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中学校産業教育の課題 (2) : その基底につちかうもの

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中学稜産業教育の課題(2)

その基底につちかうもの一一

A Theme of Lower Secondary School lndustg’ial Education

一一

vhat皿akes the Industria田ducation Cultivate and Grow up一

Junichi Shiomi 1  昭和21年8月設置の教育二二委員会第二特別委員会 (中等学校部会)にもとつく,昭和22年2月の閣議決 定事項の中に 1.中等学校における一般教育の標準は全国ほぼft一一   であるべぎこと。 2.個性の伸長,公民性,社会生活の訓練に重点をお   く。 3.同時に職業の指導及び訓練が行われるべきこと。  そして6−3制の中に,勤労を中心とする教科を設け ることについては特別委員会でも委員総会でも異論の ないところであって,委員会の考え方としては国民は まず働くことにおいて生活し,国民のために役立つの であって,働くという気持を国民がもつようにならね ばならないとした。  この場合12歳程度の小学校では不適当であるとして 勤労を中心とする教科を中学校に設ける。しかし,(1) 技術教育をある程度必要とするが,技術の専門家を養 成せぬ。②ある程度の技術を習得しそれを応用して作 業させ,これを通じて具体的な人間生活を観察させる ので将来の職業のことは考えぬ。(3)内容は一般的なも ので生徒のもつ適性に応じた職業が与えられるように 色々な経験を与えること。  かくして職業科が社会科とならんで新制中学校の新 教科となったのである。そして職業科ではおよそ次の 4つの目的が考えられた。 1.働く社会人の育成 2.:専門的な職業教育ではなく,だれもが必要とする   普通教育を行うg 3.色々な作業経験を与えて,各自の適性を発見させ   る。 4.作業を通じて全教科を理解させる。  中学校ではいずれの教科も,教科以外の諸活動も, 生徒の現状および将来におけるのぞましい人聞像を指 向しつつ,その人聞隊の実現のため,むだなくもれな く計画され構成されているはずであるが,問題は常に 存在しつつ今日におよんでいる.  この中で社会科とならんで,その出発当初新しく登 場した職家科は,名称上の変遷があり,その内容にお ける改善検討も,これに関連して行われてきたのであ る。  こうした変遷はそれ自体この教科の問題性を物語る と共に,その育成途上の苦もんを端的に表現している とみてもよいであろう。そしてとも角,多くの問題を 内蔵し乍ら,その重要性と現場教育者の実践に支えら れて次第にその性格と内容とを明確にしつつ,今日迄 運営され推進されてきたのである。  中学校の職家科は経済的,とりわけ技術的,実践的 な性格を本領とするだけに,その内容は複雑多岐であ り,しかも今日の教育理想の上から最も注目され,そ の成功を期待せられている教科である。  今回の改訂案をみても全領域を共通傾余/別に示した もので,共通のものはすべての学校,男女を通じて学 習させる内容で,傾斜制では性別,地域性,学校の事 情をより考慮されることとなり,本来前職業教育であ ると共に,選択性に重点を置いて多分に職業準備的な 色彩が出ているとみることが出来る。  中央産業教育審議会から前後2回に亘る建議案にも とづいて,目下文部省で学習指導要領の改訂について

