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ことばと詩人 : リルケの詩にそくして

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Academic year: 2021

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(1)Title. ことばと詩人 : リルケの詩にそくして. Author(s). 阿部, 秀男. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編, 38(1): 1-16. Issue Date. 1987-10. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4176. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . ことばと詩人 -リルケの詩にそく して-. 阿. 部. 秀. 男 h intera l l en sprachen das Unsag l i t ches eht .. すべてのことばの背後には ことばに言し粍得ぬものがひそんでいる -W,フレヴィッチヘの献呈詩より-. -. リルケは壮麗なスイスアル プスの山々 が荒々 しく迫るローヌ 河の上流はラロンというところの. 小さな教会の墓地に埋葬されている. 巨大な岩魂の上に立ったその教会からは詩人がこよなく ,愛し 一望 のもとにのぞまれる, その教会の壁面には次の た天地の創造を想わせるようなローヌの渓谷が ように刻まれた墓碑銘がはめこまれている. i i derspruch Rose t , ,Lus ,oh re ner VV i I Ni e emandes SChl afzu se n untersovi. Lidern. バ ラよ, おお純粋な矛盾, いかなる人の眠りでもないという喜 びよ かくもお びただしい陰につつ まれて この詩は死期の近いことを悟った詩人が遺言で自らの墓碑銘として刻んでく れることをあらかじめ 依頼しておいたものであった1 . それゆえにこの詩は特別の意味を持っ ていると思われる. E. H. ホルトーゼンに依れ ば謎めいて難解なこの短い詩には詩人の全哲学が凝縮されているという2 .そこ は今も尚訪れる人の多いところである が実際のところ瀬情な解読を許さない詩を前にあらかたの人 は戸まどいや がて諦めて立ち去るものらしい3 . 正確な解釈はさておくとしてこの詩がどうやら 「ことば」 あるいは 「語ること」 をめく っ て い る i de らしいといった推察は成り立つようである. たとえばL r r(険) という響きにはただちに Li ede 「 4 (歌) というまっ たく同音のことばが呼応する. 歌, あるいは音楽は ことばが尽きるところでは 6つまり最も根源的なこと ばの謂にほか じめ て 姶 る こ と ば Sprache wo Sprachene 2 ) nden」 ( , 111 「 ならない. 純粋な矛盾」 という措辞も難解ではあるがやはり 「語ること」 に深く結 びついていると いう こ と は 字 義 の 示 す と こ ろ で あ る, す な わ ち Widerspruch(矛 盾) は Sprachen(→Spruch) (語. de ) である. る) ことの自家撞着 (wi r f Schl i i とは正にその自家撞着にほかならい n は単なる連辞ではなく最勝 a zus en . というのもSe 「 fzu l l f(眠り) が Tod(死) の暗輪であることを想えばSh 義に於ける 存在」 だからである. Sch a a 「 バ げられるのに最もふさわしい原初の歌人オル ことである i s e n とは正に 死して在る」 . ラこそ捧 I.

(3) . 阿 部. 秀 男. フェウスヘの次のような呼 びかけは詩人 一般 への要請なのである6 , Se iimmertotin Euryd ike-. ) (2 , 759. つねにオイ リ ュ ディ ケのうちに死して在れ-下線は筆者以下同 しかし 「死して在る」 ことが単なる矛盾 ではないことはこの場合の死 (Tod ) が虚無 に帰する死 l ) と鋭く区別されていることから判る. (Ni tmeh r eben ch VVar dasso l i intes t e chternd wi edu me er ,oder war l i in? (1 das Ni ) tvom Tot chtmehr eben doch noch we se . 659. それは そなたの考えていたようにそなたの重荷を軽くするものだったのか, いやもはや生きてはい な い と い う こ と は 死 し て 在 る こ と か ら は 程 遠 か っ た の で は な か っ た の か.. 「純粋な矛盾」とは矛盾のより高次な次元への止場にほかならない そしてここで特に注意しておか . なくてはならないことは詩人にとっ て 「死して在れ」 といっ た要請は祈りや魔術によっ てではなく ほかでもないことばによ ってすなわち一義性と明折性とを旨とすることばの矛盾律を超えて「語る」 ことによっ てのみ応えられうるということである. そしてバラ. もの言わぬ花は詩人にとって常に 特別な意味をもつ. だがバラはその中でも特権的なものである. D’autresf leurs orl lentl atabl e. 7 (2 580) igures ransf que tu t .. 他の花ならテーブルを飾るのみ バラよお前はそれを変容させてしまう テー ブルを変容させるということはテー ブルもろともに 「散文的空間」 を激しくゆさぶっ ていわ ば 裏返してしまうとい● うことである8 ., ta lente essence impose. a cet eSPaCe en Prose tous ces transports a i ? i i r ens. バラよ, お前の援慢な精のゆえに. 散文的空間の 空気は激しく踊り出す ノぐラ と は ’ 1 i rremplacabl e , l l l t s o uple vocab e parfai e e , encadr邑 Parl etexte deschoses (2 . 576) 2.

