日本の仏教の特徴と仏教の伝来
仏教の伝来
6 世紀百済の聖明王から欽明天皇に仏像と経典が伝えられた。『上宮聖徳法王帝説』 によれば538 年とされる(『日本書紀』では 552 年)。それ以前から多くの渡来人は個人 的に仏教を信仰していた① 崇仏論争
仏教の受容をめぐる争い (1) 崇仏派 蘇我氏(先進文化である仏教を積極的に導入したい考えから賛成) (2) 排仏派 物部氏(外来の神=仏を礼拝することによる在来の神々の怒りをおそれ反対) 蘇我氏が物部氏を滅ぼしたことで決着がついた② 蕃神(あだしくにのかみ)
当時の豪族たちは仏教の本質を理解しておらず「外国から来た神」「呪術の一種」と いう理解であり、五穀豊穣・一族繁栄・国家安泰・健康祈願という現世利益を仏(とい う神)に願った(これらは全て仏教でいうところの煩悩であり本来の仏教が理解されてい ない)③ 北方仏教(北伝仏教) 日本←朝鮮←中国←西域←インド
④ 大乗仏教
他者への慈悲を重視・在家も出家も関係なく全ての人が救われる vs 小乗仏教(上座部仏教)・・・自己の悟りを重視・出家して修行した人のみ (1) 大乗仏教では衆生を救える菩薩になるために修行する 利他行 慈悲の実践を通して他者の救済を重んじる (2) 在家の場合は六波羅蜜(日常における施しや精進)という徳目を実践する 持戒 じ か い (戒律を守る)・忍辱 にんにく (迫害や苦難を耐え忍ぶ)・布施 ふ せ (物や考えを与える) 精 進 しょうじん (努力 を続ける)・ 禅 定 ぜんじょう (精神を集中する)・智慧 ち え (一切が空であることを悟る) (3) すべての人が仏になりうる本性をもっている 一 切 衆 生 悉 いっさいしゅじょうしつ 有 う 仏 性 ぶっしょう 生きとし生けるものはすべて真理を悟る可能性(仏性)がある 仏教の伝来以前から、死者の霊を新旧に分けて祀る信仰があったので、仏教の信仰と 在来の神々の信仰との間には、対立や摩擦がほとんどなかった。死者は最初けがれた存 在であるが、のちには神になる。けがれた死者を仏教が祀ることで、仏教と在来の神々 との積極的な融合がはかられた仏教と無常観
仏教の説く無常感は日本人の人生観・死生観に深く影響
日本人は、西洋思想のように自然を対象と捉えず、人間と一体のものと捉えてきた。 移り変わる四季・自然のなかに、変化・消滅していくという無常観が重なり、さらに「お のずからなる」のあり方として受け入れられ、花鳥風月を愛でる心も形成されていった。 (1) 西 行 平安末期・武士から隠遁して花鳥風月の世界へ・『山家集』「ねがはくは 花のしたに て春死なんそのきさらぎの望月の頃」(2) 鴨 長明 鎌倉初期・世の無常を感じて出家・『方丈記』「ゆく河の流れは絶えずして、しかもも との水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりた るためしなし。」 (3) 吉田兼好 鎌倉末期・神官の家に生まれ武士から出家・『徒然草』 「つれづれなるままに・・・いかにもののあはれもなからむ。世はさだめなきこそ、 いみじけれ」世の中は無常であるからこそ「あはれ」(ああ!と嘆息が出るほどの感動) も「いみじ」(普通ではない。すばらしい。)もあるのである。 (4) 世阿弥 室町時代・能楽の大成者・能の美的価値は幽玄・『風姿花伝』(花伝書) 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。」 能の美しさはすべてを表現するのではなく、秘められた表現こそ良い。 (5) 千利休 安土桃山時代・村田珠光(室町時代)が創始した「わび茶」を茶道として大成・わび(簡 素・枯淡・閑寂)=物質的 (6) 松尾芭蕉 江戸前期・俳諧・さび(ひっそり・淋しい)=心情的 (7) 生花や水墨画、枯山水の庭園などにも簡素で切りつめられた日本人の美意識が見ら れる。 (8) 無常観は武士道の成立にも大きな影響を与えた。常に死と隣り合わせの武士にとっ て、死に対する心構え(覚悟)が要求される。
