Title
沖縄にて「開発」の意味を追究
Author(s)
仲座, 栄利子
Citation
沖縄キリスト教短期大学紀要 = JOURNAL of Okinawa
Christian Junior College(36): 99-110
Issue Date
2008-02-28
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9727
沖縄にて「開発」の意味を追究*
仲 座 栄 利 子 * *
Abstract Thepurposeofthispaperistoexplorethecommonunderstandingofthemeaning ofdevelopment.Thepaperdiscussestheoriginofdevelopment,asaword,asatheory andasanapplicationtosociety.Researchquestionsareasfollows:Whataretheorigins andthechanges,ifthereareany,inthemeaningsofdevelopment?Whatarethehistori‐ calandtheoreticalperspectivesofdevelopment?Whatarethecharacteristicsregarding theapplicationin○kinawa? は じ め に 『広辞苑」によると、「開発」とは「1.(天然資源を)生活に役立つようにすること。2.実 用化すること。3.知識を開き導くこと。」である。本稿では「開発」という言語の意味合を探り、 理論としての構築を歴史的な背景より分析し、そして「開発」が社会の中でどのように適用されて きたのかについて沖縄の事例を踏まえて考察する。「開発」に対する共通の解釈とはどのようなもの であり、その変化の有無を特質を探り、社会に対する影響力について考察する。 一 章 言 語 の 解 釈 一章では「開発」という言語の解釈についてまとめ、広辞苑による言語の定義に沿って、そ の意味合がどう変化し、どのような特質を持つようになるのかについて考察する。 低開発の定義 「開発」という言語の意味合を上記の通り列挙したが、逆に、開発してない、されていない ものとして、「低開発」とはどのような意味合が込められるのか探る。山形(2006)によると、 先進国では助かるが、発展途上国であったために慢性的な栄養不良のため命を落とした事に対 して、その親達はその事について何とか運命であったと諦めるかもしれないが、塩や砂糖を混 ぜたスポーツドリンクのような水を飲ませることによって自分の子供が延命になるかもしれな いというような情報であれば親達は試みたいと思うようになる。エステバ(1993)によると、 世界人口の約3分の2が低開発という状態にあり、それは服従し、道から外れ、差別と征服の 状態にあることを意味する。つまり大多数の人々が天然資源を生活に役立たせることなく、実 用化できずに、知識を開き導くことができていない状態にあるということになる。 吉川・緒方(1996)によると、低開発社会は伝統的な社会を指し、開発とは伝統的な社会か UnderstandingDevelopmentinOkinawa **ErikoNakaza沖縄キリスト教短期大学紀要第36号2008 ら 近 代 的 な 社 会 に 移 行 す る 事 で あ り 、 近 代 的 な 社 会 は 欧 米 社 会 の よ う な も の を 指 す 。 低 開 発 社 会は未開発な状態である事でもなく、「中心」と「周辺」という言葉を使用すると、「周辺」的な 存在である。「周辺」は通常一次産品輸出国であり、工業的に発展した高度資本主義国の「中心」 に向かって食料や原料を供給する。「周辺」の内部交換密度は小さく外部交換が大きいのに比 べ、「中心」では内部交換密度が高く自己中心的である。低開発状態にある周辺では一人当た りの所得水準や生産力が低いという量的な問題や、内部要因、僻地である事、隣接する他の発 展地域、国との関係による歴史的産物や負の遺産を抱えるという構造的な問題もある(吉川・ 緒方1996)。 動 植 物 の 成 長 と し て の 開 発 開発の語源に戻り、本来、開発とは動植物が自然に、完全なる成体に達するまでの成長段階 を意味する(Esteva1993)。黒崎・山形(2005)によると、英単語develop***には自動詞としての 意味合「おのずから発展する」と他動詞としての意味合「他に影響を与えて発展する」がある。 日本語では前者が「発展」、後者が「開発」であり、開発経済学は後者に当てはまる(黒崎・ 山形2005)。