エドマンド・バークの反革命思想
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(2) . c .」950 、De. GAKUGE1. Vo l o .2 .2 , N ,. u ,Agape ′柳田謙十郎 「弁証法的世界の倫理J 中,の 「ェロ スとァ.ガベ」 。 山谷省吾 「基督教の愛につい ・ て」 等、 人間の実践的主体と しての緊張関係につv. は至難、 否恐らく不可能のことである。 人間にとって許 されることは、 永遠をかいま見る瞬間を ,できる だけ多く もつように努力するこ とである。 ,. l ik (ー923)、 勝 と 永 遠 に 関 し l ・ ・: Bt て は B. Bauc .. 「時と永遠」 参照, (完) ては波多野精一.. r 1) He degge in u i i t r : Se .17f . . Ze ,S ・関.し. s 筒 ェ 口 “ ス と\ア ガ ベ r に て は、 Nygren: Ero. エ ドマ ン ド・ パ ー クの 反革 命 思 想 田. 沢. 巌. 北海道学塾大学旭川分校歴史学研究室 i 1 t lut io l i I夢 A・ 1 rcvo ・ 1 1a ・ of Edmund BURKロ. sn vao TAZAW A: T. 1 , ‐ま. え. が. ーヱ924 の根本的理念である。. き. 4)・The Cambr i dge Mode l t s ory. ▽o r l ・ Hi , l p775. l ・ が、 大革命が英国に第一 には著者 ・ . Gooc .P ー- G ‐ , 「お め でと った 現象は まづ 「 ぅ」 に ま き 起 した ・現象はま おめ 」 であった にまき起 ・ぅ 大衆の遅進性というだけでは 解決されないものがあるo Fox 始め評論家 Pa , ・ i 政治家 と説きはじめ n e料 e 科 、 , l i 史的唯物論者は革命こそ歴史の必然であり、 その破壊的 J t s ey 等々数多く の革命讃嘆者をあげて e 学者 Pr 居る るo 、 。 批判を 通じて我々は 「過去の構造の現実的規模をその員 . 三 居 1 ) 事が出来るというので 実の新しさに於いて理解する」 2 , パークの友輩命思想 あるが この事を率直 に受入れる感情になりきれない 人 ・この感情を歴史や 鯨 統 の ◎ 々がかなり多いのである, 1789年7月14日パスチーュの牢獄破壊から出発 したフ 3 )とか、 従来 論ぜられ )とか、 図家理性 ( 重2 t t … i r aa s s on) s ラソス大革命が世界史闘換の重大事実であった事は、.よ ・ 1 て来た所謂歴史主義と直接結びつけて・立論する事に対 し 2 )マホメ ットの開基、 )等と比 く宗教改革や基督の出現、 ‘ て、 戦後夙に批判され蓋 したかの様 な印象を持つのであ 較されるのであって、或は之に対 して万雷の拍手を遥, り・ ろが、 これ が感情抜きに果 して学問的に遂行されたで あ 或は旧直会の没落に驚駁 し、 慨歎し、 当時正に世界を震 .かといぅ 点に関しては 疑なきを得ない .而も歴史上 るぅ 癒せLめたのであった。 最初に隣図から捲き起ったのは 。 , 3 の多くの革命は常にこの大衆の感情的批判をうけて来た ) 併 しい世界えの歓喜であった。 革命の讃美であり、 新, と思 が見受 れる 同様の状態 けら し、 現在我国に於いても 英国の図会議員 思想 し革命の進展に伴ひ であり政治 家と ・ . うのである。 私は反革命思想がもっと学問的に探索され して夙に知られて居た名士エ ドマソ ド、 パークは、 既に ) ー790年 る必要があると思うので ある。 この様な 意図から私は、 4 ルソーの革新思想に反対して 居たのであるが、 )と共に一 ・名著 The ReHect i フランス大草命に対 して、 多くの英国知識人4 l i on in Fml ・the Re▽o ・ ・ ・ ut c e o so .を .革命の進行 削が、 時は讃辞を逢ったエ ドマソ 寅‐パークリ 発表 して完膚無き迄に之を批判 したので ・ある。 