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文化的危機 : 諸相と対応

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Academic year: 2021

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(1)Title. 文化的危機 : 諸相と対応. Author(s). 大江, 洋. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 53(2): *55-68. Issue Date. 2003-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/750. Rights. Hokkaido University of Education.

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(3) . . 洋. 江 大. 特徴を 反映す るも のと し て捉えられ る。文 化とは当 の時代や社会 を映す鏡な. 「 文 化」 に関 し て法哲学 は これま で主 と して民族問題 の視点 から 議論を組. わば 日常的政策論と して機能す るような アプ ローチも 目立 つよう にな ってき た。 いわゆる文 化経済学や文 化政策学 的な方向 性 であ る。. 持 つ相 反す る性質を端 なくも 示し ている。 一方 で、文化は当該社 会 の内容 ・ のであ る。 文 化 の共有 性とも 呼びう るこう した特 徴は、まさ に文化 の文脈性. 主体とし て の意志と客 体と し ての外部と いう 間が意 志的 に組 み入れ る こと (. 外部 にあ るも の」 を人 目的論的作用」 であ り、 「 よう に、 それ はあ る種 の 「. 意志と知性)を つけ加え て いく。ジ ンメ ルが説く 生産者) が独自 の創造性 (. 文化 作品と して の文 化) は、 共有さ れた文脈 に各 人 ( 他方、狭義 の文化 (. があ るが、まず は問題 の所在を つかむと いう最低限 の目標を達 成 した い。 そ. 本稿は序論的なも のであ るがゆえ に、 かえ って検討が拡散 し てしまうきら い. 狭 二様 の意味 で公 共財 ・公共的資 源と し て捉え、 そ こから規範的な議論を組 。 み立 てるとす ると、 それ はど のような理論 構成とな る のかと いう発想 であ る. たと言え るだ ろう。本稿 の主 眼は、 それと は若干位相を 異 にす る。 文 化を広. み立 ててきた。特 に昨今 の法哲学 的議論 の焦点は多文化主義 に当 てられ てき. ジ ンメ ル、 一 「 主客 両要素 の不可避的な 二元性」) にこそ文 化 の本質 があ る (. 3。 こから 次 の課題も 見え てく るだ ろう装. そ のも の であ る 。. 九七 六” 九 八- ) 1。 した が って、 文 化は、 中 でも 芸術 はそれ が普 遍 的なも の 、 であれば あ るほど、 当 の社会性や時代性を乗 り越え るも のであ る。 そう でな. 超社会性 ・超時代性)は、作品としての狭義の文化に担 文化が持 つ超越性 (. が見 て取れ る のだ ろう か。 以下 に、 いく つか の観点 から整 理を行 っておきた 価値」 「 商品」と いう視点 から捉え、 そ の危機 情報」 「 い。 ここでは文 化を 「. さ て、現代社 会、わけ ても 現 代 日本社 会 ではど のような文 化的危機 の諸相. 二 文化的危機の諸相. 。 2 われ る重 要な意義 であ る※ 文 化」 に対 し てはど のような社 会科学的検討や研究 が これま でな では、 「. を 見 て いく 。. ければ、遠 く離れ た時代や社会 の芸術作品 に、 たとえば、 ミ ロのヴ ィーナ ス や 『オイデ ィプ ス王』 に対 し てわれわれ が心を動 かされ る こと はあ りえな い。. さ れ てき た のだ ろう か。 まず、存在す る文 化 の構造を分析 して いくタイプ の アプ ローチがあ りう る。 これ は、近代以降 の範 囲 で言うならば、芸術 ・宗教. 文化 の権力構造分析 に代表さ れ るような、 広範 囲 の文 化 の批判的分析を 目指. う知識社 会学 での検討と重な る。ま た、 昨今 の議論 に目を向け ると、支配的. 味作用と いう側面を持 つ。 であ るがゆえ に文 化は情 報的あ る いは記号的性質. う に、文化とは明示的 であ るにせ よ黙 示的 である にせよ、 あ る種 の社会的意. 情報 ・記 号とし ての文化 1 ′ 情報 ・記号」 でも あ る。特 に、前述 の広義 の文 化論 から窺え るよ 文 化は 「. 等の文化関連 の具体的領域を意識して論ずる文化社会学や、広義 の知識を扱. すも のが出現 し て いる。 いわ ゆるカ ルチ ュラ ル ・スタデ ィーズや文化帝国主. では、情報 ・記号と し て の文 化 には現在ど のような危機が存在 し ている の 、 だ ろう か。 イ ンターネ ットを は じめと したデジ タ ル情報技術 は か つてな い. 4。 を 有 す る※. での検討も想定さ れう る。 言うならば文 化 に対す る社会 規範的対応 であ る。. 、 次元 での情報 の集積 ・加 工 ・移動性を実現可能と した。今や 程 々 の資力と. 義論 であ る。. たとえば、 各種 リベ ラリズ ム論や、多 文化主義的な議論、あ る いは国民国家. 能力があ りさえすれば 、無 限とも 思われ る情報 に接す る ことが可能な のであ. 上記 の議論が記述 ・実証的な次元 でのも のを中心とす るなら、 規範 的次元. 、 論なども ここに該当 しよう。ま た、記述 ・規範 の次元をあま り意識 せず 言. 6 5.

