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1960年代香港の青少年犯罪

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(1)名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. 〔学術論文〕. 1960 年代香港の青少年犯罪 The Crime of Juvenile in 1960’s Hong Kong 山田 美香 Mika Yamada はじめに 1.. 2.. 3.. 1960 年代の青少年犯罪の状況 1.1. 青少年犯罪の定義・状況. 1.2. 青少年問題. 1960 年代の教育 2.1. 教育状況. 2.2. 就学の負担. 物乞い 3.1. 社会福利署・警察の活動. 3.2. 法的根拠. 3.3. 浮浪罪の取締り・逮捕. 4.青少年犯罪予防の社会的資源の増加 4.1. 厳罰より青少年に機会を. 4.2. タウンワーク. 4.3. リクリエーション. おわりに. 要旨 1960 年代、香港において小学校義務教育が実施される前、学校に行けばお金がかかるため、 小学校教育を受けることができない者がいた。浮浪罪の取締り・逮捕では、社会福利署が関 わったが、十分にその効果を発揮できなかった。社会福利署は、地域の街坊会と連携して、 タウンワークで地域の青少年に活動できるように方向付けをし、青少年に居場所を提供した。. キーワード:香港、イギリス植民地、義務教育、青少年犯罪、孤児、浮浪児. 157.

(2) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. はじめに 1960 年代の香港は、1972 年の小学義務(無償)教育が実施される前であった。しかし、進学し た生徒のなかでも教育問題が発生し、義務教育ではないため進学しなかった少年の間での非行も 目立った。新たな教育制度が徐々に進展するに伴い 10 代の少年の教育環境は大きく異なり、これ までにない問題が発生したのである。当時、少年犯罪の多くは、窃盗、薬物犯罪などであった。 窃盗、薬物犯罪に関わった少年のなかには、物乞いをする少年が多かった。終戦後にいた孤児・ 浮浪児は既に施設等に収容されていたが、家庭背景などの理由で、街で物乞いをする少年は社会 問題とみなされていた。 本論文では、1960 年代香港の少年犯罪を論じるが、1960 年代を取り上げる意味は、義務教育実 施前であったことが、どのように少年に影響を与えたのかを考えるだけではない。1945 年の日本 軍撤退後、香港はイギリスの植民地に戻ったものの、戦後の貧困は、少年の生活に影を落とした。 それから十数年経ち、1960 年代は生活の平穏を取り戻した時期である。 先行研究としては、方駿・熊賢君『香港教育史』 (2008)に少年に関する記述があるが、香港の 少年犯罪は歴史研究が行われることが少ない。1960 年代少年犯罪については、Patricia Gray“THE STRUGGLE FOR JUVENILE JUSTICE IN HONG KONG 1932-1995“(1996)を除いてほとんどない。Patricia は、論文のなかで、社会福利署(厚生労働省に相当)の年報等から、 「1960 年代は保護観察が進展 した時期である」と書き、「少年司法・制度も定着した」と述べている1。しかし、1960 年代の香 港の非行少年の背景、具体的な少年支援の形態などは論じていない。また、Patricia は、物乞い をする少年についても触れ、 「個人的な寄付、海外の宗教団体、国際的な支援組織」2が少年支援を 行ったことを書いているが、十分に説明をしているわけではない。 当時、少年支援を行うことができたのは、カトリック・キリスト教、仏教などの宗教団体、慈 善団体で、それらは現在でも同様の支援活動を行っており、学校における少年支援、深夜のアウ トリーチ(パトロール) 、少年向けの活動を行っている。このような団体は、戦後すぐに本国から の物資等の支援を受け、孤児・浮浪児の支援を行い、軽微な犯罪少年を収容する施設を設立し、 少年の生活・職業教育を保障した。元来、児童・少年の保護・教育だけが目的の団体ではなく、 戦後の混乱、植民地下の低福祉を補うすべての年齢層の香港の福祉を考え、政府に先行して支援 を展開した団体である。 本研究は、少年犯罪研究であると同時に、日本占領終結後のイギリス植民地下にある香港社会 の二重構造において周辺部に置かれた少年の状況を論じるものである。報告者は、これまで「香 港の学校における不良少年の戦後史」 (国際アジア文化学会『アジア文化研究』第 17 号、平成 22 年、pp.49-59)を発表している。そこで、本論文は、先行研究を踏まえ、1960 年代の香港少年犯 罪の実態、少年向けリクリエーション施設について、香港档案処の公文書(HKRS)を中心に議論. 1. Patricia Gray“THE STRUGGLE FOR JUVENILE JUSTICE IN HONG KONG 1932-1995“(1996), Hong Kong Law Journal, 1996, v. 26 n. 3, pp.305-308 2 同上,p.303. 158.

(3) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). を行う。特に、香港档案処の公文書には、社会福利署・警察により検挙された少年のデータも豊 富にある。少年のデータは匿名で、本人を特定できないように処理し、実態を報告したい。. 1.. 1960 年代の青少年犯罪の状況. 1.1 青少年犯罪の定義・状況 香港の非行少年の定義は、「香港の少年は、7 歳の誕生日を迎えると刑事責任を持つとされる。 7-14 歳の誕生日前までは‘child’とし、14-16 歳の誕生日前までを‘young person’とする。16 歳の誕生日からすべての少年犯は法律的に成人であるとされる」3という。法律における成人の年 齢、刑事責任を負う年齢は早いが、年齢別に区分して刑事責任は考量されている。政府関係者は、 香港法(刑法)の成人年齢は 16 歳からだが、21 歳未満の青少年の暴力事件は社会問題として考え るべきだ4としている。そのため、「基本的には 7-13 歳、14-15 歳、16 歳から 20 歳、21 歳―24 歳 のグループで、青少年犯罪の年齢を区分している」5という。香港法で 16 歳が成人となる理由は、 1960 年代は義務教育制度が施行されていなかったため、16 歳未満でも就職している者が多かった ことによる。 表1. 男子:14~15歳 男子:16~20歳 男子:21~30歳 女子:14~15歳 女子:16~20歳 女子:21~30歳 反社会罪 窃盗罪 強盗 深刻な暴行. 1966年 男子:9,828 女子:466 840(8.6%:男子の犯罪者数における) 1,746(17.7%:男子の犯罪者数における) 2,422(24.6%:男子の犯罪者数における) 25(5.3%:女子の犯罪者数における) 76(16.5%:女子の犯罪者数における) 87(18.6%:女子の犯罪者数における) 23(3%:同年齢層の犯罪者数における) 809(46.3%:同年齢層の犯罪者数における) 133(7.8%:同年齢層の犯罪者数における) 131(7.7%:同年齢層の犯罪者数における). 窃盗罪. 35(46%:同年齢層の犯罪者数における). 起訴された人数. 年齢と起訴. 男子犯罪の種類. 女子犯罪の種類. 1966 年・1969 年の青少年犯罪. 1)1,348人(41.4%)の犯罪者の家族の収入は 301~500$。1,013人(30.8%)の家族の収入 は月300$以下。 21歳以下の犯罪者の背景・経歴. (人) 1969年 男子:12,521 女子:439 831(6.6%:男子の犯罪者数における) 2,539(20.3%:男子の犯罪者数における) 3,471(27.7%:男子の犯罪者数における) 37(8.4%:女子の犯罪者数における) 81(18.6%:女子の犯罪者数における) 82(18.8%:女子の犯罪者数における) 235(9.2%:同年齢層の犯罪者数における) 622(24.5%:同年齢層の犯罪者数における) 546(21.5%:同年齢層の犯罪者数における) 255(10%:同年齢層の犯罪者数における) 47(58%:同年齢層の犯罪者数における) 1)1,746人(44%)の家族収入は月301~500 $。785人(19.9%)の家族収入は月300$以 下。777人(19.5%)の家族収入は月501~ 1,000$。. 2)大多数(2,785人:84.8%)は小学校の教育を 2)3,453人(86.8%)は小学校教育を受けた。 受けており、49人(1.5%)は学校に行ったことが 52人(1.3%)は学校に行ったことがない。 ない。 3)2,251人(68.5%)の両親は家にいる。 4)1,562人(47.6%)は非雇用者、804人 (24.5%)は児童・生徒・学生。. 出典:香港档案処 HKRS70 D-S№4-110-1. 3)2,999人(75.3%)の両親は家にいる。 4)2,186人(54.8%)は非雇用者。646人 (16.2%)は児童・生徒・学生。. 表 35「1966 年~1969 年における犯罪記録」. 1966 年、起訴された人数は男子 9,828 人、女子 466 人で、窃盗罪が罪種としては最も多い。1969 年、起訴された人数は、男子 12,521 人、女子 439 人で、罪種として窃盗は多いが、強盗も多い。. 3. 香港档案処 HKRSNo.125 DSNo.3-410 “Report of the Working Party Set up to Advise on the Adequacy of the Law in Relation to Crimes of Violence Committed by young Persons ”p.3 4 同上 5 同上. 159.

