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F. チェニーと日本の解題書誌に関する考察:『日本の参考図書解題』,『参考図書の解題』,『日本の参考図書』

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キーワード:フランシス・チェニー, 日本の参考図書解題, 弥吉光長, 日本の参考図書, アメリカ図書館研究調査団

F. チェニーと日本の

解題書誌に関する考察:

日本の参考図書解題 ,

参考図書の解題 ,『日本の参考図書

抄録 第二次世界大戦後の1951年に慶應義塾大学の中に開設された日本図 書館学校において, F. チェニーは本国アメリカで自身が磨いた書誌 作成技術を学生に実習を通じて教えた。1955年, 弥吉光長の解題書誌 『参考図書の解題』が刊行される。また, 1952年米国に帰国した F. チェニーは, 1959年受入先の責任者として, 日本からのレファレンス を学ぶ「アメリカ図書館研究調査団」を迎えた。彼らに米国のレファ レンスの現状を見せ学ばせた結果, わが国の主要なトゥールである 『日本の参考図書』は生まれた。1962年のことであった。日本の書誌 とその作成ノウハウの蓄積に関して, 彼女の影響は小さくなかったと 考える。

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1. はじめに

日本の戦後改革の一環として, 1951年慶應義塾大学の中に日本図書館学 校 ( Japan Library School ; JLS) が設置された。そこでレファレンスサービ スを教え, その後の日本の図書館界にレファレンスサービスの意義, 知識 とスキルが普及, 浸透するうえで, F. チェニー (Frances Neel Cheney, 19061996) が大きな貢献を果たしたことはよく知られている。アメリカ の図書館界で彼女が活躍し始めた1940年代には, レファレンスワーク (レ ファレンスサービスという言葉が定着する以前「レファレンスワーク」と いう言葉が使われていた) を専門とするアメリカ図書館員にとっての専門 的業務の1つが書誌作成であった1)。当時のアメリカにおいて, 彼女はレ ファレンス教育の専門家であるとともに, 書誌作成のプロフェッショナル として知られていた。F. チェニーは, 米国議会図書館 (LC) で19431945 年の間書誌作成経験がある2)。また, Wilson Library Bulletin に月刊コラム

記事 Current Reference Books を彼女がピーボディー図書館学校を引退す るまで約30年間 (19421972年) 担当した。対象とした資料は5,819冊であっ た。

JLS の授業で解題書誌作成の実習を行い, 学生たちの実習成果を文字幸 子とともに編集し, 1952年に JLS から An annotated list of selected Japanese reference materials (並列タイトルは『日本の参考図書解題 , 以後これを使 用。本文は英語)3)を刊行した。1955年, 弥吉光長は『参考図書の解題 4) を刊行している。また, 1962年, 福田なをみ (直美) (19072007)5)を中 心に, 日本で初めての本格的書誌解題といわれる『日本の参考図書 6) 出版された。いずれも解題書誌である。 本研究は, 関係文献を参照しつつ, F. チェニーの『日本の参考図書解 題』と弥吉の『参考図書の解題 , 福田らを中心とした『日本の参考図書』

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のこの時代における意義, 影響関係について, それぞれの本文にあたり検 証する。また, 日本の主要なトゥールとなった『日本の参考図書』への F. チェニーの影響も調査する。 2. 解題書誌:米国と日本 『図書館用語集 4 訂版 7) によると,‘解題書誌’とは 書誌的事項の ほかに著者の業績, 著作の由来, 内容, 形態などについての解説 (解題) の付された書誌, 解題付の図書目録の意味で, 解題書目ともいう。『日本 の参考図書』などがこれにあたる。と説明している。解題書誌には, 通 常3つの目的があると長沢雅男はいう。 …解題書誌では, 通常, 次の三つの目的が掲げられる。すなわち①図書 館における参考図書選択のためのトゥールであること, ②レファレンス係 員の質問回答サービスの際のトゥールであり, かつ研究者の文献利用手引 であること, さらに③図書館学を専攻する学生の教科書であること, と述 べている8) レファレンスワークの発展は, 参考図書の発達により左右されるといわ れている。図書館内にレファレンスワークの組織があり, 優秀な図書館員 (レファレンスライブラリアン) がいても, 参考図書, レファレンストゥー ルが無ければサービスはできない。 米国においてレファレンスワークに欠かせないレファレンストゥールの ひとつである解題書誌は, A. クレーガー (Alice B. Kroegar, 18641909) によって Guide to the study and use of reference books が作られ9), それは教

