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社会科古代史教育における神話と祭祀の位置づけ

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Academic year: 2021

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(1)Title. 社会科古代史教育における神話と祭祀の位置づけ. Author(s). 遠藤, 芳信. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 43(1): 263-276. Issue Date. 1992-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5224. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 平成4年7月. 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第43巻 第1号 1 l 43 i i lof Hokkai i t do Uni ty ofEduca t }ouma onI C) Vo ver s on(Sec . . , No. ly Ju ,1992. 社会科古代史教育にお ける神話と祭記の位置づけ. 遠. 藤. 芳. 信. 本稿は, 社会科古代史教育における記紀神 話と祭犯 (特に太陽崇拝・太陽信仰を基本にした太陽 1 )日本古代の神話と祭記に 祭犯)の位置づけを考察 するものである. すなわち, 前稿をひきつぎ,{ , 「 「 日本の文化. 思想・宗教の 「固有性」 独自性」 特殊性」 なるものがどのようにあらわれているか を検討し, 歴史教育における位置づけかたを考察するものである.. 1 戦後社会科歴史教育と神話 ( 1 ) 戦後教育における 「軍国主義的」 「極端なる国家主義的」 イデオロギーの定義をめ ぐっ て 社会科古代史教育において, 神話や祭記を扱う場合, 当該の神話や祭犯の「固有性」「独自性」「特 殊性」なるものの強調の位置づけが問題になる. この場合, 戦前では特に, 神話を史実と思い込み, その 「固有性」 「独自性」 「特殊性」 を強調する 思考様式は, 軍国主義や極端な国家主義的イ デオロ ギー の 土 台 に も な っ て い た.. 9 30年代以降を中心に概括すれば, 軍国主義的教育と特当徴づ 周知のように, 戦前日本の教育を, 1 l i i tar ける こ と が で き る. こ の 場 合, 軍 国 主 義 (mi sm) の 定 義 で あ る が, 戦 後 は 丸 山 真 男 に よ っ て,. 端的に 「軍国主義とは一国または一社会において戦争およ び戦争準備のための配慮と制度が半恒久 的に最高の地位をしめ, 政治, 経済, 教育, 文化などの国民生活の他の全領域を軍事的価値に従属 ( 2 }と規定されたことはよく知られている ただし 日 させるような思想ないし行動様式を意味する」 , ‐ 本の場合, 以上の軍国 主義の定義内容に対して, さらに, 戦争準備・軍事的価値優先を 「合理化」 する特殊なイ デオロギーを加え、 特に、 「軍国主義的」 「極端なる国家主義的」 イ デオロギーと表記 することが多い. すなわち, 軍国主義的イ デオロギーと極端な国家主義イ デオロギーとが結びつき, 各々が相互に肉付し合っ ていることを表記しているのである‐ たとえば, 行政的レベ ルであるが, 945年10月の連合国軍最高司令部の 「日本教育制度ニ対スル管理政策」 における 「軍国主義的 ①1 2月の同 「国家神道、 神 94 5年1 及ピ極端ナル国家 主義的イ デオロギーノ普及ノ禁止」 の文言, ②1 「神道指令」 と略称さ れる) にお 社神道ニ対スル政府ノ保障, 支援, 保全監督, 及ビ弘布ノ廃止」 ( 2月の同 「修 9 45年1 ける 「軍国主義的乃至過激ナル国家主義的イ デオロギーノ禁止」 の文言, ③1 「 身, 日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」 における 軍国主義的及ビ極端ナル国家主義的観念」 の文 46年3月第一次アメリカ教育使節団報告書における「過激な国家主義, 軍国主義」の文言, 言, ④1 9 46 ⑤1 9 46年6月の文部省の 『新教育指針』 における 「軍国主義及び極端な国家主義」 の文言, ⑥19 年11月の内務・文部次官通牒 「公葬等について」 および同月の内務省警保局長通達 「忠霊塔, 忠魂 碑等の措置について一 にお ける 「軍国主義者又は極端な国家主義者」 の文言, 等がある. 以上の中で②の 「神道指令」 は, 神社を一宗教と解釈し, 国家と宗教との分離と宗教の自由の保 障を基本にしたものである. 具体的な措置としては, 神宮神職の官吏待遇廃止, 国およ び地方団体 263.

(3) . 遠 藤 芳 信. による供進金や神僕幣東料の廃止, 学校等から神棚その他国家神道の物的象徴物設置の禁止, 学校. 37年) 頒布の禁止, 等がある. 19 教科書等から神道的教材教義等の削除, 文部省編 『国体の本義』 ( 同時に, 同指令で注目されるのは, 軍国主義的ないし過激な国家主義的イ デオロギーを次のように. 定義したことである. すなわち, ( ィ ) 日本の天皇はその家系, 血統は特殊な起源の故に, 他国の元首に優るとする主義. ( ) 日本の国民はその家系, 血統は特殊な起源の故に, 他国民に優るとする主義. ロ ←う 日本の諸島は神に起源を発するが故に, 或は特殊な起源を有する が故に, 他国に優るとする主 義.. に ) その他日本国民を欺き, 侵略戦争へ駆り出さしめ, 或は他国民との論争の解決手段として, 武 力の行使を諺歌せしむるに至らしめる が如き主義. である. 要するに, 日本の天皇・国民・国土等の 「特殊」 な地理的・民族的.文化的 「起源」 を 基本にして, 自己の優越性・尊厳性を強調するイ デオロギーを意味し, また同イ デオロギーが日本 帝国主義の侵略主義推進の思想的動員の基本になっ たこととして把握されていた. そして, その後, 0月文部次官通達「社会科その他初等およ び中等教育にお ける宗教の取扱について」の第六 1 949年1 項目に示された 「私立学校は, 軍国主義的, 超国家主義的教説を教えてはならないということ以外 には, すべての宗教教育および自発的活動に関して自分の教育方針や実践を決定する自由を持っ て いる」 という措置の軍国主義的・超国家主義的教説の内容も, 以上の 「神道指令」 の軍国主義的な 946 いし過激な国家主義的イ デオロギーの定義をふまえたものにほかならない.このようにみると,1 「 951年9月サンフランシスコ講和条約的推進を契機にし 年の 公葬等について」 の具体的措置は, 1 て大幅に緩和された が, 軍国主義的・超国家主義的イ デオロギー (教説) とは何かという場合, 行 政的レベ ルであるが, 「神道指令」 の定義は大まかな説明の規準になるだろう. 2 ( ) 神話学習をめ ぐる小学校と中学校の差異 958年中学校学習指導要領からであ 戦後の社会科歴史教育に神話学習 が位置づけられたのは, 1 る. それは, 第2学年の内容の 「日本の古代とアジア」 における 「国家の形成とアジア」 という個 所で, 「大和朝廷」 「古墳文化」 「氏姓制度」 「大陸文化の伝来」 「日韓関係の推移」などの学習におい て,「古典に見える神話や伝承などについても正しく取り扱い, 当時の人々の信仰やものの見方など に触れさせることが草{ましい」(傍点は遠藤)と明記された. この場合, 神話学習は, 全体としては, 古代国家形成の学習内容に位置づけられ, 学習指導要領の解説書・指導参考書としての文部省編『中 1 959年)においても記紀が示されているが, 信仰やものの見方などの世界観レ 学校社会 指導書』 ( ベ ルの学習に傾斜している. また, 同文部省指導書は, 外国の神話にも触れることを望ましいとし, 教師は学問的成果にもとづいて正しく取りあつかうことも強調していた. ただし, 記紀神話があた かも古代の人々全体の 「信仰やものの見方」 を示すと把握することは正しくない. たとえば, 古事 記は, 「邦家の経緯」 (国家の根本組織) と 「王化の鴻基」 (天皇徳化の基本) を明確にするために編 集され, 日本書紀も日本の建国の 「由来」 と天皇統治権の 「正当性」 を内外に示す意図のもとに編 集されたものである. いずれも, 皇室と政府事業としてとりくまれ, 神話と後代の部分的史的記録 をおりくみつつ, 古代天皇制確立のための政治思想・政治理念を語っている. すなわち, 官撰事業 として成立した記紀神話は古代の人々全体の信仰やものの見方を反映しているのでなく, 7世紀後 半から8世紀初頭にかけての古代天皇制確立過程下の皇室内部と有力官僚・諸豪族間の政治的抗争 969年中学校学習指導要領では, 記紀はそ 等を反映したものとして位置づけることが重要である.1 の本文で明記され, いわば「昇格」したかたちになっ ている‐ そして, 文部省編『中学校指導書 社 26 4.