(4) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. 義務教育は実施されていなかったが、21 歳以下の犯罪者の 80%以上は、小学教育を受けており、 青少年犯であっても小学教育を受けていた。. 表2. 物乞いをする少年. 性別. 家族. 学校・職業. 教育歴. 逮捕された理由. 男 女 男 男 男 男 女 男 女 男 男 女 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 女 男 男 男 男 男 男 男 男 男 男 女 男 男 男 男 男 男 男 男 男 女 男 男 男 男 男 男 女 男 男 男 男 男. 両親と生活 父親と祖母と生活 両親と生活 父親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 不明 一人親 両親とまま父と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活(母は家族を去った) 不明 両親不明 一人親、まま父と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 母親と生活(父は中国へ追放) 両親と生活 父親と生活 両親と生活(母は行方不明と言う) 父は死亡、母は行方不明 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と兄と生活 孤児 両親と生活 父親と生活 両親と生活 両親と生活 母とほかの男と生活(父は刑務所) 父親と継母と生活 両親は行方不明らしい 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活(母は再婚、父は行方不明) 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 母親と生活 両親と生活 父親と継母と生活 祖父と生活 両親と生活 孤児 母親と生活 両親と7人の兄弟姉妹と生活 両親と生活 両親と生活 両親(母親は4年前に失踪) 両親と生活 両親と生活(継母も) 両親と生活 両親と生活 父親と生活 両親と生活 両親と生活 両親と生活 孤児と主張 両親と生活 父は逃げ、母は再婚で行方不明 両親と生活 両親と生活 両親と生活 叔母と生活(両親はSun Wui) 両親と生活 両親と生活 両親と生活 父親と生活(香港で)、母は3人の兄弟姉妹と中国 孤児. 小学生 小学生 小学生 小学生 小学生 無 小学生 小学生 無 小学生、クラブの一員 クラブの一員 無 小学生 少年少女クラブの一員 不明 無 元小学生 小学生 小学生 小学生 無 小学生 小学生 無 無 不明 小学生 センターにいる 小学生 小学生 センターにいる 無 小学生と見習い 無 無 小学生 不明 元小学生 不明 元小学生 小学生 元小学生、クラブの一員 センターにいる 小学生 大工見習 小学生 小学生 元小学生 元小学生 小学生 小学生 無 無 無 小学生 センターにいる 小学生 小学生 小学生 見習い 無 元小学生 小学生 元小学生 無 小学生 無 小学生 無許可花商人 不明 小学生 無 元小学生 無 小学生 寄宿屋の使用人 靴磨き少年 小学生(夜間) 非小学生 元小学生 不明. 小学1年 小学1年 小学2年 小学1年 小学2年 小学2年相当 小学生 小学3年 不明 小学生 小学1年相当 無 小学4年 小学1年 不明 無 小学4年相当 小学3年 小学2年 小学2年 4ヵ月だけ通学 小学4年 小学2年 小学5年 無 小学1年 小学1年水準 不明 小学生 小学1年 小学3年 小学3年相当 小学4年 小学3年相当 小学1年相当 小学3年 不明 小学2年水準 不明 元小学生 小学生 小学1年相当 小学1年 小学3年 小学2年 小学3年 小学2年 小学3年 小学2年生基準 小学2年 小学6年 小学1年 無教養 小学3年相当 小学5年 小学2年相当 小学1年水準 小学3年 小学3年 小学2年 小学2年 小学3年以上 小学3年 小学2年 小学5年 小学6年 極めて低い教育水準 小学1年 小学3年 小学6年 小学2年? 無 小学3年相当 小学4年 小学5年 小学4年相当 小学6年 夜間学校 不明 小学2年水準 不明. $1HKを盗もうとした 物乞い $2HKを盗もうとした 資格なく靴磨き 資格なく靴磨き 物乞い 物乞い、資格なく花を販売 物乞い、資格なく靴磨き 物乞い 物乞い 家出 物乞い 15枚の亜鉛板を盗んだ 物乞い 物乞い 物乞い、浮浪 物乞い 14枚の亜鉛板を盗んだ 物乞い、資格なく靴磨き タクシーのドアを開けた 資格なく靴磨き 物乞い 物乞い 物乞い、タクシーのドアを開けた 物乞い 物乞い、車のドアを開けた 物乞い 物乞い 物乞い 物乞い、資格なく靴磨き 物乞い 個人の車で寝た 物乞い 物乞い 物乞い 物乞い 靴磨き 物乞い 物乞い 浮浪 路上で睡眠 物乞い 物乞い 物乞い、資格なく靴磨き 物乞い 亜鉛板を盗んだ 資格なく靴磨き 物乞い、資格なく靴磨き 資格なく靴磨き 物乞い 車のドアを開けた、物乞い 資格なく靴磨き 家出、物乞い、靴磨き 車のドアを開けた 物乞い、資格なく靴磨き タクシーのドアを開けた、物乞い 物乞い 物乞い 物乞い 物乞い 物乞い 物乞い 家出 物乞い、車のドアを開けた 物乞い 車のドアを開けた 物乞い、窃盗 資格なく靴磨き 資格なく花を販売 車のドアを開けた 物乞い 物乞い、タクシーのドアを開けた 資格なく靴磨き 資格なく靴磨き 資格なく靴磨き 家出 靴磨き 浮浪 物乞い 物乞い 物乞い. 出典:HKRS306 DSNo.1-132. 160. BEGGARS - JUVENILE BEGGARS - DETAILS OF SURVEYS MADE. Juvenile Mendicants.

