﹁個別法律の間題﹂の問題性
大石和彦
目次 一現状 一一個別立法の主要因は﹁社会国家化現象﹂か? 1戦前の状況 2最近の状況 3議員立法への偏在要因4小結
三個別・具体的法律の種類 1法律の射程︵限定性︶の様々な次元 ︵1︶特定法主体対象立法 ︵2︶単一事象対象立法︵附一裁判的個別法律︶ ︵3︶地域限定立法 ︵4︶時限立法 2組織内部法はここでの関心対象から除外すべきである 3︽受益的︾個別法律 4︽個別的︾法律の問題と︽処分的︾法律の問題の区別 ︵1︶個別的立法の方が自由に対してLRAだとされた例 ︵2︶︽個別︾法による平等権条項違反問題 ︵3︶︽処分的︾法律による権力分立原理違反問題 四︽不利益処分的︾法律の問題 1法律妙処分の段階構造の意義 2その他の問題 ︵1︶憲法四一条後段解釈論との関係 ︵2︶憲法七六条三項との関係 まとめ現状 ︽為政者の恣意による支配︵すなわち既存の一般的規範によらないその場限りの命令︶を忌避する法治国における法 律は、一般的抽象的なものでなければならない︾との見解は、現下広く行き渡っている。このことは、具体的には、 ︽一般的︾規律であることが﹁実質的意味の法律﹂ のメルクマール︵の一つ︶であるとされることに、あるいは︵しば しばその系として︶、個別的法律︵ドイツ語からの訳で﹁措置法律﹂とか﹁処分的法律﹂とかいわれることが多い︶は ︵原則として︶許されない、とされることに、あらわれている︵一体どういう法律が﹁措置法律﹂であり、あるいは ﹁処分的﹂、﹁個別・具体的﹂かについては、以下本稿で追々精緻化を図ることにして、それまでしばらくはこれらの言 葉を、何らかの意味で射程極限的な法律、くらいのルーズな意味で用いることにする︶。そのうち後者の“系”の方に つきさらに細かく言うと、個別的法律は端的に違憲であるとする考え方、あるいは︵おそらくはその現実的必要性と妥 協して︶一定の条件つきで︵あるいは例外として︶合憲であるとする考え方があるが、このうち条件つき︵あるいは例 外として︶合憲説が現在の日本の学界における﹁通説﹂ともいわれる。後者の条件つき︵あるいは例外的に︶合憲説の 中でも代表的なものが、一九六五年に公刊された書物に収められた芦部信喜の論文の中で示された、次のような定式で ハロ ある︵以下の各項目冒頭の番号は、本稿筆者が本稿記述の便宜上つけたもの︶。
②①
法律のコ般性の原則は貫かれねばならない﹂。 だが、﹁二十世紀になっていわゆる国家が自由国家から社会国家に変化してくるに伴って、 個別具体的事件についても立法の形式で法の定立がなされる例が起こるようになってきた﹂。 ③もっとも、﹁権力分立原理の核心領域が侵害され、議会・政府の憲法上の関係が決定的に破壊されるような場合﹂
ではなく、
しかも
④﹁社会国家において⋮具体的事実の差異に応ずる[ため認められてしかるべき]実質的・合理的差別﹂であると認められる場合には、
当該法律が個別的具体的であるからといって、そのことだけでは直ちに違憲となるものではない。 違憲説、条件つき︵あるいは例外として︶合憲説いずれにせよ、︽法律が個別的であること自体に独自・固有のー すなわち、基本的人権条項への違反という、一般的・抽象的法律でも帯有する可能性のある問題とは別個の1憲法問 題がある︾という問題意識は広く共有されている。だが反面、法律の一般性、あるいは︽個別法律独特の問題性︾に関 する日本憲法学の議論の現状につき、﹁議論の蓄積がほとんどありません﹂とか、﹁練り方が足りないために賞味に堪えパロ
ない﹂といった極めて厳しいマイナス評価が突きつけられてきたことも事実である。このことはむしろ、︽法治国の法 律は︵原則︶一般的であるべきだ︾、︽個別法律には特有の憲法問題がある︾との意識が学界で、まさに“安定多数”を 占めてきたからではないだろうか。法解釈学説の強度は、どれほど多くの挑戦者を退けてきたかに依存せざるを得ない 部分が大きいであろう。とすれば、コンフォーミティは﹁通説﹂にとって強度の証明ではなく、むしろその逆である可 能性がある。そもそも疑義が提出されないところに理を尽くした討議は成立せず、またそれを通じての理論の錬成も進行しないからである。 これまでの個別法律の許容性に関する学説が、実務において実際﹁賞味に堪えない﹂か否かは、ある程度事実データ による検反証が可能かもしれない。立法実務に携わる人々の中で、とりわけこの問題に︵おそらくは学者よりも切実な︶ 関心を寄せ、また所見を公にしてきたのは議院法制局関係者である。彼ら実務家の第一次的関心対象は、ルソー、C・ シュミット、ハイエクといった西洋の大家を引き合いに出した﹁法律の一般性﹂に関するグランド・セオリーなどでは なく、具体的にどういう法律が学説いうところの﹁措置法律﹂なのか、もっと具体的にいえば、﹁特定住宅金融専門会 社が有する債権の時効の停止に関する特別措置法﹂、﹁新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法﹂︵昭和五三年法 律第四二号︶、﹁特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法﹂︵平成一六年法律第二一五号︶といった、いずれも議院法 制局が手掛けた議員立法が違憲の宣告︵あるいはその推定︶を受けるべき﹁措置法律﹂に当たるか否かであろう。最近 の﹁﹃特例法﹄の増加﹂現象につき、議院法制局関係者と思しきある論者は、﹁このような法律の登場を前にして、﹃法 律の規定は一般的・抽象的規範でなければならない﹄と説くこれまでの学界の通説的見解は、このような形式の法律が 容認される理由をどのように説明するのだろうか﹂との問いを突きつけている。こうした立法実務の現場からの問いか けを見るにつけ、これまでの個別法律をめぐる学説の多数派は、具体的にどういったものが違憲の宣告︵あるいは推定︶ を受けるべき﹁措置法律﹂なのか、それが許される場合がありうるとしても、その歯止めは何かにつき、現場を納得さ せられるようなガイドを提供してこなかったのではないかとの思いを禁じ得ない。 判例はどうか。いわゆる﹁名城大学紛争﹂という、特定単一の学校法人における一時期の内紛という特定単一事象を 対象として制定された﹁学校法人紛争の調停等に関する法律﹂︵昭和三七年法律第七〇号︶が、実質は﹁行政措置であっ
て憲法上認められた﹃法律﹄とはいえない違憲の法律﹂だとする原告側主張につき、東京地判昭和三八年一一月一二日 ︵判タ一五五号一四三頁︶は次のように述べて判断回避した。﹁かりに調停法の立法の過程において被告と国会の議員団 との問に原告主張のような約束があったとしても、調停法はその約束のような学校法人名城大学の紛争という単一の事 件のみを規律する法律として成立したものでないことは法文上明白であるから、調停法がそのような法律であることを 前提とする原告の主張は理由がないことが明らかである﹂︵傍点は大石︶。もちろん判決が本件法律を個別法ではないと 言ったのは、同法の対象が﹁法文上﹂“学校法人名城大学”ではなく﹁学校法人﹂と表現されていたからである。川口 頼好︵元衆議院法制局長︶による当該立法の経緯に関する懐述、とりわけ二年問の時限立法とされた経緯から合理的に 考えれば、当該法律が﹁学校法人名城大学の紛争という単一の事件のみを規律する法律として成立したもの﹂であった ことは、むしろ明らかであった。にもかかわらず、同法を、違憲の疑いある﹁措置法律﹂といわないため判決が頼りに した唯一の根拠が、﹁法文上﹂学校法人名城大学が名指しされておらず、代わりに﹁学校法人﹂という一般的な表現と なっていたということなのであった。仮にこの判決のいう通りだとすれば、個別法律の問題を学者がルソーやC・シュ ミットを引っ張り出しながら展開するグランド・セオリーの一環として懸命に力説するのは、実は徒労に近いもので、 むしろそれは役所や議院法制局の職員が注意すべき法文の起草の仕方ひとつで比較的簡単に解決する実務マニュアル上 の問題なのだということにならざるを得ないであろう。このように言われているにもかかわらずなぜか、︽法治国にお ける法律の一般性︵の原則︶︾を強調する学者からの、この判決に対する明瞭な形での批判は見当たらず、むしろ基本 的にこれに賛同するかのごとき発言すら見出されるのである。当該法律が個別法律であるがゆえに違憲のであるとの主 張は、いわゆる﹁象のオリ﹂訴訟における原告側によってもなされた。それに対する最高裁の返答は﹁法律としての一
