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知識・技術と環境制御

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(1)

小 林

潔 司

社会開発 システムエ学科

(1993年 8月27日受理)

Knowledge,Technology and Environmental Regulations

by

Kiyoshi KOBAYASHI

Department of Social Systems Engineering

(Received August 27,1993)

This paper investigates an analytical frame郡 ァork of environmentalrnanagement,in

lvhich rnaJor concerns are paid to the construction of rneta― control systems of envirOn‐

mental regulations The meta―control rnechanisms appear its features in the discourse Of viable control theories Though a formalization of rneta― control systems is sti■ of

maiOr interests, a clue to cope 、vith an emergillg aMIareness of uncertainty, un‐ predictability and unfalsificability of environmental issues can be seen in it Our regulation apprOach, suggested by viability theory, may be identified more ttrith

abilities to understand how societies,econOnュ ies and environment can be viable over

tilne Rather than ensuring that the regulations lead the social,econOnlic and environ‐ mental systems to their desirable states,the emphasis wiH be on ho郡 ァthe systems can sustain their adaptability to the unpredicted and uncertain environmental fluctua‐

tions

(2)

小林潔司 :知識・ 技術 と環境制御 1.:Iしめに 過去

10年

間において地球温暖化、自然資源の枯渇、生 物的多様性 の減少 とい う問題が多 くの研究者、意志決定着 の関心を引 くよ うになって きた。経済=エ コロジーの相互 関係、さらには持続的発展 に関す る研究が蓄積 された。ロ ーマクラブによる成長 の限界による警鐘が契機 となり、自 然資源の希少性 や環境 汚染 を とりあげた研究事例が蓄積 された2)3)。 これ ら初期 の頃の研究は、新古典派経済学の 枠組 みのなかで環境問題 を取 り扱 うことをめざした もの が多い。そ こでの関心 は、環境財や生産活動 による外部経 済を市場 に内部化す ることにある。新古典派的分析の枠組 みのなかでは、社会的費用を含めた限界費用 と人間活動が もた らす限界収益 が均等化 されることによ り希少資源の 最適配分 が達成 され る。もし、環境財の道正 な価格付けが 可能であ り、自然環境 の市場内部化が達成 されれば、持続 的な経済発展を達成す ることが可能 となる。 近年、持続的発展(sustainable deve10pment)に関す る研 究が蓄積 されている。これ らの研究は、経済=エコロジー の相互関係 と経済発展 の関係を ミクロ経済学の範時にお いて明示的 に定式化す るとともに、環境問題 に対す る1 つの理論的枠組 みを見 いだそ うとす る新 しい試みである。 現在、持続的発展 とい う概念 に対 して、多 くの研究者がそ の明確な定義を試みている。持続的発展 とい う言葉は、環 境 に関わる実 に多様 で多岐 に亙 る問題を包含 しており、そ のすべてを網羅で きるよ うな包括的 な定義 を与えること は不可能である。このよ うに持続的発展その定義に関 して は、多 くの研究者の間で意見の一致をみるまでには至って いないが、ここではそのい くっかを紹介 しておこう。 持続的発展 とは、将来世代 が さらに自分達 より将来 の世代 の基本的要求 を満足 させる能力を変更す るこ とな く自分達 の要求を満足 させ ることがで きるよう な発展 であ る4)。 持続的発展 とは、再生可能 な資本に対す る投資と再 生不可能 な資源の競争価格づけを通 じて、各々の世 代が一定の消費量 を確保で きるよ うな発展過程であ る5)。 経済発展が環境保全 に依存 し、環境保全が経済発展 に依存す る。持続的発展 とは、このよ うな相互関係 が生命体の回避で きない側面であることを認識す る ことである6)。 残念なが ら、以上 の定義 は必ず しも持続的発展 とい う概念 が必要 とされて きた問題意識 を十分 には包括 していな い が、新古典派経済学 の枠組みでは十分に対処 し得ない豊富 な分析課題 を示唆 していることも事実である。 持続的発展 に関す る文献だけが、経済=エコロジーの相 互関係 を分析 してい るわけではない。む しろ、それ以前か ら経 済現象 とエコロジー の動的な相互関係を明示的 に考 慮 したアプ ローチの方法 が提案 されて きた。 これ らの研 究では、経済現象 を生産者 と消費の間での交換価値の循環 過程 とみなす考え方を否定 し、物質 とエネルギー消費に関 す る(一方向の)エ ン トロ ピー過程 とみなす ことが望 ま し いと提言 している7)8)9)。 さらに、新古典派経済学に対す る 批判 は、経済 とエコロジーの動的な相互関係を扱 うエコロ ジー経済学 とい う学際的な学問分野 と して発展 しつつあ る10)。 D』yは ェ コロジー システムに対す る最適な経済 シ ステムの規模を求める問題を定式化するなど、この分野で の分析的研究の可能性を示唆 している11)。 ェコロジ

_=経

済現象相互 関係を記述す るための分析枠組 みはすでにい くつか提案 されてい る12)13)14)。 また、EI Sarafy,Ahmad et』 は自然資本 とい う概念 を経済分析 に導入 しよ うと試 みてい る15)16)。 このよ うな考 え方 に立脚す る文献 は相当 量 にのぼるが、Martinez‐ A erは ェ コロ ジ

_経

済学 の研究 系譜 について詳細 に論述 している17)。 エ コ ロジー経済学が対象 とす る問題 は実 に多様である が、中 で も中心 的課題 は枯渇性天然資源 と将来的外部効 果 とい う不確実で同一基 準では測 り得 ない経済 の要素 に ついての考察であろ う17)。 枯渇性資源に関す る経済理論 は Hotelとng(1931)に始 まる18)。 Hoteilngは 枯渇性資源の最 適消耗率 は現在 と将来の間の純収益 の差 を現在販売 して その収入 を投 資す ることで得 られる利子 と均衡 す るよ う な水準 に決定 され ると した。しか し、枯渇性資源の経済学 では潜在的購買者 のほ とん どが市場 に参集す ることがで きないとい ぅ問題を持つ。まだ、生 まれていない人々が枯 渇性 資源 に関す る現在市場 に参加す ることは不可能であ る。この とき、新古典派の基本的パラダイムである方法論 的個人主義の立場 は瓦解 して しま う。 現在世代が将来に対 して一定の割引率をとることは、将 来の世代 に対 して一定 の倫理的態度 を とることに他 な ら ない。Rと

mseyは

、先 の楽 しみ と比較 して後 の楽 しみを

(3)

