次世代高速無線アクセスシステムへの下りリンクマルチユーザ
MIMO
技術の適用
鷹取
泰司
†a)西森健太郎
††b)Application of Downlink Multiuser MIMO Transmission Technology to Next
Generation Very High Throughput Wireless Access Systems
Yasushi TAKATORI
†a)and Kentaro NISHIMORI
††b)あらまし 高い周波数利用効率を実現する技術として MU-MIMO(Multiuser-Multiple-Input-Multiple-Output)伝送技術が注目され,現在策定中の次世代無線 LAN システムの規格 IEEE802.11ac でもシステムス ループットを向上させる技術として採用される可能性が高まっている.本論文ではMU-MIMO 伝送技術の実シ ステムへの応用に着目し,信号処理量が比較的少ない線形信号処理によるMU-MIMO 技術に焦点を絞り,屋内 実環境での環境変動特性,MU-MIMO 技術の適用領域,下りリンク MU-MIMO 技術を概説する.更に,試作 した送受16 アンテナから構成される MU-MIMO 伝送評価用ハードウェアでのデータ伝送実験の結果によって, 周波数利用効率50 bit/s/Hz が実環境において達成可能であることを示す. キーワード マルチユーザMIMO,空間多重,高速無線 LAN,IEEE802.11ac,空間信号処理
1.
ま え が き
無線通信システムの研究開発では「限られた周波数 帯域での伝送速度の向上」が重要な課題となる[1].特 に既に様々な多数の無線システムに周波数帯域を割り 当てているマイクロ波帯以下の周波数帯では,周波 数利用効率の高い無線アクセスシステムの実現が重 要な課題となっている[2], [3].この課題を解決する方 法として空間分割多重伝送(SDM:Spatial Division Multiplexing)が提案されている[4]∼[6].SDMでは 複数の異なる信号系列を複数の送信アンテナから送信 し空間軸上で多重化を行う.受信局では複数の受信ア ンテナで受信された信号から空間軸上に多重化された 複数の信号を信号処理によって分離する.したがって SDMは送信局,受信局の両方に複数のアンテナを用 †日本電信電話株式会社 NTT未来ねっと研究所,横須賀市NTT Network Innovation Laboratories, NTT Corporation, 1–1 Hikarinooka, Yokosuka-shi, 239–0847 Japan
††新潟大学工学部,新潟市
Faculty of Engineering, Niigata University 8050, Ikarashi, Nishi-ku, Niigata-shi, 950–2181 Japan
a) E-mail: [email protected] b) E-mail: [email protected]
いるMIMO(Multiple Input Multiple Output)伝 送となる.例えば,送受信局両方のアンテナ数を同数 としてアンテナ数を増大させた場合には,周波数利用 効率はアンテナ数にほぼ比例して増大することが知ら れている[6]∼[8]. また,端末局におけるアンテナ設置スペースの問題 などにより送信局あるいは受信局のいずれか一方のア ンテナ数を増大させることができない場合でも,複数 の無線局のアンテナをまとめて一つの仮想アレーアン テナとみなすMU-MIMO(Multiuser-MIMO)伝送 を適用することで,高い周波数利用効率を達成するこ とができる[9], [10].なお,本論文では複数の無線局に よって仮想的なMIMOチャネルを形成して信号伝送を 行う方法をMU-MIMO伝送と定義する.したがって すべての端末局のアンテナ数が1の場合でも,複数端 末局に対して空間多重伝送を行う場合は,MU-MIMO 伝送の範疇となる.MU-MIMO伝送の研究開発は空
間信号処理(SSP:Spatial Signal Processing)技術,
無線アクセス方式技術,MU-MIMO伝搬解析,複数
アンテナ小型構成技術の4分野で支えられている.以
下ではMU-MIMO伝送のベースとなっているSSP技
セスシステムへの応用について述べる. 複数のアンテナを用いた通信用SSP技術は,アダ プティブアレーアンテナ技術をベースとして1990年 代から急速な発展を遂げている.このようなSSP技 術が急速な発展を遂げた要因の一つがディジタル信号 処理の高性能化である.1990年代以降はADC( Ana-logue to Digital Converter)のサンプリング速度や信 号処理部(DSP:Digital Signal Processor)のクロッ ク速度が飛躍的に向上し,ディジタル信号処理で指向
性形成を行うディジタルビームフォーミング(DBF:
Digital Beam Forming)が適用可能となった.このた
めDBFを用いた精度の高いリアルタイム指向性制御
のハードウェア化が多数の機関から発表されるように なった[14]∼[16].DBFの特徴の一つが複数指向性の
同時形成である.受信時はADCでサンプリングした
信号に対して,送信時はDAC(Digital to Analogue Converter)に入力する信号に対して,形成する指向性 ごとに異なる重み付けを行うことで,アナログ部の追 加変更をすることなく任意の数の指向性を同時に形成 することができる.この特徴を活かした空間多重アク セス(SDMA:Spatial Division Multiple Access)技 術も1990年代から盛んに検討されている[17]∼[20]. 2000年前後からSSP技術はアンテナ・伝搬,信号 処理,無線通信システム,情報理論分野などの様々な 研究分野からのアプローチが融合していくことにより, 幅の広い領域の技術となった.その結果アダプティブ アレーアンテナを通信システムに応用したスマートア ンテナ技術[21],伝送速度の高速化を実現するSDM 技術[5],伝送品質の向上及び安定化を実現する時空間
