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見えない世界の住人たち : 『夏の夜の夢』論

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Academic year: 2021

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(1)

見 えない世界 の住人 たち一 『夏 の夜 の夢』論

英米文学教室 岡 バ ターを作 ろうと牛乳 をか きまわ して も作れない場合がある。エイル (麦芽酒

)を

発酵 させ よう として も発酵 しない場合がある。手引 き臼で穀物 をひこうとして もひけない場合がある。新鮮 な牛 乳 もクリエム (上皮

)が

な くな り

,牛

乳の味が希薄 となってしまう場合がある。 これ らは百姓 のおかみさんの家内労働であるが

,

どの場合 も無駄骨 になった例 である。 田舎家で見 られ る次の ような小 さな事件 もある。 酒杯 にはいったエイル を飲 もうとす るとき

,焼

き林檎が酒杯か ら飛 び出 して きて

,飲

んでいたば あさんのぺ しゃん この乳房 に

,エ

イルがかか るときがある。 また

,三

脚椅子 にすわ ろうと思 って, そこに何 もなかった場合

,す

わ ろうとしたばあさん は

,ひ

っ くりかえって しまい

,ま

わ りのひ とび との咲笑 をまね くことになる。 また田舎家の外での出来事 もある。何 ものかが近 くにお り

,村

の若 い娘 たちをこわが らせ る。あ るいは

,村

の夜道 を気持 ちよ く歩 いていた若者 も

,い

つ までたって も

,家

に帰 りつけな くなる場合 がある。 同 じ田舎家の外で も

,人

間の若い男女 ばか りでな く

,動

物 の雌雄 の世界 の出来事 もある。肥 えて 元気のよい若い雄馬の近 くに

,雌

馬 をはなしてやった とすれば どうなるのか。いや

,現

実の雌馬 な らまだいい として

,そ

れが何か梨空の ものであれば

,元

気のよい雄馬 は相手 を見失 って うろたえる のは必定である。 こうい う失敗 はすべて は行為者の責任一人間の責任であ り

,動

物 の責任 である。 しか しこうい う いたづ らを引 き起 こしている

,日

に見 えない ものの存在があるとすれば どうなるのか。 この答 は後 回 しにして

,次

の ことも考 えてみよう。 季節の異変がある場合がある。真 っ白な霜が咲いたばか りの真 っ赤な蓄薇 の上 に降 り,「冬」じい さんの禿頭 に夏の日のつばみが咲 きこぼれ ることがある。あるいは

,春

も夏 も

,実

りの秋 もきび し い冬 も

,い

つ もの装 いを変 えて しまい

,あ

げ くのはては

,そ

れぞれの季節 の ものを見 ただけで は, 私たちはどれが どれや ら見当がつかない とい うときがある。 季節の異変 ぼか りでな く

,そ

れ をも含 めた大 きい自然界の異変がある場合 もある。例 えば

,海

か らたちのぼった霧が大地 に降 り

,そ

のためガWIIは岸 を乗 り越 えてあふれだす。あるいは

,潮

の干満 を司 る月が青白 く

,不

気味なほど青 白 くな り

,大

気 に水気がみなぎり

,そ

の湿気 のため病気が まん えんするような ことが ある。 自然 の異変 は

,必

然的に

,人

間界 に異変 を引 き起 こす。 牛がす きを引いて も

,ま

た百姓が汗水た らして働 いて も

,実

りの秋 も迎 えずに麦 は くさって しま 明 俊 村

(2)

