韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察(2)
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(2) . 3巻 第2号 北海道教育大学紀要 (第1部B) 第4 ionIB) Vo l i ion(Sec t ty ofEducat lof Hokkaido Univers Jouma .43 ‐2 , No. 平成 5年3月 March ,1993. 韓国における民主化と 第1 4代総選挙に関する考察 (2). 清. 水. 敏. 行. 北海道教育大学函館分校政治学研究室. 3. 移行期における政党支持態度の変容 第2章では1992年3月の総選挙を中心に考察した.そこでは総選挙の予測を難しくさせた要因と して 「地域感情」 の変化と浮動票層の動向を取り上げた. 特に浮動票層の動向は意外な結果として 現代財閥総帥の鄭周永率いる国民党の躍進をもたらした‐ 浮動票層は選挙において何の党派性もな く, ただパラム (風) によっ て初めて方向が与えられるという水面にただよう 浮草のようなものな のか‐ それとも, それ自身何らかの党派性をもっ ているのか. そう であれば, どのような党派性な のか‐ またその党派性は長期的な政治変動の中でどのように変化してきたのか‐ この章では既存の 政党制に十分に組み込まれていない有権者, それは選挙では浮動票となっ ても現れるし棄権票とも なっ ても現れる, また世論調査 では支持政党なし層となっ ても現れる, そう した種類の有権者の政 党支持態度の変化を, 19 80年代以後の政治的民主化のなかに位置付けて考察することにしたい. 本 章は政治的民主化の移行期における政党支持態度の変化を, この支持政党なし層に焦点を絞っ て検 討することにしている‐ 民主化運動や民主化をめ ぐる政治過程については, 第4章において 「民主 化」 象徴の変容という観点から民主化支持層の形成と分解を論じるところ で触れることにしたい. 80年代以後の有権者の政党支持態度の変化を, 図1と表5・図2にみることにした まず最初に19 い。 図1は1 981年総選挙, 1 98 5年総選挙, 1 987年大統領選挙, 19 88年総選挙という四つの国政選 挙における政府与党の民正党, 野党, そして棄権・無所属・その他の三つの集団の絶対得票率 (以 下, 特に断らない限り得票率とは絶対得票率のことである) の推移を扱っ たものである. ここで野 党とは, 1981年民韓党 (朴正無政権時代の与党共和党の流れを汲む国民党を除いた) 985年は民 ,1 韓党と新民党,1 987年と1 988年は統一 民主党と平民党(民主化運動を担わなかっ た金鍾泌の新共和 党はここ では野党から除いた) のこととしておく。 また, その他とは雨後の竹の子のように生まれ ては消える泡沫政党のことである(国民党・新共和党はここにも含めていない) ‐ なぜ図1において, このような三つの集団の得票率の変化を見ようとしたのか. 権威主義体制の枠組みの中で作動する 1 } 競合的な性質をもつ多党制 でも ように作り出された政党制(これはサルトーリーの分類を使えば( , 一 党優位政党制でもない, 非競合的な性質のヘゲモニー政党制と言える) には十分に組み込まれる ことのなかっ た有権者層が, 民主化運動を担う, また担っ てきた政治家の率いる政党に どのように 反応したのかを示すためである。 1981年の総選挙に現れた棄権・無所属・その他の集 団の得票率は, 1 980年末に政府によっ て作られたヘゲモニー政党制に十分に組み込まれることのなかっ た有権者 . ←.
(3) . 清 水 敏 行 9 8 8年までの国会議員選挙 8 1年から1 9 図1 1 (単位:%) 5 0. ー. /\ \ \ //、 \ \ .. ー民正党得票率 一野党窄整票率 - -棄権・その他・ 無所属の得票率. ′. ・. 〆、 ′. 、 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、 、 ′ 、 ′ 、 ′ 、. 1 9 8 1年. 9 8 1 5年. 1 9 8 7年. 1 9 8 8年. 表5 朝鮮日報の世論調査 88.7. 88‐12. 89‐2. 89.5. 89.9. 21.I. 14-6. 17‐2. 20.7. 19‐8. 民. 正. 党. 民. 自. 覚. 平. 民. 党 24‐I. 民. 王. 党. 統一民主党. 17.9. 21.I. 25.0. 22.4. 26.6. 20‐3. 18.8. 18.5. 国. 民. 党. そ. の. 他. 90‐9. 91‐1. 91.11. 92.4. 34.9. 21.5. 16.8. 24.5. 39‐5. 17‐9. 17.7. 18‐5 24-5. 22.8. 17‐7. 民 主 党 a 新 共 和 党. 90.3. 20.1 15.2. 11‐7. 11‐8. 10.7. 12.5. 9.2 9.7. 0.3. 0.I. 1.4. 0‐5. 支 持 政 党 な し 15.4. 18.8. 12.6. 19.5. 4‐0. 3.7. 2‐6. ( 3 0 ) .. 3.0. 29‐6. 19.9. 36‐2. 38.2. 33.6. 12‐5. 答. 6‐I. 7.2. 8.0. 9.5. 5.2. 3.2. 8.4. 支持政党なL・無応答. 21‐5. 26‐0. 20.6. 29.0. 34.8. 18.7. 44.6. 無. 応. 11-2. 12.7 ( 1 4 ) 4.. 12‐5. 50.9 ( ) 25‐0 4 8- 0. (注1) 括弧内の数値は不明であったので, まず 「その他」 の数値を次回の調査結果と同じとして, 残りの括 弧内の数値を計算したものである。 (注2)1 990年3月の調査では「似たもの」 という項目があっ た。 これは便宜的に 「支持政党なし“こ含めた。.
(4) . 韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察 ) 図2 朝鮮日報による政党支持率の調査 ( 1988‐7~1992.4 (単位:%) 一与党支持 一野党支持 - -支持政党なし ”新共和党支持. \. /. /. ・. I. \/. /. 、. X. 人 〆 」「. ′ ‘. 、. ′. /. ′、 ′ ′′ \ 、 ′ 、 、 、 、 - ÷. r. .. \. \/. . ・、 、 ・. 1988‐788.1289.289.589 2.4 .990‐390.991 .191 -119. 2 } その有権者層がその後の選挙において どのように変 層の規模を示すものと考えることにしたい( . 化したのかを以下で見ることにする‐1981年から1988年の期間は, 権威主義体制の確立期, 権威主. 義体制崩壊への移行の開始期, そして権威主義体制の崩壊過程を締めくくる新体制確立のための時 3 ) 四つの国政選挙も このような権威主義体制の確立とそれからの 期の三つに分けることができる( , ‐ 移行のプロセスの中でなされたものである‐. この四つの選挙における三つの集団の得票率の変化は対照的である(図1, 参照) . 棄権・無所属・ その他の集団の得票率が逆山型の曲線を描くのに対して, 野党の得票率はそれをそのままひっくり 返したような山型の曲線を描いている. このような二つの集団の連動性に対して, 与党の民正党は 緩やかな増減はあっ てもほ0龍横這いの状態である. つまり民正党の得票率は他の二つの集団と何の 連動性も示していない‐ もちろん論理的には棄権・無所属・その他から民正党に20%移動して, そ して民正党から野党に20%移動するという 流れを想定することはできるが, これは現実から掛け離 れた想定でしかない. 一つ具体例を出すならば, ソウルの江南区(ソウルの中でも中上層のマンショ ン居住地域として有名 であり, 近年では鍾路に並ぶソウルの 「選挙一番地」 でもある) では次のよ うな変化が1 981年から1 985年にかけて起きている (表6,,参照) 81年6万8千票・ . 民正党は19.