般性、抽象性を欠くものでないことは上記各規定の表現、内容に照らして明らかである﹂というものであった。名城大 事件に関する東京地判より﹁象のオリ﹂訴訟上告審判決までの四〇年、原告側主張にも判例理論にも殆ど進化が見られ ないのは、ひとえに事案の希少性によるものなのであろうか。 本稿筆者は、法文の立案に携わってきた百戦錬磨の実務家ではないし、立法権、あるいは立法・行政間の権限分配を めぐるドイツの学説理論史についても全くの素人であるから、本稿における以下考察は、上掲﹁通説﹂をはじめとする 学界多数派の意識に対して極めて単純素朴な疑問を投げかけることに終始するであろう。だがそうした極めて単純素朴 な発想からしてもなお、個別法律をめぐる従来の議論には疑問を投げかける余地が決して少なくないように思われる。 以下本稿は、そうしたいわば徒手空拳の作業から、個別法律の合憲性に関する結論ではなく、むしろ問題設定の仕方に つき、従前の学説とは異なる見解を提示することになるであろう。
二個別立法の主要因は﹁社会国家化現象﹂
か?1戦前の状況
上記﹁通説﹂の定式のうち②の部分に示された事実認識については、個別法律の許容性につき必ずしも芦部と結論をハめロ
共有しない論者まで含め、かなり広範に流布している。これに対しては、ドイツにおいては二〇世紀に入る以前から既 に個別法律は決して珍しいものではなかったことが玉井克哉により指摘されている。戦前の日本につき付言しておくと、特定の自然災害という単一事象のための射程限定的法律として例えば︵あくまで一例であるが︶﹁災害地方田畑地租免 税二関スル法律﹂︵明治三九年法律第一〇号︶がある。また特定単一法主体を適用対象とする戦前の立法として例えば、 ﹁京釜鉄道買収法﹂︵明治三九年法律第一八号︶、﹁足尾鉄道及有馬鉄道ノ買収二関スル法律﹂︵大正七年法律第二二号︶ といった、いずれも地方鉄道の買収に関する法律がある。確かにこれらは一見すると、私人の所有権を﹁社会化﹂ ︵ωON芭邑①毎pσq︶するものではある。だが、﹁社会国家﹂における私的所有権に対する制約︵ワイマール憲法一五三条 三項並びに日本国憲法二九条二項および三項参照︶とは、﹁消極国家﹂におけるその﹁絶対性﹂が議論のべースライン あるいは出発点として想定されていて、それを公共のために制約・収用する、という発想である。ところが戦前の日独 公法理論における﹁公企業の特許﹂という理屈は、鉄道を含む一定の事業につき国による営業権独占ということがべー スラインあるいは出発点として想定されており、これを一定の要件を満たした民間企業に限って﹁特許﹂していくとい う、先の社会国家における私有財産権制限とは全く正反対方向の発想である。かつての﹁地方鉄道法﹂︵大正八年法律 第五二号、廃止昭和六一年法律第九二号︶は、そうした﹁公企業の特許﹂的発想の下制定された立法の一典型例とされ たが、特にその三〇条︵国の一方的意思による地方鉄道買収を可能とする規定︶および三一条︵買収額を定める規定︶ が、先に引用した二つの個別鉄道買収法律から発展した一般法バージョンであることは明らかである。以上要するに ﹁京釜鉄道買収法﹂や﹁足尾鉄道及有馬鉄道ノ買収二関スル法律﹂を、﹁社会国家化﹂といった﹁現代立憲主義﹂的文脈 で理解することには疑問がある。 戦前の主要学説が、そうした個別法律を違憲ではないと明言していたことも付言しておこう。例えば美濃部達吉は、 ﹁日本銀行法﹂︵当時の﹁日本銀行条例﹂︵明治一五年太政官布告第三二号︶のことか?︶や特定私鉄の買収に関する法
律が一般的でなく個別的であることはもちろん、﹁災害地方田畑地租免税二関スル法律﹂のような立法も﹁実在ノ単個 ノ事件二付テノ定﹂であるがゆえ﹁法規ガ通常一般的ノ定﹂であるのとは異なるが、これらの立法もなお﹁法規﹂︵法 律の専権事項︶であるとしていた︵なお昔の文献の旧字体は新字体に直して引用する。以下同じ︶。この点、佐々木惣 一も結論は同じであった。また︽実質的意味の法律︾とは﹁一般的・抽象的な事実について規律する法規範﹂だとする 清宮四郎も、﹁特定の私設鉄道の買収の如き個別的行為が法律の形式で定立される﹂ことは任意的法律事項として認め ハリロ ていた。 個別法律の許容性をめぐる論争としては、一九五〇年代のドイツにおけるそれが有名であるが、清宮四郎の一九三四 年の論文を見ると、既に個別法律の問題はドイツにおいて﹁議論の的となった事柄である﹂とされている。またそれら 個別法律に関する戦前の日本の記述のみ見る限りでは、そうした法律の﹁出現﹂あるいは﹁増加﹂を社会国家化現象に 結び付けて説明しているものは見当たらない。
2最近の状況
最近の立法につきいえば、福祉国家原理と直接関係しているわけではなさそうな個別的具体的法律の実例として、オ ウム真理教のみを唯一の適用対象とするという立法意図のもと制定された﹁無差別大量殺人を行った団体の規制に関す る法律﹂︵平成二年法律第一四七号︶、成田空港建設予定地内の特定過激派セクトの団結小屋の排除を目的とした﹁新 東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法﹂、北朝鮮船舶のみを対象とする﹁特定船舶の入港の禁止に関する特別措 置法﹂︵平成一六年法律第一二五号︶などがある。日銀本店、NHK本部や最高裁の所在地が東京でなければならないこと︵日本銀行法七条、放送法一〇条一項、裁判所法六条︶などと社会国家化現象との直接的関係もまた見出し難い。 また、これまで国や公社の事業とされてきたものを﹁民営化﹂するための個別の株式会社に関する立法︵﹁日本たば こ産業株式会社法﹂︵昭和五九年法律第六九号︶、﹁日本電信電話株式会社等に関する法律﹂︵昭和五九年法律第八五号︶、 ﹁旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律﹂︵昭和六一年法律第八八号︶、日本郵政株式会社法︵平成 一七年法律第九八号︶、﹁郵便事業株式会社法﹂︵平成一七年法律第九九号︶、﹁郵便局株式会社法﹂︵平成一七年法律第 一〇〇号︶︶などは、﹁社会国家的﹂というよりむしろ“逆・社会化”あるいは“﹁消極国家﹂への部分的先祖返り”を 志向するものである。第一これらの事業が国家独占されてきたこと自体、﹁公企業の特許﹂論という、﹁社会国家﹂とは 別︵逆︶の論理に起因することは先に指摘したとおりである。基本的に﹁小さな政府﹂︵逆・社会化あるいは﹁消極国 家﹂への部分的先祖返り︶を志向している時の政府の下、個別的性格の強い立法がむしろ増加している近時の傾向も、 ﹁通説﹂の定式②と両立し難いように見える。 3議員立法への偏在要因 個別的立法の要因として議院法制局関係者が実際に指摘しているのは、﹁社会国家化現象﹂ではなくて、以下のよう な事情である。しかもそうした要因は、政府立法ではなく議員立法に偏在していることが指摘される。個別法律に関す る論考が、とりわけ議院法制局関係者によって公にされることが多かったのは、これと関係している可能性がある。 まず、政府立法を個別具体的なものへと向かわせるようなインセンティヴは働くであろうか。﹁今日、議院内閣制の もとで⋮議会多数派H行政府は、できるだけ法律によらなくともよい領域を拡大することを利益とする﹂と指摘される。