(5) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 統計局では、統計のとり方について、以下のように言及している。K.M.A. Barnett は、「香港. は数百万の人口であるので、他国と違い、人口 1,000 人当たりの犯罪率などは、警察に、登録さ れた初犯に対して裁判所に行く代わりに注意を与える自由裁量があることが、犯罪率減少の理由」 として、成人の微罪処分に値するものがあることから、 「警察が年齢を正確に把握しないと、13-16 歳の年齢層グループ化、14-15 歳の年齢層グループ化」の統計が難しいと述べている。特に、誕生 日前後で正確なデータがないため、不十分な統計となることを問題視していた。 表 2 に示すのは、1961 年 4 月 6 日から 1961 年 10 月 30 日までに逮捕された物乞いをする少年の 81 件のデータである 。一番小さい少年で 6 歳の子どもがいる。これらの少年は、両親と生活し、 健康状態は悪くないが、住居環境が悪く、親の職業が低賃金未熟練労働者の者が多い。. 1.2 青少年問題 香港の青少年問題は、政府内で大変重く受け止められていた。香港社会福利署の草稿 Social Welfare Department “Draft on Research Priorities on Youth Problems in HongKong”1971 に よって、以下、1960 年代の青少年の社会的背景・少年犯罪・家庭・教育程度なども紹介したい。 1966 年と 1976 年の香港の人口を比較すると、1966 年は 0-4 歳、5-9 歳が並んで全人口の 14% ほどを占め、1976 年は 0-4 歳、5-9 歳、10-14 歳、15-19 歳の各年齢層が 11%ほどであった6。1966 年は 1976 年に比べると、総人口に占める 0-9 歳の人口比が高かったといえる。1966 年は、15-19 歳 10.3%、1976 年 11.6%であり、この年齢層の人口比の変化はそれほどない。1966-76 年の 10 年で、特定の年齢層の人口比が変化したといえる。. 表3. 1966 年の人口分類表. (人口:人). 1966年(by-census) 人口. 年齢グループ 0~4歳 5~9歳 10~14歳 15~19歳 20~24歳 計 香港の総人口. 男 261,150 275,190 233,630 204,000 106,770 1,080,740 1,880,870. 出典:香港档案処 HKKS70 D-S№4-110-1. 女 249,470 253,810 214,760 180,340 93,990 992,370 828,050. 計 510,620 529,000 448,390 384,340 200,760 2,073,110 3,708,920. 総人数における割合 13.80% 14.20% 12.10% 10.30% 5.40% 55.80% 100%. 表 1「1961・1966・1969 年における人口の分類表(5 歳ごとに分類) 」. 1966 年は、24 歳未満の年齢層が全人口の半数以上を占める若い社会であった7。この草稿では、 若者は 8-24 歳(0-7 歳を含まず)を示しており、1966 年、全人口の 36%を占めた8と書かれている。. 6. 香港档案処 HKRS70 DSNo.4-110-1. Social Welfare Department “Draft on Research. Priorities on Youth. Problems in HongKong”1971.p.1 7 8. 同上 同上. 161.

(6) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. そのため人口比からしても青少年福祉は重要な政策の中心を占めたのである。 1960 年代、香港の児童・生徒の不登校、家庭の問題は大きく、 「1970 年、1,736 人の少女が家出 し、1,253 人が発見され、過去6か月で 933 人の若い少女が失踪した(730 人は家に戻った)」9と いう。「特に、低中層の家庭の少年で、初等・中等教育を受けた者が多かった」10ことから、家出 をしたのは、教育を受けた経歴があっても経済的には貧しい家庭の少女が多かったようである。 それでは、どれほどの青少年が触法行為をしたのかというと、 「1969 年は犯罪者の 28%が 20 歳 以下であるが、若い年齢層での犯罪率はわずか 0.4%であった」11という。若い世代の犯罪発生率 は 1,000 人に 4 人と低いといえるが、全犯罪者のうち、若い世代が占める割合はそれほど低くな い。 また、1966 年、薬物常用者 187 万 2,350 人のうち、20 歳未満は 144 人で、全薬物常用者に占め る割合は 0.008%であった。1960-70 年代は、三合会(香港の暴力団)とのつながりで、学校内で 薬物売買が行われ、新聞で関連する報道が盛んになされた時期であるゆえに、この数字は少ない ように思われる。1968-69 年には、当該年齢層の 0.022%と増加する12。 保護観察中13の青少年は、1966-67 年、7-13 歳は 211 人、14-15 歳は 333 人、16-20 歳は 482 人14 と当該年齢層の人口を考えると多くはない。. 表4. 保護観察の年齢※. 調査が必要な年齢. 7~13歳 14~15歳 16~20歳 21歳以上 計 16歳以下 16~20歳 21歳以上 計. 出典:香港档案処 HKRS70. 1966~67 年の保護観察と調査が必要な若者 男 193 307 451 287 1 238 1 242 1 292 2 425 4 959. D-S№4-110-1. 1966~67年 女 18 26 31 21 96 137 121 761 1 028. (人) 計 211 333 482 308 1 334 1 379 1 413 3 186 5 987. 表 37「保護観察と調査が必要な若者(1966~67 年、1968~69 年) 」. Social Welfare Department “Draft on Research. Priorities on Youth Problems in HongKong”1971.p.48.. ※数字は年内に保護観察の申請があった事例. 1970 年、これらの保護観察中の青少年のなかで、初等教育を受けた者が 1,533 人、中等教育を 受けた者が 436 人、そのほか 27 人の計 1,966 人と、初等教育を受けただけの者が多い15。しかし 香港社会全体の教育歴をみると、初等教育を受けた者が全体の 41.48%、中等教育を受けた者が 16.49%16と低く、保護観察中の青少年とはいえ、若い世代だけに、教育を受ける機会があったと 考えてよい。保護観察中の青少年の住居は、1970 年、政府によるアパートが 35.32%、低家賃住 9. 同上,p.2 同上 11 同上,p.3 12 同上 13 同上,p.4 14 同上 15 同上,p.5 16 同上 10. 162.

(7) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 宅 8.02%、共同住宅・アパート 39.48%、小屋 11.27%であった17。これらのことから、住環境に 恵まれない保護観察中の青少年の状況が明らかにされている。 このように、原稿には、青少年犯、保護観察中の青少年の生活水準が高くないと考えられるデ ータが豊富に示されている。. 2.. 1960 年代の教育. 2.1 教育状況 それでは、当時の香港の教育状況はどうであっただろうか。 1969 年、5-14 歳の 80%が就学していた18。無料の初等教育、3 年の就学前教育などの施策を政 府が打ち出そうとしたため、保護者が教育熱に掻き立てられた19という。しかし、1965 年、中等学 校生徒の 25%が修了することができなかった20ことから、中等学校進学後の学費負担の困難などが あったと予想される。また、この時期、中等学校のうち技術学校入学者が、1,500 人から 4,000 人 増えた21。技術学校の定員が大幅に増加することで、この世代の中等学校進学者数が増加するきっ かけとなった。 しかし、小学・中等学校を卒業しても仕事を見つけるのは難しかった。1966 年には、15-24 歳 のグループでは、9.48%が就職できていない22。この数字は、学校で学んでいる者、学業を継続す る者を含まず、また、技術不要・低い賃金の仕事があればましだ23というものであった。 また、現在も国際金融都市として、香港には多様な人々が集まっているが、香港生まれ、ある いは香港生まれではない、ということが、少年犯罪分析では重要であった。1966 年、 「人口の 46.2% が移民で、53.8%が植民地香港で生まれた」24というように、中国大陸からの移民も多く、香港社 会に不適応を起こす少年の存在があったのである。 この時期の香港では、政府建設の住宅が増え、香港の中心地で自分の家を持たない者が、これ らのアパートで家族と共に生活するようになった。「1967 年、平均収入は 1 か月 564 香港ドルで、 一家族 5.5 人が一般的だった」というが、 「月収によって住む場所が異なる」ことも報告されてい 「政府によるアパート群は、 『不満』の象徴で、ギャンブルや薬物使用と関係があると、よく る25。 みられている」26とも記されている。1961 年、香港の昔ながらの中心地・九龍の人口は香港全体の 23.2%であったが、1966 年になると 18.4%と、郊外に人口増加がみられ、中心地九龍は人口が減 17. 同上 同上,p.9 19 同上 20 同上 21 同上 22 同上,p.10 23 同上 24 同上, Social Welfare Department “Draft on Research 18. 25. Priorities on Youth Problems in HongKong”1971,p.11. 同上,“The Situation of Children and Youth in HongKong”A study undertaken for UNICEF in conjunction. with the social Welfare Department,HongKongv,Oct.1970-Feb.1971 by Pearl,p.8 26. 同上,p.13. 163.

