頭声発声についての一考察 : 教育現場における問題点ならびに環境との関連性
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(2) . 根本昌夫:頭声発声についての一考察. 頭声発声 についての-考察 --教育現場における問題点なら びに環境との関連性---. 根. 本. 目. 昌. 夫. 次 1 1 1 頚声への訓練法. は じめに. 1 研究の意図と方法. W 環境との関連性. 1 1 発声の型態とその. お わりに. 分布ならびに問題点 は. じ. め. に. さきに本学紀要に, 「所謂 頭声″ について, と題する拙稿を発表したりこれは, 頭 声″ を, い わ ば音声生理的側面から考察したものであるが,今回は,これが教育の 現場--主として小中学校-- において扱われる場合に生ずる諸種の問題 点に つ い て 観 察 した も の を 述 べ る こ と と した い. な お, 論 を 進 め る に さ き だち, こ こ で述 べ る 頭声″ の定義を明らかにしておきたい。. 第1図. すなわち, 第1図に見られるように, 変声前の男女児童が最下音 b を 唱 っ た 声 で, そ の ま ま の フォ ームを保ちつつ,(すなわち声唇全体を振動させつつ)音階的上昇を試みるならば大 多数の者は a, 又は そ の 附近 に さ し か か る と 共に, そ の フ ォ ー ム を 維 持 す る こ と が 困 難 と な り, 別 の フ ォ ー ム. (すなわち声唇の縁のみによる部分振動) に切換え ざるを得ない現象が生ずる。 これらの場合, 先 )このよう な のフォ ームによっ て発せられた声を胸声と呼び,切換後のそれを頭声と呼ぶの であるデ , いわゆる声区の分類には諸説があるが, ここ ではそれらを論ずることが本旨ではないの で, 現在, 51.
(3) . 根本昌夫:頭声発声についての一考察. 我国の音楽教育 界において, 最も広く用いられている前述のような定義によっ て所論を進めること とし, 以下, 引用符なしで単に頭声を呼ん で行きたい. 1. 研究の意図と 方法. 戦後、 頭声発声が提唱されるようになっ てから, 四半世紀を経た今日, これがかなりの普及を示 していることは認められるが, 日本全体を見た場合, 欧州諸国にくらべ今一歩 の感があることは否 めない. 筆者 が居住する北海道南部においても, このことが特に痛感される. そこ で, 今ま での調 査を基にして, 地域により頭声発声に関する種々の問題点を提起しながら, 児童個々 人, 及 び成人も含め, その生活環境と発声との関連について観察した事柄を検討し, その 原因を論じて, 解決の方途をさく る こ と を 試 み た. 方法としては, 過去21年余に亘っ て訪問した学校のう ち, 授業参観・合唱指導等を通じて児童生 基 7校 (北海道35 徒を観察することができた 4 , 東京7, 岩手2, 秋田2, 新潟1) から得た資料を にした. かなり以前得たものについては, 今回, 改めて再調査するか, もしくは当該校の教員 から 現状を教示していただく などの方法によっ て補訂を行っ た. 1 1 発声の型態とその分布ならびに問題点 児童生徒の発声は, 一つの学校においても個人単位でみれば例外もあるが, 学校単位ではおおむ ね統 一された傾向が見られる. これを型態別に分類し地域別 に集計したものが次の表である. 第1表. 発声 型 態. 一一---- ----. 地. 域 漁 村 部 農村 部 都市 部 1) 2). 計. I. 胸声による頭声区への ・侵蝕″ 群. 5. 4. 2. 11. 1 1. 弱声発声群. 2. 9. 20. 31. 1 1 1. 理想的な頭声発声ないしはこれに近い群. O. I. 4. 5. 7. 14. 26. 47. 計. 1) 半農半ま鮒 は漁村部に含めた, したがって臨海町村と呼ぶのが適当であろう. 