前者の「発展」の意味合として、大塚・黒崎(2003)は経済発展として新古典派 経済成長理論や内生的経済成長理論等を説き、中でも産業発展段階論には、始発期、量的拡大 期、質的向上期という3つの発展段階があり、その発展プロセスには「内生的な」変化が伴う。 経 済 成 長 の 開 発 1947年には、開発をめぐる世界的な動きとして、国連は経済成長を中心とした開発に取り組 むようになり、1952年では、先進国の基礎的な社会サービスを途上国に提供するようになる (Esteva1993)。 松島(2006)によると、開発は大量生産、消費、廃棄体制に移行することであり、同一価格、 数量の製品を常に作り出すことである。その際、制度は均一化になり、社会の文明化を促進す るようになり、無限なる成長を試みる事である。次第に合理的な経済人を養成するために、人 間開発を行い、教育や人材育成への投資を重視し、それは自然環境を改変する事に繋がるのと 同じく、人間をも管理しやすい要素にする(松島2006。 物 の 開 発 か ら 人 の 開 発 へ 1974年より、物質的価値観を中心とした経済成長による開発から、人間を中心とした開発に 焦点が当てられるようになる(Esteva1993)。人間を中心とした開発として開発教育が採り 上げられようになるが、湯本(2003)によると、開発教育は欧米諸国で提唱されるようになり、 日本ではその10年後あたりに紹介されるようになる。一方、上別府(2002)によると、1974年以 前は、日本の当時文部省と、海外技術協力事業団との協力はあったが、それ以降の国際協力事 業団設置にあたっては、文部省はポストを確保しようとするが希望のものは獲得できず、その ため国際協力事業団との関係が冷え込むのである(Kamibeppu2002)。 湯本による1974年以前からの日本の開発に対する取り組みとしては1965年に海外技術協力事 業団、日本青年海外協力隊等があり、そして1974年には国際協力事業団、1977年に小中学校の 教科書に「南」の国々の取り上げ方が調査され、1979年にローマクラブによる『限界なき学習』 の報告書が発表され、日本で最初の「開発シンポジウム」が国連大学共催で開催され、1980年
に「開発教育研究会」が発足、1982年に全国規模の連絡協議組織等の発足がある。国連教育科 学文化機関が「国際理解教育」を提唱した頃の日本はバブル時代にあったためか、浸透せず、 その代わりに、文部省の「帰国子女教育」や「海外子女教育」等が提言され、国連教育科学文 化機関の「国際教育勧告」とは異なったものとなる(湯本2003)。開発教育と教育開発との 違いもあるが、日本と他の国の人間を中心とした開発の動向には多少の違いが伴う。 教育開発の教育とはどのようなものなのか それでは何故異なったものとなったのかについて考察すると、東西の教育に対する,思想の違 いが原因ともなりうる。今井(2003)によると、東西の比較として、現在、アメリカ、イギリ ス、ドイツ等では「学力向上」に取り組んでいるのに対し、中国、韓国、台湾、日本では「ゆ とりの教育」の方向へと取り組みが移行している。「ゆとりの教育」は時代を遡り、古代ギリ シャ時代の教育、パイデイアに影響を受けるものとも考えられ、それはホリステイックな人間 形成を意味する。シュタイナーによる古代ギリシャの教育は身体、魂、精神を包括したもので あったが、ローマ時代以降に身体が落ち、さらに中世以降に魂が落ち、知育だけの教育となる。 マルーは教育を能動態でなく完了態の教養であるとし、それは精神が発達してあらゆる素質を 持ち人間らしい状態である。クインテイリアヌスによると、完壁な弁論家は「よき品‘性の人」 であり、それは魂や精神との調和がとれた人物である。中世になると、「知は力なり」と知育 に重点が置かれ、近代以降は知識重視とホリステイックな人間形成の調和に重点が置かれるよ うになる。コメニウスの『大教授学』には青少年の魂を俗世の破滅から守る教授学が提唱され る。ペスタロッチの「人類の教育者」では思考と心情と技能の調和的発達が提唱される。その 他にスウェーデンのエレン・ケイの『児童の世紀」、小原国芳の全人教育、シュタイナー教育、 デューイ教育等も含まれる。ホリステイック教育は社会と経済との連携として新しいオルタナ テイブな経済として地域通貨の動き等も伴う(今井2003。 ‘恒吉(2003)によると、日米教育の比較として、日本人のしつけを「植物モデル」とし、そ してアメリカ人の伝統的なしつけ観を「動物モデル」とする。「植物モデル」とは、‘性善説に基 づき、自然に貝IJした成長を強調するものである。それは邪心がない子供が軌道から外れた事を、 わざと曲がろうとして変形してしまった植物として見るのでなく、粘り強く方向を正すことを、 植物に添え木をする事に例える。これに比べ「動物モデル」とは、‘性悪説、カルヴァン主義的 な人間観のもと、子供の欲求、わがまま、衝動、反抗は罪深いものであると見なされた。