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『走れメロス』試解

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Academic year: 2021

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(1)Title. 『走れメロス』試解. Author(s). 西原, 千博. Citation. 札幌国語研究, 19: 1-24. Issue Date. 2014. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7612. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 『走れメロス』試解. 安藤宏氏の論でも、冒頭に次のように書かれている。. 大方の読者はこのような読み方をしているだろう。しかし、 一方で実はかなり解りにくい場面もあるのではないだろうか。. 西 原 千 博. によって、遍く万人のものであるような或る (池田晶子『事象そのものへ!』 (注1)より). ( 「走れメロス」─田中実+須貝千里編『文学が教育にで きること─「読むこと」の秘鑰─』教育出版). く。. 共にリアリティを感じにくくなって来ている現状があると聞. より根本的な要因としては作品の内容、つまりあまりにも 現実離れした信義や友情のあり方に、教える側も教わる側も、. ものに、既に気づいている。 」. 「確かに私たちは、深く各人のものであること. Ⅰ ( 「新潮」昭和十五年五月号)は中学 太宰治の『走れメロス』 校国語科の定番教材となっており、誰でもよく知っている作品 である。主人公のメロスのキャラクターがはっきりしており (所 『大人の友情』 (朝日文庫)で次のよ 例えば、河合隼雄氏は、 うに称賛している。. また、大岡玲氏はこの作品の「友情」に対する違和感を述べ ている。. になっているのかもしれない。」とも述べている。. 〝熱く信義 このように学校現場(教室)について述べた後、「 を語る〟この教材は、ある種の〝胡散臭さ〟を感じさせる元凶. 何と言っても大切なのは、暴君がメロスに約束の三日目に 遅れてきたら、 おまえの罪は助けてやると誘惑しているのに、. 謂キャラが立っている) 、 友情という主題も明確な作品である。. メロスがひた走りに走り、 友人との信義を守るため、 つまり、. . 素晴らしきかな、友情。万歳!親友。 という風にこちらも感動したいのは山々なのだが、友人の. 自らの命を棄てるために帰ってくるところである。. -1-.

(3) 守り合う間柄のように見えてきてしまうのである。. かなかそうもいかない。 (中略)なにか友情というより掟を. で、物語の道筋からはじき出されてしまった者としては、な. 命を、相手の意志などまるで聞かないまま敵に差し出す時点. 作中人物と読者との間には情報の差があることに注意したい。. 作中人物たちがどう捉えていたかは、また別のことなのである。. ると、読者は結末を知っているために、命がけと受け取るが、. わけであり、簡単に引き受けたということではないか。ともす. い。その際、この作品の材源について確認した上で、太宰のオ. いと思われる「わけのわからぬ大きな力」について考えてみた. そこで、今さらながらの感もあるのだが、もう一度この作品 を解りにくさという観点から読み直してみたい。特に解りにく. ただ、問題は、彼らがピュタゴラス学派に所属していたと いうことである。 (中略)そして、同じ学派(宗教)に属す. リジナルと思える部分を中心に分析を進めていく。. (中略). る人へ固い友情を抱くべし、というのは大変重要な掟だった. 当初セリヌンティウスを人質とした時に、命にかかわることと. 最も古い形についても言及している。. の も の で あ る こ と を 指 摘 し て い る。 (注2)また、この伝説の. 、「セ 「古伝説」についても、五之治昌比呂氏が「モエロス」 リーヌーンティオス」 の名前が出て来ることから「ヒュギヌス」. 「 『走れメロス』材源考」─「香川大学一般教育研究」昭 ( 和五十八年十月). ス」の材料は全て揃って出て来ているということ。. 第一に言えることは、小栗訳「人質」とその註解とには、 人名・地名・イタリーの伝説に由来すること等、 「走れメロ. が定説となっている。. による小栗孝則訳の『新編シラー詩抄』(改造文庫 昭和十二年). きた。特に、「シルレルの詩」については、角田旅人氏の指摘. これまで、この作品の材源については、末尾にある「 (古伝 説と、シルレルの詩から。 )」を踏まえた多くの論及がなされて. ようなのである。 (中略) つまり、私が『走れメロス』に感じた違和感の原因は、宗 教的ドグマとしての「友情」が、いつのまにか観念的根拠を ( 「友情の文化史」─『本に訊け』光文社). 持たない普通の友情として扱われていたことにあったのだ。 後半のピュタゴラス学派については後に述べることとして、 最初にあるような「友情」に対しての違和感は、安藤氏の指摘 に通じるものがあるだろう。また、作品では「竹馬の友」とあ るだけで、メロスとセリヌンティウスとの友情の根拠は描かれ. して捉えられていたのだろうか。メロスにとって妹の結婚式を. ていない。短編小説である以上仕方がないことではあるが、説. して三日で帰って来ることは簡単なことであったと考えられ. この物語の最も古い形を伝えるのは、(中略)アリストク. 得力が弱いことは否めない。ただし、「友人の命を~」 とあるが、. る。それは二人の了解事項でもあり、だからこそ簡単に頼めた. -2-.

(4) る。つまり実話ということだ。. えていたディオニュシオス二世自身から聞いたと書いてい. リストクセノスはこの話を、零落してコリントスで文字を教. セノス(前4世紀)作『ビュタゴラス伝』の一節である。ア. 「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を 持っては居りませぬ。」. 」 「なぜ殺すのだ。. 」 「王様は、人を殺します。. わずか答えた。. それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」. 「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお 世嗣を。それから、 妹さまを。それから、 妹さまの御子さまを。. 」 「たくさんの人を殺したのか。. 大岡氏の論にあったように、元々の話はピュタゴラス学派の 人々を試すためのものであったということである。そして、そ. (「『走れメロス』とディオニュシオス伝説」─「西洋古典 論集」平成十一年八月). こから幾つかの伝説も派生し、その過程で一般的な友情の話と. 素材について」─『太宰治と外国文学』和泉書院)をはじめと. さらに、太宰のオリジナルと思われる部分についても、すで に、九頭見和男氏( 「太宰治のシラー受容─『走れメロス』の. されます。きょうは、六人殺されました。 」. とを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺. しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すこ. 「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、 というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少. 「おどろいた。国王は乱心か。 」. して多くの言及がなされており、本稿では、それらを踏まえ以. . 下に示すA~Dの四つ場面にまとめて分析することとする。. メロスは激怒した。 「呆れた王だ。生かして置けぬ。」 聞いて、. なっていったと考えられる。. A冒頭部分(王の設定など) B内面描写 C「大きな力」 D結末(殴り合う場面、緋のマント). のが、主題であったと考えられる。『走れメロス』では、二年. シラーの詩では単に「暴君」という設定であった。「暴君」 のようなものでも、真の友情は心を動かすことが出来るという. A冒頭部分. ているだけではなく、これによって、最後に王が改心すること. Ⅱ. A─1 二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、 まちは賑やかであった筈だが、 と質問した。若い衆は、 首を振っ. を読者に納得しやすくなっていると考えられる。また、日本に. という設定になっている。「暴君」の設定がより具体的になっ. 前まではそうではなく、何かの原因で人を信じられなくなった. て答えなかった。 (中略)老爺は、あたりをはばかる低声で、. -3-.