彼にと ・つ ・ に伴って、 激しく展開 して行った反革命思想 を研究 し、 ては フランス革命は許すべからざる罪悪であり・ フラン ・ こ磯たわる歴史主義を解剖 し・ 所謂反革命思想. スの自由は放従と暴圧で あり 平等は不平等の専行であ その根底キ 、 ・ r 乃至感情を理論的に究明 する緒を得たいと思 う の で あ ) 無信仰 と 無 道 徳 5 り、 博愛はいさふかも認め られず、 .●.・ ● ● ● ● る) ● 、 \ と、 又合理の名のもとにあらゆる歴史的行動を否定,しよ i ”に対する基礎 的研究P76 s t on c 言EI) 羽仁五郎著: 佐藤信済 ‐Reae ぅ とする人類最 悪の状態であったのであり、 2) 平泉澄者: 革命論、 板沢武雄著: 天壌無窮史観 全 巻は全く批難と懐概の論調で 掴まれて居るのである。 等はこの種の停統に学問的基礎付 けをなさんと努 彼によれば、 アンシャン、 レジイムの罪悪は当然フラン 力さ れ たも の であ っ た。 i l a i ス国民の阻先瞥束の権利と して坂除かるべきものであっ t t i rs r on i も Fr necke: D ede aa s s elde c edr ・ , Mc 革命の唱道に対して割切れない気持を持つ事は、 単に. 96.
(3) . 第 2 巻・第 2 号. 塾. 学. -. -. 昭和25年12月. 6 ),従って革命によ て 暴圧行動に出づべき ものではない。 る憲法の改正の如き全く無用の行篇なり, と断 じ去って居. 的な研究の対象にする事を避けたりするのでは無く更に その根・底に横はるものに着 目し‘ 分析 して 見なければな. るのであるっ 而 して是等の由って来る所はr フランスの抽 , )と見、 この抽象的自然権 によっ 象的人権の概念である7. ’のである。 こ1で先づ考えられる事は反 らなないと思う. 革命思想は常に所謂歴史主義と関連を持つ事である。 バ. て新政府が造られねばならぬ理 も・ 叉存在せずとな, し. 国. ー これが歴然と して存ず る の で あ -ク の所論の根底にも: る。 更に之を指摘して見たい。. 王王妃の処刑に対・ しては慨嘆おくあたはず有名な、 The ageof Chi l Sophi t of・ t ry i sgo l 1 s va e er s . Tha ,. di dp 754 ・:i 註 1) G. P. Goocl rde r が宗 教改革 . He. ・やキリ スト教の生立にたとへたように、 人間生活 の基準を破壊 し、 叉より完全な人間性に向う契機 i である故にその理論 (Doc t r ne ) と使徒と殉教者 を有する点で前二者に比肩 し得ると記 してゐる。. l la t econonus t s cu or s ceeded;,and tbe , and ca , hass”c l ingui ・e不t ory of Europei ) s shed fore r g ve , という語8. を記しているのであるぐ かく して革命は単なる機械哲学 の原理と野蛮的行篇によって逐行され 「王も- 八の人間. 2) 頓7 i 【 l he t ory of 鳶ng cky: A E andin t s . 配. Le Bight eenth・Cent ury VOI 1510・ フラ ンス 革 命 .1 1. 女王も一人の女に過ぎない、 而も女は一個の動 9 ) とい 物であり- 織決して最高級に属する動物でない」 であり. ノ の歴史的様相はむ しろマホメ ット の布 教に類 しょ . イ うo 3) Gooch: i bi d p 755 4) パ ー ク は ー756 年・ A Vi i l tura ndi cat l l of na o. う見解に立つものであって我英図には全く相容るムべか らざるものとして 排撃して 居るのである。. 叉彼は革命の無紳論に反対し、 人間は宗教的動物であ ると見、 宗教は叉国家法律徹会生活の根本原理を附興す. i t s oc e y を著 して居るが、 是はル ソーの科学葵街 論(1755) 人間不平等起原論 (1755) 等 .の革新的 思想 べの対策的意図による著述であった。 