この指摘のように、彼らが行政サイドに留保される決定権の最大化を志向して行動するとすれば、“法律によらなけれ ばならない領域”においてもできるだけ法律の露束密度を希薄化︵つまり規定内容を一般抽象的に︶することで、個別 具体的レベルでの決定を行う行政庁の裁量権を広げる︵立法段階での意思決定に対して行政処分段階での意思決定のウェ イトを極大化する︶ことを利益とするに違いない。彼らにとって、個別具体的法律は、行政に留保される決定権を極小 化するという意味で、魅力的ではないはずであろう。 議員立法に集中する傾向が見られる立法類型としてあげられてきたもののうち射程限定的なものとしては、①特定地 域振興型法律、②特定業界関係法律︵いわゆる﹁士法﹂・﹁業法﹂など︶、③戦争・自然災害犠牲者救済援助関係法律が パハロ ある。このうち①②は地元あるいは業界といった利益集団からの圧力と関係することから﹁圧力団体型﹂なる上位概念 の下に一くくりにされることもある。①については、﹁政府立法は整合性を重視する立場から、どうしても全国を均等 に取扱っていく傾向がある﹂のに対し、﹁国会議員がその選挙基盤となる地元の地域開発又は地域に対する助成措置を 特に当該地域の地方公共団体の陳情等によって議員立法で行う傾向にある﹂ことが指摘されている。③が議員立法に集 中する傾向の理由については、﹁国民の声に肌で接している国会議員は、行政べースで救済されないいわば行政の谷間 にある分野における救済、援助のための議員立法を行う傾向にある﹂からだと説明される。 もっともこれら①∼③の類型いずれも、最近では減少傾向にあるとされるが、その一方で、閣法をも含めた最近の法 律の全体傾向の一つとして、﹁﹃特例法﹄の増加現象﹂があり、しかもそうした現象は﹁議員立法の分野で先取りして現 れていたこと﹂が、議院法制局関係者によるものと思われるある論稿において指摘されている。それによると、最近の 法律の個別具体化現象が﹁議員立法分野で先取りして現れていたこと﹂には以下のような理由があるという。第一に、
﹁法案作成のプロ︵内閣法制局や所轄省庁職員など︶だけで立案するものと、政策決定が最終的に、必ずしも法律の専 門家ではない︵しかし、公選の職であることから国民の二ーズに敏感な︶議員に留保されている議員立法との違いが、 ここにも現れているものと推測される﹂こと、第二に、行政権を握っていない野党がある政策を表明しようとする場合、 内閣︵政府、与党︶立法とは異なり、法律案︵議員立法︶の提出は数少ない有効な手段の一つであるため、伝統的な ﹃法律事項﹄の考え方に固執することは、︵法案作成のプロである︶議院法制局職員の側にとっても、依頼者の意向に必 ずしも十分にこたえたことにならない⋮。そこで議員立法の場合の﹃法律事項﹄のとらえ方は、内閣立法の場合と比較 して、やや緩やかでなければならない必要もあった﹂ことがあげられている。
4小結
以上のことから、個別法律が“初めて出現”したのは社会国家化現象によるものだ、あるいは“全ての”個別法律が 社会国家化現象に関係している、という言明は明らかに誤りだと言えよう。しかしながら、社会国家化現象が個別法律 の数を“増加”させてきた、という言明を誤りだとする明らかな証拠も見出せない。ただし、控え目に見積っても次の ことは言っておいてよいであろう。すなわち、射程限定的法律の産出あるいは最近におけるその増加傾向については、 社会国家化現象が“唯一”の要因ではないし、それ以外の重要な要因が働いていることを見失うべきではない。そうい う意味で、個別法産出理由をめぐる議論において、﹁社会国家化現象﹂という要因は相対化されざるを得ないであろう。三個別・具体的法律の種類
個別法律の合憲性をめぐる従来の学説が立法実務に対し有用なガイドを提供してきたとはいえないとすれば、その主 要な理由の一つは、従来の学説が、違憲の宣告︵あるいはその推定︶を受けるべき個別法律︵﹁措置法律﹂あるいは ﹁処分的法律﹂︶とは一体どういう立法か、というそもそもの肝心の問題につきペンディングのままにしてきた︵あるい は極めて緩い設定しかしてこなかった︶ことではなかろうか。 1法律の射程︵限定性︶の様々な次元 ︽射程が限定された立法︾と二言で言っても、立法の︽射程︾あるいはその限定性にはいろいろな次元がある。 特定法主体のみを限定的対象とする田目色8誘Opσq8Φ貫需脈ωOp巴⇔9︵イギリス︶、単一事象を対象とする 田目Φ罵巴HσqΦωΦ薗、地域限定立法︵δ8=餌≦︶、時限立法︵NΦ一碍89N︶などである。 ︵1︶特定法主体対象立法 単一法主体に関する立法としては既に美濃部達吉が﹁日本銀行法﹂をあげていたが、これに類するケースとして、公 庫・公団など特殊法人設立に関する法律は個別法の例としてこれまでもしばしばあげられてきた。これら特殊法人等に つきある研究書は以下のように指摘する。﹁福祉国家化を背景とした行政事務の増大・多様化に伴い、行政事務は、国、 地歩公共団体と普通法人との中間に位置付けられる特殊法人、認可法人、指定法人等の各種法人を通じ、様々な形態で遂行されるに至っている﹂。それら特殊法人の増加は、それらの根拠・設立法律の増加を意味する。だとすれば、この 種の法律は、﹁社会国家化による増加﹂という上記﹁通説﹂の定式②がよく当てはまる領域といえよう︵もっともそれ らの中には、かつての三公社あるいは最近の郵政公社のように、むしろ国による公企業の独占と,いう、﹁福祉国家﹂理 念とは異なる出自を持つものもあったことは先に述べた︶。さらに旧来﹁公社﹂が行っていた事業の﹁民営化﹂に関す る立法も特定法主体を対象とする︵具体例は上記のとおり︶。 上記のような従来行政組織法の教科書の守備範囲であった立法以外に、作用法分野の法律にも、名宛人たる私人を ︵法文上はともかく事実上︶特定した立法がある。事実上オウムを対象とした﹁無差別大量殺人を行った団体の規制に 関する法律﹂、成田空港建設予定地内の特定過激派セクトの団結小屋の排除を目的とした﹁新東京国際空港の安全確保 に関する緊急措置法﹂などがそれである。このように単一法主体に関する立法といっても、上記のような組織法分野の ものと後者のような作用法分野のものを同列に扱っていいのかの問題があるが、これについては項目を改めて後述する。 この他、上記団体規制法や成田新法のような一方的権力作用に関する法でなく、単一法人に対する国有財産の譲与ま たは貸与に関するものとして﹁財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律﹂︵昭和二八年法律第 二〇〇号︶、﹁財団法人日本海員会館に対する国有の財産の譲与に関する法律﹂︵昭和三〇年法律第八○号︶がある。 ︵2︶単一事象対象立法︵附一裁判的個別法律︶ 単一事象を対象とした立法としては美濃部が特定災害被災者免税措置法を﹁実在ノ単個ノ事件二付テノ定﹂であるが これも﹁法規﹂だと述べているのが例である。戦後につきいえば、﹁激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関