え子の I. マッジ (Isadore Mudge, 18751957)10)に引き継がれた。その書名

は, Guide to reference books である。I. マッジはコロンビア大学図書館に 入り, 大学図書館に参考調査を定着させた人物である。「アメリカでの参 考業務は公共図書館から始まるが, 研究を支える学術図書館の参考調査は

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マッジから始まったと言える…」11)1940年代にはレファレンスワークが確

立 し , 欠 か せ な い レ フ ァ レ ン ス ト ゥ ー ル と し て , C. ウ ィ ン チ ェ ル (Constance M. Winchell, 18961983) の Guide to reference books の存在が不 動のものになった。「Guide to reference books 無しには生きられない」と F. チェニーはいっている12)。戦後の日本の大学図書館で一般的に使われたこ の解題書誌は, このように I. マッジの成果を引き継いだものである13) 。 日本においては1950年に制定された「図書館法」に司書, 司書補の資格 が規定され, 図書館奉仕, すなわち図書館のサービスとして貸出や参考 奉仕が明記された。その戦後の新しい図書館活動のなかで, 長沢雅男は, 1960年ごろから参考図書の解説書の必要性がしきりと取りざたされるよ うになった。当時においてもそのようなものが無かったわけではない。と りわけ, 波多野賢一・弥吉光長共編の『研究調査参考文献総覧』は特記す べきものであった。と述べている14) が, その出版は戦前であった。 3. 第 2 次世界大戦直後の解題書誌 1) 日本図書館学校で作成された書誌『日本の参考図書解題』 F. チェニーはバンダービルト大学卒業後, 母校の図書館に就職し, レ ファレンスを担当した。その後教員となり退職するまで母校で教鞭をとっ た。19431945年に一時大学を離れ LC で働いた。そこで書誌作成に携わっ ている。同時に, 1942年からは, Wilson Library Bulletin15)

の月刊コラム記 事 ‘Current Reference Books’ の連載を始め, 1972年まで続けた。その彼 女が JLS 校長の R. ギトラー (Robert Laurence Gitler, 19092004) に招聘 され, JLS でレファレンスを教えたのは, 19511952年の期間であった。 彼女が書誌作成の経験を JLS の授業に反映させ, 学生たちに書誌作成実 習を行い, 文字幸子とともに編集し,『日本の参考図書解題』が, JLS で の教育の成果物であったことはすでに2015年に明らかにした16)。当時の日

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本には書誌が乏しく, 志智嘉九郎の網羅的な「reference 文献リスト」17) あげられている書誌もわずかなものである。 F. チェニーは, 解題書誌実習を JLS の1952年 1 月から 2 月にかけて 「インフォメーション及び書誌資料, ならびにその取扱法」の科目で実施 した。この実習で (すなわち『日本の参考書誌解題』の) ベースとしたの は,「…1951年 1 月, アメリカの議会図書館でまとめられた原稿を増補改 訂したもの…同図書館の東洋部日本課で最も利用度の高かったもの…」18) を使用したのであった。 (1) 米国 LC における極東研究 米国では当時極東研究がさかんに行われ, LC の日本語コレクションの 形成には, 坂西志保 (18961976)19) の関与も大きいといわれている。LC では1931年に東洋部 (Orientalia Divison) が, 1938年に東洋部に日本課が 置かれ, 中国関係と分離されるほどになった。坂西はミシガン大学で博士 号を取得し1930年に日本専門家として赴任し1942年まで LC で働いた。 1939年に同じく LC で働いていた福田と知り合い, 福田は坂西の影響を受 けたという。坂西は1942年に帰国, 戦後は GHQ / SCAP (連合国軍最高司 令官総司令部) に勤務した。一方福田は1934に渡米し, 1935年ミシガン大 学に留学, 1939年に LC に勤務, また1940年ミシガン大学に修士論文を提 出し帰国した。1945年 GHQ / SCAP に勤務したのち, 1953年からは国際文 化会館図書室長に就任後, 独自の図書館活動を発展させた。 日本研究の高まりを示す調査がある20)。1958 年アメリカ図書館協会 (ALA) は, 極東集書実態調査 (1957年現在) を行った。第二次世界大戦 後, 収書の数やバラエティの豊かさがみられ, 中国・日本・朝鮮その他, 極東国語の資料の所蔵については, 米国内の約20館の大図書館 (ミシガン 大学など), その他小図書館で, 計約250万冊が所蔵されていた。うち日本

