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村上春樹『海辺のカフカ』論 : 赤と緑のメタファー

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(1)

村上春樹『海辺のカフカ』論 : 赤と緑のメタファ

著者

大岡 愛梨沙

雑誌名

清心語文

21

ページ

45-61

発行年

2019-11

URL

http://id.nii.ac.jp/1560/00000458/

(2)

四五 清心語文 第 21 号 2019 年 11 月 ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会 したが (注2) 、本論はそれをもとに考察をすすめるものである。   先 行 研 究 で は、 『 海 辺 の カ フ カ 』 に お け る「 赤 」 と「 緑 」 の 色彩に注目した先行研究は見受けられない。そのため、本作に おける色彩の象徴性については考察の余地があるといえる。   考察にあたって、本文及び引用文献における傍線は論者によ るものとし、傍点は原文によるものとする。 二   「赤」と「緑」   村上春樹作品において、赤と緑の色彩が最も印象的な代表作 としては、 『ノルウェイの森』とその装丁が挙げられる。次に、 村上春樹がインターネット上で読者の質問に答える特設サイト 上でおこなった返答 (注3) を引用する。 Q. 『ノルウェイの森』の装丁の意味は? 一   はじめに   村上春樹『海辺のカフカ』 (注1) は、 二〇〇二年九月に新潮社 より発行された、村上春樹の一〇作目の長編小説であるが、本 作においては重要な色彩として、赤と緑の二色が挙げられる。   本 作 で は、 「 赤 」 は < 暴 力 > に よ っ て 発 生 す る「 血 」 の 色 で あり、 < 暴力 > からの逃げ場としての 「森」 には 「緑」 が広がっ ていると捉えられる。   本論では、カフカ少年が「赤」と「緑」のそれぞれの色彩を どのように認識しているのか、またその認識にどのような変化 が生じた結果、カフカ少年の抱える「孤独」についての認識が 変 化 し、 < 成 長 > に 至 っ た の か に つ い て 考 察 す る こ と を 目 的 とする。なお、論者は修士論文において村上春樹『海辺のカフ カ 』 に お け る < 暴 力 > と そ れ に 対 す る < 癒 し > に つ い て 研 究

村上春樹『海辺のカフカ』論

  

――

赤と緑のメタファー

――

 

 

愛梨沙

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四六 運 転 席 か ら は 見 え に く い。 気 を つ け な い と す ご く 危 険 だ 。 とくにトンネルの中がね。 ほんとうはスポーツカーは車体 の色を赤にするべきなんだよ。 そのほうが目だつ 。フェラー リ に 赤 が 多 い の は そ の た め だ 」 と 彼 は 言 う。 「 で も 僕 は 緑 色が好きなんだ。 たとえ危険でも緑がいい。 緑は森の色だ。 そして赤は血の色だ 」     (第 13章一九二~一九三頁)   これは、大島さんが車体の色によって事故率に差があること を カ フ カ 少 年 に 伝 え て い る 場 面 で あ る。 大 島 さ ん は、 「 緑 色 の ロードスターは、夜の高速道路ではもっとも見えにくい車」で あり、 その原因として、 緑という色彩が「闇にまぎれてしまう」 ことで「危険」性が上がるためだと伝える。そのため、カフカ 少年に「車体の色を赤」にして目立たせることで危険を回避す ることを推奨する。   赤 と い う 色 彩 に つ い て 松 岡 武 氏 は、 「 目 立 つ 色 」、 「 目 の 前 に ぐっとせまってくる色」 、「ものを大きく見せる色」である (注4) と 述 べ て い る。 ま た、 そ の よ う な 効 果 を 持 つ 色 彩 を「 膨 張 色 」 と呼び、 「膨張色」の車体による事故率と比較したときに、 ダー クグリーンのような、実際よりもものを小さく見せる効果のあ る「 収 縮 色 」 の 車 体 は、 「 事 故 を 起 こ し や す い 危 険 な 車 体 」 で あるとも述べている。このことから、大島さんによって語られ   (略) 『ノルウェイの森』が出版されたのは1987年の 9月で、べつにクリスマス・カラーを最初からねらったわ けではありません 。 あの赤と緑は前から使いたいと思って い た 色 だ っ た の で す。 あ の 色 を 選 ん だ と き に は 出 版 社 の 人々に「こんなきつい色じゃ本は売れませんよ」と反対さ れたことを覚えています。 色にはとくに意味はありません。 金色の帯に変えたのは出版社の意向で、僕はそのときには 日本にいませんでした。もしそのときに相談されていたら 断っていたと思います。 (略)   村 上 は「 『 ノ ル ウ ェ イ の 森 』 の 装 丁 の 意 味 は?」 と い う 質 問 に 対 し て、 「 あ の 赤 と 緑 は 前 か ら 使 い た い と 思 っ て い た 色 だ っ た 」 と 返 答 し て い る。 続 け て、 「 出 版 社 の 人 々 に『 こ ん な き つ い色じゃ本は売れませんよ』と反対された」上でこの色彩にこ だわったとも回答していることから、村上春樹にとって赤と緑 は重要な色彩であることがうかがえる。   この赤と緑という色彩が、本作の作品内において、大島さん によって象徴的に話される場面がある。その場面を次に示す。 「君を脅かすつもりはないけれど、 緑色のロードスターは、 夜 の 高 速 道 路 で は も っ と も 見 え に く い 車 の ひ と つ な ん だ。 背が低いし色が闇にまぎれてしまう。とくにトレイラーの

