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東北大学史料館だより No.34

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Academic year: 2021

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東北大学史料館だより No.34

著者

東北大学学術資源研究公開センター史料館

雑誌名

東北大学史料館だより

34

ページ

1-8

発行年

2021-03-15

URL

http://hdl.handle.net/10097/00130810

(2)

TOHOKU UNIVERSITY ARCHIVES NEWSLETTER

No.

34

2021 Mar.

東北

東北

大学

大学

料館

料館

だより

だより

【左】同期電動機 昭和12年 明電舎製 【右】直流発電機 昭和 8 年 精電舎製 【中央】銘板  東北大学史料館所蔵

Index

2 黒田チカ・牧田らくの仙台生活  -東二番丁の坂琢治邸に下宿-  山形県立米沢女子短期大学非常勤講師    佐藤和賀子 6 資料の公開について 7 史料館のうごき 8 お知らせ  ・展示再開のお知らせ  ・閲覧室の利用について 

キャンパス移転

と 残された

実験用機器

東北大学が草創の地片平を離れて川内・青葉山に移転するのは、昭和40(1965)年代のことでした。昭和20(1945)年 仙台空襲の際にも多くの歴史的建築・資料が失われましたが、キャンパス移転もまた大きな影響を与えます。昭和38(1963) 年に設置されて間もない東北大学記念資料室(東北大学史料館の前身)には、移転にあたって残された機械・実験装置等 の中から、記念すべきものが運ばれました。 写真の電動機・発電機なども、この時集められたものと思われますが、正確な由来については確認が必要です。幸いな ことに電動機については、明電舎(明治30(1897)年創業)に記録が保管されていました。工学部(電気工学)に実験用と して納入されたもののようです。当時電気工学科の教授であった渡辺寧(1896-1976・第13代工学部長)の論文には、明電 舎・精電舎製の機器を用いたことが記されています。歴史的記念物については、保管だけではなく、途切れかけた記憶の 糸を結び直す営みも続けなくてはなりません。 これらの機器の存在はこれまであまり知られていませんでしたが、この度旧理学部生物学教室(放送大学)地下展示室

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黒田チカ・牧田らくの仙台生活

―東二番丁の坂琢治邸に下宿―

山形県立米沢女子短期大学 非常勤講師  

佐藤 和賀子

1913年(大正 2 )東北帝国大学に日本初の女子大学生で ある丹下ウメ、黒田チカ(資料 1 )、牧田らく(資料 2 ) の三人が入学しました。黒田チカと牧田らくは東京女子高 等師範学校(以下、東京女高師)で学んだ同窓の縁があり、 仙台での学生生活を同じ下宿で始めました。 1969年(昭和44)10月25日付の読売新聞に「大学生三代 のあゆみ 東北大に初の女学士 学問こそ “ おムコさん ”」 の記事があります。同記事の一部は企画展「「女子学生」の誕生—100年前の挑戦—」(『東北大学史料館紀要 9 巻』参照)で紹介されています。この記事が掲載された時、丹下ウメ(1873~1955)、黒田チカ(1884~ 1968)は既に死去し、三人のなかで唯一健在であった八十一歳の金山(旧姓牧田)らくが「わたしは、学校 の勧めで、黒田先生と仙台へ出掛けました。大学近くの東二番丁にあった坂病院の三人姉妹が女高師卒業生 という縁で、奥さまの経営する幼稚園の二階に下宿しました」と語っています。記事にある「坂病院」は、 坂琢治が院長を務める病院です。琢治は1898年(明治31)に仙台市北二番丁に開業し、すぐに手狭になり東 一番丁へ、さらに東二番丁に広い敷地を求め移転しました。琢治の父は戊辰戦争で仙台藩の軍事責任者とし て斬首された坂英力です。琢治は病院の他に、1900年(明治33)に宮城授産場を開設し、1902年(明治35) に宮城授産場付属養素園(後に養素園を養稚園に、さらに幼稚園に改称)を開園しました。 本稿の筆者は、坂英力の息子である坂琢治と坂定義の生涯について研究を進めるなかで(注)、坂家の皆 様からご教示をいただき、坂琢治邸に黒田チカと牧田らくが下宿していたことを知りました。残念ではあり ますが、坂家には黒田と牧田が下宿していたことを示す直接的な資料は残されていません。 『東北大学史料館だより』(No.19)には「黒田チカ資料の受贈」( 7 頁)の紹介があり、「恩師眞島利行ほか 周囲の様々な人々との間でやりとりした大量の書簡類」が史料館に寄贈されたことが記されています。書簡 類のなかに、坂家の住所が記された書簡があれば、坂家に下宿していた資料的な裏付けになります。また、 資料 1  黒田チカ (東北大学史料館所蔵) 資料 2  牧田らく (東北大学史料館所蔵)