(4) ことばと詩人. 他のことばとは取り換えのきかない 完壁な, しなやかな 事物のテキストに組み込まれたことば であり, 他のことばの太刀打ち しがたいことばなのである, on arrange et en compose l es motsdetantdefacons , mai scomment arriverait-on ) 2 aagal erunerose? ( . 55.. 人はことばを 様々 な仕方で並べたり組み合せたりする だが どう して一輪のバラと争えるようになれようか, バラはいわば根源的なことばとも言えようが, 正にそのゆえにそれは又語ることへの断念を迫る根 源的な沈黙でもある, fabl Ne parlons pas detoi e , Tuesinef ) ture (2 selon ta na , 580. バラよ, お前について語るのはよそう, お前は もともと語りえぬものなのだ. それゆえバラの花とは根源的に語ることすなわち根源的に黙ることの陰険なのである, なる程謎め いたこの墓碑銘はこと ばをそれとして主題化している訳ではないが 「ことば」 が解読の鍵となるこ と は ま ち が い が な い.. 2. ことばを意識せずにはもはや詩 が書けなくなっ たという情況こそボードレール以降現代詩の宿 命である. 現代詩に於いては文体から切り離して内容は考えられず, 詩とは語ることを語る 「純粋 詩」 あるいは 「絶対詩」 たらざるを得ないものとなっ て来ている9 . それはディ ルタイの指摘した通 o り現代の哲学をも規定 する宿命でもある. リルケも又正しくその意味での現代詩人の一人でありl , 1 1 J, シュタイ ナーはリルケはこと ごとくことばをめぐっ て詩作していると極論さえしている . 事実 『初期詩集』 はあからさまにことばを主題とする詩に充ちている そしてロマ ン主義風の甘美さが . 漂っているとは言えた とえば次のような詩句にはすでに詩人の基本的言語観が表われている. 1 Di te tag darben eim AI earmen vvor , ,di ・ i b V V l i bi h i t d e unsc e n aren are , , e chso Aus me inen Festen schenkeni chihnen Farben , i 148) lns dalache roh eund werden langsam f . (1 .. .日常の中でやせ細っ て貧弱になっている言葉 ひっ そりと目だたぬことばをぼくは愛する, 3.

(5) . 阿 部 秀 男. それらのために言祝いで色彩りを与えると その日だたぬことばはほとんど次第に喜びをあらわすようになる. 又『形象詩集』の序詩はこの詩集全体が「沈黙の中で尚実ることばe i da t n wor snochim Schweigen , 『 i f ( 1 3 1 ) 時詩集 ・ r et 」 . 7 の成果であることを自負している. 』 は修道僧の神への祈りというスタイ ルをとっ ているがその祈り手は修道僧の衣をまとっ た詩人にほかならない, 工chbe du Er lauchter te wi eder , , du h6rst mi ind ch wi ederdurch den 帆7 , l me ine Ti wei efenni egebrauchter igs ind te macht rauschender Wor . (1 , 306). 私は再び祈りをささ げます, 神よ, 御身は風を通して再び私の祈りを聞かれるでしょう なぜなら私の深みが今だ使われたことのない ざわめくことばをわがものとしたからです. 詩人の代表作とみなされる 『ドゥイノの悲歌』 の第九悲歌は天使に向っ ての詩人の 「言挙」 である, Pre i 1di 1 i i t se dem Enge e vve chtdi eunsag1 che ,n ,. ……略…… Sagihm d ie Dinge . (1 , 719). 天使に向っ て世界をたたえよ, だがことばにいいえぬ 世界をではない 天使に向っ ては事物を語れ. 『悲歌』 と並 び称され 次第に名声を得て来ている 『オルフェ ウスに捧げるソネ ッ ト はこの献歌の 』 , 受け取り手である原初の歌人にふさわしく全編 「語ること」 の思念に貫ぬかれている, 晩年の作品 からは透し模様のように 「ことば」●という隠れた主題が浮び上っ てくることは 「墓碑銘」 で見た通 りである.. 3. 描くということはどういうことかを意識しな いでは絵を描けなくなった現代の画家同様に現代 の詩人も又呪われている. こう した過剰な意識化が一つの病でなくて何であろうか. ヴァ レリーは 3 ことばを前にする時, 丁度手術を前にした外 科医のように入念に「手を消毒する」のを常とした1 . とばの巡礼者たらんとしたリルケもまずことばに蹟くとから出発 しなくてはならなかっ た ごく 初 . 期の句は次のようなことばへの不信感によっ て特徴づけられているものが多い . DieVVort ind nur di es e ハαauern . Dahinterinil lauern l [ lnner b Bergen s tikr sinn ) chimmer . (1 , 193. 4.

(6) ことばと詩人. ことばは障壁の山にすぎない. その奥に分け入るにつれ いよいよ青みがかっ てゆく鉱脈の中にこと ばの本来の意味がほのかに光っている, もの (意味) と爺離してしまっ たことばへの不信感は時には次のように隠惨なイメー ジともなる. i te hing vonihren Knochen wi ed e Kut ing den den Si so h nn herab vonjedem Wort (1 . 325). 僧衣が骸骨からたれ下るように あらゆることばから意味がぶら下っていた, 詩人とベルクソンとの直接的な交渉を裏付ける確証はないもののそういう可能性を想像させるに足 4程に「実在」に届かないこと ばへの不信感は共通していて興味深い 知性による分析が実在の周 る1 . 辺をまわるだけで実在そのものには倒達出来ないというこの哲学者による批判を詩人は次のように 説明している,「その時はじめて ぼくは思いあたったのだ, 人は一人の女というものについて実は何 一つ語りえないのだということを, すなわち ぼくが気づいたのは人々 が一人の女を語る時, いかに 女をそのまま素通りして, 見当違いを犯していたかということである. 彼女の環境や場所や境遇の ことは語っ ても肝心なところにくるといわば用心深く黙り込んでしまい後にはあいまいでなぞりが ) マルテの 6 たい輪郭だけが残り女の方はと言え ばその中に姿をくらましたままであっ た」 , 786 ,( 実存的不安といわれるものも 「もはや語ることが不可能になった」 あのチャ ンドス卿の不安にまっ i す ぐに 通 じて い る の で あ る.「こ と ば に 言 え な い unsagl ch」「名 づ けよ う の な い namenlos」 「黙り こ 「 ん だ stumm」「知 り え な い unbekannt ei se- 」と い っ た 形 容 詞 や 祈 り と も 歌 と も つ か な い つ ぶ や き l. Reden 」 あるいはいっ せいに湖面から飛び立つ鳥の群の羽音にも擬せられる 「ざわめき Rauschen」 といったことばはリルケ作品の最も基本的なヴォ キャ ブラリーを成し, そうした類語の語源は大文 i 字で綴られる 「沈黙Schwe sen」 へと遡及されうる, 初期には詩人のロマ ンチシズムの甘美さ をま 「 だ漂わせていた 青い鉱脈」 は晩年にはあらゆる言葉を拒絶する峻厳な 「心の頂き」 となる, 次に 引用する詩は詩人が踏み込んでゆこうとした語ることをほとんど断念しなければならない, いわば 詩人にとっ ての風景の形象化である, AUSGESETZT aufden Bergen des Herzens.Siehe e , wl kl in dor t e , i iehe:d t tderVvor t schaf etzte or s e1 , ,undhbher inl in auch, noch e e etztes aber wi e kl ’? Gehbf tvon Gefuhl .Erkennstdus ingrund Ausgese tztaufden Bergen des Herzens , Ste unter Handen erbluht wohl , Hi. f;auss tummer Absturz elnlges au ingend hervor, bluhte in unwissendes Krauts Aberder Wi ssende? Ach ,der zu wissen begann igt nun, ausgesetztaufden Bergen des Herzens, undsuchwe i l ins Da geht wohl en BewuBt se ,he ,.