する法律﹂︵昭和三七年法律第一五〇号︶という一般法律制定前の、個々の災害が起こる度に制定された個別立法に、 例えば﹁昭和二十六年十月の台風による魚業災害の復旧資金の融通に関する特別措置法﹂︵昭和二七年法律第一八号︶、 ﹁昭和二十八年台風第二号による被害農家及び被害漁家に対する資金の融通に関する特別措置法﹂︵昭和二八年法律第 一八七号︶があるが、これらはあくまで一部の例で、このような特措法律が当時数多く制定されていることは衆院ホー ムページからいくらでも閲覧可能である。先に言及した、名城大紛争という個別事象を念頭に置く﹁学校法人紛争の調 停等に関する法律﹂もここに入るだろう。成田新法も、空港開港という単一事象のための法律という面ではここに入る。 ﹁湾岸地域における平和回復活動を支援するための平成二年において緊急に講ずべき財政上の措置に必要な財源の確保 に係る臨時措置に関する法律﹂︵平成三年法律第二号︶、﹁長野オリンピック冬季競技大会の準備及び運営のために必要 な特別措置に関する法律﹂︵平成四年法律第五二号︶もここに入ろうが、後者が財団法人長野オリンピック冬季競技大 会組織委員会およびその職員に関する規定を置くという点ではやはり需お○⇔巴餌9というべきか。平成七年の第 一三二回国会では阪神淡路大震災関連の特措法が複数制定された︵全て衆院ホームページから閲覧可︶。﹁特定住宅金融 専門会社の債務債権の処理の促進等に関する特別措置法﹂︵平成八年法律第九三号︶および﹁特定住宅金融専門会社が 有する債権の時効の停止に関する特別措置法﹂︵平成八年法律第九八号︶の二法は、﹁特定住宅金融専門会社﹂のみを対 象とする点では8誘Op巴m9だが、﹁住専問題﹂という単一事象の処理を目的とする点ではここに数えるべきか。特に ﹁オウム真理教に係る破産手続における国の債権に関する特例に関する法律﹂︵平成一〇年法律第四五号︶の第二条 ︵﹁東京地方裁判所平成七年︵フ︶第三六九四号、第三七一四号破産申立事件においては、国が届け出た債権のうち労働 者災害補償保険法︵昭和二十二年法律第五十号︶その他の法律の規定に基づき国が取得した損害賠償請求権及び東京地
方裁判所平成七年︵チ︶第一一号、第一二号清算人選任申立事件における予納金に係る償還請求権は、国以外の者が届 け出た債権のうち生命又は身体を害されたことによる損害賠償請求権に後れるものとする。﹂︶は、その﹁個別具体性﹂ が顕著である。 なお、特定事象を対象とする法律のうち特殊なものとして、裁判所法三条一項にいわゆる﹁法律上の争訟﹂に決着を つける法律︵以下“裁判的法律”という︶が想定可能であるが、こうしたものが憲法七六条一項に違反することはいう までもなかろう。現行の一般法上は許されないような刑罰を特定人が既になした行為に対し科す定言命題を内容とする 法律も、確かに”裁判的法律”に包摂されようが、そうした法律は、それが制定される以前の行為を対象とする点で既 に憲法三九条に違反するであろう。 ︵3︶地域限定立法 地域限定的法律としては美濃部が﹁]般ノ府県二等シク適用セラルル府県制モ北海道ノミニ適用セラルル北海道会法 モ其ノ性質二区別アルベキ理由ナシ﹂と述べていたのが戦前の例で、憲法九五条にいう﹁一の地方公共団体のみに適用 される特別法﹂はその戦後版か。﹁離島振興法﹂︵昭和二八年法律第七二号︶、﹁九州地方開発促進法﹂︵昭和三四年法律 第六〇号、平成一七年法律第八九号により廃止︶、﹁北海道寒冷地畑作営農改善資金融通臨時措置法﹂︵昭和三四年法律 第九一号︶、﹁山村振興法﹂︵昭和四〇年法律第六四号︶、﹁南九州畑作営農改善資金融通臨時措置法﹂︵昭和四三年法律第 一七号︶、﹁過疎地域自立促進特別措置法﹂︵平成一二年法律第一五号︶などもここに入るか。︵さらに石村健﹃議員立法﹄ ︵信山社一九九七︶二〇七頁︵第11表ー2︶のリストを見よ︶
︵4︶時限立法 時限立法といえども、その時限内には︽一般︾人に対し適用され、しかも法律段階では具体的にどういった事象に適 用すべきかにつき確定されていないという意味で︽抽象的︾なものも少なくなかろう。しかし、名城大紛争調停法のよ うに、適用対象たる私人や事象を特定するという意図の下に時限立法とするという手段が用いられることもある。この 場合、その法律が時限立法であるとされていることが、事実上単一の法主体あるいは事象のみを特定して対象とする法 律︵﹁偽装法律﹂︶であることを推知させる手がかりとなろう。いわゆる成田新法︵様々な動機から衆法の形を採った︶ の制定当時衆院法制局において担当部長であった上田章︵元衆議院法制局長︶が、同法につき﹁今から考えると、これ は開港に間に合わせるということで緊急措置法としてつくったわけでありますから、恒久法にする必要はなかったのか なと。期限付きの法律にしたほうがよかったのではないかと、反省材料としてときどき考えたりすることがあります﹂ と述べていることもここで引用しておく。 2組織内部法はここでの関心対象から除外すべきである 一部学説は、個別法の問題を論じる際の具体例として、﹁筑波大学を設置し、従来の国立大学の管理方式とちがう方 式を導入したときも、筑波大学法という形式をとらず、学校教育法の一部改正という一般的な規定のしかたを採用した﹂
パぴレ
ことをあげる。もっとも﹁国立学校設置法﹂︵昭和二四年五月三一日法律第一五〇号、平成一六年廃止︶は﹁第二章の 二筑波大学の組織﹂を新設し︵昭和四八年法律一〇三号﹁国立学校設置法等の一部を改正する法律﹂︶、そこに同大学 のみにしか適用の無い特殊な規定を置いていたし︵筑波大関連でさらにいえば、昭和四五年法律七三号﹁筑波研究学園都市建設法﹂も、考えようによっては個別法︶、国立学校設置法をめぐっては、特定の国立学校の設置統廃合の度に、 特定の国立学校を名指しした上での改正がなされてきた︵一例として、図書館情報大学を筑波大学に統合し、山梨大学 と山梨医科大学を統合し、さらに沖縄工業高等専門学校を新設する平成一四年法律第二三号﹁国立学校設置法の一部を 改正する法律﹂︶。いわゆる﹁独法化﹂以前、国立大学は国の内部組織の一つであったから、その一つたる筑波大学の設 置および内部事項に関する立法が個別法だと言うのであれば、﹁内閣府設置法﹂やいわゆる各省設置法も個別法、さら には現行省庁委員会の名称を個別的に掲げる﹁国家行政組織法﹂巻末﹁別表﹂も個別法的規定だと言わなければならな いはずであろう。 現下、国立大学は独立の法人となったが、﹁国立大学法人法﹂巻末﹁別表﹂は現在設置されている国立大学法人を名 指しで漏れなく列挙する。この他、公庫・公団など﹁特殊法人﹂の設立法律も旧来行政組織法の範疇に含められてきた。 その﹁行政主体性﹂をめぐっては議論があるが、﹁日本銀行法﹂については既に美濃部達吉が単一法主体対象立法の具
パみロ
