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アメリカにおける能力主義的教育の背景

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(1)Title. アメリカにおける能力主義的教育の背景. Author(s). 大野, 雅敏. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 18(2): 108-120. Issue Date. 1968-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4570. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 8巻 第2号 第1. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 昭和43年3月. アメ リカ にお ける能力 主義的教育の背景 大 野 雅 敏- 北海道教育大学函館分校教育学教室 M[asatoshi ONO : The Background of Talent‐cente d Ed ion in the U. re S ucat .A。. 目. 次. まえがき. 1 教育組織の改造変化 亙 能力主義的傾向 皿 都市化傾向と教育 W. レヴィ ッ ト・タウン事件 あとがき. ま. え. が. き. 1958年に成立を みた国防教育法に象徴される アメリカの能力主義的教育傾向は 実は5 7年「0月の , ス プー トニク衝撃による国家政策段階での転向を意味するだけで はなく その背景 に地方住民の 経 , 済的事情 が, それを支える大きな割合を果 していたということを示 唆するの が小論の目的である . その目的に関連 して, 次の問題点 が意 識されていることを付言 しておきたい . すなわち, アメリカ教育研究一般における地方段 階での実情把握の 不足 が それである 広大な , . 領域にわたる合衆国を単位とする場 合 ともすると連邦段階での動向 が注目される が , , 歴史的に Laymen‐control の教育経営態を採り 教育区を単位と した地 方 教 育委員会制度の定 着 している , アメリカでは, 直接に住民と かかわりをもっ た具体的な 教育問題はま ず地方段 階に顕在する これ . はわ が国のよ うに, 教育政策が住民の直接的な 利害に関係なく も ぱら政府の行政措置を通じて , っ 上からおるされてくる が故に, 発生する 教育問題の性格 がどう してもイデオロギー論争の形をとり やすいのと は全く異なっ ている. した がっ て, 国家政策と しての教育 が連邦段階から地方段階に至 る屈折と, その反 対こ発生 した 教育要求の連邦段階への反映は も と注意 深く分析検討されなく , り ※ いわばこの後者の筋道を示 唆 しよ うという てはならない. 叙述の論理的な 順序とは反対に, 試み が小論に含まれている. 工 教育組織の改造変化 〔教育動向の概観〕 第二次世界大戦後以 降, アメリカ 教育に重要な影響を及ぼ した年代 別画期的 事項を, 能力・平等両主義の観点から整理 し その関係図を求めると 第「図を得ること ができる , . 教育人口の増加は著 しく, ことに中等教育人 ロの膨張は, 「94 5~46年当時, 数において最も多 か っ た 伝 統 的 4 年 制 ハ イ ス ク ー ル を ジ ュ ニ ア ・ シ ニ ア の 5 ・ 5 制 へ変 化 さ せ る と 同 時に 地 方 の 税 収 ,. 入によっ て異なる教育の 質の均等化と, より 合理的・能率的な教育行政を目ざ しての小規模学校の 統廃合, 教育 区の 統廃合を大いに促進する結果となっ た..

(3) . 大 第1図. 野. 戦後アメリカ教育事項関係図. 国家危機. 経済競争. 能力・平等両主義の意味に おいてしだいに中央の権限 が強化される. 各種社会問題 都市化傾向. 階層差.地域差 人 種 差 別. 表1 度. 敏. より合理的・能率的な 単線型学校体系と し 一一 育制度 (学校体系 教 ての大衆教育の理念 教育区の統合再編制) 力に応 じた機会均等). 初等中等教育 人口の増加. 年. 雅. 初等中等教育法 (平等主義). 能力者中心教育計画 夏線型学校への示唆 教員免許資格のアヅプ 数学.科学.外国語教授の強調 授業時間の延長、 特活計画. 568. ‐ 1949一一50. 576. 195つ--52. 592. 1953--54. 633. 1955--56. 692. 1957--58. 1 79. 1959-掴60. 853. 1961-‐62. 962. 「965--64. 1,120. の 改善. 職業教育問題 ドロップ・アウ トの原因探究と対策 スラム地域の教育計画 青少年非行・犯罪対策. 人種差別教育撤廃運動 特殊教育の計画. 9 ~ 12 学 年 在 学 生 徒 数. 1947-‐48. 法. ) 当該年令人口に対する 9~12 学年在学生徒数と比率1. ム 学 校 ハ 立 公. 1945--46. 教育方. 込 立 学 校 私. 計. 万 引. 14 ~ 1 7才. 在. 学. 生. 年 令 人 口. 徒. 比. 率. 68 9. 63. 6豹. 70 68 78. 645. 840. 660. 852. 7竹. 86 % 07. 15 如. . 777. 921. 887 960. 1,014 1,1「5. 「,077 1,260. 「,200 「,547. 1,487. 1969--70. . 1,545. 月 3 76 8 刀 5 80 2 納 4 87 5 % 「 89 7 % 5 96.2. (単位 万以下4捨5入). 〔学校体系の変化〕 ちな みに表1を示すと, 1945~46年度と「963~64年度の18年間に中等教育 9 5%に上昇 し 9%から%, ~「2学年に相当する 4~17才年令人ロは約50%の増, しか し在学比率 が68. たので, 在学生徒数は「00%と急増 した. この生徒数増加の結果と して当然絶えざる新校舎建築 が 生じ, 特に1955年以来この要求 が強ま った. そ して, その計画に相当の柔軟性 を与えられていた 地 方教育区の多く が, 「920年以来の6・3・3制も しく は 6・6 制への再編制への動向を大きく促進 し て き た の で あ る.. ①終戦当時, わ が国に は6・5・3制を勧 めな がらも合衆国ではま だ伝統的な 8・4 制 が過半数を ’み3 占 め て いた が, 初等・中等教育両段階における生徒数の増加膨脹現象は, そういう教育区に6 109 -.