(7) . 阿 部 秀 男 h i i manches u ]mher s cherte Bergt er , manc es ge. ,. t und we i l l t wechsel , Und dergroBe geborgene Voge krei lreine Verweigerung. -Aber st u 1m de r Gipfe h i ungeborgen ra , e ufden Bergen des Herzens… … (2 . 94任). 心の山々にさらさ れて. みよ, なんと小さくあそこには みよ, ことばの最後の集落が, そしてその上に, だがやはりなんと小さく, かろう じ, 感情 の最後の農園が, お前には見えるか, 心の山々にさらされて, そこの岩場, そこではたぶん 二三の花が咲く, 無言の絶壁からは 原初の花が歌いながら咲きいでる, だが知る者は, ああ, 知りはじめ 今黙する者よ, 心の山々 にさらされて, そこには多分煩を知らない多くのものが, 多くのた しかな山の獣が俳回し, 出没する そし , て大きな被護された鳥がその頂きの純粋拒絶の回りを飛んでいる, --だが, 被護されることなく, ここ心の山々 にさらされて. 星の光が凍てついて しまいそうな永遠の白雪におおわれた 「名 づけようのない頂」 ( 1 43 ) であ .3 るこの原風景は又人が付けた名称などことごとくふる い落して高なる喚笑にざわめく原初の海でも あり ( 1 ) 専制としてのことばの鑑を破っ た手負い の野獣のように狂暴なディ オニュソス的太 . 123 古の神々 でもある. ( 1 34 ) あるいは突如として燃え上る 「輪のバラ でもあり ( 1 ) 又ことば .2 . 345 で理解しようとして近づく人間の眠をあざむくように自らの謎 へと逃れてゆくモナ・リザのような 女でもありうる. ( 5 ) いづれにせよことばに言えぬ意味が重くなればなる程その対重としての . 11 沈黙も又重さを増す.. 4, ところで詩人をひそかに誘惑したものはいわ ばことば以前のカオスではなかったのだろうか . ニーチェ 同様詩人がナチストを心酔させ暴力と破壊へとそそのかした, 少なくともそういう 口実を 与えたのはその反歴史性反文 明性を特徴とする撹乱の詩的気分だっ たのではな, いのか, これはリル 5である 詩人 ケ讃美に終始して来た伝統的研究に異議申立てをしたE. シュワルツな どの問題提起1 , が自己の使命をことばという仮面をはぎとっ て世界の素顔をあばくこと, と定式化する次 のような , 詩句はそういう問題意識を惹起させうる. derden si nn , den wi f h d G i h t i D i td r r as esc er nge ne men, wi e eine nαaskeabreiBtund unsrasend i Ges chteraufdeckt ,deren Augenl強ngt l los durch verstel te Loche unsl ) aut ranschaun: (1 , 661. 彼は 我々が事物 の素顔だと思い込んでいる 意味を. ,. 仮面のよう にはぎとっ て, 6. ..