102

岡村俊明 :見 えない世界の住人たち―『夏の夜の夢』論 う。野原が一面水浸 しになったため

,お

りにいれ られた羊 も死 んで しまい

,そ

の羊 の死骸 をか らす が食 うことがある。 そうい うこともあって

,人

々 は冬 の楽 しみ もお もうにまかせず

,賛

美歌 やキャロル を歌 って過 ご す ことがで きない。 このようにして

,季

節 の異変

,自

然の異変 は

,春

か ら秋 にか けての人々の労働 を無駄 にし

,労

働 の果実か ら成 り立つ冬 の楽 しみの基盤 を失わせて しまうことになる。 これ まで述べて きた ことを大別すれば

,田

舎家 をとりま く河ヽさな事件 と人間界 をとりま く異変 と い うことになろう。前者 は人間 (あるいは動物

)が

注意すれば

,失

敗 とはな らずにすむ ものであろ う。後者 な らば

,そ

の異変 は

,防

げない まで も

,今

日な らば

,そ

の被害 を減少で き

,そ

の原因 を科 学的に説明で きるものであろう。 それが

,シ

ェイクス ピアの『夏の夜 の夢』で はまった くちがっている。前者 は妖精パ ックが引 き 起 こした ものであ り

,後

者 は妖精 の王オベ ロンと妖精 の女王タイタエアの喧嘩が引 き起 こした もの となっている。 で はパ ックとは一体 なにものか といえば

,元

来英国中世伝承 の悪鬼,あるいは悪 い妖精であった。 しか しこの作品で は

,ロ

ビン・ グ ッ ドフェロウ又 はホブゴプ リンとも呼ばれてお り

,例

えば

,ロ

ビ ン・ グ ッドフェロウ とは

,人

間 には害のない楽 しいいたづ らをす る妖精 である。 とい うことは

,シ

ェイクス ピアは

,悪

い妖精パ ックか ら

,お

どろお どろしい

,不

気味なイメージ をすっか り取 り払い

,こ

のような罪 の無 いいたづ らをさせているのである。 で は

,オ

ベ ロンとタイタエアはどういう妖精なのか。彼 らは本来

,英

国民間伝承 には知 られてい なかった妖精であるが

,シ

ェイクス ピアはギ リシャのオブィドやシェイクス ピアの同時代人 ロバー ト・ グ リーンな どの作品か らヒン トをえて

,超

自然的な力 をもつ妖精 の工及 び女王 としている。 こうい う田舎家 をとりま く小 さな事件や

,人

間界 をとりまく異変 を起 こした といわれている妖精 達 は

,こ

の劇 に登場す る人間違 とも交流す ることになる。 妖精 は本来肉体 を持 たない存在であるが

,こ

こで は肉体 をもって舞台 に登場 す る。彼 らは登場人 物 には見 えないが

,観

客 には見 える一 こうい う意味で二重構造 となってお り

,

この二重構造が この 劇で は重要である。 なぜな らば

,妖

精達が登場人物 に も観客 にも見 えない存在であるな らば

,ご

く普通 の民間伝承 と な り

,な

ん ら面 白味がない。彼 らが登場人物 には見 えない存在であ り続 けなが ら

,観

客 には見 える ということで

,登

場人物 の心理現象 と彼 らに対す る妖精 の働 きを観客 は具象的 に理解す ることがで きるのである。 妖精 たちは

,小

さな事件 にしろ

,大

きな自然の異変 にしろ

,ど

ち らも超 自然力 を行使 しているこ とが伝 えられ るが

,実

際 には

,彼

らはこの劇で はこうい う事件や異変 を引 き起 こさない。ただ

,彼

らは人間にあることをす るだけである。 それ は何 だろうか。人間のまぶたに惚れ薬 をぬ り

,目

が さめた とき最初 に見 た人 を恋 させ るので ある。 妖精 の超 自然的特性 をもってすれば,惚れ薬 とい う具象的な薬剤 は不必要で はないか と思われ る。 その惚れ薬 の働 きをさらに考 えてみよう。 『夏の夜 の夢』 は

