Ⅰ.はじめに
現在,高校「公民科」の科目「現代社会」や「政 治・経済」では,「現代の民主政治と政治参加の意義」 や「民主政治の基本原理と日本国憲法」の学習内容と して,『大日本帝国憲法』と『日本国憲法』を対比的 に取り上げる等,明治〜昭和 20 年の政治史学習を行 うのが常である。1) 問題は,これに対し,同時期の経済史学習が全く行 われない点である。現状では,昭和 20 年の終戦後以 降の学習しか実施されていない。本稿では,それを改 めると共に,「直接金融,間接金融」について,明治 期以降の日本の金融システム史の変遷過程の学習を通 して考察できる教育内容の開発を試みた。2)紙幅の関 係より,本稿では明治期の教育内容開発に留まる。依 拠した理論は,星岳雄と A・ カシャプの枠組である3) (表 1 参照)。その特徴は,19 世紀後半(明治維新)〜 現在の日本の金融システム体制に大別し,「主な家計 金融資産」,「主な企業の外部資金調達方法」等の共通 の観点から比較分析し,各期の特徴を解明した点にあ る。なお近時,寺西重郎が,戦前期日本の金融システ ムに関する詳細な研究を発表した。従って,寺西の研 究成果も参照した。4) 星 ・ カシャプの枠組によれば,日本の金融システム は,以下の 3 期の「歴史的変遷」過程として説明でき る。5) 1.【第 1 期】明治維新〜 1937 年以前 【第 1 期】は,新株と債券の発行による資金調達が, 企業の外部資金の主な調達源泉である。その理由は, 第 1 に,明治維新以降の企業創設期は,多くの企業が 小規模で,創業時の株主に多額の資金を頼ったこと。 第 2 に,1880 年代に株式取引所が開設されたが,社債 市場は 20 世紀初頭に整備。ゆえに,「株式による資金 調達が銀行借入や社債発行よりも重要」6)であった。 第 3 に,収益率の高さに魅かれた富裕層が,貯蓄の大 部分を株式や債券で保有したこと。第 4 は,順調に成 長した大企業が,資本市場で優良な借り手としての評 価を確立したため,銀行のモニタリングを必要とせず, 「間接金融」よりも「直接金融」を選好したことであ る。なお,銀行の収益性は,「間接金融」が少なかっ たが,極めて高かった。その理由は,「株式担保金融」 として,株式発行時の払込資金の個人向け貸付が多 かったことや,積極的な株式会社の社債引受の実施等 による。7) 2.【第 2 期】1937 〜 1990 年代前半 【第 2 期】の始期は,日中戦争勃発後の戦争遂行の ための経済統制である。一連の法改正で,株主は一定 額の配当を受取る存在に貶められた。その結果,民間 金融資産に占める証券保有割合は低下し,銀行預金が 増加した。特に,戦時の強制貯蓄により,民間資金は 銀行に集中したが,銀行の企業部門への貸出の多くが, 政府により強制された軍需会社への融資に偏向した。 戦後,政府の戦時補償切捨政策の結果,ほとんどの 企業が債務超過に陥った。その結果,株式や社債発行日本金融システム史に基づく
高校「公民科」経済学習の
教育内容開発(1)
─近代経済史(明治期)の教材化─
The Journal of Economic Education No.31, September, 2012Development Teaching Contents of the High School Civics Economic Lesson Practice Based on the History of Corporate Financing and Governance in Japan (1) :
In the Case of the Japanese Modern Economic History (in the Meiji era)
Matsui, Katsuyuki 松井 克行(大阪府立旭高等学校) 表 1 日本の金融システムの変遷 時期 主な家計金融資産 主な企業の外部資金調達方法 主な特徴 (1)【第 1 期】 明治維新〜 1937 年以前 証券 特に株式 「直接金融」中心 証券が極めて重要 (2)【第 2 期】 1937 〜 1990 年 代前半 預金 「間接金融」中心 銀行優位 (3)【第 3 期】 1990 年代後半〜 現在 預金 「 間 接 金 融 」 と 「直接金融」の併 存 市場中心 星岳雄,A・ カシャプ(鯉渕賢訳)『日本金融システム進化論』 日本経済新聞社,2006 年,p.419 の表「金融システムの変遷プ ロセス」を,筆者が一部改変した。本稿では,網掛け部分の時 期に関する教材化を試みた