(5) ことはこの後も一切書かれていない。. がら、なぜ人を信じられなくなったのか、などという具体的な. 「暴君」というだけではリアリティがないのである。しかしな. と言われて、 具体的な人物を想定しづらいこと) も考えられる。. おいて「暴君」のイメージがあまり明確ではないこと( 「暴君」. 呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいる. もと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて. 「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたの は、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もと. て居られる。 」. を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑っ. から、泣いて詫びたって聞かぬぞ。 」. 奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になって. 「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。 「口 では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹わたの. 「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメ ロスが嘲笑した。 「罪の無い人を殺して、何が平和だ。 」. のだが。 」. この点については、すでに高橋宏宣氏による指摘がある。 そ の 身 辺 に 陰 謀 め い た 事 件 が あ っ た の か ど う か を 含 め、 ディオニスが人殺し始めたきっかけが何であったか、テクス トでは一切明かされていない。 (中略) ディオニスは、限定された関係内で起こった出来事から導 き出した結論を人間すべてに該当する普遍的真理であると拡 大解釈してしまったのである。 (「王のための物語―『走れメロス』試考―」─「福島工 業高等専門学校紀要」平成二十年). 点では。一方で、ここに、王を中心とした物語の契機も読みと. 」と述べている。こ メロスは「市を暴君の手から救うのだ。 れこそがこの作品の主題として捉えられる。少なくともこの時. 高橋氏の指摘にあるように、妹婿や世継ぎということは王位 継承や謀反の疑いということも考えられるが、具体的には何も. ることができる。王の人間不信の原因、理由を明らかにし、そ. を殺せば〈王の物語〉は終わってしまう。王を殺すことに失敗. ら、メロスは王を殺して市を救おうと考えていたのである。王. ただし、当初この二つの物語は相反したものであった。なぜな. 物語〉と〈王の物語〉という二つの物語が始まる契機がある。. も想定されるだろう。すなわち、ここには、いわば〈メロスの. の誤解を解くことで人間不信を癒やすという物語(ストーリー). 書かれていない。 A─2 」 とメロスは悪びれずに答えた。 「市を暴君の手から救うのだ。 「おまえがか?」王は、憫笑した。 「仕方の無いやつじゃ。 おまえには、わしの孤独がわからぬ。 」 「人の心 「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。. -4-.

(6) がら、この後、 〈王の物語〉は作品の表面から消えていくかに. 信そのものを払拭するしかなくなっているのである。しかしな. 王の誤解を具体的に解く、という展開は望めなくなり、人間不. え方(高橋氏の言う「普遍的真理」 )になっている。これでは、. かも「人間は、もともと~」と具体的な事件から普遍化した捉. ま で あ り( 二 年 前 に 何 か し ら の 事 件 が あ っ た は ず な の に ) 、し. る。しかし、王の人間不信の原因は最後まで明らかにされぬま. 人間不信を解いて、市を救うという大団円も想定されるのであ. したために、新たな可能性が生まれた。例えば、メロスが王の. 証明できない場合もあるだろう。. とになる。それは、まさに走るというような行動によってしか. 葉と意味とが正しく繋がっていることを証明する必要があるこ. 信を払拭しようとするなら、この言葉への不信を解くこと、言. きたい。そして、そのように捉えた場合、メロスが王の人間不. ので、本稿ではこの王と言葉との関連性に注目して考察してい. 王の人間不信の原因については、何ら具体的に書かれていない. とになる。あるいは、王は言葉を失っているのかもしれない。. のは、言葉不信(もしそんな言い方ができるのなら)というこ. 見える。言うまでもないことだが、メロスの友情の物語が展開 していくからである。 (無論、これは原作と同じ展開であり、. る。きれい事とは、 言うまでもなく言葉である。ということは、. それはそのままきれい事自体が信じられないということにな. これは、きれい事を言うものを信じられない、 ということだが、. また、王は「口では、どんな清らかなことでも言える。わし には、人の腹わたの奥底が見え透いてならぬ。 」 とも言っている。. へ帰って来ます。 」. です。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここ. 与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいの. だ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を. と言いかけて、メロスは足もとに視線を落し瞬時ためらい、 「た. 作者の当初からの予定だった。 ). 言葉を信用しないと言っていることになる。例えば、 「帰る」. 「ばかな。 」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもな い嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。 」. A─3 「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと 死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」. と口で言っていても、心(腹わた)では帰る気が無い場合、 「帰 る」という言葉には意味がないことになる。口とは言葉のこと. 私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、. 」 メロスは必死で言い張った。 「そうです。帰って来るのです。 「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、. であり、腹わたとはその言葉の意味のこととしても捉えられる。 つまり、言葉(口)と意味(腹わた)とが切り離されていると. よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私. いうことになる。言うまでもないことだが、意味から切り離さ れた言葉はまさに意味がないのだ。すなわち、人間不信という. -5-.

(7) たら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、 そうして下さい。 」. が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかっ. の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私. しておらず、かなり安易に捉えていたのではないか。ここには. 時点では、メロスもセリヌンティウスもあのような結末は予想. ているという見方もできるだろう。ただ、前述のように、この. 命がけで人質になるのだから、友情という主題はすでに描かれ. すぎないと言うべきかもしれない。. とメロスの物語であり、セリヌンティウスはまだほんの脇役に. ていないと考えられるのである。というよりも、ここまでは王. 友情という主題の萌芽はあるものの、さほど大きな意味を持っ. (中略) 「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心 は、わかっているぞ。 」 「市を救う」話が、帰ってくるかどうかという話 ここでは、 にすり替わっている。というのも、たとえメロスが帰ってきた. 「市を暴君の手から救うのだ」. このメロスの一連の行動に対して寺山修司氏による批判があ る。. 初の目的は達成されない。 「市を救う」 という大きな物語から、. としても、メロスは処刑されてしまい、 「市を救う」という当 妹の結婚式を行うという小さな物語へと変更されているのであ. 大体、軽率である。. と答える。もし、本当に王を倒して、市を暴君の手から救お うとしているならば、こうした無策ぶりも、困りものである。. り、単に、帰ってこれるかどうかという、メロスの個人的な話 (物語)へと移っている。. とを証明しなければならないのである。 「おまえの心は、 わかっ. す」である。メロスは自らの行動によってこの言葉が正しいこ. よりも「必ずここへ帰って来ます。 」であり、 「帰って来るので. 場合が「嘘」ということになる。メロスの発した言葉はまず何. しかも、メロスは王の殺害を失敗したことに何ら反省をしてい. 確かにメロスの行為は軽率であり、愚かだと言わざるを得な い。すでに述べたように「王の事情」も明らかにされていない。. (「歩けメロス」─『啄木を読む』ハルキ文庫). 王の事情には耳を傾けなかったメロスだが、じぶんの「家 庭の事情」はきいてください、と言うわけである。. (中略). ているぞ」 という王の言葉を否定しなくてはならないのである。. のかもしれない。それをこそ愚かというのかもしれないが、全. (言葉)と「腹わた」 また、ここには先に述べたように「口」 (意味)との違いということも示唆されている。それが違った. さらに、もう一つ確認しておきたいことは、この後セリヌン ティウスが登場し、 「佳き友」という言葉はあるものの、特に. く反省や後悔をしないという者は滅多にいないのである。愚か. ない。実は、メロスの最大の特徴はこの反省しないことにある. 友情ということは述べられていないということである。無論、. -6-.

