は容易ではないようである。. の問題 に直接 的には答え てくれ ない。結局、 市参事会による市統治 の推 移と都市帳 簿制度 の展開と の歴史的 な関 連 の. と、 そし て差し当たりは当面する争い の解決という裁判自 体 が有する固 有 の限界性によっ て、こ の法史料もまた我々. 主要 な判断材料 の ―つは前述 の市参 事会 の判決記録である。しかし、前述した、 こ の判決記録 の持つ時代的な制約 性. 「 リ ュ ー ベ ッ ク 法」 研究の た めの一つの覚書.
(12) m. 遺言 に つ いて も 、 都市 帳簿に つ いて 述 べ た こと と 同様 の こと が 妥 当す る 。十 三世 紀 末 の リ ュー ベッ クの 「キー ル法. 完全 な 市 民権 を有 す る 都 市 住 民と 推定 さ れ. 典 」 は 、 遺言 に つ いて 、 第 一 六 二条 で規定 し て い る。 それに よ れ ば 、 遺 言 は 二人の 市 参 事 会 員 の 立 会 いの 下に 行 われ. I ね ばな ら ず 、も し 彼ら が 立 ち 会 う こと が できな い場 合 、 二 人の 在 住 民. る — ー が 彼らに 代位 し 、 この 場 合 、彼 ら は 銀十 マルク以下 の 処 分 に つ いて の み 証 明 し う る とさ れ た° 従 って 、 この 規. 定 に よ る 限り 、 遺言 も ま た、 争 いのな い処 分 とす る ために は 、 公的 な 行 為 と し て の 形 式 を 取 ら ざる を 得 ず 、 結 果 とし. て 公的 な リ ュー ベッ ク法 が 遵守 さ れ ねばな らな か った であ ろ う 。 即ち、 史 料 とし て 残さ れ た遺 言に 記さ れ た処分 行 為. の 内容 は 、 単な る 行 為 規 範 ではな く 、 市 参 事 会 の 公認す る リ ュー ベッ ク法に 従 った法 行為 か 、 あ る いは それ を補 う 規. ま とめ. 範 に 従 った法 行 為 であ った 可能 性 が 高 いと いう こと であ る 。. 国. 以上 の 論述 か ら 、 リ ュー ベッ ク不 動 産法 研 究 が 、 言 わば 、 公的な 、 し か も 現在 でも 管 見 し うる 法 史 料 に 基 づ いて 行. われ る 限り 、 筆者 が 最初に 問 題 提 起し た 「リ ュー ベッ ク法 」 と いう 概 念 の 射 程 範 囲 は 、必 然 的 に 、 リ ュー ベッ ク市 で. 通用 す る 、 あ ら ゆる 法に 及 ぶも の では な く 、差 し 当 たり 、 法 文 と し て 記載 され て いる に せよ 、 あ る いは 判決 を 通し て. 下 さ れ て いる に せよ 、 市 参 事 会 に よ って リ ュ ー ベッ ク法 と 認定 さ れ た法 規 範 、前者 の リ ュ ー ベッ ク市全 体 に 存在 し て. い た法 の一定 部 分 、に 限定 せ ざる を えな いと いう ことに な る の であ る 。. し か し 、 この こと は 、 繰 り 返す ま でも な く、 それ 以外 の 法 、 例 え ば 、 行為 規範 を視 野に 収 め る ことが 全 く 不可 能 で. あ る と いう ことを意 味 す る も の では な く、 前者 の法 の確 定 作 業 が 基 礎的な 研 究 の 第 一の 目標に 定 め ら れ ねば な ら な い. - 102-. 近畿大学法学 記念号.
(13) と い う こと を 強 調 し て い る にす ぎ な い。 即 ち 、 これ が 果 た さ れ る な ら ば 、 あ る い は 、 この 研 究 と 同 時 平 行 的 に、 そ れ. 以 外 の 法 規 範 も ま た 研 究 の 対 象 と し て 把 握 す る こと が 可 能 と な る は ず で あ り 、 ま た 容 易 と な る は ず で あ る 。. 従 っ て 、 市 参 事 会 の 法 、 こ こで は 法 典 類 、 の 内 容 の 解 明 が リ ュー ベ ック 法 研 究 の 出 発 点 と な る で あ ろ う 。 筆 者 の 第. 一の 研 究 対 象 も ま さ に こ こ にあ り 、 これ に関 す る 法 史 料 に依 拠 し な が ら 、 中 世 リ ュ ー ベ ック にお け る 不 動 産 法 行 為 の 鮮 明 な 画 像 を 描 き 出 そ う と す る の が 筆 者 の 当面 の 研 究 目標 と な る 。. - 103 -. 註 山 この ような分析道具 は 法社会学 的な文献におい て詳しい 。 例 えば、渡辺洋三 「法社会学と法解釈学 」 、岩波書店、三三 一頁以 下。. ② 法典類には、広義では、市参事会に よる禁令や諸命令も含まれるであろうが、十六世紀までの、い わゆる、 近世以前の時期に は編纂され印刷に付されることはなかった ようであり、ここでは一応対象とはしない 。しかし、必 要に応 じては補助的な法史料 と し て利用することもありうる。なお、この法史料につい ては後 述する。 ③ ところで、法典「 類」とい う表現をしたのは、それ らの法典 の中に、その法典がど のように制定され、誰によっ て記載された. のか必 ずしも判然としない「 法典」もあるからである。この場合、その法史料は、厳密に言 えば、個人の作品とし ての「 法書」 に含まれねばな らない であろう。特に、十六世紀ごろの法史料に、このような傾向が認められる。ここでは、差し当たり、法典. の 一っとし ておく。 ④ 広義での 「 リ ュー ベ ック法」が対象とされる ならば、リ ュー ベッ ク市以外の裁判所であ っ ても、そこでリ ューペック法とし て. 下された判決は分析 の対 象となり うるであろうが、ここでは割愛する。なお、拙稿「 中世都 市リ ュー ベッ クの法史料につい て」、 四 六頁。 ⑤ 前掲の論文、四 0頁以下。 , 1895, S. 170f· P.Rehme,Das Lube< " ker Ober-Stadt buch,Hannover. ⑦ 膨大な数の遺言が史料とし て存在し ていること が知られ ているが、その包括 的な研究は、都 市帳簿に比 べると、余り進展し て い ない ようである。史料集ではないが、遺言の内容 の詳細な目録が V ・プ ラ ントに よっ て編纂され ている。史 料 の残存状況や研. ⑥. 法. 」 研究のための 一 つの覚害 「 リ ュ ーベ ック.
