判例と若干の考察―
著者
佐藤 修一郎
雑誌名
白山法学
巻
14
ページ
43-68
発行年
2018-03-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010186/
学校生活における生徒の自律と校則について
―裁判例と若干の考察―
佐 藤 修一郎
はじめに 近時、学校における児童・生徒の自律と校則との関係が改めて議論され ている1。象徴的な事象は、2017年 8 月、大阪の府立高等学校に通う女子生 徒が、髪の色素が薄いのは生まれつきであるにもかかわらず、入学時に配 布される「生徒心得」にある「パーマ、染髪、脱色は禁止する」との記載 に反することを理由とした「黒染めの強要は、生まれつきの身体的特徴を 否定し、人格権を侵害する」として、大阪府を相手取って損害賠償請求訴 訟を提起した事件であろう2。なお、本件における「生徒心得」は、形式的 には「校則」ではないが、「一般には学則を含む校内規則の総称を意味」 し、「『生徒心得』などの名称によって、生徒指導のあり方を規定しておく 校内規則が、『(広義の)校則』である3」との理解に立てば、本件「生徒心 得」もまた「校則」と考えてよい。 学校という、いわば閉じられた空間においては、生徒が自律的に学校生 活を送る権利と、学校による生徒の管理権との衝突が、しばしば生徒の自 律権と校則との矛盾や齟齬として現出する。もとより、生徒の自律権とい えども無制約のものではあり得ず、また、学校による生徒の管理権といえ どもその濫用は厳に戒められなければならない。また、その閉じられた空 間において、生徒同士あるいは生徒と教師とが、緊密にかつ継続的に日常 生活を過ごすという点に、学校という「場」の特殊性を見いだすことがで きる。 以下、本稿においては、学校における生徒の自律と校則との関係につ き、従来からの議論と裁判例を参考に、若干の考察を試みるものである。Ⅰ 生徒の自律と校則 1 .生徒の自律 そもそも教育は、「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会 の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して 行われなければならない(教育基本法 1 条)」はずの、知的な営みであ る。そして、教育は私事として家庭や地域社会において行われるととも に、「子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの 教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画 的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、 子どもの教育は、主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中 心として営まれるという状態になつている4」。 このように、教育の主たる場が学校であることから、教育の目的を確実 かつ効果的に達成するために、学校において教育に関わる者すべてが遵守 すべき規範が必要となることは言を俟たない。そうした規範のうち、生徒 を名宛人として、その行動を規律するのがすなわち校則である。しかしな がら、校則は時として、あるいはしばしば、生徒に過剰な制約を加え、あ るいは過小な保護しか提供できないといった問題を惹起する。 およそ、生徒といえども人権の享有主体性は認められ、校則との関わり では、髪型や服装、所持品、移動、バイクや自動車の免許取得や乗車など につき、他者とりわけ公権力から必要性も合理性も認められない干渉を排 除しうる存在である。仮にこれらの事項を、憲法の個別の条文に対応させ るとするならば、髪型や服装は憲法21条 1 項、所持品は同29条 1 項、移動 については同22条 1 項、バイクや自動車については13条及び29条 1 項の問 題となるものと思われる。なお、基本的な認識として、戸波江二教授の 「校則の問題においては、生徒の『自己決定』の制限として問題を設定す べきことがまず確認されなければならない5」との指摘は重要である。 憲法13条は、後段において個人の「生命、自由及び幸福追求の権利」を
保障しているところ、本稿においてはさしあたり幸福追求権を、「自律的 な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自 由」と理解することとしたい6。そして、幸福追求権の一内容として、個人 が自律的な生を営むために、自己決定権が導出されることになる。とする ならば、学校生活においても生徒が自律的な存在であるためには、生徒の 自己決定権が十分に保障されなければならないことになる。また、突き詰 めれば、校則によって生徒の自律的存在に不可欠な自己決定権が侵害され ているということは、すなわち、生徒の教育を受ける権利(憲法26条)ま でもが害されることを意味し、ともすれば公教育の目的自体が阻害される という事態に陥るという点には、留意が必要であろう。 なお、幸福追求権の意味につき、学説上人格的利益説と一般的自由説の 対立がある。本稿においては、いずれかの立場に依拠して議論を進めると いうよりも、個別の問題ごとに事案に即した検討を加えることとしたい。 2 .校則の法的位置づけ ( 1 )法的根拠 上述のとおり、校則は実際にはさまざまな名称を附された規則であり、 校内を規律する規則である。そして、その内容いかんによっては学校の内 外を問わず生徒の日常生活を事実上拘束する。しかしながら、校則の根拠 法令を見いだすのは困難である。この点、公立学校の校則の法的根拠につ いて以下のように説明されることがある。学校教育法 5 条は、「学校の設 置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定のある場合を除いて は、その学校の経費を負担する」と規定し、同法施行規則 3 条 4 号及び 4 条は、管理者が学則を制定すること及び学則の規律事項を定めている。公 立学校の設置者は地方公共団体であり、公立学校の設置及び管理に関する 基本事項は条例で定められる。一方、地方教育行政の組織及び運営に関す る法律32条は、大学を除く公立学校を所管する権限を教育委員会に与え、 同法33条は教育委員会が学校の管理運営に関する基本的事項を教育委員会