(4) . アメリカにおける能力主義的教育の背景. 制に学校体系を 再編制 し, 中間のジュ ニアハイを新設すること が最も経済的で合理的な解決策であ ることを迫った. ②小規模人口地域 における教育区では, これまで 6・6 制を発展させてきた. そ の理由はジュ ニア・シニア両ハイスクール設立を満たす生徒数の不足, 校舎・設備を二分する財政 的困難 が主なものである. しか し, それらの教育区のなかで在学生徒数を特に増加させたものは, 5年制のシニアハイを新設することによっ て, その増加現象の最も合理的な解決策と した. ③ 4年. 制 の シ ニ ア ハ イ を そ のま ま 残 して, 2 年 制 の ジ ュ ニア ハ イ を 置く 6・2・4制採用の教育区も若干存 在 す る。 ④ さ ら に, ↑5・14学 年 を シ ニ ア ハ イ に 編 入 して 4年 制 の ジ ュ ニ ア ハイ を 設 け る 6・4・4 制. も 現 わ れ た. パ サ デ ナ 市 がこ の 型 採 用 の 先 駆者 で ある. しか し, 6・3・3 制 の 上 に ジ ュ ニ ア ・ カ レ ッ ジ2年を置く 603・3・2 制の方が一般的である。. 〔教育区再編制〕 とこ ろで, 地方の公立学校はすべて教育区の経営によるものであり, これがア icorporation) メリカ教育制度の特質であること は周知の事実である. 教育区とは準自治体 (quas. と して組織されている領域で当該領域内の公立学校の行政に関する責任は, その教育委員会の権限 の下に置か れている. すなわち, 学校体系・学校の規模と位置・提供される教育計画やサー ビスの 種類・地方教育費の決定な どを行うわけである。 そ して, 一般に資産を対象に教育税を賦課す る権 限を も っ て いる.. i 教育区の規模や性格は各州 ごと に相異 し, 教育区 ( l di ) と して 表 現 さ れて い る も の ct str schoo 2 ) しか し行政的立場か ら分類すれば, には, 厳密に言えば60の異り た名称と17の種類と が存在する.. 基礎的教育区と中間的教育区の二種類で, 州単位の結合関係は第2図に示された三通りとなる。 中. 中間的教育区組織. (…中間・基礎…)教育区結合組織. 郡教育区織組 州 教 育 局 or 州 教 委. 郡の教育区. 郡の 教育 区. (葬儀碧 ) 間的教育区とは二 以上の基礎的教育区を包含する領域で構成され, 州教育局と基礎的教育区のため に監督o指導・サー ビスの機能を果す が, 準自治体と しての権限は保有 しな い. もとアメリカにおける地方教育区の多く は, 委員「名の教育委員会または「学校行政官 が, 「学 i 校を 経営す ると いう非常に小 規模なものであり ( str ct) , しだ い に 財 政 上 の common schooldi 不均衡 が著 しくなっ て, 州全般にわたる公教育の近代的プログラム進展の能率を阻害する ようにな. 50年代から しだいに零細な教育区の統廃合 が行われ始め, 特に戦後になって っ て き た。 かく て, 9. 急速な勢で教育区再編制 が進められてきた. 表2 が戦後における教育区数減少の傾向を明白に示 し 6年度と1963~64年度を比較すると, 実に68,7%の減少率である. 5~4 ている.「94. もっ とも表の教育区数はその全体を示すもので, 経営 している学校の教育段階別に見ると, 初等 教育機関のみの教育区 が約60%, 中等教育機関のみが約2%, 初等・中等両教 育機関を経営 してい -11ロー.

(5) . 大. 野. 雅. 敏. る教育区が約26%となる. 残り約12%の教 育区は経営す. る学校をもたな いものである. 学校統廃合の結果, 現実 に運営する学校の存在 しな いこれらの教育区は, 「税金. 稔出のた めか郷愁病的学校パ トロ ンのた め の 最 後の拠 点」 の ど ち らか で, 「そ の 存 続 につ いて は … … 何 も 口 実. 4 )1953年以降少くとも竹 州がこの教 となるもの はな い.」. 育区閉鎖の法令を実行に移 して, その数は加速度 的に減 少 して いる.. 虹. 能 力 主 義 的傾向. ) 表 2 年度別教育区数3 年. 度. 合 が 進 み 中 央 の 統 制 力 が増 す に つ れ て, 確 か に 教 育 機 会. 育 区 数. 「945--46. 8 つ0も3 2. 1947--48. 94,962. 1949--50. 83,718. 「951--52 1953--54. 71,094 63,057. つ955一一56. 54,859. つ957--58. 47, 594 520 40,. 59- 19 0 -6 一. 〔地方教育財政の事情〕 小 規模 な 学 校 や 教 育 区 の 統 廃. 教. 6ト 6 19 「一 2 ー6 「963- -64 一. 35 ,676 3「, 705. の質的改善に驚くべき 効果をもたら した が, 他方, 地方 教育区住民と公立学校との密接な 結合関係を希薄 に した. その結果, 年々増加する地方教育税に反 対する勢力を生むにいたり た. すな わち, 戦後の出生率急上昇に伴う教室・設備・人員不足を充当. するた めの地方教育税の上昇を最低 におさえるために, 教育課程の多様化を止 め 周辺学 科を排除 , し, 教育課程を基本教 科に限定 して, 多額な設備費その他の支出費削減を主張する勢力 が力を得た の で あ る.. この傾向は新 しい都市化現象によっ て都市周辺に 新地域社会 が出現 し 家屋購入その他のた めに , 経済的余裕をもたな い新社会住民の事情によっ て促進された. かくて, 1950年代を通じて “基本教 科 への 復 帰” (Return to the Fundamenta1 と いうこと が, 税に関する保守主義者と勢力挽回 を 目 す る エ セ ンシ ャ リ ス ト の 共 通 の 叫 びと な っ た.. また教育費支出削減の要請は, 極端には産業界における能率基準を教 育界にあてはめようとする ほど, 能率効果を求 める要求となっ て現われた。 たとえばテ レビの使用は, 実は教員や 教室の不足 を解消 して, 教育費支出を減少すると いうの が初期の目的の少なからぬ部分を 占 めていた .. 〔国防教育法前後〕 「950年代を通じて, アメリカの教育はまた 世界の各方面で増大 しつつ あった 共産主義の影響を強く受けた. 連邦政府段階でのマッ カ ー シズム 旋風は州と地方段階におりてきて , 好も しか らざる資料点検と いう形を通 して教科書や学校図書館の検閲を始 めた. 多くの州では教員 、 l i 雇傭の条件に忠誠宣誓 ( l ty oath) を必要とする 法律を設けた. その影響は学 習内容にまで oya. 及び, たとえば1953年ロス・ア ンジェ ルス教育委員会は, 高校生に国際連合につ いて議論させるこ とを禁じて いる. これは論争の 的にな っ ている主題を, 成長過程にある高校生に与えること が不適. 当であるとの判断に基くと いう が, 実は自国に不利な 結論 が導か れることを警戒 した 措置と考えら れる. そ して実際に, 多くの教師 が議論の種となっ ている主題を避けたの が実情であっ た こう し . て, 進歩主義者の主張であっ た現代の 社会問題研究が無視された. しか し さす がにこういう馬 鹿 , げた超愛国的な極端な 措置は, 法廷闘争の結果, 後にな っ て しだいに粉砕されるにいたる ロス市 . 教委は「957年に国連に関する討議禁止を自ら撤回 した. だ がま だ そ の 余 韻 の お さ ま ら ぬ「957年10月, ソ 連 の ス プ ー ト ニ ク 打 上 げ に よ っ て ア メリ カ は 強 い. ショックを受けた. このソ連の 業績に対 して政府・科学・軍事関係機関は注意深く重大な論評を避 けた が, その代り国内の学 校教育に対 して各方面から批判攻撃 が殺到 した. その第一人者と目さ れ る の が, イ リ ノイ 大 学 の A. ベ ス ト ‐ 教 授 と H.G, リ ッ コ ー ヴ ァ ー 海 軍 中 将 の 二 人 で あ る . ベ ス ト 一は U,S,ニ ュ ー ス ・ア ン ド・ ワ ー ル ド・ リ ポ ー ト誌 と グ ー ド・ ハ ウ ス キ ー ピ ング 誌 に 拠 一・1 つ-.