2) 行政区画上, 市部であっても通念上 漁村部″ と考えられる地域を含めた.. さてこの表に示した三つの型態群のうち第一のものは, 胸声による頭声区への 侵蝕″ 群ともい う べきものである. すなわち, 本来d~gの範囲内 で (第1図参照) 声区の転換が行なわれること. が自 然 であ る と さ れ て い る の に 対 し, こ の 場 合 a か ら c, ま れ に は e までも胸声で唱っ ている例が. 見られる.十数年前のこと であるが, この eまで胸声を張り上げる小学六年の男児を, 指導者がボー イ・ソ プラノなどといっ てほめそやしている場面に接し, ここには頭声発声に対する志向すら見ら を抱いたことがある. 又, これ程では ないに しても, 指導者 が好ましく ないと知り れないという 感, つつ, これに近い状態を容認しているという例を見ることは, 現在 でも決して珍らししいこと では ない. このよこな事例は, 学校単位 では漁村部に圧倒的に多く, 北海道南部にあっ ては第1表に示 されるように7校中5校という高率に なっ ている. この場 合, 調査実数が少ないの で断定的なこと はいえないが, 本学卒業生諸氏からの報告等によっ てもこのことは裏付けられ, むしろこれ以上, 高率 ではないかという 印象すら持たれるの である. 農村部 でも3割程 度がこれに該当し, 都市部で もこれがわずかながら見られる. すなわち本州な どでは後進地において多く見られるこの傾向が, 52.
(4) . 根 本 昌夫 : 頭 声 発声 につい ての 一 考 察. 道南 では, 今尚かなり一般的に見られるという事情になっ ている。 又, 児童生徒個々を観察した場 合, 比較的知能程度が劣ると みなされるか, あるいは両親がいわゆる知識階層に属さないと思われ る児童生徒にこの発声型態が多く見られることが注目される. いうま でもなく, これら胸声によろ い侵蝕″ を伴う発声 では いたずらに声帯を疲労させる3 )ばかりでなく 音高が上がるにつれて次第 , , に胸声では持ちこたえることが困難となり, 止むなく頭声に転換する際, 木に竹を継いだ″ ような 変り方をもたらすことになり, 好ましくない. この状態は, 後述する戦前・戦中の発声の名 残りと も受けとられるという意味で, いわば 古典的″ な誤謬ともいえるも のであろう. 以上, 第一の型態群に つき 述べたの であるが, これに対して第二のものとして挙げられるのは弱 声発声群ともいうべ きものである. この弱声発声が生ずる原因は単一なもの ではなく様々 な理由に よるものと考えられる が, それは大別して以下の二つに要約される. すなわち, 一つは戦前・戦中 \侵蝕″ 型から頭声発声へ推移する過程において必然的に生ずる-時期 の弱声発声 の主流であった 、 と見られるものであり, 他の一 つは頭声発声への誤解, 又は過度の傾斜に因る行き過 ぎともいうべ きものである. これは現象的には どちらも弱声発声の様相を呈するものであり, この場合, そのど ちらに属するかを即座に判別することは困難である. 要は, 指導者が頭声発声を志向しつつ, 一時 的に在る状態なのか, 或は頭声発声への誤解な どから, そこにとどまることを是認して いる状態な のかということであり, 結局, 継時的に観察して, は じめて判別し得るもの であろう . 、侵蝕″ 群よりも更に一般的に見られる型態であり ともあれ, この弱声発声群は, 先に述べた \ , )最も多く見られる状態であるといえるものである 頭声発 いうならば, これこそ現在, 日常教室 で5 。 声を志向する余り, 転換区域内 (第1図におけるd~gの範囲を指す) をいかなる場合でもすべて 頭声 で唱うことが望ましいと考える傾向は道南において は都市部において特に甚 だしく, 第1表に 見るように, その大部分がこれに属するという状態にある。 前述のように, これを頭声発声へ推移 する必然的な過程と見るならば, この傾向は必ずしも悲観すべきものともいえないが, この中には 行き過 ぎ″ と見られるものがかなり含まれている。 更に仔細に観察すると りテき過ぎ″ と見るよ りも, むしろ誤解, 或いは頭声に関する理解が充分なされていない状態から生ずると見られるもの が大半を占めていることに気付くの である。 