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企業の自己金融について: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

企業の自己金融について

Author(s)

伊波, 盛伸

Citation

沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 2(1): 29-50

Issue Date

1976-03-31

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6675

(2)

Hはじめ

自己一金融間(題を考える場合?その上位概念である「財務」〕に関する取扱いが多岐にわたっているのでへどのように認

四、自己金融の今日的意義 五月おわりに 、》自己金融の概念 、自己金融Z体系 、はじめに

企一業「の

自己金融

に“ついて

Dq' 伊波Ⅷ盛伸 29

(3)

識すればよいかが常に問われているⅢ。しかしながら、自己金融については「経営財務的には、企業における資本調達 の一方式とみることができるが、国民経済的には企業内部での資本蓄積の一形態と把握される②。」といわれている。 これは、経営学・経済学の両面からも重要な課題といえる側・本論では、経営学の問題として、経営財務論研究の立場 から考察してみる。それには、自己金融というものの今日的意義を明確にしてみたい。 まず、一九一一一○年代に確立をみた、の―すの罠ご自日の【目晒の考え方をプリオン側に従い「資金調達」中心の自己金融 概念から、ハーゲスト伯の積極的に「資金運用」まで含めようとする自己金融概念を手がかりに⑥、これの吟味をはか

る。次に自己金融概念からくる体系を「企業者観点、」から「企業観点⑧」への移行をみる。それから、自己金融概

念が「資金調達」のみならず「資金運用」の面をも含むことを示す。「調達」「運用」の両面を包据する自己金融は、 連結的機能を果している。連結的機能を果すには、企業の経営者が自己金融に対して再確認を求める必要があろうと恩 われる。 1 1 Ⅲ「財務」概念をいわゆる「調達」のみに解するか又「運用」をも含めるかといった狭廣義の考え方が、企業金融論、企業財務 論、財務管理論、経営財務誼といったタイトルで先学が発表されている。筆者は財務概念を細井卓教授のいう「主体的資金調整 行為」として把えることが経営財務論での中心ポイントであると解する。従って「財務」概念を広義に解したい。細井卓箸・財 務管理入門P三八・十一一一・十八有斐閣、経営学の問題として考察しても、経果的概念や調達手段の内外の区分あるいは配当と の関連から政策としてか各論者によって重点が異り、又通俗的にも「自己金融」概念は不鮮明であるといえる。 森昭夫稿自己金融の方法とその実態把握における問題点、産業経理く&.②」・言]』・勺・の、 囚富永裕著企業自己金融の理論P|昭和四四年千倉書房 ③経済学的観点でも 生川栄治稿自己金融の発展と資本形成機構、金融学会報告Ⅷ、昭和三一一年東洋経済新報社 30

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ロ自己金融概念の吟味

自己金融をプリオン(三・勺。。ご)は、「企業の自己金融旧」の中で「自己の力によって獲得したものであって、

外部からもちこまれたものではないもので、みづから獲得した資本を………余剰収益又は利益という。したがって、自

己金融とは利益からの資本調達である③」と規定している。

この規定から考えてみると、資金調達の一形態であるとして、その源泉を利益に求めていろ。このようなことは従来

からいわれてきたことであるが、経営財務論研究は「経営自体」の立場から考えるべきものであって、資金の調達と資

金の運用という両側面を統一的にしかも関連性をもって研究するものと、われわれは考えている。このような立場から

みると、プリオンの規定では、次のような疑点にはどのように答えられるだろうか。 一、資金の調達は、利益源泉をその前提としているのであるから、当然のことに資金の効果的運用は、どのように考 |泉知永稿企業金融論〔 浜田文雄著企業と金融 四富永裕著前掲書P一 津守常弘著「自己金融」概念の変化とその特質、企業会計、昭和四一年六月P・P八四 ⑤三・勺『】opmmの]ワ⑪尾一口四目N】のHppmgの【□口芹の[ロの匠日ppmのロ・口の[]】ロ.」①四]・ ㈹【・国pmのの{“の①]すの氏】ロロロ日の円ppmQ●の、の芹旦のすのm・の庁旦(ぬ○口{・」⑪中国. 、細井卓著前掲書、P。一一九ゼルプスト・フイナンチルーングの体系と意義、産業経理、昭和二九年十一月P二一一一 山城章稿会計、六一巻一一一号、P五七 企業金融論の一考察 金融学会報Ⅷ、昭和三一一一年東洋経済新報社 経営学全集七、昭和四六年筑摩書房 31