(14) ー. ,Re , 究史に ついては、同苔の序文を参照されたい。A.v. Bra ndt g e s t e nde rLti be c ke rBti r g e r t e s ta me nt ede t e l al t e r s sMit , , c k• 1964/73. Bd 1 : 1278 1350 Bd 2 : 1351-1363 Lube De r 中世末期リ ューベックの 都市法典における 不動産に 関する条文に ついてー| ―三 •四世紀のキー ル法典 ( ⑧ 前掲の拙稿 「 d e x )を素材としてー 」 、( 註)の加、四0頁。 Ki e l e rKo. 課 題 の設 定. れに 関する法も 整備されている ことが多 く‘ その 実体に 接近し 把握する ことは、 それ ほど困 難ではない。 しかし、. った公 法 ・権 力的な、ある 程度恒常的に 存在している法制度であるならば‘ その 外形が 比較的はっき りしており、 こ. 題の中で 特に「不動産法」 がなお 余りに漢然としす ぎているからである。も し、 その研究対 象が、市 の 統治機構とい. しかし、 この不動産法の 全体 像の 解明も、 その 言葉と は裏腹に容 易に 実現されるものではない。な ぜなら、 この 課. ある 。. べき ことが明らかとなった。 そして、 その検 討課縣は、不 動 産法条文の 法的な構造と 特徴、 即ち「 全体 像」 の解明で. 前節での法史 料に関する検 討から、 筆者の、当 面の、基 本 的な研究対 象は、中世リ ューベ ックの法典類におかれる. ヽ. 的構造と 特徴になると、研 究者の 問題設 定 や対 象とする関連 史料の分 析方法の違いによって 、 全く異なる結論が導き. 法 規も 必ずしも体 系 的ではない。 従って、 その不動産法の 全体 像を 描く ことは決して容 易ではない。さらに、 その 法. す る 特段の問 題が発 生しない限り、 その法行 為が記 録、法 文化される こと は稀であるからである。 さらに、 その 関連. れが、 私法的な法行 為である場合、 しばしば、 それは当事 者間での 了解のみに基 づいて行 われ、 その結果、 これに関. そ. - 104-. 近畿大学法学 記念号.
(15) 出 される ことが 頻繁に 生 じる ことは 周知の 通り である 。. リ ューベ ック不動 産法 制度 に関して言 うなら ば‘中 世に関する限り、当然の こと ながら、 これ に関する 特別な、. して体 系的な法 典 は存 在し ない。 一般に、 不動 産法に、 何らかの 形 で、関係する 条文が 様々の法史料に散在している. のが 通例 である。しか し、リ ューベ ック では、他のドイ ツ中 世都市に 比 べて、後述する よ うに、法史料の残存状況が. 比較的良好 であり 、幸いにして、法と は直 接関係の ない 一般 的な史料に当たる必要 は原則として ない。さらに不十分. ではあるが、幾 分 、不動産法行 為について 条文を整備した法典も 存在し ない 訳 ではない。. では、 どのよ うな手法 を 用いて、法典類における 「不動産法の 全体 像の 解明」 とい う目的を果た せばよいの であろ. 、^O ろ っカ. 最も基 礎的 な研 究方法 は、リ ューベ ック 不動産法に典 型的な法 用語の、法史料 での 登場 の 頻度、 あるい は 利用の さ. 1) 」. エー テボリ(Got ebo rg)で発表した 「 法 用語地理. は、 そのよ うな方法に基 づく 優れた研究の ―つ であると言え. 」が あり、 これによ って 、リ ュー ベ ック 不動産法の法 概念のドイ ツ法史における 普逼性と 特殊性を ) ) prache s s Recht. - 105 -. そ. er e n deut s Wort c ches Rec Deut h ( s hen ht rbuc e t e r wor buc s h der alt 古ドイ ツ法 用語辞典) ( ツ法 律 用語辞典 (. ドイ している。 さら に、 視 野をドイ ツ 全体に 広げると、 一九 ―四年から、 ヴ ァイ マー ルで、 刊行 され続けている 「. 等の法 用語をリ ュー ベ ックを含む北ドイ ツの都市法史 料に検 証し、 その 用語の 正確 な語義と 使 用地域を確定しよ うと. orfa c hte ge n)」、「地代(e2e t i ns ) 」 る。彼 は、同 書の中 で、 不動産法に関して は「 トー ルフ ァッ ハト ・アイ ゲ ン( t. n e che St s udi i ph ogra ge t r wo s 学研究、 1(Recht. en)が、 一九六 四年に ns Je dgaard, ルト ・イ ェン セン( KarlHyl. れ方を検 討する こと によ って、 そこから ―つ の 法 概念の 画 像を次第に確定していく方法 である。 例えば‘ ヒ ルトガー. 「 リ ュ ー ベ ッ ク 法」 研究の た め の 一 つ の覚害.
(16) 看取することができる。しかし、この場合でも、 以下のことが注意されねばならない。即ち、このような手 法は、前. もって法用語自 体 が特定されていることを前提とすることである。従って、もし、その用語と深く係わる法行為が、. その用語以外の言葉で表現されている場合、その規定 は、研究対象から脱落してしまうおそれがある。このような問. 題点が考慮 されるならば、この 方法は、 我々の研究の、 特に、 法用語の意味 の確定とその変遷 の追求の際に有効な手. 段となるであろう。. 第 二の方法は、もう少し抽象的に、個 々の法制度そのものを対象とすることである。 ドイ ツ中世法に関する多くの. 研究も多くはこの手 法に基づ いて行われてきていると言って よい。筆者自 身も、かつて、このような手 法を用いて、. 例えば、「定期金売買」、「不動 産の処分行為に 対する家族法的な拘束」 の研究を行ってきた 。この場合も、その法制. 度の 内容自体が 既にある程度特定 されていることが 前提とされている。 筆者の場合、先学 の研究成果に依拠してき. た。しかし、ある不動産法行為について、このような前提が欠 落しているのであれば‘リュ ーベ ック 法の膨大の法史. 料の中からそれと関連す る法文を引き出すことは容易ではない。さらに、 最初にあげた研究 方法の場合と同様に、. 制度のみ に研究対象を最初 から限定してお くこと は余り有効な方法と は言えな い。な ぜなら、それらの方法 にのみ依. に言及することはできないがーー 法文にすべて当たる必要がある。そうであるとすれば、むしろ、特定の法概念や法. は、 我々の研究の場合、差し当たり必要 なーー. その「必要」 という範囲自体は、具体的に検 討しない限り、一般論的. いずれの方法によっても、 起こりうる危険性、 即ち、当該不動 産法行為についての不十分な 画像、を避けるために. 合、研究者がそれらの法史料を見 逃す可能性は高いのである。. の法制度が異なる用語で表現されている場合や、 関連する条文が一見すると 全 く無関係な法文の中に隠れ て い る 場. そ. - 106-. 近畿大学法学 記念号.