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東北帝大在学中に坂家以外の住所を記した書簡があれば、坂家から転居した証拠になります。史料館に問い 合わせたところ、仙台時代の書簡は現時点では見つかっていません、とのご回答をいただきました。 本稿では黒田・牧田が下宿をしていた頃の坂家の様子や坂家の人々との交流を記します。 坂琢治・しま夫妻は四男四女に恵まれました。しまは1878年(明治11)に仙台師範学校女子師範学科の 一回生として卒業しました。坂夫妻は、息子はもちろん娘の教育にも熱心でした。長女は夭折しましたが、 次女あい、三女ゆう、四女たまきの三人は東京女高師に入学する才媛に成長しました。四女たまきは卒業 式で答辞を読みました。しかし、たまき自身は、姉ゆうのほうが妹たまきより優秀と認め、姉は明治天皇 の皇后が来校した時に生徒代表をつとめたが、宮城県の田舎から出てきたくせに生意気だということで級 友からいじめを受けた、と述懐しています。仙台出身の坂家の三姉妹は、先生方の記憶に残る存在であっ たと思います。 黒田・牧田が東北帝国大学に合格が決 まった時、東京女高師の先生方は若い二 人の仙台生活を心配して、坂家に下宿 をお願いしたのかもしれません。坂家 では下宿屋を生業としていませんでし た。二人を世話することになる琢治の妻 は幼稚園の園長であり、宮城授産場の 運営にも関わり多忙を極めていました。 しかし、娘三人が卒業した東京女高師 への恩義を感じて、坂家では黒田と牧 田を下宿人として迎えることになった のでしょう。 仙台市東二番丁にある坂邸から二人が 通う東北帝国大学までは、女性の足でも 通える距離にありました(資料 3 )。前 掲の記事の中で、三人が在学していた時 に給仕をしていた男性は「三人とも紫の ハカマに和服で通学されました。丹下さ んは小柄で静かな美人、黒田さんは堂々 とした体格で “ ミスター黒田 ” と呼ばれ 資料 3  坂邸と東北帝国大学 (出典:風の時編集部『100年前の仙台を歩く─ 仙台地図さんぽ』)

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るほど男まさりな感じ。牧田さんは、ふっくらした魅力のある方でした。みんな夜おそくまで実験室や図書 館に閉じ込もって、よく勉強していたのを覚えています」と語っています。金山(牧田)らくは「なにしろ、 先生から『金はいくらでもあるから、読みたい参考書をどんどんいってくれたまえ』といわれ、好きな本を 図書館に備えてもらいました」と恵まれた研究環境を振り返っています。 化学を専攻した黒田チカは学究一筋の生涯をおくりました。英国に留学し、帰国後は東京女高師に勤務し ながら、理化学研究所で研究を続けました。1929年(昭和 4 )に紅花の色素カーサミンの研究で東北帝国大 学から理学博士の学位を授与され、保井コノに次いで、日本で二人目の女性理学博士になりました。数学を 専攻した牧田らくは1916年(大正 5 )に「黒田と共に我が国最初の女性理学士の一人」として卒業し、東京 女高師の数学講師になりました。1919年(大正 8 )に画家金山平三と結婚し、翌年には東京女高師を退職し ました。結婚後は画家の妻として夫を支えながら、その後も数学への情熱を失わず、研究成果を『東北数学 雑誌』へ発表しています。 二人が下宿していた頃の坂琢治邸は黒塀で囲まれ、敷地には「樹木が多く、野草もゆたかな庭園に、池も あれば畑もある」(『宮城県教育百年史第二巻』475頁)自然に恵まれた環境のなかに、授産場、幼稚園、病院、 私邸が建てられていました(資料 4 )。塀の中から、小鳥のさえずりやオルガンに合わせて歌う子どもたち の声が響く穏やかな情景が想像されます。しかし、塀の中には別の情景もありました。明治三十年代後半に 書かれた「宮城授産場日誌」には、奇声を発し暴れる授産人を数人で取り押さえ隔離室に収容したこと、授 産場内で警察沙汰があったこと、琢治が遺体を敷地内の病院に運び、徹夜で解剖を実施したこと等も記され ています。 坂家の三姉妹は東京女高師を卒業後、次女あいは仙台高等女学校(現在の仙台白百合学園高等学校)に勤 めた後、軍人と結婚しました。三女ゆうは東北帝国大学医学部薬理学教授八木精一の妻になりました。黒田 チカと一番親しかったのは四女たまきです。たまきは東京女高師を卒業後、仙台市の東華高等女学校に勤務 しました。たまきは軍人と離婚後、伊達宗経と再婚しますが、1936年(昭和11)に宗経と死別しました。た まきの近況を知った黒田は、自分が勤務していた東京の理化学研究所をたまきに紹介し、たまきは有機物の 微量分析担当の嘱託として勤務しました。空襲が激しくなると東京を離れ、たまきは1944年(昭和19)から 姉の夫八木精一が校長を務める福島県立女子医専で数学と物理を教えました。 たまきは晩年になっても黒田チカを「おちかさん」、牧田らくを「おらくさん」と呼び、二人との思い出 を生涯にわたり大切にしていました。