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等のことは、企業経営における財務的側面での重要な課題であるとともに、わが国企業の体質の問題との関連から「経 営の自主性」や今日の経営環境の複雑化の中で、かって「資本構成の是正」「資本蓄積と社会経営側」といわれた頃の 再現的状況が今日また論議されるようになっている。 |、今日の経営は、資金のより合理的運用をはかる方向が一つの課題である。 二、減価償却等による資金の調達は、それが支出なき費用的源泉であるが故に固定設備等の維持更新には、多額の資 金が必要とされているのが近代経営の状態であり、技術革新のスピード化はすぐれて今日的状況を呈し「経営自体」 に与える影響は大きいといえる。従って減価償却等による資金調達源泉の重要性は、「資金の運用」につながる問 題であり、固定設備等の取扱いが「経営自体」の問題として重要課題であるといえる。 以上の二点からみた場合でも、プリオンの規定では現実性がなくなっているといわねばならない。資金の調達と資金の 運用は、経営自体の立場から考察すべきであって実践性のともなうものであるとの認識を持たねばならないと思う。次 に示すハーゲストの見解は、われわれの認識に近いと考えられる。

ハーゲスト(【・四四mのの()の所説(の①|ワの三目ご国のBpmQのの国の{1のす①の」@m四二)によると

自己金融(の①一ヶの〔〔ご四目一の日ロ、)を 三、利益といわれるもの』 で考えるべきでないか。 二、利益といわれるものは抽象的概念ではなく、むしろ実体的概念であるべきでその「貨幣価値員」を「資金概念」 流動化による調達源泉が、利益獲得とともに重要性を帯びてくるがこれの理解は、 二、企業規模の拡大性を特徴づけている資産構成の中でみる固定設備等の増加は、必然的に減価償却等による資産の るのか。 えるべきかという活動的側面、いわゆる利益を獲得するという目的活動志向である行為概念の理解はどのようにみ 32

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ハーゲストの特色は、プリオンには見られなかった「運用」の面が導入されており、企業自体あるいは経営自体の立 場から⑥、「主体的行為概念」としての「経営」が考察されているように思えるのである。

それは、プリオンの場合にはmの一つの篦ご目凶のHgmQの門〔言(の『ご&日ロロ、のロと書名がなっていたのが、ハーゲスト

ではの①一ケの芹{一目ご巳の『目、9のの、の{1のウののになっている事にも気づくのであるが、自己金融の源泉を広く利益蓄

積(収益的源泉)ないし経営成果的源泉Ⅳと減価償却等かって機械その他のいわゆる償却資産に運用された資金が経営 活動を通して回収される経営努力的源泉(費用目的源泉)に求め、経営活動の循環的行為の中から調達された実体的資 金量の継続的運用を自己金融の中に入れてあるように考えられる。従って、プリオンが示したような資金調達中心とい った狭い考えではなく、いわゆろ(Ⅱ)の拡張や(Ⅲ)のような面までも運用面として解していると思われるのである。

経営成果と経営努力といった両面にわたる概念が自己金融に考えられるわけで、費用収益両面からの「蓄積分佃」を意

味する包括的概念である。このことは、財務概念を資金の調達と資金の運用を意味するものとして把えると、自己金融 は真に「経営自体」の立場からの「資金の調達」と「資金の運用」を具体的に表現しているといえる。 さて、ハーゲストが示した「蓄積分」が必ずしも(Ⅱ)や(Ⅲ)に示されたものだけを.「自己金融」というのは実際 と考えている⑤。 Ⅲ陰以扮α白]「 Ⅱ b、資産部分の流動化 a、利益の蓄積、ある I経営または企業が自由に処理できる調達資金であり、しかも によって調達されること この調達資金が新しい経営目的(拡張)に投資されること 特殊の自己金融としては、利益資金による債務の償還がある。 あるいは 33

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企業の資本という場合は、貸借対照表の貸方合計金額を指す場合と借方の資金の運用形態である資産合計から貸方の 負債合計を控除した残りの部分を指す場合があるが、前者は広くとらえる場合で、われわれの資金概念からはそれを資 金調達の調達源泉区分の中で見ることができる。後者の場合では、株主の払込み部分と企業自体の帰属性をその内訳区 易度からみる比較的容易に運用可能資金という結果的な面が特に注目されているようである⑲。 |般には、調達方法の相違からくる調達源泉であるとして、企業内部から獲得された資金であるが故に、資金運用の難 うるものは、企業自体に配分されるという性格を伴う概念として「自己金融」が考えられなければならない。しかし、 的ではない。むしろ経営活動によって企業自体への帰属性を考えるべきものと思う。すなわち経営活動によって得られ