その ため親や教師の勤めは子供を絶対服従させ、厳しくしつける事にあった。しかし現代では、意 識変化や社会変動に伴い、アメリカでも子育ての「楽しさ」、子供の心理的ニーズを満たすため の大切さ、体罰を避けるようになる。「よきアメリカ人」として、活発で、利発で、言語能力に 優れ、積極的な人材を評価するようになる(‘恒吉2003。 多 様 な 開 発 人間開発の後は経済、社会、政治変動を考慮した多様な開発、新たな開発、先住民の開発等 が提唱されるようになる(Esteva1993)。江原2003によると、これは今まで全体の統一 '性を重視した考え方から多元的な考え方へと移行することである。欧米を「北」とし、その開 発技術、文明、進歩‘思想だけに集中するのでなく、「南」の現実に一層近づくことである。「非 正 統 的 」 な 存 在 で な く 、 第 三 世 界 の 文 化 や 言 語 の 混 清 は 徐 々 に 注 目 さ れ る よ う に な り 、 さ ら に
沖縄キリスト教短期大学紀要第36号(2008) 文明と未開、近代と伝統、開発と低開発、中心と周辺のような二分法的観点の見直しが行われ
ている。多様な開発は文化や言説だけでなく、教育の社会的構造、制度、動向、そこに関わる
権力、政治等を含めた実態的把握と、歴史、宗教、文化、当事者の肉声(2)、内面も考慮するこ
とである(江原2003。 開 発 の 喪 失1980年代になると、開発の限界、北の再開発、南の開発拒否、開発の喪失を向かえる。人間
や外部権力による搾取や支配でなく、自立して持続可能な開発への取り組みが提唱され、1990
年には、開発指標の変革が行われ、国連の人材開発報告書が発行される(Esteva1993)。
コ モ ン ズ そしてさらにコモンズという考え方は新しいコモンズをつくる事により、人々は、今までと は異なった形で、それぞれのあらゆる共通'性を見つけ、新たな環境を構築し始めるのである (Esteva1993)。 以上のように、開発の語源とその解釈の変化を取り上げてきたが、その意味合は、「中心」と「周辺」との違い、量的、構造的な問題を抱える低開発状態の特質を記載した。動植物が成
体に達する成長段階、自ら発展、他に影響を与えて発展という開発の意味合もある。さらに、
物質的価値観を重視し、計画的で指標による経済成長中心の開発から、東西の価値観の違い、 知育以外の、指標では計りにくい人間中心の開発、南北の違いを取り入れた多様な開発の在り 方、開発の限界と喪失、そして新たなるコモンズとしての開発の意味合がある。その特質は天 然資源を生活に役立たせ、実用化する方法としてのハード面を中心とした開発から、知識を開 き導く方向としてのソフト面を考慮した開発へと変化しているとも言えよう。そして知識の統 一‘性より、二分法的観点、多様な、新たな開発へと、その言語の解釈は変化する。 二 章 理 論 と し て の 構 築 一章では開発という言語の解釈がどのように変化してきたのかについて記載したが、二章で は開発の意味合が社会でどのように浸透し、どのような理論を構築したのかについて考察する。 古典循環理論よしノポスト構造主義まで ファガランド・サハ(1983)によると、最初の近代開発理論として、12世紀の神の国を中心 とした古典循環理論があり、次に17から18世紀にかけ人類の無限なる発展を中心とした啓蒙楽 天主義、そして、宗教、教育、政治、家族単位がバランス良く組織する構造機能主義の理論に 移行する。構造主義は構造と全体を重視し、包括的なシステムの説明を行うのに比べ、その次 の理論、ポスト構造主義はフランスを中心に1970年代に表れるが、個人や個々の出来事に重視 し説明を行う(江原2003)。 近 代 化 理 論 近 代 化 理 論 は 米 国 終 戦 後 に 説 か れ た も の で あ り 、 人 類 の 未 来 を 楽 観 視 す る 特 質 を 持 つ (Fagerland&Saha1983)。それは1950年代半ばに先進国が豊かな社会となり、イデオロギーの終罵、階級闘争と革命神話が力を失い、政治的な近代化推進エリート、モダナイザーが計画 的、連続的、社会工学的な近代化を進め、そして発展途上国の教育と開発理論にも影響を及ぼ す(江原2003)。 経 済 成 長 理 論 経済成長理論は1940から50年代半にかけ説かれ、開発の成果を国民所得の増大で示されるよう になる。経済成長により富が増大すると次第に貧困層にも届くようになるというトリクルダウン仮 説により工業化が促進される(江原2003)。 人 的 資 本 論 経済成長理論の後、1960年には、経済人により、人力の改善を資本投資と見なす人的資本論 が説かれるようになる(Fagerland&Saha1983)。