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の資料は約84万冊であった。 (2) 実習内容 学生たちに各々の書誌的記録を担当させた。すなわちクラスを何組かに 分け, 原表 (前述の LC 東洋部日本課作成リスト) の各部門に目を通し, 書誌的データ, 新版の有無を確かめ, 更に加えるべき図書の選択に当たら せ, リストの各部門を担当させた。160点の書誌事項は日本語と英語で記 され, 解題は英文で作成されているという解題書誌である。 内容をみると, 著者名, 書名はすべてヘボン式ローマ字と漢字書き, 書 名には英訳をつけている。出版地と出版者はローマ字書きのみである。文 献の配列は『日本十進分類法』を使用して大まかではあるが主題のもとに 並んでいる。そして検索の便宜を図るため著者名と書名の索引がついてい る。 各資料ごとに解題を作成し添えることによって, 作成する学生たちにレ ファレンストゥールについての知識を定着させる効果があると思われる。 あとがきに この表が編さんされた本来の目的を果たし, 今後更に改訂 が行われることを願っております。とむすんでいる。 レファレンスサービスにおける書誌作成の必要性を F. チェニーは M. ハッ チンス (Margaret Hutchins, 18841961) から学んだ。M. ハッチンスは C. ウィンチェルと同じく I. マッジの教え子である。レファレンスが利用者援 助であり図書館員のほうから積極的に利用者に手を差し伸べることである とともに, 二次資料で不足する資料があれば, 図書館員が自ら作成すると いうことを F. チェニーは M. ハッチンスから学んだ。また彼女は LC の書 誌作成機関で働いていたことの経験もあり50年にわたって Wilson Library Bulletin の月刊コラム記事 “Current Reference Books” の連載を続けたこ となどが JLS の授業の中に活かされたとみる。JLS における解題書誌の実

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習は, 日本のその後を担う図書館関係者に具体的な書誌作成方法を教え, それとともにレファレンスサービスにおけるレファレンストゥールの重要 性を教えたものと思われる。本国で F. チェニーは, the Profession’s Num-ber-One Reference Reviewer と評価されている。

F. チェニーの教えを受け後に JLS 教員となった長沢は, アメリカ図書 館学における図書館員の解題書誌作成を身につけた人物でもある。彼の 『図書館学研究入門』は, 文献リストを作成する方法をまとめている21) この文献によって彼が得た文献リストの作り方を確認したい。文献リスト は,「…論文を書こうとする最初の段階で先行研究の有無を確認したり, 関係文献を拾い出したりするために使われる…さらに…文献に解説を加え て紹介したり, 選び出した文献に基づいてレビューをまとめたりするとき にも作られる。…図書館の重要な仕事として学生に課されることがある。」 と, その重要性が記されている。この中に,「文献リスト作成の手順」の 項目があり, 文献リストは次のような順序で作られることになるという。 企画段階では, (1)テーマとその範囲を決め, 合わせて (2)利用目的 と利用対象が決められる。(3)収録資料の範囲と (4)書誌データの記述 方式も決められる。 書誌データの最終段階では, (5)収録資料のデータを採集し, (6)その 仮ファイルが作られる。 (7)それを手がかりにして現物資料との照合が行われる。 最後の編成段階では, (8)照合済の書誌データの配列方式を決めて編 成される。(9)レイアウトが決められ, (10)索引等の構成要素を加えて 製本される。 書誌を構成する書誌データの表わし方として, 図書の場合は, 以下の ように記載されている。 (1)著編者名 (2)書名 (3)版表示 (4)出版事項 (5)対照事項 (6)