割 り引 く根拠 は どこに もない と主張 した19)。 Georgesct‐ Roegenは正 の割引率が持つ倫理的問題点 を指摘 し、どの よ うな割 引率 を採用す るかは経済の問題 よ りもむ しろ社 会制度 に関わ る問題であ ると主張す る7)。 これ に対 して、 Dasguptaは 正 の割 引率 を採用 す る ことを擁護 して い る 20)21)。 経済成長が存在す る限 り正 の割 引率 を採用す るこ とは正 当化 され る。経済成長が持続 的 に継続 す るとい う 前提 は、科学 知識が進歩す ることによ り枯渇性 資源 の代 替物が発見 され ることを暗黙 の うちに想定 してい ること に他な らない。さらに、Samueisonは 通時的な資源配分問 題 に関 して世代重複モデ ルを提案 して いる22)。 このモデ ルでは、枯渇性資源の ス トック全体が古 い世代 によって所 有 され部分的 に重な り合 うよ り新 しい世代 にその世代が 稼いだ所得の一部 と交換 される。しか し、このような新古 典派的分析枠組 みの中では、合理 的主体 間の交換 のみに よって資源配分が決定 され る構造 になって いる。 したがっ て、市場 は市場 に参加 しない将来世代 の意向 を反映す る ことはで きず、枯渇性資源の世代配分 の問題 を取 り扱 うこ とはで きない。将来需要 に現在一定 の価値 を与 えるため に、将来世代 を価値評価す るとい う倫理問題 が生起す る。 GeorseSCu―Roesenが指摘 したよ うに、社会 的割 引率 を決 める問題 はまさに倫理的問題であ り、本来社会的制度 とし て議論すべ き問題 である。 以上で言及 して きたように、枯渇性天然資源 と将来的外 部効果 とい う問題 は、環境問題を議論す る場 合の主要な研 究テーマであった し、これか らも研究が蓄積 されてい くこ とが期待 され る。また、持続的発展 に関す る議論 も、枯渇 性資源の世代問配分 とい う古 くて新 しい問題 を現代的な 装 いの下で再定式化す る試みで もある。 しか し、冒頭で述 べたような地球温暖化、自然資源の枯渇、生物的多様性の 減少 とい う問題 は、単 に枯渇性資源の世代間での公正な配 分問題 とい う視座 に収 ま り切れない問題 の奥行 きと深刻 さを持っているの も事実である。換言すれば、現代社会が 直面 して いる倫理上の問題 を持続的発展論 の枠組 みの中 で議論す る事 自体が問題 を極 めて矮 小化 していると言わ ぎるを得 ないだ ろう。今 日の地球環境問題の本質 は、人々 の将来 における人類の存在可能性 に関す る「 不安Jと密接 に関連 している。これ まで、倫理学 は技術が選択の可能性 を拡大す るとい うことをほとん ど度外視 して きた。技術の 発展可能性の幅が、倫理学の基本問題 を揺 るがすほどには 変化 しなかったか らである。技術 の発展 が、将来における 人類 の生 存可能性 を左右す るほどの影響力 を持つ よ うに なって、そ こに「 不安」が誕生 した。エ コロジー経済学の みな らず、地球環境問題 にアプ ローチす る学問 は、人々が 人類の将来に対 して抱 く不安を、まさに不安 と して正面か らとらえることが要請 され る。 本稿では、以上 のよ うな問題意識 に基づいて、地球環境 問題 に対す る筆者な りの試論を展開 したい。すなわち、本 稿ではいわゆる「 地球環境問題」といわれ る問題 の一群 を 人々の「 人類の将来 における生存可能性 に対す る漠然 と し た不安」に動機づけ られ、また、「 事実、その解決が迫 られ ているような問題Jと して定式化す ることとす る。不安 は 人間にとってアプ リオ リに存在す る。

Luhmannが

指摘 した ように、不安 は事態の不確か さを不安 の確実 さの中 に変換 するがゆえに、なん ら論理的根拠 を必要 と しない自信 にみ ちた原理である23)。 不安の問題 はそれを識別す るモ ラルと 密接 に関連 してお り、この種のモ ラルに対 して論理的分析 は困難な立場 に立っている。人類 の将来の生存 可能性 に関 す る不安 に基 づいた コ ミュニケー ションは、この種の不安 に関す るコ ミュニケー ションを可能 に し、この意味 で自己 帰納的に機能 している。このよ うに自己帰納的 に機能 して いる問題の総体が、「 地球環境問題」 といわれ る問題 に他 ならない。不安 は当然 その理論を学 問に帰属 させることが で きるが、またその理論が不安 に共感を示 しているか どう か とい うことを弁別す る。このよ うな「 不安」に動機づけ られた学問(多くの防災論がそ うであ るよ うに)が いかに して科学 あるいは科学的方法論 を確立 しえるか―それが、 本稿を とりまとめる直接の動機で ある。 2.経済学 におけ る環境 の概念

2-1フ

ロー と しての環境 経済を経済財のフロー、あるいは循環構造 と して把握す るとい う考 え方 は、経済学 の成立 と同時 に確立 している。 すでに、

18世

紀 には経済循環表 とい う概念が誕生 してい る。周知の通 り、Adam Smithは生産 における効率性 の概 念 を確立 し'4)、 Francois QueSnayは 経済循環 の概念 を明 らかに した25)。 しか し、 Quesnayは単 に経済循環の構造 を 解明 したわ けではない。彼が試 みた経済現象 の分類 には、 すでに現在 のフロー、ス トックに対応す る概念 の萌芽 を見 いだす ことがで きる。Ques■ayの 業績 は、その時代 におけ る百科全書学派 の啓蒙運動 に影響を受 けた ものだが、フロ ー・ス トックの概念 が経済学 に定着す るまで にはさ らに長 い年月を要す ることになった。Adam Smithの主著が「 国 富論」であるように、Sinith自身 は価値 の ス トックとして の富 の形成問題 に関心を寄 せていた。しか し、彼の経済学 は、毎期 ごとに繰 り返 され るフローの再生産過程 とそれを

(4)

小林潔司 :知識・技術 と環境制御 表

-1

経 済=ェ コ ロ ジー関係I―

O表

通 じた収穫 に関す る議論 に終始 していた。「 再生産過程 に おける収穫 の最大化」、「 収穫 における費用 と生産 の関係 」に関す る規則的 な関係 を経済学者 が見 いだす までには、 Smithよ りもさらに1世紀以上 も要 してい る。 「 資本論」 とい う名前 に凝縮 され るよ うに、Karl Marx の関心事 も資本 の形成過程にあった26)。 しか し、Marxに おける資本概念 も依然 と して、Shith、 Q■esnayら が導入 したフローの概念(回転資本)の域を出ていない。周知の ように、MarxはRicardoの 経済学を出発点に しているが、 Marxの資本論 には RIcardoに 基る地代27)に 関す る論議は 明 らかに欠落 している。

1870年

に刊行 された「 経済学 原理」の中で、すでにMaFSitalHょ資本 としての環境 の性質 を論議 している。Malshauは土壊 の例を持 ち出 して、土壊 の性質は農業生産により破壊 されるものではな く、その性 質 は長期 間にお ける人間の経済活動 を反映 してい ると述 べている23)。 ここには、明 らかにス トックとしての環境の 位置づけの萌芽がみ られ る。 経済学 において、収穫 と富(ス トック)の関係が明示的 に取 り扱われるよ うになったのは、ォース トリア学派、と りわけ、Wickse■29)、 Btthm―Bawerk30)、 Fisher31)ら

の業績 によるところが大 きい11)32)33)。 これ らの業績 によ り経済 学が動的過程 と して正 しく記述 され るよ うになった。Cas― Selが始 めて均衡成長 とい う概念 を提唱 して以来34)、 v。. Neuman■ ,Lcontief,Harrod,Hicksら によって経済成長 に 関す る理論的彫琢 が重ね られた35)36)37)38)。 これ らの研究 の業績 はマ クロ経済を持続的経済成長のプ ロセスとして 描 いた点 にある。Casselは 経 済現象 をイ ンプッ トとア ゥ トプットのフローを生 み出す過程 として位置づけ、生産 の シェアとしての貯警率が資本産出率の増加率 と等 しい場合 均衡成長に到達す ると考 えた。 この持続的成長 の条件は、 Harrodの 均衡成長条件 と同 じ内容を持っている。この意味 で、持続的成長 の概念 は、ある均衡概念 を明確 にすること によって導かれ る。Leontiefは線形 の多部門成長モデルを 対象 として同様 の条件 を導出 している36)。 Lcontierによる Input_Outputモ デルはェ コロジー フロ ーを含むよ うに拡張 された。例 えば、静学分析 の枠組 み の中で経済=エコロジー関係を記述 した研究 としてCuin‐ beFland(1966),Daly(1968),Isard(1969),ViCtOr(1972)が あげ られる°)12)30)40)。 Andersson et al Leontietの

0モ

デルを拡大 し、表

-1に

示す よ うな経済=エコロジー関連 表を提案 している41)。 この種 の拡張 されたと

O表

はラロー の意味での経済=エコロジー関係を扱ってお り、持続的発 展論を議論す るための強力な武器を提供す る。また、この 種 のモデルは、経済 とエコロジーの関係を適切 に記述 し、 さらには線形近似 が局所的 に可能であれば持続 的な均衡 経済成長のための短期 的な条件を与 えて くれ る。 しか し、 Clarkが 指摘 したよ うにエコロッー システムは極めて非線 形性の強い動的 システムであ り、線形 システムを用いて経 済=エコロ ジー システムに対す る持続 的発展 の条件 を明 らかにす ることは不可能であると言わ ざるを得 ない42)。

2-2ス

トックとしての環境 Hicksは 、経済現象を記述す るとで国富の概念 の重要性 tnergv S ectors Non Energy 聖 W3ter 冨 Land 岳 B io・sectors