(4) . 社会科古代史教育における神話と祭肥の位置づけ. 会編』 ( 970年) では, 神話・伝承の事例としては, 出雲の国譲り神話や日本武尊の遠征物語などが 1 示される. ただし, 指導に際しては, 神話に物語られている事がらをただちに歴史上の できごとと して生徒がう けとめることがないように, 十分に注意することが必要であると指摘されている. その後の中学校の1 977年と1 989年学習指導要領にお ける神話学習は,19 69年学習指導要領にお ける内容上の位置づけと大差はない. ただし, 文部省編 『中学校指導書 社会編』 ( 1 9 89年) では, 「 神話.伝承の事例は示されず, 自然崇拝や農耕儀礼などに基づく信仰が人々の生活の中に生きてい たこと, それらが神話・伝承のもとになり, 後に古事記・日本書紀などにまとめられたことに着目 させる」 と指摘されている. すなわち, 中学校では, 神話・伝承は自然崇拝・農耕儀礼を基本にし た信仰と関連づけ, 記紀神話の成立史や成立背景をさ ぐることが重視されているのは, 今後, 注目 に値する. 他方, 小学校では, 1968年学習指導要領の本文に記紀が明記され, 神話学習が開始された. そこ では, 社会第6学年の内容の取扱いにおいて, 日本の神話や伝承を取りあげ, わが国の神話はおよ そ八世紀の初めごろまでに記紀を中心に集大成され, 記録されて今日に伝えられたことを説明し, これらは古代の人びとのものの見方や 「国の形成に関する考え方な ど」 を示す意味をもっ ているこ とを指導する必要がある, と規定している. すなわち, 中学校と比較して, 国家形成過程に関する 考え方の指導が強く加っ ていることが特徴である. この点は, 文部省編 『小学校指導書 社会編』 ( 19 69年)に強く表現されている. たとえば, 「特に国ゆずりの神話には, すでに出雲地方を統一し ていた国つ神 (地方族) が, 天つ神 (天孫族) に服属していく過程がよく現われている. また, 日 本武尊の物語は, 大和朝廷の国土統一過程のなかで最も壮大な, そして悲劇的な叙事詩として, 人 の心をうつものがあり, 辺境平定の物語としての熊襲征伐, 草薙の受難, 走水の危などは児童の興 味を喚起するにちがいない」 と解説している. ここでは, 神話・伝承が信仰やものの見方という世 界観的レベルとして位置づけられているのでなく, むしろ, 大和政権の 「国土統一過程」 として位 置づけられる ことによっ て, 児童の思考において史実と虚構との混同を生じさせる可能性が強い. また, 「中央重視史観」 「地方蔑視史観」 を育てる指導に傾斜する可能性が強い. 1 977年小学校学習 指導要領は1968年学習指導要領の神話学習の位置づけをさらに強化した. すなわち, 第6学年の内 容において, 「国の形成に関する考え方な どを示す神話・伝承に関心をもつこと」 と明記され ( 1 968 「 年学習指導要領では 「内容の取扱い」 に明記) 神話の位置づけが上位にな た 同時に っ . , , ものの 見方」 という世界観的レベルの指摘が消え, 国家形成観の指導が前面に出た ことが特徴である. こ れを, 文部省編 『小学校指導書 社会編』 ( 1 97 8年) について見ると, 「記, 紀の神話・伝承の中に は, 高天原神話, 天孫降臨, 出雲国譲り, 神武天皇の東征, 即位の物語りなど, 児童が興味をもち 得る物語が多い. 学習に当たっては, これらの物語の中から適切なものを精選して取り上げる必要 がある」 と指摘されている. すなわち, 後述するが, 戦前の歴史教育.「国史教育」 で最重視される に至っ た 「天孫降臨」 の神話が参考事例として加えられたことの意義は大きい. その後改訂された19 89年小学校学習指導要領は, 1 977年学習指導要領をひきつ ぎ, 神話・伝承と して, 記紀の他に風土記も加えられた.- しかし, 文部省編『小学校指導書 社会編』 ( 1 989年)をみ ると, 記紀中心の大和政権による 「国土統一過程」 に関する神話・伝承の学習 が解説されている. 以上のように, 戦後の社会科歴史教育にお ける神話学習は, 小学校では, 特に1 977年学習指導要 領以降, 「建国神話」 を中心にした大和政権による 「国土統一過程」 に重点がおかれ, 中学校 叉では信 仰やものの見方などの世界観的レベルに重点がおかれている. この差異は小さいようだが, 教育政 策・教育内容方法の大きな差異を示していると考えられる. もちろん, 「建国神話」 の中には, 信仰 やものの見方などを含めて, その国家形成を語る意図もみられるが, 小学校の場合には, 大和政権 265.

(5) . 遠 藤 芳 信. による国家形成・国土統一 (に関する考方) が前面に位置づけられていると考えざるをえない. こ れは, 文部省の意図として は, 小学校児童の歴史認識・社会認識の発達の未熟性を利用し, 児童の 「興味」 などを名目にして 古代国家・古代社会形成の歴史と神話・伝承 (記紀の改作を中心にし , た) とを混同させ, 大和政権と天皇祖先の 「建国事業」 の偉大さや統治権の絶対性の 「根拠」 など を幼少 時から注入しようとするねらいにもとづいている. 他方, 中学校の場合には, 生徒の一定の 歴史認識・社会認識の発達が進み, 政治支配構造に対する批判的意識も形成されるので, 文部省は 「建国神話」 を真正面からかかげず, 信仰やものの見方のような世界観的レベ ルの内容を示したも のと考えられる. しかし, いずれにせよ, 文部省の神話学習の位置づけはこうかつ的な意図 がみら れる.. 文部省の神話学習 が以上のように位置づ けられるならば, 神話学習が軍国 主義的・超国家主義イ デオロギー注入の教育におちいらないためには,それらの教材研究は一層の精密化が求められる が, とりあえず, ここで, 神話学習に関して二, 三の留意点を指摘しておく. 3 )戦前・戦後の教科書等にとり 第一に, 小学校・中学校ともに, これまで指摘されているように,{ あげられていた神話は, 記紀の内容から政治的 目的に合致するものを抽出 (主に, 天皇の絶対的統 治権を強調した日本 書紀を中心にして) し, 「改作」 したものであるので, その 「改作」 を原形の記 紀神話の原典.史料と照合させ, 「改作」 の意図を明確にするこ とが重要である. 第二に, 古事記と 日本書紀の原典・史料自体を相互に照合し, 各々の差異を明確にすることによっ て, 当該神話の内 容や登場人物・神々等を相対化・客観化するこ とが重要である. 特に, 後者の第二点は, 今日, 考 古学・比較神話学・民俗 学・文化人類学・宗教学等の研究をふまえれば, 相当に相対化・客 観化で き, 神話は神話としてその本源・本質に接近するこ とができる. 第三に, 記紀神話の教科書 配列で あるが, たとえば, ①古墳時代に位置づけるもの (字沢弘文他 『新訂新しい社会 6上』 東京書籍, 1 989年, における 「ヤマトタケルの物語」 のカコミ文章) , ②奈良時代に位置づけるもの (堀尾輝久 「 『 八またの大蛇 1 9 8 9年 における 他 小学社会 6上』 日本書籍, 」 のカコミ文章) , などがある. , これは, 筆者としては, 記紀神話の教科書配列は, 後者の②の奈良時代に位置づけた方が, 記紀神 話成立の政治史・文化 史的背景等を客観化でき, より適切な指導ができると考える. 以下, 本稿で は, 神話学習の教材研究をすすめるために, 近年の記紀神 話研究の到達点に注目しつつ, 戦前の「国 史教育」 における記紀神話の位置づけと, 高天原の 主宰神とされ, かつ, 日の神・太陽神と比定さ れてきた天照大神の意味を考察するために古代日本の太陽祭犯 (太陽崇拝・太陽信仰) を検討する.. 1 1. 『国体の本義』 における 「天孫降臨」 神話の位置 づけをめ ぐっ て. これまで考察したように, 軍国主義的‐超国家主義的イ デオロギーの中核的部分が日本の天皇・ 国民.国土の起源の 「特殊性」 の強調にあるならば, その 「特殊性」 の強調は, 記紀神話の中では 特に 「建国神話」 にみられるといわ なければならない. そして, その 「建国神話」 の中でも, 天皇 の絶対的な統治権を 「根拠」 づけるものとして, 「天孫降臨」 における天照大神の 「指示言」 を 「天 壌無窮の神 勅」 として神聖化する 思想が重視された. ところで, 「天孫降臨」神話を天皇の絶対的な統治権の「根拠」として政治的に位置 づけるために, 937年5月)であ 1 記紀の原文文章をつまみ食い的に切りはりしたの が, 文部省編集『国体の本義』 ( 「 『 定義したが, 国体 の意味を行政府として る. 国体の本義』は, 諸々の議論をおよびおこ していた 」 「天孫降臨」 における天照大神の 「指示言」 の文章を 「天壌無窮の神勅」 として公式に整鄭宥・確定 した点でも 注目される. 266.