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叢書注記 の順に記載する。 さて, 共編者の文字幸子であるが, JLS において, 講義に提供される文 献の抄録や英語の日本語訳などにも関わった人物である。第二次世界大戦 直後に新しく開設された JLS に勤め, アメリカ人教員をサポートし, ア メリカ図書館学を日本人に橋渡しする役割の一端を担った人物であった。 2) 1950年代の参考図書, 弥吉『参考図書の解題』 1955年に弥吉光長 (19001996) が『参考図書の解題』を編集・出版し た。弥吉は戦前から活躍する書誌作成者である。この著作を刊行した時は, 国立国会図書館支部上野図書館参考課長であった。その後1959年に同館整 理部長となり, 1966年に退職し, 1969年から國學院大學栃木短期大学教授 を務めた。 彼は戦前1934年に, 波多野賢一 (18961943) とともに『研究調査参考 文献総覧 22)を刊行している。共編者の波多野は戦前にレファレンスワー クを日本に紹介した一人であり, 彼の論文「図書館に於ける参考事務」23) は, JLS および1951年文部省主催で開催された指導者講習会でレファレン スを教授した F. チェニーの教材として使われた。『研究調査参考文献総覧』 については長澤が特記すべきものと評価している24)ように これは, 文献 目録の金字塔といわれる偉業である。25)と称えられるものであった。また 弥吉も JLS の講義シラバス26) にその著作「参考文献入門 百科事典の巻」27) が使用されている。 弥吉の『参考図書の解題』の「はしがき」28)には, この時の出版に至る までの苦労が述べられている。この『参考図書の解題』の目的は, 広く 応用のきく図書を集めて解題を加え…ここに収録した図書は, 極めて一般 的なものに限って…29)と書かれている。収録した全標目数は, 歴史部を 加えて約4,000であった。弥吉はこの解題を作成するために苦労したこと

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を吐露し, 友人の助力によって完成したことを「はしがき」に記している。 この書誌について, 堀込静香は …「参考図書の意味―参考図書の分類」 「参考図書選択の条件」を置く。辞典, 百科事典などの章にわけ, 解説を し, 個々の参考図書の解題へ導いている。図書館についての初学者や初心 者へのレファレンス・サービスを行う上でのガイドブック的役割を果たし ている。30) と説明をしているように, ある分野の参考図書の解説や沿革, 研究法などについて述べるという分かりやすい構成になっており, 学生の 教科書として使う目的にも良いかも知れない。堀込は 第二次世界大戦後, 初めて出版された参考図書の解題書誌である。31) と述べている。 このように弥吉の努力の末に出版された解題であったが, 長沢が特記す べきものと評価した『研究調査参考文献総覧』の改訂版ではなく, それは 未だ出版されていなかった。この著作への改訂版へのニーズでなく, 図書 館界では新しい解題書誌へのニーズが高まっていきつつあったという32) 。 3) 日本の参考図書』 (1) アメリカ図書館研究調査団 1940年に日本に帰国した福田は GHQ を含め様々な仕事についた後, 国 際文化会館で図書室長として働き始めたことはすでに述べた。国際文化会 館はジョン・D・ロックフェラー三世と松本重治との出会いによって生ま れた会館で, 日米間の知的・文化的交流を促すことを目的としていた33) 。 当時会館は福田を中心にして, 図書館学分野での見えざる大学 (invisible college) を形成していたと高山正也は指摘している34)。月例会があり, 図 書館建築, 図書館協力, レファレンスワークなどをテーマに熱心に議論が 戦わされたようである。このことによって日本の図書館界の指導者を育て たといわれている。1959年, 福田を中心としてアメリカ図書館研究調査団 (以下, 調査団) が組織され, ロックフェラー財団の資金援助と受け皿で