符号化(STC:Space Time Coding)技術[22]など多 数の新しい応用技術が開発されてきた.本論文で着目 しているMU-MIMO伝送技術も,このような複数の アンテナを用いたSSP技術の新しい通信応用の一つ ととらえることができる. MIMO伝送やMU-MIMO伝送の発展を促したのは 情報理論の側面からのアプローチとの融合である.送 受に複数のアンテナを用いた伝送システムをMIMO システムとして扱うことで,SSP技術に情報理論で 行われてきた解析手法を適用することが可能となり, チャネル容量もSSP技術の効果を示す指標として頻 繁に使用されるようになった.MU-MIMO伝送につ
いても,i.i.d.チャネル(independent and identically distributed channel)に対しては上りリンク,下りリ ンクともに実現可能な伝送速度の上限値であるチャネ ル容量及びチャネル容量領域が理論解析により求めら れている[23].また送信局及び受信局でのチャネル推 定の不完全性の影響など,チャネル容量を理論解析し た検討が多数報告されている[24]. 一方,MU-MIMO伝送技術は,第3.9世代セルラシ ステム(3G-LTE:3rd Generation-Long Term Evolu-tion)や第4世代セルラシステム(IMT-Advanced: In-ternational Mobile Telecommunications-Advanced) においてサポートされるなど,実システムへの応用に 向けても準備が整い始めている.更にIEEE802.11n の後継規格であり6 GHz以下の周波数帯を対象とした IEEE802.11ac(現在策定中)では,システムスルー プットの向上を実現する主要技術として下りリンク MU-MIMO技術が用いられる可能性が高まってきて いる. 下りリンクのMU-MIMO伝送のチャネル容量は,
ダーティペーパー符号(DPC:Dirty Paper Coding) のブロック長を無限長とした場合に達成されることも 証明されている[25].ここでDPCは受信局が受信時 に受ける干渉信号が送信局において既知である場合に, 干渉のない場合と同じ送信電力で同じ伝送容量を実現 する非線形の送信符号化方法である[25].ただし実シ ステムに適用可能なチャネル容量を達成する符号化方 法は,現在筆者が知る限り見つかっていない. このように非線形信号処理による送信方法の研究開 発が進められている一方で,従来からの線形のSSP 技術を用いた送受信機による下りリンクMU-MIMO 伝送の研究開発も継続して行われている.これは線形 SSPを用いた送受信機で構成するMU-MIMO伝送は 信号処理量部の規模が抑えられ,周波数利用効率では 若干の劣化が認められるものの,消費電力,処理遅延, コストなどの面では良好な特性が得られるためであ る.図 1に送受信機に線形のSSPを用いた下りリン クMU-MIMOのシステム構成を示す.アクセスポイ ント(Access Point:AP)では複数の端末(Wireless terminal:WT)向けの信号が入力され,各信号は空 間多重数に合わせてシリアル–パラレル(S/P)変換 される.その後,変調された信号各々に対して異なる 指向性が形成され(Multiple Beamformer),下り伝 送が行われる.受信局では空間多重された信号の分離 処理を行い(SDM decoder),それぞれの信号に対し て復調処理が行われる.その後,パラレル–シリアル (P/S)変換によって連続した各受信局への信号が復 号される.この処理をサブキャリヤごとに行えば,無
図 1 下りリンク MU-MIMO システム Fig. 1 Downlink MU-MIMO system.
線LANなどで用いられているOFDM方式にも容易 に対応することが可能となる[26]. 下りリンクのMU-MIMO伝送ではWT同士で通 信することができないため,各WTが受信する信号 は他のWTへ送信する信号との干渉によって特性劣 化が生じないようにする必要がある.このため,AP 側では伝搬環境のチャネル情報を取得し,環境にあわ せて送信指向性制御や非線形プリコーディングを適応 制御する必要がある.このとき重要なパラメータとな るのが伝搬環境推定の際に生じる推定誤差である.無 線LANのような送受信で同じ周波数を用いるTDD
(Time Division Duplex)方式では,伝搬環境推定の 時刻と推定結果を反映させて信号送信を行う時刻の間 で生じる伝搬環境変動の影響が特に問題となる. 本論文ではまず,伝搬環境推定誤差の主要因である 伝搬環境の時変動に着目する.MIMOチャネルにお ける時変動モデルは既にIEEE802.11n標準化を行っ ていたタスクグループ(TGn)の中でも検討がされて いる.ただし,IEEE802.11nで必要仕様となっている SU-MIMO伝送は送信指向性制御を行わず受信での信 号処理のみによって空間多重信号を分離する方式であ るため,伝搬環境の時間変動に強く,伝搬モデルには 比較的大きな環境変動パラメータが推奨値として設定 されている.ところがMU-MIMO伝送では,上述し たように送信での伝搬環境に応じた信号処理が必須と なるため,TGnで用いられてきたチャネルモデルを そのまま適用することはできない.そこで本論文では 実際にオフィス環境で測定した結果を示し,下りリン クMU-MIMOが十分に適用可能であることを示す. 本論文では更に試作した送受信16アンテナをサポー トする広帯域MU-MIMO伝送の試作装置を用い,適 応変調符号化を含めた屋内MU-MIMO伝送実験の結 果を従来のSU-MIMO伝送との比較で示す.試作装 置はリアルタイム送信処理とオフライン受信信号処理 から構成される.測定結果からMU-MIMO伝送が実 環境においても,システムスループット及び各端末局 でのスループットの両方の面で大きな効果が得られる ことを示す. 本論文の構成を以下に述べる.2.では下りリンク でのMU-MIMO伝送において問題となる時間変動 による環境変動について測定結果を示し,屋内での SU-MIMOを用いた無線アクセス向けに検討されて いる伝搬モデルからの修正が必要であることを説明す る.3.ではMU-MIMO伝送の適用領域についてチャ ネル推定誤差に対する伝送特性により示し,実環境で は下りリンクMU-MIMO伝送が有効な手段となるこ とを明らかにする.更に4.では,試作装置を用いた MU-MIMO伝送の測定結果を示す.5.では今後の展 望を述べ,最後に6.で本論文をまとめる.