(8) な行為よりもその愚かな行為を反省しないこと、そこに注目し. う英雄的行為よりも、妹の結婚という「家庭の事情」を優先し. ただ、結果として、前に述べたように「市を救う」ことはそ れほど重要ではないかのように読めるのである。王を殺すとい. しても「無策」で殺そうとするしかないのである。. 暗殺なども出来ない。正直ということは、不便であり、殺すに. そもそもメロスの設定上、嘘はつけないのであった。まして、. けれども、反省しないメロスはそんなことは考えない。いや、. の強い王はそのようなことは考えなかったのか、 疑問である。 ). 確実に殺す方法について検討もできた。 (逆に言えば、猜疑心. はずである。帰ったと見せかけて、油断している王を、今度は. この与えられた三日間は王を殺すための良いチャンスと考えた. 全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原に. 人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、. りに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の. て動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばか. 濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破. 来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、. 三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出. 暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、. 一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から午後の灼熱 の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩. B─1. B内面描写. Ⅲ. てしまったことになり、世の中の人のためではなく、自分のこ. たい。だからもし、メロスが本当に殺そうとしていたならば、. とを優先したことになる。 (この点で言えば、メロスはすでに. ごろりと寝ころがった。. みずに、民のために王を殺そうとしていたのであり、その行為. 「勇者」という言葉自体が唐突で、 「勇者」とは何者かという. 勇者」 となる。自分を鼓舞させるためだったのかもしれないが、. まず、肉体的な疲労が描かれる。そして、内的独白となる。 ここでただの「牧人」であったはずのメロスが、唐突に「真の. して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切っ. 勇者を失格しているのかもしれない。王に対して敬語を使って いることにも注意しよう。王に諂った時点ですでに勇者とは言. は勇者と呼ぶにふさわしいものであった。けれども、その「市. こともこの作品には明確に書かれていない。民を救うために王. えないのではないか。無論、その前にメロスは自分の命など省. を救う」という大義が、 妹の結婚式という「家庭の事情」によっ. を殺そうとしたのだから、勇者に相違ないということかもしれ. て失われてしまったのではないか。 ). ないが、それを自分から言うのはどうなのだろうか。単なる自. -7-.

(9) ば、これまでの努力を踏まえて納得できるかもしれないが、そ. 画自賛ということになりかねない。メロスに感情移入していれ. からも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だ. 急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲み. だ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ!私は. ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。そ. 君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。. い疑惑の雲を、 お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、. 私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗. くれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。. 定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるして. ないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の. れる。私は友を欺いた。中途で倒れるのは、はじめから何もし. よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑わ. けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、. 愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。. きる事なら私の胸を截ち割って、 真紅の心臓をお目に掛けたい。. くなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、で. 無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けな. た。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも. 身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいい という、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰っ. 明るい小説として読まれることにも繋がっているだろう。(注3). は、一方で爽快感をうむことも確かである。それがこの作品が. かは考えないのである。ただし、反省や後悔をしないというの. と早く家を出るべきだったとか、もっと速く走るべきだったと. 自分の正しさばかりを主張し、 自分の至らなかったところ、 もっ. け取れる。また、ここでもメロスが反省や後悔はしていない。. ものである。だから、むしろこれは読者への自己弁護とさえ受. リヌンティウスと呼びかけていても、それは伝わるはずのない. でもメロスの内面の言葉(内的独白)に過ぎないのであり、セ. れは自己弁護にしか聞こえない。なぜなら、この言葉はあくま. す。肉体に変わって自らの正しさを主張するのだ。しかし、そ. そしていま、その肉体は動かなくなった。その時言葉が動き出. ある。言い換えれば、肉体によって証明されるものだと言える。. の正当性(正しさ)は彼の行為によってのみ証明されるもので. くなった時に、言葉が動き出したかのようである。本来メロス. が多すぎないか。あたかも「身体疲労」した時、肉体が動かな. ここでは、メロスは自分の正当性について語っている。それ にしても「村の牧人」にしてはあまりに饒舌ではないか。言葉. から、出来たのだよ。. うでなければ、ただの独り善がりとしてしか読めない。. れを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ば. 「友と友の間の信実は、こ 後 半 は 友 情 に つ い て 語 っ て い る。. B―2. ん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったの. -8-.

(10) これもまた唐突と言えば唐突で、メロスがなぜそのように友情. の世で一ばん誇るべき宝」と友情の重要性が強調されている。. それは、そのままメロスが走っている理由となっていく。 「友. 「友と友の間の真実」として読まれることになるのではないか。. ける友情の賛美の結果、ともするとこの「真実」というのが、. 一緒であることを示すことでもある。ところが、この場面にお. を救う為に走る」ことだけとなり、友情を証明するために走っ. を大切にするのか、 ということの具体的な描写はどこにもない。 自明のものだということなのだろうか。 ). を潜めているのである。それはそのまま「市を救う」話が忘れ. いわば一方的な友情の賛美となっているのである。 (それとも、 ところが、メロスが妹の結婚式の後に走り出した時には、友 情についてはほとんど触れられていなかったのである。. 提に走っていた。殺されれば、 市は救えない。この意味でも 「市. B―3 ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうで も、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。. を救う」ことは黙殺されている。). ら れ て い る こ と で も あ る。 (また、メロスは殺されることを前. ていると読めるのである。走り始めにあった王の存在は全く影. きょうは是非とも、あの王に、人の真実の存するところを 見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。 (中略) 私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代わりの 友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪知を打ち破る為に走るの だ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時. 人は信じられるということを示すということである。そして、. と考えられる。つまり、 「人の心」があてになること、そして. た王の言葉「人の心は、あてにならない。 」を受けてのものだ. が目的となっている。この「人の真実」というのは、 最初にあっ. 守るためである。友のためというよりも王との約束を守ること. 「友を救う為」とはあるものの、走るのは、王に「人の真実 の存するところを見せ」るためであり、殺されるため、名誉を. と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無. 最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君. たら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で. て私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなっ. なっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点し. を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままに. 身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣. 王は私に、ちょっとおくれて来い、 と耳打ちした。おくれたら、. そのためには帰ってこなければならないのである。殺されるこ. から名誉を守れ。. とが解っていながら帰って来ることによって唯一証明されるこ. い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、 悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も. とである。同時にそれは自分の言葉を守ること、口と腹わたが. -9-.

