述語づ け と実体
カテゴリアイ ーー ア リス トテ レス 『範 疇論』1-5章
研究― 一 田 畑 博 敏 (平成 4年 6月23日受理) は じめに 存在す る事物 の謎 に道遇 し人間社会の困難 に直面 して,われわれ はさまざまな問いを発する。「遺 伝子 とは何か?」「教育 の効果 とは何か?」「国益 (国全体 の利益)と はどのような性質のものか?」 「いつ宇宙 は創 られたのかP」「銀河系の どこにブラックホール は存在するのか?」「セラ ミックス は常圧でか くか くの温度 に熱す るとどのような性質 を得 るか?」 等々。 これ らの問いの答 えは,こ
れ らの問いの問い方に応 じて一定の範囲に収 まる。「銀河系の どこにブラックホールは存在するか?」 という問いの答 えは,「ブラックホール はどのような性質 をもつか?」という問いの答 えにはならな い。ア リス トテレスの場合,聞
いの答えは間われ方の相違によってある類別が可能である。その類 別 は,基
本的には述語づ けの場面の述語の類別 によって与 えられ る。「 ソクラテス とは何か?」とい う問いは「 ソクラテスは人間である」 というソクラテスの「何であるか (本質規定)」 を予想 し,ソ
クラテスが色 白である (性質)とか,彼
が1,7メー トルの背丈がある(量)とか,ソ
クラテスがクサ ンティッペの夫である (関係)と
い う答 えは期待 しない。 ソクラテスのソクラテスたるゆえんは, 彼が「人間である」 とい うことであ り,ア
リス トテレスはそのような「何であるか」の答 えとなる 述語 を く実体〉 と呼んだ。 こうして,聞
いの仕方の分類 は述語の種類の分類へ と導かれる。 以上のような,「何であるか」「 どこにあるか」「 どのようであるか (どんな性質か)」 といつた問 いの種類・述語づけの違いによって答 えの種類 を類別する行 きかた とは別 に,「。中とは何であるか」 というただ一つの問い (ただ し,こ
の場合 に「何であるか」 を本質規定 に限定せず,広
く「限定」 「規定」と解する)をどこまで も繰 り返す方法 もある。「 ソクラテス とは何か?」――「人間である」。 「人間 とは何か?」 ――「動物である」。「動物 とは何か?」 ――「生物である」。「生物 とは何か?」 。 あるいは,「カ リアス とは何 か (どのようであるか)?」 ――「色 白である」。「色 白とは 一―「色である」。「色 とは何かP」 ――・・・…。 この とき,も
はや何であるかが聞えない最 何か?」田 畑 博 敏 後の述語 。最後 の分類項 目にぶつか る。 ソクラテスーー人間一一動物一一生物一― …… の場合, ア リス トテレスはその最後 の述語 を「実体」 と呼び
,カ
リアスの色 白さ―― 白一一色一― ……の場 合,「ケl■質」 と呼んだ。 これ ら二つの間いの仕方の考察か ら得 られることは,問
いの答 えは述語の分類 としてい くつかに まとめ られ,そ
れ らは存在す る事物 の究極 の類別項 目を与 えるということである。ア リス トテレス の場合,そ
れが十個 のカテゴ リー (範疇・ 最高類)と
呼ばれるものである。すなわち,①
〈実体〉 (何であるか=本
質規定),②〈量〉(どれだけであるか),③〈性質〉(どのようであるか),④〈関 係〉 (他に対 して どうであるか),⑤
〈所〉(どこにであるか),⑥
く時〉(いつであるか),⑦
〈状 況〉(ど うしているか),③
〈所持〉(持っていること),⑨
〈能 動〉(なす こと),⑩
〈受 動〉(なされ ること) の十カテゴリーである(『範疇論』4章)。 このうち,〈実体〉況税αのカテゴ リーは言 うまで もな く, ア リス トテレスの言語・ 論理思想 のみな らず彼の形而上学全体 を左右す る鍵概念である。以下の小 論で は『範疇論』(1-5章
)の
テキス トに密着 した形で,特
に「述語づ け」の文脈 の観点か らア リ ス トテレスの実体論 を追究する。 §1
事物 と名 と定義 さまざまの存在す る事物 を指示 し,特
定 し,分
類 して,世
界 の中に位置づ けるには言葉 (名)を
もってす る以外 にはない。ア リス トテレスの場合,言
語 による存在 の分節化,世
界 の肺分 けは,当
然の ことなが ら,ギ
リシア語 の構造 を離れてはあ りえない。われわれの視野 の構図が,二
つの眼球 が頭部の半面の比較的近距離 に位置 していることに根本的な制約 を受 けているように,ギ
リシア語 とい う窓 は存在 の在 り様 を眺 めるわれわれの視座 に根本的制約 となっている。 しか しなが ら,言
語 のメカニズム,文
法的構造 だけか ら存在 の在 り様 をすべて知 り尽 くす ことは,無
論で きない。言葉 の尺度がそのまま存在 の尺度 とはな らず,存
在か らの確かな手応 えが元 の尺度の変更・ 訂正 を迫 る ことは常に生 じることであ り,場
合 によっては,言
語構造全体 の再編成 を余儀な くされることも起 こりうる。 ア リス トテレスが存在 の分節化,言
語 による存在の表述 を遂行するに当たって,ま
ず最初 に考慮 したことは, このような言語 による存在への接近 とそれに対する存在の側か らの反作用 との相互の せめぎ合いであった。存在する事物 は,名
(言葉)に
よる規定・ 表述のメカニズム との関連で,三
つに分類 される。すなわち,同
名異義的なもの,同
名同義的なもの,派
生的な名 を持つ ものの三分 類である (『範疇論』1章)。(1)同
名異義的な もの ア リス トテレスの「同名異義的なもの」の定義 はこうである: “同名異義的なものと言われるのは,そ
れ らの名のみが共通であ り,名
に対応す る事物 (有)述語づ け と実体 の定義は相異なるもののことである。" “ゼ″あνt7/1Yえる9/cぢαι aフ bν9μαμぅフοフχοιフbフ,bゼ港 χατtt το♭9μαえ6γos τηs οう税αs ざ7erDοS"(1) 同名異義的な ものの例 として
,ア
リス トテレスは く人間〉 と く描かれた像〉 とを挙 げる。 これ らは ともに「動物」 とい う共通な名で呼ばれ るが,そ
の場合の「動物」の定義十一すなわち,人
間が動 物である と言われるときの,人
間が「動物」であることの何 たるかの説明 と,描
かれた像が動物で あると言われるときの,像
が「動物」であることの説明一一 とは同じではないか らで ある。 ここで 「動物」というギ リシア語 ξつοフが, 方
で動 く生 き物,つ
まり植物(匁栃 フ)と対比 され る意味で の動物 とい う語義 を持つ と同時 に,(動
物が描かれていようがいまいが)描かれた像,画
像 という語 義 も持つ ということが, この論点 に大 き く響 いている。確かに,ア
リス トテレスは言葉 の多義性 を 最初 に問題 にしたので はな く,事
物 の在 り様 の区別か ら始めてそれの言語 におけるある反映 を問題 にした,つまり言語の区別か ら存在の区別へで はな くその逆である,というアクリルの指摘9)は一応 はその通 りであろう。(″あフ弊α とい う,形
容詞"あ
フ叩oSの中性複数形が二つの事物一一 この場 合 は人間 と描かれた像 というふたつの事物―― を予想 して文頭 に書かれているとい う文法的事実か ら見て,こ