従来考えられてきた自己金融に対する考え方としては、プリオンに代表される「伝統的企業自己金融論⑩」と「企業

自己金融論の新展開⑪」に代表されるハーゲストの考え方に対して少しコメントを試みたが、ドイツの学者には次のよ

うな学者が、それぞれ自己金融に関する見解を示している。それらはハーゼナック⑫、コンラッド⑬、コンッェルマンM、

タイジンガー、、ヘーグナー㈹、エンゲルハート⑰、シュミット㈱、ブルンナー⑲などである。個々の説は別の機会に

譲りたい。かくして自己金融の問題は経営財務論研究の中での重要な研究課題であるとの認識をもたねばならない。 さて、自己金融に対する筆者の考えを述べると、自己金融現象は経営活動によってもたらされる資金形成分である。 この資金形成分をその帰属性といった面からみろとそれは、企業自体に帰属するものといえるものであって、いわゆる 自己資本形成分であるといえる。しかし、この自己資本といっても株主からの払込みによってもたらされたのではなく、 経営活動によってもたらされた資金形成分である。すなわち、調達された資金の効果的運用を「経営活動」がもたらし た後に得られた資金形成分である。このことにより「自己金融概念」は、資金の調達と資金の運用を連結している概念 といえる。又経営活動の遂行によってもたらされる資金増加分であるから実体的価値概念である資金概念で把握する必といえる。 要がある。 34

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自己金融は、狭く解するか又広く解するかの相違はあるが、広義に解するのがより実践的にかなうものと考えられる。 狭義l資金調達中心l利益内部留保

広義{“宰鵡弱錘川酩絵鋤皿蝿篝鍛艫

自己金融をこのように広義にみると、経営活動遂行中の企業を一時的に中断してみた場合にみられる、いわゆる企業 に帰属する資産・負債。資本といったものを見た場合に、貸借対照表に集計表示されうる具体的数字は貨幣価値額とし てみられるのである。この中で資金の運用形態と資金の調達源泉とをみることができる。そして経営活動開始の時点と 中断の時点との比較をみることは、その時点における主体的資金調整行為の表現の一部をみることができるとともに、 それまでの経営成果と経営努力の貨幣価値量の表示も損益計算書の作成によってみることができるわけで、会計学にい う、貸借対照表と損益計算書を見ることによって、結果的数字を知ることができる。しかし、われわれは会計学上でみ ることのできる結果的数字を考えるのではなく、行為の目標対象としての数字を考えるのである。このことは、利益計 画との関連で取り上げることになるが、本論では自己金融概念の考え方のみにしぼっているので別稿に譲ることにした ばならない。 さて、広義に考えると、英米でいう「内部財務」(旨(の『ロ巴【三目○ヨ、)と同義に解することもいいのではない

かと思われる。内部財務を狭義に解する場合を自己金融であるとする説もあり⑫、調達側面を指す場合には自己金融の

用語が適しているであろう卿。しかし資金の効果的運用を実質的内容とした調達概念であるとM、狭義よりやや広く、

意味しているゆえに経営で考える場合には、抽象的価値額(量)ではなく実体的価値量を示す「資金概念則」でなげれ 分でみるわけで、経営活動によってもたらされた資金形成分をみることができる。資本は資産の「抽象的価値額剛」を い ○ 35

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又広義的意味にも認められるし、ディーン、パイジュ等の所説も又同じように解している胴鯛。広義に解した場合には

内部財務と同義になるがこのように解する方が現実的であると思われる。 経営財務論における自己金融をこのように広義に解することは、経営活動の自主性・主体的な面から考えてみる時、 企業の内部から外部からといった調達手段による相違によった資金調達の見方よりは、むしろ自己金融を目標的概念と して資金の調達・資金の運用にかかわらしめるものとしての広義の面と、実質的には経営活動によってもたらす資金形 成分を計画的に求めることによって経営自体の財務的側面である資金の過程的・段階的な流れの問題、あるいは結果的 にも経営活動による企業帰属分の増加確認ということになり「自主的活動による成果」という位置づけがもたらされる のではないかと思う。自己金融を広義に解することは、より現実的であろうし、今日の経営を考える場合に意味がある さて、自己金融を{ をみることにしたい。 と思う。 Ⅲ森昭夫稿自己金融論の吟味神大研究年報Ⅲ、’九五七 〃 自己金融論の問題点、国民経済雑誌、九七巻一一号 〃 自己金融の財務政策的意義、経営理埜珈と経営政策、中央経済社 岡村正人稿経営財務における証券金融と自己金融、会計七三巻一号 細井卓稿ゼルプストフィナンチールーングの体系と意義、産業経理昭和二九年十一月号 ゼルプストフィナンチールーングについて、産業経理昭和一一一十年二月号 2三・勺1①口函の①]すの罠ご四目】の『口pmQの門閂日の[ロの宮日ppmのロ、の二言・〕①②] 3雪・勺己。□卵四・四・○m国 自己金融を広義に解することをみたのであるが、次に自己金融の体系からはどのように考察すべきであろうか珊

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山城章箸経営政策I最高経営政策論、こい 0結果的・客観的に用いる立場からは「蓄積」であるが、主体的には「留保」とすべきである。 別河野豊弘著財務管理勺&臼 Ⅲ⑪富永裕箸企業自己金融の理論勺←・勺.、 1則