(6) . アメリカにおける能力主義的教育の背景. っ て, 1956年か ら58年まで大いに生活適応教 育の批判を行っ た. 彼は言う, 「われわれは若人の多 大な時間を浪 費 した が, ロシア人は思慮深くそれを避けた. これが最初の 衛星にロシア製と いう表 ) 同 じく リ コ ー ヴ ー も 示 を 許 した 理 由 で あ る. 」5 ァ ッ , 「今 や 不 幸 に して わ れわ れは, そ の 目 標 を. 余りに低き においた教育哲学の苦い果実を収獲 している, 生活適応教育は子どもをある がままの生 ) と 著書 「教育と自由」 の中で進歩主義の軟教育を痛烈に 活に適応させよ うとする だけである」6 , 非難する. そ して, 両者共に綜合制高校のあり方に反対 し ヨ ーロ ッパ 的知性訓練の教育を主 張す , る, ことにリ ッコ ーヴ ァーは6学年か7学年で始まる複線的アカデミ ック教育を力説 し 次のよう , に 述 べ て いる. 「わ れわ れは 哲 学 的 基 盤 で 複 線 型 中 等 教 育 ( separate secondary educat ion) 対. 綜合制教育の問題を論ずることはできな い. しか し 初等教育段階以上の 複線型学校体系 ( ‐ separ , ate s l choo ) と いう 効果的な教育と, 綜合制学校という非能率的・ 時間浪費的な純 粋の ”民主白け’ s 教育とのいず れを国家が本当に必要と しているか との立場では論ずること ができ る 私の意見で , . は, もう議論の 余地なく, われわれは能率効果を選択 しな ければな らな い 」7 ) , この 際特に注意 したいのは, その方が安上がりだという彼の指摘である 「能力者だけを学 習さ . せるという種類の教 育は, 微温的な生活適応教育と同等の いや普通それ以下の 費用ですむ , . その 上, す ぐれた子どもの 両親もその他の者と 全く同じに教育税を支払 ている それ故に 教育委 っ 員 。 , 会 が別の中等教育を設定 し得ぬことは, どんな理由をもっ て しても正当化され得な い 」8 ) . 〔人材開 発〕 195 8年9月 に公布された国防教育法は, 近代戦争の性格である 科学技術の 遅れが ス プ ー ト ニ ク に よ っ て 明 白 に さ れ ア メリ カ に 大 き な 心理 的 ショ ッ ク を 与 え た こ と が 直 接 の 契 , 機 では. ある. しか し, 教員養成・奨学金貸与・能力者発見方法の研 究という中広い人材開発 措置と 連 , 邦 資金による 教育全般に関する施設設備改善援助を含む法令内 容は 国防という法令の名称 が示す以 , 上に広範である. この法令下に利益供与をうける 際に忠誠宣誓 が必要であるという以外 それは 急 , 速に展開する技術革新の時代の 挑戦によっ て, アメリカ教育自体 が計画的な 人材開発体制に切替わ る一過程であると見ること ができる. 事実それを 裏書きするよう に 1963年「0月 には3回 目の法令 , 有効期限の延長 が可決され, 従来数学・理 科・外国語などに限定されていた 補助対象の学 習領域 が 国語・歴史・地理・公民・読書 矯正などにまで拡大され, アメリカの学校教育の全般 的改善という 色彩を濃く してきた.. 科学技術時代の 産業構造の変化は 必須であり, 教育と職業間の相関関係 が明白 であると すれば , 需要に応ずる人材開発の要求が当然教育に期待されること になる. (第3図参照) ところが 「953 , 第3図 職. 業. 集. 団. 職業と教育年数 ( 1959 ) ), 職業集団需要変化率9. 平均教 育年数. 「9 60一70 の. 16.2. 4「%. イ2・4. 24. イ2,5. 27. 竹,O. 2 4. 9,9. 倍. 9,7. 25. 8,6. O. 8.6. ← 一 目2-. 需 要 変 化 率. r ′. 幅→ ー?7%. →. 」 」 ′.

