• 検索結果がありません。

三文字ならなんとかなる 三文字学習法のすすめ 清秀 林修三著 三文字学習法シリーズ 三文字 を使った短文集 30 東方 416 号 2015 年 10 月 三文字エクササイズ中国語 伝わる 使える 三文字会話 フレーズ集 いうことで 香坂先生から 有朋塾 という名前を授けられ その林氏が いわば林メ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "三文字ならなんとかなる 三文字学習法のすすめ 清秀 林修三著 三文字学習法シリーズ 三文字 を使った短文集 30 東方 416 号 2015 年 10 月 三文字エクササイズ中国語 伝わる 使える 三文字会話 フレーズ集 いうことで 香坂先生から 有朋塾 という名前を授けられ その林氏が いわば林メ"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

三文字学習法というと、二〇〇七年にアルクから出た、清 原文代氏の『リズムで学ぶ三文字中国語』を思い浮かべる人 が い る か も し れ な い。 “ 吃 , 吃 , 吃 , 吃 饺 子 ” と ラ ッ プ に 乗 せた三文字学習法である。ただ、その際、清原氏にもお伝え したが、この三文字学習法には元祖がいるのである。それが 本 書 の 林 修 三 氏 で あ る ( 清 原 氏 は そ の 第 二 版[ 二 〇 一 二 年 ] で 林 氏 の こ と に ふ れ て い る ) 。 氏 は 京 都 産 業 大 学 で 中 国 語 を 修 め た あ と、 北 京 語 言 学 院 ( 現 大 学 ) に 留 学 し、 そ の あ と 一 九 八 六 年から大阪北浜で中国語教室「 有 ゆうほう 朋 塾」を開いた。大阪には 国交回復前の一九六八年から、故香坂順一先生と民間の人た ちによって創設された愚公会という中国語講習会があり、民 間での中国語教育、日中友好運動の一翼を担っていた。林氏 は留学後、この愚公会で教えたあと、その精神を受け継ぐと

三文字ならなんとかなる!

 

―三文字学習法のすすめ―

荒川

 

清秀

Book Review 四六判 208頁 東方書店 [本体 1800円 + 税] いうことで、 香坂先生から「有朋塾」という名前を授けられ、 以後、現在に到るまでの四〇年間、およそ一三〇〇名もの塾 生を育ててきたのである。 その林氏が、いわば林メソッドとして採用してきたものの 一つが、この「三文字学習法」である。今は絶版だが、氏は その最初の著書を一九九五年に日本実業出版社から出してい る。この版には約八〇の三文字とその解説、応用例文が出て い る ( 清 原 氏 の は 五 〇 ) 。 氏 は そ の 後 も こ の「 三 文 字 」 を 増 や し続け、それは次のような本に結実していった。いずれも発 行所は「有朋塾   現代中国語センター」である。 Ⅰ   三文字学習法シリーズ   「三文字」 を使った短文集 (一 番から一〇〇番) 一九八八年七月 Ⅱ   三 文 字 学 習 法 シ リ ー ズ   「 三 文 字 」 を 使 っ た 短 文 集 林修三著

1200

使

(2)