(5) . 清 水 敏 行. 1985年9万票であり, 野党は1981年0票・1985年24万1千票であり, そしてその他・棄権・無効 4 ) 新民党と民韓党の野党票24万票はどこから 2万9千票である( 985年1 は1981年21万3千票・1 . 来たのか. 民正党は7万票程度であるから, とてもではないが上述の想定では24万票も作り出すこ とはできない‐ 結局, 野党票の多く, あるいは殆 どすべてはその他・棄権・無効の減少分8万4千 票と新規有権者増加分 の18万票の中から生まれたと考えるの が合理的である‐ 1985年の新民党 パ ラムとは, それまでの主要政党に関心をもちえ なかっ た有権者の変化によるものであっ た. この変. 化が対立・競争のない既存の政党制を解体させ(選挙後の第一野党民韓党の瓦解, 新民党への吸収) , 98 5年総選挙で高まっ た有権者の熱気は その後に続く権威主義体制 崩壊の序曲になっ たのである.1 表6 1980年代の江南 区における 投票動向 (単位:万名). 民 正 党. .. 1981年. 985年 1. 6.8. 9‐O. 1987年. 1988年. 15‐O. 10‐0. 新 民 党. 13.2. 民. 韓. 党. 109. 民. 主. 党. 16‐4. 9‐8. 平. 民. 党. 11‐7. 5‐3. 新共和党. 0.I. 3.3. 5‐3. 12.I. 3‐6. 0‐03. 8.2. 9‐3. 7‐4. 投 票 率. 9.2 65.0%. 80‐7%. 87‐2%. 72.1%. 選 挙 人. 28‐0. 46‐O. 53.7. 53.7. 18‐0. 7.7. そ. の. 他. 棄権と無効. 新規有権者. 15.O. 1 987年の大統領選挙でピークに達する. 87年の大統領選挙と1 988年の総選挙は権威主義体制崩壊の過程を締めくくる意味をもっ てい 19 たが, また同時に民主化運動を担っ た勢力に分裂と葛藤を内部に生ませる 契機ともなっ た. 後者の 8年総選挙における野党の得票率 象徴的な出来事が, 野党候補単一化の失敗である. そのことが198 の低下と棄権・無所属・その他の増加という, これまでの傾向を反転させることになっ たのではな いか. それは単なる有権者の選挙疲れなどによるものではない. つまり1985年総選挙で新民党パラ 8年総選挙 では何らかの理 由からその熱気を冷まし棄権 ムに呼応して野党に投票した有権者 は198 するとか無所属・その他の候補に投票するという態度変化を起こしたのではないかということであ る.. 1988年には小選 この点を直接知るための資料 などない. そこで先にも利用 したソウルの江南区( 挙区制に変更されたことから, 瑞草甲・瑞草乙・江南甲・江南乙の四つに分区されている) を見る 987年大統領選挙には28 985年総選挙には24万1千票 (新民党・民韓党) ことにする. 野党は1 ,1 988年総選挙には1 5万1千票 (統一民主党・平民党) と変化し 万1千票 (統一民主党・平民党) ,1 987年から1 988年への 985年の総選挙よりもかなり少ないことから,1 ている‐1988年の野党票は1. 減少分 を大統領選挙と国会議員選挙の違いだけでは説明 できない.1988年総選挙で野党が減らした 票はどこに消えたのか. それは選挙の違いだけで説明 できるのでは なく, 有権者の投票態度の変化 に求めなくてはならない. 江南区においてそれを引き起こした直接的な契機は三人の有力無所属候 補(朴燦鍾, 洪思徳, 張基旭)なのである‐ この三人の無所属候補は7万4千票であり, 野党が失っ.
(6) . 韓国における民主化と第14代総 、選挙に関する考察. た1 3万票の6割程にもなる. 棄権・無効の増加分は7万6千票である‐ 棄権・無効の増加分 には民 正党からの流入もあっ たろうが,民正党と新共和党の合計得票数が1987年よりも3万票減少してい るに過 ぎないことからこの両党はほぼ現状維持であると考えることができる. そう であれば, 1987 年よりも大きく得票数を減らした野党の側からする棄権・無効への流入, そして三人の無所属候補 への流入が大きかっ たのではないかということになろう.. 民正党・新共和党 野党 無所属(上記3名) 棄権・無効. 3万票減少 1 3万票減少. 無所属, 棄権・無効. 7万4千票 7万6千票増加. 無所属候補の内, 朴燦鍾と洪思徳は金泳三・金大中の争いを批判し野党統合を推進した 「単一化 3 ) 5人グルー プ」のメン バー であるし, 張基旭もまた金大中を批判し平民党を脱党した候補 である( ‐ つまり金泳三率いる統一民主党と金大中率いる平民党という 二つの野党が1988年総選挙の江南区 において勢いを著しく落としたのは, 単なる選挙疲れで棄権したのではなく, 野党の分裂を前にし てそれを批判する無所属候補に呼応するか棄権するかの選択をしたことに主たる理由があると考え ることができる. 少しオー バーな表現ではあるが, 当時の野党分裂がもたらすイン パクトについて 5 } 「 朴燦鍾は, 次のように語っ ている( 2・1 6選挙 [ 1 987年大統領選挙のこと] は制度圏野党の構造 . 1 的非理を国民が確認した結果となっ た. 1 3代総選挙[ 1988年総選挙のこと] では国民は野党と民主 陣営に対して峻厳な審判を下すのは明らかである. 野圏を支持した1 250万票[ 19 87年大統領選挙で の金泳三.金大中の合計得票数] が虚泰愚氏側に傾いて行く音が聞こえないのか.」 要するに, 1 988年総選挙の意味は何かと言え ば, ここでの文脈においては,19 81年総選挙では沈 黙したり挫折感を抱いたりし,198 5年総選挙においては新民党に積極的に呼応して パラムを巻き起 こした有権者層は, その後の権威主義体制の崩壊過程までは民主化運動を支える社会的基盤として 一つのまとまっ た層をなしていたが,権威主義体制の崩壊過程を締めくくる意味をもつ1988年総選 挙において分散したということなの である‐ 1985年総選挙を重要な契機にして 「民主化支持層」 と でも呼べるような有権者層が噴き上げるように形成され, 1 988年総選挙においてはその 「民主化支 持層」を分散し縮小的に再編成されるようになっ たということである. つまり1 987年大統領選挙を 「 「 契機として公然化した 地域感情」 の亀裂に沿っ た投票によっ て 民主化支持層」 は縮小的に再編 成された. この 「地域感情」 主導の再編成に緩やかにしか組み込まれなかっ た 「民主化支持層」 の 有権者が, 198 8年総選挙以後に選挙では浮動票・棄権票として, 世論調査では支持政党なしという 応答者として現れるようになっ たのである. このような有権者は図1の野党において, 特に1 987年 を頂点とし19 88年を底辺とする盛り上がっ た部分の1 6%程度なのではないか. そして30%程度が 「地域感情」 主導の再編成に比較的堅固に組み込まれた有権者ではないか . 1 985年総選挙は 「奇跡」 と呼ばれるほ どに予測がはずれた選挙であっ たが, その予想外の結果を 引き起こしたのは民主化のシンボルに改憲を掲げる新民党とそれに呼応した有権者の感動的な結び 付きであっ た. そして199 2年3月の総選挙もやはりまっ たくの予想外の結果であっ た. だが民自党 の敗北をもたらした有権者の投票態度には政党や選挙そのものに対する 「令淡」 な心理が作用して いた. 1 992年3月の総選挙の結果は 「奇跡」 ではなく意外なだけであっ た. なぜなら敗者はいても 喝采される勝者がいないという結果 であっ たからである‐ この二つの選挙の間には相当な距離があ る. それがどのような距離なのかを, 次に見ることにしたい. 5.