による「直接金融」中心の資金調達システムは復活せ ず,政府主導の下で銀行が,ほとんどの大企業の再編 を主導した。この金融システムは,戦時期と占領期に 出現し,高度成長期に完成した。旧財閥系の銀行が, 産業資金の重要な供給者となり(「間接金融」),銀行 を中心に 6 大企業集団が形成された。銀行は,個人貯 蓄の主要な預け先でもあり続け,社債 ・ 株式市場の役 割は限定された。 しかし,1970 年代の 2 度の石油危機を経て,先進国 で金融自由化が進展。日本でも社債市場の自由化 (1983 〜 9 年)により,大企業の多くが社債市場での 資金調達を開始(株式よりも転換社債や新株引受権付 のワラント債の引受手数料の方が割安等のため)。銀 行は新しい借り手を求め,中小企業融資と不動産業融 資を増大させた結果,1991 年の「バブル崩壊」以降, 多額の不良債権により経営を悪化させた(銀行危機)。 3.【第 3 期】1990 年代後半〜現在 1990 年代後半に深刻化した銀行危機の解決策が, 歪んだ金融自由化是正のための金融システムの完全自 由化(ビッグバン)であった(1996 年 11 月〜 2001 年 3 月)。 日本版ビッグバンは,1970 年代後半以降の緩慢な 金融自由化の総仕上げであった。ビッグバン後,銀行 は統合と再編に邁進した。これは業務分野の規制によ る分断の打破と,自由化後のグローバル競争で生き残 るための自己資本の増加のためであった。 現在の日本は相変わらず,米国に比し,現金 ・ 預金 に偏った資金保有構造である。星 ・ カシャプは,2005 年 12 月の統計より,「株式や投資信託の割合が着実に 増えてきていることがわかる。2005 年からの株式市 場の好調を受けて,この動きが加速される可能性は高 いと思われる」8)と述べたが,リーマン危機(2008 年)以降の景気後退により,見通しは大きく外れてい る。9)
Ⅱ.日本金融システム史に基づく高校「公
民科」経済学習の授業開発例─単元
「金融システム変遷の視点から学ぶ日本
近現代経済史」(全 5 時限)
1.単元設定の趣旨 明治〜平成の日本近現代経済史を金融システム変遷 の観点から統一的に説明し,日本近現代の政治史と経 済史の知識を関連付け,理解する視座を与える。「間 接金融」,「直接金融」等の金融システムは,歴史や政 治的状況との関連で,システムは時に進化し,退化す る(それゆえ,単元名をシステムの発展ではなく変遷 とした)。 2.単元指導計画(網掛け部分が,本稿での開 発部分) 時 主な学習内容 第 一 時 市場中心の金融システム(「直接金融」)の確立。 【第 1 期】① 1867 〜 1912 年(明治期)…市場中心の 金融システム整備期。新貨条例,国立銀行条例,松 方財政(松方デフレ),第一次企業勃興(1886 〜 9 年), 1890 年恐慌,第二次企業勃興(1895 〜 9 年), 金本位制確立(1897 年),金融恐慌(1900 〜 1 年), 第三次企業勃興(1905 〜 6 年),戦後恐慌(1907 〜 8 年),株式担保金融の評価。 第 二 時 ② 1912 年(大正期)〜 1937 年 9 月(国民精神総動 員運動,「臨時資金調整法」公布及び部分的施行)… 頻発する外的危機への対応による市場中心金融シス テムの進化期。大戦景気(1915 〜 8 年),金融恐慌 (1927 年),昭和恐慌(1930 年),高橋財政(1931 〜 6 年)。日中戦争勃発(1937 年 7 月)。 第 三 時 資本市場中心(「直接金融」)から銀行優位のシステ ム(「間接金融」)への転換。 【第 2 期】① 1937 〜 1945 年(戦時金融統制)…政府 主導による転換。 軍需会社指定金融機関制度(1944 〜 5 年),家計では 銀行預金が証券より重要に(例 : 強制貯蓄,株主の権 利制限)。② 1945 〜 52 年(占領期)…銀行の地位強 化。③ 1952 〜 73 年(高度経済成長期)…銀行中心 に企業の系列化。銀行借入(「間接金融」)以外の資 金調達手段を政府が制限。護送船団方式。 第 四 時 ④ 1973 〜 96 年(高度経済成長の終焉〜ビッグバン 宣言)…金融自由化(政府の規制緩和)。債券発行に よる資金調達が著しく増大,銀行借入の重要度の相 対的に低下。