体例として引いていた。これらも国目のσRω○⇒σQ8①貫b①鵠○ロ巴ゆ9︵特定法主体対象法律︶である。 その役割上、個別の組織を具体的に名指して規定せざるをえない組織法律まで個別法として違憲の疑いがあるという のであれば、では行政組織の大綱決定を法律の専権事項とする戦後日本公法学界の公理といかにして平灰を合わせよう というのか。玉井克哉は言う。﹁組織法律は、その性質上﹃一般性﹄を持ちえ[ず]﹂、しかし一方上記戦後日本公法学 界の公理を維持するため、﹁たとえそうした﹃一般性﹄を法律に要求することが正しいとしても、組織法律は例外とな らざるをえない﹂と。だがどのみち、﹁組織法律は、その性質上﹃一般性﹄を持ちえない﹂という玉井の指摘が本当な ら、憲法四一条の﹁立法﹂とはコ般的法規範﹂一般であり、そこには組織法も含まれるがゆえに、上記公理を結論的に共有するつもりであった論者に対し、致命的ダメージを与えずにはおかないであろう。なぜなら、組織法が個別的法 規範たらざるを得ないとすれば、それは憲法四一条の指定する法律の専権事項の射程から漏れてしまう︵それどころか 憲法四一条解釈次第では、行政組織編成は立法禁止事項だということになってしまうかもしれない︶からである。 もっとも行政内部法の中でも︵講学上の意味における︶行政機関の内部権限を定める法律規定︵例えば内閣法四条︶、 中でも行政機関相互間の法関係を規律する法律規定︵内閣法六条など︶については、例えば﹁内閣総理大臣﹂とか﹁厚 生︵労働︶大臣﹂という法律上の一般概念は、吉田茂、あるいは小泉純一郎といった不特定多数の自然人を包摂し得る から、刑法一九九条の﹁人を殺した者﹂が不特定多数の自然人を包摂し得るのと同じに二般性﹂を認めても良いかも しれないし、こうした思考を延長していけば、﹁設置法の適用を受ける財務省・外務省などの職員には入れ替わりがあ るので、適用される人の範囲は開かれており、この意味では、設置法は少なくともいわゆる﹃業法﹄並みには一般的法 規範だと理解する余地もある﹂とする赤坂正浩の指摘に到達するだろう。いずれにせよ、行政組織法律が﹁一般的抽象 的規範﹂であるとする論者、また、おそらくそうした認識を前提として、全ての﹁一般的法規範﹂の創設が憲法四一条 にいう﹁立法﹂であるとする論者に対しては、﹁組織規範の︽一般性︾﹂とはいかなるものなのかにつき、何らかの応答 が要求されている状況にあると言えるだろう。 だが、それら行政の内部法が個別的であろうが一般的であるといえようが、︽個別法律独特の憲法問題︾という日本 憲法学に広く行き渡った問題意識の文脈において、内部法を問題視する必要は、実は最初から無かった、と言うべきで ある。﹁立法の専制への防壁﹂として﹁法律は↓般的でなければならない﹂ことをとりわけ強調してきた樋口陽一自身 がおそれる﹁おそれ﹂とは、﹁法律がその気になれば一般的規範以外の領域にも侵入できるとすることは、受範者たる
ヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤハリレ
国民諸個人に対する関係で﹃立法の専制﹄を、みとめることになるおそれ﹂である︵傍点は大石︶。ならば、当該組織 の外部にいる国民を受範者としない、少なくとも彼らの権利義務に直接関係しない組織内部法は、差し当たりここでの 関心対象外に置かれてしかるべきである。最高裁、日銀本店、NHK本部の所在地が東京でなければならないという規 定︵裁判所法六条、日本銀行法七条、放送法一〇条一項、︶なども、確かに﹁個別・具体的﹂ではあろうが、本稿のテー マにとっては同じ理由からレレヴァンスを持たない。公立学校の設置統廃合を定める条例︵地方自治法二四四条のニ 第一項︶、あるいは小嶋和司が﹁処分的﹂条例の例としてあげる、地方自治体の事務所、支庁、支所、出張所を定める 条例︵地方自治法四条二五五条︶も、直ちに付近住民の権利を左右しないと考えれば上記内部法に関するのと同じにパれレ
考えるべきであろう。 国から独立した法人格を持ち、しかも公益性を帯びた事業を行う特殊な法人の設立法律についてはどのように考える べきか。この問題に対し浅野一郎は、﹁法人は、民法その他の法律の規定によらなければ設立することができない︵民 法三三条︶﹂ことをもって、ぞれら個別法人対象法律が法律事項に含まれることを論証しようとする。だが従来︽個別 法律の問題︾として観念されてきたのは、その根拠が憲法四一条であれ、あるいは日本国憲法が前提とする﹁法の支配﹂ などの法理念であれ、いずれにせよ憲法レベルの規範への抵触問題であったことに鑑みれば、民法三三条という法律上 の規定を引き合いに出すのは憲法問題をクリアするために十分かどうか。むしろ﹁独立行政法人﹂、﹁国立大学法人﹂、 さらには特殊法人のうち少なくとも一部には行政組織法定主義を︵拡張︶適用あるいは準用、類推するとか、もしくは 法人設立法につき、私人間の法律行為を前提とする補充行為︵認可︶、または法人格という地位と一定の業務の遂行権 とを付与する設権︵特許︶といった、いずれにせよ形成的行為の内実を持つがゆえ、これを﹁権利命題﹂と考えて﹁実質的意味の法律﹂に含めるとか、何かしらの憲法レベルの理屈が必要であるように思われる︵もちろん後者のように考 えるためには、例えば美濃部のように、﹁法規﹂あるいは﹁実質的意味の法律﹂から一般性というメルクマールをはず す必要があるが、後述のように、少なくとも一定限度で個別法律を認めざるを得ないとする場合、卑見でははずすべき ものと考えている︶。 日本国憲法九五条にいう二の地方公共団体のみに適用される特別法﹂については、場合分けが必要であろう。それ が専ら当該自治体の組織他内部事項に関するものである場合、または国︵の機関︶と自治体︵の機関︶との間の法関係 に関するものである場合のように、当該自治体の住民の権利義務に直接影響しない︵当該立法が内部法にとどまる︶の であれば、本稿の議論にとってはイレレヴァントである。もちろん当該立法が特定自治体の住民の権利義務に直接影響 するのであれば話は別である。阪本昌成は、日本国憲法九五条につき憲法上個別法が認められる唯一の例外と考え、 ﹁他に明文がない以上、それ以外の個別立法は否定されている﹂という。しかしながら、憲法典にある種の個別法を忌 避する規定があることから、憲法が個別法一般を忌避しているとの結論には必ずしも直結しないことは、懲罰的個別法 律を禁ずる合衆国憲法>洋H第九節第三項の下、決して少なくない数のRぞ讐Φ冨≦が制定されていることにも示さ れている。実際日本国憲法九五条につきコ般に﹃特別法﹄の制定の可能なことを示している﹂との読み方︵小嶋和司︶ もある。憲法九五条が内部法的なものにとどまる、つまり﹁受範者たる国民諸個人に対する関係﹂を持たない特別法ま で射程に入れているものと解するのであれば、同条の背景には︽法律の一般性︾を通じての個々人の権利保護という理 念ではなく、むしろ地方自治という、それとは一応別個の理念を想定する方が説明が容易ではないか。