(一〇一番から二〇〇番) 一九九〇年三月 「三文字」 (一番~九〇〇番) Ⅲ   三 文 字 学 習 法 シ リ ー ズ   「 三 文 字 」 を 使 っ た 短 文 集 (二〇一番から三〇〇番) 「三文字」 (一番~九〇〇番) 一九九一年九月 こ れ ら は そ の 後 絶 版 に な っ て い た が 、 求 め る 人 も 多 か っ た ら し く 、林 氏 は 二 〇 一 三 年 四 月 に 、『﹁ 三 文 字 ﹂ 学 習 法 シ リ ー ズ ( 改 訂 版 ) 「 三 文 字 」 ( 一 番 ~ 一 二 五 〇 番 ) 「 三 文 字 短 文 」 ( 一 番 ~ 三 〇 〇 番) 』 を 出 し た 。 今回 、 東 方 書 店 か ら 出 版 さ れ た 本 書 は 、 こ れ ま で の 「 三 文 字 」 学 習 法 の 集 大 成 と も 言 うべ き も の で 、 ま ず 一 二 〇 〇 の 三 文 字 を 並 べ た あ と 、 そ こ か ら 「 問 う三 文 字 」「 拒 否 す る 三 文 字 」「 嘆 く 三 文 字 」 等 一 〇 の 意 味 分 野 そ れ ぞ れ に 一 〇 個 ず つ の 三 文 字 を 配 し 、対 話 文 の 中 で の 用 例 を 挙 げ て い る 。 ■なぜ三文字? さて、三文字と言うと読者はすぐに「人之初   性本善   性 相近   習相遠   …」という「三字経」を思い浮かべるのでは あ る ま い か。 人 に よ っ て は、 書 名 を 聞 い て 現 代 版「 三 字 経 」 ですかという人もいるであろう。中島幹起氏によれば、江戸 時代の唐通事は、その中国語学習を、二字、三字、四字、… と増やしていったという (「唐通事の学んだ言語とその教科書」 『中 国 語 教 育 』 第 一 三 号   二 〇 一 五 年 ) 。 わ た し は そ の 極 み は「 四 + 三」という七文字からなるものではないかと思う。中国の詩 で も っ と も リ ズ ム カ ル と 言 わ れ る 七 言 詩 の リ ズ ム で あ る ( 松 浦友久『リズムの詩学』明治書院   一九九一) 。 それならなぜ三文字かという疑問を読者は持つかもしれな い。そもそも、中国語が単音節語から二音節語に向かってい るとはよく言われるが、基本的な動詞には単音節のものが多 い。 し か し、 “ 吃 !/ 说 !/ 走 !” な ど と 言 う の は、 親 し い 間 柄 な ら と も か く、 ふ つ う に 使 う に は ぶ っ き ら ぼ う す ぎ る。 こ れ が 二 音 節 に な る と、 “ 喝 茶 / 吃 饭 / 洗 手 / 下 车 ” の よ う に目的語がついたカタチになるが、これとてもやはりこのま まで使えるものは少ない。 “ 喝 ”について言えば、 “ 喝水 ”“ 喝 酒 ” は と も か く、 こ れ を 広 げ て い け ば ど う し て も、 “ 喝 咖 啡 / 喝红茶 / 喝可乐 / 喝橙汁 ”のような三文字にならざるをえ ない。つまり、動詞と名詞の自由な結びつきを追求していく とどうしても三文字か、それ以上になってしまうのである。 ■三文字は基本的にフレーズ 評者は授業の中で、テキスト本文の暗唱を学生に要求して いるが、 テキストの文というのはそれなりに長いものが多い。 上で述べた四+三の七字文ならリズミカルで覚えるのも楽し いがすべてがそうではない。しかし、三文字なら覚えるのは 容易だ。これをくり返し唱えていけば、やがて無意識に口か

(3)

ら出てくるようになる。そうして覚えた三文字の一部を置き 換えたり、より長い文の中で使っていけば、自然な中国語が 話 せ る よ う に な る。 林 メ ソ ッ ド の 要 点 は こ こ に あ る。 た だ、 ここで考えておかなくてはならないことがある。それは、三 文字のパターンというのは、 (以下すべて本書の例) 怎么样 / 为什么 / 对不起 / 听不懂 / 差不多 のように、全体が分けられず、かつそのまま「文」として 使 え る も の も あ る が、 基 本 的 に 連 語・ フ レ ー ズ ( 短 语 / 词 组 ) の パ タ ー ン で あ り、 「 文 」 に な る 前 の 素 材 で あ る 場 合 が 多 い ことである。したがって、読者はその三文字がそのまま文に なるか、文にするにはなにを加えなくてはならないかを意識 する必要がある。 ■三文字で学べる文法ルール 三文字は分類していくと、中国語の基本的な文法ルールを 学ぶことにも通じる。たとえば、 上でもあげた V  O【動詞+ 目 的 語 ( 述 宾 ) 】 タ イ プ は お そ ら く 最 も 多 い も の で、 こ の 場 合 に は 中 国 語 の リ ズ ム か ら 言 っ て、 [ 単 音 節 動 詞 + 二 音 節 の 名詞]がふつうだ。 买水果 / 吃晚饭 / 去哪里 / 吃什么 / 在哪里 / 叫什么 / 找 什么 / 没什么 / 没问题 / 没关系 / 有毛病 / 干什么 / 来电 话 / 接电话 / 有几个 / 来一瓶 / 开玩笑 / 感兴趣 / 做晚饭 「2音節の動詞」 が前に来る場合、 後ろにくるのは “ 欢迎你 ” のように代名詞である。 V  Oがともに単音節だと、 你 找 谁 / 在 家 吗 / 有 人 吗 / 有 事 ( 儿 ) 吗 / 抽 烟 吗 / 到 点 了 / 给我吧 / 下雨呢 の よ う に、 代 名 詞 や 文 末 の 語 気 助 詞 (“ 吗 ”“ 吧 ”“ 了 ”“ 呢 ”) が加わって三文字になる。これは逆に言えば、二文字を文に する操作だということである。 二 音 節 の 動 詞 だ と、 “ 了 ” を つ け る こ と で 三 文 字 に し て い るものも多い。 知道了 / 生气了 / 没有了 / 习惯了 / 决定了 / 失望了 / 辛 苦了 / 感冒了 V  O型 に つ い で 多 い の は 、 修 飾 構 造 の 型 で 、 名 詞 で 終 わ る も の の 一 つ は 、“ 多 少 人 / 什 么 事 ( 儿 ) ” の よ う な 「 疑 問 詞 + 単 音 節 名 詞 」 の タ イ プ だ が 、 そ う 多 く な い 。 し か し 、 こ れ は 文 と し て 使 う こ と が で き る 。「 形 容 詞 + 名 詞 」 で は “ 好 搭 档 ” ( よ い 仲 間 ) が あ る が 、こ れ は そ の ま ま で は 文 に な り に く い 。 む し ろ 、 “ 好 注 意 ”[ い い 考 え だ ]が あ っ て も よ い 。こ れ は そ の ま ま 使 え る 。 修 飾 構 造 の 型 で 一 番 多 い の は、 【 副 詞[ 形 容 詞 ] + 動 詞 】 のタイプで、 怎么办 / 怎么念 / 完全对 / 一定去 / 一直走 / 还没吃 / 快