(17) 拠するな らば 、自 覚 する こと なく、結 局、 これまで に知られ てき た法 制度を再確認す るという結 果 に終わ ってしま う. 可能性も 否定でき ないであ ろうか らであ る。. しか し、 逆 に、 全く 何の 前 提もな しに 法 文 に立ち向かう こと は膨大な史料の中 に埋没し てしまうので、筆者は以. 下の ような、き わ め て素朴な問 題意識のみを前 提と し たい。 即ち、 「 中 世都市リ ュー ベックの法典の 不動産法 条文 に. よれば、いかな る人が、いかな る不動産を対 象と し て、いかな る権限 に基 づい て、いか な る手続きを踏 んで、いか な. る法行 為を す ること ができ たの か、 あ るい は 、 制限あ るいは 禁止され たの か」で あ り、 そし て、 その結果、「それ. - 107 -. らは 全体と し ていか な る法 構造を構成し、 それは、中 世法と して、い か な る法 的特徴を有 してい たのか」 という こと. で あ る。 この中で強 調し ておき たい ことは、法行 為のみの 分析だけでなく、 人的な側面も その 分析 に加味 し てみ た こ. とであ る。. 以 上の問 題意識を念頭 に置き つつ、前 述のリ ュー ベック 不動産法の 実態、 その 法 的な構造と 特徴の 解明という 課題. に取 り 組もうと 思う。 実は、 この ような問 題意識 に立 って、 最近、筆者は、基 礎的な研 究を試み てみ た。 それは、十. 三世紀末の「 キー ル法 典」 の 不動産関連 条文の 特徴を分析し た拙論 「 中 世末期リ ュー ベックの都市法典 におけ る不動. さ ら に押し進 め てみ たいと 思う。. 産 に関 す る条文 につい て」 であ り、 ここでの結 論を前 提と して、今後、他の法典 におけ る不動産関連 の 条文の検 討を. 「. リ ュ ー ペ ッ ク 法」 研 究のための 一つ の覚書.
(18) 四、 十 八世紀 以 前 のリ ュー ペ ック 不 動 産 法 研 究. 前 節までに述 べた 筆者の基 本 的な問 題関心は、 無論、決して筆者の 独創ではなく‘ ドイツでの 研 究成果を基 礎とし. ている。 この リ ュー ベ ックの 不動 産法に ついては、 近世以 降、 長い研究史 が存在しているが、筆者は、 これまで、 こ. の研究史 に ついて、まとまった形では、論究して こなかった。 そ こで、以 下において、 これに ついて言 及する。しか. し、 本 稿では、紙数の都合から、 十 八世紀末までの研究を対 象とする。. リ ューベ ック法に 関する文献が、 手書きの 写本ではなく、 印刷に よって出 版される ようになる のはー|· 今 日でも、. エー. それが史 料的にも 確認される限りであるがーー ほぼ十六世紀以 降の ことである。と ころで、 この 種の文献は、基 本 的. 、 こ • . 一種の法典‘ 即ち、法 書とも考 えられる ような法 令集と、 リ ューベ ック法を論 じた研 究書に分けられるが、. ベ ルに よれば、まず前 者の 法令集が時代的に先行 し、十六世紀に出 版されたのは この ような 文献のみであった よう で. ある。 これに対 して、 後者の研究書が登場 して くるのは 十七世紀に 入ってからである。本 節では、 無論、 後者の研究. 書が問 題となる。 リ ュー ベ ック法に 関する文献は 十 八世紀には 一層増加 し、 それらは、 やがて、いわ ゆる、 一種の法 学的な 潮流としての「 リ ュー ベ ック法 学」を形成する ことになる。. 興味深い ことは、 この よう な 文献が、最初、 リ ューベ ックではなく、 リ ューベ ック以 外の リ ュー ベ ック法都市で、. しかも 当時法科大学の存在した都市である ロストック やグ ライ フスヴ ァルト等において出 版されている ことである。. この ような都市での リ ューベ ック研 究の 隆盛の 原因として以 下の事 情が考 えられる。 即ち、 これらの 地域では、都市. - 108 -. 近畿大学法学 記念号.
(19) 君 主 であ る ラ ンデ ス ヘルの 権 力が 都 市 共同体に 本 来 的に 優 越 し ていた が 、十 五 世 紀 末 頃 から 、 ラ ンデ ス ヘルは 、 次 第. に、 それ ら の 都 市 に リ ュー ベック ヘの 上 訴 を 禁 止 し、 彼 ら の 宮 廷裁 判 所 、 あ る い は 、 彼 ら の 影 響 力 を 行 使 しう る 裁. 判 所 への 上 訴を 強 制 す る よ うに な っ てい っ た 。 し か し、 その た めに は 、 整 備 さ れた 裁 判 機 構 が 必 要 であり 、 人的に. は 、 法 の素 人 ではな い 、 法 の 専 門家 と し ての 裁 判官 が 配 置 さ れな け れば な ら な かっ た の であ る。 前 述の 都 市 に 、 彼 ら. の 養成 機 関 と し て法 科 大学 が十 五 世 紀 半 ば ま で に設置 さ れ てい た のは 、こ の 目的 を果 た す た め であ っ た ろ う。 こ の よ. う な 大学 の 存 在 はこ の 地 域 での法 学研 究 の 活 発 化 を 招 くこ と に な った 。 しかも 、 こ れら の 地 域 では 、 法 実 務 では 、 な. おリ ュー ベック 法 が 相 変 わら ず 妥 当 し続け てい た はず であ る から 、 お そらく 法 学者 は ロー マ法 、 ザク セ ン法 の み な ら. - 109 -. ず リ ュー ベック 法 も ま た 、 その研 究 対 象 と せ ざる を 得 ず 、 その 結 果 、 同法 に関す る 文 献 がこ れら の 都 市 で数 多 く 出版 さ れ るこ と に な っ た と 考 え ら れる 。. 一方、リ ュー ベック では その 後 も 法 科 系 の 学 校 が 創設さ れ るこ と は な く 、も っ ば ら 法 典 類 の 出版 に限定 さ れ、 法 学. + 八 世紀に は 特 に ハレ大学 ー__を 卒 業 した 後 、 市参 事 会 で. 的な 文 献 は 登場 しな かっ た。 し か し、 漸 く十 八 世紀 の 半 ば 頃 から リ ュー ベック でも 、 後 者 の文 献 も 公刊 さ れる よ うに な る が 、後 述 す る ごと く 、 その 著者 の多 く は 法 科 大 学 ー. 活 躍 した 法 学識 者 た ち であっ た 。. 十 七 ・八 世紀 の 「リ ュー ベック 法 学 」を 含 め た 、 法 学 の 展開に つ い ては ラ ント ヴ ェー ア ( G.Landwehr )の 詳細 な. 論 文が あ る の で、 こ こ では 、 それに 依 拠しな が ら 、 こ の 時 期 の法 学 者 あ る い は 法 実 務 家が 、 特 に、 リ ュー ベック 法 の. で、 リ ュー ベック に おけ る 法 学 の 潮 流 を、 孤 立 的 にと ら え る の ではな く 、 ド イ ツ法 学 史 の 全体 的 な 動 向 と の 関連に お. 不 動産 法 に つ い て、 い かな る 学 説 を 発 表 し ていた の かに つ い て概観 しよ う 。 な お、 ラ ントヴ ェー アは 、こ の 論 文 の 中. 「 リ ュ ー ベ ッ ク 法」 研究のための一 つの覚書.