,ア

セ ンズの公爵 シーシュース とその婚約者 ヒポ リタ

,ラ

イサ ンダー とその恋 人ハー ミア

,デ

ィミー トリアス と彼がかって愛 したヘ レナを中心 とす る宮廷 の世界 と

,ク

イ ンス, ボ トム

,ス

ナ ッグを中心 とす るアセ ンズの職人連 の世界か ら成 り立 っている。 そして彼 ら人間 (登場人物

)に

は見 えないパ ックと妖精達の世界 もある。

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第44巻 第

1号

(1993) ここで は

,宮

廷 の世界 の人間関係が複雑である。 ライサ ンダーはハー ミアを愛 してお り

,ハ

ー ミ アもライサ ンダーを愛 している。二人 は相思相愛である。 これだけな ら問題ないが

,ハ

ー ミアの父 イージーアスは

,ハ

ー ミアの夫 をディミー トリアス と定 めてお り

,し

か もディミー トリアス もハー ミアを愛 している。ハー ミアを二人 の男が愛 している

,い

わゆる三角関係の愛の構図 となっている のである。 そのハー ミアを愛 していた二人 の男が

,突

如 として

,そ

れ まで顧 みなかったヘ レナ を愛す ことに なる。 こんな ことがあるのだ ろうか。種明か しをすれば簡単である。パ ックが間違 って

,ラ

イサ ンダー とディミー トリアスのまぶたに惚れ薬 をぬ り

,彼

らがねむ りか らさめて最初 に見 たヘ レナを愛す こ とになったのである。 根がいたづ ら好 きのパ ックだか らこのような間違 いをして も不思議で はないのだが

,も

しパ ック がディミー トリアスだけのまぶたに惚れ薬 をぬっていれば

,彼

がヘ レナを愛す ことにな り

,問

題 は なかった ことになる。 あるい は

,パ

ックが間違 ってライサ ンダーの まぶたに惚れ薬 とぬった として も

,ラ

イサ ンダーが もっ とハー ミアの近 くに寝 てお り

,彼

が起 きた ときに

,ヘ

レナで はな くて

,ハ

ー ミアを見ていた とすれば

,以

前のように彼 はハー ミアを愛 していることだろう。 このようなパ ックの直接

,間

接の間違いが

,

この劇 の恋人 たちの関係 を複雑 にしている。パ ック の間違いによるこういうもつれがなかった劇 を想定 してみるな らば

,た

しかに

,そ

れ は単調 で異質 な劇 になることであろう。 ともか く

,二

人の男 たちは突然 に心変わ りをし

,私

たち観客 は

,パ

ックと妖精達 の姿 を見 ること がで きるために

,男

たちの心変わ りを容易 に理解す ることがで きる。 で は

,そ

の種明か しを見せ られている私たちは

,突

如 とした

,奇

異な恋人 たちの心変わ りを

,喜

劇的に理解す ることがで きるが

,

もし妖精達が

,私

たち観客 には見 えない存在であ り

,惚

れ薬 の介 在がなか った とすれば

,恋

人 たちのそのような心変わ りは

,不

自然 な ことだろうか。 人間の心理現象 は不可解 な要素か ら成 り立 っているものである。実際の ところ

,私

たちは愛 した り

,憎

みあった りす るが

,い

つ もそうで はな く

,徐

々 に

,あ

るいは突然 に

,こ

れ まで憎 んでいた人 を愛 した り

,ま

たはその逆 もある。心 は変化 もす るのである。要 は

,私

たちの心 は変化の作用 を受 けるとはいえ

,現

代的にいえば

,私

たちの責任で変化す るのである。 い くらかの例 を引 き合いにだしなが ら

,惚

れ薬 の介在 のない恋人 たちの心変わ りについて考 えて みよう。 『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト』では

,ロ

ミオはロザ リン ドにかなわぬ想いを捧 げていた。彼 はそのロ ザ リン ドを一 日みるために

,キ

ャプレッ ト家 の宴席 に出かけ

,一

日見てジュ リエ ッ トを激 し く愛す ようになる。それ以来 これ まで愛 していたロザ リン ドの ことを彼 は一言 も言わな くなる。ロ ミオ は, 突如 として心変わ りをして