これら一連の弱声発声群が, 現在最も一般化した現象であるということは, 戦時中, 更には戦前 における唱歌教育からの反省, あるいは反動として現われてきたものと考えられる面がある. すな わち, 当時は出来る限り 大きな声を出して元気よく″ 唱うことが先ず第一に志向さ れ, 声の美し }やその効率的使用7 )等は 二義的なものとして押しやられることが多かっ た--というよりも声 さ6 , の効率的使用などということを考えるところま で, 音楽教育全体の水準が達していなかっ たといっ た方が, より当っ ているかも知 れないが, ともかく, この状態からの脱却が直ちには頭声発声につ ながらず, より安易な弱声発声に移り変わるという傾向を示し, 所によっ ては, いまだに大部分が そこに低迷しているという状態を見るの である。 この方法で唱われる時, 児童は 声をのびのび出して唱う″ という人間本来の欲求を抑圧される ことにもなるため, 音楽の時間は, 蚊の鳴く″ 声に包まれた極めてうつろな状態に終止してしまう ことになる. 仮に, この方法の利点が声の損粍をセー ブすることにあるとしても, それは, むしろ. 角 (胸声) を矯めて牛 (声) を殺す″. と い う類 に な る こ と が 多 い. こ れに つ い て は, コ ン ク ー ル. 等に出場して上位の成績をおさめている某校の場合においてさえ,その選抜さ れ訓練を経た児童が, 立派な頭声発声をつかんでいるにもかかわらず, その一方, 日常の授業においては, 前述のごとき 単なる弱声に終始している, という例を見るの である. ちなみに, この両者は同じ指導者によっ て 指導されているの であるが, このような状態を見て, 指導者が日常の授業で手を抜いていると断ず 53.
(5) . 根本昌夫:頭声発声についての一考察. るのは早計であり, むしろ, いかに頭 声発声をすべての児童に徹底させることが困難であるかとい うことに留意すべきであろう, というのは, クラ ブ活動の場合は, 発声指導に不可 欠ともいえる個 人指導方式を加 味することも可能 であるが, 日常の授業においてそれを採ることは著しく困難 であ るという事情に, 大いに起因するものと 思われるからである. 加えて, 次において述べるように, 児童個々 人の生活環境, 更には資質すらもこれにかかわるとする ならば, 選抜されたクラ ブ員と一 般 児童との間にある 程度の差が生ずるのは, むしろ 当然のことといえる の で, そこに日常指導の ギャッ プが生ずるのは 止むを得ない であろう. したがっ て, 第二の型態として指摘したこの い弱声発声″ 群は, 教師が頭声 発声を志向しつつそ の プ ロ セ ス と し て 在 る 状 態 と 見 る 限 り, 第 一 の 胸声侵蝕″ 群よりはベターの状態 であると考える ことができよう. さて, 以上述べた二つの代表的 な型態の外に, この頭声発声に関する様々 な誤解の中から, 特に 一例を付け加えて報告したい.これは某小学校の, 音楽専 攻ではない篤学な一指導者の例 であるが, ″ この指導者の場合, かっ て u胸声から頭声への転換は必ずe~fの間で行なわれねばならない と )すなわち第2図のよう な場合,最初のdを胸声 で唱い出し,0印の部分は頭声に換 考えられていたデ え, e以下はその都度, 胸声に戻すということ である. もちろん, 極めて遅いテンポであればそ れ は可能 であろう. しかし, この一節がすべて換声区域 (第1図参照) に含まれる以上, このよう な 繁雑な方法は全く 無意味 であり, 旦つ, 決して好ましい効果をもたらすものではないことは, 明ら ″ かである. このむう な場合, 音楽的に ・力強さ が求められるならば, 胸声 で唱い通して何 ら差支 ″ えないであるし, .叙情性″ を求めるの であれば, 頭声 によっ て唱い通すことも充分あり得るこ 3 ) と であ ろ う. そ そ して, そ の どち ら で も な い 時に こ そ, 効 率 的 立 場 か ら 頭 声 が 選 ば れ る と いう こ の. )の本来の趣旨を全うするもの であるということが できよう. とが, 頭声的発声9 - 1. 