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魅力的に描く技量 延いては幕末期の歌舞伎を捉えた国貞の目が 名は目録作成者による判定と思われ 間違いも多く く 似顔が判定 才能を示した役者似顔絵の技術と同時に 歌舞伎舞台そのものを これらの収録作品には役者名が記されていない そのため 役者 に受けとれる こうした目的の中で描いた作品群には 作品群

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P ものとして認識されているだろう。この時期の役者絵は、周知の 如く大判竪型の横3枚続きが標準的な形式であり、まれに大判横 型で描いたものもあるが、これも舞台面を横長に構図を切取るこ とになり、竪1枚での舞台面は、ある意味で迫力を欠くことにも つながる。そのため、図柄として特段に面白いわけではなく、ま 演目から、 三代目歌川豊国こと、初代国貞(以下、国貞で統一する)はそ の最晩年、自らの絵師の活動を回顧し、かつ江戸歌舞伎の歴史を 辿るがごときシリーズものを何作か手懸けている。その最大のも のは「古今俳優似顔大全」であろうが、この揃い物の前にも、役 者の芸系を示す類似のシリーズが幾つかあり、なかでも、歌舞伎 の演目に注目したシリーズに『踊形容外題尽』がある。 このシリーズは、

三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について

はじめに その見せ場となる場面の舞台面を大判竪1枚で描いた 三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について 般的に過去から制作時現在までの歌舞伎の と述べている。しかし、この「踊形容外題尽』のような、興行目 録として即座に使える役者絵は、ほとんど存在せず、その意味で は逆に非常に特殊な作品と言えるのである。 ったと思われる。 な条件のもとにあることから、これまで話題に上ることは少なか た役者絵ということで、海外でもその内容が理解されるのに不利 坪内遁遙は、「演劇史料としての我が国の芝居絵弁ぴに其図 表」のなかで、役者絵の分類の試みを述べており、その第一部演 劇史料の三)として、 来る。 と 、 きたぐひのもの。例へぱ、三世豊国筆の「踊形容外題づくし』 六十餘枚の如きがそれである。この類の錦絵を取集めて見る どういふ劇が最も歓迎され来つたかを知る為に特に用立つく 容易く且つ具体的にわが従来の興行目録を知ることが出

赤間

一元

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幕末の浮世絵界は、その販売ルートを拡大するだけに止まらず、 描く題材も多種多様になり、独立して口に糊すことのできる絵師 たちが急速に増えていったものと予想される。絵師ごとには、そ の得意とするジャンルがあり、それぞれが様々な企画を示して、 大衆の購買意欲を刺激していった。歌川一門は、その商業活動の 中で勢力を伸ばし、その棟梁としての国貞は、とくに利益の高か 絵の大流行や、 晩年の国貞は、さらにシリーズものによって莫大な利益をあげ たと思われるが、最晩年になって、あまり利益のあがりようもな い過去の役者や演目までも含んだ歌舞伎の歴史を描いている。 「踊形容外題尽」シリーズは、安政三年(届留)からスタートし ている。ちょうど日本では、大地震があいつぎ、江戸でも安政二 年十月の大地震で大きな打撃を受けた。浮世絵師にとっては、鯰 魅力的に描く技量、延いては幕末期の歌舞伎を捉えた国貞の目が、 名は目録作成者による判定と思われ、間違いも多く、 才能を示した役者似顔絵の技術と同時に、 に受けとれる。こうした目的の中で描いた作品群には、 の歴史を、 しての活動を振り返り、文化以降からの自分の絵師としての活動 ような状況も続いている。そうした中で、国貞は、自分の絵師と は安住してきた歌川派の序列とシステムをまったくひつくりかす の大量生産などで、これまで国貞やその一門が培い、ある意味で ったと思われる役者絵で大きな収入を得ていた。 歌舞伎の歴史と重ね合わせて描こうとしたもののよう さらにその前年の八代目団十郎の自殺による死絵 作品群には、天才的な 歌舞伎舞台そのものを 如実に示されていると思うのである。 リストを提示しおおかたのご批判を仰ぎたい。なお、本稿では、 加えて、その中で見えてきた改印にかかわる現象についてもふれ ることになろう。 との書題篭のある画帖がある。背には、同じ外題の他、「豊国画 安政五年五十圖」とあるが、〈矼図〉が貼り込まれている。こ の画帖は、冒頭に目録を持つ。(図1) 図をみてもらうと明らかなように、目録上の外題名は略称を使 しているが、その内容までは踏込んでいない。 れたものはないようである。先に引用した坪内は 月までのものであり、天保の改革以降、役者絵の画面上に役者名 が復活するのは、文久元年(扁臼)二月からであるから、まだ、 これらの収録作品には役者名が記されていない。 いうCO っており、 今回、 このシリーズが何枚で揃いなのかについて、 日本大学総合学術情報センターには、峡に この日大所蔵本に収録されている作品は、 このシリーズの全貌がほぼつかめたと思えるので、 一、「踊形容外題尽」の概要 その下にはこれも略された役名と役者名が書込まれて 安政五年(扇詔)四 「踊形容外題尽完」 これまで触れたら そのため、役者 く、似顔が判定 「六十餘枚」と 四 その