(7) . 大. 野. 雅. 敏. i l i I Manpower Counc ) は大規模な調査を行った結果, 潜在的な ona 年に全国人材開発会 議 (Nat 高等教育有資格 のアメリカ青年男女の40% が大学に入学 しな いか, 入学 しても卒業まで学業を継続 ” ) 0 よ ) しな いと 報 じ て いる1 . ま た, そ れ より 2 年 前 の D. ウ ル フ ル の 記 述 に れ ば , ハイ ス ク ー ル 卒. 業生の3分の1 が大学に進学する が, 残り 5分の2の中に大学進学者よりも知能指数の高い適格者 が多数いる. しかも, 能力者の脱落現象も中等教育段階から学位取得まで続き, 人口の「2,5% を占 めると推定される学位取得素 質者 (AGCT「23以上) のうち, 現実にはわずか1,5% がそれを得. て いる に 過 ぎ な い.. ス で普通以上に数多く 進級を行うように計画された学業優秀者のた かくて, 僧68年セ ント・ルイ. な特別措置以来の めの 最初の大規模 , 能力者のた めの特別な取扱いが再び強調されるようになった 「920~4 0年代には, 学習能力 が不均衡でも生活年令集団のなかにあっ てこそ, 現実の社会を反映 し て子どものた めの最も健全な学校環境 が創られるという意見と感情 が有力であり, そういう措置要 求は余りなか っ た が, 戦後, ことに50年代に再び要求 が高まり だ したわけである.. 厳密には学校の規模や能力の定義によっ て異なる が, 能力者に対する特別 措置には, ①行政的に 最も簡単な早期入学.特別な進級制度 (二重・特別・試験的進級な ど), ②修業年限の短縮を目的. とする特別課程 (学 科目の短期間取得・早期卒業 のた めのサマ ←スクール・高校でのカ レッ ジ課程 相当の単位授与な ど), ③能力別編制 (特殊能力別課程・特定科 目のみの特別クラス編制な ど) が ある.. 1 2 次 の る点 D, A. ウ オ ー セ ス タ ー に 従 っ て, こ れ ら の 措 置 の 理論 的 根 拠 を 簡 潔 に 要 約 す る と ) ,. にま とめること ができよう. すなわち, ①能力者 の不当な取扱いはかえっ て平等原理に反するもの であり, この扱いは人間 が相互に異なるという人生の事実を子どもに認 めさせ る価値をもつ。 ②生 活年令集団に 縛りつ けられている能力者は, 問題的な行動や性格を惹起 しやす い し, また怠惰な学. 00万とすると, その10% が修業年限 習習慣 を身につ ける危険 がある. ③アメリカの児童生徒数を34 が, 少く 見積っ て 3%と しても, な根拠に基いて推計できる を1年間短縮できる能力をもっと相当 100万人の1年つまり100万人年を節約できる。 また, それによっ て生ずる学校予 算の節約は計り 知 れな いも の が ある.. m. 都 市 化 傾 向 と 教 育. 〔都市化現象〕 1%0年に既に合衆国人口の 2分の1以上 が都市地域に生活 しており, イ980年まで. に 全 人 口 の70~75% が 都 市 人 口 に な る と 推計 さ れて いる.別 の 仕 方 で人 口 調 査 局 (Census Bureau). の定義に従 い, 住民2500人以上の場所に居住する者を都市人口とす れば, 表 3のようにこの割合は も っ と 多 い も の とな る。. ①自動車交通の急激な発達, ②復員 者のた めの貸付金, ③主要な交通幹線沿いに新産業が設置さ れて労働者を誘致 したことな どにより, 第二次世界大戦後間もなく都 市周辺郊外地域へ緑を求めて の集団脱出 が開始され, 1950~60年の10年間に周辺 地域は都市中心部の4.5倍の人口を得た. これ 4 ) は 6人に「 人 が郊 外に居住 している割合に相当する.1 3 ) 表 3 合衆国の都市人口1 他方, 都市の中心部にはスラム地帯 がますます厚くなり, 口 人 環境は 悪化 し, 中階層の郊外脱出の原因 が増えてきた. 率 年 都市人口 露. する比. 1940 1950 「960. 74,424万 96,468万. 125,269万. 56.5%. 64 ,0% 6 9 .9%. ミ シ ガ ン大 学 の デ ト ロイ ト 地 域 研 究 に よ れ ば, デ トロイ. ト都市地域に住む家族当りの平均所得は, 中心部のビジ ネス地区か らの距離に相関する. すなわち, 中心地区か 1~5 9年の間に中 ら離れるほ ど平均所得 が高くなる.195 13- 一1.

(8) . アメリカにおける能力主義的教育の背景. だが 生活費 が「2%も上昇 したので実収入は 心地区6マイル以内に住む家族の平均所得は3%の増 f , して ら都市境界線ま でに居住する家族の平均 半径6マイル以上か これに反 したことになる 減少 . ,. 実収入は同 じ8年間に5%の増, 郊外地域における家族の場合は37%の平均実収入のア ッ プとな っ 5 ) て い る1 .. このように大都市では一般に, ①中心部の貧民街には低階層の者 が集中 し, ②スラム地帯か ら脱 出 した労働者階層は, その社会的経済的地位に応 じて中心部より離れた地区に移動 し, ③中心部の. 中階層地区に居住す る者は中階層郊外へ,上階層は上階層郊外へと増大する人□ が分割されてきた, 以上は主に社会的経済的 基盤での都市構造の 変化である が, 重要なことはこれに人種的要因 が加. わっていることである. かくて, 都市化現象はく多の社会問題を生み, それが大きく教育へのはね 返り とな っ て 作 用 して き た,. 〔階層・人種と教育〕 デトロイ トの学校を家族の平均所得によっ て分類 したP。 セクストンの研 6 ) たとえ所属する教育区が異なっ ていても, 同 じ所得集団に属す る学校 が中心のビジネス 地 究 は1 , 区から同じ距離に位置することを明らかに した. 確かに, 都市中心部に位置する学校ほど低階層出. 身の生徒で構成され, 母親が就労 して扶養手当を受 けるケース が多く, 学業成績悪く脱落率も最高 である. それに反 し, 高所得階層出身生徒で構成されている学校ほど中心地区から離れて郊外にあ り, シ ニ ア ハ イ の 場 合 に は, 初 等 学 校 や ジ ュ ニ ア ハ イ で 能 力 者 と して の プ ロ グ ラ ム に 参 加 経 験 を も. つ生徒を多く有す る, 7 ) 逆に子どもの通う学校の性格 が都市中心部・都市周辺部の か く て R. J. ハヴイガース トは1 ,. 居住を決定する最も有力な要因であると して, 学校の性格を計る次の二つの指標を提示する. その 一 は在学生徒の社会階層構成に関するもので, 中階層出身生徒数の低階層出身生徒数に対する割合. 2(上階層十中の上階層) +中の下階層〕 ÷ (下の上階層十2×下の下階層) .上階 で示される, 〔 層と中の 上 階層出身生徒数に2倍のウェイ トをかけた理由は, 彼ら が中の下 階層出身生徒に比べて, 学業成績も大学進学志望者も大体2倍になるからである, その反対に下の下階層出身生徒数を2 倍. に したのは, 彼ら がそれらの特徴を約半分 しか示さな いからである, この計算で初等学校の場合は 0 ,6 , 中等学校の場合は 「.0 (脱落者を除外するので中等学校の方が高率となる) が, 白人中階層 両親にとっ て, 子どもをその学校に通学させることのできる限界指数である. その二は人種に関す .学校内のホワイ トとニグロその他の割合を示す指数である. 白人中階層の両親は1 5以 るもので, , 上, も しく は白人生徒の割合60%以上の学校を選択する, 両親の教育に対する経験や態度, 学校の 伝統.カリキュラムのタイ プ・教員の質な どにも依存する が, 階層構成率と人種率 が限界点に近づ きそれ以下に下ると, 北部諸都市における白人中階層両親の郊外移動 が開始される。 また, この二. つの指標は学校の選択に当っ ても当然考慮される要因となる. 「955年に階層構成率「,0が60年に0 ,06に落 ちた 北 部工業都市に存在する1学校 (市の中心か ら 8 ) ま た ニ ト ヨ ー ク 市 に お け る1953-58年 の 5 年 間 に 毎 年 「 万 5 千 人 の 7 マイ ル の 位 置) の 事 例1 , ュ. 55校) で生徒の90%以上 がニグ 白人初等・中等学校生徒の郊外転出と, 市の公立学校3分の2 (4 1 9 ) ロ, プエル・トリコ人を主体に構成されているという事例は , アメリカ教育の内部的崩壊を意味 するものである. すなわち, ①南部諸州における人種別学校を違憲と決定 した最高裁の判決にもか. かわらず, 北部諸都市でニグロ・ゲッ ト← が出現 し, 学校 がこれを反映 し, 事実上, 人種別学校と なっていること。(人種差別撤廃の問題は重要なので, 多少文脈をはずれる が, あえて次節にまた ) ②在学生徒 が単一の 社会階層で構成される傾向 は, あらゆる種類の人間 が同じ学校・ 取上げる. 教会・政 府機関に参加するというアメリカ民主主義原理に反すること, ③スラム地区付近の学校で は, 最少グルー プの両親に学校を許容させ るため, 初等学校の場合には一般に学習能力と社会階層 - 竹4-.