外債市場による資金調達の拡大。 第 五 時 銀行優位(「間接金融」)から資本市場中心のシステ ム(「直接金融」)への再転換。 【第 3 期】 企業の資金調達は市場中心へ。家計は貯 蓄重視から証券・債券購入重視に移行するか? ①銀行危機と金融ビッグバンの実施(1996 〜 2001 年)。1998 〜 9 年の銀行危機,1998 〜 2001 年の金融 ビッグバン実施による金融自由化の完結と経済のグ ローバル化。系列枠組を超えた銀行統合。1998 年, 金融再生法,金融早期健全化法。②世界金融危機と 日本(2002 年〜)…リーマン ・ ショック(2008 年), ギリシア債務危機(2010 年〜)。 3.単元目標 ①日本近現代経済史の学習を通して,既習の経済学の 考え方が歴史的事象の中で活用され,また様々な歴 史的事象を経済学の考え方で説明できることを学ぶ。 ②統計資料を活用し,経済の実態を確認し,その実態 を理論(経済学の概念や考え方)に基づき説明でき る。 ③学習を通して,国内 ・ 国際の政治 ・ 経済的知識を総合させて,社会的事象を理解することの重要性を学 ぶ。 4.第 1 時(「明治期」)の単元内容 A:「国立銀行」の設立 江戸期の金融システムは,かなり発達していたが, 先進国に存在した,商業銀行,株式会社,証券取引所 等の制度を欠いていた。そこで明治新政府は,殖産興 業の一環として,これらの制度創設を急いだ。 1871 年,明治政府は「新貨条例」を公布。日本の 貨幣制度を世界的水準に合わせるため,両分朱を廃止 し円銭厘体系を採用した。なお,この時,「金本位を たてまえ」としたが,政府保有の金貨不足のため「実 際には開港場では銀貨が,国内では紙幣が主として用 いられた。また翌年には,維新直後に発行した太政官 札などと引き換えるため,新たな政府紙幣を発行して 紙幣の統一を進めたが,これは金貨や銀貨と交換でき ない不換紙幣であった」。10)特に貿易で使用された銀 貨は,貿易銀(1 円銀貨)と呼ばれ,国内でも私的取 引に限り通用していたので,事実上の「金銀複本位 制」11)であった(1878 年 5 月,政府は貿易銀の国内一 般通用を許可)。12) 表 2 「国立銀行設立状況」 年 行数 1873 明治 6 2 1874 明治 7 4 1875 明治 8 4 1876 明治 9 6 1877 明治 10 27 1878 明治 11 95 1879 明治 12 153 1880 明治 13 153 1881 明治 14 148 山川出版社『詳説日本史図録第四版』2010 年,p.207 図 5-1 (朝倉孝吉『明治前期日本金融構造史』岩波書店,1961 年から 転載) 政府は,兌換銀行券発行のため,民間活力を利用す べく,1872 年 11 月,「国立銀行条例」を公布。なお, 「国立」とは国法に基づく設立の意味で,国営を意味 せず,株式会社形態を採った。米国の制度に倣い,発 行銀行券の正貨兌換(金との交換)を義務付けた。 1873 年 7 月,第一国立銀行が開業。だが,法定準備金 として資本金の 40%(発行紙幣の 2/3)13)を金で保有 というルールが,銀行の発券能力を制約。さらに当時, 輸入は正貨(金)で支払われたため,輸入業者は国立 銀行券を金と兌換し,銀行の法定準備金を流出させ た。14)さらに,1873 年頃から世界的に金に対する銀価 格低下のため,外国人が大量の銀貨を金貨に交換し, 金流出に拍車をかけた。15) 国立銀行の設立が伸び悩んだため(75 年時で 4 行) (表 2「国立銀行設立状況」参照),政府は,1876 年 8 月,「国立銀行条例」を改正し,法定準備金を資本金 の 20%(発行紙幣の 1/4)16)に引下げ,金の他,政府 紙幣の準備金算入を認めた。兌換紙幣の発行義務解除 により,銀行経営の魅力が増し,銀行設立ブーム (1877 〜 9 年)が起きた。政府は,国立銀行券の発行 額上限を資本金の 80%と決定し,国立銀行増加によ る通貨供給体制の確立をめざした。1879 年 11 月,京 都の第百五十三国立銀行の設立認可により,全行の資 本金合計が,大蔵卿,大隈重信が想定した国立銀行の 資本金上限の 4 千万円を超えたため,認可を打切っ た」。17) 1877 年 1 月,銀行設立ブームの中で西南戦争が勃発 (〜9月)。政府は,戦費調達のため2700万円の不換紙 幣を発行し,1500 万円を大阪の第五銀行から借入れ た。