(4) . 文化的危機~諸相と対応. たとえば、情報 とし ての文化 の断片 化 ・流動化 であ る。情報 の集積 化が進 め. る。 だが、 そ の利点 の裏 には文化的危機とも言え るような 問題性も 見え る。. れ が人間性 の荒廃 に つながらな いとす る のは楽 天的過ぎ る のではな いかoな. 文化と して の行動 類 型 の規格化 ・管 理化が進行す る こととな る。 そ して、 そ. 一九七 七)。 こう した 近 代的管 理が各人 にと って の 「 習 い性」 とな るなら、. ぜなら、 「 無駄 のな い社会 は病 んだ社 会」 ( 平 田、 二〇〇 一” 四 三) だ か ら だ 。 たとえば、精神 医学者 の野田正彰 は、 印象的な 『 させられ る教育』と いうタ イト ルの著 作 にお いて、 現在 の教育 界 に蔓 延す る管 理主義的な教育 行政 風土. ば進む ほど、ど の情報 が本 当 に重要な情報な のか、ま たど の情報と情報を組 困難 とな る。 これと これを つかん でおけば大丈夫、 と いうような スタ ンダ ー ドとしての情報が現在 では成立 しづらくな ってきた。各自は 「 ィ ネ ットサー フイ. ( 管 理主義的教育行政 「 文化」)を捌挟す る。 日く、. み合 わせ てより大きな情報群 を構成 し ていくかを 理解 ・整理す る ことが甚だ. ン」を享受 し つ つも、確 かな 手応え のある情報を つかむ機会 に恵まれ ている. いると言えなくもな い。 そ こでは半ば 強迫的 に情報を暗好す る 「 情報中毒者. に入り込 み、 「 賞味 期限」 の非常 に短 い情 報を摂 取す る こと で日々を送 って. この手法が 一部 の歪んだ 人 々によ って自覚 的 にお こなわれ ている のではな く、教育行政 の文 化と して無自覚的 にお こなわれ て いること であ る。文化. られ る。 それは人間 の精神を荒廃さ せる、 最も 巧妙な手段 である。 問題 は. 「 させられ る教育を自発的 に、創造的 に、活き 活きと お こなえ、と命 じ. とは言 い難 い状 況 にある。 状況を深刻 に捉え るなら、各 人はネ ット上 の迷宮. 5。 ( 甘 さ 吋日 ⑨ロob さ巳口① oo≦g 」①の仰Nog も 出 現 す る に 至 る ※ ⑦)」 (. とし て暗黙 の手法 とな って いるため、抑 圧され る教師たちもどれ ほど 不条. 二〇 一)。. 理な こと がお こな われ て いる か、 分析 できず に いる。」 ( 野 田、 二〇〇 二=. 2 価値 とし ての文化 文化は 「 価値」 でもあ る。 芸術 は言う に及ば ず、 理論的 ・思考的彫 琢を ほ ど こされ た思想や哲学、さら には文化人類学的捕 捉 がなさ れう るような慣習 など の広義 の文 化も価値あ るも のと評価 しう る。 文化 は、価値的性質を帯 び. 評 に象徴され るような 「 批判」 の空 洞化が進むと いう現状認識 から、 言説 の. 価値と して の文 化が規格化 ・管理化 の危機 にあ り、 そこでは文 化 ・政 治批. では現在、価値と して の文 化 にはど のような危機 の諸相 が見え る のだ ろう. 。 7 公開性を、 ひ いては公 共性 の再構築 の必要性を説 く議論が昨今 目 に つく※. 6。 る の であ る葵. か。 光 あ ると こ ろ に暗 闇 あ り で、 文 化 の暗 黒 面も 見 る 必 要 が あ る。 ス ロ スビ ー. だが、 そ の点 に ついては本稿 の最後 で若干論 及す る ことと し、 ここではも う. ひと つの価値文化 の危機 に触れ ておきた い。. は野蛮性、抑圧性、権力構造 ( 権力性)をそ の例として挙げ ている ( ゴ可oの び v goー&1 ご 。 特定 文 化 の禁 圧 ・抑 制 は、 そ の裏 返 しと し て公定 文 化 の称揚 ・ 強制ま でをも招 く危険性 があ る こと は つと に歴史 が示し てき たと ころだ。 こ. 規格 化 ・管 理化を スタ ンダ ード の強制 と 言 い換え た が、 「 同時 に」 現 在 は スタ ンダ ート の 「 不在」 を危倶す る時 代 でも あ る。 各 種 の価値 が拡 散、 「 タ. 文化的価値 の劣化 ・衰退化が劇的 に進行 し てしま って いると いう危機意 識も. れら の状況を価値とし て の文 化 の規格化 ・管 理化危機と 呼ぶ ことが でき るだ 近代的管 理抑 圧 の構造 ・シ ステムに ついては、 フー コーが指摘 し てきた。. かな り の範囲 で共有さ れ て いる。たとえば、 そ のこと は書籍 の現況 に象 徴的. コツボ」 化 し、通約 不可能 の危機 にあ るとも 言え る。さら に 一般 的 に言えば、. 刑務 所におけ る 「一望監視装 置」 に象徴され るような管 理 の技術は、 日課や. に現れ る。上流から 下流 へと流れる川にたとえられ る、著者ー版 元 ( 出版社). ろ う 。 言 い換 え れ ば 、 あ る 種 の スタ ンダ ー ド の強 制 であ る 。. 時間割 のような時間的管 理や各 種役割分担や試験など にも 現れ る (フー コー、. 7 5.