(9) . 大. 野. 雅. 敏. に基く同質集団的クラス 編制を採り, 同様に綜合制ハイ スクールの場合にも肯定的, 積極的な意味 での綜合制ではなく, 強いアカデミ ックな 動機をもつ少数グル ー プを保障するという意味合いのも. の で しか な いこ と, の 事 実 が関 連 してく る か ら で ある.. さて, 以上の プロセス が都 市中心部で進行するうちに, 周辺部は中の上・中の下・下の上階層地 区に分割される. すなわち, 住宅購入の経済的資力に応じて, バ ンガロータイ プの数百という 同一 規格の建売住宅や, もっ と価格の高い敷地の広いラ ンチタイ プの住宅が選択されるわけで, 自然, 地区 別の階層分化 が行われる. このうち家屋を購入 したた めに それ以上の経 済的余裕を失っ た新 , 0 ) 防火施設・上下水道の設 郊外地区に問題 がある. 郊 外スラムの 袷頭 が指摘されてて いるよう に2 , 備なく警察当局も非協力的で法律施行の手ぬるい地域 が発生 している. (消防・衛生・警察・それ に教育などの行政区画 が必 ず しも一致 していな いことにもよる.) そこまでの悪条件でなくとも ,. 学校に金をか ける余 裕のな い住民多数を抱えると, どういう事態 が発 生するか 次章の レヴッ ト・ . タウ ン事件 が, 人種問題を 除 外す れば, 1950~60年代初期にか けてのアメリ カ教育の地方的実情を 実によく象徴する. 〔人種差別撤廃運動〕 長い間問題の種 であっ た人種差別教育は, 1954年に新 しい時期を迎えた. すなわち, “分離する が平等” な 教育は合法であるとの解釈で 南部13州と北部諸都市で行われた , 差別教育は, 54年5月 7 日合衆国最高裁の違憲判決で非合法とされたの である その結果 州議会 . , と地方教育委員会は差別撤廃の方向へ歩み出 した が, それは遅々と したもの であっ た ことに州規 . 定をもっ て差別教育を実施 していた 南部諸州は, 特別法や憲法改正を行い差別撤廃を妨害する手段. を講じてきた. たとえば5 9年ヴ ァー ジニア州 は, 私立学校の授業料補助金を準備 し 私立学校への , 寄付金を資産 税から控除 し, 私立学校生徒の交通費を州費でまかな い, 公立学校には一カ月 ごとに 公費を支出するという, 実質的に義務公教育を停止 し得る権限を地方教育行政当局に与えた そ し . て実際に, 州内にその権限を行使する地方当局 があり 公立学校 が閉 鎖された が 64年5月 合衆国最 , 2 1 ) 高裁は公立学校の再開を命じている. 前節で述べたとこ ろである が, ニュ ーヨ ークやシカ ゴを始 めとする北部大都市での事 実上の人種 差別も, 最近大きな関心 が払われるようにな っ た. 故意に通学区域を変更 して差別を 促進するよう な 措 置 がな き に しも あ ら ず で あ っ た が, そ れ と は 逆 に ロ ス ・ ア ンジ ェ ルス ニ ー ヨ ーク フ ュ , , ィ ,. ラデルフ ィア, その他の都市で, 非白人生徒を白人生徒多数を 占める学校に転学することを 認める オ. プ ン・ イ ン ロ ー ル メ ント 政 策 が採 ら れ る よ う に な っ て き た.. 1%4年7月 2 日公民権法 が成立 し , 人種差別 が存する場合には連邦政府からの補助金を停止する こと が決定されて, ここに差別撤廃 は一歩 前進 した. しか し, こう いう立 法措置によっ て一応外形 的な黒 人解放は整 えられた が, 本当の解決は今後の問題というべきである. すなわち 公民権 法に , 象徴される政府の白黒 統合政策に対 し, 自らの力で政治的な発言力と そこから生ずる経済的な力 , を獲得するという強硬路線 が黒人運動の中に発生 し, 66年に “ブラック. パワー” の戦斗的要求と. な っ て現われた. つまり, 本当の人種平等とは天下り 的公民権の中で黒人 が白人社会に加入させて もらうことではな い. 黒人 が対等の立場で白人と交渉 して権 利を勝ちとった時に生れるもので そ , の後で学校における人種差別撤廃の問題は自ら解決さ れる, というもの である. こう して アメリ , ・その後白人の巻返 し現象を見ており ベ トナム問題と共に根本的な 解 各都市に黒人暴動 が続発 し, , カ決を今後に残 している. W 〔社 会 と 学 校 の 状況〕. 2 ) レ ヴイ ッ ト・ タ ウ ン 事 件2. レヴィ ッ ト ・タ ウ ンは も と ニ ュ ー ヨ ー ク 州 ロ ング ・ アイ ラ ン ドの ナ ッ ソ ォ -1 15-.