5) Li be 6 Bqui 6 Fr i t 6 の革命標 語 r t t t rn a e. )哲学至上主義 による道徳の 1 0 るものである事を強調 し、 否定を慨き、 専制君主に代う・ るに多数者の専制を民主主 義の名の許に実現しようとする事が論理的矛盾でなくて. 6) The 下yo l も i l rksoft t Honourab e Bdmund 1 eお 1 gl Burke f d i i l o l d C1 i W r 〔 x t o r n r t r s〕 u e ・ o s c v s e a s . y: 6 Vos I t i ▽ に Re日ec ons が牧鰍されて . の VO .1. l ) と指摘して行くのである。 何で あろうかt 更に進んで彼はフランスの選挙制と、 上院な・ き議会の 専制を恐れ、 英国の秩序維持に警告を重ねて居る。 かく. 居るα 以下建とに.よる。 l f l Bur i { e: Re t ons: ec P .39 、 ‐ ‘ 7)i 73 bid: p b id: p 9)i . , ,83 ・ 10)i b i d: p 11) i bi d: p ノ .138 .99 , i 12) i b d: p ,272 ,. dom and Vi t て知と徳 (Wi s ue) なき自由こそ最大の罪 r 2 ) と結論して居るのである。 悪である1. 彼の自由は能会的自由であり正義の別名であ‐ り道 と宗教を離れぬも のである。 徳,. さて以上の様なパークの反革命思想を要約 して、 P. A. ブラウ ン氏の論ずる所は 「彼 (バ -ク) の論によれ . ば、 急激なる蔓化、 暴力的な蔓革は何れ も可能でない。. 何故ならば複雑な人間蔵会の事件は哲学者の単純化され た理論体系に対して余りにも偉大過ぎるから、 叉可能メ き と じこも● それは決して望ま しいものではない…中略…吾. i ion in Engl l b 』3) Brown : French Revo ut s Hi tory.p s . .75 .15) i d: p b d: p 14)・ i ib i . .76 .75 ′ i i l 16) T. R. May: The Cons t t s . Hi ory of o a I I snt ・Geqrge m. Vo . i l i l l 配ng cce s on of ・ e. s and,s ncet a . 虹・p . ,42. i t 々の創造者は我々を Divinet ac sに依って処置し道徳 c . 3 ) 1 的に支配するものである」 という事に なるのであり、. 言はゞ・ 彼は信仰厚い熱烈な英国愛国者であっ た の で あ ●. ’. る, 叉 「彼に於いて問題になるのは反革命の情熱であ ] 4 ) とも言ひ、 パークの反革命の埋念乃至思想を充分 る」 なる理論体系に根拠を持つものとは認めて居ないのであ 1 5 ) る。 ブラウ ンは革命に対する最初の反動 者 と 言 ひ、 T.E. メーは彼を恐怖政治によって最初に圧倒された政. 3 , 友革命思想に顕われた歴史主義 パークの反革命思想の立脚点を考えて見よう。 彼の説 1 ) 事実彼の は1688年主義である と言われるのである が、 ) プ の名誉革命の理 Re 日e i ライス博士 2 論敵 t c on s は彼の ・ ,解に対する反駁から開始されて居るのである。 プライス. が名誉革命によって英国人は次の三つの根本的権利即ち. 理論的な感情論…たとえそれが所謂愛園心であろうとも. t 1 ’ s conduc .政府の 失敗 Mi .国民自身の政府を選 ぶ事、2 3 組 ′ らの手で政府を 我々は自 によって政府を替える事、 .. …が革命の異常な刺戟によって鞍発されたに過ぎないと こ帰する様である, 私は一人パークの場合にのみな いう}. 織する事の権利を得たとなす事に対 しパー クは是は明ら じて ると長々・ と論, かに1688年の憲法を浸犯する理論であ′. らず一般に反革命論を問題とする場合、 これを単に超論 理的独断ときめっけたり、 主観的感情の問題として 科学. 3 )r彼は名誉革命によっ・ られたウイ て迎え, 居るのである , 。 リアム三世とメリーは彼等の先旭の王座に歴史的必然を. 6 ) とも言って居る。 是等のパーク 澱ま要するに超 治家1. 97.
