ミソバチ科学 (2002)23(3):129-132
ミツパ テ と人 間の
ための環境保全活動
- キース トー ン財団一
中村 純,中村 佳子
バスがニルギ リ高地への坂道 を登 り続 け,峠 を越え, ウーテ ィ周辺 にさ しかか ってか ら周辺 に茶園が現れた.その背 の低 い緑の うね りや, 日陰を作 るために植え られているシルバ ーオー クが何 と も美 しい景観 を作 りだ して いた (図 1).人工的 とはいえ,谷深 い山間の土地 には似 合 っていて,そ こに秘 め られた不 自然 さはまだ その ときは感 じなか った. クーヌールに到着 した私 たちは, ホテルでキ ース トー ン財団(
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の創 立者 の ひ と りPr
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氏 と第4
回 ア ジア 養蜂研 究協会 ネパ ール大会以来 4年 ぶ りに再 会 し, 彼の案内で, 歩 いて10分 ほどの彼 らの 直営 ショップに連れて行 かれた.看板 はそれ ら しい ものの,建物の陰にな った ショップは寂れ た感 じが したが,開店以来であろう,15人 もの 外国人が実 は翌 日が引 っ越 しという最後を記念 す るかのように大挙 して訪れたことにな った. ここでキース トー ン財団の設立 までの経緯や現 在の活動内容 などを聞 き,皆の関心 はす ぐに シ ョッピングに集中 した. ここで売 られているハ チ ミツは,オオ ミツバチの もの と トウヨウ ミツ バチの ものがあ り, いずれ も財団の関与す る養 蜂およびハニー- ンテ ィングの成果である. ト ウヨウ ミツバチ養蜂 とオオ ミツバチの-ニーハ ンティングは伝統的にこの地域で行われて きた が, その生産環境 の悪化 と,物流の不適正が財 団の活動開始 のきっかけで もあ った.「
美 しい茶園」の陰で
翌朝,バスで コタギ リ-.そこでまずキース トー ン財団の事務所 をたずね,現在 の事業や今 後の発展計画などを聞 き (図 2),さらに,蜂 ろ 図1 見渡す限りの茶園風景は確かに美 しくもある シルバーオークは適度な木陰を作るため,横 に枝を広げてある うやハチ ミツの加工場 を見学 した後,ハニー-ンクーの ドキュメ ンタ リー ビデオを見せて もら った.そ こか らジープ3台に分乗 して,谷を下 り,実際 の養蜂普及 の現場 を見 ることにな っ た. その ジープの中で, 同財団のRo
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氏か ら昨 日までは美 しいと思えていた茶園への 一種 の 「敵意」を感 じさせ る話を聞いた. そこにはふたっの側面がある.茶園 は, もち ろん これは他の農業 に関 して も同 じことだが, もと もとそ こにあ った植物相 を根 こそ ぎ破壊 し,作 られた人工環境であ って,生態的に見れ ば異常 な空間である. しか も, ひとつの茶園の 成功が次 々と茶園開発を誘 い, ニルギ リ高地 は 確かに茶の生産地 としては有名 にな ったか も知 れないが, そこに息づいていた多様 な生物相 を かな り失 って しまった.動 ・植物 ともに, イ ン ド亜大陸の南 の高標高地帯 とい うことで,地域 B]有種 も多 く,ある意味での生物 の種のホ ッ ト 図 2 キーストンの完成模型を前に, 将来計画を語 るロイ氏130 図3 コタギリ近辺では痕跡程度だったサール林も 小数部族の居住地にはまだ残っている スポッ トで もあったという.道筋 にわずかに残 るサール林 (図 3) は南 ア ジアの典型的植生で もあるが, これ もほとんど失われたといって過 言ではなか った. こうした生物学,生態学的な 観点か らも,生物の多様性を保全 しようという 姿勢がキース トー ン財団に芽生えたのは当然の ことと思える. ただ,彼 らの真の目的は決 して人間生活の対 岸 としての自然の保護ではなか った. ここでお そ らくより重要なのが第2の側面であろう.イ ギ リスの植民地時代 に栄えた茶園産業 は,大 き な企業の成功を招いた.大企業は次々と土地を 買い上げては茶園に し,国家 もこれを援助 して きた. しか し一方で,小規模 な農民はどうであ ったか.すべての工程をまかなえる規模を持っ 企業茶園 と違い,最終工程 まで自前です ること はできない.