のことは明白である。)しか し,存
在 に向か うときのわれわれの手持 ちの手段が言語であ るということ,そしてい まの場合の事の起 こりがギ リシア語の持つある特殊な現象― 190ツ の多義 性 という現象―― だ とすると,言
語の区別 のメカニズム と存在 の区別のメカニズムを単純 に隔離す るだけで は話 は済 まないであろう。言語 の区別 のメカニズムか存在の区別のメカニズム とずれてい る場合,存在の区別 に一義的に対応する言語装置,すなわち何であるかの説明を与 える定義(える9/os) がずれの具合 を測定 し,言
語的歪みを修正す る万能 の尺度 の役割 を果たす, と考 えることは単純す ぎるか らである。定義 その ものがや はり言語 によって与 えられねばな らない, とい うことがあるか らである。多義性の問題 はもう少 し微妙である。 日本語の問題 として も,そ
れ は,「雨」 と「飴」, 「橋」 と「箸」 または「端」 といつたご く単純 な同音異義語か ら,例
えば,〈平地 よ り高い ところ〉 という意味の「や ま(山)」 が,鉱
山,特
定の山寺 (例えば延暦寺),積
み重なった もの (借金 の山), 物事の絶頂・極点,健
幸 (山が当たる,山
を掛 ける)等
の意味 を得 る場合 に見 られ るように,認
識 の視点の変化 を伴 う語義変化・比喩のメカニズムにまで及ぶのである。 それゆえ,存
在 の区別 に言 語の区別が何 の契機 も影響 も与 えない とす ることはで きない。 しか し,こ
こで この問題 に深入 りす る余裕 はない。ア リス トテレス自身 もい く分簡略化 。図式化 した考察のレベルでひ とまず は満足 し ているように見 える。(2)同
名同義的な もの つ ぎに,「同名同義的なもの」 に移 る。 これの定義 は以下のようになる: “同名同義的な ものと言われるのは,そ
れ らの名が共通であ り,し
か も名 に対応す る事物 (有)敏 の定義 も同一であるもののことである。" “συνあνvμα 甚 えるγεTJYι δツ 朽 τεびッ9μαχοιフbフ χαとδ χατ>τοbフ 9μα え6γos τηs Oう税αS δ αうτιs"(3) 同名同義的な もの としてア リス トテレスが挙 げる例 は, ともに「動物」であると言われ るときの, 〈人間〉 と く牛〉である。 なぜな ら,〈人間〉 は動物であ り,〈牛〉 も動物であると言われ るか ぎり で
,両
者 は「動物」とい う共通な名 を持 っているし,ま
たその場合の「動物」の定義 は同一である, すなわち,〈人間)が
(植物 と対比 される動 く生物であるという意味で)動
物であると言われ るとき の「動物」の定義 と,〈牛〉が (同じ意味で)動
物であると言われ るときの「動物」の定義 は同一で あるか らである。(3)派
生的な名 をもつ もの 第三番 目の分類項 目は「派生的な名 を持つ もの」である。その定義 はこうである: “派生的な名 を持つ もの とは,あ
るものか ら,そ
の名 に基づ く名称 を,た
とえ語尾 において異 なるにせ よ,得
ているか ぎりの ものの ことである。" 為 昭 ρぁ ッッ α 溌 ぇる9/Ыttι 挽 滋 滋πι 党 フos ttαφψ ο舅 絃 ″ π寛 ♭」Cι "″ χατtt τοbν 9μ α προσηγ9ριανどχει"(4) 例 えば,〈文法家〉 は 〈文法〉か らその名称「文法家」 を得ているし,〈勇敢な〉人 は 〈勇敢 さ〉か らその名称「勇敢な」を得ている。「派生」とは,こ
こで は語 と語の間の語源的連関を指すのではな く,あ
る事物 の持つ名称 (ηο」7γ9ρια)の由来 の ことである。人物aが
気前が よい場合,わ
れわれ はaに 〈気前のよさ〉 とい う性質 を帰属 させ ることによって,彼
を く気前のよい〉人 と呼ぶが,そ
の名称「気前 のよい」は名称「気前のよさ」か ら得 られ る。 こうして,ア
クリルが指摘す るように。ち ある性質 をある実体 に帰属 させるとき,そ
の性質 を有する実体が性質 と,語
尾 を別 にすれ ば同 じ名 で呼ばれ ることになる。 しか し,そ
の場合,し
ばしば派生関係が同時に同名異義性 あるい はそれに 似た事態 を伴 う。例 えば,「カ リアスは白い」(Callias is white)と 言 うとき,カ リアスは色 白さ(〈白 さ〉)を
所有 しているゆえに「白い」 と呼ばれ る。 したがって,カ
リアスが「白い」という名称で呼 ばれる (述語づけられ る)と き,そ
の名称「 白い」を く白さ〉(または 〈白〉)の
名称「白さ」(また は「白」)か
ら得ている。 ここに派生関係がある。 だが,「この白は自である」 という言明における 「白である」 と,「カ リアスは白い」の「白い」 との語尾 を無視 して同 じ名「白」を持つ もの とす る と,同
名異義性 に似 た事態が生 じることになる。なぜなら,〈カ リアス〉も 〈この白〉も(語尾 を無 視すれば)共
通 の「白」 という名 (述語)を
述語づ けられているが,後
者 の「白」の定義 を前者 に そのまま代入す ることはで きないか らである。(白〉の定義 を 〈**な
る色〉として, もし代入すれ ば,「カ リアスは**な
る色である」 となる。従 って,例
えば, 白は色 で ある述語づけと実体 カ リアス は白い ∴ カ リアス は色で ある とい った三段論法 は,こ うした同名異義性 に似 た事態16Jに基づ く虚偽 の推論 を形作 る ことにな る。こ れに関連 して
,ア
ク リル はこう説 明 して い る。一―名称「気前 のよさ」 と名称 「気前 の よい」 とは 同 じもの,す
なわ ち 〈気前 の よさ〉に由来 し,そ
れ を導入す る。 しか し,異
なった仕 方で,で
ある。 名称 「気前 の よさ」 は性質 く気前 の よさ〉 を単 に名 づ けてい るにす ぎないの対 して,名
称 「気前 の よい」 は述語づ け,す
なわち性質 〈気前 の よさ〉 をある実体 に帰属 させ る ことに対 応 す る言語 の構 成 に貢献 してい る,
と。等)一一 §2
述語づけの基礎――存在する事物の4分類 存在す る事物 の在 り様 を記述す るには,存
在す る事物が どういう観点か ら把握 され るか とい う, その把握の様式 を確定する必要がある。ア リス トテレスの場合,「基体 について述語づ けられる」と いう様式 と,「基体 に於いてある」という様式 の組 み合わせによって,存
在す る事物 が4通りに分類 される。 (1)「基体 に述語づ けられる」が「いかなる基体 に於いて もない」 もの “τ》μさフχαθ'協
o/εB/るフον寛フbsえ る9/cται,どツうπο/εりるフ?溌
01恋ε力 どστιフ''個) これに分類 される事物 の例 としては,〈人間〉がある。「 このある人間 は人間である」 と述べ られ る が,〈人間〉は基体 に於いてある一― この把握様式 については直 ぐ以下で考察す る一一 ことはない と されるか らだ。一般的には,実
