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谷崎潤一郎 痴人の愛 を読み終わったので 感想を書いてみました ノーマルな性癖の男 ( 主人公 ) が 悪女 ( ヒロイン ) によってマゾヒストになって しまう物語です 谷崎潤一郎 痴人の愛 - ナメクジを食った話 - 面白くも 気持ち悪い話でした 谷崎が訴えたかったこと はわかりませんでした こ

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Academic year: 2021

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谷崎潤一郎『痴人の愛』を読み終わったので、感想を書いてみました。 ノーマルな性癖の男(主人公)が、悪女(ヒロイン)によってマゾヒストになって しまう物語です。

谷崎潤一郎『痴人の愛』

-ナメクジを食った話-

面白くも、気持ち悪い話でした。 「谷崎が訴えたかったこと」はわかりませんでした。 この話は、彼の実体験が元になっているそうなので、冒頭で主人公が言っているよ うに、谷崎はただ自分にとって大切な記憶を誰かに伝えたかっただけなのかもしれ ません(主人公曰く、この物語は「私自身に取って忘れがたない尊い記憶である」 そうですし)。 しかし、代わりに、心に訴えかけるメッセージを見つけました。 それが、これです。 「『苦痛』があるから、一つの突出した『美しさ(=価値)』が生まれる。 その美しさはとても気持ちが悪いものである。価値観を歪ませてできているからだ」 この小説は気持ちが悪いです。 口の中にナメクジが入ってきてヌルッと這いずっている感触のような 気持ちの悪さがあります。 ナメクジはとてもじゃないが食べようと思えるものではないのですが、食べちゃい

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ました。しかも頬の裏側や歯に引っ付くナメクジの感触をよーく感じながら。 谷崎の文章は、「そこまで描くか!」というくらい描写がくどいのに、なぜか読みや すくて、話に引き込まれてすらすらと読めてしまえるものでした。終わりの頃には、 嫌な内容の文章ですら気持ちがよくて体が悦んでいる感覚がありました。 その文章力が私の口にナメクジを突っ込ませたのです。 なぜ、この小説はナメクジの食感のように気持ち悪いのか? それが、谷崎の描いた世界が放っている数々の問いの中で、一番重要な問いだと感 じて、いろいろと考えていくと、「苦痛によって本来の価値観を歪めることで美しさ を創り出しているから」という答えにたどり着きました。 そして、他者の幸せとどう向きあうかという問題に突き当たることに…。

はじめは、

ふつうのヘンタイな小物だった

さて。 気持ち悪さの発生源は間違いなく主人公・河合譲治です。 彼はヒロインのナオミに振り回される男でしたが、小説の内容は彼が支配している。 ナオミはただの舞台装置です、私にとっては。 彼によって、あのナメクジの気持ち悪さが作られている。 序盤から、彼はとてつもなく気持ち悪かった。変態だった。ナオミの肉体の美にや たらと感動するし、体の成長記録をつけるし、ダンスで西洋人の女性のワキ臭を嗅 ぐことに恍惚すら覚える…。要するにヘンタイでした(しかも谷崎の巧みな文章で

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描写されるから、なおさら気持ち悪い)。 しかも、彼は狭量で卑屈だった。彼はナオミに英語を教えているのですが、ナオミ が英語を理解できないと、すぐキレて「実家に帰れ!」と言います。他にも、西洋 へのわけの分からぬ崇拝と劣等感を持っていたり、ナオミと他の女を比べて失望し たり。器が小さいくせにプライドだけ高い男だったのです。 とはいえ、彼はこの時点ではまだ普通のヘンタイな小物でした。