規則において定めるものとしている。そして、この規則において、学則制 定権を校長に委任する規定を設けることが考えられる。また、生徒心得な どの規則については、学校教育法37条 4 項、49条により、校長は校務をつ かさどることから、校則制定権をこの「校務」に含めて理解することもあ る7。また、後に検討するように、裁判例においては校長の校則制定権の根 拠を明示しないままに、いわば当然の前提としてこれを認める場合が多い ように思われる8。いずれの見解も、それぞれに説得的であるように思われ るが、校則が生徒の人権を不当に制約する可能性が排除できない以上、形 式論にせよ校則制定権の法的根拠が示されることが望ましい9。 このように、法的根拠が曖昧な、あるいは不確実な校則ではあるが、そ の規律事項は、次のように多岐にわたるものである。①授業時間割、登下 校時間、休憩時間など、校内生活における学習・教育に関する規則、②望 ましい学習態度、基本的な生活習慣、礼儀作法など、訓示的・道徳的規 定、③所持品や髪型・服装など、学校生活と私生活に関する規制、④バイ ク乗車、外出・出入り場所、アルバイトなど、学校外での私生活に関する 規制、などである10。こうした規律事項のうち、生徒の自律的な生活との間 に緊張をもたらすのは、③及び④を内容とする校則であろう。すなわち、 学校の内外を問わず、基本的には生徒の私的領域に属する事柄につき、規 律が及んでいるからである。加えて、かかる規律事項に対する違反行為に は、公式か非公式かを問わず、事実上の制裁が科されることから、はたし て校則がなぜ生徒に対する不利益取扱いの根拠たり得るのか、校則の法的 性質が問題となる。 ( 2 )法的性質 この点、従来からの議論を確認しておくと、校則の法的性質には、①特 別権力関係説、②附合契約関係説、③在学契約関係説といった、 3 とおり の理解が一般的であり、教育法学説においては、「教育法上の在学契約関 係」と解する立場が有力である11。在学契約関係説は、大筋において校長の 裁量を縮小する方向での議論として支持され、また評価されているもので
ある。 もっとも、法的性質が不明確であればこそ、まずは校則の実体及び手続 の適正さを確保する方策を探るべきとも思われる。なお、「在学関係の法 的性質論が、校則による規制の根拠づけに必要ないし有用といえるか疑問 がありうる」ことから、校則の根拠について、あえて在学関係の法的性質 を問題にする必要はないとの指摘がある12。また、文部省の辻村哲夫初等中 等教育局中学校課長(当時)は、学校は、学校教育法等によって、一定の 目的が規定されており、その目的を実現する責務、任務を負っている、そ の目的の達成を目指して児童生徒の教育が行われるが、この教育指導の一 環として、生活指導もあり、校則の制定もある旨、述べている13。 ( 3 )制定主体 また、校則については制定主体が校長であることが一般的であるが、最 終的には校長によって決定されるにせよ、制定のプロセスに生徒、場合に よっては保護者もまた参加することの必要性が指摘されることがある14。一 般論として、校則が「民主的」に制定されるための必要条件としての生徒 の参加は、それ自体否定されるべきものではあるまい。しかしながら、生 徒の意見をどのように集約するかについて、例えば生徒の発達段階に応じ た対応が必要となるであろうし、あるいは、生徒の中のマイノリティの意 見をいかに表出するかも難題であろう。さらには、規律事項によってはむ しろ生徒の参加を消極的に理解することが適切な場合もあろう。およそ、 校則制定過程への生徒の参加には、現実問題としては克服すべき課題が多 いように思われる。 ( 4 )限界 さて、校則の規律事項のうち、先に示した所持品や髪型・服装など、学 校生活と私生活に関する規制及びバイク乗車、外出・出入り場所、アルバ イトなど、学校外での私生活に関する規制については、繰り返しになる が、本来生徒の私的領域に属する事柄への校則による制約という点が、生 徒の自律的な生活を脅かすことにつながるものである。そこで、校則の規
律事項の限界が検討されなければならない。 抽象的には、「学校は、生徒の教育を目的とする団体として、その目的 を達成するために必要な事項を学則等により制定」する15ことから、校則の 規律事項は、「教育目的を達成するのに必要な範囲」を越えてはならない ことが指摘される16。また、学校の内外での区分については、校則は原則的 に学校教育に関する事項を規律できるにとどまり、例外的に校外の活動を 規制する場合にはきわめて強い正当化事由を要すること(バイク規制な ど)、規制が許される場合であっても、当該規制が過度にわたってはなら ないこと(髪型規制など)が指摘される17。とするならば、一般論として は、実際の訴訟に際して、規律事項に応じて司法審査の密度が異なってく るべきであろうが、以下にも検討する校則による髪型規制あるいはバイク 規制は、ともに、生徒の自律という観点から、少なくとも規制目的の重要 性、目的と手段の事実上の実質的関連性が認められねばならないこととな ろう。 もっとも、校則による規律事項が、常に厳密に校内にのみとどまるか否 かについてはこれを截然と切り分けることが困難な場合もある。それゆ え、「校外活動といっても種々のものがあり、それが学校生活と密接な関 係を有し、学校生活に重大な影響を与えるものについては、これに対し学 校の権能が及ばないとすると、学校内において統一した教育指導が不可能 となり、ひいては他の生徒の有する学習権に対する侵害ともなりかねな い18」との摘示もまた否定されるべきではない。 結局のところ、一般的な限界を認識しながら規律事項ごとに検討する以 外にないように思われる。
Ⅱ 若干の裁判例の検討 1 .校則による髪型規制の事案(熊本地裁昭和60年11月13日判決、行集36 巻11=12号1875頁) ( 1 )事実の概要 原告 X1は、昭和56年 4 月、熊本県の町立 A 中学校(以下「本件中学」 という。)に入学し、昭和59年 3 月同校を卒業するまで生徒として在籍し ていた男子である。同校校長の被告 Y1は、昭和56年 4 月 9 日、男子生徒 の髪形について、「丸刈、長髪禁止」とする服装規定(以下「本件校則」 という。)を制定、公布した。X1は、父 X2及び母 X3とともに、①本件 校則の違法性につき、憲法14条、31条及び21条違反並びに Y1の裁量権の 逸脱ゆえに無効であることの確認19、② Y1の不法行為によって X1が被っ た損害につき、本件中学の設置者である町 Y2に対する損害賠償、を求め る訴訟を提起した。 このうち、本件校則が憲法に反するがゆえに無効であるとの主張は以下 のとおりである。憲法14条違反につき、X1は、「校区制」のため徒歩で30 分かかって本件中学へ通学したが、国鉄を利用すれば通学可能な近隣の地 域には、頭髪について丸刈を強制していない中学校が 3 校存在するのであ るから、「校区制」を前提とした、住居地による差別的取扱いを受けてい る。また、本件校則は、男子生徒の髪の長さについて、女子生徒に許容さ れている長さの約10分の 1 程度の長さまでしか認めていないから、性別に よる差別にあたる。 同31条違反につき、本件校則は、頭髪という身体の一部について法定の 手続によることなく切除を強制するものであるから、憲法31条に違反す る。 同21条違反につき、本件校則は、個人の感性、美的感覚あるいは思想の 表現である髪形の自由を侵害するものであるから憲法21条に違反する。 なお、X1は、丸刈を嫌い長髪をもって良しとする感性、美的感覚を有