体 のカテゴ リーにおける種や類 といった普遍的な ものが この粋 に分 類 され る。 (2)「基体 に於いてある」が「いかなる基体 にも述語づけられない」 もの この事物の例 は くこのある文法知識〉や くこのある白さ〉である。(このある文法知識〉はある魂 を 基体 としてそれに於いてあるが,い
かなる基体 にも述語づけられることはない。〈このある白さ〉も ある物体 を基体 としてそれに於いてあるが,いかなる基体 にも述語づけられることはない。一般 に, 実体以外のカテゴ リーの個別的な もの (個体)が
ここに分類 される。 (3)「基体 に述語づ けられ」かつ「基体 に於 いてある」 もの 例 えば く知識〉は,「このある文法知識 は知識である」としてある基体 に述語づけられ,ま
たある魂 を基体 としてそれに於いてある。実体以外 のカテゴ リーにおける普遍的な ものが,こ
こに分類 され る。 (4)「基体 に於 いて もな く」,「基体 に述語づ けられることもない」 もの 例 えば,〈このある人間〉や くこのある馬〉は基体 に於いてあることもな く,基
体 に述語づ けられ る こともない。一般 に,実
体 のカテゴリーの個別者 (個体)が
ここに分類 される。敏 田 さて
,こ
の存在す る事物 の4分類 によってア リス トテレスは何 を意図 していたのか。 この分類様 式のカテゴ リーの分類 との関連 は何か。 まず,「基体 に於いてある」という分類基準の意味か ら考 え よう。 これについてのア リス トテレスの説明 はご く単純である。「基体に於いてある」ということの 意味 は,「あるものに於 いてあるが,それ は部分 として内属 しているのではな く,それに於 いてあるものを離れては存在す ることが不可能である」(どッ党中 μ″おs μ
ttOS流
&βttοフ彦肋νατονχO/JとSe,ναι狗紗さνっ釣立メ911と いうことである。アクリルは
,術
語的な意味で「Aが
基体Bに
於 いてある」 ことを
,ひ
とまずつぎのように分析で きるとしている。すなわち,Aが
Bに於 いてあるのは,以
下の ときかつその ときのみである。(a)日
常言語で 自然 に,Aは
Bに於いてある,ま
たはAは
Bのものである,ま
たはAは
Bに属す る
,ま
たはBは Aを
持つ,等
々 と言 うことがで き,(b)Aは
Bの
部分で はな く,(C)Aは
Bか
ら分離で きない。(1の ここで,(C)の
分離不可能性か ら帰結す ることは,基
体への「依存性」を有 しない ものは「基体 に 於いてある」 もので はない,ということである。従 つて,実
体 は「基体 に於いてある」 ものか ら除 外 される。「基体」とはギ リシア語の「 ヒュポケイメノン」(栃οχε″εフοフ)の 公認 の日本語訳である が,元
来,あ
るものの「基 におかれてあるもの」 を意味す る。実体以外のカテゴ リー は,そ
れが現 実に存在するとき存在 の基盤 を要求する。〈白さ〉は雪の白さ,膚
の白さ,紙
の白さとして存在す る。 非実体 のカテゴ リー はその存在性 において実体 に依存する。非実体 のカテゴ リーに属す るもの,い
わゆる付帯性が,そ
れゆえ「基体 に於いてある」 もの とい うことになる。他方,実
体 は存在 に関 し て他の ものに依存することはない。「基体 に於いてない」とされる存在者 は存在性 において他 に依存 しない もの,す
なわち実体以外 にはない。 もちろん,基
体 と実体 は同 じもので はない。両者 の概念 は異なる。実体が,存
在する事物の,述
語 の観点か ら見た分類項 目の中の一項 目であるのに対 して, 基体 は依存性 とともに「述語づけ」の観点か ら見 た分類枠である。基体 は「基体 に於 いてある」 と いう存在の依存性 に関わるとともに,「基体 について述語づ けられ る」という述語づ けの場面で文法 的な「主語」の位置 を占める,い
わば「主語的存在」(11)である。 そこで,つ
ぎに「基体 について述語づ けられ る」 ということの意味である。ア リス トテレスはこ こで各カテゴリーでの個体 と種・類の関係を基本的に考 えている。「 このある人間は人間である」お よび「人間 は動物である」におけるように,実
体 のカテゴ リーでの種 (人間)や
類 (動物)は
常 に 何か を基体 (主語的存在)と してそれについて述語づけられる。 また,「この白は自である」,「白は 色である」のような非実体のカテゴ リーでの種 (白)や
類 (色)も
常 に何かを基体 としてそれにつ いて述語づけられる。それに対 して,「このある人間」,「この白」,「このある文法知識」といつたも の,つ
まり各カテゴ リーにおける個別的な もの (個体)は
「基体 について述語づ けられる」 という述語づけ と実体 ことはない。それ らは文法的には主語の位置 しか占めない。 このことと,「基体 に於 いてある」こと とは直接の関係 はない。つ まり
,個
別的な もの,数
において一なるものであ り,従
って「基体 につ いて述語づけられない」ものであって も,「基体 に於いてある」ことも「基体 に於いてない」ことも 何 ら差 しつかえない。 こうして見 ると,「基体 に於 いてある」とい う分類基準 は,実
体 と非実体 のカテゴ リー(いわゆる 付帯性)に
諸カテゴ リーを三大別する。他方,「基体 について述語づ けられ る」 という分類基準 は, 諸カテゴリーを横断的に個別 と普遍 に分 ける。 ここで改めて以上の4分類 をまとめると,つ
ぎのような表がで きる。 述語づ けられ ない 述語づけられる 実 体 (2)このある文法知識 (3)知識 (4)このある人間 人 間 個別的な もの 普遍的なもの §3
述語づけの系列 と類・ 種 『範疇論』3章でア リス トテレスは,述
語づけの系列 とそれに関連する種差 の問題 を考察 してい る。 まず,述
語づ けの系列であるが,一
般 に「・・・とこ述語づけられる」 という述語づけの関係 は推移 的であるとされる。すなわち,Bが
Aに
述語づけられ,さ
らにCが
Bに述語づ けられているとき,Cは Aに
述語づ けられる(1動。これが個一種―類 という各カテゴ リー における存在する事物の系列 を 基礎 にしていることは明 らかである。例 えば,種
「人間」が個体「 このある人間」に述語づけられ, 類「動物」が種「人間」 に述語づ けられ るとき,類
「動物」 は個体「 このある人間」 に述語づけら れる,と
ア リス トテレスは言 う(13ち こぅして , このある人間は人間である 人間 は動物である ゆえに,こ
のある人間 は動物である, とい う三段論法がで きる。 ここで,「このある人間は人間である」という場合の「人間」の「 このあ る人間」に対する述語づ けと,「人間 は動物である」 という場合の「動物」の「人間」に対す る述語 づけ」の間には基本的な区別 はない。 もちろん,前
者 は第一実体 に第二実体が述語づ けられるのに 対 して,後
者 は第二実体間の述語づ けであるという点で は,両
者 は異なっている。 しか し,両
者 と も述語の名 も定義 も述語づ けられ る典型的な同名同義的な述語づけであることに変わ りはない。 こ れに関連 して,フ
レーゲ以後の論理思想 とア リス トテレスのそれを比較することは興味深いことで る い あ な て て い い 於 於敏 ある。 フレーゲ以後 において