胆10国四の①目・丙・雪卯室山の①ロ.ロ己シ『芹のロロの[の①]すの三口:国の2口、.】日、】の、の{己のロの三【言の・盲【{・

〕①②】 ○・日&・】函C】のmの]すの【面ロロロ日の『ロpmQの門口日の【ロの百日ロロ、(国ロ、の茸『四m園口日『諄ののロのミー 四口Q巴。①【シ○)・]①②』 ○・目の一目目・甸函C口の可・亘の曰口の『の①}す切黛】::】の局巨□ぬ。の『ご日の目の百日口、。]室、 目己の]の三mの『・穴函の①]すの黛冒:国のHg、.】亘旧の〕目□ぬの三門一:富津・]①色 用帝、ロの[・可四口】の①の]すの罠】ロ四口国の『ppm□の【ご日の【ロの宮日ppm巴の吾の。『①豆の○ヶのの勺『○亘の日 旦の【国の月】のすの三『{の○百呉二①言のロ己口の[二)一戸の三【庁の。冨崗芹の]の言の.□日の『ロのロー 日巨□ぬロpQm21の□]⑪』③ 固□ぬの三四『昌・三四□口のヨロ四口国の門口ロmmpの⑦の言旨ロ〕臼三閂①ロ言己①〕印すの戸己のずこ&】冑の 国ロ三『宮口、の口四昌団の芹己のすの⑩甘口三口【巨己、の芹己のす8.国三戸.ご③○ の○百日三←・幻・口・皿○の言】ロロぐの『言の己巨pmQのHご具の『ロの西目旨ロ函・』①の四 m『ロロロの閂・ロ四口】の冗巨○斤一口、のロ己○屋二戸ロの円□具の門口の百日巨口囚・】①③『 側高瀬荘太郎編資本蓄積と会社経営、森山書店昭和一一八年 1 5【・西口、①の【叩の①一ワの{【)ロロ日】の[ppm□の②、の芹国のす①の・の(貝(ぬ四日・骨④中西 6細井卓著現代企業財務勺と 11 ㈹細井卓著現代企業財務勺 、細井卓著前掲書勺と四m 37

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自己金融(の①一ヶの三口目日の目□ぬ)を広義に解してみようとしたわけであるが、このようにみると英米でいう 田口{の〔。□一句一コロロロコ、)句一コ四口○一口、{『○日門口(の『ロローの○口『○のの》用の)曰くのの亘口のロ(。{ロロ【巳□ぬの》門口○○日の

幻の言の三一・P幻の己三&百8日の(・『ロロ『ロ三mの)と同じ意味で用いられていますが、本項ではの①}ワの({三目I

日の目ロ、をとりあげてその体系を考えてみることにする。 さて、の①|ウの{{ご自凰の『目、と句[の[己({ご自国]の目ごmはよく対語として云われているわけでありますが、古川 栄一教授はこれの説明に、シュマーレンバッハの経営財務論から「自己財務」と「他人財務」と訳しておられるわけで⑭、 自己金融とは訳されず、この語を自己資本と他人資本(借入資本)との区別ではなく、他人財務には、企業が経営参加 者より自己資本を調達する場合とさらに貸付信用によって債権者からその借入資本を調達する場合との二つを含んでい るものであることを示している。そして、それぞれを、の〔の一一一m目、の司言四目]の『目、(参加財務)と□胃sのロの 。B目]の「目、(借入財務)と呼ばれるものであり、この両財務とも自己資本と借入資本といった区分の相違はあっ ロ自已金融の体系 即富永裕著前掲書P 別後藤幸男箸企業の投瞥 翅古川栄一著財務管理 例例細井卓箸前掲書 防Cの四口.】函○口目茸 配勺昌の画・可、mpm三〈 企業の投資決定理論勺トト・中央経済社 財務管理勺・筐①・経林書房 前掲書勺当、 函○四℃耳囚]団巨□ぬの←】ロ、 勺・四m.]①、① 、mpm】ロの①の向】ロロロCの 勺、②1勺、c・旨c、四 38

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国の(の]丘、巨口、の句一口四口目の『ロpm Cm[の可 両目ロロロロ]の『巨口、 (可・の○ケ『ロ四一のロワ四○ヶ叩甸]ロ四口ロ]の[ppm]@画『) このような一一大財務(国目目]のBpm)の区別で従来は他人財務(句[の白&ご目日の『目、)を特にとりあげてきた立 場が財務論研究では多かったように思われる。資金の調達のための調達ではなく、経営自主活動をはかるための運用面 を考えることなくしては、調達面は考えられないこと、すなわち、資金の調達・運用の両側面を常に統一的に関連的に を考えることなくしては、 考察しなければならない。 されている。(下線は筆者)似斗 の①}すの計画ご囚ご画一の[巨口、 句『の『ゴロ函ごmご日の『ロロ、 シュマーレンバッハの財務分類の中で、今日われわれが重視するようになったものは、経営自体の資金形成分である