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92 滋 大 紀 要

第  5 号

1 9 5 6 検討中であり,近日中に決定発表される筈である。  ひるがえって,中学校の一つの使命はまず最終学校 としての一応の完成教育ということを考えなくてはい けない。上級学校進学という中間学校の使命も背負っ ている。この入試の聞題,更に職業的教養軽視の風潮 は,この教科の成長の側面的制ちゅうとなって居り, この面からも容易ならざるものがあるわけである。そ れでその重要性が強調せられるにもかかわらず,実際 はきわめて軽視され敬遠されがちな矛盾をもつ教科で ある。  教育は,それが個人墨入の育成に力を注ぐだけでは なく,同時にその個人が生存していく社会のよりよき 成長にも貢げんするためには,今日の教育がより生産 的性格をもたねばならぬということであり,殊にわが 国の場合平和な民主国家として発展するためには経済 的自立をその絶対条件とすることはいうまでもない。  このような社会のき’びしい要請の一部を背負う申学 校の産業教育にもかかわらず,その現実には数多くの 問題を内包しつつ未だそのおちつくところを知らない ありさまで,ために現場の私たちは混迷と困惑の渦の 申で右往左往している現状である。  このような現実に直面し,中学校教育は一応完成教 育であること,更に就職希望生徒の割舎が多くなるこ とが予想される現在,中学校産業教育のねらいはどの ように考えるべきか。そのバンクボーンの解明,すな わち,その基底的な課題を求めて小論をすすめたい。 2  「僕は働くことは大きらいです。職業の時間にする 肥科はこびとか,馬尿ひろいとか,鍬を使う仕事な  どは大きらいです。なぜかといえば肥馬はこびは大 変ぎついし,きたないです。それから鍬を使うのは  疲れるうえ.に腰がいたくて大変です。こういうこと  から,だいたいきらいです。いつも汗水流して働く  よりもずっとひるねをした方がよい……①」  1学期を終ろうとしている成績はクラスで中以下の 1年目男子職家科学習の感想文の一節である。まこと にはっきりしている。このことは職家鼠の実習に対す る殆んどの中学生に共通した心理であると思う。  「国民は先ず働くことにおいて生活し,国民のため  に役立つのであって,働くという気持を国民がもつ  ようにならねばならないとして勤労を中心とする教  科を中学校に設ける」 として職家科をとり入れた教育刷新中等学校部会の気 持とはちがっている。この中学生は働くことのきらい な理由をくわしく説明しているが,この感想文のあと の方に「……それでも今私たちがもし働かなかったら 今からの世の中はどうすることもできません」という ことをつけ加えている。この素直な反省をとりあげて 分析し,検討してみることが必要ではないだろうか。  由来,日本入は勤労愛好の民族であるといわれてぎ た。これはわが国にやってきた諸外国人のひとしくみ とめるところでもありまた自認もする。理由は色々と 考えられるだろうが,人口多く国土せまく資源の乏し いこと,国民の大部分が農耕民族であること,家族制 度の国であること,封建制度の維持存続のために「よ らしむべししらしむべからず」の政策で国民をてなづ けてぎたこと,天災地変の多い恵れない国情であるこ と等があげられると思う。殊に有’業人口中農業入口が 約50%をしめ,農業の機械化もすすまず,その低生産 性,非能率性を入力でカバーしているのが現在のわが 国の農業の姿である。  昔はいわゆる星をいただき,月の影をふんでの農耕 生活(農の字義にも由れる)が国民の大部分の生活で あり,しかも家族制度のもとにおいて「猫の手もかり たい」ということばもあるように,各家庭の農作業の 申に年少子供達のしめる役は決して少くはなかった。 このようなことは,他の職業にはみられないことであ る②。  「私はi家庭教育は,ゴッコ教育ではなくして,作業  教育であり,作業を通じての教育である。家庭生活  上必要かくべからざる仕事,作業によって教育する  のが家庭教育であると私は考える。私はこのような  作業,仕事を通じて幼時から少年時代教育されてぎ  たのである。私の家は農家であったから,仕事はあ  まるほど多くあった。私は長男であり,妹を背負つ  て炊事もしたし,農耕養蚕の仕事もした。この家庭  生活で私の父親は学校教育にも熱心であったが,家  庭で作業,仕事をも手伝わせた。私は今日このこ乏  を心から感謝している③」と。  そうして仕事をしている間に,仕事を手伝わせてい る間に仕事によってこそ子供達は形成されていくとい って居られる。日々の生活が人間をかたちづくってい くわけである。ここに家庭という一つの集団社会のも 註① 職業教育,昭30.4.1p.64. ②農村では,嫁のことを「手間」とか「人足」とかいう地方があることでもこの間の事情はわかる。あとと   りの子供を生むことと,家事労働野良労働の必要から無償の労働力として嫁は迎えられるのである。  ③  教育技各母, 昭不028,9,1安藤三三 P.38

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申学校産業教育の課題(2)(塩見)