(8) . ことばと詩人. 偽りの眼嵩から長いことじっ と我々 を見つめている 素顔を荒々 しくあばくのだ. しかしこの詩で見逃すことのできないことは素顔 が我々 を見つめるにはたとえ偽りのものであると しても 「仮面の眼嵩」 が必要だということである. 仮面の奥でなる程謎めいて語り がたいものだと しても 「語られんがために」 詩人たちをじっ と見つめているのが素顔というものである. その要請 に応えるところにこそ詩人は自己の存在理由を見い出すのである. i l i Sind wi Chth rvi er el e . 718) ,um zusagen: (1. 我々 が地上に存在するのはおそらく語るためである, ここにこと ば=仮面の両義性がある, 仮面であるか ぎりでのことばはものの素顔を隠幣する専制で ありつつ, しかもその素顔が素顔として現われるためには少くともはぎとられるべきことばがなく てはならない. 海の素顔すなわち原初の海, 無名の海というものがあるとしたらそれは人間が与え て来たこと ばをふるい落すかぎりではじめて現われうるもので, ふるい落とす べ きこと ばす らな かった太古では海は単なる力オス, 海ですらなかったはずである. 次の詩句に表われているように 詩人自ら時として原風景を混沌 と取り違え, ことばすらなき未分化への退行にあこ がれる危険がな かったわけではないだけにこのことは特に確認しておかなくてはならない点である. Hi l l tan ta s es Abs eri imat unddort wars Atem. Nachder ersten He i i i i i d d i h d i i t t t t zwe e r n n z e u w m e w s g g , i inen Kreatur, igke o sel tder kl e i i S h i b l i b d i t rug; (1 eaust m c ooBe e mmer e , 715) ,ders. ここでは全てが距りだ あそこでは呼吸であったものが. 最初の故郷を後にしてからは 第二の故郷は故郷という にはなじみがたいもの おお. 小さ き ものたち. 時満つるまで母胎にま どろむものたちの至福さよ 同時の詩人ゲオルゲそ してやがてハイ デガーが深く洞察したようにこと ばがはじめてものを存在に もたらすのである. 世界を定立させ, そのかぎりで人間を人間たらしめるものとしての ことばは両面価値的なもので ある, それは混然として未分化であった世界と人間とを引き裂いて反 立させる. しかしそのこと ば は同時に未分化なままでは決して立ち現われて来ようのない世界の素顔 をはじめてかい間見させる ものでもある, 即ちこと ばで語ることによっ てはじめて世界は世界として立ちあらわれそして世界 をかつては思いもしなかっ たようにあらたに見直す契機が生れてくるのである, aberzu sagen, verstehs, berd i i . e Dingen emal s oh zu sagen sqwiese in ) intenzuse lnmg me , (1 . 718.

(9) . 阿 部 秀 男. だが理解せよ, 語るということ, おおそれは事物自身でも一度もつきつめて 思っ たりしたことのないよう に語るということなのだということを , 従っ て大地が人間のことばをゆすぶり落すことによっ て大地そのものに帰るにしてもそ れは無雑作 な回帰, 単なる退行的回帰とはまったく次元のちがうそ れはいわば創造的回帰なのである そうし . てみると詩論的にはリルケとはまっ たく反極に立つように思えるマラルメ, すなわちものの素顔な どというものは一切 認めず, ただことばだけを′ 持もうとした典型的な象徴詩人とリルケとの距離は 見かけ程かけはなれたものではなく, それどころかほとんど同一の地点に立っ ているということも 判っ てくる, なぜならマラルメ のねらったものも, ことばによ ってはじめて可能になる事物 の浮場 , 6 つまり事物をかつて だれも見たことのないようなものとして創造することにあったからである1 .. 5. 詩業のめざすものは夢想的な神秘家のようにことばを放棄すること でもことば以前のカオスに 立ち 帰ることでもない. 沈黙を出目とする鳥の舞う 「無名の頂」 がことばを単に拒絶するものでは ないことはそれが 「純粋な拒絶」 と呼ばれていることからも明らかである というのも 「純粋な拒 , 絶」 とは単なる拒絶とは違い拒むことによ って指し招くというより深い招き方に他ならないからで ある. それはことばに絶するものが詩人に対して自己を拓いて ゆく拓き方なのである 海や大地が . 人間の名称をゆすぶり落すことも又モナ・リザが一層謎めく微笑の中へと逃れて ゆくこともその限 りでは皆同断である. その招来に応える のはことばを措いて他にはありえないが そのことばがも , のの周辺を空転するだけでものの本質に迫りえないようなことばすなわ ち 一義性・ も旨とする日常的 言語でないことは 「無名の頂」 の 「無言の絶壁」 から咲きいでる 「原初の花」 の情況語の示唆する ところである. すなわち 無言の絶壁からは 原初の花が歌 いながら咲きいでる.. それはバラの花 に象徴される 「歌のことば」 に他ならない, ヴァ レリーが 「歩行」 としてのことば すなわち単なるものの符号として, 伝達手段としてすみやかに無 になることを願うだけの散文的日 常的なことばに対し, 単なる伝達手段であることを拒否し自己完結たら んとする 「舞踊」 としての 7 しかしサルトル流に言え ば本来のことばの機能を放棄するがゆえに 敗北(によ 誇り高きことば1 , , 8 すなわち詩的言語といわれるものである る勝利) しか約束されないことば1 , , しかしヴァ レリーの言うとおり舞 踊といえども歩行と同じ足を用いること に変りがない様に日常 的言語と詩的言語とは用い方が違う だけで別々 の言語というわけではない. 同じことばでありなが ら悲嘆ともなれば歓喜としても響くのである. 焦燥にかられて自殺したカ ルクロイ トという詩人の 死を次のように悼んでいる. Achhat i testduihnni e von d r geh6rt . De in Enge llautetjetztnoch undbetont dense lben v▽ort .autanders, und t i i ] 【 . r br cht.