(4)

来吧 / 快躲开 / 尽量去 / 又来了 / 别担心 / 别着急 / 别理 他 / 别迟到 / 不吃饭 などがある。 【副 词 + 形容詞】タイプも多い。 这么多 / 真便宜 / 真奇怪 / 很合适 / 太好了 / 还可以 / 不 方便 / 还不饿 / 不舒服 / 不好听 二音節形容詞なら、 “ 真 ”や “ 很 ”を加えれば三文字になるし、 文にもなる。 次は助動詞が入るもの。助動詞は文における主体的な要素 だから、文になる可能性は高い。 【 助 動 詞 + 動 詞 + 目 的 語 】 会 开 车 / 得 换 车 / 打 算 去 / 应 该做 / 愿意去 / 不想吃 連 述 式 ( 連 動 + 兼 語 ) で は、 “ 去 接 人 ”“ 去 乘 凉 ” の よ う な ものもあるが、 “ 去 ” を後ろに置く “ 上班去 ” 型のものが多い。 【 連 述 】 上 班 去 / 看 病 去 / 找 他 去 / 赏 月 去 / 打 工 去 / 带 你去 / 没人管 / 叫他来 動詞+補語のタイプもかなりある。 【 動 詞 + 補 語 】 准 备 好 / 安 排 好 / 弄 清 楚 / 吃 饱 了 / 修 好 了 / 写满了 / 好起来 / 快躲开 / 喝干了 / 請收下 / 说下去 / 拿出去 / 听不懂 / 错不了 / 吃不了 / 受不了 / 赶得上 / 看不见 / 买不起 / 办不到 / 走不动 単音節動詞+単音節形容詞だと“ 了 ”をつけたり、前に副 詞を置いたりして三文字すなわち文にする。補語が二音節だ と、 “ 准备好 ”のように命令文になるものはともかく、 “ 弄清楚 ” や “ 安排好 ” などは助動詞をつけて “ 要弄清楚 ” と言ったり、 “ 了 ”をつけて“ 弄清楚了 ”のように言わないと使いづらい。 “ 想死你 ”も“ 想死你了 ”と“ 了 ”がほしい。

中国年鑑2015

◎5 月末刊行◎ 中国研究所 編・発行 毎日新聞社 発売 1955 年創刊。現代中国に関 する最新・基本情報満載の、 一国を扱う珍しい年鑑。 B5 判 約 500 頁 価格:18,000 円+税 ◆特集=権力集中を進める 習近平政権 格差の拡大、腐敗の蔓延、 大国外交等、内外で権力に対 する不信が強まる中国。習近 平主席は毛沢東・鄧小平的な カリスマ権力者を目指してい るのか。中国の現状理解に欠 かせない基本情報を提供。 ◆動向 政治、華人社会、対外関係、 経済、対外経済、文化、社会 ◆要覧・統計 国土と自然、人口、国のしく み、軍事、少数民族、国民経 済・国民生活、農業、工業、 資源・エネルギー、交通運 輸、対外経済、知的財産権、 労働、暮らし、社会保障・医 療制度、環境問題、NGO・ NPO、教育、宗教ほか ◆資料 統計公報、重要文献、主要人 事、2014 年日誌ほか ※お問い合わせ・ご予約は 中国研究所事務局まで ================= 一 般 社団法人

中国研究所

〒112-0012 東京都文京区大塚6-22-18 TEL:03-3947-8029 FAX:03-3947-8039 e-mail:c-chuken@tcn-catv.ne.jp URL:http://www.chuken1946.or.jp