仏教伝来の当初、仏は「蕃神」とも呼ばれた。これは外国の神という意味である。当時、 仏を蕃神と呼んで、それを信仰することに反対する人々もあった。それらの人々が反対した 理由として最も適当なものを、次の①∼④のうちから一つ選べ。 [2010・センター・追試験・改] ① 仏には、在来の神々のように恩恵だけをもたらす力がないから。 ② 外国の神を受け入れるのは、在来の絶対神との契約に背くから。 ③ 外国の神を敬うのは、在来の神々の怒りを呼ぶおそれがあるから。 ④ 仏を在来の神々と同列に扱うのは、仏の怒りを招くおそれがあるから。 芸道における美意識のあり方として,「わび」や「さび」がある。「わび」もしくは「さび」 についての説明として最も適当なものを,次の①∼④のうちから一つ選べ。 [2007・センター・追試験] ① 世阿弥は能に「わび」の精神を取り入れた。その結果,表現を徹底的に切りつめる ことが至上の美しさを生むという考えが能に定着した。 ② 千利休が創始した茶道は,村田珠光によって「わび茶」として大成された。「わび茶」 の理想は,簡素さにおいて一期一会の茶をもてなすことであった。 ③ 松尾芭蕉は,新たな俳諧の道を切り開こうとして,旅に生きた。その結果,内面的 な 閑 寂 かんじゃく さとしての「さび」の境地が獲得された。 ④ 与謝野晶子は「さび」を男女間の静かな情熱として肯定的に捉え直し,和歌に詠ん だ。それにより歌道の新境地が開かれた。
以下の文章を読み、設問abc にそれぞれ答えなさい。 [1998・センター・追試験] 慌ただしく過ぎる日々の生を,日頃我々はほとんど意識的に捉え返すことがないのではな いだろうか。ここでは,仏教を手掛かりに,過去の日本人がそれに対してどのように考え, それとどのように向き合おうとしていたのかを見てみよう。 仏教は,この世は(a)無常であると説く。聖徳太子の言葉として知られる「世間虚仮,唯 仏是真」は,その端的な表現と見ることができるだろう。しかしこのことは,仏教がこの世 での生の意義を否定し,そこから逃避したことを意味するわけではない。空海によれば,宇 宙の真実は大日如来として形象化される神秘的な生命力であり,眼前のあらゆる事物事象に も,そうした真実が満ち溢(あふ)れているとされる。そして人は欲望や快楽に溺(おぼ)れる 生活から脱し,三密の修行によることで,この世にあってそのまま真実に融合・一体化した 生き方ができるという。また道元は坐禅を重んじたが,同時に,寺院における食事や洗面・ 清掃といった日常的行為も,そのすべてが坐禅に通じる修行であるとした。彼によれば,そ うした修行の実践において,眼前のありのままの世界がそのまま悟りの世界となるという。 こうした彼らの思想は,「世はさだめなきこそ,いみじけれ」とし,移りゆくもののなか に積極的に美を見いだした吉田兼好の態度にも通じるものがある。また,日常の行(ぎよう) 住(じゆう)坐(ざ)臥(が)それ自体を厳しい修行と捉え,眼前の世界がそのまま悟りの場だと する禅の考えは,武士の生き方をはじめ,芸能・芸術などさまざまな分野にも大きな影響を 与えた。たとえば,一つ一つの立居振舞いに虚飾のない美を求める能や茶道のあり方に,そ れを窺(うかが)うことができるだろう。また, b とする枯山水や水墨画,あるいは華道 にも,その影響を認めることができる。 ここに共通して見られるのは,この世を無常なものだとしながらも,同時に,移ろいゆく この世をありのままにあらしめている働きそれ自体を,真実と捉えようとする思考だといえ よう。江戸時代の禅僧良寛に「形見とて 何残すらむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ 葉」という歌がある。彼もまた,四季の移ろいという眼前のありのままの姿のうちに,そう した働きを見すえようとしたといえるだろう。 不確かに見える眼前の今・ここでの生を,(c)無常の認識に基づいて真(しん)摯(し)に生 きようとしたこうした彼らの思索から,今なお学ぶべきことは多い。
問a 下線部(a)に関して,ゴータマ・ブッダの悟ったとされる「諸行無常」を説明した記述 として最も適当なものを,次の①∼④のうちから一つ選べ。 ① この世のあらゆるものには固有の本性があり,絶えざる変化・生滅はそれにより必 然的に生み出される。 ② この世のあらゆるものには固有の本性がなく,絶えざる変化・生滅はすべて仏の意 志により生み出される。 ③ この世のあらゆるものは,その生起に一定の原因・条件があり,絶えず変化・生滅 し,とどまることがない。 ④ この世のあらゆるものは,その生起に一切の原因・条件がなく,自然に変化・生滅 し,とどまることがない。 問b 本文の趣旨に照らして, b に入れるのに最も適当なものを,次の①∼④のうちか ら一つ選べ。 ① 自然の簡素できりつめた表現のうちに,美や悟りの世界を表そう ② 自然のリアルで忠実な表現のうちに,美や悟りの世界を表そう ③ 自然の豪(ごう)奢(しや)で華麗な表現のうちに,浄土の姿や仏の救いを示そう ④ 自然の繊細で簡潔な表現のうちに,浄土の姿や仏の救いを示そう