2.
屋内伝搬環境における時変動特性
下りリンクMU-MIMOによる高い周波数利用効率 が必要となる高速データ伝送は,高画質映像メディア の視聴などWTが静止状態となるユースケースが想定 される[27].ただしWTが静止状態においても,周辺 の人の移動などにより伝搬環境の変動が生じる.1.で も述べたように下りリンクMU-MIMO伝送では比較 的小さな伝搬環境の変動でも伝送特性に影響を与える 可能性がある.このため,IEEE802.11acの標準化策 定のタスクグループTGacでは環境変動のモデル化に ついて議論が行われている.本章では現在議論が行わ れているTGnモデルからの修正点について概説する. TGnのチャネルモデルではドップラー周波数は以 下の式で表されるベル型のスペクトルとして与えられ ている[28]. S(f) = 1 1 + 0.9 f fd (1) ここでfdはドップラー周波数であり,以下の式で定 義される. fd= v 0 λ (2) ここでλは中心周波数における波長,v0 は移動速度 を表す.ただし,実際には端末そのものは移動しない 環境を想定しているので,v0は伝搬環境の変動による図 2 測 定 環 境 Fig. 2 Measured environment.
速度と考えることができる.TGnではこのモデルで はf = fdにおいて,S(f)が0.1となる.TGnでは v0の推奨値をv0= 0.33 m/sとしている. 図2に測定したオフィスのレイアウトを示す.部屋 の大きさは図2 に示す寸法が40× 26 mであり,測 定中は20人が通常の勤務をしていた.図3に日中の オフィス内で測定したドップラー周波数の一例を示す. 測定周波数は4.85 GHz,送受信装置の距離は約4 m であった.受信局は高さ0.85 mに設置した.送信局 の高さは,見通し測定時は2.7 m,見通し外測定時は 高さ0.85 mとした.TGnのチャネルモデルで示され ているように,スペクトルの形状はベル型となってい る.TGnモデルでは,0 Hz成分は見通しの直接波成 分とみなし,0 Hz付近を除いた領域のデータからドッ プラー速度を求めている[28]. ところが実際には0 Hz成分は見通し成分のみではな く,什器などの移動しない反射物で反射した到来波も 含まれることになり,Kファクタよりも大きな値とな る.図3からも分かるように見通し外の測定であって も0 Hz付近に大きな電力が観測されている.0 Hz成 分を考慮しベル型の関数で近似すると,図3の場合に はドップラー周波数は0.05 Hz(v0 = 0.003 m/s)と なる.この値は中心周波数を4.85 GHzとした場合の IEEE802.11nのチャネルモデル推奨値である5.4 Hz (v0= 0.33 m/s)の1/100程度の値であり,屋内環境 は極めて静的な環境となっていることが分かる[29]. 他の結果でも,ドップラー周波数は0.3 Hz程度にとど まっており,現在はより静的なモデルに変更する方向 で検討が進んでいる[29], [30]. 以上の結果より,屋内環境では,ドップラー周波数 がかなり低くなることから,MU-MIMO伝送にとっ 図 3 屋内環境でのドップラー周波数特性
Fig. 3 Measured Doppler spectrum in indoor environment. て有効に動作することが期待できる.次章では,実際 に想定され得る伝搬チャネル変動を考慮した場合の MU-MIMOに対するSU-MIMOの有効性を定式化す るとともに,計算機シミュレーションでその特性を明 らかにする.
3.