「 1. ー ーg - 1■. 謬 り (謬). -. -■. - 1 O. @. ! 塾 , 、 r 斗 - … 」 奇 .. 争. Mr. 第2図. 以上述べ てきたように, 頭声発声に関しての理解が充分になされていないことかさ, さま ざまな 試行錯誤が今尚, 各地 で行たわれているという事 実を改めて認識させら れるの である. 1 頭声への訓練法 1 1 ので このように頭声発声の会得,,とくに胸声から頭声へのスムー ズな移行は多くの 困難を伴うも うま ことはい ているという な あり, したがっ て, この指導が発声訓練の一つの重要なポイントに っ でも な い.. なら そこで, この節 では, 現在試みら れているいくつなの方法のうち最も妥当と 思われるもの, 一例 びに筆者が独自に行っ てきたいくつかの方 法のうち最も実効があると 思われるものをそれぞれ づ つ挙げてみたい.. 先ず, 現在迄, 色々 な方法が紹介され, 実施されつつあるが, このうち 下降音階導入法″ とも いうべきものが最も妥当と思われるの で, これを筆者が児童に適用してみて細かい点を補なっ たも の を先ず述 べてみたい. すなわち, 第3図の如く fから下降音階を唱わせる. fからとした理由は児童がおのずから持つ 54.
(6) . 根本昌夫:頭声発声についての一考察 わなくともょ ”。 一望 、で唱 える速ざで 。 カサゴ内の昔は塙. ) -. O 、はU 或・ 第3図. 調性感を利用し少なくともオクター ブ下のf迄は頭声のまま唱わせるこ とを先ず 第一段階の目標と \ \ したのである. これをマスターすれば順次, 頭声の範囲を下へ広 げて行く。 尚, -息 で唱える速さ で″ と指定したのは, 途中 で プレ スすると, その時点から胸声に換わっ てしまうということが往々 認められるからである. 勿論, ヘ長調に限定する必要はないわけ で, これをマスターすれば半音ず カッコ つ下 げてくるということも当 然行なわれ得るのである. 又括孤内に包んだa以下の低音は無理に唱 わせる 必要がないことを示したもの である, 次に筆者が行っ てきたいくつか の方法のうち, 筆者自身, 及び本学卒業生からの報告 で, 効果が 認められるものを一つ挙 げてみたい。 . :=柵===-洲一1 ・. □. .. t下げろ 鼠下 更ー. 鼠下半音宛下げる. . 惰a -. -. -. - -. -. 一. 第4図. 第4図に見られるようにCを頭声で唱っ ている ことを確 めた後に (稀には胸声 で唱う 児童もい る!) そ の フ ォ ー ム を そ の ま ま bに移行させる. 以下順次半音ずつ下げて行く のであるが, 必ずと から始めねばならない理由は毛頭ないので, 実情 に 応 じて も っ と 低 音 (要 す る に 無 意 識に 頭 声 で唱. える音) から始めてよい。 f--e間及びそれより 低い音については同じ要領 で. 頭 声 圏 の 拡 張″ を. Oは頭声. .. 鞘a. -. . 隔. “ O は 鴇声て. 鏑. 一. 或・ ・は 竹a 第5図. 目標にするわけ であるが, これを完全にマスターしたならば次には第5図のように頭声・胸声相 互 の自在な転換, 更には声楽学徒が必ず通らねばならない関 門であるところの, 転換時における音色 の均等化が最終目標としておげられるのである. この最終段階に至ることは当初かなりの困難を予 と思うことでも子供は 難なくや っ てのけることがしばしばあるよ 想したのであるが, 大人が難しい. うに, 既にこの段階に至っ ている児童も一人ならずあるということを報告したい. しかし, これら の児童はいずれも選抜され, 個人指導を受けることのできた者に 限られるのが現状 であり, ここで もクラス授業における発声指導の困難さを再び認識させられるの である. 尚, 児童の中には声区の スムー ズな転換という恵みを生まれつき持っ ている者も稀に見受ける, このよう な場合, 指導者が 理論を信奉するのあまり無理やりこれをスタート台に引き戻すということは厳に慎しまねばならな 55.