(5)

【 主 述 】 他 来 吗 / 我 很 忙 / 我 也 去 / 年 纪 小 / 我 走 了 / 天 晴了 / 天亮了 / 菜凉了 【前置詞+動詞/形容詞】 往南拐 / 比我强 / 跟他要 こ の タ イ プ で は、 “ 往 南 拐 ” が 出 て い る が、 評 者 な ら“ 往 右 [ 左 ] 拐 ” の方を出したい。これと “ 一直走 ” を覚えれば、 基本的な道案内ができるからだ。 “ 往里走 ”もほしいところだ。 第二部では、こうした三文字が対話文の中で出ており、わ たしたちはより具体的な場面の中で三文字の用法を知ること ができる。たとえば “ 要我去 ” はこれだけではわかりにくく、 第二部“ 山本要我去买 …”のような例文があって正確に理解 で き る。 ま た、 “ 愿 意 ” の“ 我 下 个 月 去 迪 斯 尼 , 你 愿 不 愿 意 去 ?” は、 「なにかを受けて願望を述べるとき」 という “ 愿意 ” の説明になる。実は、上で挙げたシリーズの中で、林氏はす べての三文字にそれを含む短文を添えている。三文字学習の 最終目標はここにあるのだということであろう。 ■いくつかの問題点 以下、いくつか問題点を指摘したい。 (1)三文字の範囲 本 書 で は 、基 本 的 に ア ー ル 化 は 、“ 有 事 ( 儿 ) 吗 / 什 么 事 ( 儿 ) / 使 劲 ( 儿 ) 拉 / 慢 慢 ( 儿 ) 来 ” の よ う に 、 か っ こ つ き で 三 文 字 に 数 え て い な い 。 し か し 、“ 画 画 儿 ”“ 没 错 儿 ” は アー ル 化 を 三 文 字 に 入 れ て い る 。 こ れ は ど う な の か 。 動 詞の 重 ね は 口 語 で は “ 一 ” を 入 れ な い のが ふ つ う だ が 、 単 音 節 動 詞 を 三 文 字 で 使 う に は 、“ 等 一 等 ”“ 尝 一 尝 ”の よ う に 間 に “ 一 ” を 入 れ ざ る を え な い 。 評 者 な ら 、“ 等 一 会 儿 ” か “ 等 一 下 ”“ 尝 尝 吧 ” を 出 し た い 。 ま た 、“ 别 价 呀 ” は 北 京 語 と 断 っ て い る が 、“ 呀 ” は な く て も い い も の で 、 無 理 に 三 文 字 に し て い る 気 も す る 。 (2)三文字だけはすこし不自然? 三 文 字 は た し か に 基 本 的 な 単 位 で は あ る が、 “ 起 得 早 、 想 不 出 、 看 不 出 ” な ど は、 “ 起 得 很 早 / 想 不 出 来 / 看 不 出 来 ” と四文字にして言いたい。つまり、三文字だけにしばられる のも窮屈ではないか。 あと、 “ 扣一成 ”よりは“ 打九折 ”のカタチを、 “ 算帐 ”よ りは“ 结帐 ”を出したいが、 これは評者の好みかもしれない。 “ 真有你 ”は“ 的 ”を省けないもので、三文字なら“ 有你的 ” を出したい。また、 “ 注射吧 ”よりは“ 打针吧 ”“ 打一针 ”を 出 し た い。 “ 二 百 五 ” や“ 炒 鱿 鱼 ” の よ う な 慣 用 句、 “ 酸 溜 溜 ”のような擬態語は一カ所にまとめた方がいいのではない か。 “ 卡哇伊 ”や“ P  M  P”は要らないのではないか、 等々、 注文をつけたい箇所もいくつかあるが、林修三氏が中国語教 育の世界に独自の教材とメソッドを惜しみなく提供してくだ さったことをここに感謝したい。 (あらかわ・きよひで   愛知大学)

参照

関連したドキュメント

明治33年8月,小学校令が改正され,それま で,国語科関係では,読書,作文,習字の三教

長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか

長尾氏は『通俗三国志』の訳文について、俗語をどのように訳しているか

噸狂歌の本質に基く視点としては小それが短歌形式をとる韻文であることが第一であるP三十一文字(原則として音節と対応する)を基本としへ内部が五七・五七七という文字(音節)数を持つ定形詩である。そ

名      称 図 記 号 文字記号

口文字」は患者さんと介護者以外に道具など不要。家で も外 出先でもどんなときでも会話をするようにコミュニケー ションを

ぎり︑第三文の効力について疑問を唱えるものは見当たらないのは︑実質的には右のような理由によるものと思われ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から