(11) 居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしない ない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではな C─1. C「大きな力」. Ⅳ. かったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り. (中略)その泉に ふ と 耳 に、 潺 々、 水 の 流 れ る 音 が 聞 え た。 吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、. だろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだら. 者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。――四肢を. り、普通の人が英雄的行為をするのだからこそ、普通の人たる. 為を強調することが目的であろう。メロスだって普通の人であ. 人間であることを読者に印象づけ、それによって彼の英雄的行. まさに「身体疲労すれば、精神も共にやられる」のである。 メロスの弱さを出すことで、彼がスーパーマンではなく普通の. ぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言っ. てくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命な. 私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待し. 枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。. 誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も. ら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名. 投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。. 一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気. 読者も共感するということである。ただし、それが意味を持つ. がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかなが. のはこの後の走る姿とのギャップによってであるが。. の一事だ。走れ!メロス。. メロスは走らなければならないのだが。なお、この場面の後半. すことができないということである。言うまでもなく、だから. が同じであることは、行動によってしか、肉体によってしか示. 行動だけが人の判断に繋がることを示してもいる。口と腹わた. ここでは、言葉によって、自己の正当性を主張しながら、実は. 待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。. て走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義 の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、 陽が沈む。ずんずん沈む。. おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立っ. れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、. 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪 魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲. て居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただそ. また、「王の言うままに」とか「王は、ひとり合点して」と かあるように、どんなに心で思っていても人には伝わらないの. については、後に殴る場面(特に「悪い夢」 )に係わって、詳. 正直な男のままにして死なせて下さい。. である。王はメロスの行為だけで判断するということである。. しく論じたい。. - 10 -.

(12) 水を飲んでメロスは復活する。それはすなわち肉体の復活で ある。「私は、 信じられている。 」 とあり、「信頼に報いなければ」. るか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕. きり友情のため、セリヌンティウスのために走っていることに. からさめた後では、王のことはどこかに行ってしまい、まるっ. 守ることが目的だったのである。身体疲労した後、 「悪い夢」. ように走り始めた時は友情のためと言うよりも、王との約束を. のため、友情のために走るということである。しかし、前述の. けであり、その苦闘が伝わらない。そこで「全裸体」にするわ. はそれを知らない。だから普通の恰好であれば、単に遅れただ. て意味がある。読者はメロスの苦闘を知っているが、群衆たち. は読者に対してであると同時に、特に刑場にいる人たちに対し. のは、メロスの苦闘の指標(マーク)ということになる。それ. いい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。」という. ここでも「その男を死なせてはならない」「おくれてはならぬ」 と間に合うように走っている。この「風態なんかは、どうでも. 陽を受けてきらきら光っている。. なっている。友情の賛美があったことにより走る目的が変わっ. けである。ここにも読者と作中人物たちとの情報の差が係わっ. と あ っ て、 「走れ!メロス」となる。信頼とはセリヌンティウ. てしまったと言える。 さらに、「正直な男のままにして死なせて」. ずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。 (中略)ああ、そ. 宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少し. 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように 走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒. C─2. だ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走って. 「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間 に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないの. C─3. 繋がっていく。. るということになる。このことは、最後の「緋のマント」へと. スとの関係を指しているのだから、ここではセリヌンティウス. というのは、あたかもメロスは自分のために走っているかのよ. ていることになる。ただ、 ここで「風態なんか」とあることは、. の男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。そ. いるのだ。ついて来い!フィロストラトス。」. 当然「風態」を気にすべきであるということが前提になってい. うにさえ読めるのである。. の男を死なせてはならない。急げ、 メロス。おくれてはならぬ。. 最初は「信じられているから」と言い、これまで通り友情の. 愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、 どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。 呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。は. - 11 -.

(13) のか。「恐ろしく大きいもの」とは何かを問う前に、この一連. 一体、間に合うように走っているのか、間に合わなくとも良い. わぬは問題ではない」 となり、「人の命も問題ではない」 となる。. 間に合うか間に合わないかは問題ではない。約束も「人の 命も問題ではない」、 「もっと恐ろしく大きいもの」、いやそ. 摘している。. 及びこの「わけのわからぬ大きな力」について、次のように指. 前の「恐ろしく大きいもの」、さらに「わけのわからぬ大き な力」 は何を意味しているのか。田中実氏は、この一連の場面、. ために走っているかに見えながら、すぐに「間に合う、間に合. のメロスの言葉には飛躍があって、とても解りにくいことを確. めに走っているのだ。飛躍はあるが、この「恐ろしく大きいも. のだから、それでも良いということか。それでは、一体何のた. そして、間に合わなければセリヌンティウスは殺されるわけ であり、友情は証明されない。いや、 「人の命も問題ではない」. ような作品ではない。. て る 主 観 的 な も の で は な く、 〈語り手〉が説明していること. わからぬ大きな力」とは、作品の中ではメロスが勝手に感じ. 今メロスを支配した。念の為に繰り返しておくが、 「わけの. 働いている。それがメロスに乗り移り、メロスの外側から、. うした次元をさらに超越した「わけのわからぬ」ものの力、. 認しておこう。最初にも触れたが、この作品はそう簡単に解る. の」というのが、友情を超えたものだということは確実に言え. である。. 重要だろう、それが問題でないなら、友情以上のものがあるこ. (中略). ここではその名付けようもなく、不可解なある何者かの力が. るだろう。友情のためだけであれば、間に合うかどうかが最も とになる。果たしてそれは何なのか。それとも、信じられてい. 結末はこの神々の加護がみなぎる。. つまり、この「力」とは人間なるものを超越し、人智を超 えたもの、神なるものの「力」と言わざるを得ない。小説の. ることに答えるのは、間に合うかどうかという結果ではなく、. ( 「お話を支える力─太宰治『走れメロス』」─『小説の力』 大修館書店). 一生懸命に走ることなのだということか。けれども、一生懸命 人的には、 「人の命」より大きいものはないと思うが。 ). としても捉えられるということである。しかし、それは田中氏. さでは「恐ろしく大きいもの」の答えにはならないだろう。 (個. C─4 言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロ スは走った。メロスの頭は、 からっぽだ。何一つ考えていない。. の言うように「神」なのだろうか。語り手は「神も哀れと思っ. いうことである。さらに、その「力」が人間をも超越したもの. ここで注目したいのは、田中氏が指摘するように、C─3は メロスの言葉だが、C─4は語り手の言葉として捉えられると. ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。. - 12 -.

