omni_eth_2015 : 2015/8/10(11:14) (3/176)
ま え が き
技術者の倫理は,時間と空間の変化とともにダイナミックに変化する。各専門技 術分野の倫理の場合,その変化はより顕著である。そして,時間と空間,それぞれ に二面性を有している。 まずは時間依存性について考えてみる。この場合の二面性の一つは,一つの技術 の発達に伴う倫理観自体,あるいは倫理教育自体の変容である。身近な例では,情 報倫理が挙げられる。数十年前までは,コンピュータやコンピュータネットワーク を利用するのは科学技術者であり,情報倫理や情報倫理教育は専門家の倫理であっ た。しかし,近年の IT 化社会においては,まさに小学生から始まる生涯教育の中 に組み入れられつつある。また,IT の派生技術から新たな倫理観や倫理教育の必要 性が生まれつつある。 もう一つの側面は,時間とともに成長し,役割が刻々と変化する技術者の倫理観 であり倫理教育である。例えば,技術者の昇進や職場の変化に伴う役割や責任の違 いであり,そこでは高度技術者としての新たな倫理観が必要になる。 次に,空間依存性をみる。どんなに交通網やインターネットが発達して世界が狭 くなっても,それぞれの国や文化圏,宗教圏には固有の倫理基盤がある。互いの文 化は尊重するが,倫理基盤が同化することはない。倫理基盤の違いは,倫理観の違 いを生む。その影響は,その地域の技術者の倫理観にも及ぶ。端的な例は,軍事技 術の開発に携わる技術者の倫理観や倫理教育の違いであろう。国によって,政情に よって,倫理観や倫理教育は大きく異なる。 空間依存性の別な側面は,技術者の活躍の場がグローバル化した点である。地球 環境問題を始めとする産業のグローバル化に伴い,技術者はその専門性を様々な国 や文化圏内で活かすことになる。国際プロジェクトが,その一例である。様々な国 の技術者が共同で技術開発や物の製造等に携わる機会は益々増え,その中で技術者 の倫理観の違いが露呈する。 このように,時空間に依存した倫理観を,「ダイナミック技術者倫理」と呼ぶ。し たがって,技術者倫理教育も,ダイナミックである必要がある。すなわち,時間や 歴史,環境に即応して変化するとともに,グローバルな視点に立った技術者倫理教 育が求められる。本書は,このダイナミック技術者倫理教育のための教科書として 構成されている。技術者あるいは将来の技術者が時空間の変化に伴い直面するであ ろう様々なジレンマ(葛藤)に対して,対抗性を持ち,より適切な決断を下せるよ うになるためのテキストである。使い方としては,教科書的な知識だけでなく,過omni_eth_2015 : 2015/8/10(11:14) (4/176) iv ま え が き 去の事例や仮想事例を調べ,仮想ジレンマを体験する技術者倫理演習の教材として の活用である。ダイナミック技術者倫理教育には,アクティブな演習が効果的と考 える。 また,本書は工学教育課程全体を視野に入れた,すなわち学科,専攻を横断的に 見渡した倫理教育 (EAC: Ethics Across the Curriculum) にも活用できるよう,工 学の専門分野を限定していない。むしろ,自らの専門分野以外の事例を通して,ジ レンマへの対抗性を持てるよう配慮した。本書は 2 部構成になっている。第 I 部は 技術者倫理の基礎であり,座学対象の章立てになっている。1 章が 1 回分(90 分) の講義内容に相当する。第 II 部は,専門分野を横断した事例が中心になっている。 まず,第 7 章で代表的な事件や仮想事例を取り上げ,その事例の把握,技術者の立 場とジレンマ,解決方法等について例示した。特に,「ギルベイン・ゴールド」や 「技術者の自律」では,DVD を活用して事例内容を把握するのが学習者にとって有 効である。 第 8 章では,技術者が直接かかわる事例の概要を紹介している。第 9 章では,技 術者が直接表には現れない事例を取り上げた。学習者は,これら第 8 章,第 9 章の 事例概要を参考にして,関心を持った事件の詳細な調査,技術者の立場とジレンマ の把握,解決に向けた方策の選定と意思決定までの演習を行うことを推奨する。ま た,少人数のグループで事例を選択し,同様の演習を行うのも効果的である。 本書の作成には,構想から既に 7 年も経過してしまった。この間,実際の科目 「技術者倫理」の講義や演習の中で使える教科書を目指し,編集委員会の中で議論 を重ね,内容を厳選していった。その結果が,本書である。 本書の執筆に参加して下さった方々,原稿を戴きながら諸般の事情で掲載できな かった執筆者の方々に,衷心よりお礼とお詫びを申し上げます。最後に,長きに渡 り本書の出版にご尽力下さった共立出版株式会社編集制作部の吉村修司氏に感謝の 意を表します。 2015年 8 月吉日 オムニバス技術者倫理研究会を代表して 室蘭工業大学 板倉賢一