18)その結果,激しいインフレを引き起こし,1877 年〜 81 年の間に物価は 2 倍近くに上昇した。19) 西南戦争の翌 1878 年 5 月,東京株式取引所,6 月, 大阪株式取引所が,各々株式会社として設立。江戸時 代の米市場や商品市場の慣習を受け継ぎ,日本の証券 市場は独自の発展を遂げた。なお社債市場の発達は 1890 年の商法制定以降で,それまでは政府発行債券 の取引が中心であった。20) 国立銀行以外の金融企業では,1876 年 7 月,初の私 立銀行(紙幣発行権なき銀行)として,三井銀行が開 業。その後,79 年 11 月の国立銀行の設立認可打切り 後,私立銀行数は増加。80 年 2 月には,特殊銀行(資 本金 3 百万円の 1/3 を政府出資)の横浜正金銀行が設 立。当初は金銀貨幣の供給,後に外国為替の取扱を目 的とした。21) B:松方財政(松方デフレ)(1881 〜 1892 年) 1881 年 10 月,松方正義が大蔵卿に就任。「明治 14 年の政変」での前任者,大隈重信の失脚による。大隈 は,インフレの原因を,紙幣過剰ではなく輸入超過に よる銀貨不足と捉え,短期的対策として,政府所有銀 貨の市中売却等で銀貨騰貴を抑制。長期的には殖産興 業による輸出奨励政策を採用。だがインフレの進行で 政府歳入が目減りしたため,1880 年 5 月,5 千万円の 外債発行を提案。だが,「物価が上がれば税収が目減 りするという地租制度の下では,政府歳入は右肩下が りに減少し続け,外債償還の目途が立たない」22)ため
否決された。 一方,松方は,「紙幣価値の下落は不換紙幣の発行 にあるとの現状認識を前提に,一方で政府紙幣の消却 をすすめ,他方で準備金の運用で正貨の蓄積をすすめ, 紙幣価値が回復したところで,中央銀行が兌換銀行券 を発行するというものであった」。23)1882 年 10 月,中 央銀行として日本銀行が開設。1883 年 5 月,「国立銀 行条例」改正で,営業期限 20 年満了後,国立銀行は 普通銀行に転換か閉鎖と決し,1884 年,「兌換銀行券 条例」公布で,日本銀行のみが兌換銀行券を発行可能 と決し,85 年 5 月,発行開始。銀本位制が確立した。 C:第一次企業勃興(1886 〜 89 年) 「第一次企業勃興」=会社設立ブームの背景には, 松方財政による物価安定や,低賃金で労働力を供給す る労働者層の形成,低利子率での資金供給体制確立の 他,国際的な銀価格下落(各国の金本位制移行と銀生 産量急増)による輸出拡大があった。 ブームの主導産業は,紡績業と鉄道業であった。紡 績業では,ブーム前の 1883 年,日本初の大規模紡績 会社として大阪紡績が開業。同社は,「規模の経済」 を発揮すべく,紡錘数 1 万超規模で,24 時間操業を行 うため,エジソンが 1879 年に発明した電灯を導入し た。24) 鉄道業では,1886 年に 16 社,1890 年頃までに 50 社 近くが設立。「これらはいずれも,民間の株式会社で, 何人かの発起人が集まって会社設立を計画し,株式の 募集を行い,資金を集めるというものです。…略…幕 末以来の農村部を中心とした経済発展の結果蓄積され ていた資金が,有利な投資環境のもとで一挙に顕在化 したものと言えると思います。鉄道は,1886 年から 1893 年の鉱工業運輸部門会社資本金(公称)増加額 1 億 2382 万円の 41%を占めていました…略…綿紡績業 もめざましい発展でした。明治 16 年(1883 年)開業 の大阪紡績(現,東洋紡)の成功に刺激され, …略… 今日まで名前を知られている紡績会社が次々に設立さ れたのです。…略…紡績は倉敷紡績などを除くと,都 市の木綿関係の商人の出資が多かったようです」。25) だが,1890 年恐慌でブームは終了。高校「日本史 B」の教科書に,「ブームは,株式への払込みが集中 し,金融機関の資金が不足して,前年の凶作と生糸輸 出の半減も加わって挫折した(1890 年恐慌)」26)と記 されているように,1890 年 1 月,株価が暴落し,恐慌 が発生した。 恐慌の原因である「株式への払込み」について詳説 する。「当時の『株式会社』は,設立時に株式の一部 払込で発足し,年を追って未払込分の追加払込をおこ なう資本調達方式をとっていた」27)ため,設立時払込 が少額で会社設立が容易だった。