,ジ

ュ リエ ッ トを愛す ようになったのだ。 もし妖精が登場 し

,ロ

ミオに惚れ薬 をぬ り

,そ

のためロ ミオが突如 としてジュ リエ ッ トを愛 す よ うになっていた ら

,私

たちはその種明か しが分か り,『夏の夜 の夢』と同 じように

,腹

を抱 えて笑 う ことだ ろう。 『お気 に召す まま』で は心変わ りの一種 ともいえる

,一

目惚れの恋が扱われている。オ リヴ ァー はシー リアを一 日見て好 きになって しまう。二人 の出合いは

,ロ

ザ リン ドの語 るところによる と, つぎのようになっている。 あんなにだしぬけな ことった ら

,仕

牛同士のけんかか

,シ

ーザーの「来

(4)

104

岡村俊明 :見 えない世界の住人 たち―『夏の夜の夢』論 た

,見

,勝

った」 とい う高言 じゃあるまい し。だって

,君

の兄 さん と 僕 の妹 とは出会 ったか と思 うと見つめた

,見

つめた と思 うと恋 をして, 恋 をしたか と思 うと

,た

め息 をした

,た

め息 をしたか と思 うと

,お

たが いその訳 を尋ねあい

,訳

が分か った と思 うと

,解

決法 を求めあい

,そ

う いった段取 りで

,結

婚への階段 をつ くって しまって

,そ

れをひたす ら駆 け昇 る。でない と

,結

婚前 にひたす らひ どい ことをしかねない。二人 は 恋 の狂気 に とりつかれて

,い

っしょになろうときめている。梶棒 で も引 き離 しはで きない。

(5幕 2場

)(私

,以

下 同 じ) ともか く

,一

日惚れの恋 とはこういうもので はなか ろうか。他 の作品にも多 くの一 目惚れの恋人 たちがい るが, この種 の突飛 さがある。 私たちが早送 りのテープを聞 くように