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四七 を「血の色」 、「緑」を「森の色」でもあると話している。この こ と か ら、 「 赤 」 と「 緑 」 は 車 体 の 事 故 率 の 話 題 に 限 定 さ れ る だけではなく、作品全体と大きく関わるイメージが込められた 色彩であり、考察の必要があると考えるのである。 三   「血」と「赤」の関係性   本節では、 『海辺のカフカ』 の本文を引用しながら 「赤」 と「血」 の関連について分析する。まず、カフカ少年と大島さんが会話 する場面を示す。 「 も ち ろ ん 君 は フ ラ ン ツ・ カ フ カ の 作 品 を い く つ か 読 ん だ ことはあるんだろうね?」   僕はうなずく。 「『城』と『審判』と『変身』と、それか ら不思議な処刑機械の出てくる話」 「『流刑地にて』 」と大島さんは言う。 「僕の好きな話だ。世 界にはたくさんの作家がいるけれど、カフカ以外の誰にも あんな話は書けない」 「 僕も短編の中ではあの話がいちばん好き です」 (第7章九七頁)   カフカ少年は、 フランツ ・ カフカの作品の中でも 『流刑地にて』 る車体の色彩による事故率の話題は、それぞれの色彩の効果に 基づいたものであるといえる。   大島さんは、車体の色によって事故率を低下させ、危険を回 避 す る と い う 話 題 に 続 く か た ち で、 「 緑 は 森 の 色 だ。 そ し て 赤 は血の色だ」と話す。清野恒介氏は、赤から連想されるものの うちの一つとして血が、緑から連想されるもののうちの一つと して森があると述べており (注5) 、 大島さんのこの発言は一般的 に連想される範囲の例として挙げているに過ぎないともいえる だろう。しかし、カフカ少年がのちの場面で森に入っていくこ とと緑の色彩には、一般論を超えた象徴が込められている可能 性があると推測する。   村 上 春 樹 作 品 に お い て、 「 赤 」 と「 緑 」 が 最 も 印 象 的 に 登 場 する作品は『ノルウェイの森』であり、その装丁には注目する 必要がある。先の引用にあるように、村上春樹は『ノルウェイ の森』の装丁について「あの赤と緑は前から使いたいと思って いた色」であると話しており、出版社の反対を押し切ってまで 採用していることからも、この二色には重要な意味があると考 えられる。   『 海 辺 の カ フ カ 』 で は、 大 島 さ ん の 車 体 の 色 に よ る 事 故 率 の 話題の中で 「赤」 と 「緑」 が登場する。しかし、 大島さんは 「赤」

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四八   カフカ少年は、 『流刑地にて』に登場する処刑機械について、 父親と関連づけて以下のように述べている。   でも僕がほんとうに言いたかったことは伝わらなかった はずだ。僕はそれをカフカの小説についての一般論として 言ったわけではない。僕はとても具体的なものごとについ て、具体的に述べただけなのだ。 その複雑で目的のしれな い 処 刑 機 械 は、 現 実 の 僕 の ま わ り に 実 際 に 存 在 し た 0 0 0 0 0 0 0 の だ。 それは比喩とか寓話とかじゃない。     (第7章九八頁)   こ の 場 面 で カ フ カ 少 年 は、 「 そ の 複 雑 で 目 的 の し れ な い 処 刑 機械は、現実の僕のまわりに 実際に存在した 0 0 0 0 0 0 0 」と話す。 ここで の「処刑機械」について修士論文では次のように考察した。   ここで言われる処刑機械とは、 カフカ少年のことを無自 覚であれ傷つけようとする父のこと だと考えられる。カフ カ 少 年 は、 「 実 際 に 存 在 し た 」 処 刑 機 械 と し て 父 を 認 識 し ていることから、父が自分を傷付けたその痛みは、かたち に残って消えない傷となっていると推測される。 そのため、 カフカ少年にとっての父は、自身のことを一方的に傷付け る機械のような人間味を欠いた存在として認識されている と考えられる。 (注7)   こ の こ と か ら カ フ カ 少 年 に よ っ て 語 ら れ る、 「 実 際 に 存 在 し が「短編の中で」 「いちばん好き」 だと話す。 続けて大島さんから、 どんなところに興味を持っているのかと尋ねられると、作中に 登場する処刑機械の描写が「僕らの置かれている状況を誰より も あ り あ り と 説 明 」( 同 頁 ) し て い る こ と に 興 味 を 持 っ て い る と返答している。   こ の、 『 流 刑 地 に て 』 に 登 場 す る 処 刑 機 械 が 何 を 象 徴 し て い るのかについて、 論者は修士論文において次のように分析した。   『 流 刑 地 に て 』 に お け る 処 刑 機 械 と は、 人 間 に 常 に 一 方 的に攻撃をおこなう存在がいることを象徴していると考え られる。カフカ少年にとって、 そうした 『流刑地にて』は、 処刑機械が大量の人間を殺していく状況が描かれているこ とで、人間が常に理不尽な攻撃を受ける環境の中で生きて いることの象徴 なのだと推測される。   処刑機械は、針で人間の体を突き刺しながら罪の名を刻むと いうしくみであるため、処刑機械によって行われる理不尽な攻 撃の結果、裁かれた人間の体は傷つき、痛みに伴った血液が流 れ る こ と が 連 想 さ れ る。 カ フ カ 少 年 に と っ て、 「 ぼ く ら の 置 か れている状況」は、攻撃によって痛みを感じ、それに伴って血 が流れるというイメージを持っているため、血の赤さに対して 否定的なイメージを持っていることが推測される。 (注6)