(4) . Vo l 」2 .2 , No. .BI GAKUGB. Dec .1950. 1 2 ) けれ どもそ を廃 し自由を典ぅ べき事を説いて も居る。. 4 ) ジェームス 二世の廃立は法と 以て 君臨 したのであり、 t以上の罪悪によるのであっ c onduc 自由を覆えLた Mi s ) は全く誤である5 任ありという見解 て、 国王が人民に責 . 利請 グ カルタから権 と言い、 名誉革命の 新政府はマ ナ、 願、 人権の宣言に到って成女化されるまでの英圃の長い. の自由は英圃憲法の博統による ものでなければならぬと それは英図が英国憲法によって興うべき 言 うのであり、. とする もの、 つまり英園的自由を植民地に結 びつけよう, 3 )このため彼は議会に於いて殆 ど孤立無援に 1 のである。 陥るま で戦ったのである。 而も筒お彼は新時代の自由を らにして 自由・ 理解するものでは無かった。 「人は生れ乍・ ) というジェッファー ソンの主義は彼には 1 4 且平等な. り」. G ) 而 歴史の成果によるものであると主張するのであるo. もこの英圃の自由は道徳的統制と歴史的尊敬を以て守ら 7 ) フ ランス革命に於け る自由 とは るべきものであって、 本質的 に全く相容れないもので あると推論す る●の で あ. 採用出来なかった。 これは彼によれ ばルソーの場合と同 様に全く抽象的な理 論であって現実的に存在 し得べから ざるものであったのである。 「如何なる理性人と難も抽. る。 彼にとっては、 あらゆる革新は歴史を中断する事を 意味する革命理念によって遊行せらるべきではないので あって、 現代に生きるものは、 叉歴史の繁りの中に生き という歴史主義の立場を示 し、 るものでなけ ればな らない● ているのである。 叉彼の歴史主義は将来えの聯関に於い. 象と普遍によって自己を統持する事は曾って し な か つ ,. ・ 5 ) という事は彼の確信する所である。 叉フランス議 t た」. 会制度に対する彼の見解にも反革命思想の歴史主義を見. る事が出来る。 彼が上院なきフラ ンス革命議会を多数者 て も明らかに考えられているのである。 彼の冠会は 現に Pa ‐ t 生れ出づるものとの r r e の専制であると論じた事は醍に見た所であるが然 らば理 生きるもの、 死せるもの、 n . 8 h ) i ら革命フラ ・ 想的議会は如何と言うに、 それこそ英国議会なりとなす ンスの s pに於いて成立するふ か}る点か i i i c e ) の上に立 e e s p のである, 英憲法は巧妙な均衡(n qu 滝会観が否定される事は当然である。 かく見る時彼の反 直接的に寧ろ英国の歴史と将来に関するものであったと. つのであって、 図王と二院も叉この均 衡の原理に於いて 1 5 )こ ”こ統制あ 員の機能を発揮出来る様になって 居る。. 言ひ得るのである。 彼は英園内の革命讃嘆の声が刻々に 多くの革命協会を組織 し、 実践運動に鞄化L、 その数の. る自由が実現せられるのであり、 両院と共に、 或 意味で 1 7 ) 員の自由の上に は園王さえも人民の代表者であって、. )のを見て1 正に近い将来に於いて 全英 急激に増加する9. 