93 つ全体的な教育力の問題がある。殊に年少時代におけ る教育的効果は単にしつけのみの問題ではなく,子供 の教育全般にかかわる根本的な間題である。  個々人の入格とか,品性の形成も広く里門集団の中 での人間同志の意識的,無意識的な相互作用にまっと ころが多い。したがって子供の行動や態度は.彼等の 家庭の物的,人的環境の質如何によって決定づけられ ることが大きいといってよい。  そのようにみてくると,年少子供達の手にかなう部 面もたくさんある農耕,養蚕,炊事等の作業を通じて 不知不識の間に勤労愛好の習性がつみかさねられてい ったと考えることが出来る。  家風といい,家庭のふんいきとよぶものが子供のし つげに重大な影きよう力をもつことは冗評するまでも ないことであり,ひとり子供逮だけがそのふんいきか ら超然たることは出来ないし許されもしない。自由の 国のようにいわれる米国でも子供のしつけはいたって 厳格であるが,それも判断力も経験も乏しい青少年を 正しく訓練するためである。  ところが戦後の民主主義のはきちがいから,子供の 生活に関心をもたずに放任することが子供の自由だな どと考えたり,あるいはまた生活に追いまくられて子 供のことをすこしもみてやるゆとりのない親たちが案 外と多いのではあるまいか。子供を自由にのびのびと 遊ばせ学ばせることと,子供の生活に関心をもたずに ほったらかすこととは全く別である。  社会学や社会心理学の分野で「家庭の没落」という ことがいわれていて現代の社会の家庭というものは, 家庭の,家庭としての機能,たとえば経済的,.文化的, 教育,娯楽などの場所としての機能を次第に失ってし まってただ食べてねるだけという家庭を無数に作り出 している。ここでは最:早両親よりうける感化えいぎょ うは極めて少く,それよりも子供達はこの祉会の色々 な出来ごとをなまのまま5けてくる。勿論,従来のよ うな家庭教育におけるしつけは将来共期待することは むずかしくなると思う。家族間の関係も昔Nのようで はない。とすれば,それは学校教育においてその一役 をになわなければならないと思う。 3  禅の言葉に「針頭に鉄を削り,早耳に肉を割く」と いうことがある。針の頭のような細いところをまた削 る。鷺の股はやせているがそのやせたところをまた削 り取ってしまうことなんだが.つまり禅宗の師匠とい うものはほんとうに追いつめるよ5に仕むけて弟子を 意地わるくいじめるわけで,やはりそうしなければ弟 子というものは育たないという考え方らしい。  「川合玉堂氏のつかれた幸野楳嶺先生は,門人を養 成するになかなか熱心で,また非常に厳絡で,やかま しい人でしたが,どうも入聞の成長にはやかましいと いうことが結局いいようです。それで私の思うのに, 世の中には天才というものもある。天才というものは ほっといてもものになる。けれどもそれはぎわめてま れなことだ①」と。  あれこれと考えてみると,戦後の教育はあまりにも 児童中心といい,個性尊重,生徒中心という名にかく れて子供を甘やかし,いいたいことも十分にいいきら ないで,これらの目標がうわすべりをしているのでは なかろうか。人問形成に至大なえいぎょうをもつ家庭 教育においてもまたそのような観がする。  毎年のことであるが,児童生徒の夏休の宿題につい てはことしもまたやかましかった。ともするとそれが 親の宿題になるということであった。休蝦の終りごろ には提出する制作品の仕立に本田よりも母親の方が気 をもんだ。仕立のりつばさをきそうために母親は無理 をいって,町の仕立人たちをたずねまわったりしてい た。だれもがそんなにして提出するらしい。これを受 取る先生はどんなに評定されるのかと今でもわりぎれ ない。  一ケ月余の長い休暇のために,休暇あけ登校後の清 掃,校地の除草等の子供達の労苦を心配されてか,母 姉達の1日奉仕作業が紙上に,しかも写真入りで載っ たことも度々見うけたこの8月末であった。こんなこ とは少くとも戦前にはみられなかったことと思ってい る。真に子供達をかわいがるのか,それだけ母姉たち に身心のゆとりがでぎてきたのか。奉仕という言葉も だれに対することなのかとも思う。 註① 日本美術華々員 村雲川合対談    角川新書:人生対談p.49.    この頃,西洋のピアノでもヴァイオリンでも3つ4つからやらなければものにならんといいますね。日本   の大工さんや左官さんのような人でも,昔は子供のときから鉋とぐことやら何から仕込まれて,ほんとうに   小さいときからやったものです。ところが大きくなってからでは駄目ですね。やつばりあなたのいっている   ように,若いときから鍛えなければ駄目だと思います。徒弟における,いわゆる仕込み教育であり,わが国   のけいこごとは,6年6月6日からはじめると上達が早いといわれていることも併せ考えてみたいq