津田(2005)によると、人的資本は、 教育を経済的な価値を生み出す要素とし、それは人的資本への投資として教育の需要を把握す る考え方である。 経済的な価値としての労働力と人的資本としての教育の関連‘性として、国民所得増加の10分 の3から2分の1が、労働力における教育の結果であり、国民識字率が4096を超えると経済成 長が始まり、日本やイギリスの場合では発展の前に国民識字率が30%から40%に達していた (江原2006)。 一方、今井は、経済発展に特化した人間教育は失敗したとし、教育の幅を広げ、ホリステイッ ク教育の必要‘性を主張する。ホリステイック教育のシュタイナー学校では考える力、自己実現、 社会奉仕、生きる力を養成し、人間観を重視する。これは理‘性偏重より感’盾や意思が抑圧され 過った方向へ向かう事を避けるための教育であるが、知を軽視し感’情に埋没することでもなく、 知を本当に創造的な知にするためには知‘情意のバランスが必要とされ、その実施にあたり、競 争経済から友愛経済への移行も必要となる。事例として日本では1974年、山之内義一郎の学校 の敷地に森を作る事例がある。中国では江蘇省の国内消費市場と広東省の製品輸出を比較する と、江蘇省が20ポイント上であり、江蘇省は長期的に地元に貢献できる人材を地域内で養成し たという事例がある。タイでは1917年、プラ・テープカウイ僧は手を使う授業として裁縫、工 芸、農業を取り入れ、心の授業として仏教原理を取り入れ、頭を使う授業として数学や英語を 取り入れ、ホリステイックなカリキュラムを実施したという事例がある(今井2003)。 マルクス主義論とポストマルクス主義論 マルクス主義論は社会を搾取する階層とされる階層と、社会を二階層に分けた考え方である (Fagerland&Saha1983)。マルクス主義論では階級闘争及び組織労働者による闘争が伴い、 その次に表れるポストマルクス主義では、多様な周縁的集団、都市、エコロジー、フェミニズ ム、少数派の運動等との連帯をも伴う(江原2003)。 従 属 理 論 上記に記載した近代化理論に対応する形で従属理論1950から60年代に提唱されるようになる が、これは貧困国が先進国に依存するという考え方である(Fagerland&Saha1983)。従 属理論は下からの、代替的な開発の必要‘性を説き、それはフレイレの「意識化」やイリイチの
沖縄キリスト教短期大学紀要第36号(2008) 「脱学校論」のような教育,思想にも関連する(江原2006)。 山田(2005)によると、近代化理論は統合的な特質があるのに比べ、従属理論は変革的な特 質がある。近代化が進むと皆が資本主義経済に基づく民主国家に近づく事ができ、そのために 学校では現代社会でうまくやっていくための知識や行動基盤を教え、現状維持に努め、「万人 のための教育」等がその統合的な特質を持つ。一方、従属理論では今の悪循環を断ち切らない と途上国の置かれた抑圧的な立場の変化はないという考え方であり、イデオロギーの伝達や、 特定の構造や文化、価値観を求めないフレイレの考え方等が変革的な特質を持つ(山田2005)。 自由主義 自由主義とは、権力によって圧迫されている状態を認識させる教育によって状態の改善を図 り、例として、フレイレは開放することが開発であると説いた(Fagerland&Saha1983)。 フレイレの「意識化」の事例として、バングラデッシュで行われたBRAC開発理論の8つ の原則を取り上げる。ラヴェル(2001)によると、第1の原則を意識化とし、それは村人が運 命論を否定し、自分の現状、コミュニティの事、経済的勢力、搾取の構造を分析できるような 技術を獲得することである。第2は貧しい村人は同じグループ内の人々から支援を受けること で強くなり、依存関係がなくても自立が可能になるという事である。第3は住民中心主義又は 参加であり、それは貧しい人々のニーズを中心とするが、押し付けることではない。第4は持 続可能'性であり、補助金に依存するのでなく、地元で支えられるシステムに基づくことや効果 的なインフラの改善を伴う国の支援的な開発ネットワークに連携することが必要となる。第5 は農村の貧困に万能なアプローチはないという事だが、最低限の賃金水準を上回るような農業 以外の雇用を生み出すことが必要とされ、これには技能をはじめ、その他の要因との関わりを も持つようになる。第6は迅速に規模の拡大を行うことである。第7は市場原理と企業家精神 の重要‘性であるが、BRACの幹部は通常干渉はしないが、搾取の問題等、付随訓練や技術サー ビス等に対しては取り組む。最後は開発のプロセスにおける女‘性の重要'性であり、男'性より女 '性の方が金銭的な管理がしっかりしていると報告され、女'性は平等又は優先的に処遇される (Lovell2001。 以上のように、開発理論構築の特質として、一つの理論を批判する形で次の理論が展開され ていることがわかる。