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ことが判明する。後述の一覧でもわかるとおり、安政三年十月か ら安政四年十二月までは、ほぼ毎月作品が残り、安政五年に入る と三ヶ月を置いて四月に3作品が認められるという状況の中で、

砺卿鱒鱗蝿藤蕊驚騨鰄鑪蕊畜駕鰯騨鑪鍛

》韓議蕊鐸鑑鑪|勝掴撲》鱗騨檸術轍植八幕蕊議

「踊形容」 である安政五年四月から五ヶ月ほどたって制作されたものである に成されたことがわかるので、収録された作品の内、最後の改印 これにより、この画帖が所蔵者松井氏によって安政五年九月中旬 できていないものもある。 この画帖が貴重なのは、峡の裏側に記された次の記述である。 「安政五戊午年菊月中涜造之松井氏」

五奇雛聯溌禽濯瀧

‐●..‐..12.●‐。:…;●

雲鶯繍蠅繼鍾臺褐鱸

霞葛辮鰯雛一黛寳雫

というタイトルのシリーズの売出しを九月まで待った 三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について

鱸鱗蕊篭鱈織蝋鱗

鰯鑿

五夜訂②型穣 図1(日大総合学術I情報センター蔵) とめたものと思われる。「松井氏」がいかなる経歴の人であるか は、管見にして手掛りを持たないが、上述のとおり、目録作成者 も松井氏とすれば、歌舞伎通というよりは、むしろ一般愛好者レ ベルの人であったとみられる。 松井氏は、七月に類似に作品が出たものの「踊形容」 作品番号は、基本を日本大学所蔵本に置き、早稲田大学演劇博物 館(その他の番号)所蔵本で補った。なお、その他の所蔵機関に も本シリーズの所蔵が確認できるが、今回は省略した。 ていることで注目できるが、残念なことに現在のところ、 ○安政4.1「高木職右武実録」(嘉永元年八月中村座上演) の1枚が欠落していることが分かっている。これを追加して「踊 形容外題尽」シリーズに含まれる作品は、兜枚となる可能性があ る。 次に、 で 、 安政昭一扁留一辰・』①||中村一一曲奏子宝曽我一一改、辰十一口屋呂叉)H里)い] 安政肥一]器①’9.s|市村一一夢結蝶鳥追 一一改、辰十一口房■sと]⑬とぎ 嘉永的一房田一一弓・鵠一河原崎一一児雷也豪傑認語一改、辰十一己冨C里)]輿)瞳 安政昭一]鶴①|ご・s|中村一初雪三升蔵景清一改、辰十一口唇四つ異)]函と賎 安政肥一』鵠。-9.$|市村一蔦紅葉宇都谷峠一改、辰十一口二mgと届と認 和暦一西暦一月日一劇場一外題一改印等一資料巾 この日大所蔵本は、 (一)安政三年十月 おそらくこのシリーズが完結したものとみて、 改印を基準に制作順にグループ設けて、 冊の貼込帳でn枚もの作品が貼り込まれ 列挙してみる。 画帖としてま 」が出ないの 二 五