(7) . 根本昌夫:頭声発声についてグ. いことはいう迄もない. 即ち今迄無意識に行っ て来た転 換を意識させて見たところ で, それによっ て現われるのは, ぎこちなさのみであり 一利すらない. 筆者自身, このような誤りを犯してきたと いう 反 省 に 立 っ て こ の こ と を 一 言 付 言 し て お き た い.. W. 環境との関連性. 1節において既に地域差により発声型態に相違が認められることについて触れたのであるが, 第工 ここでは, 更に, 児童の生活環境全般が発声に及ぼす何らかの影響について 述べることにしたい. ここ でいう環境とは, 次のよう な諸要因を指すもの である. 1) 地域的環境---既述 2). 教育的環境 (知識階層か否か). 私がこのことに関心を持っ たのは, 昭和25年当時, 秋田市内に在住していた折, 市内の高校合同 音楽会を聴く機会を得, その際, 県立のA女子高校とその直後に唱っ た私立のB女子高校との間に, 発声のあまりにも顕著な相違があっ たの で, これに強い印象を得たことに 由るもの である. 以来, 2 )の差が発声を 左右するものかどうか検討を重ねてきたのであるが この間 機会あるごとに, 資質1 , , 資質よりも, 上掲のよう な環境要因が, むしろこのことにかかわっ ていると考えるに至っ た. 既に述べたように, 都市在住者は, 郡部のそれに比べ, 概 して 頭声 を 多く 用 して いるとい う こ とと, これに加えて両親の学歴水準の高い家庭の児童生徒は, そう でないものよりも, 頭声を用い る割合が歴然と多いという事実を認めるの である学)このことは, 歌唱時のみならず, 日常の会話に おいても充分観察し得るのであり, 更に 児童のみならず, 成人においてもある程度あてはまるもの があるといえよう. この例は, 日常, 身近に多数見ることができる が, 事柄の性格上, 実例を挙げ 4 )が 人物像によっ て 胸声・頭声を使 ることは避けるとして, 例えば, ラジオ ドラマ等で, 声優1 , , い分けるということからも説明 できよう. もちろん, 現在の社会では, 都市型の生活環境と郡部型 のそれ, あるいは又, いわゆる い知識階層″ と見なされる生活環境とろう でないもののそれ, といっ たよう なことは, 相錯綜していて判然とは区分し難い面もあるが, ここで大まかな分け方を敢えて するならば, これら 二種の環境差の複合さ れたものとして, 例えば, これを, 洗練された″ -群と \素 朴 な″ -群1 \ 5 )というような言い方 で考えることも できよう そして前述の如く 前者が後者に , . 比して頭声を会話においても用いる割合が 多いということに注目したい. では, 何故このような差 が生ずるの であろうか. この点については, 日常, 次のような事実に気付くの である. すなわち, これら 二群の家庭内における音量の大小, 例えばその典型としてテレビの音量をとっ てみた場合, 必要以上にボリ ュ ームを上げて来訪者に やかましい″ と感じさせる例は, 圧倒的に後者が多い. 私が特に強い印象を受けた 一例 は, 乳児が室の隅で眠っ ているにもかかわらず, 会話に支障を感ず る程ま でボリュ ームを上げている家庭があるという事例 である. この場合, 家人達は 必要以上に大 声 で話し合わねばならず, したがっ て会話において胸声が幅をきかることになるのは当然の結果と なる. とすれば, これに慣れ切 っ て成長する乳児に対し, 将来, 頭声発声を講ずることがいかに困 難かは, 考えても明らか である. 1 、特別の訓練をしない″ 6 )で自然の歌声として定着している この点, 欧米にあっ ては, 頭声発声 が\ 事情も, おのずと首肯されるの である. 欧米では, 家庭内 ではもちろん, 市街地にあっ ても, 我国 とは比較にならない程静粛が保たれており, そこ では, 婦人達が胸声を張り上げて話し合うといっ た光景は, 通常見られないといっ てよい. こう考えてくると, 頭声発声を完全に普及させるためには, まず地域環境の整備, すなわち騒音 の規制等はもとよりのこと,必要以上の音量を出すことは法に触れるのみ でなく, 56. l e″ man(穏 gent.