古典循環理論に対して啓蒙楽天主義、構造機能主義に対してポスト構造 主義、マルクス主義論に対してポストマルクス主義、近代化理論、経済成長理論、人的資本論 に対して従属理論、自由主義へと展開する。これらは統合的な特質と、変革的な特質を持ちな がら対立する。 それでは、これらの開発理論の展開が、特定の地域ではどのように捉えられ、展開されるの かについて、次章で幾つかの特定の事例を取り上げて考察する。 三 章 社 会 へ の 適 用 第三章では近代化理論と従属理論より、統合的と変革的特質の事例(3)を取り上げる。近代 化理論の統合的な特質を持つ側を「中心」とし、従属理論の変革的特質を持つ側を「周辺」と して、事例を取り上げる。
連接経済圏 吉川・緒方によると、現在のボーダーレス化、グローバル化の下では「中心」と「周辺」の 関係が一転する可能‘性がある。例えば地上産業として20年以上も「中心」として成功した北海 道の十勝ワインが、グローバル化の影響力で関税や円相場の変動により、競争相手のECやカ リフォルニアのワインとの比較劣位に陥り、視野を変えると「周辺」的な存在に一転する可能 '性がある。グローバリゼーションを地政学と国際経済学の両面を考慮しながら、地域産業振興 に取り組む必要がある(吉川・緒方1996)。 さらに吉川・緒方によると、地域国家のもとでは、研究開発部門としての東京圏、「中心」 に人が集中し、生産部門として低賃金を求めてアジア、「周辺」へ人が集まる事によって、二 極分解が起こり、国内の周辺や国境に位置する地域産業の空洞化という問題が起こる。そのた め地方圏の位置づけを明確にし、東京圏、地方圏、そして隣接アジア諸国という三極の総合的 依存関係を結ぶ「アジア・ネットワーク型産業」等の提案がある。これは「連接経済圏」とい う考え方を取り入れたものであり、国を異にするもの、近接する地域が共同で開発に取り組み、 国家、中央政府の「上からの大地域主義的の統合」でなく、地方政府、民間による「下からの 地域主義的な統合」を行う(吉川・緒方1996)。これはグローバル化時代の地域産業を考慮 した周辺同士の取り組みの提案であり、新たな開発の特質を持つ。 拠 点 開 発 方 式 日本で地方圏に位置するとも言える沖縄を見ると、沖縄の振興開発計画は近代化理論に基づ く開発を展開してきて、「中心」となる本土との間に著しい格差が存在することを焦点とし、 「拠点開発方式」の開発を行う。富川・百瀬(1999)によると、「拠点開発方式」とは大都市圏か ら離れた地域に、工業地域や都市を開発し、交通、通信網を整備する事である。沖縄は基地問 題を抱えるため「万国津梁の精神」とも言われる多様‘性を受け入れる国際感覚と相互扶助の精 神を育んできたためその'性質を活かした提案でもある。第一次振興開発計画(4)の計画目標とし て、本士との格差是正、自立的発展を目標とし、第二では格差是正、そして地域特‘性を活かし た産業振興の必要’性、第三では格差是正、そして国際‘性や文化が強調されるようになる。基本 的課題として、第一次と第二次では失業問題、生活、生産基盤等の低さ、人材育成、土地利用 の制約等があり、第三次では環境の保護、高齢化、過密、過疎の取り組みがある。基本方向と して、第一次で最も上にあった社会資本の整備(5)は第二次以降では消滅し、第三次においては 自立化を目指した特色のある産業の振興となる。沖縄振興開発計画の問題としては、1.水資 源 の 開 発 、 2 . 国 士 の 保 全 、 3 . 交 通 体 系 の 整 備 、 4 . 産 業 の 振 興 、 5 . 観 光 の 振 興 、 6 . 生 活環境施設の整備、7.圏域別振興開発等に、自然保護や環境保全(6)に対する理念の位置づけ がない事である(富川・百瀬1999)。 富川・百瀬によると、経済的な力の弱い沖縄が競争社会に突入するには、自由貿易地域、規 制緩和、特別処置等の諸政策が必要であり、さらに自然環境破壊に対する懸念も必要となる。 自然環境破壊に対する懸念の事例として、岩手県では人智による自然への働きかけには限界が あり、岩手山・山岳道路の事業は中止になる。屋久島では国連教育科学文化機関の世界自然遺 産の登録により、島の自然が保護される。石垣島では新石垣空港の計画や西表島のヤマネコを めぐる開発問題があり、国際自然保護連合による白保サンゴ礁の生態系が破壊されるとの総合 的調査報告書が発表され、エコロジー優先の地域開発となる。沖縄県の観光産業は客数の増大