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94 滋 大 紀 要 第  5  号 1 9 5 6  生徒自治会での申合せや決議はよくするが,実行す ることは少いとか,年少者の犯罪がふえることについ て,ある少年問題研究所が35市の少年について世論調 査をしたところによると,余りに甘やかしすぎるから だという声が,共に少年自身の口から出ているとい う。このような事例は私達に色々と反省の資料を与え るものと思う。問題は足もとにある。  自主的な学習態度を確立することは新教育のねらい ではあるが,6−3制の教育はもっともっと実験,観 察,実習をなし,心身を働かせなければならない仕組 になっている筈である。それを日本在来の教育理念で すましていこうとするところに問題がある。古い革袋 に新しい酒をもるわけで新制度をうけ入れる基盤が出 来て居らず,ましてその研究や準備態勢も全然ないと ころに突如として注入せられたのであったことも亦問 題であろう。  この際,折角のこの6−3制度を再思三省してこれが ねらうところについて,お互にもっと掘り下げてみる 点があるのではなかろうか。 4 「ブラジルに移住した日本人と証印入とが同じよう に農業をはじめた。日本入はその祖国の慣習で,旦 に霜をふんで出て夕には星をいただいて帰る勤勉ぶ りで次第に富を蓄積していった。之に反して独墨入 は,まず畑の土をとって之を研究所に委託し分析し てもらって,その土地に適する植物や耕作法を研究 した。栽培すべぎ植物や方法が決定して仕事を開始 すると,今度は組合を作って種子や肥料の共同購入 や作物の共同販売を始めた。かくて十数年の後,日 ;本人は依然として営々として鍬を肩にして働いてい るのに反し,独乙人は耕地も拡大し,宏荘な館にす み,自動車を駆って,文化の生活をするようになっ た①」と。 これは在米30年,墨型で成功した某氏の談話であ る。ここにわれわれ産業教育に携る者の深い反省を要 する問題があるのではないか。  今の若い人たちは「働かない」「動かない」「仕事 をせない」とよくいわれる。共同作業,部落の共働仕 事等に出てみてたしかに気づくことである。しかしこ れはその仕事のはこび方に対する先ぽい達の指導の方 法がまず問題になると思う。年も若くき『てんにょって 或は人々の顔色を考えて仕事をするまでにはいたらな い。その作業の意昧,範囲,手順等を理解し,尚,場 合によっては作業の計画,実施等を自主的に立案させ 同じ世代の人達同志に委任すれば,その作業は却って はかどるかも知れない。知ることとJ行ずることとが 一致するところに合理的な活動がある。  ルソーはエミールを「農夫のように働ぎ,哲学者の ように考える人間」に育てあげるといった。日本人移 民の作業にはそれがはなれていたところに十数年後に 大きな開きの出来た原因があると思う②。  われわれ日本入にはこのブラジル移民に必ずる勤労 観がやどっている③。人口が多いのに耕地がせまく, しかも機械化されにくい水田稲作農業であることの当 然の帰結でもあろうか。  しかし,すくなくともこれからの勤労態度はブラジ ルにおける日本移民のそれであってはならない。勤労 作業に対する生徒の理解と協力の上にたつ作業であれ ば,前にあげた中学生の感想も,もっとかわるかもし れない。要は指導のもっていき方である。しかしこれ はむずかしいことである。  ある教育学者は「児童中心といい,個性尊重といい, 生活中心といい乍ら児童の表面だけを眺め,生活の表 面だけをながめているきらいが必ずしもなくはない。 真の児童を把握し指導するためには,もっと教師は子 供を畏敬し,愛し,自己自身責任をもつて子供と共に くるしみ,子供と共に行ずることが大切である。そし て子供をしてよろこんで苦しみ,よろこんで問題を解 決するたくましき実践力を養ってやらなくてはならな 註① 産業教育,昭和27.4.1p.29.  ②職家教育の研究授業を参観する度にいつも思うことであるが,生徒達に「考えさせる……」ような「なが   れ」のある授業は少い。時間の制約と,もり澤山な内容のためか。従って教師中心になりやすい。   昭和29.9.20茶話リレー高橋    戦時から戦後にかけて素人百姓をはじめた。そこでまず畑に手をつける前に,あらゆる野茱栽培に関する参   考書をよみ,本にかいてある通り百姓をした。ところが附近のお百姓がびっくりするほどの好収獲となり,   逆にどうして作るときかれた。日本の農業もお百姓の経験は貴いし,努力されていることもわかるが,その上   にセオリーをとけこませるのが大切だ。  ③「つっかけゾウリでかけ出すのと,スパイクをはいて,しっかりひもを結んで走るとのちがいだ。つっかけゾ   ウリは一見走り出しは早いが,スパイクに間もなく追いぬかれてしまう」この形容どおりである。「句をつく   るより田を作れ」で日本人お互のまずしさのためかP他産業部面にも表れる日本人の通弊だ。