28)だが,株主にとっ て,数年以内に払込むべき追加資金の調達は必ずしも 容易ではない。企業設立ブーム開始後ほどなく,追加 払込の資金需要が急増し,株主は,一部払込株式を担 保に銀行から資金調達した(株式担保金融)。だが, 1889 年末時の銀行の資金供給力は過少で,紡績工場 や鉄道線路の建設が進むにつれて追加払込需要の増加 で,金融市場は逼迫。第一次企業勃興は,金利高騰の 中で崩壊した。 さらに 1889 年の米穀の凶作(前 3 年平均の約 3 割 減)が,米価高騰と米穀輸入超過を招き,貿易決済資 金需要を増大させ,金融市場を圧迫した。なお生糸輸 出半減の原因は,1890 年 6 月の米国「シャーマン購銀 法」制定による一時的な銀貨騰貴と同年後半の世界恐 慌による。29)生糸の主要輸出先が米国だったからであ る。当初はフランス向け輸出が多かったが,1870 年 代の輸送路開設で,米国向けが増え,1884 年以降, 50%超を占めた。30)なお,「日本の生糸はアメリカ市 場において靴下,ハンカチ,スカーフ,ブラウス, シャツなどの製品に加工されていたが,これらは生活 必需品ではなかった」31)ため,米国の経済状況が,輸 出の増減を左右した。 なお,前述の「株式担保金融」の評価をめぐる論争 がある。伝統的見解として,石井寛治は,民間銀行が 資金を,株主を通じ,株式会社に貸付ける点に着目し, これを「間接金融」と見做す。32)これに対し,星 ・ カ シャプは,「直接金融」と「間接金融」の企業支配上 の性質の違いに着目し,「間接金融」の場合は,銀行 は有力な債権者として権利行使できるが,「株式担保 金融」の場合は,たとえ株主が銀行から資金を借用し ても支配権を行使するのは株主だから「直接金融」と 捉えるべきと主張している。33)さらに,星 ・ カシャプ は,藤野正三郎 ・ 寺西重郎の分析より,34)1891 〜 97 年 の国立銀行の主要な借り手(60 〜 70%)が個人で, 企業向けが 9%であることを根拠に,「銀行が個人に 積極的に資金を提供していたという事実は戦後の資金 調達パターンと顕著な対照」35)をなすと述べた。さら に 2005 年,日本銀行金融研究所で,石井(「間接金 融」派)と,岡崎哲二,寺西(「直接金融」派)らの 討論が行われた。 特筆すべきが,「株式担保金融」を「直接金融」か 「間接金融」か,という単純な図式で捉えるべきでは ない,という新たな見方である。例えば石井は,「株
式担保金融は,企業サイドからみると株式形態での資 金調達であり直接金融といえるが,資金運用サイドか らみると銀行を経由する資金に支えられた一種の間接 金融と考えられ,二面的な性格を有していた。直接金 融と間接金融の関連を解明することが重要である」36) と指摘する。 上記の議論は,高校生向けの教材としても有効と考 えられる。教科書では,自明の概念として扱われてい る「直接金融,間接金融」を,「株式担保金融」の位 置付けを評価する過程で,問い直すことができるから である なお,明治期の金融システムの実態を示す資料とし て,表 3「民間非金融部門の負債残高の構成比」を示 す。民間非企業部門には,大企業に加え,農業や在来 的商工業などの個人,家族主産組織,家計部門を含む。 表 3 から,民間非金融部門の資金調達では,「直接金 融」の株式よりも「間接金融」の借入金が多いことが わかる。 表 4(「主要企業の資金調達」より,大企業部門の資 金調達は,「直接金融」の株式や社債の割合が高く, 「間接金融」の銀行借入金の割合は低い。 以上の統計は,「優良な大企業ほど,資本市場を通 じた資金調達を用いる傾向にある」37)ことを示す。大 企業にとって,「市場を通じた資金調達は,モニタリ ングに資源を使う必要がない分だけ安くすむ」。38)ま た,戦前(明治〜昭和前期)は「戦後期に比べて,銀 行が借り手企業の問題にあまり介入しなかったため, 企業統治も,銀行より大株主が積極的に経営を監視し ていた。39) なお,1890 年,大阪鉄道が,日本初の社債を発行。 「鉄道会社の社債は,90 年代を通じて,社債全体のほ ぼ 2 分の 1 を占め,事実上この期における日本の社債 を代表する地位にあった」。40)但し,当時の社債は所 有者名記載義務のため,投資家の人気は薄く,1899 年の商法改正による無記名債許可以降,債券市場が発 達した。