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あったアメリカ図書館協会 (ALA) の協力のもと米国のレファレンスを 2 か月をかけ 7 ヵ所でのセミナーによって学ぶことになった。名称を U. S. Field Seminar on Library Reference Services for Japanese Librarians という。 このセミナーの実現に向けて, 慶應の図書館学科に戦後すぐの時期にわ が国に教えにきたことのあるアメリカ図書館界の関係者の努力があったこ とは指摘しておく必要がある。35) その人, ALA の委員長は F. チェニー (当時, ピーボディ図書館学校助教授) であった。この旅については, 小 出いずみの論文に詳しい36)。この視察旅行に参加した人たちは, 団長の福 田を含めて, 以下の 9 名であった37) 福田なをみ (団長, 国際文化会館) 天土春樹 (国立国会図書館) 岩猿敏生 (京都大学図書館) 小田泰正 (国立国会図書館) 後藤純郎 (日本大学図書館) 澤本孝久 (慶應義塾大学図書館学科) 清水正三 (京橋公共図書館) 鈴木平八郎 (国立国会図書館) 林政雄 (大阪府立図書館) 調査団は1959年10月 3 日∼12月 4 日の 2 か月間, アメリカ各地で主要な 図書館を視察し, また, カリフォルニア大学バークレー校, ALA, ニュー ヨーク公共図書館など 7 ヵ所で開催されたセミナー討論に出席した。80以 上の図書館を見学し, 500名余りの図書館人と会ったという。学んだテー マは, 参考図書とそのコレクション, レファレンス・サービス, 主題別部 門化の問題点と現状, 参考質問などであった。 調査団の報告書は1960年 4 月に,『アメリカの図書館』および American Libraries という書名で刊行された38)。報告書にはレファレンス・サービス

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の発展には, 参考図書の発達により左右されることがあちこちで指摘され ている。名高い Guide to Reference Books の編集者である C. ウィンチェル は, 先輩であり指導者でもあった I. マッジから学んだ利用に役立つレファ レンス・コレクションの設立方法について語ったことの記録も含まれてい る。この報告では, アメリカの図書館における参考活動の役割とその重 要性が指摘, 紹介されていた。それを契機に, 日本の図書館においては, 参考活動にたいする認識が急速に高まったと考えられる。39) F. チェニー は, レファレンス・ツール作成方法のほか, あらゆるテーマについて積極 的な発言をしていることは日本語版, 英語版の報告に記録が残っている。 (2) 日本の参考図書』 1962年に福田を中心として, 日本に於ける最初の本格的な参考図書解題 書誌といわれる『日本の参考図書』が出版された。収録約2,900冊である。 福田が率いたアメリカ図書館調査団の…直接的な成果は,『日本の参考図 書』の刊行である40)。そしてその直接的な影響は …ウィンチェル女史 にじかに会って話を聞いた影響だと思いますと後藤純郎は語っている41) 長沢は …参考業務を実施する上で, レファレンス・コレクション…その 選択トゥールとして役立つものが不備であった…。42)とその当時の状況を

述べ, そこから …わが国でも Winchell の名で知られる Guide to Reference Books と同じようなガイドを編集する必要がある…その編集を企画された のは, …福田なをみさんであった。43) と『日本の参考図書』の必要性を 伝えている。財団法人国際文化会館専務理事の松本重治 (18991989) は 『日本の参考図書』の序に, いまだにわが国では, どのような参考図書 が, どの分野において出版され利用できるかを包括的に教えてくれる解説 書に恵まれていません。と述べている。また, 長沢は編集の実際は …国内に先例として見本になる解題書誌がなかったこと, 執筆者の間に

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共通の基礎がなかったことなどのために, 甚だ不統一で, 採用できなかっ た原稿も少なからず混入していたようである。と書いている。当時の日 本の図書館界には人手と資金の余裕が無かったため, 再びロックフェラー 財団の資金援助を受け, 国際文化会館図書室内で編集が行われた44)。内容