ECONOMIC sECrons 〔NVIRoNV ENTAL SECrORS

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Q tta」「an1 2

Physical Disperston Modeis

ChemicaI ReactiOfl MOdels eioIogical systems MOoels

(5)

を指摘 した。この点 に関 して、国民所得の重要性を指摘す るKeynesおょびヶ ンブ リッジ学派 との間で論争を重ねた ことは有名であ る。ここに、経済発展を記述するうえでフ ローとス トックのいずれに着 目すべ きかという点に関 して 鋭 い対立が見 られ る。Hicksは 、経済発展を考 える際 に、 国民所得概念 よ りも国富 の発展 に焦点 をあて るべ きだ と 主張 した。す なわち、国家 の経済発展 を議論す る場 合 に は、国民経済の生産性よ りも国富の蓄積 に注意すべ きであ ると主張す る。Hicksの 国富概念 の中には、将来 にわたっ て財の流れを生産す る資本財の蓄積だけでな く、明 らかに 自然の生産容量 も含 まれ る ことにな る43)。 フロ_ょ りも ス トックに着 目すべ きだ とい うHicksの 議論 は、特に枯渇 性資源の問題 を議論す る際 に問題点 が先鋭化 して現われ る。Martine2-Aherが 指摘す るよ うに、枯渇性資源の減少 に起因 して危機費用 が生 じて もフロー概念 で表現 される 国民所得 はいかほ どの修正 も加 え られない17)。 国民所得 はあ くまで も対象期 間中 に循環す る経済 フローを対象 と してお り、枯渇性資源が新たに発見 され資源 ス トックが国 民経済 に賦与 されて もその価値 が国民所得 に加え られ る ことはない。一方、この ことは、枯渇性資源の消耗 に対す る控除を国民勘定 に計上す る必要 もないことを意味す る。 近年、開発途上国における資源枯渇問題が顕在化 して くる とともに、国民所得概念 に基 づいた経済現象 の把握が有す る問題点 も多 くの研究者 によって指摘 され るようになって きた。 ス トックの蓄積過程 を明示的に扱った経済成長モデル も

数多 く蓄積 されている44)。 すでに、von Ne■manれ

は、彼 の 一連の経済成長理論の中で、比較的早 い時期 に富の蓄積間 題 を含めた均衡成長理論 を提案 して いることは特筆すべ きである35)。 v。.Neumanェ は、経済 とエコロジーの相互 関係 と資源の変換過程 を記述 した生産技術 を二 つの行列 で表現す るとともに、富の蓄積 を内生化 したような線形成 長モデルを提案 している。そ こでは、生産代替 と結合生産 も考慮に入れている。二つの線形行列 の内、一つの行列 は 資源の変換過程を表現 し、もう一方の行列 はある状態が次 の新 しい状態 に更新 され るプロセ スを記述 している。彼が 提案 したモデルは純粋蓄積過程 モデルである。すなわち、 ある期か ら次の期 にいたる変換 において、必ず しも正の水 準の収穫(利潤

)が

保証 され るとは限 らない。ス トックは 単位期間中に滅耗 し、経済変換 によ リス トックが期間中に 再生産 される。均衡成長経路 は減耗率 と再生産技術 によっ て規定 され る。 ス トックの蓄積 を内生化 したvon Neumannモ デルの均 衡条件 は、形式的 にはLeontiefの動 的 I-0モ デルにおける 均衡条件 と同一である。均衡 において、経済成 長率 は利子 率 と一致す る。非負の状態変数を もた らす変換過程 の均衛 解 とそれを実現す る非負の価格体系の存在が保証 され る。 von Neumannモデルに基づいて、多 くの数理計画的 な経 済成長モデルが提案 された。また、vo■Neuman■モデルは ス トックの形成・減耗 を明示的にモデル化 してお り、経済

=

エ コロジー関係を内生化 したよ うな持続的経済成長モデ ルの一つのプロ トタイプモデルとなっている。このように von Neuman■ モデルは、経済成長過程 におけるス トックの 役割 の重要性へ と視点 を シフ トさせ る契機 となった。その 後、ス トックの役割 を明示的に考慮 した経済成長 モデルが 数多 く提案 されたに も関わ らず、残念 なが らフローを対象 とした経済成長 モデル以上 にス トックを考慮 した経済成長 モデルが新 しい重要 な知見を加えた とい う状況 には至って いない。この種のアプローチでは、均衡成長のための条件 を導 出す るためには生産過程 とそれを支 え る双対 的価格 体系が存在す ることが必要 となる。環境財に対 して価格体 系を賦与す ることは困難である。逆 に、価格体系を確立 で きれば、環境財 は通常 の財 と何等かわ らず もはや環境 と し ての意味を損 なって しまう。したがって、この種 のアプロー チが、経済=エコロジー関係の持続的発展 に関す る意味あ る成果を もた らす ことを期待す るのは難 しい と考 え る。

2 3イ

ンフラス トラクチャとしての環境 第2次大戦後 、社会 的共通資本 (overhead caPital)あ るいはインフラス トラクチャとい う概念 が重要 になって き た。Youngsonは 外部経済 に関す る経済理論を展開 し、そ の中で インフラス トラクチャの特性 について詳細 にかつ適 正 に分析 した45)。 ィ ンフラス トラクチャの特性 は、その公 共性、耐久性、および社会的規範(ゲー ムのルール)と し ての役割にある。インフラス トラクチャは経済学 でい う公 共財 としての特性を持つ。しか し、ここでい う公共財の概 念 は、通常の公共財のよ うに生産 におけるイ ンプッ トとア ウ トプットの変換に影響 を及ぼす財 とい う狭 い意味で用 い ているわけではない。インフラス トラクチャは私 的資本 と 比較 してより耐久性があ り、物的資本、人的資本 、自然 的 資本を用 いて形成 され る所得の流れを生産 す るための「 文 脈」、「 条件」、「 場」を提供す る安定 的な資本 と して機能 し ている。工学的(技術的)イ ンフラス トラクチャは、例え ば公共施設 に代表 され るように、公共 の利用 に供せ られ る 耐久性のある資本 である。この種の インフラス トラクチャ は生産・生活を問わず あ らゆる人間活動 に影響 を及ぼす。 また、経済的制度 に代表 されるよ うな経済的 イ ンフ ラス ト

(6)

小林潔司 :知 識・技術 と環境制御 表

-2

タ ィムスヶ

_ル

と経 済=エ コロジー関係

ECOLOGY

E

C

O

N

O

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Example:

Forest

Harvesting

Example:

Extinction oF species Stocks (mediurn)

Example:

Bud wom

attacks On aorest

Example:

Forest Manage‐

ment

Example:

Long teHn

forest plantation strategy Infra‐

stmcture

(slow)

Example:

Energy h‐ Frastructure Dams etc.

Example:

Iコ gatiOn network for general im‐

provement Of

bio10gical conditiOns

Example:

Bioteclm010gy for increas‐ ing bio‐ diversiけ ラクチャはあ る技術水準 のもとで利用可能な経済機会に影 響を及ぼす ことになる。イ ンフラス トラクチャは他の要素 に比べて非常 にゆっくりと変化す る。 しか し、その変化は 社会・経済・ 自然 システムに対 して極めて重大な影響を も た らす ことになる。 生態 システムを経 済的 プ ロセ スと して記述す ることは 不可能である。む しろ、生態 システムは、多かれ少なかれ 公共的な性格を持 ち、早 く変化す る部分 とゆっくりと変化 す る部分 により構成 され る。生態 システムの中にはダイナ ミックダームとして記述で きるよ うな比較的早 く変化す る 部分がある。 しか し、多 くの地質的、生態学的要素は、そ の変化が実 に緩慢であ り、その上で早 く変化する生態 ンス テムに対 して生態的イ ンフラス トラクチャとして機能 して いる。生態 システムは生態 システム自身を再生産するため の自己準拠的 イ ンフラス トラクチャとして機能 している。 現在、種の価値 を将来 における種 の潜在的利用可能性を通 して評価 しよ うとす る試 みがな されて いるが、この こと は本来経済 プ ロセ スに還 元で きない生態 システムを経済 的プロセ スの言葉で評価 しよ うとす る過 ちを犯 している。 種 の多様性が有す る本来的な価値 は、まさに生物学 的なフ ローが再生産 されるインフラス トラクチャとして評価すべ きであろ う。経済 と対比 され るエコロジーを、通常 のイ ン フラス トラクチャの場 合 と同様に、遺 伝情報 の表現 の場、 生命態を支配す る地質的、気候的な条件、生 命 プロセ スを 通 した情報 の相互作用 の場 として捉え る必要が ある。 生態的インフラス トラクチャは、工学的 インフ ラス トラ クチャ、経済的イ ンフラス トラクチャとは異 なる性格 を有 している。工学的。経済的イ ンフラス トラクチャは、人間が 人間社会のために人為的 に設計 した場 であるのに対 して、 生態的 インフラス トラクチャは生態 システムのために機能 す る。いずれ もそれぞれの システムに対 して 自己準拠的 に 機能 しているに も関わ らず、生態 イ ンフラス トラクチャは