(14) ろう。. きな力」とは完全なる肉体を求める力などだとも解釈できるだ. 目を向けたときこのような解釈も可能になるのではないか。「大. ズハイということになってしまうが。 )言葉と肉体との関係に. いることになる。 (現代的な捉え方をすれば、単なるランナー. か、肉体だけの存在にはなれない。まさに、走るために走って. り続けるということになる。いや、走り続けることによってし. 肉体が肉体を引きずっていく。肉体だけの存在となるために走. は、 「わけのわからぬ大きな力」とは、その肉体のことなのか。. ているのである。肉体と言葉はいわば相補的な関係にある。で. 労し言葉だけがあった。ここでは肉体だけになり言葉が失われ. これはまさにBの場面と対照的なのである。Bでは、肉体が疲. のだが、それはメロスのことであって語り手のことではない。 ). ということである。 (だから「わけがわからぬ」だとも言える. ここで、注目したいのは「メロスの頭は、からっぽだ。何一 つ考えていない。 」とあることだ。つまり、言葉を失っている. か。神々もまた物語世界の中の存在なのである。. うのは、物語世界を超越した力でなくてはならないのではない. ことである。とすれば、その語り手が「わけがわからぬ」とい. のか疑問が残る。語り手とは、物語世界を支配しているものの. たか」という程度の神の存在であり、 「神々の加護」と言える. らぬ」とはならないのではないか。また、 せいぜい「哀れと思っ. たか」と神を認識しているのであり、神であれば「わけがわか. かし、身体疲労した後に再び走り出した時には、セリヌンティ. 結婚後に走り出した時は、まだ王との約束が念頭にあった。し. 問題は、メロスも語り手もあるいは作者もそのことを忘れて しまっているのではないかということである。メロスは、妹の. しまう。 ) (注4). では友情よりもさらに個人的な理由で走っていることになって. 尊心を守るために走っているということになる。ただし、それ. それはメロスの自尊心のためとしても捉えられる。つまり、自. ると、 自分の言葉を自分で守ろうとすることとして捉えられる。. のである。 (このことは、行動主体であるメロスを中心に考え. た時、この言葉を守るという走る目的が成立してしまっていた. ずである。しかし、「正直な男」メロスが「帰って来る」と言っ. て、王との約束はそれを導き出すためのものに過ぎなかったは. のセリヌンティウスとの友情を描くことが本来の目的であっ. ウスを人質にしたことによるだろう。いや、本来というならこ. ぜこんな解りにくくなってしまったのか。それは、セリヌンティ. る。 本来はそれだけだったのである。「わけのわからぬ大きな力」. れによって口と腹わたが同じであることが証明されるのであ. とは「帰って来る」という行為によってしか証明されない。そ. めのものである。 「帰って来る。」という言葉の意味が正しいこ. である。同時にそれは言葉と意味が一致することを証明するた. のです」という言葉を実行するために走っているにすぎないの. る。最初に指摘したように、メロスは「そうです、帰って来る. など入る余地もなかったはずなのである。にもかかわらず、な. しかし、実はメロスが走っている本当の理由は明確なのであ. - 13 -.

(15) ウスとの友情だけが念頭にあったのである。つまり、途中から. いうことになるか。(注5). ではないか。その場合「わけのわからぬ大きな力」とは言葉と. れるのである。. らなくなっていること、そのことをこそ示しているとも考えら. ずられて走った」というのは、語り手にも走っている理由が解. ということだけではないか。 「わけのわからぬ大きな力にひき. ないということだけ、あるいは、友情を超えなければならない. ているとことは、単なる友情のためだけに走っているわけでは. な力が働いているかどうかも、 解っていないのではないか。 解っ. きな力」と言っているが、それが何であるか、いや、そのよう. まこの「わけのわからぬ大きな力」にも通じる。語り手は「大. も、メロスには答えは解らないだろう。そして、それはそのま. とを示唆していたのではないか。だからそれが何かと問われて. た。それは、元々走っている理由が友情のためではなかったこ. れから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。. メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。 「ありがとう、友よ。 」二人同時に言い、ひしと抱き合い、そ. ば、私は君と抱擁できない。」. た。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなけれ. を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑っ. 優しく微笑み、 「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬. セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一 ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから. る資格さえ無いのだ。殴れ。」. を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁す. 「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私 を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢. D─1. D結末. Ⅴ. 走る目的がズレてしまっているのである。このズレがメロスが 何のために走っているかを解りにくくしている。あの「恐ろし. 「わけのわからぬ」 、 「ひきずられて」とあることは、 さらに、 メロスが自分の言葉を守ろうとして走っているというよりも、. く大きいもの」 というのは、 前述のように友情を超えるものだっ. 逆にメロスの方が言葉に引きずられて走っているかのようにも 読めるのではないか。メロスは自分の意志で走っているのでは. この場面についても、寺山修司氏による批判がある。 時間に遅れそうになって、相手に不安を与えたからではな く、悪い夢を見たから殴ってくれ、というのは甚しい甘えで. なく、自分の発した言葉によって走らされているということで こ れ ま で の 肉 体 と 言 葉 の 関 係 と い う 視 点 か ら 言 え ば、 言 葉 に. ある。どこまで面倒を見てもらいたいと言うのだろう。第一、. ある。あくまでもこのように見ることもできるということだが、 よって肉体が疾駆させられているというような解釈もできるの. - 14 -.