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(6) . 文化的危機~諸相と対応. 合 わせ集積的情報を 作 り上げ ること が困難とな る。情報を取捨選択す る判断. 情報が飽和すればす るほど、個別 の各情報 の価値を判断 し、各情 報を組 み. 金貝)、 二〇 〇0” 四五 一) に斎藤 は危 機感 を抱 く。 そ こに現れ る人 間 像 は、. 受け 入れ る、 いや、 自ら進 ん で自我 を失 おう とす る人 々と の関係性」 ( 斎藤. 「 構 成員 の思考停止を求め てやまな い権力者と、 そ のよう な企図を易 々と. 三 文化産業 〜文化悲観主義と文化楽観主義. な経営 者たち のそれ であ る。. 営者たち の姿 ではなく、単純 にオカ ルト神秘主義を信 じ込む 「 非現実主義的」. 市 場文 化 のダ イナ ミ ック の動き の中 で鍛えられ るしたたた か でたくま し い経. 基準 ・価値 そ のも のを自 己内 に陶冶 し て いく こと が大変難 しくなる。 情報飽 和 ゆえ の判断基 準形成 の困難性、 「 指 示待ち」や 被操 作 性 の危険 であ る。 こ こに、情報と価値 の複合 的文化危機がある。 あ る種 の文 化的価値が勢 いを増 し て商 品化さ れ て いく ことはす でに触れ て きた。 価値と商品 の複合的文化危機 であ る。 ココロの ( ケ アの)商品 化に示 され るよう に、 これま で市 場化 の及ばな か った文化的価値 の部分 が商 品化さ. 商品と し て の文化 の問題、 つま り文 化 の商 品化 の問題を先送りにし てきた が、 ここで小考す る ことと した い。 そ の問題を、文 化産業 と いう文脈 にお い. 。 れ る危険性も増 し てき ている ( 価値と商品 の複合的文化危機) では、情報と商品 の複合 的文 化危機 はど のような点 に見られ る のだ ろうか。 文 化的) 情報 が商 品化さ れ ればさ れ るほど、 そ の情 報商 品 は市場 の論 理 に (. 文 化 の商品化 ・市 場化 の進行ととも に、社会 は ひと つの産業を生 み出す に. て論ず る。. 化が持 つ 一般的な桂格、 つま り弱者性 ( 文化弱者性) が立ち現れ る。文 化 の. 、 。 至る。 す な わち、 「 文 化産 業 ( 8 #白 色 甘 ゑこの【 H ℃)」 で あ る で は 現 在 の. 従 って売買され ていく こととな る。市場化 の度合 いが進 めば、商品化や市 場 文脈に置 いてみるなら、 それはデジタ ル ・デ ィバイド等 の 「 文化弱者」 問題. 文 化産業 にはど のような特徴があ る のだ ろうか。 ヘズ モンド ハル フの先行研. 究 ( 出窃巳obpけゅおけN8N) に依拠 し つつ整理し ておき た い。. と し て構成され る。 さ て、情報、 価値、商品と し て の文化 の深刻な複合 的危機 の頂点を、斎藤 、 二〇 〇 0) に見 る こと が で 貴 男 が命名 した 「 斎藤 金貝) カ ルト資本主 義」 (. 統合」など、オ カ ルト神 秘主義的な用語 でちりば めら れた思想は労務管理 へ. トビジネ ス」 の版雇。 「エゴ の星から エヴ ァの星 へ」 「 宇宙意識 とビジネ スの. 企業経営者を中 心と した層 に圧倒的 に受け 入れられ て いる。まさ に 「 オカ ル. オカ ルト」 化す る傾向 にあ ると いう警告 であ く、そも そもビ ジネ ス自体 が 「 る。現在、文化情報商 品 の売らんかな主義 が企業経営 の分 野に進出 し、中小. では 一九 八 二年 から 一九九 〇年 の間 に三六 ・九 パーセ ント増加と の指摘も あ. ペイ ンでは 一九 八七年 から 一九九 四年 の間 に 二四パーセ ント増加、 フラ ン ス. 増加 に見 る ことが でき る。さら に、 そ の中 で の文化産業従事者 の割合も、 ス. らば、 先進産業諸 国 におけ るサ ーヴ ィ ス産業 の全般 的進 展を従事者数割合 の. によ って文 化産業 の定義も変わ る こととなり、 そこに文 化産業 なる用語 の定. まず 文 化産業 が 「 産業」と し て成立す る基本的条 件、 つま りそ の規模 の問 題が挙げられ る。 一般 に、文 化にま つわ る財やサ ーヴ ィ スの範囲 の定義 如何. と直結 し、 人 々を会社 人間 へと誘導 し て いく。情報 が流動化 ・断片 化 し て い. る ( 出① Nめo)。 従事 者 数割合 の増 加 に関連 し て挙 げ ら れ る のBobロ詰 おけNoo. き る。 それ は、 「 超能力」 や 「 オ カ ルト」 も のがビジネ スにな るだけ ではな. く現状 にお いて、企業 経営や労務管 理に資す ると信 じ込まれ て いる文 化的価. 義 の難 しさ があ ると言われ て いる ( 一日 量け vso ー二塁)。 だが大枠 で言うな. 値や文化的情報 が商品と し て売買さ れ て いく。 そ こで生まれ る のは新 たな管. 特徴 が、個 々 の企業 の巨大化 であ る。ま た、企業 の巨大化 は文化商 品 にま つ わる複合企業 化を 呼ぶ。文 化的 メガ ミ ック ス、文化的 コング ロマリ ット であ. 理や文化価値 の劣 化 であ る。. 犯.