41) D:日清戦争後の第二次企業勃興(1895 〜 99 年) 政府は,日清戦争で得た賠償金2億3千万テール(3 億 5600 万円)を基に財政拡張政策を実施(「日清戦後 経営」)。重工業,電力,機械産業等への民間投資も活 発化。 1896 年 9 月,松方正義が首相就任(蔵相兼任)。 1897 年,「貨幣法」制定で,日本は金本位制に移行し た(賠償金を活用)。では,「なぜ,日本は,銀本位制 から金本位制へ移行したのか」。解答例として,前述 の「日本史」教科書には,「当時は,金に対する銀の 価値が低下し続けていたため,銀本位制をとっている ことは,欧米の金本位国への輸出を増やし,輸入を減 らす効果を持った。しかし,金銀相場の変動で貿易関 係が不安定になる一方,金本位制国からの資本輸入の 点では不利であったため,欧米なみの金本位制が望ま れていた」42)とある。では,金本位制導入による影響 とは。寺本益英は,「銀本位制下の経済発展下の経済 発展にブレーキをかけてしまった」43)と述べる。理由 表 3 「民間非金融部門の負債(残高構成比の期間平均値,%)」 (西暦年) 株式 社債 借入金 出資金 コールその他 借入金の株式・出資金に対する比率 1886 〜 90 24.7 0.0 71.1 0.0 4.1 3.18 1891 〜 95 38.4 0.0 59.2 2.4 0.0 1.55 1896 〜 1900 35.3 5.1 57.8 1.6 0.2 1.43 1901 〜 05 32.8 5.4 59.7 2.2 0.0 1.57 1906 〜 10 26.8 6.6 62.1 4.4 0.0 1.86 1911 〜 15 26.6 6.7 60.7 6.0 0.0 1.83 各年の%を求め,それを期間ごとに 5 年平均した。借入金には銀行等による手形割引を含む。資料:藤野正三郎・寺西重郎『日本 金融の数量分析』東洋経済新聞社,2000 年,付録より抜粋。 表 4 「主要企業の資金調達(残高の構成比の期間平均値,%)」 (西暦年) 株式 積立金 社債 借入金 支払手形 借入金 ・ 支払手形の株式に対する比率 1902 〜 05 66.2 16.7 9.0 2.5 5.6 0.12 1906 〜 10 63.8 17.9 8.5 3.0 6.8 0.15 1911 〜 13 62.1 17.8 10.7 3.3 6.0 0.15 株式,積立金,社債,借入金,支払手形の合計に対する構成比を示す。資料 : 藤野 ・ 寺西,同上書,2000 年,付録より抜粋。
は,外資導入が放漫な財政運営を招き,輸入超過で貿 易赤字が深刻化したためである。 E:金融恐慌(1900 年恐慌)(1900 〜 01 年) 第二次企業勃興で株式会社が増加。1896 年には, 会社数 4596 社中 2583 社(56.2%)が株式会社で,会 社総払込資本金の 89.9%を占めた。44)同年,「東京の 国立銀行の担保付き貸付金のうち 81%は株式担保で あり,大阪の場合は 61%にのぼった。…略…民間銀行 にとっては企業株主である商人 ・ 地主は信用力が高 かったから,貸付のリスクを抑えることができたので ある。けれども,このような企業金融メカニズムは, …略…逆に金融逼迫時には多数の企業の金融的破綻を 招来する」。45) 懸念が現実化したのが,金融恐慌(1900 年恐慌) である。端緒は,義和団の乱(義和団事件)で,対中 輸出が途絶。米国でも恐慌が発生。生糸輸出も停滞し, 金融恐慌に発展した。「日清戦争後のブームにのって 設立された新興企業の業績がふるわず,銀行は貸付金 を回収できなくなったからである。…略…当時は小銀 行の乱立が甚だしく,信用基盤が弱い上,預金の支払 準備,資金運用など,経営面でも不健全な状態であっ た。これら弱小銀行の破綻が金融界を騒然とさせ,… 略…日本経済史上最初の金融恐慌につながったのであ る」。46)1901 年 4 〜 7 月に 31 銀行が支払い停止。普通 銀行数は 1901 年に約 1900。これをピークに,以後, 減少した。47) F:日露戦争後の第三次企業勃興(1905 〜 6 年) 寺本益英は,第三次企業勃興の原因を,第 1 に,戦 争の有利な展開で対外貿易がほとんど打撃を受けな かった点。第 2 に,巨額の外資導入で金融逼迫を避け た点,第 3 に,政府の軍用品自給策が景気を刺激した 点に求める。これらの要因の基,企業収益,株価,物 価の上昇を伴う好況が到来。1906 年には,鉄道が国 有化された。