(16) メロスについて考えるのなら、 「友情」と呼ぶ必要はないので. 寺山氏はここにもメロスの独り善がり、自己中心的な面を見 ている。あえて言えば、そもそもこのような一方的な関係を、. ( 「歩けメロス」─前出). こうした、一方的な関係を「友情」と呼ぶには我慢がいる。. 殴ることは奉仕であり、 力仕事でありサービスである。(中略). うに認識していないのである。. い夢」ということになる。にもかかわらず、メロスはそのよ. 「夢」が認識の側に属するとしたら、 当然「未練の情」も「悪. がセリヌンティウスにとって、許し難い裏切りになるだろう. 情」と疲れ切ってしまったときの「悪い夢」とでは、どちら. し、メロスは徹底していない。まだ、元気なときの「未練の. メロスが詫びているのは山賊を倒し、峠を下りた後の迷い のことだけ、もしメロスがセリヌンティウスに真実、心の底. この「悪い夢」について、前に引用した田中氏は妹の結婚式 の時の未練に関連して次のように述べている。. 「 『未練の情』も『悪い夢』」としているが、この「悪 ただ、 い夢」というのは、明らかにB―3の最後の所を指している。. 「 『悪い夢』問題──『走れメロス』受容史の焦点×国語 ( 科教育の課題」─安藤宏編著『展望 太宰治』ぎょうせい). か。どう考えても、元気なときの「未練の情」の方だろう。. はないかとも考える。. から詫びるとすれば、疲労の極限で見た「悪い夢」よりも、. ものと、意味の上で「悪い夢」と同じということは厳密に区別. ことを、謝っていることになる。 )作品で具体的に指している. い う こ と に な る。 (一応ここでは「恥ではない」と言っている. んな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。 」と. これを受けて「先刻の、 あの悪魔のささやきは、あれは夢だ。 悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあ. がよい。. かばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にする. それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ば. だの、 考えてみれば、 くだらない。人を殺して自分が生きる。. 追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛. ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村 には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から. まず健康で丈夫なときのこの人並みの人情を発揮したことこ (「お話を支える力─太宰治『走れ!メロス』 」─前出). そ詫びるべきだったのではないか。 須貝千里氏はこの田中氏の論に言及して、 メロスも語り手もこの「未練の情」を「悪い夢」とは認識 していないのである。 しかし、田中実氏は「未練の情」を「悪い夢」と断じ、こ のことを問わない語り手のことを「迂闊な語り手」と評し「走 れメロス」を「失敗作」であるとした。 と述べ、さらに、次のような意見を述べている。 徹底的に「真実」を求める王に対峙するためには、メロス には徹底的に「真実」を生きることが求められている。しか. - 15 -.

(17) でしか判断はできない。帰って来れば「真実」なのである。さ. らないのであり、メロスが間に合うように帰って来るかどうか. のだろうか。王であろうか。しかし、王はメロスの心の内は解. とが求められている。 」と述べているが、誰に求められている. に対峙するためには、メロスには徹底的に『真実』を生きるこ. すべきである。また、須貝氏は「徹底的に『真実』を求める王. いのは、その方が罪が重いだろう。. した」ことは誰でも言えるわけで、「忘却」したから言えな. 悶 と の 間 に は 決 定 的 な 相 違 が あ る 」 と 述 べ て い る が、 「認識. 「単純 安藤は「自意識の質に根本的な差異がある」とし、 で自分勝手な忘却と、 〈 挫 折 〉 を〈 挫 折 〉 と し て 認 識 し た 煩. した上で、安藤氏の論について述べている。. で見た〈悪い夢〉は重すぎて釣り合わない印象を受ける。 」と. 「 〈物語〉の〈語り〉、〈小説〉の〈語り〉─『走れメロス』 ( を例に」─「日本文学」平成二十五年三月). らに言えば、 「徹底的に『真実』を求める王」というが、王は たかだか二年前に何らかの理由で人間不信になっただけであ り、そこまで徹底しているのだろうか。これらの論に対して、. して認識した煩悶との間には決定的な相違があるわけで、メ. 要だろう。単純で自分勝手な忘却と、 〈挫折〉を〈挫折〉と. とでは、その自意識の質に根本的な差異がある点に注意が必. 結婚式時点で感じた〈未練〉とこの場面で感じる〈悪い夢〉. てしまう点にこの作品の構造上の欠陥を見ている。しかし、. の際に生じた〈未練〉も含まれるはずとし、それが黙殺され. 田中実氏は、結末の〈私は、途中で一度、悪い夢を見た〉 というその〈悪い夢〉が、この場面のみならず、妹の結婚式. スは「未練の情」について言わなかったということについて、. に失敗作なのかという点について確認しておきたい。なぜメロ. と考える。とはいえ、そのことを述べる前に、この作品は本当. るべきというならば、謝るべきことを誤っているのではないか. なり読者の主観に基づいているのではないか。さらに実は、謝. も本文からは判断ができない。「自意識の煉獄」も含めて、か. ただ、 「自意識の質」やどちらが「罪が重い」かなどは、とて. べきものが、「悪い夢」以外にもあるのかどうかが問題となる。. あの時点しか指していないことは明かである。だから、詫びる. 妹の結婚式の際の〈未練〉を含めると、それこそ「途中で一 度」どころではなくなる。しかし、前述のように「悪い夢」は. ロスは結末で何よりもまず、自ら体験した自意識の煉獄をこ. 安藤宏氏は次のように否定的な意見を述べている。. そ、〈悪い夢〉としてセリヌンティウスに伝えようとしたの. メロスの立場に立って考えてみる必要があるのではないか。要. は、メロスの頭の中は走ることで一杯だったということではな. である。 ( 「走れメロス」─前出). る前のことである。今やっとたどり着いたメロスにとって、当. いか、ということである。 「未練の情」というのは、走り始め. また、さらにこの論を受けて丸山義昭氏の論及がある。丸山 氏はまず、メロスとセリヌンティウスを比べて「メロスが途中. - 16 -.