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嘉永Ⅲ||]霞⑭|g・]①||中村一一高木織右武実録一改、巳正一]◎(ぷ『忠(演博) 文化W|]的S’9.9|市村一一勝相撲浮名花触一改、巳正一昌呂笘巨)届 寛政u|弓$|屋・日一市村一一媚唯雪世界 一改、巳正一口房呂画と』里〕8 寛政的一目召|s・&|桐―菅原伝授手習鑑一改、巳正一回忌g望)届と房 嘉永肥一房目一一9.S|市村一新造鰹奇談一一改、辰十一一一口ごg蛍)]g圏 嘉永“|扇昌一一旨・医一河原崎一升鯉滝白旗 一一改、辰十二一口昏呂里)]里)9 嘉永Ⅲ|]顛溢一一9,9|市村一蕊物語 安政的一房田一一旨.S|市村一松竹梅雪曙一改、辰十一一口唇g異)届と患 安政肥一〕観①’’9.侶一中村一一一一世相縁の緒車一一改、辰十一一口房呂與)』g圏 安政胆一房研一S・]画一市村一木下蔭硯伊達染一改、辰十一一口匿呂里)]里)昭 安政肥一房田一○m.&|河原崎一児雷也後編謹話一改、辰十一一口唇呂里)H里)鵠 嘉永朋一扇困一E・巴一河原崎一しらぬひ認一改、辰十一一口曽呂里)H里)忠 嘉永鯛一一]閣一弓・g|市村一一名誉仁政録一改、辰十一一口目つど]閏と田 嘉永⑰||]段①|B・]『||市村一青砥調 弘化鮨一一]段単一C]・】哩一中村一一月梅摂景清一改、巳正一邑冒Cg]国と]⑮ 嘉永伽一屋留一&.】、|中村一一与話情浮名の横ぐし一改、辰十一一口岳呂異)』要)田 嘉永皿一一』恩』’8.9||市村一新板越白浪一改、辰十一一回忌呂與)】gg 弘化皿一房台|s・昌一市村一尾上梅寿一代噺一改、辰十一一皀号呂買}]g屋 安政的冨思一一巴・笛一森田一還結柏政武飾駒一一改、辰十一一口身呂與)]g四m 和暦一西暦一一月日一劇場一外題一一改印等一資料山 (四)安政四年正月 (三)安政三年十二月 (二)安政三年十一月 改、巳正一一口ザ四s,白い,S『 改、辰十二一口号、Bと]里)]⑤

|安政叫一]$『|弓・B-中村一三世相錦繍文章一改、巳七一二忌呂異}]異)命

享和Ⅲ|届。]|巨・S|河原崎一名歌徳三升玉垣一改、巳六一口忌脚sと]民)]] 寛政W||弓やmls.S||都一一芦屋道満大内鑑一改、巳六一昌呂邑層)弓 安政皿一一房田|&閏S||中村一一若樹梅里見八総一改、巳壬五一国冒○9局とP] 安政Ⅲ一一房弓|s・屋一一市村一一敵討噂古市一改、已壬五一口忌呂異)桿里)台 寛政W|]『温一B・田一一都一一五大力恋絨 |改、巳四一昌呂gE)弓 安政似一一届、『’9.8||中村一金竜山千本初花一改、巳一一一一己冒CgH異)台 安政皿一一愚『|g・鵠一一森田一入蟻曽我和取揖一改、巳一一一一三旨◎笘巨)$ 安政皿一一]器『|巳・侭一中村」歳徳曽我松島台一改、巳’一一一口唇呂異)』異)弓 安政皿一房田一○m閏昌]|森田一重扇寿松若 一改、巳六一己冨目と]男)盆 寛政皿一一局g’9.局一一市村一楼門五山桐 一改、巳六一国忌呂笘層}]□ 明和町|ヨロC-B・忌一一中村一一鏡池悌曽我 一改、巳六一口忌呂9厘)富 文化Ⅲ||]ぬElB・&||河原崎一一天竺徳兵衛韓噺一改、巳四一口昏四g白呉)]』 天明肥一一」『認-9.9||中村一一江戸花三升曽我一改、巳四一ロー呂里)民異)息 天明⑫||]『留一〕]・扇一一市村一一伊勢平氏栄花暦一改、巳四一邑冒Cg層)三 安政M一馬巴|B・扇一市村一鼠小紋東君新形一改、巳正一ロ展囚C異)]異)鵠 嘉永町|届段-9.巨一中村一花覗堂大和文庫一改、巳正一口唇呂與)]蚤)日 嘉永幅一]園-9.9|市村一隅田川対高賀紋一改、巳正一皀冒C9局と巴 嘉永昭一]爵C’9.9|中村一実成金菊月 一改、巳正一己冨◎里)]里)扇 (八)安政四年七月~十二月 (七)安政四年間五月~六月 (六)安政四年四月 (五)安政四年三月 一一一ハ