倒錯的マゾヒストへの進化

そんな彼が、ナオミが悪女になった中盤から奇妙な変貌を遂げていきます。ナオミ の浮気、悪女化、西洋風の肉体が生み出す苦痛と快楽を経て、彼はマゾヒストにな ってしまいました。 しかも、ただのマゾヒストではなく、「マゾの怪物」とでも言えばいいような、圧倒 的に倒錯している価値観を持ったマゾヒストです。普通のマゾが新興宗教に引っか かっている思慮の浅い信者だとすれば、彼は悟りを開いた聖者みたいなものです(一 般的な悟りとは逆方向ですが)。 ナオミの誘惑に耐え切れず狂気に駆られて、椅子を蹴飛ばしカーテンを引きちぎり 花瓶を壊しながら暴れ、ついにはナオミに「相手にしてくれないなら自分を殺して くれ!」とタダっ子のように叫んで肉体を求める。そんな怪物です。 そして、そんな怪物になることで彼は幸福になったのでした。 この彼の幸福こそが、この小説で一番重要な部分です。 「なぜ、この小説はナメクジのように気持ち悪いのか?」という問いに答えを与え るには、この幸福を問い詰めなくてはならない。 なぜ彼の幸せはあんなにも気持ち悪いのでしょうか?

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その理由が知りたくて考えてみたのですが、 「苦痛によって本来の価値観を歪めることで創りだされた幸福だから」 という答えに落ち着きました。 度は違うでしょうけど、酷い男にすこし優しくされただけでベタ惚れしてる女性や、 誘拐犯へのストックホルムな恋愛感情に似たものを感じるんです。お前騙されてる んだぜー、と言いたくなる。 本来の自分であれば拒絶する物事に幸せを感じるように、無理やり価値観を歪めら れてしまっているのです。 もし、はじめから主人公がマゾであったなら、そこまで気持ち悪くなることもなく、 そういう幸せの形もあるんだなで終わっていた。 しかし、実際には彼はノーマルな性癖の持ち主で、それがナオミの誘惑によって無 理やり人生を変えられて、マゾに変貌せざるを得なくなった。 ショッカーに改造されてしまった仮面ライダーのように。 ライダーはショッカーを倒すことで、改造されてしまった自分に存在価値を創りだ しましたが、彼はナオミを受け入れることで幸福を手に入れたのです。 この「本来の価値観を歪めて幸福を創り出す」現象を考えていた時、日食が頭に思 い浮かびました。 なので、この現象を「価値の日食」と表現することにします。

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苦痛が「美しさ」を生みだす

-(価値が月に奪われる)-

From NASA Goddard Photo and Video's photostream 『Solar Eclipse - November 13, 2012』 | Flickr - Photo Sharing! -

http://www.flickr.com/photos/gsfc/8187621177/ 「価値の日食」とは本来の価値観(太陽)が他の価値(月)によって隠されてしま い、月しか眼に映らなくなる現象です 他の価値(月)というのは、ここではナオミのことです。 彼はマゾ化によって、ナオミ以外のことはどうでもよくなりました。 彼女が他のありとあらゆるものとは比べられないほど美しく、彼女なしでは生きて いけなくなってしまったからです。 言い換えると、ナオミという価値が彼の価値空間の中で「突出してしまい」、他のこ とがどうでもよくなった。だから、思考やプライドを捨て彼女の支配を受け入れた。 私には、この光景が「太陽を喰らう月」に見えました。

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普通の日食であれば、太陽はすぐ舞い戻ってきますが、主人公の場合、ナオミ(月) の支配から抜け出すことは、まず不可能です。 そして、本来の価値観が隠されて、陽の輝かない暗黒時代が始まったのです。 「価値の日食」は、「苦痛」によって起こっています。 ナオミが、彼の中の太陽を覆い隠すほどの絶対的な価値(=美しさ)を持つには、 どうしても「苦痛」が必要不可欠でした。 主人公にとっての苦痛は、ナオミの誘惑、焦らしによって作られます。それが、ナ オミを憎ませ、憎しみが異様な美しさ(=価値)をナオミにもたらしたのです。 「男の憎しみがかかればかかる程美しくなる」と作中で語られています。 このナオミの美化現象を、主人公の肉体が無意識のうちに取った主体的行為だと解 釈すると、彼(の肉体)はナオミという自分ではどうしようもできない現実に対し て、無意識のうちに正面から戦うことを諦め、逆に受け入れて(=これまでの価値 観を歪めて)新しい幸福を創りだそうとしたのかもしれない。 だから、 「『苦痛』があるから、一つの突出した『美しさ(=価値)』が生まれる。その美 しさはとても気持ちが悪いものである。価値観を歪ませてできているからだ」 というわけなんです。 苦痛や憎悪で、本来の価値観を歪めてできているから、 その美しさは気持ち悪い。