(10) . アメリカ における能力主義的教育の背景. 郡の一部で, 「947年まではポテト畑に囲まれた少数の農家 が点在するだけの地域 であ っ た. その後 W. J. レヴィ ッ トが大量の低 価格住宅をこの地に建設 し 19 50家族, 65000の 住民に , 60年には「7 膨れ上っ た.1955年の調査では, 移住者の80% がそ れ以前に貸家か アパ ート住いを し ており, 66% がニ ュ ー ヨ ーク 市 か ら転 出 して き た 者 で あ た な お レヴィ ト・タ ウ ンと して ま と ま っ た 行 政 っ . ッ ,. 機関 は教育区 (委員 会) だけで 他の行政は人口70万のハムプステ ド・タウ ンの一 , ッ 部と して行わ れ る.. ‐. イ947年度に は教員2名 (うち1名 が校長を兼任) 3教室 在学生 38 徒 名の初等学校 が「 校存在 , , するだけであっ た が, 5 9年度 に は教員数678名, 学校数伍 ( ノ ・イスクールを含む) 5 , 在学生徒「857 名を数える に至る. かくて, 普通教育区-初等- ( i common school di str )と して 組 織 さ れて い ct た しヴ ッ ト・ タ ウ ンの 教 育 区 は 48年 5月 に 人 ロ 増 加 を 見 込 した 住 民 の 意 志 で, ハ イ ス ク ー ル を 含 ,. むユニオ ン・フリ ー第5教育区に再編制された 頭初教育委員は5 名, 2年後に7名とな り, 任期 . 3年, 約5分の1 が毎年非政党選挙で選出される そ して その 選挙の 際に次年度の学校予 算承認 . , 住民 投票も行わ れることにな っ た. 〔ニっの教育観〕 194 8年教育区再編制以後 毎年教育税 が上 昇 して住民の強い関心を 引く. その , 状況は表4を参照すれば明白である. もともと この地域 に移住 してきた者は 復員者貸付 , 金か連 , 表4 州. 負. 担. %. $ ↑947‐48. 940. 「949‐50. 107,261. 2,4 16,6. 5,84「,295. 58.0. 1959‐60. レヴイ ット・タウン教育費負担額と割合2 3 ) 地方(レヴィットタゥン)負担 } q り メ. $ 22,566 453,840. 56,3. 5,947,313. 39,2. 705. そ. の. $ ’4,202 56,344 167,072. 他. % 35,5 8,7 1,7. 合. 計 $. 40,050 645,22「 10,072,699. (その他=連邦援助費, 成人教育授業料など). 邦住宅管理局貸付金 で初めて 家を所有 した中所得階層であるか ら 固定資産税という形での教育 税 ,. の 上 昇 を 予 期 しな か っ た し, 望 み も しな か た しか る に 税 率 は48年 0 732 50 っ . , , , 年「,80,60年2「,. 03と上 昇強化され, 加えて大部分の住民 がニ ューヨーク市に通勤するので 定期乗車 券購入な どが , 家 計 を 圧 迫 して い っ た, ちな みに レヴ ィ ト・ タ ウ ンは ニ ー ヨ ー ク 都 市 地 域 に お ける , ッ 教員 8名 ュ. 以上のどんな教育区よりも財政能力 が劣っ ており 教育計画の 遂行には州の 援助に大きく.依存 しな , ければならなかっ た. ①住民の教育に対する異なっ た期待, ②経済的事情 ③住民の4 「%を占めるカトリ ック教徒 (プ , ロテスタ ント37%, ユダヤ教徒22%) の教区学校へ子どもを通学させたと いう願い そういう要因 , , が混在 してタウ ン住民の教育観は次の二つに大きく分 れた その一方 は伝統主義派とも称すべきも 。 ので, 学級規模を拡大 して新校舎建築を避け 教員補充に反対する 心理学者やガイダ ン , ス職員 と . いう特別職の減少を主張 し , 水増 し教科に反対 して基本教 科を強調, 特別教育活動とか自動車運転 訓練やバ ンド訓練廃止を叫ぶ. 要するに節約的な教育予算を主張 し ハイスクール課程を基本 的に , 大学準備と見なす立場である. 他方は進歩主義派で すべての子どもの能力と必要に応ずるカリキ , ュ ラ ム を 主 張 し, ・規模クラス編制と特別教職員増員に賛成する. した がって 前者の極端に節約 , な 教育予算と対立する。 以上二つの教育観 は, 毎年行われる教育委員選挙と教育予算承 認投票を通じて 地方教育諸団体 , によって表明され鋭く対立 し合っ ていた. すなわち 前者の伝 統主義の立場を採るのは「957年に結 , 一 .仏 -.

(11) . 大. 表5 年. 月. 事. 雅 .敏. 野. レヴイ ット・タウン教育委員選挙と教育財政関係住民技票 項. 内. 容. 備. 考. 600 万 ドルに及ぶ費 用は緊急建築法によ り州負担, ただし住 民%の賛成要す. 結. 教委では賛成6(EA) IBC) 反対1( , 住民 投票では否決. 1985, 「2. 学校建築計画住民投 票. ①小学校2新築②小 学校をジュニアハイ に改築⑨小学校5に 5 9教室新設. 1959, 「. IBCが代案を教委 に提出. 平均クラス定員28 ,3 を32 .3に増加 して③ を避ける. 1959, 2. 学校建築計画第2回 投票. 最初のプランに同 じ. 州税増額の形で間接 的に住民の負担を増 す…反対派の 理由. 否決. 1959, 5. 59年度数育予算承認. 進歩派(BA)多数構 成教委による 1,「oo 万 ドルのプラ ン. 伝統派グループは提 案されたプランを非 難, 50万 ドル削減の 代案を提示. 否決. 時. 学校建築計画第3回 投票 教育委員選挙. 最初のプランに同 じ. 同. 投票. 1ハイスクール新設. IEC 3議席を9候補( を基盤に3名,BAを バックに3名, 残り 名は独立候補)で争う. 案承認投票. 59年度教育予算第2. 回承認投票. 5 00 0ド 前プランを2 , ル削減. 1959. 7. 59年度教育予算修正 案承認投票のための. 40万 ドル予 減の t0. 1959. 8. 同. 時. 同. 時. 否決 教育費と学級規模の 問題が争点. 会. 60年度教育予算承認. 投票. さ ら に575,000ドル 削. 算案. IBC グ ル ー プのイ ニ. シアによる. 9,000 名の署名を確. 保. 圧倒的多数で可決. ;の1名 多数派(BA) が移転のために6月 に辞任. IBC の副会長と BA の初代会長が立候補, 互に争う. IBCの勝利 IBC) 委員会構成;( 3(EA). 3回にわたる公聴会 での納税者の意見は 無視された. o万ドルの予算 Mo. 案, 立案に教育長も 除外された, 教委4 IBC)対1(BA, 他 ( は欠席) で採択. 熱自爆 雫 鼎 顕. 書補充の400 ドル以 外拒否さる. 1960, 12. 教育委員選挙 6 1年度教育予算公聴 会. 約100名出席, 27名 が意見を述べたが,. BA,BBL後援4候補 が当選 (うち1名は. 具体的数字示されず. 1961, 4. 「年度教育予算採択 6 教育委員会特別会合. 70万 ド 4対2で「,2 ルのプランを採択. 徹夜を含む4回の会 合の末に決定. 1961. 5. 61年度教育予算承認. 同. 否決. 否決. 案投票. 60年度教育予算公聴. IEC後援候補3名が 当選委員会構成=4 IBC)とな (BA)5( る. 教委候補者全員賛成. 59年度教育予算修正. 教育委員補充選挙. 「960, 4. 教委うけつけず. に も か か わ らず. 「959, 6. 請願. 果. 「年任期). 見積り資産「00 ドル に対し,以前には531 ドルの税率が6 .72ド ルになる. 投票. 時 - 竹7-. 6 7 賛成6 ,58 ,反対1,54. で承認. 進歩派の勝利 委員会構成=5(BA,. BEL) , 2 (IBC). 「旧対4,42 4 否決, 5,.