(10) . ことばと詩人 derJube iseiner Artzu sagen, laus be derJube luberd 2 ) i 1 ch ( , 66. ああそなたは自分の口か ら聞かなかったらよかっ たのに, そなたの天使は同じ文章 を今も尚読みつづけそなたとは違ったところを強調 している, その 天使の語り口を聞くと歓喜の声が, そなたへの歓喜の声 が 私 の 口 を つ いて 出 て く る の だ.. 同じことばをいかに語るのかが問題である. impl on te metdans un s evase-, voIC1 que tout change: C’ ‐etrel a meme phrase, est peut. mai schantee par un ange , (2 . 580). バラよ人がお前をありきたりの花瓶に生ける- するとほらすべてが変っ てしまう. おそらく同 じフレーズなのに 天使が歌ったからなのだ. 「日常の中でやせ細っ て貧弱になっている言葉」を言祝いで生気をとりもどしてやること, 手垢に汚 れた貨幣を暗い鉱脈にも どしてやるように, 意味 を失ったことばを 「意味がほのかに光っ ている」 ことばの森へと帰してやる こと, ことばを人間の手から天使の手へとゆだねてやること, すなわち ことばを日常的発語の次元 から詩的発語の次元へと高めることが問題なのである. 詩人にとっ ての 詩的営為 はこの 一点をめ ざすものであった. 日常的時間から天使的時間へと踏み込んで行ったリ ュ ) 波とたたかう船乗りたちの物理的な力を超物理的な力へと裏 6 クサン ブールの盲目の老人 ( , 900 ) といっ た 『マルテ』 に登場する人たちの多くはそうい 035 6 返したナイ ルの船上の不気味な男 ( ,1 う詩的営為にとっての高い範例であった,. 6, そう した範例は何らかの意味で天使といわれるものの前ぶれであるが, 詩人が詩的発語の成 立 に際してこと ごとく人間を凌駕する天使を登場させているのはそれが奇蹟にも等しい至難事である ことを訴えようとしているからである. 詩人はおびただしい詩を書いているがそこには日常 的発語 の次元を越えないものも少なくない, というよりは真に詩的発語の次元にまですなわち 天使に対抗 6 しうるところまで達しているような作品は稀有であることは詩人自らが認めるところである. ( . 2 3 ) 前に掲げた詩でみたように 7 人はことばを 様々 な仕方で並べたり組み合せたりする だがどうして 一輪のバラと争えるようになれようか と否定的に疑いを促した後に詩人は次のように続けている. 9.

(11) . 阿 部 秀 男 ’ S ion suPPortel 邑t range ion decejeu pr邑tent , ’ f s un ange c est que ,par oi ,. l ) e derangeun peu . (2. 551. もしそんな勝負に万一勝てるなどというう ぬぼれを寛怒することがあるとしたら それは時に は天使 も わずかに勝負を狂わ すことがあるからなのだ バラの花すなわち 「言語に絶するもの」 をめざす詩的発語 はことばの配列や選択といった技術など の問題ではなく語ることの根源に関わる,その意味で詩人 の存在そのものに関わる問題なのである , 人間を亡ぼすまでに激しい天使が登場するゆえんである 従っ て詩的発語の成立を示唆する詩の多 , くはごくさり げない日常の出来事にしばしば詩人 は詩的発語が起るとき の 一種の奇蹟を読み取って いる. ボー ルはしばしばことばの暗輪となる, Du Runder ,der das warme aus z「wei Handen im F1 i egen ebt e ,oben ,fortgi ,sorglos wi sein Ei genes, … …. ……略…… i noch Unentschlossener:der ,weun er ste gt ,. te erihn mi thinaufgehoben al shat , den VVurfent fuhrtundf i laBt--unds i igt re ch ne , inh浅l tund den sp ie l und e enden Von oben inmaleine neue Stel l igt aufe eze , i i T igur z u r s eordnend wi e ne e anzf inscht von a l l um dann,erwartet und erwt en , l k rasch,einfach tur , unstos , ganz Na. , dem Becher hoher 日i l indezuzufal 1 en ( . 639任). お前丸きものよ, 上 昇しながら お前を投げ上 げた 者の2本の手の温もりを, 上方で 自分の持ちものでも手放すように 無とん着にふ りすててしまう者よ, ……略…… 落下と上昇と の間でまだ決断しかねながら, 上昇するとき あたかも投鄭の力を奪っ てゆき, やがてそれを手離してしまう--そして傾きか け 停滞するや突如として上方から 戯れている子供たちに 新らたな位置を指 し示し, 舞踏のような形 へとととのえる. それからすべて の子供たちの期待と願いを一身 に集めながら 10.

(12) . ことばと詩人. 杯のように高くかざした両手めざして すみやかに, 無雑作に, そしてさりげなく, 重力そのものとなっ て落ちてくる, 次の詩でもボールはことばと解釈されうる, i i 帆『 t ng r werfen d eses Di ,das uns gehbr , in das Gesetz aus unserm d i chten Leben , i ch stbrt, wolmmer wi eder Wr urfund sturzs i inem St Daschwebtes hinundz i ehtinre r ch d i i tgegeben-「 rihm mi e Sehnsuchtaus e wi ,d i i i s eht unszuruckgebl eben ch , wendets l int immt und me ,unszu heben (2 , 173) ,im Fal ,derzun. 我々 は我々のものであるこの事物を,. 常に上昇と落下が妨げ合う 我々の身動き危できない生の桂椿から法則へと放郷する. するとそれは舞い上がり純粋な飛期の孤を描きつつ 我々 が与えた憧傷を張り渡しつつ 取り残された我々 を見て, 向きを変え 落下に勢いをつけながら我々 を引き上 げようとする, これらの詩で投げ上げあげられたボールが落下に転じてゆく変転は日常的言語から詩的言語への変 貌でもある. この2つの詩で詩人はボールが帰属する2つの圏域を峻別している. すなわちやがて 「無とん着 に振り捨てなくてはならない」 「手の温もり」すなわちただの玩具としてボールをもてあそぶ手に握 られ, 「上昇と落下が妨げ合う」 「身動きできない生の桂浩一の日常圏と子供たちの手から離脱した, 「純粋な飛期」 のより自由な 「法則」 圏 上 昇と下降との矛盾から免れた 「純粋な飛靭」 は墓碑銘 . のバラの 「純粋な矛盾」 の動力学的別称であるがこの2つの圏域が接するところでボールがすでに 物理的世界から詩的世界へと移りゆくことを詩自身が示している. すなわち「上昇する steigt」と い う こ と ば は, 一 行 はさ ん で, 「傾く s i i t chne g 」 と応韻し合い, 詩の中で上昇と下降とは互いに一つ の息を共にいきづきはじめる, さてこの詩で特に注目しておきたい点は上昇するボールが生きもののように自由になってゆく様 である. 他の詩では同じボールが勝利の女神ニーケー像にたとえられているが, 司令官といえ ども もはや軍艦の舵先につなぎとめておくことのできないニーケ「 はいかにも女神にふさわ しい軽やか 1 さで突如としてエーゲ海の明るい海風の中へ舞い上がっ てゆく ( . 111 .)そのようにボールが投げ 手から自由になっ てゆくということの詩論的意味はことばが使い手から自由になっ てゆくことと解 されうる. つまりことばの主導権が使い手の人間からことばそのものへと移ってゆくということで ある. ボールが 「投郷の力を奪う」 とはこの主導権の纂奪のことである, そのことはボールが子供 たちに 「新たな位置を指し示し」 て 「舞踏のような形にととのえる」 という位階の逆転によっ て示 9 さ れ て い る. い わ ゆ る 「語 り 入 れ Einsagen」 か ら 「語 り 出 で Aussagen」 へ の 転 換 で あ る1 , 11.