48) G:戦後恐慌(1907 〜 8 年) 1907 年 1 月の株価暴落で景気失速。原因は前年度の 株式市場加熱の反動。さらに 10 月,米国で起きた金 融恐慌が,日本の景気を一層悪化させた。米国向け生 糸輸出とその関連産業が打撃を受けたためである。さ らに,銀貨の暴落で,銀貨国中国の購買力が激減。対 中国貿易も大幅に減少。特に,綿製品の輸出停滞が, 紡績会社の経営を圧迫し,取引銀行の経営にも悪影響 を及ぼし,弱小銀行の動揺を招いた。49) H: 明治期の終焉(1912 年 7 月) 1912 年 7 月の明治期の終焉時,「株式市場はすでに 深化し,企業は容易に無担保社債を発行でき,1000 行以上の高収益の銀行が存在した。すべての主要財閥 はいくつかの金融機関を所有していたが,金融市場の 発展に,支配的な役割を果たしたわけではなかった」。50)
Ⅲ.授業実践の試行
2012 年 1 月,勤務校の 3 年生 5 学級(生徒約 200 名) で授業試行。但し,学習内容の教材化が間に合わず, 「日本史 B」の市販教材を基に,経済史的側面を補う 形で実施した。授業時間も 3 時間程度しかなく,一部 試行に留まった。51)なお,まとめとして,「政治 ・ 経 済」資料集より,恐慌年表を取り上げ,当時の先進国 (英米独仏日)が,19 〜 20 世紀半ばまで,7 〜 10 年間 隔で恐慌を経験。それが設備投資循環(ジュグラーの 波)で説明可能なこと等を補足した。52)Ⅳ.おわりに
本稿では,「直接金融,間接金融」について,日本 金融システム史の変遷過程の学習を通して考察可能な 高校「公民科」科目「政治 ・ 経済」の学習内容として, 日本金融システム史に基づく教育内容開発の第一弾, 近代経済史(明治期)の教材化と部分的な試行を実施 した。 今後の課題は,大正期以降の教育内容開発と共に, 統計資料,写真等を組み込んだ授業プリントを作成し, 実践試行により,その有効性を検証することである。 註 1) 文部科学省『高等学校学習指導要領解説公民編』教育出 版,2009 年。 2) 筆者は,拙稿で,金融の本質から「直接金融,間接金融」 のメリット,デメリットを,家計と企業の側からバラン スよく考察することの重要性を述べた。拙稿「中学・高 校の社会科・公民科で『直接金融,間接金融』を,いか に教えるべきか?」経済教育学会『経済教育』第 30 号, 2011 年,pp.95-101。本稿は,「直接金融,間接金融」に ついて,日本金融システム史の変遷過程を通した考察の 提唱でもある。 3) 星岳雄,A・ カシャプ(鯉渕賢訳)『日本金融システム進 化論』日本経済新聞社,2006 年。 4) 寺西重郎『戦前期日本の金融システム』岩波書店,2011 年。寺西は,星 ・ カシャプらの先行研究が,銀行と証券 市場を共に分析対象として取り上げながらも,両者の相 互関連を十分に分析考察していない,と批判している。 5) 詳説すれば,星 ・ カシャプは,3 つの枠組をさらに 5 期に 区分する(第 2 期と第 3 期を併せて 4 分)。その結果,第 2 期と第 3 期は,1937 年〜戦後経済の再編整備期(〜 1954 年 ), 高 度 成 長 期(1955 〜 73 年 ), 金 融 自 由 化 期(1974 〜 2001 年 3 月),現在(21 世紀)に区分(星 ・ カ シャプ,同上書,p. ⅱ,p.2)。だが本稿では,単純明快な 3 区分を採用した。 6) 星 ・ カシャプ,同上書,p.21。 7) 星 ・ カシャプ,同上書,pp.4-5,pp.21-66。 8) 星 ・ カシャプ,同上書,p.455。 9) 2011 年 12 月末現在,「家計の資産構成」(1483 兆円)に おける投資信託の割合は 2006 年 3 月末に比べ減少(3.4% から 2.6%),「株式 ・ 出資金」の割合は 12.6%から 5.8%に 半減。日本銀行調査統計局「資金循環の日米欧比較」, 2012 年 3 月 23 日,2011 年 6 月 21 日を参照。 10) 石井進 ・ 五味文彦 ・ 笹山晴生 ・ 高埜利彦他著『詳説日本 史改訂版』山川出版社,2012 年,p.245。 11) 開港場で一円銀貨が貿易銀として流通。造幣規則で,銀 16: 金 1 の交換等が定められた。寺西,前掲書,p.161 参照。 12) 三和良一『概説日本経済史[第 3 版],東京大学出版会, 2012 年,p.47。 