合法的な立憲政府を維持 して 束たと見るのである, 而も 1 ) …是を ブラウン 8 i l ) を通して、 r ev va 是は幾多の改革 (. 革命思想はフランス革命の理論と現漢 に関 してはいるが. h i i 図が Ja z e される様 な洞察を したのであろう。 そ c ob. て保持せんとする努力であったのである。 この点からル tp s r e a r of e s o ソーに対する彼の異常な情熱的攻撃 ミGr. i t sと皮肉って いる-英図五百年の歴史が c a c は Di▽inet 得た成果で あって、 この英国議会制度こそ世界羨望のま デモクラシー実 とであると彼は自負 していたのである。・ 治の様相を示し 現の過程にあって、 革命主義者の寡頭政 て居た当時のフランス議会が 「全く塞想的であり、 地理. O) と き めっ け l tyミT r of Phi osophy of vani and founde. 的、 数学的、 財産的規準を根拠としたその選挙権は彼等. る語の贋義 が理解されると思うのである。 かくの如く彼 ±なく現実的であり具 ′ の歴史主義は決して単な・る理論で{. の天賦人権と矛盾するだろうし、 彼等は国民に征 服者と して接 し、 都市ブルジョワジーの専制となり、 バリーは 1 8 )全く議会と言うに償せぬ最悪 全図を優越的に支配 し」. のため彼は保守的ホイッ グとして 果敢な反革命運動を展 r 開し ているのである。 彼にありては反革命は理論の問題 ではなく実際運動 として、 英国の歴史瀧会を将来に向っ. として英園歴史に立 体的であったのである。 彼は英図人 . つのであって、 フランス人ルソー等によって示された天. の専制政治として彼の眼に映じただろう事は、 彼の歴史 主義の立場からは当然の事であろう。. 賦人権論の如き抽象理論は正に彼の闘う べき相手であっ たのである, とは言え彼にあっても蔵会は一種の契約と 遡解されたのである。 併 しその契約は現実に存在する統. 以上見て来た所にょつて パークの反革 命思想が歴史主. ・ り、 得たる自由は 治者と被治者の歴史的具体的契約であ. ・ r寧ろ英図図坪主義と言った方 が適切かも知れ ,義的思想’ とする事は理解出来るのである。 俳しパ ないが…を根底-. .統治者によって認められた自由であり、 ルソーの直会契. 9 ’と し て ー クを単にか}る一介の保守的像統の墨守者i. 約論の様な抽象的なもの,ではない と考えるのである。 か. のみ見て よいのであろうか。 否彼をこの様な単純な立場 , か ら解釈する事は彼の本質を謬る ものであろう更らに彼 ・ の思想を分 析する事によって他の要因を発 見するのでな. くて彼にあっては合理性は歴史性の下に位 し、 やがて理 ) 同様の事は 1 1 .軽硯するに到るのである。 性そのものをも 彼のアメリカ革命の反対論にも窺はれるのである。 彼は. 植民地に対する政策が英本図の自由の精紳に反するもの. 思想-般に纏はる多様 ければ総体的な彼の理解-反革命, .. である事を認めて居る し、 叉議会に於いて植民地の茶碗. 性は把握されないであろうo , 98. r.