し、自分の好みに従って髪形を整えているのみならず、「他人が丸刈だか らといって自分の好みまで捨てて丸刈になることはない。」「校則だからと いって不合理な長髪禁止には従えない。」「自分の正しいと信ずることは一 人ででも守る。」「長いものに巻かれてしまうのは人間のクズだ。」「日和見 主義者にはならない。」といった権力に対するいわゆる抵抗思想を表現す るため現在の髪形を維持している。 ( 2 )判旨 Y1に対する請求却下。Y2に対する請求棄却。 ①本件校則の無効確認請求について 「無効確認の訴は、当該処分に続く処分により損害を受けるおそれのあ る者その他当該処分の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する 者で、当該処分を前提とする現在の法律関係に関する訴によつて目的を達 することができないものに限り、提起することができるところ、X1が昭 和59年 3 月本件中学を卒業したことについては当事者間に争いがなく、 ……原告らが本件校則の制定、公布に続く処分を受けるおそれはないとい うべきである。……したがつて、原告らは、いずれも本件校則の無効確認 を求める訴について原告適格あるいは訴の利益を有しないものというべき であり、原告らの本件無効確認の訴はいずれも不適法な訴として却下すべ きものである。」 ②本件校則の憲法違反の主張について (ア)憲法14条違反の主張について 「原告らは、X1は、校区制のため本件中学に通学したが、通学可能な地 域に丸刈を強制していない中学校が 3 校存在するから、X1は、住居地に より差別的取扱いを受けていると主張するが、服装規定等校則は各中学校 において独自に判断して定められるべきものであるから、それにより差別 的取扱いを受けたとしても、合理的な差別であつて、憲法14条に違反しな い。」「原告らは、本件校則は、髪の長さについて女子生徒と、男子生徒と で異なる規定をおいているから、性別による差別であると主張するが、男
性と女性とでは髪形について異なる慣習があり、いわゆる坊主刈について は、男子にのみその習慣があることは公知の事実であるから、髪形につき 男子生徒と女子生徒で異なる規定をおいたとしても、合理的な差別であつ て、憲法14条には違反しない。」 (イ)憲法31条違反の主張について 「原告らは、本件校則は頭髪という身体の一部について法定の手続によ ることなく切除を強制するものであるから、憲法31条に違反すると主張す るが、……本件校則には、本件校則に従わない場合に強制的に頭髪を切除 する旨の規定はなく、かつ、本件校則に従わないからといつて強制的に切 除することは予定していなかつたのであるから、右憲法違反の主張は前提 を欠くものである。」 (ウ)憲法21条違反について 「原告らは、本件校則は、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現で ある髪形の自由を侵害するものであるから憲法21条に違反すると主張する が、髪形が思想等の表現であるとは特殊な場合を除き、見ることはでき ず、特に中学生において髪形が思想等の表現であると見られる場合は極め て希有であるから、本件校則は、憲法21条に違反しない。」 ③ Y1の裁量権の逸脱について 「中学校長は、教育の実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的 な権能を有するが、教育は人格の完成をめざす(教育基本法第 1 条)もの であるから、右校則の中には、教科の学習に関するものだけでなく、生徒 の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる。もつとも、中学校 長の有する右権能は無制限なものではありえず、中学校における教育に関 連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲にお いてのみ是認されるものであるが、具体的に生徒の服装等にいかなる程 度、方法の規制を加えることが適切であるかは、それが教育上の措置に関 するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、実際に教 育を担当する者、最終的には中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられ
るべきものである。従つて、生徒の服装等について規律する校則が中学校 における教育に関連して定められたもの、すなわち、教育を目的として定 められたものである場合には、その内容が著しく不合理でない限り、右校 則は違法とはならないというベきである。」 「そこでまず本件校則の制定目的についてみると、……本件校則は、生 徒の生活指導の一つとして、生徒の非行化を防止すること、中学生らしさ を保たせ周囲の人々との人間関係を円滑にすること、質実剛健の気風を養 うこと、清潔さを保たせること、スポーツをする上での便宜をはかること 等の目的の他、髪の手入れに時間をかけ遅刻する、授業中に櫛を使い授業 に集中しなくなる、帽子をかぶらなくなる、自転車通学に必要なヘルメツ トを着用しなくなる、あるいは、整髪料等の使用によつて教室内に異臭が 漂うようになるといつた弊害を除却することを目的として制定されたもの であることが認められ、……Y1は、本件校則を教育目的で制定したもの と認めうる。」 「次に、本件校則の内容が著しく不合理であるか否かを検討する。確か に、原告ら主張のとおり、……髪形に関する規制を一切しないこととする と当然に被告町の主張する本件校則を制定する目的となつた種々の弊害が 生じると言いうる合理的な根拠は乏しく、又、頭髪を規制することによつ て直ちに生徒の非行が防止されると断定することもできない。更に…… (熊本市内の中学校における)全体の傾向としては長髪を許可する学校が 増えつつあることが認められる。してみると、本件校則の合理性について は疑いを差し挟む余地のあることは否定できない。」 「しかしながら、本件校則の定めるいわゆる丸刈は、前示認定のとおり 時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはいえ、今な お男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され、特に郡部において は広く行われているもので、必らずしも特異な髪形とは言えないことは公 知の事実であり、……本件中学において昭和40年の創立以来の慣行として 行われてきた男子丸刈について昭和56年 4 月 9 日に至り初めて校則という