(8) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. 少しつつあった27。中心地から離れた新九龍、荃湾では、政府が建設した住宅が多く、あまり豊か でない層が入居したことから、そこでは多くの若い人が集まり、少年犯罪が発生し、その後の社 会問題となっていく。 つまり、この草稿は、教育・就職・移民・住居の背景も少年犯罪に影響を与えているという視 点で書かれているが、当時から香港では、社会格差と少年犯罪の密接な関係が論じられていたの である。. 2.2 就学の負担 この時期の香港の少年について、作家 K.M.Lau は,“The Victoria Junior Chamber’s Action Committee on Narcotics”で、一般の人が若い世代に関心がないゆえに、多くの少年が社会との 接点がなく、薬物に走る状況を述べている。Lau は、 「無知、好奇心、迷信などが主な要因である」 「Teenager のアイドルは大きな影響を持っている。ビートルズ、ローリングストーンズが薬物を やったとしたら、しばしば盲目的にその例に従うだろう」28と、若い世代が薬物にどうして関心を 持つのかを論じている。解決策としては「職業教育が彼ら若い人を支援することだ」が、 「結局は、 死ぬまで働く仕事につくだけだ」と、働くだけで人生を終えてしまう仕事にしか就けない状況に 悲観的であった29。 学校に行けば学費がかかり、学校を卒業しても職を得るのが難しいのであれば、就学する家庭 の負担は重いだけである。香港では、「圧倒的に私立小中学の割合が高く」、そのため、改善策と して「古くからの問題は保護者の負担の問題で、少年が学校から離れれば家族の収入の助けとな ることから、教育行政部門による助学金などが考えられるべきである」30と記している。私立小中 学ゆえに負担が重いことから、学校に子どもを行かせることが困難な家庭の例として、以下の少 年の状況を述べている。. 14 歳の少年は、朝、学校に行き、午後・夜は鋳型工場で働き、わずかな収入を得ている。彼の 学校は私立学校で、1 か月 65 香港ドルの学費がいる。今年、彼は、ボランティア・グループの 奨学金を得ている。学校が好きだが、奨学金を得られなかったら、彼は学校を去らねばならな い31。. このように小学・中学の義務教育法実施前であったため、少年の就学は、家庭の経済状況とリ ンクせざるを得なかった。. 27. 同上,p.4. 28. 香港档案処 HKRSNo.294 D-S No.1-1 同上 30 同上,p.24 31 同上 29. 164. 1967 年 9 月 21 日. The China Mail.

(9) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 表5. 小学生の年齢で、学校に行かな い、あるいは仕事をしていない 児童・生徒・学生(アルバイトをしていない). 家事(アルバイトをしていない) 独立 その他 計 年齢別の人口 割合. 1961 年. 6-24 歳で経済的活動を行っていない者. (人). 6~14歳. 1961年(census) 15~24歳. 計. 90,331. ―. 90,331. 567 974 11 ― ― 658 316 682 757 96 40%. 88 396 39 267 9 262 ― 136 925 367 838 37 20%. 656 370 39 278 9 262 ― 795 241 1 050 595 75 60%. 出典:香港档案処 HKKS70 D-S№4-110-1. 表 29「1961 年と 1966 年における経済的活動を行っていない人口」. 1961 年は中等学校に進学せず、就職した 14 歳以下の少年は 24,441 人、15-19 歳は 81,724 人 であった32。そのなかで 14 歳以下の男子・女子就業者の数はそれぞれ 11,945 人、12,496 人33とあ まり男女差はない。多くは製造業、建設現場で働いていた34。1966 年になると、14 歳以下の就業 者は、男子 19,080 人、女子 23,880 人と、合計で 42,960 人である35。人数が増えているのは、そ の年齢に対応する人口が増えたためであり、決して中等学校に進学する者に対して就業者が増え たわけではない。 工業化との関連で、工業教育による若者への仕事の創出など、より手厚い政策の必要性が考え られ、 「香港の中で若者が職探しをするのに最も効果があるのは、工業を発展させ、工業教育を進 めることである」「特に私立工業学校に助学金、助成金を増やすべきだ」36と、工業教育の必要が 言われた。「若者が不安なく仕事ができるよう活動しているボランティア組織に支援をすべきだ」 37. と、単なる学校設立にとどまらず、支援者の必要も論じられている。 また、若者に仕事を提供しないと、政府の支出が増えることもあり、 「私たちは、私たちの学校. からドロップアウトした者が、私たちの社会からドロップアウトしたわけではないことを十分に 保障していない。若者に雇用を創出し、工業教育を受ける適当な場所・サービスを行わないと、 100 万香港ドルの労働部門の支出が増えることを知ることは意味がある」38と述べられている。 Ellen. Li も、「若者は店で、レストランで、自営業などで、長時間労働をしており、法的に守. られなければならない。長時間労働は訓練が何年もあり、収入がとても少ない、古い徒弟制度の ままである」と、低賃金のまま仕事をせざるを得ないのは、十分な教育を受けていないからだと して、 「よりよい設備、何百万香港ドルの 5,000 人の生徒のための職業中学が数年以内に設立され るべきである」39と、若者のよりよい雇用を支える教育機関の設立を説いている。 長時間労働をしながら教育を受けるのは大変であるが、17 歳の少女は、 「9 時から 7 時まで働き、 1 週間 2、3 回勉強し、3 年間で修了するエネルギーがまだあり」、「休みの時間は自分の知識を得 32. 同上,p.96 同上 34 同上 35 同上,p.97 36 同上 Budget Speech by TSL Tu-Chuen on 13th March 1968 37 同上 38 香港档案処 HKRS No.70 D-S 4-110-1 Speech by Mr.Fung-Chu at The Annual Budget Debate p.6 39 香港档案処 HKRSNo.288 D-SNo.1-1 Extract from Mrs. Ellen Li in L.C. on 2nd October,1969 33. 165.