(20) この時期の法学者が その研究対 象と し た の は、 主に 一五八六年の 校訂リ ューベ ック都市 法典 であった。 な ぜ. いてと らえ直 そうと して いる 。本 節 でも 、 この点を考 慮 して論 述 する。 山. な ら、同法典は、リ ューベ ック では 十九世紀に 入っても、なお 、本 質的な 変更を被る ことなく、法実務上 でも 効力を. 有 し続 けたよう に、十 七世紀にお いては主 要 な法源の ―つであ った か ら である。 しか し、法典の 一部の 第六篇の 海法. 部分が実務にお いて 補 充的に 利用されたに すぎなかったよう に、 この法典は、 内容 的に、 問 題個 所を 多 数 含 ん でい. た。 その理 由は、第 一に、同法典 は、 近世初頭の 錯雑化し、 混乱した リ ューベ ック 法状 況の打開のために 、市参事 会. か ら委託を受けた 三人の 編纂者によ って編纂されたの である が、 その 作業は、十分な準備作業の 下に 遂行 されたの で. はなく 、 短期 間に行われた か ら である。 第 二には、 その素材とされたのが、 一方 で、十 三世紀に遡りうる 古 い法典. と 、 他 方 で、 当時、 即ち、 十六世紀に 入手が可能 であった法典類 であ り、従って、時代的にも 異なる 法 源が 利 用さ. れ 、 必然的に、同法典は、新 旧の 、あ る いは矛盾 する 法文の 混在 を避ける ことは でき なかったか ら である。同法の 解. 釈をめ ぐって、後に生 じた論争の 原因の ― つは ここにあったの である。. と ころ で、 中 世リ ューベ ックの 不動産法を 理 解する ためには、 差し当たり、 次の 二点 を理 解しておか ねばな らな. い。 即ち、第 一に、財産の物 的な区分と して 、動産と 不動 産の 区分が存在 し、両者は それ ぞれ 異なる法的な取 扱 いを. 受けた こと である。 動産は、 原則と して 、 所有者の自由な 処分 に委 ねられたが、不動 産の処分には様々な 制限が 課 せ. られて いた。 第二に、 不動 産の 処分の 自由と関連 する 区分と しての 「相続財産」 と 「獲得財産」 の 区分 である。. ラ ントヴ ェー アは 、 この 「相続財産」 と 「 獲得財産」 の 両概念をめ ぐって展開された 「 リ ューベ ック 法学」 期の論 佃 争の 変遷を、当事者たる 法学者、法実務、判決と法令を主たる 索材と しなが ら、 丹念に 跡づけて いる。. - 110 -. 近畿大学法学 記念号.
(21) 論争の対 象とな ったの は、校訂リ ュー ベ ック都市法 典 に規定された両概念と関連 す る条文であ る。同法典は、従来. の 区分を踏襲し、「相続財産」 とは 、 極めて 簡単 に言えば 、家族法的な拘束 に服す る財産であり、 その 処分 には最 近. 親相続 人の同意を必要 とす ると規 定していた。 他方、 「獲得財産」 は、家族法 的な拘束 に服さず 、 所有者の自由な処. 分 に委ねられ る財産であ ると規定されていた。た だし、 その自由な処分も 、所有者の 死亡までであり、 その後、相続 ④ が開始す ると、獲得財産も 相続財産 に組み 入れられ、前 述の家族法的な拘束 に服す る こと にな るのであ る。問 題は こ. の 区分と、前 述の 物的な区分、 即ち、動産と不 動産の 区分、 との関係であ る。 しか し、 例えば、相続財産が 具体 的 に. は何を対 象 としてい るのか については、何ら規定されず 、相続財産と獲得財産の それ ぞれの対 象 につ いても 極めて 簡. のみが ーー・ た だし十 六 ・七世紀の 立法 によ って 変更され た 形態 において、 そして ドイ ツ普 通法 との関連 においてのみ. - 111 -. 略 に規定されてい る にす ぎなか ったのであ る。な ぜなら 、 ラ ントヴ ェー アによ れば、当 時 の 人々 にと って 、 それ は 全. 8. Lube ce ns e )Jは 、初めて リ ュー ベ ック法を学問 的 に扱 った 作品と言われ る。 な ぜなら 、 それ以 前 には 、 ザク セン法. 主要 な 著作であ る、 一六四 二/ 四三年 にライ プツ ィヒで出 版された 「 リ ューベ ック 法 註解 (g mme ri nta usi nj us. 6 09 1 6 7 0) で あ る。彼の vi us 1 リ ューベ ック法 学の最初の 人物 として 挙げられ るのは メヴ ィウ ス(Dav i d Me. (2). たのであ る。. る法学者は、法 源と社 会 に存す る行 為規範 との乖離の 解消という 、法的な問 題の 解決を現実 的 に迫られ ること にな っ. と ころが、 既 に十六世紀末頃から、相続財産であ る不 動産が、最 近親相続 人の同意がな く とも 、所有者の生存中 に m 処分され る法慣行 が 広まり、前 述の法 的な区分では説明でき ない事 態が 次第 に生 じてき た° リ ューベ ック法学 に属す. く自 明の ことであ ったからであ る。. ッ ク 法」 研究のための一 つの覚害 ーベ. 「リ ュ.