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中学校産業教育の課題(2)(塩見)

95 い。柔弱な口先きだけの苦労と努力を知らぬ生活は, 子供本来の生活でも要求でもない④」と。  それで特に子供をあまやかさないで,もっと自分で 苦しむ経験を与えてやることが必要であると思う⑤。 5  現代の世相は生活も仕事のやり方も勉強の仕方まで が一種の投機的心理状態の傾向をおびて,何事でも地 道に長期の設計をたて永続するということが,内的に も外的にもひどくむずかしくなってきた。このような 時代の流れは子供達を功利的,打算的な生活に追いや り,まじめな努力をつみかさねていくことからますま す遠ざかっていくような感がする①。  となりの申国では五愛教育といい,三好教育といっ て,その中にいずれも労働教育を重視している②。国 土の点からも,人口密度の点からも,国民の教育水準 からも,条件はひどくちがうので属すぐに比較判断す ることは出来ないが,あれだけの資源をもちながらじ いわりと下からつみあげていく地昧ないとなみは,日 本が今のような状態をつづける限り③,追いぬかれる ことは火をみるより明らかである。  中共,ソ連訪問日本学術視察団の座談会④の中で, 百聞は一見にしかずということわざがあるが,本など よんで研究するよりも直接行った方がよくわかると話 註④昭和30.4.1,滋賀教育,砂ill奇:今後の敦育のために  ⑤ いつの産業教育研究集会にでもとりあげられ討議きれる閥題の一つは「勤労愛好」ということである。産業   教育の中核的な課題は,けっきょく,これに集約されるのではないかと思う。参集会員の意見ではとても短   い期間においては勤労愛好とまではいけないから,せめて勤労をいとわない程度になればよい。それでがま   んせなければならないと思うといわれる。そのためには多少の抵抗,まきつもあるが教師の熱意,おしが必要   であるときえもいわれてきた。しかしこれには家庭の協力と,もっと早く小学校時代からはじめることが大切   であると思う。    学校教育法螺18条の小学校の目的のうちに「日常生活に必要な衣,食,住産業等について,粗骨的な理解と   技能を養う」ことが明示されて.これに基いて小学校には職業科という科Eはないが,社会科,理科,図画工:   作等において,つとめて職業に関する知識を教育すると共に,実際になすことによって手足を訓練している。  ①昭和30.5.21,朝Ei〃学芸”  ② 昭和30.9.1,世界,長田:私たちのみたソ迎と中国    教育の根本方針は,知育,徳育,体育,美育,更には労働教育をしている。徳育の方針は,祖国を愛するこ   と,人民を愛すること,労働を愛すること,科学を愛すること,公共財産を愛すること,これがいわゆる五愛   教育である。この外,中函では毛沢東の提案したあの「三好」すなわち身体を健康にし,学習にはげみ,工作   に身を入れること,これである。    昭和27.11.14,初等教育の出発点,内山,朝日,参照。    昭和30.10.20,ソ連のこどもたち,三園    先生たちや,おとながいつも注意することは「みんながよく学ぶように,そしてみんな働くことがすきにな   るように」ということです。工作室や読書室には,たとえば「何か自分でおぼえられたら,それを友だちに教   えなさい」「労働を愛しなさい。人間を偉大に,賢明にするのはみんな一しょになかよくやる労働にまさるも   のはない」とか。(以下略)  ③昭和3G.9.1中央公論桑原:生産交化と消費文化    ソ連と中国との文化のあり方は,一言でいえぼ生産交化といえるのではないか。    それに対して現代の日本は消費文化といえると思う。ソ連では国民のエネルギーが,資本か,生産のための   基本部門に使われる。これが文化の基本的な性格である。日本では何よりも個入消費に力をかけて計画生産   ということはない。「すべてよいことはこれを学び,すべてうまいものはこれを食う」という思想が支配的で   ある。「よいことだけれども学ばない。うまいものだけれど食わない」という思想こそ今の日本にとっては必   要だと思う」。現代の日本は消費文化の雄ではないか。何よりも個人消費に力点をかけている日本からみると   こわいくらいの感がした。国内をまわって新築をしているのは工場,発電所,地下鉄,アパート等つまり何ら   かの意味で再生産のためになるものに蓄積している。計画生産というのでもあるか,あらゆることに計画性が   あって,出たとこ勝負,その都度対策というような考え方ではない。個人と同じく国守あげて増産運動をして   いるという感がした。  ④昭和30.6.26朝日,学術視察団帰国座談会