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の三群に分けられことがわかる。 (|)期においては、上演中の三座を各1点ずつ描き、過去の 演目Cからもバランスよく三座を配置しているが、売れ行きを考 慮したためか、河原崎座は、児雷也の八代目団十郎を中心に描い ている。(二)期では、市村座のみ上演中の顔見世公演を描くが、 過去の作品Bに集中している。これは(三)期にもいえることで

安政胴一届留一E・巳|中村一恋夫帯娘評判記一午四③|己冨Bと』苫田■

安政肥一居留-9.巴一市村一江戸桜清水清玄一午四②|昌呂9局と沼■

安政脆一届呂一s.』。|中村一晴模様染衣更着一一午四①|巨〕呂呂更)、] 安政皿一房田|届.g|市村一寒稽古五行寄本一一改、巳十一一一一巨]呂里)]99 安政皿一房田|己・巴一市村一糸時雨越路一調一一改、巳十一一一已冒◎里)]9$ 安政皿一届弓|B・】⑭|森田一群三込操曲文台一一改、巳十一一己冨C里)』呂冷 安政M|届田|S・]⑭|市村一いろは仮名金捺一一改、巳九一一回琴呂蛍)桿里)合 安政M|届田|房・】Cl森田一当南身延妙利益一一改、巳八一一国冒○異)]g急 安政M|扁巴|s・】、|市村一網模様燈篭菊桐一一改、巳七一一国旨C里)』苫遣 和暦一西暦一月日一劇場一外題一一改印等一資料叩 過去の作品、 C文化期以前の過去の作品 B弘化四年以降 A上演中の作品、 この一覧をみると、 (九)安政五年四月~八月 三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について (おそらく役者絵解禁以降との認識だろう) の を自らが筆を握る以前の時代にまで遡って画こうという意欲が後 (八)(九)期は、上演中の作品か過去の作品Bといっても、近 接した作品のみとなっている。このあたりからは、歌舞伎の歴史 ところで、この匁枚を基準に考えた場合、そのタイトルの表記 は、一様ではなく、 1、踊形容外題尽 狙枚 2、踊形容外題づくし 7枚 3、おどり形容外題づくし3枚 4、おどり形容外題尽 1枚 退したか、 ようか。 る。(七) イクルで なかった中村座の正月狂一一一一口をエントリーしているが、 正月の改印の作品も作業は、十二月に集中していたものと思われ 作品Cの製作に力を注ぐことができたものであろう。 はオフシーズンであるから、絵師としては耐集中して文化以前の あり、新狂一一一一口のない十一月から十二月は、役者絵の制作にとって

固く

、-〆 ろ。また、(四) (五)期では、 のは、 期から始まった文化以前の作品Cを四作品制作した。 通常の制作活動のある繁忙期であるからであろう。同じサ 期は閏五月と六月の上演中の作品を三座ともに配し、 (六)は、閑散期ゆえか、過去の演目Cのみを描いてい 売れ行きの関係で製作が意欲が鈍ったものと理解され 期も市村座のみ上演中の作品が描かれている。 上演中のものに森田・中村座、また正月に出せ 三枚という (四)期の 一 七

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5、外題尽 2枚Ⅱ表の最下部に■とあるもの。 となっている。この内、「外題尽」とある二枚をこのシリーズに 含めるべきなのかどうかについては、にわかには決めがたい。が、 これらの作品には次のような共通の特徴がある。(図2) ○画面上部の左あるいは右に歌舞伎台本の意匠を使って、 ○彫師名の記載は皆無。 ○版元は、「並木湊小版」とあって、湊屋小兵衛。 ○落款は豊国画に年玉枠 ○大判竪判錦絵1枚もの 蝋,鎌蛎.鱸鵡熱難 表紙 図2(日大総合学術情報センター蔵) と裏を重ねた形で、表側に外題、場立て、場名、配役、裏側 に上演年月を記している。 また、改印は、「改」と「年月」印で、「辰十」(安政三年十月) から「午四」(安政五年四月)まで。 対象とする歌舞伎公演で最も早いものは、明和七年(ヨヨe正 月中村座の「鏡池悌曽我」(図3)であり、また最後の作品は、 安政五年(扁留)四月中村座上演の「恋夫帯娘評判記」(図4) -ズは、過去に遡って、上演された演目のある場面を描いたもの である。 一一一一一一一一一$■q ̄隅餌PpU戸郛ローハーロ唖・P蛸 汁。 明和七年の作品があることでもわかるように、 このシリ 二 八 、卍 図3(日大総合学術'情報センター蔵)