形で定めたものであること、本件校則には、本件校則に従わない場合の措 置については何らの定めもなく、かつ、Y1らは本件校則の運用にあたり、 ……(生徒にとって不利益な)措置を予定していないこと、被告中学の教 職員会議においても男子丸刈を維持していくことが確認されていることが 認められ、……現に唯 1 人の校則違反者である X1に対しても処分はもと より直接の指導すら行われていないことが認められる。右に認定した丸刈 の社会的許容性や本件校則の運用に照らすと、丸刈を定めた本件校則の内 容が著しく不合理であると断定することはできないというべきである。」 「以上認定したところによれば、本件校則はその教育上の効果について は多分に疑問の余地があるというべきであるが、著しく不合理であること が明らかであると断ずることはできないから、Y1が本件校則を制定・公 布したこと自体違法とは言えない。」 ( 3 )若干の検討 本件は、校則をめぐる裁判としては比較的初期の事案といえる。それゆ えか、原告の主張、とりわけ憲法違反の主張については、制限される権利 の選択が果たして適切に設定されていたか、疑問の余地があろう。原告に よる、憲法14条、31条、21条違反がさしあたって論拠のないものではない としても、校則による髪型規制が問題となった本件においては、しばしば 指摘されるように、憲法13条に基づく「幸福追求権」の一内容としての 「自己決定権」に対する侵害として論じることが適切であったように思わ れる20。この点、裁判実務において自己決定権とりわけ髪型の自由の根拠、 範囲、内容に関する議論が未だ成熟していなかったことも一因として考え られるものの、裁判所を説得するために十分な憲法理論が提示されなかっ た憾みは残る。 また、裁量権の逸脱の有無については、まず、学校教育の場における規 則(校則)制定につき、裁判所は「実際に教育を担当する者、最終的には 中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられるべきものである」として校 長に広範な裁量権を認め、それゆえに「教育を目的として定められたもの
である場合には、その内容が著しく不合理でない限り、右校則は違法とは ならない」として審査密度を緩めている。判例においては、懲戒権者の懲 戒権行使のように21、行政の各場面において権限行使をそれぞれの責任者の 裁量に委ねる手法(「判断代置型審査」ではなく「踰越濫用型審査」)は一 般的といえるので、そのこと自体は当然に否定されるべきではない22。しか しながら、裁判所はまた「本件校則はその教育上の効果については多分に 疑問の余地がある」ことを指摘しながらも、「著しく不合理であることが 明らかであると断ずることはできない」として、被告校長が本件校則を制 定・公布したこと自体違法とは言えないと結論づけている。学校教育とい う特殊な空間における裁量権の行使につき、生徒の人権への配慮の必要性 に鑑み、やはり丁寧な理由付けを欠いているという批判は残るであろう。 さらに、本件においては、校則の制定権につき、学校長に「教育の実現 のため、生徒を規律する校則を定める包括的な権能」を認めている点も特 徴的であろう。前章において若干の検討を加えた校則制定主体との関連で は、裁判所は学校長の校則制定権につき格別の理由を示すことなくいわば 所与の前提として理解しているようであるが、多少なりとも詳細な理由が 示されていたならば、判決の説得力は増したように思われる。 なお、判文にも示されているように、「本件校則の定めるいわゆる丸刈 は、……時代の趨勢に従い特に都市部では除々に姿を消しつつあるとはい え、今なお男子児童生徒の髪形の一つとして社会的に承認され、特に郡部 においては広く行われているもので、必らずしも特異な髪形とは言えない ことは公知の事実」という状況下で、当該校則の違憲性を指摘しながら特 定の髪型を強制されないという意味での髪型の自由を主張した本件裁判 は、きわめて実験的かつ大胆なケースであったように思われる。
2 .校則によるバイク制限の事案(最高裁平成 3 年 9 月 3 日第 3 小法廷判 決、集民163号203頁) ( 1 )事実の概要 学校法人 Y が設置する A 高等学校(以下「A 高校」という。)は、「免 許をとらない、乗らない、買わない」の三原則(三ない原則)を指導方針 とし、生徒心得として生徒手帳に明示するほか、入学時に生徒及び保護者 にその趣旨を充分説明するとともに、その後もホームルームや朝礼などに おいて機会あるごとに、生徒に対し指導を与え、保護者にも印刷物を配布 して注意を喚起していた。 A 高校に入学した X 及び保護者は、入学にあたって学校側から上記の 指導方針の説明を受け、本校の教育方針に従い、校則はじめ諸規則を厳守 する旨の誓約書を提出した。しかしながら、X はバイクに乗ることを希望 し、母親もこれを許可したことから、X は自動二輪車免許を取得し、母親 の金銭的援助により本件バイクを購入するに至った。 A 高校の生徒である B は、X から本件バイクを借り、同じく A 高校の 生徒である C に本件バイクを転貸した。C は無免許であるにもかかわら ず、本件バイクを乗りまわしていたところ、誤まって警察官にバイクごと 激突して重傷を負わせ、そのまま B の家に逃げ帰った。B らは、事故の ことを内密にすることにし、X に対しても、事故のことを学校にも親にも 内密にするように依頼したところ、X もその旨約束した。さらにその翌日 C の家に C のほか、X、B らの 5 名が集り、協議した結果、再度、事件が 学校側にわかるまで隠していようということになった。 C は後日逮捕され、警察署からの連絡で事故のことが学校の知るところ となり、A 高校の校長、教頭及び生活指導部長が警察に出頭したところ、 警察側から、事件の関係者として C、B ほか 1 人の名前を聞かされた。そ の後担任らが B らから事情を聴取したところ、X らも関係者であること が判明し、X の担任は X から事情を聞いたところ、X が本件バイクを購 入したこと、事故当日 X が B らに右バイクを貸したこと、事故を起した
のはそのバイクであることが判明した。さらに情報を収集した担任は、再 度 X と面接し、X から、事故の翌日 X を含めた関係者 5 人が C 宅に集 まって事故を学校に内密にする旨を協議したこと等を聴取した。 A 高校では、生活指導部長が中心となって開かれた生活指導部会にお いて関係者全員の処分について検討がなされたが、X については、バイク の三ない原則のすべてに違反していること、事故を隠す協議に加わったこ と、今後の指導に関して本人に反省態度があまり見られないし、家庭の協 力も望めそうにないことが問題となり、結局 X も含め関係者全員に対し て自主退学を勧告するという生活指導部の原案が決定され、翌日の職員会 議でも、生活指導部の原案どおりの処分が決定された。 X と母親に対し、学校側からは処分が伝えられ、X についても間接的加 害者であるから自主退学を勧告する旨申し渡された。X 及び母親は家族と 相談した結果、自主退学勧告を承諾することにし、A 高校に退学願を提 出し、同校を退学した。 X は、退学願は原告とその親権者の自由意思による自主的な判断に基づ いて提出されたものではなく、その実質において退学処分と異ならないこ と、従って自主退学勧告においても退学処分が正当化される理由があり、 しかも適正手続に基づく場合のみ許容されるのであるが、本件ではいずれ もこれを満たしていないこと、三ない原則は憲法13条、26条、29条に反す る違憲、違法でかつ不合理なものであるから無効であること、X に十分な 弁明反省の機会を与えなかったもので憲法31条に違反すること、自主退学 勧告は著しく重い処分であり、校長の有する懲戒についての裁量の範囲を 逸脱したものであることを主張し、A 高校職員の使用者である Y に対し、 不法行為を理由とした損害賠償請求訴訟を提起した。 ( 2 )判旨 上告棄却。 「所論は、いわゆる三ない原則を定めた本件校則(以下「本件校則」と いう。)及び本件校則を根拠としてされた本件自主退学勧告は、憲法13