下りリンク
MU-MIMO
伝送における
チャネル推定誤差の影響
本章ではチャネル推定誤差に対するMU-MIMO伝 送の特性をSU-MIMO伝送との比較で示す.ここで は基本特性を明らかにすることを目的とし,SNRが十 分高く空間ストリーム数はWT(Wireless Terminal) のアンテナ数と等しいとする.また各空間ストリーム には同一の変調符号化方式を適用するものとし,各空 間ストリームのWTでの受信レベルが等しくなるよう に送信電力を割り当てる.なお,このような条件下で は他ユーザへの干渉を完全に抑圧する二つのアルゴリ ズム,BD(Block Diagonalization)法とZF(ZeroForcing)法は同一の特性を示す.以下ではZF法を例 として,MU-MIMO伝送でのチャネル推定誤差の影 響について説明を行う. 3. 1 システムモデル 図4に無線LANシステムに適用可能な下りリンク MU-MIMO伝送のアクセス手順の一例を示す.APか らはまず伝搬環境推定のための既知信号送信要求メッ セージ(Request signal)を送信する.この信号を受 信したWTは決められたタイミングで伝搬環境推定 用の信号(SS:Sounding Signal)をAPに送信する. APではSSを用いて伝搬環境推定を行い,送信指向 性及び変調符号化方式を決定する.その後決定した指 向性を用いて下り信号伝送を行う.この手順からも分 かるように,伝搬環境推定から指向性形成までの時間 が長くなるとオーバヘッドが増大し,システムスルー プットが低下する.したがって無線LANにおける下 りリンクMU-MIMO伝送では簡易で処理遅延の小さ い送信指向性制御法が有効となる.各WTでのアン テナ数はすべて等しいとすると,送信アンテナ数Mt, 各WTにおける受信アンテナ数MrのWT-kにおけ るSU-MIMO伝送は以下の式で表すことができる. rk=HkWt,ksk+nk (3) ここでrkはMr× 1のWT-kにおける受信信号ベク トル,HkはMr×Mtの行列で表されるAPとWT-k の間のチャネル行列,Wt,kはMt×MrのWT-kに送 信する信号に対する送信重み付け行列,skはMr× 1 のWT-kへの送信信号ベクトル,nk はMr × 1の WT-kにおける雑音ベクトルである. 図 4 下りリンク MU-MIMO 制御手順 Fig. 4 Access protocol for downlink MU-MIMO.
MU-MIMOシステムでは受信局数Muの下りリン
クMU-MIMO伝送は以下の式で表される.
r(MU)
=H(MU)Wt(MU)s(MU)+n(MU) (4)
ここでr(MU),H(MU),Wt(MU),s(MU),n(MU)は以 下で定義される. r(MU) = rT 1rT2 · · · rTMu T (5) H(MU) = HT 1HT2 · · · HTMu T (6) W(MU) t = [Wt,1Wt,2· · · Wt,Mu] (7) s(MU) = sT 1sT2 · · · sTMu T (8) n(MU) = nT 1nT2 · · · nTMu T (9) 実環境では2.で示したようにチャネル推定は伝搬 環境の時間変動などによって誤差が生じる.WT-kの チャネル行列は,WTでのチャネル推定結果との相関 成分と非相関成分の和で与えることができる. Hk=ρkHk+ 1− ρ2 kΔHk (10) したがってHkはチャネル推定結果,ρkは推定した チャネルと下りSU-MIMO伝送時のチャネルの相関, ΔHkは推定誤差となる. 送信電力をPtとすると,SU-MIMO伝送での WT-kに対するZFアルゴリズムの送信重みは以下の式で 与えられる. Wt,k=Pt HH k HkH H k −1 trHkH H k −1 (11) ここで上添字H は複素共役転置行列を表す.T r(A) は行列Aのトレースを求める演算子である. SU-MIMO伝送では一般に空間多重数はWTのア ンテナ数以下となる.したがってWTのアンテナの 自由度以内での制御となるため,WTのアレーアンテ ナで受信された信号を合成することで,環境変動が大 きくなった場合でも干渉を除去することができる.こ のため,MU-MIMO伝送との比較を行うような十分 小さい環境変動では,希望信号のレベル低下も小さく, 環境変動に対してロバストな特性を示す. MU-MIMO伝送ではSU-MIMOと同様にチャネル 推定誤差ΔH(MU)を以下の式によって考慮すること ができる.
H(MU) =ρH(MU)+1− ρ2ΔH(MU) (12) ここで,H(MU)は推定したチャネル行列である.また, 推定したチャネルと下りMU-MIMO伝送時のチャネ ルの相関は全WTで等しいものとした.相関がWT ごとに異なる場合は,行列の係数部分を対応した相関 値を対角要素とする対角行列とすればよい.H(MU)は 以下の式で与えられる. H(MU) = HT 1H T 2 · · · H T Mu T (13) ZFアルゴリズムを適用する場合,送信重みは推定し たチャネル行列の擬似逆行列により以下のように求め ることができる. W(MU) t =Pt H(MU)H H(MU) H(MU)H−1 trH(MU) H(MU)H−1 (14) このとき,端末局WT-kの受信信号における干渉成分 rI,kは以下のように表される. rI,k= Mu k=1,k=k HkW(MU)t,k sk =1− ρ2 Mu k=1,k=k ΔHkW (MU) t,k sk (15) 上式からも明らかなように,WT-kに生じる干渉は WT-kの伝搬環境変動のみに起因し,ほかのWTに おける環境変動は影響しない.なおここではZF法に ついて説明したが,ほかの完全な干渉除去制御を送信 局で行うBD法やMMSE制御を送信ビームフォーミ ングに適用する場合も,干渉抑圧特性の劣化はほかの WTにおける環境変動は影響しない. MU-MIMO伝送では式(15)で示した干渉の影響 に加え,式(14)からも分かるように空間多重数が増 大することによって式(14)の分母の値が大きくなり ストリーム当りの送信電力が低下する.また干渉抑 圧に自由度が取られダイバーシチ利得も低下するた め,受信SINR特性はSU-MIMO伝送よりも低下す る.一方SU-MIMO伝送では複数のWTと通信する ためにTDMAなどほかの多重化方式を併用する.こ のためMU-MIMO伝送と同等のシステムスループッ トを達成するためにはMU-MIMO伝送よりもシンボ ル当りの情報量が多い変調符号化方式を選択する必要 がある.SU-MIMO伝送の所要SINRはMU-MIMO
伝送よりも高く設定する必要がある.SU-MIMOと MU-MIMOの優劣は以下の比較により決定される. • 伝搬環境推定誤差によってMU-MIMO伝送に おいて生じる干渉電力の大きさ • SU-MIMO伝送で適用する変調符号化方式の要 求SINRの増大 以下では簡単のため,各WTのアンテナ数を1とし た.WTのアンテナ数を1とし,かつシングルユーザ
を想定する場合,MIMOではなくMISO(Multiple Input Single Output)チャネルとなる.以下, MU-MIMOとSU-MISO伝送の選択基準を示す.なおWT
が複数アンテナの場合でも,送信局でZFを行い,各
アンテナごとにSISO復号を行う最も簡易な下りリン
クMU-MIMO伝送については全く同様に扱うことが できる.