(7) . . 洋. テイ メ ント産業、 クリ エイ ティブ産業、 メデ ィア産業等 々 の関連産業 が挙げ. る。たとえば文化産業と の絡 みで言えば、 レジ ャー産業、情報産業、 エンター し て お き た い。. は文化悲 観主義と文 化楽観主義 とな る。 そ こ で、 こ の二極 に ついて少 し整理. にな った のであ る。 そして、 そ の暗と 明 の側面を それ ぞれ強 調す れば、 それ. まず 文化悲 観主義 から。 文 化 の大衆化、 あ る いは大量消費 文 化そ のも のを. られる ( 出のめ日ob枠毎おけNooN二も 。 そ し て、 巨 大 化 、 複 合 化 が 進 め ば 、 当. OZZ から ○輸8 くま で)。 該産業 の中核的企業 は必然的 に多 国籍企業 化す る (. 批判す る 一連 の議論 があ る。文 化悲観主義 とも 評され るような文 化産業 批判. 00≦のDLの鷺 ≠ ) “篇。 た と え ば 、 は 、 左 右 両 翼 か ら な さ れ てき た と 言 わ れ る (. 巨大 化、複合 化と い った文 化産業 に関す る現代的特徴は、 そ の裏面と し て 一 応河戸 国のの日oDAー 次 のよ う な 難 点 を 有 し て いる と ヘズ モ ンド ハル フは 述 べ る (. フラ ンク フルト学 派 のアド ルノおよび ホ ルク ハイ マーは、 『啓蒙 の弁証法』. 中の 「 文 化産業 ” 大衆 欺臓 と し て の啓蒙」 と いう章 にお いて、 次 のよう な 文. NOONニド)。. まず、 そ の経営 の危険性。 経営的成功 の予測性が他 の産業 に較 べ て著 しく 時 代遅れ とな る)速度も 早 い。 周期的 いのであ る。また、商 品 の陳 腐化 の (. 飽 く こと なき 画 一性 へと駆 り立 てら れ」、 れた 既製 品と し て の文 化商 品 は 「. 文 化産業 の下 で の文 化 には共通す る特 徴があ る。 画 一性 であ る。 規格化さ. ホ ルク ハイ マー& アド ルノ、 一九九0)。 化産業批判を展開す る (. 危険性ととも に コスト的危険性も あ る。 複製 可能な文 化商 品 の場合、生産す. 類 似性と いう焼印」 が押さ れ る。 そ して、 そ の画 一 また それら にはす べ て 「. 当た る」商 品 か否 かは蓋を開け てみるま でわ からな 難 し い。 極論す れば 、 「. る際 の コストが著 しく高 いのと較 べ て、 そ の再生産 の コストは非常 に低 い。. M。 化 の流れ はあ っと いう間 に進 行す るとさ れ る※. 文 化産業 による こう した傾向 はど のような帰結を 生む のか。 それ に ついて. したが って、当たらな か った場合 の危険 は生産 コスト面 からも 言え る ことな の であ る 。. 失を埋め合 わせ るた め に成功作品 ・商品をど んど ん市場 に送 り出す 必要があ 何 が当た る」 かが 予測困難 であればあ る ほど、多 く る。 そし て、何 よりも 「. れた人間 は型通り の人間と し て再生産され る。消費 の自由を 調歌 し ているよ. 客 体」 化さ 主 張され る。 人間自身 の画 一化 の危険 であ る。主 体性 を奪われ 「. ホ ルク ハイ マーたち は、まず文 化そ のも のの劣化と し て捉え る。特 に、文 化. の商品を 開発す る必要があ り、 そも そも 文 化産業 の脆 弱さ が逆 にそ の規模 の. う に見え ても、 それ は見せ かけ のも のであ り、 そ こで現れ る個性も 所詮は疑. では、 こう した難点 に対 し て文 化産業 の側はど のような対応 をし てきた の. 下手な鉄 砲も ー ・ 拡大を必然的 に要請す るとも 言え る。さ ら に、 「 」 式 の企. 似個性 な のであ る。 疑 似個 性 であ る がゆえ に、 各 自 固有 の想 像 力 や 思考 力. だ ろう か。 ヘズ モンド ハル フ日く、まず、市 場的な失敗作品 ・商品 の利益損. 業戦略をも っと効率 の良 いも のとす るため に、様 々な創意 工夫が求 められ て. ( 批判力を 含む) も 衰 退化さ せら れ るに至る。 様 々な 微妙な感 覚を概念 化す. 的財 の使 用価値が交換 価値 にと って代わられ る ことを彼ら は価値劣 化と見な す。 そし て、 当然 のことな がら、文化 の画 一化は人間自身 に影 響を 及ぼすと. いく。市 場動向 を綿 密 に調査検討 し、 撤密 な販売戦略を立 てる。たとえば 、. る作業も、各 人 の手から離れ、文化産業 にゆだねられ てしま うと彼ら は批判. 化 ・画 一化 によ って奪われ る自由 は、 か つてよりも 深刻 にな って いるとさ れ る。教養特 権 の廃 止が かえ って真 の教養 の崩壊をも たらすも のだと彼ら は断. イ マー & アド ルノ、 一九 九〇 二 九 四) さ れ て いく。 こ のような現 代 の規 格. 「スタ ー シ ス テ ム」、 「 売れ ジ ャ ン ル展 開 」、 「シ リ ー ズ 化 」 等 の、 安 定 し た 「. つつも、 誰も が文 化を それな りに享受 でき るよう にな った ことを喜 べる時代. ( 出現 Bob島益おけNooN員9 。 文 化 の断 片 化 ・管 理 化 ・劣 化 と いう 傾 向 を 嘆 き. 文 化 の商 品 化 ・市 場 化 は 「両 価 的 ( ⑨日けさ⑨おDO 」 だ と 言 わ れ て いる. ホ ルク ハ 全世 界が文化産業 のフィ ルタ ーを つう じて統率」 ( す る。 言わば、 「. 江. 筋」を ねら った戦略 であ る。. 大. 0 6.