(7) . 潜 水 敏 行. 1988年4月の総選挙後から現在に至るま での有権者の政党支持に 関する世論調査の結果を 一覧 88年7月から1989年9月までは民正党, 1990年3 19 表にしたのが表5であり, その項目を与党 ( 990 989年9月までは統一民主党・平民党であり, 1 198 8年7月から1 月以後は民自党である) , 野党( 新共和 91年1月までは平民党と民主党a であり,1991年11月からは民主党である) 年3月から19 , 党, 支持政党なし (ここでは一応無応答を除外した, 仮に含めても傾向に変化はなく似た曲線を描 く) の四つに整理して グラフ化したのが図2である. 新共和党を野党に含めても野党の曲線の傾向 に変化はないが, 民主化運動に関与しなかっ た金鍾泌率いる新共和党は図1のときと同様にここで も野党範噂から除外する. この世論調査は 『朝鮮日報』 が韓国ギャ ラッ プ調査研究所とおこなっ た 6 } 1 500名 を対象 91年11月までは済州道を除く全国から抽出した1 ものである( . 988年7月から19 992年4月も韓国ギャラッ プ調査研究所によるものであ とする面接方式の世論調査である.最後の1 99 2年 るが, 済州道を除く全国から抽出した700名を対象とする電話方式の世論調査 であり, また1 2月予定の大統領選挙に出馬すると予想される候補者の人気度調査という性格から, それまでの9 1 回の世論調査とは違い大統領選挙を眼中に入れた回答ということで大統領選挙の バイアスが強く作 用しているものと考えられる. 98 8年7月から 図 2 を見て, まず表面的に気付くことを三点指摘する. 第一に野党の支持率は1 991年6月の広域 89年2月までは増加傾向にあっ たが, それ以後はだいたいに減少傾向にある.1 19 議会選挙でも199 2年3月の総選挙でも野党の得票率はほぼこの 曲線の上にあっ た‐広域議会選挙で は新民党a (実質的に平民党のこと) と民主党aの合計得票率は21‐3%であり, 総選挙では両党が 7 ( ) 統合した民主党の21 ‐1% であっ た . 第二に, 支持政党なし率の大勢としての増加傾向である. か 991年1 なりの起伏を繰り返しながらも, その起伏の上昇ピーク点は次第に 高くなっ てきている. 1 月 時点の38 ‐2%が最も高いピークとなっ ている. 第三に, 与党の支持率の傾向は民自党 結成後の 1 990年3月時点から激しい増減の変化を見せるようになっ ている. それまでは下降と回復の低迷状 況であっ たが, 民自党結成後からは与党 (民自党) の支持率と支持政党なし率の増減の間に どのよ うな連動性があるのかが注目されよう. 仮にかなりの程度の連動性があるのであれば, 支持政党な し層 であるとか浮動票層とか呼ばれる有権者の投票態度における新しいパターンとして論じること ができるだろう‐ この問題を取り扱うために, 図2の グラフの変化を時期 的に細分して検討することにする. 8年7月~1 989年2月 (1) 198 この時期には野党の支持率は増大し, 起伏はあるが支持政党なし率と与党支持率が減少し, 新共 和党は一貫して減少している. 表5を見るとわかるが野党の増大と言っても, 金大中率いる平民党 ではなく金泳三率いる 統一民主党の支持率の増大なのである. 平民党の支持率はほ0瀧横這いである 19 ( 88年7月の政党支持率では民正党・統一民主党・新共和党が同年4月の総選挙での得票率とほ ぼ同じだが, 野党第一党としての プレミアムなのか平民党だけが10%近く支持率の方が高くなっ て 8 } 988年には全斗燥前大統領の謝罪文発 ) いる( . この間の政治の 争点は5共非理清算問題であっ た.1 989年 表・百浬寺隠遁, 1 989年3月には虚泰愚大統領の中間評価国民投票の留保決定がなされた. 1 2月の調査時点は5共断絶問題をめ ぐっ て世論が沸騰した時期 である‐ 『朝鮮日報』の調査にも, こ の点が現れている‐ 「底泰愚大統領は政治をよくやっていない」という応答者が特に何に問題がある としているのかを見ると,「5共非理未解決」は1988年7月に 22.3%,1989 年 2 月 に は 47.0%,1989 6%というように変化して いる. 5共断絶問題への国民の 関 年9月には1 2‐7%, 1990年3月には3‐ 989 心は1 988年の国会特別委員会での真相糾明と全斗燥の親族・側近の逮捕 で盛り上がり始めて1 年春に最高潮に達し, その後は急速に関心が薄れていっ たということになる. この過程において金.