組合組織によって,共同で運営す る加工場 もあるらしいが,品質的に及ばない. そ もそも大企業 は茶の木の品種を頻繁 に変える らしいが,小農ではこれが ままな らない. この よ うな状況で,結局土地を売 り払 う農民 もでた という. ニルギ リの山中で不思議 な印象 を持 ったの 紘,茶園以外の耕作地が少 ないことであった. 地域の食糧 自給率 は食べ る人口に比例 した耕作 地があるかどうかでわかる.当然主食である穀 類 の畑が主体 にな り,野菜 や果物がそれに続 く. ウーティやクーヌール, コタギ リなどそれ なりの人口を擁す る地域に もかかわ らず,気候 的 な こと,あるいは私 たちの訪問時期 もあ っ て,マイソール近郊の低地 にはた くさんあった 水田は山間地 にはまった くな く,それ以外のい わゆる穀類畑 もほとんど見あた らなか った.つ まり, この高地 はある時点か ら茶の栽培に向い た土地 になり,茶が換金作物であることか ら, 基本食料 は貨幣 との交換 となり,食糧の自給率 は低下 したのだろう. ところが,その茶園を経 営 しているのは地元の住民ではないとした ら, この状況でどうや って生計が成 り立 っているの だろう. 地域開発事業や特定部族対象 の開発事業 で は,イ ンフラ整備や現金収入源の確保を通 じて 生活水準の向上が目される.ニルギ リでは, ち ちろん茶園拡大事業 も候補 のひとつにはなり得 ただろう.現在 も,ス リランカか らのタ ミル系 難民を茶園労働者 として受 け入れていて,政策 的 にもある種の評価を得ているにちがいない. ただ,それが果た して土着の少数部族の行 く末 を うまく望んでいる方向に導 くものかどうか, 遠隔操作のように事業を進 める公的事業ではそ うしたフィー ドバ ックは乏 しい.特に茶のよう な原料系の換金作物の栽培普及では,やがて市 場が成熟すると原料 コス トを下 げる圧力が働 き す ぎて,いずれに して も生産地 は苦境 に追 い込 まれやすい.
「ミツパテの歌」が聞こえない
地域の開発を考えたときに,住民がどんな自 然資源を利用 しているかは重要な問題 となる. 人 口が増えればその資源への負荷が大 き くな り,また外圧 によってそれ らの資源が減少すれ ば,住民の生活に影響が出る.キース トーン財 団の初期の調査 もこの点を重視 した.多 くの少 数部族が,伝統的に ミツバチを飼 い,またはニ ー- ンティングをする文化 を持 っていた.その 主要な資源は, ミツバチその ものと蜜源植物で ある. しか し農地での農薬の多用 は ミツバチを 減少 させ,開発による森林破壊 は蜜源を減少 さ せ,野生の ミツパテの生活空間を消失 させ る. 一方で,従来,儀式化 され,宗教色の強か った -ニー- ンティングは,商業的傾向を強め,
「ミ ツバチの歌 (- ンティングに際 して歌われてい た)」などの無形文化財 も消失傾向にあった.質131 図4 バナナ園の中の少数部族の養蜂場 源保存 と しての重要 な意味 もあ った- ンティン グに関す る禁忌 (ある崖 の巣 は残 してお く,な ど) も忘れ去 られつつあ った. トウヨウ ミツパ テ養蜂では, タ ミルナ ドゥで1991年 にサ ック ブルー ド病が発生 し大 きな打撃 を受 け, これに 抵抗性のセイ ヨウ ミツバチの導入 も始 まり,土 着 ミツバチによる養蜂 はその影響 も被 ることに な った. こうして-ニーハ ンテ ィングと養蜂を 取 り巻 く環境 は,生態学的にも経済的にも文化 的に も大 きく変化 していた. 養蜂事業の展開 1994年 にキース トー ン財団の主要 メ ンバー によって, タ ミルナ ドゥ州の各地の養蜂事情の 調査 が行 われ た (この結 果 は"Honeyhunters
&BeekeepersofTamilNadu"という本 にな って2001年 に刊行 されている).調査 は,その 後の養蜂普及事業の計画 に も応用 され,特 に次 の5つ の事業計画 に関わ る項 目が重点 的 に調 べ られている. 1 誰 にで も理解で き,伝えやすい養蜂技術 2 臨機応変 なフォローア ップ態勢作 り 3 現場 の必要 に応 じたプ ログラムの設定 4 生産者 にとって魅力的 な生産物価格 の設定 5 - ンテ ィングや蜂場場所の選定基準の策定 全般的な環境の悪化 は,前節で書 いたとお り であるが, この調査を通 じて,特 に生産物 の価 格 はある意味で問題だ った.市場で売 られるハ チ ミツの末端価格 は,伝統的な養蜂家の生産価 格の3-6倍 に もなってお り,中間業者 のマージ ンが大 きい.