(13) . 阿 部. 秀 男. 詩的営為の成否はひっき ょうするにこの反転 にかかっ ているとみてよい こうした事柄の ドラマ . 性のゆえに詩人はこの反転を好んで劇的な 一 瞬のうちにとらえようと した. P 1 l i f e i o t z chや au n ‐ 1といっ た状況語は事態の急変性を告げる最も特徴的詩語である その一瞬が待ち切れずに挫折 ma , して しまったある天折の詩人への鎮魂歌はその一瞬を, 聖者クリス トフ オロスに担われた幼いキリ ストが渡河の途中で突如として全世界の 重みに変っ たと伝えられる故事になぞっている . vvas hastdu n i i tet Chtgewar e schwere ,daB d i i rt ragl ch wi rd:daschlagts ganz une eum i ls i t tdu stso schwer undi e so echti s . Siehs , we , dies warv l i ie l in nachster Augenbl i e chtde ck. i l l i i iner Tt err i cktes ch vi e ei chtvor de r d den Kranzim Haar zurecht i t ezuwarf s , (1 , a dus , 660). そなたはなぜ待たなかったのだ, その重さが どう しても耐えがたくなる のを, それまで待ったらその重さは急変してひどく重いものとな るのだ 真 の 重 さ の ゆ え に. ほ ら,. その瞬間はそなたのまぢかに迫っ ていたのだ その瞬間はおそらく そなたの戸口の前で 髪にさした花冠 の乱れを直していたのだ, そなたが戸を閉めたその時に . 物理的な重みが急変して真の重みすなわち純粋な重みに変るということ は詩的発語が成就してこと ばの主導権がことばそのものに移ってゆくということである 戸口にたたずむ乙女のしくさの美し . い比唆に託してリルケは詩人に対してことばが主導権を持ちはじめたことを言おうとしているので あ る,. 7. 詩人のこう した言語観は, 語るのは人間ではなくてことばそのものであるというハイ デガーの 0 主導権のこの転換が詩に限らずおよそ芸術作品といわ れるものすべてにとっ て それを思わせる2 . の試金石となるものである. セザンヌの回顧展に感銘を受けた詩人 は妻クララにあてて次のように 書き送っ ている,「色彩と色彩のなかでどのように画がみずから画を描いて いるか 色彩と色彩とが . 互いに話 し合うために, 画家はどのように色彩をそ っ と独りにしてやらねばならないか……色彩と 1ゴッホはそのようにして ブ 色彩とが何の妨げもなく親しみ合うこと--それが本当の画なのだ」2 ルーがオレンジを呼び出し, グリーンが赤を呼び出す色彩の 「内部の不思議な会話」 を聞いたとも 2 布敷して言えばことばどおしの語らいのうちにこそ詩的発語が成り立 つの だというこ 言われる2 . とでもある, 詩人とはことばを巧 みに操ることばの達人とはまったく反極に立つひたすらにことば に聞き入る人の謂 である. ひとりでに発酵してくる追憶の声に 耳を貸した プルース トによせた詩人 の関心の深さもうなずけるところ である. とは言え詩人と無 関係なところに詩的発語が成り立つ訳では勿論ない ことばの主導性といっ て . もことばが詩人を一方的に支配するようなことを意味するわ けではない そもそもことばが響き合 . うためにはそれを響きとして開くためのずばぬけた耳がなく てはなるまい. ボールの形象に即して みればボールが子供たちに位置を指し示し, 舞踏のような形をととのえさせ つつ落ちてくるために 12.

(14) . ことばと詩人. は, 期待と願いとをこめた子供たちがか ざす玉杯が必要なのである. 語り出でること ばと聞入る 耳 とは次の詩の魔の山富獄と画家北斎のようにいわ ば対位法的に相互に深まり合っ てゆく もの であ る, 詩人の独自な北斎解釈のポイ ントは自らが描く画によっ てその都度そそのかされ次第に描くこ との極北に向ってゆく画と画家とのその力動的な相互深化にある. 詩人が北斎のこの画業の営みに 自己の詩的営為を重ねてみていることは疑いえないことである, SECHSUNDDREISSIG M[alundhundert M[al i hatder Mal eben erienen Berggeschr , i l ssen eder hingetr Wegger eben , wi iBig Malund hunder ( l t Ma ) sechsunddre f l i lkane i zu dem unbegr e chen Vu , Versuchung ohne Ra l ig l I t v o se , , ,- iB Ange t Umr tane wahrendder mi l i i l tni ttat: (1 seiner He rr chke chtEinha , 638任). 三十六回, そして百回と 画家はあの山を描いた. 引き離されながらもその都度追いつめては (三十六回, そして百回と) とらえがたい火の山をめざして 心を踊らせ, 誘惑におののき, 万策つきつつも-- だが輪郭を与えられてゆく山は 3 その壮厳さを増してゆき, とどまるところを知らなかった2 荒涼たる 「心の頂」 の 「純粋な拒絶」 といわれるものもすでに触れたようにことばに言い表しがた いものをめぐる詩的発語の力動的構造を示すものである, ことばが根源的になればなる程語る詩人 と語られることばという硬直した2頂対立の枠組みは揺さぶられ 「語り出る」 ことと 「聞き入る」 こととは分かちがたく錯綜しながら語りがたいものへと向ってゆく. 溶けにくい神々 をのみ込んだ 太古の銅羅のひびきはそう した根源的なことばの象徴である, NICHT mehrft i r ohren… … :K1ang , int i der eferes ohr ee , , wi h i b 186 2 t ) uns .( . ,sc e n ar Hbrende ,hbr. もはや耳のためのものではない……響き より深い耳のように 聞き入っ ているはずの我々に逆に聞き耳をたてている響き. 8. 絵にリアリティ ーを与えるものは実は北斎をそそのかしてやまなかった 「描きえぬ何ものか」 であろう. 詩の場合もまったく同じでそのリアリティ ーを測る尺度は 「語りえぬもの」 とことばと 13.