(6) . 社会科古代史教育における神話と祭肥の位置づけ. 『国体の本義』 における天照大神の 「神勅」 の整備・確定 『国体の本義』 は 「第一 大日本国体」 の 「一 肇国」 の中で 「神勅と皇孫の降臨」 の項目を次 「神勅」 のみを原文のままにした) のように記述している ( . ( ) 1. 〔神勅と皇孫の降臨〕 天照大神は, この大御 心・大御業を天壌と共に窮りなく弥栄えに発展 せしめられるために, 皇孫を降臨せしめられ, 神勅を下し給うて君臣の大義を定め, 我が国の祭 犯と政治と教育との根本を確立し給うたのであっ て, ここに肇国の大業が成ったのである. 我が 国は, かかる悠久深遠な肇国の事実に始っ て, 天壌と共に窮りなく生成発展するのであっ て, ま ことに万邦に類を見ない一大盛事を現前している‐ 天照大神が皇孫塊塊杵ノ尊を降し絵ふに先立っ て, 御弟素養嶋ノ尊の御子孫であらせられる大 国主ノ神を中心とする出雲の神々 が, 大命を畏んで恭順せられ, ここに皇孫は豊葦原の瑞穂の国 に降臨遊ばされることになっ た. 而して皇孫降臨の際に授け給うた天壌無窮の神勅には, とよあしはら. まあ き ちい≧. みずほ. あ. うみのこ. さみ. くに. よる. いましすめみまゆ. しら. 豊葦原の千五百秋の瑞穂の圃は, 是れ吾が子孫の王たるべ き地なり. 宜しく爾皇孫就きて治 さきくませ あまつひつぎ さか せ. 行 臭. 蜜 酢の隆えまさむこと. 富に天壌と窮りなかかるべし.. と仰せられてある. 即ちここに慨然たる君臣の大義が昭示せられて, 我が国体は確立し, すべし ろしめす大神たる天照大神の御子孫が, この瑞穂の国に君臨し給ひ, その御位の隆えまさんこと 天壌と共に窮りないのである. 而してこの峯国の大義は, 皇孫の降臨によっ て万古不易に豊葦原 の瑞穂の国に実現せられるのである. (以下略-遠藤) 以上の 「天孫降臨」 の 「神勅」 に関して, 本稿では, 必要範囲内で若干コメントしてお こう. 第一に, この 「神勅」 の文章は古事記本文にはなく, 「天壌無窮」 を加えるなどして, 高度に 「整 備一 されている. 古事記本文では, 「此豊葦原水穂国者, 汝将知国, 言依賜. 故, 随命以可天降」と 記述され, 統治しなさいとたんに命令されているだけである. この 「神勅」 の出典は日本書紀にあ るが, その本文ではなく, 異説別伝としての, いわば傍系の参考資料としての第一の 「-書」 にか かげられているにす ぎない. すなわち, まず, 『国体の本義』は, 傍系の参考資料を昇格させ, 絶対 的な 「神勅」 として権威づけたのである. 第二に, しかし, 日本書紀の第一の 「-書」 における 「神勅」の原文は, 「葦原千五百秋之瑞穂国」 (傍点は遠藤) とされているように, 『国体の本義』 における 「豊葦原」 云々の 「豊」 の字はない. 「豊葦原」 の文言は古事記本文にも記述され そこでの 「豊」 は 「葦原」 の美称の意味をもつが , , 『国体の本義』 によっ て公式に確定された 「神勅」 における 「豊葦原」 の 「豊」 の意味はたんなる 美称にとどまらない内容をもっ ている.『国体の本義』における日本書紀の引用文は, 飯田武郷著『日 本書紀通釈』0 こしたがっ ている. そして, 飯田の同通釈書における日本書紀の当該の第一の 「一書」 「 は, 日本書紀の異本としての 「永享本」 (永享3年 〈 1 431年〉 , 玉屋本」 と称されることもある) に 「 「 「 したがっ て, 葦原」 に 豊」 の字を加えたとされている. 永享本一 は, 神代から応神紀までの合 本3冊であるが, 他の異本と異なっ て, 「永享本」 のみが 「葦原」 に 「豊」 の字を加えていた. すな わち, 飯田は, 日本書紀の異本の中で, 絶対的少数派に属 している 「永享本」 に依拠したわけだが, 「葦原」 に 「豊」 の字を加えたことは絶対的な少数派にとどまらない意味をもっていた 「永享本 」 . に依拠した日本書紀解釈としては, 江戸時代末期の国学者の鈴木重胤著 『日本書紀伝』 がある. そ して, 飯田は 「神勅」 の 「豊葦原」 の意味に関する鈴木重胤著 『日本書紀伝』 の解釈文を次のよう 267.