所の「自己財務(、の一ヶの三目目]の2口、)」の位置づけをまず着目しなければならない。がしかし、シューマレンバッ

ハの時代の「企業経営」と今日とではやはり財務に対する時代の要請が異っていることは心にとめておくべきである。 次に、ハーゲストの体系が非常にわかりやすく、今日的意味をさぐるには近いと思う。 (【・出口、の異四・四・○・m・国、) ても、共通しているところはいずれも「企業」の外にある出資者(株主)であるとか債権者から調達されたものである こと、すなわち企業の外からという意味からは一つの句『の曰・(【三m目]の[目、になるわけである。 これに対しての①一言鹿三m目]の[臼〕mは、企業がみずからの経営活動の遂行を通じて獲得した資本部分であると説明 されている。(下線は筆者)別シュマーレンバッハは次のように示している。 39

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この体系からみると、自己金融(自己財務)とその他のものとの本質的区分の認識は企業の外部からのものか、内部 からの資本形成であるのかといった、いわば「ある存在している状態」のものからの区分がまず左側に考えられる。そ こで「ある存在している状態」のものとしての「企業」を「企業自体」としての立場から見ているということができる。 すなわち、外部から、あるいは内部からということは「企業(ロョの『□&曰曰、)」の関係からの区分であるということ ができる。一般にいうところの自己資本・他人資本といった場合には、その帰属関係において用いられる用語であるか ら、いわゆる所有関係に由来してくるわけである。従って企業観点ではなく、企業者観点からの区分といえる。これは 右側に示されている。左右の異質なものを結びつけている関係を中に示している。それは内部く8百口のロからの資本 形成としての自己金融と外部く・ロシロ【の目からの資本形成としての借入財務と元入資本財務とに分けて示している。 又一九一一七年にライトナー(句・旧囚豆の『)の体系では ]ロロの『の句一ロロロロ』の【ppm ]ごロの[の句一口四口曰の[巨口、 国目目一の『目、 の①一ヶの{両一口mpNPの『ppm の×(の『ロの【の可]ごロロ国一の『ロ。、 (ヨロ四コ曰の『巨口、Qの[ご己の『ロのケ日ロ。、の。》山の『一三・m・]、.]@画「) 【四℃耳○一ロー旦巨ごぬく○コ 【四つ耳四一亘一ロロロ、二○口 (【四『一・四四mの1mmの}す『{【]ロ四口目の『ロ。、Qのの、の(『]のつの、 m・画『・]@m国) B

江謹一嚢一

可一口四口い]の【ppm[ロヨロ一mのご戸口目(○一 ● 可]ご口ご園]の『ロロ、『ロー{句『の【ごQ【】ご四国』の『ppm ● ● 40

(14)

外部と外部の区分がみられるようになっていたのであるがmの}す里と国、のロの区別はあまりはっきりとはしていな かったようであるがハーゲストによれば国、①ロとの①|ワ里はむしろ□ぬの耳三四.国]の[目囚は①の一ワの({三四日】の『ppm に入っているようだといわれておりB、シュマーレンバッハ(回・の&日四一の口冨&)の最近の考えを古川栄一教授は 四mの口(三回目】の『ロ。、を彼の場合には、mの(の三m目、の〔ご四目]の日ロ、になるわけであるが、これをmの|ワの黛冒:1

日の『ppmから取り出して、甸『の曰&三目国]の〔ppmに属さしめたと解せられるとしているⅢ。このように修正されたと

いうことは経営財務の考え方を現実の経営に合致させようとの考えによるものと考えられる。

さて、ロョの目のヨョの。よりロヨの【ロの西日口。、思考への変化が考えられるわけであるが⑤、ハーゲストの体系は、

新(企業自己金融論の展開Ⅲ)、旧(伝統的自己金融論、)両資本調達区分を示したものであるといえる。すなわち、

□ぬのヨヨ四目]の日ロ、の区分がやや不明であった事は、主体をどのようにみるかによった事で、外部といわれる場合 には「存在の実体」としての□日の目の西目ppmを認識した上でのことを指し、自己資本・他人資本という場合での「主

体と資本」の帰属関係からみての認識であるわけで、それはロヨのg&日の【の立場からの区分ということになる0。筆

者は、ロヨの『ロの西日の【からロヨの『□&曰ppmにそして、のゴーのワののにおけるものを考えたいわけである。 さて、ハーゲストの示す体系は、自己金融とは一応本質的には「内部から(く目]ロロの。)」の資本形成であると理 解することができる。しかも英米の財務論においても同じように用いられている。いわゆる広義としてであるが、又 閂貝の『目一{三目○のとロメ〔の『ロ四一{ヨ目○のの区分もあるが、いわゆる企業の内部とか外部といった「企業体 (ロヨの目&曰目、)」を中心としたもので、その主体による区分も考えられうることが大切である。自己・他人資本の 区分といった「企業者(ロヨの目の冒口の【)」中心とするものは財務論研究の流れからみても、又英米における区分のし かたをみても、今日的ではないと思う。 自己金融の語のかわりに「内部資金」を用いられているがⅢ、此点に関して、内部資金を自己金融と広義に解した場 41