(12) . アメリカにおける能力主義的教育の背景 IECの2名 がEA BEL , の2名 を 敗 る,委員 会 C I 構成= E が多数 派 となる. 教育委員選挙 6,年度教育予算修正 案投票. 0万 ド 6対1で約10 ル削減のプランを教 委が採択. 教員はそのままだが, 心理学者2名,ガイ ダ ソス・カウンセラー3. 名,養 護 教 師1名カ ッ ト. 1万の有権者中5,0 00 以下の投票,2 ,870対 「, 92 1で承認可決. 成された教育協議会 (IBC), 後者の進歩主義派は50年結成の教育協会 (BA) と, 60年に組織 された教育連盟 (BBL) がそれである.. 〔事件の内容〕 「954年に端を発 し, 55年地方新聞を舞台に学校 で使用する レコー ド曲 が共産主義 の宣伝であるという議論 (作曲者の思想 が問題にされた) と, 56年学校長の子どもの道徳教育に関. する教会の役割を内容とする手紙 が, 教会と国家の憲法規定による分離を侵害するものであるとい .論議の賛成・反対でタウ ン住民を二分 した後, 前述 した二つの教育観の対立抗争 が激化する. 教 う 育委員選挙と教育財政関係住民投票を中心とする事件の概要は, 表5に明白である. 両派互にその. 主張をリ ←フ レッ トの形で配布 したり して, 遂に感情的対立にまで発展する。 教育委員会は構成す るメムバーの保守・革新の交替 が激 しく政策 が定ま らず, 教育財政関係の住民投票は節約的予算案. を望んで何度も否決 し続ける. その間に, 子どもに進歩的な教育を受 けさせたい し , さりとて金は. かけたくない住民の微妙な 動きも表から読みとれる。 しか し, これが事件の全貌ではない. i i i l stant pr ) 2名の人選指名を保守派多数で構成する教 nc ①1960年2月, 教 育 長 の 教 頭 (ass pa. 委が拒否, 両者 の反目深まる. レヴィ ッ ト・タウ ン学校行政官協会 と教職員協会 が教育長支持を表 明. ②60年3月, 遂にタウ ン教職員協会は, 紛争にいや気 がさ して他教育区に求職を希望する現職 教員のた めに特別 委員会を設置, 4月中に二回にわたりニュ ーヨーク ・タイムスに求職広告を掲載. した, 5月末まで任期のある保守派多数の教委が, 教育長を通じて求広職告掲載責任者氏名を教職 員協会に要求, 協会側はこれを拒否. ために, 教委は直接にタウ ン教職員との会合を多数決で計画 9年6月, 住民4 2名 がタウ ンの教育事情調 する が, 協会は ボイコッ トの方針を地方新聞に発表. ⑨5 4 0 0 0 が した さらに8月 送付 名以上 依頼状に署名 査依頼状を州教育局に . その結果, 州教育長 が 。 ,. タウ ンの教委に調査のイニシアをとることを勧告する が, 9月 に教委は州教育長への調査協力回答 0年5月, 教育長 が教委の少数グループと共に個人的に報告書を州 を4対2で握りつぶす。 その後6 教育 長に提出, 教 委はその写 しを要求, 教育長は州教育長に提訴, 教育長の辞任, 後に進歩派多教 が教 委を構成 した時に再任.. 「子どもた ちと社会に奉仕 しようとするわれわれの努力は, 不安・分裂・方向性の欠如により て 阻害されている. レヴィ ッ ト・タウ ンは学校と教職員につ いて相対立する 両派に分裂 してきた. こ れ が原 因 で, ニ ュ ー ヨ ー ク 州 内 の 大 教 育 区 の 一つ で あ る こ の 社会 の 統 一 を 破 壊 して き た. 」 こ れは. 6 0年3月, タウ ン教職員協会 がニューヨ ーク州教 職員協会に宛て, NEA民主教育擁護委員会に調 査を依頼 して書 いた手紙の一文である. 同 じ機関への調査依頼は教育長も書 いた し , 60年3月教委 バ 4 さらにPTAや学校行 も 5月 政官も同機関への公平な調査 には 名の教委新メム ー , の3名も, を求める依頼状を送っ た. この ような動きの中で, ニュ ーヨ←ク州教職員協会からNEA機関への 公式依頼状 が60年4月 に出され, 特別調査団 が結成される運びとなる. かくて, 62年「月 に事件調査の概要 がNEAによっ て報告された. その報告書には ”急速度に発 展 した地域社会における指導上の諸問題” というタイ トルがつけられている が, 観点を変えれば, 地方住民の経済的事情 がいかに直接 的に教育に影響するかの好事例であり, そ して国家的規模での 能力主義的教育 傾向の背後に, この レヴィ ッ ト・タウ ン事件に象徴される地方住民の経済 ,事情 が, -118-.