(7) . 遠 藤 芳 信 5 ( ) 5 ( } に引用 している (下線は遠藤) .. (前略-遠藤) 常に葦原中国と云は. 高天原にて. 天上に対へて. 天下と云程の事にて. 皇国 を主とする云中にも. 大地の全体に係わるを. 此瑞穂国の嘉号はしも. 大地万国の中より. 皇国 の地を成し出させ玉ひ置して. 此大八州国を以て. 万国の君主と在る国と定させ 玉ひ. 天神の斉 庭の穂を. 当御せ奉りて. 天神御子の. 天津日継しろしめすへき. 大御食国と. 定め奉らせ玉へ るやければ. 甚も尊き国号には有ける. (後略-遠藤) すなわち, 「豊葦原千五百秋之瑞穂国」 としたのは, 瑞穂国のたんなる美称・尊称にとどまらず, 日本国が世界の君主国となる べき意味が含まれていると解釈されている. 以上の鈴木重胤の解釈に 飯田武郷も同意し, 『国体の本義』 も鈴木重胤を採用したとみてよいだろう. すなわち, 『国体の本 義』 は 「神勅」 の文章を 公式に整備・確定したが, そこには天皇の絶対的統治権を 「根拠」 づける 思想だけでなく, 他国に対する 「皇威発場一 の侵略思想がふくまれていたとみなすことができる. 2 ( ) 高天原の主宰神・ 皇祖神と 「天孫降臨」 の司令神をめ ぐっ て 『国体の本義』 は 天照大神が 「神勅」 を下したことになっ ているが, 記紀には多くの異伝が収 , 録されている. これらの異伝に関して, 特に降臨を司令した神が天照大神あるいはタカミムスビの 「 神 (古事記では 「高御産巣日神」 別名 「高木神」 , 日本書紀では 高皇産霊尊」 と表記される) に分 れていることをめ ぐって, そもそも皇祖神とは誰かということにも関連させて異伝を整理したのが 6 )三品は諸異伝の内容の成立の新古を明らかにするために, 「天孫降臨」を, 三品彰英などである.( ①降臨を司令する神, ②降臨する神, ③降臨神の容姿, ④降臨地, ⑤随伴する神々, ⑥神器の授与, ⑦統治の「神勅」 , の要素に区分した. そして, すべての異伝に共有されている要素は普遍的要素と みなすことができ, 時間的にも最も古くから成立したと考えた. しかし, ⑦の統治の 「神勅」 は, 古事記と日本書紀の第一の 「ー書」 (前掲)のみにみられるので, 時間的には最も新しく成立した特 殊的要素であると考えた. すなわち, 天孫とその喬孫が瑞穂の国を統治すべき であるとする「神勅」 は, 天皇統治権の絶対性の確立を理念にした推古朝以後, 特に大化改新による新政体の時代の 思想 に応ずるものであり, 特に, 日本書紀の第一の 「-書」 (前掲)の 「天壌無窮」 の宣言は最も新しく, およそ日本書紀撰述 当時の潤色であるとした. また, 三種の神器 (古事記と日本書紀の第一の 「一 書」 のみに記述) は, 呪具としての起源は古いが, 上記の時代に新しい政治的意義を含められたと した. 要するに, 以上の政治的意味を荷担する要素を含む所伝は, 最も新しく成立し, これを政治 的神話と称することができると指摘した. 三品によれば, 諸異伝の中で, 降臨を司令した神としてタカミムス ビを登場させている日本書紀 本文.同第六の 「ー書」・同第四の 「ー書」 の所伝が最も古く成立し, 次に, 降臨司令神としてタカ ミムスビと天照大神をペアで記述している日本書紀第二の「ー書」・古事記の所伝が成立し, 最後に, 降臨司令神として天照大神のみを記述している日本書紀第一の 「ー書」 の所伝 が成立したことにな る..すなわち, 高天原の主宰神・皇祖神が, タカミムスビから天照大神に移行したことになる. 他方, 高天原の 主宰神・皇祖神・降臨司令神として天照大神を位置づける思想は最も新しく成立 したが, 「天孫降臨」 に際して天照大神の 「天壌無窮」 の 「神勅」 が, 日本書紀本文に収録されるこ ) の位置にとどまったことの理由に関しては, 同 となく, 別伝としての傍系的資料 (第一の 「ー書」 伝承は特定の氏族の伝承だからであるとする鳥越憲三郎などの指摘が注目される. すなわち, 鳥越 は, ①日本書紀の第一の 「ー書」 の 「天孫降臨」 に随伴する天釧女命は, 伊勢を本拠地として神楽 8 26.

(8) . 社会科古代史教育における神話と祭記の位置づけ. を職掌とした猿女君の祖先であり, ②日本書紀の第一の 「ー書」 の内容と最も似ている古事記の撰 録に参与した稗田阿礼の出目は猿女君系であるので, 日本書紀が第一の 「ー書」 の内容を収録した のも, 稗田阿礼を通じての猿女君の家伝 (祖先の天鋼女命が 「天孫降臨」 に随伴したという伝承) 7 }そのため 伊勢国と天照大神を前面に打ち出し 「天孫降臨」の の影響をう けたと指摘している.( , , 場に, 家伝と祭記的内容が盛りこめられたが, 少数派の異伝・参考資料としての 「ー書」 にとどま っ たのである. なお, 本稿では, タカミムスビに関しては詳述しないが, 上田正昭によれば, 対馬 にタカミムスビの古社があり (朝鮮半島からツングース系民族につながる穀霊と神木~聖樹~の信 9 27年の 『延喜式』 によると, タカミムスビは宮中八神 仰が横 たわっ ている) , タカミムスビの神 ( )いずれに 8 の御聾祭神としてまつられて いた)の信仰は, 朝鮮半島との史脈をもっ ているとされる.( せよ, 「建国神話」 「天孫降臨」 「神勅」 をめ ぐる天照大神の位置は絶対的なものではなかっ た. ( 3 ) 「葦原中国」 に対する高天原の 「優位性」 をめ ぐって 「国」 「天」 ) の 「葦原中国一 ( ) に対する 「優位性」 が説かれている 通常, 記紀神話では, 高天原 ( という解釈が多かっ た. これに対して, 近年, 水林彪は, 古事記と日本書紀を対比させ, そのテク ストの全体構造と一語一文の意味を確定しつつ, 未開野蛮と解釈されてきた 「葦原中国」 と, 無道 者・敗北者・犯罪者・略奪者・追放者等のマイナスイメージのあっ たスサノラ (古事記では須佐之 9 }水林の指摘は 高天原の主宰神が天照大神 烏尊)の復権を強調している.( 男命, 日本書紀では素養= , かタカミムスビかのいずれかであるかは確定しにくいことにも関係 するが, 記紀神話が含む政治思 想・政治理念研究として重要な論点を提起している. 水林の論点は多岐にわたっ ているが, 「天孫降 臨」 神話の論理構造を客観的に認識するために重要であると思われるものを抽出しておく. 第一に, 古事記においては, 高天原の 「葦原中国」 に対する先天的・絶対的優位性の 思想は見出 せず, 双方は対等の世界とみ なす志向が顕著であるとした. すなわち, 古事記の政治思想の核心と しては, 「天」 とともに 「地」 の力を語り, 高天原とともに 「葦原中国」 や 「海原」 の権威を語るこ とを通じて, 高天原の主宰神の後斎の天皇主権と 「葦原中国」 や 「海原」 の神々の後蕎の在地首長 層との ”共同的世界” を語ることにあっ たとした. その理由としては, 7世紀後期から8世紀初頭 にかけての中央・地方の支配層に共通する関心とそれに規定された政治史の中心課題は, 中国を中 心とする古代帝国主義世界への対応という国際的契機を 主要因として, 畿内王権が畿外在地首長層 を以前よりも強く統制下におき, 比較的に緊密に結合された統一国家を形成するとともに, この統 一国家を王権と畿外在地首長層との 〈共同体〉 として編成することにあっ たと想定されるからであ るとした. そして, その 〈共同体〉 思想として, 天皇の祖神 を畿外在地首長の 祖神とともに 「地」 ・と, 「海原」 の穣の 浄化 に生まれた神とする神話が必要になり (天照大神は, 「葦原中国」 の生命力 「 力の合作結果として誕生. イ ザナギ・イ ザナミの事業は高天原でなく 国」 における展開であり, 「 イ ザナキの稜のための 水は 「海原」 の世界, すなわち 「地」 に属する) , その結果, 天」 の神を天 「 「 皇の祖神以外に求めることになっ たとされる. すなわち, 地」の神 が, 一旦, 天」にのぼり, 「天」 の権威をも獲得して万能の存在になり, その後にその神の子孫が 「地」 に帰還し, そこで 「地」 の 世界の王となる物語をとっ たことになるとしている. 第二に, 高天原は, 八百万の神や天照大神がいる 「高天原 (表)」 と, 別天つ神 (天之御中主神, 高御産巣日神, 神産単日神, 宇摩志阿斯詞備比古遅神, 天之常立神の五神) が身を隠した 「高天原 (裏)」 の二つに分れるとした. この結果, たとえば, 「高天原 (表)」 の主宰神でしかありえない天 照大神が高御産巣日神を止揚できないのは当然であるとした.すなわち,「天孫降臨」は「高天原(表)」 と 「葦原中国一 の二つの世界にかかわる問題であるから, 天照大神が単独 で事に対処できないこと 269.