3.で

述べ るよ うに社会・経済 システムに対 して「 環境」 と して機能す る。す なわ ち、社会・経済 システムの現象が 内省 とい う手続 きを通 じて理解 され るのに対 して、生態 シ ステムは内省手続 きが及 び得ない地平 において総体 と し て存在す るとい う意味 において「 環境」なのである。生態 システムが有す るこの種の特殊性が、

1.で

述 べたよ うな

(7)

「 不安」の源泉 になってい る。 この点 につ いては、改 めて

3.で

議論す ることとす る。

2-4長

期的・ 短期的視点か らみた環境 経済=エコロジー システムの動学 的過程 を対象 とす る 時、時間次元を適切 に定義す ることが不可欠である。経済 学では通常1年間 とい う時間単位 に焦点 を置 く場 合が極 めて多い。特 に、古典派経済学では農業の生産過程 に代表 される再生産過程を対象 としていた とい う事情 もあ り、1 年間 とい う単位時間を 自然 に導入 して いた。 このよ うな 経済学 の伝統 の上 に、暗黙 の内 に単 位時 間に関す る合意 が形成 されていた といって も過言ではない。 この ことは、 von Neumannの動学 モデルにおいて も該 当す る。経済学 における単位期間の問題 の重要性 を明示的 に指摘 したの は■icksである38)46)。 彼 は、現代社会 における生産 の意志 決定は、通常1年とい う期間よ りもさらに短 い単位期間を 対象 として行使 され ると主張 した。多 くの財は日々、月別 、 四半期単位で交換 きれ価格は更新 される。一方、経済成長 論が対象 とす る単位期間は もっと長期 である。さらに、地 質的・生態的な現象が生起す るタイムスケールはさらに長 期である。対象 とす る問題 に適 したタイムスケールが選択 されなければな らない。 ここでは、タイムスケールの違 いを表現す る方法 として

adiabatic apptto matio■に着 目 しよ う。す なわち、異 なる タイムスケールで運動 して い る二 つ の動 的 プロセ スが相 互作用す る場合、遅 い システムは早 く変化す る システム に対 して制約 と機能す るとみなす ことがで きる47)。 長期的 には、早 い微分方程式で記述 され るゲー ムは、ゆっくりと 変化す るパ ラメー タによ り制約 された動的過程 とみなす ことがで きる。逆 に、運 い現象を記述す る微分方程式上で は、早い システムは均衡(定常)点に達 していると考 える ことがで きる。この場合、遅 いバ ラメータの変化 によ り早 い システムが突然 の変化 を うけるよ うな分岐現象 が生 し る可能性 もある。ここでは、タイムスケールをフロー、ス トック、インフラス トラクチャのそれぞれ に対応 させて区 別 しよ う。 この とき、経済=エコロ ジーに関わ る問題 は、 表

-2に

示す ような立体的な構造 を有 している。表

-2に

おける各次元を越 えて経済=エコロ ジー関係を包括的に モデル化す ることは極 めて困難であ ると言 わ ざるを得 な い。む しろ、それぞれの次元 に応 じて適切なアプローチの 方法を採用す ることが正攻法であろ う。 3.システムと環境

3-1環

境 の複雑性 環境 の複雑性 を理解す るために。「 量」 と「 質」とい う 言葉 の間 にある双対性 について考 えてみよ う。「 量」 と「 質」の間にある双対関係 は、単 に一方が他方の背反事象で あるとい うような簡単な ものではない。通常、科学的命題 は形式化 され(あるいは、数学的に表現 され)、 数学的表 現の中にそのひな型 を くみ とることがで きる。形式 とい う

syntacticsとそれが有す るsemと nticsの間のは「 量」と「 質」 の間にある双対関係 と同様の関係が存在す る。数学的世界 は認識の中に組 み込 まれてその意味 を持つの と同時 に、認 識 とは独立 にアプ リオ リに存在 して いる。すなわ ち、数学 的世界 における論理性 は経験 とは独立 に構成 されてお り、 時間、空間 とい う認識 カテゴ リー とは独立 に存在す る。 「 形式 」と「 意味」の間 にある双対性 に関 して は、すで に古代 ギ リシア時代 において観念論(idealiSm)と唯物論 (materialism)と い う枠組 みの中で論争 されている。 ここ に、観念論 とは、数学的世界の真実を認識的世界にも拡張 す る試みであ り、唯物論 は数学的真実を認識論の中に組み 入れようとす る試みであ る。現象世界 には因果的連関が存 在す る。数学的世界 に も推論的連関が存在す る。 ここに、 「 数学的連関 は どのよ うに四果的連関 と整合性 を とりうる か」とい う難間が存在す る。この難問に対 して、Hilbertは 「 形式化(f01maliZation)」 とい う概念 を用 いて1つの解を 見 いだそ うとした。■■bert学 派 は、数学 的世界 における 命題 は、現実社会 において対応す る意味 を もち得 る(数学 世界以外 における参照点 を もち得 る)と主張 した。この議 論 によれば、数学的世界 における数学的命題 か ら別の数学 的命題への連関関係 は、現実世界における因果関係 と同型

対応を持つ ことになる。Hilbertは前者 をsyntactic tFuth、

後者をsemantic truthと呼んだ。さらに、■ilbertは3emall―

tic txuthは、数学 の世界 におけるsyntactic truthに 換言で

きることを主張 した。Hilbert学派 は、Hilbertの考 え方 を

さらに強化 し、「 現実世 界 におけるsemalltic truthは 常 に

きらによ り効率的なsyntactic ruleに よって琶 き換 え られ

る」と主張 した。 ここで、synt“ tic mleと は

1)一

連 の

有限個の記号、

2)記

号 を結 びつ けあ る数学的言明を導 出す る有限個のルール、

3)与

え られた数学的言明ををむ す びつ けて新 しい数学的言明を誘導す る導 出ルールの集 合 によ り構成 され る。 このよ うなsynticticシステム内部 では論理的整合性 は保証 され る。 この よ うな形式主義 は、 数学的真実は記号操作 に還元 され、世界の記述 はある一連 のルールと記号 によ り構成 され る論理 体系以外 の何物 で もないと主張す る。形式主義が もた らした成果 は、数学 と は外界世界の何物かであるとい う考 えを捨て去った点 にあ

(8)

小林潔司:知識・ 技術 と環境制御 C A S U A L DECODING I N F E R E N C E ENCODING 図

-1

モデルにおけるEncOdingと DetOding る。数学的命題 は人々の認識や現実世界 とは無関係 に存在 す る。換言すれば、数学的命題 を我々の好 きなよ うに解釈 で きるとい う考 え方を明かに した点 にある。 G6delは 形式主義 のプログラムを打 ち砕いた。彼はその 不可能性定理の中で、数学の―部分(おそ らく数学 の中心 的課題 の一つである数論)を公理化 しよ うと して も、公理 化によって達成 されたsyntactic truthが 数 に関す る真実の 集合 と一致 しないことを明 らかに した48)。数論 は数に対す る理論であ るにも関わ らず、数 に関す る純粋数学的事実を 数学的命題 で は完全 には表現 で きない とい うパ ラ ドクス が存在す る。G6delの 不可能性定理 は、公理化は数学の一 部であるけれ ども、数学 のすべてではないことを主張 して いる。数学 は、すべての言語 と同様に、すべての参照物か ら自由ではな く、数学 にとどまるのであ る。このことを敷 延すればすべての認識 をある有限個 の認識 で公理化す る ことは不可能であることを示 している。このことは現実世 界を形式言語で表現 しよ うとして も、しきれない何かが必 ず存在す ることを意味す る。Gttdelが、数論 はそれのいか なる公理化 よりもさらに複雑であることを示 したように、 現実世界 はそれを形式言語で いか に表現 しよ うともそれ よ りも格段 に複雑なのである。 科学的営為 は、現実世界 に参照点 を絶 えず求めなが ら、 現実世界 を まきにそれ を記述 しよ うとす る方法で形式 シ ステム内部 にはめ込 もうとす る行為である。図