(10) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. ることに努力すれば、将来、それを現金に換えられる」40と、職業教育機関で一生懸命勉強に励ん でいるという。 また、就学、進学の大変さは、 「1966 年、1969 年、3 人に 1 人が官立学校や資助学校に行ってい た」 「1969 年で 10%のみが小学 6 年まで修了できた」 「中等学校の 1.5%のみが高等教育を受けた」 41. ということからも読み取れる。官立・資助学校など学費が安い学校の少なさから、小学 6 年を修. 了できる者が大変少ないこと、さらに、大学・カレッジ進学を目指すというのは、一般的には考 えられない高嶺の花といえた。義務(無償)教育実施前、中学の学費は高く、また官立中学も少 なく、官立中学でさえ学費が必要であったことから、中学に進学できない少年が多くいたのであ る。 筆者が香港档案処で調査した際、档案処所蔵の公文書に、1960 年代は小学、中等学校の設立申 請に関するものが多くみられた。1960 年代は小学、中等学校の建設ラッシュの時期で、進学先の 受け皿作りが行われていた時代であった。 以下、報告書が書かれた時期の少年の生活状況について紹介したい。. ・12 歳少年 「6 時ベッドの中。7 時顔を洗う、学校準備。8 時学校。英語の授業。9 時自然科学。10 時卓球。 11 時教室。自分が卓球で勝ったことを考える。12 時体育。1 時家で昼食。2 時図書館。3 時疲れた ので、自転車で外に。4 時家。宿題をやらないといけないが疲れた。5 時テレビを見る。6 時台所 から母親の声で、夕食の手伝い。7 時父が帰宅、夕食。8 時大好きなテレビを見る。9 時風呂。10 時就寝」42. ・14 歳少女 「6 時母親に起こされる。7 時通勤途中。8 時工場に到着。9 時仕事。12 時昼食。1 時休憩。2 時仕 事。3 時同僚が夜間の学校に行かない理由を聞くが、夜間小学がないからと答える。6 時工場から バスで帰宅。7 時帰宅、夕食。8 時テレビを見る。9 時編み物。10 時就寝」43. ・15 歳少年 「6 時起床。寒いので早く起きたくない。7 時朝食。パンとバター。8 時公園散歩。9 時フットボ ール。10 時喫茶店。父と一緒に。12 時数学と英語の復習。2 時昼食。3-4 時テレビを見る、フッ. 40. 香港档案処 HKRSNo.70 DSNO.4-110-1 “The Situation of Children and Youth in HongKong”A study undertaken for UNICEF in conjunction with the social Welfare Department,HongKongv,Oct.1970-Feb.1971 by Pearl, p.34. 41. 同上,p.29. 42. 同上,p.71. 43. 同上,p.72. 166.

(11) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). トボール。5 時風呂。6 時父が休みなので料理を作ると言うがやめさせ、外食する。8 時帰宅途中。 9-10 時テレビを見る。11 時就寝」44. このように同世代でも、半日制の中等学校に就学する者、工場で働く者など多様であり、多様 な少年の家庭環境が手に取るようにわかる。工場で働く少女の大変さも読み取れるが、一方で、 青春を謳歌する少年の姿もあった。 また、1960 年代の香港は繊維業が盛んで、世界の縫製工場となっていたこともあり、徐々に女 性の就労が増え、核家族化していった。母親が働いている割合は、6 か月以下の子どもがいる母親 で 16%、5 歳以上の少年がいる母親は 42%であった45。香港では、この時期の少年犯罪の要因とし て、母親の就労、核家族化が挙げられていた。少年の周囲に、少年に関心を持つ身内がいなくな ったことが問題とされた。 そのため、政府としても、 「第一に未就学者をどうしたらいいのか。何人が、網からはみ出して しまうのか。第二に公的支援項目に助成金を拡大し、保護者が少年の学校出席のコストを払える ようにする。第三に、教育が必要な膨大な少年に対して、迅速に対応をする」46と、就学者増加に 向けての議論を進めた。. 3.. 物乞い. 3.1 社会福利署、警察の活動 1960 年代、香港の非行少年に対し、少年支援の施策が展開された。例えば、社会福利署、警察 などが夜間の取締りを行った。そこで多くの少年が逮捕されることで、社会福利署では、学齢期 の少年が学校に行くこと、地域・学校・家庭の連携について、多くの提案がなされた。その一方 で、宗教団体や慈善団体等が設立する施設は増加した。 1962 年 2 月、D.W.D. Bacon が、 「警察が、お金をせびって逮捕された少年にどれだけ注意を与 えているのだろうか、まだ何か所か、彼らのよくいる場所がある」 「私たちの行動が効果的かどう かみなくてはいけない」47と述べ、街中で金をせびって暮らす少年の存在について、より効果的な 取り締まりを警察に求めている。 それに対して、1962 年 2 月、D.Leung は、1961 年 4 月から 1962 年 1 月までの統計で、少年の物 乞いが 82 人で、そのうち、わずか 4 人が 2 回以上の逮捕だとして、警察の活動は効果的なものだ と答え、一般の人が、この問題に不満を持っていることが原因だとしている48。また、「82 人のう ちの多くは学校に就学する児童生徒で、 1 人は小学 2 年で、教育行政部門と連携しないといけない。. 44. 同上,p.73. 45. 同上,p.102 同上, p.55 47 香港档案処 HKRSNo.306 DSNo.1-132 BEGGARS - JUVENILE BEGGARS - DETAILS OF SURVEYS MADE S.W.D.1/335/56 M.41 1962.2.26 48 同上,Ext.from S.W.D.1/335/56 M.43 1962.2.28 46. Ext.from. 167.

(12) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. 違法・倫理的に問題がある物乞いについては、学校に書類を送付し、話をしないといけない」49と、 教育部門との連携を述べている。 また、 「近い将来の香港には、さらに多くの学費無償の学校や義務教育は望めず、多くの少年は 貧しく、官立学校にも入学できない。両親は家計を維持するために働き続け、きちんと彼らの面 倒を見る時間がない。ごみごみとした家の状況では、なかで遊ぶことができず、少年は街やプレ イクラブなどに行くことを選ぶ。そうすると、悪い友達と落ちあうことになる。もし、貧しい少 年が学校に行く、よりよい機会が与えられれば、多くの少年の物乞いは確実に減るだろう」50とい う。つまり、家庭の経済状況から少年たちが十分に遊ぶ場所もなく、悪い友達と付き合うことに なるため、政府の児童福祉政策、教育行政部門との連携で改善できるのではという提案であった。 S.M.Lee は、少年の物乞いについて、以下のように分類した。. 第一に、極貧の親の少年は、家庭環境に反発するため、生計を立てるため物乞いをする。さ もなければ、両親・監督者に生活のために物乞いをするよう強制されている。第二に、家を 飛び出した者で、両親のしつけに欠陥があり、あるいは注意・ケアが欠けているため家を出 て、靴磨き、車のドアを開けて物乞いをして自分で生きていくことを好む。第三に「孤児・ 捨て子」で、生活のため頼る両親・親戚がいない。ここに分類される少年は比較的少ない。1 -2 件のケースのみである51。. 一方、1962 年 3 月、Siu. King-Chiu(Relief section)は、物乞いの少年の背景を、1家庭の崩. 壊、2無責任な親・育児放棄の親、3少年の不良行為・友達からの悪い影響、4親の影響、5貧 困と整理している52。家庭内、外に出れば友人にも恵まれないため、物乞いとなる道を選ぶという 背景があるのである。 D.Leung は、 「さらに多くの少年のためのクラブ、プレイグランド、プレイセンター、図書館、2 部制の学校があればいい。両親の意識が低く放課後の少年の面倒をみることができないので、少 年は、街で小銭を得るため物乞いをする。香港に、より多くのクラブやプレイグランドがあれば、 貧しい少年は放課後の時間、より適した場所に行くことができ、良き市民となるよう学ぶことが できる」53と書いている。 Stephan Chau(Child of Juvenile. welfare section)は、Siu King –Chiu “A. Night Survey on the Cases. Mendicants”の概要を報告した。物乞いをする少年について、「21%以上は一人暮. らしで、ケアや保護が必要で、法的な支援を示す必要がある」 「72%以上が家族から物乞いをする よう言われていた。これは両親に法的措置と法的支援をとる必要がある」「3 時間の物乞いで、平. 49. 同上 同上 51 同上. 52 同上,Siu King –Chi 1962.3.19 53 同上 50. 168.