(22) ー. 学問 的な研究対 象にされて いたからである。彼は、同書の中で、校 訂リ ューベ ック都市法典の 第 一篇から 第 五篇. を対 象と して、リ ューベ ック法と 普通法 さら にザク セン法との関連 を論じ た。同 書は急速に 普 及し、 リ ューベ ック法. の基 本 的な文献と して 十九世紀半ばまで 利用され たと言わ れて いる。. 彼は、 前 述の 「相続財 産の対 象」 について、 古 いザク セン法 、リ ューベ ック法 そして ハンプ ルク法 の 伝統に 従 っ. て 、相続財産とは 「相続される 不 動産」 のみであり、動産は これに含ま れないという 立場に 立 った。 この 見解は、当. .F.Ludo ci J vi )、ルートヴ ィキ ( t r be e E.Cot es H.Gi 、 hmann)、ギー ゼバー ト ( ) 時の法学者、例えば、 コト マン (. F.Mant r)、 マンツ ェル ( ze l )、後述する ド ライ ヤー そして ロストック大学法学部に E.J• J•H.Bohme ベ ェー マー ( よ って 支持さ れ、十 八世紀前 半までは、言わば、有力説であ った。. N.G.St eue rn age l ) である。 しか し、 この 見解に対 して 、疑問を最 初に 提示し たのは、 シ ュトイ ヤー ナーゲ ル (. Me mo 彼は 、 一七三 一年に ア ルトナで 発表 した 「リ ューベ ックと ハ ンプ ルクの法令の注 目す べき公 理 上の 調和 (. cens i um etHambur r a bili aSta g ens i um Axiomat i c oHarmoni ca) Jにお いて 、校 訂リ ューベ ック都 t ut orum Lube. 市法典と 一六0三/ 0 五年の ハンプ ルク都市法典を 比較 し、 リ ューベ ックにお いても 、不 動産の みなら ず、動産もま. mann) が 、彼の著作 た相続財産に数えられる と 主張 した。 この 新解釈に、 一七三五年には ハルト マン u.N• Hart. C.Net te l bla dt )も 同様の立場に 立 ったのである。 にお いて 、賛同 し、 そして 、 三八年には ネッテ ルプ ラッ ト (. ー. この 解釈をさら に詳しく論じ、当時の 有力説にまで引き 上げ たの は シ ュタイ ン ( J o ac e i n1 hi m LucasSt 7111 785 ). であ っね。彼の方法論の 特徴は 、彼の 師匠である 、前 述のベ ェー マーの 影密を受け 、決 疑論的な素材の 収集と 、歴史. フツィヒで 、五巻か 的な考 察を伴う法 学的分 析にあ ったと言われている。彼は 、 一七三八年から 四五年の 間に、 ライ 。. - 112 -. 近畿大学法学 記念号.
(23) s )J を 出版し、同 書において彼は校 bs che n Recht ungdesLii らなる 「 リュー ベ ック 法原論 ( Gr undli cheAbhandl. 訂リュー ベ ック 都市法典に 包括的な注釈 を加えた。 その中の第二巻 (一七四一年)は、 同 法典の相続財 産制度を扱. い、彼は、 相続 財産と獲得財産の区別に関する規定である第一篇の第十 章の第六条 ( 以下、 条は§のみで表記する). の「相続財産は、 一人の者に彼の両親あるいは尊属あるいは卑属あるいは傍系親族にせよ、 血縁者か ら相続によって. 帰属しうる、あらゆる種類の財 産と言われており ( Er bgutaberwi r d gehei er handtGut /we lc hesei s s en all nem. Mens c hen anfa ei nen El ll en mag vo ns t ern/ oderBl ut fr e g den/ in auffsteigender/ niedersteigender vnd 叫 Sei denli ni en) 」の「あらゆる種類の 財産」という文言 には 不動 産の みならず 動産も含ま れる こと、 そして、 その理. - 113 -. 由として、 この規定の真の法理が、 可能な限り、家族の繁栄を維持する ことにあるという点を、 主張した。後年、彼. は別の著作で、 この立場を歴史的な観 点からさらに理由づ けた。即ち、最古の時代には、 金と貨幣は格 別知ら れて い. である。そ れは寄託をめぐる解釈 問題に表れている。 即ち、 誰かが 相手方に財産を移転し、 その相手方が彼の信頼を. ずしも首 尾一貫したものではなかったよ うである。なぜな らば、彼自 身も また全く同 様の方法論を利用してい た から. ゞヽリュー ベ ック 法に呼応する規定がない場合に、 ザク セン法ではなく、普通法であ るロー マ法を補充的な法源 と スカ 四 して利用した から、彼 は誤った余 りにも ロー マ法的な結論を導き出したのであると批判した。しかし、彼 の批判は必. さらに、彼は、従来の立場にあった メヴ ィウ スの解釈 の方法論自 体も姐上に載せ、その中で シュ タイ ンは メヴ ィウ. 9. 民の下ではーー 特に商業地では_— 相続 財産としての不動 産が、 価値において、 動 産に 比べて はる かに低 かったの " " で、 相続 財産としての動 産も家族法的な拘束が妥 当す る ことになったのであると。. なかったので、富の源 泉は主に農地や耕地の 占有 ( 炉おi g)と所有 ( Ei gent hum) に存して いたが、財 産ある都市住. ッ ク 法」 研究のための 一 つ の覚書 ーベ. 「リ ュ.