(13) . 大. 野. 雅. 敏. 事実問題と して 現存 したという 明らか な 証明でもある. あ. と. が. き. ①小論の最初 で図示 したアメリカ教育のもう一つの支柱である平等主義的傾向につ いては, 人種 差別撤廃運動をわ ずかに触れただけで, ここの目的ではな いので除 外 してある. ②悪条件の重なっ た地域 レヴィ ッ ト・タウ ンの事例だけで全体を推測することはできぬ が, 教育 人口の増加に伴う教育税のア ッ プは全国共通の事実であり, 少くともこの事例 が氷山の一角的現象 である可能性は失わな い. ③. 今日, 先進国後進国の別なく 世界中を通じて, 教育 が国家政策の中心に座を占 める に至っ た 事実は周知の通り であり, そこから今 や教育計画の重要性が認識されている. ちなみに, 1964年に. 出版された M, プラグの 「教育の経済学」 中に用いられた20世 紀 に 入っ てからの英文の文献数は. 420 で その経済学の線に沿っ た教育計画に関する文献のうち9 1%に当る58 「 が, っ955年以降のも , 4 ) の で ある と B. M. ジ ー ン が 指 摘 して いる2 . しか し, 教 育 計 画 な い し教 育 政 策 の 上 か らの 屈 折 と. 下か らの反映のメカニズムを, 社会別に類型把握せぬ限り, 教育計画は机上プラ ンに終らざるを得 な い. 多少の相異を無視 して 言えば, この点でC. A. ア ンダ ーソ ンは教育計画 に対 して相当懐疑 5 ) 的な 観方をする2 . しか し個人研究には自ら限度 がある. 比較教育学における個人研 究の役割は, む しろその原型把握にあり は しな いか. 今日, アジア・アフリ カの新興諸国の教育 が注目されてい るのは, 単に低開発国への 援助という観点だけではなく, たとえ他に転用でき ぬと しても, 先進社 会に比較 して極 めてシ ンプルな形で上か らの屈折と下か らの反映のプロセスが現出されているから に外ならない. とま れ, この点に関するこれ以上の論述 は稿を改めるべきであろう. ※ 本稿は東京教育大学世界教育史研究会中等教育部会への提出二論文 “現代中等教育の問題 ( , ’ 点 と “中等教育史- アメリカ・現代-“ の後者全6章のうちの主と して5・4章に相当する. こ れは 既に 二年以上前に書かれたものであり, 今その全面的改訂の余裕をもたぬままに, 自ら異にす る目 的に従っ て論述の仕方が逆になっ ている. ) 註 f i i 1) of ce of Bducat i on e7 eI Tann ‐ C 1964 , D‘ge稀 oプ Ed“c鯛彰乃餌 &闘お去 .14, and Danni , Tadl ,p er Z lan co o sfor yo仏ぬ, The Macmil , &go . .75. , New York ,1965, Tadle 3-1 ,P 2) N.E.A. 勘 餌 s ‐ ≠ sぬ 0 物 U i d S Z 諺 t 瞬 防止 れ t t D郷 止 〆 郷幻ル e 朋り e o aes oo e n r む 7gα z y , ,1954, (Baseb on ) mytranslated one.. f i 3) of i ce of Ebucat on .44, ,op.c誌. ,p. 4 書か ) NE.A. ,op.C “ ‐ 即ews & 解のZ ” a A t h B 5 t h U. S ) r ur estor t went wrong wi l s d RePort .Schoo . , Wh , 蔑nuary24, , US 1958 .69 , 俊「, フop.c彦,p ,p , asin D, Tanner. P.Dut t 6 on & Co eeαom,B, ) Hyman G, Rickover , 忍ば凋 筋お〃 α乃d 霧・ , , ,lnc , New York .180. ,1959 ,p G R i k 4 E H d C i 諺 4 R Z E P P & c e r 嬢 l N ハ 勤 Z t t o v 7 rcα“ ) yman . 払cα 鋼- o 鷲o閲 秘だ, .. u on . . , 筋e , nc , ew York , Z 1959 むり p .180. as in D・ Tanner .123, フop・C ,p. 8 ) ′る畝.. i f i 9) of ce of Bbucat on e 〆ocα多め九諺 忍ばはcα諺oれ 4c 乙 oヂ 1963 , 篇乙 . 10, anb oECD, 丑Zg庇r , 1965 ,P. 忍ば“c瞬ぎ んe Demα乃d for s i i o箆 伽ば 多 s e e九ば元c Mのりフower 虎 的e び郷肥d s郷む s c . &3 ,Par ,「963 . ,P i ion f わ溺. 10) Asjn of ce of Ebucat ,云. “ i ” el f le l ectuaI Resources 4mer i 11 te ) DaeI Wol e旧びi ] mder C‐ cα刀 , lnt , sc , CLXXV, NO.3 ,1951, , Sep f z l t t Kerder wi ed dy Augus red PP S e砂, edi S“e s 痴 α Cんα乃gz 九g Soc .42‐46 , asin gd秘c瞬ぎo乃 ZZ. -119-.

(14) . る能力主義的教育の背景 アメリカにおけ・ ‐ Smi h t i t ty Press a質ユ e sta e Univers , Wr ,1962 , pp l&う一94.. ’ ’ ” i l ty i bren of Adove 1 一Average Menta 「2 s e s ) D. A, worcester ng Ch z ‘ s pi , Cr“CねZ′ , Approachesto 日e1 i t t & 頓′ Z乃 忍ば“cα多め乃 t t ns l on nehar eb dy Henry Bh ers anb Gorbon C,Lee ,lnc, , New ,ebi , Hol , Ri. York . 豹「‐豹2, ,1960 , pp 13) Bureau of Census S scher aod Donald R. Tho ] m‐ ご s Fi oれ ヂ Pop琵Zα乙 s秘so . . Ce“ ,ひ ,1960, asin Loui C i f B C t l 1 9 6 5 t h o i zoた as l o乃so/ 忍ば”CQ坊o乃諺 Dec s s . , . , , elmon, a , ,lnc , pp ,SocねZ 召o卿α煽ご , Wadwor 84‐85, 84‐85,. E,A. l l z 14 er ) Richard l. Mi e砂, N. .79, ,「964 ,p , 互d”c僻め九 痴 α Cんα尾g印g Soc ’ 互duc嚇す ” B d i he i em/ oル α乃d 15 tan Devel ucat。naI Syst ) RodertJ ropol opment anbt , Met . Havighurst. i 1 IBooks les B,Merr soc i ご t 1 eb dy w・ Wr rren Ka1 a endach anb Haro1d M. Hodges e歩% eb , フ ’ Char ,jr. lnc, i o ,245, , Columdus , oh ,「963 ,p ′ P i i t s b i t t Zdem,P っ6 a rca exons su y as nごろ ) ,247, R 「7 ) odertJ, Havighurst .249, .C誌, , 勿p ,p. 18 ) ′わZα,p,250,. l l メ er 「9 オリ p ) Richarb l . Mi ,82, ,op c R i d H h tj t ガ 20 s o e r a v u r ) g . ,248. ,op cム,p 21) Danni どん p一5 7, eI Tanner ,op.C. 日.A. 22 ) Baseb on N. o通‘4 &“dγ ofLeααersん中 Pro鰯emsZれα 尺αPZdぢ DeりeZOPeα 0箆 ,Leり訪ね2 ,八お鯵 Y Com粥秘腐り,January ,1962. 23 ) ′鋭d.. ’ soc ごoZogy of i c Thoughゼ ent Revolut on i n Economi l 刀 L 2 4 ) Bowman, Mary jean,“The Human lnvest S i , “ふう gd仏cα房o乃 .「11一「12, .2 ,39 , Vol , PP , No , prng ’ ’ ” i i i I Pol he Cont i t I Socia C A A ぬ d E d i P cy d t I 1 ona ext of Na l c e r s o u a o a a n n n nt n n 25 ) , rno gi , Pん , Z De お α R=pFαれ .180一184 ・47 ,「965 , Vo. , pp , No, 4 , Decemder. - 一120-.

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参照

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