(13) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 均 2.5 香港ドルの収入が得られる。大変な仕事する大人が 1 日で得られる金額なので、家族から 物乞いをするように言われ、少年自身も物乞いをしたいという気持ちが強い」54ため、家庭背景か ら物乞いをやめるよう説得する難しさを述べている。 そこで、 「義援金を与えることで、物乞いをやめさせる公的なキャンペーンを行う」ことを提案 している。「15%近くの少年は、物乞いで得た収入をよくないことに使う。ギャンブル、保護費、 たばこなど。また、薬物常用者には警察による介入が必要で、何人かの物乞いの少年には、確か な説得、強制的没収をする必要がある」55と、少年が楽に小銭を稼げることから、家計の足しにな るだけでなく、不良行為・薬物犯罪にも手を出す状況があり、まずます物乞いをやめられないス パイラルができているという。 D.Leung は、 「マザー・クラブで、子育ての適した方法を教育部門と協力する」56と、親教育の必 要性を述べ、家庭の事情から物乞いをする少年が多いことから、親教育の必要を論じた。さらに 「新聞、テレビ局、カイフォン・センター、福祉センター、市民クラブなどと連携して、物乞い 防止の宣伝をする」 「問題があるティーンエンジャーのための機関を設立する。しかし、 『過去の』 経験では、ホームを拒絶する少年、ホームに入ることに適していない少年の問題が現れた」57とい う。少年は「閉ざされたホームで自由を奪われることが嫌がる」58というが、機関を設立するとき は「私たちの権利で訓練されたスタッフと、少年たちを必要な場所に送致し、両親、支援者と彼 らの同意を得て働く」59というように、これまでの孤児・浮浪児収容所とは異なるタイプの教育機 関を設立する必要が述べられている。 このように、戦後の孤児や浮浪児が街にあふれた時代とも社会的背景が異なり、1960 年代は、 社会的格差の激しさから、物乞いの少年の家庭が極貧であることが問題であった。ここから、戦 後の社会混乱から安定期に至る過渡期の香港社会をみることができる。. 3.2 法的対処 Siu King –Chiu は、“A Night Survey on the Cases of Juvenile Mendicants “で、両親や監 護人で、少年に物乞いをさせる者に対しては、 ‘The Protection of Women and Juveniles Ordinance’ (1951)で、法的措置を取るべきだとしている60。提案として、「少年の両親と一時的に関わり、 その期間に、少年を釈放することについて、確実に書類に書いてもらう」 「サインした書類は裁判 所の証拠となる。将来、再度、少年が物乞いをしたときに、自分が少年の管理に失敗したという 証拠になる」61というように、少年の問題だけでなく、保護者の問題だと書いている。 「両親は、少年が機関にいる間、家計を支える努力をすべきで」 「そのために少年の家族の家計 54. 同上, M.7 1962.3.27 同上. 56 同上, M.13 1962.4.5 57 同上. 58 同上. 59 同上. 60 同上,M.15 S.M.Lee 1962.4.11 61 同上 55. 169.

(14) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. を確かめないといけない」、「孤児あるいは浮浪児は、孤児院やホームなどで必要なケア、注意を 受けるべきだ」62としている。 1963 年 10 月 22 日の社会福利署の会合は、物乞いの少年の処遇について、警察、社会福利署が 行っていたが、ここではリマンド・ホーム(プロベーション・ホーム)と連携する必要が述べら れている。 リマンド・ホームは、「限られた数の物乞いの少年の一群の、その際の最初の受付機関とする。 処遇の照会、その先の他の機関や訓練機関への委託」63を行うものである。「この提案は、年末か ら一時的に可能だが、リマンド・ホーム収容者がすべて新しいリマンド・ホームに引っ越した後 で、折り紙付きの生徒で満員になる前に」64収容した方がいいというものであった。物乞いの少年 を逮捕後、すぐに多く収容することができるわけではなかった。 また、プロべ―ション・ホームではなく、ディテンション・センターで収容するという提案も なされた。 「もし、浮浪罪と判決が出れば、裁判所は、ディテンション・センターに他の少年犯と一緒に 収容する」 「しかしこれでは、隔離するだけで、少年の積極的構造的なリハビリのためのプログラ ムに欠け、問題を解決する生活環境を提供できない」65と、少年の更生への前向きな提案がなされ ている。更生のためには、十分なプログラムが必要であるという考え方である。 「差し迫った対応 では、短期・長期のディテンション・センターに収容することが、いくつかの積極的な結果を生 むと考える」66と、ディテンション・センターを全面的に否定するのではなく、むしろ最初の収容 先として確保するほうが、その後の更生を考える機会にもなる。差し迫った時には、まずは収容 先を考慮するのが、最終的に少年の福祉につながるという提案であった。. 3.3 物乞いの取締り・逮捕 警察における物乞いの逮捕直後の処遇如何が、その後再犯となる可能性を引き起こしかねない ため、物乞いの少年の処遇は警察あるいは福祉のどちらが中心となって進めるのか、多様な意見 のやり取りがなされた。 社会福利署の Leuing. kai-Cheng が参加した取締りは、下記の様子であった、警察官主導で過. 度な逮捕が目立ったという感想を持ったようである。. 1963 年 10 月 16 日午後 9 時半、3 回目の一掃が行われ、コーズウェイベイのロクシー・シア ターのそばの駐車場に焦点があてられた。この取締りに参加したのは、分かりやすい服装の 10 人の警察官で、A(匿名とするために、筆者が A とした)が代表であった。5 人の少年が逮 62. 同上 同上,7. Child Mendicants “A Tentative Plan Deal with Child Beggars Reception Centre for child Beggars” p.1 Minutes of Staff Meeting held on Tuesday 22nd October,1963 at 11a.m. 64 同上 65 同上,p.4 66 同上 63. 170.