(15) . 阿 部 秀 男. の間に張り渡された緊張度である. 固定的なイメージを与え易い ゆえに必ずしも適切とは言えない が詩人はそ れを人間には決して姿を見せない月 の裏側が目に見える輝く月面を支えていることにた とえたりしている. その 「語りえぬもの」 が語ることと無関係な超越的なものでも, ことば以前の カオスでもなく, ことばによっ てはじめて創造的に開示されうるそ の都度真新しい世界であること は改めてことわる必要もない, その 「語りえぬもの」 がいかに語ることの根拠となっ ているかを詩 人は様々 な形象を用いて示そう としている. たとえば真珠だまをまとめる 「強い締金一 . l Per iB eine der Schnure? en entrolen. Wr eh ,r Aber washmfes,re ihi i t mi chs e wi eder:dufehl s r , l i i l l i starke Sch te eBe es everhi e ebte , (2 ,di ,Ge . 42). 真珠だまが散る. ああ, ひもが切 れたのではないのか. だが真珠だまを並べて みてもどうにもなるまい, 恋人よ それらをつ なぎとめていた強い締金のお前がいなかっ たら, ばらばらに解体しかるない人間をしっ かり統合してゆく のが恋人として呼 びかけられられる締金 で ある. この締金は戯れている子供たちを舞踏の形へとまとめてゆくボールとまったく同じ機能を果 たすものである, ことばのロ ゴスの原義はギリ シャ 語でもともととり集めるという程 の意味であっ たが締金やボー ルはいわ ば分裂をふさく 統合の核である. あるいはショールの 「黒い中心」 . fabrs i tdu di er es:daB Namens ch anihr i t te endlos verschwenden:denn s ei stdi e Mi i 駅′ i i ter unsrer Schr t te e es auChse us ,das M[ , i L l l h d i ( 2 4 e n e um soc e eere wan en w r , 77). お前は知っ ている, 名前という名前がそこ では こと ごとく消えてゆくということを, という のもそこは中心だからである . それがなんであれ, 我々 が歩み込んでゆくべき図柄, そう したうつろなものをめぐっ て我々 は歩むのだ. ボールも又無秩序な子供たちの群れがまとまってゆくべき1つの中心でもあるが この「ショールJ , ではその中心は謎めいた吸引力 で詩人が投 げ込む ことばを果てしなくすい込んでゆく不気味な中枢 であり詩業, すなわち我々 の歩みどりの根拠である, 次の詩句でも 「黒い中心」 は野獣の眼である 「バラの窓」 として我々 を激しく巻き込んでゆく . d i l inbarruht eses Auge, we chessche , i tutund zusam menschlagtr i s ch auf t Tosen inre iBtbi ) undihn hine sinsrote B1ut- : (1 . 501. 見たところは動かないこの眼が, かっ と見開いて襲いかかり 真赤な血の中 へ引きずり込む.. 14.