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四九 ひきむしってしまうことはできない。そうしようと思えば 父親を殺すことはできる(現在の僕の力をもってすれば決 し て む ず か し い こ と じ ゃ な い )。 母 親 を 記 憶 か ら 抹 殺 す る こともできる。でも 僕の中にある彼らの遺伝子を追い払う ことはできない 。もしそれを追い払いたければ、僕自身を 僕の中から追放するしかない。   そしてそこには 予言 がある。 それは装置として僕の中に 埋めこまれている 。   それは装置として君の中に埋めこまれている。 (第1章一七頁)   カフカ少年は、 この場面に登場する 「父親から受け継いだ」 「遺 伝子」が処刑機械と同様の役割を持った「装置」として「埋め こまれている」ことに否定的であると読み取れる。そして、そ の 父 か ら 受 け 継 い だ 遺 伝 子 は「 暴 力 を ふ く ん だ 暗 い 血 」( 第 41 章二八三頁)だと認識していると考察される。   論 者 は 修 士 論 文 に お い て、 「 カ フ カ 少 年 に と っ て 自 分 か ら 切 り 離 し た い 遺 伝 子 と は、 父 親 か ら 譲 り 受 け た 遺 伝 子 」 ( 注 9) の ことであると分析した。そして、 「カフカ少年は、 〈暴力〉性を 持った父親から、 他者を傷付ける内容の 『呪い』 を受けることで、 自身の内面にも 〈暴力〉 性が潜んでいることを認識している」 (注 た」 「処刑機械」とは、 「カフカ少年のことを無自覚であれ傷つ けようとする父のこと」だといえるだろう。   また、カフカ少年は父から受けた「呪い」のような予言につ い て 話 す 際 に、 「 僕 の 意 識 に 鑿 で そ の 一 字 一 字 を 刻 み こ む み た い に 」( 第 21章 三 四 七 頁 ) 繰 り 返 し 聞 か さ れ た の だ と 思 い 返 し ている。処刑機械は、罪人に「鑿」で罪の名を「刻み込む」た め、カフカ少年が父から受けた行為が処刑機械のしくみと重ね られていることがうかがえる。この、父から受けた「呪い」と も呼べる行為について、修士論文では「父の言葉はカフカ少年 の心に大きな傷を与えている」 (注8) と考察した。   これらのことから、カフカ少年は、自身が攻撃されて傷つく ことによって血が流れるというイメージがあるため、血に象徴 される赤という色彩はネガティブな要素を持っていると認識し ていると考えられる。 そして、 カフカ少年が血に否定的なイメー ジを持つことで、自身の生命にも否定的になっているといえる だろう。   次にカフカ少年が父から受け継いだ遺伝子について語る場面 を示す。   どれだけ強く望んでも、 父親から受け継いだ としか思え ない二本の濃い長い眉と、そのあいだに寄った深いしわを

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五〇   「さよなら、田村カフカくん」と佐伯さんは言う。 「もと の場所に戻って、そして生きつづけなさい」 (第 47章三八二~三八三頁)   カフカ少年は自身が必要とした存在である佐伯さんから血液 を自身の体内に取り込む。この行為に関して、修士論文におい ては以下のように考察した。 (注 11)   佐伯さんは「髪をまとめていたピン」で自身の腕を突き 刺し、流れ出た「血液」をカフカ少年に差し出す。カフカ 少 年 は「 喉 の 奥 に 彼 女 の 血 を 受 け 入 れ る 」。 カ フ カ 少 年 が 佐伯さんのことを忘れずに記憶し続けることで、佐伯さん はカフカ少年の中で生き続けることができ、 それと同時に、 カフカ少年は自身に目を向けてくれた佐伯さんを心に留め ておくことで、現実世界で生きていく意味を見出すことが 出来ると考察した。佐伯さんの一部である「血液」をカフ カ少年が体内に取り込むことで、カフカ少年の中で佐伯さ んを記憶し、生き続けさせるのだと考えられる。また、佐 伯さんの「血液」が「僕の心の乾いた肌にとても静かに吸 いこまれていく」という表現から、 カフカ少年が佐伯さん の「血液」を取り込むことで、擬似的な補完が成立されて いる と推測される。 10) と 分 析 し た た め、 カ フ カ 少 年 は、 自 身 の〈 暴 力 〉 性 が 体 内 の血液に象徴されていると感じて、自身の生命に否定的になっ てしまったと考えられる。   しかし、カフカ少年は「森の中核」で佐伯さんと出会うこと で、血液に対しての認識に変化が生じたと推測される。   佐伯さんと 「森の中核」 で出会った後の別れ際の場面を示す。   佐伯さんは黙って抱擁を解く。そして髪をまとめていた ピンをはずし、迷うことなく、鋭い先端を左腕の内側に突 き立てる。 とても強く。 そして右手でその近くの静脈をぐっ と 強 く 押 さ え る。 や が て 傷 口 か ら 血 液 が こ ぼ れ は じ め る。 最 初 の 一 滴 が 床 に 落 ち て、 意 外 な ほ ど 大 き な 音 を た て る。 そ れ か ら 彼 女 は な に も 言 わ ず そ の 腕 を 僕 の ほ う に 差 し だ す。また一滴の血が床に落ちる。僕は身をかがめて、小さ な傷口に唇をつける。僕の舌が彼女の血をなめる。僕は目 を閉じてその味を味わう。 僕は吸った血を口にふくみ、 ゆっ くりと飲みこむ。 僕は喉の奥に彼女の血を受け入れる。そ れ は 僕 の 心 の 乾 い た 肌 に と て も 静 か に 吸 い こ ま れ て い く 。 自分がどれほどその血を求めていたか、はじめてそのこと に思いあたる。僕の心はひどく遠い世界にある。でもそれ と同時に僕の身体は こ 0、 、 こ 0 に立っている。 (中略)