条、29条、31条に違反する旨をいうが、憲法上のいわゆる自由権的基本権 の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と 平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個 人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用 ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和43年 (オ)第932号同48年12月12日判決・民集27巻11号1536頁)の示すところで ある。したがって、その趣旨に徴すれば、私立学校である Y 設置に係る 高等学校の本件校則及び X が本件校則に違反したことを理由の一つとし てされた本件自主退学勧告について、それが直接憲法の右基本権保障規定 に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲 の主張は、採用することができない。」 「所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし て首肯するに足り、原審の確定した事実関係の下においては、本件校則が 社会通念上不合理であるとはいえないとした原審の判断は、正当として是 認することができる。右判断は、所論引用の判例と抵触するものではな い。」 「X の行為の態様、反省の状況及び X の指導についての家庭の協力の有 無・程度など、原審の確定した事実関係の下においては、上告人に対して された本件自主退学勧告が違法とはいえないとした原審の判断は、正当と して是認することができる。」 ( 3 )若干の検討 本件は、学校法人が設置する高等学校における生徒の自律とそれに対す る校則による制約が問題となっていることから、憲法の観点からは私人間 効力が問題となる。本判決は、三菱樹脂事件大法廷判決23に依拠しながら、 本件校則及び本件自主退学勧告について、「それが直接憲法の右基本権保 障規定に違反するかどうかを論ずる余地はない」とし、校則(三ない原 則)が憲法13条、29条及び31条に反する旨の主張をいずれも排斥してい る24。
しかしながら、仮に(直接適用であろうと、間接適用であろうと)当該 学校法人設置の高等学校と生徒との間に憲法の諸規定が適用される余地が あるとしたら、上記の各条文がいずれも X の主張を支える根拠となりう るのか、換言すれば、X 主張の各権利・自由は、上記の各条文の保護領域 にあるといえるかが吟味されなければならない。X は、三ない原則によっ てバイクの取得が禁じられていることが憲法29条に、同様にバイクの免許 取得及び乗車が禁じられていることが同13条に、また、これらの自由を不 合理に恣意的に侵害されない権利が侵害されていることが同31条にそれぞ れ違反すると主張した。本稿の主題との関連、すなわち、学校における生 徒の自律的生活の保障と校則による制約の可否という観点からは、校則に よるバイク制限、より具体的には「バイク免許の取得制限」と「バイクの 乗車制限」が、憲法13条に違反するか否かが問題となろう。 憲法13条後段にいう幸福追求権の意味について、上述のように、「自律 的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利・自 由」と理解するならば、法令に抵触することなく、「自己決定」の結果と してバイクの免許を取得し、乗車することは、幸福追求権の一内容とし て、憲法13条によって保障されている、あるいは、少なくとも排除されて はいないと考えてよい25 26。それゆえ、本件でも問題となった三ない原則が、 生徒とバイクとの関わりを「一切」遮断しようと試みる点において違憲の 疑義が生じることになる。もっとも、生徒のバイク運転につき、これを憲 法上の権利として構成するのではなく「学校の権限論の問題として扱えば たりるとされる」との見解も有力に主張されており、傾聴に値する27。 三ない原則は、文字通り「免許をとらない、乗らない、買わない」とい う 3 つの要素からなっているが、それぞれの内容は明確であり、かつ個別 に分割が可能であると考えられるので、「免許をとらない、乗らない」は 13条との関連で、「買わない」は29条との関連で議論が可能である28。さら には、「バイク免許の取得制限」と「バイクの乗車制限」もまた分けて考 えることが可能であり、それゆえ X には免許取得制限の違憲性(もとよ
り、X は道路交通法88条 1 項 1 号によって適法に自動二輪車運転免許が取 得できる地位にある29)と乗車制限の違憲性とを個別に展開することも可能 であったのではないかと思われる30。かかる主張に対応して、裁判所もま た、たとえば校則による免許の取得制限は許されないが、乗車についての 制約は許容される、といった個別的な判断が示される可能性もあったので はなかろうか31。 なお、第一審において X は憲法26条違反の主張も行っているが、その 趣旨は、教育には多様なかたちや方法があるところ、X のように興味の対 象がバイクであるならば法律等に抵触しない限りでその興味の入口からそ の子の能力を伸ばしてやるべきであるという意味での「バイクを通じての 学習」が、三ない原則によって否定されたというものである32。かかる主張 自体には見るべきものは多い。学校における生徒の自律的な生活の保障の 目的が、究極的には憲法26条に保障された学習権の充足である点に鑑みれ ば、三ない原則を定め、その違反行為に対して懲戒を課すことが、最終的 には生徒の学習権を否定する可能性をも含んでいることには、慎重な配慮 が必要であろう。 さらに、本判決において目を惹くのは、三ない原則を内容とする校則が 「社会通念上不合理であるとはいえない」と判示している点であろう。裁 量行為につき、裁量権の逸脱・濫用の有無を「社会通念」に照らして判断 するという手法については、社会通念という不確定要素を基準としたいわ ば「目盛りのない物差し」による判断であり、客観性が担保されないので はないかという趣旨の批判が存するが、この点については本稿の主題との 懸隔ゆえに割愛する33。ここでは、社会通念を判断基準とした場合、公立学 校の校則の合理性と私立学校のそれとに差異を認めるべきか否かにつき、 若干言及してみたい。私立学校においては、憲法上の根拠は13条、21条 1 項、22条 1 項など論者により種々に主張されているものの、一般には、私 学の自由又は私学教育の自由は、憲法上の権利と理解されている34。他面に おいて、私立学校といえどもその「公共性(私立学校法 1 条)」を否定す