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たもののようであり、その番付面にしばしば目にすることができ る。 た時に、 であることに特徴がある。 なお、天保の改革以降、役者絵の画面上に役者名が復活するの は、文久元年(〕恩])二月からであるから、この作品にはまだ役 者名が記されていない。 課。。。:』●0.IIII0IIff卜hUr凶ILrp0uF 「踊形容」とは、天保の改革下で、「歌舞伎」の公演が規制され 代替の名称として特に宮地芝居や地方の公演時に使われ 二、「踊形容」の語とその続編 三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について 鴬

蝉 " 図4(日大総合学術情報センター蔵)

い段階であり、②の「江戸桜」(三月二一日)と③「恋夫帯」(四

月二日)の改が四月の遅い段階であって、ちょうど、この四月の 間に、「踊形容」をタイトルに使用する何らかの理由がなくなっ たようにも思われる。 「晴模様」(二月十日初日) とを併せると、同じ時期の製作作品は表の(九)の3枚となる。

であって、同じ改印であり、「踊形容」のタイトルを有する1枚

てみることに違和感を感じない。この2枚の改印の年月は「午四」 を欠く以外は、すべての特徴を共通しており、同一シリーズとし 2枚が含まれている。この2枚については、タイトルに「踊形容」 ら、この語が生まれて、以て新しい感じに上下を緩和しようとし (1) たものであろう」という。 によって知られている。 された役者評判記風の草双子に「踊形容花競」があり、この書物 寡聞にして聞かないが、例えば、江戸で安政元年(缶選に出版 る。江戸の大芝居をさして、番付等でこの語が使われた事例を、 尾崎久弥氏は、早くからこの語があらわれる芝居絵に注目し、 歌舞伎や芝居の語が、天保の改革の影響というよりも「野卑を表 現するやうになり、よりて芝居賛美の意から、芝居擁護者の側か これを、 さらに、 前章では、一覧の(九)期にタイトルに「外題尽」とのみある 以下はすべて早稲田大学演劇博物館所蔵作品である。 対象とする芝居の上演の早い順に並べてみれば、 歌舞伎台本のデザインを使った国貞には次の作品もあ についての改印を受けたのが四月の早 一 九 ①の

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以上の8作品の版元はやはり「湊小版」であり、すべて大判錦

絵竪絵1枚物である。このグループの最初の1点(▲記のもの)

を除いて、彫り師「彫竹」が見られるが、デザインの類似性から 年四月の前半までは、法令上必要であった「踊形容」の語が、後 外の、 られる。(図5) みても、「踊形容外題尽」シリーズの継続シリーズであると考え しかし、大きな違いは、台本表紙に配役として役名・役者名が 記載されていることであり、また、こちらには1点も「踊形容」 の語が使用されていない。したがって、尾崎久弥氏の指摘する以 半期からは、 安政脆一]函留一弓・]、|市村一絵本大功記一午八 一一s(撞囹『 安政肥冨留一s・屡一守田一願準細艶色文月一午八 一s屡巴①▲ 文久皿冨⑤]’9.C]|守田一桜荘子後日文談一酉八改一BP⑫$] 文久Ⅲ|]患]|s・]い―市村一東駅いろは日記一酉八改一s?一切巴 文久Ⅲ|届Sls・]]|中村一東海道四谷怪談一酉八改一s(K、鵠 文久皿一扁臼一s・]『|市村一鬼一法眼三略巻一酉十改一]っ(K弓」 文久Ⅲ|届s|]P思一守田一増補双紋色 一酉十一改一S」‐s患 文久Ⅲ|屋①]|s,囲一中村一八陣守護城一酉十改一s(漣留』 (十二文久元年八月~十一月 和暦一西暦一月日一劇場一外題一改印等一資料叩 (十)安政五年八月 なんらかの法令上の理由があったと考えたくなる。 使わなくてもよくなったかとの見方も成り立つので 安政五 はないだろうか。法令資料等の精査が必要かもしれない。 この(十)グループ以降を本稿では続編と呼び、本編と区別す ることとする。 この続編については、本編の(八)(九)期と同じく、上演中 の作品のみを制作している。 2点ある。この2点は、「豊国画」年玉枠の国貞作品で、やはり、 さて、 実は混乱を避けるために上述のリストから外した作品が 三、2枚の同類作品 溌噸鍵 ○ 図5(早大演劇博物館蔵006-4523)