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五一 る。 『 流 刑 地 に て 』 に お け る 処 刑 機 械 は、 針 で 人 間 を 刺 し て 殺 す仕組みとなっているため、その〈暴力〉による痛みには血液 が流されることが伴う。カフカ少年は自身の父親にも「処刑機 械」的な〈暴力〉性があると考えており、その〈暴力〉性が自 身にも受け継がれていることを自覚する。このことから、カフ カ 少 年 に と っ て、 「 赤 」 い「 血 」 は〈 暴 力 〉 に よ っ て 流 さ れ る という否定的な印象を持つことになると考察した。   しかし、母親と重なる存在である佐伯さんから「血」を譲り 受けることで、自身が愛されている存在であることを知り、精 神 的 に 満 た さ れ る。 そ の 結 果、 「 血 」 の「 赤 」 さ に、 生 き る こ と の プ ラ ス の 面 を 見 出 し、 「 血 」 に 象 徴 さ れ る「 赤 」 と い う 色 彩の二面性に気付いて双方を引き受けて生きる決意を固めたと いえるだろう。 四   「森」と「緑」の関係性   前 節 で は、 カ フ カ 少 年 の 中 で 血 へ の 認 識 が 変 化 し た こ と に よ っ て、 「 森 」 を 出 る 決 意 を 固 め る こ と と な っ た と 考 察 し た。 本節では、前節をふまえて「森」に象徴される「緑」という色 彩に対する認識の変化について分析する。   カフカ少年にとって佐伯さんは母親と重なる要素のある女性 である。そのため、佐伯さんの血を体内に取り込むことで「疑 似的な補完」を果たし、父親から与えられた〈暴力〉性を含ん だ血液以外にも母親から与えられた血液が流れているというこ とを思い出して、自身の生命を維持する血液に肯定的になれた と推測した。   赤 と い う 色 彩 に 関 し て 松 岡 武 氏 は、 「 ポ ジ テ ィ ブ、 ネ ガ テ ィ ブ を 問 わ ず、 激 し い 感 情 の 動 き と 結 び つ く 」 ( 注 12) 色 彩 だ と 述 べている。     カフカ少年は、赤い血液に父親由来の〈暴力〉的な感情を見 出して否定的な印象を持っていたが、母親由来の血液には、カ フカ少年の存在を肯定しようとするプラスの感情が込められて いることを発見し、赤い血液の肯定的な側面に気付いたのだと いえる。カフカ少年は、自身の体内を流れる赤い血液には、プ ラスとマイナスの両方の側面が同居しており、どちらも受け入 れることで生きて他者と関わることが成立すると理解したのだ と考察される。   カフカ少年は、フランツ・カフカの『流刑地にて』に登場す る 処 刑 機 械 が 人 間 を 一 方 的 に 殺 し て い く 様 子 を、 「 僕 ら の 置 か れている状況を誰よりもありありと説明」していると考えてい

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五二 な自分を支えるために一人で生きていける「強」さを求め ていると考察される。   そのようなカフカ少年に対して、カラスと呼ばれる少年 は、 「 君 が や ら な く ち ゃ な ら な い の は、 た ぶ ん 君 の 中 に あ る 恐 怖 と 怒 り を 乗 り 越 え て い く こ と 」 と、 「 そ こ に 明 る い 光 を 入 れ、 君 の 心 の 冷 え た 部 分 を 溶 か し て い く こ と 」( 第 41章 二 八 二 頁 五 ~ 七 行 目 ) で あ る と 助 言 し、 「 そ れ が ほ ん とうにタフになるということ」 (同頁)なのだと発言する。 カフカ少年が、孤独な状態を維持したまま一人で生きてい くための強さを手に入れようとする心理には、父親と母親 という、子供にとって最も精神的に安心して接することの 出来るはずの人物たちに〈暴力〉を振るわれたことによっ て、他者に裏切られた絶望感を二度と体験したくないとい う感情が隠されていると推測される。カラスと呼ばれる少 年は、カフカ少年の他者に対する恐怖心を見抜き、カフカ 少 年 が 父 親 と 母 親 に 抱 い て い る「 恐 怖 と 怒 り を 乗 り 越 え 」 ることで過去の心の傷を克服させようとしていると考察さ れる。 カラスと呼ばれる少年のいう「明るい光」とは、心 の傷を克服することで再度、他者と精神的につながりを持 ち、支え合って生きていく関係を構築することを指してい   まず、カフカ少年の家出の動機として、自身の抱える孤独感 とそこからの脱却が挙げられる。以下、カフカ少年と佐伯さん との会話を示す。 「あなたはきっと強くなりたいのね」 「 強 く な ら な い と 生 き 残 っ て い け な い ん で す。 と く に 僕 の 場合には」 「あなたはひとりぼっちだから」 「 誰 も 助 け て は く れ な い。 少 な く と も こ れ ま で は 誰 も 助 け て は く れ な か っ た。 だ か ら 自 分 の 力 で や っ て い く し か な かった。そのためには強くなることが必要 です。はぐれた カラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前を つけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです」 (第 33章一五四~一五五頁)   こ の 場 面 に つ い て 、 修 士 論 文 で は 以 下 の よ う に 考 察 し た 。 注 13)   カフカ少年は、 「これまでは誰も助けてはくれなかった」 か ら、 「 自 分 の 力 で や っ て い く し か な か っ た 」 と 発 言 し て お り、 「 そ の た め に は 強 く な る こ と が 必 要 」、 「 強 く な ら な い と 生 き 残 っ て い け な い 」 と 述 べ て い る。 こ の こ と か ら、 カフカ少年は父親からの〈暴力〉と、母親に置き去りにさ れたことよって生じた孤独感 という傷を持っており、孤独