ることはできず、私立学校法の他、教育基本法、学校教育法による規律を 受け、あるいは私立学校振興助成法による助成を受けていることは、しば しば指摘されるところである35。問題は、私学教育の自由における私学の 「自主性(同法同条)」を根拠として、公立学校とは異なった趣旨、目的、 内容の校則を制定した場合、その合理性がいかに判断されるべきかであろ う。 もとより、校則にはさまざまな内容が含まれており、その内容のいかん によって生徒との緊張関係を醸成するのか、あるいは生徒の自律に資する のかが定まるはずである。バイク規制について考えると、およそバイク規 制に私立学校特有の事情や趣旨、目的、内容が決定的な要素としてはたら くことは考えにくく(たとえば、保守的な理念の下に教育を行っている私 立学校において、バイクに乗る際の姿勢が教育理念と反するからとか、あ るいは、宗教団体が運営する私立学校おいて、宗教的な理由からバイク三 ない原則を定めることは現実には想定しにくいであろう)、交通事故の回 避あるいは暴走族への加入の予防、学業への専念といった趣旨、目的から 規制が行われるものである。とするならば、「そのような強制がなければ 私学の特色が失われ他の生徒の私学選択の自由が実質的に意味のないもの になってしまうことの立証が必要であろう36」との指摘が、まずは正鵠を射 ているものと思われる37。もっとも、当該校則の合理性が、本件のごとく 「社会通念」に照らして判断されるとすれば、公立学校に対する社会の期 待と私立学校に対するそれとが現実的にどのように重複し、あるいは乖離 するかという難題を克服しなければならないはずであり38、裁判所の判断は ますます困難かつ重要なものとなるであろう。 なお、校則の合理性が認定されたとしても、校則違反を理由とした不利 益取扱い、本件においては自主退学勧告の合理性までが直ちに認められる ものではない。そもそも生徒に懲戒を加えるに際しては、教育上必要な配 慮を尽くすべきであり(学校教育法施行規則26条 1 項)、とくに退学につ いては慎重な配慮が必要とされる39。本判決では、自主退学勧告それ自体に
格別の検討を加えるものではないが、通常、退学処分を行った場合には他 校への再入学も困難となることから自主退学勧告というかたちがとられて おり、実際には、退学処分相当な場合でも自主退学勧告処分にとどめてい るのが実情と考えられることから40、自主退学勧告の実質は退学処分と異な るところはない。とするならば、自主退学勧告処分の合理性については、 裁量権の逸脱・濫用の有無について裁判所は慎重な考慮が必要となるであ ろう。この点において、剣道実技受講拒否事件(最高裁平成 8 年 3 月 8 日 第 2 小法廷判決、民集50巻 3 号469頁)において最高裁判所が、「考慮すべ き事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理 性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評す るほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざ るを得ない」と判示したことは、重要である41。 3 .校則による髪型及び服装規制の事案(最高裁平成 8 年 2 月22日第 1 小 法廷判決、集民178号437頁) ( 1 )事実の概要 原告 X は、兵庫県の市立 A 中学校(以下「本件中学」という。)の学 区内に居住する小学校に在学する 5 年生の男子である。本件中学の学校規 則である生徒心得(以下「本件規則」という。)には、第 2 章10項 1 号別 図において、男子生徒は「頭髪…丸刈りとする。指の間から出るまでに刈 る。」と規定し、第 3 章 5 項において「外出のときは、制服又は体操服を 着用し(公共施設又は大型店舗等を除く校区内は私服でもよい)、行き 先・目的・時間等を保護者に告げてから外出し、帰宅したら保護者に報告 する。」と規定されている。被告 Y は、本件中学の校長であり、本件中学 の学校規則を制定・改廃する権限を有している。 X は、長髪の自由は、生命、自由及び幸福追求に対する個人の権利とし て、憲法13条により保障されているから、丸刈りを強制して長髪の自由を 制限する Y の本件規則制定行為は、憲法13条に反し、違憲であること、
服装の自由も、生命、自由及び幸福追求に対する個人の権利又は服装に よって自己を他者に表現する権利として、憲法13条、21条により保障され ているから、Y の本件規則制定行為は、憲法13条、21条に反し、違憲であ ると主張して、X の両親及び弟である参加原告らとともに、本件規則制定 行為の無効確認及び取消しを求めた。 ( 2 )判旨 上告棄却。 「本件の『中学校生徒心得』は、『次にかかげる心得は、大切にして守ろ う。』などの前文に続けて諸規定を掲げているものであり、その中に、『男 子の制服は、次のとおりとする。(別図参照)』とした上で、別図において 『頭髪・丸刈りとする。』とする定めや、校外生活に関して、『外出のとき は、制服又は体操服を着用し(公共施設又は大型店舗等を除く校区内は私 服でもよい。)、行き先・目的・時間等を保護者に告げてから外出し、帰宅 したら保護者に報告する。』との定めが置かれているが、これに違反した 場合の処分等の定めは置かれていないというのである。……これらの定め は、生徒の守るべき一般的な心得を示すにとどまり、それ以上に、個々の 生徒に対する具体的な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるもので はないとした原審の判断は、首肯するに足りる。」 「右の『中学校生徒心得』にこれらの定めを置く行為は、抗告訴訟の対 象となる処分に当たらないものというべきであるから、本件訴えを不適法 とした原審の判断は、正当として是認することができる。右判断は、所論 引用の判例に抵触するものではない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自 の見解に基づいて原判決の法令の解釈適用の誤りをいうか、又は原判決の 結論に影響を及ぼさない部分についてその違法をいうに帰し、採用するこ とができない。」 ( 3 )若干の検討 本件の特色としてまずあげられるのは、小学 5 年生と 4 年生の児童及び その両親が、入学予定の中学校における校則を根拠とした生徒の規律につ