(8) . 文化的危機~諸相と対応. 定 す る。 日 く 、. な傾向 に向けられ る。 世代間 のギ ャ ップ から生まれ るような懐古趣味 に対す. る批 判 であ る。 文化悲 観主義者 たち は、 「 昔 は良 か った」 式 の独特 のノ スタ. ルジ ア効 果とも 評 しう るような感覚を持 つ。 つま り従来 の文 化を ひたすら懐. かしむ。 そし て古き良き文 化を懐 かしめば懐 かしむ ほど、彼ら には現代 が貧. 「 か つて芸術家たちは、 カ ントや ヒ ュー ム のよう に、 君主 への書簡 には、 『陛 下 の従 順な 下僕と し て』 と署名 しは したが、 それ で いて王冠や祭壇 の. 困 に映 って見え てしまう。 か つて の文化は枯 渇 し、 代わ りと なる文 化は いま. ペラ への辛 錬極ま りな い論 評が紹介さ れ て いる ( oo≦g L滋閃二鷺)。 ゴー エ ンに言わ せれば、加齢す るごと に文化吸収力 が落ち る ことも 、 こう した懐古. も今 に始ま った こと ではな いと し て、 そ の証拠 に、 オ ペラ勃興時 におけ るオ. し 「 恐怖」す るま で の距離 はほとんどな い。 そし て、 こう した懐古趣味 は何. だ 現 れ て こ な いと いう 感 覚 であ る 。 ゴー エン日 く 、 そ こ か ら 、 現 在 を 「 悲観」. 基盤を ひそかに揺がせたも のだ った。今 日芸術家たちは、政府 の高官を ファー スト ・ネ ー ムで呼んだりし て いるが、 それ で いてど んな芸術 活動 にお いて も、彼ら の非文学的雇用主 の判断 に従 って いる。」 ( ホ ルク ハイ マー& アド ルノ、 一九九0二一 0 四)。 文 化産業 によ る以上 のような画 一化がなぜ強められ る のかと いう そ の理由. だが、文 化 に対す る市 場 の影 響をす べ て桂橋と捉え る こと は、逆 に国家 の専. した図式化は昨今 のグ ローバリズ ム論や文化帝 国主義論 にお いても 見られ る。. 文化が用 いられ る ( 愚民化手段と し ての大衆文 化)と いう理解 であ る。 こう. 産業 主導 の民衆 統制 が 示唆さ れ る。 「 革命 的 な本能を 抑制す る」 た め に大衆. め に。文化産業 は消費者 の欲求を創造 し、操縦 し、管 理す る。さら には文化. なら、文化悲観主義 になら な い方がお かし いとさえ 言え るかも しれな い。ま た、 い つの時代も そ の時点 では文 化は 玉石混渚状態 にあ り、 そ の評価 は定ま. しろ通常 は文 化は沈滞 し、新たな文化は いま だ現れざ る状態となる。 とす る. 祐。 した が って文 化 の黄 金期 は常 にあ るも のではな く、 む 返 しな のであ る※. も そも、文 化と いうも のは瞬間的ピ ークと、後 に連続す る長 い衰退期 の繰り. 述 べる ( oo≦①ロレリ裾 二鷺 ー )。 ま ず 、 そ れ は 時 間 的 問 題 か ら 説 明 さ れ る 。 そ. さ て、 現在文 化を悲観す る発 想 は故な いこと ではな いと ゴー エンは同時 に. 趣 味 の遠 因 と な って いる ( 00≦B L態 伽戸電 )。. 横化をますます 進め る結果 にも つながる。社会 的セクタ ー、各秩序部門 であ る、市場 ・国家 ・市 民社会 の均衡を意識す るならば、市 場を完 全 に敵 と みな. らぬも のとだと ゴー エンは主張す る。当該時代に生き る人 々は 己 の文 化 の良. に ついてアド ルノたち はこう説明す る。 ひと つには、飽 くなき 利益創出 のた. す のはかえ って いび つな社会 像を描く こととな る のではな いか。今や市民社. さ が わ か ら な い の であ る 。. 外在的 理由 は、文化以外 の領域 から のも のでもあ る。 最初 に、宗教 的背 景. 的 安 定 を 図 ろ う と す る こと も 示 さ れ る ( 00ミのロL①裾 Noe 。. 「 義を用 いて ( そんな に現代 の文 化状 況は良 くなり つこな い」)、 自 己 の精神. 煙幕 と して用 いられ る のが悲観主義 であ る。 また、 心理的機制と して悲 観主. から自分を守 るため に、 己 の芸術 的革命性を しば しば 隠そうとす る。 そ こで. エンは述 べる。まず、自 己防御的色彩が強 いも の。たとえば 、芸術家 は弾圧. さら に、文化的悲観主義は外在的とも言え るような理由からも生ず ると ゴー. 会を育 てて いく にも、 通信 ・流通機構 に代表さ れるような、 民間 ・市 場セク ターを経由 しな いわけ には いかな い。市場とど のような良好な関係を持 つの かが焦眉 の問題な のであ る。. 文化悲観主義あれば文化楽観主義あり。この楽観主義は、文化悲観主義を 批 判する視点 から のも のと、 素朴な楽観主義 の双方が混 じりあ ったも のであ る。 そ の具体例を ゴー エンの所論 から見 てみよう。 文 化悲観主義 に対す る ゴー エンの辛疎な批判は、悲観主義者 の 「 後 ろ向き」. 1← U.