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滋大紀要

鎗  5 号

i 9 5 6 した。ところがそれに対して経済学の副委員長さんが いうことに,「百見は一行動にしかず」と。要はいか に実行するかということだ。百聞しても買直しても実 行しなければ駄目だということであった。  このごろの教育はあまりにも口による,口先きだけ の教育といった感がする。それははなやかな教育であ る。これを更にもう一歩すすめて,いわゆる口八丁手 八了,そしてうで八丁の教育にならないかと思う⑤。  宮原誠一氏は「日本人と労働の教育⑥」の申で次の ようにいって居られる。「国民がたいはいしないで, 健康に生きていくためには,労働ということを人間の 教育の基本線として一本とおすことが大切である。こ の生産的労働を尊重する教育は,わが国では更に切実 な理由があり,わが国が経済的に自立し,完全に独立 するためには,国民の頭と手により,特に若い入たち の労働する能力であるから,生産的労働を尊重する教 育がしっかり行われているかどうかということは,国 民の未来にかかわる重大な問題である」と結んで居ら れる。  その生産的労働の根本は手八丁,うで八丁の教育で ある。そこには口舌の学のはなやかさはない。6−3制 の教育のねらいは,自分で考え自分で行動する力の乏 しい日本入に自主的な学習態度,生活態度を確立する ことにあると思う。その方法としては観察,実験,実 習による直観教育が中心をなすものであり,またこの 力法でなければ,学習意欲もおきてこないし,理解も されにくい子供達である。  よくいわれる「為すことによって学ぶ」職家教育の 指導方法は,また,中学校の全教科に通ずる学習方法 でなければならない。ひとり職家鼠だけの問題ではな い。どちらかといえば,この面の指導法を多分にもっ ているのが職家教育であるわけだ。このことを,全教 師,全生徒とも,もう一度ふりかえってみる必要があ る。  しかしこれには師弟同行のむずかしさがある。忙が しさがある。より骨折れることにもなるだろう。しか し,これでなければ折角6−3制をとり入れた意昧には ならない。各教科とも,もっともっと実験,実習,観 察,行動を中心にした指導がなければならぬ(しかし これには教科による差はある)。  そのためには教師も生徒も,もっともっと心身を働 かせなければならぬ。口先きだけのはなやかな教育で はない。地道な骨のおれるくるしい教育である。けっ きょく中学校の産業教育のねらいと相一致する。中学 校の産業教育を推進する道は他なし,折角全面的にう け入れたこの新制度をもりたてていくことにある。全 教科のこの線にそっての協力は勿論必要である。それ にはもう一度出発点にかえって6−3制の真意をよく研 究し反すうすることにある。要は6−3制の真意を十分 に理解研究して日々の指導を行うことが産業教育を推 進していく原動力になるということだ。  昔ながらの,いわゆる教育者の観念で教育すること では更にない。しかし,これには世の父兄たちも十分 に考え協力してもらい度い。 註⑤ 昭和30.1.31朝日,政策を中心にこう訴える,水田    第2の問題はわが国のこれからのあり方だが,やはり勤労福祉国家でなければいけない。人口も5∼6年のう   ちには一億になるが,この人口の多いことが貧乏の原因とならないよう,逆に世界に誇る富とするには,うま   く生産力に組織しなければならない。そのためには教育と社会保障制度の刷新が必要だ。とにかく今の教育   にはたましいが入っていないが,子供には少くとも孝行,勤勉,正直という三つの道徳を教えこまねばならな   い。また徒らに大学ばかりを作らずに実業教育にも力を入れよう……。(以下略)    昭和30.10.1中央公論,財界インタービュe一一,永野    一番大事な,一番むずかしい問題は,資源が乏しく領土がせまいところにこの過大な人口をようしているこ   とです。その上戦争で富は消耗しつくしより少くなった。とすれば働く以外にないじやないですか。これに   ついて形だけアメリカと同じ制度を取入れている。向うでは働くのが正味8時間,日本ではそれを私生活をは   なれて会社にいる時間と考えてるから正味8時間ではない。結局,日本の生きる道は,天はみずから助くるも   のを臨くるで,他力本願では駄口です。そういう意味から,日本人自身の力で立上ろうとすれば,みんなで力   を合せてはげましあい,働きあうことより外にはない。(以下略)  ⑥昭和29.2.1教育技術,p.13∼14.(30,10稿)

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