き、事前に不利益を回避するために提起した予防的な訴訟であるというこ とである。これは、前記熊本丸刈り訴訟において、原告が当該中学校を卒 業したことから、原告適格あるいは訴えの利益を有しないとして訴えを却 下されたことと無関係ではない。最高裁判所は、学校長の校則制定行為の 処分性を否定した原審(大阪高裁平成 6 年11月29日判決、判例集未登載42) の判断を肯認し、本案審理には踏み込まなかった。なお、校則服従義務不 存在確認訴訟の提起については、「無名抗告訴訟、公法上の当事者訴訟、 または民事訴訟として提起する可能性もあるが、これらの訴訟が許容され る保証はない43」との指摘、あるいは、「基本的には、具体的処分を争訟の 対象とすることが原則である」が、「事実上の懲戒や嫌がらせについて も、抗告訴訟、あるいは不法行為法上の損害賠償請求や差止請求の対象と する可能性が検討されるべきである44」といった指摘が示唆的である。 次に、本判決において最高裁判所は、中学校の校則を「生徒の守るべき 一般的な心得を示すにとどまり、それ以上に、個々の生徒に対する具体的 な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるものではない」として、事 実上校則の法的拘束力を否定した点が注目される。本判決においてのかか る判示は、まずは校則の処分性を否定する文脈において語られたものと考 えられる。しかしながら、このことは同時に、「少なくとも処分性を否定 された当該中学校校則は法的義務としての校則服従義務を課していないと いうのであるから、校則違反は “ 不心得 ” な行為であっても義務違反では な(く)、この意味で、上告人が別訴で求めた校則服従義務の不存在は、 最高裁も認めた45」との理解も可能である。なお、教育法学説においては、 校則それ自体の効力については、「子ども・生徒に対して直接処罰につな がるような強制力をもつものではなく、学校教師による教育指導の根拠と 基準であると解される46」との理解が有力である。 むすびにかえて 以上に、雑駁ではあるが生徒の自律と校則につき検討を試みた。
もとより、校則によって学校生活における生徒の自律性が傷つけられ る、あるいは少なくとも傷つけられたと主張されることから、校則の消極 的な側面のみが議論の対象となる傾向にあることは、あながち否定できな いであろう。しかしながら、学校という場において、教育目的を確実かつ 効果的に達成するための規範が必要となること、それによって自律的な生 徒の学習権が充足されることは、先に指摘したとおりであることから、重 要な視点は、校則「による」保護(自由)すなわち生徒に利益をもたらす 校則(アルバイトの禁止は、生徒からの搾取を予防する機能を果たしう る)と、校則「からの」保護(自由)すなわち生徒の自由な領域を制約す る校則(本文において検討した内容は、こちらの類型である)との区別で あり、まさに「自律と保護」ということになろう。 なお、「保護」といった場合にしばしば指摘されるのは、いわゆるパ ターナリスティックな干渉とその弊害である。過剰な干渉がかえって自律 を損なうという見解は、当を得ているものであり、その観点からすれば、 パターナリズムを口実として生徒の自律性を阻害する校則は、本文中にも 示したごとく、少なくとも厳格な合理性の基準によって審査されるべきで あろう47。 さて、上にも検討した裁判例からも明らかなように、校則の合理性につ いては「社会通念」に照らした判定が行われるのが通例である。そして、 校則に限らず学校における人権の制約が問題となる裁判においては、学校 における規範と社会通念との適合性又は乖離が審査されてきている。とす るならば、社会通念が常に変わりうるものであるとしたら、校則について の考え方も変わってしかるべきである。「多様性」を認めることが重要と 考えられる現代社会において、校則によって自由な自己決定という生徒の 自律が損なわれるとしたら、克服すべき重要な問題は生徒を一定の形式に はめ込むことであり、「それ以外の選択を奪うこと」にあるように思われ る。 生徒が自律的に学校生活を送り、教育の目的を達成するために校則に求
められるのは、「 1 人でも反対したらダメな校則と、大多数の地域住民が 賛成していれば、それはそれなりに妥当性を持つ校則48」との峻別であり、 とりわけ前者についての十分な配慮であると考えられる。 注 1 本稿においては、学校教育法上の区別に従い、主として中学校及び高等学校に在 籍して教育を受ける者を「生徒」と称する。 2 『毎日新聞』2017年10月28日朝刊(14版)。 3 日本弁護士連合会編著『子どもの権利ガイドブック』明石書店、2006年、130 頁。さらに、芹沢斉教授は、校則を根拠として「本来私的な領域にまで学校が規制 を加え、それに違反した場合には制裁を科することが、なぜ許されるのか」という 点こそが「校則と生徒の人権・権利の衝突が裁判所の判断を仰ぐケースでの核心に 位置する」ことから、校則を「(ア)生徒を名宛て人とし、(イ)学校の内外を問わ ず生徒の私的生活領域に「生活指導」の観点から規制を加え、(ハ)その違反に対 しては、正規の懲戒処分か事実上の懲戒かを問わず、制裁が科されることが予定さ れている規範」と定義する。芹沢斉「校則問題―学校生活と生徒の自由・権利」 『法学教室』136号41頁。 4 旭川学力テスト事件、最高裁昭和51年 5 月21日大法廷判決、刑集30巻 5 号615頁。 5 戸波江二「校則と生徒の人権」『法学教室』96号、 9 頁。 6 芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法[第 6 版]』岩波書店、2015年、119頁。 7 土井真一「判批 公立中学校による生徒心得の制定行為と抗告訴訟の対象となる 処分」『判例評論』454号25頁、匿名解説『判例時報』1560号、72~73頁。 8 同旨、石川恵美子、小島勇、塩野宏、辻村哲夫、松尾浩也「座談会 校則問題を 考える(塩野発言)」『ジュリスト』912号、 6 頁。 9 cf. この点、講学上の「本質性理論」が参考になる。大橋洋一『行政法Ⅰ[第 2 版]』有斐閣、2013年、35~39頁。 10 日本弁護士連合会、前掲書、131頁、戸波、前掲註 5 論文、 6 頁。 11 兼子仁『教育法[新版]』有斐閣、1978年、405~406頁。なお、同書の他、それ ぞれの学説については、日本弁護士連合会、前掲書、133~135頁、石川他、前掲座 談会(塩野発言)、 5 ~ 7 頁を参照。 12 戸波、前掲註 5 論文、 8 頁。