(24) 哀切り、そ れ を第 三者にさらに移転した場合、 最初 の者は第 三者にそ の返還を請求しえず、相手方に のみ 契約上 の責. 任を追求しうるという「 手が手 を守 れ ( Handwahr 」の原則が、校 訂リュー ベ ック都市法典 の第 三篇 の第 二 eHand). て. 2には、これまで のリュー ベ ック の法典には知られ ていない原則が付け加 え られていた。 即ち 、. . Vo 」 ) . werHandt a r nt depos i t i o 章 のニカ条でも規定されていた。しかし、そ の次 の第 三章 のニカ条で は「 寄託 (. が規定され、そ の. 受寄者が 寄託者 の知ること なく 寄託物を費消した場合には、寄託者は他 の債権者よりも近い位 置にあることが規定さ. れていた。 問題は、こ の場合、 寄託者は目的 物 の現在 の所持者である第 三者にそ の返還を求めうるかとい うことであ. る。これに つい て、一 六四七年 三月 一七 日のリュー ベ ック市参事 会 の解答は、そ の第 三者は、当 該目的物が善意取得. によるも のかどうかに かかわりなく 、 そ の物 の返還を 義務づけられると いうことであ った。従 って、こ の場合には. pos 器s s i o)」 と 「所持 「 手が手を守れ」 の原則 の適用は除外された のである。 こ の原則 の変 更はロー マ法 の「占有 (. ( det ent i o) 」 の概念に影響されたためであると言われている。 これ を、 メヴ ィウ スは勿 論 のこと、 シュ タイ ンもまた 3 u リュー ベ ック 法 の例外的な原則として賛成していたのである。 従 って、彼 のロー マ法と ドイ ツ固 有 法について の認 識. は厳密 なも ので はなか った。. シュ タイ ンは、さ らに 、当 時 ドイ ツにおいて大き な影孵力 を有したヴ ォル フ ( C.Wo lf f1 67 9 -1 75 4 ) の新しい自然. 法論にも積極的 な評価を与 え なか った。 シュ タイ ンは、法学 とは抽象 的 な正義 の観念に方向 づけられた、特に論理的. な演 繹とともに活動する哲学 的II 公理的 な学 問で は な く‘ 具体 的な規範と そ の条理から出発する実 務的 な学 問 の. つであると主張した。そ の結果、法学 者は、 歴史的そして政治的 な要 因 を考慮して、個 々 の法規範 の目的と機能を研. 究するも のとされ、そ の際、各規定 を切り離す のではなく 、法律とそ の全実 定法秩 序 の文脈において考察し、それに. - 114 -. 近畿大学法学 記念号.
(25) ヽ h u よ っ て 初 め て 法 学 者 は 実 定 法 の 適 用 の 確 実 な 基 礎 を 得 る に 至 る と さ れ たの で あ る 。. こ の よ うな 彼 の 実 務 的 11歴史 的 法 学 の 学 問 的 な 源 流 は 、経 験 的 11歴 史 的 な 自 然 法 理 論 の 唱 導 者 で あ っ た ハレ大 学 の ー. 728) に 遡 る 。 後 者 の 直 接 、 あ る い は ーー シ ュ タ イ ンが ベ ェー マー を 通 し ト マジ ウ ス ( Chri st i an Thomasi us 1655 1. salt ert il mer) を 扱 う 法 学 潮 流 が 形 成 さ れ て い っ た の で あ る 。 こ の 潮 流 に 属 し た 法 学 者 の 中 で 、 特 に リ ュ ( Recht. ハンデク テ ンの 現 代 的 慣 用 」 を 基 礎 に し た 、 ド イ ツの 地 方 法 と 法 故 て 受 け 継 い だ よ う に ー ー 間 接 的 な 影 響 の 下 に 、 「。 事. Ernst あ る い は < ・ヴ ェスト フ ァー レ ン) ( ーベ ック 法 と 関 連 す る 人 々は 、 シュ タ イ ンの 他 に 、 ヴ ェスト フ ァ ル ( ー. ー. Joachi 759)、 ゼ ン ケ ンベ ルク ( Hei nri ch Chri m W estphal1700 1 704 1 768)、 プ ー フ ェン st i an von Senkenberg 1. - 115 -. ド ルフ ( Fri edr ic h Esai 709as Puf 707-1785)、 エ ンゲ ルプ レ ヒ ト ( endorf1 brecht 1 h Engel nrric Hermann Hei. ー. Carl 706 1 773) と ド ラ イ ヤ ー ( Hi nri ch Brokes 1 760)、 そ し て リ ュ ー ベ ック 市 参 事 会 法 律 顧 問 の プ ロ ッケ ス ( 1. o academica de M edi tati そ の ) 相 続 財 産 の 限 定 さ れ た処分 権 能 に 関 する 学 問 的 考 察 ( 続 財 産 に 属す る こ と は な い 、 (. た。 彼 は 、 一七 五0 年 に 、 キ ー ルで 、 発 表 し た 「ド イ ツ、 ホ ル シュ タ イ ンそ し て リ ュ ー ベ ック 法 に よ れ ば 、 動 産 が 相. と こ ろ で 、 当 時 、 シ ュ タ イ ン説 に 反 対 し て い た有 力 な 法 学 者 の 一人 に 、 キ ー ル大 学 の 教 授 で あ っ た ド ラ イ ヤ ー が い. , 。. ) を 発 し た が 、 そ こ で は 、 前 述 の リ ュ ー ベ ック 都 市 法 典 の 第 一篇 の t esta t At 一七 四 五 年 五 月 一三 日に ―つ の 鑑 定 書 ( 凹 第 十 章 て6 を 繰 り 返 し た に す ぎ ず 、 こ の 問 題 に つ い て 何 の 決 着 も 示 さ な か っ た。. な 解 釈 に す ぐ に 採 用さ れ た 訳 で は な く 、 リ ュ ー ベ ック 法 学 者 の 間 で も 論 争 を ひき お こ し た。 リ ュ ー ベ ック 市 参 事 会 は. シュ ク イ ンの 、 動 産 も ま た家 族 法 的 な 拘 束 に 服 す る と い う 、 新 し い 見 解 は 、 無 論 、 リ ュ ーベ ック 市 参 事 会 の 公 権 的. ー. 802) 等 で あ っ た。 こ の 流 れ は や が て 十 九 世 紀 の 歴 史 法 学 派 へと 続 い て い く こ と に な る 。 723 1 nrch Dreyer 1 Hi. 「 リ ュ ー ベ ッ ク 法」 研究のための一 つ の覚害.