(9) . 遠 藤 芳 信. になる. 以上の二つの神話的世界にかかわる問題に正当に対処できるのは, 神話的世界を究極にお いて制御する 「高天原 (裏)」 の別天つ神のみであり, 「高天原 (表)」 との関係では高御産巣日神で あり, 「葦原中国一 との関係で代表するのが神産巣日神であるとした (神産巣日神は, 大穴牟遅神を 復活させ, 須佐之男命に五穀の種子を採取させる) . これは, すでに, 本居宜長が, 高御産巣日神・ 神産巣日神に関しては, 皇祖のみでなく万姓万物万事の御祖であり, 他方, 天照大神は皇祖神だけ であり, この二つを区別するが重要であると指摘している. すなわち, 古事記には高天原王権と「葦 原中国」 王権を別天つ神の前に原理的には対等なものとみなす政治思想があるとした. 第三に, 律令国家の神庵令祭犯において, 神々が帰属する世界を二つの類型に分類し, 天照大神 は大国 主神とならぶ‐個別的な存在にすぎず, 7世紀中葉以降, 大王祖神を日神とする観念に動揺 「高天原(裏)J と大物主神祭肥 (常 がみられるとした. すなわち, まず, 祭肥は, ①別天つ神祭肥 ( 世国の主宰神) の類型一京ないし畿内でまつら れ, 基層の至高的世界に帰属している-, ②天照大 神祭犯と大国主神祭犯の類型- 「高天原 (表)」 と 「葦原中国一 の表層の神話的世界の主宰神をまつ り, 伊勢と出雲という地理的対称性が明示されるかたちで, 個別的に存在しているにすぎない一に なるとした. 以上の祭犯類型をみれば, 天皇王権は高天原王権に由来するが, しかし, それは, い わば 「私」 的次元の系譜の問題であり, 律令国家の王権という国家的 「公」 的存在としては天照大 神でなく, 別天つ神や大物主神によっ て権威づけられた王権であることが意味される. また, 天皇 祖神が天皇王権に正当づける究極の権威ではないが故に, まず, 天照大神は畿内の外に出なければ ならなかっ たとされる. さらに, 天照大神は, 日神アマテラス(普通名詞としての自然神的な日神. 各地に日神をまつるアマテル神社がある) から発展してきた神と思われているが, 日本書紀の神代 第六段および第七段の諸 「ー書」 (日神と素養鳴尊との 「誓約」 の場面) では, 日神と天皇 (大王) との系譜的関係は否定され, 天皇の祖神は素養鴫尊とされているので, 「天孫降臨」の日本書紀本文 で 「皇祖高皇産霊尊」 と記述されていることもあわせて, 王権中枢部では天照大神を皇祖神とする 観念が確立していなかっ たことが示唆されるとした. したがっ て, 日本書紀は, 天照大神を天皇の 祖先神とする古事記に対する意識的なアンチ・テーゼを押し出したように考えられ, 日本書紀では 「天」 の主宰神は男神高皇産霊尊であり 女神天照大神は高皇産霊尊に奉仕する聖女に すぎず 同 , , じくタカミムスビと称されつつも, 古事記における高御産巣日神とは本質的に異なる存在であると し た.. こ関 水林の論点は以上の他に, スサノラ神話・大国主神話等や皇位継承をめ ぐる大嘗祭等の祭花む して撤密な分析をしているが本稿では省略する. ただし, その分析に一貫しているのは, 古事記を ディ ス ポティ ックに解釈する試みから解放していることであるが, 天皇不親政の神話的起源の強調 の要素もないわ けではない. いずれにせよ, 近代以降, 『国体の本義』をはじめ, 学校教育および世 に流布している記紀神話は, 「建国神話」 を中心にして改作に改作を重ねたものである.. m. 戦前の歴史教育における 「天孫降臨」 神話の位置 づけをめ ぐっ て. 尾藤正英が指摘するように, 近代日本の歴史教育や一般に対する教育の上で, 記紀の原文全体が 必読の書とされてこなかっ たという事実がある. すなわち, 記紀神話の部分を童話風の物語として 平易む こ書き改めたものは広く流布していた が, その全文の現代語訳などはなく, また, 原文も読む ▼性の表現記述む C こ満ちている記紀の 原文は, ことは 必ずしも奨励されていなかっ た.いわば原始的なノ こ対しても, 一般の国民に対する教育の素材としては不適切 なものとして考えられていた, と 児童む 1 0 )かく して 天照大神の 「天壌無窮」 の 「神勅」 のみが, 記紀の歴史思想・ 尾藤は指摘している.{ , 270.

(10) . 社会科古代史教育における神話と祭犯の位置づけ. 政治思想を代表するかのように近代日本の教育の場で引用されるに至っ たのである. 本稿では, こ の問題をさらに歴史教科書と児童文学を中心に検討する. ) 歴史教育における 「天孫降臨」 の 「指示言」 の神格化過程 ( 1 近代の歴史教科書をすべて検討することはできないので, 本稿は, 海後宗臣編『日本教科書大系』 96 2~1963年, 講談社) に収録されたものを中心に検討する. 8 (近代編第1 , 19 , 20巻, 1 2年) は, 「豊葦原瑞穂国署磐題は吾子孫の王たるべき地也」 と記述 1 87 第一に, 文部省刊 『史略』 ( し, たんに国を治めさせたと表記して いるにす ぎない. また, 天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊 87 9年) も上記 『史略』 と同様 神に関しても記述している. 伊地知貞馨編 『小学日本史略』 (巻上, 1 『 「 883年) は 「宝昨 だが, 三種ノ神器」 力切口えられている. 椿時中編 小学国史紀事本末』 (上巻, 1 『 「 ノ隆エムコトノ、 , 天地ト与ニ無窮ナルヘシト」 とされ, 天壌無窮」 が潤色された (大槻文彦著 校 『 882年, も同様) 正日本小史』 巻之-, 1 . その後, 辻敬之・福地復ー著 小学校用 歴史』 (第一, 1 887年)は, 「豊葦原千五百秋瑞穂国ハ, 吾子孫ノ王タルベキ地ナリ, 爾就キテ治メョ宝群ノ隆ナル コト, 天壌ト窮り無力ルベシト」 と, 日本書紀の第一の 「一書」 に非常に近い文言が記述された. 以上, 1 880年代までの歴史教科 書では, 神の系譜上のヒエラルキーも明確でない. なお, タカミム スビやイ ザナキ・イザナミ等の表記も日本書紀に依拠している. 891年小学校教則大綱 第二に,1 890年教育勅語の後に歴史教科書に重要な変化がある. それは,1 における日本歴史の教授要旨と して 「皇統ノ無窮」 の重視が加わり, 記述は天照大神から始まり, 「天孫降臨 が一つの節の表題になっ たことにあらわれている たとえば, 学海指針社 矧 複帝国史 . 898年) や普及社編 『小学国史』 (巻一, 1900年) である. 談』 (前編巻-, 1 890年代の歴史教育の教科書における 「天孫隆臨」 の 「指示言」 をさらに整備し 第三に, 以上の1 903年) は, 「皇位の盛な たのが, 国定教科書であっ た. まず, 文部省著作 『小学日本歴史』 (一, 1 ること, 天地とともにきはまりなかるべ し」 と簡単に記述しているが, 小見出として 「帝国の基」 を付け, 「万世にう ごくことなき, わが大日本帝国の基は, 実に, ここにさだまれるなり.」 と説明 している. すなわち, 日清戦争後の 「大国思想」 「国威発揚意識」 と 「天孫降臨」 の 「指示言」 とを 909年)は以上をひき 結びつけたのである. 日露戦争後の文部省著作『尋常小学日本歴史』 (巻一, 1 『 91 0年)は, 説 会編 ( 巻- 教師用上 尋常小学日本歴史 文部省教科用図書調査委員 いだが つ 』 , ,1 , 「 話要領として 天壌無窮の皇運ここに始まり, 世界に比類なき我が大日本帝国の基礎は実にここに 定まれる」 ことを教育勅語と結びつ けて強調することを求めている. また, 教師の教授上の注意事 項として, そう した 「国体」 を懇切に説明し, 児童をして, 皇室を尊び国家を愛するの念を深めさ 1 1 )すなわち 日露戦争後の帝国主義 思想がさらに加味された せるべきであることを強調している.( , と み る べ き だろ う.. 20年) では、 「追放者」 素養 9 第四に, 第一次世界大戦後の文部省著作 『尋常小学国史』 (上巻, 1 鴫尊神話と大国主命神話力湾口わり、 その対比で 「天孫降臨」 が語られ, 「指示言」 も 「此の国は, わ が子孫の生たるべき地なり. 汝皇孫ゆきてをさめよ」力切口わり, 小見出しに 「神勅」 と 「国体の基J がつけられた. また, 本文冒頭に歴代天皇名を配列した 「御歴代表」 がかかげられ, 「神勅」 に関し ては, 「万世-系の天皇をいただきて, いっの世までも動きなきわが国体の基は, 実にここに定まれ ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ 「 「 り.」 と説明力功。えられた(下点は遠藤) . ここで, まず, 天孫降臨」 をめ ぐる天照大神の 指示言」 「 の神格化の第一段階が始まっ たとみてよい. これは, 大正デモクラシー」下において, はなはだ「奇. 271.