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五三 たのは、僕自身に深い問題があったからではないのか。僕 は生まれつき汚れのようなものを身につけた人間じゃない のか?   僕は人々に目をそむけられるために生まれてきた 人間ではないのだろうか?   母は出ていく前に僕をしっかりと抱きしめることさえし なかった。 ただひときれの言葉さえ残してはくれなかった。 彼女は僕から顔をそむけ、姉ひとりをつれてなにも言わず に家を出ていってしまった。彼女は静かな煙のように、た だ僕の前から消えてしまった。そしてそのそむけられた顔 は、永遠に僕から遠ざけられている。 (第 43章三〇一~三〇二頁)   この場面でカフカ少年は「どうして彼女は僕を愛してくれな かったのだろう」という「疑問」が「長い年月にわたって、僕 の心をはげしく焼き、僕の魂をむしばみつづけてきた」のだと 胸中を打ち明ける。このことから、カフカ少年は自身が母親に 愛されなかった過去に苦しんでおり、そして未だに母親からの 愛を受けていないことに苦しみ続けていることがうかがえる。   そのため、カフカ少年の抱える孤独感の根源は母親からの愛 情の不足であるといえる。カフカ少年が、母からの愛を受けて 満たされることで、自身の生に肯定的になり、改めて他者との る と考えられる。そして、他者と精神的に繋がっていく力 こそカフカ少年に必要な強さであり、その強さを手に入れ ることでカフカ少年の「 心の冷えた部分を溶か」すことが 出来ると助言していると考察される。   「 カ フ カ 少 年 は 父 親 か ら の〈 暴 力 〉 と、 母 親 に 置 き 去 り に さ れ た こ と よ っ て 生 じ た 孤 独 感 」 を 持 っ て い る と い え る。 ま た、 孤独感を持っているカフカ少年に対して、カラスと呼ばれる少 年 は、 「 明 る い 光 」 を 取 り 入 れ る と い う ア ド バ イ ス を す る が、 これは「心の傷を克服することで再度、他者と精神的につなが りを持ち、支え合って生きていく関係を構築」すべきだと助言 しているとも考察した。   では、カフカ少年に「心の冷えた部分」が生まれた原因とは 何だろうか。 カフカ少年が他者に恐怖心を抱くきっかけとして、 母に愛されなかったと認識していることが挙げられる。そのこ とがうかがえる箇所を示す。   疑問。   どうして彼女は僕を愛してくれなかったのだろう。   0 僕には母に愛されるだけの資格がなかったのだろうか? 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0   その問いかけは 長い年月にわたって、僕の心をはげしく 焼き、 僕の魂をむしばみつづけてきた 。母親に愛されなかっ

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五四 のは、君が予想もしていないような種類のものかもしれな い 」 「どんなふうに?」   大 島 さ ん は 眼 鏡 の ブ リ ッ ジ を 指 先 で 押 す。 「 な ん と も 言 えないな。それは君次第でかわってくることだから」 (第 13章一九四~一九五頁)   カフカ少年は大島さんによって「森」の中の小屋に連れられ る。 大 島 さ ん が、 「 君 は そ こ に い る あ い だ、 た ぶ ん 誰 に も 会 わ ない」と伝えた上で、カフカ少年が「孤独には慣れている」た めかまわないだろうかと確認を取ると、 カフカ少年はうなずく。   し か し、 「 孤 独 に 慣 れ て い る か ら 大 丈 夫 」 で あ る と 返 答 し た カ フ カ 少 年 に 対 し て、 「 孤 独 に も い ろ ん な 種 類 の 孤 独 が あ る。 そこにあるのは、君が予想もしていないような種類のものかも しれない」と、孤独の在り方が複数あることを示唆している。   続 け て 大 島 さ ん は、 別 れ 際 に カ フ カ 少 年 に 対 し て、 「 森 」 の 中 に い る こ と は「 世 界 か ら 完 全 に 孤 立 し て い る 」( 第 13章 二〇一頁) 状態なのだと告げる。しかし、 大島さんが言った 「い ろ ん な 種 類 の 孤 独 」 が 理 解 で き て い な い カ フ カ 少 年 に と っ て、 この時点では「世界から完全に孤立している」状態の内実はつ かめていないと考えられる。 精神的な繋がりを回復することが、カラスと呼ばれる少年の助 言にある、 「明るい光」を心に入れることなのだと考察される。   しかし、カフカ少年は、他者が存在している世界で安心感の ある繋がりを誰とも持てないことを「孤独」であると認識して いるため、カラスと呼ばれる少年からの助言を理解できずにい る と 考 察 さ れ る。 カ フ カ 少 年 は 自 身 の 孤 独 感 を 癒 す た め に は、 自身を傷つける可能性のある他者を排除すべきだと考えている ため、他者の存在しない「森」に足を踏み入れることとなると 推測される。   し か し、 カ フ カ 少 年 の 感 じ て い る「 孤 独 」 以 外 に も「 孤 独 」 が存在するということを大島さんは伝える。 「 僕 ら が こ れ か ら 行 こ う と し て い る と こ ろ は、 深 い 山 の 中 にあって、快適な住まいとはとても言えない。 君はそこに いるあいだ、たぶん誰にも会わないだろう。ラジオもテレ ビ も 電 話 も な い 」 と 大 島 さ ん は 言 う。 「 そ ん な と こ ろ で も かまわないかな?」   かまわない、と僕は言う。 「君は孤独にはなれている」と大島さんは言う。   僕はうなずく。 「 し か し 孤 独 に も い ろ ん な 種 類 の 孤 独 が あ る。 そ こ に あ る

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五五   大島さんから、 「もうひとつの孤独」 の存在と、 自然の持つ 「威 嚇的」な面について、予告的な発言を受けたのち、カフカ少年 はそれらを実際に「閉じた円」と呼ばれる空間で体験したと推 測 さ れ る。 「 閉 じ た 円 」 と い う 空 間 で 佐 伯 さ ん と 会 話 す る 場 面 を示す。 「君の名前は?」と僕はべつの質問をする。   彼 女 は 小 さ く 首 を 振 る。 「 名 前 は な い の。 私 た ち は こ こ では名前を持たないの 」 「 でも名前がないと、君を呼ぶときに困るかもしれない 」 「呼ぶ必要もないのよ」 と彼女は言う。 「もし必要があれば、 私はそこにいる」 「ここでは僕の名前もたぶん必要ないんだね」   彼 女 は う な ず く。 「 だ っ て あ な た は あ な た で あ り、 ほ か の誰でもないんだもの。あなたはあなたなんでしょう? 」 「そうだと思う」 と僕は言う。 でもそれほど確信は持てない。 僕は本当に僕なんだろうか?   彼女はじっと僕の顔を見ている。 (第 45章三四六~三四七頁)   カフカ少年は 「森」 の奥へと足を踏み入れた結果、 「森の中核」 にある「閉じた円」という空間に到達し、そこで一五歳の少女   ま た、 「 森 」 に い る こ と に 快 適 さ を 感 じ て い る カ フ カ 少 年 に 対して、大島さんは自然の持つ危険性について伝えている。そ の場面を示す。   「 自 然 の 中 で ひ と り ぼ っ ち で 暮 ら す の は た し か に 素 晴 ら しいことだけれど、そこでずっと生活しつづけるのは簡単 じゃない 」と大島さんは言う。サングラスをかけ、シート ベルトを締める。   僕も助手席に座って、シートベルトを締める。 「理論的にはできなくはないし、実際にそうする人もいる。 しかし 自然というのは、ある意味では不自然なものだ。安 らぎというのは、ある意味では威嚇的なものだ 。その背反 性を上手に受け入れるにはそれなりの準備と経験が必要な んだ。だから僕らはとりあえず街に戻る。社会と人々の営 みの中に戻っていく」          (第 17章二六五頁)   大島さんは、 「自然の中でひとりぼっちで暮らすのは」 「簡単 じゃない」ということ、 「自然というのは、 ある意味で不自然な」 面があり、自然の中にある安らぎには「威嚇的」な要素もある と発言するが、これらの言葉はカフカ少年が実際に「森」の奥 に入って「閉じた円」を体験していない状態では、すぐに理解 することはできず、予告的な役割にとどまっているといえる。