(8) . 韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察. 泳三の統一民主党は5共非理調査特別委員会で主導権を掌握し, また中間評価問題でも金泳三は金 9 ) こう した金泳三と統一民主党が 5共非理清算問題への国民 大中よりも鮮明な強硬姿勢をとっ た( , . の関心の高まりとともに支持率を高めていっ たのである‐ (2) 1989年5月~1989年9月 この時期は野党の顕著な後退期 であり, それに反して支持政党なし率が増加 している. 与党はほ 隙横這いの状態である. この野党の後退は統一民主党の支持率の急減によっ て引き起こさ れたもの 989年8月のソウル永登浦乙区の補欠選挙で統一民主党候補は前年の総選挙での得票数を 1 である ( l o } ) 9年3月の中間評価留保決定で5共非理清算問題に対する国民の関心が弱 大きく下回っ た( . 198 まるにしたがっ て, 統一民主党の支持率が減少したのであろう. 統一民主党から離れた支持者は, その間に増加傾向を示す支持政党なしに流れていっ たものと推測できよう‐ ただ, ここで統一民主 党から離れた支持者は5共非理清算問題や中間評価問題が必ずしも満足するような形で処理されな ” } この点は 「民主化」 シンボルの意味に関連 いことへの不満感と挫折感から離脱したのであろう{ . するものであり, 後であらためて論じることにしたい. いかなる動機で野党支持者が離脱したので あれ, 19 88年7月からここまでの時点の傾向は図1で見たところの傾向と基本的に違わない. つま り野党の支持層と政党制に十分に組み込まれていない集団が相互に連動して増減するという パター ン であ る.. (3) 1 990年3月 この時点に大きな変化が起きた. 世論調査の結果は, 民正党・統一民主党・新共和党の統合によ る民自党結党 (1月 22 歌こ三党統合の合意発表, 2月創立) という政界再編成に敏感に反応したも のになっ ている‐ 与党民自党支持率の顕著な増大と支持政党なし率の顕著な減少という対照的な変 化である‐ 野党は若干上向きになっ ただけ である‐ 表面的にはこのように見ることができるが, 表 5の一覧表を見ることで詳しく検討することにする‐ 統一民主党は解体されたが, その残留派 (李 基淫ら) が民主党aを作っ た. この民主党aはこの時点では20‐1%の支持率を得ている. この民主 党aの支持者は どこから流入してきたのか. その多くは支持政党なしからであり, 部分的に統一民 主党からであると推測できる. 巨大与党民自党の出現へのリアクショ ンとして (民主党aの魅力の ためというよりは) ,これまで野党から支持政党なしに流れた有権者が民主党aの支持に戻っ たの で あろう.だが,民主党aの支持率は1 990年9月以後の調査では急速に減少し半減してしまっ ている. これは1 990年3月時点における民主党aの支持率( 20‐1%) は高いが, その有権者の支持の度合い は一時的なものであり, しかもかなり脆いものであっ たことを示唆している.1990年3月時点での 野党支持率の若干の増加 (図2, 参照) は, 直接的には浮動票的な有権者 (支持政党なし) の流入 によるためなのであろう‐ この点は広域議会選挙や総選挙における野党 (前者は新民党aと民主党 1 2 a, 後者は民主党) の得票率によっ て確認されることになるが{ 1 次に民自党の支持率であるが, 民主党aの支持率を上述したように解釈するならば, 民自党の支 持率は民正党・新共和党, そして統一民主党の一部の支持者の移動によっ て構成されていると考え ることができよう. ここで別の世論調査をみることにする. それは民正党・統一民主党・新共和党 の三党による統合発表直後になされたものである. 1 99 0年1月 23 日の『朝鮮日報』の世論調査結果 「 によると ( 5 22名対象の電話調査) , 三党の統合を よくやっ た」 とするのが53‐4% であり, 「よく 1 3 } そ れ が 1990 年 3 月 時 点 の 『朝 鮮 日 報 に な る と 民 自 党 へ な い こ と」 と す る の が 34‐4% で あ る{ 』 . ,. 「 の好感度においては 「好感がいく」 は37 4‐1%である. 設問が違 .0%であり 好感がいかない」 は4 う し調査方法も違うから二つの結果をまっ たく同列に並べることはできないが, 民自党への緩やか な支持というか共鳴というか, そのようなものは民自党統合宣言の直後 では瞬間風速的に50%程度 7.
(9) . 潜 水 敏 行. 1 4 ) こ であっ たのが, 党の組織化 プロセスを見て幻滅 感から急速に低下していっ た状況を描けよう( ‐ れは民主党aの支持率とその後の変化とよく 似ている. このような傾向と対照 的なのは金大中率い 90年3月から1991年1月の調査まで横 這い状態である.民自党創党による政界 る平民党である.19 再編成をターニン グ・ポイントとして有権者の政党支持態度が大きく流動化・脆弱化したこと が, これまでの民主党aと民自党の支持率を見ることで確認できた. だがこの流動化に平民党は無関係 なのである. 平民党は極めて安定した支持基盤をもっ ているということになるが, 相変わらず全羅 道の地域政党であると有権者に見られているということでしかない. 2年4月 990年9月~199 (4) 1 民主党aだが)も支持率を低下させる一方, 支持 9 9 1年1月までは与党も野党( 990年9月から1 1 2%に達する. 民自党の支持率は 統合前の1989年9月 時点 での民 政党なし率は増加しピークの38‐ 6.8%にまで低下している. 野党, その中でも民主党aの支持率は 9.8%よりも低い1 正党の支持率1 1 990年3月の支持率20.1%のほぼ半分にま で減っ ている (表5参照) . このことは平民党を除く政 党に対する有権者の支持が流通力化・脆弱化し, 政党支持の態度と支持政党な しの態度との境界が非 常に低くなっ てということである. 政党支持を表明しておきながら支持政党なしに容易に転じるか らである‐ この逆も容易に起きる. このような境界が低い有権者は支持政党なしと応答したり もす るが, 政治経済状況や候補者・政党など様々な事情に応じて政党支持を表明したり投票したりする 潜在性も兼ね備えている浮動票層でもあろう (この浮動票層を争 点投票指向というような有権者像 で全面的に把握してしまうには, 「地域感情」の問題を除いてもまだ問題があるように感じられる) . 全国レヴェ ルで見るのならば,このような浮動票層はだいた い20%から30%の範囲内で存在してい 992年4月のそれを差し引い 991年1月の支持政党 なし率から1 ると見れよう (最高ピークである1 た数値) . そこで次の問題は, 政党支持あるいは政党不支持の境界を容易に越えるこのような有権者は与党 と野党 (与野党の境界を問題にするところでは野党を民主化運動と結び付けず非政権党という 一般 的な意味で使っている) の境界もまた容易に 越えるのであろうかということである. この問題を考 92年4月の調査結果にある. ここでは, まず次の二つの点が指 99 える手掛かりは,1 1年1月 から19 摘できる. 第一に継続的な与党支持率の増大傾向と野党 (平民党・民主党aと両党が統合した民主 党) 支持率の減少傾向であり, 支持政党なし率の減少傾向である. つまり支持政党なし率の減少は 支持政党なしから与党支持への移動の ためであるということである. 与党支持率と支持政党なし率 の間にそれまでに見られなかっ た新しい パターンの連動性 が生まれている. これは特筆すべき点 で 5 1 }1991年1月から1991 ある.19 92年4月時点の調査が大統領選挙の バイアスを受けているとして( , 年11月までの変化を見ることに しても,スケー ルは小さ いが同じような連動性が生まれていること が確認されよう. 支持政党なしから金大中が中心になる政党 (民主党) への移動はまず ないものと 見てよい. その点では支持政党なしの有権者にしても 「地域感情」 から完全に解き放たれているの ではない. だが彼らは自分の出身地域を基盤にする政党に強い忠誠心をもっ て支持しているのでは ない. ここに彼らの浮動票化の傾向を見ることができるのである. 第二に, 1992年4月時点の国民 党の支持率は9‐7%になるということである. 国民党の支持率もまた 主として支持政党なしからの 移動なのである. 2年4月の支持政党なし率が民自党と 99 図2を参考にこの問題をもう少し長期的に見てみよう.1 989年2月時点の12‐6%と同じで この水準は1 2 国民党の支持率に流れて1.5%にま で減少したが, 992 ある‐1989年2月は野党が1988年7月以後に最も高い支 持率を示した時点でもある.ところが1 した時点である 年4月は1 988年7月以後に与党が最も高い支持率を野党が最も低い支持率を示 .そ 8.