(5) . 第2巻 第2. 号・. 昭 和25年12月. 学. 謡 1) 上田叉次著:. エ ドマ ン ド、 パ ー ク 研 究 p .99 i 2) Pr と 連 絡 し、 London ce は フラ ンス 革 命 党 員・ Revo lu i i 1789年10月 4 日演説を t t onsoc e y , を持ち. な し 「隣因の人民がその極桔を除き得る時代に会 える事を感謝すると急進的な意見を開 陳 して居る i パークの Reae t on s は直接には之に対する反駁 c. dp b i と して 書 か れ た の であ る。 Brown: i . .77 3) Re日ec i t ons . p . 14-37 こ ▲に批判されて居る l i Pr l oo seour c ・た三つの擢利は 1, To c e の説v. 、. asherthem for m・ s‐ own gove rnment . To c . 2 ・3 lve t se conduc s . . . Toframeagovernmentforour ・ヱ9 l i 4)ib id p l l ・ e . wi am m と Mary は on t , . ・ i ‘れ t throne ofthe e r r ance s s に 戻 っ た の だ と 記さ て ゐ る。 ,. . 5)i bid p .31 . 7)i dp bi .37 .. 6)i bid p . .35 8’i bid p .100 . 9) 1792年 Edinburgh C i L onven o l l の地方総会に. るのである。 彼は一方に於て 革命の意図するものを自ら . の思想の中に認めようとする寛容さを全然持たぬもので . もなかった。 アメリカ革命に対しては、1766年植民地の ) 印紙膝例廃止当時の 「希望と観喜」 を興えようも言い4 i i l i i i 植民地との宥和を説いて Conc th Ame t l l、 o v r c a a 1774 を著している事 、 フランス革命の初期に於いて沈. )な どによって もこの事 黙を以て一種の期待を繋いだ事5 は窺われるのである6 彼は曾って 「如何なる自由の憲法 と雌も自らの安全のために如何なる人民をも永久の奴隷 」 と演説 としなければならぬ必要性を見出す事はない. 」6 して奴隷制度を否定 して居る し叉彼が自由について正直 )として貫き通 して 居る事など と正義を常に張力な憐件7 にゞ 彼の人道主義的色彩を明確に見る事が出来る。 -. 781 彼の生涯の重大な事件の一つ即ち1 . 年、 時の英傑印. i d b 於いてさえ参加図体80を超えて居た Br o 、 vn:i. 度総督ワ レン・ヘーステイ ソグスに対し議会に於いて彼. .67 . p ・ i lo) A・l l As t t ot se- t a e rofthe Na erto a membe 8 2 9 ly. worksI b V.p n l . .. が加えた大弾劾演説に於て彼は植民地政策の兇虐行鴬に. i 11) Re日ec t ons . .p ,lol i 12) Amer i on can Taxa . .= .130 ,p 131 Le i曲. p t tert r o she .287 . 14) Ame i ca 独 立 宣 言 は Je儲e r on が他の4 人の起 r s. 草委員の委任によって起草 した。. ・ i 15) Uni t er ans . m.p ,137 . 7 4 16) The pre d i t e t t 江 conens sn s . . , .p 17ノ Le i i t t erto s r 亘, Langr she .186 . , V, p i 1 i▽3 18) ′ゞ- ク は , . l は revol ev on は‐ r eforn ut ,r remedy で な けれ ば な らな い と い う 持 論 であ る,. i i9 s 故にパークを一介の反 t on c ) -般史家は Reae l 動者と る。 Gooch ey et c . 特に .み な して い. r Mo. Mo l eyはパークの俸記学者であるが、 パークは五 つの事件の中只一つに過ちを犯 したと言って こ i t の の Reac ons の反 革命論を ,さ している。 4 , 友 革命思想の諸要因. 対 し断ー噌抗議 して居るのである。 ,こふでの論点は総督に 輿えられた 特許権が人間の道徳を超越 し得るかの問題で あり、 全・ く英園の憲法論上の論争である が、 こ▲で彼は )人 人間の生命の権利を譜聖に して犯すべからずという9 道主義的性格を明瞭にあらわして居る。 而も彼の蝉劾は ヘースチイソグス が全く成功 し凱旋将軍の様に帰国 した 1785年に最高潮に達し、 前後14年間激 しく続けられたの である。 この事に関して法制史家ラスキ教授 は 「彼 こ ・そ. 隷属民族問題の道徳的重大さを完全に理解した最初の英 o l ) と言っているのであって正にパー 圃政治家であったi クのモラリストとしての面目が躍如と して現われて 居る と思うのである。 是等彼の思想の諸要素は既に見て衆た 彼の反革命思想 にも顕著に見出されるのである . 叉彼の反革命思想に彼の国家主義と宗教主義の‐ 見られ る事は既に挙げ来つた所から十分に察知出来 る の で あ る。.. i t ブラウンがパークを評するに r c c on の語を用いた a 事に対 して、.上田叉次氏は 「不易の道に足を踏みしめる 1 〉▲という 弁護を試みて居るの 者が正流ではあるまいか」 である が、 この点に関.し更にパークの本質を究めて見た い。 彼がアメリカ独立戦及フランス革命に示 した本質的. な反革命思想の中に我々が何よりも顕著に感ずる事は暴 力否定の事実である。 アメリカ革命に対 し 「彼等は本 図の失政を厭い、 色染められた微 風 の 訪 れ る ま ま に. ,. 以上パークの理論特にその反革命思想の要因と して、. 歴史主義、 人道主義、 園家主義、 宗教主義等々を析出す る事が出来るのである が、 是はー8ー9世紀の近代思想の 動揺期に錯綜する思想問題であったのである, バ{ クに ・ ′ ・ ・ らの諸要因についての学問的批判が遂行せ 現われたこれ・. られる時に彼の反革命思想の債値が決定せられるわ けで . . . あるが、 本稿の目標はそれに置かれたのではなく、 ブラ ウ ンによって頑迷な反動的熱情と許せられた 彼 の 思 想. 2 ). i と言い専制治・ が その根底に本質的な思想 上の諸要因を内蔵する複雑 de t sm の近着きつふあるを嘆いだ」 s po 、 下には決 して平和のない事を説き、 フラ ンス革命につい 体として把握する所から再批判されねばならぬ事を指摘 ては国王の処刑に於いて陵然 として色をなし、 その無制 したかったのである。 )のであるが、 約の暴力、 狂暴、 愚鈍さを攻撃して 居る3 謡 1) 上 田 叉 次 ibid 88 こ. : . . p 2) Conc i i l i t ・ th Ame o ・ wi a ca works= r .38 . .p. ”こ暴力と圧制に対する彼の平和主義的批判を窺い得 99 一.
(6) . ・●. Vo l .2 .2 , No. 1EI GAKUGE. ・ i 3) Reacc t ons . .PP .22-3 T i i 4) Amer t on can axa .130 . ,虹 .p ヱ 8 1 5 9 0 7 でむ しろ革命を希望的に } バクーは 年 月ま ,. i l 3 ) として実現し、 i i th Amer L can Ac がて、 Br r t s I No 反革命運動に於いては、 反動主義者と して全く孤立の中 ツ にあり乍 ら而も形群たる輿論の波を押切 ゥて、 首相 ピ,. 毒署観 して い た。 l I Prev i ion i 6)Speech a i ec t ・ I 1 t Br to oustot e 聡l s Ci ty. m.pp . . 41‐2 be i ty wi thout 7) Cobban は パー ク の自 由 は A ] r. B大同盟を結成せしめるに到っている, 史 トを動か し対伊 家 J .R. グリー ンはこの対悌体制の確立をパー クに負 ) 4 う所大なりと評贋して 庭る。. i l i ty であ る と 許 して t rni ty and fra e therequa e. ,居る。 上田氏 ibid p,157. 8) Fox 首相が l l l を 通 過 せ しめ ん と し, ndi an Bi た時全英園はヘースチイ ングスの名声の故にイ ン ド人迫害の事実を指摘 しなかった。 パークは敢然 弾劾 したのである。. ・58 tlndi a 9) 蕗as . . , 皿.P l l i i lt lo) H. J. Laski: Pol 〈 e t l ca oughtfrom Loc 1 7 9 h B t to en am.p . .. 