(26) i enandi bon c ult at e al h a er edi t ari a res t r ic t afa. ,ad her , a non per r mani c o edi t ar i a mobili ur e Ge t i nent ej. 」におい て従来の見解を擁護し ていた。 しかし、この ド ライ ヤー も数年 後には彼の見解を ) i ens coetLubec 稔ti Hot. ent i ca)」におい てシ Dec la r at i o auth 放棄 し 、 リュー ベ ッ ク市参 事会もまた一七五 四年四月二七 日の「真 正な 宣言 (. ュ タイ ンの見 解を正式に採用した。即ち、「「 あらゆる種類の 財産」の中に現金、その他の動 産も実 務上含まれ、その. ように理解されるか」という問題が最初 に提示され、それが肯定された後に「 このことは、さらに、 日常の実 務がは. るか以前から、何ら異議なく、定 め ていたのである。従っ て、 我々の下では遺言におい て動 産と不動 産の相続 財産が 罰 決し て区別されることはなく、両者は何ら区分されることなく相続に委ねられなければならない」とされたのである。. この宣言の起草は、当時既に市参 事会法律顧問となっ ていた ド ライ ヤー の手 になると言われ ている。何故、彼が従来. の見 解を捨 てて、 シュ タイ ン説に賛同するにいたったか、につい て、残 念ながら、ラ ントヴ ェー アは言及 し ていな い 。. いずれにせよ、十 八世紀の半ばにリュー ベ ッ クでは、相続 財産には不動 産のみならず動 産も含まれると解釈 が通説. ハウリも 同様の立場に立っ ている。この説は、その後も、実 となることになった。十九世紀前半の法学者、例えば‘ 。. 務や判決におい て変わることなく維持され続け、相続財 産につい ての遺言の自由に対する制限は、 一 八六 二年 二月. 0 日に制定された「 配偶者と血縁者の相続 権、終意処分なら びに 相続 財 産に関する法律」の 第 二八条によっ て、初め て廃止されたのであった。. 以上が、 ラ ントヴ ェー アが跡づ け てくれた、十九世紀以前のリュー ベ ック法学の動向とその中での不動 産法の. っ て、 ド ライ ヤーについ てなお言及し ておかねばならない。. 展開のーー 筆者の関 心にかなり ひきつけすぎたー—大まかな要約 であるが、我々は、ここで、さらに我々の関 心に従. (3). - 116 -. 近畿大学法学 記念号.
(27) それは、彼が、彼 の 経歴から明 らか なように、リュー ベ ック 市で活躍した、おそらく、最初の法学 識者であ ったと. いう ことである。 即ち、彼は、市参 事会法律顧問として実 務で活躍したのみ ならず、後世のリュ ーベ ック法研究 にと. って大 き な足 跡を残 してくれたのである。特に重要 な彼の業績は、彼 が個人的 な図書 室を有していたことが 知られて. 書名は余りにも 長すぎるので 要約するがーー' r 帝国都市リュ ーベ ック 市参事会に. いるよう に、 それまでのリュー ベ ックの 法史料を収集 し 出版し た こ と に あ る。 その代表的な作品が、 一七六九年 こ9、 リュ ーベ ック で出版した1 9. よ って 折々に 発せ られた全法令の 認識のための序論 ( Ei nl ei t ung zur Kentn n E•Hoc h der iBder vo hw. Rat. Rei chs s ta dtLube c k vo gangenenall or dnungen)Jで本}った。これは、中' 世以ヰ小 の n Zei tzuNei ter geme i ne n Ver. Sel er vat i ones ecta ( e obs. - 117 -. リ ューベ ック の法令を編纂し、註釈を加えた文献である。もう 一冊は、 一七七六年 に、同じくリュ ーベ ック で出版さ. i s )』である。同書は著者として ド ライ ヤーの名をあげてい れた r=-ュ ーベック 法書誌 ( Bi bli uri sLuぽ cens oth e c aI. 「 収集 された 、 すべての法部分と 様 々な先 例な らびに 確認された判決に基づ く裁判論集. は特筆す べき業績を 後世に残 すことにな った。 その業績とは、 一 七六 五年に、 リュ ーベ ックと アル トナで出版した. ところで、同時期にもう 一人重要 な法学 者がリュ ーベ ック 市にいる。それは、同じ く市参事会法律顧問であ った プ 鴎 ロッ ケスである。彼も、前述のドイ ツ法学史の動向 の中で顧著 な役割を果たして はいないが、リュー ベ ック法史上で. の ような法史料の収集 が、前述のドライ ヤーの相続 財産についての見解の変更と関連していたのかも知れ ない。. ーベ ック 法にと って重要 な法令、鑑定 書、議決等の法史料の概観を得ることができるのである。 ひ ょ っとすれば、こ. kau)である。しかし、彼 の名前を冠していることは当時の彼 の影響力 を窺わしめる。同書によ って、リュ c ne H.Bii. G. るが、残 念なが ら、彼はその序文を記したのみで、実 際の著者は、後にリュ ーベ ック 市長にな った、 ビ ュネ カ ウ (. 「 リ ュ ー ベ ッ ク 法」 研究の た め の 一 つの覚害.