-1は

形 式言語 と現実世界 に対す る認識 の間 の関係 を示 している 49)50)。 図中の (2)は周辺世界の現象 を形式 システムの命題 に翻訳す る システムである。(3)は、形式言語で表現 され た命題 を仮説 として提示 しなが ら、一連の仮説か ら形式 シ ステム内部 の推論 ルー ルを用 いてある一般的な科学的理 論を導出す る過程 である。このよ うな推論を経て得 られた 定理 は現象世界の上 へ decOdeさ れ る。 この意味で、定理 は現象 システムに対す る何が しかの予測 を意味 している。 モデルの過程は現象世界の因果関係を形式 システムの推 論関係で予測するシステムである。以上 は実証科学 におけ るモデル論を表現 してい るが、規範科学では矢印は逆 の方 向を とるよ うになる。いずれにせよ、実証科学 、規範科学 とい うモー ド選択 の問題 は、科学 と してのモデルの外部 に ある。また、科学的営為 において、図中のすべての矢印が 常 に必要 となる訳ではない し(例えば、隠喩で はencoding の過程 が省略 され る)、 あ る現実世界の現象 に対応す る形 式 ンステムが1っだけ存在す るわけではない。

3-2科

学 における双対性 科学 は双対性の上 に成立 している。以上で述べて きたよ うに双対性 は複雑性(comple ty)の源泉である。もっとも 本質的な双対性 は、自分 自身 と他者 を区別す る双対性であ る。Decartesは「 σ叩手ιο,9りO JVれ」 と述 べた。Decartes には絶対的自我が存在 し、「 σttιο」は、自我 の心的活動 のすべてを意味 している。Decartesに とって、自我が観測 す ることは、すべて彼 の内部世界 にあった。物理学者は外 的事実の観測者であ る。しか し、観測者が獲得す るのは彼 の内界世界 に属す ることである。すべての ものは外側にあ る。このよ うに基本的な双対性 が自己とその周辺世 界に存 在す る。しか し、科学 の営みは このよ うな双対性が存在す るとい うことを認 め る地平 にとどまって いてはな らない。 科学的営為 は、外的・客観的な現象 を認識す るとともに、 行動 し・理解す る自己の内的 。主観的世界 の双方を同時 に 対象 としなければな らない。科学 は周辺世界の現象 を内部 化す る方法である。内的・主観的世界 における「真 なる も の」、「 善 なるもの」、「 美 なる もの」への憧憬が 、人間を し て科学的営為へ と契機づ ける。環境科学 は、まさに「 内 な る不安」を契機 と して外的世界を主観的世界に関連づけよ うとす る営為 である。 自己と他者 の区別 は一人二人 によって異 なるが、その区 別 は絶対である。科学 的営為 にとって第2に重要 な双対性 は、我々の周辺世界 (ambiencc)の 分割 に関わ るものであ る。これは、外界世界 に対す る理解、認識 を管理す る方法 に関連 している。換言すれば、この ことは周辺世界に対す る我々の コンセ ンサ スの可能性、周辺世界 の直接的な認知 可能性に関 している、す なわち、システムと環境 との間の 双対性である。周辺世界におけ る「 システム」とは、われ われの「 認識その もの」であ り、その集 合を規定 している。 システムの概念 は、周辺世界に対す るわれわれの認識 や コ ミュニケー ションの一般性の水準を規定す ると同時 に、 我々が周辺世界を管理す る役割や行動 の精度水準 を表現 し

(9)

ている。システム概念 はあ くまで も、それを規定 しよ うと す る自己、あるいは観測者 の主観的認識水準によって規定 されている。システムはある状態 とその関連関係 により定 義 されるが、このよ うな状態 は観測によ り決定 され、環境 とはそれの システムヘ影響 を与 えるがために システムの 環境 として定義 され る。 社会 システムにおいて は、それを構成 す る構成員 の間 で コ ミュニケー ションされ るで きごとのみが正確 な意味で 社会的現実 とな り、それがまた社会 システムを構成 してい る。社会 システムが成立す るためには、その中で行われる すべての作動 や コ ミュニケー ションに対 して 自己準拠的な 指示体系が閉 じられ る必要がある。したがって、システム と して帰責 しうるすべての事柄 に自己準拠 が ともなわな ければな らない。閉 した システムは開いた システムとして のみ可能であ り、自己準拠 は他者準拠 と組合わ さった形で のみ表 され る。開放性 は閉鎖性 に もとづいてお り、自己指 示の確実性が環境への進出の前提条件になっている。社会 システムは自らを構成す る要素を自ら作 りだ し、かつ再生 産 しなければな らないautOpoietic51)なシステムである。

3-3シ

ステムの双対性

3.1で

述 べたよ うな複雑性の概念は、システムと周囲 世界 との差異 に関 して1つの重大 なパ ラ ドクスを提起 し ている。システムと環境 の双対性で示 したよ うに、周囲世 界はいつ もシステムその ものよ りも複雑である。システム の境界をいかに拡大 しよ うとも、システムと周辺世界の関 係は無限 に遡行す る。それゆえ、いかなるシステム もその 周囲世界のあ らゆ る要素 とあ らゆる関係 に自己自身 の性 能を付属 させ ることはで きない。 システムは現象 の複雑性 を認識世 界において縮減 した 結果である。縮減 は システムにおいてのみ行なわれるので あ り、きらにその周囲世界 に関連 して遂行 され る。システ ムの内部 は詳細 に記述 され、周辺世界は依然 ブラックポッ クスのままである。周辺世界が システムに及 ぼす影響 は記 述 されて も、システムが周辺世界に及ぼす影響を記述す る ことはない。その影響 が記述 されれば、その影響が及んだ 周辺世界 は もはや周辺 世界で はな くシステムの内部 にな る。このよ うに、システムと周辺世界の間は一方向の関係 のみを許容 した形で切断 されている(差異が設け られてい る)。 このよ うな システム と周囲世界 との差異 は複雑性 の 縮減 に対す る不可欠な前提 となっている。 内省的批判 を通 して認識 され る社会 システムに対 して 環境 はあ くまで も周辺世界 として存在す る。社会 システム の周囲世界(環境)に は、社会 に対 してコ ミュニケー ション を生起 させ る能力がない。環境 はあ くまで も社会 システム にとって周辺世界 と して存在 している。Varelaが 指摘 した ように何等 インプッ トによる連結 があるので はな く、む し ろただ閉鎖 による連結があるにす ぎない51)。 したが って、 社会 システムが環境 に生 した構造変化 を認知す るため に は、絶 えず周囲世界の変化についての コ ミュニケー ション を生起 しなければな らない。コ ミュニケー ションがなけれ ば、周辺世界における構造変化は何 らの社会的反映 を生 ま ない。社会 は一つの確かに周囲世界に敏感な、しか し操作 的に開 じた システムであ り、周辺世界 における変化 はただ コ ミュニケー ションを通 してのみ認識 される。社会 は有意 味 な ものだけを コ ミュニケー ションす る。また、コ ミュニ ケー ションを コ ミュニケー ションによって規制す る。 この よ うに社会 システムはコ ミュニケー ションの再生産 に準拠 して いるがゆえに、コ ミュニケー ションが社会 システム自 体を危機 に陥れ る危険性があ る。 このよ うな社会 システムの自己準拠的特徴 を Luhman■ は以下 のように表現す る23)。 周囲世界 はシステムにとり他者準拠的情報処理 の全 体地平であ る。周囲世界は システムに とり自己 自身 の操作の内的前提であ り、システムが 自己準拠 と他 者準拠を自己の操作の秩序 とい う擬制 と して使用す る場合のみ、 システムの中に構成 され る。 換言すれば、システムはそれが見 ることがで きない ものを 見 ることはで きない。ンステムはそれが見 ることがで きな い ものを見 ることができないとい うことも、また見 ること がで きない。社会 システムの環境 に対す る観察能 力 は、社 会 システムの観察能力以上の ものではない。環境問題 を必 要 とされ る正確 さで もって分析 しよ うとすれ ば、さ しあた り社会 システムにとって未知の特性が満 ちている客観的 に 与 え られた実在性 を一層 よ く認識 で きるよ うに学 問 を強 化す ることが必要である。しか し、その ことで社会 システ ムと環境 の間の固有 の関係を十分 に把握 で きる もので は ない。また、社会 システムの内部 にです ら観測者が観測で きない他 の多 くの システムがあ るとい うこと も十分 に理 解 しなければな らない。すなわち、学問で きえ も、その学 問が何を知 ることがで きよ うと、その認識 は多 くの システ ムの周辺世界において何等実在を持つ ものではない。別の システムにとって、それは一つの学問的学説で あるにす ぎ ない。 したがって、社会 システムと環境 との関係 の分析方 法は唯一つではない。その分析方法 は、観測者 の観測能 力 に決定的 に依存 している。異 なる観測 システムの間で コ ミ