(16) . ことばと詩人. 「無名の頂」 北斎がいどんだ 「魔の山」 そして 「黒い中心」 「バラの窓」 と様々 な形象が投げかけ られるが正にそれが「言語に絶するもの」 であるがゆえに どういう形象を以ってしても語りがたい. しかしそうして様々 な形象化が試みられることによって「言語に絶するもの」がいかに決定的に「語 る」 ことを根拠づけているかが示されるのである,. 9, 詩人が愛したバラは 「言語を絶するもの」 の典型的な象徴であるが, バラは語ることの根拠を 示すだけではなく, ことばの次元を越えて我々の存在そのものの根拠へと問いかけてくるというよ りは詩人にとっては存在することが語ることを措いてありえない以上語ることの根拠はそのまま存 4 詩人の作品から安易に形而上学的慰籍を求めることやいわんや政治的行 在するとの根拠となる2 , 動の規範を引き出すことは問題にならないとしてもリルケが詩人としての範祷を越えてハイ デガー のような人に深く問いかける ものがあるのもことばの問題がそのまま存在の問題に鋭くつきささっ てくるからであるといえるだろう. 語ることの謎は正に存在することの謎である. 「墓碑銘」と同じ 詩園に属する連詩 『バラ』 は根源的に語ることつまり根源的に生きることをめぐる詩人の最晩年の l 1 i 6」 メ ッセージであるが語ることの断念を迫る バラは 「半ばは閉じ半ばは開いた書物l eentrebai vr. ( 2 ) として読む者に謎をかけている. これが語ること即存在することへの謎であることはこ 75 .5 の書物 が 「心の頂」 の 「純粋な拒絶」 同様閉じつつ開いてゆく力動的逆説開示によってもっ ぱら 「死 i して在る」 というほかならない死者の眼を誘い込もうとする 「魔術的な書物 L e-mage vr 」 である こ と に よ っ て 暗 示 さ れ て い る, i i b i1 i tes [ l rose , a re ours ・ ,qu en na ssant. l 1 [ lort er eslenteurs del. バラよお前は誕生しながら 死をさかさまにゆっくりとまねている と呼びかけられる花は自らを謎につつみこみながら年ごとに今も尚詩人の眠るラロンの 空に芳醇な 香気を放って咲いている. ちなみに詩人の命をう ばったのは一種の白血病であったらしいが指に刺 したバラの疎であるとかたくななまでに信じ込ませたものはこと ばに殉じた詩人のひそかな衿侍で 5 あ っ た の であ ろ う2 .. 註 i 1, D.Prat ng G1 as s e A.Ring ,oxford ,1986 ,p382 l lke 163 2. B.H,Ho thusen , , Hamburg ,1958 ,S ,Ri 【 lke i ionsde Cas in iner M i 4 Zer t t 3. ル ten se esannきsde Ra ar a Ri ・ nat . ,P224 ,Lesdern這r ,Ed id 4. B,H.Hokthus en , ,ib lke i indung mi i i lke-Arch I lke t Ruth Si 5. R,N t eber-Ri che werke v in Verb ・ .Ri , Herausgegeben von Ri ,San durch Erns tZinn i ll〔以下 ( 2 1 ) と略記〕 t el ,Band2Se . 11 1 [ 397 l din der Di 6, H.Pongs chtung arburg ,Band ,1 ,M ,1969 ,S, ,Das Bi 7, t l f i rans rに相当するドイツ語のve rwande nはリルケの場合詩的遂行そのものを指す最も重要な基本語であ r e gu. ることはよく知られているとおりである, 15.

(17) . 阿 部 秀 男 8. 拙著, 時間の裏側一--リルケ的時間--北海道教育大学紀要(第一部A)第36巻第1号参照. 裏返し Umkehr( 2 . 1 l 8 6 ) は変容 Ve rwand ungがとりうる最も劇的な表現である. l innenraum,1952 9. UV t 257 e ,Gunthe Wr . ,S 10. H,G,Gadamer K i i f ingen t 30 e neschr enl,Tub , 1 . ,1976 ,S 11. J iner戸 Di ikdes Wor i i i lkeヂ,Ri t lkeinneuerSi e e Themat tutgar r t esim d schen Werk Ri cht cht ,St ,1971 , ,St S, 173. 12, 『時祷集』の中で祈りを献げられている神は実は若き詩人が恋人のように慕ったニーチェの唯一の「恋人」たりし サロメであったという人もいる. たとえばこの詩集の中の次のような詩句はもともとは彼女に献げられたもので あるらしい. 詩中の Du (あなた) は神に名を借りたサロメだということになる. E l hu t s en .H.Ho ,ibid,S.50 Lt i i sch mi rdi e Augenaus:i chkann d chsehn , f mi i i r rd wi e ohrenzu:i ch kan 1 1d chhbr en , i und ohneFuβe kanni chzu d rgehn , i i und ohne M【 und noch kanni chd chbeschwt ren . Br i i i rd ch mi e Armeab chfas sed ch ,i , inem Herzen wi iner Hand t me te mi e mi , hal i i t m rdas Herzzu lagen und me n Hi rn wi rdsch , , f in Hi tduin me und wi r s rn den Brand , inem B1utet 1 ) so werdi chdi ch auf me ragen .( , 313 13. P,Val ery l imard ,oevres ,tomel ,Gal ,1957 ,P1131. 1 4. 詩人と哲学者の関係を裏付ける直接証拠はないがベルクソンがパリのコレジュドフラ ンスで講義をしていた時 期とリルケの数年に及ぶパリ滞在が丁度重なるようないわば情況証拠から, 詩人がその講義に関心を寄せたとい う可能性は大いにありえよう. 尚詩人がベルリンでジンメルの講義に出席したことは知られている. 詩人自らの 否定にもかかわらず哲学への関心がきわめて大きかったことは充分に論証されるところである.. “ 15. E. Schwarz luckt i d po l i ik be i Ra iner M【 i lke t 【 i sch e Schl uchzen eu l l ar a Ri ner M ar a ,Dasver ,Poes , Zu Rai “ Ri lke,Stut imm, Von der Armutund vom Regen tgar t lkes Antwor i i taufd esoz ol e Frage .R.Gr ,1983 , Ri ,. Athenaum,1981 . 16. B.AI 1 lkeundM[ larm壱:Entwi inerGrundf l i i ik,Ri lkeinneuer t emann t al ckl unge ragedersymbo s schenPoe ,Ri lhammer Si 68 cht ,Koh ,1971 ,S. 17. P.Va l id 壱ry ,ib ,PI.1 18. J ionsl l tuat t re .P,Sar ,Si ,p50 19. B. Amemann i im spat tund Figurbe lke l l ingen 279 en Ri ,Ze ,Pfu ,1961 ,s, idegger 20. ル4 111 zwege .He . , Hol ,1950 ,S 21. 1907年 10月 2 1日付, 妻クララあての手紙. 22, 同上 23, いうまでもなく 「富獄三十六景」「同百景」 を扱ったものである,. ‘ ‘ lkeheute“ 1976 168” 24. B.B1 iner M 【 i lke:Exi t ume ar a Ri s enzund Di chtung ,Ra , Ri , , 25. ル4 bid t en .Zermat ,i ,P211 (本 学 教授. 16. 岩 見 沢 分校).

(18)

参照

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