(10) . 韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察. の間に支持政党なし率はかなり起伏を伴いながらも, その起伏の上昇ピーク点は次第に高くなっ て くるという変化が見られた‐ 要するに, 野党支持が崩れて支持政党なしに移動し, やがてその支持 政党なしは次第に与党支持の方向に傾いてきたということ である. しか し, 支持政党な し層から 10%近く も国民党に流れている. 支持政党なしの態度に傾いている有権者は民自党に比較的好感を 抱いていたとしても, 必ずしも民自党を支持すると応えたり民自党に投票し .たりするのではないよ う である‐ だからと言って, 金大中が中心となる政党 (民主党) を支持したり投票したりすること …1 は部分 的にあっ ても大勢にはなりえないだろう‐ 99 2年3月の総選挙でも, このような支持政党な しの態度の有権者は民自党と国民党, つまり一般的な意味での与党と野党の間の境界を容易に越え 1 6 ) このような特性をもつの であるから 現在の浮動票層が果たして野党 て行き来したのであろう( ‐ , 性向なのか与党性向なのか画然として来なくなっ たのである‐ たとえ支持政党なし層が潜在的には 民自党支持に傾いてきたとしても, 国民党支持と応えたり国民党に投票することが十分 にありうる というのが彼らの特性なのであろう ( 1 992年総選挙では国民党であっ たが, 大統領選挙では別の新 しい野党 でもありえよう) . 少しオー バーな表現だが自由奔放に動く彼らでも, なかなか越えれない 境界があるが, それは全羅道の人々に強く支持される金大中と彼の政党に対する態度 である. この ような有権者に支持された国民党の現在の支持率は, 民自党創党後の民主党aの支持率がた どっ た ように急速に萎むことも十分にあろう‐ ちなみに,1992年3月の総選挙の結果を見ると 民自党の得 票率は27‐3%, 民主党は21‐1%, 国民党は12‐1%であり, これは『朝鮮日報』の1991年11月時点 の調査結果に現れた各党の支持率傾向の中にあると言え る. 国民党の得票率は支持 政党なし率の中 1 7 ) に 組 み 入 れ る こ と が で き よ う( .. 1 8 「いま民主 反民主の単純論理時代も終わっ た」 ( }として従来の与野党が統合した 民自党の出現を , 契機にして, 有権者の与野党意識は大きく流動化してきたことを論じてきた‐ しかし, 安富根 (前 1 9 } 安富根は総選挙の予測 でも広域議会選挙 ギャ ラッ プ調査研究所理事) は違う見方をとっ ている{ . 結果の分析でも, 基本的には1987年から有権者の投票構図の基本的枠組みには変化がないとし, そ の基本的枠組みを 「地域主義」 と 「野党票分散構図」 に求めている‐ その時々の第三, 第四の要因 (彼は 「安定希求心理」 と 「政治的無関心」 としている) がその基本的枠組みに作用することはあ るとしているが. 筆者と安富根の違いはどこにあるのか‐ 安富根は1 987年の基本的枠組みが維持さ れているとして, その中に収まる程度のものとして広域議会選 挙の得票率変化を考えているのに 対 して,筆者は広域議会選挙や総選挙に現れた結果は19 87年の基本的枠組みには収まらない変化 であ るとして基本的枠組みの変化そのものを考えている‐ 安富根は世論調査 ( 1 991年当時) から民自党 の支持率を18~1 9%と見ていること, また1 987年・88年の選挙で金泳三の統一民主党に投票した 若年層・高学歴・ホワイ トカラーの有権者を野党票であると し永登浦補欠選挙や広域議会選挙 では 無所属候補に流れたと説明していることからすると, 1987年大統領選挙時点 での野党票は19 92年 まで党派性に変化がないまま野党票であり続けているということになる. 安富根は, 無所属も含め て野党の乱立が野党票を分散させ民正党に漁夫の利を得せしめている民自党有利 の政党構図をここ に 見 い だ し て い る‐. 安富根の議論には, 次のような問題点と批判を提起できよう. (1) 民自党の支持率を18%~19%と見ているが, 支持政党なし層が果た して民自党支持に態度変 更をする潜在性があるのか無いのかが明らか ではない‐ もし支持政党なし層の殆 どを野党票とする ならば, 最近見られる民自党の支持率と支持政党なし率の連動性をどのよう に説明するのであろう か.. (2) 1 987年・88年の選挙で金泳三・統一民主党に投票した有権者は今も野党票であるとしている.