,個
体が集合のような普遍 に帰属す ること (あるいは個体が概念 に包 含 されること)と
,集
合 と集合 との大小関係 (あるいは概念 と概念の包摂関係)と
は根本的に異な るもの とされ,従
つてそれ らの「述語づ け」の関係 も当然 に異なるもの と見 なされる。集合 と集合 の大小関係 (概念 と概念の包摂関係)に
は推移性が成 り立つが,個
体 と集合の帰属関係 (個体 と概 念の包含関係)に
は推移性 は一般 には成 り立たない(10。 フレーゲ以後,個
体 と集合 (概念)の
,一
般に個別者 と普遍 のいわば存在論的区別 は,ア
リス トテレスの区別,つ
まり個別者 としての第一実 体 と普遍 としての第二実体 の区別 よリー層厳格であるといえる。 ア リス トテレスの場合,述語づ けの系列 に許 され る推移性 は個一種―類 の連続性 に依拠 している。 そのことの一面が「種差」 に関す る彼 の考察 に反映 している。 まず,互
いに従属 (包摂)関
係 にな い類の種差 は互いに種 において異なる。例 えば,動
物 という類 と知識 とい う類 は互いに従属関係 に はない類であって,そ
れ らの種差 も種 において異なる。すなわち,動
物 の種差 としては 〈有足 の〉 〈有翼の〉〈水棲 の〉〈二足 の〉な どがあるが,こ
れ らはいずれ も知識 の種差で はない(19。 それに対 して,相互 に従属関係 にある類 においては同一の種差があ りうるとされる。動物 の種差 としての〈二 足の〉は,同
時に,動
物 に従属す る類で ある人間の種差で もあるか らだ。実際,「このある人間」が 「人間である」のは,〈二足の動物〉=〈
人間〉 という人間の定義 に現れる種差 〈二足の〉を「 この ある人間」が所有 しているか らである。 そして,「人間」が「動物」であるのは,「人間」が く二足 の〉によって分割 された動物 という類 の下位類であるか らである。従 って,「このある人間」は 〈二 足の〉 という「人間」 と「動物」 に共通な種差 によって「動物」であると言 える。「 このある人間」 は「人間」で もあ り「動物」で もあるのである。 ここで,述
語づ けの推移性 と種差 の受 け渡 しが対 応 している。「 このある人間 は動物である」 と言 えるのは,「このある人間が人間であり」かつ「人 間が動物である」か らであった。述語づけの推移性が ここに働 いている。他方,「このある人間が動 物である」のは「 このある人間」が く二足性〉を持ち,「人間」も「動物」も共通 の種差 としての(二 足性〉を持つか らである。ただし,「共通の」種差 という場合,種
差 の機能 の違いがあることも確か である。「人間 は二足 の動物である」において,〈二足の〉は述語 (の一部)となっている類「動物」 を下位 の類「人間」へ と分割する種差 (differentiae di siac)であるとともに,他
方で は,主
語で ある「人間」の定義 〈二足 の動物〉を構成する種差 (differentiae constitut ae)であるか らである。「種差」 という語 をこのように二つの別の機能 を合わせ持たせたままで使 うことは同名異義的使用
とな り
,論
点 を不明確 にさせ るという批判 を免れないであろう。§
4
第一実体 と第二実体の区別ア リス トテレスが基本的な述語づ けのモデル として
,実
体(況税α)とこおける個一種一類の系列 を述語づけと実体 で述べ られるか ぎりでのア リス トテレスの実体論 を,特に述語づ けの観点 を中心 に据 えて追究する。 まずア リス トテレス は
,実
体 を第一実体 と第二実体 とに区分することか ら始 めている。第一実体 はこう定義 される: “最 も厳密な意味で,第
一義的に,と
りわけて く実体〉 と呼ばれるのは,基
体 (主語的存在) となるあるものについて述語づけられるので もな く,基
体 となるあるものに於いてあるので もない ものである" “οう税α δa どστινηχv/Jιbτατtt τεχαι z/JωτωS χαιμαえιστα えεγ9μεフη, ημητεχαθ' 栃οχεりενου ttνbSえε7e2ι μη寛 どνうЮχεttεフ?隻
力 どστιフ'(lω 第一実体の例 としてア リス トテレスは くこのある人間〉(δ,stわprJωποS)と くこのある馬〉(δ tts ′筋 Os)を 挙 げている。 この例か ら,わ
れわれ はア リス トテレスがS2で
考察 した存在する事物の4 分類 における(4)の,「基体 に於いて もな く」,「基体 に述語づ けられ ることもない」もの,す
なわち 個別者 (個体)である実体 を第一実体 と考 えていることが分か る。S2で
の分類がひ とまず確認 され ているのである。 つぎに第二実体 はこう定義 される: “他方,第
二実体 と呼ばれるのは,第
一義的に実体であると呼ばれるものがそれに属するとこ ろの種や,ま
たそれ らの種が属する類である" “甚″ψαι tt οうσZαιえるγοフταと,どフοιs er甚挽ναとz/」あτωs οう税αι ttεγoμεフαι脆 ,kουげιフ, 傷α 碇 銀 寛 χ 沈 ぢα 売 ″ εとd釣フ 狗 つ顎 ω フ ヵ フη"(17) 第二実体 の例 としては,く人間〉や 〈動物〉が挙 げられ る。 とい うのは,くこのある人間〉 は種 とし ての く人間〉に属 してお り 〈人間〉の一例であ り,さ
らに く人間〉の類 は 〈動物〉であるか らであ る。 ここでは,S2で
の4分類 の(1)の「基体 に述語づけられる」が「いかなる基体 に於いて もない」 ものが第二実体 として考 えられている。(19それ らは第一実体 の種や類である。 さて,つ
ぎのパ ラグラフ (2a19-34)でア リス トテレスは実体 の述語づ けの特徴 について語 る。 上で定義 されたように第一実体 は「基体 について述語づ けられ る」 ということはないか ら,述
語づ けられ るものは第二実体である。彼 は「基体 について述語づけられ」かつ「基体 に於いてない」 も の,す
なわち第二実体が述語 となる場合の「述語づ け」の特徴 は,述
語づ けられ るものの名 も定義 もともに基体 (主語的存在)に述語づけられることだ という(…撹bν /αθ'栃ο/εり乙フουえεγ攣るフtrJフ彦να9//αをονχαとτοbνo/α /αとおνえι9/oフ /α切狩/9ρεをσθαιτοクうποχε,μるフου,2a19-21)「 ことDあ る
人間は人間である」 と言われるように
,第
二実体である 〈人間〉の名「人間」が くこのある人間〉に述語づけられ る。同時に,〈人間〉の定義
,例
えば 〈二足の動物〉も くこのある人間〉に述語づけられ る。なぜな ら
,個
体 としての このある人間は二足の動物,す
なわち人間であるか らである。そ10 田 いうことはない。むしろ,「たいていの場合
,名
も定義 も基体 (主語的存在)に述語づけられること とまなセゝ」(叡銹νδ'どフうποχε蓼るν73フτωνど滋 μさフめ νπえειttsフ οbぢε ttοケッqμαοttε δえ6γos χαηγορε22ι 陶ケ栃οχε学るフου,2a27-29)。「基体 に於いてある」 もの とは,§ 2の 4分類では 'F実 体のカテゴ リーに属す るもの,いわゆる付帯性である。この場合 の述語づ けとしては,「このある人 間 は白 (白さ)で