(15) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 捕された。彼らはストリートチルドレンで、汚れただらしない服を着ていた。しかし、逮捕 される前、物乞いも、車のドアを開けることもしていなかった。9 月 21 日、10 月 5 日のバー・ エリアで物を販売した少年のようなこともしていなかった。彼らがしていたことは、駐車場 の角に座っておしゃべりしていたことである。私には、暑い夏の日の楽しい時間を過ごして いる少年たちに見えた。この視点では、物乞いの少年とみるのは難しい67。. このような不当といえる逮捕もあったのである。他にも社会福利署の職員による取締まりへの 参加が見られた。. 1963 年 10 月 5 日午後 9 時半に東警察署による、湾仔地域の物乞いの取締まりに参加した。 11 人の警察官は、インスペクターB(匿名とするために、筆者が B とした)によって統率さ れ、少年の取締まりに参加した。 私は社会福利署からの唯一の参加者であった。10 時にパトロールに参加し、バー・エリアを 歩いた。15 分歩いても少年はほとんどおらず、3 人を逮捕しただけであった。ガムとおもち ゃを販売していた 3 人の少年が逮捕された。全員 12 歳で、3 人のうち 2 人は 9 月にも逮捕さ れていた。2 人目を妊娠中の母親が、警察署に、すぐに逮捕後の少年を迎えに来た。B は、来 週月曜日 10 月 7 日まで留置場に留めることを言った。しかし夜 11 時になっても他の 2 人の 両親は警察署に迎えに来なかった。私は、両親からの電話を待つ必要がないから、警察署か ら帰ってもいいと言われた。彼は、まだどんな処遇をするのか決めていないと言った68。. 今回の逮捕劇は、社会福利署職員は一人のみの参加で、警察が中心に行ったが、福祉的な対応 が優先して行われる必要がありながら、警察の強権的な逮捕後の場面では、まだ十分に力を発揮 できなかったようである。警察が逮捕して処遇するだけでなく、社会福利署も処遇に関わり、ま た少年の逮捕を目的とするのではなく、予防も考える必要性が論じられている。. 4.. 青少年犯罪予防・社会的資源の増加. 4.1 厳罰より青少年に機会を South China Sunday Post Herald(1963 年 9 月 22 日)で、繰り返し少年の被害に遭っている者 から訴えられた『少年を見よーチップのため、運転手がいない隙に車の面倒を見る浮浪児』の編 者が、 「最近の判決で再犯の 15 歳の少年が反社会罪で身体的罰を 2 年間受けた」69ことから、少年 犯罪をなくす方法は「貧しい地域、街頭に住む子どもたちをなくす努力をする有効性のなかにあ. 67. 同上,1963 年 10 月 1・8 日. 68. Leung kai-Cheng “The 3rd ups of Juvenile Mendicants”. 同上,1963 年 10 月 10 日. 69. 同上,South China Sunday Post Herald. Leuing kai-Cheng 1963.9.22. 171.

(16) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. る」70と述べている。しかし、政府をはじめ多くの組織が行っているプロジェクトとユースセンタ ーの設立は、「難しい仕事の周辺部に関わることだけかもしれない」71というように、若者人口が 増え、少年犯罪が減少しないことも予想された。しかし、 「お金だけでなく、スポーツ施設、社会 的活動、図書館なども必要である。ソーシャルワーカーも必要である」 「政府は、多くの若者のた めに、これまでより社会福祉を行うことをアピールしたが、専門家だけでは、恵まれない少年と いう大きな敵をうまく処理することができない、ボランティアも必要とされる」72と、人的・物的 資源の重要性について論じている。つまり、この当時の少年犯罪予防は、社会的資源を増加させ るべきだというアプローチであったといえる。. 4.2 タウンワーク この時期、タウンワークで、青少年問題を話し合う場面も見られた。 九龍のタウンワークでは、警察が十分に青少年の物売りを統制せず、逆に逮捕者だけを増やし ている状況を話し合う予定だという。 具体的には、 「年末から若いギャングが、いろいろなところで、けんかしている点について、警 察は黄大仙から来た者だと言うが、効果的な管理はしていない。というのは、彼らは三合会と特 にパイプもないからだ」 「観塘、黄大仙など限られた地域で、物売りとして多く逮捕されるのを見 るが、考えるべきは、行政がこれらに関わることである」 「まだ開けていない土地では、多くの空 いている駐車場が不当な安売りの場所となっているか、何の統制もなく見境なく物売りに使われ ている」73というように、青少年の物売りが多かったからである。組織的暴力団・三合会と特に関 係がないギャング・青少年の物売りに関する問題は、警察や行政が効果的な対策を実施すれば成 果があるかもしれないという。 青少年問題があるなかで、社会福利署は、地域の街坊会と連携して、青年が、地域活動に参加 する計画も立てた。 1968 年 8 月 14 日「青年協会と街坊会の協力で青年福祉事業を大いに行う」は、「香港島西区民 政処が 8 月に開いた社団首長聯席会の際に採決され、さらに新しい段階まで、香港青年福祉の仕 事を展開させることを決議した」74という。「この会議は、香港島西区民政処会議庁内で挙行し、 民政主任呉国泰主将」75が中心となって行った。「社団代表の香港青年協会、社会福利署、市政事 務署、香港専上学生聯会、西環街坊会、西区街坊会、香港仔街坊会、鴨脷洲街坊会、中区街坊会、 中区市民連絡服務会、民政処各連絡員等」76など、当該地域の青年に関わる行政・そのほか多様な 団体が集まった会議であった。 70. 同上 同上 72 同上 73 香港档案処 HKRS No.288 D-SNo.1-1 61,From David Lee C.D.C./Kowloon To C.D.Cs Kowloon,1969.3.17 74 香港档案処 HKRS No.70 D-SNo.4-110-1 1968 年 8 月 14 日「青年協会と街坊会の協力で青年福祉事業を大い に行う」p.1 75 同上 76 同上 71. 172.

(17) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 「青年協会は歴史ある社団で、青年活動に経験が豊富で人材、設備も相当完備されている」 「街 坊会は、区内の状況に熟知し理解し、そのため人事・地区の実際の状況で問題が発生することは ない」77と、外部の団体ではなく、住民がよく見知った地域ゆえに青年対策が可能であることが述 べられている。具体的な活動は、以下のとおりである。多様な個性の青年に対応し、様々なコー ス設定がなされた。. 1 楽しみ(バスケットボール、バレーボール、バトミントン、陸上など)、2技能学習(柔道、器 械体操、重量挙げなど)、3自己表現(弁論、戯劇、絵画、油絵など)、4キャンプ、5探求、遠 足など、6ボランティア、火事救援、7趣味を増やす、8交際、9訓練班、10 学習指導者78。. 決して、運動や規律訓練だけが、青年活動の範疇でないことが明確である。 深水埗でも、1968 年 9 月 11 日「深水埗民政署は、関連する立法を行い、青年が地域のことに参 加するよう励ます」79と、地域が青年の活動にかかわり、地域と青年が一緒に活動する方向を考え た。 深水埗民政署の主任黄剣琴は、 「現在の段階は、できるだけ早く、区社団の各関係者と接触する」 段階で、 「社会福利署青年組と相談し、適当な方法で、青年が区内の公的事務に興味を持ち、でき るだけ意見を出す、社会奉仕をするよう励ます」80という方向を示した。社会福利署と地域の人と の連携により、青年事業の有効性が述べられたのである。 また、「まず、既にある組織と接触して相談する」81と、地域の有力者を介して地域に適した支 援事業を展開すること、青年教育が重要とされながら実現が難しかった時代に、 「教育が十分であ るかどうかの問題」82も、民政署が介入することで、教育を重視することにした。 これまで青少年犯罪といえば家庭の問題が言われてきたこともあり、社会福利署家庭福祉組の 家庭サービスが重視された。 「家庭サービスに関して、家庭でいかなる問題困難が発生したかにか かわらず、家庭服務組が協力・解決する義務がある。また、彼らは家庭服務組に申請、要求を出 すことができる。例えば、救済、生活保護、紹介、家庭問題、虐待。さらに児童センター、職業 訓練センター、リハビリセンター等を設立する」83。今後、より良い家庭サービスを提供すること で、社会問題を少なくしようとしたのである。. 4.3 リクリエーション 1960 年代には、社会福利署をはじめ、各団体が、ユースセンターの設立を行った。青少年の健. 77. 同上,p.2 同上,pp.2-3 79 同上,p.1 80 同上,1968 年 9 月 11 日「深水埗民政署は法を作り青年が地域のことに参加するよう励ます」p.1 81 同上,p.2 82 同上. 83 同上,pp.3-4 78. 173.