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五六   かつての佐伯さんと過去の恋人が作った「円」は、人間 が 生 き た 状 態 で 形 成 さ れ る た め、 「 ほ こ ろ び 」 が 生 じ る の に 対 し て、 「 閉 じ た 円 」 は 死 者 に よ っ て 形 成 さ れ る た め、 外 的 要 因 や そ の 人 の 価 値 観 変 化 が 無 く、 「 ほ こ ろ び 」 が 生 じ る こ と が な い と 考 え ら れ る。 そ の た め、 「 閉 じ た 円 」 は 外界を完全に遮断しきった空間であり、崩れることのない 「 円 」 が 形 成 さ れ て い る と い う 意 味 で は 補 完 が 成 立 し た 状 態 だ と い え る だ ろ う。 し か し、 カ フ カ 少 年 は「 閉 じ た 円 」 に 留 ま る こ と に 違 和 感 を 持 つ。 円 は、 「 完 全 性 」 を 表 す の と同時に「始めも終わりもない無時間、上も下もない無空 間 」 で あ る と 指 摘 さ れ て い る。 カ フ カ 少 年 は、 「 時 間 は こ こ で は 重 要 な 要 素 じ ゃ な い 」 こ と、 「 誰 も こ こ で は 名 前 を 持 た な い 」 こ と を 実 感 し て い る た め、 「 閉 じ た 円 」 が「 始 めも終わりもない無時間」であることを認識し始めたのだ と考えられる。 「閉じた円」 についての認識がされ始めると、 カフカ少年は「僕はいったいどうなるのだろう?」と疑問 を持つことから、 カフカ少年は「閉じた円」に留まること で安らぎは得られるが、 生きた状態で他者と繋がることと、 「 世 界 で い ち ば ん タ フ な 15   歳 の 少 年 に な る 」 と い う 本 来 の 目 的 が 達 成 さ れ な い こ と に 気 付 き、 「 閉 じ た 円 」 が 自 分 の の姿をした佐伯さんと共に過ごす。カフカ少年が少女に名前を 尋 ね る と、 名 前 の 必 要 性 が な い と 返 答 さ れ る。 カ フ カ 少 年 は、 自身が名前を失っても「僕は本当に僕なんだろうか?」と疑問 を持ち始め、 「閉じた円」が現実世界とかけ離れた価値観によっ て機能していることに違和感を覚える。   「閉じた円」という空間では「誰もここでは名前を持たない」 (第 45章三五〇頁)上に、 「時間」すらも「ここでは重要な要素 じ ゃ な い 」( 同 頁 ) こ と に 気 付 く。 そ し て、 そ の 空 間 に 留 ま り 続けることで、 「僕はいったいどうなるのだろう?」 (同頁)と 不安を持っている様子がうかがえる。   「 閉 じ た 円 」 に つ い て 、 修 士 論 文 で は 以 下 の よ う に 考 察 し た 。 注 14)   カフカ少年は佐伯さんといる空間を「閉じた円」と表現 す る。 「 森 」 の 中 核 は、 一 般 社 会 か ら 切 り 離 さ れ て お り、 カ フ カ 少 年 と 佐 伯 さ ん だ け が 存 在 す る 閉 鎖 的 な 空 間 で あ る。 「 円 」 が、 現 実 世 界 で 生 き た 状 態 で 互 い に 求 め 合 い、 感 覚 を 共 有 す る の に 対 し、 「 閉 じ た 円 」 と は、 現 実 世 界 か ら切り離された、死後の世界とも言える空間で物理的に他 者を遮断し、そして佐伯さんと求め合うことなく、ただ互 いの孤独を理解して、共有することで一体感を持つ状態 を 表しているのだと考えられる。