ある」とか,「カ リアスは気前のよさである」といった成立 しない述語づけが念頭 に置かれ,抽
象名詞で与 えられ る性質等の非実体のカテゴ リーに属する事物が「基体 に於 いてある」 もの として考 えられているのであろう。ところが一方で,「ただし,い
くつかの場合 には,それ らの 名が基体 について述語づ けられ ることは可能であるが,そ
れ らの定義が述語づ けられることは不可 能である」(どπ'ど力oフ 溌 τοbν 9μαμさフοめきνχωえ統ιχrYη9/0/Dεttσθtt το紗栃 οχε蓼台フου,τbν 焼 λιγoν 彦肋νατον,2a29-31)と言われ る「基体 に於いてある」ものがある。例 えば,「このある人間 は白い」 とか「カ リアス は気前が よい」 といった述語づけが考 えられている。ア リス トテレス自身 の例 は,「この物体 は白い」 というものである。 この場合,「白い」 という名 (語)は
「 この物体」 に述語づけられ る。 しか し,述
語「白い」が導入することになる性質「白」の定義 (「白さ」の定義) は くこの物体〉 には述語づけられない。 この箇所 は相当に重要な問題 を惹 き起 こす ことが予想 され る。「 この物体 は白い」 とい う述語づ けは許 されるが,「この物体 は白である」 という述語づけがな ぜ許 されないのか,そ
の ことの突っ込んだ説明は与 えられていない。「 この物体 は白である」が成 り 立たない理 由としては,カ
テゴ リーの違いによって,同
一のカテゴリー内での個一種―類の基本的 系列か ら外れる述語づ けとして一応 は説明で きよう。 しか し,「この物体 は白い」が少な くとも「名」 のレベルでの述語づ けとして許 されるとはどういうことか?「白い」という言語装置が,「この物体」 が「白さ」にある仕方で「与 る」,あ
るいはある仕方で「白さ」を分 け持つ ということを表現する手 立ての一つ としてあることは間違いない。言語装置 は存在す る事物間のある関わ りを表現 している 筈だか らである。ア リス トテレスがプラ トン的な「分有」関係 をここで前提 しない とすれば,彼
独 自の説明が当然求められる。 しか し,テ
キス トにはその手がが りは見出せない。 さて,第
二実体 による述語づけが基本であることは以上のような仕方で説明されたとして,つ
ぎ にア リス トテレスは第一実体が とりわけて実体であるとされ る理由を別の角度か ら論 じる (2a34-2 b6)。 まず,「ところで第一実体以外のすべてのものは,第
一実体 を基体 としてそれ について述語づ けられるか,または第一実体 を基体 としてそれに於いてあるかのいずれかである」(独 δ'彦ええα滋 フ密″叡%χαθ'1坊οχεりるッωフえむ7e7LYι τaフ z/JぁτωフοじGtaν ,さッむ″οχε″るツαιS α歩寛vttsど,カフ,2a34-35)
と言われ る。 しか し
,一
見する とこれ は筆のすべ りか と疑われ るか もしれない。 というのは,第
一実体以外の もの
,す
なわち,第
二実体 (個体実体の種や類)や
非実体 のカテゴ リーに属するものが第一実体 に述語づ けられ るか
,第
一実体 に於いてあるしかないということに対 して,例
えば,「人間は動物である」 とい う述語づ けでは類である 〈動物〉が第二実体 たる種 〈人間〉 に述語づけられて
述語づけと実体 ■ いるし,「色 は物体 に於 いてある」か ら 〈色〉は第二実体 た る 〈物体 〉に於 いてあ るで はないか
,と
反論 で きそ うに思われ る。(19Jしか し,これ に対 してア リステ レス はこう答 える。「人 間 は動物である」 , 従 って当然「 このあ る人間 は動物 であ る」 と言 える。 なぜ な ら,ど
んな「 このあ る人 間」 に も「動 物」が述語づ け られないな らば,そ
もそ も「人 間」 に「動物 」が述語づ け られ る ことはな´ だ ろう / か ら,と
。 また,「色 は物体 に於 いてあ る」,従
って当然「色 はこのある物体 に於 いてあ る」 ことに なる。 なぜ な ら,色
が個々 の物体 に於 いて ある ことが ない としたな らば,そ
もそ も「色 が物体 に於 いてある」 とい うこともないだ ろうか ら, と。 それ ゆえ,第
一実体以外 のすべての もの は,第
一実 体 について述語づ け られ るか,また は第一実体 を基体 としてそれ に於 いてあ るかで あ る ことにな る。 ア リス トテ レス はここで,一
方で は,実
体 の個一種 ―類 の述語 づ けにお ける推移性―― すなわち,Aが
Bに述語づ け られBが
Cに述語づ け られれ ば,Aは
Cに
述語づ け られ る とい う こと一― に依拠 し,他
方で は,「於 いてある」とい う関係 が個体実体 に還元 され る とい うことに依拠 してい る。 そ し て これか ら,ア
リス トテレス はつ ぎの結論 を導 き出す:「第一実体 が存在 しな けれ ば,そ
の他 の も のが存在 す る ことは不可能 で あ る」(μ″οう℃め フοενお ッηbl胞フοttιあν彦肋ναttν ttbッ カえ九oフ 寛 ει72ι,2b5-6), と。 こうして第一実体 は,「述語づ け」 における基本的な基体 (主語的存在)で
あるこ とと,「於 いてある」という関係 における基本的な基体 であるとい う両方の役 目を他 の事物 に対 して果た す ことによ り,他
の事物 の「存在」の基礎 となる。「存在」とい う観点か らの「第一実体 の優位」が ここ で明確 に規定 された訳である。 §5
第二実体 と種差 さて前節で見 たように,第
一実体 と第二実体 の区別 は,第
一実体の,他
のすべての事物(第二実体 と 非実体 のカテゴ リーに属する事物)に 対 す る優位性―‐第一実体が存在 しなければ他 の事物 は存在 しえ ない, とい う「存在」に関す る優位性―― に基づいていた。 その優位性 によって,第
一実体 は実体 の内 で もとりわけ典型的な実体 とされた。それで は,第二実体 においてはそのような優位性 はあるのか ?ア リス トテレス はつ ぎにこの点 を論 じてい る。第二実体 は くカ リアス〉や くこのある人間〉 といつた個体 実体 (=第一実体)の種や類である。 ア リス トテレスは,種
と類 とで は,種
が類 より第一実体 に一層近 いか ら一層実体 であると言 う(2b7)。 その理 由は主 として二つある。一つ は,第
一実体 の何であるかの 説明 として,種を与 える方が類 を与 えるよ り,一層明確で一層固有である,と い うことである。例 えば, 〈このある人間〉の何であるか を く人間〉として説明 した方が,〈動物〉として説明す るよ リー層明確で あ り,くこのある木〉の何であるかを く木〉として説明す る方が 〈植物〉として説明す るよ リー層明確で ある,とい うことである。説明が「一層明確 である」γνO/Jりあτψοフというのは情報量が よ り多い とい うことであろう。(人間〉という説明の中には 〈動物〉という情報がすでに含 まれてい るが その逆 は成 り 立たない。従 って,〈このある人間〉に対 しては種 く人間〉を説明項 とす る方が,類