13 石川他、前掲座談会(辻村発言)、 7 頁。 14 日本弁護士連合会、前掲書、136~138頁。 15 修徳学園高校パーマ退学事件、東京地裁平成 3 年 6 月21日判決、判時1388号 3 頁。 16 芹沢、前掲論文、42頁。 17 戸波、前掲註 5 論文、10頁。 18 校則によるバイク制限、千葉地裁昭和62年10月30日判決、判時1266号81頁。 19 あわせて原告は、被告校長は、本件学則が無効である趣旨を A 中学校の生徒及 び父兄に対して周知せしめるため、文書によって公示し、あるいはこれを配布する など適当な方法をとること、Y1は、X1に対して、本件校則に従わなかったことを 理由として懲戒処分をなし、あるいは成績の評定にあたってこれを斟酌するなどの 不利益となる一切の行為をしてはならないこと、訴訟費用は Y1の負担とするこ と、を求めた。 20 戸波江二「丸刈り校則と自己決定の自由―熊本地判昭60・11・13について」『法 律時報』58巻 4 号93頁。 21 最高裁昭和52年12月20日第 3 小法廷判決、民集31巻 7 号1101頁。 22 裁量統制の方法である「実体法的審査」につき、その手法を「踰越濫用型審査」 と「判断代置型審査」とにさらに分類し、整理した研究として、さしあたり、森稔 樹「公務員懲戒処分と裁量審査」『別冊ジュリスト(211号)行政判例百選Ⅰ[第 6 版]』169頁及び同論文における参考文献を参照。 23 最高裁昭和48年12月12日大法廷判決、民集27巻11号1536頁。 24 小林武教授は、本件における三菱樹脂事件判決の引用につき、疑義を呈するもの である。小林武「校則『三ない原則』違反と自主退学勧告の適法性」『民商法雑 誌』106巻 2 号120頁。 25 もとより、バイクに乗る理由、動機は、通学に必要な場合から、学費捻出のため のアルバイトに必要な場合、通院に必要な場合、競技活動の一環である場合、単な る憂さ晴らしの場合など、千差万別である。それゆえ、こうした差異を一切捨象し て、「バイクに乗る」という一事に収斂させることは適切ではないと思われる。 26 戸波教授は、「保護すべき法的内容、必要性が明確に認められる『憲法上の人 権』でなくとも、国家が個人の自由の領域を侵犯した場合には、当該国家行為は違 憲と判断されるということであろうか」との見解を提示する。戸波、前掲註 5 論 文、 9 頁。
27 米沢広一『憲法と教育15講[第 4 版]』北樹出版、2016年、36頁、44頁など。 28 上告理由には、「上告人は、国民の一人として幸福追求権(憲法第13条)、財産権 (同29条)、適正手続を要求する権利(同31条)を有しており、憲法の上ではバイク を所有する自由、免許を取得する自由、バイクに乗る自由、そしてこれらの自由を 不合理に恣意的に侵害されない権利を有している」との主張が示されている。 29 学校がバイク規制の主体となる問題につき、校則と道交法との抵触が問題となる が、「学校等の自律的組織が内部規律として免許の取得に制限を課すことをも、一 般的に排除する趣旨とまでは解されない」との指摘がある。土井真一「修徳学園バ イク退学処分事件」『ジュリスト臨時増刊(1024号)平成 4 年度重要判例解説』11 頁。 30 憲法13条違反に関する第一審(前掲註18千葉地裁判決)における X の主張は、 「原告には道路交通法により適法に自動二輪車免許が与えられており、その趣味な いしは生涯計画に沿って免許をとることは、憲法13条の保障する幸福追求権の実現 そのものである。それを何ら合理的根拠もなく本件のように三ない原則により免許 取得を禁止するのは憲法に違背する違法な行為である」というものである。 31 小林教授は、「校長が懲戒処分をもって規律できるのは、基本的に、バイクによ る通学に限られるというべきであろう」と指摘する。小林、前掲論文、121頁。 32 前掲註18千葉地裁判決。 33 なお、学校施設の目的外使用不許可処分の違法が争われた事案(最高裁平成18年 2 月 7 日第 3 小法廷判決、民集60巻 2 号401頁)を例に、最高裁判所が「社会通念 に照らし著しく妥当を欠く」という裁量権の逸脱・濫用にかかる審査を、①他事考 慮、②評価の明白な合理性欠如、③考慮不尽といったより具体的な基準によって行 う手法を採用した点を指摘し、その意義を積極的に評価する見解もある。櫻井敬 子・橋本博之『行政法[第 5 版]』弘文堂、2016年、120~121頁。 34 米沢、前掲書、197~198頁。 35 横田守弘「校則によるバイク制限」『別冊ジュリスト(217号)憲法判例百選[第 6 版]』55頁。 36 米沢、前掲書、202頁。 37 cf. 昭和女子大事件(最高裁昭和49年 7 月19日第 3 小法廷判決、民集28巻 5 号790 頁)において、最高裁判所は、「特に私立学校においては、建学の精神に基づく独 自の伝統ないし校風と教育方針とによつて社会的存在意義が認められ、学生もその ような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に
入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等 において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生として もまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づ けられるものといわなければならない」と判示した。 38 現実問題として、公立学校を選択するか、私立学校を選択するかについては、個 別的な事情に負うところが大きいはずである。 39 横田、前掲論文、同頁。なお、昭和女子大事件(前掲註38)において、最高裁判 所は、「学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育 上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則 13条 3 項(現26条 3 項)は、退学処分についてのみ 4 個の具体的な処分事由を定め ており、被上告人大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分 が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんが み、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえな いと認められる場合にかぎつて退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、そ の処分事由を限定的に列挙したものと解される」と判示している。 40 前掲註18千葉地裁判決。 41 剣道実技受講拒否事件をはじめ、生徒の退学処分が問題となる事案においては、 処分によって生徒の被る不利益が「極めて大きい」ことが、審査密度を高くする重 要な要素と考えられる。 42 阿部泰隆「判批 丸刈り強制校則の処分性と入学前の生徒の原告適格」『ジュリ スト』1061号、117頁以下。 43 市川須美子「判批 中学校校則の処分性―丸刈り訴訟最高裁判決」『法学教室』 191号、99頁。 44 土井、前掲註 7 論文、181頁。 45 市川、前掲論文、同頁。 46 兼子仁「君が代、学校教育、情報人権」『日本教育法学会年報』21号、42頁。 47 判例においては、岐阜県青少年保護育成条例事件(最高裁平成元年 9 月19日第 3 小法廷判決、刑集43巻 8 号785頁)における伊藤正己裁判官の補足意見が注目され る。当該事件は表現の自由に対する条例による制約であり、校則による自己決定権 の制約とは事案を異にするものの、パターナリスティックな干渉については、成人 に対する制約よりも緩やかな審査が妥当するとの説示である。 48 石川他、前掲座談会(塩野発言)、10頁。