このときMU-MIMOでの要求SINRをQMU−MIMO
とするとMU-MIMOでは以下の不等式を満たす必要 がある. 1≤ w (MU)H t,k h H khkw(MU)t,k QMU−MIMO(PI,k+σk2) (16) ここでhkはWT-kのアンテナ数が1の場合のMt×1 のチャネル応答ベクトル,σk2はWT-kにおける雑音 電力を表す.PI,kは干渉電力を表す. 一方,MU-MIMOのMu倍の伝送速度となる変調 符号化方式を用いた場合の要求SNRをQSU−MIMO とするとSU-MISO伝送では以下の不等式を満たす必 要がある. 1≤w (SU)H t,k h H khkw(SU)t,k QSU−MIMOσk2 (17) したがって式(16)と(17)の右辺の比をとると MU-MIMOとSU-MIMOの伝送特性比較の指標は以下で 与えられる. Φ =QMU−MIMO QSU−MIMO w(SU)H t,k h H khkw (SU) t,k w(MU)H t,k hHkhkw(MU)t,k 1+PI,k σk2 =QMU−MIMO QSU−MIMO P(SU) S,k P(MU) S,k 1 + INR(MU) (18) MU-MIMOは式(18)で与えられる指標が1よりも小 さい値となる場合にはMU-MIMOが良好な伝送特性 を示す. 3. 2 SU-MIMO と MU-MIMO の 伝 送 特 性 比較 図2におけるオフィス環境での伝搬チャネルの変動
図 5 チャネル推定誤差に対する出力 SINR 特性 Fig. 5 Output SINR for channel estimation error.
は,100 ms程度の間では−20 dBから−30 dB程度 となることが報告されている[31].以下ではチャネル 推定誤差はチャネルの時変動によって生じるものとし, その推定誤差は−20 dB∼−30 dB程度として評価を 行った.チャネル推定誤差が存在する場合の出力SINR 特性及び誤り率特性のシミュレーション結果を示す. 送信アンテナ数は8,受信アンテナ数は2,受信局の数 は2とし,SISO受信時のSNRを20 dBとした.受 信局の復号処理には,MMSEアルゴリズムによる復 号と各アンテナで独立に復号を行うID(Independent Decoding)を用いた.また,送信電力はストリームご とで一定となるように規格化した.SU-MIMO伝送で は,チャネル行列の特異値分解を行った後,各ビーム での受信レベルの期待値が等しくなるようにした.伝 搬チャネルはi.i.d.レイリーフェージングチャネルと し,推定誤差は伝搬チャネルと無相関に与えた.試行 回数は10,000回として評価を行った. 図5にチャネル変動環境における出力SINRの累
積確率(Cumulative Distribution Function:CDF)
を示す.推定誤差のない場合の特性は点線(Ideal)で 示している.推定誤差が−20 dBの場合と−30 dBの 場合で,50%値以下の累積確率で累積確率分布の差は 約6 dBとなっている.また劣化量はいずれの受信方 式を用いた場合も,累積確率値には依存していない. 推定誤差が−30 dBの場合には,IDを用いた場合で も劣化は1 dB以下となっている. 図6にチャネル推定誤差に対する誤り率特性を示す. SU-MIMO伝送では各ユーザに割り当てられる伝送時 間は約半分となるため,MU-MIMO伝送で16QAM 図 6 チャネル推定誤差に対する BER 特性 Fig. 6 Average BER for channel estimation error.
を用いた場合と,SU-MIMO伝送で256QAMを用 いた場合のシステムスループットはほぼ等しくなる. 推定誤差が−15 dB以下であればMU-MIMO伝送は SU-MIMO伝送よりも良好な伝送特性が得られてい る.また推定誤差が−25 dB以下の場合には,64QAM を用いてシステムスループットを1.5倍としても同等 以上の伝送品質が得られている.ID処理を行った場 合と,全受信アンテナを用いてMMSE復号を行った 場合の特性差は1 dB以下となっている.このことか ら各アンテナで独立に復号を行う簡易な信号処理でも 十分な特性が得られることが分かる.
4.