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小林潔司 :知識・技術 と環境制御 ュニケー ションす るためには、観測方法を観測するメタ方 法論の開発が不可欠 とな る。しか し、メタ方法論 による観 測 もまたその理論的装 置を含 めてただ構造化 され た自己 生産の実行 としてのみ可能であ り、客観的によりよい知識 を交付す るのではな く、ただその観察者がいぅそ うよい知 識であると思 う別 の知識 を提供す るにす ぎない。 環境問題 の本質 は、周辺世界の構造変化 に対 して社会 ン ステムの情報処理能力(その メタ情報処理能力 も含めて) がどのよ うに構造化 され るのか(すればいいのか)とい う 点 にある。社会 システム自体が複雑 になれば、周辺世界の 構造変化 に対 して社会 システム全体 が即座 に反応 す るこ とはもはや不可能である。周辺世界の変化に対 して もっと も敏感 に反応す る部分 システム(学術 システム)が、特殊 な しか もただその システムにとって有利な方法で調整 され る。社会 システムは、周辺世界 の構造変化 に対 して、それ を常 に観察 しうる能力を持 たなければな らない。さらに、 周辺世界の構造変化 について コ ミュニケー ションす る装置 と社会 システムの再生産過程 を自己制御す る機構 を持 た なければな らない。システムの自己制御の立場を代表す る 経済学 は、モデル理論的考慮 を基礎 とし自己制御が価格だ けで決定 され、周囲世界に関す る情報の配分 を実現可能 に す る。しか し、社会 はそ こで引 き起 こされる環境問題 に対 して経済を通 じては情報を与 え られない し、またそれに代 えて経済の自己描写である統計 も参考 にで きない。自己描 写できないのは、描写が システムと環境の差異につながっ ていない とい う点 にある。さらに、経済学 は システム内部 の事象の システム内理論であ り、その理論は価格 に関 して 表現 され ることとなる。経済 システムの決定の総体は、決 して全体 システムに対 して決定 されるのではな く、経済 ン ステムの内部の市場で方向が定 め られる。経済 システムそ れ 自身 は閉 ざされた 自己生産 の システムと して機能す る ため、その システムには何等 目的がない。 したがって、シ ステムの自己制御 を可能 にす るためには、経済 システム外 部か らンステムの自己制御 のための手段を投入す る しか 方法 はないだろ う。 本稿では社会 システムの自己制御 の手段 と して、情報 、 技術、知識に音 目す る。情報 とは経済 システムのフローに 影響 を及 ぼすすべての要素 を意味す る。情報 は常 に差異 に基づいて発生 され る。環境規制 に関わ る社会的制度 は、 経済 システムの再生産過程 に情報を与 え自己生産過程 を 自己制御す るための経済 イ ンフラス トラクチャである。技 術 は社会 システムによ り生産 され る。技術 は社会 システ ムによ り選択 され、社会 システの発展をもた らす。技術の 進歩は環境 に影響 を及ぼ し、そ こか ら社会 システムに対す る副次的な結 果を もた らす。 したがって、技術選択 にお い ては、

1)選

択能力は選択効能 に対 して十分で あるか ど う か、その能力が我々に十分 な自由を与 え るか ど うか 、2) 社会的 コ ミュニケー ション的能力が選択 を操作的 に遂行す るために十分であ るか どうか、によって判定 されなければ な らない。最後 に、知識 は技術選択 の幅 を規定 す るとと も に、人々の価値観 に影響を及ぼす。環境 問題 に対す る社 会 システムの自己制御 において知識 の果 たす役割 は極 めて 大 きいが、この問題 に関 しては次章 で改 めて とりあげるこ ととす る。

4.環

境制御 とその課題

4-1制

御 システムとメタ制御 システム 制御 とはシステムの区別を別 の区別 によって指 し示 され る差異の極小化のために設けるよ うな動作であ る。環境規 制 とは社会 システ ムが環境 に及 ぼす影響 を制御 す るため に、社会 システムの行動を制御 しよ うとす る行為 であ る。 制御を制御行為 と してみた場合、制御す る主体 、客体 そ し て制御 目標を指定す る必要がある。制御 目標 は制御者 にと っては外生的であ る。 しか し、環境規制 は社会 システムが ま さに社会 システ ム自体 を自己制御 しよ うとす る もので あ り、制御 目標 は社会 システムにとって内生的 であ る。ま た、制御客体 は社会 システムにとって周辺世界 である環境 である。そ こには、制御者は絶 えず彼が環境 を観察す る理 論 にとって予想外の もの として生 じる制御の限界が現 れ る 可能性がある。したがって、環境規制 システムにおいては、 制御が対象 とす る(制御客体である環境 も含めた)システ ムとその周辺世界の区別を絶えず認識 し、当該制御 の限界 の問題 を絶 えず環境規制 システ ム内部 に組 み込 む メカニ ズムが必要 となる。すなわ ち、環境規制 システ ムは環境 を 観察 し社会 システ ムを 自己制御す る制御 システ ム と当 の 制御 システム自体 を観察 し制御方法 を制御す る メタ制御 システムによ り構成 されなければな らない。 メタ制御 システムにとって問題 になるのは現象世界 に関 す る客観理論で はな く、社会 システムと周辺世界 との関連 に関す る世界理論である。可能な制御 システムは多々ある が、メタ制御 システムにとって存在可能 な もの はそれが観 察す るシステムかあるいはそれにとっての環境 のいず れか である。環境のメタ制御 において問題 になるのは、環境 制 御 システムが もた らす

1)副

次的効果、

2)実

行上 の欠陥 、 あるいは、

3)社

会 システム自体が有す る自己破壊的予言 である。あ らゆる制御は作動を通 して再生産 され る システ

(11)