(11) . 遠 藤 芳 信. 920年1月の森戸辰男事件に象徴される司法権による新たな言論 思想統制も生ま 異」 に見えるが, 1 2 1 )政府上層 れ, また, 同時期に宮内省が 「思想問題研究」 に関する調査を始めていることもあり,( 部にお ける民主主義的思想や諸運動に対する対策として位置づけることができる. なお, 文部省著作 『尋常小学国史』 (上巻, 1 920年の教科書とほぼ同様な記述である 9 34年) も1 『 931年)は記述の原文を抄出し, 資料としてかかげたこ が, 文部省編 小学国史教師用書』 (上巻, 1 とは注目される. これは, 師範学校の国史教科書としても使用され, 師範学校生徒に小学国史の教 材研究の資料に供するものであっ た. ただし, 古事記からの原文引用では, 天岩屋神話に関しては, 「於核衝陰上而 」 とか 「為神懸而 掛出胸乳 裳緒忍垂於番登也 」 の原文削除がある ( 1 3 , , . . ま た, . 「神勅」 の原文は日本書紀の第一の 「ー書」 (前掲) のもので 「永享本 “こ依 拠した飯田武郷著 『日 , 本書紀通訳』 から引用したものと考えられる. 第五に, 「天孫降臨」 をめ ぐる天照大神の 「指示言」 の神格化の第二段階が, 『国体の本義』 にも 9 とづく文部省著作『小学国史』 (上巻, 1 40年)以降の国定教科書である. そこでは, 教科書冒頭に, 『国体の本義』 で公式に整備・確定された 「神勅」 がかかげられた また その後の文部省著作 『初 , . 等科国史』 (上, 19 43年) は, 本文は 「神国」 の節から記述され, 天照大神については 「日神とも申 しあげるように, 御恵みは大八州にあふれ, 海原を越えて, 遠く世界のはてまで満ちわたるのであ ります」 と海外に向かう 「皇威発揚」 を美化する思想があらわれている. この帝国主義的海外侵略 を謹歌する 思想は, さらに文部省編 『初等科国史』 (上, 教師用, 1943年) では, 「本章は, 宏遠且 雄揮な峯国の事歴の中に, 万邦無比な, わが国体の淵源をたづね, 肇国の精神, 皇国の大生命の根 源を明らかならしめようとするものである」 「本章が国生み, 皇祖天照大神の御高徳を以て始まり, 神武天皇の御鴻業を経て, 神功皇后の新羅御鎮撫, 半島の服属に至っ て終るゆえんのものは, 皇威 1 4 }「皇威発 内に遍く して国威外に揚る皇国本来の姿を示さうとの意図に外ならない」 と説明され,( 揚J が日本古来の本源的姿として 「合理化」 する歴史観によっ て強化された. かく して, 近代天皇制教育下の歴史教育は, 「天孫降臨」 における天照大神の 「指示言」 を潤色し つつ, 「神勅」として神格化し, 絶対的に権威づける特質をもっ ていた. したがって, たとえば, 吉 村徳蔵は自己がうけた戦前の 「国史教育」 の中で, 帝国教育研究会編 『必ず試験に出る-受験前五 1936年) という受験参考書に収録された 「国史綜合問題」 の 「神代」 で必ず 分間一新傾向の三科』 ( 試験に出る問題としての「天照大神が翼々杵尊にお下しになっ た御神勅をお書きなさい」 「御神勅は 我が国体の上にどういふ事がらとなっ てあらはれていますか」 とその 「模範答案」 等を一生懸命暗 1 5 )「神勅」 の絶対化という歴史教育の目的からは当然の 「暗記」 強制 記していたと述べているが,( であっ た. 同時に, 戦後も以上の 「神勅」 を基本にする記紀神話を排除することは容易でなかっ た. たとえば, 前述したように, 戦後, 連合国軍最高司令部によっ て修身・日本歴史および地理は停止 させられたが, 文部省は同司令部の指導のもとに, 豊田武文部省図書監修官を中心にして暫定国史 6日提出)の特 教科書を作成した. しかし, たとえば, 『暫定師範歴史』 (第一次草稿, 1 946年2月 1 1 6 }豊田文部省図 に 「第一章 峯国」 の記述内容は, 『国体の本義』 の記述内容と全く近似していた.( 書監修官は, 同司令部のトレイナー少佐との会談においても, 『国体の本義』を読んだことがあると 述べており, また同司令部が 『国体の本義』 などに示されていた軍国主義的・超国家主義的思想を 排除しようとしていることは承知していたにもかかわらず, 記紀神話にもとづく教科書記述に固執 した の で ある.. 2 ( ) 記紀神話と児童文学 古事記全編を児童向きに再話したのは, 鈴木三重吉が最初とされている. 鈴木は自己が主宰にな 272.

(12) . 社会科古代史教育における神話と祭記の位置づけ. 9 20年に上下2巻の単 1 91 9一1 920年) っ ていた 『赤い鳥』 に 「古事記物語」 を連載した ( . これは1 行本として刊行され, 1 928年の改造社の『現代日本文学全集』 第33篇「少年文学集」に収録された. 鈴木の 『古事記物語』 は, 雄略天皇までの時期を扱い, 口語訳風なものだが, 「一種の芸術的作品」 としてつく ったと鈴木は述べている. 鈴木は序文で古事記の特色として, 第一に, 日本人が国民的生活の最初の出立から, 天皇と, 天 皇の位置と, すべての祖先とをいかに絶対の神聖として貴んで来たか, そして, それとともに, す べての天皇が根本の責任として, 人民の進歩と幸福に向っ ていかに大きな努力をしてきたかを示し ていると述べている. すなわち, 鈴木には, 天皇の権威・事業を美化し強調する意図がみられるが, 本文の 「天孫降臨」 における天照大神の 「指示言」 に関しては, 「『下界に見えるあの中っ国は, お 前の治める国である ぞ.』 と仰いました.」 と表記し, 特に権威づける潤色を加えていない. 第二に, 古事記は日本書紀と異っ て, 中国やイ ン ドの思想などが混入せず, 日本人を精神上においてありの ままにあらわしていると高く評価 している. しかし, 本文では, タカミムスビやイザナキ・イ ザナ ミ等の名称に日本書紀の表記をあてているので, 準拠する原典にやや不整合が目立っ ている. 第三 に, 登場人物・神は人間的なすべての方面をどこまでも隠さずに記述しているので, 神や天皇に対 する 「畏れと愛」 とが一つになっ て感じとれ, 一種の宗教書や文学作品のような貴さと親しみを見 9 31年)にお い出すことができるとした. たとえば, 前掲の文部省編『小学国史教師用書』 (上巻, 1 に はたおりをんな 「 織 くりして遁げま する個所に関しては 機 女は ける古事記の天岩屋神話の原文の削除に該当 , ,びっ なか もも まる どふはずみに, 核で下腹を突いて死んでしまひました」 とか 「宇受女命は, お乳もお腹も股も全だ おど まる つ あし しにして, 足をとんとんふみならしながら, 全で悪きものでもしたやうに, くるくるくるくると踊 くる. り狂ひました」 と原文に近いかたちで, 児童向きとしては非常に考えた記述をしている. したがっ て, 原文を忠実に再話すれば, 伏せ字の対象になる. 伏せ字個所は, コノハナサクヤヒメの物語以 降に多い. たとえば, コノハナサクヤヒメ (木色咲耶姫) の物語では, その父が道々芸命に対して ちようど 「あなたも あなたの御子孫のつ ぎつ ぎの御寿命も 丁度咲いた花がいくほどもなく散り果てるの , , 1 7 )天照大神の孫 と同じで, 決して永くは続きませんよ.」と申し送っ た文章は伏せ字になっ ている.( 「 とその子孫の寿命は長くないなどという記述は当然 不敬」の対象になっ たわけである. すなわち,. 記紀の原文全体の忠実な再現は奨励されず, 天皇の権力・権威・事業の絶対性・絶大性のみが潤色 さ れ た の で あ る.. V. 古代史学習における祭記の位置づけ. 最後に, 記紀神話はどのような祭蔵や信仰を反映しているだろうか. この問題を究明することは 非常に困難であるが, 本稿では農耕を中心にした祭記を考察する. 1 ( ) 『醜志倭人伝』 記述における邪馬台国の祭記と, 日特信仰をめ ぐっ て 農耕社会の祭簾・信仰でさ しあたり問題になるのが, 太陽祭記・太陽信仰である. 古事記の閥史 八代史の天皇の和風誌号には 「日子」 が多く含まれ, 天照大神は日本書紀本文では 「日の神J ある いは 「大日要 貴」 としてまず誕生している. すなわち, これらは, 天皇の祖先が太陽神・太陽の子 としてイメージされていることを意味するが, 太陽を神としてたたえる祭記や信仰を検討すること は, 日本の祭記・宗教の特殊性・固有性なるものの考察において重要である. 太陽祭蔵・太陽崇拝は他の多くの民族にみられ, また, その神話・説話も多い. しかし, 日本の 古代の神話・説話では, 天体 (特に, 日, 月, 星) に関する観測・祭犯, 信仰は極めて少ない. ま 273.