試 作 装 置 に よ る 下 り リ ン ク
MU-MIMO
伝送特性評価
前章までは,屋内環境における伝搬チャネルの変動 特性とその影響について明らかにした.その結果,屋 内では環境変動は非常に小さく,MU-MIMOにとっ て有効となる環境であることを2.では示した.また, そのような範囲では,MU-MIMOはSU-MIMOより も有効である見込みがあることを3.においては計算 機シミュレーションで示した.本章では,2.で得られ た環境と同程度の静的な環境下において,実際のハー ドウェアによるMU-MIMO下りリンク実伝送により, MU-MIMOの効果を明らかにする. 4. 1 試作装置の概要 本節では,MU-MIMOの効果を評価するために不 可欠となる大規模なMIMOチャネル,すなわち多数 のアレーアンテナによる評価が可能なプラットホーム を紹介する.大規模なMIMOチャネルを扱うことができる観点からいえば,伝搬チャネル測定のみに関し ては,最大64× 64MIMO対応のアンテナ切換型チャ ネルサウンダ[32]が製品化されている.ただし,この ような装置では,伝送特性までを評価することができ ない.また,シングルユーザとしては,12× 12MIMO による実伝送の検討が報告されている[33], [34].この 検討では,受信側にQRM-MLD法が適用されている が,送信側での制御が行われていない. MU-MIMOの下りリンクでは,端末側は協調できな いため,基地局側で端末に他端末からの干渉を与えな いように制御することで,端末側の負担を軽減するこ とが重要である.よって,先に述べた送信側での指向 性制御の実環境での動作検証が不可欠である,しかし, 従来の検討では,8素子以上の大規模なMU-MIMO 評価に関し,伝搬チャネル測定と実際のビット伝送の 両方が実現でき,かつ,上記で述べた技術をトータ ルで評価できる装置は見当たらないのが現状である. そこで,筆者らはMU-MIMOの効果を十分に発揮で きる16× 16 MU-MIMO伝送特性評価装置を開発し た[37], [38]. 図 7 に本実験装置の概略図を示す.表 1 に本装 置の主な諸元を示す.送受信周波数は4.85 GHzであ る.本装置では,最大100 MHz帯域で最大16× 16 のMU-MIMO-OFDM伝送の評価が行える.送信部 では,パソコン(PC)で送信信号を作成し,これを D–A変換機のメモリに送ることで,16 ch分の任意の IQ信号を発生することができる.D–A変換された信 号は周波数変換部を介して送信される.受信部では, LNA,周波数変換部,A–D変換機を介して受信信号 がメモリに格納され,最後にPCに受信データが転送 される構成となっている.また,本装置は,送信機と 受信機をそれぞれ単体で動作させることが可能であり, 素子数×ユーザ数≤ 16を満たす任意の素子数,ユー ザ数の評価が可能である.表2に,本装置で今回用い た信号の諸元を示す.送信指向性制御法として,本装 置では,線形演算による送信指向性制御の一つである Block Diagonalization(BD)法[35], [36]を採用して いる.そのほか,詳細な通信のための制御フローにつ いては,文献[37]を参照されたい. 今 回 用 い た 信 号 と そ の フ レ ー ム フォー マット は IEEE802.11nの規格をベースとしており,MIMOや MU-MIMOの場合の伝達関数行列を推定できるよう に拡張されている.まず,ショートプリアンブルを用 いて,自己相関演算処理によりデータの先頭を検出す 図 7 16× 16MU-MIMO-OFDM 伝送特性評価装置の構成 Fig. 7 Diagram of 16×16MU-MIMO-OFDM testbed.
表 1 送受信部の主な諸元 Table 1 RF parameters. 中心周波数 4.85 GHz 送信アンテナ数 16 受信アンテナ数 16 信号帯域 100 MHz (Max) A–D変換のビット数 12 bit D–A変換のビット数 12 bit 送信電力 0 dBm (wo/HPA) 40 dBm (w/HPA) 受信感度 −20∼−70 dBm る.次に,ロングプリアンブルを用いて伝達関数推定 を行う.ここでは,IEEE802.11nのロングプリアンブ ルの2OFDMシンボルを,各送信アンテナから送る伝 達関数行列取得のための信号として用いた.なお,フ レーム効率を上げるために,各送信アンテナ間で直交 となる符号をロングプリアンブルに乗算し送信してい る.この操作により,各アンテナより同時にロングプ リアンブルを送信することができる.次に,ロングプ リアンブル信号の後にP個のOFDMシンボルをデー タ区間として送信する.ここで,各データには位相回 転補正のためのパイロット信号を挿入しており,挿入 する位置は表 2に示す4個のサブキャリヤ番号とし
表 2 実験に用いた信号パラメータ Table 2 Signal parameters in measurement.