問c 本文の趣旨に照らして,下線部(c)に関する記述として最も適当なものを,次の①∼④ のうちから一つ選べ。 ① 無常なこの世において,この身のまま成仏できるとした空海によれば,人は修行を 介することなく,万物の創造者たる仏をひたすら信じることによって,秘められた真 実に触れることができるとされる。 ② 行住坐臥における厳しい自己錬磨を求めた道元によれば,坐禅の修行の励行と戒律 の厳格な遵守によって,無常というこの世の現実を否定し,彼岸の真実に触れること ができるとされる。 ③ 吉田兼好の言葉には,この世に生きる人にとって,定めなく移ろいゆく自然に美を 見いだす美的観照の立場のみが,無常の苛(か)酷(こく)さを忘却し,そこから逃れる道 だとする彼の思索が見られる。 ④ 良寛の歌には,無常なこの世にはかなさを感じつつも,四季の移ろいという眼前の ありのままの姿に随順し,無常なる自己に徹することが,真実の生き方であるとする 彼の思索が見られる。 以下の文章を読んで、 に当てはまる記述として最も適当なものを、①∼④のうちか ら一つ選べ。 [2012・センター・本試験] 現代の人々が心の拠り所を見失いつつあると言われるようになって久しいが、日本の人々 は古来、様々な仕方で生きる 縁よすがを見出してきた。日本の思想史において、人々がどのよう に生き方の指針を見出し、心の安らぎを得てきたか、言いかえれば、日本人の「安心」のあ りかの軌跡を振り返ってみよう。 古代の人々は、八百万の神々にみられるアニミズムの世界の中に息づいていた。彼らは、 これらの神々とともにこの世を生き、隠しごとがなく純粋であることを望ましい生き方とみ なし、そこに心の安らぎを見出していたのである。とはいえ、神々との関わりが常に幸いも たらすとみなされていたのではなかった。人々は、災厄などの納得し難い現象の背後にもな
お神々の働きをみていた。古代の日本人の生き方に着目した本居宣長によれば、死もまた「せ むかたなき」事象として受容すべきものであったという。 平安後期以降は、浄土教思想の隆盛に伴い、阿弥陀仏の住む極楽浄土への往生を期するこ とが安心の主流をなしたが、とりわけ臨終の際には、心穏やかに念仏を称となえ、 聖しょう衆じゅの来迎 にあずかりことが、確かな往生の証とされた。もっとも、この世を生きる自己が抱える様々 な苦悩や儘ままならなさは解消したわけではなかったが、それらは前世からの自らの「業(宿業)」 が招いた結果と受け止められもした。思想的な立場は異なるが、近世の「天」や「天道」の 観念にも、果たすべき使命や役割だけでなく、思い通りにならない我が身のありようを「天 命」の一端と捉え、それに従うことのうちにこそ、安心はあるという内容をみてとることが できる。 明治期に入ると、西洋近代の学問を学んだ啓蒙思想家たちは、これらの超越的な諸観念は、 実証に堪えず、それゆえ生の拠り所とするには足りないとみなす傾向があった。福沢諭吉が 『学問のすゝめ』で、「信の世界に偽詐 ぎ さ 多し」と述べたのはその代表的な例である。また、 中江兆民は、余命一年半の宣告を受けた後、唯物論の立場から、神仏的な観念に拠らずに死 を受け容れるべきことを説いた。これは、近代以前とは異なる安心のかたちを示したものと も言えよう。 このように見てくると、安心をめぐる思索は、時代や思想的な立場によって様々に展開さ れてきたが、 と言えよう。 ① 安心のあり方は、死後の世界や死の受け止め方よりも、物質文明に基づくこの世の 生の充実に関わってきたことから、現代の私たちが心の拠り所を問うに際しても、超 越的な観念に拠らない文明観の確立こそが肝要である。 ② 安心のあり方は、この世の生のあり方だけではなく、死後の世界や死の受け止め方 にも関わってきたことから、現代の私たちが心の拠り所を問うに際しても、生と死の 意味をいかに捉えるかという死生観の確立こそが肝要である。 ③ 安心のあり方は、物質文明とは関わりなく、人間が自然の中でいかに心の安らぎを 見出すかに関わってきたことから、現代の私たちが心の拠り所を問うに際しても、人 間とは対立しない自然観の確立こそが肝要である。