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五七 孤独に感じるという〈孤独感〉であったのに対し、 「森の中核」 の「閉じた円」で体験した、生きた存在としての他者が全く存 在しない状態によって起こる「孤独」は、大島さんによって語 られた「世界から完全に孤立」するという、誰とも微かな繋が りさえ望むことの出来ない〈孤独〉であったと推測される。   カフカ少年の〈孤独感〉の根底には、母親に愛されなかった こ と に よ っ て 生 ま れ た、 他 者 と の 関 係 に お け る 恐 怖 心 が あ る。 カフカ少年は、 〈孤独感〉からの脱却を求めた結果、 「森」に入 ることとなる。しかし、大島さんから「孤独」にも種類がある ことを知らされ、 「緑」 に囲まれた 「森」 の中で自身の知らなかっ た〈孤独〉を体験することとなる。カフカ少年にとって、自身 に〈暴力〉を振るう可能性のある他者との繋がりを断つことが 「孤独」だと考えていたが、 「森」で全ての生きた他者を遮断し きったことで「世界から完全に孤立」する状態を体験したこと によって、より深い〈孤独〉を知ったといえる。   このことから、生きている現実世界において、他者は存在し ているが、自身が誰とも繋がりを持つことが出来ていないと感 じる状態を〈孤独感〉と定義する。それに対して、生きた他者 の存在しない「森」にあったのは〈孤独〉そのものだったとい える。カフカ少年は「森」の中で「緑」が深まるにつれて、 〈孤 望んだ空間で無いと感じ始めた のだと考察される。   このことから、 「『閉じた円』とは、現実世界から切り離され た、死後の世界とも言える空間で物理的に他者を遮断し、そし て佐伯さんと求め合うことなく、ただ互いの「孤独」を理解し て、共有することで一体感を持つ状態」であるといえる。その た め、 「 閉 じ た 円 」 に は、 死 者 と し て の 他 者 は 存 在 す る が、 生 きた状態の他者は不在であると考察される。   ま た、 「 カ フ カ 少 年 は『 閉 じ た 円 』 に 留 ま る こ と で 安 ら ぎ は 得 ら れ る が、 生 き た 状 態 で 他 者 と 繋 が る こ と と、 『 世 界 で い ち ばんタフな 15歳の少年になる』という本来の目的が達成されな い こ と に 気 付 き、 『 閉 じ た 円 』 が 自 分 の 望 ん だ 空 間 で 無 い と 感 じ 始 め た 」 と 分 析 し た。 こ の こ と か ら、 「 閉 じ た 円 」 は 生 き て いる他者を遮断しきっているため、自分を形作ることも不可能 な空間であると考察される。   本論において、カフカ少年の抱える「孤独」は「森」に象徴 される「緑」と結びつきが深く重要だといえるが、本文に登場 す る「 孤 独 」 は、 論 者 の 解 釈 が 加 わ っ た〈 孤 独 〉 と〈 孤 独 感 〉 に分類されると推測される。   カ フ カ 少 年 が「 森 」 の 外 に い た 頃 に 感 じ て い た「 孤 独 」 が、 生きた状態で関わりを持つ他者と完全に一体となれないことで

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五八   村 上   『 ね じ ま き 鳥 ク ロ ニ ク ル 』 は ぼ く に と っ て は 第 三 ステップなのです。まず、アフォリズム、デタッチメント が あ っ て、 次 に 物 語 を 語 る と い う 段 階 が あ っ て、 や が て、 それでも何か足りないというのが自分でも分かってきたん です。そこの部分で、コミットメントということが関わっ てくるんでしょうね。ぼくもまだよく整理していないので すが。   コミットメントというのは何かというと、人と人との関 わり合いだと思うのだけれど、 これまでにあるような、 「あ なたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなご う」というのではなくて、 「井戸」を掘って掘っていくと、 そ こ で ま っ た く つ な が る は ず の な い 壁 を 越 え て つ な が る、 というコミットメントのありよう に、僕は非常に惹かれた のだと。   しかし、それがこの現実世界、実際的な生活の面で、ぼ くに何をもたらすかというのは、ぼくにもまだよくわから ないのです。いまぼくは日本に帰ってきて、じつにそれを 探している途上なのです。小説のなかではぼくはそれを解 決 し て い る の だ け れ ど、 小 説 の 方 が 先 へ 行 っ て し ま っ て、 独〉の度合いも連動するかのように深まるということに気付い て、 「 森 」 の「 緑 」 に 安 ら ぎ 以 上 に 危 険 が 潜 ん で い る こ と を 理 解して「森」を出たと分析した。 五   おわりに   こ れ ま で、 「 赤 」 と「 緑 」 の 象 徴 と そ の 変 化 に つ い て 分 析 し てきた。本節では双方を合わせてカフカ少年の心理変化を追っ ていき、赤と緑の色彩が持つイメージがどの点で転換している のかについて明確にする。   本作においては、カフカ少年が孤独から脱却し、他者との繋 が り を 回 復 さ せ る こ と が 重 要 な 要 素 で あ る と 推 測 す る が、 『 海 辺のカフカ』執筆以前の村上春樹のコメントに、本作と関わる 注目すべき箇所が見受けられる。   村上   それと、コミットメント(関わり)ということに ついて最近よく考えるんです。たとえば、小説を書くとき でも、 コミットメントということがぼくにとってはものす ごく大事になってきた 。以前はデタッチメント(関わりの なさ)というのがぼくにとっては大事なことだったんです が。

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五九 していると考えられる。   次に、 自身の体内に 〈暴力〉 性を持った父から受け継いだ、 「暴 力をふくんだ暗い血」 (第 41章二八三頁)が流れていると感じ、 そのことに苦しむ。そして、人間の持つ〈暴力〉性によって傷 つくと「血」が流れることから、血の「赤」さにネガティブな 感情を持つこととなる。   しかし、大島さんの車体の色による事故率の話題から、 「赤」 よりも「緑」の方が、事故率が高く危険であると知らされるこ とにより双方の色彩に対するイメージに変化が起こるきっかけ となる。   そ の 後、 カ フ カ 少 年 は「 森 」 に 入 り、 「 閉 じ た 円 」 で 生 き た 他者の存在しない空間を体験することで、他者の不在によって 自身の存在すらも消滅していく〈孤独〉の存在に気が付いたと いえる。   また、カフカ少年にとって母のような存在として認識されて いる佐伯さんから「血」を譲り受けることで、自身が愛されて い る 存 在 で あ る こ と を 知 る。 「 血 」 に よ る「 赤 」 さ に、 〈 暴 力 〉 性以外にも生きることのポジティブな側面が存在することを発 見して生き続けることを決意したと考えられる。そして、 「赤」 へ の 認 識 が 変 化 し た こ と と ほ ぼ 同 時 に、 「 緑 」 へ の 認 識 も 変 化 ぼく自身がついていけないわけですが、ただ、感じるんで すよね、世の中が今変わりつつあるし、変わらなくてはい けないというのは。   だから、ぼくは地震のことについても、オウムのことに ついても、何かひとつの転換点、そういうものとして非常 に興味を持っているのです。事件そのものは非常に不幸な ことではあるけれども、それらを契機として、ワザワイを 転じて福となす、というか、何かが開けていくという予感 がするんです。 (注 15)   こ こ で 村 上 は、 以 前 は デ タ ッ チ メ ン ト を 重 要 視 し て い た が、 「 コ ミ ッ ト メ ン ト と い う こ と が ぼ く に と っ て は も の す ご く 大 事 になってきた」 のだと語っている。また、 「「井戸」 を掘って掘っ ていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつな がる、というコミットメントのありように、僕は非常に惹かれ た」のだと続けている。本作における色彩の持つ象徴と、村上 の言う 「コミットメント」 とはどのように関連するのだろうか。   カフカ少年は、幼少期に母と姉に置いて行かれ、父から「呪 い」を刻まれ続けたことから、自身が愛されていない存在だと 感じ、他者との安心感のある繋がりを持つことに恐怖感があっ たといえる。このことによってカフカ少年の〈孤独感〉が発生