(11) . 清 水 敏 行. が, それならばこれまでの選挙における野党票の分散をどのように説明するのか. なぜ分散してま うのか. 野党 (無所属も含め) が複数あるからでは理由にはならない. 1987年から 「地域主義」 が 第一の要因として作用して いるとすることと野党票が存在して いるということを単純に並べ るだけ では, 野党票そのものの変質を軽視していることに なる. 「地域主義」から政党に投票する有権 者を 985年の総選挙で新 野党性向などと分類することが問題をもっ ていないのか, ということである.1 7年以後の野党票は質 的に変化してきているはずなのだが. 民党パラムを起こした野党票と, 198 (3) 広域議会選挙で平民党と民主党aに分裂していた野党は総選挙では統合野党民主党として選 挙に望んだが, 広域議会選挙のときの得票率21 ‐3% (平民党・民主党aの合計) を総選挙では得 票 補を立 率21 ‐1% (民主党) とまっ たく増やすことができなかっ た (もし広域議会選挙では野党が候 てない選挙区が結構あっ たのならば, ほぼ全選挙区に候補を立てたうえでの総選挙の得票率は横這 3%も上昇し,そのうえ待望の 野 いどころか減少に なる) . 総選挙では広域議会選挙よりも投票率は 1 党統合もなっ たのに, 広域議会選挙で無所属や棄権に回っ た野党票は民主党にはこなかっ た‐ 民主 党 ではなく 国民党がパラムを起こしたのである. 安富根が想定する野党票が民主党に行かず国民党 に行っ たのであれば, その野党票そのもの変質という 問題を考えなくてはならない. そう ではなく 真の野党票は国民党にも背を向け棄権票としてまだ眠っ ているというのであれば, やはり眠りから 覚めない投票態度への変質にもかかわらず彼らを相変わらず野党票として性格付けられるのかが問 題になろう. 仮に眠り続けるのが若年層だとしても, 彼らを一括して野党票として性格付けられるのかは問題 である. 韓国のマスコミでは 「若年層=野党票」 という見方が支配的である. しかし筆者が入手し た資料の限りにおいては, そのような見方を決定的にするだけのものはなかっ た. 1991年11月 の 『朝鮮日報』 の調査 では 2 3.0%で30代の支 7%・30代の民自党支持率は2 , 0代の民自党支持率は1 『 月刊朝鮮 ) 2年4月の 99 20代のは記載なし , 1 持政党なし率は36‐2% であるが ( 』 の調査 では, 20 7%で20代 の支持政党なし率は14‐6%・30 代の民自党支持率は31 ‐8%・30代の民自党支持率は38. 92年4月 代の支持政党なし率は9.4%である(資料不十分のため無応答は除いた) . 興味深いのは19 の調査に現れた国民党の年齢別支持率では, 高年齢層よりも若年層で高いことである. これは若年 層において既成政党への 不満が大きく, それだけに新党の 国民党に呼応する傾向があるということ である. 上の二つの調査 でも民主党の支持率にはたいした変化はない. 要するに, 棄権や支持政党 図3 支持政党なし層の態度変化の模様 与党支持. ~8 8年. 曾. 博9杵~賜年. 政党不支持. 政党支持. 8. . ‐ 1 9 8 5年 野党支持. 10. 9 8 1年 1.
(12) . 韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察. なしに傾く若年層の有権者のうち, 民主党よりは民自党や国民党に好感をもっ ている有権者は少な くないということが示唆されている. 人物の個人的人気が強く出るという 問題があるが, 同じ 『月 刊朝鮮』の大統領候補者別支持調 査でもこのような傾向が現れている. おそらくは若年層は反政府・ 民主化指向であるから野党票だという見方は今後修正されなくてはならないだろう. 2年1 2月に予定される大統領選挙 では金泳三民自党候補と金大中民主党候補の対 ところで, 199 決ムー ドが高潮するほ どに, 支持政党なし層 (とりわけ慶尚道と慶尚道出身者) は反全羅道の 「地 2 0 ) 域感情」 から国民党候補や泡沫候補・棄権に向かうことなく金泳三に移動する可能性があろう{ ‐ 全羅道候補と反全羅道候補の対決になるのか. もし金泳三の当選が一般的に確実視されるとなると ( 1 992年4月の総選挙のように) , そのような金大中包囲網は崩れて, 支持政党なし層は第三, 第四 の候補や棄権に分散してしまい, 金泳三と金大中の接戦になり金大中の当選見込みも出てくるかも しれない. このような支持政党なし層の動きは今回の総選挙では民自党牽制心理として合理化され たのだが, 大統領選挙ではどのように説明されることになるのか. これまでの議論を, 図3の座標軸に整理することにする‐ 縦軸には与党支持と野党支持 (非政権 980年代から現在に 党という一般的な意味で) をおき, 横軸には政党支持と政党不支持をおいて, 1 至るまでの有権者の政党に対する態度を整理しようとしたものである‐1 981年の総選挙は権威主義 体制確立期のものであり, 疑似的な多党制に組み込まれない有権者は政党不支持・野党支持 (与党 民正党には反発するが本当に投票したい鮮明野党がなくて支持政党なしという態度) のAの方向に 態度を向けていた‐ 彼らは棄権するか, 棄権しないとすれば民韓党か弱小政党に投票することを強 いられた.このような有権者層は権威主義体制の民主化の開幕となっ た1 985年総選挙においては鮮 明野党の新民党に呼応して政党支持・野党支持のBの方向に態度を変え 「民主化支持層」 の形成と なっ て噴出した‐ 権威主義体制の崩壊過程の締めくくりになる19 87年の大統領選挙と1 988年の総 選挙では 「民主化支持層」 は1 985年の総選挙に現れた政党支持・野党支持の方向が縮むことで分散 し始め, 政党不支持のCの方向に転換し始めた. 第6共和国に入っ て5共非理清算問題に対する強 い関心が維持されている1989年春までは, もう一度政党支持・野党支持に回帰する兆候を見せはし たが, その後は政党不支持の方向に進んでいっ た. さらには与党支持の方向に向きながらも野党支 持 (金大中系の政党を除く) にも容易に逆転することで与党支持・野党支持の両方向にまたがると いうDへの変化を見せて, 政党に対する態度の流動化の新しい局面に入っ てきている‐ 韓国の有権者は, 乱暴であるが 「地域感情」 によっ て単一の 政党支持に固定化される地域票とそ れによっ て単一の政党支持にまで固定化されない浮動票の二つに分けられるが (繰り返し指摘した ように, 浮動票と言っ ても全羅道に対する 「地域感情」 から自由だというのではない) , この浮動票 に対しては与党票か野党票かという色分けが難しくなっ てきている. 19 85年の総選挙における 「鮮 明野党」 の新民党 パラムは, そのような色分けが十分に可能であるし意味があることを示した. し かし19 92年の総選挙における国民党パラムは,有権者の強い政党支持による意図された反乱という. よりも有権者自身にも 思いがけない, 意図されない反乱にま で発展したものである. 国民党の躍進 と民自党敗北への貢献は198 8年の総選挙における新共和党とよく似ているが,これまで論じてきた ように構造的には異なるものであり, また韓国の民主化の制度化に不可欠な政党制の定着という問 題を今後考えるうえでかなり意味のある現象なのである. 次の章 では, この点についての考察に直 ちに進まずに, 本章で考察した第6共和国の時期を通 じての支持政党なし層の態度変化について別 の角 度から検討することにしたい. ※本稿は 『人文論究』 (函館人文学会) , 第51号の続刊 である.. 11.