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改めを受けた時期は、2枚とも本編の切点がもっとも精力的に 制作されていた時期と重なる。 しかし、これらの作品には、他の作品と比べて、次のような特 徴がある。 ①タイトルには、「踊形容」あるいは「外題尽」の語がなく、 続編と同様、それぞれ「当ル亥の葉月狂言」、「当ル亥の弥生 狂言」とある。 ②彫師が見あたらず、この点では本編と同様。

|嘉永似一]爵]|B・健一市村一仮名手本忠臣蔵一改、巳四一s中瞠急

嘉永似一一]鵠】|C函,s|中村一東山桜荘子一改、辰十二一s(K留画 和暦一西暦一月日一劇場一外題一改印等一資料叩 トを示すと次のごとくである。 外にある、大枠でこのシリーズと共通の特徴を持っている。リス ザインを上部に持ち、角取りの枠の中で描き、改印と版元印が枠 大判1枚、版元は湊小版であり、台帳の表紙と裏表紙を重ねるデ ③台本のデザイン部分に続編と同様に座名があり、 (十二)安政三年一二月 役者名が記載されている。また、表紙の下にみえる裏表紙に は、作者名の末尾の一文字が読めるようになっている。(図 6) 安政四年四月 二代歌川豊国画「踊形容外題尽」について 表紙配役に 続編の(十)のグル, 作品より三年も早く、 しかし、この(十二)グループの改印は、安政三・四年であり、 さらに-、二年、さかのぼった事例となる。この形での出版許可 者絵の絵面にあらわれるのは、文久元年 つまり、改印と②により、本編に含まれる特徴を持つものの、 ①と③により、むしろ続編と近い関係にあることになる。とりわ け③は、重要な問題を残す。上述の続編にはすべて役者名が記載 されていた。先述のとおり、天保の改革で役者絵が禁止されて以 降、その出版の禁止自体は有名無実化してはいたが、役者名が役 のグループは、台本のデザインを隠れ蓑に、通常の 役者絵に役者名を復活させた作例となる。 (]的⑦』) 」が、役者名が役 二月以降であり、 騨繍辮羅砂蝿 一 一  ̄ 図6(早大演劇博物館蔵006-4523)

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は、ほとんど不可能に近いと思われ、改印を受けた直後の出版が あったとは考えにくい。それが証拠に、タイトルが続編グループ と同一であるわけである。 続編に見える彫師との関係から言って、おそらくは台本部分の デザインをのぞいて、検閲を受け、出版されずにストックしてあ った図柄の作品が、続編の時期になって、台本部のデザインをこ の時期に適応させて、彫直して出版されたのがこの2枚であった のではないだろうか。すると、江戸の浮世絵の場合、我々は改印 によって出版時期を特定してきたわけであるが、このような例外 さて、そのように見てくると、(十)のグループの2枚につい ても、なぜ早めに役者名を記載できたのか、疑問がでてくる。あ るいは、これも、元の絵は、この時期に描いて改印を受けていた ものが、文久元年二月以降にまとめて出された可能性も想定して おく必要も出てくるのである。なぜなら、安政五年九月に「踊形 容外題尽」を画帖化した松井氏は、この八月に改を受けた(十) の2作品を取り込んでいないのであるから。 が存在するのだという点を考慮しないといけないことになる。 本稿では、正編切点と、続編8点、追加2点の計囲点を「踊形容 外題尽」シリーズの総数として報告しておきたい。 「踊形容外題尽」シリーズの出版結果を探ることができるように $ なった。このシリーズのさらなる発見が待たれるところであるが、 さて、 松井氏の画帖からずいぶんと時間を経て、 我々はこの ところで、このシリーズに影響を与えたと思われる作品を紹介 したい。 弘化四年(]匿己の盆狂言と菊月狂言を対象に、国芳によって 描かれた「見立外題尽」というグループである。(図7) ①弘化4.7河原崎座「大塔宮礒鑑」『大塔宮礒鎧とうろ う渡しの段」(]g’巴&) 「右馬頭妻花園」(〈4〉尾上梅幸)「斎藤太郎左衛門」(〈4〉 中村歌右衛門) ②弘化4.8中村座二番目大切「壇浦兜軍記」『檀の浦兜軍 記琴責の段」(]gLse 「岩永左衛門」(〈2〉尾上多見蔵)「あこや」(〈2〉尾上菊 次郎) ③弘化4.9河原崎座「義経千本桜」「義経千本桜渡海屋 の段」(ぢっ鹿冷) 「安徳天皇」(〈1〉中村音次郎)「すけの局」(〈4〉尾上梅 幸)「義経」(〈2〉市川九蔵) とは疑いなく、国貞のような特別なシリーズ化を狙ったものとは いずれも大判錦絵2枚続き(伊場仙板)。「見立外題尽」とは、 弘化四年ということもあり、役者絵を正々堂々とは売り出せない 時期に行われたカモフラージュとしてのタイトル付与であったこ 四、類似の作品群 一 一 一