(18) 言葉にこそ示されていたものでもある。では、その誤るべきこ. しかしながら、先ほど述べたようにメロスが本当に謝らなけ ればならなかったことは他にある。それはセリヌンティウスの. することの方がおかしいだろう。. ているが、走ってきたばかりのメロスにそのようなことを期待. られる。読者は冷静にメロスの行動全体を観察して意見を述べ. えるのである。もう一つ、ここにも作中人物と読者との差が見. 練の情」に言及しないのは、むしろ、当然ではないかとさえ考. たかを示しているとも言えるだろう。 )この時点でメロスが「未. に言及しないことが、如何にメロスが走るだけで一杯一杯だっ. たとしても、 誰が責められるだろうか。 (逆に言えば 「未練の情」. 然走ってきたことで頭はいっぱいで、 「未練の情」を忘れてい. き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」. わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞. おまえらは、わしの心に勝っ 「おまえらの望みは叶ったぞ。 たのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、. この場面もまた解りにくいので、あえて分析してみたい。. この後、王の改心が語られる場面となる。この王の言葉はシ ラーの詩と同じなので、本稿の分析対象とはならないのだが、. いうことになる。やはり、メロスには責はない。. ことが解る。とすれば、謝るべきことを誤ったのは、作者だと. い夢」について謝罪するというのは、最初からの計算であった. うのは、前述のように明確に書かれていたのであり、この「悪. ことを誤っているのである。とは言うものの、「悪い夢」とい. り、メロスはそれをこそ謝罪すべきではなかったか。謝るべき. 走り始めたときの「きょうは是非とも、あの王に、人の真実 の存するところを見せてやろう。」が達成されたということで. ととは何か。次の言葉こそがそれである。 セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてく れ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも. ある。しかし、前述のようにこのメロスの言葉は友情の物語の. なる。しかも、それは一度だけである。メロスは冒頭で王に向. たことではないのか。そして、それならば、二人は同じことに. スが謝るべきは、メロスもまたちらとセリヌンティウスを疑っ. のは、「ちらと君を疑った」ことであった。それならば、メロ. この「それも私の、ひとりよがりか?」と思ったこと、これ こそ、謝るべきではないか。セリヌンティウスが謝罪している. たこととして捉えられてしまい、「真実」は友情の証明によっ. であり、やはりメロスが示した真実とは「友を救う為に」走っ. て、メロスとセリヌンティウスの二人に向かって言っているの. りようがない。それでも、 「おまえらの」、 「おまえらは」とあっ. だが、これはメロスの内面の言葉であって、王はそのことを知. うのが、「友と友の間の真実」とも捉えられてしまいがちである。. 前に忘れられていた感がある。だから、王の言う「真実」とい. かって「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ」とも言って. てもたらされたかのように読めるのである。けれども、あえて. 私の、ひとりよがりか?. いる。まして、友人のことを疑うことは最も恥ずべきことであ. - 17 -.

(19) た と い う な ら ば、 メ ロ ス の セ リ ヌ ン テ ィ ウ ス に 対 す る 友 情 は. 自らのせいで窮地にあり、それを救うためにメロスが走ってき. いか。どうも、話が逆のような気がする。セリヌンティウスが. あって、友情という以前に人として助けるのは当たり前ではな. も、 そ も そ も メ ロ ス が そ の よ う な 窮 地 に 追 い 込 ん で い た の で. に過ぎないのであり、セリヌンティウスを助けるためと言って. ティウスには関わりがない。セリヌンティウスは巻き込まれた. 民のためであったとしても、自分がまいた種であり、セリヌン. そもそも自分の行為の結果である。確かに自分のためではなく. ということはあるだろう。 )しかも、処刑されると言っても、. 語世界では「定法」であり、だからこそ皆がメロスに感動した. 現代の読者にとっては「定法」とは言えないのではないか。 (物. である。とはいえ、これを単純に「定法」とはできない。特に. が生きる。それが人間世界の定法」であれば、なおのことそう. のが解っているのだから逃げたくもなるし、 「人を殺して自分. に引用した河合氏もメロスの友情を絶賛していた。処刑される. は友を救う為であり、まさに友情の為ということになる。最初. 自分が処刑されると解っていながら命がけで走ってきた。それ. ができる。それに対して、メロスの方はどうなのか。メロスは. たのである。まさにそこにメロスに対する友情を読みとること. は自らの命さえ犠牲にされそうになりながら、じっと待ってい. 確かに、セリヌンティウスは無償で三日間を犠牲にし、最後に. の友情とは何であったのか、 という根本的な疑問さえあるのだ。. 言えば、そもそもメロスは友情を証明したのだろうか、メロス. 行為は勇者にふさわしい行為であったとしても、メロスの友情. 心したから市が救えたということに過ぎない。メロスの最初の. のである。予定調和ではあっても、あくまでもたまたま王が改. メロスが友情を証明したところで、処刑されれば市は救えない. 「市を救う」話は、繋がっていないのである。単純に言って、. だと考えられる。けれども、友情を証明するという話と、この. メロスの人質になるのも(友でいるのも)このような男だから. が儘が許されるのは偏にこのことにある。セリヌンティウスが. そうとしたからであり、自分のためではなかった。メロスの我. ということである。メロスが処刑されるのは民のために王を殺. う「家庭の事情」の前には、「市を救う」という目的があった. し、忘れてならないのは、先にも触れたように妹の結婚式とい. スの独り善がり、さらには我が儘とさえ読めるのである。ただ. が言う友への「甚だしい甘え」に過ぎないのだ。だから、メロ. いことなのである。メロスが示しているのは、せいぜい寺山氏. リヌンティウスにとってはメロスが走ったことは何の意味も無. ために何もしていないと言えるのではないか。少なくとも、セ. の約束だったということにさえなる。すなわち、メロスは友の. ためではない。その点で言えば、守ったのは友情ではなく王と. のために王との約束を守るためであって、セリヌンティウスの. ていたのは、そもそも妹に結婚式を挙げさせるためであり、そ. ティウスにとっては迷惑なだけである。しかも、メロスが走っ. メ ロ ス の た め に 磔 の 柱 に か け ら れ て い た の で あ り、 セ リ ヌ ン. はっきりと解る。しかし、前述のように、セリヌンティウスは. - 18 -.

(20) ただし、ここで一つ疑問がある。なぜメロスは例外として処理. て「真実」は、 いや言葉は「妄想」なのではなくなるのである。. 意味との関係を修復したということになる。それによって始め. うことである。メロスは走ることによって、王における言葉と. られる。つまり、口と腹わたが同じであることを証明したとい. 来るのです。 」という言葉をメロスが守ったこととしても捉え. を思い出そう。そして、約束を守ったということは、 「帰って. もそも、この〈王の物語〉はメロスと王との物語であったこと. が約束を守ったことから「真実」はもたらされたのである。そ. よってもたらされたものである。友情の証明ではなく、メロス. れは、メロスが王の予想を裏切って約束通り帰ってきたことに. る。〈王の物語〉は一貫した物語であったと言えるだろう。そ. 払拭され、王が改心することで、この物語は完結したことにな. 復する物語が想定されていた。そして、ここで王の人間不信が. 顔 を 出 す。 〈王の物語〉は、人間不信になった王がそこから回. 事情」の前に忘れられていたかのような〈王の物語〉がここで. 初に指摘した〈王の物語〉が係わってくる。メロスの「家庭の. 「真実」はどこからもたらされたのか。 では、王の言葉は、 そして、メロスが走ったことには意味がないのか。ここで、最. 作自演の友情物語と言えなくもないのである。. ない。友を窮地に追い込んでいてそれを救うという、謂わば自. 裏切らずに帰ってきたからと言って、単純に友情の証とは言え. の証とは繋がっていないのである。少なくとも、メロスが友を. に「王は、民の忠誠をさえ疑っている」とあった「民」を指し. に述べたピタゴラス学派のような仲間である。あるいは、冒頭. 他にも大勢いるようなニュアンスが感じられる。例えば、最初. るが、その後言い直した「仲間の一人」というのには、仲間は. に入れてくれまいか。」というのは、友達同士ということにな. ただし、 「仲間の一人」と言っている点は注意が必要だ。「仲間. やはり友情こそが「真実」に繋がっていたということになる。. ということで、それは友情の輪にはいりたいということになる。. いか。仲間にしてくれと言うのは、二人との関係に加わりたい. とでもいうべき事、人をみな信じるという事が起こるのではな. になれるのではないか。つまり、人間不信に対して逆の普遍化. ある。もし、人間不信が払拭されているのならば、誰とも仲間. 仲 間 の 一 人 に し て ほ し い。 」と言っているのか、ということで. 解釈にはさらなる問題がある。では、なぜ最後に「おまえらの. る。 )とはいえ、この普遍化ということを含めて、このような. とである。そして、王もまた個人にすぎないということでもあ. 真実というものなどなく、あるのは、個人的な真実だというこ. そのものが否定されたということになる。(いわば、普遍的な. う例外によって否定された。その結果、人間不信というテーゼ. れるのは、最初の方で述べた普遍化ということである。王は 「人. 実」として捉えている。それは何故なのだろうか。一つ考えら. えることができる。にもかかわらず、王はそれを普遍的な「真. あったとしても、それはメロスだけのことに過ぎないとして捉. 間は、もともと」と普遍化していた。この普遍化がメロスとい. されなかったのか、ということである。たとえメロスがそうで. - 19 -.