,彼

らは突如 として恋 をす る。一 日惚れの恋 はどれ も不 自 然 といえば

,不

自然 といえる。逆説的に言 えば

,不

自然であることが 自然 なのである。 で は

,恋

人 たちの突然 の心変わ りがJい理的 に理解 され る以上

,そ

れ を引 き起 こす妖精 の惚れ薬 は 不要で はないか ということになる。実際

,そ

れ は不要 なのである。 しか し

,恋

人 たちの心理 は説明 で きて も

,劇

その ものは大 きく変わることになるだ ろう。 で は

,そ

れがない『夏の夜 の夢』 を考 えてみよう。 なかった場合

,劇

作 りの次の三つのことが 目につ くだ ろう。 その第一 は

,恋

人 たちの心変わ りは

,結

論 として は不 自然で はない として も

,そ

れ を心理的に不 自然で はない と観客 に理解 させ る別 の手立てが必要であろう。例 えば,『ロ ミオ とジュリエ ッ ト』で は

,他

の要素 (または人

)を

取 るに足 らない ものだ と考 えさせ るような

,ジ

ュ リエ ッ トにたいす る ロ ミオの強い情熱的な愛などである。 この劇で もそれ を補 うことはで きるが

,そ

うなれば喜劇 の恋 としては不適 となるだろう。 第二 は

,妖

精が惚れ薬 を使わずに

,そ

の超 自然的な力で

,恋

人 たちを心変わ りさせ ることが考 え られ る。 しか しその場合 は

,惚

れ薬 のような

,具

象的な分か りやすさがな く

,そ

の心変わ りが引 き 起 こす はずの喜劇感 の欠如が 目につ くことだろう。 第二 は

,惚

れ薬 に似 た ものを人間が用いて

,恋

人 たちの まぶたにぬることが考 えられ る。しか し, 人間には妖精 の神秘的な力がないため

,そ

の薬剤の効果 も半減 し

,妖

精 自身が与 える惚れ薬 の強力 な速効性 は期待で きない ことになる。 結論 として

,妖

精 の惚れ薬 はな くともよいが

,な

ければこの劇 は違 った種類 の もの とな らざるを えない ことになる。楽 し くて

,爽

やかで

,さ

まざまな法則

,呪

縛か らとき放 たれた解放感

,爽

やか な季節 に見 た楽 しい夢の喜劇感が

,こ

の劇か ら消 えて しまうことだろう。 そうい う意味で

,こ

の劇 には妖精 の惚れ薬 は再 び必要 となって くる。 登場人物 には見 えない存在である妖精が

,観

客 には見 え

,そ

の妖精が登場人物 に働 きか けるため に

,彼

らの心が変化するさまが

,私

たちには面 白い ように分か るのである。人間の心理現象

,特

に 愛 とい う不可思議な現象の変化が

,こ

こで は具象的 に喜劇的に表現 されていることになる。 これ こ そが この劇 の根幹であろう。 しか し

,次

のような問題 もある。 恋人達 の突然の心変わ りはこのように理解で きる として も

,ろ

ばの頭 をのせ られたボ トムをどの ように理解すればよいのだ ろうか。 パ ックが ボ トムにろばの頭 をのせる。 ろばの頭 をのせ られたボ トムは

,ろ

ばのような人 (馬鹿)

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第44巻 第

1号

(1993) とな り

,妖

精 の女王 タイタニアに愛 され る。比喩 を介 して

,ボ

トム はろば人間 とな り

,そ

の人間に 許 された異界 にはいることになる。 ボ トムは異界 にはいって

,妖

精達 を直接見 ることがで き

,直

接話す ことがで きることとなる。彼 は異界の住人 となってい るのである。 ボ トム は妖精 と同次元 の存在 となったが

,こ

れ は比喩だけで は説明で きない。オベ ロンとタイタ エア も妖精であ り

,超

自然 の存在である。超 自然力 を持つた ものが

,同

じ超 自然力 を持 ったものに, 人間がなされ るの と同 じ惚れ薬で

,ボ

トムに恋 をさせるのは

,パ

ックが ライサ ンダーにしたことと は異質である。後者 は人間の心理現象 ともそごをきたす ことはないが

,前

者 はそうで はない。異次 元の住人が人間に恋 をす る とい う異次元 の世界 の出来事である。 現実的な言葉 を使 つて表現すれば

,ボ

トムは愚かな人間 にのみ許 されたろば人間 となって

,現

実 世界で は不可能 な ことが可能 となる夢 の世界 にはいった ことになる。 その夢 を表現す る言葉 は

,夢

か らさめて もとの人間世界 に帰 って きたボ トムが

,愚

かな男 にぶ さわ しい支離滅裂 な言葉で しか表 現で きない ものである。 おれ はまった く妙 な ものを見た。おれの見 た夢 はどんな夢か人間の知恵 で はとて もいえない ものだ。 これを説明 しょうとするやつ はバ カだ

,い

やログヾだ。た しかおれ は一おれが経験 したような ことをいえるやつがい るものか。たしかおれ は一たしかおれの頭 に一 しか しまてよ

,お

れの頭 にのっていた ものがなんだったかいお うとす るやつ は阿果だ。人間の目 が聞いた こともない

,人

間の耳が見 た こともない

,人

間の舌が考 えた こ ともない

,人

間の心が しゃべった ことのない もの一おれの夢 つてそんな ものだったなあ。

(4幕 1場

) このようにして

,こ

の劇 で は恋人 たちの突然の心変わ りと妖精 の女王 とのボ トムの不思議な体験 がいきい きと描かれている。 そして最終幕で は

,

これ ら二種 の出来事 に最後 の解決が与 え られている。 ヒポ リタが「 あの若い恋人 たちの話 しはほん とうに不思議ですね」 と尋ね

,そ

れ にたい してシー シュースは次のように答 えるか らである。 本当 とは思 えぬほ ど不思議な話 だ。 こんな奇想天外な話

,こ

んな他愛 も ない話 は

,信

じられないほどだ。恋人 たち と狂人 は熱 っぽい頭 をもち, ものを作 り出す想像力 をもっている。 そのために

,冷

静 な理性で は考 え つかないような ことを思いつ くのだ。狂人 と恋人 と詩人 は想像力で こり かた まっている。巨大な地獄か らはみでるほ ど多 くの悪霊 を見 る