(8) . 根 本 昌夫: 頭 声 発声 につ い ての 一 考 察. かな″ 人) にもとる行為 であるという観念を培うことから始めるのが先決 ではないかとさえ思われ るの である. 現状のままでは, 前述の乳児の如き状態で育てられた大量の 胸声予備軍″ を普通教 育に迎え, これを遍ねく頭声的発声に 改宗″ せしめようとする努力自体が, あまりにも労多く し て効少なきことのように思えてならないのであるが, これは私 どもの杷憂 であろうか. ともあれ, 音楽教育は, こうしている間にも日々営なまれているの であり, とすれば, 当面, こ の頭声発声を達成すべく, まず現場の指導者をも含め, これらの問題に関する, より突込んだ理解 と基本的な研究を行なう立場に回帰する以外, 道はないものと考えるの である. お. わ. り. に. 本文において,資質と発声との間にも関連があるの ではないかという疑問を提起したのであるが, これに関しては確実な資料 を得るに至らかなっ たの で今回は触れなかっ た. このことについても, 今のところ心証としては, かなり肯定的な見方を持つものであるが, 他面, 資質の優れている者は, それが故に教えられた頭声発声を後天的努力によっ てさほど抵抗なく獲得している, と考えられる 面もあるの で, 今後更に調査検討を加えて行きたいと考えている. 拙稿をまとめるにあたり, 多数の現場の先生方に御協力をいただいた. ここに心から感謝の意を 表 し た い.. 註 1) 北海道教育大学紀要第1部c第17巻第1号 2) 胸声は声唇の全体振動であり、 頭声は部分振動である. 沢崎定之 「唱歌法」(p .60) 3)「頭声は胸声に比し声帯の疲労が少ない.」(堀田琴次博士から筆者が直接教示されたもの. 以下同じ文責筆者) のであり, このことは我々の経験からと容易に首肯できる, 尚, 声帯は本文前出の声唇と同義語である 4) 同じく楓田博士によれば 「帯声も生理器官であるがゆえに, その適正な使用によって発達もするが, 反面, 使 用しなければ退化する」(文責筆者) 5)一教室 で′ と限定したのは, コンクール等で聴く選抜・訓練された児童は, 正常のものが大部分を占めているか ら である.. 6) 当時の価値観からすれば, このような声が 美しい″ とさ れてい た の であろ う か, 7) 注3参照 4巻第5号に発表したので, 参 8)氏の御好意により, この際の一問一答を抄録したものを, 教育音楽中学校版第1 照 して いた だけ れ ば幸 い である.. 9) 小学校学習指導要領音楽科編 「頭声的発声」 という表現が用いられるようになっ て以来, 現在この言葉は教育 界に お いて 定着 してい る.. 知能指数″ 等という際に用いられる知能を指して言っ ている. 1 1 ) 筆者が合唱指導等に赴いた学校で, このような例にしばしば出会うことがある. 例えば, 個別指導の際, 特に 0名に満た 印象に残った児童について調査した場合, この結論の例外は一割強しか見られない. 調査実数が15 ない現在, 断定は困難であるとしても, 一定程度の関連性をうかがい知ることは出来よう. 1 2 ) 主として女優の場合である. 堀田博士によれば, 「男子が会話に裏声を主として用いるのは, 女形など特別な場 合に限られる」 からである (文責筆者) 10) こ こ では, 例 え ば. 13) こ れらの 表 現に つ いては 語弊 も 多々 あ ろ う が, そ のニ ュ ア ン ス を汲 み取 っ て い た だけ ば幸 い である.. 1 4 ) 西ドイツ・ニーデルザクセン州文部省シュナイ ダー博士が筆者に語ったもの (文責筆者) (本学助 教授 ・函 館分校). 57.
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