3︽受益的︾個別法律 こうして、被治者たる私人の権利義務に直接関係するか否か、というメルクマールを強調しつつ、内部法は関心の外 に置くなどというと、何か戦前の﹁法律の留保領域﹂に関する古臭い議論のリバイバルと思われてしまうかもしれない が、同じ路線を貫徹するなら、受益的個別法も個人の権利にとって脅威とはならないから、ここでの議論からは除外し てもかまわないというべきであろう。︽不利益的︾または︽受益的︾という行政活動の二分法を前提としつつ、行政活 動の対象とされる私人の権利保護の観点から、特に前者に対して法的規律を行うという発想は、例えば﹁行政手続法﹂ 二条四号及び同法第三章に現存している。また憲法九五条にいうコの地方公共団体のみに適用される特別法﹂の問題 と個別法律の問題とは一応分けたほうがいいと述べたばかりであるが、次のような記述も、問題なのは受益的個別法で はなく不利益的なそれだとする本稿の発想に通ずると思われる。 ﹁⋮もともと恣意的な権力行使を嫌う﹃法の支配﹄の理念からいうと、立法というものは一般性、つまり適用対象が 特定されないことを重要な要素としますから、地方自治特別法というものは好ましくないと考えられています。そこで 憲法は、住民投票という特別の手続を設けてそれをチェックしようとしました。したがって、本来、九五条が適用され るべき法律とは、特定の地方自治体の組織・運営に不利益をもたらすようなものであると考えられます﹂︵傍点大石︶。 合衆国憲法︵一条九節三項︶もドイツ基本法︵一九条一項︶も︵前者は特にある種の︶不利益的個別法律を禁じてい る。が、それらを反対解釈すれば受益的個別法律の制定は可能だということになる。実際アメリカ連邦議会は毎年複数 の質貯讐①寅≦を制定してきている。両国が﹁法の支配﹂ないし﹁︵実質的︶法治主義﹂、権力分立原理にコミットして いることを疑う者はいまい。また両国憲法典に平等権条項が置かれ、それが少なくとも日本に負けて劣らず裁判所によっ
てエンフォースされていることも周知の通りである。ならば、少なくとも受益的個別法律の存在イコール︽立法による 恣意・専断の解禁︾︵﹁法の支配﹂、権力分立原理、平等原則の崩壊︶というのは少々大げさではないか。 4︽個別的︾法律の問題と︽処分的︾法律の問題の区別 ︵1︶個別的立法の方が自由に対して﹂RAだとされた例 芦部の定式日﹁通説﹂を再び振り返りたい。個別的法律はなぜ問題なのか。芦部の定式の③と④の部分がその答えで ある。つまり、それが平等原則と権力分立原理という二種類の憲法レベルの規範に抵触する可能性が一般的法律の場合 よりも高いというのである。その芦部自身、権力分立は自由主義的な原理だとしているから、法律が個別具体的である ことは受範者の平等と自由とを害する可能性がより高い、といっていることになる。この憲法上の二要請のうち、ここ では︽自由︾に着目しよう。阪本昌成いわく、﹁個別立法は、自由の保障と両立しない﹂。では、法律を一般的にすれば 被治者はより自由になれるのだろうか。 これに対しては直ちに以下のような極めて素朴な疑問が提出可能である。美濃部達吉は﹁立法行為ハ多クノ場合二於 テ唯ノ標準ヲ定ムルノミ、法ガ完成スル為ニハ尚多少ノ余白ヲ存シ而シテ其ノ余白ハ司法又ハ行政行為二依リテ充タサ ルルナリ﹂と述べていた。これにしたがえば、法律が一般的でなければならないと主張することは、それを適用執行す る行政庁や裁判所に裁量を働かせる﹁余白﹂を残さなければならないといっていることになる。だが、被治者の自由の 保護という側から見た場合、行政裁量は本来克服すべき対象ではなかったか。 具体例をあげよう。名城大学紛争に際して制定された﹁学校法人紛争の調停等に関する法律﹂は確かに裁判所がいう
通り﹁法文上﹂は一般法的体裁を採ってはいるが、二年間の時限立法になっていること︵同法附則四項︶にも表れてい る通り、実質は名城大紛争という単一事象の処理を目的としたものであったし、実際他の学校法人内部の紛争には適用 されないで失効した。ではなぜ、これを機に実質的にも一般法といえるものを制定するという途が選ばれなかったか。 一つにはもちろん、潜在的規制対象たる私学関係者が名城大紛争を機に、恒久的一般法による私学内部問題への行政の 介入権限の新設に当然抵抗したからであった。もう一つ、議院法制局サイドの配慮として、以下のようなものがあった のだという。社会問題を病気にたとえると、患者によりまちまちな﹁微妙な症状の程度問題は、臨床によって判定でき るだけで、理論的図式的には示しにくい。立法技術の技術的限界が、そこにある。もし、この点を無視して、[恒久的 一般法]の中に、ただ並列的にいろんな施術方法を採用してよろしいと書くならば、肝心の度合の裁量はその時々の行 政府にまかされることになり、受ける方の大学側の法的安定性はそれだけ害される﹂と述べ、適用対象を名城大紛争に 限定した実際の選択が比例原則に通ずるものであったことを指摘している。つまりここでは、﹁個別立法は、自由の保 障と両立しない﹂というのとは正反対の指摘がなされているのである。一般法制定という選択肢は、行政庁に裁量余地 を与えることを通じ、被治者の法的安定性を害する危険が高いのに対し、事実上個別法とするという方式は、︽より制 限的でない他の選びうる手段︾として選択されたものであったわけである。 、﹁無差別大量殺人を行った団体の規制に関する法律﹂制定の過程で働いた意図も、これとほぼパラレルに解し得る。 提案当初、同法案は適用対象をオウム教団のみに限定するものであるか不安があったため、適用範囲の拡大を懸念する 議員が提案した修正により、第一条に﹁例えばサリンを使用するなどして﹂という文言が、さらに﹁無差別大量殺人行 為﹂の定義規定である四条一項に括弧書︵﹁この法律の施行日より一〇年以前にその行為が終わったものを除く﹂︶が衆
院で加わった。同法の解説者は後者につき﹁規制の対象となる団体を明確に限定するため置かれた規定であ﹂ると説明
パあロ
している。 成田新法につき﹁期限付きの法律にしたほうがよかったのではないか﹂という、先に引用した上田章の﹁反省﹂も、 射程︵限定︶の次元は異なるが、ここで再引用する。 ︵2︶︽個別︾法による平等権条項違反問題 ﹁個別立法は、自由の保障と両立しない﹂という信念から出発した場合、それが実はLRAだというのは、ねじれて いる。なぜ議論がねじれたか。 このねじれについては二つの説明が可能であるように思う。第一に、違憲立法審査制を持たなかった戦前においては、 専断の主体は専ら行政及び司法であり、立法にはそれら他の二権の専断を抑制する善玉の役割しか回ってこない。これ に対して現在では立法に対して、戦前来の善玉の役割と並んで、憲法八一条を通じ、憲法違反を行う悪玉の役割もが負 わされている。ここでは立法が行政に裁量余地を与えないこと︵立法が善玉の役割を果たすこと︶と並び、立法自身に よる恣意専断の防止が問題とされる。先の例では、行政を脅威とする発想から個別法がLRAとして選好されたが、 ﹁立法の専制﹂の危険を強調する立場からは、個別法が自由に対する敵として忌避されることになる。 議論がねじれた第二の理由は、︽個別法の問題︾の中に含められてきた二つの別個の規範あるいは問題を区別しない から、議論がねじれているように見えるのである。﹁通説﹂が上記の具体例のような立法動機から法律の事実上の射程 ︵特に名宛人︶を限定することを問題視するとすれば、それはおそらく上掲﹁通説﹂の定式のうち③︵権力分立︶ではなく④︵平等原則︶という感受体を通じてであろう。学校法人調停法の下行われる﹁調停﹂なるものは、裁判所のいう とおり当事者に対し強制力を持たないから国会が司法権を纂奪したことにはならないし、また団体規制法は公安審査委 員会に規制措置の発動権限を与えているに過ぎず、法律のみによりオウム教団に対する具体的措置・規律が﹁完成﹂し たわけではないので、﹁権力分立の核心を侵害する﹂とまで行政の領域を纂奪しているというのは困難である。