沖縄キリスト教短期大学紀要第36号(2008) にあった収入を得てなく、観光産業の高付加価値化、産業、生活基盤改善のための社会資本の 配分と地域住民の福祉に対する取り組みが優先課題である(富川・百瀬1999)。 「変種」となった地域、沖縄 「格差是正」に取り組むことを焦点として「拠点開発方式」の開発が伴う沖縄振興開発計画 であるが、本来、本土と琉球沖縄の歴史的な背景とはどのような「中心」と「周辺」の関係で あったのか探る。高良2005は古琉球の研究は、日本史にとって「外国史」であり、琉球処 分(7)問題として処分され沖縄県となった地域の独自性について徹底した議論が行われなかった とする。沖縄研究では日本民族と琉球民族の歴史について、本土と「一致していない点」(8)を 発揮する事も大切とする伊波普猷と河上肇、そして「一致している所」探しを流行させた柳田 国男と折口信夫と、必ずしも一致しなかった。さらに戦後の日本本土は平和憲法体制になり、 沖縄はアメリカ統治体制下に置かれ(高良2005)、情報の不一致をはじめ、二分体制という状 態を保った歴史的背景がある。 高良は琉球王国時代の「大交易時代」の証拠探しに、東南アジアの貿易センターとして繁栄 したマラッカ王国を訪れるが、琉球船が毎年のように通ったはずの証拠を見つけることはなかっ た。しかし中国の泉州市郊外の地方史「崇武所城志』には、地元の「経百戸」が琉球中山王に 対して「四百料の戦船」を贈ったという箇所があり、証拠を見つける。さらに福州郊外ではそ の地で没した琉球人の墓が市の文化財としても残るのである。琉球の「大交易時代」の概念は アジア史的な'性格、貿易の利益と国際社会との交流により王国を形成した事を意味する。しか し琉球王国はその後、近世日本の国家体制、薩摩藩の管理下におかれ、キリシタン禁制、鎖国 制、石高制、士農分離制等が琉球にも導入されるが、琉球の「異国」としての存在は続く。1879 (明治12)年に王国が崩壊し、沖縄県設置に琉球と中国が抗議し、明治国家の軍隊や警察官が 首里城の明け渡しに迫る事になる。そして士地や人民の支配権を授けられた事はなかったため、 琉球国王は天皇に版籍を奉還する必要はなかった。戦後のアメリカ統治体制下後、1972年5月 15日には沖縄が日本に属すべき証拠等が暖昧な状態で沖縄は再び日本に復帰する。このような 王国の伝統のために「変種」となった琉球、沖縄地域は、日本という「団体」に加わる事にな り、日本社会の内容と日本史像の枠組みを拡大することになる(高良2005)。つまり本士と 沖縄の「中心」と「周辺」的な関係は統合的な関係というより変革的な特質がある。 島峻という自然環境に根ざした発展のあレノ方を模索 最後に、「異国」としての存在を維持し、「変種」としての特質を備えた琉球沖縄の歴史的な 背景から作り出される「南」の視点、従属的な開発の在り方を強調した、沖縄振興(開発)計 画の分析事例を取り上げる。 松島によると、1990年の沖縄県庁による「リゾート沖縄マスタープラン」、南琉球を結ぶ三 角形ハワイ、オーストラリア「リゾートのゴールデン・トライアングル」や「沖縄スーパーメ ガリゾート」宜野湾、浦添、那覇をメインコアとし、名護、宮古、八重山をリージョナルコア とする事業、中でも1990年に開業したブセナリゾートは2億円と100%、沖縄県内資本による ものであるが、これらは「南方経済圏への拠点」の取り組みによる開発の一部である。これは 琉球を国際化、都市化させ、那覇市とコザ市を地方中核都市とし、大型港湾建設、国際空港の 整備拡張、‘情報や交通網を整備し、日本の都市や諸外国と琉球を結ぶ計画であり、日本の南方
地域への進出拠点としての役割が期待される国家戦略である(松島2006)。 さらに松島によると、沖縄の開発は文明により野蛮を正す事が目標であり、琉球人を他者に 依存させ、管理され易くしているとする。従来自給自足が可能であった島が今では観光業者に より自然が商品化され、自然破壊と外部資金の投下に依存するようになる。沖縄は1999年から 2000年にかけて全国1位の埋め立て増加面積を記録し、珊瑚礁を破壊したためさらに人工の防 波堤が必要になる。沖縄の経済構造は補助金依存によるものであり、沖縄戦のような被害も補 助 金 を 得 る た め の 材 料 と な り 、 米 軍 基 地 の 維 持 と 交 換 の 取 引 に 使 用 さ れ る 。 沖 縄 振 興 ( 開 発 ) 計画は貨幣、市場経済に依存し、格差是正により、琉球弧は日本の後進、未開発地域、分析、 認識の対象とされ、日本への従属関係を固定化する。1972から2004年の沖縄振興開発事業費約 7兆5968億円の92.3%は公共事業であり、中でも35.5%道路、18%下水道水道廃棄物等、12.3%港 湾空港、11.5%農業農村整備等である。企業倒産は119件、2001年度では南琉球の一人当たり県 民所得は全国平均の68.9%であり、全国最下位であった。沖縄の経済の自立は人々の信頼関係、 総合扶助システム、日常生活レベルでの安心感が存在する社会資本が基盤となり、人間にとっ て本当の豊かさを考え、島喚という自然環境に根ざした発展の模索が必要である(松島2006)。 