(13) . 清 水 敏 行. )王. 98 0年. サルトーリによれば, ヘゲモ 1 ( ) G 』 .サルトーリ, 岡沢・川野訳, 『現代政党学1 11 , 早稲田大学出版部, 1 ニー政党制とは, 一つのヘゲモニー政党を中心としてその周辺に国家によって認可されたセコンド・クラスの小 政党が存在する政党配置である. そこでは野党の異議申し立ては許可された反対行動に限定されており, ヘゲモ ニー政党への有効な挑戦や権力をめぐる競争は見られない. このヘゲモニー政党制の機能としては, 擬似政党市 場を提供することによって反対派の懐柔 (ガス抜き) と情報収集 (要求表出の機会だけを提供することで) がな 1 81~38 5頁. されることにあるとされている. 前掲 『現代政党学1 』 ,3 2 ( ) 全斗燥大統領は二党政党制度は過去に政治の両極化や極限対立を招来してきたという経験から相違した政策を掲 げた「幾つかの政党」が出現することが堂ほ しく, そうであればこそ過去の両極化現象も中和・調整されると語っ 84年, 66 9~67 0頁‐ ヘゲモニー政 8 0年前後の激動の韓国社会 2』 (光州) ている‐ サゲチョ ル編集部編, 『 , 19 党を中心にした「幾つかの政党」からなる疑似的な多党制の演出という全斗燥政権の意図に添って, 民正党のパー トナーとして民韓党と国民党が作られたのである. 野党第一党になった民韓党の創党発起人には党首柳致松を含 めて数名が政治風土刷新法による政治活動規制からの救済者 (政府の適格審査を受けて救済された) であり, ま 81年3月の た他の数名は第5共和国の法的枠組み整備をおこなった国家保衛立法会談の議員であった.加えて19 総選挙では民韓党, 国民党, 民社党が 「政党総裁の礼遇」 の名目のもと総裁が立候補する選挙区にはお互いに候 8 1年3月 3 日. これは創党間もない基盤の弱い野党 補を立てないという 「政策地区」 を設けた‐ 『東亜日報』 , 19 の共倒れを防ぐ工夫であったのではないか. 全斗燥政権成立に関しては, 参照, 黒田勝弘・重村智計, 「全斗娘体 『 3年, 23~39頁 (黒田執筆分) 8 制と韓国」 ‐ , 日本国際問題研究所, 19 , 三谷静夫編, 朝鮮半島の政治経済構造』 ( 3 ) 日本における韓国の四つの国政選挙に関する研究には次のようなものがある. 小此木政夫,「韓国の新体制と国民 『 84年, 1~22 1回国会議員選挙の分析-」 の反応-第1 , 慶応通信,19 , 神谷不二編著, 北東アジアの均衡と動揺』 『 「 法学研究 ( 慶応義塾大学法 2回国会議員選挙の分析- 頁. 小此木政夫, 総選挙にみる韓国政治の変化-第1 」 』 , 0頁‐ 伊豆見元,「民主化への苦難のプロセス一予想外の展開を重ねる韓国政 学研究会) 0巻第1号,147~17 , 第6 『 2~6 8頁‐ 林建彦, 「韓国・マスコミ界動向田 総選挙 “大逆転“ 98 8年10月, 5 治」 ,1 , リヴァイアサン 3』 『 1頁. 金光旭, 「第1 3回韓国国会 9 3~9 5巻3号, 1 88年7月, 8 ショックと報道」 ,2 , 総合ジャーナリ ズム研究』 『法政論集』 (名古屋大学) 第1 5 1 5 ~ 5 6 7頁 9 8 9年1月 2 4号 1 議員選挙の分析」 , , . , , 4 ( ) これら四つの国政選挙についての選挙資料は新聞に掲載されたものを利用した‐ 江南区の選挙資料については, 88年の選挙人数は前年の大統領選挙の 198 1年の選挙人数は前年の改憲国民投票のそれを代用しており, また19 なく推定値ということになる それを代用している. そのため棄権・無効の数は正確なものでは ‐ 『 6 88年2月号, 1 4頁. この中に次のような ) 適甲漕, 「保守・楽観への背を向けた民心」 ( 5 , 19 , 月刊朝鮮』 (ソウル) 81年総選挙に棄権していた, すな 98 5年総選挙での新民党ブームは19 記述がある‐ 李甲允教授(西江大学)は, 1 0%増加 わち選挙から疎外されていた有権者が投票に新たに参加したためであるとして, 6大都市の投票率が約1 98 8年総選挙ではこのような10%の して新民党の支持率を13%程度上昇させたとしている.蓮はこれを受けて,1 8頁‐ 江南区では棄権だけではなく無所属候補への 有権者が棄権にまわるのではないかと予想している. 同上,18 投票という形で現れたが, この記述については筆者は同感である. 8年7月 31 日- 『朝鮮 日報』, 1988 年 12月 18 日. 『朝 鮮 日報』, 1989 ( 6 ) 世論調査は次から引用した‐『朝鮮日報』 ,198 『 3 99 0年3月 6 日‐ 『朝 89年9月 8 日.『朝鮮日報』 日 年 2月 10 日‐ 『朝鮮日報』 1 9 8 9年5月 ,1 ,19 , . 朝鮮日報』. 鮮日報』 99 0年9月 24 日‐ 『朝 鮮 日 報』, 1991 年 1月 12 日‐ 『朝 鮮 日報』, 1991 年 11月 1 日‐ 1992年 4月 は, ,1 「次期大統領出馬予定者支持率」 『月刊朝鮮』 19 5 5頁. 2年5月号, 2 , , 9 14代 ( ) 広域議会総選挙では相対得票率から絶対得票率を推定計算した.広域議会総選挙の相対得票率については,「 7 『 3頁. 2年3月号, 18 総選 [総選挙のこと] 鑑賞法」 , 月刊朝鮮』 , 199 1 9%, 平民党14 ( 8 ) 198 8年の総選挙における各党の得票率は, 民正党25 .7%, .4%, 新共和党1 . .5%, 統一民主党17 % 2 %である 棄権2 4 その他5‐ 5, . . 『 ) この間の政治事情については, 小此木政夫, 「権威主義体制以後の韓国政治」 { 9 ,行 , 韓国-変革期の政治と行政』 『アジア時報』 2年5月, 1~18頁. 小此木政夫,「再び混迷に向かうか 韓国の政局」 9 政管理研究センター,19 , , 989年11月,8 2~88頁. また韓国における改憲論議と政党政治史については, 倉田秀也,「韓国現代政治史にお 1 『 9~6 5頁‐ ける議院内閣制論議」 ,1 , 韓国-変革期の政治と行政』 8 )・ 518 7( 3 188 88年総選挙の結果) 0 ( 1 ) 永登浦乙区の補欠選挙の結果は次のとおりである(括弧内は19 - 民正党得票4 ) ・ 8 % ( 28 統一民主党2 9 4 5( 3 1 4 2 3 1 8 6 % ) 1 337 )‐30 28‐ , 89( 31 29‐ 2%) 50 相対得票率38 . ‐ .3% ( .7% ( , 平民党3 12.