(13) . 遠 藤 芳 信. た, 伝統的習俗の中では太陽崇拝は豊富ではない. 周知のように, 『鏡志倭人伝』に記述された邪馬 台国の風俗・祭蔵においては, 倭人は 「正歳」 (暦法) や 「四節」 (四季) を知らないとされている. ただし, 秋の収穫時を年紀としているとされている. 邪馬台国の主宰者卑弥呼は 「鬼道」 に長じて いたとされるが, この 「鬼道」 とは一種のシャ ーマニズムであり, 中国側から見れば怪奇な信仰で あり, 死者の霊魂などをまつることが中心であった. すなわち, 古代中国のように, 「天」をまつる 祭犯 思想はない. なお, 太陽祭肥 (信仰) は稲作祭記 (信仰) の中に吸収されているという 指摘も 理解できないわけではないが, 邪馬台国に関しては, 稲作・農耕に関する祭肥・信仰は描き出され て い な い.. 民俗学研究では, 「日特」に関しては, 人々が一定の日に定められた場所に集合し, 徹夜による忌 みごもりなどして日の出を 拝した行事であっ たとする見解がみられた. すなわち, 「日特」を太陽崇 拝の儀式の痕跡であるとする見解であるが, 近年では否定されている. たとえば, 飯田道夫は, 岡 山県倉敷市林にある修験道総本山五流尊瀧院の 「お日特」 を紹介し, 日の出を拝することはないと 1 8 )岡山県下は日特が盛んとされ 尊瀧院は吉田家神道の流れをくむものとされるが 述べている.{ , , 日特の眼目は採燈護摩供養である. そして, 日の出を拝することは参加者の自由にまかせられてい る. そして, 日特の行事終了後, 参加者が昇りだす太陽にしらずしらず合掌し, 拝したことがあっ たとしても, それは日特の副産物的なものであり, 日特の本質的ないとなみではない. 古代中国では朝日やお日様を拝む儀式は, その尊貴性などが疑問視されていた. すなわち,「庶民 的でないか」 「あまりにも俗っ ぽいから, こんな儀式はやめましょう」という議論が南北朝から唐代 1 9 )中国では太陽に関する祭犯・崇拝・信仰・神話は顕著 にかけていつでもでているとされている.( 「大明神」 ~日 「夜明 でなく星辰信仰が重視されている. そして, 日と月はペアとして把握され ( , 神」 ~月) , 太陽神は天と地の神の祭肥時の付属物としてとらえられていた. ( 2 ) 日の出・日の入と太陽祭記・太陽信仰との関係を強調する議論について 近年, 春分・秋分・冬至・夏至等の季節の区切時にお ける特定地域での日の出・日没の天体現象 を聖なるものとして崇拝し, 祭犯を実施したことを指摘し, 古代日本における太陽祭犯・太陽信仰 をことさらに強調する議論がでている. 第一に, 小川光三は, 奈良県の三輪山頂を頂点にして, 以上の季節時の日の出・日没方向を地図 上にた どると, 神武陵と鏡作神社を底角とする 巨大な正三角形ができるとした. また, 三輪山頂の 4度32分) を引く と, 西の方向は, 箸墓古墳, 日大御神社, 日向神社を基準にして東西の線(北緯3 稲荷社等を通過し, 淡路島の伊勢の森という地に至り, さらに山口県の須佐という地に到着すると した. 他方, 東の方向は伊勢斎宮に到達するとした. 小川は, 以上の日の出・日没方向を見きわめ ることができる三輪山を基本にした東西の軸を 「太陽の道」 と称し, 日本の 「底流文化」 の中心と して, 太陽祭肥・太陽信仰があると強調する. しかし, 日の出・日没は普遍的な天体現象であり, 各々の地域の地形等に対応して, それぞれの 景観をあらわすことは当然である. また, その景観の美しさなどは相対的である. それ故, 日の出・ 日没等をよく見きわめることができる地点をもって, その地点において太陽祭記・太陽信仰があっ たことをことさらに強調することには疑義がある. たとえば, 小川は, 古代においては日の出・日 没の太陽運行が稲作の播種時期を決定するのに役立ち,「古代の稲作はこうして太陽が真東より出て 真西に沈む日を定め, この日から数えて五十~六十日目に播種した. この指導者が大王や族長たち であっ たにちがいない」 と述べ, 同地点では農事の豊凶に直接つながる太陽祭犯が行われていたと ) 疑義がある 指摘するがべ節 , . 274.