の大まかな構成は, C. Winchell の Guide to Reference Books に基づき, 総 記, 人文科学, 社会科学, 科学技術, 索引となっている。なお編集委員の 中には, 調査団参加者や JLS の関係者が含まれていて, 藤川正信以下 9 人の編集委員が企画を立て, 100名を超える図書館関係者が各分野の執筆 を担当した。 (3) 日本の参考図書』の改訂 1962年の初版の後, 1965年に改訂版そして1972年に補遺版が出版された。 初版, 改訂版そして補遺版の実質的な責任者は森博であった45) 。 藤野幸雄によると, アメリカ図書館協会からこの本の英語版を刊行す るという話があり, 英文に訳す以前に, 記録の形式と解題部分の日本語の 表現を統一しておかねば英訳することが困難なための改訂であったとい う。1966年に ALA から英語版の要請があったが, 英語版は始めから予定 されていた。英語版は当時の米国の日本研究者たちのニーズによる。この 文献には2つの方針があった46) 第一に, 英文に訳すための解説部分の統一である。図書館員のための 解説としては, その本が何であり, どのような構成となっていて, 版次 をどう重ねているかについて知らせる必要があり, 同時に解説の書き方 は客観的で統一のとれたものでなければ, 通用しないので, この点を一 貫した方針のもとに書き改めること, そして第二に, 本の書誌記述部分 でも, 統一と正確さの点でも調べなおしをすることであった。 大変な苦労の末に改訂版は完成した。この改訂作業の激務によって森博

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を喪うことになった。この後版権は JLA に譲渡され, 継続的に改定する ことになる。 4) 3 点の書誌の特徴 『日本の参考図書解題』 ・F. チェニーが米国で学んだ書誌作成方法に基づいた書誌解題 ・ベースとしたものは, …1951年 1 月, アメリカの議会図書館でまとめ られた原稿を増補改訂したもの…同図書館の東洋部日本課で最も利用度 の高かったもの… 『参考図書の解題』 ・弥吉が個人的に作成した解題書誌。 ・弥吉は戦前にも波多野と共編しており, 経験と実績をもつ ・収集分野が全分野とはいえない 『日本の参考図書』 ・調査団帰国後の書誌 ・国内出版書誌の網羅性を第一義においた初めての解題書誌 ・当時の図書館専門家で執筆を分担した ・国内に見本になる解題書誌がなかったこと, 執筆者の間に共通の基礎が なかったことなどのために, 甚だ不統一で, 採用できなかった原稿も少 なからず混入 ・編集委員の中には, 調査団参加者や JLS の関係者が含まれていた。 4. おわりに

F. チェニーは, 米国で the Profession’s Number-One Reference Reviewer と評価されていることはすでに述べた。JLS における解題書誌の実習は, 日本の図書館界のその後を担う学生に具体的な書誌作成方法を教えるとと

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もに, レファレンストゥールの重要性を教えた。その成果物として文字幸 子と,『日本の参考図書解題』を産み出した。この解題のベースに使われ たのは, 当時 LC でよく使われていた日本研究の書誌リストであり, これ は LC における日本研究が盛んであったことを示すものである。この時代 共にミシガン大学で学び同じく LC で先輩後輩の坂西と福田の二人の日本 女性は, LC 日本課で日本資料の収集に携わっていた。福田は帰国してか ら GHQ で働き, その後国際文化会館の図書室長を務めた。彼女は米国へ 図書館使節団を送る仕事を担当した。また1959年に調査団を組織し団長と して, 米国へレファレンスを学びに行った。彼女自身はレファレンスをす でに身をもって知っていたが, 日本の「高い地位ではないが, ちゃんとし た職場をもつ」図書館関係者, つまり 2 ヵ月日本を留守にしても帰る職場 のある人たちにレファレンスの実際をみせた。 『日本の参考図書』は F. チェニーの直接的な影響によって出来たもの ではなかったが, フィールドセミナーにおいて彼女は受け皿の委員長とし て, 米国の最新の姿を最高のメンバーを取り揃え, 最高の図書館見学をさ せることによって, 団員たちに米国の図書館学を示し, 日本で『日本の参 考図書』を生み出す下地を作ったと考えられる。この書誌誕生への F. チェ ニーの影響を見逃してはならないと思われる。 帰国後公刊された『日本の参考図書 47)は, 日本における本格的なレファ レンスの基本トゥールであり, 戦後の図書館サービスを支える重要なもの となった。初版は決して完全な形として公刊されたのではなかったが, 多 数の人々の努力で改訂が重ねられ, 今もなお基本的トゥールとして存在し ている。 『日本の参考図書解題』が当時の米国の解題書誌を日本に紹介する役割 を果たした後, 日本で最初の本格的な, しかしアメリカの資金援助によっ て『日本の参考図書』が生まれるのであるが, 日本の弥吉・波多野の解題