結社の 自由などに関する憲法問題ではなく、個別法に特有のものとされる憲法問題のみに関心を絞った場合、それらの法律を めぐって起きている問題というのは、単一あるいは特定少数の名宛人のみ取り上げ、一般人に対してなされていない規 律を行う︵または逆に、一般人に対してなされている規律を免ずる︶ことが、権力分立原理ではなく、平等原則に抵触 するのではないか、ということである。つまり︽個別立法は[自由ではなく]平等の保障と両立しない︾おそれを生じ させるのである。だがその問題は、普通の一般的法律が憲法一四条に違反するか否かという問題と質的にはあまり変わ らないだろう。つまり日本の最高裁なら、特定人のみを取り上げて一般人に対しなされていない規律を行ったことの ﹁合理﹂または﹁不合理﹂性を問うというお馴染みの議論をすることになるであろう。つまり個別法律の平等原則違反 性の問題というのは、それほど顕著に、その種の法律に︽特異な問題︾とは言えない。 これまでの﹁措置法律﹂あるいは﹁処分的法律﹂をめぐる議論における基本的問題意識とは、本来行政が行うべきこ とを立法府が行ってよいのか、というものではなかったか。もともと行政上の﹁措置﹂とか行政﹁処分﹂といった言葉 をわざわざ用いたのは、まさにそのような意味を込めてのことではなかったか。それは、本来行政が行うべき規律と同 じ内容の規律を、行政による決定を待たず、立法段階で行ってよいのか、という問いであったはずである。この問いに おける中心問題とは、規律︽内容︾が憲法上の実体的権利規定に違反するか否かという、法律がしばしば引き起こす可
能性のある通常パターンの憲法適合性問題ではなく、むしろ当該法主体に対する規律を形成するための︽過程・手続︾ の問題なのである。個別法の平等原則違反性問題は前者︵規律︽内容︾が憲法上の実体的権利規定に違反するか否かと いう、法律がしばしば引き起こす可能性のある通常パターンの憲法適合性問題︶に属する。 ︵3︶︽処分的︾法律による権力分立原理違反問題 とすれば、﹁措置法律﹂・﹁処分的法律﹂が︽自由︾に対して︽独自の問題︾となるのは.むしろ③の権力分立原則に 抵触する可能性があると考えられるからではないか。そこで、それが一体いかなる問題なのかを明らかにしていこう。 法律がコ般・抽象的﹂であるとか﹁個別・具体的﹂であるとか言う場合、その意味は何か、という、こうしたテー マを扱う際に基本的かつ融け巴な問題につき精確に述べないでここまで来てしまった。受範者が不特定多数であるのが コ般﹂、特定少数の場合︵特定単数である場合はもちろん︶が﹁個別﹂といわれる。これに対し﹁抽象的﹂とは適用さ れる事件が不特定多数、逆に﹁具体的﹂とはそれが特定少数︵もちろん特定単数の場合を含むであろう︶の場合である
パぴロ
といわれる。これは確かに古くから有力学説が説くところなのだが、前者︵一般¢個別︶についてはともかく、後者 ︵抽象¢具体︶については本稿課題の分析にとって有用であるとは思えない。なぜなら特定事件を取り巻く当事者は特 定少数者であろうから、﹁個別﹂︵コ般﹂︶と﹁具体﹂︵﹁抽象﹂︶の間に実質的には区別がないことになってしまうから である︵受範者限定法と対象事象限定法とが多くの場合重なり合っていたことを想起されたい︶。 美濃部達吉が、別の見方への鍵を用意していた。美濃部は個別的法律の問題を論じるに当たり、一般的.抽象的法規 範と個別的・具体的行政行為との間に存するもう一つの中間形式として︽一般処分︾に言及していた。特定場所の道路交通に関する警察署長の定立する︵道路標識が示す︶規律、︵かつての︶予防接種の命令などがその例としてあげられ てきた。美濃部はこれをコ般的ナルモ抽象的ナラザル﹂規律の例としていた。彼はさらに﹁法律二依リ満二十五歳以 上ノ帝国臣民タル男子ハ選挙権ヲ有スル﹂という定めはコ般法タルト共二具体法タルニ重ノ性格ヲ有シ、行政行為二 依リ之ヲ具体化スルコトヲ要セズシテ、法規二依リ直接二法ヲ完成ス﹂と述べている。つまりここでは、︽抽象的⑪具 体的︾という言葉が、一般的事件を対象とするか個別事件を対象とするかといったことではなく、行政処分を待たずに 国と被治者との間の法関係が﹁完成ス﹂るか否かという意味で用いられている。このような意味で用いるならば、︽抽 象的⑪具体的︾ということが、︽一般⑪個別︾と異なる独自の有益な意義を持ちうることになる。 以上述べたことは、戦後の判例にも確認できる。最高裁は、旧行政事件訴訟特例法一条あるいは現行行政事件訴訟法 三条にいわゆる﹁処分﹂につき、﹁公権力の主体たる国又は公共団体がその行為によって、国民の権利義務を形成し、 或はその範囲を確定することが法律上認められている﹂ものだという見解を繰り返して来たが、最一小判平成一四年一 月一七日︵民集五六巻一号一頁︶は、﹁みなし道路﹂の二括指定﹂を内容とする県の告示に処分性を認めた。ここで も名宛人の個別性ではなく、規律内容の確定性︵﹁個別指定﹂を待たずとも規律内容が確定すること︶が重視されたこ とになる︵名宛人の範囲確定性H個別性の問題は、規律内容の確定性の問題に包摂されるのでないかとの問題はおく︶。 法律段階で︵行政処分を待たずに︶﹁法ガ完成﹂するのを﹁処分的法律﹂として問題視するのであれば、上記のよう な“一般処分的法律”も同様に考えねばならない。一般処分は従来立法ではなく行政処分の特殊なものとして位置づけ られてきているから、行政処分と同一の規律を行うことが権力分立原理に抵触する︵行政の聖域への侵害︶というなら、 それは法律の内容が一般処分と同じものであっても同様だからである。また各人の︽自由︾が被る不利益度は、同じ不
利益を受ける道連れが何人いようと緩和されはしない。不利益を受けているのが特定少数者のみに眼られることは、 ︽平等︾とのかかわりでは大いに問題となり得るが、各人それぞれの︽自由︾とのかかわりではイレレヴァントである。 いずれにせよ、一般処分含め行政処分と同一内容の﹁確定的﹂内容の立法︵﹁処分的法律﹂︶を行うことは、﹁通説﹂ の定式の枠組みの中で考えた場合、④の平等原則ではなく、③の権力分立原理に抵触する可能性があろう。さらに以上 述べたことを﹁通説﹂の枠組みの中に入れて整理すると、︽個別的︾法律は、︽具体的︾︵もちろん本稿における意味で。 ﹁処分的﹂とか﹁確定的﹂と言いかえてもいい︶でなくとも、︽個別的︾であるというだけで﹁通説﹂の定式のうち④の 審査を受けるべきことになる。逆に︽具体的︵処分的︶︾法律は、個別的でなくても︵つまり一般的であっても︶、︽具 体的︵処分的︶︾であるという一点のみで③の審査を受けなければならないことになろう。こうしたことから以下、︽個 別︾法律と︽処分的︾法律という言葉を、異なった意味で︵それぞれ異なった憲法上の規範に抵触するものとして︶分 けて用いることにする。 以上述べたところを具体例をあげつつ確認する。美濃部は”一般処分的法律”として上記のような例をあげたが、だ とすれば、現行公選法九条一項および二項、一〇条一項についてもそういわなければならないであろうし、同法別表の 選挙区割および当選人定数配分規定がそうだという意見もある。もっとも現行日本国憲法は四四条及び四七条において、 選挙人の資格その他選挙に関する事項を法律の専権としているから、それらの法律が処分的であることの憲法違反性は 問題とはなりにくい。﹁ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律﹂︵平成二二年法律第六三号︶ は第二条において、﹁この法律において、﹁ハンセン病療養所入所者等﹂とは、らい予防法の廃止に関する法律︵平成八 年法律第二十八号。以下﹁廃止法﹂という。︶によりらい予防法︵昭和二十八年法律第二百十四号︶が廃止されるまで