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マゾの怪物を創りだした

「飴と鞭」戦略

ところで。 普通のマゾは、彼のようなハイレベルなマゾになるまでに逃げていきます。いくら 支配されることが好きでも、人間としてのプライドがあるから、あまりにもひどす ぎる行為は受け入れられないのです。 ナオミの支配は、人を犬扱いするもので、とてもじゃないが普通のマゾが耐えられ るものではありません。 主人公もはじめはノーマルな性癖のヘンタイだったので、 ナオミの支配から逃げ出そうとしました。 しかし、実際には主人公はナオミの奴隷になった。 それは、ナオミの取った戦略の勝利でした。 ナオミは「『飴と鞭』戦略」によって主人公の逃走を回避しつつ、 マゾの怪物を創りあげたのです。 具体的に言うとこんなかんじです。 まず、性的な誘惑をします。わざと、見えそうで見えないくらいに服を脱いでみた り(ここで肘とかふくらはぎ、顎に注目する描写に谷崎のフェチを感じる…)。これ に対して、意志の弱い彼は思わずナオミの体を求めてしまうのですが、ナオミは拒 絶します。自分から誘惑したのに我慢させるんです。 しかし、我慢したご褒美に、ほんのちょっとのご褒美をあげます。 唇への吐息の吹きかけとかを。

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そしてまた、誘惑しつつ焦らして苦痛を与えます。 それが、彼の欲求を中途半端に満たし、次の快楽を求めてM への道を歩ませたので す。 これは、マゾ化プロセスの裏側には、思い入れとか執着とか「ほしい」という気持 ち、性欲があることを示しています。そうした感情が、苦痛に耐える力を彼に与え ている。 そして、快楽すらも創りだして彼を次の苦痛に導くでしょう。

谷崎のつぶやき

その辺りに、「人は欲望とか執着には勝てないんだよー、特に性欲にはー」、 という思想が描かれています(単純に男は女の誘惑には勝てないって言ってるのか もしれませんが)。 「度し難い生き物なのです、人ってのは」 という谷崎のつぶやきを感じちゃいます。 この「苦痛の原因となる執着・感情」を、先に述べた「価値の日食」と合わせて考 えると、宗教の信者の分析ができそうです。同じ香りがする。 こういう執着とかを拒絶した時に、釈迦の悟りルートに入るのだと思います。 そうしてみると、主人公のマゾ化は現状への適応(=苦痛を受け入れる)を、悟りと は違う方法で実現しているのかも…。

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ナメクジの見る夢は幸せか?

最後には、主人公は幸せになるんですが、私としてはその幸せを認めてもいいのか なー…、と迷ってしまいます。 彼は、ナオミのせいで人間を捨てて怪物となり、ナメクジのような気持ち悪さを感 じさせる存在になってしまいましたが、ナオミに惚れていて自分が幸せだと思って います。 でも私は、彼が自尊心を放棄して、ナオミが与える苦痛と快楽をただ受け入れるだ けの存在になってしまっているのが、気になるのです。 終盤では、財布扱い、浮気され放題、馬のように背中に乗られ命令され、敬愛する 母の遺産を取られる始末。どう考えてもナオミは悪女で、しかも主人公もそれを認 めて「邪悪の化身」だと表現している。それでも、そんな女といっしょで幸せ。 基本的に人の幸せには口を出さない私ですが、今回はあまりの気持ち悪さに、そん な幸せでいいのかよー、という感想を抱いてしまいました。読み終わったあとは、 尐し悩みました。こういう異形の幸せに対してどういうスタンスでいるべきか、と。 その辺りが、「他者」とか「異文化」とか「暴力で創られる幸福」の問題とも繋がっ てると思うんですが、今回はそこまで考える気力はないので、ここまでです(思索 が終わらないとわかっているのが、思索の悩み)。 胃の中のナメクジに笑われているような感触を味わいながら、終わりです (そろそろ消化して栄養に変わってるかなー)。

参照

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