〈動物〉を説明項 と12 田 す るよ リー層多 くの情報 を与 えることになる。これに関連 して,第二 の理由はこうである。「第一実体が 他のすべての事物 に対 して持つ関係 を種 は類 に対 して持つ」 (議 洸 7c αとηあ2ι 況極αι z/JbSカ 加 えα iχοttιフ
,0協
∂χαとτb ε 'δ os Tρぅs τbヵ
os iχει,2b17-19): 第一実体 :他のすべての事物=種
:類。 つ まり,他
のすべての事物が第一実体 を基体(主語的存在)と してそれについて述語づ け られ るように, 類 は種 に述語づ けられ る。しか し,その逆 は成 り立 たない,つまり種 は類 について述語づ けられ るとい うことはない。 こうして,実
体 のカテゴ リー における個体一種―類 という系列で,個
体 の種・類 に対す る優位 (第一実体 の優位)が,類
比的に第二実体 たる種 と類 に持 ち越 される。第二実体 内での優位性 は あ くまで,種
と類 とい う系列の位階の差 に基づ く。従 って,類
にはな りえない種,いわゆる最低種 にあ って は,そ
れ らに優位差 はない。例 えば,くこのある人間〉を く人間〉として説明す るの と,くこのある 馬〉 を く馬〉 として説明するの とで は,説
明の明確 さ (情報量)。 固有 さに差 はない (2b2223)。 種 と類 は第二実体 の内部である優位差 を持つ ものであるが,そ れ らは一 まとま りの もの として第二義 的にせ よ実体 と呼ばれ る。ア リス トテレスがつ ぎに考察す るのは,種と類が ともに第二実体 とされ る理 由である。 その一つ は,種
と類 のみが本質規定 (Лttα :実体)としての説明を与 えるか らである。例 えば,くこのある人間〉の何であるかの説明 としては,〈白い (白くある)〉 れ ッ ινとか 〈走 る〉″るχει を与 えるのは場違いな仕方・異縁なや り方 (力ええοηιos:2b35)で
ある。くこのある人 間〉 に対 しては, 〈人間〉 とか 〈動物〉 という説明 を与 えて こそ,何
であるかの問いに本来的に (οιχειωs:2b33)答
え た ことになる。種や類が第二実体 と正当に も呼 ばれ るもう一つの理由は,述語づ けに関す るそれ らの第 一実体 との類比的な位置である。すなわち,「第一実体が他 のすべての事物 に対 して持つの と同 じ関係 を, 第一実体 の種 と類 とは [第一実体以外 の]他
の残余の事物 に対 して持つ」(益 甚9/cαとηattι 況湧2ι πρbs力
加 えαπ&フτα `χο嶋モν,0硫
§ τtt ειδηχα】ぢ>た
νητ6ν ttρbぢωνοtttaν Z/9bs τ> 九οιπ汲 滋 フ惚 軌 εと,3al-3): 第一実体 :他のすべての事物=種
。類:[第
一実体以外の]他
の残余 の事物。 つまり,他のすべての事物が第一実体 に述語づ けられ るゆえに第一実体 はもっ とも厳密な意味で「実体」 と呼ばれ るように,種
と類 には第一実体以外 の他のすべての事物が述語づけられ る。その例 として,ア リス トテレスは非実体 のカテゴ リ▼に属す る事物 が類や種 に述語づ けられ る場合 を挙 げている。すなわ ち,くこのある人間〉が く文法的〉であると語 られ るとすれば,〈人間〉が 〈文法的〉であ り,〈動物〉が 文法的であると語 られ ることになる。個体実体 に述語づけられ る付帯性 は同時 にその個体実体 の種や類 にも述語づ けられ る, とア リス トテレスは考 えている。 さて,「基体 に於いてない」,とい うS2で
の4分類 での「分類基準」の一つが,す
べての実体 に共通で あることが確認 されたあ と,この ことは実体 にのみ固有な ことで はない,と言われ る(3a21以下)。 ア リス トテレスによれば,種
差 もまた「基体 に於 いてある」もので はないのである。「人間 は有足である」 敏述語づけと実体
13
とか『人間 は二足であ る」 とい う仕方で語 られ ることにより,〈有足 の〉や く二足 の〉は 〈人間〉を基体 としてそれに述語づ けられ るが,〈人間〉を基体 としてそれに於 いてあるので はない という。一般 に〈有 足の〉や 〈二足の〉 といった種差 は 〈人間〉に於 いて はない とい う。 さらにまた,種
差が述語づけられ るものにはその種差 の定義 も述語づ けられるとい う。「人間 は有足である」とい う 〈有足〉の く人間〉へ の述語づ けがある とす ると,〈脚 を持つ〉とい う 〈有足〉の定義 もく人間〉に述語づ けられる。すなわち, 「人間 は脚 を持つ」。『範疇論』においては,種
差が述語づけの観点か ら実体 とほぼ同 じ身分 を持つ こと については,これ以上 の説明 はなされない。この ことが解釈者 たちを悩 ます理 由の一つである。種差 は 第一実体でない ことは明 らかであるか ら,も し実体であれば第二実体 であるが,第
二実体 は第一実体 の 種 または類であった。従 って,種
差 は第二実体で もない。つ ま り,種
差 は非実体 のカテゴリーに属す る 筈である。非実体 のカテゴ リーであれば,「存在」に関す る「依存性」によ り,S2の
存在する事物 の4 分類 の議論か らすれ ば,「基体 に於 いてある」ものでなければな らない。 しか し,種
差 は「基体 に於 いて ある」もので はない とされ る。 また,非
実体 のカテゴ リーであれ ば,仮
に述語づ けが成立 し性質の実体 への帰属関係が述べ られた として も一一例 えば,「カ リアスは気前が よい」のように一― しか し,その述 語づけが導入す る性質 の定義 は述語づ けられない一―例 えば,〈気前のよさ〉の定義 をく金 に糸 目をつけ ない こと〉 とす ると,「カ リアス は金 に糸 目をつけない ことである」 とはな らない。 さらに実体 と種差が共有する特徴 として,それ らが述語づけられる場合,「同名同義的に」億切0フ″os) 語 られることが挙 げ られ る (3a33-3b9)。 第一実体 は述語づ けられないが,種
は個体 (第一実体)に類 は種や個体 に述語づ けられる。その とき,述語 となる種や類 の名 だけで はな くその定義 も述語づ けられ る。それが,同
名 同義的 とい うことである。例 えば,「このある人間 は人間である」と言 えるか ら,〈人 間〉の定義 〈二足 の動物〉 も述語づ けられ,「このある人間 は二足 の動物である」 と言 える。「人間 は動 物である」の場合 も同様 である。 ところで種差 も同 じ く個体や種 に同名同義的 に述語づけられ る。例 え ば,「このある人間 は二足である」や「人間 は二足である」といった具合 に。 その時,人
間の種差である (二足 の〉の定義 も くこのある人間〉に述語づ けられ る。 こうして,実
体 と種差 は同名異義性 の観点か らも,あ