ムにおいて、他の多 くの作動 とな らんでつねに一つの作動 であ り、しか もこれは当該の制御が システム自体 にかかわ る ものか環境 にかかわ るものか とい う問題 とは無関係 に 成立す る。システム・環境 のいずれにかかわ る場合であれ 制御作動 と同時に別の もの も起 こりうる。 したがって、制 御 とい う動作を制御作動 の観察 とい う作動 か ら区別 しな ければな らない。成功や失敗 の評価 は行為 と しての制御 と は別の視点か らな され る。観察 され るとい う事実が観察 き れる。ここには外部か らの助言 は存在 しない ものの、シス テムに一次的・外来的な助言 システムを組 み入れることが で きる。メタ制御 システムの役割 は、まさに環境制御 シス テムによる副次的結果 と実行上の欠陥を、制御 システムの 構造や作動 の方式 を通 して変更す る点 にある。 自己準拠的に閉 した環境制御 システムの理論 は、構造の 決定 された環境制御 システム、自分 自身の構造 を自己の作 動を通 してのみ変更 し得 るような メタ制御 システムによっ て構成 され る。このよ うな環境制御 システムは、自己準拠 的に閉 じた システム理論 とそれ によって呼び起 こされた2 次サイバ ネティクス理論 を用 いて実現 される。オー トポイ エ シスの構造決定条件 として システムの境界を越 えるイ ンプッ トやア ゥ トプッ トは存在せず、存在す るのはせいぜ い「 当の システムに合った独自の区別 を用いて他の システ ムを相応のや り方で観察す るが、その際、自らはインプッ ト、アウ トプッ トに依存 してお らず、ほかな らず この自ら 構成 した区別 に もっぱ ら依存 している」ような観察者であ る。制御 プロセスでインプッ トと認知 される ものは、シス テム自体で構成 された情報 に過 ぎず、この情報構成 は当の システムがその差異の極小化 に努め る区別を作 り上げて いる一成分 に しかす ぎない。外界 にはイ ンプットもアウ ト プットもな く、情報 も情報選択 の可能領域 もない。外界は そのままでは動 きがな く、可能性を欠 いてお り、しか も未 知である。筆者 はこのような 自己準拠的な環境制御 システ ム理論を構築 しつつあるが、そ こではカテゴ リー理論が強 力な数学的武器を与えて くれ る(付録1参照)。 現代社会で は機能 システムに自己制御 の可能性が与 え られている。したがって、システム全体 レベルでの全体社 会の自己制御 は存在 しない。それ に もかかわ らず、全体社 会 は自己を主張す る。制御 を観察す るや り方 に任意性を認 めない。相互観察 によるコ ミュニケー ションが機能す る。 一方で、観察者を観察す ること、つ ま りは観察の再帰的ネ ットワーク化 と他方では作動の基礎 と して受 け入れよ うと す る積極的態度 が必要 となる。あ らゆる観察、あ らゆる描 写、あ らゆる制御は作動 として差異をマーク し、ひいては ンステム形成的に作用す る。この問題 を現代社会の自己描 写 に取 り込 む ことは学問的分析 と社会 的啓蒙 に課せ られ た責務 である。

4-2技

術 と環境制御 システム 技術進歩が環境 を変革 し、そこか ら社会 に対す る副次的 な結果が生 じるにつれて、人々はいっそ う多 くの干渉能 力 を展開 しなければな らない。つま り、すでに言及 したよ う に、

1)技

術的選択能力 は選択効能 に対 して十分であるか どうか、その能力が我々に十分 な自由を与え るか どうか、

2)社

会的 コ ミュニケー ション的能力が選択を操作的に遂 行す るために十分 であるか どうかが重要 になって くる。こ の場合、環境制御の基本的課題 は社会 システムの内部で生 じた差異をいかに情報化 し、それをいかにコ ミュニケー シ ョンす るか とい う点 に凝縮 され る。 環境制御 とは、社会 システムがその周辺世界に及ぼす影 響を緩和 ない し変更す るために、社会 システム自らの行動 に対 して 自己規制す る行動である。経済 システム内部 には 市場が存在す る。市場 は社会 システムに属す る各個人が価 格 とい う高度 に集約化 された情 報 を用 いて 自己の行動 が 他者 に及ぼす影響を知 り、その上 で 自らの行動 を自己規制 す るために機能す るとい う非常 に優れた擬制である。そこ では、高度 の匿名性が保持 され市場 における自己再生産過 程 は記憶のないプロセスである。しか し、環境 はそれ自身 の状況を情報 と して表現 し、社会 システムとコ ミュニケー ションす る能力を もち得 ない。社会 システムは、環境に生 した差異 を社会 システム内部の言葉 で情報化 し、他の構成 員 とコ ミュニケー ションを行 う。 この コ ミュニケー ション は、自己の行動 に対す る他者 による直接的な関与 と して現 れ る。そ こには、個人の自由 と干渉す る領域が存在す る。 環境制御 とは、個人の自由 と社会 の生存 とい うコンフ リ ク トに対 して、匿名性 を保持 しつつ互 いの行動を相互規制 す るような一定のルールを規定す る行為 に他な らない。一 般に、ルールとは不確実性 に対処す るために人々が発達 さ せる一連 の倫理的判断であると考え ることがで きる。社会 にはある不確実性が存在 して、それが匿名性・普遍的な規 範を必要 ときせ る。規範的であることの個人主義的な解釈 は、それが全体 としてかけるに値す る鍛であ り、自分 の意 図にはそ ぐわない結 果 も含 めて事前 には同意 を与 えて い ることを意味す る。賭けをす ることは賭 けのルールを承認 す ることであ り、その結 果を承認す るものではない。社会 契約 においてはルールに自発的 に従 うとい う契機が存在 す る。社会契約 はゲームのルールを定 めるとい うメタゲー ムである。社会過程 とは不断の契約である。一方で制度 に

(12)

小林潔司 :知識・ 技術 と環境制御 従 いつつ他方で新 たな態度表明 を しつつ制度 を変 化 させ てい く。社会契約 において は、自分が どのよ うな地位を占 めることにな るかがわか らな い とい う契約 の不確実性が 存在す るために愛他的にな らざるを得 ない。社会契約 にお いては愛他的であ ることが合理 的であ る52)。 人間は社会の中で きまざまなゲームに参加 し、互 いに競 争 しなが ら協力 しゲームの目的やルールに従って物や意見 を交換す る。それ と同時 に人間 は自覚的 ない意志 の表明 や他者への働 きか けによってあ るいは無 自覚的 にゲームの 中で個々の競争や協力行動 を通 じて従来のルールの修正 や 新 しいルールの形成 に関与 している。人々は何か特定の模 範 となる良 き生を一致 して追求す るのではな く、きまざま な良 き生 をそれにお、さわ しい仕方で個別 に追求す る。我々 は、社会 の中で様々なゲームを、しか も複数のゲームを同 時に演 じている。そ こに必然 的にゲー ム間の摩擦や衝突が 生 じる。我々は、一方 のゲームにコ ミッ トしなが ら、他方 のゲームを犠牲 にす る。ここに、ゲーム間の取捨選択の価 値判断の問題、す なわち論争的関係が生 じる。 社会 システ ムは複数 の 自由が混在 し混 乱 と自由の侵害 の危険が生 じている場であると同時 に、人々がそれを自生 的に解決す ることによって、より広 い見方・社会的枠組みの もとで人々が 自由を享受で きる貴重 な機会を提供す る場で もある。この場合、ルールは我々の 日常生活を制限す る方 向に働 くのではない。む しろ、われわれはルールを用 いる ことによ り多種多様 な 自由を実現す ることがで きるので ある。ルール達守 は我々の多様 な生 の共存を可能 にす る。 Popperは「 開かれた社会 とその敵」の中で外に対 して開い ているがゆえに不完全な社会 として 自由社会を擁護 した。 彼は知識 と無知の根源について考察 し、「 われわれの知識 が人間の知識であ ると言 うことを、同時 にそれ らが必ず し も個人の気 ま ぐれや恣意 ではない ことを認 め るとい うこ とがいかに可能であ るかJとい う問題提起 を行った53)。 の問題 を翻訳すれば、個人の気 ま ぐれや恣意 を許容 し、そ こか ら生 じる意見 の相違 や論争、部分的混乱や試行錯誤を 許容 しつつ同時 にそ うした個人の意 図 を越 えた ところに 全体 と して最小 限の秩序 と して成立 す る規範的枠組 みが 存在す ることがで きるか とい う問いで もある。

4 3知

識 とメタ環境制御 超長期的な視点 か らは、価値観・知識 の発展に伴 う不確 実性が存在す る。この両者の間には密接な関連があるとと もに、われわれは将来の価値観・知識 の状態を予測す るこ とはで きない とい う基本的な不確実性 に直面す る54)。