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三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について

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千日 (早大演劇博物館蔵100-5265,5266) 図7 貞にとっては、「踊形容外題尽」 確実に影響を受けた作品といえるだろう。 作品上に表示する意匠は、 芳が残していることを寡聞にして聞かない。 容外題尽」 ④万廷1.3市村座「加賀見山再岩藤」『当ル弥生しん狂言』 (骨CCI『⑭一m) 大判錦絵二枚続き(角金版)があり、デザインの構想は、「踊形 一方、逆』 もある。 芳年には、 酔狂連の中枢メンバーである芳幾が描いたものである。さらには、 連。興笑連による三題噺の大流行を背景に、 また、芳幾には、 ⑤文久3.2市村座「三題咄高座新作」「当ル亥の春三題咄 高座新作』(』s‐$歯) 「第二番目序幕大川端百本杭の場狂言作者河竹新七』 大判錦絵2枚続き(加賀屋吉右衛門板)がある。台本のデザイン ある作者河竹黙阿弥が、 土 、 の形で画中に描き入れるものは、 いえないであろう。現に、嘉永期以降、このタイトルの作品を国 しかしながら、 表紙のみであるところが、 逆にこの から来ていると思われる。 役者の背景全体に台本をデザインにした、 台本をデザインとして使い、 「踊形容外題尽」 歌舞伎で三題咄を取り上げ、 おそらくこの作品が先行しており、 国貞作品と異なる。 初代豊国らに作例がある。 シリーズを企画するにあたって シリーズから発想を得た作品 なお、「せりふ書抜」 衆なる。当時の酔狂 自ら酔狂連の一人で 外題や場名までを 連の一人で それをまた = == = 国

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○も一閃{で鼬あろう。 達による台本デザインの追随になんら問題がなくなっていたこと 題尽」 「風曲五色之花篭第二ばん目大切歌川国周片田彫長』 (都立zgC‐Cs) の大判錦絵1枚、大黒屋吉之助板があることも加えておく。 このように文久三年二月から三月にかけて、台本デザインの役 者絵が集中的に製作されている。すでに、国貞による「踊形容外 ときに描かれた、 市村座の好評を受けて、中村座でも三題咄を歌舞伎に取り込んだ ⑥文久3.3中村座「源平盛桜柳営染」二番目「花暦三題咄」 (』C』0③『心酔) 「当ル弥生の三題ぱなしたばこの火歌うち酒盛酔狂 連奥笑連」 の大判錦絵3枚続き(丸屋徳蔵板)がある。こちらは、台本の形 態的イメージは使っているが、表紙に記載された情報は、右の通 りであり、三題噺のタイトルを書いた寄席の舞台で「めくり」の イメージも重なっているのだろう。 さらに国周にも、 ⑦文久3.3守田座「けいせゐ面影桜」二番目大切「風曲五色 の花篭」 ③文久3.3中村座「源平盛桜柳営染」「当ル亥の弥生狂言 源平盛桜柳鴬染」(]s‐窃届) シリーズが文久元年の段階で終止符が打たれており、 その当の国貞自身もこの動向をみたのか、 弟子 『第一番目三立目新清水花見の場作者瀬川如皐版元栄 久堂』 を出している(図8)。やはり画中に台本をデザインし、外題や 場立の表記がある。現在、管見にして、この大判錦絵1枚を知る のみであるが、その構図から、あるいは2枚続、3枚続である可 能性が高い。国貞にとっては、「踊形容外題尽」シリーズの再開 とも受け取られるが、版元は、栄久堂であり、画中、彦三郎一人 が描かれていて、明らかに趣向そのものが「踊形容」シリーズと は異なる。「踊形容外題尽」続編から2年間の空白があることで もあり、シリーズの一環としての意識はなかっただろう。むしろ、