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書誌の影響を直接受けたものでなく, C. ウィンチェルを見本に作成され たのであった。これは始めから, 米国の日本研究者・図書館員たちにとっ て使いやすいものを目指していたと言えるのではないかと考えられる。 謝辞 本稿を作成するにあたり, ご指導を頂きました山本順一教授に心より感謝申 し上げます。 * 本稿では, 引用の旧字体を, 原則として新字体に訂正した。 【注・引用文献】 1) サミュエル・ローススティーン著, 長澤雅男監訳『レファレンス・サービ スの発達』日本図書館協会, 1979, p. 99. 2) 19431944年, アラン・テイトのもとで, 詩部門のチーフ・アシスタント として, Sixty American Poets を編集。19441945年, 一般参考・書誌部門で 書誌作成者として働いた。

3) F. チェニー, 文字幸子共編『日本の参考図書解題』( An annotated list of se-lected Japanese reference materials), 1952, 36 p.

4) 弥吉光長『参考図書の解題』理想社, 1955, 259 p. 5) 1939年米国のミシガン大学図書館学校を卒業後, LC 東洋部日本課で日本 資料の収集に携わり, 戦争直後は国際文化会館の図書室長。福田については, たとえば高山正也「図書館との出会いをつくってくれた人 福田なをみ女史 を偲びつつ」丸善ライブラリーニュース 復刊第 1 号, p. 14 を参照。 6) 日本の参考図書編集委員会編『日本の参考図書』日本の参考図書委員会, 1962, 353 p. 7) 日本図書館協会用語委員会編『図書館用語集 4 訂版』日本図書館協会, 2013, 368 p. 8) 長沢雅男「 日本の参考図書 :初版から「解説総覧」まで」 書誌索引展 望』4(3), 1980. 8, p. 7.

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10)「Guide to Reference Books を編集し, これを図書館の基本トゥールとし て定着させたイサドア・マッジは, 参考業務を大学図書館の中心的な位置に 据えることに大きく貢献…」と藤野幸雄は説明している。藤野幸雄編著『図 書館を育てた人々:外国編Ⅰ アメリカ』日本図書館協会, 1984, p. 164. 11) 前掲 10) p. 171.

12) Frances Cheney ‘Foreword’ Guide to Japanese reference books American Library Association, 1966, 303 p. ( 日本の参考図書 ) 13) 版 出版年 編者 第 1 版 (1902年)・第 2 版 (1908年) Kroeger 第 3 版 (1917年)―第 6 版 (1936年) Mudge 第 7 版 (1951年)・第 8 版 (1967年) Winchell 第 9 版 (1976年)・第10版 (1986年) Sheehy 第11版 (1995年) Balay 14) 前掲 8) p. 5.

15) Wilson Library Bulletin. New York, Wilson, 1939―Monthly except July and August. 米国図書館界の様ざまな動きを伝えるニュース記事のほか, 主題, 対象別の推薦図書リストや, 図書館向けのパーソナル・コンピュータ・ソフ トウェアの評価, 図書館学関係図書紹介記事を掲載している。公共図書館の 実務家を主な読者対象としている。前身誌は Wilson Bulletin for Librarians (19321939)。 16)「F. チェニーが作成した書誌の検証:日本図書館学校書誌解題実習」 日 本図書館研究会第56回研究大会予稿集』2015, 2. 17) 志智嘉九郎『レファレンス・ワーク』日本図書館研究会, 1992, p. 266 274. (1962年の覆刻版) 18) 前掲 3) p. iii, v. 19) 1922年渡米, ミシガン大学で博士号取得。19301942年 LC にて日本専門 家として働く。 20) レイモンド・ナンほか, 木寺清一訳「アメリカ図書館における極東資料」 図書館界』11(3), p. 124134. 21) 長沢雅男, 戸田慎一編著『図書館学研究入門:意義と方法』(図書館員選 書;16) 日本図書館協会, 1988, p. 265.