_

方、技術 は一度選択す ると社会・経済・環境 の構造を不可 逆的 に変化 させ る。この意味で、環境制御 は、長期的には 予測不可能性(unPrediCtabJity)と不可逆性(irreVeFSibdity) とい う2つのアポ リアに直面す る。この2つの問題 は、メ タ環境制御 システムが対象 とす る根本問題であ る。 メタ環境制御 ンステムは、常 に予測不可能性 と不可逆性 の問題 に直面す るが故 に、そこでは時間の向 きは逆方向に 流れる。すなわち、来来が現在を、現在が過去 を規定す る。 現在 における社会 システムの状態 は、過去 にお ける社会 システムの状態や過去 における環境制御 や計画行為 に拘 束 される。この ことは、知識 の有限性、観測速度 の有限性 に起因 して生 じる。環境 の変化が社会 システムにとって意 味ある情報 と して コ ミュニケー ションされなければ、当の 社会 システムにとって「 環境 の変化」な るものは存在 しな い。メタ環境制御 システムにおいては、現時点 での環境 の 状態 と過去 の情報 の蓄積 を用 いて環境 の変化過程 を遡及 的に分析す る。環境世界 において実在す る現象 の変化過程 を唯― の ものであるに も関わ らず、各時点で遡及的に求め られた過去 の環境の姿 は不連続 であるのが常である。すな わち、環境 の変化が社会 システムにとって危機情報 と して 感知 された時点では、環境 の変化はすでに非可逆的 に進展 してい るのが常であ る。 予測不可能性 と不可逆性 とい う2つの アポ リアに対処 す るためには、環境 の変化を察知す るとそれをいち早 く情 報化 し、当面 の対応策 を講 じるとい う以外 にないだろ う。 この意味で、precautio■

d原

則 はメタ環境制御 における基 本政策 として位置づ け られ る。筆者 は、現在 メタ環境制御 システムを ability制御過程55)と して定式化 しつつあ る (付録2参照

)が

、Precautional原 則 は この制御過程 にお ける危機回避の最適政策 と して位置づけ ることがで きる。 それ と同時 に、環境科学 における知 のフロンティアの拡大 が要求 され る。知のフ ロンティアの拡大 は閉鎖 システムで ある ことによ り開放 システムた りえて い る社会 ンステム が、自らの自由の拡大 と技術 の進歩 を求 めることの代償で もある。社会 システムの周辺世界である環境 は、知の拡大 を通 して も一向 に環境 であることをやめないが、知 の拡大 は自己生産 しなが ら発展 を送 げる社会 システムの abJity 制御のための基本的要件で もある。

4-4教

育 と環境制御 価値観 は時間 とともに変化す る。社会 システムは長期的 には世代交代 とい う自己生産を行 う。環境 が環境 の自己生 産 のためのイ ンフラス トラクチャと して機能す るよ うに、 社会 システム自体が社会 システムの自己生産 の ための イ ンフラス トラクチャと して機能する。この種のイ ンフラス

(13)

トラクチャの中で も教育 システムの果たす役割 は特 に重要 である。教育 はある目的をめ ざす行為である。それ は古い 世代が彼 らが望 ま しいと考 える価値観を、新 しい世代 に伝 達す る行為である。価値観の変化に教育 システムの果たす 役割は大 きいが、ここにパターナ リズムの危険性が存在す る。パターナ リズムは方法論的に個人の自由を制奪す る。 教育 ヒューマ■ ス トの立場 は、教育者 の行為 に対 しては 因果性 の存在 を否定 し、外部 的影響 にのみ因果性 を認 め る。この因果理解 は教育者 に「 自分 は常 に善意であ り、悪 い結果 に責 任 は常 に外部 にある」 とい う判断体系を もた らす。教育哲学 は強制か自由化 という問題 に触れないよう に教育の定義を試 みて きた。た とえば、ランゲフェル トは 「 ひとが 自己自身の中か ら成熟 した人格 としての人間をつ くり出 してい くのを助成す るため是非 ともな さねばな ら ぬ援助」と定義 している。教育は援助であるとい う定義 は 教育の目的が どのよ うに規定 され るか とい う肝心 の問題 を回避 して いる。教育 は古 い世代が定 めた 目標 を新 しい 世代に強制す ることである。教育論の課題 は「 強制によっ て自由を育て る」とい うアポ リアに答を見いだす ことであ る。加藤 は、先行す る自由の レディネスが存在す ることが 教育の条件であると主張 している。教育 は指示であ るが、 指示 を受 け とめ る側 に自由の因果性 が存在 しなければな らない。学習過程 には必ず先行す る自由がある56)。 安全・快適・健康 その他 あ らゆる文化的価値を含めて、 価値の増大 は自由の侵害を正当化 しない。自由が真 に守 ら れるためには、自由が価値か ら独立 していなが ら価値 と両 立す る方法を模索 しなければな らない。自由 と価値を両立 させ る具体的な方法がまさに教育である。合理性 と自発性 の一致 とい う意味での教育である。自発的な意志が価値的 に高い ものに向か うのでない限 り、価値 と自由は両立 しな い。学習には選択 の余地があ り、それが 自由の増大 につな がる。市場 は様々な もの、知識・技術を生 み出す ことによ り 選択 の自由を広げ るだけでな く、表現 の自由によって人々 にさまざまな学 び方 を詐容す る。人間 は社会 に対 して様々 なことを学 び、行動選択 の自由を広げて きた。それ と同時 に人間は学 んだ ことに従 いなが らそれを鵜呑 みにす るの ではな く、解釈 の幅 を広げて きた。カン トが彼 の道徳哲学 の中で主張 したよ うに、歴史 における人間の課題 は「 啓蒙 的理性の完成」でなければな らない57)。 5。 おわ りに 本稿では、地球温暖化問題 に代表 され るよ うな近年の環 境問題 に対す る関心 の高 まりを背景 として、これか らの環 境制御のあ り方 に関す る筆者 な りの試 論 を展開 した もの である。筆者 は、いわゆる「 地球環境問題 」といわれ る間 題の一群を人々の「 人類の将来 における生存可能性 に対す る漠然 とした不安」に動機づけ られ、また、「 事実、そ_の解 決が迫 られているよ うな問題」 と して定式化 した。「 地球 環境問題」と呼ばれ る問題 は、人類の将 来の生存可能性 に 関す る不安 に基づいた自己回帰 的な コ ミュニケー ションの 問題 と して位置づけた。さらに、あ りうべ き環境制御の方 法 は、環境制御の方法を内部に包括 す るよ うな メタ制御 シ ステムとして定式化で きることを指摘 した。もとよ り、本 稿は筆者の地球環境問題 に対す る関心事項 について スケッ チす ることを目的 としてお り、この中に含 まれ る多 くの課 題 に対 して今後の研究 の蓄積が待 たれ る ことは言 うまで もない。

APPENDIX

(付録

1)メ

タ=環境制御 システムの定型化 環境 システムの複雑性を理解す るために、カテゴ リー理 論を用 いて環境制御 システムを定型化す る。ある環境制御 ルールの下 における環境

=社

会 システ ムの 自己変換 シス テムを同 システムの状態空間Ω上で定義 され る写像 ん ん:Ω→ Ω生 (1) で表わそ う。写像 んは状態空間Ωか らΩ上へ の写像であ る が、不必要 な混 同を避 けるために像空 間 をΩ′に よ り表 わ し、Ωと区別す る。任意の状働 GΩに対 して 。⇒ ん(ω)CΩ ′

(2)

が定義 され る。一般的 には、写像 は微分方程式 b(1)=デ “(ω(ι))=デ(t,ω(1),V(1)〉 (3) によ り記述 され る。写像 汎tの集 合Hom(Ω,α)を考 えよ う。Ω を任意 の集合 と考えれば、Ωか らげ上 への写像の全 体 IOm(Ω 〕ぼ)も また集合 と考えることがで きる。任意 の ん G HOm(Ω,Ωりが変換群の基本的公理 を満足す る仮定 し よ う。この時、IOnl(Ω〕Ω′)1ま変換群 による自己同型写像 を 構成す る。 制御 ルー ル自身を環境 の変化 と対応 させ て変 更す るメ タ制御機構 を導入 しよ う。メタ制御機構 とは システムの出 力情報 に基づいて制御 ンステム自体 を修復・更新す るよ う な自己再帰適 システムであ る。 ここで、HOm(Ω,げ)を制 御ルール とし、メタ制御 ルールを写像φデ

ψ

HOm(Ω,Ω

, (4) により表現する。ここで、メタ制御ルールφァが制御ルール デにより導出されていることに留意 しよ う。すなわち、φァ

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