沖縄振興(開発)計画は、「中心」に追い着く事を目標とし、統合的な近代化理論に基づい た開発理論の適用を行ってきた。しかし、歴史的背景からすると、沖縄は琉球王国の伝統のた め、日本の中の「異国」、「変種」の地域としての‘性質は、変革的な従属理論に基づいた特質が ある。「中心」と「周辺」の関係だけでなく、「周辺」同士の取り組み、地政学と国際経済学を 考慮した拠点開発の取り組み、そして島喚という自然環境の特質を生かした新たな開発の模索 が、沖縄社会での開発理論の適用の特質である。 お わ り に 「開発」とは天然資源を生活に役立つようにし、実用化し、知識を開き導くこと、と言う意 味合以外にも、その言語の解釈と捉え方の幅が変化してきたことがわかる。第一章では言語の 意味合として、動植物が成体に達するまでの成長段階を意味するものから、物質的価値観によ る経済成長を中心とした解釈、人間開発としての捉え方へと変化する。教育開発としての教育 は本来、身体、魂、精神を伴ったものであったが、次第に知育だけの教育へと変化したため、 再び本来のあり方を取り戻そうとする全人教育の必要’性が指摘される。「開発」「低開発」とい う二分法的観点から、さまざまな要因を考慮した多様な、新たな開発として解釈が変化する。 第二章では、「開発」という言語だけでなく、どのような理論として構築し、変化したのか について記載した。それは神の国を中心とした古典循環理論に対して、人類の無限なる発展を 中心とした啓蒙楽天主義、社会のそれぞれの単位がバランス良く組織する構造機能主義に対し て、社会を単位として見るのでなく個人や個々の出来事を中心とするポスト構造主義等の理論 の構築がある。搾取する者とされる者と、社会を二階層に分けたマルクス主義論に対して、多 様な集団との連帯を選択するポストマルクス主義の理論の構築もある。豊かな社会に到達し、 「イデオロギーの終駕」により、政治的な近代化推進エリートによる計画的で、統合的な特質 を持つ開発や、「トリクルダウン仮説」による経済成長理論、人的資本論等に対して、偏れる 知の危険‘性、「下からの」、「意識化」を重んじ、変革的な特質を持つ開発としての従属理論、 自由主義等の理論の構築もある。
沖縄キリスト教短期大学紀要第36号(2008) 第三章ではこのような開発理論が社会にどのように適用されてきたのかについて、主に沖縄 の事例を取り上げて考察した。二分法的観点としての「中心」と「周辺」の例として、今では、 ボーダーレス化、グローバル化時代では「中心」と「周辺」の立場が一気に逆転する可能’性も あるが、さらに国内周辺や国境に位置する地域産業の空洞化をも考慮した「下からの地域主義 的な統合」による「連接経済圏」の構想の提案がある。これは二分法的観点から、多様な、新 たな開発へと発想が移行した特質である。東京圏を「中心」として、地政学的な距離を保つ沖 縄を「周辺」とし、国際経済を考慮し、沖縄振興(開発)計画では「格差是正」そして「拠点 開発方式」への取り組みが行われる。これには自然環境保護の軽視、観光産業収入の低さ、開 発より地域住民福祉の優先をという指摘もある。これは「開発」された「中心」を目標とする 近代化理論の特質を備えるものである。 本土と沖縄の関係を歴史的背景より紐解くと、日本史の琉球処分の問題があり、琉球王国時 代の証拠探し、琉球王国と幕藩制国家との関係として、「異国」としての存在、アメリカ統治 体制後、暖昧な歴史像を内包したまま日本へ復帰、「変種」となった地域が、日本という「団 体」に加わったとする歴史的背景がある。これは「中心」を目標とする「周辺」と言うより、 「大交易時代」の琉球王国が既に国際社会との交流の役割を担っていたが、さらにもう一つの 団体に加わり日本史像に影響を与えたとも考えられる。近代化理論と言う'より、変革的な特質 を持った従属理論の特質である。 最後の事例では沖縄に適用された従属理論の視点を取り上げた。沖縄に適用された米軍基地、 拠点開発主義、これらの開発は「文明」によって「野蛮」を正し、琉球人を他者依存にし、他
者管理を容易にし、貨幣、市場経済に依存させ、琉球‘の自然、生活内容、文化遺産等が観光業