(28) ci s confi aet er i s et responsi qui bus pr aei udi rmatae ( spr e coll ectae at que varii uri spart fo rensesex omnii. i quo i sbyensi accessi t ))J um una cum ant ure W i ri um i uri s Lubic ensi scodic xt ndi cem appendi dupli cem i. で あ る 。 そ の 長 い 表 題 の 中 に も 記 さ れ て い る ご と く 、 彼 は 、 そ の 追 録 に 、 本 来 は 十 四世 紀 前 半 に 由 来 す る 一法 典 と 、. 十 六 世 紀後 半 に 作 成 さ れた 、 法 典 に 近 い 性 格 を 有 す る 二 つの 法 書 を そ の ま ま 収 録 し た の で あ る 。. ド ラ イ ヤ ー と ブ ロ ッケ スの 出 版 意 図 が ど こ に あ っ た か は 、 明 ら か で は な い が 、 そ の 後 の 歴 史 の 展 開 は 、 こ れ ら の 書. 物 の 重 要 性 を 浮 か び 上 が ら せ る こ とに な っ た 。 な ぜ な ら 、 彼 ら に よ っ て 収 集 さ れた 法 史 料 の 原 典 の 多 く は 、 十 九 世 紀. 前 半 ま で は リ ュ ーベ ッ ク に 保 管 さ れ て い た よ う で あ る が 、 今 日で は 、 そ の 管 見 す ら も ほと ん ど 不 可 能 と な っ て し ま っ. て い る か ら で あ る 。 我 々は 、 彼 ら の 著 作 に よ っ て 初 めて 、 第 二 次 史 料 とし て で は あ っ て も 、 そ れ ら の 史 料 の 内 容 を 把. 握 す る こ と が で き る の で あ る 。 従 っ て 、 そ れ ら が 、 今 日、 史 料 集 と し て 果 た す 役 割 が き わめ て 高 い の で あ り 、 彼 ら の. 法 史 学 的 な 貢献 は ま さ に こ こ に あ っ た の で あ る 。. 註. m 我 々が検討の対象と する法典類以外の法令、 例 えば、 訴訟手 続き を定めた「上級裁判所規則 ( og r g er i c ht s or dnung )」は 一 六 三一年に、また「下級II 、外国人11、海法II 、上訴裁判所規則 ( Ni eder 11Q1 s t 11給eundAppela t i onger i cht s or dnung)」 は 一六四 二年 に現れる。不動産法と直接関連する 「オーバー都 市帳簿規則 ( Or dnung des Obern Sta dt -Buc he)」 は 一六三七 年 に、 さらに同 都市帳簿のよ り包括的な規定とも― 百う べき「 校訂官房規則 ( Rev i di et eCant z l ey' Or dnung )」 は 一六 三九年に登. 匂. `. 場 して いる 。た だし、 これ らの規定も、新 規に定められたと いうよりも、 これまでの慣行の法典化という 要素が強 いであろう。 , ,S.1 ,1 . ,Jur ,Bi W. Ebe l.Lti bi s c hesRec htI 9 4 f • s i s prudenc iaLubecens i s bi s c hen Recht s b li ogra phi e des Lti 9 80 , . . , . .. , 0 S.6 J C H • D r e y e r Bi b li o t h e c a I u r i s S L u b e c e n s i s 6 4 1 77 6 � � : 1 ; : l§ の La n d w e h r の 主 躙 す 〈 、 三 三 百 ( o .bi . Ja ,Recht 切 G.Landwehr s prax i s und Recht s wi s s ens c haf ti m Lti bi s c hen Rec ht v um 1 om 1 hr hunder ti n 9 6 sz. - 118 -. 近畿大学法学 記念号.
(29) めの一つの覚密 「 リ ュ ー ベ ック 」研究の. . Bd. , . , Ni t s chr i f tdesVer ei nsfurLti becki s cheGe " s chi c ht eundAlt er t ums kunde 1 9 8 0 6 0 . ③ i f bi d.s.48f 以 下 の 論 述 は 、 筆 者 の 問 題 関 心 に そ っ て 行 っ た の で 、 ラ ン ト ヴ ェ ー ア の 原 文 と は か な り 異 な っ た も の と な って いる。と ころで、 ラ ントヴ ェー アも注で挙 げ ているごとく、 この時期 の不動産法 の展 開に ついては。 C.W.Pa uli ) の詳 ハウリ ( ,. ,. . S s c hen Rec 1 8 1f f が あ る が 、 こ れ に ついては稿を改 め て論 じ 細 な記述、即 ち 、Abhandl ungenausdem Lubi ht e T h e il 1 . る。 。 ハウリは同様 に諸学 説に ついても、彼 の研究 の中 でしばしば論究し ている。例えば‘i bi d.s.1 3 0. ④ 相続 財 産に ついては第 一篇 の第十章の第 二条 ( 以下、条 は Tのみで表 記する)と、第九章 宍 5 のニカ条 であ る。 前 者 の内容 be) が、彼 の血縁者 から、相続 によ っ は以下 の通り である。 「 誰か に 一軒 の家屋あるいは他 の土地 ( l i gendeGr ti nde und Er. これ に関する条 文 は第 一鑓 の第十章 ご 6 である。 その内容 は以下 の通り である。「 リュー ベ ック法 によれば、 相続財産 ではな. い物 はす べて獲得財産 である。しかして、 相続財産 は、 一人の者 に彼 の両親ある いは、尊属あ るいは卑属 あ るいは傍系親族 にせ. - 119 -. た て帰属 す るならば、 それを彼 は売却する こと はでき ない。 その際、彼 はそこから生 じる貨幣を再び他 の定期 金に投資す ぺし。 だし、彼 の相続 人 がその財貨 の売却 に ついて、条件を つける ことなく、 承認する場合 を除く」 。 次 に、後者の条文は 「一人 の市. 民 あるいは住 民が、病 気ある いは健康 である にせよ、彼 の相続財産から何かを譲渡する ことを欲す るならば、彼 は、彼 の死後 そ の財貨 を相 続 しう る、彼 の最近親相続人を彼 の下 に来 させ、彼が譲渡し たい物と相 手 を彼 らに名 を挙げ て示し、 それが彼 ら の意 に反す るかどうかを彼 らに尋ねる べきであ る。 そして、 それに異議 のある相 続 人は非 難 し、沈黙す べき ではない。しかして、 そ れがなされな いのであれば、 その贈与 は有効 である。 ただし、相続人の中 に未成年者ある いは婦 人が いる場合を除く。 その際、 。 他方、 獲得財産 に関し て第 一篇 の第九章 て2 彼 らは、彼らが第 一に彼 らの後見人と協議し たい旨を、宣 言する ことができる」 と第十章 §3 である。 前者 の条文は 「自 らの獲得財産を譲渡し ようと欲する者 は、第 一に彼 の最近親相続 人 に八 シリ ングと 四. (. プ フェニヒを与 えねばならない。もし彼 がさら に不動産 ( t ehende Er be)を彼 の獲得財産で購 入した l ti ndeund s i gendeGr のであれば、 それを彼 は市参事会員 の面前 で、あ るいは彼 の遺言 において譲渡する こと ができる。 ただし、彼 が、 この都市法が. ts i chbri nget )権限を有する限りにお いてである。さ て、彼 が これを、彼 の欲する、 いかなる方 法 にせよ、 行 必要とす る mi う のであれば 、それは有 効であり、 そして存続 す ぺし」と 、そし て後 者 の条 文 は 「ある人が獲得財産を有し 、それが横 たわる土 家屋)であれ、 それがオーバー都市帳簿 にお い て購 i gendeGr 地( unde ) であれ 、あるいは立 っている財産 ( st e he ndeEr be11 l l ens 入され た財産とし て彼 に帰属し ているのであれば、彼 はそれを、彼 の動産と変 わる ことなく、彼 の自由 にする ( s ei nesgefa た. ge bar en) こと ができる。 ただし、リ ューベ ック法 に従 えば、彼 が道路を歩き、彼 の感覚と身体 が健全 であ る限りにお いてであ る」と規定し ている。 ⑤. 法.
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