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(10) . 文化的危機~諸相と対応. 当然競合せざ るをえ な い。だ が、 通常 の商 品 に較 べて、特定 の財 ( 空気等). ( 使 い減り等)。 よ って、当該財を複数 の人間が消費 しようとすれば、 それ は. 通 常 の商品 の場合 、 具体的な商 品自 体を 消費 す れば 、 そ の便 益 は減少す る. 博。 二番 目には、 消費 におけ る非競合 性 が挙 げら れ る。 る こと が でき な い※. 「 排 除」 でき る ことと な る。 けれ ども 、空 気 に代表され るような財は排 除す. い人間 には売ら な いこと が でき る。 つま り、 そ の場合 にはそう した人間を. と の難しさ であ る。食料品や文房具などは商品とし て成立 し、対価を払わな. ( 九六年)等 の助成金制度 である。また、企業メセナ協議会 の発足 ( 九〇年). 1 劇場建 設 ( 九 七年)や、 芸術文 化振 興基金 ( 九〇年) および アー ツプ ラ ン2. 財団、文化振 興条例等 々 の展開が見ら れる。 国家 レベ ルにお いては、新国立. 方 レベ ルでは、各 種文化 ホー ル建 設、 そ こで の芸 術監督制、各地域文化振 興. と した文 化行政 の展開。 佐藤 郁哉 によれば ( 佐藤 、 一九 九 九二 四 二- )、 地. の飛 躍を見せる。まず、文 化ホー ルなど のいわゆ る 「ハコモノ」建 設を 中心. え る。 たとえば 八〇年代 から九 〇年 代 にかけ て、 日本 では文 化助成 は ひと つ. 日本 の芸術市 場は全体 で 一兆円規模 のも のとさ れ て いる。 そ のおおよそ の内. は そ の競合度 がゼ ロとは言わな いま でも、 圧倒 的 に低 い。 では、果た して文化は これら の公 共財と し て の二条件 に合 致す る のだろう か。 これ は かな り の程度、 そ の場合 の文 化 の定 義 に依存す る。 ( 少な くとも. 訳は、入場料が四千億円程度の規模、派生収入 ( 著作権料 ・教授活動)三千. に示さ れ るよう に、文化 に対す る企業 メセナ の進 展も こ の時期 に見られた れ。 ちな み に伊藤 裕 夫 の試算 によれば 、 九 四〜九 六年 の諸 統計 から 現 在 の ※. 生 の) コンサ ートや演劇 は 入場 チケ ットと いう形式を採 った排除性を持 つ。. こう した文 化状況に密接 な関わりを持 つと ころから、 昨今展開され つつあ. 億円程度、 二千億円程度が公的支援、五百億程度 ( 最近は減少気味)が民間. 向を強調す れば、 そ の排除性 の程度 は高ま るが。競合性 に ついても、 そ こで. る学問領域が文化経済学 ( 経済としての文化の学)や文化政策学 ( 政策とし. だが、生産品志向 の狭義 の文 化を離れ、過 程志向 の広義 の文化 に目を向けれ. 取 り上げられ る文 化 の状 況 ・文脈 によ って結論 は大き く変わ ってく る。複製. 羽。 これら の領域 にお いては 上 記 の外部 性 が強 く意 て の文 化 の学) であ る葵. 。 支援とされ る ( 伊藤、 一九九七二 五 二. ). の可能性 (コピ ー文化)や順次性 ( 又貸 し、 回 し読 み の可能性)を考慮 に入. ば、排除性 の次 元は著 しく下がるだ ろう。 む ろん、文 化 の私有 化可能性 の傾. 鴻。 れれば、文 化 の競合性 はそれ ほど高 いも のではな い※. 識され主張さ れ る。市 場的 には供給 し難 い文化的資 源を助成す る こと によ っ て、消費者 の消費 の仕方や選好を陶冶 しようと いう発 想 であ る。 そ こから、. ち市 場 の失敗 である。 基本的 に、排 除性 および競合性 のあ る財 の交換 ・取引. 二四六) が強調され る。. 「 教育投資 の重要性や学習効果 の社会的な影響力」 ( 池上ほか編、 二〇〇 一”. 公共財供給 の理由 には、上記 の公 共財 の特徴 が色濃 く現れ て いる。すなわ にお いて市 場 はそ の機能を発揮す るが、 そう した条件 に該当 しな い財 の流通 にお いて市 場 は不向きな のである。 そし て、文 化的公 共財供給 の正当化 には. こうした議論はす べて、ある意味 では文化助成やそ の必要性論 の背景とな っ. 2 文 化助成 正当化の課題. とさ れ る ( 後 藤、 一九 九 八” 九九- )。 つま り、 当該文 化財 を供 給す る こと に. て いる。助 成額 の巨大化、さら には被助成文 化 の多様 化 が進めば 進む ほど、. さら に、経済学 上 の正 の外部性 ( 市 場を経由 しな い正 の影響) が必要 であ る よ って ( 正 の) 波及効果が期待 でき る。 こ の波 及効果 に ついては、文 化助成. た文 化的危機 の状況、言 い換えれば文 化 の断片 化 ・劣 化 ・管理化 ・商 品化 の. 「 なぜ ( そ の) 助成 が必要な のか」 と いう問 いに答え る必 要が生ま れ る。 ま. 文化的公共財供給 問題は、文化助成と し て の現実 の政策的問題 ・課題 でも. 危機意 識 からも、何ら か の対応 が求められ ていく。 そ こでひと つの中 心とな. 正当化問題と し て後 に触れ る。 あ る。時と し て議論 は、現実 上 の文 化政策 の 「 後追 い」 で進 ん できたとも 言.