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(注) 「軍医坂琢治と妻しまの授産事業-「宮城授産場日誌」をてがかりに-」(荒武賢一朗編『東北からみ える近世・近現代』岩田書院、2016年)、『医者屋にならず-坂病院初代院長坂定義先生の生涯と業績 -』(坂総合病院、2019年)

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資料の公開について

◆個人・団体文書 ①森英司文書  岡山県出身の動物学者で、1939年(昭和14)に第二高等学校を 卒業し、東京大学理学部教授などを勤めた森(小林)英司(1919-2012)が所蔵していた卒業証書、写真アルバムなど 3 点。2020年に ご遺族から史料館に寄贈された。アルバムには馬術部在籍時の写真 (右)やボート競技の写真(左)が含まれる。 ②杖(山田孝雄旧蔵)  東北帝国大学の法文学部の教授だった山田孝雄(1875-1958)が、晩年に自作し愛用 していたと伝えられる約86cm の杖(写真右)。山田孝雄四男の山田春雄から梅沢伊勢三 (1910-89)に伝わり、さらに東北福祉大学で同僚だった高橋美由紀(1947-)に託され、 2020年に史料館に寄贈された。 ③落合龍太郎文書  秋田県出身で、東北帝国大学の法文学部を1935年(昭和10)に卒業した落合龍太郎の 卒業証書など 5 点。2020年にご遺族から史料館に寄贈された。 ④三澤健吾文書  宮城県出身で、終生医療に従事した三澤健吾(1912-55)の資 料15点。三澤は1933年(昭和 8 )に第二高等学校を卒業し、進学 した東北帝国大学医学部を1940年(昭和15)に卒業後、医学部 (熊谷内科)に副手となって間もなく招集された。陸軍軍医とし て東南アジア方面を転戦し、帰国後は抗酸菌病研究所に勤務した が癌で逝去した。学生時代に参加した鷗外の会と思しき集合写真、 招集時に医学部の教員や仲間が寄せ書きした国旗 2 点、従軍証明 書などを含む。ご遺族から2020年に史料館に寄贈された。 二高卒業アルバム(昭和14年)より 国旗(寄せ書き) 昭和15年

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史料館のうごき(2020年 9 月~2021年 3 月)