,そ

れ が狂人 だ。 それに劣 らず狂気 にか られ る恋人 は

,ジ

プシー女の顔 に絶世 の美女ヘ レンを見 る。詩人 の目は霊妙なる狂気で まわ りまわ り

,天

か ら 地へ

,地

か ら天へ と視線 を移す。そ して

,想

像 の力 は未知 の事物 の形 を 作 り出すにつれ

,詩

人のペ ンはそれ らの ものに形 をあたえ

,あ

りもせぬ 空気 に等 しい ものに

,そ

の場所 と名前 を与 える。強烈の想像力 はこのよ うな魔力 をもっているので

,何

か喜 びを思いつ くだけで

,想

像 の力 はた ちまちその喜びをもた らす ものを知 る。 あるいは

,夜

中になにか恐 ろし いのを想像す るだけで

,簡

単 に草む らが熊 にも見 えて くるのだ。

(5幕

1 場)

(6)

岡村俊明 :見 えない世界の住人たち一『夏の夜の夢』論 恋人 は狂人 に等 しい ことになる。冷静 な理性では考 えつかない ことをす るか らである。 そしてこ の恋人 の心の動 きは

,詩

人 の想像力 と結 びつけられている。 霊感 をえた詩人 の想像力 は

,未

知 の ものに も形 を与 え

,ど

んな不可思議 な もの も作 り出 して しま うことになる。この劇 の恋人 たちやボ トムの異界での体験 を作 りだしたものも詩人 の想像力である。 詩人の想像力が作 りだ した妖精 は

,別

な役割 をになっていることが劇 の最後で分かって くる。 パ ックは, 私たち影 のごときものが

,皆

様 のご満足 にかない ません ときは

,こ

れ ら の幻が現れてお りましたあいだ

,皆

様が

,た

だ しばらくまどろまれた, と思 っていただければあ りがたい ことです。 このつ まらない

,た

わいの ない話 は

,た

だ一時の夢のような もので ござい ますので

,皆

様 のお とが めだてがなければ と存 じます。 もしお許 しいただけました ら

,私

たちこ ん ごは改 めるつ もりで ございます。

(5幕 1場

) これ はきわめて重要な意味 をもつ最後の台詞 ということになる。 第一 は

,ボ

トム は夢 をみて きたが

,一

人 ボ トムぼか りでな く

,こ

の芝居 を見ている観客すべてが 夢 を見て きた

,と

い う構 図 を提供 して きた ことになる。 第二 は

,ア

セ ンズの職人 たちの劇 中劇 の演技ばか りでな く

,役

者すべての演技 のつたなさにたい して

,パ

ックがかゎって観客 に詫 びてお り

,観

客が批評家 として これ を許す という構図 を提供 して いるのである。 第二 は

,妖

精 は影 のように実体がな く

,見

えない存在 といいなが らも

,現

実の人間の影(ShadOWl と言 う意味で

,役

者であることを示 しているのである。役者 とは現実 の人 間や この世 の出来事 を舞 台にのせ る虚構 の存在であるが

,こ

れ こそ現実である。 また妖精 も虚構 の存在であ りなが ら

,現

実 の存在である。 最後の台詞で

,異

界 の住人達 の出来事 は

,演

劇的に見事 に解決 されている。そして この言葉 は, シェイクス ピアがい う, どんな芝居 も要す るに人生 を映す影 にす ぎない。

(5幕 1場

) と呼応 している。 (1993年4月20日受理)

参照

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