(14) . 韓国における民主化と第14代総選挙に関する考察 6% ( 0%) 68( 0 )・7 37( 147 39 )・4 1 3‐ 5%) 7%) . ‐9% ( , 無所属88 - , 新共和党57 8年5月の世論調査では, 全斗燥一家調査問題や中間評価問題では高学歴者である程に断固とした態度を示し ( 1 1 )1 98 8 8年6月1日‐ 高学歴・ホワイトカラーは金泳三・統一民主党の支持基盤である- ている. 『東亜日報』 , 19 9 90年3月 2 { 1 の 広域議会選挙での民主党aの推定絶対得票率は8.4%, 新民党は1 ‐9%である‐ 民主党aの得票率は1 の支持率の半分以下である‐ ( 1 3 ) 『朝鮮日報』 9 90年1月 23 日‐ 1月 25日付けの『韓国日報』の世論調査では, 「よくやった」が45 .3%であり, ,1 「よく ない こ と が30 6% であ る 」 . ‐. 1 4 ( ) 5月の全党大会を前にしての民目党内の派閥争いと指導力喪失は国民の間に幻滅感を抱かせ, 急速に民自党に対 『 する支持率を低下させたとの指摘は, 「金大中[朝鮮日報主筆, 政治家の金大中ではない]コラム」 , , 朝鮮日報』 「 1990 年5 月 19 日‐ 金大中主筆は, 既存政党に対する幻滅に引き続いて多くの国民が政党政治に関する限り空中 「 に漂流している」 ,国民の間には1慮3金への嫌悪感が拡散しているとして,このような政治不信現象は国民が 新 しい政治世代」 [1盤3金に代わる新しい政治家集団のこと] を求めていることであり, 「新しい指導路線と政治 秩序を模索する我々社会の能動的で糧て極的な背伸びでありうる.」と論じている. 金大中主筆は政党政治における 国民の漂流現象を危機的なものとみながらも, 新しい変化への好機とも見ている‐ しかし金大中主筆の議論のよ うに, このような政治不信の危機状況の克服を, 政治制度の改革に求めるのではなく政治指導者の交代論や指導 者のモラルに求めることは危機を好機に結び付ける最良の方向とは思われないのだが. 筆者には1慮3金の交代 の後にはもっと大きな幻滅が控えているように思われるのだが‐ 4 1 ( 1 5 ) 大統領選挙候補者別の支持率調査では, 金泳三4 .5%であ .5%, 分からない19 ‐5%, 金大中2 ‐5%, 郡周永14 り表5の政党支持率と比べてみると, やはり政党支持率は大統領選挙のバイアスを少なからず受けているものと 見れる‐ それでもこの二つの調査には相違点もある. 民自党と金泳三について見ると, 大統領選挙候補者として の金泳三の支持率ではブルーカラー, 江原道, 慶尚南北道で民自党の支持率よりも顕著に増大している‐ 江原道 は別だが, 慶尚南北道だけでなく ブルーカラーも案外に 「地域感情」 によるものではないか. それからこの政党 支持率と『朝鮮日報』 の1 99 1年11月の世論調査における政党支持率と比較すると, 年齢と地域に限定されるが, 2 0代・30代の若年層とソウル・江原道・慶尚南北道での増大が顕著である. 先程も見た 「地域感情」 の引き締ま りに加えて, 浮動票あるいは支持政党なしに多い若年層 (これにソウルも含まれるか) が大統領選挙のバイアス 91年11月 では20代の1 7%だけが民自党支持だったのが, を受けて民自党支持に回っていることがわかる. 19 いる 3 1 8 % に ま で増 えて 199 2年4月では民主党の26 7 %を上回る . . . ( 櫛 江原道の人々にはいまでは与野党意識が無いという‐ これまでは与党圏とされてきたが,「してくれたものは一つ も無い」 与党に対して怒りを感じている‐ 江原道の人々はどうせ堀されるなら新しいもの [国民党] に鰯されて 『 99 2年3月 20日- 金大中主筆が言う みようという心理である. 「遊説現場コラム(金大中主筆)」 , 朝鮮日報』 ,1 91年1 1月 ように与野党意識が無いのならば, 江原道の人々は再び民自党を支持することもあるのではないか‐19 4%より少ない‐ の『朝鮮日報』の世論調査では, 民自党に対する江原道の支持率は何と4.7%であり, 民主党の1 ただ支持政党なしが68 ‐6%にもなる‐ 金大中主筆が言うように江原道では与野党意識は影を潜めて, 政党支持は )でも触れたように江原道での民自党支持 2年4月の世論調査では, ( 1 5 すっかり流動化している. ところが,19 9 6 率は41‐ 3%であり, 金泳三支持率は5 .7%にもなる‐ 政党支持が流動化してのだから, 国民党に向いたり民自党 に 向 い た り す る の であ る‐. ( 1 の 国民党が衰退する恐れがあるのは, その支持構成において浮動票層的な傾向の強い若年層・大学卒業以上・ホワ イトカラーが相対的に多いからである‐ また総選挙で国民党のマシーンの機能を担った現代グループが大統領選 挙で再びマシーンになれるのかという問題もある. 現代グループのある重役は, 企業経営に必要な資本の打撃を 与えることから現代グループが再び企業ぐるみ選挙をおこなうことは不可能であるとしている. だがその重役は 鄭周永の命令には彼の息子たちは反抗できないのではないかと心配している‐ 月刊朝鮮取材班,「現代グループ内 『 秘密選挙運動組織の指令塔 制度改善穣…員会の正体」 2年6月号, 1 48~14 9頁. , 月刊朝鮮』 , 199 1 8 9 ( ) 「3党統合宣言」 ( 19 0年1月 22 日), 『東亜 年 鑑 1990 年』 (ソ ウ ル), 1990 年, 653~654 頁- 『 ( 1 9 D 特に, 安富根,「広域選挙精密分析 地域主義‐野票分散構図が大勢決定」 99 1年8月号,2 20~23 3 , 月刊中央』 ,1 頁-. 回. ( 1 ) 見よ. 5 ( 92年7月脱稿) 19. 13.
(15)
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