(14) . 社会科古代史教育における神話と祭記の位置づけ. いうまでもなく, 水稲栽培の根本問題は水の制御にある. 福岡県板付遺跡から縄文晩期の水田が 発見された. そこでは高技術による濯概用水路や杭と矢板で補強された畦畔がつくられていた. こ れによっ て, 水稲栽培における注水・排水の調節の重要性に関する注目があっ たことがわかる. こ れらの水田造成, 濯厭用水路掘削, あるいは貯水池工事, 自然溜池の管理, そして, 土木工事用の 重要鉄器等の工具の管理は個人ができるものでなく, 統一的な労働作業を組織・統制できる権威者・ 権力者によっ て可能である. また, いわゆる 「水争い」 とか, 用水権をめ ぐる抗争が村落共同体間 の悩める抗争であっ たことは知られているが, 水の管理・制御が水稲栽培で重要なことはいうまで もない. そして, 農耕祭記は, 水を管理・制御する首長の力が重視され, その首長霊が共同体の再 生産を保障するという観念が生まれ, 祖霊信仰として発展するのである. また, 日の出・日没方向 の見きわめが当該地点を基準にして確定・定着・慣習化されれば, その見きわめ行為は誰にでも可 能であり, 首長などの同行為は特に重視されることはない. もちろん, 水稲栽培では 「日照」 も光合成の点から重要であるが, 安田喜憲によれば, 過去の冷 害記録上では, 稲の栽培期間中の気温・日照 時間・降水量のうち, 特に夏期の低温が最も大きな冷 害をひきおこす要因になっているとされる. そして, 日照時間や降水量との間には強い相関は認め られないとした. すなわち, 稲の生育期間の低温の影響は, 穂ばらみ期に最も強く現われ, この期 2 1 }また 安田は 縄文晩期は冷涼・湿潤な気候で 太陽活 間の低温による減収率は著しいとした.{ , , , 2 1 )同時期にz鯖麓栽培・水田耕作が始まっ たとすれば 稲は日照の 動の弱化期であるとしている が,( , 弱化には相当に堪える種として育っ たものと考えられる. それ故, 日の出・日没方向の見きわめ地 点や日照を 「聖」 なるものとして観念し, 農耕祭肥としての太陽祭記・太陽信仰が発生するという 議論は成立しがたいのである. ( ) 3. 「日 読 み」 「日 知 り」 と 太 陽 祭 記 を め ぐっ て. 大和岩雄は, 小川光三らの指摘とも重復するが, 古代における「日読み」 「日知り」の行為の中に, 天体としての日=太陽の運行現象を観測し, 暦を確定する営みがあるとしている. すなわち, 冬至・ 夏至・春分・秋分などを太陽運行で読みとることによっ て, 播種・収穫日などを決めるので, 「日読 2 3 )これに対して 宮田登は折口信夫や柳 み」 は豊作祈願等を含む太陽祭記であると指摘 している‐( , 「 「 田国男らの古代研究.民俗学研究に依拠して, 日読み」 日知り」 は天然自然の動きを察知し, 生 2 4 ) 産の順序を予告し, 天気の具合, 生産の豊凶を占うという呪儀が意味されていると述べている.{ 「 「 つまり, 日読み」 日知り」 とは, 天体としての太陽運行自体の観測と祭記ではなく, 時間として の日の運勢 (時の幸運・不運など) を判 断しうらなう営みである. 筆者は宮田の指摘が 「日読み」 「日知り」 の性格を適切に述べていると考える 特定地点上の太陽運行における日の出・日没等の . 天体現象を観測し, 時期を確定する ことは秘匿できるものでなく, 定着すれば他の地点でも普遍的 にできるものである. しかし, 以上の太陽運行も含む天然自然の動きを参考にしつつも, その時々 の 時日の運勢をうらなうことは誰にでもできることではない (特に, 一身上の行動 でなく, 共同体 や国家の事業・行事の企画・遂行の吉凶に関するうらないなど) . そのような特殊な運勢うらないの 営みは, 時間の運行の神秘的な力の本源を王権の一つとして根拠づける土台になり, あるいは呪術 集団や職業的な呪儀集団の組織化によっ て可能になるからである. 古典では, 神武天皇は「日知り」 (聖・日領) と称されることもあるが, 時日の性質・運勢をう らなうことに長じた者と解釈される べき である. また, 古代にお ける日記部・日奉部や日置部等の官僚制や職業集団も, 太陽祭記が重 点でなく, 国家や地方行政の事業の企画執行に関する 時日の運勢の呪儀を担当したと見るべきだろ う. そして, 大陸から 「国家鎮護」 としての仏教と儒教や, それに付随する文化 ~思想・習俗が伝 275.

(15) . 遠 藤 芳 信. 来した時, 道教も混入し, 上記の在来の呪術・呪儀や仏教の呪儀とせりあいつつ, やがて, 道教の より整備された呪儀思想 (星辰崇拝 思想, 識緯 思想, 陰陽五行思想等) が古代天皇制の文化~思想・ 宗教・習俗に影響を与えたことになる. ( 4 ) まとめ-太陽祭記・太陽信仰の研究課題 今日, 「日本は日出る国である. 太陽の国である. 正確に言えば, 太陽を神として崇拝する国であ 「 2 0 )の吉村貞司著 1 る」 (注( , 7ペー ジ)と指摘する人もいる. この指摘のように, 日本における 太陽 崇拝」 の強調が何を言いたいのかはよくわからないが, 古代の太陽祭記・太陽信仰の考察を厳密に する必要がある. 第一に, 太陽の天体的運行に関して, ①観測の次元 (時期・暦決定) , ②崇拝・信 仰の祭犯・呪儀の次元, ③美的・芸術的鑑賞の次元, ④日常生活・生産の便・不便の次元, に区別 して考察することである. 第二に, 以上の第一の②の場合には, 崇拝・信仰・祭犯の対象が自然神 あるいは人格神として設定されていたかを区別する必要がある. また, 神社形態の祭肥に関しては, 社名・地名や土地の形状・景観等から太陽祭肥の存在を類推するのでなく, 祭神対象者・神体を明 らかにすべき である.. )王 9 9 2年 ( 1 ) 拙稿「社会科古代史教育における古代中国思想の位置づけ」北海道教育大学紀要第一部C第42巻第2号, 1 2月‐. 95 4年, 平凡社‐ 0 3ページ, 1 ( 2 ) 丸山典男 「軍国主義」 『政治※事典』 3 9 69年, 新日本新書など‐ ( 3 ) 直木孝次郎他 『神話と教育』1 1 9 3 7年) から引用‐ 他に, 孫田秀春・原房孝 『国体の ( ) 『国体の本義』 の原文は, 三浦藤作 『国体の本義 精解』 ( 4 940年) を参照. 1 本義解説大成』 ( 8~83 90 2年. 9ページ, 1 ( 5 ) 飯田武郷 『日本書紀通釈 第二』83 9 6 4年. 3巻 (別巻2)3 10~3 13ページ, 1 6 ( ) 三品彰英 「日本神話論」 岩波講座 『日本歴史』 第2 0年) 8ページ, 1 987年, 朝日文庫 (原本は1 97 2~2 2 ( ) 鳥越憲三郎 『神々と天皇の間』22 7 - 991年, 小学館‐ 1ページ, 1 ( 8 ) 上田正昭 『日本の神話を考える』85~9 991年, 岩波書店. ( ) 水林彪 『記紀神話と王権の祭り』 1 9 9 8 8ページ, 1 4 1 0 ( ) 尾藤正英 「皇国史観の成立」 相良亨他編講座日本思想4 『時間』30 , 東京大学出版会. 8 9 3年, 東京書籍, 所収. ( ) 佐藤秀夫編 『誓築教科書教授法資料集成』 第7巻, 25~26ページ, 1 1 1 9 0月号, 青木書店, 参照. 81年1 ( 1 2 ) 拙稿 「大正デモクラシー下の日本軍隊の思想動向」『歴史学研究』 1 ペ )注鰻 )の1 4 ージ所収 ( 3 3 3 9 1塊4 , ‐ 7ページ, 1 97 3年, 吉川弘文館. ( 1 め 吉村徳蔵 『神話と歴史教育』11 27~1 6 2ページ, 1 9 88年, 青木書店. { 1 6 0 久保義三 『占領と神話教育』1 『 9 28年, 改造社) 51 3ページ, 1 1 の 鈴木三重吉他 『現代日本文学全集』 第33篇 「少年文学集」 ( { , 桑原三郎編 日本児 「 1 1 1ページ, 1 97 8年, ほるぷ出版) 0巻 鈴木三重吉集」 ( 童文学大系』 第1 , 参照‐ 91年, 人文書院‐ 9 ( 8 り 飯田道夫 『日特・月特・庚申キも 62~67ページ, 1 1 81年, 角川書店‐ 69~1 7 0ページ, 19 ( 9 1 ) 尾形勇 「古代中国における東方」 中西進編 『古代の祭式と思想』 1 1 9 83年, 9ページ, 大和書房‐ その他, 大和岩雄 『天照大神と前方後円墳の謎』 ( 伽 ) 小川光三 『増補大和の原像』 1 『神社配置から天皇を読む』 ( 『原初の太陽神と固有歴』 ( 0 1 9 9 三橋一夫 六興出版 ) 1 9 8 4年 六興出版) 吉村貞司 , , , , 六興出版) , 参照. 0ペー 9 0ページ, 19 80年, 日本放送出版協会. 同 『気候と文明の盛衰』23 ⑩㈱ 安田喜憲 『環境考古学事始』1 88~1 9 90年, 朝倉書店. ジ, 1 9年, 白水社. 8ページ, 1 9 8 綴 り 大和岩雄 『神社と古代王権祭犯』 8~1 のの講座日本思想4 『時 間』 15~20 ペー ジ. 似 ) 宮田登 「日読みの思想」 注= (本学 教 授. 276. 函 館 分 校).

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参照

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(注)

の原文は“ Intellectual and religious ”となっており、キリスト教に基づく 高邁な全人教育の理想が読みとれます。.

神戸・原田村から西宮 上ケ原キャンパスへ移 設してきた当時は大学 予科校舎として使用さ れていた現 在の中学 部本館。キャンパスの

これに対し,わが国における会社法規部の歴史は,社内弁護士抜きの歴史

(注)