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六〇 ことを決心したと分析した。   ま た、 「 緑 」 に は「 森 」 の イ メ ー ジ が 込 め ら れ て い る。 カ フ カ少年は 「森の中核」 で佐伯さんと安らかなひと時を過ごすが、 生 き た 他 者 を 排 除 し き っ て し ま う「 森 」 は、 「 孤 独 」 な 空 間 で あることに気付いたと考えられる。生きた他者の存在する世界 には〈孤独感〉があったが、生きた他者の存在しない世界には 〈孤独感〉 以上に深刻な 〈孤独〉 があることに気付いたため、 「緑」 が安らぎを与える色彩から、危険な色彩であるという認識に変 化したと分析した。   そして、大島さんによる「緑」のスポーツカーの危険性につ いての話題は、単純に事故率の高さを伝えていたのではないと 考 察 し た。 「 緑 」 か ら 連 想 さ れ る「 森 」 は 一 見 安 全 で あ る こ と を 連 想 さ せ る が、 「 森 」 の 深 い「 緑 」 に よ っ て 自 身 の 姿 が 隠 さ れ て 他 者 に 認 識 さ れ な く な る と、 〈 孤 独 〉 に な っ て し ま う 危 険 性があると示唆していたと言える。また、 「赤」は、 「血」を連 想させるため、他者とかかわることで発生する〈暴力〉を想起 するという点においては危険であることを予感させるが、その 一方で「赤」は目立つ色彩であるため、他者に自分の存在を認 識 し て も ら え る 結 果、 〈 孤 独 〉 に 陥 る 可 能 性 が 低 く な る と い う 安全性があると示唆していたという分析に至った。 したと考えられる。生きた他者が存在していても、完全に一体 となって安心感を得ることが出来ない〈孤独感〉よりも、 「森」 の中で 生きた他者を排除しきってしまうことの方が、他者との 繋がりを持つ可能性が完全に断たれることとなり、それは、深 い〈 孤 独 〉 で あ る こ と に 気 付 き、 「 森 」 を 出 る 決 意 を 固 め た と いえるだろう。   このことから、村上の言う「 『井戸』を掘って掘っていくと、 そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、とい うコミットメント」 のイメージが 『海辺のカフカ』 においては、 佐 伯 さ ん か ら 譲 り 受 け る、 「 血 」 に 込 め ら れ て い る の で は な い かと考察した。   以上のことから、本論の結論を述べる。   カ フ カ 少 年 に と っ て、 「 赤 」 は「 血 」 の イ メ ー ジ が 込 め ら れ て お り、 〈 暴 力 〉 を 連 想 さ せ る 色 彩 で あ っ た。 し か し、 佐 伯 さ んから受け取った「血」には〈暴力〉ではなく、カフカ少年が 生きるために必要な、母親から愛されているというイメージが 込 め ら れ て い た た め、 「 血 」 の「 赤 」 と い う 色 彩 に ポ ジ テ ィ ブ な 側 面 を 発 見 す る こ と が 出 来 た と い え る。 そ の こ と に よ っ て、 カ フ カ 少 年 は「 赤 」 へ の 認 識 に 変 化 が 生 じ、 「 血 」 の「 赤 」 の 持つプラスの面とマイナスの面の双方を引き受けて生きていく

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六一   12   注4に同じ   13   注2に同じ   14   注2に同じ   15   村上春樹『村上春樹全作品1990~2000⑦   約束 さ れ た 場 所 で   村 上 春 樹、 河 合 隼 雄 に 会 い に い く 』( 講 談 社   二〇〇三年一一月)   本 稿 の 内 容 は、 二 〇 一 九 年 六 月 一 六 日 に 本 学 に て 行 わ れ た ノートルダム清心女子大学日本語日本文学会での発表に基づき ます。   発 表 に 際 し 御 教 示 を 承 り ま し た 皆 様 に 、厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す 。 (おおおか   ありさ/本学大学院博士前期課程修了) キーワード=血、森、孤独 注 1   本文引用は『海辺のカフカ(上) 』(新潮社   二〇〇二年 九 月 )、 『 海 辺 の カ フ カ( 下 )』 ( 新 潮 社   二 〇 〇 二 年 九 月 ) によるものとする。なお、 傍線部は論者によるものとする。   2   大岡愛梨沙「村上春樹『海辺のカフカ』論~〈暴力〉と 〈癒し〉の関係から読み解くテーマについて~」 (ノートル ダム清心女子大学大学院修士論文   二〇一九年一月)   3   村 上 春 樹『 「 そ う だ、 村 上 さ ん に 聞 い て み よ う 」 と 世 間 の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問 に 果 た し て 村 上 さ ん は ち ゃ ん と 答 え ら れ る の か?』 ( 朝 日 新聞社   二〇〇〇年八月)   4   松 岡 武『 色 彩 と 心 理 お も し ろ 事 典 』( 三 笠 書 房   一九九四年四月)   5   清野恒介『色彩用語事典』 (新紀元社   二〇〇九年九月)   6   注2に同じ   7   注2に同じ   8   注2に同じ   9   注2に同じ   10   注2に同じ   11   注2に同じ

参照

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