の間に、国立ハンセン病療養所︵廃止法第一条の規定による廃止前のらい予防法第十一条の規定により国が設置したら い療養所をいう。︶その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所︵以下﹁国立ハンセン病療養所等﹂という。︶に入 所していた者であって、この法律の施行の日︵以下﹁施行日﹂という。︶において生存しているものをいう﹂として、 対象者を特定している。これはこの法律の︽個別︾性を示す。一方同法は第五条で、補償額も﹁具体的に確定﹂してい るが、こちらは︽処分的︾である。、公庫・公団など特殊法人の設立法は、当該法人を名指ししている点で︽個別的︾で あるが、私人間の法律行為に対する補充行為︵認可︶、または法人格という地位と一定の業務遂行権とを付与する設権 ︵特許︶といった、いずれにせよ形成的行為の内実を持つ︽処分的︾法律だとも考え得る。東京都外形標準課税条例 ︵﹁東京都における銀行業等に対する事業税の課税標準等の特例に関する条例﹂︶をめぐる議論において、大手銀行のみ 狙い撃ちにするものだ︵憲法問題として言えば一四条に抵触する疑いがある︶との批判は︽個別性︾に関係する。同条 例の無効確認とその制定行為による損害の賠償を求めた裁判で裁判所は一・二審とも、同条例施行により直ちに具体的 租税債権債務関係が確定するわけでないことを理由にその処分性︵抗告訴訟対象性︶を否定した。同じくその抗告訴訟 における審査対象目﹁処分﹂性が問題とされたものに﹁京都市古都保存協力税条例﹂がある。同条例は特定の寺院名を 指定して、そこへの拝観者に対し課税するが、寺院の特定という点は︽個別性︾にかかわり、税額の確定という点は規 律内容の︽具体性︾にかかわる。
四︽不利益処分的︾法律の問題
1法律妙処分の段階構造の意義 法律が︽処分的︾でないこと、すなわち法律のみでは﹁法ハ完成﹂せず、行政処分を待って初めて﹁法ガ完成﹂する という過程︵藤田宙靖いうところの﹁三段階構造モデル﹂︶を経ることが被治者の︽自由︾保護に資するのはなぜであ ろうか。考えられるのは、規律の確定へと向かうプロセスの中でそういう︽手続︾を踏ませることにより、処分前には 行政手続に服させ、処分後には司法による救済を確保することを通じて、被治者の自由を、要するに手続的に保護しよ うとしている、ということである。では﹁処分的法律﹂限りで規律を﹁完成﹂してしまった場合、同じ手続的保護を名 宛人に対して与えることができるか。なお、本稿三1︵2︶で述べた”裁判的法律”の問題も、公正な裁判という︽手 続︾をショートカットした個別具体的規律形成という同じ構造の問題とも言いうるであろう。ここで論じるのは、”行 政処分的法律”が抱える適正手続ショートカット問題である。なお繰り返しになるが、ここにいう︽処分的︾とは、 ︽個別的︾ということではない。当該法律により形成される規律の名宛人が単一の法主体であろうと、あるいは道連れ が何千何万いようと、法律段階で具体的規律内容が完成しており、別途行政処分を行わずとも適用対象者の法的地位や 権利義務を確定的に変動させるものであれば、その法律は︽処分的︾である。 処分前の行政手続を通じての権利保護という点についてはどうか。﹁象のオリ﹂訴訟に関する最一小判平成一五年 二月二七日︵民集五七巻一〇号一六六五頁︶は、当該法律を﹁新たな行政処分を介在させずに、当然に⋮土地等につ き暫定使用の権原が発生することをさだめたものであ﹂る︵つまり本稿にいう意味での︽処分的法律︾である︶ことを真正面から認めた上、憲法三一条の保障が行政手続についても及ぶか否かに関し成田新法判決︵最大判平成四年七月一 日.民集四六巻五号四三七頁︶で示した法理を本件にも妥当させ、当該法律は憲法三一条の法意に反するものではない とした。 処分後に当該個別的規律につき司法審査を受ける機会については、具体的には﹁処分的法律﹂が抗告訴訟の対象とな りうること︵﹁処分性﹂︶が認められれば、同じ規律が︽抽象的法律U行政処分︾というプロセスをたどって形成された 場合と比較してそれほど不利だとはいえないであろう。これについては下級審判例がある。例えば﹁京都市古都保存協 力税条例﹂につき大阪高判昭和六〇年一一月二九日︵判時一一七八号四八頁︶は、﹁条例は、通常その内容が一般的、 抽象的であるため、その条例自体の有効、無効は法律上の争訟に該当しない⋮が、例外として規定内容が特定的、具体 的で特定個人の権利義務、法的利益に直接かつ具体的な影響を与えるときは、抗告訴訟の対象適格性を有﹂すると述ベ ている︵ただし当該条例には処分性が無いとした︶。なお行政処分と異なり処分的法律には﹁公定力﹂が無いとすれば、 抗告訴訟を起こさずとも、いきなり﹁争点訴訟﹂︵に当たるもの、すなわち当該処分的法律の合憲性を先決問題とする 民事訴訟︶を起こして、その訴訟の中、当該処分的法律の合憲性を裁判所が審査可能ということになるだろう。また処 分的法律の内容を執行する事実行為が既に行われ、もはや原状回復が不可能となったため、抗告訴訟や争点訴訟では目 的を達成し得ない受範者が国家賠償請求訴訟を提起し得ることについても異論は無いであろう。 こうして訴え自体の適法性が認められ、あるいはさらに処分的法律の憲法適合性審査へと裁判所が入ってくれたとし ても、問題は、対象が法律である以上、原告側がなしうるのは違法レベルの主張ではなく違憲主張しかありえない、と
パぼロ
いうことである。同じ内容の個別的規律が、行政処分を待ってなされるのではなく法律制定段階で完了することにより、名宛人H原告の立場は具体的にどのような形で不利になるであろうか。 行政処分の法律適合性審査には、その実体内容的審査と並んで処分に至る手続・判断過程の法律適合性審査がある。 このうち実体内容面の審査についていえば、個別的規律を法律段階で完成しようと行政処分を待って完成しようと、同 じ内容の規律には同じ憲法適合性審査がなされることになろう。問題は、個別的規律の形成が行政処分を待ってなされ る場合には、当該個別的規律および根拠法律の両方につき違憲性を主張しうるし、さらに処分の根拠法律違反性を主張 することもできるのに対し、法律で個別的規律が完成される場合、名宛人は当該立法の違憲性のみしか主張し得ない。 処分の名宛人がその違憲あるいは違法を主張する公法関係訴訟において、︵日本では数少ない︶原告勝訴パターンが圧 倒的に違憲ではなく違法を理由とするものであること︵この背後にはおそらく、少なくとも一つには、法律に対する憲 法の規律密度の希薄性¢立法裁量の広汎性と、行政処分に対する法律の規律密度の濃密性⑪行政裁量の狭さ、という問 題があろう︶を考えると、個別的法律は、同じ内容の規律を行政処分を待って定立することとの比較で、名宛人を不利 にすると言わざるを得ないようにも思われる。 行政裁量統制論分野においては、﹁手続的統制﹂、あるいは﹁判断過程審査﹂といった手法が、むしろ判例に先導され