産業により商品価値が与えられ希少な資源とさせたという指摘がある。琉球弧は豊かな自然環 境に恵まれ、自給自足できるほどであったとし、経済成長に依存するのでなく、島喚の自然環 境に根ざした新たな開発への取り組みの提案がある。これは、変革的な、現状の「意識化」を 重視させ、新たな開発理論への取り組みとしての特質である。 「開発」の語源は本来マイナスな意味合が込められたものであったとは考え難い。それが時 代とともにその解釈の幅が変化し、理論として構築されつつ、社会に適用されるようになり、 その影響力は偉大なるものであったように思える。開発の言語は二分法的観点から多様な新た な開発としての解釈に変化する。理論の構築としては統合的な特質を持った理論を批判するよ うな形で変革的な特質を持った理論が展開され、これは交互に展開し続ける。社会への適用の 事例として、沖縄振興(開発)計画の中心と周辺関係の取り組みとして、格差是正や拠点開発 方式を目指す近代化理論、統合的な特質と、さらに異国、変種としての歴史的背景による従属 理論、変革的な特質と、そして地方圏を考慮した連接経済圏と自然環境を重視した新たな開発 の特質がある。これからの開発とはより一層の人権尊重と豊かな生活の追究のために、自然環 境を考慮しながら、知識を開き導く事としての捉え方が必要になるのではないだろうか。 謝 辞 本論をまとめるにあたり貴重なコメント御支援を頂いた事を心から感謝する。 注 記 (1)小西友七・南出康世2002)によると、developmentとは1.発達、発育、成長、2.(資源・土地などの)開発、造成、3.進化(発展、発達)の結果、4.(数学)展開、5.(チェ ス)駒の展開である。 (2)当事者の肉声を聞くことに重点を置く参加型アプローチもあるが、津田康幸・園部哲史 (2006)によると、市場が未発達な地域ではコミュニティ参加型援助は既存の権力をより 一層固定化させ、競争を制限する規制を強化することもある。 (3)事例は2007年第18回国際開発学会全国大会のプレイベントシンポジウム「沖縄振興開発計 画の回顧と展望」の代表者達と2004年独立行政法人国際交流基金日本研究特別賞受賞者に よる沖縄琉球に関わる著書によるものである。 (4)内閣府審議官東良信(2007)によると、第一次沖縄振興開発計画は昭和47-56年度「本士 との格差の早急な是正」、第二次は昭和57-平成3年度「本土との格差の是正」、第三次は 平成4-13年度「自立化を目指した特色ある産業の振興」、そして沖縄振興計画は平成14-23年度「民間主義の自立型経済の構築」とし、平成14年以降の財政支出(国)と公庫資金(融 資額)は減少する。 (5)内閣府特命担当大臣沖縄政策担当岸田文雄(2007)によると、沖縄の諸課題として、持続 的発展に寄与する社会資本を整備するとし、沖縄担当大臣として取り組んでいる政策の主 な柱(その2)(2)に、目的志向型の総合的・戦略的な社会資本を整備し、その成果の例とし て、国営沖縄記念公園・美ら海水族館開館、沖縄都市モノレール、国立劇場おきなわ開館 がある。富川盛武(2007)は沖縄振興開発計画及び沖縄振興計画の点検として、変わった 事として最も上に示したのが社会資本の充実である。 (6)岸田によると、目的志向型の総合的・戦略的な社会資本整備(その2)の課題は、自然環 境や沖縄らしい風景に配慮する事である。東によると、「民間主導の自立型経済の構築」に ついての施策効果、観光産業等の動向として、平成19年の観光振興事業は沖縄における環 境保全型観光促進事業等を実施する事である。そして沖縄振興計画後期に向けた展望の具 体的な方向‘性は自然環境や景観に配慮し、沖縄らしさを活かした県づくり等である。富川 によると、沖縄のポテンシャルは自然、歴史、文化のようなソフトパワーにあり、これら を継承しつつ沖縄独特の可能'性を模索する事にある。 (7)沖縄キリスト教短期大学第2代学長平良修(2007によると、琉球処分に対する抵抗の事 例として、当時沖縄の私立大学の学長という立場で、1972年の沖縄の施政権返還の返還対 策要項として、短大が文部省の大学設置基準の60%しか満たしていなかったが各種学校と いう選択でなく、短大であるよう抵抗したのである。 (8)沖縄キリスト教短期大学第3代学長金城重明(2007)によると、本土と一致していない事 例として、沖縄戦の集団自決は軍関与によるものであると自らの体験を語る。住民に命令 を出したと著作に記されて名誉を傷つけられたとする旧日本軍の梅津裕らが大江健三郎と 岩波書店に対する訴訟を起こし、金城は被告・岩波側の証人として出廷する。この裁判は 高校歴史教科書の沖縄戦記述から「集団自決(強制集団死)」への軍関与が排除されたことに 対する歴史教科書問題でもある(沖縄キリスト教学院倉│」立50周年記念シンポジウム「平和 創造と大学教育-50年を回顧し、未来を展望する」、沖縄タイムス2007年10月16日、 http://www.ryukyushimpo.jp/news/storyid-27858-storytopic-l.html, http://www.okinawatimes.co.jp/day/20070909130002.html, http://www.okinawatimes.co.ip/day/20070730130003.html)。
沖縄キリスト教短期大学紀要第36号(2008) 参 考 文 献