帯域幅 20 MHz サンプリングレート(A–D) 40 MHz サンプリングレート(D–A) 80 MHz FFTポイント数 64 通信用サブキャリヤ数 48 パイロットサブキャリヤ数 4 ガードインタバル(GI)長 16 OFDMシンボル長 80 ショートプリアンブル長 2OFDMシンボル ロングプリアンブル長 2OFDMシンボル パイロットサブキャリヤ番号 6, 20, 34, 48 変調方式 QPSK, 16QAM, 64QAM 256QAM,1024QAM 符号化率 1/2, 2/3, 3/4, 5/6, 7/8 図 8 測定環境(下りリンク MU-MIMO 伝送評価) Fig. 8 Measurement environment for downlink
MU-MIMO transmission. た.なお,今回の検討における変調方式は表2に示す 変調方式を用い,符号化率Rは表に示す値とした. 4. 2 屋内実環境における特性評価結果 屋内実環境におけるMU-MIMO下りリンクの周波 数利用効率を実ビット伝送により評価した.図8に測 定環境を示す.実験は,17.6 × 12.1 × 3 [m]のスペー スの部屋で行った.図8の環境は,図示はしていない が,2.で示した環境と同程度のドップラー周波数であ ることを確認している.送受信アンテナには,それぞ れ無指向性アンテナとしてスリーブアンテナを用い, アンテナ配置は直線とした.送受信アンテナの素子間 隔はそれぞれ1.0,0.5λとした.送受信アンテナの高 さはそれぞれ1.7 m,0.7 mとした.送信電力は,最 大でトータルの総送信電力が6 dBmとなるようにし た.送信アンテナは図8のTxの位置に配置した.受 信アンテナは,図8の9箇所(以下,Rx-A∼Iと呼 ぶ)にそれぞれ配置した.また,受信アンテナの方向 依存性に対する特性を明らかにするために,受信アン テナの回転角度を−45,0,45度とした場合の特性も 比較した.SU-MIMOの場合の送信指向性制御には固 図 9 MU-MIMO伝送による信号点配置の例(Mt= 16, Mr= 4,Mu= 4)
Fig. 9 Example of signal constellations (Mt= 16, Mr= 4,Mu= 4). 有モード伝送を適用した[6]. まず,本装置による実際の伝送例を調べるため, MU-MIMO伝送で得られる信号点配置の一例を図9に示 す.この場合は,Mu= 4とし,送受信局のアンテナ 数Mt,Mrをそれぞれ16,4とした.図9には,紙 面の関係上,ポイントRx-Bでユーザ1のみの特性 を示した.また,ユーザの平均SNRが31 dBの環境 となっている.この場合は,理論上,ユーザ当り4ス トリームの伝送を行うことが可能であるが,適応変 調[37]により3ストリームの伝送となっている.ここ で,適応変調は各ストリームの平均SNRとそれに対 応する変調方式をあらかじめテーブル化して変調方式 を割り当てることで実現している[37].図から明らか なように,正しく信号が復号できていることが確認で きる.この場合は,符号化率R = 5/6でエラーフリー 伝送が実現できることを確認した.これは,ユーザ当 り12 bit/s/Hz(20 MHzの帯域で240 Mbit/s)の伝 送を補償することに相当する. 図10には,送信局のアンテナ数Mtを16と固定 し,受信局のアンテナ数Mrを4とした場合に,平 均SNRとユーザ数を変化させた際の周波数利用効率 を示している.すべての結果に対し,適応変調[37]を 用いている.また,総当たりで変調方式を選択した場 合の特性(図:Ideal selection)も併せて示している. 図から,Ideal Selectionと適応変調による周波数利用 効率がほぼ一致していることが分かる.したがって, 適応変調は,与えられた環境の中で,最大の周波数利 用効率を達成できるように行われていることが確認で きる. 図10から明らかなように,ユーザ数の増加に伴い 周波数利用効率の改善が得られている.例えば,平均 SNRを31,36 dBとしたとき,16× 4 × 4ユーザの 伝送により,43.5,50 bit/s/Hzという非常に高い周 波数利用効率が得られることが分かる.これは,今
図 10 SNRとユーザ数に対する周波数利用効率(Mt= 16,Mr= 4)
Fig. 10 Frequency utilization versus SNR (Mt= 16, Mr= 4).
図 11 受信素子数と MU-MIMO/SU-MIMO の周波数利 用効率の関係
Fig. 11 Frequency utilization comparison between MU-MIMO and SU-MIMO versus receiving antennas. 回の伝送で評価した20 MHz帯域では,870 Mbit/s, 1 Gbit/sに相当する.2∼4ユーザのMU-MIMO伝送 の場合は,同一の受信素子のSU-MIMO伝送の場合 よりも,1.6∼2.4倍の周波数利用効率の改善がそれぞ れ得られることも確認できる. 最後に,受信素子数とMU-MIMO/SU-MIMOの 周波数利用効率の関係を図11に示した.MU-MIMO では,送信素子数Mtが16と8の場合をそれぞれ評 価し,Mt =Mr× Muとなるようにユーザ数と受信 素子数を決定した.平均SNRは31 dBであった.こ の検討でも適応変調を考慮している[37].図11から, SU-MIMOにおいて,Mt> Mrとする場合,送信ダ イバーシチ効果によりMt=Mrの場合に比べ,周波 数利用効率は改善するものの,その効果はあまり大き くないことが分かる.一方,MU-MIMO伝送では,た とえMr = 2であったとしても,Mtが16と8の場 合にそれぞれ40 bit/s/Hz,20 bit/s/Hzという非常に 高い周波数利用効率を得ることができる.したがって, この結果から,受信局のアンテナ数が少ない場合,す なわち簡易な端末局を考える場合,MU-MIMOの効 果が特に大きくなることが確認できる.
5.