5 一 壱. Dec .1950. 是等の事実は彼の反革命思想が単に思想乃至理論…… この点に関する限り既に見て束た様に軍配は革命主義者 に上げねばなるまい … …であるのではなく、 彼の 生存す る歴史冠会の贋意を捉えて 居る事を窺わしめ る の で あ. るゴ 単に歴史主義保守主義叉は遅進性とは論断し切れな いものがある事を歴史が証明 して 居ると言い得るのであ る。. 今日の我が園はパークとは一世紀半の時間と地球 半週. と めて き. さて以上試みたエ ドマソ ド・パークの反革命思想の分 析 は・見ようによっては甚 しく平面的であり観念的である 様である。 歴史考察は歴史事実の発生成立と、 その歴史 冠会に於ける機能的分析を必要とする。 この点から彼の 属した蔵会、 そして彼が革命から守ろうと した英国就会 の本質的研究が必要である。 彼が プライスえの論駁に於 いて示した our so▽ereign Lord Lhe King に対 して Weareto obey thelaw in himl〉 の信係を持つ全く立 i l t s ) と して叉ホイッ グと して 憲英囲えの忠誠者 (Roya する泣会を翠的に示すであろう の立場は彼の属 。 我々は て産業革命に乗り出して居た当 ・時の 西欧諸国にさきがけ,. の距離を持つのであるが革命論批判において当時の英圃 と甚だ似た所があるのである。 既に見たパークの所論と 所信に対し共感するものもかなり多いと思われるのであ る。 而もその反革 命思想にパークに於いて析出された様 な歴史的文化的要因が動員せられ叉パークの成功に於い. れる様な現実就会との聯関も存する事も十分考 て論ぜら . 察されなければなるまい。 併 しパークの場合英国徹会の 性格は一隙確かであるが日本のそれは混迷がある。 とは 言え詳細に観察する時パークの 生存したその時代の英園 . . . 就会の本質も当代人には全く混迷であったと言われるか も知れない。 この事は革命 讃美者達がロン ドン革命協会 は じめ影しい協会を組織 して革命運動を準備 したのであ. が新しい革命. るが葵園試会の現実によってその性格を轄換せ しめねば. 理論を生んで行く母体であったの だ。 然るにパー クの属. ならなかった事 実、 即ち パ「 クもその洞察を誤った事実 ′. する就会は ブラウ ンによれば 「彼の愛する英圃、 因数の 2 ) であっ た の で あ ] 英園、 閑暇と博統の支配する英圃- る。 彼はかふる英国融会の核心に立ち乍ら而 もその論戦 ・ ′ に於いて、 特にアメリ カ革命ヘース チイ ソ グス弾劾、 フ. の中にも知られると思うのである。 この方面の研究貝廿ら 思想的諸要因 パークの生活 した杜会の本質把 握から彼の,. 英図就会を念頭に置かねばならない. こ. ラ ンス革命反対等々の場合何時も孤独と困難に遭遇する のである。,而して革新的蔵会も博統の 英国も共に彼を窮 地に逐ひやるとするな らば、 彼は果して如何なる歴史冠 会を背景と して立ったのであろうか。 これに関 して興味. ・. の批判を確立する時にパークの歴史的立体的理解が出来 ると思われるのである。 今後の興味をつなぐ所以 がこ▲ にあるので ある。 i t 註 ー) Rcaec . ons p .31 id p 2) Brown: ib .76. l i: i b i dp 3) LDs ( .178 .. ある事は彼は究極に於いて英国駄会が彼に従いて来る事 を経験 して居る事である。 彼のアメリカに対する夢はや. 一100-. l li l i 4) J t主 tory of 週・ I ・ s s een: A Shor g . R. Gr . Pcop e x, .IL.
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Bemmann, Die Umstimmung des Tatentschlossenen zu einer schwereren oder leichteren Begehungsweise, Festschrift für Gallas(((((),
は,医師による生命に対する犯罪が問題である。医師の職責から派生する このような関係は,それ自体としては
行ない難いことを当然予想している制度であり︑
単に,南北を指す磁石くらいはあったのではないかと思
・私は小さい頃は人見知りの激しい子どもでした。しかし、当時の担任の先生が遊びを