(11) . . 洋. 江 大. こともす でに論 じ てきた。 われわれ に求められ て いる のは、悲観も楽観も し. ば、 それ が エリート主義的 で抑 圧的なも のになら な いと いう保証はな い。 逆 に、文化悲観主義 に反対す るから と言 って、素朴な文 化楽観論 に立 ち得な い. 予想され るだ ろう。文 化助成 の前提と し て文 化悲 観主義 が想定され てしまえ. 安易な文 化助成 ( 論) が危険 であ る ことはす でにこれま での記述から容易 に. る のはや はり文 化助成 であ る に違 いな い。む ろん、 そう であ るから と言 って、. る こと と な る。 た だ し 、 こ れ は 卓 越 アプ ロー チ で は な い。 な ぜ か と 言 え ば 、. 恐れ があ るからだ。 そこ で税金 によ ってそれら の財を保障す る戦略 が探ら れ. な し に財を享受 でき る)、 そうな ると 防衛 や 環境 保護 自 体が成立 しな くな る. 人間が そ の財 を 対 価 を払 う こと な し に 「 ただ乗 り」 す る こと が可能 であ り. など に示さ れ るよう に、公 共財 には非排 除性 が存在す る。 なぜなら、多 く の. )。 日く、国土防衛や 環境保護 公 共財説を検討 し て いく ( oioH 粁甘」鴇m&Nの1. 近隣 の人間が防衛費や環境保護費を負担すれば、ただ乗りする人間は負担 (. な い級密な文化助成 理論な のであ る。. する 「 卓 越 アプ ロー チ ( 8仲 巻 けHo鍔 け)」 の 二 つ で あ る ( 0ミoH 阿甘 L鷺 m” N戸 )。 ド ゥ ウ オ ー キ ン に よ れ ば 、 両 アプ ロー チ は と も に 深 刻 な 欠 点 を 持 つ。. 人間性 の向 上 に資す る文化芸術 に対 して国家 が積 極的 に助成 ・関与す べき と. 、 発 展 さ せ る べき だ と す る 「 経 済 学 アプ ロー チ ( ①8 口0日行 き 日 om各 )」 と. 来 から 二 つの対応 が設定され てき た。市 場原理 によ って芸術 ・人文諸科学を. な のかと いう問題をド ゥウ オーキ ンは出発点とす る。 そし てそ の問題 には従. 芸術や人文諸科学 の発 展 のた めに社会 はど のよう に向 か い合 っていく べき. 文 化がど んな影 響を 人々 に実際 に与え るかは、国防力や汚染防止 ほど明白 で. には享受 できな いと いう問題があ る。 ふた つ目 には、 不明確さ の問題。高尚. は時間がかかるも のであり、現在世代 が納税 し ても、 そ の果実 を彼ら はす ぐ. 性を 示す。 ひと つにはタイ ムラグ の問題。高尚文 化が大衆文 化 に与え る影 響. 正 当 化 さ れ う る の か と いう 問 い に 対 し て、 ド ゥ ウ オ ー キ ン は いく つか の困 難. 殊 に高尚 文化支援) は と いう発想 であ る。 こう した理由 によ って文 化助成 (. 的高尚文 化が存在すれば こそ、後 のミ ュージ カ ルと いう文 化様式も 生まれた. ) を 与え る可能 性を論ず る。 オ ペラと いう先 行 者 は後者 に対 し て形 ( ざヨー. これらを人々を欲しており、国家関与はそ の戦術に過ぎな いからだとドゥウ オー. 卓越 アプ ローチには、 そ の助成さ れた文 化芸術 を 享受す る のは概 し て 「 富裕. は考え ている のかと いう問題 であ る。も し、 それ ほど考えられ て いな いとす. 以下 に、 いく つか の文化助成 正当化論を見 て いく。 これ は、基本的 には文. 層」 であ り、また こう した 国家関与はパターナリ スティ ック過ぎ ると いう 欠 点がある。 一方、経済学 アプ ローチ に対す る批 判 は次 のようなも のである。. るなら、や はり高尚文 化支援 は パターナリ スティ ックなも のではな いかと い. キ ン は 主 張 す る 。 こ こ で ド ゥ ウ オ ー キ ン は 、 いわ ゆ る 「高 尚 文 化 ( 日 ぬけ. 国家助成 のな い文化市 場 によ ってこそ、 人々は文 化 に対 し て真 の選好を 示す. う批判可能性が生ず る。. 化財 ・文 化的資 源 の正 の外部 性を ど のよう に ( 積極的 に)捉え る のかと いう. したが って助成 は必 要な い) と いう前 提は単純 すぎ る見方だ とさ れ る。 富 (. の であ る ( )。 ま ず 、 構 造 枠 組 み と し て の文 化 と いう 解 釈 0≦o詩 甘 L滋 m的態 1. 巨げ 大衆文 化 ( 日①)」 の相 互依存 性 を 示し、 また前 oE巳 審)」 と 「 冒 せ巳ゅ『o. が不平等 に分配され て いる社 会 にお いては、価 格と 人 々 の選好は必ず しも 一 致 しな い。富裕者 がキ ャビ アを買 って、貧困者 が パ ンすら買えな い状 況があ. が提起され る。 たとえば 、 共同体 の構造 的文 化 の中 心 には言 語があ り、 当該. 問題 でも ある。まず法哲学者 ド ゥウ オーキ ンの議論 であ る。. るからと 言 って、社 会全 体 がパ ンよりも キ ャビ アを価値あるも のと見な し て. そ の具体 的方策 は明ら か にさ れな いが)が文 化 言語を公的 に支援す る こと (. 少なくとも 悪 しき)パター 構造保護となる。そして、そうした支援 ・保護は (. 文化支援 に関 し てのド ゥウ オーキ ン の最終 的な議論枠組 みは次 のようなも. はな い。そして三 つ目には、高尚文化 に影響された文化が必要だと本当に人々. いる わ け では な い、 と ド ゥ ウ ォ ー キ ンは 述 べ る 。 両 アプ ロー チ の難 点 を 示 唆 し つ つ、 ド ゥウ オ ー キ ンは 次 に 、 芸 術 イ コー ル.