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合と同じに用いる場合があるが、しかし、自己金融よりも広いが同義異語に近いようではあるが、一方限定されるわけ にはゆかないとし、狭義の内部財務の場合には、狭義の自己金融と同じ程に考えてもよい。しかし内部資金(内部財務) は資金の調達のみならず、資金の運用に重点をおかれている用語川とも云われる。広義に自己金融を考える時にあては ま

4)(3)(2)(1)三

四自己金融の今曰的意義

自己金融の体系の流れが今日的なものに近いことをみてきたのであるが、次に自己金融の今日的意義に関して、資金 形成の包括的概念と自己金融の「自己」の意味内容について考察してみよう。 印細井卓稿ゼルプスト・フィナンチールークの体系と意義、産業経理、昭和二九年十一月号勺・呂 旧富永裕著企業自己金融の理論勺・』 、富永裕著前掲書 勺・③ 旧山城章稿資本の目・他性、会計六一巻三号 勺・ロ「 ⑨河野豊弘著財務管理 勺・畠Cl勺」の国 刈古川栄一稿財務管理新講、企業会計六巻十二号勺・]つ「 英米の研究書は、同 古川栄一箸財務管 【・出口、の異叩の 古川栄一箸前掲書 は、同義異語として用いられている。 財務管理組織勺・」国1勺・]囚財務管理勺・国。’勺・皀 叩の巴ワの{面□四つ国与の門口□ぬ□の⑩、の芹【】のす①のの。』① 42

(16)