◇博物館実習の受け入れ( 9 月 7 日~ 9 月11日) 東北大学総合学術博物館、東北大学植物園および当館 で担当している「博物館実習Ⅵ」の一環として、受講生 12名が当館で実習を行いました。今年度は新型コロナウ イルス感染症対策のためオンラインも併用した実習とな りました。対面の際には展示什器再設置前の 2 階展示室 に机を並べ、受講生間の距離を保ってキャプション作成 などの作業をしました。 ◇東北大学オンラインオープンキャンパス( 9 月) オンラインオープンキャンパスが開催され、史料館の紹介ページも開設されました。 ◇閲覧室の利用再開(10月 1 日) 閲覧室は2020年 3 月 2 日から新型コロナウイルス感染症の感染予防と拡大防止のため閉室しておりました が、10月 1 日から感染拡大防止対策を講じた上で再開しました。利用に際しては事前予約制とし、体調管理、 マスクの着用等の徹底をお願いしております。 ◇登録有形文化財登録証の交付(10月16日) 東北大学史料館が所蔵する「第二高等中学校建築図面」、「東北帝国大学医学部建築図面」、「東北帝国大学 法文学部図書閲覧室新築設計図」等、126点の建築図面が登録有形文化財(歴史資料)に登録され、その登 録証交付式が開催されました。史料館からは安達宏昭館長と加藤諭准教授が参加しました。 ◇東北大学オンライン校友祭(12月15日~25日) 新型コロナウイルス感染症により中止となったホームカミングデーや各地区同窓会の代替企画として、オ ンライン校友祭が開催されました。12月19日にはメインイベントとして特別講演が開催され、加藤諭准教授 が「東北大学のあゆみ、歴史紹介」と題して講演しました。講演の模様は YouTube 萩友会チャンネルでオ ンデマンド配信されています。 ◇ 2 階展示室什器再設置作業( 1 月13日~ 2 月12日) 耐震改修工事を終えた展示室にパーテーションや展示什器を再設置する作業を行いました。今回のリ ニューアルでは、大正15年(1926)に完成した旧図書館閲覧室の雰囲気もより味わっていただけるように展 示ケースの配置を大幅に変更しました。 ◇「東北大学 MLA キテン・プロジェクト」の実施( 2 月20日~26日) SMMA(仙台・宮城ミュージアムアライアンス)クロスイベントの一環として、東北大学 MLA 各施設 (史料館・総合学術博物館・植物園・附属図書館)と合同会社 AMANE・root design office が連携協力した 「東北大学 MLA キテン・プロジェクト」を行いました。ソーシャルディスタンスの新たなサインツールと して、学術資料情報デジタルアーカイブズを活用した学術デザインプロダクト「キテンの木」を史料館では 閲覧室に設置しました。

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東北大学史料館だより 第34号 2021年 3 月15日発行 編集・発行 東北大学学術資源研究公開センター史料館 〒980-8577 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1 TEL 022-217-5040 E-mail [email protected] URL http://www2.archives.tohoku.ac.jp/ Twitter @ T_U_Archives  2019年夏から耐震改修のため閉鎖しておりました東北大学史料館2階展示室については、リニュー アル作業を進め、2021年春から公開を再開する予定です。なお、展示室の開室状況につきましては、 東北大学行動指針(BCP)により変更が生じる可能性がございます。事前に当館ホームページをご確 認の上、ご来館ください。  見学に際しては新型コロナウイルス感染症対策のためマスクの着用をお願いいたします。また新型 コロナウイルス感染症が発生した場合に備えて、見学時には氏名及び連絡先をご記入いただくことが ございますので、予めご了承ください。  魯迅ラウンジや旧理学部生物学教室(放送大学)においても関連展示を行う予定ですが、こちらは 公開時期未定となっております。楽しみにされている皆様には申し訳ございませんが、時期が決まり 次第改めてお知らせします。

閲覧室

利用

ついて

史料館 1 階閲覧室の利用につきましては、事前予約の上、マスクの着 用など感染拡大予防対策にご協力をお願いいたします。 ・前日までにメール・電話等でご予約の上、ご来館ください。その際、 所要時間と人数(グループの場合)をお伝えください。 ・閲覧室の利用はご予約された方が優先となります。ご予約されずに ご来館された場合、ご利用いただけない場合がございます。 ・開室時間は平日10時から17時とします。 ・ご来館の際には正面玄関のAI検温機で体温を測定し、平熱であるこ とを確認してから事務室窓口にお立ち寄りください。

▪史料館 2 階展示室

東北大学の歴史と  仙台における魯迅の足跡をご紹介します。 開館時間:平日10:00~17:00 ⃝魯迅ラウンジ(本部棟 3 )・魯迅の階段教室  魯迅ゆかりの仙台医学専門学校関連資料の展示を公開す る予定でしたが、2021年 2 月13日に発生した地震により建 物の修復が必要となったため、当分の間、公開を見合わせ ます。 ⃝旧理学部生物学教室(放送大学)  東北大学の歴史や片平キャンパス内の登録有形文化財に 関する展示を行います。  2021年春以降公開を開始する予定です。開館時間等は決 定次第ホームページ等でお知らせします。

展示再開のお知らせ

参照

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