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(14) . 文化的危機~諸相と対応. 的関係 のありようは、他 日におけ る課題とす るしかな いが、す でに個 別課題 にし て有望な新 たな 「 権利 芽」も 現 代社会 にお いてふくら み始め て いる。 「 文 化消費者教育 と し ての芸術 ・文化〜芸術保険制 度」 ( 平 田、 二〇 〇 一)、 「 身 体化 文 化と し ての民主主義」、 「 〜 ステレオタイプ化しな い選好 の陶 冶」、 「 技法としてのス ローライ フ」 ( 辻、 二〇〇 一)、 「 産 業 イ ン フラと し て の文 化 ・ 教育」 ( 神 野、 二〇〇 二)、等 々。 それら は新たな文 化的市 民社会論 の端緒と も なるだ ろう。. 註 文化」を普遍的なも のとして捉え、それに高 い要求水準を課している。 *1 ただし、ジ ンメルは 「 文化価値とは人間 の高度な精神世界 の発展性 ・完成度基準によ って測られるも のであり、その基 あますと ころのな い発展 への義務 準は いわゆる美学的価値基準とは異なると主張する。 日く、 「. 二○○ -)がある。. ZOの *9 食をめぐる商品化システムを限界ま で追求する現状を鋭く指摘したも のとして、 ( のO め 貫 き oー) が あ る。. 。 81 ) *即 参照、 ( 穴の m長 oo 1 日本 の場合、 その エージ ェンシー化 の議論は独立行政法人化問題に端的に示され る。参照、 *1. 。 ( 岩崎 ・小沢編、 一九九九) 2 商品化 ( 大江、 二〇〇 二 a)を *1 市場的可譲性)問題に関する筆者 の暫定的見解に ついては、 ( 参照された い。. 3 左右両翼が大衆文化批判 の思想的資源として、 ニーチ ェ、トクヴイル、オ ルテガ、 シ ュペング *1. oo 閃き じ。 ラー、テンニス等を利用してきたと ゴー エンは述べる ( ≦g 詰 め *4 ポピ ュラー ・ソングは、あ っと いう間に拡が っていく。伝染病 のように発生する」 ( ホルク 1 「. 。 ハイ マー&アド ルノ、 一九九〇三 五二) 5 芸術様式 のある種の循環に ついて、加藤周 一は フランスの美術史家 アンリ ・フオシオ ンの枠組 *1 みを利用して論及している。それによれば、美術様式 の発生 ・発展 ・衰退には共通する段階があ. 集積性」 の観点から、その *4 情報と文化 の概念的異同は思 った以上に複雑な問題である。まず 「. 。しかし、芸術 やパ フォー マンス等を完全私物化することは可能かもしれな い ( 芸術 の秘匿性). ついては、暫定的ながら筆者は次のように考え ている。確かに、芸術家を丸抱え して、その作品. -九九七二: 1 )。 。 *6 1 もちろん文化悲観主義も使 いようによ っては意味があると ゴー エンは述 べる 文化的危機感を 。 鷺き 閲 ) 創作 のバネや反省 の契機として い、優れた作品が生まれる可能性である ( 用 0 ーの 0 名 の ロ 、 お抱え」 の芸術家を持 つ場合 の助成 ・後見 (餌Ro *7 ℃ bが鞄)は 1 中 ・近世における貴族 のように 「 果たして公共的な のか否か、 つまり、私的助成 の公共性問題は現代的問題でもある。 そのことに. 実験的時代」 「 洗練 の時代」 「 古典的時代」 「 バ ロック ると いう。すなわち、段階を追うごとに 「 の時代 ( 美術史におけるバ ロックとは異なる) 加藤、 」 へと変容すると いう四段階 の循環である (. 程度が高まるに つれて情報から文化 へと変容すると いう見方がありえよう。だが、可視光線 の単. 。本稿 で ジ ンメル、 一九七六” 九九) と能力は、人間精神 の本性と分かちがたく結合している。 」( は、ジ ンメルのこうした 「 極度 の」卓越主義的な文化理解までは共有していな い。. その分節方法が)異なる。そ 純な波長的情報であるはず の色彩 ( 感覚)は、その文化によ って (. 。 それが芸術 の独立的価値である。また、作品としての 門外不出なも のであ っても価値がある). 大江、 二〇〇 二b)も参照された い。 *3 同じく筆者が行 った序論的考察として、 (. 、「 鑑 ( 規範)としての芸術」と 鏡としての芸術」 *2 この共有性と超越性に関して、佐藤郁哉は 「 いう捉え方をしている ( 佐藤、 一九九九三 九七)。. うだとすると、情報に意味を付加することが文化となるのか。 これもまたす っきりとした説明と はならな い。人間が何らかの加工を加えた対象は、意味が付加されたとも言えるも のであり、情. 芸術は時間 の経過ととも に社会に公開され、また有形無形に影響力が拡がることも十分 に想定可. 重なりあうも のと理解しておく。 0 ここでは著作権や印税など の現代文化に特徴的な問題はとりあえず脇に置いている。 *2. 。 ここでは、排除不可能性と不当性 の両方を、排除 の困難性として ( 井上、 二〇〇 二二 五六1 七). こから井上は排除不可能性よりも 「 排除不当性」と言 った方が事柄を正確に示していると論ずる. 。 、 、 8 *1 参 ( 奥 野 一 〇 0 ) 照 一 - *9 もちろん井上達夫が説くように、この 「 空気」財 の場合 でも、毒ガ スを散布しガ ス マスクを販 1 売することによ って、間接的に空気を排除性 のあるも のとすることも形式的には可能 である。そ. 能である。その意味で、私的後見にも公共性が存在すると言うことは全く無理な議論 ではない。. 当該芸術が 「 存在」する限り、それが の公共性はその果実が全員に提供されなくても成立する (. 報 の大部分はす でに意味を持 ってしまう。さらなる検討は他日の課題である。. ブ リ ック .ド ット ・ゴム ( のこ口の宿三国 o-) 村ho日)」 と いう 標 題 から 述 べたも のと し て、 ( 「 巻 こけ-. *5 こうした情報 の自由な取捨選択は、自分にと って心地よ い情報しか入手しな い可能をも示唆す リパ 異物」としての情報にま ったく遭遇せず、公共的なも のが私化する状況を印象的な 「 る。 「 があ る。. *6 価値としての文化を検討することは従来 のイデオ ロギー論とも関わるが、 ここでは論及しな い。 参照、 ( 名目ぶ日の Lの巴議 し。 、 一一 00 二)などを参照せよ。 井上、 -- 斎藤( 純) 〇00) ( *7 たとえば、 ( 佐野、 *8 現在 の日本 の出版事情 の深刻さ に ついて綿密な取材に基づ いて報告したも のとして、 (. 7 6.

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参照

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