(21) はなく、『走れメロス』と原作との間の矛盾なのかもしれない. この解釈に矛盾があるとすれば、それは解釈そのものの矛盾で. ている可能性があるかもしれないということである。つまり、. 面は原作のままである。そこに何らかのギャップ、矛盾が生じ. 語、意味がもたらされたと考えられる。しかし、この最後の場. どを書き加えた。その結果この作品にはシラーの詩を超えた物. も係わっているだろう。太宰は王の設定やメロスの内的独白な. の矛盾については、この場面がシラーの詩そのままであること. う解釈ばかりではないことを確認しておきたい。もう一つ、こ. 間の一人」というのは、少なくとも、単に友達になりたいとい. 釈もできるが、さすがにこれは抽象的すぎるだろう。ただ、 「仲. じる人たちの仲間、もしくは、言葉を信じる人の仲間という解. 様万歳」ということである。さらには、より抽象的に真実を信. ことを教えたことになる。あるいは、少女にとっては裸は恥ず. く赤面した」のか。少女の行為は裸が恥ずかしいものだという. こともできる。」 (田中実─前出)のである。では、なぜ「ひど. 強い美しさを賛美するには、むしろ真っ裸がふさわしいと言う. 示すべきではないか。「太陽の十倍も早く走る、幸運な男の力. ことではないということになる。むしろ、勇者はその肉体を誇. ていない。ということは、やはり裸であることはさほど問題な. ないか。また、セリヌンティウスも王も裸であることに言及し. ていたならば、むしろすぐに喜んでマントを受け取ったのでは. い少女だったということか。)裸であることを恥ずかしく思っ. こ と を 問 題 に し て い な か っ た か ら で は な い か。 (単に見知らな. か。これは、裸であることに気付いていなかったか、裸である. である。しかし、なぜ最初にメロスは「まごついた」のだろう. 「風態なんかは、どうでもいい。 これはすでに述べたように、 メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。」を受けたもの. 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着. ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、 まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。. D─2. 肉体との関係である。マントとは何かそれは肉体を包み隠すも. か。そこで、注目するのは、本稿でこれまで述べてきた言葉と. トは何かを比喩しているのではないか、何かの象徴ではないの. とはいえ、この作品の最後に登場する「緋のマント」は何か 意味ありげで、より抽象的な解釈をしてみたくなる。このマン. もしれない。. ているとも考えられる。王が民の仲間に入る。それこそ、 「王. ということである。. るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られ. ののことである。この作品で肉体を包み隠すものとして考えら. かしいものということを、メロスは初めて知ったということか. るのが、たまらなく口惜しいのだ。 」. れるものは何か。それは言葉ではないか、ということである。. 勇者は、ひどく赤面した。 . - 20 -.

(22) マントが言葉とはあまりに唐突すぎるかもしれないが、前に述. 走っているのだ。. いのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に. あって小説ではない。小説は言葉の芸術である。そもそも肉体. くなっているのである。少なくとも、単純に友情のために走っ. る。その結果、何のために走っているのかが、とても解りにく. 王との約束を守ることから、友情を守ること、そして、さら には友情を超えた大きいもののためと走る理由が変わってい. さらには、「わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った」 のである。. べたようにマントとは肉体を隠すもので、作品の最後で肉体は 隠されたと解釈できるのである。では、作品の最後になぜ肉体. の優位性を示すことは、小説としての自己矛盾である。小説が. ていたわけではない。いや、 そもそもメロスの友情とは何であっ. が言葉で隠されなければならないのか。それは、これが小説だ. 小説として存在するためには、最後に言葉が誇示されるべきで. からである。むき出しの肉体を提示するものは、絵画や彫刻で. ある。小説である以上最後にむき出しの肉体は言葉で包まれな. たのか。 セリヌンティウスのメロスへの友情はとてもよく解る。. けれども、メロスのセリヌンティウスへの友情は実はよく解ら. くてはならないのだ。. ない。確かに、自分が処刑されるのを解っていて、走ってくる. 「わけ メロスはいったい何の為に走っていたのか。そして、 のわからぬ大きな力」とは何であったのか。. 情の証とするのは難しいのではないか。さらには、最後の王の. るのだが、それは、もともとメロスがそのような窮地に追い込. Ⅵ. 妹の結婚式後に走り出した時、それは王との約束を守るため であった。. や、友情によったのだったらば、そもそもメロスは間に合うよ. のだから、命をかけてセリヌンティウス救ったということにな. きょうは是非とも、あの王に、人の真実の存するところを 見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。. な力」など関係なかったはずである。. うに走っていれば良かっただけであり、「わけのわからぬ大き. 改心は友情によったものとばかりは言えなかったのである。い. んだためであって、そのために走ってきたとしても、それを友. 「私を けれども、疲労困憊した後に再度走り始めた時には、 待っている人がある」と今度はセリヌンティウスを救う為に、. このように一見メロスの走っていた理由は解りにくいものだ が、実は、メロスが走っていた理由は、最初から明確だったの. 友情のために走り出す。ところが、途中から友情を超えたもの のためとなってしまう。. ために走っていたのである。前述のように「正直な男」メロス. である。メロスは「帰って来ます」と、王に言った言葉を守る. 「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。 間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でな. - 21 -.

参照

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