(18) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. 全な居場所作りが、犯罪予防対策となるためである。 政府は、1968 年 9 月 27 日「政府がリクリエーションを推進し、青年の心身の教育に注意する」 というリクリエーションの施策を出した。政府は、 「夏休み期間内に政府各部門及びボランティア 団体による青年活動で、各方面から熱烈な支持・対応があり、環境が良くない何万もの青年が、 有意義な夏休みを 1 回でも過ごしてくれればと、きわめて鼓舞している」84というように、民間団 体主催などの活動を支援した。 「1969 年、75 万人の若者が、リクリエーションで、森での活動や キャンプで長い休みを使った」85と、その効果は大きかった。 前述の社会福利署の報告でも、青年が余暇を有意義に過ごすために、 「1か月に4回の休暇を労 働者に許可する」という法律があること、また、 「児童生徒は長期休暇があり、学校が半日制であ ること」から、青少年向けのリクリエーション施設や場所の必要を述べている86。 また、1968 年 4 月 18 日、助理華民司・徐淦が、 「談対青年問題正確態度」というタイトルの放 送を行い、 「私は、青少年に関わる仕事の目的は、青少年が健康的な活動に興味を持ってもらえる よう啓発すること、彼らが自分の優れた点を発揮できるよう助けること」 「良好な公民となること」 87. と、述べている。つまり、青少年のリクリエーションは、若者が自分自身に自信を持つきっかけ. だと捉えている。家庭環境が悪いことに加え、学校で教育も受けず、楽しみもない青少年に必要 なのは自尊心を育てることで、青少年の更生が、青少年の心の問題解決や居場所確保にあること が述べられている。 政府から青少年教育に多少の投資がなされているものの、Ellen Lee は、 「去年、多くの地区で、 若者の問題に注意が向けられた。何百万香港ドルが、若者へのサービスやリクリエーションに注 ぎ込まれた」が、 「香港の若者に帰属感、公民としての尊厳、政府組織・役割に関する知識、その 社会で生きているという事実が欠けている」 「この一部は、学校で公民教育が欠けている結果であ る」88と、少年の意識の低さ、学校教育で公民教育を教えないことが青少年問題にもつながるとい う指摘をしている89。青少年の地域への帰属感、自己満足を充足するため、植民地政府としてリク リエーションを展開する施策が行われたが、植民地政府ゆえに、特に強固に公民教育を推進する というわけではなく、あくまで、青少年の社会適応を図るものとして、リクリエーションを中心 に行われたと言える。 深刻なのは、Social Welfare Department“Draft on Research. Priorities on Youth Problems. in HongKong”1971 では、「少年の問題行為や犯罪」より「少年のリクリエーション」に関心を持. 84. 同上,1968 年 9 月 27 日「政府がリクリエーションを推進し,青年の心身の教育に注意する」p.1 同上,“The Situation of Children and Youth in HongKong”A study undertaken for UNICEF in conjunction with the social Welfare Department,HongKongv,Oct.1970-Feb.1971 by Pearl, p.35. 86 同上,Social Welfare Department “Draft on Research Priorities on Youth Problems in HongKong”1971 p.10 87 同上,1968 年 4 月 18 日 助理華民司徐淦「放送談対青年問題正確態度」p.4 88 香港档案処 HKRSNo.288 D-SNo.1-1 1968 年 11 月 U.C.Annual Conventional Debate (Mrs.Ellen Lee) 89 Patricia Gray“THE STRUGGLE FOR JUVENILE JUSTICE IN HONG KONG 1932-1995“(1996)Hong Kong Law Journal, 1996, v. 26 n. 3, ,p.304 にも、同じ内容に記述がある 85. 174.

(19) 1960 年代香港の青少年犯罪(山田美香). 「若い世代の教育の優先度は最下位である」91と書かれていることである。 つことが必要だと述べ90、 若い世代の「問題が大きくない」ということではなく、「植民地ではよくある象徴的なことだ」 92. と、若い世代を軽んじ評していることである。つまり、青少年人口の比率が高いとはいえ、植民. 地政府による青少年福祉政策の優先度が低いのは普遍的なことで、香港だけの問題だけではない ということであった。. おわりに 本論文では、香港档案処所蔵の社会福利署の報告書を主に用い、1960 年代の青少年犯罪の状況、 特に物乞いをする少年の背景、社会的要因を中心に論じた。家庭環境が悪いことから物乞いに走 る少年の状況は、当時から政府内で議論されたが、警察連携制度以外の少年福祉に関して、政府 内で議論はあったものの、大きな政策は実行されず、重視されても優先事項とは考えられなかっ た時代であった。当時の香港は若い世代が過半数を占める社会であったが、戦後の混乱から立ち 直った 1960 年代でも、若い世代に義務教育を与える余裕がない時代であり、ここから植民地政府 統治ゆえの課題が見て取れる。 社会福利署は、青少年福祉施策の一環として、リクリエーション事業に関わり、青少年の居場 所・教育機関設立に関わった。また、社会福利署は、警察と連携して、何度も取締りを行ってい る。植民地政府ゆえに「最優先」されなかった青少年福祉であるが、植民地政府ゆえの限界はあ るものの、香港全土で既存の地域の資源を活用するなどの努力はなされていたと思われる。 本論文では言及できなかった点であるが、今後、1960 年代の社会・教育の多様化を踏まえつつ、 香港の青少年犯罪と青少年の権利擁護を支える法制度・福祉的な青少年支援について論じたい。 継続して、戦後の混乱から一段落した香港社会の周辺部に置かれた青少年の状況について考察を する予定である。. 参考文献 ・David Chi Shang,“The effects of full government subsidy on the Evangelical Christian schools in HongKong ” Thesis (Ph. D.)University of Toronto,1984,pp.1-4. ・『香港教育政策評議(全一冊)』明灯日報、1965 年 11 月 ・香港教育資料中心編写組『香港教育発展歴程大事記(1075-2003)』香港各界文化促進会有限公 司、2004 年 ・香港档案処档案 ・Chan Shui-ching 陳瑞貞”A proposal for formulating a youth policy in Hong Kong for the 21st century”for the degree of Master of Public Administration at the University of Hong 90. 香港档案処 HKRSNo.70 DSNo.4-110-1 Social Welfare Department“Draft on Research Youth Problems in HongKong”1971,p.13 91 同上 92 同上. Priorities on. 175.

(20) 名古屋市立大学大学院人間文化研究科. 人間文化研究. 第 27 号. 2017 年 1 月. Kong in June 2009 URL http://hdl.handle.net/10722/144223. 本論文は、教育史学会第 60 回大会(2016 年 10 月 2 日、横浜国立大学)における研究発表の資料に、加筆修正をしたもので ある。名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士後期課程学生手嶋大侑さんに、本論文の校正、表の作成をお願いした。. 176.

(21)

表 5   1961 年  6-24 歳で経済的活動を行っていない者    (人)   出典:香港档案処 HKKS70 D-S№4-110-1  表 29「1961 年と 1966 年における経済的活動を行っていない人口」  1961 年は中等学校に進学せず、就職した 14 歳以下の少年は 24,441 人、15-19 歳は 81,724 人 であった 32 。そのなかで 14 歳以下の男子・女子就業者の数はそれぞれ 11,945 人、12,496 人 33 とあ まり男女差はない。多くは製造業、建設現場で

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