る類似性 を持 つ ことになる。実体 の名(実体語)は常 に同名同義性 に関与する訳で はない。「動 物」翰 οフという実体名 は,〈描かれた像〉および (植物 と対比 され る動 く生物 としての)く動物〉 とい う同名異義的な ものの共通 の名である。従 って,実
体 は常 に同名同義的であるが,実
体名が常 に同名同 義性 に関与するとは限 らない。 また,性
質 は派生性 に関与す る。(文法家〉はその名「文法的」を性質〈文 法〉か ら得 る。 また,性
質 は同名異義性 に似た事態 を生 む。「カ リアスは白い」とい う述語づけは成 り立 つが,「カ リアス は白である」や「カ リアスは**な
る色である」は成 り立たない。 しか し,種
差 は実体 と同 じく,同
名同義的である。で は,種
差 は実体 なのか ?そ うで はない。非実体 のカテゴ リーであると すると,種
差 は性質 なのか ?し か し,性
質 は派生性や同名異義性 と類似 の事態 に関与す る。種差 はそう ではない。種差 はア リス トテレスの実体論 にとってある独特な位置 を占める。しか し,『範疇論』の範囲14 田 で はそれ以上 の言及 はな されていない。90 §
6
実体の さまざまな特徴 『範疇論』5章の後半で,ア
リス トテレスは実体 の持つさまざまな特徴 を列記 している。順次,考
察 してい くことにす る。(1)ト
デ・ テ ィと実体 の性質 まず,ア
リス トテレスが取 り上 げるのは, トデ・ティ (b甚 寛:これなる或 るもの,個
別的な もの) の問題である。すべての実体 は トデ・ティ (これなる或 るもの)を
示す ように見 えるがそれは正 し くな い, と彼 は言 う (3b10以下)。 確かに,第
一実体 (例えば くこのある人間〉)は
疑間の余地な くトデ。テ ィを示 しているが,第
二実体 (例えば く人間〉や く動物〉)はそうで はない。「人間」「動物」とい う名称 の形態か らすれば,く人間〉や く動物〉は個別者 を示 しているように見 えるが,実
際 にはそうではな く, ある性質 (ποιιフ寛,3b15-16)。 実体 に関す る性質 (περと況厩 αフめ ποιιフ,3b20)を示 している。 も ちろん,〈白い〉えεttbν のような純然たる性質のカテゴ リーに属す る規定 と,く人間〉や く動物〉といっ た第二実体が示す 〈実体 の性質〉 とははっ きり異なる。性質 は単なる規定であつて「何であるか」 とい う事物の本質規定 には必ず しも関わ らない規定 を与 えるにす ぎない。カ リアスが 日焼 けして黒 くなって も,カ リアスが く人間〉であることに変わ りない。一般 に性質が実体 の偶然 な規定 (付帯性)を示すの に対 して,第
二実体 のある性質づけは実体 そのものの有様・種類 の規定 (「どのようなた ぐいの実体か」 ποιttν 寛72況
税αν,3b20-21)で ある。ただ,そのような規定 と純然 たる性質 とを同 じ語ポイオン(ποι6ν) で示 しているのは不幸である。 これに関 してアク リル はつ ぎのようにコメン トしている: “それ [実体 の性質]は
,性
質のカテゴ リーに属す るもの として事物 を分類す るのに貢献する用法 とは異なるところの,「どんな性質 の(どのようなた ぐいの)?」とい う問いの用法か ら導かれ る。 「カ リアス はどんな性質 を持つか?」 (あるいは「カ リアスはどんな種類 の人間か?」)とい う問 いは,その答 えを性質 のカテゴ リーか ら得 る。それに対 して,「カ リアス はどんな性質の動物か?」 (あるい は「 カ リアスはどんな種類 の動物か?」)とい う問い は,実
体や量 な どに対立す るもの と しての性質 を聞いているので はな く,動
物 の性質,動
物 の種類 を聞いている。ア リス トテレスが カテゴ リーの用語 と同 じ語 を使 って,これ これの種類や特性 を言い表 そうとしているのは,彼の 語彙が限 られてい ることの結果である。"OD
(2)実
体 にその反対物 はない こと つ ぎに,ア
リス トテ レス は実体 にはその反対物 (対立す るもの,両
立 しない もの)が
存在 しない こと を論 じている。例 えば,第
一実体 としての くこのある人間〉に反対 の ものはない。 ソクラテスの反対物 が妻 クサンティッペであるな どとは言 えない。(人間〉や 〈動物〉のような第二実体 に も反対物 は存在 し ない。だが,反
対物がない ことは実体 にのみ固有 なことで はな く,例
えば,量
のカテゴ リーにおいて も 敏述語づけと実体
15
多 くの場合 に見 られることが指摘 され る(3b2732)。 例 えば,〈二尺〉や 〈十個〉とこはその反対物 はない。 ただし,〈多〉とく少〉のような不確定 な量 について は考慮 の余地があるとア リス トテレスは考 えている。●分 しか し,確
定 した量 (カ カφ9″印 ε1/T πο確,3b31-32)の場合 には反対物 は存在 しない という。(3)実
体 は「 より多 く。より少 な く」 とい う程度 の差 を受 け入れない こと ア リス トテレスに とって,「白い」「熱い」「美 しい (立派である)」 といった性質 のカテゴ リーに属す る事物 と違 い,実
体 の場合 には「 よ り多 く 。より少な く」(め μ夕λλοフ/αとτう つ″ον)という程度 の 差 を語 ることはで きない。若い ソクラテスが年老いて「 よ り多 く」ソクラテスにな る訳 で はない。二十 歳の青年が五十歳 の初老の男 より「 よ り少な く」人間であるのではない。 その他の条件が同 じ場合,青
年を殺 した罪が初老の男 を殺 した罪 よ り,青
年が「 よ り少な く」人間だか らとい う理 由で,軽
くなるこ とはない。 しか し,ソクラテスの死 に立 ち会 う老いたクサ ンティッペ より二十歳 の彼女の方が(おそら く)「より美 し く」あっただろう。九州 の片田舎か ら上京 して東京帝国大学 に学んだ三四郎 は,人
間的 に 成長 し「 よ り立派 に」なったであろう。 しか し,「より多 く」人間になった訳で はない。 田合 にいた とき の三四郎 も都 に上 った三四郎 も同 じ一人 の人間 (同一人物・同一人間)で
あるか ぎ り,「よ り多 く」人間 になることはで きない。「 よ り(多く)人間的になる」という言い方 は,ア
リス トテレスの場合,不
正確 な言い方 (あるいは比喩的な言い方)で
あ り,人
間 として望 ましい性質 (特性 。徳性)が
一層身 につい て きた とい う意味であって,「何であるか」とい う本質規定 況税α(実体)と しての 〈人間〉とい う規定 が変化 した ことを意味するもので はない。(4)実
体が相互 に反対 の ものを受容す ること 『範疇論』5章の最後 の長いパ ラグラフ (4a104b19)で,ア
リス トテレスは実体 に特 に固有な特徴 を 語 る。彼 は言 う,「さて, とりわ けて実体 にのみ固有 な ことと思われるのは,〈実体〉は,そ
れ 自身同一 性 を保 ち数 において―であ りなが ら,相
互 に反対 の ものを受 け入れ るとい うことである」(μれえ″2焼
ιれονつSOうり屹αsヵ
χε2 ειναιめ2婉