企業がみずからの力によって獲得した利益の蓄積によって自己資本を増強すること、すなわち「企業利益の内部留保」

だけを自己金融であるとの考え方もある川。これは、いわゆる調達面のみの力点とともに企業者の観点に立ってのも

のであり、ハーゲストの体系以前の場合にあてはめられうることでわれわれは、このような狭い立場ではもはや今日

の現実には合致しないと認識するものである。自己金融というものを企業外部から経営内にもちこまれた資本以外のも

ので内部的資本形成であるとするところに本質的意義がある。従って、内部資金源泉は、たんに利益の留保(百・・日の

幻の(のpmSp)のみを指すことは現実性を伴なうものではなく、これに加えて減価償却等をも加えるのが正しいと考え

られる。われわれは資金の調達と資金の運用を別々に考えるのではなく、常に統一的に関連性の下に一体のものとして

取扱う。経営の問題として取扱うべきで自己金融はこのような意味から資金の調達側面と資金の運用側面を結んでい

る連結的機能を持ち経営における材務問題の重要課題の一つとしての認識を持たねばならないと考えるわけである。

このことは細井卓博士もの①一ケの(〔三m目】の2口、の定義を、総合的な広い財務政策的な立場からいわば調達と運用

とが密着した意味での内部的資本形成にかかわる財務(国目目〕の日ロ、)概念であると指適されているⅢ。従って資

金調達に限定されていた財務(国ロロコロ]の日ロ、)概念をより広くというか経営自体の八主体的資金調整行為V側を行

っている立場からの「調達・運用」にかからしめるものでなければならないと思いますし、筆者が考える〔言(の目&日の円

からロヨの目のケョ目、へそして、の{口のケに考察すべき問題として自己金融問題を吟味したのである。

従来から云われてきた国目目]の日ロ、の概念が資金調達のみに限定されていたものから資金運用の面にまで拡大さ

れるようになってきているのは現実性が伴なっているものといえる。シュマーレンバッハやラィトナーが考えていた時

代の企業経営の実態と、今日の企業経営の実態とでは異なっているのはあたりまえのことと考えるのが歴史性にそうも

のであろう。ハーゲストの体系でみたごとく、自己金融は資金調達面での現象を資本形成(【口ご一己一宮}含ロ、)とし

のであろう。ハーゲスト( ていることに着目したい。 43

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さて、四mのロであるとか、の一宮{といった場合も表面上は、原初元入とか自己とかいわれているが、自己金融の自 己概念とはどのような事を意味するのか、又自己金融現象の中での自己資本形成における資本概念はどのように理解す ればよいのかが問題点として上ってくる。これに対して山城章博士は「自己金融の資本は別に厳密な研究を必要とする のであり、ここには特に問題となる点のみ関税するにとどめねばならないが、大体これには、第一は計上された収益を 積立金、準備金或は剰余金として経営の内部に蓄積する自己金融の資本と、第二は、いまだ収益計算以前に、コストと して処理しつつ蓄積される場合を考えうる。後者にも減価償却と減耗控除(□9-⑦丘・ロ)の一一課題があり、しかして、 デイプリーションについては、私見では、必ずしもコスト的自己金融ではなく、むしろ前者の範にかぞえうる意味も ふくまれ、これが本質とみられるので、後者でも特殊な地位を占める……③。」 ここでは、山城章博士の「資本の自・他性」を手がかりに、自己金融の今日的意義を考えてみたい。まず「自己」概 念でありますが、企業発展段階からみて、人的私企業形態から資本的企業体制へやがて現代企業にと考えておられるわ けであります。そこで「自己資本(四mのロ百口(○一)と他人(句『の日ロ冨亘(○一)を対応させて使用することは、相当 に一般化した用語であり、しかもこれは一般の慣用語としてだけでなく、経営学並びに会計学の学術書においても無批 判に使用されてきた。しかし、これはきわめて重大な時代錯誤が介任している側。」と述べられ、企業体制を考えたう えでの用語法限定を提議されておられる。すなわち、まず企業発展の初期段階でのいわゆる個人企業形態のような「人 的私企業形態」の場合には、個人的な企業者の所有観からみて、又企業の資本を誰が支配するかという企業者観による 自己資本、他人資本は重大なる関心時であるわけでこの場合には、企業者二経営者の立場からの用語法である。このこ とは先にみたライトナーや初期のシュマーレンバッハの自己金融体系にもみられるわけで、西ドイツでも株式分散の度 になる。 自己金融は、利益の内部留保に加えて減価償却等の支出なき費用項目を合せての広義の経営財務現象を意味すること 44

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合が少なく比較的少数の大株主によって会社経営が営なまれていることでもいえるのでないかと考えられる⑤。 では、今日の企業体制である「現代企業」で「自己」といわれる主体が誰であり、何であるのかという事から、所有 観とか支配観といったものがなくなったわけではないが、出資者の株式会社に対する法律的立場や株式会社のトップ・ マネジメントグループの立場といったものが根本的に変っていることは、「現代企業の性格を知る者は、資本家の「自 己」と経営にとっての「自己」とは異なるものであることを知るであろう⑥といわれるように、現代企業の主体は、株 主なりや又取締役なりや、ドイツ商法に云う監査役等の論議があったようであるが、「自己」といわれるものは、行為

概念としては「経営自体」であり、「企業体制」の立場からは企業自体に属するものという事が出来るのである。株式

会社の自己資本は株主資本であるわけではあるが、この場合の「自己」とは、|般に株主資本Ⅱ出資者資本(、の(四- 一一m目、の百℃茸○一・Qp-mのロ百口(○一)といわれるのは、企業からみての帰属性をさしての表現であり、いわゆる 自己と他人といった所有観・支配観からのものではなく、企業の立場から調達した調達源泉の相違とその帰属性からみ

ているので、債権老]資本(○一四ぐ巨砲の『百口(・})も同様である。筆者の考える自己金融概念における「自己」は、企

業者11↓企業11↓経営というように観たいのであって、この段階でも「経営」の段階には来ていないことがわかる。 そこで自己金融概念をもう少し筆者の考えている「経営」におけるものに近づけることにしたい。 資本調達の方法には、その調達手段の相違によって区別されている。株式資本ないし一般にいわれる株式会社の自己 資本は、株式という法関係と株券という証券手段により企業に帰属せしめようとして外部に働きかけてもたらしうるも のである。又社債の法関係と社債券による調達手段による社債資本、又証書による借入金といったものがみられるわけ であるが、われわれは、ただ株券を発行しただけでは株式資本が調達できるわけでも、又社債券を発行しただけで債権 者資本が集められうるとは何人も思っていないことである。すなわち、企業が発行したというように平面的に静止的に のみ判断可能な資料から、株式資本がいくら、債権者資本はいくら、といった一連の呼びかけを見るのは簡単である。 45

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われわれが考える経営における資金の調達は、例えば会社設立の際における株主募集でも発起人の起案した定款の明示 によって行なわれることはよく知られている。このことは「三目四mの曰の昌一の胆の二百mg三mの□○口の{冑○口晋○どの『 ロのS-の(経営と他人を通じてものごとをしてもらうことである)」という「人間の行為概念」が入っていればこそ、某社の 払込資本金額はいくら資本構成はいくらといった表面上に出てくるわけであって、株式会社がいくらその資本金額が大 きいといっても資本機能を利用し生産活動を営むことの可否は静止的・平面的だけでは行いえないことは当然のことで ある。生産活動が活発に行いうるためには、調達された資金を機能的に企業に帰属する「人」が働きかけるという「行 為」がなければ達成されえない。この達成させられるようにということが経営活動である。 さて、自己金融の「自己」とは「経営自体」の問題としてみて行くわけであるが、資本調達の一手段・方法というこ とはわかったのであるが、外部ではなく内部からというのは経営活動の中から循環的・過程的に外部に働きかけないで 調達するという意味で「自己金融」と呼ばれるのである。それでは、利益留保及び減価償却等のによる内部資本形成は、 どのような意味をもつものであるのかみると、先程の山城章博士の引用にもあるごとく、利益の留保とされずに収益よ