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22) 波多野賢一, 弥吉光長共編『研究調査参考文献総覧』朝日書房, 1934. 877 p. 23)『図書館雑誌』110, 1929. 4, p. 715. 24) 前掲 8) p. 5. 25) 小井沢正雄「今なお生きつづける思想:波多野賢一」 図書館を育てた人々 日本編Ⅰ』日本図書館協会, 1983, p. 144.

26) このシラバスは19551956年の Professor George Bonn のものである。 27) 講義番号 120 : Informational and Bibliographic Sources & Methods の No. 20

に「参考文献入門 百科事典の巻」 日本古書通信』Feb. 15, 1953, p. 34 が 使用されている。 28) 前掲 4) p. 2. 29) 前掲 4) p. 2. 30) 堀込静香「「参考図書の解題書誌」の系譜」 鶴見大学紀要 第 4 部 人文・ 社会・自然科学篇』40, 2003. 3, p. 37. 31) 前掲 30) p. 42. 32) 前掲 8) p. 5. 33) 「 公 益 財 団 法 人 国 際 文 化 会 館 」 <https://www.i-house.or.jp/history/index. html 2018/09/20 接続> 34) 高山正也『図書館情報学ハンドブック』丸善, 1988, p. 120. 35) 藤野幸雄『資料・図書館・図書館員:30篇のエッセイ』日外アソシエーツ, 1994, p. 4445. 36) 小出いずみ「福田直美とアメリカ図書館研究調査団」 現代日本の図書館 構想:戦後改革とその展開』勉誠出版, 2013, p. 213248. 37) 前掲 36) p. 232. 38) アメリカ図書館研究調査団『アメリカの図書館』アメリカ図書館研究調査 団 (国際文化会館), 1960, 96 p.

American libraries: report of the U. S. field seminar on library reference services for Japanese librarians, International House of Japan, 1960, 147 p.

39) 前掲 35) p. 45. 40) 前掲 36) p. 241.

(18)

ラム』2(2), 1985. 8, p. 7. 42) 前掲 8) p. 5. 43) 前掲 8) p. 5. 44) …さいわいにもロックフェラー財団が…至りました。序 松本重治 (国 際文化会館) 45) 小田泰正「森君と「日本の参考図書」」 図書館雑誌』65(11), p. 590. 46) 前掲 35) p. 48. 47) 最新版は『日本の参考図書 第 4 版』2002. 9. 1966年からは,『日本の参考 図書 四季版』が現在も刊行中 【参考文献】 前川和子「日本におけるレファレンス教育の開拓者フランシス・チェニーに関 する一考察」『環太平洋圏経営研究』9, 2008. 3, p. 199212.

(19)

A Study on F. Cheney and

Japanese annotated bibliography :

An annotated list of selected

Japanese reference materials,

Sankotosho no kaidai,

Guide to Japanese reference Books

MAEKAWA Kazuko

In 1951 after the Second World War the Japanese library school ( JLS) was opened in Keio university. F. Cheney taught bibliography skill in JLS. She polished the skill in USA. In 1955 Mitsunaga Yayoshi’s bibliography was pub-lished. F. Cheney returned to USA in 1952 and greeted the “U. S. field semi-nar on library reference services for Japanese librarians” to learn from Japan as a person responsible for receiving recipients in 1959. As a result of letting them learn the current USA reference and libraries it, Guide to Japanese refer-ence books that the main tool in Japan was born. It was in 1962. I think that her influence was not small for the development of Japanese bibliography.

参照

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