今後の展望
5. 1 IEEE802.11acにおけるMU-MIMO技術 ここでは,下りリンクMU-MIMO技術を核とし た初めての高速無線アクセスシステムとなる可能 性 の 高 い EEE802.11acの 標 準 化 動 向 を 説 明 す る . IEEE802.11acはMAC-SAPでのシステムスループッ ト1 Gbit/s以上を6 GHz以下の周波数帯によって実 現するための規格であり,2008年の9月にタスクグ ループが発足し,現在2012年の標準化完了を目指し て標準化策定作業が行われている.ここでシステムス ループットは,一台のAPが複数のSTAと通信する場 合各STAのスループットの合計として定義される.1 対1通信ではMAC-SAPのスループット500 Mbit/s を目標値としている.現在伝送速度の高速化を実現す る方法として,下りリンクMU-MIMO技術の適用, 80 MHz以上の伝送帯域幅の拡大(IEEE802.11nで はオプションで40 MHz帯域までをサポート)及び MIMOの多重数の拡大が有力となっている. 高速化の方法として検討されている伝送帯域幅の 拡大は,周波数チャネルの不足を招き,複数のAPが カバーするセルがオーバラップする可能性が高くな る.IEEE802.11acが家庭やオフィスなどで良好に動 作するためには,オーバラップしたセルでも良好に動 作することが望まれる[39].オーバラップセルの問題は,IEEE802.11の中ではOverlapping Basic Service Sets(OBSS)と呼ばれている.OBSSの状況でも無
線システムが安定に動作するための一つの方法は,各 APでの周波数利用効率を高め,オーバラップされた APも含めた全体のシステムスループットを向上させ ることである.したがって,MU-MIMO伝送のよう な極めて高い周波数利用効率を達成する技術が有効と なる[40]. 5. 2 MU-MIMO技術の今後の展望 本論文では,主に線形のSSP技術を用いた MU-MIMO伝送技術について述べた.より高い周波数利 用効率を達成するためには,受信局及び送信局での非 線形演算処理が有効な手段となる.特に受信局への最 ゆう推定系のアルゴリズムの適用はLSI開発が行われ るなど現実味を増している[42].今後は最ゆう推定技 術の実システム適用に向けた検討が重要となる.更に 送信局での指向性制御にはユーザ間干渉を意図的に残 留させ,干渉信号も利用した非線形送信技術を適用す る手法も研究開発が進むものと思われる. 本論文では,屋内環境への適用をフォーカスした が,更なるMU-MIMO技術適用の範囲拡大として屋 外環境への適用を考えると,伝搬チャネルの変動は無 視できないものとなる.このため,伝搬チャネル変動 の補償法も提案されている[43].しかし,伝搬チャネ ルの変動は非常に複雑であり,MU-MIMOの伝送特 性もこの変動の影響を大きく受けるため,どの程度の 高速移動環境まで適用すべきかについては議論の余 地があると考えられる.なお,この対策として,伝搬 チャネルのフィードバックの削減方法が提案されてい る[44], [45]. MU-MIMO伝送を更に発展させた形態としては, 複数無線ノードによる協調伝送があり,現在も盛んに 検討されている.セルラシステムでは,複数セル間で 協調送受信を行うCoMPに関する検討が行われてい る[46].CoMPでは,物理層の制御だけでなくアクセ ス制御など高位のレイヤまでをトータルに扱うクロス レイヤの視点での研究が必須となる.このような視点 での研究開発によって新たなSSP技術が創出される と考えられる. 本論文では,SSP技術を中心にMU-MIMO技術 を述べたが,アンテナは無線区間の出入り口であり, MIMO/MU-MIMO技術でも非常に重要な位置を占 める.アンテナ技術は,特に複数アンテナを小型端末 に実装しなければならない場合に特に重要であり,通 信容量を低下させずに,MIMOアンテナを小形化に 関する検討が行われている[47]∼[49].また,アンテ ナの小形化の観点からは,ミリ波などの高い周波数へ の応用に関しても,近距離MIMO伝送などの新たな 分野が近年注目を集めている[50].この場合は,SSP 技術の簡易化やアナログ制御との組合せ技術が必要で あると考えられ,アンテナ,伝搬,SSP技術のすべて を考慮してシステムを設計する必要があるといえる.
6.
む す び
本論文では実システムへの適用に向け,送受信装置 で指向性制御を行う下りマルチユーザMIMO( MU-MIMO)技術について,アダプティブアレーアンテ ナをベースとして発展してきたSSP(Spatial Signal Processing)技術を中心に説明した.特にMU-MIMO の適用に向けては伝搬チャネル推定の推定誤差に着 目し,時変動特性の測定結果を示すとともに, MU-MIMO伝送とSU-MIMO伝送の伝送品質特性比較に ついて考察を行った.計算機シミュレーションの結果, 屋内環境で得られたチャネル推定誤差である−20 dB 程度であればMU-MIMO伝送が有効に動作すること が分かった. また,筆者らが試作したMU-MIMO伝送評価装置 を紹介するとともに,屋内実環境での伝送特性評価 を示した.その結果,MU-MIMO伝送を行うことで, 4素子の端末局を用いた場合でも最大で50 bit/s/Hz (実伝送では,20 MHz帯域で1 Gbit/s伝送を実現) という非常に高い周波数利用効率が達成可能であるこ とを示した.更にMU-MIMO技術が核となる可能性 の高いIEEE802.11ac標準について,現在の標準化動 向及びMU-MIMO技術で期待されている効果につい て説明するとともに,SSP技術の今後の発展について の展望を示した. 文 献[1] J.H. Winters, “On the capacity of radio communica-tion systems with diversity in a Rayleigh fading envi-ronment,” IEEE J. Sel. Areas Commun., vol.SAC-5, no.5, pp.871–878, June 1987. [2] 服部 武監修,OFDM/OFDMA 教科書,インプレス R&D,2008. [3] 総 務 省 ,“電 波 新 産 業 創 出 戦 略—電 波 政 策 懇 談 会 報 告 書 ,” http://www.soumu.go.jp/menu news/snews/ 02kiban09 090713 1.html, July 2009.
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