りとされておられるが、それは分配先

収益=価値実現 収益100

棚錨ⅡⅡ噸蠅川棚脳I株主U支払分

その他

鮓》Ⅵ鯛鞭鍋削紬坐燗繩

その他(引当金) その他 自己金融Ⅱ 勾弓苗同 内部資金Ⅱ広義の自己金融構造 46

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山城章博士は、経営活動により価値実現を企ることで、対境関係を保つ中で経営自主体を考えておられるわけである

が、自己金融は利益の内部留保を、経営自体の配分というように受けとめるべきであろうと云われている㈲・自己金融

による留保分こそが、経営自体の真の自己資本の意味を持つものである。

われわれは、自己金融概念をドイツの学者に求めて今日的意義をたんなる利益の結果的なものとしないで、経営に対

する企業自体の分配分としての性格をみてみたいのである。

自己金融を解するにあたり、利益留保および支出なき減価償却等を含むものとみたのであるが、それが経営自体の問

題であるとして企業自体に帰属するという意味をもっていることに着目しなければならない。このことは、客観的に

企業の貯蓄分あるいは蓄積分といった結果的概念ではなく、経営自体の成果と経営の自主性を示しているとみなければ

ならない。このように考えることによって、自己金融概念の今日的意義が認識されるべきである。 別山城章稿資本の自・他性会計六一巻、第一一一号勺ヨ 4 〃 〃 〃 〃勺・』② 旧ハンス・ヴュルディンガ-河本一郎編、ドイツと日本の会社法 6山城章編資本の自・他性、会計六一巻、第三号や。』』 2 旧山城章編資本の自・他性、会計 7B山城章著経営学原理勺・霊 Ⅲ細井卓稿財務管理入門勺.ご①・勺・」の国・勺・臣◎ 1- " 財務管理入門勺.ご 〃 勺・」四 資本の自・他性会計 勺」JⅢ勺、 47

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国おわりに ろ 。 自己金融を広義にみることによって現実性が伴なうものとみた。又英米にみられる内部金融ともだいたい同じように 解すべきとみてきたわけであるが、自己金融の現象は、経営財務論では目的志向として考えなければならないのであっ て、結果的なものではない。ということは自己金融による資金形成分は、企業自体に帰属するものであり、このことは 経営活動による主体性を示す一つの指標と着目しなければならない。 もちろん、利益よりの留保分である対外との関係を示す「配当」との関係は自己金融とは深いつながりがあり、利益

概念の吟味も合せて行うことがより正確をきす所でありますが、本稿では、自己金融の存り方と今日的意義を経営成果

の指標とみて、企業自体に帰属する「真の自己資本形成」の源泉的行為概念としての自己金融概念を検討した次第であ 5)(4)(3)(2)(1) 古岡岡林増 川村村地 栄正正健庸 次 一一人人二郎 参考文献 著著著著箸 経営財務論 企業金融論 株式会社金融の研究 企業金融論 財務管理組織 東洋出版社 千倉書房 有斐閣全訂版 ミネルヴァ書房 森山書一房 昭和九年 昭和十二年 昭和一一一三年 昭和三六年 昭和三四年 (昭和五十年十一月三十日) 48

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(24)卿(22)(21)(20)(191(18)(17)(16)(15)(14)(13)(12)(11)(10)(9)(8)(7)(6 古川栄一箸財務管理 経林書房 昭和三八年 黒沢 清編財務管理 青林書院 昭和三五年 何野豊弘著財務管理 ダイセモンド社昭和四三年 高松和男著財務管理論 税務経理協会 昭和四一年 国弘員人編近代財務管理の展開 日本生産性 昭和四三年 細井 卓箸配当政策(増補版) 森山書店 昭和四三年 細井 卓箸現代の資本管理(増補版)中央経済社 昭和四二年 細井 卓箸現代企業財務(増補版) 金原山版 昭和四三年 馬場克三著株式会社金融論 森山書店 昭和四○年 広瀬雄一箸企業金融論 森山書店 昭和四六年 高橋昭三著経営財務論 森山書店 昭和四六年 一邑一水 裕箸企業自己金融の理論 千倉書一房 昭和四四年 村松司叙著資本調達論 同文館 昭和四五年 市村昭三著資本構造計画論(増補版)同文館 昭和四五年 ○・シ・□四日のロ・ロロの旨のの⑩句】ロ四口○の〕cmm・]@mの.】①①] 向・可・ロ・ロ四一□の。□四己]・【・勺益三・○・[己○日{の句】日ロ○の勺○二の旨四口□三四口四mの曰のロ{已田・]@$.」・$ ]・可.、【四□]旨・シロヨ】己の耳囚はくの句ご山口○茜一三四口四mの日の日」①①①国ロロの旦 元・勺・【の日・○。『己。『日の句】ロ四口。冨一三四ppmの日の日 ]①、①②【□の□ の。]・甸一旨丙四目C・○日:葛囚]Q・巨自四mのゴロ]可】・:・の 」①①⑪ 49

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参照

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