逆 に市場価値 の高 い蜂 ろうは-ニ ーハ ンテ ィングす る部族 によってはまった く見 図5 巣板も小さいが蜂群自体も小さい 向 きもされていなか った という. こうした基本的な調査 を経て,事業 は始 め ら れた.-ニー- ンテ ィングの方がより計画路線 に乗 って進んでいるようで,私たち もこち らを 見たか ったのだが,車両の入れ るところという 選択肢 には,オオ ミツバチのハ ンティングの可 能 なところはさすがになか った.時間的な問題 もあ り私 たちは トウヨウ ミツバチ養蜂の普及地 を見学す るべ くある村 に向か った.村 に着 いた 私 たちが会 ったのは,少数民族 の養蜂家であっ た.斜面 に立て られた家の前 に,バナナに混 じ って巣箱がい くつか置かれていた.巣箱 自体 は トウヨウ ミツバチ用の小型のニュー トン式巣箱 である (図4,5).別の一軒の近 くにはコ ミュ ニテ ィホールのような建物が設 け られてお り, ここで行われた過去の研修や,養蜂技術,花粉 媒介の重要性などが見てわかるよ うに写真入 り で掲示 されていた (図 6).ここで養蜂家が飼 っ ている蜂群 は トウヨウ ミツバチとしては, まあ まあ標準的なのだろうが, いずれ も小 さめの蜂 群で,果 た して これでどの程度の採蜜が可能か 図6 オオ ミツパテによる花粉媒介を開設 したポス ター.養蜂研修などの雰囲気が伝わってくる
132 図7 瓶詰めにしたハチミツを,裸電球の熟 と乾燥剤で,若干の水分量調節を行う は不確かだ った.病気 (タイサ ックブルー ド) の発生や,実際に他機関が この地域で行 った過 去 の事業の成 り行 きなども考え ると,なかなか 定着 す るまで には長 い道 の りが必要 そ うだ っ た. ただ, ビデオや施設を見学 させて もらった限 りでは,キース トー ン財団 と してはやはり生産 物 に重点的に力を入れよ うと している感 じであ った.養蜂家や- ンクーが持 ち込む-チ ミツや 蜂 ろうの簡単 な品質検査を行 った り,買 い上 げ た ものに関 して,単純 な加工 (図7,8)をキー ス トー ン財団 自体 の設備で行 っていて, これが 件 の ショップなどで売 られ るわけである.普及 事業 として,かつては飼育技術の移転が偏重 さ れ るのか南 アジアでは一般的だ っただけに,時 代 は確かに変わ って きたのか も知れないと思 っ た. この方が確かに住民への動機づ けもしやす い.キース トー ン財団の主要 なメ ンバーが,秦 蜂技術 を背景 にこの事業を始 めたのではないと ころが功を奏 したともいえそ うだ. とはいえ,量的には心許 ない生産物で, この まま ミツバチに関わ ってい くことが実際上, ど の くらいこれ らの少数部族 の将来への助力 とな るのかは,意見の分かれ るところだろう.彼 ら は現在 もか な りの範 B]で 自足的生活 を して い る. そのなかにあ って,オオ ミツ/ヾチの巣を狩 った り, トウヨウ ミツバチを飼育 した りす るこ とは,彼 らにとっては,長 い伝統 の技術である と同時に,古来外界 との接触点で もあ り, また 換金性の高 い生産物の源であった ことは間違 い ない. この営みを維持で きる環境 は,誰 も気 に 図8 得られた蜂ろうをいったんブロック状にする. これを再度融解 して巣礎にも加工できる とめないでいれば急速 に変化 して しまっただろ う. キース トー ン財団の活動 は, それに歯止め をかけ, なおかつ住民の生活水準 の向上 を犠牲 に しないことを目指 している.一般的 に生物の 多様性 の単純 な保護 は,特 に先進国や開発の進 んでいる地域では,見かけ上, あるいは短期的 には住民 の生活 をあ る部 分制 限す ることもあ る, しか し, このケースで は住民の今の生活の 維持,向上 のために生物の多様性が守 られねば な らないという,わか りやすい事例 にもなって いる. ミツバチを取 り入れ る開発事業では, ミ ツパテを飼 う側 と, ミツバ チを飼 う環境の両方 の向上が望 まれ ることになる.環境を住民 に結 びっけて考え るよいプロジェク トにな りやすい 点で, もっと養蜂を地域開発で正 しく取 り入れ て もらえれば と思 う. さて,将来, これ らの部族 の中に養蜂を専業 とす るものが出るだろうか.答えは否定的だろ う.その森 に見合 った生産量 を超 えることはで きないか らだが