13) 寺西,前掲書,p.165。 14) 星・カシャプ,前掲書,p.27。 15) 寺西,前掲書,p.161。 16) 寺西,前掲書,p.161。 17) 寺西,前掲書,pp.166-169。 18) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.28。 19) 浜野潔 ・ 井奥成彦 ・ 中村宗悦 ・ 岸田真 ・ 永江雅和 ・ 牛島 利明『日本経済史 1600―2000 -歴史に読む現代』慶応義 塾大学出版会,2009 年,p.71。 20) 星・カシャプ,前掲書,p.35。 21) 三和,前掲書,49。 22) 坂野潤治『日本近代史』筑摩書房,2012 年,pp178-179。 23) 三和,前掲書,p.51。 24) 紡績工場では,蝋燭や火花の散るガス灯は使用禁止。浜 野 ・ 井奥 ・ 中村 ・ 岸田 ・ 永江 ・ 牛島,前掲書,p.119。 25) 大島真理夫「近代日本経済の自画像─明治 ・ 大正 ・ 昭和 のエコノミストたち─(第 3 回)」(http://www.econ.osaka- cu.ac.jp/~Ohshima/page3.htm)(2011 年 10 月 1 日閲覧)。 26) 石井 ・ 五味 ・ 笹山 ・ 高埜他,前掲書,p.276。 27) 三和,前掲書,p.55。 28) 会社設立は資本金の 1/4 の払込で可能。また株式担保金 融は,日本銀行の民間金融機関への株式担保金融が支え た。浜野 ・ 井奥 ・ 中村 ・ 岸田 ・ 永江 ・ 牛島,前掲書,p.105 参照。 29) 三和,前掲書,pp.56-57。 30) 三和,前掲書,p.62。 31) 寺本益秀『景気循環でみる戦前日本経済』晃洋書房, 2003 年,p.18。 32) 石井寛治『近代日本金融史序説』東京大学出版会,1999 年,pp.3-7。 33) 星,カシャプ,前掲書,p.54。 34) 藤野正三郎 ・ 寺西重郎『日本金融の数量分析』東洋経済 新聞社,2000 年,pp.134-143。 35) 星・カシャプ,前掲書,p.55。 36) 浅井良夫 ・ 石井寛治 ・ 岡崎哲二他「ワークショップ『戦 前期日本の直接金融と間接金融 : 戦前日本の金融システム は銀行中心であったか』の模様」日本銀行金融研究所 『金融研究』2006 年 3 月号,p.3。 37) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.60。 38) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.262。 39) 星 ・ カシャプ,前掲書,pp58-59。 40) 「社債の歴史 : 社債 .COM」http://www.sha-sai.com/about/ about04.html)(2011 年 10 月 1 日閲覧)。 41) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.35。 42) 石井 ・ 五味 ・ 笹山・高埜他,前掲書,p.276。 43) 寺本益英『景気循環でみる戦前の日本経済』晃洋書房, 2003 年,p.27。 44) 宮本又郎編著『新版日本経済史』放送大学教育振興会, 2008 年,p.130。 45) 宮本,同上書,p.134。 46) 宮本,同上書,p.29。 47) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.32。 48) 日露戦争で鉄道輸送の重要性を痛感したため等である。 49) 寺本,前掲書,p.33。 50) 星 ・ カシャプ,前掲書,p.36。 51) 中村俊明『新版日本史 B ワークノート』山川出版社, 2007 年より,「41 近代産業の発展」等を使用。「41」の内 容は,松方財政,日本銀行,兌換銀券,大阪紡績会社, 第 1 次企業勃興,金本位制,八幡製鉄所,紡績業と製糸業, 鉄道国有化,1899 年と 1913 年の貿易実態の比較,労働 ・ 公害 ・ 社会問題である。本稿に掲載した学習内容を補い, 講義を実施した。 52) 浜島書店編集部『最新図説政経』浜島書店,2011 年, p.212 の「恐慌年表」(篠原三代平,林栄夫,宮崎義一編 『近代経済学講座(基礎理論編 1,近代経済学入門)』有斐 閣,1967 年より転載)を使用。