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図8(早大演劇博物館蔵100-8513) 四

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下、リストのみ提示しておく。N、Mの番号は都立中央図書館所 蔵、その他は演劇博物館所蔵である。 明治に入っても、なお、明治七年(]田とに国周の「新板狂言 外題尽」があり、その他の絵師にも数点の作例が認められる。以 根拠を持たないし、その理由も明らかにしえない。 も改めを受けてから遅れた発売であったかとも思うが、今はその 念のため確認すれば、⑤から⑦までの作品はいずれも、上演初 日以降の改ではない。以上はすべて、演劇博物館所蔵である。 であるにも関わらず、「見立猿嶋惣太坂東彦三郎」と「見立」 注目すべきは、改印が「亥二改」であり、上演初日が三月一三日 周璽一明治、|扇忠一急一新富一一霜夜鐘十字辻雄一「当ル辰の六月狂言」|福田熊次郎一三詮望}皀,言 国政4|明治⑫|]雪』||&|新富一明烏今朝噂一「当ル卯の皐月狂一盲」|不明一つ]蛍)『田 国周一明治w|房忌一s|河原蛎一新舞台巌補一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵術一ご]凸s』 国周一明治w|届忌一ヨ|守田一一繰返開花婦見月一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵衛一三詮叉)鵲 国周一明治w|]雪←|s|守田一里見八犬士勇伝一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵術一言謹叉)酋父)] 国周一明治w|]』量一s|守田一義経腰越状一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵衛一』gム鴎『 国周一明治w|房三一忌一中村一一恋飛脚操仮名文一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵術一一三匡呂】望)函 国周一一明治w|]単塁一&|守田一入間館劇場絵本一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵衛一三段型)』g] 国周一明治w|」酌量一$|守田一新板色読販一「新板狂言外題尽」|万屋孫兵術一三践夏)』異)可 絵師一和暦一西暦一月一劇場一外題一画題等一版元一資料山 に何らかの支障があったことは記されておらず、あるいは、これ の文字が見えることである。この時の興行資料をみても、彦三郎 三代歌川豊国画「踊形容外題尽」について 日本大学総合学術情報センター資料については、アート・リサー [付記] 本稿は、立命館大学アート・リサーチセンター「テキストとイ メージ」プロジェクト(文部科学省オープン・リサーチ・センタ ー整備事業)、立命館大学n世紀○○回「京都アート・エンタテイ た ◎ 幕末期にいてどのような評価をうけていたものかなど興味は尽き 作業も残っている。こうした作業を経て、さらに国貞は、 ないが、今回は、作品の内容に踏み込んだ分析ができていなかっ 膨大な演目の中からこれらの演目をなぜ取上げたのか、 ンメント創成研究」書物と絵画プロジェクトの成果である。また、 在すると予想されるが、 どこにあったのか。また、それらには、その典拠となる元絵が存 人もいなくなった演目をも対象に画いた。そうした目的や意識は ムの中にある。しかし、国貞は、過去の上演に遡って、記憶する 瞬時の、しかし、大量の需要に応えて作品を生産していくシステ 周延一一明治四一]駿鄙||白|市村一一限田川故跡釣鋺|「当ル戎の狂言づくし」|伏見屋善六一言膣苧已二画 周延一明治四戸題③|皀|市村一梅蒸熊谷笠一「当ル戎の狂言づくし」|伏見屋善六一三膣巽}』望)』 この時代、浮世絵師は、 引き続き考究していきたい。 おわりに どの作品がそれにあたるのかを捜索する 舞台の上演に合わせて役者絵を描き、 、過去の それらが == 一 五

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通じて チセンターと共同プロジェクトで開発した したい。 大学演劇博物館に図版掲載の許可をいただいた。 -チセンターと演劇博物館が共同で推進している る 0 テム」活用した。また、浮世絵調査にあたっては、 ステム」を利用した。本研究で示された成果は、このシステムを 本稿を著すにあたり、日本大学総合情報学術センター、 注 (1)尾崎久弥二 以・6春陽堂) 「早稲田大学演劇博物館浮世絵検索システム」 「「踊形容」に就いて」言江戸軟派雑考』大正 (あかま・りょう本学教授) 「歌舞伎番付閲覧シス ンター、早稲田 記して謝意を表 アート・リサ 「浮世絵検索シ に反映され 一一一一ハ

参照

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