フχαとすフヵ ι″ゥδフめ ツどνανttων εと72ι δ `χ ttχひν,4a10 11),と 。 ここで,「実体」と言われているのは,アク リルが指摘するように,90厳
密 には第一実体 の こ とであろう。「数 において一である」どフみ ι″夕という言い方は個別者 としての実体 を示す ものだか らで ある。従 つて,こ こでア リス トテレスが主張 していることは,同
一の 〈個別的な人 間〉が,あ
る場合 に は黒 くなった りある場合 には白 くなった りす るという,性
質変化 を受 け入れ ることであって,黒
い く人 間〉 もいれば 〈白い〉人間 もいるとい うことで はない。個体実体 (第一実体)と違 い,他
のカテゴ リー に属す る事物 は相互 に反対 の ものを受 け入れ ることはない。例 えば,(ア リス トテレスの挙 げる例で は) 色の場合,数において―である同 じ色が 白 くあ り黒 くあることはない。また,(こ れ もア リス トテレスの 例であるが)同
一の数において一なる行為が「善 い」かつ「悪い」 とい うことはない。個別的な白が個 別的な黒 に変わ ることはない。同一 の行為が善い行為か ら悪い行為 に変わ ることはない。(ただ し,「善 い」とい う評価が「悪い」とい う評価 に変わ る場合があるので はないか, とい う反論 はあ りえよう。例16 田 えば
,あ
る集団の政権奪取の行動 を「革命」(善または正義)とみなすか「暴動」(悪また は不正)とみ なすか,歴
史の変化 によってその行動 の歴史的評価が変わることがある。これについて,おそ らくア リ ス トテレスは行為 (行動)の善 し悪 しは全体的評価 として考 えるべ きであ り,時
間 (歴史)の
変化 に左 右 されない形での評価 を与 えるべ きである と答 えるか もしれないが,い くぶんかの疑間 は残 る。)それに 対 して,個
別的実体 のみが,それ自身 は同一性 を保 ちなが ら反対 の ものを受 け入れ る,つまり性質変化 を受 け入れ るのである。 ア リス トテレスは予想 され る反論 として,同
一 の命題 (また は言明:えbγοs)や判断 (開″)が時 に 真であ り時 に偽である,と言われ る場合 を考察 している。例 えば,「テアイテ トスが座 っている」とい う 命題が真であるとき,も し座 っていたテアイテ トスが立 ち上が ったな らば,その同 じ命題 をその時語 る 人 は虚偽 を語 ることになる,とい うわ けである。これに対するア リス トテレスの応答 は,命
題や判断が 真か ら偽へ と変化 した とい うより,事
物が存在 した りしなかった りすることによって(つまり,テ
アイ テ トスが座 っているという事態の存在 と消滅 によって),同じ命題や判断が事実に合致 した りしなかった りす るのであって,命
題や判断が性質変化 を受 け入れた訳で はない,というものである。アク リル は, この予想反論 に対す る「仮想 の」ア リス トテ レスの応答 を二つ考 えている。90-つ
は,「カ リアスは座 っている」とい う現在 の私の命題 と後 の私 の命題 は同 じ命題で はあって も同 じ個別的命題 とは言 えない と論 じることによ り,真理値 を変 える個別的命題や個別的判断の反例が維持で きない ことを示す とい う ものである。 もう一つ は,命
題 (言明)えιPsの
同一性 の基準 の中に発話 の文脈 も含 まれ ることを主張 することにより,あ
る時点での発話「カ リアス は座 っている」 と別 の時点での発話「 カ リアスは座 って いる」 とが同一 の命題 (言明)で
もない と応答す る,というものである。 いずれにせ よ,生
成 。消滅 とい う「存在」 に関わる根本的変化 に耐 え抜 き,自
己同一性 を保 ちなが ら 相互 に反対であるものを受 け入れ る (性質変化 を受 け入れ る)の
は第一実体 の特徴である。 これ まで考察 して きたように,『範疇論』での述語づ けは,実体 の個一種一類 の系列上での述語づ けが 一―すなわち第二実体 の述語づ けが一一基本的な もの とされている。それに対 して,例
えば『分析論後 書』での科学論 の展開において,〈三角形〉に対 す る 〈内角の和 として二直角 を持つ〉や,〈広葉樹〉に 対す る 〈落葉す る〉のような,非
実体 のカテゴ リーにおけるいわゆる自体的付帯性 の述語づ けが重要 と なる。 さらに,「存在 としての存在」の考察 の中枢的部門 としての「実体論」は『範疇論』で は展開され ず,述
語づけの観点か らの考察 に限定 されている。これ ら,別
の観点か らの述語づ けと深化 された実体 論の検討 は別 の機会 に譲 ることにする。 註(1)Categoriae la1 2。 アリス トテレスのギリシア語のテキス トとしては,Oxford Classical Texts中のL Minio‐Paluello, 敏
述語づけ と実体
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AristOtelis Categoriae et liber de lnterpretatione,Oxford 1949を 用 い,]1用もこれ によって行 う(以後,Categoriae
をCatと略記す る)。 また,翻訳 として は,松永雄二訳(世界古典文学全集16『ア リス トテ レス』筑摩書房,昭和41年) に主 として従 い, アク リルの英訳 (」L Ackrill,Aristotle's Categories and De lnterpretatione,Oxford Clarendon Press 1963)と 山本光雄訳 (アリス トテ レス全集 1『 カテゴ リー論』岩波書店,昭和46年)を適宜参照す るが,一部字 旬 を変更することがあ る。 (2)Ackrin,。p cit p71。 (3)Cat la 6‐7。 (4)Cat la 12‐13。 (5)Ackrill,op cit p 72。 (61「カ リアスは白い」 と「 この白は白である」 との「白い」λc″bsと「 白」λεッbン は話尾 を無視すれば同 じ名 である。 しか しこの場合,「カ リアス」と「 この白」とは,厳密 に言 えば,述語づ け られているのであって名づけ られているの で はない。従 つて,〈描かれた像〉 と 〈動物〉が ともに「動物」 とい う語尾 も含 めて完全 に同一 の名で呼 ばれ る「同名 異義性」 とはいささか異 なる点があるが,また類似点 もある。 これ を同名異義性 の一つ とすべ きか はい ま一つ判然 と しない。Ackrill,op.cit pp 87・88参照。 (7)AckriH,op cit,p.73。 (8)Cat.la 20‐21。 (9)Cat.la 24‐25。
10 Ackri■,Op cit p 74。
tけ 「 ヒュポケイメノン」 とい うギ リシア語 の持つ意味 の独特 な二面性,つま り存在 の基盤 にあるもの という存在論的側 面 と,その言語表現が主語 とい う文法機能 と結合 している とい う側面 を考慮 して上掲 の松永訳で は「基体 (主語的存 在)」 としてい る。上掲松永訳 170頁参照。 1か Cat lb10‐12。 131 Cat ib12‐15。 10 集合と集合の包摂関係